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フランスの職業指導における手工教育の意義に関する一考察

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はじめに―問題の所在と先行研究―

近年,先進各国において学校教育,特に普通教育における「労働・職業」の位置づけが大きく変化 している。その根底にあるのは,キャリア教育の推進にみられるように,労働・職業との関連性を意 識した視点から教育活動を再編成することで,子どもの社会移行を支援すると同時に学習へのコミッ トメントを促進していこうとする動きである。しかし,実現にあたっては,職業・労働につながる「技 術教育」と普通教育における「知育」をいかに融合するかが課題の1つとして浮上する。その際に1 つの鍵となるのが,普通教育の枠組みにありながら,労働という人間の本性的営みに直結している手 工教育の役割であり(1),それを歴史的に問い直す作業から得られる示唆は小さくない。

以上のような問題意識のもと,本論ではフランス第三共和政期(1871-1940)の初等教育において 実施された「手工」(le travail manuel)に着目し,それが「職業指導」(orientation professionnelle)

としていかなる意義をもっていたのか明らかにしたい。本論においては特に1880〜1900年代を中心 に扱うが,この時代,フランスは手工教育をいちはやく学校に導入した「先進国」であり,スウェー デンの「スロイド手工」と並んで我が国の手工科にも大きな影響を与えている(2)。また,我が国の手 工科が加設科目として教育課程上に位置づけられたのに対して,フランスの「手工」は必修科目で あった。

こうした理由もあり,19世紀末〜20世紀初頭の「手工」に関しては,技術教育の観点から既にい くつかの研究がなされている。最も古いものとしては,東京府少年職業相談所の資料の中で職業学校 を中心に「手工」の概要が紹介されている(3)。小学校段階も含めて扱ったものとしては,技術教育政 策の展開を追った志村鏡一郎の研究が詳しい(4)。さらに,細谷俊夫も著作の中で,初等教育段階の

「手工」について仏・米・英の比較を試みている(5)。また,堀内達夫は第三共和政成立直前の技術教育 に注目し,「手工」をめぐる政府や産業界の動向を考察している(6)

しかしながら,「手工」の導入と実施にあたり,「知育」との距離をめぐって様々な葛藤や挫折があっ たことはあまり知られていない。筆者は上記の先行研究の成果を参照にしつつ,「手工」を「職業指導」

という枠組みにおいて捉え直すことで「知育」との関連性を検討していきたい。

フランスの職業指導における手工教育の意義に関する一考察

第三共和政期の初等教育に着目して

京 免 徹 雄

(2)

フランスの職業指導における手工教育の意義に関する一考察(京免)

1.徒弟制度の危機と職業指導の出現

堀内が指摘するように,徒弟制度の危機に対応するために技術教育の整備が国家レベルで懸案とさ れたのは,第二共和政(1848–1852)の末期である(7)。続く第二帝政(1852–1870)においても,労働 者に対する技術教育を徒弟制度のもとで現場において実施するべきか,学校の中に作業場を設置し てそこで行うべきかが議論された。1863年に設置された職業教育委員会が打ち出した方向性は前者,

つまり公権力による統制ではなく,既存の民間団体の「発意」を尊重して,その事業を支持・助成す ることで労働者養成を試みるという方針であった。生計の糧を与えるべき労働を学習の一環として行 うことは生徒の知的・道徳的発達を損なうとの理由から,初等・中等教育への「手工」導入は退けられ ている。しかし,1867年のパリ万国博覧会において,フランスの工業生産力の乏しさが再認識され て以降は,国家主導で労働者養成を行うべきであるとの論調が優勢になる。こうして,1879年には 上院議員コルボン(A. Corbon)を長とする委員会の報告書が出され,4種類の対策,すなわち①若 年労働者の訓練および労働条件の改善,②技術教育手段の開発,③初等教育への「手工」の導入,④ 公的な職業指導の組織化が実施された(8)

本論が直接対象としているのは③であるが,「職業指導」の視点から考察するという趣旨に鑑みて,

まずは④について学校教育を中心に概観したい。シノアール(Guy Sinoir, 1902–1978)によると,職 業指導は「家庭の状況や労働市場の状態を考慮しつつ,子どもの総合的な能力,その水準,最初に 示された好みに最も適した職業分野へ子どもを導くことができるように,家庭を支援すること」(9)と 定義される。またレオン(Antoine Léon, 1922-1998)は,職業指導には,専門家の能力測定に応じた 就職を推し進める「診断的概念」(conception diagnositic)と,主体的に職業選択を行う能力を育成 する「教育的概念」(conception éducative)という2つの概念があると指摘する(10)。前者が主に職業 指導センターなどの専門機関で実施されたのに対して,後者は学校などの教育機関において実施さ れた。

フランスにおいて職業指導が初めて公式に規定されたのは1922年であるが(11),教育的概念に基づ く職業指導は,既に第三共和政初期から主に「技術教育」(l’enseignement techinique)と結びついて 発展してきた(12)。例えば,シノアールは,技術教育を「特に学校で実施される,一般的な知的教養 と職業に関する理論的専門知識とに重きを置いた,手仕事の実践に向けた準備」と定義した上で,そ れと職業指導とは互いに包摂し合うと考えている(13)。また,行政レベルでも学校における職業指導 は,1920年代以降,技術教育政務次官官房の管轄下に置かれてきた。

ただし,職業指導が実施されたのは,主に初等教育系統の学校においてのみである(14)。第三共和 政下の教育制度は複線型学校体系であり,完全に断絶した2つの系統,すなわち初等−上級初等教育 コースと中等教育コースによって構成されていた(図1)。庶民階層が進む前者では,13歳で小学校 を卒業して大部分の生徒が就職するため,彼らに対する職業指導は必須であるとみなされる(15)。 それ に対して,上流階層が通う後者はバカロレアや大学に通じており,成人までに就職する生徒はごくわ

(3)

ずかに過ぎない。ゆえに,このコースでは職業指導に代わって「進学指導」(orientation scolaire)が 発達したのである。

2.職業学校における職業指導と「手工」

職業指導としての「手工」は,初等教育段階では小学校,上級初等教育段階では各種職業学校に導 入されたが,ここではまず後者について検討したい。1873年,パリにディドロ学校が創立されたの を契機に,1880〜90年代には6つの職業学校が出現した。そこでは,小学校卒業後に3年間,「手工」

を含む中級技術教育が行われたが,これらの都市学校は比較的裕福な労働者階級を対象としており,

一般庶民を対象としたものではなかった。学費は年間1000〜2000フラン以上と非常に高く,また就 学期間中に賃金労働を中断しなければならないことも大きな負担であったとされる(16)

ようやく1880年になって,庶民のための職業学校として「徒弟手工学校」(les écoles manuelles d’apprentissage)が創設された。「1880年12月11日の法律」の第1条では次のように定められている。

「手工の職業に就くことを目指す青少年において,必要な巧みさと技術的知識を発達させるため に,市町村および県によって設立される徒弟学校は,公立初等教育機関の数に加える。公立初等 補習学校は,徒弟手工学校に相当する職業教育の講座あるいはクラスを教育課程に含む。」(17)

同法により,コミューン立あるいは県立の徒弟手工学校が公立初等教育機関の一部としてみなされ るようになり,同時に職業科を設置する公立初等補習学校(実際には高等小学校補習科)が徒弟手工 学校と同様に扱われるようになった。したがって,徒弟手工学校と高等小学校職業科が併置され,こ れらの学校を通じた公的技術教育の振興が試みられたのである。ただし,1881年に入って前者が商

16   年齢

リセ コレージュ

15 職業

14 学校 高等

13 補習科 小学校

12

↑義務教育↓

上級         小 11

10 中級         学

初等部 9

8 基礎         校 7

6 幼年学級

5 母親学校

4

図1 第三共和制初期の学校制度

(筆者作成)

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フランスの職業指導における手工教育の意義に関する一考察(京免)

業省,後者が公教育省の管轄に属すると決定されたことは注目に値する。このことは,両省の間で財 源争いを引き起こし(18),さらに教育方針に関するイデオロギー対立をもたらしたとされる(表1)。

すなわち,徒弟手工学校は,従来の徒弟制度に匹敵するような専門的技術を備えた労働者の育成を目 指した。それに対して,初等普通教育の完成を目的とする高等小学校補習科は,手作業に対する興味 や関心を喚起して「生まれた環境が予定する職業へと生徒を向かわせる」(19)ことを目的としていたの である。

結局,商業省の財源不足のため徒弟手工学校は全く発展しなかった。他方,高等小学校職業科は 1892年に「商工業実践学校」(écoles pratiques de commerce et d’industrie)と改称され,商業省の管 轄下に置かれることになる。それ以降,商工業実践学校は上級初等教育とは全く異なる独自の道を 歩み,労働者階級のエリートを養成するようになっていった(表2)。そこで実施された「手工」は 専門的実務教育としての色彩が強く,とうてい庶民階級に対する職業準備と呼べるようなものではな かった(20)

その他,1881年7月に,「国立職業高等小学校」(écoles nationale d’enseignemant primaire supéri-

eur et professionnel)が創設されていることも付け加えておく(21)。ヴィエルゾンに設立されたモデル

校を皮切りに,アルマンティエール,ヴァアロン,ナント,タルブと各地に拡大していった。その 後,これらの学校は「国立職業学校」(les écoles nationales professionnelles)へ改編されており,商 工業実践学校と同様に上級初等教育から次第に離れ,エリート技術者の養成機関となっていったとさ れる。

以上のように,19世紀末から20世紀前半においては,商工業実践学校と国立職業学校という2本 柱となる教育機関が中級技術教育を担っていた。しかしながら,単純労働者の養成を目的とする技術 教育は存在せず,「手工」に関しては職業指導としての意義はあまりなかったと考えられる。

表1 教育方針に関するイデオロギー対立 表2 商工業実践学校と高等小学校の比較

学校の種類 徒弟手工

学校 高等小学校 

職業科    商工実

践学校 高等 小学校

管轄省 商業省 公教育省

作業場での

(1授業時間週間)

第1学年 19.5h 4h

機能 1つの職業の準備 職業訓練 第2学年 24h 7h

活動場所 アトリエ 学校 第3学年 27h 7h

教育方針

具体的 抽象的

生徒1人 あたりの数値

作業場面積 9.75 m2 1.25 m2

専門的 一般的 材料価格 930F 41F

実践 理論 一年の経費 152F 34.5F

手を使う 頭を使う

出典 表1:Alain Crindal, Régis Ouvrier-Bonnaz, La découverte professionnelle, p. 15より筆者作成。

   表2:志村鏡一郎「第三編 フランス技術教育史」梅根悟監修『技術教育史』291頁,一部改変。

(5)

3.小学校における職業指導と「手工」

(1)職業指導における「手工」の位置

公教育大臣フェリー(Jules Ferry, 1832–1893)によって無償・義務・世俗が実現された共和国の小学 校は,児童に読み・書き・算という基礎教育を与えるだけでなく,市民と労働者のアイデンティティー を形成するために必要な社会的態度を習得させるという期待を背負っていた。したがって,労働者と しての就職準備を行うことも義務教育の役割とみなされ,小学校の教員は職業社会と接触して情報を 保持し,生徒に労働,農業,商業,工業の世界とのつながりを取り戻させる必要に迫られたのである。

フェリー自身,リヨンでの演説の中で,全ての職業につながる普通教育において鉄工と木工を行うこ との重要性を以下のように強調している。

「小学校に入ってすぐ労働者の子弟に木工と鉄工を教えること,それは彼らをしかるべき適切な 位置に置くということであり,また一人前の大人の年齢,事情を十分に知った上で自らの職業を 選択できる年齢になったときに,労働者を堕落させ隷属させる過度の専門化を免れるための方法 を彼らに提供するということである」(22)

このように,フェリーは小学校における職業指導の中核をなす活動として「手工」を想定していた といえよう。コルボン報告が出された後,パリ市のいくつかの小学校では「手工」が設置されたが,

それが正式に法制化されたのは,「1882年3月28日の法律」(23)とその施行令によってである。小学 校の教育組織は,基礎課程(7〜9歳),中級課程(9〜11歳),上級課程(11〜13歳)の3段階に 編成されたが,3課程とも同じ教科を扱っており,必修教科の1つとして週2時間あるいは3時間の

「手工」が導入されたのである(資料1)。

「手工」は,生徒の職業的・社会的な使命と不可分に結びついたものであった。その内容は,「1882 年6月27日の省令」によると,多様な職業の道具を使用することによって「男児には労働者や兵士 としての将来の活動,女児には家事や女性の労働のための素地を与え,それらの活動に向けて準備さ せる」(24)ことであると規定されている。つまり,工作室における造形作業に従事し,人間にとって 有用な品物を生産することを通して,女児は良き母や妻になるための訓練を行い,男児は手作業を行 うための初歩的な規則を学習したのである。この方法は,使用する材料や道具を分類するための土台 を児童が形成するにあたって有用であり,全ての職業に共通する能力を発達させることに寄与すると 考えられた。「手工」の導入に尽力したベール(Paul Bert)も,「手工」は特定の職種への就業を目 的とするものではなく,小学校が職業学校化するようなことがあってはならないと述べている(25)

ただし,「手工」は単なる技術の習得を目指していたわけではない。とりわけ重視されたのは「極 めて早期に職業的活動の習慣と関心を身につけさせる」(26)こと,すなわち生徒の道徳的,人格的発達 であった。「手工」研究の大家とされるルボム(Joël Lebeaume)によると,当時,この教科を担当し た公教育視学官サリシス(Gustave Salicis)は,「手工」は職業訓練ではなく,「感覚の正確さ,環境 に対する経験的理解,手作業に対する嗜好の三者を結びつける」ものであり,道徳教育の一端を担う

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フランスの職業指導における手工教育の意義に関する一考察(京免)

ものであると説明したという(27)。この考え方は,社会主義者フーリエ(Charles Fourier, 1772

1837)

が提唱した「技術的ヒューマニズム」(humanism technique)に共通するものであろう。それは,技 術的な作業を通して精神と肉体を同時に鍛え,人間のあらゆる面の完成を目指すという思想である。

彼によると,教員は技術活動を通じて「子どもの産業的適性を開花させ,健康,財産,競争心,よき 習慣の獲得に向けて,無償で子どもを指導するように最善を尽くす」(28)義務を負っているという。

(2)「手工」の実態と知育への接近

ルボムが「手工は身体の教育の一部であって,知育とは分離されている」(29)と指摘しているように,

「手工」は本来,手作業による技術習得とそれを通じた徳育を企図していたといえよう。サリシスが 作成した「手工」のカリキュラムは,4種類の内容によって構成されており,技術教育がその大部分 を占める(表3)。しかしながら,この理念の実現には2つの大きな障壁が存在した。第1に,財源 不足のため,多くの学校に工作室が設置されなかったことである。実際,1887年の時点で小学校の

60%は専用のアトリエを備えていなかったとされる(30)。第2に,「手工」を指導する教員の養成が不

十分であったことである(31)。1887年からバカンス中に師範学校で行われた29日間の「手工」の特 別講座は参加者が少なく,1889年には消滅している。

このような状況下で,1890年にサリシスの後任に就いたルブラン(René Leblanc)は,「手工」を 知育,特に科学法則の発見と結びつけ,「工作室なき手工」という方法を発展させた。彼は中等教育 と競合関係にあった初等教育の精神を守ることを尊重しており,「手工」は,「上級課程へのアクセス と早期の職業教育の回避にとって有用な,知育の最初の段階」(32)であるとみなしている。その結果,

「手工」は幾何学を中心とする学問的な教科へと統合され,ルブランの言葉を借りるならば,「数理科

資料1 小学校における「手工」の授業風景 表3 「手工」のカリキュラムの4分野

1.木工

2.調整,ろくろ,鍛冶

3. 線図,模型工作,鋳型,審美的・幾何学的方法 を志向した彫刻

4.操作,化学における化学体験,物理,博物学 出典: Joël Lebeaume, “An history of manual work for

boys within primary school in France”, p. 3.

「1883年にトリュフェムによって出品された絵画は,子どもたちが木工を学ぶ工作台のまわりで,忙しく働く 教師たちを描いている。しかし,悲しいかな,この絵画は現実を映し出したものではない。このような豪華な 技術設備を所有する学校はほとんどなかったのである。」

出典: Françoise Mayeur, 《de la Révolution à l’École républicaine》, Histoire générale de l’enseignement et de l’éducation en France, Tome III, Nouvelle librairie de France, 1981, p. 261.

(7)

学」あるいは「物理・自然科学」の授業のようになったのである。新しい「手工」からは「木工」と「金 工」が排除され,「レイアウト」と「切り取り」と「模型製作」のみが残された。さらに,1904年に

「線図」の教科が独立すると,「手工」は支えを失い,もはや手作業を伴わない幾何学のための教育的 手段に成り下がってしまった。これに対してクラ(Charles Kula)など一部の研究者は,学校での学 習内容と社会との関連を確保するべきであり,そのために「手を使うという一般的文化」が「労働へ の教育」(une éducation au travail)を維持しなければならないと主張がしたが,実現することなく終 わったのである(33)

知育としての「手工」は,中等教育において行われていた「進学指導」に通じるものであり,初等 教育に新たな局面をもたらしたことは否定できない。しかし,技術教育的側面を失った「手工」は,

当初期待された労働者に対する職業指導としての役割を充分に果たせなかったと考えられる。

4.職業指導としての「手工」と知育の関係 

ルボムは職業教育を「小学校の後に開始するか,小学校の間に開始するか」,さらにそれと関連し て「手工」は「学校における技巧的導入なのか科学技術的導入なのか」と提起し,論を終えている(34)。 本節では,「手工」と知育との融合を主張するレオンの考え方を手がかりに,この問題について職業 指導の観点からさらに考察を深めてみたい(35)

レオンは,「手工」を学校における職業指導の教育方法の1つと見なしており,その理由として次 の2点を挙げている(36)。第1に,多目的な手作業への入門指導が,児童の職業的視野を拡大し,彼 らの興味・関心や適性の発達に寄与することである。また同時に,教員は「手工」の多様な場面にお いて起こる児童の変化,活動に対する姿勢,活動成果の肯定的要素に注目し,それらに説明をつける ことで,彼らの特性を的確に把握することができるという。すなわち,「手工」は児童の個性を十分 に理解し,それをどの方向性において,より良く,より効果的にどこまで発達させることができるか 知るための手段になりうるのである。レオンによると,「手工」がこうした機能を発揮するために,

カンパ(A. Campa)とガル(R. Gal)が考案した次の方法が有効であるという(37)

‐実際に使うことができる品物の制作を生徒に提案し,その構想に生徒を参加させる。

‐実習の内容を多彩なものにする。

‐使用する技術と材料(木,金属箔編,糸,紙,生地など)を多彩なものにする。

‐ 手工が生徒の「知育」(la formation intellectuelle)に役立つようにする。そのために,活動に 先立って,あるいは活動に伴って生徒が内省を試みるように指導する。

‐個別化された教育活動に重要な位置を与える。

まず注目すべきは「手工」,特にその技術的側面を知育と対立するものとして捉えておらず,両者 を一体化することの必要性を説いている点であろう。児童自身が思考する機会を設けるべきであると の指摘は,手作業を知育と両立し,職業指導に結びつけるための工夫であると解釈できる。また,児 童中心主義的な観点が導入されていることも看過できない。各児童が主体的に活動を展開すること

(8)

フランスの職業指導における手工教育の意義に関する一考察(京免)

は,自らの関心や適性を把握することにつながり,将来的には職業選択に役立つと考えられる。

第2に,手工が「技術発展への入門指導」(une initiation à l’évolution des techniques)の延長線上 にあることも理由として挙げられる。職業指導とは常に将来に向かって営まれるものであり,絶えず 科学技術の進歩に対して気を配らなければならない。児童が学校で習得した技術が,彼らが職業社会 に出るときに陳腐化しているということは十分にあり得るのである。特に,優れた機械が開発される に従って,「手工」そのものが知性化される傾向にあり,それに対応するためにも,教員は授業にお いて以下のことに取り組まねばならないとされる(38)

‐工作機械の操作とその機能の学習

‐ 工具から工作機械,そして自動機械への移行に関する学習。機械を用いた作業の技術的な利点 の分析(正確さ,外見上の長所,迅速な製作)

‐ 多様な職業において利用される機械に共通する特徴を明確にする(調節のための目盛りつきド ラムの使用,切断速度の計算,点検器具の使用)。

‐普通教育と実習との間にある複数の関連性を明確にする(数学,科学,製図の役割)。

‐様々な職業の発展と相互依存について明確にする。

ここには,作業活動を通じた技術的知識の習得に加えて,職業世界や労働世界の現状について把握 することも盛り込まれている。また,普通教育と実習との結び付きに光が当てられていることも特徴 的であろう。普通教育と技術革新には明確な関連があり,「手工」によってそれが明示されることに より,職業や労働が普通教育に包含される。すなわち,職業は普通教育と対峙するものではなく,「手 工」を媒介として学校教育の中に入り込むことが可能であるといえよう。

以上のように,レオンが主張する知育と融合した「手工」は,手作業を前提としている点でルブラ ンが主導した「工作室なき手工」と大きく異なっている(39)。レオンによると,「手工」が職業指導的 機能を果たすためには2つの最低条件が満たされなければならないという(40)。1つ目は教員が充分 な量の物的設備,特に小型の工作機械を使いこなせること,2つ目は作業のための専用の工作室が設 置されていることである。工作室が不足している場合は,職業に関する映画上映や学校・職場訪問を 行うことが有用であるとされる。

おわりに―我が国との比較と今後の課題―

本論では,第三共和政初期の初等教育における「手工」に焦点を当て,その職業指導としての機能 について,特に知育との関係性から検討してきた。職業学校での「手工」は庶民階級を対象としたも のではなく,またその内容も次第に普通教育から乖離していった。また小学校での「手工」は科学知 識の理解という方向性へ過度に偏りすぎたため,本来の意義を失ってしまった。これに対して,レオ ンをはじめとする一部の研究者からは,「一般教養」(culture générale)(41)の習得を重視する普通教育 において,職業指導は知育と融合する必要があり,「手工」も技術的要素を失うことなく,徳育は無論,

知育の一環を成すことが望ましいとの見解が示されている。すなわち,手作業を職業・労働との関連

(9)

性を意識した視点から,技術教育のみならず知育や徳育と結び付けることによって,職業教育と普通 教育の円滑な統合が可能であるといえよう,筆者はそれこそがまさにキャリア教育(職業指導)の根 幹をなすと考えているが,この点に関する考察は今後の課題としたい。

最後に,上記のようなフランスの「手工」と比較するために,我が国の職業指導からみた手工科の 位置について簡単に言及しておきたい。学校教育における職業指導が初めて公的に定義されたのは,

1927(昭和2)年の文部省訓令第20号「児童生徒ノ個性尊重及職業指導ニ関スル件」によってである。

しかし,三村隆男によると,既に明治期から職業指導の基盤が形成されており,初等教育においては 手工科がその機能を担ってきたという(42)

手工科は1886(明治19)年に高等小学校,1890(明治23)年に尋常小学校に加設科目として導入

された。1891(明治24)年の「小学校教則大綱」第13条では,「手工ハ眼及手ヲ練習シテ簡易ナル 物品ヲ製作スルノ能ヲ養ヒ勤労ヲ好ムノ習慣ニ長スルヲ以テ要旨トス」と規定されており,勤労を好 む意識の習慣化が要旨として掲げられている。もっとも,導入当初の手工科は地方教育財政対策や不 就学児童対策と結びつけられたため,その実態は手内職的賃作業であり,職業準備教育としての意義 は大きくなかったとされる(43)。しかし,1900(明治33)年の第3次小学校令以降,手工科は徐々に 普通教育としての性格を強めていく。「小学校令施行規則」第12条では,手工科の目的として「勤労 ヲ好ムノ習慣」を身に付けさせることが再び掲げられており,手作業を通じた職業観の育成,すなわ ち「徳育」が重視されている。手工科を加設した尋常小学校は,1903(明治36)年の時点では68校 にすぎなかったが,1913(大正2)年には9,220校,全体の半数近くに達しており,庶民に対する職 業指導として一定の役割を果たしたといえよう。しかし,「徳育」としての手工科が自明視される一 方で,「知育」との関連性については全く問題にされていなかったように思われる。この点について は,その背景や要因も含め,さらに研究を進めていきたい。

付記:本研究は特別研究員奨励費(21・01174)の助成を受けたものである。

注⑴ 「職業が存在して以来,技術が存在している…ところで,職業は労働に結び付けられるものであり,労 働は人間がこの世界に誕生して以来,存在している。」(René Cauêt, René Guillemoteau, <l’enseignement technique>, in Institut pédagogique national, Encyclopédie pratique de l’éducation en France, Société d’édition de dictionnaires et encyclopédies, 1960, p. 160.)

 ⑵ 宮崎廣道『創始期の手工教育実践史』風間書房,2003,42–47頁。1885年にフランスのルアーブル(Le Havre)で開かれた「小学校教員万国教育会」を通して「手工」の実状が我が国に紹介された。

 ⑶ 東京府少年職業相談所『佛国における徒弟予備教育と職業指導』職業指導参考資料第2集,1926。

 ⑷ 志村鏡一郎「第三編 フランス技術教育史」梅根悟監修,世界教育史研究会編『技術教育史』(世界教育史 体系32),講談社,1975,267–310頁。

 ⑸ 細谷俊夫『技術教育概論』東京大学出版会,1978,50–58頁,77–78頁。

 ⑹ 堀内達夫「フランス第2帝制における技術教育の展開―徒弟制度の「危機」への対応」教育史学会機関誌 編集委員会編『日本の教育史学』教育史学会紀要,第30集,112–128頁。

 ⑺ 同書,112–128頁。以下,この段落の記述は堀内氏の研究に基づく。

(10)

フランスの職業指導における手工教育の意義に関する一考察(京免)

 ⑻ Antoine Léon, Histoire de l’enseignement en France, collection Que sais-je? , No.393, Presses Universitaires

de France, 1967, p.57. アントワーヌ・レオン著,池端次郎訳『フランス教育史』白水社,1969,99–100頁参

照。

 ⑼ Guy Sinoir, L’orientation professionnelle, Presses Universitaire de France, deuxième édition entièrement revue, 1950, c1943., p. 26. ギー・シノアール著,日比行一訳『職業指導』白水社,1955,34頁参照。この定義は,ロベー ル仏語辞典にも掲載されており,フランス社会において一般性を有している(Paul Robert, Le grand Robert de la langue française dictionnaire alphabétique et analogique de la langue française, deuxième édition, Le Robert, 1985, p. 986)。

 ⑽ Antoine Léon,Psychopédagogie de l’orientation professionnelle,nouvelle encyclopédie pédagogique 31, Presses Universitaire de France, 1957, pp. 9–30.

 ⑾ 「1922年9月26日の政令」において「職業指導とは,技術教育政務次官官房の責任のもとで,商・工業に おける男女青少年の就職斡旋に先立って実施される各種業務全体のことあり,それは彼らの身体的・道徳的・

知的能力を明らかにすることを目的とする」と定められた(Décret du 26 septembre 1922, Journal officiel de la République française(以下,J.O.), 1 octtobre 1922, p. 9830)。

 ⑿ Marcel Leherpeux, <orientation professionnelle et scolaire>, in Institut pédagogique national, Encyclopédie pratique de l’éducation en France, op.cit., p. 913.

 ⒀ Guy Sinoir, op.cit., pp. 23–24. ギー・シノアール著,前掲書,32頁参照。

 ⒁ C.Chassage, Éducation à l’orientation, Magnard, 2002, p. 7.

 ⒂ 1928年の時点で,小学校在籍者数が400万6000人であるに対して,上級初等教育は17万2000人,中 等教育は37万1000人であった(Antoine Prost, 《l’École et la famille dans une société en mutation》, Histoire générale de l’enseignement et de l’éducation en France, Tome IV, Nouvelle librairie de France, 1981, p. 23)。

 ⒃ Françoise Mayeur, 《de la Révolution à l’École républicaine》, Histoire générale de l’enseignement et de l’éducation en France, Tome III, Nouvelle librairie de France, 1981, p. 262. 就学のため仕事をしていない生徒の 割合は,1913年の時点でディドロ学校は20%であったが,ベルナール・パリシー学校は50%,ブール学校は 57%に達した。

 ⒄ Loi du 11 décembre 1880, J.O., 12 décembre 1880, p. 12213.

 ⒅ 徒弟手工学校は,「公教育省の予算に計上されている補助金の配分にあずかりうる」(第2条)だけでなく

「農業省・商業省の予算に計上されている補助金の配分にもあずかることができる」(第3条)と定められて いる。しかし,商業省は補助金を出すだけの財源をもっておらず,公教育省に対して予算支出を要求したが 拒否された。これにより,両省間に深刻な対立が生じたとされる(志村鏡一郎,前掲書,290–291頁参照)。

 ⒆ Antoine Léon, Histoire de l’éducation technique, collection “Que sais-je?”, No. 938, Presses Universitaires de France, 1961, p. 94. アントワーヌ・レオン著,もののべながおき訳『フランスの技術教育の歴史』白水社,

1968,130頁参照。

 ⒇ その後,商工業実践学校は1920年に再び公教育省の管轄になり,1941年には「技術コレージュ」(collège technique)と改称されている。

  Alain Crindal, Régis Ouvrier-Bonnaz, La découverte professionnelle: guide pour les enseignants, les conseillers d’orientation psychologue et formateurs, Delagrave, 2006, p. 15.

  Françoise Mayeur, op.cit., p. 262.

  Loi du 28 mars 1882, J.O., 29 mars 1882, pp. 1697–1699.

  Arrêté du 27 juillet 1882,J.O., 2 aout 1882, pp. 4162–4171.

  Antoine Léon, 1961, op.cit., pp. 96–97. アントワーヌ・レオン著,1968,前掲訳書,100頁参照。

Ibid., p. 93. 同書,129頁参照。

  Joël Lebeaume, “An history of manual work for boys within primary school in France”, 名古屋大学大学院教育 発達研究科技術・職業教育学研究室『技術・職業教育研究室研究報告』第3号,2006,6–7頁。ジョエル・ルボム,

(11)

濱島大地訳「フランスの初等学校における男子のための手工科の歴史」,同書,第4号,2007,96–97頁参照。

  Charles Fourier, Le nouveau monde industriel et sociétaire, ou, Invention du procédé d’industrie attrayante et naturelle distribuée en séries passionnées, Bossange, 1829, p. 275. フーリエ著,西出不二雄訳「調和社会の教育」

梅根悟,勝田守一監修『空想的社会主義教育論』(世界教育学選集),明治図書,1970,103頁参照。

  Joël Lebeaume, op.cit., 7頁。ジョエル・ルボム,前掲載論文,97頁参照。

  志村鏡一郎,前掲書,292–293頁参照。

  Alain Crindal, Régis Ouvrier-Bonnaz, op.cit., p. 12.

  Joël Lebeaume, op.cit., 10頁。ジョエル・ルボム,前掲載論文,99頁参照。

  Alain Crindal, Régis Ouvrier-Bonnaz, op.cit., p. 12.

  Joël Lebeaume, op.cit., 10頁。ジョエル・ルボム,前掲載論文,99–100頁参照。

  第1節で提示した技術教育の定義からもわかるように,シノアールもまた手作業を知育と結びついたもの として捉えている。

  Antoine Léon, 1957, op.cit., p. 77.

Ibid., pp. 78–79.

Ibid., p. 79.

  ただし,レオンは,フーリエやフェリーが重視しているような児童の道徳的発達(例えば「労働習慣の確 立」)についてはほとんど言及していない。

  Antoine Léon, 1957, op.cit., pp. 79–80.

  主に教科教育によって習得される教養のことを指しており,専門的知識を超えたところにある,人間を 発達させるために必要な「知識」(connaissance),「態度」(attitude),「価値」(valeur)の総体を意味する

(Joffre Dumazedier, <culture générale>, Philippe Champy,Christiane Étévé (dir.), Dictionnaire encyclopédique de l’éducation et de la formation, 3e édition, Retz, 2005, p. 232)。

  三村隆男「明治・大正期の学校教育制度における職業指導の基盤形成に関する考察」『東洋大学大学院紀要』

第38集,2002,567–588頁参照。

  原正敏「我が国における普通教育としての技術教育の導入について―1890年前後の手工科―」『教育学研 究』第31巻第1号,1964,52–59頁参照。

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