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吉 田 文 庫 蔵 新 出 本 『 三 道 』   に つ い て

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(1)

吉 田 文 庫 蔵 新 出 本

﹃ 三 道 ﹄   に つ い て

はじめに

新潟県新津市大鹿に在住される'吉田来任博士のご嫡孫吉田ゆき氏の吉田文庫は、

世阿弥発見の偉業で知られる'歴史学者で早稲田大学教授の故吉田東伍博士ゆかりの

資料を大量に所蔵されるが'その中の一本である松廼舎文庫本﹃三道﹄影写本を、影

印とともに紹介したい。

安田善次郎氏の松廼舎文庫にかつて所蔵された世阿弥能楽論書は、吉田東伍博士が

発見

され

、博

士に

よ‑

明治

四二

年'

﹃甜

鵬世

阿弥

十六

部集

﹄ 

(以

下'

﹃十

六部

集﹄

と呼

ぶ)

として全文が紹介されたが、原本は惜し‑も関東大震災ですべて焼失した。しかしな

がら前記﹃十六部集﹄所収の翻刻本文は、1部に後人の改訂が認められる﹃風姿花伝﹄

(花伝書と改称) や古写本の存在する﹃曲付次第﹄等を除き、世阿弥能楽論諸本中の

最善本として'「書田本」と呼ばれ現在も底本として用いられることの多い貴重資料

であ

る。

例えば、現存する﹃三道﹄ の伝本には'室町末期の観世大夫であった観世宗節の書

写した宗節本(国会図書館蔵・本来は観世宗家蔵)'その転写本で江戸後期の観世大

夫観世元章よ‑田安宗武が借覧・書写した田安本'﹃十六部集﹄所収の翻刻本文であ

る吉田本の三本のみがあった。このうち書田本が最善本とされ、舌田本を底本とする

のが、現代における﹃三道﹄校訂の基本方針だったのである。このような﹃三道﹄校

訂の現状において'焼失した桧廼舎文庫本の忠実な転写本と認定できる資料が出現し

た意義は、きわめて大きい。﹃三道﹄ のみにとどまらず'世阿弥能楽論校訂のあ‑方

全体に、大きな影響を与えうることが容易に想像出来るからである。

本資料は吉田東伍博士によ‑原題は﹃三通﹄であろうことが指摘されながら、(舵

作書)と改称されて来た、世阿弥の能作論書である。本書は最近では﹃三道﹄と本来

の書名で呼ぶことが一般的なので、本稿でも﹃三道﹄と呼んでいる。﹃三道﹄ の伝本

である新出の吉田文庫本については、本稿では「吉田本」との混同を避けるために'

「新出本」と呼ぶこととしたい。なお本書の紹介にご快諾を賜った、吉田文庫ご当主

の吉田ゆき氏、文庫長旗野博氏のご厚意に対し、記して御礼申し上げる。

竹     本     幹     夫

一新出本の書誌

写本。一冊。縦二八三ミリ、横二〇〇ミリの大本。これと同じ大きさの半折した罫

紙二枚を冒頭部に'一枚を尾部に、反故を芯として仮表紙にする。大和綴じ風に二箇

所をこよ‑で綴じた仮綴本。料紙は薄手の椿紙で'墨付一六丁。片面八行書きだが、

改丁して書き起こす政文1丁半は七行書き。外題・内題を欠き、本文第l T冒頭に「一

\能・作・書・候〜」とある。肩カギ・句点は朱書.この他'助詞・片仮名書きの振

‑仮名・行間傍注・墨減などをも宋書する。

これらの朱書は、それ自体が誤写であった‑'途中で書き止めたりする例も若干あ

る。しかし本文が誤写されているにもかかわらず'句点が本来あるべき位置にあるた

めに、かえって表面上の意味が通らな‑なっている場合がある。例えば 「わらんべの

能」本文第二一丁表に、「おやそ・母なとに成てこ'裏に、「人の子そ・おとゝなと

に成て・」などの例は'いずれも本来は「おや欺・母」「人の子欺・おとことある

べき部分ながら、「欺」が「そ」 のごと‑に書かれている例である。これを正し‑は

どう読むかは後述したい。しかし未の句点は本来あるべき位置に記されてお‑、これ

は句点が原本のそれを踏襲したものである可能性を示唆していよう。なお書田本﹃十

六部集﹄ の(能作書)の句読点や、片仮名の振り仮名等は'本資料のそれと1致・不

一致の割合が半々である。恐ら‑(能作書)以外の ﹃十六部集﹄本文の振り仮名や句

読点も、原本にはあったであろう末書が'必ずしも忠実に反映されていない可能性が

強い。吉田博士は、これらの末書を原本以来のもの (世阿弥の施したもの) とは評価

されず、後人誤写の可能性を認めて適宜に改変を加えたのであろう。

なお新出本には、墨書による助詞の小字注記や傍注、本文補入'見せ消ちなどもあ

る。これらも多‑は原本の通りなのであろうが'見せ消ちや補入などには、本資料転

写の際の誤‑を訂正した例も含まれるのではなかろうか。

本書は末尾に世阿弥の識語、

右此一帖息男元能秘博為所也/応永珊年二月六日 世阿 (花押)

があるが、新出本の筆跡は、﹃十六部集﹄ の付録にある、「世子諸署名題詠模写」中の

‑ 1 ‑

(2)

(能作書)のそれに酷似する (影印末部の参考写真参照)。ただしまった‑同一ではな

‑'わずかに相違してお‑'新出本に基づき、それをさらに影写したもののようであ

る。その模写の原稿は現存しないらしいが'このことから'この他の模写された奥書

類の原本も、全体の写本が存在したのではないか、という期待を抱かせる。ただし現

在までのところ、そのような形跡はないようであり、また明治四一年七月に松廼舎文

庫本を発見され'翌四二年二月には﹃十六部集﹄を刊行しているという'驚‑べき短

期間での仕事であることを考えると、その間に大量の写本の作成が可能であったかど

うか、若干の疑問もある。

新出本は'全体としてはきわめて丁寧に写された善良な写本であ‑、原本である松

廼舎文庫本﹃三道﹄ の姿をよ‑伝えているものと評価できる。字形や誤写の様態など

からみて'影写本であろう。本資料と同様の料紙を用い'影写の旨をも明記した宴曲

関係を初めとする芸能資料の写本が'吉田文庫に存在することからも、そのように断

定で

きる

。、

なお本書を含む吉田文庫の芸能資料については ﹃文学﹄本年七・八月号に「吉田文

庫の世阿弥能楽論資料紹介」と題する小考を掲載したので、あわせて参照されたい。

二 新出本と吉田本との相違点を中心に

吉田文庫新出本﹃三通﹄ の本文中、吉田本﹃十六部集﹄とは相違するが宗節本と一

致する主要な例を'宗節本の表記が相違する場合は括弧内に括って'一覧・検討した

.>

︻①

名輩

「名

望」

とは

'世

阿弥

伝書

中で

は、

﹃風

姿花

伝﹄

﹃花

伝第

六花

修﹄

﹃花

鏡﹄

に見

える

葉であるが、﹃三道﹄では新出本・宗節本共に「名輩」で'「名望」 の語例は一つもな

い。ところが書田本(能作書)はこれを「名望」と直してお‑'﹃世阿弥・禅竹﹄ に

おいても書田本に従い'宗節本の 「名輩」を捨てて「名望」を採用している。世阿弥

能楽論の用例は、吉田本(能作書)の「名望」以外は、貫民本﹃花鏡﹄劫之入用心之

事に「名はう」とあるのを除き、すべて「めいはう」と仮名書きであ‑、自筆本の現

存する﹃花修﹄ ではいずれの例も「めいばう」と濁点を付すが'世阿弥による振り漢

字はない。﹃花修﹄以外は後人の写本であるが'世阿弥は「めいはう」と仮名書きし

て「メイボオ」と読む言葉を多用していたと考えてよい。漢字を当てるとすれば、や

は‑「名望」であろう。ところが世阿弥が初めて漢字熟語として﹃三道﹄でこの言葉

を用いたときには、「名輩」と表記したわけである。﹃三道﹄における使用例は'文脈

から考えて、「名望」という言葉が入ってピッタリの例ばか‑である。ただし﹃三通﹄

での漢字使用が本当に世阿弥自身のものかどうかが問題となろう。 ﹃三道﹄と同時代の成立とざれる﹃曲付次第﹄に、やは‑「名輩」の使用例が1例だけある。

然ば、五音に長じたる人、万人に一人もなきがゆへに、たゞ、大かたを心得て、

あるひは音感を︹便‑︺とし、あるひは曲得の達人を用ゐて'曲を作付し、文字

を書連す。かるがゆへに、数人曲間の感もあるによて、是を'しばらく、世上に名輩を得る人とする也。

右の例から見て、これは原作者である世阿弥の文字遣いと考えてよいのではなかろ

うか。引用した﹃世阿弥・禅竹﹄では、この「名輩」に「めいばう」 の訓を宛て、頭

注に「﹃名望﹄ の当て字らしい」と考察されておられる。この説はすでに吉田本にお

いて吉田東伍博士が提起しておられ、﹃曲付書﹄と改称された該当箇所(右の底本)

の「名輩」に「望」と振‑漢字を施している。ただし﹃三道﹄ではそうした措置を用

いておらず'「名輩」と原本にあったはずの本文をすべて「名望」と校訂してしまっ

てい

るの

であ

る。

﹃曲

付書

﹄ 

の方

が吉

田博

士本

来の

本文

であ

‑'

﹃三

道﹄

 の

場合

は'

るいは博士の指導下で作業を分担した別人が、博士の卓説に従って直してしまったも

のかとも、思わせるものがある。しかし実際はそうではないらしい。

吉田本翻刻に際しては、博士門下の学生達が翻刻に協力するということがあったら

しい。現在ではその分担箇所は厳密には不明であるが'書田本の内部で'校訂に精粗

の差のあることは、表華氏のご教示を得た。それならば﹃三道﹄は、吉田博士自身の

校訂ではな‑'別人の作業が基本になっている可能性を考えるべきかと思いたくな

る。他の部分でも、本文を改変した例が少なからず存在するからである。ただし﹃三

道﹄ の場合、その改変内容は、むしろ正し‑はそうあるべき本文であることも多‑、

かな‑の読解力をうかがわせる校訂であるので、やは‑博士自身の手になるものではなかろうか。

なお「名輩」の用例は'この他には管見に入らなかった。新出本﹃三道﹄の「名輩」

は'﹃曲付次第﹄における用字と同次元のもので'﹃曲付次第﹄本文解釈における吉田

説・表説の正しさを裏付ける資料であるばか‑でな‑、両書の執筆時期が近接してい

たであろうことの傍証ともなるものであろう。

︻②

人体

によ

て 

(人

鉢こ

ヨツ

テ)

‑ 2 ‑

②は'「一、種とは、芸能の本説に、其態をなす人体にして、舞歌のため大用なる

事を

知る

べし

」 

(﹃

世阿

弥・

禅竹

﹄)

 と

従来

校訂

され

てい

た傍

線部

分で

'新

出本

は 

「人

鉢によて」'宗節本は 「人鉢こヨツテ」 である。恐ら‑焼失した松廼舎文庫本も「人

林によて」となっていたものと思われる。ところが書田本はこれを「人鉢にして」と

校訂し、宗節本を底本とした岩波古典大系本﹃歌論集・能楽論集﹄所収の本文を含め、

ほぼすべての注釈書がその本文に従ってきた。吉田本の誤植というよ‑は'意図的な

(3)

改訂であろう。もちろん文脈上は、「人体にして」 の方が通‑がよい。しかしながら

「にして」とある本文が存在しないとすれば、ここは「人体によて」とせざるを得な

い。その場合'「人体にして」 の誤‑であると解釈するか'底本通‑で意味を取るか

が問題になろう。ここで問題なのは'本条に続‑「作」と「書」 の書き出し部分であ

る。すなわち新出本では次のようである。

一\種と者・蛮能の本説に・其態をなす人鉢。よて/舞雷のため・大用なる事をし

るへし・

二\作者・種をばかやうにもとめ得て・さて能々なす所を走へし・

三\書者・其能の開口よ‑・出物のしなくt一よ‑て・此人鉢にては・いかやうな

ること葉をかきてよかるへしと・安得すへし・

右は各条の冒頭部のみをあげたものであるが、それぞれ「作とは」「書とは」と書

き起こされながら、前者は「よ‑よ‑なす所を定むべし」、後者は「安得すべし」と

いう言葉で結ばれてお‑、書き出しとの呼応関係にズレがあって'文脈が屈折してい

る。「種」 の条の書き出しが「種とは‑‑舞歌のため大用なる事を知るべし」とすっ

き‑した文脈になっているのは、その間にある「芸能の本説に、其態をなす人体にし

て」という句が前後と素直に繋がるからだが、これが「人体によて」だとすれば'文

脈は第二条、第三条の冒頭部と同じ‑、屈折することになる。むしろ「種」 の条の書

き出しは'新出本・宗節本の方が世阿弥本来の文章だったのではなかろうか。問題の

「其態をなす人林。よて」と、第三条の「出物のしなく。よりて」というのも、対応

した表現のように思われる。第1条の意味は、「種というのは (こういうことだ。す

なわち)'能の主要題材となる説話中で、能に仕立てたときに中心的な演じ手となる

のがどんな人物かによって、舞歌にとって大きな効用があるということを知るがよ

い」となろうか。「大用」を「大きな効用」とするのは香西精氏の説(﹃続世阿弥新考﹄

「芸

能の

本説

」)

 に

従う

。な

おこ

れに

つき

﹃世

阿弥

・禅

竹﹄

補注

六八

に考

察が

ある

︻③

人鉢

・風

根︼

「人鉢」は、﹃世阿弥・禅竹﹄に「男体には、業平・黒主・源氏、如レ此遊士」と校

訂される「男体」が'新出本・宗節本共に「人鉢」となっているものである。書田本

は「男鉢」なのであるが'そうしたのは、「人鉢」を誤‑と認めての措置であろう。﹃花

鏡﹄「舞声為根」に「凡、三体の風姿にあて、見るに、男体には手体風智相応なるべ

き欺」などとあることの影響であろうか。ただしふつう世阿弥が「男体」と言う場合

には、成人男子のことを意味するのである。書田本の用例も意味的にはそれに近い。

これには例外もあって、右の﹃花鏡﹄ の例と、﹃三道﹄「三体作書条々・老体」で「出

物の人体'天女・男体'いづれにてもあれ」という例とで、前者は「老体と草体の意

らしい」、後者は「男神」のこととされる(前掲書頭注)。そうなると同じ「男体」を' ﹃三道﹄では二通‑の意味で使っていることになる。もっとも「男神」としての「男体」については、「成人男子の姿をした神」 の意味だと考えれば、大きな矛盾はないのかも知れない。同じ「種」の条で後に「放下」を別立てにするが'放下は僧形もし‑は放ち髪で、まともな「男体」 ではないのであろう。

しかしながら、ここで「男体」の例に掲げられたのが、すべて貴族の男性であるの

は、やは‑気になる。「人体」とは「仁体」で、「立派な身分の人」 の意味でもあるか

ら'「人体には'業平・黒主・源氏」でも通じるかにも見える。おそらくそのような

発想から、松廼舎文庫本・宗節本の親本の筆者が、「人鉢」と書いてしまったのでは

あるまいか。その親本は世阿弥自筆本であったのかどうか'はっき‑しないが、越智

観世伝来本であったことは確かである。

l方

「人

体」

とい

f呈

宝木

は、

﹃花

伝第

六花

修﹄

や古

本﹃

別紙

口伝

﹄以

後用

いら

れる

ようになる世阿弥語であるが、多‑は「物まねの人体」というように使われ、演技す

る肉体の意味である。ただし﹃五音﹄には「曲舞の舞手の人体」とも読める用例(異

本の形)があ‑'﹃却来華﹄に「金春ならでは当道の家名を後世に遺すべき人体あら

ず」とあって'「人物」 の意味に近い。しかしながら先に見たような「人体」 の用例

はない。何よ‑もこの語は﹃三道﹄ においてもっとも多‑用いられる (先の例を除き

一六例) が、すべて演技する肉体の意味である。しかも先の文章に続けて、神楽の舞

歌、

男体

、女

体を

総括

Lt

「是

はみ

な'

其人

体い

づれ

も舞

歌遊

風の

名望

の人

なれ

ば」

 (

﹃世

阿弥・禅竹﹄)というのであるから'どうしても「男体」 の方が都合がよい。要する

に本文自体に誤‑があったのを'吉田博士があるべき形に直したものと考えたい。従

来考えられていた吉田博士の校訂方針とは異なる、一歩踏み込んだ私改であるが'本

項で紹介する多‑がこのような例である。あるべき校訂としては、本文は「人体」と

しておいて、「男体の誤‑」と注する形であろう。

「風

根」

は'

﹃世

阿弥

・禅

竹﹄

 に

「其

外、

無名

の男

女・

老若

の人

体、

こと

ごと

‑舞

によろしき風樹に作入て'是を作書すべし」と校訂される傍線部が'吉田本以来の本

文なのである。新出本も宗節本も「風根」 である。該当箇所は「種」 の条の後半部に

ある。この「風根」も世阿弥語で、﹃至花道﹄第一条に、

楽人の舞にも'陵王・納蘇利など'みなその舞名までにて'童舞は直面の児姿なるがごとし。是則、後々までの芸態に幽玄を残すべき風楓なり。

また

﹃五

位﹄

 「

意風

」 

(原

文は

特異

な漠

文体

) 

に、

意といつば、内に成す所の意風、外に顕はれ、至妙の感を成す。浅藻を顕はし、諸体の風楓と成る。これ、面白き花を見はす種也。

と ﹃世阿弥・禅竹﹄ に校訂される二例が知られる。同書注に「風体の根源」と訳され

るが'﹃三道﹄ では右引用部の前に'著名な風流人士や歌人の名を掲げて'

‑ 3 ‑

(4)

是はみな、其人体いづれも舞歌遊風の名望の人なれば、これらを能の根本体に作

なしたらんは、をのづから遊楽の見風の大切あるべし。

とあり、さらに放下の人体例を掲げた後に前掲の文章が続‑のであるから'「風根」

の方が意味としては'文脈によ‑対応しょう。ここは改訂というよ‑は'吉田博士の

勘違いによる誤校もし‑は誤植の可能性もあろう。

︻⑤

ばう

お‑

(バ

ウヲ

ク)

「書」の条に'「祝言・幽玄・恋・述懐・ほうを‑'色々の緑によるべき詩歌の言葉」

(﹃世阿弥・禅竹﹄)と校訂される「ほうを‑」は、「茅屋」「亡屋」などと書‑'廃城

となった旧宅を嘆くというテーマの歌題で'﹃音曲口伝﹄付載の(融)の謡などがそ

の典

型例

であ

る 

(拙

著﹃

観阿

弥・

世阿

弥時

代の

能楽

﹄ 

二二

頁)

。「

ばう

を‑

」 

の用

例は

﹃音曲口伝﹄ に三例'「バウヲク」は﹃五音曲条々﹄と﹃申楽談儀﹄ に各一例、「ばう

お‑」は﹃音曲口伝﹄と﹃習遺書﹄に各1例、「ほうを‑」は舌田本(能作書)の一

例のみである。「を‑」か「お‑」かは、﹃音曲口伝﹄中に両例あることからもわかる

ように'あま‑問題ではないようである。むしろ「バウ」という開音表記が'吉田本

(能作書)のみ「ほう」と合音になっていることのほうが問題とされていた。しかし

ここも、新出本は「ばうお‑」 で'宗節本の「バウヲク」と部分一致していたことに

なる。たんなる誤植なのであろうが、世阿弥における開合不一致の例が、一つ解消さ

れたことになる。

なおこの他'吉田本の単純な誤植で本文校訂に影響を与える例をい‑つか例示して

おこう。

「作

」 

の条

'「

先'

本風

体と

定所

'五

段也

」と

﹃世

阿弥

・禅

竹﹄

 で

校訂

され

てい

る、

「本

風体

と」

は、

吉田

本の

本文

に従

って

いる

が'

助詞

は新

出本

・宗

節本

共に

「を

(ヲ

)」

である。なお宗節本はこの直前に一文の脱落があり、「本風体」も「本」が脱落して

「風鉢」である。また新出本は「定所」に「サタムルトコロ」と宋振‑仮名がある。

「軍体」の条の「けなげかるふしかゝ‑にて」の「けなげかる」は書田本のみで'

新出本・宗節本ともに「けなけなる」である。新出本の「な(奈)」は一見「か」に

見えないこともないが'翻刻の誤‑というよ‑は'誤植とみなすべきものであろう。

吉田

本政

文の

「都

非・

遠近

」は

、新

出本

・宗

節本

共に

「都

非遠

郷」

 で

、「

遠近

」は

誤植である。「都非(那)」に対応するのは「遠近」 の方がふさわしいようにも見える

が'「郡」をさらに強めた言葉として「遠郷」を付加したものであろうか。明らかな

誤植の類はこの他にもあるが、煩雑なので'以上の代表例に止めたい。

︻⑥

正所

「書」の条の末尾部分の一文、「是'能の勘用の曲所なるべし」 の「曲所」は、宗節

本を底本にした岩波古典大系本﹃歌論集・能楽論集﹄ですら'宗節本「正所」を採用

せず

'「

わざ

どこ

ろ」

 (

﹃世

阿弥

・禅

竹﹄

頭注

) 

の意

味で

'書

田本

の「

曲所

」が

採用

れていた。もっともその直前の行に「名所・旧跡の曲所ならば」とあ‑'こちらの「曲

所」は「興趣ある土地」 の意味で'近接する同語が違う意味で用いられているという

問題も意識されてはいた (前掲書注)。

「曲所」 の用例は'この他﹃五音曲条々﹄ に二例が知られるのみであるが'共に前

半部で'1つは「恋慕」 の条の「声明・伽陀ナドニモ'靴ル響キナクテハカナハヌ軌

耐アルベシ」、いま1つは五音曲解説の第二条「此条々'巳上」の中の、「抑、声ガカ

リノ事、矧洲二付テ大事アリ。曲ノ奥義トモ申ベシ。「悟リノ\テ未檀(末子)こ同

ジ」ト云々。スデこ此条々、祝言・幽曲・恋慕・哀傷・関曲、コトゴトク、ソノ謂レ

ドモヲ書シテ、ソノ文言ニシタガイテ節・曲ヲ付タルカ、リナレバ、ソノ曲体ヲヨク

く習得シテ、龍一こ謡ウハ、節体ノ刑木也。サテ'其上こ文ヲナスヲ、曲卜云」で

ある。節付上のあやである「曲」 の在所の意味で'「曲所」という言葉を用いている

ようであ‑、﹃三道﹄ の「名所・旧跡の曲所」とは'「曲」の意味は類似するが「所」

の意味が異なる。むしろ「能の勘用の曲所」という吉田本の改変の方が'﹃五音曲条々﹄

の用例に近いという、皮肉な結果になるのである。

一方新出本・宗節本の 「正所」 は、世阿弥能楽論中に用例のない言葉である。世阿

弥の場合、音読みの 「正」は「ショウ」と言うことが多‑、単独では「声」 の当て字

で、「アクセント」 の意味で用いられることが多い。また「性」 (本質の意) の当て字

としても用いられ、「正位」「性位」は 「本質を極めて確立した芸位」という意味で用

いられる。また「正路」と言った場合は'「正しい規格通‑の道筋」 の意味になる。

これらは多‑音曲論に用いられる「正」字であるが'能作論である﹃三道﹄ では「正

所」という場合、どのような意味になるのであろうか。「まさにその場所」とでも解

するはかないが'まったく類例のない造語にしては'あまりピンと来ない用語ではあ

る。吉田博士は 「曲所」 の誤記かと考えられた可能性が強いし、前出の 「曲所」との

意味のズレが問題ならば、「在所」 の誤記とすることもあり得よう。ただしここも松

廼合本がすでに「正所」であったと信じられる以上は、「正所」として解すべき部分

ではあろう。

St au Es BE

︻⑦

曲付

へし

 (

曲付

スへ

シ)

「放

下」

 の

条で

、﹃

世阿

弥・

禅竹

﹄ 

では

次の

よう

に校

訂さ

れて

いる

部分

があ

る。

さて'開口人と問答、理を責めて、詞論義四つ五つづつばかり、甲物の謡十旬斗、

‑ 4 ‑

いかにも/\軽々浮きくと曲付 (す) べし。

「曲

付」

の用

例は

'﹃

三道

﹄以

下の

世阿

弥伝

書中

に頻

出す

る。

﹃曲

付次

第﹄

 ﹃

風曲

集﹄

﹃五音曲条々﹄ ﹃五音﹄と、いずれも音曲伝書であるが'用例数は多い。引用文の傍線

部は、宗節本では「曲付スヘシ」とあ‑'一方﹃十六部集﹄には「曲付べし」とあ

(5)

るが、引用文は「曲付」を「ふしづけ」と訓み、吉田本の 「す」 の脱落と認めて補っ

たものである。それ以前の吉田本を底本にする注釈書では'﹃十六部集﹄ の振‑仮名

をも採用して同本通‑の本文とする。﹃世阿弥・禅竹﹄が書田本に拠‑つつも'ここ

を宗節本で補った理由は'「曲付」という言葉のほとんどを「フシヅケ」と読む方針

と1体なのであろう。しかしながら﹃曲付次第﹄ には、「曲を付る大事」 の行に'「曲

付る大事なS,け‑」の用例がlつだけあ‑'これは「フシックル」と読ませている(﹃世

阿弥

・禅

竹﹄

)。

該部

分に

異文

が存

在し

ない

 ﹃

曲付

次第

﹄ 

の場

合は

'「

曲付

る」

が「

ョクヲツクル」か「フシヅケスル」 の誤‑である可能性は想定すべ‑もないので、こ

れ以外に読み方は存在しないのである。そしてこの形を参照すれば'「曲付へし」は、

「フシックベシ」と読ませてもよいはずであろう。

一方﹃五音曲条々﹄宗節本では'「凡、開曲1この条、「曲付為」に「キヨクフスル」

と振り仮名があ‑'「キヨクフ」と音読みする例は皆無ではなかった。そして新出本

の該当箇所には'見出しに掲げたように「キヨクフ」 の朱振‑仮名がある。「キヨク

フヘシ」 では意味を成さないので'﹃十六部集﹄ では「キヨクック」と振‑仮名を私

改したものであろう。新出本の「キヨクフ」 の宋振‑仮名は、原本のものと認めて採

用すべきであるから、校訂としては、振‑仮名を生かした上で、宗節本の本文で「ス」

を補うのが至当である。吉田博士がそれを採用しなかったのは、宗節本に対する博士

の評価が厳しかったことによる。なお吉田本﹃三通﹄ では、宗節本を参照したと思わ

れる例が皆無ではないが、その詳細は割愛する。

なお

﹃曲

付次

第﹄

には

、「

作付

し」

「連

付す

」「

書付

す」

の用

例が

見え

、﹃

十六

部集

には前二例には片仮名の振‑仮名を付し、﹃世阿弥・禅竹﹄はいずれもそれに準じた

形で'「サクフ」「レンプ」「シヨフ」と音読みする。前後の文章との繋が‑からも、

音読みにするはかない用例である。こうした例があるのに「曲付す」だけが一貫して

「フシヅケ」と訓読みなのは'いささか抵抗感がある。ただし問題は、書名の「曲付

次第」を初めとして、仝例を「キヨクフ」とは出来ないことであ‑'﹃十六部集﹄ の

(曲附書)には「曲附」に「フシツケ」と振‑仮名をした例もある (一七〇頁)。これ

が松廼舎文庫本の振‑仮名かどうか判定不能なのが'吉田本の泣き所である。﹃三道﹄

を見る限‑、前述のごと‑新出本の振‑仮名との重な‑具合は半々といったところ

で'校訂者の付したものとの区別は判然としない。書田本の振‑仮名は、無視するこ

とも採用することも出来ないのが、現状である。

︻⑧

書す

へし

政文末尾の「此条々を能々悉すべし」と校訂される「悉すべし」は、「執すべし」

の当て字とされ、「深‑心にかけ、研究せよ」の意とされる (諸注)。これは吉田博士

以来の「悉すべし」 の本文を踏まえたもので、能勢朝次氏﹃世阿弥十六部集評釈﹄で 「執すべし」か「蓋すべし」かの当て字であろうと考察されてからは'どちらかの解釈に従うのがほぼ定説であった。宗節本を底本とした小西甚1氏﹃世阿弥集﹄では「書すべし」の本文を採用しながら、落ち着きが悪いとLt本来は「蓋すべし」の誤写で、吉田本の 「悉すべし」も「つ‑すべし」と読ませるつもりだったのではないか、とされているが'他に「書すべし」を採用した例は管見に入らない。﹃歌論集・能楽論集﹄のように宗節本を底本にしたものでも、ここは書田本で直しているのである。

新出本も宗節本も該部分は「書すべし」である。松廼舎文庫本もまた恐ら‑はその

親本も、「書すべし」であったはずである。しかしながら「書すべし」 では意味を成

さないことは、先学がだれ一人「書すべし」に左担しなかったことを見ても明らかで

あろう。「書す」というのは'「書‑」もし‑は「著作する」意味であ‑'﹃三道﹄ の

条々をよ‑よ‑「書すべし」 では、能作論を書けということになってしまい'結語と

して不適当なことおびただしい。やは‑何らかの誤写もし‑は誤記があったということになろう。

ここで問題になるのは、新出本の筆法である。もとより転写本であるから'影写と

はいいながらどこまで原本の面影を残しているか、疑問なきにLもあらずであるが、

本文の文面を1見するにきわめて良質な転写本であるとの印象を与える丁寧な書写

で、多少の誤写は含むかに見えるものの、原本の姿をよ‑伝えていると信じてよいよ

うである。そしてこの文字は、松廼舎文庫本の筆者にも、観世宗節にも、「書」と読

めてしまうような書き方であったが、実は他の文字であった可能性を想定すべきでは

あるまいか。

だとすれば、「書」 の崩しに最も類似するのは、「蓋」 の字である。「悉」も似てい

るが

、下

半分

が「

心」

と 

「日

」 

では

大き

‑異

なる

。従

って

本来

は前

掲小

西説

の通

‑、

「蓋すべし」 であったことになるが、世阿弥はこれを「ツクスベシ」 ではな‑、「シツ

スベシ」と読ませたかったのではなかろうか。﹃申楽談儀﹄第十七条「面箱の役」 の

部分に「能々、しっすべし」、第十八条に「花がたみをいかにもしっすべし」 の両例

があり、世阿弥はこの言い回しを使っていたのである。一方「尽す」 の語例は世阿弥

には非常に多‑あ‑、「‑‑を尽して‑‑すべし」という用例も複数あるものの、「‑

‑を尽すべし」の例は一つもない。「シツスベシ」の当て字説を採‑たいゆえんである。

原筆者が世阿弥の次男元能であるにも関わらず、﹃申楽談儀﹄ の「しっすへし」は

いずれも仮名書きで、元能を被相伝者とする﹃三道﹄ のみが漢字書きであることは、

応永二十年代後半から三十年前後にかけての、世阿弥の漢字好きと関連するのかも知

れな

い 

(表

章氏

「世

阿弥

の 

「申

楽=

サル

ガク

」説

をめ

ぐっ

て」

 ﹃

能楽

研究

﹄一

八号

)0

﹃三道﹄ や﹃曲付次第﹄ にかな‑無理な漢字の当て字があ‑、またすでに指摘したよ

うに、「名望」 のつも‑で「名輩」と書いてしまうような失敗を犯していることも参

‑ 5 ‑

(6)

照されよう。

吉田博士がこれを「悉すべし」と翻刻したのは'恐ら‑「書すべし」と読んだ上で'

それを原文の誤‑と認め'本文を正したものであろう。﹃十六部集﹄ における博士の

本来の方針からすれば、「書すべし」 の右に「悉」と傍書すべきところである。しか

しながらしばしばその原則を破って、正しいと思われる本文に直してしまう例のある

ことは、今までも見てきたところである。これは書田本の校訂方針に対する従来の信

用をいささか損なうものではあるが、むしろ活字翻刻本にそこまでの期待を抱かざる

を得ないほどに'博士の方針はすぐれていたのであ‑、また世阿弥能楽論の伝本の状

況はよ‑なかったということである。さらに言えば本文解釈という点からは、吉田博

士の読みは卓抜であ‑'まさに慧眼と言うべきであろう。

三 類似書体・暖昧書体の問題

新出本﹃三道﹄ には、どのようにも読める暖味な書体の例がい‑つかある。それは

かなりいい加減に書いたという印象ではな‑'親本の字体を忠実に模した結果のよう

で、松廼舎文庫本の書体の反映であろう。当該部分は宗節本では両様に読める一方の

書体を明確に記しているが、読み違えている場合もあるので'松廼合本と宗節本の共

通の親本が、すでに難読部分の多い、癖のある書風だったようである。以下'い‑つ

かの例を掲げよう。

︻⑨「に」とあるべきところで「と」と書‑例︼

「書

」の

条、

「弛

出潮

'本

説の

在所

ある

べし

」(

﹃世

阿弥

・禅

竹﹄

)と

校訂

され

てい

傍線部が'新出本は「能とハ」と誤る。宗節本は「能ーハ」とあって「ト」を見せ消

ちして「ニ」と直す。書田本ではここは「能には」となってお‑、宗節本に従ったも

のらしい。

I .

また新出本では'「老体」 の条で「脇の能には・助なと出て・似合かゝりなれハ」

とある傍線部が'宗節本では「トハ」と誤る例があ‑、新出本の「女体」の条の「三

重の琴曲をなし・せめけふんて・」の傍線部「に」を「を」と墨書で見せ消ち訂正

するのが参照される。ただしこれらの「に」 の書体は、冒頭に掲げた部分とは相違す

る。「能には」の「に」と同書体の誤‑は、新出本中で他にもあ‑、例えば同じ‑「女

体」の条で、「かやうなる出潮」(前掲書)と、傍線部が宗節本により補訂される部分、

吉田本は「者は」と校訂するが、実は新出本は「とハ」である。

︻⑲

「き

わ」

か「

きれ

」か

不明

確な

例︼

「軍

体」

 の

条に

二箇

所見

える

「き

れ」

 (

﹃世

阿弥

・禅

竹﹄

)は

、い

ずれ

も宗

節本

によ

補訂だが'前の例は「リ欺」と宗節の傍注がある。書田本は「きわ」なのであるが'

新出本も「きわ」ながら、「わ」はやや暖味な書体で、と‑に初めの例は「‑」と「れ」 と「わ」 の中間的な印象である。恐ら‑祖本段階から書体が暖味だったのであろう。︻⑪「欺」が「そ」に見えてしまう例など︼

本項冒頭にも例示したが、新出本では'「老体」 の条や「わらんべの能」 の条を中

心に、「そ」もし‑は「也」と読める字ながら'意味的には「欺」 で、多‑の場合は

「欺」と読むべき事例が複数存在する。「老体」 の条では'「さし声よ‑七五くと行

事、

十句

斗也

」 

(﹃

世阿

弥・

禅竹

﹄)

と校

訂さ

れる

「也

」は

、吉

田本

も新

出本

も「

也」

で宗節本のみが「カ」、しかし同条の「自是破二」 の注の直前部分で吉田本が「也」

とするのは、新出本も宗節本も「欺」「カ」 である。さらに吉田本が「は」「にて」な

どと校訂した部分は、﹃世阿弥・禅竹﹄ ではすべて宗節本によ‑「欺」 に改められる

が、新出本も「歎」と読むべきである。「わらんべの能」の条では「親か母」「子か息

女」

「子

か弟

」 

の三

例の

「か

」が

、吉

田本

は「

か」

、新

出本

は「

欺」

なの

であ

るが

、宗

節本はすべて「ソ」としており'実は新出本の「欺」は「そ」にも読めてしまう書体

なのである。

おそら‑本来はすべてが「欺」なのであろう。それが松廼舎文庫本と宗節本との親

本段階では、「欺」「そ」 「也」 の三棟に読めるように、書かれていたのではなかろうか。

これ

と似

たよ

うな

例に

'「

放下

」の

条、

「親

子・

兄弟

など

の矧

叫矧

なら

ば」

(前

掲書

)

がある。吉田本も宗節本も「あひは」「アイハ」 であるが、新出本は「あひた」と読

める字体で、もとは 「あいは」とあった文字(「者」 の草体) が誤写されたらしいこ

とが明白である。従って「逢ひ場」が正しいという認識があれば、元の形に直してし

まうことは起こ‑えよう。吉田本はまさにそのような判断で正しい本文を復元してし

まっているわけである。「欺」 の場合は、それが徹底しておらず、松廼舎文庫本の書

体に引きずられる形になったのであろう。こうした場合、どちらの判断が正しいかは'

実は微妙である。

︻⑫

「ニ

」「

之」

「≒

」 

の区

別が

つか

ない

例︼

これは成文を中心として、﹃三道﹄前半部分にも散見する事例であるが'前後の文

脈から正しい本文が類推できる事例も少な‑ない。しかし蚊文中で言えば'「都非遠

郷二

名輩

を得

る」

 (

新出

本)

と「

都非

遠郷

ノ名

輩ヲ

ヱル

」 

(宗

節本

)、

「昔

よ‑

天下

之名

輩他

ここ

とな

る達

人之

其風

淋」

 (

新出

本'

宗節

本は

「達

人之

」 

の「

之」

脱)

、「

至上

久之

・天

下之

名輩

をう

る為

手」

 (

宗節

本は

「至

上吉

久天

下之

名輩

・‑

⊥)

'「

蛮人

之得

之謹見」 (宗節本は文字遣いの相違のみ)などは、吉田本が「都非遠近吋名望を得る」

「昔より天下吋名望他にことなる達人は其風膿」「至上長久吋、天下に名望をうる為

手」「蛮人吋得手の謹見」としてお‑、吉田本に依存する現代の校訂本文は、少なか

らざる影響を受けるのである。これらは当然新出本の形に戻さねばなるまい。

‑ 6 ‑

(7)

この他'新出本における紛らわしい書体の例としては'「態」を「能」と誤る例が

あること、漢字「座」と草仮名「羅」が同書体であること等がある。

︻⑬

その

他の

例︼

「草

体」

の条

の「

軍」

の冠

が「

「」

 (

がん

だれ

)に

な‑

、「

開聞

・開

眼」

の条

、「

褒美

の 

「褒

」 

の 

「な

べぶ

た」

が「

「」

 (

まだ

れ)

 に

なる

など

の異

体字

使用

例が

時々

見受

られ

る。

「開

聞・

開眼

」 

の条

の「

数人

の心

耳を

開‑

︹一

間︺

」 

(﹃

世阿

弥・

禅竹

﹄)

と校

訂さ

る「一間」は新出本も同じで'書田本の「一撃」は誤植らしいこと、おなじ‑「理曲

二間

」は

実は

新出

本が

「理

曲二

聾」

 で

'吉

田本

・宗

節本

は「

理曲

二間

」 

であ

り、

前の

部分とこの部分とが吉田本の校訂段階で混同されているらしい。

また「開眼一閃之妙所可レ有。口伝。可レ尋」と校訂される部分が'宗節本は「開眼

一関之妙所可尋口侍」、書田本は「開眼一閃元、妙所可レ有、口侍可レ尋」であるが、

新出

本は

「開

眼二

開之

・妙

所可

有可

尋︿

。博

﹀」

 (

「口

停」

は右

傍来

往)

とな

って

いる

この「之」は「元」のようにも見えるが、宗節本の「之」もそれに類似の書体であ‑'

「之」と読むべきもののようである。新出本「之」 の下の宋句点が気になるが、それ

で意味が終結するというほどのものでないと考えればtと‑に問題はあるまい。

また「近来押し出して見えつる世上の風体」 の条の 「≡林の態□」 (「能懸」とある

べき部分が「態」と空画1文字分になる)、抜文の「当流の先口」 (「先士」とあるべ

き部分が空画になる) の両例は、松廼舎文庫本もし‑はその親本に虫損のあったこと

を示すものであろう。宗節本では正しい文字が記されてお‑、室町末期から江戸初期

の間に生じた虫損であろうか。

︻⑭宋振‑仮名の不完全例や改変例︼

末書

では

'「

老体

」 

の条

、「

老体

の風

二走

也」

 の

「走

」に

「サ

タ」

まで

未で

振‑

仮名

を付し、次の一文字を書きさしている例(ただしこれは「軍体」条の末尾、「走て」

の「サダメ」の「メ」に近い) や、「女体」 の条'「幽花種」に「ユカシユ」と朱振‑

仮名を付す例、同じ‑「作書」に「サクシユ」と誤って宋振‑仮名を付す例、「砕動

風鬼」の条'「力動風鬼」に「リキトウフキ」と朱振‑仮名を付す例などの不完全例

があ

る。

同条

「形

鬼心

人」

 (

吉田

本・

宗節

本)

は、

新出

本は

「刑

鬼心

人」

で'

振‑

仮 名も吉田本の「キヤウキシンニン」とは異なり「キヤウキシンシン」である。

K

H

以上、すべての例を網羅したわけではな‑'代表的なものを摘録したに過ぎないが'

これらの例から見ても、新出本﹃三道﹄ の資料性の高さは明らかであろう。また吉田

本﹃十六部集﹄の本文校訂方針が、従来期待されていたよ‑は原態復元に一歩踏み込 んだ解釈をする場合が少な‑ないことを指摘したが、吉田本の性格を考える上で重要かと思われる。新出本の存在は、書田本の資料性に対する'よ‑正確な理解をさらに進める一歩となろう。

なお、松廼舎文庫本と宗節本との関係は、兄弟関係と考えたい。桧廼舎文庫本の転

写本である新出本の'親本以来の誤写を、宗節本で補い得る例が、若干ながらも存在

するからである。このことは、桧廼舎文庫本「世阿弥十六部集」全体の性格を考える

上で、重要であろう。松廼舎文庫本とは'越智観世伝来本を江戸初期頃に転写したも

のとの従来の見方を、さらに確実にするからである。

繰‑返しになるが、松廼舎文庫本の発見が明治四十一年七月であり'翌年二月には

﹃諸世阿弥十六部集﹄として本文の全体が紹介されているという、現代でも考えられ

ないほどの迅速な仕事ぶ‑は、世阿弥能楽論の異本が出現したことの重要性に鑑みて

の偉業であろうが、その結果、校訂方針の統一性や正確さに若干の不備が生じたこと

は'むしろ当然といえよう。吉田本の本文は'親本の正確な復元というよ‑は、吉田

博士による世阿弥能楽論解釈という側面から'再評価されるべきではなかろうか。吉

田本(能作書)に見られる本文解釈の多‑が、本文校訂ということでは少なからざる

問題を残しながらも、すぐれた見識に支えられて、妥当な結論を導き出していたこと

に、驚きを禁じ得ない。そうしたことがわかったのも、吉田博士が﹃三道﹄ の影写本

を残し置かれたことによる0本資料の出現が、今後の世阿弥能楽論研究の1助となれ

ば'幸いこれに過ぎるものはない。

‑ 7 ‑

(8)

吉 田 文 庫 蔵 新 出 本   ﹃ 三 道

﹄ ( 能 作 書 )

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口絵1竹本幹夫「吉田文庫蔵新出本『三道』について」

(9)

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口絵2 竹本幹夫「吉田文庫蔵新出本『三道』について」

(10)

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盟宜ts冒田岡*I*S>VSサV!S閲を闇

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イ甘く今,Jり・bイセ<¥J.㌢J.r‑f‑で‑ヰ蝣ssiと

1・1...⁚.‑「.‑.

4 オ

口絵3 竹本幹夫「吉田文庫蔵新出本『三道』について」

(11)

v‑*rfcョサ4*>団ti11│,'>サI*,,'>"'',¥¥蝣'サ",il^│^1/11'i三

I.7、予告・・・/妾=‑‑r*;.vU

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口絵5 竹本幹夫「吉田文庫蔵新出本『三道』について」

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口絵6 竹本幹夫「吉田文庫蔵新出本『三道』について」

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口絵8 竹本幹夫「吉田文庫蔵新出本『三道』について」

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