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疇 倉 跡 第 ^
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3 6次 発 掘 調 査 現 地 説 明 会 資 ;て
昭 5 7。 3。 2 0
守 村 友 淳
奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 平 城 宮 跡 発 掘 調 査 部 平 城 宮 跡 発 掘 瞬 査 部 で は , 推 定 「 第 1次 朝 堂 院 」 地 区 の 発 掘 駒 査 を 継 続 的 ([C行なってきた。その結果,第 9 7 o 1 0.2 o 1 1 1次 の 各 調 査 に よ つ て 砺 堂 の 様 子 が , 第 1 1 9次 調 査 に よ っ て 南 門 の 存 在 が 確 認 さ れ た 。 そ し て , 第 1次 朝 堂 院 地 区 の 東 西 規 模 は 約 7 2 0尺 ( 2 1 5 m ) ,第 1次 大 極 殿 と 推 定 さ れ て い る 地 区 の 南 面 中 央 門 と こ れ に 取 り 付 く 築 地 回 廊 か ら 第 1 1 9次 繭 査 で 検 出 し た 酎 門 ま で の 南 北 距 離 は 約 9 6 0尺 (2 8 5
m)
と な る こ と か わ か っ た 。 今 回 の 第 1 3 6次 謁 査 は , 朝 堂 地 区 の 東 南 部 の 様 相 に つ い て の 知 見 を 得 る た め に 実 涎 し た 。1 地 形 お よ び 遺 楷 の 概 要
発 掘 区 周 辺 の 地 形 は , 北 が 高 く 南 が 低 い 傾 斜 地 で , 東 方 は 第 2次 朝 堂 院 地 区 と の 間 を 走 る 谷 筋 に あ た つている。
検 出 し た 主 な 遺 楷 は , 建 物 1' 塀 4, 漁 6'石 組 の 暗 渠 1な ど で あ る 。 こ れ ら の 造 構 は 次 の 5時 期 に 大別でき・る。
A期 こ の 時 期 の 遥 楠 は S A 9 1 9 9 , S A 8 4 1 0 , S D 3 7 6 5がある。 S D 3 7 6 5は素掘り の 南 北 溝 で 幅 約 2 mある。推定第 1次 朔 堂 院 の 想 定 中 聴 綜 か ら 東 に 約 1 0 3 m ( 3 4 0尺)の位置にある。
S A 8 4 1 0とS A 9 1 9 9は 掘 立 柱 の 換 で あ る が と も に 柱 痕 跡 が な い 。 こ の こ と は , S A 8 4 1 0が 中 軸 綜 か ら 約 1 2 0 m ( 4 0 0尺 ) に 位 置 し て い る こ と か ら , 当 初 東 西 8 0 0尺 で 区 画 す る 朔 と し て 計 画 さ れ て い た も の か , 柱 掘 形 を 掘 つ た 段 階 で 設 計 変 更 し 鹿 棄 さ れ た も の と 考 え ら れ る 。 S A 9 1 9 9は
S A 8 4 1 0に対応する南面の塀である。
B期 朝 堂 院 の 東 を 限 る 掘 立 柱 の 南 北 捩 S A 5 5 5 0 Aと東西塀 S A 9 2 0 1 Aに よ っ て 朝 堂 地 区 の
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区画が完成する。 S A 5 5 5 0は , 第 1 1 1次 調 査 匠 よ っ て , 振A→ 塀B→ 築 地 Cの 3時 期 の 変 造 が 考 えられているが,今回の調査では上面が削平されていて ~A のみを検出した。 SD3765 は埋められ て, S A 5 5 5 ・ 0 Aの 東 約 1 8 mの 位 槌/i[SD3715が 基 幹 南 北 排 水 路 と し て つ く ら れ る 。 SX O 3
は こ れ に か け ら れ た 獅 の 可 能 性 が あ る 。
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期 S A 5 5 5 0が築地要となる時期で,この'下を東西溝 S D 9 1 7̲ l Aが 凝 灰 岩 切 石 組 の 暗 栗 に よ っ て 東 へ 流 れ る 。 ま た , 発 掘 区 を 北 か ら 南 へ 直 進 し 途 中 で 東 へ 斜 行 す る 南 北 大 溝 S DO 2が掘られ,南 北 棟 建 物 S B O 1が建てられる。
以 上 の 各 時 期 は , こ れ ま で 実 施 さ れ た 説 査 の 成 呆 を 踏 ま え て , A期 は 平 城 宮 の 創 建 期/i['B期 は 神 亀 (7 2 4) から恭仁造都直前まで, C期 は 遠 都 後 (7 4 5 ) に 比 定 す る こ と が で き る 。
2 出 土 造 物
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土 器 の 出 土 は あ ま り 多 く な い が , 象 恵 器 の 完 形 に 近 い 甕 や 硯 が 出 土 し た 。 ま た 「
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国」 「供養」「弾正」と墨書したもの, 「忌 八 口 」 と ヘ ラ 街 し た も の も あ る 。 南 北 大 渦 S D O 2か ら は 天 平 宝 字('162
63)頃 の も の を 中 心 に 宝 亀 年 間 頃 の 土 器 が 出 土 し た 。
軒 瓦 は 総 数 2 9 0点出土した。 S D 9 1'7 1 Aか ら は 藤 原 宮 式 の 瓦 が 多 数 出 土 し , そ の 中 た は 完 形 品 も多い。 S D 0 2 , SD3'1‑15からは平城宮工期ぼミ平末〜天平勝宝年間)の瓦が出土している。
5 まとめ
今 回 の 調 査 に よ っ て , 刷 堂 地 区 の 東 南 胞 は 塀 に よ っ て 閉 じ ら 九 東 を 限 る 塀 は こ れ 以 上 南 に は 延 び な い こ と が 明 ら か と な っ た 。 従 っ て , 朝 堂 地 区 は 東 西2 1 5 ID,南 北 28 5 ID となることが確認できた。第16017
次 調 査 に よ っ て , 平 安 宮 朝 堂 院 の 南 の 正 門 で あ る 応 天 門 に 相 当 す る 位 瀧 に 門 は 存 在 し な い こ と が 知 ら れ て い る の で , も し も 朝 堂 地 区 の 南 侭 朝 集 堂 が 存 在 し た と 仮 定 す る と , 推 定 第 1次 」 属 旭 区 の 建 物 の 配 櫨 は 藤原宮とよく似ていることになる。また,今回検出した南北大溝 S D 0 2第11立欠調査の際に東第二堂の東部 で 検 出 さ れ て い な い の で , 今 回 の 発 掘 区 よ り 北 で ど の よ う 紀 な っ て い た の か 注 目 さ れ る 。
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、'平安宮八省院図(陽朗文庫本)
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第/3.6次 調 査 位 薩 図
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