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ルソーにおける言語の問題

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26)上g∫薫〃郎成りれA Alexandre Dumas,B・P.pp.150−151.

62

ルソーにおける言語の問題

−−−−・『エミール』を中心として−

原  好 男

ルソーにおける言語理論の諸問題は,近年言語一般にたいする関心のた かまりとともに,いろいろと注目をあびているのではあるけれど,つねに

『言語起源論。をもって,ルソーの言語理論はすべてであるといったふう に論じられてしまうといった傾向を認めざるを得ないのが現状である。な るほど,ルソーが言語の理論をまとまって論じたものとしては,『言語起 源論』をおいてほかには求めえないのであるから,この現象はもっともな 理由があるとはいえども,『言語起源論』のみでもって,ルソーの言語論 のすべてはつくされているといってしまえば,あまりに性急に結論を出し 急ぐということになるのではあるまいか。

たとえば,『言語起源論』の成立をめぐって,つぎのような事実がある。

『言語起源論』は,最初『不平等起源論』の註として書かれ,あまり大部 のものになったということである。1)こうした作品成立の事情を考慮に入 れるとき,もし『不平等起源諭」のみで,ルソーの政治・社会思想,広く は人間学の理論の総体はできあがっていると考えれば,大きを誤りを犯す ことになり,そうした理論を導き出すには,『エミール』,『社会契約論J その他晩年の諸作品まで考察の対象にしなければならないのと同じこと が,ルソーの言語理論と『言語起源論』についてもいえるのではあるまい か。『不平等起源論。で展開される人類の歴史は,自然状態から,財産の 私有制の発生を転回点として,自然状態と社会状態の対比,不平等の増大 が中心となっているため,人類の歴史は凋落の歴史という趣きをみせ,

「自然に帰れ」と主張しているように思われるのであるけれど,『ェミー

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(2)

ル』や,『社会契約論』を書いたルソーには,社会の発生を肯定的に取ら え,これまでの歴史を乗り越えようとする観点をも打ち出していることは 忘れてはならないであろう。この考えによれば,人間は社会的な動物にな ってこそ,はじめて人間といえるのであり,人間は歴史的には二度誕生す るのである。一度は,自然状態の動物に等しい,道徳的な観念のまったく ない人間の誕生であり,二度目は,人間がおたがいを同類と認めあうよう になり,社会的夜人間になったとき,それはまた,人間の諸悪の始まると きでもあるけれど,動物的状態を乗り越え,理性を働かせ,道徳的な観念 を持つようになった人間の誕生である。こうした後退的と前進的を政治・

社会思想の交差と同じことが,情念の言語から理性の言語への隋落史を書 いたと考えられ,情念の言語の復権をとなえといわれる『言語起源論』

と,その後の作品において言語の問題に言及している部分のあいだにもい いうるのではあるまいか。

ルソーが自然状態および不平等の隔差が大きくをらない時代を深く愛惜 したことは,善悪の区別もつけられない獣に等しい自然人の本性を,善だ といいったことからも明らかであるのと同様に,情念の言語,しるしによ る(物で表示する)言語をも,ルソーは深く愛惜したのはいうまでもな い。情念の言語は,竹内良郎氏もいうように,2)究極的には沈黙にたどり つくものである。ほとんどことばがかわされなかったり,沈黙のうちに,

ほんのちょっとした動作やしぐさで,人間がふたがいに理解しあえる状態 は,ルソーの『告白』,『対話。の冒頭に措かれる社会,『新エロイーズ』,

その他の作品に共通にみられることであり,ルソーの情念の言語にたいす るその愛惜の深さを示しているものである。

ノレソーが「自然に帰れ」ということばを,その尤大を作品のなかでただ 一度として書かなかったことは,すでに諸先学の指摘するところであり,4)

「自然に帰れ」というふうに読みとられかねない『不平等起源諭』で提起 した問題の解決のため,『エミール』,『社会契約論』,その他の作品を書い たようには,情念の言語へ帰れと主張しているように解釈されかねない

『言語起源論』で提起した問題を解決するための作品は,残念ながら残さ なかった。このことは,『言語起源諭』が著者の死後出版であることが示 すように,『不平等起源論』,『言語起源論』以後のルソーの主要関心事が 言語の問題にはなかったことによるのであろう。しかし,『不平等起源論』

後のルソーの作品に言語の問題についての言及がまったく ないかといえ ば,そうではをい。『不平等起源諭』で,人類の二度の誕生を措いたのと

ルソーにおける言語の開港 同じように,『エミール』では,個としての人間の二度の誕生を措くわけ

ヤ,そこては言語の問題は,相当に重要な問題として論じられている。た とえば次に引用する『エミール』の一節は,『言語起源論。の発言とは異 をった響きを含むものではあるまいか。

「人間は三種類の声を出す。それは,話す声つまり音節のある声,歌 う声つまり施律のある声,それから感動的を声つまり強調の声だが,こ の最後の声は情念の語ることばで,これはまた歌や話を活気づける」

F言語起源論。でほ,ことばの音節化は,言語の論理化をすすめるもの

として考えられていたのにたいして,ここでは,音節を持つ言語,理性的 を言語が,情念の言語と対等に扱かわれている。この一節だけでも,『エ ミール』における言語についての言及が,『言語起源論』よりももっと柔 軟に処理されているということは予想されるので,この小論では,Fエミ ール』における言語の問題を中心にし,さらに,『エミール』における言 語の理論のみならず,その理論から逆に,ルソーの言語活動にも照明を当 ててみたい。

『エミール』における言語教育は,現実とそれを表わす言語は,つねに

−対一の関係を逸脱しないようにおこなわれる。しかも,いつだって事物 が優先する。幼年時代前期は,「あらゆる人間に共通の言語」,「子供が話 せるようになる前に語っている言語」6)から,大人の話す言語の修得が始 まるときであるけれど,「子供の語彙はできるだけ少なくするがいい。観 念よりも多くのことばを知っているというのは,考えられることより多く のことばを知っているというのは,ひじょうに大きな不都合である」7)と され,無用な単語は教えようともしをい。この時期の子供は,想像力もな く,記憶力もなく,また理性もない。当然,物事を判断する能力はなく,

善悪の区別はつかず,これは『不平等起源論』の自然状態の人間が,肉体 と感覚の欲求のままに生きているのと同じである。子供は「生きている。

しかし,自分が生きていることを知らない」8)

人生の第二期,幼年時代後期でも,ことばは,最小限度にしか使われを い。読むことも,書くこともそれほど問題にはならない。本を読むこと は,作品中に引用されているラ・フォンテーヌの寓話の例にもみられるよ

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(3)

うに,文学作品としてすぐれていることを認めながらも,子供に読ませる べきではないと,拒けられているし,ことばでも,社会的な意味を持つ国 王とか帝国とか戦争とか征服とか革命とか,大切なことばであることを認 め夜がらも,こうしたことばは,はっきりした観念と結びつけることが重 要であるとされ,そうしたことがおこなえるのは,当然この時期ではな く,相変らず事物優先の教育である。「10才までに読み書きできるように をるのはほとんど確実だ」9)とされているけれど,それとても,強制的に 覚えさせるといったものではなく,15才まで読み書きを知らなくてもたい したことはないといい切りさえしている。

次の時期,これは12才から15才までに及ぶ期間であるが,前の時期で

15才まで読み書きを知らなくてもよいと極言したように,相変らず事物優

先で,ことばは,つねに事物の側からヤって来る。「わたしはことばで説 明するのを好まない。…事物!事物!わたくしたちはことばに力を与えす ぎている」10)事物に対応しないことばの使用を避け,ましてや,書物によ り知識を得ることば問題にもをらない。「わたしは書物は嫌いだ。書物は 知りもしないことについて語ることを教育するだけだ」11)ルソー個人の

『告白』に語られる読書三味の少年時代とのこのみごとな逆転は見過ごし にできないことである。12)

個人としての第二の誕生である青年期においてさえも,できるかぎり書 物の利用は排斥されていて,ただ読書を許されるのは,『ロビンソン・ク ルーソー』だけである。しかし,今や十分に理性も活用できる時代で,

『社会契約論』に盛られた政治社会の原理も教えられることになる。

以上,『エミール』における言語教育について言及している部分を主人 公の成長にそって追って釆たわけであるが,こ・の教育では,言語は最小限 度の使用しか許されておらず,まずなによりも実物を用いる教育で,その 後に,やっと実物に適応することばが使われることにをるのである。こう した教育において言語が占める位置は,現代の教育学でどういう評価を受 けるのかは詳びらかにしないけれども,ルソーにとっては,それなりに根 拠があっての立論であった。

『エミール』は公教育の書ではをく,家庭教育,私的教育の晋である。

こうした私的な教育という 出発点は,不平等社会では,公教育というも のが不可能であること,すをわち,『コルシカ憲法草案』ヤ『ポーランド 統治論』のように,社会改革の目標があってこそ,公教育は,意味を持ち うるし,そうして,真に平等な社会でこそはじめて,本当の公教育は行な

われるという認識がルソーにはあったからてある。さらにルソーはフラン スに革命が近いことを予感はしているけれとも,近づく革命に政治,社会 胸を解決策を与えようとはせず,13)個人的な解決を提示しようとし,『エ ミール』ては教え子として選ばれるのは,ブルショワもしくは貴族の子弟 であった。それは,ルソーにとって「貧乏人は自分の力て人間になること ができる」14)のてあり,ブルジョワや貴族の子弟をその社会的偏見から解 放し,とのような社会変動に遭遇しても,人間として生きていけるようす ることてあった。さらに個人的な解決を目指したということは,政治家ヤ 革命家を作ることてもなく,とのようなてきことにたいしても,個人とし ては,賢者としてものごとを処理していくことてあり,事態を変えようと するのてなく,事態のなかて,人間としてもっとも適正な道を歩むことて あった。このことは未完の『エミール』の続編『エミールとソフィー,孤 独着たち』においてはっきりと善かれている。エミールは奴隷となるが,

そうした状態におかれても,エミールは反抗するわけてもなく,全体的を 解決は問題にされず,奴隷として,エミールがいかにふるまうかが問題に なるだけてある。このように,『エミール』において,ルソーが追求した のは,個人的な事福といってもよいてあろう。個人的な幸福を追い求める 場合,ことばというものは,最小限度のものしか必要てはをいし,あまり に知識が豊かてあることは個人的な幸福のさまたげとしかならないという のが,ルソーの考えてあった。てあるから,ルソーの『エミール』ての教 育は,つねに実物教育であることにをるのである。

これまて,『エミール』における言語教育とはいかをるものてあるかの あらましをみてきたのてあるけれと,意識的にエクリチュール(書くこと

・文書態)の問題は避けてきた。デリダのルソーの言語論批判

15

)の出発 点とも考えられる,『エミール』の次のような文章から,ルソーのエクリ チュールにたいする考えを見てみたい。

「つ酌こは書き方(エクリチュール)のことを話さなければならない のだろうか。いゃ,教育論のなかてそんなつまらをいことに興ずるのは 恥かしいことだ」16)

この文章をすぐに,『言語起頗論』のエクリチュールに当てられている

(4)

章と結びつけて,ルソーにおいては,文章態(エクリチュール)が,歴史 的には,言語を情念の言語から理性の言語へ,す濠わち,文書恐が言語の 論理化するのにあずかって力があったという考えと関連づけて問題にする のは,すこし窓意的といわなければならないであろう。ルソー自身,「教 育論のなかで」とことわっているように,教育論とのなかでは問題にしな いというだけであり,『エミール』のこの一節と,『言語起源論』のエクリ チュールの華は直接的夜つながりはないのである。『言語起源論』では否 定的を評価しか与えられなかったエクリチュールも,Fエミール』の別の 場所では肯定的な評価を与えられて現われてきさえするのである。

「不在の人に語りかけたり,不在の人の話を聞いたりする技術,遠い ところにいる人に,仲介者を必要とせずに,わたしたちの感情,意志,

欲求を伝える技術,そういう技術の効用は,あらゆる年齢の人にわから せることができる」17)

こうした,文章態の完全な承認は,『エミール』の『言語起源諭』から のへだたりが,いかに大きなものであるかを示すものである。この文書態 に対する態度の差は最初に疑問の形で述べておいたことであるけれども

『不平等起源論』が自然状態を判断の基準にし,以後の不平等社会を断罪 していったのと同じように,『言語起源論』では,原初の言語,情念の言 語によって,その後の言語の進化を断罪したのであり,それと反対に,

『エミール』においては,当時の社会,フランスの現状をそれなりに認め たうえで,個人としていかにその現状に対処するかを問題にした,その遠 いに由来するのである。

しかし,また逆に『エミール』には『言語起源論』とほとんど同じ内容 の変奏もみられる。

「わたくしたちの時代の誤りのひとつはまるで人間が精神だけででき ているかのように,あまりにもなまの理性を用いることだ。想像に訴え る,しるしによる言語を軽視することによって,人はこのうえをく力づ よい言語を失をってLまった。ことばが与える印象はいつでも弱い。そ して人は耳を通してよりも日を通してのほうがはるかによく心情に訴え ることができる。論理にすべてを与えようとして,わたくしたちは教訓 をことばだけのものにしてしまった。理性だけでは働きかけられをい。

ルソーにおける言語の開港 理性はときに引き停めはしても,めったに刺激は与えをいし,偉大をこ

とをなしとげたことは一度もない。たえず論理で語るのは小才のきいた 人間たちの好んですることだ。たくましい魂にはまったく別の言語が ある。そういう言語によってこそ人々をなっとくさせ,行動させるの だ」18)

この文章では,行動第一主義の主張がまず最初に浮びあがってくる。さ らには言語というものが行動にとって代わってしまうことにたいする非 難。もし言語を使用するならば,言語は人々を行動へとかり立てるもので 夜くてはをらない。「想像に訴える,しるしによる言語を軽視することに よって,人は力づよい言語を失なってしまった」というとき,しるしによ る言語とは『言語起源論』にも引用されているダリウス王の故事,一羽の 鳥,−匹の蛙,一匹の二十日凧,それに五本の矢といったようを,物その ものを沈黙のうちに語らせる言語であるが,それは失をわれてしまったと いうのだから,おそらくルソーにとっても失をわれたものであった。さら に論理中心主義を非難して,「たえず論理で語るのは,小才のきいた人間 たちの好んですることだ。たくましい魂にはまったく別の言語がある」

というとき,「別の言語」が古い昔に使われすでに失なわれたしるしによ る言語以外の別のものがあるのかどうかは明らかにしてくれない。しか し,F言語起源論』とくらべると,観点は異なりはっきりと現時点で言語 活動をどう位置ずけるかを示し,さらにはルソーは自分の言語活動をいか に位置づけようとしていたかは教えてくれる。

F言語起源論』の内容に新たなるものを付け加え,文書態(エクリチュー

ル)に積極的を意義を認める文章と,『言語起源論』の変奏と考えられる 文章のあいだをつなぐものはなく,ルソーの言語に関する考察は,これ以 上の発展もなく,この段階で止まるわけであり,あとはルソー自身の実践 の問題でしかなかったように思われる。そこで,上に述べた矛盾がいかを る方法で解決されているのかを考えていかなければをらないことになるの のであり,それはルソーの作家活動そのものをいかに位置づけるかという ことにもなる。理論と実践の問題は矛盾するのが当然であるといった考え 方もできるが,『対話。のをかでいわれる,この作品あってこの作者あり,

また逆も真なりとしたルソーの考えに忠実であるように努力したい。19)

69

(5)

ルソーの作家としての出発は遇然のものであったといってもいいであろ う。大きな志を胸にひめパリに上って来たときのルソーは,成功さえ得ら れるのであれば,どんを分野でもよかったのかもしれをい。音楽,外交官 秘書などによる成功への努力の後,最終的には,『学問・芸術論』によっ て,輝ヤかしく思想界に登場した。『学問・芸術論』の執筆のときから,

ルソーの思考の体系が形成されていたとは考えられず,おそらくおおよそ の方向は決まっていたにせよ,まだ明確なものではなくて,その後の論争 を通じて,しだいに,確固としたものになっていったようである。落選覚 悟の第二論文『不平等起源諭』以来,その理論体系とは,『エミール』お よび『社会契約論』でほほ完結するのであるけれど,そこで用いられる言 語は,論理一辺倒でもなく,また情念一辺倒でもなく,両者のあやうい均 衡のうえに構築されていると考えても,ほぼ,間違いのないところであ る。論理と情念のこのないまぜの文体が,ルソーを矛盾のかたまりだと考 えることにをってきたし,また,ルソーを合理主義者と考えることにもを ってきた。「自然に帰れ」という考えもルソーのこうした文体におそらく 原因があるに違いない。ようするに,ルソーを読む場合に落ち人りがちな 断章取義の弊は,まさしく,こうした事情にその原因があるといえよう。

だからといって,ルソーにおいて,論理と情念を選り分け,情念のル ソーと論理のルソーといった二分法的夜解釈をし,片方を切り捨てれば,

ルソーの全体像は崩れ去ることになり,どうしても論理のルソーと情念の ルソーのからみあいのうちに,ルソーの全体像を求めなければならないで あろう。論理のルソーについては,ドラテの『ジャン=ジャック・ルソー の合理主義』ヤ,ビュルジュランの『ジャン=ジャック・ルソーの実存哲 学。20)あますことなく明らかにされていると思われるが,情念のルソーに ついては,あまり研究の対象になることが,残念凌がらなかった。ここで 情念のルソーについて全体的に論じる余裕を持ち合わせないのであるけれ ども,またその方法の端緒さえもつかめないのであるけれど,情念のル ソーは,大部分,現状否定的な言説に現われてくるといえるのではあるま いか。そうして,その現状否定の言説が,失なわれた回復不可能なものに たいする愛惜の念とともに現われてくるのが,ルソーの特徴で,この事態 が,前に述べた,ルソー誤解の原因を作り出しているといえるのではある まいか。『学問・芸術論』の大部分がそうであり『不平等起源諭』で,二度 と帰らぬ,人類の黄金時代の讃美,その後の歴史は堕落の歴史というとき がそうであり,『言語起源論。で,言語の起源は情念にありとし,その後

は論理中心の傾向を強め,奴隷のことばになり終ると主張するときが,そ うなのではあるまいか。

ルソーの作家活動は,そうLた情念に裏うちされた,論理の展開である わけで,問題を解決を目指した作品では,十分に論理が駆使されている。

それは『エミール。においては,「体系的な部分」

21

)と呼ばれるものであ り,全作品にもその体系的を部分があるとさえ考えてもよい。ルソーは情 念のカにも引きまわされたのであろうが,また論理の力にも引きまわされ たのである。

「わたくしは,愛想のいい同時代人に度ざついことをいっている。そ れはわたしにもわかっている。しかし,わたしはときどき論理の力に引 きずられてしまうのだ」

22

こうした論理と情念とを使うルソーの作家活動も,前に述べた『エミー ル』の実行第一主義の観点から見れば,ことばにうつつをぬかす作家は,

無用の長物ということになるであろう。実行第一を主張しをがら作家であ ることは,表面的には,矛盾と思われかねないのであるが,ルソー自身も それを十分に意識していたと思われる。ルソーにとって,作家であること は実行からの逃避であるが,しかしまた,実行から逃避して作家である ことが,実行への参与でもあった。ルソーが実行の世界に作品を通してで なく,身をもってかかわっていこうとしなかったことは,よく知られてい る。若くしてジュネーヴを去り,カトリックに改宗し,作家として名声を 獲得した後,あのはなばなしい『不平等起源論』の祖国への献辞でもっ て,再びジュネーヴの市民権を得,カルヴァンの教えに戻るのであるけれ ど,ここで,実行第一をつらぬこうとすれば,ジュネーヴはルソーにとっ てもっともすぐれた政治体制を持つ国と考えられていたから,市民として の義務を果すため,祖国に住むべきであったであろう。ルソーはジュネー ヴ居住の誘いにもかかわらず,断固としてフランスに住み続けようとす る。そうして『社会契約論。をどの作品によって,遥かなるオマージュを 祖国に捧げるのみである。

「ある人が祖国のうちにいるよりも,外にいるほうが同国人にとって いっそう役に立つことになる場合がある。そういう場合には,その人は びたすら自分の熱意に耳を傾け,愚痴をこぼさないで異郷の生活に耐え

(6)

をければならない。異郷の生活そのものが,その人の義務のひとつなの だ」23)

自己を祖国の外において,実行の世界からしりぞき,エクリチュール で,実行の世界にかかわっていくことが,ここでは漠然と三人称で善かれ ているのではあるが,この「ある人」はルソー自身のことにほかをらな い。ルソー自身の立場のいいわけともうけとることも可能であるが,ひと つの積極的な選択であったと考えることもできる。そうしてルソーが住む 場所として選んだフランスにたいしては,作品のをかでほとんど直接的な 攻撃と思われるものを書かないことは,自己の選択の結果を維持しようと するためのものではなかったか。F社会契約論』は「フランスのために善 かれたのではない」というが,そうした事情によるものであろうか。もし

『社会契約論』がフランスに搬入されたとしたら,禁書の運命にあったの ではないか。マルゼルブの個人的を裁断で『社会契約論』は,フランスに は持ち込まれ販売されなかったのであるから。24)

どうしてルソーの選んだ立場が許容されるのであろうか。ルソー白身は 以下述べることを考えた上での選択であったかどうかは,問題が残るので あるが,その政治・社会理論のなかに,ルソーの作家としての立場を組み 入れることができるように思われる。

r社会契約論』のをかで,ルソーがもっとも理想的を政治形態とするの

は,直接民主制であり,その実現はとうてい不可能であると考えられてい る。そこでは構成員全員が顔見知りであり,人の行動は表裏なく他人に伝 わっていく。そうした世界では,おそらく,エクリチュールの介入する場 面はほとんどないであろうことは予想できる。こうした理想的を場合で も,人間は社会的を人格と個人的を人格にわかれ25)さらに社会的人格は すぐに亀裂が入りやすく,この亀裂は直接民主制ではもっともすくなくて すむ。体制が変わり,その体制が変化堕落していくにしたがって,その亀 裂は大きくなり,エクリチュールは,その亀裂から吹き出してくるものと いえるのではあるまいか。「学問・芸術が生まれたのは,われわれの悪の せいである」26)ルソーがよく引用する,リュクルゴスとプラトンの例のよ うに,「プラトンは人々の心を浄化しただけだが,リュクルゴスはそれを 変質させた」27)のであり,ルソーは実践的を行動を切り捨てたところで,

Fエミール』とその付録のF社会契約論』を書くのであり,『エミール』に

ついて,「人は教育論を読んでいるのではをく,びとりの幻想家の教育に

72

ついての夢想を読んでいるような気がするだろうと」いうのは,ルソーが 賞讃してヤまなかった政治家リュクルゴスが作家になった場合を想像し て,「リュクルゴスがその制度を書物に書いただけだったとしたら,それ は,はるかに空想的なものだったろうと思う」

27

)というのにみごとに対応 し,『社会契約論』と,その応用編それぞれの国情を十分に考慮に入れて 書かれた『コルシカ憲法草案。や『ポーランド統治論。との関係にも適応 されるのではあるまいか。作家が原則を語る場合には,夢のごとく空想的 をものにをらざるを得をいのであるが,それを現実に適用していくときに は,柔軟な応用が考えられなければをらないというのが,ルソーの考えた ことであり,作品を通して実行したことであった。そうして,ルソーは作 品を通してしか,現実と合交じわることはなかった。

『エミール』,『社会契約論』を書いた後のルソーもまたこの延長上でし か生きていけない。『エミール』および『社会契約論』への弾圧が不当で あることを原則の上にたって攻撃はするけれども,弾圧をはねのけるため に身をもって行動するということは葱いのであるから。

以上の考察で,この小論は終るわけであるが,最後の三分の一は相当に 主観的を解釈を出してしまったことを恐れる。その部分で述べたことでは あるが,情念と論理の混じりあった文章を考察するためには,文体の分析 へと進まざるをえ壕いのであるが,不幸にして,今だにその分析の方法を 見つけあぐんでいるというのが現状である。ルソーの文体についてはすで にいくつかの論考があり,『新エロイーズ』における「あえぎの文体」だ とか,『告白』,『孤独な散歩者の夢想』における文章の音楽性とかといっ たふうに論じられているが,現在求めらるべき文体分析の方法は,ルソー の全作品の文章を分析するにたる文体論であると,その行き着く目的のみ が明らかであるだけである。(1971.11.17)

Notes

l)『言語起源論』の成立および『不平等起源論』との関連については,次のよ

うな研究がある。

G.Lanson:L unit占dela pens¢e deJ・J・Rou5Seau・AmnalesJ・J・Rous$eau・

ⅤⅠⅠⅠ・1921・Repris dansles Essais de m古山ode de crltlque et d)histoire

litt raire,Paris,1965.

P.−M.Masson:queStions de chronologie rousseaui5te・AnnalesJ・−J・Rous−

Seau,ⅠⅩ,1913.

73

(7)

ⅠⅠⅠ,Pl¢iade.1967.

J.Derrida:DelagrammatologiらParis,1967、

Cb・Porset:Avertissement et Remarque del¢dition critlq・ue delEssaisur

lorigine deslangues.

上記の諸研究を紹介したものとして,日本語では次のようなものがある。

竹内成明 ルソーの学問批判(桑原武夫編ルソー論集,岩波書店,1970).

/ト林幸彦 ルソー『言語起源論』翻訳の解説,現代思潮社,1970.

2)言語・その解体と創造(その3)展望1971年10月号p.163.

3)(茅Starobinskiり、−J・Rousseau.La transparence etl obs亡肛1e,Chap.V

et VI,Paris.1971(20占d.),

4)Ibid・p.115.

5)Emile,1ivreII,0.C.,tOmeIV.p.404,Pl¢iade.

6)Emiユe,1ivreI,p.285.

7)Ibid・p.298.

8)Ibid・p.299.

9)Emile,1ivreII,p、358.

10)Emilら1ivreIII,p.447.

11)Ibid・p.454.

12)この幼少年時代の相異に,エミールの後半生とルソーの後半生の違いをみる

ことができる。ルソーはエミール的な生活を実生活の面でも実践しようとするが前 半生の違いにより実現できない。ともに「孤独者」(Solitaire)として生きるのであ るけれど,ルソーの場合はつねに社会と確執をかもすかたちでしか孤独であり得な いのに,エミールは,社会に対決することなく孤独である。『不平等起源論』,『エ ミール』,『告白』比較について内田義彦『社会認識の歩み』(岩波新着,1971)第

2部第3章参照。

13)この点については後述。

14)Emile,1ivreI,p.267.

15)J・Derrida:Dela grammatologie.

16)Emile,1ivreII,p.358.

17)Ibid・p.357.

18)Emile,1ivreIV,p.645.

19)Dial喝ueSIII,0・C・,tOmeI,p.930.

20)R・Derathさ:Le rationnalisme deJ・」.Rousseau,Paris,1948.

21)EITlile,Pr¢hce,p.241.

P・Burgelin:La Philosophie delexistence deJ.−J.Rousseau,Paris,1952.

22)Emile,1ivreIII,p.477、

23)Emile,1ivre V,p.658.

24)(訪Lettres Nos1771,1772,1777et1780・C・C・(¢d・kigh)tome X.

25)(訪Contrat Social,2e Partie,Chap.IV.

26)Discours surles sciences etles arts,p.17・

27)Emile,1ivreI,p.250.

なお,本文に引用した訳文は,既訳を参照さしていただいた。

74

デ・ペリエとナヴアール女王

−Fキュンパルム・ムンディ』の謎の解明のために

山 本 顕 一

軽妙で味わい深い『笑話集』ノ粕淵混灯J故祓扁肌一 朗.ル押比」批正

(1558),および謎の寓意を秘めた『キュンパルム・ムンディ。C如止血踊

A九∽成(1537)の作者として16世紀フランス文学史の一隅にその名を

留めているボナヴアンチエール・デ・ペリエ 

Bonaventure des P

riers

(1510P−1544P)の生涯について知るための手がかりは,ごく僅かしか残 されていをい。今日伝えられる資料は,そのすべてをあげつくしても,せ いぜい以下のようなものである。

1

A

1535

年スイスのヌシャテルで刊行され,後にカルヴァン派の間で 広く用いられたオリグエタン01ivdtan(ト1538)のF仏訳聖書。エα

朗ムJβヴむ之β∫fわαfβJα∫αf√〃fβ且−√ゆねγβ・

この大事業に助手として加わったデ・ペリエは,ヘブライ語,カル デア語,ギリシャ語,ラテン語の固有名詞表の作成に協力し,ラテン 語の序詩2篇を書いた。

B.1536年リヨンで刊行されたェチエンヌ・ドレ Etiennne Dolet

1509

1546

)の『ラテン語注解』α

m

∽β血

rf

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晦〟α

gJ

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これは反キリスト教的・合理主義的な白然観がちりばめられている ドレの主著であるが,校正を手伝ったデ・ペリエに対するドレの感謝

の言葉がその中に見出される。

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参照

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( 同様に、行為者には、一つの生命侵害の認識しか認められないため、一つの故意犯しか認められないことになると思われる。

熱が異品である場合(?)それの働きがあるから展体性にとっては遅充の破壊があることに基づいて妥当とさ  

に至ったことである︒