社会学研究科年報 2018 №25
高齢期における在日コリアンのアイデンティティと生活経験
――川崎市ふれあい館の取り組みから――
The Korean Residents’ Identities and Life Experiences in Old Age in Japan: Focus on the Kawasaki-shi Fureaikan’s
Activities
小松 恵
KOMATSU Megumi
This paper reveals Korean residents’ identities formed during the Kawasaki-shi fureaikan’s activities for elderly people, which is the community center located in Sakuramoto, Kawasaki-shi. Previous researches have focused on the young Korean residents and their identity related to something “Korean”. However, identity is formed by not only ethnicity but also life review in old age. The fureaikan created a local community where the elderly could talk about their life experiences and were prompted to view these experiences positively. Therefore, identities based on their life experiences were formed through mutual acceptance by the diverse participants of the community.
キーワード : 在日コリアン(Korean residents in Japan) 、高齢者(elderly people) 、 アイデンティティ(
Identity) 、生活経験(
life experience) 、コミュニ ティ
(community)1.はじめに
本稿では、川崎市桜本において、高齢期を迎えた在日コリアンがどのようなアイデンテ ィティを形成してきたのかについて明らかにする。 桜本は在日コリアンの集住地域であり、
権利獲得運動の中心地でもあった。現在では、在日コリアンだけではなく多様な人びとが 暮らす地域となっており、 川崎市も外国人住民施策に先進的な自治体として知られている。
本稿の目的は、在日コリアン高齢者が、桜本で地域住民の「共生」のための取り組みを 続けてきた川崎市ふれあい館への参加を通して形成した「生活経験に根差したアイデンテ ィティ」を捉えることである。従来、在日コリアンのアイデンティティ研究の主な対象は 若者であり、高齢者のアイデンティティはほとんど検討されてこなかった。それには、日 本での生活を意識した権利獲得運動の担い手が
2世以降の比較的若い世代だったこと、在 日コリアンと日本人の親を持つ「ダブル」や日本国籍取得者の増加といったことが在日コ リアンの若者のアイデンティティの多様化として見なされ、注目されてきたことがある。
そこで検討されるアイデンティティとは、国籍、通名(日本名)と本名(朝鮮名)の使い
分け、言語、 「民族文化」などといった朝鮮的なものとの向き合い方から捉えられた「民族
的アイデンティティ」が中心である。そうした中で、在日コリアン
1世をはじめとする高
齢者のアイデンティティは、若者のアイデンティティの多様化を説明するときの比較対象 として、 「祖国志向」などの言葉で固定的に示されてきた。しかし、高齢期とはさまざまな 社会的役割から解放されるがゆえに、自らの人生を振り返り意味づけることでアイデンテ ィティを再編成してゆく時期である。在日コリアン高齢者が自らの人生を振り返るときに は、本人たちが「なんとかやってきた」とこぼすような生活の知恵や経験の積み重ねがあ り、従来の「民族的アイデンティティ」の枠組みだけでは、在日コリアン高齢者の生活経 験やそれを意味づけてゆく過程を捉えることには限界がある。
本稿の対象は、ふれあい館の高齢者事業であるトラヂの会とウリマダン、参加者の在日 コリアン高齢者である。筆者は、2014 年
8月から
2017年
3月にかけて高齢者事業での参 与観察と在日コリアン高齢者にインタビューを行った。それにより、朝鮮的なものとの向 き合い方などから捉える「民族的アイデンティティ」だけではなく、ふれあい館での多様 な地域住民による相互的な語りあい、学びあいを通して「生活経験に根差したアイデンテ ィティ」が形成されてきたことを示す。
2.在日コリアンのアイデンティティ研究
(1)自明のものとされてきたアイデンティティ
在日コリアンのアイデンティティ研究には多くの蓄積があるが、その対象は若者が中心 である。高齢者を対象とした研究は福祉領域のものが多く(庄谷・中山
1997;趙
2012な ど) 、アイデンティティはあまり着目されてこなかった。その背景には、1970 年代に活性 化し、当時の若い世代が担い手となった在日コリアンの権利獲得運動があった。さらに、
「ダブル」の増加や日本国籍取得者、自ら日本名を名乗る在日コリアンの増加などもみら れはじめ、若い世代のアイデンティティの多様化の研究が蓄積されることとなった(福岡
1993;
金泰泳 1999 など) 。中でも、福岡安則(1993)は
2世以降の当時の若者に聞き取り
調査を行い、そのアイデンティティを「共生志向」 「祖国志向」 「個人志向」 「帰化志向」 「同 胞志向」に分類した。その後は、この分類を発展させる形でも
2世以降の若者を対象とし た研究が増加してきた。近年の在日コリアンのアイデンティティ研究も、現在の若者世代 である
3世や
4世を対象としたものが多い(川端 2012; 李洪章 2016 など) 。
こうした中で、若者のアイデンティティの多様化を示す前提として用いられることが多 かったのが、
1世に対する「祖国志向」という表象である。 「祖国志向」とは、権利獲得運 動を担った若い世代を「定住志向」と呼ぶことの対比として生まれた表象である。この言 葉には、祖国である朝鮮半島に思いを馳せ、日本で生まれ育った若い世代が日本社会に同 化することを懸念する
1世の姿が表されており(福岡 1993; 金泰泳 1999) 、それとは異な る様相が生じているとして若者のアイデンティティを検討する意義が示されてきた。これ らの研究では、在日コリアンのアイデンティティが、暗黙のうちに「祖国志向」 「定住志向」
といった区分や朝鮮的なものとの向き合い方から捉えられた「民族的アイデンティティ」
によって検討されてきた。それにより、特に日本ではなく朝鮮半島生まれである
1世のア
イデンティティは自明のものとされており、現在でも
1世を含む在日コリアン高齢者のア
イデンティティはほとんど検討されないままになっている。
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(2)高齢期におけるアイデンティティ
こうした中でも、在日コリアン高齢者のアイデンティティに着目した数少ない研究とし て徐阿貴(
2012)がある。徐は、大阪の夜間中学の独立運動の事例から、非識字者の教育 を受ける権利保障を求めるために、1 世を含む在日コリアン高齢者女性が「対抗的な公共 圏」を築いたことを明らかにした。そこでは、従来の研究でみられた「祖国志向」といっ た表象とは異なる視点から在日コリアン高齢者が捉えられており、生活経験の語りから運 動の意味やアイデンティティが分析されている。
徐のいう生活経験とは、在日コリアン高齢者女性の多くが抱える非識字による悔しさや 疎外感といった困難経験が中心である。在日コリアン高齢者女性の多くは、就学経験がほ とんどなく、文字の読み書きができない状態にあった。しかし、高齢期を迎えたことによ り家庭内の役割から解放され、夫から反対されることもありつつも、ようやく夜間中学で 文字を学べるようになったのである。その学びの場を守るために夜間中学の独立運動が行 われ、その過程で在日コリアン高齢者女性は、 「 『ハルモニ』
(1)として象徴的な形で地域の 多文化共生に関与」 (徐
2012: 199)する主体性を獲得したという。
徐の研究からも明らかなように、高齢期にはアイデンティティの再編成が行われる。
Erikson. E(1980=1990)によると、高齢期とは、青年期の次にやってくるアイデンティテ
ィの混乱の時期である。これは、高齢期になるとさまざまな社会的役割から解放され、そ れまでの社会的役割に依拠したアイデンティティの形成が困難になることを意味する。こ の指摘は、近年の生涯発達心理学や社会老年学のアイデンティティ論にも受け継がれてお り、その混乱ゆえに、高齢期は「これまでの自己を統合していくのと同時に、新たな視点 から自己の可能性を創造していく時期でもある」 (飯牟礼 2016: 186-7)とされている。そ の過程では、自らの人生を振り返る「ライフレビュー(人生回顧) 」が行われ、人生の新た な意味を発見し、 それに基づくアイデンティティを獲得する契機となりうる (飯牟礼
2016) 。
高齢期の在日コリアンに着目し、従来の枠組みとは異なる非識字問題の改善という視点 から、夜間中学の独立運動が主体性の形成に結びついたとする徐の指摘は重要だが、地域 で形成されたという「ハルモニ」アイデンティティは、 「朝鮮的な言語や文化、さらに歴史 的な体験などを特徴とする」 (徐
2012: 200)といった「民族的アイデンティティ」にほぼ 限定されている。高齢期を迎えた在日コリアンにとって、朝鮮的なものとの向き合い方も 人生を振り返る過程で大きな意味を持つだろう。しかし、それらによってのみ、日本での 長きにわたる「なんとかやってきた」生活経験を意味づけることは可能なのだろうか。
(3)本研究の視点――生活経験の意味づけ
以上の研究動向をふまえ、本稿では朝鮮的なものとの向き合い方から捉えた「民族的ア イデンティティ」ではなく、在日コリアン高齢者の「生活経験に根差したアイデンティテ ィ」に着目する。ここでの生活経験とは、困難経験だけではなく、長い年月の中で培われ てきた生きてゆくための知恵や創意工夫を含むものである。
従来の研究について、 「朝鮮系住民は、生活当事者としてではなく、 『民族文化』を保持
する(もしくはしない) 『集団』としか扱われなくなっている」 (島村
2010: 13)と指摘し
た島村恭則(
2010)は、 「ごくふつう」の人びとも対象にするためには「生きる方法」に着
目することが必要だという。また、桜井厚(2005)は、人びとの生活経験の語りは、日本
社会の支配文化による「大きな物語」や、地域コミュニティや解放運動によって作り出さ れた「ポリティカリィ・コレクトな言説」の「よい歴史」だけでは描ききれず、 「 『マイナ ー』な過去」とされてきたと指摘した上で、そうした生活経験の語りにこそ、人びとが直 面してきた歴史や社会が表されていると主張する(桜井 2005: 10-2) 。これらの指摘からは、
学術的にも「ポリティカリィ・コレクトな言説」の文脈でも、生活経験は「語りえないも の」であったことがわかる。これに加え、近年では在日コリアン高齢者の孤立化が生じ、
友人どうしで気負わずに自らの経験を語りあえるような場も失われつつあった。
「語りえないもの」であった生活経験を振り返り、他者と語りあうことのできる場――
地域コミュニティとしても、ふれあい館は存在している。参加者の多様化をふまえて現代 のコミュニティを論じた
Delanty. Gによると、コミュニティとは「対話的なプロセスの中 で構築される」 (
Delanty 2003=2006: 262)ものである。そうしたコミュニティにおいて、人 びとのアイデンティティは一枚岩な帰属によってではなく、他者との対話的な関係の中に 見出されるという(Delanty 2003=2006: 189) 。本稿ではこの視点に依拠し、地域コミュニテ ィを多様な参加者の相互的な語りあいにより構築されるものとして捉える。その上で、地 域コミュニティを所与のものと考え、それへの帰属によって付与されるアイデンティティ ではなく、多様な他者との関係の中で、生活経験が語りあわれ、自らの生活経験が承認さ れ、その意味づけを変容させてきたことにより生成されたアイデンティティを検討する。
3.川崎市桜本における取り組み
(1)在日コリアン集住地域の形成
桜本は、川崎市南部の京浜工業地帯ほど近くに位置する。一帯は「おおひん地区」とも 呼ばれており、行政区分上の桜本・大島・浜町・池上町が含まれ、コリアンタウン、民族 団体の事務所、民族学校なども所在する在日コリアンの集住地域である。とはいえ、在日 コリアンだけが集住しているわけではなく、沖縄出身者やニューカマーの外国人など、朝 鮮半島以外の地域にルーツを持つ人びとも多く生活をしている。
桜本に在日コリアンの集住地域が形成されたのは、戦前から戦後にかけて京浜工業地帯 にやってきた朝鮮人労働者が集住したことがきっかけである。特に在日コリアンが集住し ていたとされる池上町は、工場から出る鉄くず拾いの仕事をする「鉄屋」が多くいたこと から「アパッチ部落」
(2)、工場の食堂の残飯をエサに養豚をする住民がいたことから「ブ タ部落」などとも呼ばれていた(金秀一
1998) 。高度経済成長期には工業地帯も発展し、
川崎市南部は「公害の街」と呼ばれるほど深刻な大気汚染にさらされた。 「外に植木を置い たら枯れる」と当時を振り返る在日コリアン高齢者も多い。また、行政からは「ブラック ホール」とも呼ばれ、桜本一帯は戦後もなお環境開発が行き届かない地域であった。
戦後しばらくの間は負の面ばかりが注目されがちな桜本であったが、実際に住んでいた 人びとによると、世帯どうしが密集しており「食べるものには困らなかった」というよう に物の分けあいが自然と行われていた。また、冠婚葬祭は参加者の制限がなく、食事を振 る舞いあう場ともなっていた。こうしたことからは、戦後の桜本に互助的な関係性が育ま れていたことがわかる(
2015年
7月
23日 参与観察調査より) 。
(2)権利獲得運動とふれあい館の設立
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川崎市ふれあい館は、 「日本人と韓国・朝鮮人を主とする在日外国人が、市民としてこ どもからお年寄りまで相互のふれあいを進めること」を目的に
1988年に桜本に設立され、
中学校区内にひとつ設置される「こども文化センター」としての機能と、社会教育を実施 する「ふれあい館」機能を併せ持つ施設となっている(川崎市ふれあい館 2008) 。
その設立背景には、
1970年代の在日コリアンの権利獲得運動があった。桜本には在日コ リアンと日本人による日立就職差別訴訟
(3)の支援組織が置かれ、運動の中心地となってい た。同時期に川崎市は革新自治体となり、市長は公害対策に加え、 「母と子と老人を大切に」
として外国人住民も対象にした福祉政策にも取り組んだ。
1980年代になると、地域で保育 園を運営していた社会福祉法人青丘社が、住民のニーズに応えるためふれあい館となる施 設の建設要求を川崎市に提出した。設立前は、在日コリアン以外の住民が排除されるので はないかとの懸念の声もあったが、設立後には「利用者や利用団体が韓国・朝鮮人だけで はなく、日本人が三分の二を占めており、これが恒常化し」 (星野 2005: 57)ていた。
ふれあい館は青丘社が市から運営を受託されており、全国で初めて在日コリアンが館長 に任命された自治体の施設となった。そして、現在にいたるまで、ふれあい館と青丘社は 在日コリアンだけでなくニューカマーの外国人、日本人を含めた子ども、高齢者、障がい 者など、地域の「だれもが力いっぱい生きていくために」という取り組みを続けている(川 崎市ふれあい館 2008) 。こうしたことは、地域コミュニティからの働きかけと革新自治体 であった川崎市の相互作用の結果でもある。現在でも「多文化共生起源の地」と呼ばれる ことのある川崎市にとって、外国人住民施策は自治体としての先進性を示す柱となってい る。
(3)ふれあい館高齢者事業の取り組み 1
)トラヂの会――他者とつながる「居場所」
現在、ふれあい館にはトラヂの会とウリマダンの
2つの高齢者事業がある。以下では、
筆者の参与観察に基づき、高齢者事業の概要を説明する。
トラヂの会は、
1世を中心とする在日コリアン高齢者の地域での孤立化を背景に、 「居場 所づくり」を目的として
1998年に発足した「ミニ・デイサービス」である(川崎市ふれあ い館 2008) 。現在のトラヂの会には、当初の主な対象であった在日コリアン
1世だけでは なく、
2世やニューカマー、日系南米人や日本人の高齢者もみられ、毎回
30~40名ほどの 参加がある。会の進行は日本語と朝鮮語の両方を用いて行われ、在日コリアン高齢者は通 名ではなく本名あるいは「ハルモニ」と呼ばれる。午前には体操、踊りなどを各自のでき る範囲で行う。昼食には、在日コリアンの参加者が多いことを考慮し、キムチ、ナムル、
チョレギサラダなどが定番メニューとして出される。午後になるとカラオケの時間が始ま り、朝鮮民謡から日本の演歌など様々な曲が歌われる。参加者の
Aさん(
1世・
89歳)は、
トラヂの会について次のように語る。
びっくりしたの!もう韓国のおばあさんたちばっかりで。それで歌も歌ったり
してるから。
1回や
2回くらい休んだけど、来てみたら面白いから。それで来る
ようになって。そしたら
Xさん(高齢者事業担当のふれあい館職員)も、日本人
なのに韓国や朝鮮人のおばあさん大事にしてるっていう噂を聞いたから、ええー
って思って。 (中略)私はここに何十年も暮らしてるけど、とにかく日本にこう いうのがあるってことにびっくりしました。子どもたちね、娘に言うと、いいね ぇって言って、すごく喜んでる。こういうとこ遊びに来てるから(
2014年
10月
21日 インタビュー調査より)
このように、参加者にとってトラヂの会は出自を隠すことなく受け入れられる「居場所」
となっている。こうしたことが可能となったのは、地域の高齢者に寄り添いつづけ、トラ ヂの会の参加者から「息子以上」と信頼されるふれあい館職員の存在も大きい。また、 「ト ラヂの会に来れば〇〇さんに会えると思ったから」といわれるように、トラヂの会は他者 とのつながりを形成し、維持するための場ともなっている。
2)ウリマダン――語りあい、学びあいの場
ウリマダンは、識字学級を前身とした語りあいや学びあいの場である。在日コリアン
1世や
2世、ニューカマーの韓国人、日系南米人などの高齢者
5~
6人と、青丘社の職員やボ ランティアなどの共同学習者
5~
6人の計
10名ほどで活動が行われており、ひとりひとり の語りが重視されている。1988 年に識字学級が開始された当初は、 「女の子に学問は必要 ない」などの理由で教育をほとんど受けることができず、日本語と朝鮮語の読み書きがで きない在日コリアン
1世女性を対象としていた。しかし、実際にはニューカマーの外国人 の参加者も多く、多様な参加者が集う場となっていった(ふれあい館高齢者識字学級・ウ リハッキョ 2011) 。その後、参加者の減少を背景に文字学習に加え交流を中心とするよう になり、ウリハッキョ(私たちの学校) 、ウリマダン(私たちの広場)と名前を変え現在に いたる。
主な活動は、自分たちの経験や思い出、気持ちを語りあい、それをもとに「共同学習者」
と呼ばれるボランティアとともに日本語で作文を書くことであるが、料理を作ることや絵 を描くこともある。共同学習者の役割は、 「先生」として日本語の読み書きを教えることで はなく、 「学習者が話した、ハルモニ独特の素敵な言葉をメモしたりして、その言葉をハル モニに伝え、作文の中に取り入れるよう促す」ことである(ふれあい館高齢者識字学級・
ウリハッキョ 2011: 11) 。必要に応じて日本語の間違いを訂正することはあるが、それより も、参加者たちの生活経験を聞き取り、身に着けてきた言い回しや表現を尊重することが 求められる。また、共同学習者という名前からもわかるように、参加する高齢者だけが学 ぶ立場なのではなく、共同学習者も高齢者の経験、知恵や生き方を学ぶ立場なのである。
識字学級を前身としていることもあり、共同学習者を「先生」と呼ぶ参加者もいるが、 「私、
先生って呼ばれたら返事しないから」などとの冗談をまじえつつ、 「共に学びあう」という 姿勢が保たれている。
作文のテーマは、在日コリアンを含む高齢者たちの生活経験を呼び起こすようなものが 共同学習者によって提示される。行事の感想を書く場合もあるが、料理のこと、季節のこ と、家族のことなど、より生活経験に寄り添ったテーマが設定されることが多い。すると、
参加者たちは作文のテーマについて徐々に語りはじめ、 「昔はみんなそうだった」 「朝鮮の
人はそうするしかなかった」と共有しあう。そのときの各々の語りをもとに、共同学習者
とともに具体的な内容を決め、作文を書き始める。こうして作り上げられた作文や絵は、
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作品展として展示されることもある。このように、ウリマダンは生活経験を語りあい、学 びあい、表現する場となっている。
3)トラヂ文化祭
2016
年
9月には、トラヂの会の参加者による「トラヂ文化祭」が開催され、多くの観客 を前に「故郷の春(コヒャンエポム) 」と題された劇が披露された。これは、
2015年に安 保改正の動きを受けて桜本で行われたトラヂの会の在日コリアン高齢者による 「平和デモ」
(4)
から
1周年を記念して行われた。劇はある架空の「在日コリアン一世の生涯」 (当日配布 プログラムより抜粋)を追う形で展開されるが、ふれあい館に蓄積されてきた在日コリア ン高齢者の生活経験の語りに基づき制作されたものである。
行き先が墨で書かれたチョゴリを着て幼い頃に海を渡った後、太平洋戦争と朝鮮戦争の
2度の戦争を経て、戦後の日本での生活が描かれてゆく。子育ての時期だったこともあり、
在日コリアンの子どもの立場から作られた紙芝居も読み上げられ、舞台の上で泣きだして しまう在日コリアン高齢者もいた。 「どぶろく
1はい
40円」と書かれた紙が貼りだされ、
在日コリアンたちが戦後の闇市でなんとか米を手に入れて営んでいたどぶろく屋も表現さ れた。最後の場面では、ふれあい館の高齢者事業に参加するようになってからの姿が描か れ、ウリマダンで書かれた作文の朗読もあり、劇は拍手と笑いにつつまれながら幕を閉じ た。
トラヂ文化祭の直後から、参加者からは「もう一度やりたい」 「トラヂ会だからこんな ことができた」という声があがっていた(2016 年
9月
10日 参与観察調査より) 。トラヂ 文化祭については、普段はウリマダンに参加していない高齢者たちもボランティアととも に感想文を書きあげ、記録集が作成されている(ふれあい館トラヂ会・ウリマダン
2016) 。 4.生活経験に根差したアイデンティティ
(1)生活経験を語りあう場の形成
ふれあい館のこうした取り組みは、生活経験を語りあう場を地域に形成するための試み でもあったともいえる。戦後の桜本一帯では、地縁や民族的出自の同一性に基づくコミュ ニティの中で「分けあい」といった互助的な関係性が育まれていたが、1970 年代以降は、
在日コリアンと日本人の若者を中心とした権利獲得運動の展開やふれあい館の設立により、
同じ民族的出自の住民だけに限らず多様な住民が集うことのできる新たな地域コミュニテ ィの形成が開始された。一方で、高齢期を迎えていた地域の在日コリアン
1世には、孤立 化という問題が生じていた。いくつかあった在日コリアン高齢者たちの溜まり場の
1世の 家がなくなり、気軽に集うことのできる場が減少していたのである。 「居場所づくり」を目 的とするトラヂの会の発足や、識字学習だけではなく交流も中心とするようになったウリ マダンの活動の変遷は、出自を隠すことなく集うことができ、自らの経験を振り返り、語 りあうことのできる場を作り出そうとしてきたことの表れである。
特にウリマダンでは、在日コリアンだけではなくニューカマーの韓国人や日系南米人な
ど、多様な参加者たちの生活経験が語りあわれ、共有し、作文や絵、料理などでの表現を
通して、そこから培われてきた知恵や生き方を学ぶべきものであり、次の世代へ伝えてゆ
くべきものとして捉えられてきた。そうした姿勢は、ボランティアを「共同学習者」と呼 び、一方的な「教える/教えられる」の関係ではなく、 「共に学びあう」という相互的な関 係が目指されていることからもうかがえる。実際に、筆者が行ったインタビューからも、
識字の壁を含むさまざまな困難経験がありながらも「なんとかやってきた」経験を見出す ことができる。
「焼肉屋のハルモニ」と呼ばれる
Aさん(
1世・
89歳)は、桜本で繁盛した焼肉屋の店 主をしていた。夫を早くに亡くしたこともあり、焼き肉屋を始めるときにはすべて一人で 準備しなければならず、 「コックさんもいれないで私がみんな研究してやった。それが今ま で。それを考えるとね、びっくりするね」という。しかし、 「味には自信があった」 。メニ ューの考案では、近所にあった焼き肉屋に行き、 「ああ、これおいしいなぁ、なに入れたん だろうなぁ」と感じたものは、 「食べてみてだいたい何と何入ってるなってこと感じ」て参 考にし、試行錯誤を繰り返しながら人気の味付けを作り上げた。A さん自身は大変だった 思い出として考えているようだが、 昔の客と道端で会うと 「おばあちゃん、 まだ元気なの?」
と話しかけられたり、娘からは「オンマ(お母さん) 、もしアボジ(お父さん)が生きてた らどれだけ喜んだだろうね」と涙を流しながら言ってもらえたと語っていた(
2016年
8月
5日インタビュー調査より) 。
「結局、字がわからないから、普通の仕事に、事務員にはなれないわけ」と語る
Bさん
(
1世・
85歳)は、日本語と朝鮮語の読み書きができず、肉体労働にしか従事できなかっ た。港の近くに住んでいた頃は、 「やっぱ先に働いてる人見て」 、 「人ができないもの」を仕 事としていた。 「船から魚があがってくると、朝早く起きて魚選別するところまで行って働 いて。とにかく人がやらんこと。網もみんな編んだ、内職で。自分で編んだよ、糸巻いて ね、網編んで、昼間は働いて、とにかく寝る間を惜しんでね。若いときはもう
3時間
4時 間寝ればいいとこだよ」と振り返る(
2016年
9月
13日 インタビュー調査より) 。これら は
Aさんと
Bさんの生活史のごく一部であるが、生活をしてゆくために知恵を絞り、自ら の学習方法を確立していたことがわかる。
こうした生活経験を語りあう場の形成は容易ではない。在日コリアン高齢者にとっての
生活経験とは、ふれあい館の活動が地域に浸透した現在でも、生活史を語る中で度々耳に
する「そんなの聞いてもおもしろくないよ」という言葉に表れているように、 「語り得ない
もの」を含むと同時に「思い出すのもつらい」側面も持つ。それでも生活経験が語りあわ
れるようになってきたのは、青丘社やふれあい館が地域の高齢者に寄り添い続けてきた結
果、参加者の間で「死んだあとのことは全部任せてあるから」と語られるような信頼関係
が築かれてきたからである。また、生活経験は高齢者ならば誰もが持つものである。だか
らこそ、民族的出自や朝鮮的なものとの向き合い方に関わらず、多様な他者との相互的な
語りあいが可能となり、他者からも生活の中で育まれてきた自分の知恵や生き方が受け止
められてきた。その積み重ねがあり、参加者が持つ生活経験は「語りあうもの」 「学びあう
もの」 「表現するもの」 「次の世代へ伝えるもの」として変容し、それがさらなる語りあい
を促し、生活経験の語りが蓄積されることにより、生活経験を語りあうことのできる場と
して地域コミュニティが醸成されてきたといえる。
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(2) 「尊重すべき生活経験を持つ人びと」
「ある在日コリアン一世の生涯」を描いたトラヂ文化祭は、ふれあい館に蓄積された生 活経験を表現した結果、それがウリマダンやトラヂの会の普段の活動の範囲を越えた多く の観客から受け入れられ、承認された場面であった。 「トラヂの会だからできた」との言葉 にも表れているように、ウリマダンを中心に蓄積された生活経験の語りと、トラヂの会と いう「居場所」で築かれ維持された他者とのつながりから、より広い生活経験の表現の場 の創出が可能となったのである。このように、在日コリアン高齢者たちは、生活経験が他 者から承認されることにより、 「尊重すべき生活経験を持つ人びと」というアイデンティテ ィを形成してきた。 劇中で作文を朗読した
Bさんは、 トラヂ文化祭を次のように振り返る。
川崎来て、こんなに良い思いがあるとは思わなかった。もーう、いつ死んでも 良い思い出。長生きして良かった。こんなふうにね、笑えるとは思わなかった。
朝鮮人として。良い冥土の土産ができたよ(2016 年
9月
13日 インタビュー調 査より) 。
ここまで、 「民族的アイデンティティ」を指し示すものとされていた朝鮮的なものとの 向き合い方ではなく在日コリアン高齢者が持つ生活経験に着目してきたが、B さんの語り からは、生活経験の表現が「朝鮮人として」の肯定的なアイデンティティにも結びついた ことがわかる。このように、ふれあい館という生活経験を語ることのできる場が構築され る過程で、在日コリアン高齢者は自らの人生を振り返り、生活経験を他者と語りあい、承 認しあうことにより、 「生活経験に根差したアイデンティティ」を形成してきたのである。
5.おわりに
本稿では、ふれあい館の高齢者事業に参加する在日コリアン高齢者が「尊重すべき生活 経験を持つ人びと」というアイデンティティを形成してきたことを明らかにした。こうし たことが可能となったのも、戦後から地域で育まれてきた互助的な関係性、青丘社やふれ あい館による在日コリアンを含めた地域の多様な人びととの「共生」のための取り組み、
自治体との連携といった民族や世代の違いをこえた多層的な地域コミュニティ――トラヂ の会のような「居場所」やウリマダンのような生活経験を語りあう場が築かれてきたから である。生活経験を尊重した取り組みは、参加者が自分自身の生活経験に基づいたアイデ ンティティを持つことを可能にした。本稿ではあまり言及できなかったが、こうした取り 組みの土台には、青丘社やふれあい館が福祉の問題にも向き合い、在日コリアン高齢者の 多くが慣れ親しみ、ときには差別の対象ともされてきた「民族文化」も尊重していること がある。また、在日コリアン高齢者の現状を捉えるためには、国や自治体レベルでの制度 的背景の検討も必要だろう。
これらの課題は残るが、本稿の事例からは新たな「民族的アイデンティティ」の捉え方
も提示できると考える。従来、 「祖国志向」 「定住志向」といった区分や朝鮮的なものとの
向き合い方によって在日コリアンの「民族的アイデンティティ」は分析されてきた。しか
し、ふれあい館が生活経験を語りあうことのできる場を形成し、在日コリアン高齢者たち
が自らの生活経験を語りあい、表現することによって、生活経験それ自体が「民族的アイ デンティティ」にも結びつけられてきた。こうした取り組みは、アイデンティティという 既存の枠組みから人びとを測定するのではなく、人びとの経験と結びついたアイデンティ ティのあり方を可能にしているのである。
註
(1) 朝鮮語で「おばあさん」の意味。
(2) 戦後の大阪で閉鎖された工場から鉄くずを回収して生計をたてていた在日コリアンが多く住ん でいた集落を指す言葉として使われていた。
(3) 在日コリアン 2 世の男性が日立製作所の採用内定通知をもらいながら、韓国籍であるために入 社を取り消された就職差別事件。
(4) 在日コリアンの高齢者によるデモとしてインターネットにも動画が投稿された。この「平和デ モ」を受けて、2015年11月から2016年6月までの桜本に対するヘイト・スピーチが行われた と考えられているが、カウンターデモ、ふれあい館や青丘社の働きかけ、地域住民からの訴えの 結果、2016年5月には国会で「ヘイト・スピーチ解消法」が成立した。
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