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八代物語パンフ_1-8p

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(1)

山江村

五木村

水上村 山都町 美里町

宇城市

氷川町

宮崎県

芦北町 球磨村 八代海 球磨川

ふれあいセンターいずみ ふれあいセンターいずみ

日奈久ゆめ倉庫 日奈久ゆめ倉庫 日奈久ドリームランド

「シー・湯・遊」

日奈久ドリームランド

「シー・湯・遊」

八代よかとこ物産館 八代市松中信彦 スポーツミュージアム 八代よかとこ物産館 八代市松中信彦 スポーツミュージアム

西 動車

氷川ダム

征西大将軍懐良親王御墓

二本杉峠

九州自動車道

JR肥薩線

JR鹿児島本線

南九州西回り自動車道 肥薩おれんじ鉄道 九州自動車道

九州新幹線 くま川鉄道

阿蘇くまもと空港 天草空港

大分自動車道 長崎自動車道

3

大分

水俣 人吉

八代 三角

熊本

阿蘇

天草

宮崎 鹿児島

別府

福岡

長崎

佐世保 佐賀

鳥栖

お問い合わせ

八 代よかとこ宣 伝 隊 (新八代駅内) 〒866-0824 八代市上日置町4772-10  電話0965-31-8200

八代市観光物産案内所 (新八代駅内) 〒866-0824 八代市上日置町4772-10  電話0965-35-6627

八 代 観 光 案 内 所 (八代駅内) 〒866-0831 八代市萩原町1丁目1-1  電話0965-32-2436

八 代 市 観 光 振 興 課 〒866-8601 八代市松江城町1-25  電話0965-33-4115

八代への 交通アクセス 八代城ものがたり

  や つ   しろ   じょう

■九州新幹線

■高速道路

■高速バス

120分 40分 120分

140分 60分 100分 200分

51分 11分 46分

博多

大宰府IC

博多駅交通センター

熊本

熊本IC

熊本交通センター

鹿児島中央

鹿児島IC

鹿児島空港 宮崎駅 八代

IC

新八代

八 代

八 代 再 発 見 の 旅

熊 本 県 八 代 市 http://www.yatsushirostory.com

ここ八代は

天下人・豊臣秀吉が

〝 惚れた〟まち

3つの八代城と

それにまつわる物語

たどってみませんか?

秀吉の夢のあと

(2)

八代南IC

八代IC 鹿児島本線

肥薩線

九州自動車道 南九州西回り自動車道

肥後おれんじ鉄道

九州新幹線

しんやつしろ やつしろ

せんちょう 遙拝堰●

八代市役所◎

1600年代の 推定海岸線 松浜軒 ↓

●八代神社(妙見宮)

高島●

前川

(不知火海)

八代海

八 代 市

南川 球磨川

流藻川

大島●

水島● 大鼠蔵●

 おお  そ  ぞう

小鼠蔵●

 こ  そ  ぞう

●白島 八代港

妙見上宮跡

徳渕の津跡●

八竜山▲

竜峰山▲ 八丁山▲

だん

ひごこうだ

14

42

336

158

336

338 322

251 3

219

3 秀吉は

ここに滞在

豊臣 秀吉 

(1537〜1598)

 とよ  とみ  ひで  よし

  ゆう 

  よう 

  ほう  じょう

初代「八代城」

古麓城

 1334〜1588

海 に 開かれたまち 八代

この地がいかに美しく、清らかで、

  また優雅で豊饒であるかは

    容易に説明できるものではない。

 …その町へは、海路からでなくては入ることも    登ることもできないようになっている…。

(ルイス・フロイス『日本史』)

1587年(天正15)4月、天下統一のため九州に進軍し た豊臣秀吉は八代に滞在。当時の八代は今よりもっと内 陸に海が入りこんでおり、海に開けたまち 八代の豊か さと可能性は、秀吉の心をわしづかみにしました。

つの

  やつ 

八代城

しろ  じょう

秀吉が滞在した八代城は、 古麓から麦島、そ して松江へと、時代の 趨勢とともに移り 変わり、今なお、各地に歴史の光陰

を残しています。

たどってみませんか ? 秀吉の夢のあ と…。

建武元年 (1334)

永正元年 (1504)

天文 2 年 (1533)

天正 9 年 (1581)

天正15年 (1587)

天正16年 (1588)

慶長 5 年 (1600)

慶長17年 (1612)

元和元年 (1615)

元和 5 年 (1619)

元和 8 年 (1622)

寛永 9 年 (1632)

正保 3 年 (1646)

寛文12年 (1672)

元禄元年 (1688)

元禄10年 (1697)

正徳 2 年 (1712)

宝暦 7 年 (1757)

明治 3 年 (1870)

後醍醐天皇の臣・名和義高が八代の地頭職を与えら れる。以後、八代は名和氏の支配となり、古麓に城郭が 築城される。

相良長毎が古麓城を占拠し、名和氏は宇土に撤退。

八代は相良氏の支配となる。

このころ古麓城が最も拡張・整備される。

古麓一帯が城下町として、徳渕が貿易港として繁栄。

相良義陽、島津義久の攻撃を受け降伏。こののち八代 は島津氏の支配となる。

豊臣秀吉、九州攻めの途中に八代古麓城に滞在。

秀吉は八代を小西行長に与える。

行長は古麓城を廃し、徳渕近くの沿岸部に麦島城を 新築。

関ヶ原合戦にて小西行長は敗死。加藤清正、麦島城を 占拠。八代は加藤氏の支配となる。

清正没後、幕府は加藤氏家老の加藤正方を 八代(麦島)城代に命じる。

幕府が「一国一城」令発令。

八代(麦島)城は特例として存続となる。

大地震により麦島城が倒壊。加藤正方、新城建設に着手。

八代城(松江城)竣工。

これ以降、松江一帯が城下町として繁栄。

加藤氏改易。12月、八代に細川三斎(忠興)が入城。

細川氏家老の松井興長が八代城を預けられ、翌年入 城。これ以後、明治に至るまで松井氏が代々在城。

落雷で八代城本丸大天守・小天守等焼失。翌年大天 守以外の再建に着手。

松井直之が母・崇芳院の御茶屋(別荘)として松浜軒 を建てる。

藩主細川綱利が八代を訪れ、松浜軒で接待を受ける。

熊本藩、藩士所有の野屋敷差し上げを命じるが、松井 氏による松浜軒所有は特別に認められる。

八代城二の丸に伝習堂と教衛場を設置。

松井盈之、八代城守衛の任を解かれる。八代城廃城。

八代で豊臣秀吉に面会したポルトガル人宣教師ルイ ス・フロイスは、八代についてこのように書き残しました。

この地を港湾都市として発展させるという秀吉の構想 は、小西・加藤・細川・松井ら秀吉ゆかりの武将たちへ と受け継がれました。

秀吉の描いた夢が、その後の八代を大きく変えることに なったのです。

2代目「八代城」

麦島城

 1588〜1619

3代目「八代城」

松江城

 1622〜1870

八代城下町 松浜軒

八代の逸品・資料館・博物館 八代のおいしいもの紹介 イベント・祭り紹介

………4

………6

………8

10 12 13 14 15

2 3

八代は豊かなところじゃ

はじめ織田信長に仕えて立身出世し、後に天下を統一した太閤・秀吉。1587 年(天正15)4月、九州攻めの途中、大軍と共に八代の古麓に滞在しました。 

南北朝時代から戦国時代にかけて、名和氏・相良氏 が築城・整備した山城。当時の城下町の面影を残す 古麓一帯はまさに歴史ロマンの宝庫!

1588年、八代の領主となったキリシタン大名小西行長 が築城した海の城。八代を「港湾都市」と構想した秀 吉の夢の舞台。その繁栄ぶりはヨーロッパにも伝えら れた。1619年、大地震で倒壊。

1622年、加藤正方が麦島城に替わって新築した平 城。江戸幕府が日本の要と位置づけた特別な城。八 代産の石灰岩を用いた白い美しい城でもある。

豊臣秀吉画像(熊本市・本妙寺所蔵)

古麓城上空から八代海を望む

  ふる  ふもと  じょう

  むぎ  しま  じょう

  まつ  え  じょう

 すう せい

2代目「八代城」

麦島城跡

3代目「八代城」

松江城跡

初代「八代城」

古麓城跡

(3)

八代神社妙見宮

案内板 n

p

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Q Q

Q Q

Q

看板あり

河川敷緑地球磨川 麦島東公園

←八代中心部

●浜勝

●八代市松中信彦スポーツミュージアム

八代よかとこ物産館

カフェおーるはーと❻

大銀杏● ● 種田山頭火

句碑

●うちだ屋

八代市立病院

延命● 地蔵堂

●宮地手すき和紙工房 盛高鍛冶刃物

武蔵塚●

●子安観音 宗覚寺

御小袖塚●

●砥崎の河原

●砥石観音堂

変電所

親水広場ホタルの里公園

妙見中宮跡

p 妙見上宮跡

九州自動車道

八代IC

南九州西回 り自動車道 SL人吉号

相良時代 城下町

名和時代  城下町

嶽の観音●

飯盛城跡

新城跡

至人吉↓

至熊本→

至熊本

遙拝神社 肥薩お れんじ鉄道

永御蔵御門

古麓稲荷神社

鞍掛大明神

● 桜馬場

JR肥薩線 JR鹿児島本線

鰾神社 奥の院●

●相良義陽墓

懐良親王御墓E 相良天神

● 宮崎八郎戦没碑

(司馬遼太郎筆)

水無川親水公園 萩原天満宮

日本製紙  八代工場●

新八代駅

九州新幹線

国道3号線 御霊神社

上片古墳群

鬼の岩屋古墳

霊符神社 階下釈迦堂

西宮町交差点

新萩原橋 ミック❷

彦一本舗❹ 小松●

より藤❶

がめさん公園

田代福進堂❸

丸久食堂

JR八代駅

  肥薩おれんじ鉄道八代駅

219

3

3

158 158

多くの寺社が 建ち並び門前町

として栄えた

1

(妙見宮)八代神社

2

悟真寺と懐良親王御墓

3

春光寺

4

古麓城跡

八代の新名所 妙見祭の壁画!

ガメにのった 仏様がある

古麓城の 説明板あり トンネルの上

眺めがよい

妙見祭のガメ など展示

やつしろ全国花火競技大会 花火打上場所

西南戦争  激戦地 この辺りから

古麓城の 全容が見える

妙見祭の舞台となる

(11月23日)

大正11年(1922)球磨川橋梁

名和氏の守護神 肥薩線

ゼロ起点

1

2

3 4

私、ルイス・フロイスデース。

秀吉サマニ会イニ八代ニキマシタ。

ウツクシイ川!ウツクシイ自然!

 コンナニウツクシイトコロ、

  見タコトアリマセーン

八代は歴史の  宝庫ですね!

初代「八代城」

古麓城

〜ふるふもとじょう〜  1334〜1588

秀吉が訪れた古麓城は南北朝時代から 戦国時代にかけて名和氏・相良氏が築 城・整備した山城の総称。その周辺には、

妙見宮など数多くの社寺が建ち並び、政 治、経済の中心として栄え、能や連歌など の文化も盛んでした。

795年妙見上宮、1160年中宮、1185年下宮が創建されたと伝えられる 古社。古麓城がつくられる前からあり、周辺は門前町として栄えていまし た。妙見神は海を渡ってきたと伝えられ、名和氏・相良氏とも海外貿易 に熱心でした。

秀吉の八代滞在時には、妙見宮を保護するための「禁制」が出された といいます。麦島へ城が移り、一時衰退しましたが、松江城築城後、加 藤正方が社殿再建、細川三斎が神輿を寄進して祭礼を復興するなど 手厚く崇敬されました。境内には八代城下の町人たちが寄進した石塔 などが今も残っています。

現在の社殿は江戸時代中期の建築で、豪華な装飾が見どころ。妙見 神を守る玄武(カメとヘビ)の彫り物を探してみてはいかがですか。

妙見祭に奉納される獅子や亀蛇(ガメ)などのミニ展示場もあります。

八代神社(妙見宮)

  みょう  けん  ぐう

代々の八代城主が あつくうやまった

懐良親王は、後醍醐天皇の皇子で、

南北朝時代、九州の南朝勢力のリー ダー(征西将軍)として各地を転戦。

古麓に最初に城を築いた名和氏は 後醍醐天皇の家臣で、八代に南朝 関係の史跡が多いのはそのため。明 治時代、松江城跡地に建てられた八 代宮は懐良親王をまつっています。

悟真寺は懐良親王の菩提寺で、カッ パ伝説もある古刹。秀吉は、ここで高 田みかんを食べ、たいそうご機嫌だっ たとか!!山門からの眺めに、この地を 美しいと言ったフロイスの言葉が思い 起こされます。

悟真寺と 懐良親王御墓

  ご  しん 

  かね  よし  しん  のう  おん  はか   かね  なが

秀吉が高田みかんを食べた場所?

名和氏時代の飯盛城、相良氏時代の新城など、山の地形を利用して築かれた複 数の城郭からなります。海から入ってきたフロイスにも立派な城に見えたことでしょう。

春光寺裏手の駐車場に、各城の位置や現存する堀切跡などを記した説明板が あるので、要チェック。まず、古麓稲荷神社へ上り、その奥の遊歩道へ進むのがベ ター。丸山城跡、新城跡に通じています。

攻めにくく造られた山城だけに険しいところも。山登りにふさわしい装備と心がま えで登りましょう。駐車場から新城跡まで往復2時間ほど。

古麓城跡

山城・古麓城を体感する

京都にある臨済宗南禅寺の末寺で、八代城主松井家の菩提寺。寺名は松 井家初代康之の法名「春光院」にちなみ、はじめ木付(杵築)にあった寺が、

小倉、熊本を経て、延宝5年(1677)、この地に移りました。本堂の背後に、松 井家歴代夫妻の墓が整然と並ぶ廟所があります。

春光寺が置かれる以前から、古麓城の中心的な施設があった場所と考え られ、秀吉がフロイスに面会したのはこの辺りと考えられています。フロイスの

記録によれば、秀吉は宣教師たちに金の茶道具で茶をふるまったそう。

春光寺

 しゅん  こう 

秀吉が 金の茶道具を 自慢?

国指定重要無形民俗文化財「八代妙見祭の神 幸行事」(11月22日お下り・23日お上り)。獅子舞、

笠鉾、亀蛇、飾馬などの多彩な出し物が列をなす 都市祭礼。八代神社(妙見宮)周辺が見物客で あふれ、賑わいます。

八代妙見祭の神幸行事

秀吉目線で

八代の景色を眺め てみよう。

八代ICから車で4分

八代神社から車で2分

八代神社から車で3分

八代神社から車で3分

(春光寺駐車場まで)

佐々 介三郎

(16401698)

  さ っ さ   すけ  さぶ  ろう

水戸黄門でおなじみ「助さ ん」のモデルとなった人物。

水戸光圀の命令で各地の 史料採訪の旅に出た介三 郎は、貞享2年(1685)に懐 良親王ゆかりの悟真寺や日 奈久温泉を訪れています。

ルイス・フロイス 

(1532〜1597)

ポルトガル出身のキリスト教宣教師。永禄6年(1563)に来 日し、信長や秀吉とつながりをもった。天正15年(1587)、秀 吉を訪問するために八代に滞在し、八代の豊かさや自然 の美しさを絶賛する文章を『日本史』に記しました。 

Point !

八代を訪れた有名人

(4)

鏡の池 児童遊園地

新前川橋 前川橋

植柳橋 松井寿司❽

❾むさし本舗八代店

珈琲館樹里❿

至3号線→

県道 42号線

ホテル大黒屋

● p 金箔瓦発見地

大手口跡● 麦島神社

●徳渕の津

o

2

列福記念公園

1

麦島城天守台跡

3

麦島公民館

4

麦島城本丸跡

5

シルバー人材センター 古城館

南蛮船が入れるような 大きな堀があった

石垣跡が 見られる

迎町 麦島城出土品 交差点

を展示

道路の下に 麦島城跡が 保存されている

堀のラインが残る

H

1

2 3 4

5

お土産に八代紙子を頼まれました 八代で年越し しちゃいました ここは山もよし  海もよし!

私も八代城主です

麦島城は私が つくりました

妙見祭は私が 再興しました 八代を通ってお嫁に行きました

麦島城は 美しい お城でした

“八代城ものがたり”ゆかりの人々

2代目「八代城」

麦島城

〜むぎしまじょう〜  1588〜1619

天守台跡の南側(小天守跡)では、豊臣秀吉 の許可が必要だった金箔を貼った鯱瓦が見 つかっています。これは麦島城が重要拠点と位 置づけられていた証拠。ほかに、行長が文禄の 役で釜山から持ち帰った「隆慶二年」(中国の 年号で西暦1568年)の年号がある滴水瓦も。

秀吉と麦島城の関係がわかる出土品

彦一と化けだぬき

こどもたちにイタズラばかりする千仏の カッパ。ある日、彦一にすみ(すもぐり)

競争を申し出ます。せーの、で飛びこみ ますが、彦一は飛びこんだフリをして大 石を投げいれただけ。いつまでも上がっ てこない彦一に負けた!と思ったカッパ、

彦一にはかなわん!

スミくらべでカッパを負かす

八代城下を舞台にした彦一ばなし

 ひこ  いち

彦一の話では、八代城の外堀で、おい しいフナがとれるらしい。しっぽを一晩 垂らしておくだけで釣れるらしい。宇土 のスグルワラというきつね、彦一にだま されているとも知らず、寒〜い冬の夜、

しっぽを冷たい外堀の水にずっとつけっ ぱなしで、ついにしっぽが凍りついたとさ。

松江村のおばあさんが、光徳寺のご本 尊が二つに増えた!と慌てています。彦 一は正体を暴きに光徳寺へ。「こっちの ご本尊は左肩が高っかですな。」すると 右のご本尊が左肩をさげます。そこで 彦一、「右が偽物です!」右のご本尊、ド ロンとたぬきに戻って逃げ出しました。

しっぽのつり

古くから天然の良港として栄え、秀吉がその重要性に目をつけていた八 代港は、近年では、九州の真ん中に位置する地理的優位性や九州各県 を結ぶ良好な交通アクセス及び水深14m大水深岸壁などの利便性を活 かして、中九州の国際物流拠点としての役割を担っています。

最近は、海外の大型クルーズ客船の寄港も相次ぐなど、人流拠点としての 機能も発揮しつつあり、東アジアのゲートウェイとして、今後、ますますの発 展が期待されています。

「わしの目に狂いはなかった」by 秀吉

6 7

世界とつな がりを 感じながら 回る。

肥後南半国14万石を与えられ、宇土城に入った小西行長は、小西 行重(末郷)に命じ、麦島城を築城。行長の死後、加藤氏により改修 され、その規模は東西約400m、南北約350mと推定されています。

城の北西角にあった天守台は、小高い地形をとどめるのみで、石垣 や礎石を見ることはできません。天守台の西側の堀は幅50mもあり、

大型船の出入りが可能だったと推定されます。

麦島城 天守台跡

国際貿易都市を めざした夢の跡

麦島公民館から歩いて5分

加藤時代の麦島城下で、11人のキリシタ ンが改宗を拒んで刑死。2008年、彼らを 含む江戸時代の日本の殉教者188人がロ ーマ教皇庁により福者に列せられました。

殉教の歴史を伝え、偏見や差別、争いの ない世界を築くことを願う公園です。

列福記念公園

  れっ  ぷく

キリシタン殉教という悲劇も

天守台跡から歩いて1分

八代ICから車で20分[駐車場あり]

麦島城跡の発掘調査で出土した瓦や、

堀跡から見つかった建物の部材の一 部が公民館の一角に展示されています。

麦島公民館

麦島城跡から 出土したもの

麦島公民館から歩いて4分

道路建設に先立って行われた発掘調査で、真っ白な石灰岩 で築かれた石垣や建物の礎石などが見つかりました。現在は 埋め戻され、道路が少し盛り上がっている真下に保存されて います。九州でもっとも古い時期の石垣です。

麦島城本丸跡

この下に 麦島城の本丸が!!

麦島公民館から歩いて10分

麦島城の大手口に近い場所。南北に通って いた石垣の一部を展示。合坂と呼ばれる石 段を見ることができます(土・日・祝は閉館)。

シルバー人材センター古城館

  こ  じょう  かん

麦島城の石垣を 見ることができる!!

「わしのほうが 早く気づいていた」

by 平清盛 1167年、平清盛

太政大臣となり、

大功田として 八代荘を賜る。

日本全国を測量して本格的な地図を 完 成させたことで有 名 。文 化 7 年

(1810)と文化9年(1812)の2回、測 量のため八代を訪れました。

竹田アグネス

 (1574〜1603)

伊能 忠敬

 (1745〜1818)

江戸時代を代表する俳諧師の一茶 は、俳諧寺として有名だった八代の 正教寺に寛政4年(1792)の暮れから 3ヶ月間滞在しました。

小林 一茶

 (1763〜1828)

流浪の俳人として有名な山頭火は、昭和 5年(1930)八代町と日奈久に滞在。日奈 久では「温泉はよい、ほんたうによい、こゝ は山もよし海もよし」と日記に記しています。

種田 山頭火

 (1882〜1940)

行長と同じく、秀吉のもとで頭角を現 した武将。天正16年(1588)に肥後 北部の大名となり、慶長5年(1600)

小西行長の所領・八代を占領し、以 後、没するまで八代を統治しました。

加藤 清正

 (1562〜1611)

父・細川幽斎とともに信長や秀吉に仕えた 戦国武将。妻は明智光秀の娘玉(ガラシ ャ)。寛永9年(1632)加藤正方に替わって、

八代城に移り住み、のち八代城北の丸に て病死。和歌・能楽・絵画に通じ、茶の湯 を千利休に師事した文化人でした。

細川 三斎(忠興)

(1563〜1646)

薩摩藩主島津家の姫で、第13代将 軍徳川家定の正室。嘉永6年(1853)

8月、鹿児島を出発し、日奈久、八代 を通って江戸へ向かい、二度と故郷 へ戻ることはありませんでした。

篤姫

 (1835〜1883)

  い  のう  ただ  たか   こ  ばやし  いっ  さ  たね  だ  さん  とう  か

  か  とう  きよ  まさ   ほそ  かわ  さん  さい  ただ  おき  あつ  ひめ

小西行長家臣の竹田五兵衛の妻。夫と共にキリスト教の洗礼 を受ける。加藤清正のキリスト教禁止政策に抵抗し続け、慶長8 年(1603)12月、麦島で処刑され殉教を遂げる。1783年には、イ タリア・パルマでアグネスを題材とする悲劇が制作されています。

とんち話で有名な彦一は、八代の出町に住んでいたといわれます。

城下には、彦一ばなしの舞台となった場所がたくさんあるよ!

小西 行長

 (1558〜1600)

  こ  にし  ゆき  なが

豊臣秀吉のもとで「海の司令官」と して活躍したキリシタン武将。天正 16年(1588)に秀吉から八代の統 治を任され、球磨川河口の沿岸部 に麦島城を築城しました。慶長5年

(1600)関ヶ原合戦で敗死。

Point !

(5)

八代カトリック教会 九州で2番目に古い文化ホール

1962年日本を代表する 建築家芦原義信氏の設計

航空母艦「飛龍」艦長

樹齢千年といわれる樟がある 浅井神社は八代城の鬼門(北東)

の守り妙見神を道案内した 海神八大龍王をまつる

三斎が植えたと伝わる

こちらが江戸時代 の正門です

八代城の学門所伝習堂と 武芸を鍛錬した教衛場があった

八代城二の丸南側の 石垣が残っています。

昭和6年熊本での陸軍大演習に 際し、昭和天皇が八代宮を参拝 されたのを記念したもの 1991年日本を代表する

建築家伊東豊雄氏の設計

現存する唯一の武家屋敷 住宅は慶応元年(1865)建築

●松浜軒

(→12頁)

市立図書館

臥龍梅●

茶庭

流芳碑

(八王社)浅井神社

県道250号線

県道 42号線

八代城北石垣

(三の丸跡)●

三の丸外堀ライン 外堀の名残

八代ロイヤルホテル⓰

ホテルアルファーワン 熊本総合病院 八代市厚生会館●

こいこい通り

花一会

●西山宗因の句碑

高麗門跡●

永御蔵跡●

本丸入り口①

八代市役所前バス停

●(二の丸跡)

町役人たちの詰所

●(会所跡)

●高田みかんの木

⑤大天守台・小天守台跡

成竜園

⓭一休本舗 参道

③本丸庭園跡

④月見櫓跡 加来止男碑

八代宮

◎八代市役所

⓱かるかん堂本舗        シャルトル聖パウロ

修道院記念館

今上天皇行啓碑

市営中央駐車場Q Q

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H WC

WC WC

案内板 案内板

案内板 案内板

5

澤井家住宅及び長屋門

3

泰勝院・泰巌寺跡

2

松井神社

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八代城本丸跡

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八代市立博物館未来の森ミュージアム

7

八代城二の丸跡

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八代城大手門跡

あいさつ日本一を 目指しています!!

細川三斎を 荼毘に付した跡

八代城の模型や 松井家の美術工芸品を

常設展示

眺めは最高!!

雲仙まで見える

御門と番所は 春光寺に移築

秀吉も食べた?!

松井家初代康之 二代目興長をまつる

八代城 撮影 ポイント 八代城

撮影 ポイント

北の丸堀跡が 残っています

キリシタン 殉教者の碑

+などの刻印があるよ!

征西将軍 懐良親王をまつる

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1

私は八代で歌の センスを磨きました 松江城は私が

つくりました

3代目「八代城」

松江城 現・ 八代城跡)

〜まつえじょう〜  1622〜1870

お城の規 模を体感し よう。

江戸時代の本丸の入り口はこちら。玄関にふさわしく、広々として 大きく立派な石で築かれています。ここに、松江城が完成した「元 和八年」(1622)の年号が刻まれた擬宝珠が残っています。築城 当時の遺品として貴重なものです。

寛永9年(1632)、加藤氏の改易後、八代城に入った細川三斎は、

ここにあった高麗門を、加藤氏ゆかりの本成寺へ寄進しました。

八代城本丸跡

①本丸入り口

(表枡形虎口)

石垣の石をよく見ると番号や記号が刻まれたもの、

石を割った矢の跡が残っているものなど、石積に 携わった人たちの労苦が感じられます。このうち、

頬当御門近くの石には「妙法」の文字が。

②石に刻まれた「妙法」の文字

 みょう  ほう

本丸には、江戸時代、本丸御殿があ り、政務が執り行われました。大書院 の南側に立派な石組で滝を表した 枯山水の庭園跡が残っています。

③本丸庭園跡

 (枯山水の石組)

本丸南西隅にあった櫓は二階建 で、月見櫓と呼ばれています。妙見 祭のとき、獅子舞や笠鉾を城内 に入れ、城主はここから見物する のが恒例でした。

④月見櫓跡

  つき  み  やぐら

本丸北西隅に大天守台があります。その南に小天守台をつ なぐ連結式と呼ばれる形式で、麦島城も同じ形式でした。

大天守閣は、外観4層で地下1階があり、五層構造であった と推定されています。築城から50年後の寛文12年(1672)

落雷により焼失し、ついに再建されませんでした。松江城の 石は、麦島城の石が再利用されたと伝えられています。

⑤大天守台・小天守台跡

くまなく探検してみよう!!

北の丸は城主のプライベート空間。はじめ加藤正方が母妙慶禅尼 の隠居所を建て、枯山水の庭園を造ったといわれます。加藤氏改易 後は、細川三斎がここに数奇屋と池を築き、書院から臨む築山の上 に龍峯連山が遠望できる、簡素ですっきりとした庭園となっています。

ここには、三斎が自ら植えたと伝えられる名木「臥龍梅」が。老いてな お、風格ある花を咲かせるその姿は、82歳まで生きた三斎の姿と重 なります。

現在は、明治14年に創建された松井神社(初代康之と2代興長を 祭神とする)の境内地となっています。

八代城北の丸跡

加藤正方や細川三斎の くつろぎの場所

八代城跡から歩いて3分

北の丸の堀跡を渡ると八代市立第一中学校の校庭が見えます。この一 帯には、かつて細川幽斎の菩提寺泰勝院があり、正保2年(1645)、八代 で亡くなった細川三斎が荼毘に付された場所です。15歳で初陣を飾って 以来、波乱の人生を送り、茶人・文化人としても名を残した三斎。その最 期はどのようなものだったでしょう。

この地は後に、三斎が生涯追慕した織田信長(三 斎の妻玉(ガラシャ)の父明智光秀に討たれた)の 菩提寺・泰巌寺となりました。現在は、三斎の供養 塔、三斎が建てた信長供養の五輪塔が残っている のみです。

※学校敷地内に入るには要連絡(0965-32-7103)

細川三斎終焉の地

  ほそ  かわ  さん  さい  しゅう  えん

波乱の人生を駆け抜けた 武将の最期

八代城跡から歩いて5分

今や日本を代表する建築家となった伊東豊雄氏がはじめて手 がけた公共建築(1991年開館。くまもとアートポリス参加作品)。

近未来的な外観の建物内には、八代焼(高田焼)、肥後鐔、妙 見祭、考古資料など、八代の歴史と文化を物語る展示が満載。

とくに江戸時代の八代城を復元した城郭模型は当時の様子が よくわかります。

月曜休館 開館時間:9時〜17時 入館料:一般300円(特別展時は別途)

八代市立博物館未来の森ミュージアム

八代城の復元模型で 往時の姿を確認!!

八代ICから車で15分[駐車場あり]

この辺りは上級武士の屋敷が並んでい たところで、奥の二階建の住宅は慶応 元年(1865)の建築。二つに分かれた 玄関、中で馬を飼っていた長屋門など、

当時の武士の暮らしぶりをよく伝えてい ます。澤井家は、松井家3代寄之(三斎の6 男)の実母の実家で、もとは足利家、細 川家に仕えた家。松井家の要職を務め、

現在もこの場所に居住されています。

※内部の見学は要相談(0965-33-4533)

澤井家住宅及び長屋門

  さわ  い 

八代城下で 唯一残る武家屋敷

博物館から歩いて2分

八代城跡から歩いて3分

八代宮参道の大鳥居がある辺りは、八 代城下から三の丸へ入る大手門(東西 に開口)があった場所。

ここからまっすぐ南下すると、中世以来の 港徳渕の津に突きあたります。この配置 に港湾都市をめざす加藤正方の強力 な意図が感じられます。

八代城大手門跡

八代城の真正面に 港が面している。

ここは、八代城二の丸南側 の外堀に面した石垣跡。石 工が残した刻印がいくつも 見つかります。

八代城二の丸跡

ここには馬屋がありました

八代城跡から歩いて5分 八代ICから車で15分[駐車場あり]

西山 宗因

 (1605〜1682)

 にし  やま  そう  いん

江戸時代前期に活躍した連歌師。八代城主・

加藤正方に仕えて八代で連歌を学びました。そ の後大坂で活動して一世を風靡し、松尾芭蕉 に「宗因がいなければ私たちの俳諧はなかっ た」と言わせるほど、大きな影響を与えました。

加藤 正方

 (1580〜1648)

  か  とう  まさ  かた

加藤清正・忠広に仕えた筆頭家老。清正 没後の慶長17年(1612)幕命により八代 城主となり麦島城に入城。元和5年(1619)

麦島城が地震で崩壊した後に松江城を 新築し、元和8年(1622)に完成させ、現在 の八代城下町の基礎を築きました。

Point !

  おもて  ます  がた こ  ぐち

(6)

H H

H 成竜園

●黒川製菓

八代郵便局

⓮宗弘

⓭一休本舗

球 磨 川 札の辻●

⓴鰻新 葵 ラーメン桂華

⓳東陽軒

●御客屋跡

●肥後銀行

●八代カトリック教会

●肥後銀行 ●日本キリスト教団八代教会

彦一塚 やまだや 井桜屋勘七の墓

外堀跡

●やつしろハーモニーホール

●福寿寺

●松江大神宮

黒川製菓

出町公園●

カフェ ドゥ 巴里

ねぼけ堂

●千仏寺 ●加藤正方

 供養塔

浄喜寺● ●円覚寺

セントラルホテル

● 枡形口 取水口番所 二之町

かるかん堂本舗

金立院●

●春日神社

●西光寺 ●町屋(衆)

荘厳寺●

● 遊郭街の門柱跡

●本町緑地 ホテルアルファーワン

八代ロイヤルホテル

ルートイン

⓯シュン²

町屋● 町屋●

河童渡来の碑●

●安養寺 正教寺●

松井神社

八代城跡

←塩屋八幡宮

市営中央駐車場

シャルトル聖パウロ 修道院記念館

●鷹辻天満宮

●宮之町妙見社

●町屋

長崎銀行●

●ギャラリー8  (通町観音堂)

八代市役所

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本町アーケード 薩摩街道

薩摩街道

城下町を守った堤防 相良時代造船場跡

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H 熊本総合病院

八代市役所前バス停

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県道250号線

県道 42号線

案内板 案内板

案内板 案内板

案内板

案内板 案内板

案内板 案内板

案内板 案内板

案内板

案内板

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町屋のある風景

1

徳渕の津跡

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笹堀公園

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本成寺

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浄信寺

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光圓寺

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医王寺・仁王像

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光徳寺

松江城・麦島城・古麓城 が見わたせる

この辺りに カッパがウヨウヨ!

妙見祭 絵巻の壁画

小林一茶が ここに泊まった

1900年の 洋風建築(国登録)

貧しくて病院に行け ない人々を治療する

拠点でした

中島町(獅子舞、笠鉾・蜜柑)

塩屋町

(笠鉾・迦陵頻伽)

紺屋町

(笠鉾・猩々)

二之町

(笠鉾・蘇鉄)

宮之町(笠鉾・菊慈童)

出町

(亀蛇・ガメ)

通町(笠鉾・西王母)

本町

(笠鉾・本蝶蕪)

(城下町)

平河原町

(笠鉾・松)

徳渕(笠鉾・恵比須)

八代城本丸 の高麗門

彦一ばなし

塘へ登る 坂道 加藤正方母の

菩提寺

八代城築城時の 古い石垣跡

(彦一ばなしの内容は7頁に)

伊東豊雄氏設計 のピアノ型建物 三斎が造ら

せた梵鐘

鷹匠がいた通り

初代八代駅跡地

加藤正方父の菩提寺

妙見祭の 獅子舞創始者

篤姫が 泊まった

八代城 外堀跡

旧八代町 道路元標

キリシタン 殉教者の碑 徳渕の津まで

一直線

本町 ひこいち

駐車場

一休や吉四六とならぶ とんちばなしの主役として

有名な彦一は、出町に 住んでいました。

光徳寺には彦一の墓が あったそうです。

城下町から妙見祭に出される 獅子舞・笠鉾・亀蛇(ガメ)は、

今も江戸時代以来の町々で 受け継がれています。八代の 自慢です!

彦一ばなしの舞台

「化けダヌキ」

彦一ばなしの舞台

「しっぽのつり」 彦一ばなしの舞台

「スミくらべで かっぱを負かす」

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私の代から 八代城主に なりました!

港の名残を見つけ てみよう

現在の八代中心市街地の基盤

八代城下町

加藤正方によって設計された町割りが今も良く残っています。城 下を通る薩摩街道に沿って町が配置され、江戸時代から続く妙 見祭の出し物を今も受け継いでいます。代々の八代城主ゆかりの 寺社が建ち並び、 「港湾都市」八代の魅力を凝縮した見どころ満 載の城下町です。

10 11

松江城の南に面した前川一帯は、古くから「徳 渕の津」と呼ばれ、文字通り、徳(財宝)の集ま る津(港)として、海外との貿易で賑わったところ です。江戸時代には、船着場や荷揚げ場、番所 がありましたが、現在では、石灰岩でできた石 段が残るのみです。

ここからは、古麓城・麦島城・松江城が一望で き、港と城とともに発展した八代の歴史を実感 できる場所です。

徳渕の津跡

八代城下町の繁栄は ここから始まった

徳渕の津跡から松江城へ延 びる道は、薩摩街道が通り、八 代城下でももっとも栄えたとこ ろ。とくに海産物を扱う問屋・

小売商が多かったといわれ、

古い土蔵造の町屋がわずか に残っています。

町屋のある風景

城下町の面影をとどめる

八代城跡から歩いて10分

八代城跡から歩いて10分

松江城の設計者加藤正方が、父可重の菩提寺とし て慶長9年(1604)に建てた日蓮宗のお寺。阿蘇内 牧城下から麦島城下を経て、元和8年(1622)現在 地に。可重や正方の肖像画や御位牌、正方の辞世 など貴重な歴史資料を伝えています。大きな門には 正方のかたばみ紋と松井家の三ツ笹紋が。

浄信寺

加藤正方 ゆかりのお寺

八代城跡から歩いて15分

松江城ができる前からあったお寺で、寛文5年

(1665)、松井家3代松井寄之の夫人崇芳院が、

夫の病気が治るよう願って現在地へ再興。八代 城と城主の安寧を祈祷する真言宗のお寺です。

本尊の薬師如来立像(国指定重要文化財)をは じめ、もと妙見宮(現八代神社)にあった仁王像、

足手荒神などがあり、今も篤く信仰されています。

医王寺

松井家と妙見宮ゆかりのお寺

八代城跡から歩いて10分

寛永13年(1636)、細川三 斎の家臣が創建したお寺。

本堂の天井には、松井家の 御用絵師安藤雲桂が描い た雲龍図があり迫力満点。

さらに、本寺の梵鐘は、慶 長19年(1614)三斎が信長 の33回忌に小倉で作らせ たという貴重なもの。この音 を聞いて、三斎は信長を偲 んだことでしょう。

光圓寺

細川三斎の想いが聞こえる

八代城跡から歩いて10分

光徳寺は、後醍醐天皇の臣名和氏の子孫明信が天正15 年(1587)に建てたお寺。あちこちに名和氏の家紋「帆掛け 舟」紋が見られ、海との関係が強い一族であったことを物 語っています。この寺の前の道が薩摩街道で、城下町の出 入り口を守るため、鉄砲足軽たちが住んでいました。

光徳寺

八代城下町の出入り口

八代城跡から歩いて15分

前川から入り込んだ入り江があり、江戸時代のは じめ、堤防に締め切られ堀になったところ。笹の葉 の形をしていることからその名があります。じつは、

16世紀、相良氏が海外との貿易を行う大型船

「市来丸」を造船した場所と伝えられています。

笹堀公園 笹の形から

連想するのは?

八代城跡から歩いて10分

慶長13年(1608)、加藤清 正が9歳で亡くなったわが 子忠正のために建てた日蓮 宗のお寺。はじめ宮地にあ りましたが、細川三斎の招き により八代城下へ移転。本 寺の山門は八代城の本丸 にあった高麗門。三斎の茶 の湯に使われた井戸も。

本成寺

  とく  ぶち

 じょう  しん 

  い  おう 

  こう  えん 

  こう  とく    ささ  ぼり

  ほん  じょう  じ

加藤家、細川家、

松井家の歴史を 見守ったお寺

八代城跡から歩いて10分

松井 興長

 (1582〜1661)

父・松井康之の跡を継いで、細川家を支 え続けた敏腕家老。細川三斎の没後、正 保3年(1646)から八代城主となり、寛文元 年(1661)に80歳で病死しました。以後、幕 末まで松井家の当主が八代城主として八 代を統治し続けました。

Point !

 まつ  い  おき  なが

一部博物館へ移設 復元展示中

(7)

藤が見頃 上旬

展示室 本席

お庭入口

林鹿庵

白菊の間 受付 展示室

冠木門 市立図書館

八代市立博物館 未来の森ミュージアム 警察署八代

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児宮ちごのみや

稲荷神社 あずまや● 綴玉軒

県道250号線 南門 かつてはキツネが住み、

松井家の江戸参府にも お供したとか

昭和天皇が 来園時に 作られた玄関 大広間の畳を

はずすと能舞台 内田百閒が

9回も泊まった 運が良ければ

カワセミに会えます 石組

〈松浜軒園内見取図〉

6月初旬 肥後花しょうぶが見頃

5月下旬 かきつばたが見頃

玉石で海岸を表現

白島産の 手水鉢がある こいのえさやりで

殿様気分

京都・伏見稲荷 の分社

伊勢物語にちなむ お城で花火を作って

いた建物を移した

(今は茶室)

11月15日 14:00〜浅井神社の 大祭時、妙見祭の獅子舞が園内

で奉納される。殿様にご覧に 入れる特別な舞です。

由緒ある名園で お茶はいかがですか 6月第1日曜…菖蒲の茶会 10月…八代市文化祭    〈合同茶会〉など

子供の無事な 成長を願って創建

4〜6月春 7〜9月夏 10〜12月秋 1〜3月冬

茶道具の名品 涼を感じさせる名品 茶道具の名品 雛人形 かつては遠くに雲仙や阿蘇を望む

雄大な眺めの庭園でした

庭が一番きれいに 見える場所 花しょうぶ

撮影ポイント

元は馬小屋であったことから優れた馬を表す

「驥」の字を用い「驥斎」と名付けられた展示室

古麓にあったことから 麓→林+鹿の庵と 名付けられた茶室

私のお雛様が 今も飾って あります!

私のために息子が  作ってくれました

茶 は ち べ え ト マ ト

白柚

  ばん

  ぺい 

い ぐ さ

緑が印象的な八代城跡の一角に建つ博物館。その名にふさわしく、

周囲の自然にとけ込む斬新な外観と、光のシャワーを浴びるエントラ ンスホールが魅力的。展示室では、松井文庫コレクションをはじめ、

八代の歴史や文化などを多角的に紹介。講義室やカフェ、スタジオ なども備え、くつろぎと交流の場にもなっています。

■所在地/西松江城町12-35 ■開館時間/9:00〜17:00(入館は16:

30まで) ■閉館日/月曜日・祝日の翌日・年末年始 ■料金/大人300 円、大学・高校生200円、中学生以下無料、特別展覧会開催中は別途 ■ お問合せ/℡0965-34-5555

八代地方の風土に適した果物といわれる晩 白柚。最大級のものは大人の頭の大きさほ どもあり、重さは3㎏にも。南国のさわやかな 香りを放ち、さっぱりとしたソフトな風味が特 徴で、果物の王様ともいわれています。

これからのいぐさはアイデア勝負。現 在、産地ならではのアイデアを活かし、

コースターなどの小物や健康的な食 品など、新しい製品を作っています。

畳という形にこだわらないことで、いぐ さの新しい可能性が広がっています。

ち く わ 刀 ・ 手 打 ち刃物

日 奈久竹細工 メ ロ ン

し ょ う が

高 田焼 宮 地手漉 き和紙

八代市立博物館 未来の森ミュージアム

Yatsushiro City Mirai-no-Mori Museum

八代城主、松井直之が生母のために建てた御茶屋「松 浜軒」内にある展示室。松井家伝来の宝物を保存・調 査研究、公開しています。展示内容は季節ごとに変わり、

絵画・書跡・陶磁器など数々の名品を紹介。中でも、毎 年1月末から公開される江戸時代の雛人形は圧巻です。

■所在地/北の丸町3-15(松浜軒内) ■開館時間/9:00

〜17:00(入園は16:30まで) ■閉館日/月曜日、年末年始

■料金/松浜軒入園料で見学可

■お問合せ/℡0965-33-0171

松井文庫 ﹁驥斎﹂

  

Matsui Library "Kisai"

資料館・博物館

八代の歴史がここに極まる!!

松浜軒

〜しょうひんけん〜

八 代 逸 品

四季折々の表情を 楽しんで

元禄元年(1688)、松井家4代直之が、母崇 芳院のために創建した茶庭。八代海を見渡 す浜辺に面し、松林が連なる景勝の地であ ることから「松浜軒」または「浜の茶屋」と呼 ばれています。国の名勝に指定された八代 の歴史と文化を象徴する場所です。

八代ICから車で15分[駐車場あり]

松井家初代康之は、数々の戦で手柄を立て、その活躍 に目をつけた秀吉は石見国半国(18万石)を与え、自分 の家臣にしようとしました。しかし、康之は細川家への忠 誠を理由にこれを辞退。その志は、秀吉を感心させ、国 の代わりに唐物茶壺(銘「深山」)をもらいました。

秀吉が惚れたまち八代が、同じく秀吉が惚れた男康之 を初代とする松井家によって、発展をとげることになるとは、

なんとも不思議なめぐり合わせ。

松井家に伝わる歴史資料や美術工 芸品を後世に伝えるため、昭和59年 設立。所蔵品は園内の展示室や市立博物 館で常設展示されるほか、全国の美 術館・博物館から出品依頼があり、

八代の歴史と文化の豊かさをPR。

松井家と豊臣秀吉

松井家もまた、秀吉とのゆかりが深い

秀吉から拝領した唐物茶壺

(銘「深山」)

ご利用あんない松浜軒

開園時間 9時〜17時

休 園 日 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

入 園 料 大人300円(子ども150円)

電  話 0965-33-0171

財団法人松井文庫

崇芳院

 (1624〜1711)

松井家3代寄之(細川三斎6男・2代興長養子、

1616〜1666)の夫人。初代康之の孫娘にあたります。

夫亡き後、お茶を楽しみつつ長寿をまっとうしました。

Point !

琴姫

 (1813〜1848)

 すう  ほう  いん

 こと  ひめ

松井家10代章之の夫人で、細川三斎の弟興 元に始まる茂木細川家(谷田部藩主)の姫。天 保9年(1838)、江戸から八代へお嫁入り。琴姫 が八代に来て初めて迎える雛祭りのために、京 都からたくさん買い揃えた雛人形が今も飾られ ています。(1〜3月のみ)

■お問合せ先/八代市観光物産案内所:℡0965-35-6627・八代観光案内所:℡0965-32-2436

(8)

八代市役所観光振興課

☎0965-33-4115

イベント・祭り紹介 八代 おいしいもの紹介

店 舗 名

古麓城エリア松江城エリア麦島城エリア八代城下町エリア

おススメ商品 住  所 T E L 頁

鮎の老舗 より藤

珈琲店ミック 田代福進堂

お菓子の彦一本舗 丸久食堂

カフェ おーるはーと 八代よかとこ物産館内 レストラン

松井寿司 むさし本舗八代店

珈琲館樹里 四季彩膳 花一会

成 竜 園 一休本舗八代店

宗  弘

ICE CREAM SHOP シュン²(シュンシュン)

八代ロイヤルホテル かるかん堂本舗

桂華ラーメン 東 陽 軒

鰻  新

寿司・日本料理 葵 カフェ ドゥ 巴里

ねぼけ堂 黒川製菓

焼き鮎

人気駅弁ランキング3年連続1位の弁当「鮎屋三代」

自家製ルーが大人気のカレー…750円 丸ボーロ 5個入り…420円

☆80年続く老舗 あっさり昔ながらの味 彦一とんちもなか

彦一うどん・そば

限定15食のランチ(A・B・C)コース 700円・1000円・1250円

A・Bランチ650円・C(パスタ)ランチ700円

☆とまとラーメンも人気!! シャクの塩辛

いきなり団子 白いコーヒー

このしろ寿司 うなぎのひつまぶし

☆1500円ぐらいで食べれるお手頃料金 いきなり団子

☆注文頂いてから作る京風たこやきが人気 海鮮丼、刺身定食…各1580円

☆魚が新鮮!! 晩白柚アイスクリーム

ヨーグルトチキンとココナツカレー

かるかん饅頭

とんこつラーメン…550円・お昼の定食…590円〜

☆麺は自家製たまご麺 中国素食(精進料理)コース ひつまぶし…1500円 うな新定食…2000円 お手軽ランチセット…1260円

だご汁

煎餅・晩白柚菓子

どら焼き

萩原町2丁目1-6 萩原町1丁目2-7 萩原町2丁目8-15 旭中央通1-1 萩原町2丁目12‐34 西片町1717-1 上日置町4459-1 迎町2丁目15-5 千反町2丁目16-1 千反町1丁目1‐1 西松江城町6-1 松江城町6-31 松江城町3-48 本町3丁目2-32 本町2丁目4-45 本町2丁目1-5 本町1丁目9-28 本町1丁目6-11-1F 本町1丁目12-24 本町1丁目12-2

本町1丁目13-26 新町5-20

やつしろハーモニーホール1F 八代市新町7-11 八代市出町1-5

0965-33-1145 0965-32-2261 0965-34-2255 0965-33-3515 0965‐34‐1816 0965-32-1321 0965-32-3600 0965-32-1011 0965-37-6088 0965‐35‐0282 0965-33-8710 0965-34-8000 0965-33-0193 0965-33-2730 080-6441-8659 0965-34-1111 0965‐35‐7788 0965-32-3353 0965-32-2400 0965-35-2525 0965-32-4418 0965-35-3981 0965-32-3498 0965-33-2206

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城下町 ﹁ や つ し ろ﹂ の お 雛祭り

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月中旬〜

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月上旬

日奈久温泉観光案内所

☎0965-38-0267

日奈久温泉 ス プ リ ン グ フ ェス タ

3

月最終日曜日

八代市役所観光振興課

☎0965-33-4132

九 州国際 ス リ ー デ ー マ ー チ

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月連休後の金・土・日

八代神社 ☎0965-32-5350

氷室祭

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月31日〜

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月1日

八代市役所商工振興課

☎0965-33-8513

八 代 く ま川祭り

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月第一土曜日

日奈久温泉観光案内所

☎0965-38-0267

九 月 は 日奈久 で 山頭火

9

月1日〜30日

八代市役所観光振興課

☎0965-33-4115

や つ し ろ全国花火競技大会

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月第三土曜日

八代市役所重点港湾八代港営業隊

☎0965-33-8777

み な と 八 代 フ ェス ティ バル

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月上旬

八代妙見祭保存振興会

☎0965-33-4533 ☎070-5813-8246

八 代妙見祭

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月23日(御夜11月22日)

八代城主松井家に伝わる江戸時代のお 雛様をはじめ、各所にお雛様が飾られ、市 内はお雛祭り一色に染まります。

日奈久温泉を発見した浜田六郎左衛門 に感謝するお祭り。神輿、六郎太鼓奉納な どが行われます。

美しい自然と球磨川に育まれた日本一の

「い草」の産地である八代平野を舞台に、

多くの文化財や名所を散策する歩く祭典。

八代城主の無病息災を祈り、住民が深山 の残雪を献上したことが起こりと伝えられ ています。この日だけの名物「雪餅」を食べ るのが恒例です。

球磨川の恵みに感謝し、産業・商業振興 を目的に行われる夏祭り。市民総踊りを中 心に多彩なイベントが行われます。

昭和5年9月に日奈久を訪れた漂泊の俳 人「種田山頭火」。9月を山頭火の月として、

山頭火ウォークや句会、山頭火が泊った

「織屋」の一般公開などが行われます。

八代の秋空をキャンバスに、全国の有名 花火師30業者が腕によりをかけ、その技と 華麗さを競う西日本唯一の全国花火競 技大会。

八代外港一帯を会場に、さまざまな体験 航海やクルージングが体験でき、こどもか ら大人までが海や港に親しめます。

今日まで380年続く、「八代妙見祭の神幸 行事」は国指定重要無形民俗文化財。神 幸行列参加者は1500人に及びます。

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開催日等につきましては、主催者にお問い合わせください。

参照

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