フリードリヒ・リストの﹁土地制度﹂論 i l
﹁ドイツ資本主義と土地制度﹂に関する
思想史的研究の一試論
1l
︹一︺まえがき││問題の限定
i l
門二︺フリードワヒ・リストの﹁土地制度﹂論
一初期リストの﹁土地制度﹂論
ー
l
﹁あらゆる工業の礎控としての農業﹂││ニ後期リストの﹁農地制度﹂輸(以上前骨﹀
1 1
﹁中産的農民﹂の理念像
i l l
三﹁農地制度﹂論の現実性とその限界(以下本号)
││﹁分割地農民﹂と﹁農民層分解﹂
1 1
リストに残された問題
i l
ドイツ資本主義と土地制度││
" 一
一
L Jヲりlドリヒ・ワストの﹁土地制度﹂論(二)
住
谷 (二)
彦
九五
フリ
1
ドリヒ・リストの﹁土地制度﹂論つ一﹀
九六
﹁農地制度﹂論の現実性とその限界
1 1
﹁分割地農民﹂と﹁農民層分解﹂
1 1
前節において指摘した問題のうち︑さしあたってまずリストが﹁農地制度﹂論でその創出を企図した中産的農民層
の歴史的性格は︑歴史上いうところの﹁独立自営農民﹂もしくは﹁分割地農民﹂に比定することを許されるだろう
か︑という点から検討することにしよう︒
農民
的﹁
分割
地所
有﹂
円凶
器
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o 忌
n v o F
R 色
g a m s g g
簡踊に対すろ古典的規定は︑マルクスによって与えら
れている︒すなわち︑﹁資本論﹂の周知の規定によれば︑︹白営農民たち
自由な分割地所有形態
F )
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片 足
B
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却は︑支配的でかつ正常的な形態としては︑閉め 与即 守認 可同 国の }同 町民 件︒ 白色
︒∞
2 8 3
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かる
一方
では
︑
古典的古代の最盛期における社会の経済的基礎をなしていたが︑他方ではまだ近代的諸国民の聞においても︑われわ
階級
︑
れは乙れを封建的土地所有の解体から生じた諸形態の一つとして見出す︒イギリスのヨ!マン︑スウェーデンの小農
こうして生じたものである﹂(傍点は引用者﹀oそしで︑﹁この制度においてフランスおよび西ドイツの農民は︑
は︑農民自身が︑同時に︑彼の土地
l i
披の主要生産要具として︑また彼の労観および資本の不可欠な充用場面とし
て現われる土地!!の自由な所有者となっている﹂(傍点は引用者
) o
ところで︑乙の
﹁分
割地
所有
﹂
にお
ける
﹁所
有﹂
わら
︑
と﹁経常﹂とはどのような嗣係のもとにおかれているのであろうか︒マルクスによれば︑つぎのごとくである︒すな
﹁白営農民の自由な土地所有は︑明らかに︑小経営に対する土地所有の最も正常的な形態である︒ζ乙で小経
営と
いう
のは
︑
︹一般的にいって︺土地の占有が自分自身の労働の生産物を労働者が所有するための一条件となって
そして︑その労働者が自由な土地所有者であるか隷農
d E 2 Z 8 0
であるかは一応問わぬとしても︑農
耕民がつねに自分の生活維持手段を自分自身で︑独立に︑伺別佑せる封働者として︑自分の家肢とともに生産せねば い
るよ
うな
︑
ならぬような︑そうした生産方法むことである︒土地の所有がとの経営様式の骨全か払町長にとかて必要なととは弘手
工業的経営の自由な発展にとって生産要具の所有が必要であるのと同様である︒この場合それは︑人格的自立の発展に
とっての基礎をなしている︒それはまた︑農業そのものの発展にとって一つの必要な通過点巴ロロ︒件当
g a
釘号
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同 ロm
唱ロ
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円で
ある
﹂門
傍点
は引
用者
﹀︒
社会的生産の発展のための︑ ﹁労働者が自分の生産手段を私有するととは小経営の基礎であり︑
および封働者自身の自由な個性の発展のための一つの必要条件︒宮何回
2 4 5
ロ島常 小経営は
同
w o s
‑ ‑
高 g m
である︒たしかにζの生産方法は︑奴隷制や農奴制およびその他の隷属的制度の内部においても実存する︒
だが︑それは︑労働者が自分自身の使用する労働条件
1
1農民ならば彼が耕転︑手工業者ならば彼が熟練工として取
扱う用具
l !
の島
市昨
h v 私的貯一肝帝呑である場合にのみ︑わかトトわかか繁栄し︑その全エネルギーを発揮し︑それに適
合的な古典的形態をとるのである﹂(傍点は引用者﹀︒以上の引用文で︑マルクスが強調していることの一つは︑乙の
﹁分
割地
所有
﹂ 1
1自営農民の自由な土地所有が﹁小経営﹂のための正常な基礎をなしている乙と︑そしてこの両者が
最も適合的な関連(ウェlパiのいう意味におけが)のもとにおかれるのは︑その﹁小経営﹂者が自分の生産手段
(土地・仕事場・労働要具﹀を私有しているζと︑とくにそれの自由な私的所有者として現われる場合である︑とい
う点である︒しかも︑乙の﹁分割地所有﹂は﹁分益制度﹂冨
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庄 中
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色 豆 司 広 島 民
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マルクスでは﹁本源的地代から資本制地代への世霧島広点は引用者)とみなされているζとからみても︑﹁分割
地所有﹂の古典的形態は︑﹁イギリスのヨlマン︑スウェーデンの小農階級︑フランスおよび西ドイツの農民﹂にお
いて現象しているとされなければならないのであろう︒そうした独立自由な自営農民層乙そは︑﹁封建的土地所有の解
体から生じた諸形態の一つ﹂であり︑封建制社会から資本主義社会への移行を媒介する媒体として理解されるべきも
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リス
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地制
度﹂
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土地
制度
﹂論
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﹀
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﹀のであった︒だからこそ︑レiニンは﹁諸氏がマルクスの﹃資本論﹄第三巻のような正統マルクス主義の本をのぞい
てみるなら︑そこから︑封建的経済の発展およびそれの資本主義経済への転化は︑小ブルツョア的H農民的経済によ
る以外にはど乙においても行われなかったし︑また行われえなかったことを知るであろう﹂(傍点は引用者)と指摘し
九/¥
得たのである︒そして︑マルクスにとっても経済学的にみ
τ
乙の﹁分割地所有﹂が問題になる所以の一つは︑実にそれが﹁個々に独立した労働諸個人と彼らの労働諸条件との癒着にもとづく私的所有﹂(傍点は引用者﹀であり︑との
﹁自分の努働にもとづく私的所有の倍同﹂過程こそは︑﹁資本の原始蓄積すなわち資本の史的創勾世﹂ぞ意味するもの
であったがためにほかならない︒ところで︑との農民的﹁分割地所有﹂においては︑﹁事態の本性上︑ζ
の場
合に
ほ︑
農村生産物の圧倒的部分がその生産者たら農民たら自身の直接的生活維持手段として消耗され︑それ以上の趨過分だ
けが商品としで都市との商業に入り乙むにちがいない﹂が︑同時にその超過分が恒常的に商品化されるかぎりにおい
て︑乙白﹁分割地農民﹂は商品生産者としての側面ぞも有していたこと︑‑少なくとも与えられた事情の如何では︑そ
に留意しなければなちない︒事実睦史上﹁分割地所有﹂範臨時の体現者たの方向に発展する可能性をもっていたこと︑
る西ヨーロッパの独立自由な自営農民層は︑その初発から商品流通の網の目にまきこまれており︑その自由な発展は
同時に小商品生産者としての成熟を示しているのである︒この点ば︑行論上とくに銘記されるべきζとである︒だ
が︑本稿で﹁分割地所有﹂が問題となるのは︑さしあたってつぎの点である︒歴史上︑いうところの﹁分割地所有﹂
いったいその﹁独立自由﹂という表現はどのような意味内容(経済
.リ社会学4的規定)をもっ︐ものであるか︑またいいかえるならば︑︑﹁自由な私的所有﹂という場合それはどのような事
議をマルクスはさしていっているのであろうか︑とりつことである︒ζの潤題をマルクスの構想に即レて解明しよう ゆ体現者が独立自由な自営農民であるとすれば︑
とするならば︑事態はかならずしも容易ではないcというのは︑現行の﹁資本論﹂において一a分割地所有﹂H
一 ー 分 割
地農民﹂が問題とされるのは︑もっぱらそれが﹁自分の労働にもとづく私的所有﹂の古典的形態として︑
代形態から資本制地代への過渡形態﹂であるとともに︑それの解体こそが﹁資本の原始蓄積すなわち資本の史的創生
記﹂︑資本生成の﹁純経済的動機﹂をなしているという意味においてであった︒
﹁本
源的
地
したがって︑マルクスの問題視角は︑
もっぱら資本関係の形成(日原始蓄積)におかれている︒ところが︑本稿における当面の問題は﹁分割地農民﹂にお
いってみれば資本関係形成に先行する段階の問題領域ける﹁自由な私的所有﹂の意味を問うことにあるのであって︑
乙うである0マルクスにとって︑資本関係の形成に前提されるべき基本的諸
条件は︑つぎのごとくであった︒﹁付一方においては︑生きた労働の諸条件︑すなわち︑生きた労働能力の実在手段︑
生活手段︑自己維持手段から分離された︑したがって︑自己の客観的実在の諸契機から分離された単なる主観的実害 としての生きた労働能力の現存︒伶他方の側に見出される価値もしくは対象化された労働は︑生きた労働能力を再生
産し︑または維持するに必要な諸生産物もしくは諸価値を生産する上に対象的諸条件を供給するためばかりでなく︑ に属しているのである︒という意味は︑
剰余労働を吸収する
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円ぴ
目︒
円︒
ロ
ためにも︑充分なくらいに大きな諸使用価値を蓄積しなければならない︒国その
両極聞における自由な交換関係││貨幣流通
1 1 0
すなわち︑両極相互間における交換価値に立脚した
ll
支配
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岳民
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岳民
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岳山
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Fll関係︒国最後に一方の側は︑価値として現わ
れねばならず︑価値措定︑価値増殖︑貨幣創造11│直接の享楽とか使用価値の創造とかではなく
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ーを究極の目的とみな
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(傍
点は
原文
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成立
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一方の側の生きた労働能力が他の側の所有と
して現象し︑したがって交換されうるものとして現われなければ︑不可酷である︒そこでは﹁両極が相互に人格とし
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ドリヒ・リストの﹁土地制度﹂論士一)
九九
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地制
度﹂
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て対応し︑形式的にはともかく両者の関係は︑交換する者の平等かつ自由な関係﹂(傍点は原文)であるとされる︒マ ルクスにとって︑こうした関係が成立するための第一前提は﹁奴隷制もしくは農奴制の関係が止揚されている﹂こと
一 0
0
であり︑同時にこの関係の発展は﹁古い生産様式!│すなわち︑共同体
等々││の解体﹂を意味するものであった︒
︒ 8
5
山口色︒!ー家父長制的な││封建的な﹁分割地所有﹂日﹁分割地農民﹂は︑マルクスによれば﹁資本関係の形
成﹂のための第一前提(前述の奴隷制および農奴制の止揚)が実現する過程において成立するものであり︑したがっ て︑その成立過程は﹁資本関係形成﹂のいわば前史に属するものなのである︒この両者の関係は︑すこしいいかえて
﹁分割地所有﹂の生成は﹁自己の労働による商品の占取﹂岳
O K F R
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ロ口当司S E R F
の形成は﹁他者の労働の占取﹂門出︒﹀宮町・
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丘号﹀
5 0
日付︑﹁労働の譲渡︑労働の社会的形態への転形﹂が第二の必然性となって現われた結果である︒し
たがって︑前者はいわば﹁諸商品の発生過程︑それ故に諸商品の原始的占取引酪程﹂
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ロロロ向田胃︒祖国田のことであるといってよいだろう︒乙の﹁商品の発生過
程﹂の問題は︑理論構成上少くとも現行の﹁資本論﹂では正面からたらいって取扱われない領域に入るものと思われ るが︑われわれの当面する問題の解明にはややたちいって検討を必要とするものである︒ただ︑マルクスは彼の研究
ノlトの集大成である﹁経済学批判綱要﹂のさ足立∞持母門間ユ正向島
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‑ E R F g C E S S F U E N
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呂田
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のなかの﹁単純な流通における領有法則の現象﹂
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と題する章節でこの問題をやや詳細にあつかっているので︑つぎに若干その論点を紹介して当面の問題解
明への手がかりとしたい︒
︹ 注 ︺
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∞・ 長谷 部訳
︑第 三部 下一 一一 一一 六頁
︿以 下邦 訳と 略す )︒
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・邦 訳︑ 向一 一三 三頁
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(5 ) マッ クス
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1パlの﹁適合的関連﹂匂芯
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回日
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OFC出ぬという範鴎については︑さしあたってつぎの筒所を
参照︒冨・巧与
3
の0 8 5 8 z z k r E ω
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呂田
0 5
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・なお︑邦文文献で右の問題を解説した論文はかなり多くあるが︑ここではとくに田中真晴﹁因果性問題を中心とするウェlパl方法論の研究﹂(﹁経済論叢﹂
六一二巻第五・六号)なる論文をあげておく︒
ーノ
( 6 )
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片付
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・∞忠・邦訳︑第三部下一一三O頁 ︒
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︑
( 7 )
この論点に関しては︑現在大塚久雄教授の関桁的な業績ののち︑ヨーロッパ経済史研究上の定説となりつつある︒もとよ
り研究史上これに対する異論がないわけではない︒なお︑ζの論点については︑高橋幸八郎﹁市民革命の構造﹂(御茶の水書
房)序説の行論参照︒
( 8 )
﹁ レ
lニン全集﹂︿大月書庖)第九巻四七二頁︒レ1ニンがとくに第三巻と指示している点は︑留意されるべ︑きであろう︒
¥1ノ︿
9)
戸呂田
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邦訳︑第一部下一一五八頁︒
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︑第 三部 下一 一三 三頁
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t︑(ロ)大塚久縦﹁近代資本主諸説の系譜﹂上(弘文堂)︑一同一︑一五四︑一七八貰等に同﹁欧州経済史﹂(弘文堂)︑一一二一頁以下︒
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3Jいては︑第一巻七五二i
七五三頁︒邦訳︑第一部下一O九四 頁参 照︒ の吋 ロロ 今回 目目
︒(
﹁綱 要﹂ )を とく に引 用し たの は︑
﹁資 本関
rf町 ︑
係の形成﹂に前提される諸条件のうち︑市場構造の符質が開明記されているからである︒
︿日 )ロ 03
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フリードリヒ・リストの﹁土地制度﹂論合一)
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1ドリヒ・リストの﹁土地制度﹂論つ一)
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・この指摘は︑﹁資本制生産に先行する諸形態﹂と関連させて理解きれるべきであろう︒がこ
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﹄い ち把 えて いる こと は︑ 興味 深い
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ただじ︑本稿でばこの興味深い章節の全面的な検討︑もしくは紹介を意図するものではな
ぃ︒いってみれば︑﹁資本論﹂を歴史分析に具体化する場合(たとえば歴史理論を構想する場合)に生ずる誇問題のある一側
面を検討しようとするものである︒したがって︑かつておこなわれたような﹁資本総﹂巻頭の﹁商品﹂ば先資本制商品か資本制商品かといったような問題提起の仕方をふたたびとりあげようとするものではもとよりないのである︒誤解をさけるために
附言 して おく
︒
マルクス
マルクスがそ乙でふれている問題はかなり多岐にわたっていろが︑その一つは︑乙うである︒
主体は︑諸商品の所有者として現象する︒だが︑単純な流速の基礎の上ではそれによって各人がある商品の所有者と
bか方法は︑たピ新しい等価物︹と交換すること︺によってのみ実存するが故に︑交換に先仔すか商品の所有︑すな ﹁まず交換過程の諸
わち︑流通に媒介されないで占取された商品に対する所有︑むしろいってみれば︑最初にこれから流通に入っていく
は︑ずの商品に対する所有は︑
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流通が始まる以前に消失し去っている過程なので
ある︒私的所有は流通の前揮であり︑占取過程も流通の内部にぞの姿告示さず︑現わさず︑かえって流通にとって前
提されているのである﹂(傍点は原文
)
﹁どのようにして︹流通の︺諸主体が私的所有者になったか︑すなわち︑対象0
b
トか
わ野
田即
ト Lr
m附わかわ思ネわがは︑そもそも単紺な流通宝墓古は属さぬも心として現われる事情にあるかに
も掬らず︑他方商品は流通の前提である︒そして流通の立場からは︑他者の商品︑したがって他者の労働は︑自己の 労働の譲渡によってのみ占取されうるのだから︑その立場からは︑流通に先行する商品の占取過程は必然的に労働に
よる
占取
とし
現て
われ
る﹂
(傍
点は
原交
﹀︒
かくして﹁自己の労働による商品の占取が第一の必然性として提示される
とすれば︑との生産物が最初に交換価値として措定され︑かかるものとしてふたたび諸個人のための使用価値に転化 されねばならぬ社会的な過程は︑第二の必然性として提示される︒労働による占取または労働の対象化ののちに︑そ れの譲渡もしくはそれの社会的形態への転形が︑第二の法則として提示されるのである﹂(傍点は原文
)oζ
のよ
うに
︑ 商品が商品所有者たちによって相互に交換されるためには︑商品が所有者によってすでに保持されておらねばならず︑
それには労働生産物の商品佑︑自己の労働の所産である商品の占取過程︑すなわち﹁商品の発生過程﹂が前提されなけ
ればならなかった
o r
が︑乙の占取過程は︑実はもう一つの要因と結びついており︑それもまた流通の前提をなして
いたのである︒その前提とは﹁交換の諸主体が︑社会的労働の分割のもとに包括されているものとして生産する乙と
である﹂︒その場合
A
の生産した商品は使用価値をもってはいるが︑それ
は
A
対に
して
では
なく
︑
A
に対してはむしろ直接に交換価値として存在するのである︒
A
は他者の商品と交換するζとによって︑自己の使用価値を得る︒したがっ
て︑
A
は社会のために生産する乙とによって︑しかり︑それによってのみ︑はじめて自分のために生産すること﹁分業の特殊に発展した形態をも前提にしになる︒そして︑乙のことは社会的分業一般を前提にするにとどまらず︑
{nhυ︼
てい
る﹂
(傍
点は
引用
者)
︒た
とえ
ば︑
ぺル
iやインドの共同体の
O E O ‑
口調
28
では分業は独自の発達をとげているが︑それは﹁交換価値にもとづかない分業であるばかりか︑むしろ逆に多かれ少なかれ直接に共同態的生産
m o S O S R
伊良?フりlドリヒ・リストの﹁士地制度﹂論合一﹀
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︒ 仏 口 付
昨 日 ︒ ロ
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土地
制度
﹂論
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﹀
巻前提にする分業なのである﹂oだから︑﹁流通の諸主体が交換価債を生産するとと︑すなわち︑
0 四
交換価値という社会的規定性のもとに措定されている諸生産物を︑特定の歴史的姿態をもっ分業の下に包摂されて生
の根本前提は︑::・::個人がすでに自己を社会的であるぬ虫色
R E E W R J
すなわち社会︒
g m E R E ‑
常
産す
るこ
と︑
によって規定されたものとして見出だすと乙ろの歴史的諸条件および諸関係から生ずる一群の諸前提を包含してい
(8
)
る﹂
(傍
点は
原文
)︒
二万
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人は
交換
価値
ll
特定の杜会的過程によってのみはじめてそうした生産物となるl
ーを
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産するが︑他万その場合﹁彼は独立の私的個人とレて︑自らのイニシアティヴにもとづいて︑あからさまに彼みずから
の欲望に規定されて自分自身から︑自分自身のために生産したのであり︑自然発生的な共同体
S Z
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2 8
の成
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(9 )
はない﹂︒この﹁諸交換価値を生産する個人の生産の私的性格は︑それ自体歴史的産物として現われるものである︒
l
l
生産の内部におけるその個人の孤立佑︑点的な自立化ω
弘吉岡
明︒
0
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日 ) 口 口
付
E a
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同日
間口
口問
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門
v m g
(凶
)
︻凶め円削︾吋
o a
口付
昨日
︒ロ
は︑
分業
によ
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惹き
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点は
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また直接的に社会的な個人として生産に関与する︑そのような個人として生産したので
以上ややたちいってマルクスの分析を辿ってきたのであるが︑﹁商品の発生過程﹂︑﹁自分の労働による商品の原始
的占取過程﹂は︑一方では﹁生産内部における個人の孤立化︑足的な自立化﹂︑﹁独立な私的個人として自らのイニシア
ティヴにもとやついて自分自身のために自分から生産する﹂乙芝︑すなわち︑生産手段の﹁自由な私的所有﹂の成立を︑
他方では歴史的に独自な社会的分業の形態の一層の発展を睦史的前提とするものであることが︑乙れまでのマルクス
の分析からほぼ指摘できるであろう︒この間題慣域は﹁資本論﹂では簡潔に﹁諸使用対象が商品となるのは︑総じて︑
そ札らが相互に独立して営まれる私的諸労働の生産物であるからに他なら沿い
L
(傍点は原文)と述べられているだ刀
であるが︑実はそれが﹁資本の原始蓄積﹂︑﹁資本関係の形成﹂︑﹁資本の史的創生記﹂に先行する過程を対象とする間
題領域であったために︑﹁資本論﹂では諸箇所でふれられてはいても︑とてにたらいって扱われえなかったのではな
かろうか︒乙れを正面から取扱おうと企図した論稿乙そは︑遺稿﹁資本制生産に先行する諸形態﹂であった︒その論
稿では生産手段の﹁自由な私的所有﹂の成立過程を共同体的な土地占取様式の解体︑それからの解放過程として把え
るととに理論構想上の一つの主要な力点がおかれていることに留意しなければならない︒すなわち︑そ乙では小ブル
ジョア経済の形成は﹁共同体の個々の成員が︑共同体に対して︑そのために彼が共同体との自己の紐帯(客観的︑経済
的﹀を失うような︑そのような自由な関係に立つ﹂(傍点は引用者)ようになった結果と結びつけて理解されているの
である︒けだし︑前近代諸社会においては﹁土地所有︺の契機も︑﹁分業﹂の契機も﹁共同体﹂的に編制され統一され
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﹁自由な私的所有﹂の成立も︑﹁分業の特殊に発展した形態﹂
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局地的分業圏)の成立も︑い
ずれもこの共同体としての掛一心骨骨赴担甘か一骨骨骨を言いあらわしているのにほかならぬからで
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︒かくて︑われ
われは﹁分割地農民﹂をいわゆる﹁独立自営農民﹂といい︑﹁自由な私的所有者いという場合の﹁独立﹂もしくは﹁自
由﹂とは︑さしあたってまず封建的な支配H隷属関係からのそれであるにせよ︑
関係の土台をかたちゃつくる共同体組織からの独立であり自由である乙とを知り得るであろう︒もレそうだとするなら 一一層基礎的にはそうした支配日隷属
ぱ︑リストが﹁農地制度﹂論において封建的諸負担および共同体組織から当時のドイヅ農民を解放し︑
ャによって中産的農民を創出しようと意図した乙とは︑近代化の基本線︑少くともその一側面を適確に把握していた
点で彼のそうした政策構想を裏づける歴史認識たるや︑まことに鋭いものがあったといい得ないであろうか︒ただし
乙の場合乙の政策構想の有効性は二つの点で実証の問題につながっている︒ エンクロ
1 3
一つは当時のドイツ農業問題の基本線を
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土地
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﹂論
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﹁共同俸の解体と独立自営農民層の創出﹂というかたちで把握するζとが︑当時のドイツの歴史的現実に果して適合
的であったか否かの点で︑他の一つは史上いわゆる独立自営農民とよばれる社会層は︑そうしたエンクロ
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って成立したものであったのだろうか︑という点においてである︒前者については︑リストが当時解決を追られてい
ろ最大の問題とみなした零細土地保有H経営N宅
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格が
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フランス革命による解放の産物たる﹁分
割地所有﹂と同一視されてよいものか否かの検討によって︑ある程度答えられよう︑その場合西・南ドイツの一部に
﹁分割地農民﹂が成立し︑あるいは成立しつつあったことは充分に可能な
ζとであるし︑事実﹁農地制度﹂論におけ
ろワストの絞述からもうかがわれる︒しかし︑リストのいう﹁零細土地保有
I
経営﹂は︑りスト自身しばしば述べているようにその認識のモデルを︑根本的には彼の故郷である南独のヴュルテンベルクから得てきているのであり︑した がって︑ヴュ・ルテンベルクでは果してどうであったかが︑との問題の基本的な論点をなす
ζとになる︒その場合本稿
におけるこれまでの検討では︑少くともリストの提供した素材に関していうならば︑ヴュルテンベルクにおける﹁零
細土地保有H経営﹂が封建的H
共同体的な諸規制のもとにあったことは︑ほぼ確認できるように思われる︒なお︑
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れについては︑一八三二年﹁ヴュルテンベルクの農民諸負担﹂
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︒が︑とくにわれわれと対立している﹂(傍点は原文)ととを指摘し︑さらに乙の
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建的な賦課租の
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ロ仏ぬ一広告ゅの収取と密接に結びついていること︑およびζの両者をいかに蕗棄するかが︑被の主要な問題点をかたち事つくっているととを述べている︒そとで︑殺が事態や打開するためにかかげる政策は︑付国家が調
停者として貴族と農民の聞にもっとたらいること︑つまり国家がの
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とが各半分︒つつうけとるように契約を軽減すること︒国債務の
返済にあたって︑ぞれの成立の諸要因となるような︹封建的な︺賦課租の一廃止︒制現在∞
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宮町窓口が圃家に依拠して保持している補償額は賦課租の純収入の二
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倍に上っており︑つぎのようにその対策を考えるべきである︒その資金総額はニ
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年間の平均で計算し︑畑の年収益はN各
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の名簿または徴税台帳巻もとにさぐり
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同円切望月宮山肉窓口は国家の義務として︑普通土地︿場合によっては貨幣)で補償されるようにする︒肘国家ほ新開墾
地十分心一税を廃止すること︒
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はヴュルテンベルクでは余りみられないが︑廃止されるべき
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なるための噴い金については︑その償却業務の終結する期間が法律で定められること︒的償却業務は国家によって︑
一部は自治体すべてと︑
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と︑彼らが国家に純資金総額の半分を支払う方法で締結すること︒出こ 一切の土地所有はこれまでの︹封建的な︺賦課租の日ロ仏関広告めによる負担と束縛および
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かくてその頭上に新しく課する乙との禁止を法律で表明することになる︒
国償却後に︑賦 課から自由となった農地に対して︑地穏を以前よりも高額に課すろことは︑国家が償却資金を分担し花場合にのみ正 当と認められるべきである︒もし以上の政策が速やかに実掬されたならば︑モーゼルはこの有償による農民解放の結果
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ろう﹂と考えるのである︒モiゼルが詳細な検討の結果到達したこの農民解放政策が︑上からの有償によるそれであ
ろにしても︑そこでとくに対象となっている基本問題が農民の上にのしかかっている封建的諸負担と
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との重圧からの解放にある乙とは︑まず明らかなととろであろう︒そのかぎりで︑モlゼルの現状分析はまたリスト
( 倒 的 )
のそれとかなりの程度まで一致しているといえるのである︒かくて︑われわれは第一の問題︑すなわち︑リストが間
題にした﹁零細土地保有H経?営﹂は︑決してフランス的な﹁分割地所有﹂(ならびにその結果としての零細土地所有)
に比定し得ないとと︑おそらくはその発展段階ならびに類型を異にするものであろうというζとぞ確定できた︒しか
らばつぎに︑そうした封建的農民から独立自営農民への転化をエンクロiジャによって押しすすめようとすることは︑
果して方法的犯可能なことであろうか︒これについでは︑ニンクロlジャが史上むしろとの中産的農民層の清掃を意
{ 即 日
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味したとみる見解もあり得ょう︒ただ︑この場合注意すべきととはエンクロlうャとわうときにも幾つかの類型があ
潟︑一リストの提案したエンクロiジャは史上かの独立自営農民の形成を促進したといわれる小農エンクロ!ジャに比
定されるべき性格のものだという乙とである︒前述のごとく︑独立自営農民ハH分割地農民)は自由な私的土地所有
者であり︑かつ小経営主であったが︑経営の自由かつ独立な運営ば自由な私的土地所有の充実度と照応するものであ
り︑それはまたイ封建的支配H隷属関係および共同体組織からの解放度に比例すろはずである︒もしそうだとすれぽ︑
自由な私的土地所有および自由な経営の独立性は︑農地ぞエンクローズすることによってはじめて充分に達成きれる
ととになるとみなし得ないであろうか︒少くともリストの政策構想のうらからかかる見解を導きだすζとは︑可能の
( お﹀
ように思われる︒なお︑われわれはそれついて一つの史料を提示し︑ζの見解の適否を検討してみることにしよう︒
たとえば︑ゲイ関門目当宮司・︒
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一一六世紀のイングランドにおけるエンクロlジャ﹂宮己宮号
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一方 一六
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七年のミッドランド調査書は三九三の村落のうち四八パーセントが一O
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ジャがとく陀一六世紀になって急増したのか︑以前かエーカー以下のエンクロi
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なわれていたのが当時の調査の結果明らかにされたのか︑は一概にきめられないにしても︑ともかくこうした
門 治 )
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ジャが農民経営の独立性を保証する基盤となっているととは推定できよう︒もとよりこの点は史家によ
る今後の実証に侯勺ほかはないが︑ともかくリストの構想したエンクロlジャによる独立自営農民の創出という政策
は︑それによって史上いうところの小農エンクロ
1
ャと性格を同じくするものとみるならば︑少くとも万法的にい3
って腫史を逆行する謬見とはとうていいえないであろうし︑むしろ前述したととき当時の西・南ドイツ農業事情に密 着しつつ構想された提案であったとみなし得でほぼ誤りないように思われる︒したがって︑問題は前述の第二の論点︑
すな わち
︑
﹁農民層分解﹂に関するリストの見解のうちにあるといえよう︒つぎに︑
その点ぞ少しく述べてみたい︒
︹ 注 ︺
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・也容・なお︑﹁直接に社会的な個人﹂の意味については︑マルクス﹁経済学批判﹂(﹁マルクス・エンゲルス選集﹂宮室︑大月書庖﹀一六頁︒﹁資本論﹂第一巻︑八一一一│八四頁︒邦訳︑第一部山一七九│一八O
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・マルクスのこの指摘は︑自由な私的所有H経営の発生が﹁共同体内分業]にもとづくも
のであるべきだという理論構想を示す点で重要である︒
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・叶∞﹁邦訳︑第一部上一七三頁︒この個所の意義をとくに強調されたのは︑安部隆一教授rt︑ であ る︒ 同氏
﹁﹁ 価値 論﹄ 研究
﹂︿ 岩波 書庖 )コ 一五 頁を 参照
︒
ハロ﹀けだし︑﹁資本論﹂努頭の﹁商品﹂は所与のものとして︑それ自体として分析されており︑それが﹁交換過程﹂に現われるときには︑ホト判︑わ﹁商品所有者﹂によって肝脊トかわ骨骨として扱われているのであるから︒したがフて︑﹁商品の発生史﹂
は論理上そ乙では前提されており︑﹁流通﹂の背後でおこなわれる過程なのである︒しかし︑﹁資本論﹂の叙述においてζ
の問
題が意識されていないというのではない︒むしろ︑逆である︒それについては︑たとえば︑﹁共同体﹂の問題が﹁資本論﹂で
は﹁商品生産および流通﹂(端的にいえば︑商品流通)に対比される地位を占める点に関する大塚教授の鋭い指摘を参照︒同氏﹁共同体の基礎理論﹂(岩波書庖ν
四頁
︒ ( 臼 ) ζ
の有名な論稿の副題が﹁資本関係の形成または原始蓄積に先﹁かわか過骨について﹂(傍点は引用者)となっていることは︑
当面の問題と関連させるときに︑司きわめて興味深いものがある︒なお︑本稿ではこの論稿を﹁綱要﹂所収のものから引用する︒
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掲書
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下︒
(叫山)本稿前節の叙述を参照︒初期においですでにリストは︑ヴュルテンベルクについてその側面を充分に認識していた︒
(げ)りストはその間の事情を﹁イギリスやアメリカ︑ノルマンディ!︑ブルケlユュ︑それからスイスの一一︑三の地方におけ
る旅路でその国々の農地の正しさを目見てはじめて︑わたくしはようやくこのとと︹土地整理の必要性︺を思い出し︑わたくし
の昔の見解の正しさを確信するようになった﹂(巧
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・邦 訳︑ 二一
O頁﹀と述べている︒
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の稀観本は松田智雄教授の御厚意で借覧するζとができた︒記して深謝したい︒もとより︑ここではモ1ゼルの論首の
とく一部分を紹介し得るにとどまる︒筆者の管見の範囲内では︑ブレンタlノが本蓄を引用しているだけである(我妻栄・四
宮和夫訳﹁プロシアの農民土地相続制度﹂︑有斐関︑一七一一員参照
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はヴュルテンペルクの農業を圧倒的に緊縛していたという︒﹁分別のある農業経営者ばこの封建的組織の廃止
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唱︒号自仏︑が土地細分化を防止する機能をもっていた点にひとつの歴史的
意義を認めた半面︑それがもはや当時吋では時代おくれのしろものであり早晩解体されるべきものであることを明瞭に認識して
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ていたとはいえ︑両者の問題視角は︑まったく異なっていた︒すなわち︑ぞlゼルは問題をもっぱら封建的土地所有の有償的
解放の面からのみ抱えており︑解放の結果にきわめて楽観的であるのに対して︑リストは単なる解放のままでは零細経営の一
層の蔓匙を惹き起す結果になることを痛く憂え︑その打開策を提唱し℃いるが︑その立場ははすぐれて生産力的であり︑特殊
ドイツ函内市場形成への理論的粛芽すら者取し得る︒だが︑ここでは両者ともに現状認識についてかなりの一致を示し︑当面
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吋σ白白血ーの解体の必要性を認める点でまったく同じいということは︑両者間に提携の共通基盤︑があることを指示しており︑ゐのりストに特徴的な﹁貴族との宥和的傾向﹂を理解する上に芯干の手がかりを与えてくれるように思われる︒
ハお)小林昇﹁フリiドリッヒ・リスト研究﹂四六頁以下︒問﹁経済学史研究序説﹂二六O
頁 ︒
ハ部)後段でたちいって検討するように︑ヮストのこうした点に関する認識は相当程度に当時のアメリカ農業事情に拠っている
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(幻)この論文は︑
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早稲田大学経済史学会編﹁英吉利経済史研究資料﹂第一一領収録のものに拠った︒引用頁数も︑したがって︑それのものである︒
なお︑最近ζのゲイが利用した一五一七l一九年および一六O七年の調査報告書に関する史料批判について︑小松芳香教授の
論文が発表された︒小松芳喬﹁第一次インクロウジヤ報告書の史料的価値﹂(﹁久保日明先博士還暦記念論文集﹂所収)参照︒
ただし︑本稿の問題とする点はそれによって左右されないことをつけ加えておく︒
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てスワア│スおよびマン女史の研究によれば︑一六世紀イングランドのランカシャl地方では早くよりこうした小農工ンクE
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リストの﹁農地制度﹂論における土地改革の構想は︑たびたび述べてきたように︑封建的諸負担と村落共同体から 農民(とくに零細土地保有農民)を解放して︑新たに四
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モルゲン(約一五1二五ヘクタール)程度の小・中
規模の近代的農場を多数創出する乙とにあった︒
﹁われわれの不断の確信では︑中・小経営が原別であって大経営と 零細経営とがその例外をなすような農地制度こそ︑代表制度にもまた農業経済的・国民経済的原理にも最もよく適合す る制度であり︑したがって土地の細分がいちじるしく行き過ぎた固においては︑立法と行政とは何よりもまず散在耕 閏制および村落共同体経済との適度の減少と農場経営の漸増的設定とを計らなくてはならない︒この方法によれば︑
零細経営の一一層の夢延を防ぐことができ︑
かっそれがすでは蔓延している場合には︑逐次にこれを中小経営に変える 乙とができるであろう﹂(傍点は原交)︒リストはこのような中・小規模の近代的農場制度
ζそは︑ドイツの近代化ぞさ
またげ︑近代的工業力の拡充を特殊に制約している基礎的要因である封建的な零細土地保有日経営の蔓延を解消し︑
農業生産力を根本的に近代佑する唯一の決定的方策であると考えた︒他面それはイギリス風のいわゆる﹁工場的に拡
ただちにわれわれの胸につ
大された農場﹂の実現をも防止するはずのものであった︒ところでそうだとするならば︑
ぎのような疑問︑すなわち︑いったいリストは彼の意図した中産的農民による農場制度が︑封建的土地所有と共同体組 織から解放されることによりいわば分割地所有範瞬に包摂される性格のものであるかぎりにおいて︑また︑それが同
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フリードリヒ・リストの﹁土地制度﹂論つ一
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一一 四 時に商業的経営を指向するものとして構想されているかぎりにおいて︑みずから階級分佑をとげつつ資本主義を生み だしていく歴史的役割を有していた史実を知らなかったのであろうか︑もしくは知っていてなお敢て無視したのだろ うか︑もしそうだとしたら︑それはどのような理由にもとやついていたか︑という疑問が浮びあがってこよう︒われわ れはいまその疑問について検討する前にリネトのこうした分割地農民の創出による農業の近代佑というヴィひョン
(シュムペlタ
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が ︑ 本稿における分析から︑われわれはこの発想の萌芽がすでに初期のヴュルテンベルクにおける農地制度に関する論文
いかなる根拠にもと*ついて発想されたものであるのか︑という点はすこしくふれておきたい︒
が自主的に市場に関係して︑ のうちにみられる乙とを知り得る︒そとではいちはやく六
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モルゲンの規模をもっ大農経営が着目されており︑それ いわば商業経営としての側面をも有している事実も留意されたのである︒また︑それとと もに︑大農経営は農村に必要な労働人口を確保する半面︑その過剰人口を国民的工業に欠乏している労働力の給源とな す︑それもすぐれた労働力である独立の手工業者を提供する意味で︑﹁あらゆる工業の礎柱﹂であり︑﹁国民的工業と 園内市場との存立条件﹂となるという認識も璃芽的なかたちであったにせよ︑たしかにみられたのであった︒だが︑
そのヴィひョンの核心が凝固するのは︑端的にいってアメワカの農業事情を観察したと司きであったと考えられる︒そ れはワストの﹁農地制度﹂論の行論のうちに看取されるのであって︑
つぎに若干その点の説明をしておきたい︒
まずリストは︑
いったい生産の共同体的組織である村落共同体と近代的な農場制度とのこつの体制が﹁農民の物質 的福祉と精神的発達とにどれほど異なる影響を与えるか︑かかる影響が人口の増加と文明の発展とにつれて次第次第
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にどういう変化を遂げるか﹂という問題について︑北アメリカの実例を引照しつつ説明を加えている︒それによる 之︑こうである︒最初の移住の場合は︑共同体をなして定住する方が孤立散在的な農場制度より透かに有利である︒