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民主的構築主義の選挙権年齢論

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民主的構築主義の選挙権年齢論

――一八歳選挙権は日本において適切か

蓮   見   二   郎

一  はじめに 二  これまでの選挙権年齢の規範理論三  民主的構築主義の議論

四  おわりに

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論 説

一   はじめに

( 1 )一八歳選挙権導入の経緯

選挙権年齢を一八歳に引き下げる改正公職選挙法が二〇一五年六月に成立し、翌年六月一九日より施行された。その結果、地方自治体では二〇一六年七月三日の福岡県うきは市長選挙から、国政では同年七月一〇日の参議院選挙から、それぞれ一八~一九歳の若者も選挙で一票を行使できるようになった。この一八歳選挙権の導入により、全国で新たに約二四〇万人(それまでの有権者総数の約二%)が有権者の輪に加わることとなった。この公職選挙法改正の直接の契機となったのは、二〇〇七年公布、二〇一〇年施行の日本国憲法の改正手続に関する法律(いわゆる「国民投票法」)である。国民投票法は、その第三条で国民投票の投票権年齢を一八歳以上と規定するとともに、附則第三条において、国民投票法施行までに公職選挙法の選挙権年齢等について検討し、法制上の措置を講ずる必要があるとしたことによる。それでは、そもそもなぜ国民投票法成立時に一八歳選挙権へ向けた動きがあったのか。二〇〇〇年に、小渕恵三首相の委嘱で設置された「二一世紀日本の構想」懇談会の最終報告書「日本のフロンティアは日本の中にある」が一八歳選挙権の導入を求めていた とは言え、当初から一八歳選挙権に関心を持っていたのはどちらかと言えば自民党よりもそれ以外の政党の側であった。例えば、二〇〇〇年に設立され、菅直人の息子である菅源太郎が二〇〇六~二〇一二年に代表理事を務めていた特定非営利活動法人Rightsが、選挙権・被選挙権年齢の引下げを求める運動を行っていた。民主党、公明党、共産党、社民党は、自民党の国民投票法の対案として、一八歳選挙権(場合によっては一六歳選挙権)とする法案を提出していた 。また、民主党は与党時代の二〇一〇年に参議院、二〇一二年に衆議院に提出した民法の成年年齢の引下げ等に関する法律案の第四条で、公職選挙法を改正し一八歳選挙権を導入することを

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求めている 。このように二〇〇〇年代に入って一八歳選挙権を求める政治的動きが高まる中、二〇〇七年に、自民党は国民投票法の成立へ向け民主党の賛成を得るための妥協策として、一八歳投票権を盛り込んだという経緯があった。若者の政治的権利の拡大というこの流れは、一八歳選挙権が実現した後、さらに一八歳被選挙権を求める動きとなって現在まで続いている。自民党は、近年の若者からの支持率の高さを背景に、被選挙権年齢も一八歳に引き下げることについて既に検討を開始している 。また、超党派の若者政策推進議員連盟が被選挙権年齢の一八歳への引下げを提言している ばかりではなく、立憲民主党・国民民主党・社民党と一部無所属議員との共同で、被選挙権年齢を各々五歳ずつ引き下げる法案が提出されている

( 2 )一八歳選挙権導入の意義

  二〇〇五年に決定された一八歳選挙権導入は、戦後の一九四五年に婦人参政権の実現とともに二五歳から二〇歳に引き下げられて以来、七〇年ぶりに行われた選挙権年齢の変更である。ここでは、このことの意義の大きさについて端的に、選挙権拡大の歴史が社会科・公民科の教育の中で必ず取り上げられる教育内容であり、今後、一八歳選挙権の導入が教科書や参考書に掲載され、全ての子供達が学習する事項となる程に、歴史的・社会的な意義があることを指摘しておきたい 。これは今後、日本における民主主義深化の歴史の一コマとして繰り返し参照されることになる程に、歴史的な意義を持つ大きな法改正なのである。選挙権の拡大が、なぜそれほど歴史的に意義のあることなのか。それは、選挙権の範囲が、主権者の実質的な範囲を規定するという点で、政治体制の最も基本的な構成のあり方(その意味でのconstitution)に関わるものだからである。しかも、誰が主権者なのかは、単に政治体制に関わるというだけではなく、その最重要の論点の一つとすら言える。こ

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論 説

のことは、例えば、アリストテレスの有名な国制の六分類の議論を振り返ってみると明らかである。アリストテレスは最善の政治体制を議論するにあたり、「国制と国民団とは同一の意味をもち、国民団は国の主権者であり、そして主権者は一人か少数の者か多数の者かであるのが必然である」 と述べていた。アリストテレスが問題にしていた主権者の数は、一人(君主制)か、少数(貴族制)か、多数(民主制)かという大まかな違いであって、民主主義下での選挙権年齢のようなどれだけの多数かについてまで議論したものではなかったが、正しい国制か逸脱した国制かという第一の基準の次に、主権者の数という基準を取り上げていたことがここでは注目に値する。また、『ザ・フェデラリスト』においても、下院の有権者資格を各州の規定に合わせるとした合衆国憲法草案を擁護する文脈において、「選挙権の定義は、共和政体のもつ基本的な条項のひとつであると正当に理解されている」 と述べられている。ここでの共和政体とは、派閥支配に陥りがちな直接民主主義とは区別された議会制民主主義の政治形態を指している。したがって、この記述は、有権者資格をどう定義するかが議会制民主主義における基本法的な性格を有していることを明確に指摘した箇所なのである。このように、誰が主権者であるのか、選挙権者の範囲はどこまでなのかは、政治体制を規定する基本的な問いであり、このことはアリストテレスやフェデラリストに見られるように、政治学の古典の中でも明らかに認識されてきたものである。

( 3 )本稿の目的

それではいったい、選挙権年齢を何歳からと設定すべきなのか。今回の日本の選挙権年齢引き下げにあたり、この問いが十分に検討されたかどうかは実のところ大変疑わしい。衆参両議院の委員会審議において一八歳選挙権の問題は、選挙権年齢を巡る憲法問題というよりも立法政策上の問題として扱われ、「なぜ一八・一九歳のそれまで選挙権を持つ

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ことができなかった者が選挙権を持つことができるのか、そもそも一七歳以下はなにゆえ選挙権を制限されるのかについては言及されなかった (1

」のである。こうした事情は、日本におけるこの問いに関する学問研究という点でも同様である。選挙権年齢について、我が国を含む各国の法令上の状況、法案審議時の議論、年齢変更時の論点、憲法上の論点などを整理したものは少なくない ((

が、規範理論として選挙権年齢を何歳に設定すべきかを正面から論じたものは必ずしも多くない。そうした中、日本における議論で注目されるのは、憲法学者の大岩慎太郎の議論である。大岩は、日本の最高裁が選挙権を制限する際に「やむを得ない事由」が必要であると判示していることを受け、選挙権の年齢制限において正当事由とは何かを問う。この問いに対して大岩は、政治的判断能力では正当事由たりえないことを示した上で、「ある一定年齢までの『経験』」ではないかと示唆する (1

。確かに、一定年齢までの経験を根拠とすれば、一定の年齢をもって選挙権資格の有無という線引きを行うことが正当化可能になるが、その経験があくまでも「一定年齢まで」のものである限り、このような主張は同語反復と言わざるを得ない。そこでの経験の内実は、その年齢にならなければ得られないものであるのか、また、その年齢になれば必ず得られるものであるのかといった点について、直ちに疑問が湧くためである。このように、選挙権年齢の規範理論について、いまだ十分に満足いく回答は見つかっていない。そこで、本稿では、選挙権年齢を何歳からとすべきなのかについて、規範的な政治理論の立場から考察を試みたい (1

。そのために以下では、第二節でこれまで選挙権年齢の論拠とされてきた議論を批判的に検討する。この検討を踏まえ第三節では、これまでの論拠を組み合わせた議論である民主的構築主義の選挙権年齢論を提唱する。第四節では、本稿の民主的構築主義の立場から、日本の一八歳選挙権の導入についてどのように評価できるかを検討した後、ここでの議論が持つ教育への含意について触れる。

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論 説

二   これまでの選挙権年齢の規範理論

  選挙権年齢をいったい何歳に設定すべきなのかという問いに対して、これまでの答えは個人レベルでの論拠と社会レベルでの論拠との二つに大別することができ、それぞれがまた複数の種類に弁別可能である。ここで、個人レベルでの論拠とは、選挙権者個々人の享受しうる利益を根拠とするものであり、社会レベルでの論拠とは、個々人ではなく、個人を超えた社会全体の利益を根拠とするものである。本節では、それぞれのレベルでの議論を批判的に検討していきたい。

( 1 )個人レベルでの論拠

  個人レベルでの論拠には、少なくとも次の六つの議論がある。第一に権利からの議論、第二に能力からの議論、第三に承認からの議論、第四に影響からの議論、第五に対価からの議論、第六に統治責任からの議論である (1

。これら六つの議論を順に見ていこう。

  権利からの議論とは、一定の権利を持つ者全てに選挙権を付与すべきというものである。つまり、もし一八~一九歳の若者が基本的な政治的権利を持つのだとしたら、彼らに選挙権を付与すべきという議論である。もっともこの議論は、権利を持つ者が選挙権を持つという同語反復であり、彼らがなぜ権利を持つのか、誰が選挙権を持つ者なのかについてさらに遡及的に検討する必要が生ずる。但し、この命題を冒頭で掲げることにも、一定の意義が存在しなくはない。というのも、民主主義が全ての国民の平等な政治参加を前提としているのであれば、ある一定年齢未満の者に選挙権を付与しないことは、民主主義が前提としている重要な政治的権利を制約しており、ある一定年齢以下の者には選挙権を付与しないことにこそ論証の責任が課されることになるからである。この点について、先に触れた通り日本の最高裁も、

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在外邦人の選挙権に関する訴訟の文脈で、選挙権を制限するためには「やむを得ない事由」が必要であるとしている (1

  能力からの議論とは、選挙権者に求められる何らかの能力の有無を基準にして選挙権年齢を決定するものである。これに従えば、一八~一九歳の若者に選挙権を付与すべきか否かは、選挙権者に必要な例えば知識や政治的判断力のような能力を有するか否か次第だということになる。これは、選挙権年齢の議論を行う際に、我々の直観に最も適った議論ではある。なぜなら、例えば、三歳の子供本人 (1

に選挙権を与えようという主張に到底賛同を得られそうにもないのは、三歳の子供では、どんなに成長が早くとも、どんなに知的能力に優れていようとも、選挙での投票に必要な能力を誰も明らかに持ち合わせないと考えられるからである。このように我々の直観に適う部分があるため、能力からの議論は、選挙権年齢を検討する際の重要な論拠になりうる。しかしながら、能力からの議論だけでは、例えば、高齢者、障害者、外国人など、認知能力や言語力のようなある種の能力に欠けていたり、劣っていたりする人が潜在的に含まれうる集団の選挙権を論ずる際に、困難を来たすことになりかねない (1

。というのも、そうした人々が、ある能力に欠けていたり、劣っていたりするがために、選挙権を剥奪されかねないからである。歴史的に見れば、アメリカで奴隷解放後も黒人を選挙から実質的に排除するために、試験を行うなどの差別的手段が取られていたことがあった。また、選挙権者に求められる能力として何を措定するのか(知識か、判断力か、責任感か、道徳かなど)、また、それをどのように測定するのかについても大きな困難が付きまとっている (1

。さらには、選挙権年齢を単独で検討するのではなく、必要であれば教育により有権者の能力を高めることで補完するとの議論と一緒に検討する場合には、現状の若者の能力を前提に議論することが困難になる可能性があるという問題も抱える (1

  承認からの議論とは、当該政治共同体の正統な構成員であると認められる者に選挙権を付与するというものである。その意味でこの議論は、構成員資格(メンバーシップ)からの議論とも言い換えることが可能である。この承認からの議論に拠れば、一八~一九歳に選挙権を付与するか否かは、彼らを日本社会の正統な構成員として承認するか否かに掛

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論 説

かっていることに他ならない 11

。これは、正統な構成員のみを政治共同体の内部に配置し、それ以外の者を政治共同体の外部に位置付けるものであり、例えば、公職選挙法違反以外の受刑者が選挙権を停止されることや、外国人に選挙権を付与しないなどといった状況を想定すると、現実的な説得力を持ちうる議論である。また、民主主義社会では、主権者たる選挙権者の範囲も結局は民主主義の政治過程により決定することになる点で、承認からの議論は民主的決定に親和的であると言うこともできる。しかしながら、この議論もまた、正統な構成員をどのように定義するのかという点で、さらなる議論が求められることになる。

  影響からの議論とは、決定の影響を受ける者に選挙権を付与するという考え方である。近年、この種の議論は、ステークホルダー・デモクラシー論と呼ばれることがある 1(

。この議論に基づけば、一八~一九歳に選挙権を付与するか否かは、彼らが当該選挙とその結果選ばれる議員の決定の影響をどれだけ受けるかにより判断すべきことになる。この議論は現実でも、例えば、日本に在住する外国人居住者も日本の政治的決定の影響を受けるのだから選挙権を与えるべきだとか、佐賀県にある玄海原発が事故を起こせばその影響は福岡県にも及ぶから福岡県民にも玄海原発に関する投票に参加させるべきだとかといった形で用いられることがある。ただし、この議論は、どのような影響を選挙権付与にあたって考慮すべきなのか、またその影響をどのように測定すればよいのかなどの論点について、やはり難しい問題が生じてしまう。

  対価からの議論とは、何らかの行為を行ったり、何らかの責任を果たしたりすることの対価として、その人々に選挙権を付与するというものである。この議論を用いると、一八~一九歳に選挙権を付与すべきなのは、彼らの取る何らかの行為や責任の対価としてであるということになる。ここで何らかの行為・責任として挙げられるのは、伝統的には直接税の支払いである 11

。「代表無くして課税なし」という有名なフレーズは、税金を払っているのだから議会に代表を送らせてくれというもので、すなわち、議会に代表を送る権利が納税の対価であることの端的な表現とも言える。そうした古典的議論に限らず現代の議論においても、例えば、労働や中等教育(高等学校)の卒業 11

、兵役 11

(日本の文脈では自

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衛隊への入隊)などが指摘されることがある。この対価からの議論は、分かりやすい議論であるとは言え、その急所は、選挙権が何かの対価であるという論理構成そのものにある。そもそも選挙権のような政治的権利が何かの対価であってよいのかという点で、重大な疑義がある。なぜなら、この議論を認めると、一定の対価を払っていない、つまりは何らかの義務を果たしていない者には、選挙権を認めなくて良いという主張を導く恐れがあるためである 11

。政治的権利を論ずる際に権利が義務の対価であることを強調する議論は、政治的権利が誰であれ万人の持つものであることを前提とする民主主義や近代の人権思想とは相性が悪い。

  統治責任からの議論とは、当該政治共同体の統治に責任を持つ年齢の者に選挙権を付与すべきという議論である 11

。この考えを取れば、一八~一九歳に選挙権を付与するとすれば、彼らがこの政治共同体に責任を持つ年齢だからであるということになる。こうした統治責任からの議論は、一人の有権者が一つの選挙区でのみ投票でき、他の選挙区では投票できないことや、それぞれの国民が自国の選挙にのみ投票する権利を持ち、他国の選挙で投票する権利を持たないといった、選挙区の責任分担・役割分担論を主張する際などには、有用な議論である。しかしながら、選挙権年齢を考える際には、なぜその年齢を境に統治責任が生ずるのかについて、権利からの議論や承認からの議論と同様に、さらなる論証が必要となる。

( 2 )社会レベルでの論拠

  社会レベルでの論拠には、少なくとも次の三つが考えられる。第一に帰結からの議論、第二にプロセス(過程)からの議論、第三にトレンド(潮流)からの議論である。これも順に検討してみよう。

  帰結からの議論とは、選挙権年齢を決定する際には、それが良い決定をもたらすか否かという帰結に依拠すべきとす

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論 説

る議論である。この考えに則れば、一八~一九歳に選挙権を付与すべき根拠は、それが最も良い決定を導く、あるいは少なくとも、二〇歳以上にするよりも良い決定をもたらすからであるということになる。この種の議論の変種として、「シルバーデモクラシー」に対抗するために、若者の投票参加を拡大させるべきだ 11

とか、英国のEU離脱を巡る国民投票や大阪市の都構想を巡る住民投票などの際に一部で主張されたような、若者の選挙権を引き下げていれば〝非合理的〟な投票結果を回避できたとかといった類いの主張も、ここに含めることができよう。この帰結からの議論は、既に上で触れた能力からの議論とも関連している。すなわち、選挙権者に何らかの能力を求めるのは、一般的に、それが良い選挙結果に結びつくと考えるためだからである。例えば、能力からの議論において、能力の無い人々に選挙権を付与すべきでないのは、それが政治的混乱とか、国民にとって好ましくない政策が取られるとかといったような、悪しき帰結をもたらしてしまうからである。このことからも分かる通り、帰結からの議論もやはり、良い帰結とは何かという帰結の内容決定問題やその測定問題の点で困難を抱えていると言わざるを得ない。

  プロセス(過程)からの議論とは、例えば民主主義の活性化とか、支配の正統性を高めるとかといったような、選挙で誰が選ばれるかという帰結に寄らず、選挙のプロセスそのものが望ましいものとなるような年齢で選挙権年齢を定めるべきだというものである。その意味では、手続き的正義からの選挙権年齢論と言うこともできよう。一八歳選挙権の導入にあたっても、例えば、若く新しい有権者の参入により、民主主義が活性化するという論拠が指摘されることがある 11

。しかしながら、そもそも民主主義の活性化にしろ、支配の正統性にしろ、こうしたプロセス的価値の根拠は、必ずしも自明のものと言えない。それに加え、プロセス的価値として挙げられるものには抽象的なものが多いことから、どの年齢にすれば選挙のプロセスとしてそうした価値が実現し最善になるのかについて、経験的な判断を行うことも困難である。

  トレンド(潮流)からの議論とは、諸外国や時代の風潮といったトレンドを根拠に、選挙権年齢を決定するものである。例えば、海外の多くの国々が選挙権年齢を一八歳にしているからという議論が、この典型である。実際のところ、

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二〇一五年の国会図書館の調査によると、一九九の国・地域のうち、下院(二院制の場合)の選挙権年齢を一八歳以下としているのが一七六の国・地域であり、そのうち一七歳としている国も三か国、一六歳としている国も六か国あり、逆に二〇歳としている国は四か国、二一歳としている国は八か国しかない 11

。したがって、このトレンドによる議論を認めれば、世界の趨勢は選挙権年齢を一八歳以下にするものであることから、一八歳選挙権の十分な根拠にはなる。しかしながら、なぜ諸外国や時代のトレンドに合せる必要があるのだろうか。もしそれが他の論拠に照らして望ましいものであれば合わせる必要があろうが、トレンドに合せることそのものの正当化論拠が示されない限り、この議論単独では理論として説得力に欠けることとなる 11

三   民主的構築主義の議論

  以上の個人レベルでの論拠と社会レベルでの論拠とを踏まえ、本稿では民主的構築主義と呼びうる立場を提案したい。第二節で検討したように、個人レベルの六つの議論、社会レベルの三つの議論、それらのどれもが選挙権を検討する際に、確かに一部に説得力を持つ議論射程があるものの、選挙権年齢の規範理論として少なくとも単独では十分な説得力に欠けることもまた分かった。そこで、ここでは、これらの議論の多くを整合的な形で組み合わせることにより、これまでより説得力のある選挙権年齢の規範理論の提示を試みたい。まず、我々の民主主義社会では、普通選挙制度として、全ての国民に統治主体としての選挙権が付与されるのが原則であり、この原則は治者と被治者の同一という民主主義の要請である点で、例外や制限を設ける場合にこそ厳格な根拠を必要とすべきものである(権利からの議論、責任からの議論)。この点で、日本の最高裁が、選挙権の制限に「やむを得ない事由」を求めるという立場は、首肯できる。ここで、プロセスからの議論を考慮しても、できるかぎり多くの国民に選

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論 説

挙権を付与することが民主的正統性の観点から好ましいし、できるかぎり多くの国民が選挙権を有していた方が民主主義の活性化という観点からも好ましい。以上の議論で、能力にしろ、権利にしろ、責任にしろ、正統性や活性化といったプロセスにしろ、個人個人でその度合いを測ったり、度合いを差別化したりすることが極めて困難なことから、ある集団としてのまとまりで擬制することで、その程度の違いを細やかな形で実現することは断念せざるを得ない。この集団としての擬制は、可能な限り平等でかつ恣意的な判断の混入しないものであることが好ましい。なぜなら、選挙権が民主主義社会の基礎を成す基本的な権利であり、恣意的な判断によって左右されることが生じては、民主主義の基礎が掘り崩される危険性があるためである。この観点からすると、年齢は誰にとっても平等な可能性を持ち、恣意的な判断の余地の極めて少ない集団属性である。もちろん、年齢以外にも、例えば、中学校や高等学校の卒業という教育をもって擬制することも可能性としては考えることはできる 1(

。能力からの議論を念頭において考えると、教育歴はある種の能力の証明になりうることから、能力論の欠点を補う可能性がある点では、教育歴による擬制も魅力を持つ。しかしながら、一年に一度の一斉入学・一斉卒業を行う限り、平等性については年齢よりも劣ってしまう。また、卒業の判定に人による判断が入り込む余地があるため、恣意性という点でも年齢より劣ることになる。したがって、年齢集団によって選挙権を区切ることには、他の基準で区切ることと比較してより高い合理性があると言えよう。

  次に、具体的にどの年齢集団で選挙権年齢を区切るべきかを考えてみよう。まず、ここで影響からの議論を吟味すると、特定の年齢の者だけが政治的決定一般の影響を受けないという事態は想像できない。赤子であれ、年配者であれ、政治的影響が、それぞれの年齢を対象範囲に入れた福祉政策に限らず、様々な政策において及ぶことは否定できない。そうだとすると、影響からの議論によって選挙権年齢を決定することは難しい。そこで、能力からの議論を検討してみよう。例えば、三歳の子供本人に選挙権を付与することには全く説得力がない。その一方で、民主主義を前提にする限り、ある一定年齢以上の大人であれば万人に選挙権を付与することに異論はない。このことは、選挙権年齢を考える際に、政治的判断

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力のような何らかの能力を我々が想定しており、この想定が我々の直観に強く訴えるものであることを意味している。そうであるとすれば、能力からの議論を全く無視することはかえって好ましくないと言える。しかしながら、そのように、ある一定の年齢を以って選挙権の線引きをすべきことが明白であったとしても、その線を何歳に設定すべきかについては、必ずしも明白ではないし、その年齢について全ての人の間で意見の一致を見ることも難しいように思える。この隙間を埋めるためのヒントは、承認からの議論に求めることが出来る。承認からの議論とは、政治共同体の正統な構成員資格を認められている者に選挙権を付与するというものであった。我々が民主主義社会に住む以上、民主的な手続きに従った決定にまずは信頼を置くべきである。民主的な決定によってある年齢集団に正統な構成員資格を与えたのであれば、その決定に一定の尊重を行う必要性がある。

  しかしながら、承認の範囲が間主観的な合意にのみ依拠するのであれば、極めて心許ない土台に立脚した議論となってしまう。その理由として、ひとつに、民主的な決定を行うにはあらかじめその決定を行う資格を与えられた者、すなわち選挙権者の範囲が確定していなければならないからである。また、民主的な決定の全てが合理的な決定であるという保障がないことも、その理由となろう。したがって、こうした循環論法や不合理な決定を防ぐための予防措置として、承認の範囲を民主的に決定するにあたっては、諸外国の潮流を参照すべきである(トレンドからの議論)。これは、諸外国の例にそのまま倣うべきだからでは全くない。むしろ、諸外国で行われている事例を参照し、多くの国で大きな支障が生じていない年齢であることが確認できれば、民主的な承認の根拠としてより信頼を置くことができるからに過ぎない。つまり、ここでの議論は、承認からの議論単独のような完全な間主観的合意だけでもなければ、能力やトレンドなどからの議論のような完全に客観的な基準だけで決定するのでもなく、両者の均衡点に選挙権年齢の根拠を見出すべきであるとするものである。民主的な決定を主観主義と客観主義との間を行き来させるという意味で、ここで提案する議論は、民主的構築主義と呼ぶことができよう。

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論 説

四   おわりに

  本稿では、選挙権年齢を何歳と設定すべきかとの問いに対して、まずは全ての国民に選挙権を付与することを原則とし、例外的に付与しない者は年齢集団によって能力や承認の範囲を擬制すべきであり、その範囲は諸外国の例などを参照しながら民主的に決定すべきであるとの回答を与えた。この民主的構築主義の立場を取ると、諸外国の九割以上の国が選挙権年齢を一八歳またはそれ以下に設定して数十年が経っていても、その間にこれが大きな問題をもたらしたとの証拠はないこと、また、一八歳選挙権が日本の通常の正統な民主主義的過程を経て議決されたことから、今回の一八歳選挙権導入はおおむね妥当であると評価することが可能である。なお、この立場からすると、未だ諸外国でも評価の定まっていない一六歳選挙権や一八歳被選挙権については、一八歳選挙権に比してより慎重な判断が求められることになり、これも日本においては多くの人々の直観に適っているものと考えられる。また、年齢ではなく教育によって集団の擬制を行うことについては、諸外国を見てもあまりその例が無いことから、導入する場合には年齢よりも高い慎重さが求められることになろう。

  この民主的構築主義においては、ある年齢集団の総体に選挙権を付与する擬制を行ったが、この点については有権者の現実の姿と大きく異なっているとの批判が可能であろう。どのように考えても、実際の有権者の能力に大きな個人差があることを否定することは難しいからである。そのため、民主的構築主義の立場を取ったとしても、少しでも多くの人々が主権者として良い投票ができるように能力の発達を促そうとしたとき、そこに教育(主権者教育、政治教育、シティズンシップ教育)の役割が発生することになる。但し、ここで求められる教育の具体的な姿はと問われると、回答することは必ずしも容易ではない。例えば、J・S・ミルは、読み、書き、算数を中心とし、それらに加えて「地球の構造、その自然的・政治的区分、一般史および自国の

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歴史と諸制度の初歩、これらについてのいくらかの知識 11

」を要求しており、そのために普通教育が普通選挙に先行すべきであるとしていた。これらは、主に小学校レベルの教養である。英国のクリック・レポートの提案したシティズンシップのカリキュラムは、第一に道徳的・社会的責任、第二に共同体への参加、第三に政治リテラシーの三つの「撚り糸」で構成されたものであった 11

。日本でも二〇一八年に公示された学習指導要領において、高等学校の「現代社会」に替えて新科目「公共」が設置されることになっている。この「公共」は、A公共の扉、B自律した主体としてよりよい社会の形成に参画する私たち、C持続可能な社会づくりの主体となる私たちの三つの部分で構成されている 11

。クリック・レポートも新科目「公共」も、基本的には中学校・高校レベルでの学習内容である。選挙権者に必要な能力として何をどのレベルまで教育で求めるかについては、今後さらに議論を深めていく必要がある。

※本稿は、九州法学会第一二一回学術大会シンポジウム「シティズンシップ論から見た選挙権年齢の規範理論と有権者教育論」(二〇一六年六月二六日)の口頭報告と、それに基づくシンポジウムの報告(『九州法学会会報』二〇一六年、六五-六九頁)、九州大学=亜洲大学学術シンポジウム(二〇一八年一二月五日、亜洲大学、韓国・水原市)の口頭報告に、加筆・修正したものである。また、本研究にあたっては、科学研究費補助金(25245080, 26285028, 26282054, 18H01055, 17H01030, 16K04652, 15K04239)並びに九州大学QRプログラムによる支援を受けた。

(1)「二一世紀日本の構想」懇談会著、河合隼雄監修『日本のフロンティアは日本の中にある―自立と協治で築く新世紀』講談社、二〇〇〇年。Retrieved on 2 Dec 2018 from the WWW: https://www.kantei.go.jp/jp/21century/(2)宮下茂「選挙権年齢及び民法の成年年齢等の引下げ問題―国民投票の投票権年齢を一八歳以上とすることに伴う引下げ」『立法と調査』二〇〇九年七月、二九四号、六四頁。(3)民主党「成年年齢の引下げ等に関する法律案」。(二〇一〇年一〇月二六日) Retrieved on 25 June 2016 from the WWW: http://

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論 説 archive.dpj.or.jp/news/?num=11295(4)「自民、被選挙権年齢引き下げの検討に着手」『日本経済新聞』二〇〇六年一一月二二日。Retrieved on 2 Dec 2018 from the WWW: https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS22H3G_S6A121C1PP8000/(5)「若者議連  被選挙権年齢引下げ提言」『毎日新聞』二〇一八年一一月二九日。Retrieved on 2 Dec 2018 from the WWW: https://mainichi.jp/articles/20181129/ddm/005/010/052000c(6)立憲民主党「政治改革関連三法案提出  より透明性の高い、参加しやすい政治の実現へ一歩」二〇一八年一一月二二日。Retrieved on 2 December 2018 from the WWW: https://cdp-japan.jp/news/20181122_1100(7)下表  日本における選挙権拡大の歴史(8)アリストテレス『政治学』(山本光雄訳)岩波書店、一九六一年、1279a。(9)A・ハミルトン、J・ジェイ、J・マディソン『ザ・フェデラリスト』(斎藤眞・中野勝郎訳)岩波書店、第五二篇、二四六頁。(

( 五八号、二〇一七年、一二一頁。 10 )大岩慎太郎「選挙権と年齢制限」『福島工業高等専門学校研究紀要』第 検討―一八歳選挙権をめぐる憲法上の諸問題」『法学セミナー』第六二巻第 教室』二〇一六年七月、四三〇号、四四―四九頁。斉藤一久「憲法からの 二本柳高信「一八歳選挙権―選挙権年齢を法律で決めることの意味」『法学 二月、七七九号、国立国会図書館調査及び立法考査局、一四五―一五三頁。 貴「諸外国の選挙権年齢及び被選挙権年齢」『レファレンス』二〇一五年一 点~」『立法と調査』二〇一一年一二月、三二三号、五四―六六頁。那須俊 民投票の投票権年齢一八歳以上と選挙権年齢等~検討するに当たっての視 及び立法考査局。宮下茂、前掲論文、六〇―八二頁。宮下茂「憲法改正国 成人年齢引下げの経緯を中心に』二〇〇八年一二月、国立国会図書館調査 11)例えば、以下がある。佐藤令ほか『主要国の各種法定年齢―選挙権年齢・

選挙法の 公布年

総選挙の 実施年

有権者数(全人口に占める

有権者の割合) 有権者の資格

1989年 1890年 45万人 (1.1%) 直接国税15円以上納める25歳以上の男子 1900年 1902年 98万人 (2.2%) 直接国税10円以上納める25歳以上の男子 1919年 1920年 307万人 (5.5%) 直接国税3円以上納める25歳以上の男子 1925年 1928年 1,241万人 (20.0%) 25歳以上の男子(男子普通選挙)

1945年 1946年 3,688万人 (48.7%) 20歳以上の男女(男女普通選挙)

2015年 2017年 1億660万人 (84.0%)* 18歳以上の男女

* 2016年参院選有権者数が1億660万408人(時事通信「有権者数、過去最多の見込み=『18 歳 』 が 押 し 上 げ【16参 院 選 】」JIJI.COM、2016年 6 月22日、Retrieved on 25 June 2016 from the WWW: http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062200970&g=pol)、2016年6月1 日時点での推計人口(概算値)が1億2696万人(総務省統計局「人口推計:平成28年6月報」

Retrieved on 25 June 2016 from the WWW: http://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/201606.

pdf)より、筆者計算。

(17)

一号、七四四号、一〇―一四頁。なお、宮下、前掲論文は、選挙権年齢引下げの検討にあたり「能力と世論」を最小限必要な視点であると短いながら記述している(六三―六四頁)。(

( 12)大岩、前掲論文、一二四頁。

( Folkes, ‘The Case for votes at 16,’ Representation: Journal of Representative Democracy, vol.41(1), 2004, pp.52-56. the voting age be lowered to sixteen?: Normative and empirical considerations,’ Political Studies, vol. 54(3), 2006, pp.533-558. Alex People’s Human Rights and the Politics of Voting Age, Dordrecht: Springer, 2011. Tak Wing Chan and Matthew Clayton, ‘Should et al., ‘Voting at 16: Turnout and the quality of vote choice,’ Electoral Studies, vol.31(2), 2012, pp.372-383. Sonja C. Grover, Young minimum voting age,’ Critical Review of International Social and Political Philosophy, vol.16(3), 2013, pp.439-458. Markus Wagner, age in Australia: Evaluating the evidence,’ Australian Journal of Political Science, vol. 49 (1), 2014, pp.68-83. Philip Cook, ‘Against a age,’ University of Pennsylvania Law Review Online, vol.165, 2017, pp.63-72. Ian McAllister, ‘The politics of lowering the voting lowered to 16,’ Politics, Philosophy & Economics, vol.17 (3), 2018, pp. 277-297. Joshua A. Douglas, ‘In defense of lowering the voting Tommy Peto, ‘Why the voting age should be 挙げた個人レベル、社会レベルの論拠のいずれかに帰着する。例えば、以下を参照。 13)近年の英語圏における議論は、一八歳から一六歳への選挙権引下げに関するものがほとんどを占めるが、それらも本稿第二節で

( 得た。記して感謝したい。 つの票配分原理」日本公共政策学会(二〇一六年六月一一日、日本大学法学部三崎町キャンパス)の口頭報告より大きな示唆を 14)この部分での議論にあたっては、票の平等の論拠を能力原理・影響原理・承認原理・担当原理の四つに分類する、瀧川裕英「四

( びに四四条ただし書に違反するといわざるを得ない。」(最大判平成一七年九月一四日、民集五九巻七号二〇八七頁) 事由があるとはいえず、このような事由なしに国民の選挙権の行使を制限することは、憲法一五条一項及び三項、四三条一項並 確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合でない限り、上記のやむを得ない むを得ないと認められる事由がなければならないというべきである。そして、そのような制限をすることなしには選挙の公正を 権について一定の制限をすることは別として、国民の選挙権又はその行使を制限するためには、そのような制限をすることがや 15)在外日本人選挙権剥奪違法確認等請求事件の最高裁判決の以下の部分を参照。「自ら選挙の公正を害する行為をした者等の選挙 光恒・蓮見二郎訳『「アジア的価値」とリベラル・デモクラシー』風行社、二〇〇六年、一八九頁)。同じく、子供の利益を代弁 West: Human Rights and Democracy in Asia, Princeton: Princeton University Press, 2000, pp.189-190(ダニエル・A・ベル、施 D. A. Bell, East Meets の者は子供のことも考えて投票する可能性が高いことから、二票を与えるべきだとの提案を行っていた( 16)ここで、「本人」は強調すべき点である。例えば、シンガポールの首相であったリー・クアンユーは、家族を持つ四〇才以上

(18)

論 説

して親が投票できるようにすべきであるとするものに、Stephan Wolf, et al., ‘Votes on behalf of children: A legitimate way of giving them a voice in politics?,’ Constitutional Political Economy, No.26, 2015, pp.356-374.(

( 『自治実務セミナー』二〇一五年一〇月(第六四〇)号、第一法規、四頁。 うかは選挙人資格の要件たり得ないものとなったと解すべき」だからと述べる。戸波江二「憲法と選挙権、そして一八歳選挙権」 体が不合理であるというべき」とする。なぜなら、「『成年者による普通選挙』が確立した段階で、『政治的判断能力を欠く』かど 17)例えば、戸波江二は、成年被後見人への選挙権付与に関連して、「そもそも政治的判断能力を欠く者に選挙権を与えないこと自

( 岩波書店・一九二九年年(原著一九二一年)、八四頁) 長所を有する者と、その社会の他の者との間に限界線を画するを得ない。」(J・ブライス『近代民主政治第一巻』(松山武訳) ある。智能、知識、及び市民的義務感情は欠くべからざる三要件である。けれどもこれを考査すべき方法が存しない。これ等の 理が承認された事よりも、寧ろ人の投票に対する適否を決定する、実際に行われ得べき標準の存しない事により多く存するので 18)例えば、「主として選挙権の拡張に向けられた政治的平等に関する闘争に於て、平等主義者の見解が勢力を得た原因は、その原

( Journal of Youth Studies, Vol. 16(8), 2013, pp.1084-1104. Zeglovits & Martina Zandonella, ‘Political interest of adolescents before and after lowering the voting age: The case of Austria,’ of 16- and 17-year-olds?: Finding from the 2011 Norwegian voting-age trial,’ Electoral Studies, Vol. 32(1), 2013, pp.90-100. Eva Elections, Public Opinion and Parties, vol.24(3), 2014, pp.351-361. Johannes Bergh, ‘Does voting rights affect the political maturity more inclined to vote at 16 than at 18?: Evidence for the first-time voting boost among 16- to 25-year-old in Australia,’ Journal of Eva Zeglovits & Julian Aichholzer, ‘Are people は論争がある。一八歳から一六歳に下げた場合について、例えば以下を参照。 19)もっとも、選挙権年齢を引き下げた場合に、新たに選挙権を得た世代の政治的成熟度や政治的関心が高まるか否かについて

( 二一七頁)。ただし、ライヴリーはこの直後で、「成熟」や「社会的義務」という言葉も使用している点には、注意が必要。 ど全面的にこの型の議論に依拠している」(J・ライヴリー『デモクラシーとは何か』(櫻井陽二・外池力訳)芦書房、一九八九年、 よって示される。投票権を二十一歳より下に引き下げようとする、一般的な、そしてまた、多くの場合成功した圧力は、ほとん 20)例えば、「社会的存在の承認としての投票権という思想がもつ力を示す、おそらくより適切な例は、近年の投票年齢の引下げに

( 鐸社、二〇一六年、三五六―三七五頁。 21)松尾隆佑「影響を受ける者が決定せよ―ステークホルダー・デモクラシーの規範的正当化」『年報政治学』二〇一六―Ⅱ号、木 とを、無視することはできない」と述べる(『憲法講義I〔第三版〕』有斐閣、二〇一四年、八五頁)。 22)現代でも、例えば、憲法学者の大石眞は、「納税義務を果たしながらも、代表選出権をもたない勤労青年層がかなり存在するこ

(19)

( kenpou/186-05-08.htm Retrieved on 2 Dec 2016 from the WWW: http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/平成二六年五月八日。 査会、第一八六回国会、「日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案(船田元君外名七提出、衆法第一四号)」、 活しており、その人たちの権利を認め守っていくことが大事である」とする。田中治彦参考人の意見陳述の概要(衆議院憲法審 23)例えば、教育学者の田中治彦は、「一八歳といえば、一般には大学生や専門学校生とのイメージがあるが、三割近くが働いて自

( うふうに思います。もしそうであるならば、日本の場合こういう事情があるとは考えにくいところであります」(同、一四頁)。 で設定しています。それとの兼ね合いが一九七〇年代以降に成年年齢の引下げになった可能性は、背景としては十分あり得るとい 会民法成年年齢部会第二回会議議事録」、九頁)「事実上、多くの国は徴兵制ではないにしても、兵役登録ないし参加資格を一八歳 明らかにベトナム戦争の影響に言及して成年年齢の見直し、引下げをしたというふうに記載されております」(法務省「法制審議 24)例えば、教育社会学者の藤田英典は、「かなりの国で徴兵年齢一八歳との関係がありそうだということです。…オーストラリアは

( 「対価を払わなければ、選挙権がない」ではないことに注意する必要がある。 25)もっとも、論理学的には、「対価を払っていれば、選挙権がある」の対偶は、「選挙権がないならば、対価を払わない」であって、

( に基づく」としている。芦部信喜、高橋和之補訂『憲法〔第三版〕』岩波書店、二〇〇五年、二三九頁)。 とも、芦部信喜は、禁治産者、受刑者、選挙犯罪による処刑者に対する選挙権行使の制限は、「選挙権の公務としての特殊な性格 26)この議論は、政治哲学的には公民的共和主義に親和的であり、憲法学的には選挙権の公務的性格の議論に親和的である(もっ

( article/3539)。 iRONNARetrieved on 2 Dec 2018 from the WWW: https://ironna.jp/民主主義』からの脱却」、二〇一六年六月二三日、一頁。 ことで、世代間格差の拡大にブレーキを掛けることが期待されている」(西野偉彦「トリガーは一八歳選挙権動き始める『シルバー 27)例えば、「一八歳選挙権の適用によって、若者の意見をより政策に取り入れ、「世代による偏り」をできる限り抑える政治を行う

( 一五一頁)。 こと」とあった(今野健一「選挙権・被選挙権年齢、飲酒・喫煙年齢―フランス法を中心に」『比較法研究』七八号、二〇一六年、 提案理由の一つとして「ダイナミズムと想像力という特性をもった若者が投票権を行使することで、政治の活性化が期待できる 中治彦参考人の意見陳述の概要)。また、一九七四年フランス大統領選時のデスタンの選挙公約には、一八歳への選挙権引下げの 28)例えば、「若者ほど年金、国債等で長く関わってくることから、若者の参加を促すことが、社会の活性化につながる」(前掲、田

( 29)那須、前掲論文、一五三頁。

30)もっとも、例えば、諸外国に合せないと、日本は非民主的な国家であると諸外国から認識されるというような議論を考えるこ

(20)

論 説

とは可能である。(

( きない。 31)二本柳、前掲論文、四五頁。なお、日本の憲法では、第四四条但し書きにより、選挙人資格を教育によって差別することはで

( 32)J・S・ミル『代議制統治論』(水田洋訳)岩波書店、一九九七年、二二〇頁。

Citizenship Education木崇弘・由井一成訳『社会を変える教育』キーステージ Report of the Advisory Group on Citizenship, 22 September 1998, sec.2.10ff(長沼豊・大久保正弘編著、B・クリックほか著、鈴 33Qualification and Curriculum Authority (UK), Education for Citizenship and the Teaching of Democracy in Schools, Final)

( 21、一二一頁以下). 34)文部科学省『高等学校学習指導要領』平成三〇年三月公示、九三―九六頁。

参照

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