九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
中村知至『古今和歌集遠鏡補正』翻字と解題
石川, 裕子
九州大学大学院博士後期課程
金, 英燦
九州大学大学院博士後期課程
徐, 迎春
九州大学大学院博士後期課程
森, 誠子
九州大学大学院博士後期課程
他
https://doi.org/10.15017/15085
出版情報:文獻探究. 46, pp.100-128, 2008-03-31. 文献探究の会 バージョン:
権利関係:
中村知至﹃古今和歌集遠鏡補正﹄翻字と解題
石川裕子・金 英燦・徐 迎春・森 誠子・ 日高愛子・下中敦子・藤崎祐二・吉田紗弥香
解題
﹃古今和歌集遠鏡補正﹄︵以下︑﹃補正﹄︶は︑その書名に見る通り︑
本居宣長著﹃古今和歌集遠鏡﹄︵以下︑﹃遠鏡﹄︶の中から︑五十五首
を問題として取り上げ︑﹁補正﹂を加えたものである︒
巻頭には︑天保甲辰二月の序文のほか︑橘守部︵天明元年−嘉永二
年︶による天保十四︵一八四三︶年五月の序文︑吉田憂世︵寛政三年
−弘化元年︶による天保十四年七月頃序文︑そして︑白井固︵明和八
年−天保四年︶による﹁か墨みのちり﹂と題する序文が付される︒
これら序者と著者中村知至︵生没年不詳︶との関係︑および刊行に
至る経緯や書誌等の詳細は︑山本淳氏﹁中村知至著﹃古今和歌集遠鏡
補正﹄の訳文について﹂︵﹃山形県立米沢女子短期大学附属生活文化研
究所報告﹄三三号︑平成十八年三月︶に詳しい︒
なお︑従来︑﹃補正﹄の刊行は天保十四年とされてきたが︑序年の
﹁天保甲辰二月﹂は︑天保十五年︑すなわち天保から弘化元︵一八四 四︶年へと元号が改められたちょうど節目にあたり︑したがって︑﹃補正﹄の刊行は弘化元年とみるべきであろう︒ 知至は︑この守部︑令世︑固の三者の他に︑守部の序文や凡例に書 ユ かれるように︑足代弘訓︵天明四年−安政三年︶からも意見を多分に採取したものと想像される︒しかし︑﹃補正﹄において弘訓の意見が旦肉体的に明記されるのは二三〇番歌頭注のみであり︑その実態を窺い知ることはできない︒ 他方︑知至の﹁先師﹂である固の説や意見は︑﹃補正﹄で取り上げる五十五首中二十三首に言及がなされ︑これらは全て本文中に配されている︒最も多く記述されるのは守部の意見で︑五十五首中二十九首に見られるが︑多くは知至や固の説に対する批評にとどまり︑全て頭注に配されている︒ このように︑﹃補正﹄では︑﹁先師﹂である固の説や批評を歌注の本文に配し︑それと区別して︑その他諸々の意見や批評は頭注に配して
いるのであるが︑この頭注には︑先述した守部や令世︑弘訓の他に︑
天野政徳︵天明四年−文久元年︶なる人物の名も見られる︒九六三番
歌注において︑﹁知至私かに云︑さきに天野政億の御もとに此ことを
申いてたりしかは︑こたへらる﹄に ﹂という記述かあることから︑
知至か政徳にも教えを乞うていたことか窺い知れる︒ ついて 加えて︑懇懇およひ二二六番歌注に︑﹁清水の光房の御物かたりの序 こに﹂として︑清水光房︵生年未詳一慶応元年︶の意見か引かれること
にも注目すへきてあろう︒
なお︑巻末には﹁漢籍仏説にわたれる歌﹂か付されるか︑これら
の漢籍の多くは﹃余材抄﹄なと先行する注釈書において既に指摘され
るところてある︒
注
︵圧1︶﹃国書人名辞典﹄に依ると︑足代弘訓は︑享和元︵一八〇一年荒木田久離
に入門し︑ついて︑芝山持豊に和歌︑本居大平に国学︑本居春庭に国語を
学ひ︑本居学派の中心的存在となった︒なお︑知至の師白井固は︑弘訓に
師事して和歌を学んだ︒
︵圧2︶﹃国書人名辞典﹄に依ると︑橘千蔭の門人てある大石千引に和歌を学んだ︒
︵圧3︶﹃国書人名辞典﹄に依ると︑清水浜臣に学んで国学に通し︑浜臣の晩年に
養嗣子となり︑浜臣の後継者として括躍︑浜臣判の歌合に参加した︒
︵日高・下中︶
%lr翻
義,
織難 冊事
恥 漕
藝 黒瀬寧噛 漕 彗
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壁平綴蹴 題
#距漕 聾帽 ㎜
沖難 聾熱
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創 一 軸
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一 ♂冒㌔
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齋黒熱歌纂癒鏡糠駕華 欝令勲鑛纂藏畿鷹詞藩鷺薮欝翼闘
鶏.灘へ騰騰繕纂激騰訟訴纂欄磯鑑 纂雛鮎漁覗野拙幾︐遡へ蝋華纏頭纂
磯.簸鼠騰鶴書旛︐激蓼鎌勢鱒澄糠濫
ま キモきモ ミミ モきな ま まぎまぜままモ ミまロ
欝魯蕊鵡勝繊壌欝轡欝募鱗齢轟騰 愛難羨薦欝凧灘傘瀞附繰罵鈴蔑轟
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一︑ 翻字には︑九州大学附属中央図書館音無文庫蔵本を用いた︒ コ序注には序と付し︑歌注には算用数字で歌番号を付した︒ 頭注は︑対象となる序注または歌注の後に︻︼内で示した︒旧漢字・異体字を新漢字に改めた︒便宜上︑句読点・﹁﹂等を補った︒但し︑序文における句読点︑及び︑巻末の﹁漢籍仏説にわたれる歌﹂における訓点は︑原本にそのまま依り︑﹃古今和歌集遠鏡﹄の引用部分については︑﹃古今和歌集遠鏡﹄版本の句読点に依った︒引用歌は﹁﹂で括り︑後に︵︶で歌集名と新編国歌大観に依る歌番号を付した︒ただし︑万葉集の歌番号は聯立国歌大観に依った︒刷りが悪く判読不能な箇所については︑一字ずつ■︵判読不能︶として示した︒また︑誤植については︑その右図に︵ママ︶と記した︒
丁の変わり目には︑ ﹂を付した後︑﹇﹈内に丁数を示した︒
︵日高︶ 古今和歌集遠鏡補正序古今和歌集遠鏡者︒本居宣長所箋困者︒羽人源固惜其未精︒将補其閾略正其誰謬︒未脱稿而没︒門人源子誠継其燭︒寝食於此書者︒蓑葛数易︒閾者補之︒照門正之︒務求確当切実︒其渉於事典者︒宣長閾而不釈︒今亦附録焉︒於是乎︒通塞導燈︒不遺余纏︒庶幾作者之真旨燦然可見 ︒量不後学之津梁乎︒名日古今和歌集遠鏡補正︒抑子耳掻善和歌称︒而其学割博沿︒世之読此馴者︒亦必知其不特善和歌也︒頃者︒諸早目悪授梓︒曾於子誠︒締交日銀︒能無一言乎︒而詩与和歌各異途︒弁言亦自有其人︒余非其人也︒何敢序之︒然嘗窃謂︒詩之与和歌︒不倉本於性情而巳︒載之文辞︒於云為和歌︒於彼為詩賦︒故其体製錐有彼我之別︒至国本於性情︒固無畜途 ︒固無両途︒即余罫書暴露︒亦焉謂非其人乎哉︒天保上竪二月上溝 北総 桂園秋場祐撰井書
園桂 塗曳 中尾
もちの夜の月も︑むら雲か﹄りては︑さやかならす︑ますみの鏡も︑
ちりひちみては︑あきらか︑ならす︑古鈴屋老翁のみかき出られたる︑
遠鏡なりて︑千とせのむかしの︑遠き世の歌の意も︑中空の雲をはら
ひて︑隈なき月を望むかことなり来しは︑偏に老翁かいさをになむ︑
しかはあれと︑後よりみれは︑猶その鏡にも︑のこる塵ひちなきにあ
カタシらしと︑ゆふ月夜︑出羽国の庄内県︑春雲の︑白井源固の翁︑その
塵をいさ㌻かきょめて︑すなはち鏡の塵と︑名づけたる一巻を︑をし
へ子︑天地の︑中村知至にあたへられぬ︑知至ぬし︑聖心さしを予て︑
猶遺れる塵を掃ひそへて︑二巻となしたるをは︑今は廿とせあまりの
むかし︑足代弘訓ぬしに︑訂さしめて︑一たひ定りぬ︑その後又︑か
の遠鏡に引漏せりし︑故事によれる歌のかきり︑其出る所の書ともを︑
詳に引そへたるをは︑わか里へも齎来て︑守部にもよみ聞せられき︑
そをこたひ︑書屋か乞けるまにく︑ゆるし与へられぬとなり︑か㌻
れは︑今はをさく残るちりもあらすして︑更にみかける︑ますみか
㌻みにむかふかことく︑はれし夜の月に望むかこと︑なりぬらむかし︑
天保十四年五月
東都池宝
橘守部
ひさ方の月はかりあやしきものはあらし︑おのもく見る人から︑そ
のおほさおなしからすといへるを︑此寄も亦其ことくになむ有へき︑
これの古今和歌集の遠鏡の㌻これるをおきなふといふふみも︑亦その
如くに見る人からの心くなるへきにこそあらめ︑知至のぬしか︑心
もちひのおろそかならぬ事は︑おのもく人そのまなごに見しりわく
へきわさになむ
天保十四年といふとしの文月十日はかり
水戸の
吉田令世 か㌻みのちり本居大人の古今集遠鏡を見るに︑けにちかくうつされて︑はたくちふ くりなと心せられたる︑いとめてたく︑初学のとく心えやすきおほゆる か ことはにものからみなうとの ならはぬ︑けにはとみに聞とりかてなるふしくなきにしもあらねは︑見るま㌻にかいしるして︑猶ものしれらん人にとはんとて也︑さるは﹁まかのひれ﹂とかのまかくしき心ならて︑可学のためにこの鏡をいよくあきらかにみまほしくてなん ことさらにちり打かくる遠鏡 はらひて見せん人をこそまて 源固識 凡例○雅言を俗語にうつせるは︑大かた遠鏡によるといへとも︑たまく 相照らして詞をうつさ㌻るもあるは︑意を解くを専らにして︑うつ し詞は本書にゆつれはなり︑○俗語仮字とてにをはとにか﹄はらさるも︑亦遠鏡によるなり︑○遠鏡のことはは︑始に○くし︑終に﹂せり︑○文中漢語を用る所あるは︑文の工拙にか墨はら﹂冗例一丁﹈す︑今人の 耳にちか﹄らんことを思ふか故なり︑○古今集のことは㌻︑用あれは出し︑用なきは出さす︑題と姓名とも 亦しかり︑○先師源固の世にありし時︑伊勢の足代弘訓に見せられて︑朱点あり しものは︑今も亦章のはしめに点せり︑後にわれ考ふる所の章は点
なきなり︑
○遠鏡のことはに漢籍仏説の故事を訳せさるか故に故事をさせる詞の
用なく見ゆれは︑今別に﹂冗例一ウ﹈抄し出す︑されと今われこの田間
一103一
にのかれて書乏しく︑た㌻暗記により来る所のみをあく︑森後に委
しくものすへし︑
○故事をふめるうた︑集中前なるものをあけて︑類ありとも︑後なる
ものはあけす︑なすらへてしるへし︑
○つきていふ歌は︑た﹄つ㌻けからのいうに︑うるはしくしらへたけ
高くして︑寒いやしからさるかうへに︑よく人の情にひ㌻く所ある ママ をよしと﹂﹇凡例一一オ﹈とすれは︑訳も亦其詞いやしからさるをよしと
す︑しかるをいはんや︑俗語もて雅言をうつすことはあるへからさ
るわさにこそありけれ︑しかれは此遠鏡もまた宣長の心にあらさる
ことしるへし︑この俗語といふものは十とせはたとせにうつり︑ひ
な都にかはり︑国々にことなり︑高きいやしきに所かはれは︑百年
の後にはやうやくしり得かたき事いて来て︑後々の世にはつきく
に古言を考ふるの害なるふしもいて来へくなん︑﹂﹇凡例一一ウ﹈さはあれ
と︑今の世のうたよむかきり︑此道にいりそむる人々︑遠鏡といふ
文もたさるはなく読まさるもなけれは︑此文も今は二十余年のむか
し︑単なる源のかたしの世にありし時︑たはふれのやうにかきつ㌻
り︑鏡の塵と名づけて与へられけるを︑後にいさ㌻か我もかきつき
て︑みたりかはしくものせるわさなれと︑今はた友のもとにやりて︑
た﹄わかおもふところのよしあしを重んとてなり︑かへすくみん
ひとのた﹂﹇凡例三十﹈めにと後の世長く伝ふへきわさにあらすなん︑
○大凡詩歌は注しかたく訳しかたきものなりけらし︑むかしょり唐大
和の注さくといふもの㌻全く宜しきを得たりと聞ゆるなんなかりけ
る︑うへなるかな︑そのいて来るはしめをおもへは︑かたしともか
たきわさにこそありけれ︑そもくひとの世にふる︑よろこひ︑か
なしひ︑うれひ︑たのしひ︑時々の折にふれ︑ことくの﹂冗例一一一ウ﹈ ふしにあふことに︑心内に︑下して︑詞外にあらはれ︑あなあはれ︑あなたのしとなかめうたひ︑猶たらすして︑手を廻はし︑あしをふみおとらするの時は︑おのれをわする﹄ものならし︑この時の詞そ︑たまく自然の妙あるものありける︑また其詞を学ひつくれるものありけり︑されは詩歌は自然の詞あり︑つくれることはあり︑其自然なるものを妙といひ︑つくれるものを工といふ︑たくみは学ひよりなりて︑自然は︑感情の余りになるなり︑此︑感ずるの情ありといへとも︑学ひ﹂﹇凡例四オ﹈いまたしき輩は一句の妙ありても一首全からす︑学ひありて工めるものは一首全くして一句の妙を得るもの少し︑才と学とニツなから得たらん人の︑其時にのぞみ︑折にふれていたく物に︑感ずるの余りにうたひいつる詞のおのつから妙となれるものは天地もうごき鬼神もおそる﹄所也︑しかれは自然は学ひにしかす︑学ひはしせんを学ふものなり︑古へをしたひ︑自然を学ふことに心をつくし︑思ひをこらし︑とし月をつもらは︑﹂三儀四ウ﹈高き山も越え︑遠き道もいたるかことく︑其ひとくのほとくにいたる所なからんやは︑おのつから古へにちかき人とはなりぬへし︑古へにちかき心をもて春秋の海山にむかは墨︑峯の花のかすめるあした︑浦の月のさやけきゆふへ︑いつれか古にあらすとせん︑さる時は古の作者︑今の注者いつれかまさり︑いつれかおとるへけん︑しかれは作者の卸し所︑注者の心に悟らさるはあらさるへし︑か㌻る人を得たらん世は︑其人をしてこそ﹂﹇凡例五オ﹈詩歌の寒期はなさしめ︑古き作者のこ㌻ろをも顕すへきものなれ︑しかはあれとも詩歌の注訳は三ツのかたきことありけり︑其一ツには自然の妙句は詞をかふれは調格語勢あらたまるか故に︑いかに心して筆はとるとも︑其憂事は
顕すことかたく︑いは㌻ちる花のひるかへるを画きては︑風の香は
しきを思はせ︑松風を語らんとしては︑波の声にたとふるかことし︑
倉主ツには作者は古にあり︑其時にのぞみ︑其折にふれて︑感情む
ねに余り詞外﹂﹇凡例五ウ﹈にあらはれしを︑注者は今の世に居り︑平ら
かに座して︑遠く其ときを案ずるの情︑おのつから厚からさること
しるへし︑たとへは宮門の外にた㌻すみて舞楽をき墨︑罪なくして
配所の月を見るかことし︑其三ツには今の注者のわさ︑いにしへの
作者におとらさるはまれなるへし︑わさのおとらん注者は︑たとへ
はわれ右の眼をすかめせしに︑鏡の影は左の眼をすかめすれとも︑
あひむかひておのれに﹂﹇凡例六オ﹈あへりとし︑秋の山を見るに村雨の
雲にあへるかことし︑この三つのものはのぞくことのかたけれや︑
詩歌は注訳の宜しきもの㌻なかるらし︑むかしょりかくありけるを︑
今はたわか案の注しかたく訳しかたしといふ︑うへなるにあらすや︑
天保十四年といふとしの︑みつのとの卯のきさらき十日はかりに︑
出羽国人源のともなり︑下つふさの国とよたの郡︑春心川のほとり
なる田つらの庵にかきつ逸りぬ︑
︻令世云︑是此新文高承深妙非浅学所能髪感歎諦不予︑︼
︻橘守部云︑こ㌻に毛奴川といへるそよろしき︑今はきぬ川とよふなれと︑水
源町奴の国よりいつれは︑毛三川也といへる︑知至かことしかり︑︼﹂古例六ウ﹈
古今和歌集遠鏡補正巻上
コ序人まうなくなりにたれとうたの事と㌻まれるかな﹇ 知至ひそかにいふ︑と﹄まれるは当時勅を蒙りてなれる所の此集
をさす︑此二句前句のよろこひぬるといへるをつなき来り第一段 よりの大略をむすひ次の意を引起す︑次の一段は其意た㌻此二句 の意を細かにときてあきらかにしらしむるなり︑此序のむすひこ の富岳にあることを﹂﹇上一二﹈しるへしコ序たとひ時うつりことさりたのしひかなしひゆきかふとも此歌の﹁﹂宣長云若也 もしあるをやあをやきの糸たえす松の葉のちりうせすしてまさき のかつら長くつたはり鳥のあと久しくと﹄まれらは ○此集力若世間二目柳の糸 松の葉のタエセスニ正木のかつら 末長ウ 鳥の跡 久シウ伝ヘテサヘアツタナラバ あるをやの四字は︑次のあをやきよりまきれたる誤﹂﹇上一ウ﹈なる へし︑もしは若にて︑久しくと﹄まれらはといふへか㌻れる詞な り﹂コ序寄のさまをもしりことの心を得たらん人は大空の月を見るかことく﹇ に古を仰ぎて今を恋さらめかも いにしへを ○此集ヲサテく結構ナ集チヤト云テ 天ナ月ヲ見ルコトクニ仰 キタツトンテ 今此御当代ヲシタハヌト云コトハアルマイハサテ 千秋云︑いにしへとは︑後世よりいふ古にて︑則此延喜の御代を させり﹂﹂﹇上一一オ﹈ 知至私かに云︑宣長の﹁もし﹂の二字は﹁若﹂の字に見られ︑﹁あ るをや﹂の四字はけつられたるは︑さることもあるへけれと︑わ れまたおもふに︑むかしの文古き書なとは今さらに改るもけつる ものを も吝しけなる心持のみせられて︑けにさなんともなしかたけれ は︑いさ﹄かいはん︑﹁もし﹂とあるを文字と読ときは字音故に 唐めいたりなとにて︑﹁若﹂の意にとかれたれはこそ︑次の﹁あ るをや﹂の四字はけつるへきこと﹄はなりにけらし︑されと貫之
の此序か㌻れたるは古き﹂﹇上一一ウ﹈わか国ふりにはあらて︑句のつ
105
のり ㌻きことはの巧なる大かた漢さまに法とられしと見ゆるかうへ
に︑此序の中にも神代にはうたのもしもさたまらす︑又三十もし
あまりひともしは読けるなと︑字音なからにいへる事ともなれは︑
今こ﹄も﹁文字﹂とも見るへく︑
此事さきに清水の光房の物かたりの序に︑此﹁もし﹂は﹁文字﹂
なるへく︑﹁もし﹂といへることは︑源語にも﹁別れといふもし﹂
又は﹁今はこのもしいませ給へ﹂なといへりと申されき︑今︑われ︑
またおもふに︑此集﹂﹇上三オ﹈中︑なりひらの朝臣の﹁かきつは
たといふ五もしを句のかしらに﹂云々なともいへり︑
又﹁あるをや﹂といへるにて︑いよく上の﹁もし﹂は﹁文字﹂
なるへくおほゆ︑いかにといふに上古のことく歌ありとも文字な
くはったふへきわさなかるを︑かく万の事おとし給ふ御代となり
て︑今は﹁此寄の文字あるをや﹂と以下の句を引起して︑後世に
今を恋すあらんかもと結ひと㌻めたるにあらすや︑しかれは﹁も
し﹂は﹁文字﹂にて﹁あるをや﹂はけつるへからさ﹂﹇上三ウ﹈るに
なん︑猶︑次に細かにいはん︑是はかの漢文にいへる所の双関法
によられてか㌻れたる也︑初学のためにかりに図してみんには
︻真■︵判読不能︶いふ︑師の双関法と文法を立ていはれしはかりに名づけたる
にて此古の時にか㌻る名のあるにはあらすなん︑︼コ序たとひ殊口帽雲隠ひり行かふとも奪うたのもしあるをや鯖西郷吐冷すして﹇ 縢蛎論嫁琴藷らは藁馬寮古新ん人は大空の月を見るかことくに古を仰
きて今を恋さらめかも
訳にも千秋かことにも﹁古を仰ぎて﹂の﹁古﹂は延喜の御世をさ
せりといへるはたかへり︑こ﹄に﹁古﹂といふは則延喜﹂﹇上四オ﹈
の世に居りての﹁古﹂にて︑ならの朝なとをさす也︑結鰻鴨翻鶴 鯉演芸へへ幅陶﹁今を﹂といふは延喜五年に当り︑﹁恋さらめ﹂といふは後世をさせり︑三つの詞相むかへて文をなせる也︑又︑童蒙のために全文の脈絡貫通の筆路を図してみする時は︑
脈絡は此歌の文字あるをや古を仰て今を恋さらめ
とつらぬき通す
たと
ひ
1一一
り繕蹴癒匿︾飾
ヒ ノ ゆきかふの 揖文字は後世にのこりて後世 ノ
四字は上の 揖より今を恋るものは文字 ノ
ニ句を結ふ揖あれは也 青柳の糸たえす
り正木のかつら長く伝は
ことの心をも得たらん
一
し
ロ
てら
一
は人 は
﹂﹇上四ウ﹈
大空の月は古の字を助け︑みるかことくは恥くといふ字を助てともに羽翼たり
大空の みるか
古を 仰て 今を恋さらめかも
月を ことく
﹁たとひ﹂といふより数系の中一系により読下して大意通る也︑
﹁たとひ時うつり事さるとも高歌の文字あるをや︑歌の様をもし
るひとは古を仰て今を恋すはあらん﹂と読かことし︑如斯なるか
故に﹁文字﹂の二字中央にありて︑上の﹁たとひ﹂以下の句を受
収め︑又﹁あるをや﹂の四字にて﹁文字﹂の二字より下の数句を
うみ﹂﹇上五オ﹈出して︑前後をなすの働を味へ知るへし︑再婚の訳
前段にもいさ﹄かいか﹄とおもふふしなきにしもあらねと︑後に
ものすへく今は事しけきにまきれてさておきぬ︑○宣長は﹁もし﹂
といふは﹁らは﹂にか㌻りてといへとも︑此集の︑若久しくと﹄
まれらはと疑ふは︑
当今の勅を蒙りて撰し天覧に備ふる時の詞にあらす︑宣長は仕官職
掌せされは藩命をしらす︑臣たるの身いかてさる事あらん︑いか
にも祝し奉りて︑今は此歌の文字あるをや絶すうせす長く伝り︑
久し﹂﹇上五ウ﹈くと㌻まりて後世の人は日月を長くかことくに
当今の朝を恋さらめかも︑といはんこそ朝廷に立人の常のことなら
め︑しかれは﹁らは﹂といふは軽くみへきなり︑まことに此ぬし
の言のことく︑今の世に至るまて昏昏をおもふこと実にしかり︑
︻令世云︑千載の今に致て紀氏の文脈はしめて明らか也︑知至かこと実に然り︑︼
2︑ 春立ける日よめる
袖ひちてむすひし水の氷れるを春たつけふの風やとくらむ
○袖ヲヌラシテスクウ量水ノ氷テアルノヲ春ノ来タ今日ノ風力吹
テトカステアラウカ﹂﹂﹇上六オ﹈
知至ひそかにいふ︑訳のことはけにちかくうつされたるものから︑
もとより初学の心あさからんものにものせられたらめは︑猶とき
たらぬこ㌻ちにこそ︑袖ヲヌラシテスクウタ水とはかりにては︑
初学の心にむかし人のいかなることのならはしにか︑さるわさは
なせしなと㌻おもひて︑作者の心を汲とりかてなるもありぬへし︑
このうたの︑夏すき秋さりたるもいつしかに︑冬さへ暮て春立来
り︑ひと㌻せのとく過しおもひを細にしらしむへきには︑﹂﹇上六ウ﹈
去年ノ六七月日頃ニ題下ミナカラノ手ナクサミ甲虫ヲモヌラシテ スクヒナントセシ水ノ冬二成テ製氷ツテアルノヲ最早春ノ来タ今日ノ風力吹テ解ステアラウカサテモく年ノ過キ来ルノハ造作モナイモノチヤマア
二条の后の春宮のみやすむ所と聞えける時に正月三日おまへに
めしておほせごとありけるあいたに日はてりなから雪のかしら
にふりか㌻りけるをよませ底ひける
8︑春の日の光にあたる耳なれとかしらの雪となるそわひしき
﹂﹇上石オ﹈
○此節ノ春ノ日ノ光りノヤウナ難有イ御捻ヲ蒙りマスル私テコサ
リマスレトモ年々ヨリマシテカヤウニ頭力雪ニナリマスルハサ難
義二存シマスルコマリマシ桜色テコサリマス﹂
私に云︑春ノ日ノ光ノヤウナ云云のみにては︑作者のむねとせら
れし味ひをは︑初学とみに心得かぬへく︑よりて今少しいひとく
へくは︑
此節ノ春ノ日ノ光ニタトへ奉ル所ノ春宮様ノ御所テカク難有イ御
恵ヲ蒙ツテ行末頼母シイ事トハ存シマス﹂﹇上七ウ﹈ル私テ以下前訳の
如し かく訳せされは︑春宮の御息所といへる詞の用なきに似たり︑次
の﹁つくはねの木のもと毎に立そよる春のみ山のかけを恋つ㌻﹂
︵古今・九六六︶の訳には︑春宮の御蔭をと云はれしか︑こ㌻は其
訳落たり︑次の﹁春来れは雁かへるなり﹂︵古今・三〇︶云々の訳の
ことくに︑いか㌻致も詞に用ある所は詞の意をも訳すへくなん︑
︻守部云︑新説細かに見得たり︼
69︑春霞たな引山のさくら幸うつろはんとや色かはりゆく
107
○霞力棚引テソノ霞へ色ノウツ\テミエルアノ桜花カチ﹂﹇上八オ﹈
ラウトテヤラ霞ノ色力替テキタ﹂
先師源固云︑訳の田力棚引テ紅霞二色ノ移テミエルにては︑初学
かへりてまとひ安きなり︑かの﹁春霞色のちくさに﹂︵古今・一〇二︶
又﹁霞たつ春の山辺は﹂︵古今二〇三︶なとは︑もはら霞に用あれ
とも︑こ㌻はた㌻山の桜をいはん料に︑時のものにて春の山をけ
しきせしのみ也︑さるときはさくら花のちらんとてにや︑花か色
変り行といふにて︑霞には用なかるへし︑試にいは㌻︑
霞カタナ引テ ノトカニ面白イ 山ノ桜花ヲ見レハ昨日﹂﹇上八ウ﹈
今日咲タト思フホトニ早ヤチラントテヤラ色力変ッテキタ サテ
モくバカナキ花ヨ
知至私にいふ︑実にしかり︑いかにといふに恋の歌にも上はおな
しくて︑下﹁みれともあかぬ君にもあるかな﹂︵古今・六八四︶は人
を山さくらになそらへて︑みれともくあかぬといへる意にて霞
には用なかるへし︑されは霞かかくして花をみせぬ故に︑あかぬ
といふへきを︑みれともあかぬとはいふへからす︑又霞にかくれ
てみられぬ意ならは︑﹁かくす﹂﹁へたつ﹂﹁こむる﹂なとの詞あ
るに︑たな引と﹂﹇上九オ﹈はいふへからす︑雛製脂玉彗盛郷尋≧↓紬矯い
縫握醤携脈畿騨霞かかくす故にみあかぬといは㌻︑花をもては
やす心あさかるへし︑欝総瑞請膝紹蒜雛髄箆されはさかりなる花
をみることく︑いくへんみても逢てもくあきたらぬといふ心な
るへし︑かくみる時は︑こ㌻の春の歌も霞には用なくして︑た㌻
春の山をけしきせしのみならすや︑
72︑此里に旅寝しぬへし桜花ちりのまかひに家路忘れて﹂﹇上九ウ﹈ ○今宵ハ此里ニトマラウコトチヤ 此ヤウニ面白イ桜ノ花ノチル マキレニ内ヘイヌルコトハ思ヒ出サスニサ﹂師云︑籍調騎続トをいふ訳にわすれてを思ヒ出サスニサとうつされし︑けにさることならめと︑又おもふに︑﹁散のまかひに﹂とい へは︑家にかへる道のそこともわきかたく︑ちりかふ花にまきれ
て︑しられさる事をわすれといへるならすや︑花.下二忘レルハ帰ルコト
ヲ因ニル美−景三の意にて訳せられしなるへけれと︑さるときは﹁ち
りのまかひ﹂といふ詞用なかるへし︑されは家にかへさのしられ﹂
﹇上一〇オ﹈さるにかこつけて︑今夜は此里に旅寝すへしとなるへし︑
家に行ことを家路といふ︑さる愚なれと︑こ㌻は家にかへる道の
事とみるへきなり︑﹁ちりかひくもれ﹂︵古今・ゴ西九︶﹁桜吹まきみ
たれなん﹂︵古今・三九四︶﹁ちりかふ花に道はまとひぬ﹂︵古今・=六︶
なとおなし心なるへし︑又試にいは㌻︑
桜花ノ多ク雪ノ降ヤウニ散ルマキレニ家二帰ル道ノソチコチト覚
束ナク迷ヒサウチヤニ依テ今夜ハ此里二旅寝ヲシヤウ
おもしろさにとまるをちる花にかこつけていへるか﹂﹇上一︒ウ﹈を
かしきなり︑とちめの﹁て﹂もし﹁たれは﹂の意にみる時は﹁へ
し﹂の詞よくかなへり︑
︻守部云︑源固か訳おたやか也︼
春のとく過るを読る 躬恒
27︑梓弓春立しょり年月のいるかことくもおもほゆるかな一 ○古再二梓弓春トツ\ケテ読テアルカ誠二月日力早ウ立テ 矢ヲ
イルヤウニ 思ハル\春二成テカラマタ何ノマモナイニサテモ
く早ウ立タコトカナ
とし月といへるは︑まことはとしの暮の寄なれはなるへし︑春の
暮の歌にては︑此詞いか㌻聞ゆ﹂﹂﹇上一一オ﹈
私に云︑此﹁梓弓﹂といへるは︑た㌻冠辞にして下の﹁張﹂と﹁射
る﹂とを済むかへたる也︑さのみ古事をふみてよめりともみえす︑
ことさらに古寄に云々なとあるへきにあらす︑かく冠辞を訳する
時は前後の亡国なとせし例にたかひて︑初学のまとふ事になん︑
又年月とあれは実は歳暮の寄なるを予て春につらねたりとするも
いか﹄︑作者躬恒撰者の一人にして己か歌を語りて異部にいるへ
きやよし︑後にあやまり入しとせんも︑前のことばがきをも﹂﹇上
一一ウ﹈あやまりとせんか︑凡詩歌の上には格調によりて理路にわ
たらさること常に多し︑か㌻はれりといふへし︑
︻守部云︑歳暮の歌とするはか㌻はれり︑我国の詞には相つらねていひならへ
ることは︑上下の三一ツは用ありて一ツは用なきもの常に多し︑古き文とも
をみてしるへし︑︼
ママ
○訳略○音羽山といふにほと㌻きすの声の意はなし﹂ 一42@おとは山岨越来れはほと㌻きす梢はるかに今そなくなる
私にいふ︑こ㌻に﹁音羽山﹂とありたれはとて︑此うたに﹁ほと
㌻きす﹂の声の意あらんとは遵ふ人のあらんや︑こ㌻は︑宣長な
ほさりの口授を千秋なとか書入しものか︑か﹄はれりといふへ
し︑﹂﹇上一一一オ﹈
○木ノ枝ノ問カラモツテ来ル月ノカケヲミレハ広ウミルトハチカ 一84@木の問よりもり来る月の影みれは心づくしの秋はきにけり
212 、
ツテ少シツ\ホカ見エネハ サテくシンキナモノチや是ヲ
ミレハ今カラ惣体モノコトシンキナ秋力来タワイ﹂
師云︑訳のことわりとみに心得かたくおほゆ︑こ㌻はまた初秋の
寄な■■︵判読不能︶落葉なとはせぬものから︑夏木立のしけりたり
しも今は秋といふきさしには︑おのつから木の葉もすき︑かつは
月の光も﹂﹇上一一一ウ﹈少しはたかひて︑さやかなるかたになり︑木の
問よりもり来るかけを見て︑今よりはやうやくに心づくしなる秋
かよと︑はっかなることに寒して︑行末をさへ■︵判読不能︶にお
もひやりてよめるなるへし︑さらは今秋になりて︑きらくしく
さやかなる月も︑﹁広う見るとちかつて少しつ㌻ほか見えねは﹂
にては︑木の問といふに︑ふかくか㌻はれるにあらすや︑
︻守部いふ︑月に心をつくすのみにして︑木の問といふは夏の頃は月にか㌻ら
ぬ樹も︑秋と成ては月にか㌻れる所なとより︑すくに木の間とはいへる也︑
されは木の問と云を軽く見へき所也︑新釈見得たり︑︼
秋風に声を帆にあけて来る船は天の戸渡る雁にそ有ける
○アレくアノ青イ海ノヤウナ空ヲ秋風二声ヲ帆ノヤウ﹂﹇上一三オ﹈
ニアケテ船ノヤウニ見エテ来ルモノハ鳴テ渡ル雁チヤワイ﹂
師かつていへることありき︑訳のアレアノ青イ云々口気をかしき
やうなれと︑歌主の心いかにかあらん︑思ふにこれは寄のひとつ
の様にて︑﹁山河に風のかけたるしからみは﹂︵古今・三〇三︶なとの
類なるへし︑されは声をあらはにあけてといふことを︑帆にあけ ついてといふより︑即て来る舟はとつ﹄け︑さてそれは何なれは︑天
の戸わたる雁にそありけると︑一首を舟もてしたて﹂﹇上一三ウ﹈たる
歌ならすや︑﹁風のかけたるしからみは﹂も︑柵は人のかけて水
109
をせくものなるに︑風のかけたるとけしからぬやうに上をいひて︑
さてそれは何なりけりと下にてことわるひとつのさま也︑こ﹄の
アレアノ青イ云々にては︑それに見なしたるものにかきりて︑﹁星
の林にごきかくる見ゆ﹂︵万葉二〇六八︶なとの類となりて︑此う
たの本意にあらさるへし︑
︻守部云︑新訳とき得たり︑︼
13︑うきことをおもひつらねて雁か音の鳴こそ渡れ秋のよなく
0雁ノ幾羽モ連テ鳴テ渡ルヤウニ オレハ秋ノ夜ノウイ﹂﹇上一四オ﹈ 2
コトノ数々ヲ思ヒツ\ケテ毎夜く泣テサアカス﹂
私募︑雁ノ幾羽モ列ラネテ鳴テ渡ルヤウトイヘハ︑幾つもといふ
数によりて見ること㌻なりて︑一人の泣ことの比すへきものなら
ねは︑中々に初学のまとひ安き入ほかの訳なり︑よりて又例の︑
ワシバ身ノウイコトノ数々ヲ思ヒツ\ケテ国威テハツカリサアカ
ス此頃ノ秋ノ夜ルくハサ
15︑︑おく山に紅葉ふみわけ鳴鹿の声きく時そ秋は悲しき
0秋ハ惣体モノ悲シイ時節チヤカ 其秋ノ中テハ 又トウ﹂﹇上一四 2
ウ﹈イフ時カイツチ悲シイトイヘハ 紅葉モモウ散テシマウタ奥
山テ其散タモミチヲ鹿カフミ分テアルイテ鳴声ヲ聞時分カサ秋ノ
中テハイツチ悲シイ時節チヤ
ふみわけは鹿のふみ分る也
師云︑これもおく山といふに︑か㌻はりたるにあらすや︑いかに
といふに︑奥山に住てか並行てか︑見もし聞もしてよめりとせは︑
歌の心せまくして︑﹁秋は悲しき﹂といふ結句かなはぬに似たり︑
226
又里に居ては奥山の鹿を聞んよしなし︑されは鹿はおく山に住も
のな﹂﹇上一五オ﹈れは鹿といはん料にのみ︑おく山といへるならすや︑
﹁紅葉ふみわけ﹂は時をいふかもとにて︑やかて﹁ふみわけなく
しか﹂とつ㌻けたるなるへし︑さらは見もし聞もして読るにはあ
らて︑鳴鹿といはん料に︑上はいへるにて︑暮秋の落葉せる時節
をいふのみならすや︑﹁春霞たなひく山﹂︵古今・六九︶﹁五月まつ花
橘﹂︵古今・一三九︶なとのたくひなるへし︑いとむつかしきやうな
れとも︑おく山にか㌻はる時は︑﹁秋は悲しき﹂といふとちめの︑
た﹄奥山にのみかきりて︑秋の尤悲しき時節を広くいふに﹂﹇上一五ウ﹈
はあらす︑されはかりそめにひかことせんには︑
秋湿惣体物悲シキ時節チヤカ 暗中テモイツカイツチ悲シイト云
二 紅葉スル頃 鳴鹿ノ声ヲ聞時分カサコトニ悲シイ時チヤ
上の二句は鹿の形容に時節を兼ていふのみ︑﹁白雲にはね打かは
し飛雁の﹂︵古今二九一︶しら雲も︑さやけき秋の月夜をいへは︑
しら雲に用なけれと︑雁の高く遠く飛を形容せる也︑
︻守部云︑新説よし︑︼
題しらす 僧正遍照﹂﹇上一六オ﹈
名にめて㌻おれるはかりそ女郎花われ落にきと人に語るな
○女郎花ト盛名カヨサニ チヨツト馬カラオリテ見タバカリチヤ
ソ カナラス オレカ女二落タト人馴イフテハナイソヨ
おれるは︑馬よりおりたるをいふ︑をみなへしを折れるにはあ
らす﹂私云︑此歌序注に﹁さかのにて馬より予て﹂とあるをおもひて訳
せられしならめと︑こ㌻は題しらすとあり︑此集なる時に詞かき
のしられさるにもあ﹂﹇上一六ウ﹈らしを︑題ありては此うたかへりて
感ずるの誠すくなくして︑俳聖雑戯に近かれはとて︑なと撰者の
心して題をのぞかれしもしるへからす︑た㌻題なくて見る時は︑
上の﹁おれる﹂は馬よりとは見るへからす︑是非に花を折こと㌻
せねはならぬうたなり︑たとへ其実は馬よりおれるの心なるも︑
題なけれは上は花を折れる︑下は女に落たりとみねはならぬ也︑
それも読る僧の名なけれは︑落たりといへることはさたかならす
聞ゆへし︑又おる﹄の﹂﹇上一七オ﹈ ﹁お﹂と折るの﹁を﹂との文字の
たかひにて︑こ﹄は﹁おれる﹂とあるからに︑馬よりおれるなり
といは墨︑﹁お﹂もし﹁を﹂もし呑むかしょりのかんなの文︑今
にのこれるものに︑花を折るの﹁を﹂もしなるへきか︑﹁お﹂も
しなるもの甚多し︑しかれは﹁お﹂﹁を﹂の文字もて此分はさた
めかたし︑た㌻此集に題しらすとありて︑僧侶のうたなるをおも
ひて訳するは︑撰者の露なるへし︑訳の正しきものとすへくなん︑
されと撰者の心にはあらさらんかも︑はかりかた﹂﹇上一七ウ﹈けれと︑
宣長もかくときしかは︑今はかりに序注の題のことはの意をも訳
すへきものか︑しからはこ墨は︑かのつらゆきかそこなりける梅
の花を折て︑則歌に﹁人はいさ心もしらす﹂︵古今・四二︶とよめ
るたくひにて︑馬より誤りて落たるを︑其ま㌻そこなりける女郎
花を折て︑則歌に﹁名にめて㌻折れるはかりそ女郎花﹂といへる
なり︑われ手を返て女といふ花を折はをりたれと︑た﹄名にめて
㌻折れるのみそ︑ふかく心あるにあらす︑さるを汝女郎花よ︑わ
れ﹂﹇上一八オ﹈女に落たりなと人に語ることなかれ︑とことはのおも
てにはいひて︑題の馬より落てとあるにて落といふ字のはたらき
ありて︑逸興なる所はしらせたるものなり︑さする時は割句の語 勢もおだやかに聞えて味ありておほゆ︑前夕の如くならは︑題に も馬より落てといひ︑上句にも馬よりおれるといひ︑下句にも落 にけりといへること㌻なりて︑可のさまいやしく︑詞のつ㌻きお たやかならす聞ゆるをよくく吟し味って見よ︑又かへすく 漁ると﹂﹇上一八ウ﹈いはんより︑題には馬より覧てよめりとし︑歌は た﹄女郎花をめて﹄折たるか︑只花をとするのみなるそ︑女とい ふ花なれは︑われ女犯の罪に落たりなと人に語ることなかれ︑と 三所に旧して意ひとつにつらなりてこそ上手の業なれ︑されと此 うたの興ありて質すくなきや︑此僧正の得たる所ならんか︑稀欝
蜘窮黒渋禁野しかるときは又例の︑
女郎花ト云名画ヨサニ チヨツト折テ見タノソ ソレヲオ﹂﹇上一九
オ﹈レカ法師ナカラニ 女二手ヲ掛テ女犯ノ罪二落タナト\人
二云テハナイソヨ︑シテソノ落タノハ落タナレト馬カラ落タノ
ハホンノコトチヤ ヱへ㌻㌻壁ア群轍早婚言置讐麓雛鮨趣心当齢九平鰐
なるへしといはれき︑大かた われとおなし心ならんか︑
︻真■︵判読不能︶云︑承徳康和の頃より以来仮字正しからす︑しかれは﹁を﹂﹁お﹂
の文字もて定めかたし︑︼
227 、
女郎花うしと見つ㌻そ行過る男山にし立りとおもへは
○アノ女郎花ハア\イタツラナ女チヤト思ウテ オレハヨソニ見
テ通り過テイクコ\ハ男山ナレ関西ノ中二交テ居ル女チヤト思フ
ニ依テサ﹂﹂﹇上一九ウ﹈
師云︑﹁うし﹂をイタツラナとうつされたるも︑さるよしもある
へけれと︑又おもふに︑﹁をらて過うき今朝の朝顔﹂︵源氏物語・夕
顔︶なとの﹁うき﹂とおなしく見る時は︑余所に見て過ゆくこと
111
を﹁うし﹂といへるにはあらすや︑かくては詞のつ㌻きむづか
しきやうなれと︑古可のか㌻る類もある也︑
女郎花ヲ折タク思ヘトモ 既二男山二立テ主アル女ナレハ徒二
見過ルコトヲウシト思ヘト エ折ラレネハタ\ミイくシテ行
過ルチヤ﹂﹇上一一︒オ﹈
男の中にましりて︑いたつらな女とうつされし︑けにおかしく
興あれと︑﹁うし﹂といふ詞のよくかなへりとも聞えす︑
︻守部云︑新訳よし︼
28︑秋の㌻にやとりはすへし女郎花名をむつましみ旅ならなくに
0トマルナラ秋ノ愚智トマルカヨイ 女郎花力有テ女ト云名カム 2
ツマシサニ依テ 余所テ寝ルヤウテハナイハサテ
ニの句はもし︑心をつくへし﹂
師云︑かくては﹁旅ならなくに﹂の詞おだやかならす︑﹁ならな
くに﹂は俗語にテハナイニなとうつすは常也︑﹂﹇上一一︒ウ﹈又﹁は﹂
もし心をつくへしといへるもいか㌻︑﹁は﹂もしかろき所集中に
多し︑﹁人にはつけよ﹂︵古今・四〇七︶の﹁は﹂もしとおなしく軽く
見へきなり︑
女郎花ト云名ノ睦シサニ 今夜直音ニトマラウワイ 旅行ニコン
行暮テ野宿スルモノナレ旅テモナイノ下野ニトマルノハ女ト云名
ノ睦シサニサ
訳の余所テ寝ルヤウテハナイニにては︑﹁旅ならなくに﹂の詞か
なへりとも聞えす︑
㎜︑︑女郎花秋の㌻風に打なひき心ひとつを誰によすらむ﹂﹇上一一一オ﹈ ○女郎花輪虫ノ野風ニナヒクカ 誰二心ヲヨセテアノヤウニナヒクヤラ 心ひとつは︑た﹄心といふことなり﹂
私に云︑かくてはいかにそや聞ゆ︑又﹁心ひとつは︑た㌻心とい
ふことなり﹂とはいかなる故にかしり得かたし︑われおもふに︑
秋の野風といふに︑吹かたのさためなきけしきをいひて︑かくさ
ためなく打なひくは実情のうすき事よ︑人は真情のた㌻■︵判読不
能︶なるものなるを︑其た墨ひとつなる心をあまたの人になひき
よする﹂﹇上一一一ウ﹈本心や︑なと女のうへにとりなして歌とせる也︑
されはまた例の︑
アノ女郎花力 秋ノ野風ノ吹マ\ニ ソチラコチラト誰空方ヘモ ウ上ハヘニハツカリ打ナビキ気ノシレヌ ウハ気ナ女チヤ サレ
ト人間ノ実ナ心ハ唯一ツナルモノヲソノ本ノ心墨誰ニョスルテア
ラウかく見る時は︑ひとつはた㌻心といふにはあらさるへし︑﹁ここ
ろひとつを﹂の﹁を﹂もし﹁なるものを﹂の﹁を﹂の如くおもく
見へきなり︑
︻天野政徳云︑新説宜なり︑︼
︻守部云︑宣長解たらす︑新説見得たり︑弘訓の両点宜也︑心ひとつはおもひ
■︵判読不能︶といふかごとくして︑ひとつといふに用あり︑︼ ﹂﹇上一一一一オ﹈
是貞の皇子の家の寄合の歌
66︑︑秋きりは今朝はな立そ佐保山の柞の紅葉よそにてもみん
0霧ハトウソ今朝ハ立テクレルナイアノ佐保山ノ柞ノ紅葉ヲ余所 2
ナカラナリトモ見ヤウニサ﹂
私に云︑訳にて寄の意は明らかなり︑平地に望みては︑さらすと
もた㌻可二等の題詠に地名を払いれんことの一首のうへに︑其詮
なきは見えされは︑こ﹄も佐保山をとりいてしうへは︑柞は色の
うすきものにして佐保山に多き所なれはなるへし︑柞の薄き﹂﹇上二
一一
E﹈紅葉はうすきりも立へたつへく余所にしては見かたしとい
ふ心なるへけれは柞につきて佐保山は出たるなるへし︑次のうた
にも﹁佐保山の柞の色はうすけれと﹂︵古今・二六七︶又﹁佐保山の
柞の紅葉ちりぬへみ﹂︵古今・二八一︶なとをおもへ︑
84︑龍田川もみち暇なかる神奈備の御室の山に時雨ふるらし
0白川ニモミチバナカレル 神奈備ノ御室ノ山二時雨カシテ風力 2
吹ソウナ
しくれといふに︑風の吹ことを︑もたせたる成へし﹂﹂﹇上一一三ウ﹈
私に云︑かくかきりていは墨︑しくれにては水はまさるへけれと︑
風といはされは︑山の木の葉を吹落して川に流すことにはなりか
たし︑との心よりかくいへるなるへし︑いとかたくななる理論に
して詩可をともにとくへきの言にあらす︑か㌻る一首のしたて常
に多し︑
288287
秋はきぬもみちはやとに降しきぬ道ふみ分て訪ふ人はなし
ふみ分てさらにや訪んもみちはの降かくしてし道と見なから
○アノ家ヘハイル耳掛 アノヤウニモミチハ散敷テ誰モ﹂﹇上一一三ウ﹈
人ノシラヌヤウニ フミ分テ来ヌヤウニト隠シテアル道チヤニ
ソウト見ナカラソレヲフミ分テ 今更見舞ヘキコトカナ﹂
○又ソウト見ナカラフミ分テ見舞ヤウハナイ﹂
295 、
私重訳の後の詞ソウト見ナカラ云々にては上下の句を雪質順にし
て見られ︑﹁さらにや﹂の﹁や﹂文字﹁やは﹂のことく見られた
れと︑山ふかき谷の細道なとこそさることもありなめ︑既にアノ
家ヘハイル道ハ云々と説かれたることくほとちかく見渡さる㌻道
とすへく﹂﹇上一一四オ﹈家ちかき門のほとりにての事としてはふみ分て
訪はんやうなしとはいひかたし︑云過たるにあらすや︑こ㌻はた
墨﹁もみちは﹂といふ五文字より下を上の句の上に拝して冠らし
めて見るへきなり︑さる時は詞おだやかに心明らかなり︑此うた
かへしのうたさまに見ゆれは︑其しらへの勢ひをおもひて前歌の
次につらねられたる撰者の心ならん︑鶴L﹁籠避難箪︶のな娠禦暫嫉騎亜階
︻守部云︑新訳よし︑知至常に撰者の意を忘れす見る︑それよろしき︑︼
是貞の皇子の家の歌合のうた﹂﹇上一一四ウ﹈
わか来つるかたもしられす暗部山木々のこの葉のちりとまかふ
○此クラフ山ノ木共ノコノ葉ノ最中チリマカフノテ通テ来聴方モ に
トチカラ来タヤラシラレヌ﹂
私云︑訳の意大かたはしられたり︑た㌻前にもいふかことくこ㌻
は歌合のうたなれは︑﹁くらふ山﹂とよみて詮をときたらぬにや︑
是は﹁くらふ山﹂とよめるに用なけれはかなはさるなり︑其詮な
るはいかにといは﹄︑わか来つるかたもしられすといへるか︑則
﹁くらふ山﹂に﹁くらき﹂といふをおもはせ︑さてそれはなに故
そと﹂﹇上一一五オ﹈おもへは︑木々のこのはの多くちるか故に﹁をく
らき也﹂とつ㌻き︑をかしくとりなせしならすや︑
113
23︑雪ふれは冬ごもりせる草も木も春にしられぬ花そ咲ける
0冬カレテマタ芽モ出ヌ草モ木モ雪カフレハ春ニハ沙汰ナシノ花 3
力咲タワイ 惣体花ハ春二成テ咲クモノチヤニ﹂
師云しられぬを沙汰ナシとうつしかたし︑花は春の領掌するもの
なれは春にあっかりしられぬとなくてはいかにそやおほゆ︑﹁神
そしるらん﹂﹁空にしられぬ﹂︑﹂﹇上一一五ウ﹈みなあっかりしりしらぬ
とわけていふへく︑いせものがたりの﹁しるよし㌻て﹂もおなし︑
32︑あさぼらけ有明の月とみるまてに吉野の里にふれるしら雪
0カウ夜ノクワラリツト明ケタ時二見レハテウト有明ノ月ノ残ツ 3
タ影トミユルポトニ吉野ノ里二雪力降ツタ
千秋云︑朝ぼらけのほらけは︑面明のつ㌻まりたる也︑集中其頃︑
しの墨めのほからくと明行は︑是也﹂
私に云︑訳のクワラリツト明タ時二とは田舎人の耳には日出の後
まてなとにとりちかふへきにもあらす︑﹂﹇上一一六オ﹈﹁朝ぼらけ﹂は︑
しの﹄め過るより後︑日出のきはまてをいふへくや︑日出の後を
はいふへからさるか如し︑千秋か﹁ほからかあけ﹂の説かなへり︑
又引けるうた其徴を得たり︑しかれともいまたくはしからす︑初
学のために憂いさ㌻かいはん︑﹁しの﹄めのほからほからと明行
は﹂とはしの㌻めのまたをくらきほとなるも見るま﹄に︑少しつ
㌻ほがらかにくあけゆくをいふ︑下句に﹁おのかきぬく﹂
となるを悲しめるにても︑日出の前またをくらきほとにして︑ク
ワラリツトなと﹂﹇上一一六ウ﹈いふへきほとにはあらさるをや︑さき
に橘の守部の此事を物かたりの序にいへるに︑今の俗﹁しらく
あけ﹂といふほとそ︑よくかなへるなりと申されたり︑よくかな へる也︑
34@梅の花それともみえす久かたのあまきる雪のなへてふれ㌻は
0□ あまきる雪カオシナヘテ トコモカモフッタレハ 梅ノ花 3
力梅ノ花トモミエヌ 同シ白サチヤニ依テ﹂
私云︑﹁あまきる﹂を冠辞にせられし︑さる事もあるへけれと︑
又おもふに﹁花﹂と﹁雪﹂とわきかたきほとにふりしきる故にか ママ くよめりとせは︑冠辞となさてもとく﹂﹇上一一七オ﹈とくへきなり︑た
㌻初学の人の耳ちかからんこそこの訳の本意ならめ︑
国重力霧ノ立タヤウニ 雪カオシナヘテトコモカモ空蝉ウスクラ
クナルポトニフレハ梅ノ花力同シ白サチヤニ依テトレカトレチヤ
ト見エヌワイ
︻守部云︑こ㌻は﹁なへて﹂といふ詞︑軽く見へき也︑︼
古今和歌集遠鏡補正上巻終
古今和歌集遠鏡補正下巻
361 、
﹂﹇上一一七ウ﹈
千鳥鳴佐保の川霧立ぬらし山の木の葉も色まさりゆく
○佐保山ノ木ノ葉モ 段々暴力増ッテ来タ 此通リナレハ今迄
ニモウ日晒佐保川ノ霧カタッタサゥナ
千秋云露しくれのみならす霧にても木の葉は色づくものなる故に
かくよめり﹂
先師源固云︑千秋か霧も木の酒客る云々︑か﹄はれりといふへし︑
こ㌻のものもて︑かしこのものをおしはかるうた︑いと多し︑﹁み
山にはあられふるらし外山なる﹂︵古今二〇七七︶のたくひとせは︑﹂
〒一オ﹈こ㌻も︑山の紅葉せるを見て︑﹁佐保川のきりも立らし﹂と
おしはかりていふのみ︑きりにて木の葉を染るといふにはあらす︑
﹁龍田川もみちはなかる神なひの御室の山に﹂︵古今・二八四︶なと
今とおなし︑
70︑かへる山ありとは聞と春霞立わかれなは恋しがるへし
0北国ニバカヘル山ト云山幕アルト云コトナレハ其名ノ通りニオ 3
ツ\ケ御無事テ カヘラツシヤラウトハ思ヘトモソレテモアノ霞
ノ立テアル方へ 立テ別テイカシヤツタナラバ恋シカラウ﹂
師云︑﹁春霞﹂は﹁立別﹂の﹁立﹂にのみか㌻りたる冠辞にて﹁春
霞﹂はとくに用なきのみ︑た㌻次なる﹁しら雲の立なん後﹂に︵古
今・三七一︶﹂〒一ウ﹈いふにことならす︑再三の歌さま大むねしかな
り︑知至ひそかにいふ︑宣長訳の霞ノ立テアル方への八字︑例の
国となして冠辞となせは見やすかるへし︑此うたの次の﹁をしむ
から恋しきものをしら雲の立なん後は何ここちせむ﹂︵古今・三七こ
の訳○ナコリヲシウ思ヘハ マタ立タシヤラヌ内カラハヤ此ヤウ
猛射シイ物ヲ国立テイカシヤツタナラ アトテハトノヤウナコ\
チカスルテアラウ﹂かく訳せられて︑前の﹁春霞﹂とこの﹁しら
雲﹂と全く忙し冠辞なるを︑こ墨にては国となし︑前に並ひたる
うたにては︑霞ノ立テアル方へなと訳せられしは︑訳例の正しか
らさるものか︑又いかなる異見あり﹂〒一一オ﹈しか︑おぼつかなし︑ シヲハ捨テ御出ナサルコトナレハ 明日御立チヤト聞テハ明日ノ朝ニナツタナラ ワシヤモウ露ノキユルヤウニアラウト存シラレ
マスモノ﹂
私讐︑﹁朝露の﹂といへはとて︑必﹁あすの朝﹂とするもか㌻は
れるに似たり︑た﹄﹁置てし﹂といはむか為に︑朝のとおけると
して︑うたの意は聞えたり︑一首中に冠辞ニッあるはめつらしけ
れば︑冠辞となさてとかれたれは︑かくもなれるか︑﹁朝露﹂〒一一日頃
の﹂といへるをは︑かろく見へきにや︑
79︑白雲のこなたかなたに立別れ心をぬさとくたく旅かな
レル悲シサニ 今春ナムケニ進スル此手向ノヌサノコマナカヤウ ママ 0雲ノアチコチへ分レテイクヤウニ 今度遠イ二曹ヲヘタテ\別 3
ニ拙者ハイロく二心ヲクタイテ サテくナコリヲシイ御旅立
テコサルコトカナ﹂
罫引︑﹁しら雲﹂は﹁立別﹂の﹁立﹂にのみか㌻りて︑﹁こなたか
なた﹂まてはか㌻らす︑﹁此方彼方﹂は家と友と象る﹄をいふへ
し︑雲は一村つ㌻分れても︑風の吹かたにのみ行ものなれは︑東
西とは別れぬなめり︑次の﹁恥きりのともに立出てわかれなは﹂
︵古今・三八六︶も﹁秋きり﹂﹂〒三元﹈の﹁立﹂にのみか﹄りて︑﹁と
もに﹂といふ詞にはか㌻らす︑すへて冠辞の問に句をへたて㌻つ
㌻けたる︑集中猶多し︑
︻守部云︑源固か説よし︑宣長のヌサノ細カナヤウニもなと解過たり︑︼
115
75︑から衣立日はきかし朝露のおきてし行は消ぬへきものを
日御立ノ日ヲハ明日チヤト云コトハ ワシヤモウ聞マスマイワ 3
84@音羽山木高く鳴てほと㌻きす君かわかれを惜むへらなり
0此音羽山ノ高イ木ノ上テアレ子規力高ウナキマス以下略﹂ 3
385 、
私に云︑﹁おとは山けさ越来れは﹂︵古今・一四二︶の例にならは﹄︑
笈にも﹁音羽山﹂といふに子規の声の意はなしとあるへき也︑又
声の意あらんには︑訳の木ノ上テアレの下に︑音高ウ子規力云々
と﹁音﹂の字を加ふへき也︑いつれにも訳の定らさるはおぼつか
なし︑さきに天野政徳の見られて︑﹁音﹂の字を加ふへき所には
あらす︑た㌻訳の一定せさるものぞと申されたるそ︑よろしかる
へき︑﹂〒三ウ﹈
ふちはらののちかけか唐もの㌻使に長月のつごもりかたにまか
りけるにうへのをのことも酒たうひけるついてによめる
もろともに鳴てと㌻めよ蚕秋のわかれはをしくやはあらぬ
○トモく二丈テトウソ御トメ申セキりくスヨ 今秋ノ別ノ時
分二御別レ申スハ コレポトナコリ惜イニ ソチハナコリ惜シウ
ハナイカイ﹂
師云︑訳の秋ノ別ノ時分二とはいか㌻おほゆ︑こ㌻は詞書に其心
をふくめたりと見ゆれは︑可の意は︑我々は別を惜てなくに︑汝
も暮行秋に別れんことの惜からんを︑声を助て︑ともく﹂〒四オ﹈
に泣てと﹄めたらは︑秋も人も自然とまる事もあらんかに︑なと
の心ならずや︑されは﹁秋の別﹂といふを﹁蚕﹂にのみかけて見
るへく︑訳の秋ノ別ノ時分二人二別ル\ハ其方モナコリ惜ウハナ
イカイにては︑﹁別﹂といふ斯うごきて断おだやかならす︑た﹄
﹁秋の別﹂の下に﹁汝も﹂の二字をくはへて見るへし︑又︑紫式
部か﹁鳴よわるまかきのむしもと﹄めかね秋の別れの悲しがるら
ん﹂︵紫式部集・二︶なと︑こ㌻より出たり︑
409
ほのくとあかしの浦の朝きりに嶋かくれ行舟をしそおもふ
○夜ノウスくト明ケテ来ル時分二 海上カラ見レハ アノ向ヒ
ナ明石ノ浦力朝霧テカクレテ見エヌヤウニナツテイクアノケシキ
ヲ 遠ウ﹂〒四ウ﹈ヨソニ見テ過テイク 此船中ノ心ハ サテモ
く心ホソイ物カナシイコトチヤ﹂
古注云此寄はある人のいはく柿本人丸か也
○打聞に出されたることく︑今昔物語に︑小野ノ篁卿の可とての
せたるそ︑よろしかるへき︑但し明石にて︑海をなかめてよめる
とあるは︑下句を心得誤りて︑おしあてにいへる詞也︑今昔物語
古本︑廿四の巻に出たり︑余材四の句ときたかへり︑すへて嶋か
くれとは海をへたてたる所の︑かくれて見えぬをいへり︑必しも
嶋にはかきらす此等にては︑遠きりにかくれて︑あかしの浦の見
えぬを︑海の沖よりいへるなり﹂﹂〒五二﹈
私云︑此歌ひとまろの寄ならぬことは︑しらへのうへにしられた
り︑た㌻し︑宣長の今昔物語によられて篁卿のうたとせられし︑
さることもありぬへけれと︑そはともかくも今はたしかなること
にさためかたし︑た㌻いかにも今の京のはしめより後のさまなる
へく見ゆ︑さて童歌の下句の意を心得誤りて︑おしあての詞なり
と前訳に改めとかれたるはいか㌻︑さることもありぬへけれと︑
﹁嶋かくれ﹂といふことの海上より見るに︑明石の浦の霧に隔ら
れて見わかぬをいふことにとかれたるそ︑おぼつかなき︑﹁嶋か
くれ﹂は︑た㌻船の嶋にかくれゆくこととせは︑耳平らかに聞ゆ
へし︑月の雲にかくれたるを﹁雲かくれにし夜半の﹂〒五ウ﹈月﹂︵紫
式部集・一︶とも︑また﹁葉かくれ﹂﹁木かくれ﹂﹁深山かくれ﹂な
と常にいふこと多し︑しかあれは︑た㌻明石の浦よりはるくと
沖ゆく舟の︑見るく嶋にかくれゆくを見つ﹄おもひやりてよめ
りとせは︑おだやかなるにあらすや︑訳の云々︑いとめつらしき
説にて異説を好めるに似たり︑よしそはさることあらんにも︑今 ママ は﹁雲かくれ﹂﹁木かれ﹂は︑雲にかくれ︑木にかくる㌻事とし
て︑﹁嶋かくれ﹂のみさる意にものいふとも︑ひろくわたりて通
しかたし︑されは︑われ︑又︑試にいは㌻︑
夜ノシうくト明ハナル\時分二 明石ノ浦カラ海ノ耳遠クミレ
ハ 朝キリノ立春ノニアノ沖ナ嶋ノ方へ漕キ行ク船ノミルウチ
ニ﹂〒六オ﹈ハヤモウ嶋ノカケニカクレ行クワ サテモくアノ船
ニノツタ人力心細イ物悲イコトテアラウトサ思ハル\
15︑︑いとによる物ならなくに別路の心ぼそくもおもほゆるかな
0ナンテモ糸ニヨレハ 細ウナルチヤカ カウシテ故郷ヲ別レテ 4
来タ旅ノ道ハ ソノヤウニ重出ヨルモノテハナイノニ サテモ
くマア心細ウ思ハル\コトカナ﹂
私恩︑訳のことはいかなる事ともとみに心得かたし︑よりておも
ふに︑こ㌻は﹁かたいとをこなたかなたによりかけて﹂︵古今・四八
三︶なといへは︑﹁いとによるもの﹂とは︑よりあはせある﹁糸﹂
といふにて︑さて︑そのよりあはせたる糸を︑一かたにわくれは︑
二筋となりて別る㌻﹂〒六ウ﹈故に︑﹁細く﹂と縁語をつらねて可と
せるなるへし︑訳の意は﹁糸﹂の縁はた㌻﹁細く﹂といふ﹁細﹂
の字にのみか㌻りて︑別れにはか㌻らす︑又︑何にても﹁糸によ
る﹂といふもことわりしられす︑われはやく重事を師のもとにい
ひしに︑師もうへなはれて︑則︑
糸ニヨリ合セタルモノコソ分レハ細クナルナレ糸テモナイノニ
420 、
453
今人二別レユク身ノ心細クサ覚ユルワイ 悲シイコトカナトウシ
テカウナモノチヤソイ
なとたはふれられしか︑よくかなへるやうにおほゆる也
︻守部云︑糸ニヨレハといふも詞つたなし︑糸にの﹁に﹂文字︑万葉﹁妹にご
ひ﹂の﹁に﹂とおなし︑訳の意ならんには︑﹁妹を﹂といはんか如し︑︼
此旅はぬさもとりあへす手向山紅葉のにしき神のまにく
○此度ノ歯軋御供ユエニ ヌサモ得用意致サナンタ ソレ故神
ノ﹂〒七オ﹈御心任セニト存シテ 即此山ノ紅葉ノ錦ヲソノ侭手向
マスル﹂師云︑こは﹁とりあへす﹂とつ㌻きて︑﹁とりあへす﹂は今の俗
いふ詞にて︑﹁其侭﹂﹁早速﹂又は︑﹁それを直に﹂なといふかこ
とし︑﹁動画脾聲施標諏唾されは︑訳の後の意にて︑即ソノマ\とあ
るにてたれるを︑御供故に得用意致サナンタにては中々にまとふ
へし︑御供の旅にはぬさもたぬ例ありゃ︑しらす︑又例の︑
此旅ハ秋ノ時分ナレハ 麻モソノマ\紅葉ノ錦ヲ手向回マスル神
ノ御心次第トレナリトモ御受納アラレヨ
前訳の得用意致サナンタに︑﹁とりあへす﹂といふ意あるやうに
て︑まきれやすし︑﹂〒七ウ﹈
けふり立もゆとも見えぬ草の葉を誰かわらひと名づけ潮けん
○ワラ火ナラバ煙モ立テモユルハツチヤニ 煙モタ\スニモユル
トモ見エヌ 草ノ葉チヤモノヲ 誰カワラ火ト名ヲ付初島コトヤ
ラ千秋云︑此寄︑物の名のよみさまにあらすされは︑此身にいるへ
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