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1 「高校講座・日本史」第十六回(戦国大名~城と合戦と民衆と~)
講師:小和田哲夫(以下▲) 聞き手:桐島里菜(以下●) ナレーション:(以下◇) テロップ:<> 背景等気付き:() 発問:下線部 振り返り:太字 (屏風を開くと日本史という縦書の行書体が画面中心にあり、歴史上の偉人の写真、その下に働く?民衆や動物 (鳥獣戯画?)戦う武士などが描かれている。) (山中城、川中島合戦を背景に今回のテーマである戦国大名~城と合戦と民衆と~というテーマが緑色でうち出 される) (その後もどんどんとふすまが開いていき、最後には明治維新期の偉人たちが移し出される=歴史がどんどん進 んでいくことを表現?) ●₁こんにちは、高校講座日本史桐島里菜です。日本史マイスター目指して今日もしっかり勉強しましょう。今 日のテーマは戦国大名です。戦国時代というと、その名の通りどこに行っても戦いがあった、というイメージが 有るんですが、実際はどうだったのでしょうか?今回の講師は小和田哲男先生です。先生よろしくお願いします。 (番組開始時は桐島さんのみを映す。その背景にはオープニング同様ふすまがあり、歴史上の人物や絵画などが 描かれている。草も若干生えている。) <桐島里菜> ▲₁ええ。よろしくお願いします。そうですね、確かに戦国時代っていうのは戦いが日常茶飯事でしてね。だけ ど、すべて…戦国大名、いつも戦っていたわけではないんですね。自らの支配地、これを「領国」とか、あるい は「分国」とか言うんですけれども。 <大和田哲夫> ●₂はい。 ▲₂まぁそれをいかにうまく経営していくかという、 ●₃うーん。 ▲₃そのへんにも苦心していた。 ●₄はい。 <領国(分国)> ▲₄ですから、んー…一般にはまぁ戦国時代っていうのは、「応仁・文明の乱」、まぁ応仁の乱とも言いますけど。 <応仁・文明の乱(1467~77)> ●₅はい。▲₅まぁそれが起きた1467 年ごろから ●₆はい。 ▲₆およそ100 年間ぐらいのことを指して言われるわけですね。 ●₇ふーん。 ▲₇あのー…。まぁただ、戦国大名というものに注目しますと、 ●₈はい。 ▲₈んー駿河のーまぁ守護大名でありました今川氏の元にいたこの北条早雲がですね、1493 年に、まぁ伊豆に討 ち入って支配したと、いうのが大体始まり。 <北条早雲(1456?~1519)の肖像画、背景青> ●₉はい。 ▲₉ということで。 ●10うーん。 ▲10まぁその北条氏が1590 年にまぁ豊臣秀吉によって倒されたということで。まぁこれで全国統一がほぼ成し 遂げられるわけで。 ●11はい。 ▲11そこで、戦国時代が終わったと言っています。 ●12あーはい。ということは15世紀の終わり頃から16世紀の終わり頃までの ▲12うん。 ●13百年間ということなんですね。 ▲13そうですね。はい。うぁ… ●14(やや食い気味で)先生ところで、あのー、戦国大名というのは ▲14うん。 ●15室町時代の守護大名とはどう違うのでしょうか?
▲15あぁ、はい。あのー守護大名というのは形の上では室町幕府によって任命されてくるわけですけれども、 ●16はい。 ▲16それと違って戦国大名と言いますと、ある意味では独立した地方権力であって 17うーん。 ▲17まぁ言ってみれば小国家の長なんですね。 <小国家の長> 18はい。 ▲18で、まぁその成り立ち方っていうのは、ほぼ3 つぐらいにわかれるんですけれども、いまここに出ました。 (守護大名の出自についての3 要素が画面に映される) 19はい。 ▲19えー守護大名がまぁそのまま戦国大名に成長していったというパターン 20うーん。 ▲20それから、えー今度は守護大名の家臣の筆頭である守護代がですね、 21はい。 ▲21えー下剋上によっと主君を倒して、戦国大名にのし上がるというこの2 つ目のパターンですね。 22はい。 ▲22それともう一つが、今度はあのー守護大名の家来である国人たち、これ国人一揆っていうのは習ったと思い ますが、 23はい、習いました。 ▲23はい。その国人一揆が、今度はあのー中のまぁ代表というか一人が頭角を現わして、 24はい。 24それが戦国大名にのし上がっていくという、そういうケースがあります。
25はい。 ▲25で、戦国大名たちがどのように戦って、あるいは領国を支配していったのかを見ていきたいんですけれども 26はい。 ▲26まぁ、今回特に関東甲信越ですね。ここにいま出ましたが、 (1560 年頃の関東甲信越とそれを所有する戦国大名の図) 27はい。 ▲27えー北条氏、それから上杉氏、あるいは武田、今川ですね。まぁそういった大名たちに注目して見て行きた いと思います。 28はい。北条氏と上杉氏は前回出てきました。 ▲28あ、そうですか。 29しっかり勉強したいと思います。それでは、今回のポイントです。 (今日のポイントが順に映し出される) まずポイント1 が戦国大名の城ですが。 ▲29そうですね。まぁ戦国大名の城って言いますと大体はまぁ軍事的拠点であるわけですけれど、 30はい。 ▲30それと同時に、やはり領国支配のためのある意味では政治的、あるいは経済的な中心地である、そういう必 要があったんですね。 ●31うーん。 ▲31だから戦国大名がいるお城、これが本城というわけですけれども、それを中心にして、領国内にそれより小 さなお城がいっぱいあるんです。これをまぁ支城と言いまして、 32はい。 ▲32支城ネットワークを形成することで、領国を支配する。 33はい。 ▲33まぁその例をですね、北条氏、を取り上げながら見てみたいと思います。
34はい。そしてポイント2が合戦、ですね。 ▲34はい。あのー戦国大名たちというのはやはり合戦によってですね、まぁ領地を奪い合ったわけですけれども、 ●35はい。 ▲35まぁ彼らがなぜ戦ったのかね、 36あー。 ▲36その戦う理由にまぁ迫りたいと思うのですが。 37はい。 ▲37その場合もっとも有名な戦国合戦の一つ、上杉と武田が戦ったあの川中島の戦いに注目したいと思います。 38はい。そしてポイント3が民衆への政策、ですが ▲38はい。あのー戦国大名というのは、領国を力によって支配していたというふうに思われがちなんですけれど も、 39はい。 ▲39まぁ実際には民衆の支持を必要とした。 40へぇ。 ▲40ですからそのために、北条氏や武田氏が行った政策をというものをまぁ具体的に見てみたいと思います。 41はい。それではまずは、ポイント1 の戦国大名の城です。 ▲41はい。あのー、一般的な「城」のイメージというのは、今ここに出ましたように、これ大阪城ですけどね。 (大阪城の写真) 42はい。 ▲42こういう天守が…立っていてっていうような、そんなイメージがあると思うんですけれども。 43はい。 ▲43まぁこのように水をたたえた濠と石垣を持つ、こういう…まぁ城はですね、
44はい。 ▲44近世的なお城でして、 45えー! ▲45戦国のお城ではないんですね。 46はぁ。 ▲46ですから戦国の城というのはむしろまぁ武士の館の延長上で、 47はい。 ▲47まぁ敵に攻め込まれないよう、こう空堀とかあるいは土塁などでまぁ防御性を高めたもの。戦国大名は、そ うした最先端の土木技術を駆使してですね、えー地形を巧みに利用した城を建てて、戦に備えていた。 48うーん。 ▲48それをですね、今回は北条氏の城を映像で見て見たいと思います。 49はい。 ₁神奈川県小田原市のシンボルともいえる小田原城です。 <小田原城(神奈川県・小田原市)> 伊豆の堀越公方を滅ぼした北条早雲は、1495 年に小田原城を奪い取り、相模から武蔵へと勢力を伸ばしていく 足がかりとしていきました。 <ナレーション 吉川恵美子> 天守をはじめ、現在見ることのできる建物群は、江戸時代の建築を復元したものです。 (ここまで小田原城を穏やかなBGM とともに見ていくが、BGM がかわり、小田原城周辺について見ていく) ◇₂戦国時代の小田原城は、その北西にある高台、八幡山に築かれていました。 <八幡山> 3現在、県立小田原高校があるあたりに、北条氏の館がありました。 <CG 監修 藤井尚夫>(CG により当時の小田原城周辺を再現) ◇₃さらに北に行くと、戦国時代の小田原城のありさまを垣間見られる場所があります。 <御鐘の台大堀切>(実際の映像に戻る) 深さ10 メートルを超える空堀と土塁が復元されているのです。 ◇₄その後、城の周囲には、都市が発達します。(CG) そこには大工や鍛冶など重要な職業の人々が住みました。 ◇₅1590 年、豊臣秀吉によって攻められた時には、この地域全体をすっぽりと包み込むように空堀と土塁が完成 していました。(空堀を赤でなぞり、約9キロメートルのテロップ) 総延長は9キロメートルに及んだとも言われ、豊臣方 22 万の大軍に包囲されながらも、3か月間持ちこたえま
した。 ◇₆北条氏は、拠点・小田原城を整備するだけでなく、領国内の各地に城を築いて、城のネットワークを作って いました。 (BGM がかわり、小田原城と支城のネットワークの位置を示す地図が映される) ◇₇箱根の南西の山すそに、山の地形を利用して築かれた山中城は、北条氏領国の西側の防衛を担う、もっとも 重要な拠点です。(実際の映像に戻る)<山中城跡(静岡・三島市)> 東海道、現在の国道1号線を挟み込むように作られていて、空堀の形などに北条氏特有の築城法が見てとれます。 ●50山中城には北条氏特有の城の作り方が見て取れる、ということでしたが、 ▲50ええ。 51それは具体的にどういうものなんですか? ▲51はい。いま出ましたけれども、この図と実際の映像でですね、解説をしときましょう。 (山中城簡略図) 52はい。 ▲52あの、まずあのー、いろんな「曲輪」という名前が出てきますね。 ●53はい。 ▲53あるいは三ノ丸の「丸」、 54うーん。 ▲54こういった曲輪とか丸というのは、まぁいわゆる平地でして、 55はい。 ▲55そこにこう建物を建てたり ま兵を置いたりするまぁ重要な部分ですが、 56はい。 ▲56まぁここで見ますように、例えば三ノ丸、二ノ丸、本丸というようにこう並ぶんですよね。 ●57はい。 ▲57ですからこの並ぶ形を「連郭式(れんかくしき)」といっているんですが、 <連郭式>
58はい。 ▲58これはまぁ北条氏が好んで用いた築城法でして、 59あー。 ▲59まぁ山中城の場合は、一番西のこの「すりばち曲輪」から始まってだんだん、今これじゃあ見えないんです けれども上に行くほど高くなっていくんですね。 60あー。 ▲60ですから大将がいる「本丸」が、一番高くなる。 61あ、じゃあ本丸まで、簡単にたどり着けなくなっているんですね。 ▲61そうなんですね。それからあと山中城の特徴というのは、まぁこれが箱根旧街道なんですが、 62はい。 ▲62それを挟みこむように曲輪が配置されていて。 (箱根旧街道の映像) 63ふーん。 ▲63要するに街道に面してして高い土塁が築かれ、まぁこの攻めてきた敵にですね、 64はい ▲64上から弓や鉄砲なんかで攻撃できるようにしています。まぁ現在、これ見ますように 65はい。 ▲65斜面に杉が植わっているんですけれども、 66はい。 ▲66当時こういう木は植わっていませんので 67はい。 ▲67なかなかこう、下からこう、登るというのはなかなか難しかったとおもうんですね。
68あー。 ▲68で、上にたどり着いても今度は「すりばち曲輪」っていうのがありまして、 69はい。 ▲69そのすりばち曲輪の下に、えー「一ノ堀」と呼ばれる空堀があるのですが、 70はい。 ▲70これもまた特徴的なんですよね。 71はい。先生、この人が通れるような橋みたいのはなんでしょうか? ▲71はい。これが「畝堀(うねぼり)」と呼ばれる…あの、ものでして、 72はい。 ▲72要するにあの、堀の方に降りてしまうとあの、身動きが取れなくなるんですね。 73はい。 ▲73これ実際に落ちた人がいまして、 74えー! ▲74あのーなんか蟻地獄に落ちたみたいだって言った人がいたんですけど。 75あはは。はい。 ▲75ですからこの「道」を通って攻める方もこう攻めてこざるを得ないわけで、道がせまいですから、 76うーん。 ▲761人ずつしか通れない。そこは格好の標的になりますね。 77あーなるほど。よく出来ていますね。 ▲77で、まぁこうした畝堀というものは、山中城いたるところに掘られておりまして、 78はい。
▲78この堀を作るのは、掘った時に出る土、でまぁ土塁やまぁ平坦部を作るためなんですね。 79あぁ!じゃあ一石二鳥ってことですか? ▲79あぁ、はい。 80へぇー。 ▲80であとこの「西ノ丸」にですね、少し面白い仕掛け、城主の特徴がよく現われている部分があるんです。 81はい。 ▲81で、これは今映像に出ましたけど、ちょっとまた、変わった畝ですよね。 82はい。 ▲82これをですから「障子堀」と呼んでます。 (映像に切り替わり、<障子堀>) 83障子堀… ▲83でここを通るにはだからさらに時間がかかります。 84はい。つまり、それだけ弓矢で攻撃しやすいということですか? ▲84はい。 85へぇ。 ▲85で、堀以外にもね、これ映像出ましたけれども、これ「本丸西橋」といっているんですが、 86はい。 ▲86これ半分ここまでが土塁で、こっちが板ですよね。 87あーほんとだ。 ▲87ですから木の橋になっている木の部分はいざって時に落としちゃう。 88あー。 ▲88そうすると敵は向こうから攻めてこれなくなるんで、
89へぇー。 ▲89本丸への侵入を防ぐことができるんです。 90なるほど。城を守るために細かいところまで様々な工夫がこらされていたんですね。 ▲90そうですね。城だけではなくて、 ●91はい。 ▲91国全体で攻められないようにしたと 92うーん。 ▲92なりますね。 93はい。あ、先生、これは先ほど映像でも出てきた図ですね。 (支城ネットワークの図) ▲94はい。ですからこの「城のネットワーク」に、その考え方がまぁ表われていると言っていいと思います。 95はい。 ▲95本城、小田原城赤で書いてあります。 96はい。 ▲96これを中心にまぁ国境付近にこう山中城であるとか、敵の侵入をですね、はじめに防ぐ、これを「境目の城」 といっています。 <境目の城> ●97はい。 ▲97で、その間には今度は「繋ぎの城」という形で、まぁ街道沿いなどをですね、効果的に配置して、 <繋ぎの城> 98うん。 ▲98それでネットワークを作って戦いに備えてるんです。 ●99あーなるほど。
▲99ですから「繋ぎの城」っていうのは、領国内に情報を届ける他に、今度は「境目の城」が攻められた場合に まぁ後方支援するというね、そういう役割もありました。 100はい。戦いという言葉が出てきたんですが、ということはポイント2の合戦ですね。 ▲100はい、そうですね。まぁ今回数多く行われた戦国時代の合戦の中でも、まぁもっとも有名なものの一つで あります、 101はい。 ▲101越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が争ったあの川中島戦いに注目して、 102はい。 ▲102まずは、その川中島合戦についてまとめた映像を見てもらいたいと思います。 103はい。 ◇8長野県北部にある川中島。千曲川と犀川が合流する三角地帯です。(川中島) ◇9上杉謙信と武田信玄は、1553 年から 64 年にかけて、5度にわたってこの地域で戦いました。(信玄と謙信の 肖像画の背景で炎が燃えている) ◇102人が争うことになったのは、信玄が、信濃国=現在の長野県に勢力を伸ばしてきたことが原因です。(関 東甲信越の二人の所領の地図)1551 年までに、信玄は、川中島近辺までを支配下におさめ、謙信の領地に迫りま した。 ◇11こうした信玄の動きに対し、北信濃の在地領主、国人たちが謙信に助けを求め、それに応えた謙信が兵を進 めたのです。(映像に戻り、川中島古戦場(八幡原史跡公園)) ◇125度の合戦のうち、もっとも激しかったとされるのは、1561 年、4度目の戦いでした。 ある記録によれば、信玄は、謙信との決戦に備えて整えておいた城に、兵を集めました。その数は2万と伝わっ ています。(激しいBGM かわり<川中島合戦屏風>) ◇13一方の謙信は、川中島を見下ろす妻女山に陣を敷いたとされます。(映像に戻り妻女山(長野市))こちらの 兵力は、1 万 3000。 14数日間、にらみ合いが続きましたが、武田軍は軍勢を二手に分けて、上杉軍を挟み撃ちしようとしました。 (妻女山を進む武田軍) ◇15ところが、上杉軍はそれを見透かして逸早く軍を動かし、川中島の武田本隊の前に現れたというのです。(屏 風)その後、両軍は激しくぶつかり合い、1日の戦闘で、合わせて8000 人とも言われる死者を出す、戦国時代 最大級の合戦となりました。この戦いのさなか、武田軍の本陣に攻め込んだ謙信が信玄に切りつけ、信玄が軍配 団扇で受け止めたというエピソードが伝わっています。(その場面の屏風)しかし、2人の戦いは、ついに決着 がつくことはありませんでした。 104戦国大名はなぜ戦ったんですか?
▲103まぁ理由はいくつかあるんですけどね。 105はい。 ▲104その一つは、まぁ新たな領地を得て、それを家臣たちに分け与えるためと。 106あー。 ▲105これは、武田氏の戦略・戦術を記した軍学書の『甲陽軍鑑』に、まぁ信玄の言葉として記されている文章 ですけれども。 (甲陽軍鑑) 107はい。 ▲106要するに兵を集め、戦に勝って領地を広げることによって、家臣たちに恩賞を与える。 108うーん。 ▲107で家臣たちは喜ぶ。まぁですから恩賞=所領を得ることこそがまぁ侍、まぁ家臣たちの望むことである、 というような意味なんですね。 109あー。先生、鎌倉時代に習った御恩と奉公に似ているように思えますが。 ▲108そうですね。そういう側面もあります。 110へぇ。 ▲109ただ、その主従関係というのはまぁ絶対的なものではなくて、 111はい。 ▲110やはりすきを見せると家臣に取って代わられるという恐れがあるもんですから、 112はい。 ▲111まぁ二つめの理由として、まぁ戦いに継ぐ戦いという状態にすることによってですね、 (戦う理由) 113はい。 ▲112家臣に下剋上する暇を与えないという考えもあります。
114うーん。なるほど。 ▲113それからもう一つ、、まぁこれも大きいんですが、経済圏を拡大する。まぁ要するに戦をするにしても領 国経営するにしても、お金が必要ですから。 115はい。 ▲114それで領土を広げることで農地が増えて年貢=まぁ収入ですね。 116はい。 ▲115が増える。それが交易の拡大にもつながるということで。 117うーん。 ▲116まぁこの時代やっぱり交易で大きな利益を得るには、船を使った大量輸送ということ、つまり海を確保す ることがどうしても必要なんですね。 118はい。 ▲117実は、このことが、信玄が謙信と5回も戦った理由のひとつなんです。 119あー。たしかにこうみると信玄の領地には海がないですね。 ▲118ええ。まぁ武田氏というのは、北条と今川と同盟を結んでおりましたから、 120はい。 ▲119そのため、まぁ太平洋側に領土を拡げることができないで、結局は日本海側に何とかして出ようという、 そういう考えをすることになります。 121あーなるほど。さて続いてのポイントがポイント3の「民衆への政策」ですが。 ▲120はい。あのー領国の民衆に対してですね、戦国大名っていうのは支配者たることを認めさせるために、さ まざまな施策を行っているんです。 122はい。 ▲121たとえば、この北条早雲ですけれども、伊豆に攻め入ったときに、伊豆一帯に丁度流行り病がまんえんし ていましてね。 113はい。
▲112そこで、早雲は、すぐさま薬を取り寄せて、まぁ病人に飲ませたといっています。 114へぇ。 ▲113また、このころの年貢っていうのは普通、一般的に「五公五民」、つまり半分、収穫の半分を収めなければ ならなかったんですけれども、早雲は、それを「四公六民」、まぁつまり6割は百姓のものとしてもいいと 115うーん。 ▲114改めているんですね。 116へぇ。 ▲115で、この決まりを破って取り立てようとするもし地頭、といいまして、その土地の領主ですが、 117うん。 ▲116それがいたら訴えるようにと農民にも呼びかけているんですうよね。 118へぇ。 ▲117ですからこうした政策っていうのは、後には「目安箱」の設置につながったと伝えられています。 <目安箱> 119目安箱ってきいたことがあるんですけれども… ▲118ええ、はい。要するに民衆から投書で意見を聞く仕組みでして、 120はい。 ▲119まぁこうした北条氏の政策を伝え聞いたまぁ他国の農民たちがね、「自分たちの国も、北条氏の国になれ ばいいのに」と言ったとも伝えられています。 121そうですよね。私も絶対そう思います。 ▲120まぁただ、民衆の支持を得るための政策を行なっていたのはね、北条氏だけではなかったんですね。 122へぇ。 ▲121そこで、次に今度は武田氏が行なった政策についてまぁ映像を通じてちょっと見ていきたいと思います。
123はい。 16武田信玄の領国・甲斐国は、現在の山梨県です。(<甲府盆地(山梨県)>) 南アルプスや秩父山地に囲まれた甲府盆地。山から流れこむ川は、流れが急で土砂を多く含み、たびたび氾濫し て、洪水の被害をもたらしていました。<釜無川・御勅使川> この洪水の被害を抑えるために、信玄は治水事業に取り組んだのです。 ◇17その跡が現在も何か所か残っています。中でも、具体的な工事の様子が分かるのが、釜無川(かまなしがわ) と御勅使川(みだいがわ)が合流する地点です。 「聖牛(せいぎゅう)」と呼ばれる障害物をいくつも川の流れに置いて、水の勢いを弱めたり、堤防を頑丈にす る工夫がされました。<聖牛> ◇18さらに、御勅使川の流れを2つに分け、その一方を向かいの岩壁にぶつけるという大工事を行ないました。 これも、水の勢いを弱める工夫です。(<信玄堤防絵図>) ◇19信玄は、堤防の保守・管理を行なう人々を募集して、堤の近くに住まわせるということもしています。( BGM 変わり、<武田氏朱印状>) 彼らは、堤防の整備を行なう代わりに、「棟別役)」という税金が免除されていました。<棟別役> ◇20信玄の行なった堤防造りや保守・管理の方法は、江戸時代には「甲州流川除法」として受け継がれ、各地の 水害防止に役立ちました。<甲州流川除法> 124北条氏だけではなく武田氏も行っていたんですね。そして先生あの、民衆に対する政策は他にどのような ものがあったのですか? ▲122はい。あのーここに出しましたけど、 (戦国大名の領国経営政策) 125はい。 ▲123農業・鉱業・商工業に分けて諸大名が行なったですね、えーまぁ代表的な政策をあげております。 126はい。 ▲124えー農業では、映像で見ましたように、まぁ堤防設置などによるまぁ洪水対策 127はい。 ▲125あるいは、灌漑用水の整備、 128うーん。 ▲126さらには新田開発などを行っています。 129はい。
▲127まぁこれらはまぁ農民たちに対する政策であると同時に、まぁ収穫量も増えるわけですから、 130はい。 ▲128年貢の増収を狙ったものでもあります。 131うーん。 ▲129それからまぁ鉱物資源は採れる場所はある程度限られるんですが、まぁ武田氏の場合は金山がありますの で、彼には。 132はい。 ▲130まぁ金銀は貨幣にすることができるし、鉄は武器を造るためにまぁ重要です。 133はい。 ▲131で、金・銀は、特に戦国時代に「灰吹法」というね、新しい技術が広まって、 134はい。 ▲132生産力が増えるわけですが、まぁ灰吹法については、豊臣秀吉の回に少し詳しく見たいと思います。 135はい。 ▲133で、商工業ではあとまぁ道路を整備したり、それから関所、ですね。これはまぁ通過料をとる。まぁそう いう関税なんですが。 136あぁ。 ▲134それを廃止したりするということで、商人のゆききをしやすくした。 137はぁ。 ▲135またえー楽市楽座といいまして、まぁ商工業者の自由な営業を認める政策も採っています。 138はい。 ▲136まぁ同時に、商工業者を職種ごとに城下町に集めて、それを住まわせるということによって、彼らをがっ ちり押えるということ 139あぁ。
▲137も怠らなかったというわけですよね。 140はい。 ▲138あのー各地に「鍛冶町」などの地名が今も残っている場合もあります。 <鍛冶町> 141はい。民衆に対する政策は戦国大名のためでもあったんですね。 ▲139そうですね。ですから戦国大名と民衆は、ある意味では持ちつ持たれつという面も少なからずありました。 142はい。 ▲140で、戦国大名は、特に領国内の武士や民衆をこう規制するために、まぁ「分国法」というのを定めている んです。 (主な分国法) ●143はい。 ▲141分国、まぁつまり領国内での、まぁ領国内での自分の領国内でのみまぁ通用するまぁ法律規範って言いま すかね、 144はい。 ▲142まぁ「御成敗式目」やあるいは「建武式目」の影響を受けながらも、まぁ自らの領国支配の実情をまぁ反 映した内容だったわけです。 145はい。先生、御成敗式目って確か鎌倉幕府の法律でしたよね? ▲143そうですね。はい。で、今回この中で、えー「今川仮名目録」について注目してみたいとおもいます。 146はい。それがこちらですね。(実際の史料を指差す) ▲144そうですね。これがあのー実は本物なんですけれども。 147えっ! ▲145えーあのー私がたまたま古書市で見つけて購入したんですけれどもね。 148あー!
▲146まぁ今川氏親制定1526 年に制定した、まぁ 33 か条と、まぁそれからまなんなか辺から今度は仮名目録 追加ということで、子供の義元が制定した21 条 149あー。 ▲147このように書かれてます。 ●150はい。先生、どんな内容なんでしょうか? ▲148そうですね。これ、このままでは難しいので、えーこちらにだしましたので、これを見ながら少し説明し たいと思います。 151はい。 「第一条 一 譜代の名田、地頭が意趣無く取り放つ事、これ之を停止し畢んぬ。但し、年貢等無沙汰におゐて は、是非に及ばざる也。…」どういう意味でしょうか? ▲149はい。百姓たちが重代相伝といいまして、代々保持してきた名田を、こう地頭が正当な理由もなく没収す ることは禁止すると。 152あー。 ▲150ただし、年貢を納入しなかった場合は、とやかくいうことはできない。 153うーん。 ▲151まぁ要するに農民を保護すると同時に、まぁ年貢収入を確保しようとしている、ということがわかります。 ●154あー。第一条が戦いのことではなく農民保護なんですね。 ▲152そうですね。 ●155ちょっと意外です。 ▲153ええ。まぁ今川氏が、そういう領国経営のために何を優先していたのかがうかがわれますね。 156はい。 ▲154まぁもう一つ、条文を見てみましょう。 157はい。 「第八条 一 喧嘩之事、理非を論ぜず、両方共死罪に行なうべし… 当座其身一人の之所罪たる上、妻子家内に かゝるべからず…」これって喧嘩したら死刑になっちゃうってことですか?
▲155そうですね。はい。いわゆる「喧嘩両成敗」といわれるもので、 158はい。 ▲156まぁ成文化されたのは、この今川仮名目録が最初だろうと言われています。 159はい。 ▲157ですから中世以来の「自力救済」といいまして、 <自力救済> 160うん。 ▲158つまり自分の権利は実力で守るというね 161はい。 ▲159そういう原理をここでは否定しています。 162あー。 ▲160ですからここでは、まぁ治安を維持することや、いたずらに戦力の低下を防ぐ目的というのがあったんだ と思いますね。 163はぁ。厳しいですね。 ▲161えぇ。 164ほかにどんな条文があったんですか? ▲162そうですねーあのー勝手に土地を売買するということや、あるいは家臣が他国の者と勝手に結婚すること を禁止したり、 165ええー! ▲163あるいはやはり領国の維持を目的とする内容が多いですね。 166はい。 ▲164まぁですから分国法の制定っていうのは、まぁ戦国大名が自らをこう「私的な領主」ではなくて、「公の 権威」、つまり独立政権としてまぁ内外に力を示すためのものでもあったと思いますね。
<戦国大名が「私的な領主」ではなく「公の権威」であることを示した> 167あーはい。では今回のまとめです。 まずポイント1 が戦国大名の城。自国の城を守るために様々な工夫がなされていたことがわかりました。 ▲165これは今城跡あるいてもその頃の戦国大名の知恵と工夫の跡が読み取れるんですよ。 ●168はい。そしてポイント2が合戦。ちゃんと理由があって下克上の暇を与えないというのが印象的でした。 ▲166ああ。あの戦いっていうと、ただ領土を拡張せんと思われがちですけれども、 169はい。 ▲167必ずしもそれだけではなかった。 ●170はい。そしてポイント3が民衆への政策。民衆のことを考えた国づくりというのが ▲168ええ。 ●171今までなかったのでちょっと新鮮でした。 ▲169ああ。あのどうしても戦国大名というとどうしても専制君主みたいなね。 172はい。 ▲170上からとにかく黙ってついてこい意識に思っていたんだけれど、必ずしもそうではなかったということで すね。 173はい。 171で今回まぁ戦国大名というのは、まぁ戦いだけでなくて、まぁいろんな経済政策、あるいは法による民衆 支配、 <小和田哲男> 174はい。 ▲172そういった地域社会を維持する、まぁ「公の権力」として振舞っていた、 175はい。 ▲173それが後の江戸幕府に受け継がれていくんですよね。
176んー。 ▲174ですから戦国大名というのが分国を一手に支配したことによって、 177はい。 ▲175平安時代以来続いてきた荘園制っていうのがは遂に、ここでまぁ消滅していくわけですね。 178はい。 ▲176で、そのあと天下統一というまぁ次の段階に乗り出すのが織田信長なんですよ。 179あぁ、あの織田信長ですね。 177はい。 <高校講座ホームページURL> 180高校講座のホームページでも番組を見ることができます。復習に役立ててください。小和田先生、今日は ありがとうございました。 ▲178あ、どうも。 (最後は今日のテーマが映しだされ、背景は支城ネットワークについて)