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Vol.66 , No.2(2018)046崔 境眞「ゴク翻訳官の『難語釈』における確定(yongs su gcod byed)」

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(1)

ゴク翻訳官の『難語釈』における確定

yongs su gcod byed

崔  境 眞

1.

 問題の所在

ダルマキールティ

(7世紀)

は『量決択』

(PVin)

の中で,プラマーナについて次

のように述べる.

〔正しい知には直接知覚と推理知の二種がある.〕なぜなら,〔人が〕これら二つ(直接知覚 と推理知)によって対象を確定してから(paricchidya)活動するとき,目的実現に関して 欺かれることがないからである.(PVin p. 1,10)[以下,Dh言明]

ダルマキールティは,プラマーナ一般についてこのような説明を与える一方

で,直接知覚について,「直接知覚は,分別を欠いており

(PVin I.4a, p. 7,2)

,対象

の形象が知に顕れることによって対象を把握するが,いかなる決定

(niścaya)

行わない

(PVSV p. 31,20f. ad PV I.57)

」と述べる.では,プラマーナとしての直接知

覚にとって確定

(pariccheda)

は,直接知覚自らによる作用であるのか,あるいは

分別知の作用であるのか.確定が分別知の作用であるならば,プラマーナとして

の直接知覚の特徴と,分別を欠いているという直接知覚の特徴は矛盾するのでは

ないか.

ダルモーッタラ

(8世紀)

の『量性考察』

Prāmāṇyaparīkṣā

を概観した

Krasser

1995: 249

]によると,ダルモーッタラは「確定」とは思念すること

(lhag par zhen

pa, *adhyavasāya)

を意味すると理解した.さらに思念は決定

(niścaya)

に言い換え

られる.その上でダルモーッタラは,思念をなすものは直接知覚ではなく,直接

知覚が生み出した分別知

1)

であると主張する.「直接知覚は分別知という馬車に

乗って確定する」という比喩によって,直接知覚はそれ自体としてではなく,分

別知と協働して確定を行うとダルモーッタラは考えている.

『量決択』及びダルモーッタラの『量決択 』

(PVinṬ)

をチベット語に翻訳し,

自らも『量決択』に対する 釈である『難語釈』

dKa gnas rnam bshad

を著したゴ

(2)

ク翻訳官

(rNgog Lo-tsā-ba Blo ldan shes rab, 1059–1109)

は,プラマーナによる確定に関

して基本的にはダルモーッタラの主張に従っているが,「確定」を単純に「思念」

とみなしているのではない.彼は確定を,①第一義の確定

(don dam pa i yongs su gcod byed)

と,②日常的活動としての確定

(tha snyad pa i yongs su gcod byed)

という二

つに区分する.この区分はダルモーッタラには見られないが,ゴク翻訳官は「確

定」をこのように二分することによって,ダルモーッタラの理解を補完し,さら

にダルマキールティの意図を み取ろうと試みたのではなかったかと予想され

る.以下,この点を『難語釈』に即して確認したい.

2.

 二種の確定(

yongs su gcod byed

ダルモーッタラは,

Dh

言明における「これらによって対象を確定してから」

に関して以下のように述べる.

したがって,活動対象である実在を獲得するものとして〔直接知覚と推理の〕両者に差異 はないのであり,妥当な認識の両者は実在を対象とすると説かれるのである.把握されて いないものが活動対象であるならば,過大適用となってしまうであろう,と述べられた 〔論難〕を斥けるために,「対象を確定してから」とお説きになった.すなわち,これ(= 妥当な認識)によって先に確定したことに依拠して活動するので,決定(nges pa)は原因 であり,活動(jug pa)は結果に他ならないと示したのである.(PVinṬ 9a2–9a3)

ゴク翻訳官は,おそらくダルモーッタラのこの一節を念頭において以下のように

述べる.

ma bzung ba thob par byed pa la ha cang khyab pa spang ba i phyir di dag gis don yongs su bcad nas zhes bya ba o // des na yongs su gcod byed kyi byed pa dang brel ba i nus pa tshad ma yin no zhes brjod do // yongs su gcod byed kyang dir tha snyad pa i gcod byed la dod kyi / don dam pa pa ni ma yin no // tha snyad pa ni zhen par byed pa yin la / don dam pa ni gsal ba tsam mo //2)dKa gnas rnam

bshad, 9a7 [435]–9a8 [435])

把握されていないものを獲得させるものに対して〔プラマーナの定義が〕過大遍充〔して しまうという論難〕を退けるために,「これら(=直接知覚と推理知)によって対象を確定 してから」と〔師ダルマキールティによって〕言われた.だから,確定するという働きと 結び付いている〔対象を獲得させる〕能力がプラマーナであると述べたのである3).「確 定」もここでは「日常的活動としての確定」を意図しているのであって,「第一義の〔確 定〕」を〔意図しているの〕ではない.「日常的活動〔としての確定〕」は,思念であり,第 一義〔の確定〕とは,純然たる発現(gsal ba tsam)4)である.

ダルモーッタラによれば,対象を獲得せしめる知がプラマーナであるとするな

(3)

らば,把握されていない対象を獲得せしめる知もプラマーナであることになる.

この不合理を回避するためにダルマキールティは「これらによって対象を確定し

てから」と述べている.この点に関しては,ゴク翻訳官の説明もダルモーッタラ

を踏襲したものとなっている.

ダルモーッタラは,「これ

(=妥当な認識)

によって先に確定したことに依拠し

て活動するので,決定

(nges pa)

は原因であり,活動

(jug pa)

は結果に他ならな

い」と述べている.しかしゴク翻訳官は,ダルモーッタラが「確定」を「決定」

と言い換えることをまったく問題とせず,「確定」には第一義の確定と,日常的

活動としての確定の二種類があり,ダルマキールティが

Dh

言明における「確

定」によって意図しているのは日常的活動としての確定であると断言している.

ゴク翻訳官によれば,第一義の確定とは「純然たる発現」であり,日常的活動と

しての確定とは思念である.

「純然たる発現」とは,対象の形象が認識者の知に顕れ出ることであると考え

られる.ゴク翻訳官のこのような説明は,ダルマキールティの『量評釈』第三章

(直接知覚章)

105

偈が念頭にあったのではないだろうか.その内容は「灯火な

ど,他の外界の原因を待たずとも自ずと次の刹那には滅する刹那的なものが直接

知覚に顕れ,直接知覚の段階で完全に知られる場合,直接知覚は対象について無

常なものであると確定する

(paricchinatti)

.その時,推量は不要である」と要約で

きる.ゴク翻訳官の「純然たる発現」という表現は,このような直接知覚の働き

との関連を思い起こさせる.

一方,日常的活動としての確定が

Dh

言明における「確定」である.すでに触

れたようにダルモーッタラは確定を決定と言い換えていたが,ゴク翻訳官にとっ

ても「日常的活動としての確定」と「思念」や「決定」は同義であると考えられ

る.ダルマキールティは,直接知覚は確定をなすとする.しかし,もし確定が思

念であるとするならば,直接知覚は概念作用をもつことになってしまう.この不

合理を回避するためにゴク翻訳官は,二種類の確定を設定し,直接知覚が確定を

なすとするダルマキールティの直接知覚論と齟齬を来さないように理解しようと

していることが窺える.

3.

 日常的活動としての確定

しかし,直接知覚が概念作用を欠いているにも関わらず日常的活動としての確

定すなわち思念をなすならば,いったいどのような方法でなすのか.

(4)

o na mngon suṃ la byed pa de myed par myi gyur ram zhe na / myi gyur te / rang gi byed pa la nges pa i zhen pa skyed pas tha snyad du byed pa po yin pa i phyir ro // (dKa gnas rnam bshad, 9a8[435]) 〔問〕では,直接知覚にその〔日常的活動として確定をなす〕働きがないことにならない

か.〔答〕〔その働きがないことには〕ならない.なぜなら,〔直接知覚は〕自らの作用(= 純然たる発現)に対して決定(nges pa)する思念(zhen pa)を生み出すことによって,日 常的活動における[確定に対する]行為主体(tha snyad du byed pa po)となるからである.

de ltar na rjes su dpag pa skyed pa i rtags kyang tshad ma i byed pa can du thal te / mngon sum dang dra ba i phyir ro zhe na / myi dra ste / tha snyad kyi yongs su gcod byed ces bya ba ni rnam pa gnyis la srid de / rang gi don dam pa i byed pa la zhen pa skyed par byed pa dang / rang nyid zhen par byed pa i shes pa dag go // rtags ni rang la don dam pa i byed pa myed pas de la rjes su mthun pa i zhen pa skyed pa yang ma yin la / tha snyad rang nyid kyis byed pa yang ma yin pas na / ji ltar tha snyad kyi yongs su gcod byed du gyur/ (dKa gnas rnam bshad, 9a8[435]–9b1 [436])

〔問〕そのようであるならば,推理知を生み出す証因もプラマーナの働きを持つものと なってしまうであろう.直接知覚〔の場合〕と同じであるから.〔答〕同じではない.「日 常的活動としての確定〔をなす知〕」と言われるものには二種類があり得る.①自らの第 一義の作用に対する思念を生み出す〔知〕と②自らが思念するものである知の〔二種類〕 である.証因の場合,第一義の作用が〔証因〕自身にないので,〔証因は〕それ(=第一義 の確定)に対応する思念を生み出すものでもなければ,〔証因〕自ら日常的活動を為すも のでもないので,いかにして〔証因が〕日常的活動としての確定をなすものであり得よう か5)

ゴク翻訳官によれば,プラマーナは,①自らの作用に対する思念を生み出すと

いう仕方で,あるいは,②自ら思念するという仕方で日常的活動としての確定を

なす

6)

.ゴク翻訳官の確定に関する理解を整理すれば以下のとおりである.

[1]第一義の確定(*pariccheda)=(対象の形象の)純然たる発現

[2]日常的活動としての確定(*pariccheda)=[1]について決定(*niścaya)・思念(* adhy-ava sāya)すること ①思念を生み出すことによって確定をなす ②自ら確定(=思念)する

直接知覚は,まず自らの第一義の作用

(=純然たる発現)

をなし,続いてそれに

相応する形で日常的活動としての確定

(=思念)

をなす.しかし,直接知覚は分

別知の機能を欠いているので,自ら思念するという仕方による確定は起こり得な

い.直接知覚の日常的活動としての確定は,自らの第一義の作用を思念する分別

知を生み出すことによって可能である.そうすることによって,直接知覚は分別

(5)

知を介して日常的活動としての確定という作用の主体となる

7)

4.

 結論

ゴク翻訳官は,確定に第一義の確定と日常的活動としての確定という二種類を

設定し,その枠組みの中に,確定を思念あるいは決定と言い換えているダル

モーッタラの主張を取り入れながら,プラマーナの定義文である

Dh

言明に述べ

られる「確定」を説明する.ゴク翻訳官が述べる二種類の確定は,プラマーナ一

般について述べた

Dh

言明を直接知覚の定義と並べた場合に生じる矛盾を解消す

るために導入されたものと考えられる.

ゴク翻訳官の 釈『難語釈』は,単なるチベット仏教における伝承を述べるも

のではない.『量決択』を初めてチベット語に翻訳し,理解しようとした人物と

して彼が抱いた疑問と問題意識は,我々現代の研究者にも相通じるものがある.

その点で,『難語釈』が提示する問題と解決は,今後も注目に値すると考えられ

る.

1)直接知覚の力によって生じる分別知についてはダルマキールティのHB pp. 3,13–4,3に も見られる.このような分別知を現代の研究者たちはしばしばperceptual judgement(知 覚判断)と呼んでいる.

2)紙面の都合で,dKa gnas rnam bshadの引用文についてのみ原文を提示した.

3)ゴク翻訳官によれば,欺かないもの(mi slu ba)とは,対象を獲得させる能力であり, それには,①確定された究極的な対象を持ち,②対象を知らしめる働きと結び付いてい る,という二つの特徴がある(dKa gnas rnam bshad, 9b8 [434]–9a1 [435]).彼はまた別 の箇所で,②の「知らしめる働き」を「確定する働き」と言い換えている.よって,当 該の箇所は,「〔対象を獲得させる〕能力」が,「確定する働きと結び付いていること」(= 特徴②)によって修飾される形の構文として理解できる.このようなゴク翻訳官による 「欺かないもの」の分析の詳細については別稿に譲る.

4)bKa gdams pa i gsung bum所収の複写版は,bsal ba{-r snang ba} と綴り,Vienna University

Library所蔵の複写版は,gsal baと綴っている.後者によれば「顕れ」であり,前者の場

合,行間ノートの {-r snang ba} と合わせて,bsal bar snang baは,gsal bar snang ba「明瞭な 顕現」の誤写であると推察される.よって,本稿ではgsal baを採用した. 5)この問いの意図は,次のようなことである.直接知覚が分別知を生み出し,自らの第 一義の作用に対する思念をなすという仕方で日常的活動としての確定をなすように,証 因も推理知を生み出すことによって日常的活動としての確定をなすのではないか.その 質問に対してゴク翻訳官は次のように答える.証因は,まず第一に,①の仕方で確定を なすものではない.証因は知ではないから,第一義の確定すなわち対象の形象の純然た る発現は生じない.第一義の確定がないので,たとえある推理知が証因から生み出され たとしても,推理知が思念するべき対象がない.よって,第一義の確定に対応するよう な思念を生み出すことも考えられない.また,②の仕方で確定をなすものでもない.証 因は知ではないから,自ら思念をなすことは不可能である.

(6)

6)一方,推理知は,①推理対象の純然たる発現(=自らの第一義の作用)に対して決定 知を生み出すことによって対象を確定することも可能であり,②推理対象を自ら確定 (=思念)することも可能である(dKa gnas rnam bshad, 9b2–3 [436]).直接知覚と推理知

それぞれの二種の確定とプロセスについては別稿で検討する.

7)ゴク翻訳官の同テクストを扱った西沢[2011]は,ゴク翻訳官が「直接知覚の作用は, 確定の判断(nges pa i zhen pa)を生じさせるので,言説として,断定作用(筆者注:gcod byed)の行為主体である」と理解したと述べ,「直接知覚それ自身に対象を確定する作用 を認めていた」と結論づけている.しかしこのような理解は本論文の結論と若干異な る.本論文では,Dh言明における「確定」について,ゴク翻訳官は直接知覚それ自身に 確定作用を認めたというよりは,分別知を介して確定に関わる主体となり得ると認めた と理解した.直接知覚それ自身が確定をなし得るのは,第一義での確定をなす場合で あって,日常的活動としての確定をなす場合ではない. 〈略号表〉

bKa gnas rnam bshadrNgog Blo ldan shes rab, Tshad ma rnam nges kyi dka gnas rnam bshad; bKa gdams pa i gsung bum, vol. 1.

HB Dharmakīrti, Hetubindu; Dharmakīrti s Hetubindu. Ed. Ernst Steinkellner, Helmut Krasser, and Klaus Wille. Sanskrit Texts from the Tibetan Autonomous Region, no. 19. Beijing: China Tibetology Publishing House; Vienna: Austrian Academy of Sciences Press, 2016.

PVin Dharmakīrti, Pramāṇaviniścaya; Pramāṇaviniścaya Chapters 1 and 2).Ed. Ernst Steinkell-ner. Sanskrit Texts from the Tibetan Autonomous Region, no. 2. Beijing: China Tibetology Publishing House; Vienna: Austrian Academy of Sciences Press, 2007.

PVSV Dharmakīrti, Pramānavārttikasvavṛ tti; The Pramạ̄ ṇavārttikam of Dharmakīrti: The First Chapter with the Autocommentary. Ed. R. Gnoli. Serie Orientale Roma 23. Roma: Istituto Ital-iano per il Medio ed Estremo Oriente.

PVinṬ Dharmottara, Pramāṇaviniścayaṭīkā; Tibetan translation, Derge edition no. 4227.

〈参考文献〉

Krasser, Helmut. 1995. Dharmottara s Theory of Knowledge in His Laghuprāmāṇyaparīkṣā. Journal of Indian Philosophy 23: 247–271.

西沢史仁 2011「仏教論理学の形成と展開̶認識手段論の歴史的変遷を中心として―」 東京大学提出博士学位論文.

(平成29年度科学研究費補助金17F17005による研究成果の一部)

〈キーワード〉 pariccheda,Pramāṇaviniścaya,ゴク翻訳官,dKa gnas rnam bshad

参照

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