大
念
佛
寺
蔵
、
迦
才
﹃
浄
土
論
﹄
に
つ
い
て
曽
和
義
宏
一 . 経 過 従 来 、 ﹃ 浄 土 論 ﹄ に は 以 下 の よ う な 写 刊 本 の 存 在 が 確 認 さ れ て い た 。 ︹写 本 ︺ 龍 谷 大 学 蔵 天 平 写 経 本 (中 巻 の み 、 零 本 ) 常 楽 台 蔵 本 : 元 永 二 年 ( 一 一 九 ) 写 七 寺 蔵 本 ( A 本 と 呼 称 ) : ( 一 一 七 五 ∼ 一 一 八 ○ ) 写 七 寺 蔵 折 本 ( B 本 と 呼 称 、 中 巻 の み ) : 同 右 叡 山 文 庫 蔵 天 海 蔵 本 (上 巻 の み ) : 室 町 時 代 写 か ? ︹刊 本 ︺ 慶 安 二 年 版 ( 一 六 四 九 、 上 下 巻 の み ) 慶 安 四 年 版 ( 一 六 五 一 、 浄 全 六 巻 、 大 正 蔵 四 七 巻 所 収 ﹃ 浄 土 論 ﹄ の 底 本 ) 大 阪 市 平 野 区 に あ る 大 念 佛 寺 は 、 融 通 念 佛 宗 の 総 本 山 で あ る 。 こ の た び 、 そ の 大 念 佛 寺 に 、 迦 才 ﹃ 浄 土 論 ﹄ 巻 中 の 写 本 (良 忍 手 沢 本 、 重 要 文 化 財 。 以 下 大 念 佛 寺 本 と 略 称 ) が 蔵 さ れ て い る こ と が 明 ら か と な っ た 。 こ の 写 本 の 存 在 に つ い て は 、 筆 者 も 含 め 、 名 畑 應 順 氏 や 坂 上 雅 翁 氏 な ど 、 迦 才 ﹃ 浄 土 論 ﹄ 諸 本 の 研 究 に お い て 、 今 ま で に 指 摘 ・ 紹 介 し た も の は な か っ た 。 す で に ﹃良 忍 上 人 の 研 究 ﹄ の ﹁ 大 念 佛 寺 の 重 宝 ﹂ と い う 稿 に お い て 、 そ の 他 の 重 宝 類 と し て 、 一 、 浄 土 論 一 巻 (重 文 )(1) と い う 記 述 だ け で 紹 介 は さ れ て い た 。 た だ 、 こ れ だ け で は 一 巻 本 と い う こ と も あ り 、 世 親 の ﹃無 量 寿 経 論 ﹄ と 考 え ら れ な く も な い 。 し か し 平 成 三 年 十 月 開 催 の 大 阪 市 立 博 物 館 特 別 展 ﹁ 融 通 念 佛 宗 -そ の 歴 史 と 遺 宝 -﹂ に は こ の 写 本 が 出 展 さ れ 、 出 品 図 録 に は 巻 頭 と 巻 尾 の 写 真 が 掲 載 さ れ て い た 。 こ れ に は 今 ま で 誰 も 全 く 気 付 か な か っ た の で あ る が 、 こ の 図 録 を 見 た 佛 教 大 学 の 善 裕 昭 先 生 よ り 、 こ の 写 本 の 存 在 に つ い て の ご 教 示 を 受 け た 。 そ こ で 大 念 佛 寺 御 当 局 と 寄 託 先 で あ る 大 阪 歴 史 博 物 館 の 許 可 を 得 て 、(2) 調 査 ・ 研 究 す る こ と が 可 能 と な っ た 。 印 度 學 佛 教 學 研 究 第 五 十 五 巻 第 一 号 平 成 十 八 年 十 二 月大 念 佛 寺 蔵 、 迦 才 ﹃浄 土 論 ﹄ に つ い て (曽 和 ) 本 稿 で は 大 念 佛 寺 本 の 書 誌 概 要 を 紹 介 す る と と も に 、 大 念 佛 寺 本 の 書 写 年 代 、 他 の ﹃ 浄 土 論 ﹄ 諸 本 と の 関 係 に つ い て 論 じ る 。 二 . 大 念 佛 寺 本 に つ い て 書 誌 概 要 は 以 下 の 通 り で あ る 。 ﹃ 浄 土 論 ﹄ 巻 中 一 巻 。 紙 本 墨 書 。 重 要 文 化 財 。 縦 二 七 . ○ cm 横 五 八 三 . 二 cm 。 巻 子 本 。 天 地 墨 界 、 界 高 二 二 . 九 cm 。 一 筆 。 ︹外 題 ︺ な し ︹内 題 ︺ 浄 土 論 巻 中 (撰 号 な し ) ︹本 文 ︺ 一 行 一 七 ∼ 二 八 字 。 一 紙 に つ き 二 五 行 内 外 。 筆 師 未 詳 。 同 筆 ・ 異 筆 の 書 込 あ り 。 ︹尾 題 ︺ 浄 土 論 中 巻 ︹巻 末 原 表 紙 ︺ (原 表 紙 外 題 )(3) 浄 土 論 巻 中 小 原 ノ 良 忍 之 三 . 書 写 年 代 の 推 定 原 表 紙 の 外 題 に は 、 ﹁小 原 ノ 良 忍 之 ﹂ と 、 良 忍 ( 一 〇 七 三 ∼ 一 三 二 ) の 自 筆 が あ る 。 良 忍 は ﹁良 仁 ﹂ と 自 署 し て い る 資 料 も あ る 。 ﹁良 仁 ﹂ と ﹁ 良 忍 ﹂ の 使 い 分 け は 、 寛 治 七 年 ( 一 〇 九 三 ) 、二 一 歳 の 頃 ま で は ﹁ 良 仁 ﹂ と 自 署 し て い た が 、 康 和 元 年 ( 一 〇 九 九 ) 、 二 七 歳 以 後 は ﹁良 忍 ﹂ と 署 名 し て い る の で 、(4) 良 忍 が こ の 本 を 入 手 し た の は 、 早 く て も 康 和 元 年 頃 以 後 の こ と か と 思 わ れ る 。 良 忍 に よ る 来 迎 院 の 創 設 や 、 融 通 念 佛 の 感 得 な ど を 年 表 に す る と 、(5) 康 和 元 年 ( 一 〇 九 九 ) : こ の 頃 よ り ﹁良 忍 ﹂ と 自 署 開 始 か 天 仁 二 年 (一 一 〇 九 ) : 来 迎 院 創 設 、 永 久 五 年 (一 一 一 七 ) : 融 通 念 佛 感 得 大 治 二 年 ( 一 一二 七 ) : 摂 津 平 野 の 修 楽 寺 ( 大 念 佛 寺 の 前 身 ? ) を 融 通 念 佛 の 根 本 道 場 と 定 め る 長 承 元 年 ( 一 一 三二 ) : 入 寂 (於 来 迎 院 ) と い う こ と に な る 。 良 忍 手 沢 の 浄 土 教 系 写 本 、 ﹃ 讃 阿 弥 陀 仏 偶 ﹄ ﹃ 略 論 安 楽 浄 土 義 ﹄ ﹃ 遊 心 安 楽 道 ﹄ な ど は 、 す べ て 来 迎 院 の 如 来 蔵 に 現 存 し て い る 。 ﹁小 原 ノ ﹂ と 書 い て い る こ と か ら 考 え る と 、 天 仁 二 年 ( 一 〇 九 ) の 来 迎 院 創 設 以 後 に 入 手 し た の で あ ろ う か 。 あ る い は ﹃ 浄 土 論 ﹄ だ け が 大 念 佛 寺 に あ る 理 由 は 不 明 だ が 、 こ の 点 か ら 考 え る と 、 大 治 二 年 ( 一 一二 七 ) 前 後 に 入 手 し た 可 能 性 が あ る 。 ま た 良 忍 と ど れ だ け 関 係 が あ る か は 疑 問 で あ る が 、 融 通 念 佛 と い う 教 義 そ の も の は 、 ﹃ 浄 土 論 ﹄ に 説 く 百 万 遍 念 仏 、(6) 数 量 念 仏 の 影 響 を 受 け て い る と も 考 え ら れ る 。 も し 良 忍 の 思 想
に 融 通 念 佛 思 想 の 萌 芽 が あ る と し た ら 、 そ れ は ﹃ 浄 土 論 ﹄ の 影 響 を 受 け て い る と 言 え よ う 。 そ う す る と 、 永 久 五 年 ( 一 一 一 七 ) 頃 ま で に は ﹃ 浄 土 論 ﹄ を 入 手 し て い た の か も し れ な い 。 い ず れ に し て も 奥 書 が な い の で 時 代 の 特 定 は 困 難 だ が 、 長 承 元 年 (一 一 三 二 ) 以 前 の 書 写 で あ る こ と は 間 違 い な い だ ろ う 。 つ ま り は 元 永 二 年 (一 一 一 九 ) 写 の 常 楽 台 本 と ほ ぼ 同 じ 頃 に 書 写 さ れ た も の で あ る と 考 え ら れ る 。 四 . 大 念 佛 寺 本 の 特 徴 、 お よ び ﹃ 浄 土 論 ﹄ 校 訂 に つ い て 現 在 、 他 の 写 刊 本 と の 校 訂 を 勧 め て い る 途 中 な の で 、 確 実 な こ と は 言 え な い が 、 現 時 点 で 気 が つ い た 点 を 指 摘 す る こ と に 留 め た い 。 た だ 数 カ 所 、 慶 安 四 年 版 の 間 違 い を 指 摘 で き る 点 、 す な わ ち 原 テ キ ス ト に よ り 近 づ け る 校 訂 が 可 能 な 部 分 が 存 在 す る の で 、 以 下 に そ の 点 を 示 す 。 ( 傍 線 部 筆 者 ) ① 第 四 章 第 三 問 答(7) 浄 全 : 復 次 法 藏 比 丘 四 十 八 大 願 。 初 先 為 一 切 凡 夫 。 後 始 兼 為 三 乗 聖 人 。 故 知 。 浄 土 宗 意 。 本 為 凡 夫 。 兼 為 聖 人 也 。 復 次 如 十 解 已 上 菩 薩 。 留 惑 受 生 悪 道 。 願 救 苦 衆 生 。 不 生 浄 土 。 以 任 自 業 力 更 不 堕 悪 道 中 故 。 即 知 凡 夫 由 未 勉 悪 道 故 。 須 生 浄 土 中 。 大 念 佛 寺 本 、 常 楽 台 本 、 七 寺 本 ( A 、 B ) : 復 次 法 藏 比 丘 四 十 八 大 願 。 初 先 為 一 切 凡 夫 。 後 始 兼 為 三 乗 聖 人 。 故 知 。 浮 土 宗 意 。 本 為 凡 夫 。 兼 為 聖 人 也 。 復 次 如 十 解 已 上 菩 薩 。 留 惑 受 生 願 生 悪 道 。 救 苦 衆 生 。 不 生 浮 土 。 以 任 自 業 力 更 不 堕 悪 道 中 故 。 即 知 凡 夫 由 未 免 悪 道 故 。 須 生 浄 土 中 。 傍 線 部 が 慶 安 四 年 版 と 、 諸 写 本 で 相 違 す る 部 分 で あ る 。 本 来 は お そ ら く ﹁願 生 悪 道 ﹂ と な っ て い た の で あ ろ う 。 ま た ﹁未 勉 悪 道 ﹂ は 、 ﹁未 免 悪 道 ﹂ の 間 違 い で は な い だ ろ う か 。 ち な み に 金 陵 刻 本 も ﹁未 免 悪 道 ﹂ と 訂 正 し て い る 。 ② 第 五 章 ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ 巻 上 に 対 す る 迦 才 の 私 釈(8) 浄 全 : 繹 曰 。 依 此 四 十 八 大 願 中 文 。 二 願 中 皆 云 十 方 人 天 乃 至 女 人 。 都 不 論 不 退 已 去 諸 菩 薩 也 。 鯨 願 為 菩 薩 。 當 知 。 前 者 是 正 。 後 者 兼 也 。 大 念 佛 寺 本 、 常 楽 台 本 、 七 寺 本 ( A 、 B ) : 繹 曰 。 依 此 四 十 八 大 願 中 文 。 一 一 願 中 皆 云 十 方 人 天 乃 至 女 人 。 都 不 論 不 退 已 去 諸 菩 薩 也 。 鯨 願 為 菩 薩 。 當 知 。 前 者 是 正 。 後 者 兼 也 。 ﹁ 二 の 願 ﹂ で は 、 具 体 的 に 何 を 指 示 す る の か 不 明 で あ る 。 や は り ﹁ 一 一 の 願 ﹂ と す べ き で あ ろ う 。 金 陵 刻 本 も ﹁ 一 一 の 願 ﹂ と 訂 正 し て い る 。 大 念 佛 寺 蔵 、 迦 才 ﹃ 浄 土 論 ﹄ に つ い て (曽 和 )
大 念 佛 寺 蔵 、 迦 才 ﹃ 浄 土 論 ﹄ に つ い て (曽 和 ) 以 下 は 、 各 写 本 で 異 同 が み ら れ る 点 で あ る 。 ③ 第 四 章 第 三 問 答(9) 復 次 如 上 古 已 來 大 徳 名 僧 及 俗 中 聰 明 儒 士 。 並 修 浄 土 行 。 謂 盧 山 遠 法 師 。 叡 法 師 。 劉 遺 民 。 謝 籔 運 乃 至 近 世 。 緯 輝 師 。 此 等 臨 終 並 感 得 光 墓 異 相 。 聖 衆 來 迎 一。 録 在 別 傳 。 七 寺 A 本 、 慶 安 四 年 版 : ﹁劉 遺 民 ﹂ 大 念 佛 寺 本 、 常 楽 台 本 、 七 寺 B 本 : ﹁劉 遺 人 ﹂ ④ 第 五 章 引 経 第 九 ﹃薬 師 経 ﹄ 八 菩 薩 名(10) 大 正 蔵 で は 、 次 の よ う に な っ て い る 。(11) 有 八 菩 薩 、 其 名 曰 、 文 殊 師 利 菩 薩 、 観 世 音 菩 薩 、 得 大 勢 菩 薩 、 無 審 意 菩 薩 、 寳 壇 華 菩 薩 、 薬 王 菩 薩 、 薬 上 菩 薩 、 弥 勒 菩 薩 こ の 八 菩 薩 名 の 、 各 写 本 に お け る 異 同 を 一 覧 に す る と こ の よ う に な る 。 ﹃薬 師 経 ﹄ の 八 菩 薩 名 に つ い て は 、 敦 煙 写 本 で は 、 ﹁大 勢 至 菩 薩 ﹂ が 得 大 勢 至 菩 薩 、 徳 大 勢 至 菩 薩 、 大 勢 志 菩 薩 と な る な ど の 異 同 が 認 め ら れ る が 、 そ れ 以 外 に 異 同 、 脱 落 、 置 換 の 例 は み ら れ な い 。(12) と こ ろ が ﹃ 浄 土 論 ﹄ で は 、 ﹁寳 檀 華 菩 薩 ﹂ と な っ て お り 、 さ ら に ﹁無 蓋 意 菩 薩 ﹂ と ﹁寳 檀 華 菩 薩 ﹂ が 倒 置 す る こ と が 、 共 通 し て み ら れ る 。 ま た 各 本 に み ら れ る 異 同 と し て は ﹁薬 王 菩 薩 ﹂ の 脱 落 、 ﹁薬 上 菩 薩 ← 薬 尚 菩 薩 ﹂ と い う 異 同 な ど が あ る 。 こ れ だ け で は 当 然 な が ら 諸 本 の 系 統 な ど は 判 断 で き な い 。 し か し 大 念 佛 寺 本 と 龍 大 本 ・ 常 楽 台 本 で は 相 違 す る 部 分 が こ れ 以 外 に も 何 点 か 存 在 し 、 そ れ ら は か え っ て 浄 全 本 と よ く 一 致 す る 場 合 も あ る 。 こ れ ら の 異 同 を 明 ら か に す る こ と で 、 ﹃ 浄 土 論 ﹄ の 系 統 、 流 布 の 解 明 の 手 が か り が 得 ら れ る か も し れ な い 。 お わ り に 迦 才 ﹃ 浄 土 論 ﹄ に そ れ ほ ど 異 本 が あ る と は 考 え ら れ な い が 、 龍 大 本 ・ 常 楽 台 本 が 同 系 統 、 も し く は か な り 近 い 系 統 で あ り 、 や や 近 い 系 統 が 大 念 佛 寺 本 、 少 し 違 う 系 統 と し て 七 寺 本 と い っ た と こ ろ だ ろ う か 。 あ る い は 南 都 系 、 叡 山 系 な ど が あ る 可 能 性 も 考 え ら れ よ う 。 そ れ ら は ﹃ 浄 土 論 ﹄ の 校 訂 テ キ ス ト を 作 成 す る 過 程 に お い て 明 ら か に な る だ ろ う 。 (大 念 佛 寺 本 の 影 印 ・ 翻 刻 な ら び に 詳 細 な 研 究 は 、 ﹃ 浄 土 宗 学 研 究 ﹄
第 三 三 号 に て 掲 載 の 予 定 ) 貴 重 な 写 本 の 調 査 を ご 許 可 下 さ っ た 大 念 佛 寺 御 当 局 、 大 阪 歴 史 博 物 館 の 大 澤 研 一 氏 に 篤 く 御 礼 申 し 上 げ ま す 。 ま た 資 料 を ご 提 供 下 さ っ た 龍 谷 大 学 図 書 館 、 常 楽 寺 、 七 寺 の 関 係 各 位 に 御 礼 申 し 上 げ ま す 。 1 ﹃良 忍 上 人 の 研 究 ﹄ (百 華 苑 、 昭 和 五 六 年 五 月 ) 一 七 三 頁 2 大 阪 市 立 博 物 館 が 閉 館 し 、 資 料 等 が 移 管 し た 。 3 昭 和 二 五 年 二 月 に 修 理 ・ 改 装 が 行 わ れ て 現 在 の 表 装 と な っ た 。 そ の 修 理 の 際 に 原 表 紙 を 巻 末 に 移 動 し て 貼 付 し て あ る 。 4 佐 藤 哲 英 ﹃ 叡 山 浄 土 教 の 研 究 ﹄ 三 五 〇 頁 の 説 示 に よ る 。 5 良 忍 と 融 通 念 佛 の 関 係 に つ い て は 種 々 の 問 題 が あ る が 、 と り あ え ず 記 載 し た 。 6 第 三 章 、 第 五 章 、 第 九 章 に お い て 説 か れ て い る 。 7 浄 全 六 、 六 四 三 上 8 浄 全 六 、 六 四 六 上 9 浄 全 六 、 六 四 三 10 浄 全 六 、 六 五 〇 下 。 11 大 正 二 一 、 五 三 三 b 12 八 菩 薩 名 が す べ て 変 わ っ て い る 例 は あ る 。 ︿キ ー ワ ー ド ﹀ 迦 才 、 ﹃浄 土 論 ﹄ (知 恩 院 浄 土 宗 学 研 究 所 ) 新 刊 紹 介 末 木 文 美 士
﹃平
安
初
期
仏
教
思
想
の
研
究
︱
安
然
の
思
想
形
成
を
中
心
と
し
て
︱
﹄
A 五 版 ・ 八 五 四 頁 ・ 定 価 一 九 、 ○ ○ ○ 円 春 秋 社 ・ 二 〇 〇 六 年 六 月 大 念 佛 寺 蔵 、 迦 才 ﹃ 浄 土 論 ﹄ に つ い て (曽 和 )(164)Abstracts
諸 法 實 相.What needs to be emphasized is what Kumarajiva translated
yatha-bhutata as shixiang實 相.
19. Jianzhen's Precepts of a Bodhisattva
KATSUNO
Ryuko
Jianzhen studied the Dharmaguptaka Vinaya and Tiantai. However, the
contents of his bodhisattva precepts are not known clearly. Therefore, I
stud-ied Jianzhen and his circumstances. All his teachers, Wengang, Daoan and
Hongjin, bestowed bodhisattva precepts on emperors as the teacher of the
bodhisattva precepts. Jianzhen received the bodhisattva precepts at the age
of eighteen, but this did not match with the rules of the Yoga precepts.
Therefore, there was a high possibility that the precepts of the Fanwang jing
were bestowed on him. In addition to this, according to the Song
Gaosng-zhuan, there were some cases in which Dharmaguptaka monks received
bo-dhisattva precepts of esoteric Buddhism, so the bestowals and receipts of the
bodhisattva precepts did not necessarily follow sectarian lines.
The general public received the bodhisattva precepts with a high regard
for religious good deeds through the ritual of precepts bestowal from an
em-inent preceptor. And monks loosely accepted the bodhisattva precepts
with-out regard for school.
Jianzhen conveyed such bodhisattva precepts to Japan. Jianzhen bestowed
the bodhisattva precepts from the Fanwang jing, which were also bestowed
on him, on both monks and laypeople.
20. On the Copy of Jiacai's Jingtulun Held at the Dainembutsu ji Temple
SowA Yoshihiro
Dainembutsu
ji temple in Hirano ward, Osaka, is the general headquarters
of the Yuzu Nembutsu sect. Dainembutsu
ji owns a copy of the middle
fas-cicle of Jiacai's Jingtulun. Nobody has introduced this manuscript to date.
This manuscript is remodeled, and an original cover is attached at the end
of the volume. There is a signature of Ryonin良 忍(1073-1132)on the original
cover.
-1192-Journal of Indian and Buddhist Studies Vol. 55, NO, March 2007 (165 )
Ryonin signed as Ryonin良 仁in documents until about 1093, the 7th year
of the Kanji era. However, after 1099, the lst year of the Kowa era ,he signs
as Ryonin良 忍 …Therefore Dainembutsu-ji version dates to 1099 or after .
In addition, Ryonin writes his name as"Ohara小 原"(that is Ohara大 原). In
1109,the 2nd year of the Temnin era, Ryonin founded the Raiko-in temple
来 迎 院in Ohara of Kyoto. So he may have obtained the Dainembutsu-ji
ver-sion after 1109, the 2nd year of the Temnin era.
At all events, Ryonin obtained the Dainembutsu-ji version by l132, the lst
year of the Chosho era. In other words it was copied at about the same time
as the copy of Jiacai's Jingtulun in the Jorakuji-temple常 楽 寺, which dates to
1119, the 2nd year of the Genei era.
It is clear that Ryonin possessed the Dainembutsu-ji version. Therefore the Dainembutsu ji version may be said to be a valuable manuscript.
21. Ji's Annotations on the Smaller Sukhavativyuha
HAYASHI Kana There are two annotations for the Smaller Sukhavativyuha regarded as
written by Ji 基, the founder of the Chinese Faxiang法 相school. One is
called Amituojing shu『 阿 弥 陀 経 疏 』, the other Amituojing tongzanshu『 阿 弥 陀
経 通 賛 疏 』.From ancient times there has been a question whether these are
genuine works of Ji. While there is good reason to doubt the attribution of both works, we should analyze how Ji's thought was accepted in these books. A few points different from Ji's thought are found in Amituojing shu. For ex-ample this book speaks of the ten Amita-buddha invocations, which Ji did not affirm. On the other hand, the author of the Amituojing tongzanshu un-derstands Ji's thought well. Unfortunately, Amituojing tongzanshu has at-tracted little attention from scholars. In this paper, I want to point out the value of the Amituojing tongzanshu, which in accepting the ideas of Ji accu-rately is more valuable than the Amituojing shu.