I.は じ め に 1)目的 自然災害が発生した際に,過去の災害現象の履 歴から被害の類似性や教訓を指摘される例は多 い。例えば,2011 年 3 月 11 日に発生した東北 地方太平洋沖地震・東日本大震災(以降,東日本 大震災)では,ほぼ同一の地域における類似の津 波現象として 869 年貞観地震津波や 1611 年慶長 三陸地震津波が過去の津波堆積物を根拠とした調 査結果で示唆された(例えば, 宍倉, 2011; 菅原・ 箕浦, 2013 など)。類似の極端な自然現象とそれ
過去の自然災害記録に見る災害アーカイブの展望
─三陸沿岸の津波災害に関する事例を中心に─
鈴 木 比 奈 子
*A Review of Disaster Archives of Past Natural Disaster Records Focusing on Tsunami Events in the Sanriku Coastal Area and Discussion
Hinako SUZUKI*
[Received 1 March, 2019; Accepted 28 January, 2020]
Abstract
Records describing past natural disasters are essential for promoting disaster prevention, because they can indicate the risk of disasters in a specific region at a specific time. The experi-ence of the 2011 Great East Japan Earthquake was a lesson on the importance of recording and archiving all details of disasters. Since then, disaster archives have been created for the affected areas. Compilation of disaster archives is in progress for various natural disasters that occurred after 2011. Problems facing historical archives of tsunami disasters in the Sanriku coastal area are investigated and the contents required of future disaster archives are discussed. Records in-cluded in the study are as follows: images of disaster scenes and tsunami boulders after the 1896 Meiji Sanriku Tsunami, monument to the 1933 Showa Sanriku Tsunami, publications covering disasters, and disaster experience centers. Some archive facilities had to be closed due to changes in social conditions and some information records have become too weathered to decipher, which may prevent an understanding of the details of past disasters and lessons to be learned. Disaster records communicate the type and degree of damage at the time of a disaster and provide edu-cational information. It is, therefore, important to preserve these records in perpetuity, while continuing to add new information and records.
Key words: disaster material, disaster archive, disaster digital archive, tsunami stone monu-ments, disaster picture
キーワード:災害資料,災害アーカイブ,災害デジタルアーカイブ,津波碑,災害絵図
* 国立研究開発法人防災科学技術研究所マルチハザードリスク評価研究部門
* Multi-hazard Risk Assessment Research Division, National Research Institute for Earth Science and Disaster
Resilience, Tsukuba, 305-0006, Japan
に伴う被害が複数回発生している事実は,その地 域の自然災害リスクを示唆する。そのため,過去 の自然災害や極端な自然現象を継承する情報が記 録された資料(以下,災害資料)は,災害研究の うえで欠くことのできない情報である。 本稿では,青森県,岩手県,宮城県の三陸沿岸 に発生した 1896 (明治 29) 年 6 月 15 日明治三陸 地震津波(以降,明治三陸津波),1933(昭和 8 ) 年 3 月 3 日昭和三陸地震津波(以降,昭和三陸津 波),1960(昭和 20)年 5 月 24 日チリ地震津波 (以降,チリ地震津波)の 3 回の津波を中心に, 東日本大震災以前に残された災害資料や他の地域 のアーカイブをあげ,災害資料のこれまでの特徴 と災害アーカイブの現状と課題について考察し, 今後のアーカイブに求められる要件を見いだす。 2)用語の定義 2-1)災害資料 本稿で述べる災害資料とは,自然災害に関する 情報を示す資料である。資料の種類はさまざまで, 無形の口承,現地で見られる地形や地質の痕跡, 石碑,文字情報として保存された古文書や古文書 を翻刻した資料集,絵図,写真,映像,それらの 資料を調査検討した論文や報告書,過去の災害情 報を抽出した年表資料などがある。災害資料に記 録された情報は,発端となる自然現象そのものを 示すものから,それに伴う被害,復旧,復興の情 報,将来の防災に対する対策手法や対策まで含ま れる。これらの資料は,日本各地の公共図書館を はじめ,専門図書館,博物館,美術館,郷土資料 館や個人宅など多様な施設でアーカイブされてい るため,その主体によって資料の区分もさまざま である。博物館の資料区分では二次資料に該当す る資料が図書館では一次資料となり,歴史学では 図書館の資料は一次史料の区分に該当しない。本 稿では一次資料,二次資料といった区分をとくに 行わないが,図書館の資料区分の表現に拠るとこ ろがある1)。 2-2)災害アーカイブ 本稿においては災害資料に関するアーカイブ を,「災害アーカイブ」と呼称する。対象となる 災害は地震災害,火山災害,風水害,土砂災害, 雪氷災害を含む自然災害に限定する。資料の形や 媒体はデジタルアーカイブのほか,地表地震断層 の痕跡や災害の体験施設など災害経験を継承して きた施設も対象とした。本稿で述べる災害アーカ イブとは,デジタルアーカイブも含めた包括的な 災害資料の収集関連行為と定義する。柴山ほか (2018)はアーカイブに関する用語の定義を述べ るなかで,アーカイブとデジタルアーカイブに分 けて考える必要性を指摘し,震災アーカイブは震 災関連資料の収集から整理,保存,利活用などの 行為を総称するとしている。したがって,震災デ ジタルアーカイブは震災関連資料の書誌情報等が データベース化され,コンピューター上で検索や 閲覧することができるものが多いといえる。また 「震災アーカイブ」とされる場合は「2011 年東日 本大震災」のアーカイブを示す。この定義を参考 に,本稿では災害資料全体を示す際は災害アーカ イブ,Web 上で災害資料の閲覧が可能なアーカ イブは,デジタルアーカイブと呼称する。 2-3)デジタルアーカイブ デジタルアーカイブの意義と定義は総務省 (2012)が次のように述べている:(1)意義;誰 でも,いつでも,どこからでも,有用な知的財産 にアクセスできること,(2)定義;図書・出版物, 公文書,美術品・博物品・歴史資料等公共的な知 的資産をデジタル化し,インターネット上で電子 情報として共有・利用できる仕組み。本稿におい てもこの定義に則る。 II.災害アーカイブの変遷と普及 1)東日本大震災震災アーカイブ 東日本大震災を契機に,災害デジタルアーカイ ブが急速に発展した。これは日本政府による復興 方針のなかで,被災地域における災害資料の保存, 資料のデジタル化の促進とアーカイブの構築と公 開が推進されたためである。「東日本大震災から の復興の基本方針」(東日本大震災復興対策本部, 2011)では,次のことが記されている:(1)地震・ 津波災害,原子力災害の記録・教訓の収集・保存・ 公開を行うこと,(2)国内外の地震・津波災害の 教訓も共有すること,(3)災害のみならず関連す
る資料のデジタル化を進めること,(4)収集し た資料は国内外に広く発信すること2)。これを受 け,東日本大震災の災害デジタルアーカイブが各 地で構築された。国立国会図書館が整備する東日 本大震災に関するポータルサイト「国立国会図書 館東日本大震災アーカイブひなぎく」(国立国会 図書館, 2013)において確認できる災害アーカイ ブは 65 である3)(2020 年 2 月 6 日時点)。うち 震災アーカイブは 59 に上り,多くのアーカイブ が構築されたことがうかがえる。大別すると(1) 国内外の大学機関が整備するもの:例えば東北 大学災害科学国際研究所「みちのく震録伝4)」や ハーバード大学ライシャワー日本研究所「日本災 害 DEGITAL アーカイブ(JDA)5)」,(2)メディ アやインターネットサイトが公開するもの:例え ば NHK「東日本大震災アーカイブス6)」,(3)公 的機関の公開するもの:宮城県「東日本大震災 アーカイブ宮城7)」などがあげられる。東日本大 震災の災害アーカイブの変遷とその課題について は,柴山ほか(2018)に詳しい。それによれば, 同一の写真がアーカイブサイトにより付与するメ タデータが異なることや,大量にあるアーカイブ データをどのように活用していくのかが課題とし て指摘されている。 2)災害アーカイブの変遷 災害アーカイブの構築は,これまでにも取り組 まれてきた。例えば 1995 年阪神・淡路大震災で は,神戸大学附属図書館の「震災文庫8)」が,新 聞や研究論文,写真のみならず,災害当時使用さ れた腕章やチラシなども保存している。「阪神・ 淡路大震災記念人と防災未来センター9)」は,シ アターや災害直後の街並みのジオラマ,写真や語 り部の体験談などを通して災害を追体験できる施 設である。2004 年新潟県中越地震では,「長岡市 災害復興文庫10)」が歴史的資料の救済と震災関連 資料の収集を軸に,図書館自体も避難所となった ため,掲示されていたちらしなどを含めたアーカ イブを開設している。また,「中越メモリアル回 廊11)」は,中越の被災地域を保存し,点在する災 害痕跡を巡回することで追体験するアーカイブ施 設として整備された。 災害アーカイブは今後も発展していくと考えら れる。東日本大震災以降,気象庁が命名した顕著 な災害を起こした自然現象12)は 8 事例(風水害 6 ,地震 2 )ある。2016 年 4 月 14 日,16 日を 中心に発生した平成 28 年(2016 年)熊本地震 では,知事公室危機管理課が主体となり「熊本地 震デジタルアーカイブ13)」が構築されている。熊 本県内の基礎自治体の図書館においても,災害 アーカイブが構築されている。例えば益城町図書 館14)では,町から発行された住民対象の事業の 文書資料など,町民の生活,復興情報を主体と した災害アーカイブがつくられている。2018 年 9 月 6 日に発生した平成 30 年北海道胆振東部地 震においても,市町村レベルの図書館では災害に 関係する資料の収集とアーカイブの必要性を認識 していた(日本図書館協会, 2019)。東日本大震 災以降に発生したそのほかの災害では,2014 年 11 月に発生した長野県神城断層地震のデジタル アーカイブがあり,長野県白馬村,小谷村と信州 大学が「2014 年長野神城断層地震震災アーカイ ブ15)」を公開している。 地震災害に限らず,風水害や土砂災害において もアーカイブは構築されている。名古屋市南図書 館では,1959 年伊勢湾台風の資料を集めた「伊 勢湾台風資料室16)」が設置されており,伊勢湾台 風に関する災害誌や写真などの資料がアーカイブ されている。信州大学と天竜川上流河川事務所で は 1961 年伊那谷災害(三六災害)の災害アーカ イブである「語りつぐ“濁流の子”アーカイブ ス17)」を公開している。これは当時,災害を体験 した小中学生の作文集である「濁流の子」のデジ タルアーカイブである。広島県砂防課は「広島県 砂防アーカイブ18)」を公開している。このアーカ イブは,広島県内の過去の土砂災害の発生地点を 実際の被災範囲や現場の写真,伝承を組み合わせ て Web-GIS で示したものである。今後も災害が 発生するたびに被災地域では,何らかの形で災害 アーカイブが構築されていくものと考えられる。 III.災害資料の変遷 過去にどのような資料が保存,活用されてきた
のか,三陸沿岸で近代以降に発生した明治三陸津 波と昭和三陸津波を中心に各自然災害を象徴する 災害資料を例に,資料の変遷を述べる。対象とな る災害資料は災害絵図,報告書や災害誌,災害記 念碑,災害痕跡,アーカイブ施設である。本稿で はとくに,発端となる自然現象やその直接的な被 害状況を示す資料を紹介する。当然のことながら 紹介可能な資料は限られており,また未知の資料 も存在する。 1)青森県海嘯災害畫報 「青森県海嘯災害畫(画)報」は,現在の青森 県八戸市,おいらせ町,三沢市の沿岸約 12 km の 地域(図 1 )の明治三陸津波の被害状況を描写 した画報である。 1-1)資料の状態 本資料は,縦 28 cm×横 40 cm の大きさの用 紙 7 枚組からなり,画像一点に対して,場所や状 況を示した説明文が一行つく。表 1 に資料の説明 文と対象地の現在の地名をあげた。もとの画像の 色彩は退色しているため不明であるものの,草本, 家屋の壁,茅葺き屋根の色が異なることから,単 色ではなく何色かで彩色されたと判断した。紙の 図 1 青森県海嘯画報で描画された地域.
折り目から,3 分の 1 に折りたたみ,題目を印刷 した用紙に包まれて頒布されたと考えられる。当 時の販売価格は不明である。発行日は 1896(明 治 29)年 8 月 5 日,著作兼発行者は青森県東津 軽郡筒井村の對馬豊憲,印刷者は青森県東津軽郡 青森町の近藤竹五郎である。防災科学技術研究所 自然災害情報室に所蔵されている19)。 1-2)資料の特徴 本資料は青森県内の津波被害状況の描写,描画 地点の地名と被害者名が記載された説明文が特徴 的である。資料発行日が発災から約 2 か月後に 当たるため,少なくとも災害発生後から 2 か月 以内の救助の様子や被災住宅内の生活状況を示し た資料である。 1-3)資料の考察 第 1 図は「青森県上北郡三沢村大字三川目平 民冨田熊吉妻及長女を背負いて川底に埋められ惨 死したるを発掘する図」とあり,高低差のある崖 状の地形から,冨田熊吉氏妻子の遺体を引き上げ ている様子が描写されている。画面左奥から手前 に向かって水が落下しているように見えることか ら奥の標高が高く,手前に向かって低くなってい ると判断した。上北郡三沢村は現在の青森県三沢 市に相当し,同市内に三み か わ め川目という地名が残るこ とから,同地区周辺の様子と比定した(図 2 )。 三川目地区は,海成段丘の根城面(ステージ 5e) と完新世の低地(小池ほか, 2005)に立地する地 区である。地区内に三川目川と三川目排水路が流 下しており,2 河川の合流点付近に三沢市三川目 公民館が立地する。三川目公民館は,標高 13.4 m の海成段丘から海岸の低地へ下る崖線上に立 地している。公民館では昭和三陸津波の津波碑の 設置や昭和三陸津波で被害を受けた三川目地区の 家屋の地点を地図で記録した木製の板碑が設置さ れていたが,2019 年現在では,直線で 850 m 北 北西の海成段丘上にある三沢市漁業協同組合(標 高 17.0 m)の敷地に移転した。この移転につい て,公民館関係者にヒアリングしたところ,東日 本大震災をうけて,津波から避難するには三川目 公民館は適した場所ではないため,より高台に位 置する漁協へ移転したとのことであった(2019 年 4 月著者ヒアリング)。絵図の詳細な描写地点 の特定には至っていないものの,昭和三陸津波時 も被災し,災害を伝承する石碑が設置されたこと から,明治三陸津波当時も三川目公民館の周辺が 被災地域であったととらえている。 第 3 図(図 3 )は「青森県上北郡百石村大字 一川目吉田菊次郎屋敷の惨状の図」とあり,段丘 下に立地する住宅の敷地内に破損した家屋の茅葺 き屋根や木材,遺体の検分をしている人物が描写 されている。他の図と異なり,画面左奥の一段高 い位置に神社があり,切妻造の社殿が描写されて 表 1 青森県海嘯画報( 7 枚組)の題名一覧.
Table 1 Title of Aomori Prefecture Tsunami Painting Book (set of seven paintings).
図番号 題名 現在の地名 第 1 図 青森県上北郡三沢村大字三川目 平民冨田熊吉妻及長女を背負いて川底に埋め られ惨死したるを発掘する図 青森県三沢市三川目公民館付近 第 2 図 青森県上北郡三沢村大字三川目 平民熊谷豊久の死体発見の図 青森県三沢市三川目付近 第 3 図 青森県上北郡百石村大字一川目 吉田菊次郎屋敷の惨状の図(図 2) 青森県おいらせ町一川目 徳永稲荷神社付近 第 4 図 青森県上北郡百石村大字一川目 平民吉田スワ,同ヨシ,同ヒテ,同ヲノイ, 同大太郎及び同村平民相坂トキの六名,吉田の宅地内に惨死したる図 青森県上北郡おいらせ町一川目付近 第 5 図 青森県三戸郡市川村 佐藤市の妻子,家屋の下に惨死したるを発掘する図 青森県八戸市市川町付近 第 6 図 青森県三戸郡市川村 湊松之助長男市の妻子,惨死の翌日検死済親子三人一棺 に納め埋葬せんとする図 青森県八戸市市川町付近 第 7 図 青森県三戸郡市川村 木村金吾罹災後潰れ家の屋根に穴を穿ちて仮に住居する図 青森県八戸市市川町付近
いる点が特徴的である。上北郡百ももいしむら石村は,現在の 青森県上北郡おいらせ町に相当し,現在も一ひ と か わ め川目 の地名が残ることから同地区の周辺とした。神社 の位置,地形,建物の外観に基づき現地を調査し た結果,おいらせ町一川目の徳永稲荷神社(標 高 17.4 m)付近と比定した(図 4 )。一川目周辺 には地理院地図によれば神社が 3 か所立地して いる。うち 1 か所は海成段丘下にあるため,条 件が一致しなかった。段丘上の国道 338 号に隣 接した地点は社殿の規模や形状が異なった。残る 1 か所の徳永稲荷神社(図 5 )は,鳥居や社殿お よび屋根勾配が描写された神社のそれらに類似し ていたことから比定した。現在の徳永稲荷神社の 建物の外壁は後年の修繕が入ったものと思われる が,木造社殿を被覆して現在の外壁をつけた程度 と判断した。一川目地区は海成段丘の高館面と段 丘下の完新世の低地に広がる地域である。徳永稲 荷神社は段丘上に立地し,被害家屋として記載が ある吉田菊次郎氏屋敷付近と推定される低地は標 高 4.0 m 前後で,両者の標高差は約 13 m であっ た。この付近では,東日本大震災の津波浸水高を 電柱に示しており約 0.8 m と記録されていた。 図中の描写から,明治三陸津波はそれ以上の津波 高で被害もより大きかったことが示唆される。資 料から比定された地域での現在の景観と照合する 図 2 青森県三沢市三川目周辺.
Fig. 2 Vicinity of Mikawame, Misawa city, Aomori prefecture.
図 3 青森県海嘯画報第 3 図(縦 28 cm,横 40 cm). Fig. 3 Figure 3 in Aomori Prefecture Tsunami Painting
ことにより,限定的ではあるが,地域の被害状況 を伝えることを確認できた。 1-4)写真と絵図の有用性 明治期以降,速報性の高い情報源として新聞や 写真,絵を主体にした画報20)が発行され災害情 報を報じた。明治三陸津波当時は東奥日報社が東 北地方での新聞の発行を開始していた21)。新聞以 外では「風俗画報」(東陽堂, 1896a, b, c)や「海 嘯義捐小説」(坪内, 2011)が報じた資料が残っ ている。図や写真は災害発生後の被害の惨状を視 覚化しているため被災現場の状況の伝達に有用で あるが,これらの資料のなかにはねつ造や誤認に よる説明の誤記もある。例えば山下(2005)は 風俗画報の津波石を示す写真がねつ造だったこと を指摘した。しかし写真や絵図に描かれている被 災地域の特徴的な箇所を現在の地点と比定するこ とで,その地点の当時の津波の高さや規模を推測 する資料となる点では有用である。 2)調査報告書,災害誌 2-1)調査報告書 災害資料のなかでは紙媒体の文書,論文,新聞 や災害誌が多くの割合を占める。学術的な論文や 調査報告書は,例えば以下の資料がある。明治三 陸津波直後は,地学雑誌 91 号付録に巨智部忠承 図 4 青森県おいらせ町一川目周辺.
Fig. 4 Vicinity of Hitokawame, Oirase town, Aomori prefecture.
図 5 徳 永 稲 荷 神 社 と 鳥 居(2011 年 11 月 7 日,青 森 県 お い ら せ 町 一 川 目,北緯 40.638357 度,東 経 141.443417 度).
Fig. 5 Tokunaga Inari Shrine and its gate (November, 7, 2011, Hitokawame, Oirase town, Aomori pre-fecture).
が地質学的観点から明治三陸地震津波のメカニズ ムを考察した「三陸地方地震津浪ニ附キ地質学上 ノ考説」(巨智部, 1896)が掲載され,伊木常誠 が震災予防調査会の依頼を受けて実施した現地 調査の報告「三陸地方津浪実況取調報告」(伊木, 1897)が震災予防調査会報告第 11 号に掲載され た。現地調査の報告書は前述の伊木常誠のほか に,山奈宗真が岩手県からの嘱託を受けて災害発 生直後から現在の陸前高田市から洋野町種市まで 岩手県沿岸の集落を調査した「岩手県沿岸大海嘯 取調書」(卯花・太田, 1988)などがある。昭和 三陸津波では,大学や政府系機関からの学術調査 報告書が出版されている。中央気象台からは地震 計の記録や現地調査結果等が掲載された「昭和八 年三月三日三陸沖強震及津浪報告」(中央気象台, 1933)が刊行された。東京大学地震研究所から は,現地調査結果や浸水域,研究論文を取りまと めた「震研彙報別冊第 1 号」(東京帝国大学地震 研究所, 1934)が刊行された。チリ地震津波では, 国土地理院より「チリ地震津波調査報告書─海 岸地形とチリ地震津波─」(建設省国土地理院, 1961)が発行された。本報告書では,海岸地形 と津波の関係について学術的な調査を進め,宮城 県気仙沼市や志津川町(現・南三陸町志津川)な どの津波被災地域の津波浸水実績図と地形分類図 が作成された。 2-2)災害誌 災害誌は過去の災害事例を研究するうえで,被 害を知る最初の手がかりとして使用されている場 合が多い。宮間(2017)によれば,災害誌の掲 載項目は「人的・物的被害の景況,救護の実施状 況,復興計画とその進行過程,被災者の談話や災 害時の美談」といった内容が共通しているとあ る。行政における災害誌編纂の取り組みは 1880 年代後半から始まったと宮間(2017)は述べて いる。三陸沿岸においては,明治三陸津波では 「巌手県海嘯誌」(岩手県, 1897)や「宮城県海嘯 誌」(宮城県, 1903),昭和三陸津波では「岩手県 昭和震災誌」(岩手県, 1934)や「宮城県昭和震 嘯誌」(宮城県, 1935)などが発行された。災害 誌は近代の災害を調査するうえで代表的な災害資 料であると言える。 明治三陸津波の調査報告書や災害誌は,中央 防災会議より刊行された「1896 明治三陸地震津 波」(中央防災会議災害教訓の継承に関する専門 調査会, 2005)に当時の現象,被害の状況の記述 や解説が紹介されている。「津波ディジタルライ ブラリィ22)」は,津波災害に関する資料が集約 されたデジタルアーカイブである。三陸沿岸地域 の多くの災害誌の全文が掲出されている。 3)津波碑(災害記念碑) 3-1)津波碑の概要 災害記念碑とは災害の情報を記載した石碑であ り,石碑,災害記念碑,津波碑などと呼称されて いる。本稿ではおもに津波に関する災害記念碑を 取り上げるため,津波碑と呼称する。 東日本大震災の発災後に,河北新報 2011 年 4 月 10 日朝刊23)において,岩手県宮古市重お も え茂姉あね吉よし の津波碑(図 6 )が紹介された。姉吉地区は明治 三陸津波と昭和三陸津波で 2 回とも被災し,災 害に対する教訓から,「ここより下に家を建てる な24)」と警告を刻んだ石碑を建設した。その後, 石碑の設置地点の標高を下回る地域に住宅を建て なかったため,東日本大震災では住宅被害が出な 図 6 姉吉の昭和三陸津波記念碑(縦約 130 m,横 60 cm,厚 さ 約 30 cm,2011 年 12 月 11 日,岩 手 県 宮 古 市 重 茂 姉 吉, 北 緯:39.534247 度, 東 経: 142.045364 度).
Fig. 6 Monument to Showa Sanriku Tsunami in Ane-yoshi (height 130 cm, width 60 cm, thickness 30 cm, December 11, 2011, Omoe Aneyoshi, Miyako city, Iwate prefecture).
かった。このような津波に対する警告や教訓を示 す津波碑は,日本全国の津波被災地域に建設され てきた。例えば,南海トラフ地震等による津波常 襲地域である高知県と徳島県沿岸では,「震津波 碑×デジタルアーカイブ高知・徳島の地震津波碑 紹介サイト25)」にて,津波碑 3 次元モデルのデジ タルアーカイブを公開しており,1361 年正平地 震から 1946 年昭和南海地震の津波碑が収録され ている。三陸沿岸の津波碑は首藤(2001)や北 原(2001)によれば,おもに明治時代以降に広 がり,昭和三陸津波を契機に津波防災啓発を目的 に各地に建設された。三陸沿岸地域の津波碑の調 査成果は,卯花(1991, 1992, 2002)に詳しいほ か,これらの成果は「過去の津波被災地域におけ る現地調査データ26)」に Web 掲載されている。 また東北地方整備局道路部が三陸沿岸地域の津波 碑の情報を取りまとめた「津波被害・津波石碑情 報アーカイブ27)」として公開しているほか,白幡 (2017)が岩手県旧末崎村(現・大船渡市)の津 波の襲来地点を示す標柱型の津波碑の分布調査を 実施している。「津波被害・津波石碑情報アーカ イブ27)」によれば,現在残る三陸沿岸の津波碑の 数は 317 基である。このほかに,東日本大震災 の津波碑も建設されている。 3-2)碑文の内容 首藤(2001)や北原(2001)によれば,明治 三陸津波と昭和三陸津波以降で碑文の内容に変化 があると述べている。明治三陸津波の津波碑の特 徴は首藤(2001)によれば,慰霊碑としての意 味合いが強く,北原(2001)によれば,津波碑 建立の年は災害が発生した年とその翌年の 1897 年が大半を占めるほか,七回忌など節目の年に行 われているものも多いと指摘する。一方,昭和三 陸津波の津波碑は津波防災の知恵を啓発する手段 として意図的に設置された。首藤(2001)によ れば,津波発生時の知恵を後世へ伝承する手段と してはじめて津波記念碑が意図的に採用されたの は昭和 8 年三陸津波の時としている。 3-3)明治三陸津波 津波碑の例 3-3.1)岩手県下閉伊郡田野畑村羅賀の津波碑 岩手県下閉伊郡田野畑村羅賀の津波碑は,県 道 44 号線沿い(図 7 )に設置されていた。この 地点は東日本大震災の津波浸水範囲の境界線に当 たったが,明治三陸津波の到達地点であるかは不 明である。 碑文は「明治二十九年大海嘯溺死者招魂碑」と あり,慰霊を示すものである(図 8 )。2011 年 11 月の調査時点では,東日本大震災の津波により津 波碑の一部が破損し,家屋の被害数や建立の日付 部分が削剥されていた。2019 年 4 月の調査では 2011 年の設置地点から東南東に直線距離約 110 m の地点に津波碑が移転し,昭和三陸津波と東 日本大震災の津波碑とあわせて設置されていた。 3-3.2)岩手県釜石市石応禅寺の津波碑 より強く慰霊の意味合いを印象づける津波碑の 例として,岩手県釜石市石応禅寺の境内にある津 波碑がある。卯花(1991)の調査結果によれば, 本寺には 6 基の明治三陸津波の津波碑が設置さ れており,そのなかで七回忌に建立された津波碑 は仏像の形状を取り,「海嘯惨死者追吊紀念銅像 之記」と記載されている28)。 3-4)昭和三陸津波 津波碑の例 昭和三陸津波後の津波碑は前掲の通り,津波防 災啓発の手段として設置が進められた。これは同 じ地域で 1896 年と 1933 年というように 37 年 間に 2 度の津波被害に見舞われたことが要因で ある。東京・大阪朝日新聞社が被災地支援のため 全国から義援金を集め,その一部が津波碑の建設 に充当された。あわせて津波碑に印刻する標語 も募集され,「不意の地震に不断の用意」と決定 された。実際はこれ以外の標語も使用され,北 原(2001)の集計によれば,「地震があったら津 波の用心」の趣旨の標語がもっとも多く使用され た。津波碑に印刻する文言は地域の住民によって 選択したようであった。 以下に,著者が現地で調査した津波碑で特徴 的であったものをあげる(図 9 )。碑文の改行を 「/」として示す。 3-4.1)地点 1:宮城県石巻市北上町十 三 浜 碑文: 昭和八年三月三日大震嘯記念/地震が あったら津浪の用心/十三濱村 地点:北緯 38.581619 度,東経 141.462875 度29)
青緑色の粘板岩に印刻された板状の津波碑であ る。北原(2001)が述べる宮城県内で最も多く 使用された標語が碑文に採用されている。 3-4.2)地点 2-1:岩手県大船渡市末 崎 町細浦 碑文:昭和八年三月海嘯襲来地点 地点:北緯 39.01717 度,東経 141.713333 度 大船渡市内で見かける津波到達地点に設置され た青緑色の粘板岩に印刻された津波碑である。設 置の時期は不明であるが明治三陸地震津波の到達 地点にも類似の津波碑が設置されている(地点 2-2)。調査時点では,東日本大震災の津波による 影響からか,地面から抜けた状態で保管されてい た。 3-4.3)地点 3:岩手県宮古市重茂里 碑文: A: 昭和八年津浪記念碑/三月三日午前三時強 い地震は/津浪廾(とも)報せその後廾警 戒/一時間想へ惨禍の/大地震 B: 字里地区に於て/流失住宅廿八戸/死者 四十七人/傷者 八人 図 7 岩手県田野畑村羅賀周辺.
Fig. 7 Vicinity of Raga, Tanohata village, Iwate prefecture.
図 8 羅賀の明治三陸津波慰霊碑(縦約 130 cm,横約 70 cm,厚 さ 約 26.5 cm,2011 年 11 月 16 日,岩 手県田野畑村羅賀,北緯:39.938042 度,東経: 141.936740 度).
Fig. 8 Monument to Meiji Sanriku Tsunami at Raga (height 130 cm, width 70 cm, thickness 26.5 cm, November 16, 2011, Raga, Tanohata village, Iwate prefecture).
地点:北緯 39.576138 度,東経 142.022217 度 宮古市や釜石市の津波碑は板状の石碑のほか, 多様な形,種類の岩石に「大津波記念碑」などの 文言を印刻した津波碑がある。 3-4.4) 地点 4:岩手県釜石市唐丹町小白浜盛 源寺 碑文: 昭和八年/津浪記念碑/大津浪くくりて めけぬ雄心もて/いさ追ひ進み参ゐ上ら し 地点:北緯 39.208460 度,東経 141.867582 度 昭和三陸津波の被災後に岩手県は,昭和三陸大 津波記念歌として「復興の歌」と「慰霊の歌」 (岩手県, 1934) の 2 曲を制定した。本津波碑の碑 文は「復興の歌」にあたり,当時の岩手県知事石 黒英彦が詠んだものである。旋律がついた歌は東 日本大震災後の 2011 年 6 月に CD で頒布された。 3-4.5) 地点 5:青森県三沢市三川目町三川目 公民館 碑文:地震海鳴りほら津浪 地点:北緯 40.673433 度,東経 141.431572 度 III 章 1-3)節であげた津波碑である。青森県内 では灯台の形を模した津波碑が設置され,筆者は 三沢市内から階上町の範囲で確認した。「津波被 害・津波石碑情報アーカイブ27)」によれば,青森 県内の津波碑は 8 基確認されており,うち 5 基 にこの碑文が採用されている。紹介した三川目公 民館の津波碑はその後移転し,2019 年 4 月時点 では,東日本大震災の津波碑のなかに昭和三陸津 波の石碑を組み込んだ形に変化していた。 このほか 3-1)節であげた岩手県宮古市重茂姉 吉の津波碑(図 6 )は,標語のように一言で伝 えようとするものではなく,地域の被害を受けて 図 9 宮城県,岩手県,青森県の津波碑の例.
今後の教訓を伝える碑文となっている24)。これは 姉吉地区が明治三陸津波と昭和三陸津波の 2 回 にわたり,全戸が被災したことが契機となって いる。明治三陸津波では 12 戸中全戸が流失し, 生存者は 2 名だった。その後 11 戸まで回復した が,1933 年再び全戸が被災し 89 名が死亡した。 山口(1943)によれば,姉吉ではこれを契機に 村の神社と集落を高地移転した。2020 年 1 月時 点では,昭和三陸津波と東日本大震災の津波到達 地点に津波碑が設置されている。 3-5)津波碑のもつ課題 昭和三陸津波の津波碑は,後世への津波防災の 啓発のために建設された一方で,首藤(2001) は次のような問題点も指摘している:(1)簡潔な 表現であるため,避難行動に移すための津波発生 条件の説明が十分でない,(2)石碑の風化により 記載されている情報が取得できない,(3)使用 している書の形式が草書体のため,後年の住民が 読み取れない。このうち,(3)の津波碑の碑文を 読み取れない点を解消すべく,内山ほか(2014), 鈴木ほか (2014a, b) では,SfM (structure from motion)を用いた三次元形状復元技術により, 石碑表面を三次元モデル化し,陰影処理を施すこ とにより凹凸を強調し,印刻された文字を判読す る手法を提案した(図 10)。この手法は従来の拓 本とは異なり,石碑に対して非接触で情報を記録 し,文字を読み取ることが可能となった30)。「地 震津波碑×デジタルアーカイブ高知・徳島の地震 津波碑紹介サイト25)」では津波碑を三次元モデル 化し,Web アーカイブとして公開している。 4) 災害にかかわる現象の痕跡の保存,災害体 験の共有 災害資料のなかには被害を受けた建物などの構 造物や自然現象の規模を伝達する痕跡がある。 図 10 石碑表面の三次元モデル化の例(出典:内山ほか(2014)SfM を用いた三次元モデルの生成と災害調査への活 用可能性に関する研究,防災科学技術研究所研究報告,第 81 号,3760.縮尺部分および図の説明のみ著者加筆). Fig. 10 Example of three-dimensional modeling of stone surface (Uchiyama et al., 2014, Approaches to Reconstructing a
Three-dimensional Model using SfM to Utilize and Apply this Model for Research on Natural Disasters, Report of NIED No.81, 3760. Author’s addition only for description of scale parts and figures).
4-1)津波石 過去の津波の高さと規模を伝える災害資料のな かには,例えば津波石がある。岩手県田野畑村羅 賀では,地域内にある巨礫は津波によって,海 から打ち上げられたという伝承があった。竹田 (1986)は伝承の津波石は明治三陸地震津波で打 ち上げられた,としており,実際に現地で測量し た結果,津波石の標高値は 28.2 m±1.2 m とし た。この津波石は現在でも残存しており(図 7 ), 横約 200 cm,奥行き約 300 m,厚み約 150 cm の大きさの堆積岩である(図 11)。筆者が 2011 年 11 月に現地を調査した際には,東日本大震災 の津波が津波石の至近まで及んだことを確認でき た。 岩手県大船渡市三陸町吉浜では,2011 年 6 月 に東日本大震災の津波で破損した道路法面から, 1933 年 昭 和 三 陸 津 波 の 津 波 石 が 再 発 見 さ れ た31)。津波石には昭和三陸津波で打ち上げられた 旨が印刻されており,2018 年 12 月に再整備さ れた。 4-2)津波以外の災害現象の痕跡 津波以外の災害にかかわる現象の痕跡の例とし て,地表地震断層がある。いくつかの地表地震断 層では,その痕跡を建物で被覆し保存館としてい る。例えば,1891(明治 24)年 10 月 28 日に発 生した濃尾地震の起震断層である根尾谷断層のト レンチを保存した「地震断層観察館32)」や 1995 (平成 5 )年 1 月 17 日兵庫県南部地震(阪神・ 淡路大震災)の震源に最も近い「野島断層保存 館33)」がある。野島断層保存館では断層のトレン チのほか,横ずれの状況を明瞭に示す住宅や神社 の樹林も保存されている。この保存館では,災害 を引き起こした現象の痕跡を保存するほか,災害 の語り部による阪神・淡路大震災当時の被災体験 の口承を図っている。 5)災害資料の保存施設 災害資料は,災害の状況を記録した写真や書 籍,災害を引き起こした現象の痕跡や被災した建 物など,発生地域の災害体験を伝承する媒体であ る。これまでも地域の図書館や資料館,博物館な どの公共施設や地元の有志のもとで,整備と保存 がされてきた。被災した物品や痕跡は,記録され る情報はもとより,材質や文字の形態,汚損の状 態も一緒に保存されるため,発災当時に近い状況 を想像させる補助資料となる。 5-1)災害体験型施設 語りべなどの災害体験者からの言葉,被害の映 像や地震の揺れや台風の強風などを体感する展示 を使って,災害を追体験する施設もある。三陸地 域における東日本大震災以前に設置された施設 では,1984(昭和 59)年に開館した「津波体験 館34)」がある。この施設は日本初の津波体験施設 として,宮城県気仙沼市唐からくわ桑町に開設された。唐 桑町がある唐桑半島は昭和三陸津波の際に宮城県 内で最も被害を受けた地域であった。津波防災啓 発のため,三陸地域の津波研究で知られる山下 文男氏が設立にかかわった。2013 年に東日本大 震災の情報を組み込み,リニューアルオープンし た35)。2019 年時点では,津波シミュレーターの 設備のほか,東日本大震災発生直後から撮影され た写真を展示している。そのほかの災害による体 験型施設では,1959 年伊勢湾台風の疑似体験が 可能な「名古屋市港防災センター36)」や 1995 年 阪神・淡路大震災の体験と被災した物品などの 展示を行っている「人と防災未来センター9)」, 2004 年新潟県中越地震の被災地の回遊型施設で 図 11 羅賀地区に残る津波石(横約 200 cm,奥行き約 300 m,厚 さ 約 150 cm,2011 年 11 月 16 日,岩 手県下閉伊郡田野畑村羅賀,北緯:39.937590 度, 東経:141.937598 度).
Fig. 11 Tsunami boulder remaining at Raga (width 200 cm, depth 300 cm, thickness 150 cm, November 16, 2011, Raga, Tanohata village, Iwate prefec-ture).
ある「中越メモリアル回廊11)」がある。 5-2)紙媒体の災害資料アーカイブ施設 災害資料はもとが紙媒体であるものも多く,図 書館や資料館においても保存されてきた。とくに 紙媒体の資料はデジタル化との相性がよく,デジ タルアーカイブとして提供されやすい資料の一つ である。 例えば,防災科学技術研究所自然災害情報室37) は,国立の研究機関に設置された「国内外の自然 災害,防災科学技術に関する情報および資料の収 集,整理,保管,提供を職務とする災害資料に特 化した資料室(鈴木, 2018)」である。同室では, 災害の発生地点を Web-GIS で表現した「1964 年新潟地震オープンデータ特設サイト38)」を開設 している。このサイトでは,発災直後に撮影され た空中写真の解析を行い正射画像化し,スナップ 写真資料は撮影地点を特定した上で公開してい る。これらの資料は防災科学技術研究所の著作物 であるため,クリエイティブコモンズライセンス CC-BY 39)として,クレジットを表示する限り, 再配布並びに営利目的などの二次利用可能な情報 として公開している。「水害地形分類図デジタル アーカイブ40)」は,他機関が発行した著作物につ いても,二次利用の条件を整理し公開したもので ある。例えば使用されている背景地図の測量法41) による制限と著作者が多岐にわたる地図の利用条 件を整理し,利用者に明示したデジタルアーカイ ブである(鈴木ほか, 2016)。 公益社団法人全国市有物件災害共済会防災専門 図書館42)は,「防災,災害等に関する資料の収集 とその活用・発信を通じて,住民のセーフティネッ トとして貢献」 するため,自然災害に限らず,火 災や事故などさまざまな災害やその対策に関する 資料の収集を行っている専門図書館である。鯰絵 など一部の資料はデジタルアーカイブとしてイン ターネット公開を行っているほか,資料の展示解 説も積極的に実施している。この二つは災害資料 を専門としたアーカイブ施設である。 公共図書館においても災害アーカイブを構築し ており,例えば「信州地域史料アーカイブ43)」が ある。これは長野県内にある県立図書館,市町村 図書館,県立歴史館,文書館,博物館等の連携と 協働により設立され,1847 年善光寺地震や 1742 年戌の満水(千曲川の洪水)などの資料がデジタ ルアーカイブとして公開されている。図書館を中 心とした日本全国の災害資料アーカイブ機関は, 防災科学技術研究所より一部が公開されてい る44)。 5-3)消失したアーカイブ施設 災害アーカイブ施設の整備は,近年急激に取り 組まれたわけではなく過去の災害でも実施されて いる。例えば 1923(大正 12)年 9 月 1 日大正関 東地震(関東大震災)では,アーカイブ施設設立 の重要性が指摘され,実際に「横浜市震災記念 館」が開設された。しかしその後の第二次世界大 戦や街の復旧,復興など,社会の変化のなかで震 災記念館と冠する施設は消失した。 「横浜市震災記念館」は横浜市における関東大 震災の被災体験と教訓を後世に伝えることの重要 性を考え,「震災を残す」ことを目的に 1924 年 9 月 1 日に設立した災害資料アーカイブ施設であっ た(はまれぽ, 2013)。横浜市郷土研究会(1995) によれば,写真資料の収蔵や地震後の資材不足の なかで建てられた住宅の展示など,紙媒体の資料 だけではなく,立体的な資料の展示も行ってい た。しかし 1942 年に第二次世界大戦の影響で金 属回収令が発令されたことで,金属製品の展示物 が回収され消失した。その後,記念館は博物館へ 改装されたが 1944 年には戦況の悪化で博物館の 観覧が中止,1945 年には廃止が決定されたこと で「横浜市震災記念館」は閉館した。記念館の あった建物は戦後,市営の結婚式場として利用さ れた。所蔵していた災害資料の一部は,横浜市中 央図書館に継承され現在に至っている。 IV.災害資料アーカイブの活用と課題 1)災害資料のもつ情報とアーカイブ施設 本稿ではおもに三陸地域における災害資料と被 害規模の大きい過去の災害事例の資料の特徴, アーカイブ施設例をみてきた。災害資料に収録さ れた情報内容を大別すると,おおむねある地域, 地点における(1)災害そのものの被害情報:災
害体験の共有,災害を引き起こした現象の規模, それに伴う人的被害や体験談,(2)復旧・復興期 の情報:災害復旧,復興のための支援者への謝意, (3)将来への備え:失敗からの学びと対策方法, 教訓が含まれていた。 例えば青森県海嘯画報では,(1)災害を引き 起こした現象による被害情報,限られた地点の災 害体験の共有と被害情報を含んでいた。津波碑や 津波石は,(1)に該当する設置された地点の災害 体験の共有,災害の規模,(2)復旧・復興期の 情報である支援者への謝意,(3)将来への備え の複数の情報内容を含んでいた。 災害資料は,今後の防災研究に資するためにも 資料自体が永続的に保存されることが重要であ る。しかしながら過去には社会情勢の変化や施設 の利用用途の変化により,横浜市震災記念館のよ うに多くの資料が消失し,施設も閉館することで 当初の目的が遂行できず失われた事例もあった。 また,アーカイブを設置する自治体などの組織の 規模は千差万別であり,事業運営の主体や予算な ども災害によって異なる。画一的に同じ規模や手 法で取り組むのではなく,地域によって実行可能 な部分を取捨選択し,災害資料アーカイブを構築 していくことも重要である。災害アーカイブ施設 をただつくるだけではなく,永続的な施設の継続 あるいは将来的に継続する別機関への移管を念頭 におく必要がある。 2)利活用を想定したアーカイブ 保存され,利活用されていく災害資料は,貴重 な唯一無二の資料も含んでおり,風化や破損が懸 念される。災害資料のデジタルアーカイブは資料 保存の観点はもとより,当該地域以外の場所でも 情報が共有できるようにつくられている。近年は 紙などの物質を介さず,はじめからデジタルデー タとして資料が作成されている。災害資料のなか でもとくに写真や動画,音声情報がスマートフォ ンやデジタルカメラの普及に伴い,年齢,性別, 社会経験や役割を超えてどのような立場の人でも 簡単に撮影し,だれでも記録を残すことが可能に なった。これらの資料は,災害の被害を伝えるう えで発災当時やその後の生活を記録し,伝承する 災害資料である。これにより資料の物量は増加傾 向にある。しかしこれらの大量の災害資料をデジ タルアーカイブとして活用するには,その災害資 料から「いつ」「どこで」「どのような規模の災害 が」「いかなる被害が起きたのか」という情報を 具体的に読み取り,どのような活動や対策に資料 が使えるのか,といった資料評価,情報の整理と 災害の発生情報と関連づける必要がある。例えば 鈴木ほか(2013)は,日本全国の市町村単位で 過去の自然災害事例をデータベース化し,「災害 事例データベース」として自然災害の年表化を 行っている。こういったデータベース化された自 然災害事例と被害状況を伝達する災害資料が関連 づけられることで,その現象の被害状況を伝え, 被災地域のみならず,他の地域で発生した規模や 条件の類似した自然災害とその被害を想定する材 料になる可能性がある。 その一方で多くの撮影者,つまり著作権者がい ることは,災害資料の二次利用に供するための手 続きと利用条件の明記がより重要になってくる。 「水害地形分類図デジタルアーカイブ40)」では, 国内外に存在する多様な権利者と地図に関連する 測量法の情報整理を行っており,許諾手続きが多 様で煩雑であった取り組みの一例としてあげた。 災害資料の受け入れ時に,撮影地点情報の聞き取 りや二次利用に関する意思確認を積極的に進める べき点である。 柴山ほか(2018)は,同じ写真がアーカイブ サイトによって,つけられるメタデータが違うこ とや,大量にあるアーカイブデータをどのように 活用していくのか,という問題を指摘している。 災害資料が多くの人により取得され,地域の詳細 な情報を得られるようになってきたからこそ,情 報の選別や対象者ごとに資料を組み合わせること が重要になる。例えば青森県海嘯画報では,青森 県三沢市から八戸市までの沿岸約 12 km の地域 の明治三陸津波の被害状況を描いていた東日本大 震災と比較して,津波高や被害状況がより深刻で あることがわかる。この資料から,青森県の沿岸 地域では,東日本大震災の被害状況だけでなく, 明治三陸津波の被害規模も想定した防災対策が当
該自治体には必要と読み取れる。災害資料のメタ データやその資料から読み取れる情報の判読とそ の結果もあわせた解釈の一例のアーカイブも一考 する必要があろう。 3)まとめ 紙や岩石などの物質として残る災害資料を中心 に,災害資料に含まれる情報と災害アーカイブの 現状の課題について述べた。東日本大震災以降, 災害資料を取り巻く環境は大きく変化した。災害 に関する資料を収集し,保存することへの重要性 が再認識され,震災前と比較して災害アーカイブ の機運が社会のなかで以前より高まったと実感し ている。しかし過去の例をみると,社会情勢の変 化によって閉館したアーカイブ施設や教訓を得る べき後世の人間が情報を読み取れないために,意 図が伝承されない石碑や自然現象の痕跡があっ た。震災アーカイブでは,物量が多いために資料 の取捨選択が困難な課題も指摘されている。今後 も自然災害が発生するたびに被災地域では,何ら かの形で災害アーカイブが構築されていくものと 考えられる。より詳細に地域の被害状況が取得で きるようになった現在だからこそ,画一的ではな い災害アーカイブの在り方やもう一歩踏み込んだ 資料解釈の例と発信が求められる。 謝 辞 データの整理について,防災科学技術研究所竹口明 希氏に多大なる貢献をいただいた。災害調査時に訪問 した各地のアーカイブ機関の皆様の率直なご意見が本 稿に影響を与えた。この場を借りて御礼申し上げます。 注 1) 図書館における資料区分は日本図書館協会(1983) によれば,「『一次資料』とは,記録された完全情報 のにないてのことで,具体的には各種の著作,論文, 報告書等を収録した出版物やマイクロ資料などを指 す。『二次資料』は,一次資料を入手するうえで必要 な情報を集めてこれを組織的に配列し,容易に検索 できるようにしたもので具体的には(1)目録,(2) 書誌(参考文献,引用文献を含む),(3)索引誌(コ ンテンツ・サービスを含む),抄録誌」としている。 2) 「地震・津波災害,原子力災害の記録・教訓の収集・ 保存・公開体制の整備を図る。その際,被災地域に おける公文書等の保全・保存を図るとともに,国内 外で過去発生した地震・津波の教訓も共有する。情 報通信技術を活用しつつ,これらの記録・教訓のみ でなく,地域情報,書籍など関係する資料・映像等 のデジタル化を促進する。また,今回の震災におけ る消防機関等の活動記録を集積し,その分析・検証 を行う。こうした記録等について,国内外を問わず, 誰もがアクセス可能な一元的に保存・活用できる仕 組みを構築し,広く国内外に情報を発信する(東日 本大震災復興対策本部, 2011)。」 3) 青森デジタルアーカイブシステムは青森震災アー カイブに統合されたため,両者をあわせて 1 と集計 した。 4) みちのく震録伝(東北大学災害科学国際研究所) http://www.shinrokuden.irides.tohoku.ac.jp/ [Cited 2018/2/28]。 5) 日本災害 Digital アーカイブ(ハーバード大学ライ シャワー日本研究所)http://jdarchive.org/ja [Cited 2019/7/19]。 6) 東 日 本 大 震 災 ア ー カ イ ブ ス( 日 本 放 送 協 会 ) https://www9.nhk.or.jp/archives/311shogen/about/ [Cited 2019/7/19]。 7) 東日本大震災アーカイブ宮城(宮城県)https:// kioku.library.pref.miyagi.jp/ [Cited 2019/7/19]。 8) 震災文庫(神戸大学附属図書館)http://www.lib. kobe-u.ac.jp/eqb/ [Cited 2019/7/19]。 9) 阪神・淡路大震災記念人と防災未来センター(人 と防災未来センター)http://www.dri.ne.jp/ [Cited 2019/7/19]。 10) 長岡市災害復興文庫 (長岡市立中央図書館文書資料 室 )https://www.lib.city.nagaoka.niigata.jp/?page_ id=568 [Cited 2019/7/19]。 11) 中越メモリアル回廊(中越防災安全推進機構) http://c-marugoto.jp/ [Cited 2019/7/19]。 12) 気象庁が名称を定めた気象・地震・火山現象一覧 (気象庁)https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/ meishou/meishou_ichiran.html [Cited 2019/7/19]。 13) 熊本地震デジタルアーカイブ(熊本県)https:// www.kumamoto-archive.jp/ [Cited 2019/7/19]。 14) 益城町交流情報センター図書館(熊本県益城町) https://www.town.mashiki.lg.jp/kouryu/list00803. html [Cited 2019/7/19]。 15) 2014 年神城断層地震震災アーカイブ(長野県小谷 村,白馬村,信州大学)http://kamishiro.shinshu- bousai.jp/ [Cited 2019/7/19]。 16) 伊勢湾台風資料室(名古屋市南図書館)https:// www.library.city.nagoya.jp/guide/m_minami.html [Cited 2019/7/19]。 17) 語りつぐ“濁流の子”アーカイブス(信州大学附属 図 書 館 )http://lore.shinshu-u.ac.jp/ [Cited 2019/7/ 19]。 18) 地域の砂防情報アーカイブ(広島県)http://www. sabo.pref.hiroshima.lg.jp/saboarchive/saboarchive map/index.aspx [Cited 2019/7/19]。 19) 同室が公開する東日本大震災特設サイト(防災科 学技術研究所,2011 年公開)において,全文を PDF 形 式 で の 閲 覧 が 可 能 で あ る https://dil.bosai.go.jp/ disaster/2011eq311/index.html [Cited 2019/7/19]。 20) グラフ誌,グラフ雑誌とも呼ばれる。
21) 東奥日報社は 1888(明治 21)年 12 月 6 日に創刊 した青森県青森市に本社を置く新聞社である。 22) 津波ディジタルライブラリィ http://tsunami-dl.jp/ [cited 2019/7/19]。 23) 津波先人の警鐘生かされたか 宮古・姉吉地区「此 処より下に家を建てるな」石碑の教え守る(河北新 報 2011 年 4 月 10 日朝刊,24 面)。 24) 姉吉の石碑全文は次の通り。碑文の改行を「/」 として示す。 「高き住居は/児孫の和楽/想へ惨禍の/大津浪/此 処より下に/家を建てるな/明治廿九年にも昭和八 年にも津/浪は此処まで来て/部落は全滅し生/存 者僅かにも二人/後に四人のみ幾歳/経るとも要心 何従(なにより)(宮古市教育委員会編, 2010)」 25) 地震津波碑×デジタルアーカイブ高知・徳島の地震 津波碑紹介サイト http://www.jamstec.go.jp/res/ress/ tanikawa/ [Cited 2019/7/19]。 26) 過 去 の 津 波 被 災 地 域 に お け る 現 地 調 査 デ ー タ http://tsunami-dl.jp/old-content/TSUNAMI/JAVA SCRIPT/ [Cited 2019/7/19]。 27) 津波被害・津波石碑情報アーカイブ(東北地方整 備 局 道 路 部 )http://www.thr.mlit.go.jp/road/sekihi jouhou/ [Cited 2019/7/19]。 28) 「吊」は引用文献の記述による。 29) その後石碑は約 1.2 km 北東の白浜地区に移設され た。(2021 年 2 月 20 日確認) 30) 読み取られた碑文の大意は以下の通りである。碑 文の改行を「/」として示す。 「震災復興記念碑/大正 12(1923)年 9 月 1 日,関 東大地震で海底が約 1.8 m 隆起した。私達の白浜の 漁港は潮が引いてしまい,船が掬われてすべてだめ になった。/これより後,住民は村当局と力をあわ せて一緒に計画を立てて,毎日,朝から晩まで復興 のため岩石をうがち,海底をさらう作業を行うこと となった。/大正 13(1924)年 3 月に工事が始ま り(起工),大正 15(1926)年 6 月 10 日に完了した (竣工)。工事の総額は 1 万 5000 円余りであった。/ 野島は周囲が現れて,岬となった場所であるが,当 時,この地の灯台が倒壊したのは普通では考えられ ないくらいの驚きで言葉が出ないくらいむごたらし い様子だった。/しかし,村全体の被害は軽微で, 住民は神様が知らず知らずのうちに守ってくださっ たからだ,鎮守の厳島神社を改築したいと誰かが言 いはじめ,皆が同意した。/神様のご神徳に報いる お金は補助金 802 円と宮城,福島両県からの寄付金 142 円をあわせ総額 4,700 円を得た。昭和 2(1927) 年 2 月 20 日に竣成し,住民たちの両方の希望がか なった。そこで,このことを子孫に念入りに伝える ためにこのあらましを石に刻み石碑を建てる。/昭 和 2(1927)年 7 月 10 日建之(内山ほか, 2014)」 31) よみがえった津波石,吉浜の保存会による周辺整 備工事完了(Web 東海新報 2016 年 12 月 11 日付 7 面)https://tohkaishimpo.com/2016/12/11/141486/ [Cited 2019/2/28]。 32) 地震断層観察館・体験館(岐阜県本巣市)http:// www.motosukankou.gr.jp/02_sightseeing/02_06. html [Cited 2019/7/19]。 33) 野島断層保存館(野島断層保存北淡震災記念公園) http://www.nojima-danso.co.jp/nojima.html [Cited 2019/7/19]。 34) 三陸復興国立公園唐桑半島ビジターセンター&津 波体験館(唐桑町観光協会)http://www.karakuwa. com/visiter/ [Cited 2019/7/19]。 35) 津波体験館リニューアルについて(唐桑町観光協 会 )http://www.karakuwa.com/info/津 波 体 験 館 リ ニューアルについて/ [Cited 2019/7/19]。 36) 名古屋市港防災センター(名古屋市)https://www. minato-bousai.jp/ [Cited 2019/7/19]。 37) 国立研究開発法人防災科学技術研究所自然災害情 報室 http://dil.bosai.go.jp/ [Cited 2019/7/19]。 38) 1964 年新潟地震オープンデータ特設サイト(防 災科学技術研究所)http://ecom-plat.jp/19640616- niigata-eq/ [Cited 2019/7/19]。 39) クリエイティブ・コモンズ・ライセンスとは(ク リエイティブ・コモンズ・ジャパン)https://creative commons.jp/licenses/ [Cited 2019/7/19]。 40) 水害地形分類図デジタルアーカイブ(防災科学技 術研究所)http://ecom-plat.jp/suigai-chikei/ [Cited 2019/7/19]。 41) 国 土 地 理 院 の 地 図 の 利 用 手 続( 国 土 地 理 院 ) http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-index.html [Cited 2019/7/19]。 42) 公益社団法人全国市有物件災害共済会防災専門図書 館 https://www.city-net.or.jp/library/library-about [Cited 2019/7/19]。 43) 信州地域史料アーカイブ(NPO 長野県図書館等協 働 機 構 )https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS 02U/2000515100 [Cited 2019/7/19]。 44) 災害資料アーカイブ機関の連携(防災科学技術研 究 所 )http://dil.bosai.go.jp/link/archive/index.html [Cited 2019/7/19]。 文 献 中央防災会議災害教訓の継承に関する専門調査会 (2005):1896 明治三陸地震津波.災害教訓の継承に
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