静岡大学教育学部研究報告 (教科教育学篇)第28号 (1997.3)31〜56
日 韓 社 会 科 教 育 比 較 考 (その3)
A Comparative Thought of Social Studies in Japan and Korea
馬 居政幸・ 夫
Masayuki UMAl, Baek
伯・ 宋 在鴻0李 誠
POE, Jaehong SoNG and Sung
(平成8年10月7日 受理)
本稿 の著者 の馬居 (静岡大学)と夫伯 (韓国慶熙HOTEL経 営専門大学校)は、 これ まで 日本 と韓国の青少年 の意識特性 とそれを創 出す る多様 な文化 の表層 と深層 における同質性 と異 質性 の構造 を明 らか にす るための比較研究を進 めて きた。特 に、韓国青少年 の 日常生活 の中 に 浸透す る日本 の青少年文化 の現状 とその問題点 につ いて、あるいはソウル大学 の曹永達教授 と の共 同による日韓両国の学校 と教室文化 につ いて、実証的 に探究す ることを通 じて、 日韓両 国 の間 における新 たな相互理解教育 のあ りかたに関す る考察を試 みて きた。そ してその研究 の中 間報告 と して、次 の二 つの論考 を発表 した。
(1)「日本 と韓国 にお ける青少年文化 と意識構造 の比較研究 (その1)一新 たな両国 の相互理 解教育 の基礎的作業 として 一」(静岡学園短期大学研究報告 第5号)
(2)「日本 と韓国 にお ける学校 と教室文化の比較研究 (その1)」 (静岡大学教育学部研究報告0 人文社会科学篇 第44号 曹永達 との共著)
また、 この調査研究 の過程 において得 た資料 や知見を もとに、 日本 と韓国の社会科 教育 の あ り方 の相違 に起因す ると思われ る様 々な事象 につ いて、日本 の教育雑誌 に発表 した論考 を その ハ ングル訳 とともに次のようにまとめた。
6)「 日韓社会科教育比較考 (その1)」 (静岡大学教育学部研究報告・ 教科教育学篇 第26号)
さ らに、 このよ うな研究成果を前提 に、馬居 と夫伯 は、昨年 (1995)8月 8日、 ソウル大学 校 にお いて、韓國社會科教育學會の主催 で開催 された シンポ ジウム「 東 ア ジアの市民 (公民)
教育 の成立 と展開 (The Development of citizenship Education in East Asia)」 にパ ネ リ ス トと して招待 され、「 日本 における公民教育 の成立 と展開」を テーマに発表 した。 そ して、
この シンポ ジウムに先立 って提出 した同テーマの小論 に、 シンポジウムでの論議 を踏 まえ加筆 し、次 の論考 としてま とめた。
(41「日本 における公民教育 の成立 と展開 一日韓社会科教育比較考 (その2)一」(静岡大学 教育学部研究報告・ 教科教育学篇 第27号)
さ らにまた、 これまでの研究で得 た仮説 を実証す るために、昨年度 (1995年度)にお いて、
「 韓 国 にお ける日本 の大衆文化 につ いての調査研究」を研究課題 に した科学 研究費補 助金 (国 際学術研究)に基 づ く調査研究を ソウル市で実施 した。そ して、その調査結果 の分析 をふ まえ て、本年度 (1996年度)か ら三年計画 によ り、同 じく科学研究費補助金 (国際学術 研 究)に よ
り、 ソウル市 に加 えて、大 田市、釜山市 など韓国主要都市 において同様 の調査 を継続 的 に実施
馬居政幸・ 夫 伯・ 宋 在鴻 0李 誠
す る予定 で準備を進 めている。
本稿 はこのよ うな研究過程を背景 に、馬居が教育雑誌 に発表 した次の二つの論考 を もとに し て まとめた ものである。
①「誌上検証 メディア・ リテラシーの必要性を考える 『 太平洋戦争』の記述対比 ―書 き 手 によって ここまで違 う?」 (『教育科学 社会科教育』1995年 3月 号 NQ403明治図書)
②「韓国の教科書に見 る『 自国史』の扱い方」(『教育科学 社会科教育』1996年 8月 号
m427明治図書)
この二つの論考 は、掲載誌が示唆す るように、『教育科学 社会科教育』の編集部 が設定 し たテーマに基づ き、限定 された原稿枚数により、小・ 中学校の教師を主たる読者対象 として、
執筆 した ものである。そのため、本稿 にまとめるあたって、夫伯な らびに新たに共同研究者 と して加わった李誠 (韓国 LG Academy)と 宋在鴻 (大阪韓国総合教育院)と の論議により、加 筆修正を行 うとともに表題 と構成を改めた。
その際に、たとえ学術論文 としては厳密 さに欠ける面があっても、その表現形式 も含め、小・
中学校の教師を読者 に想定 し著 したことの もつ積極性について配慮 しつつ加筆修正 したことも 付記 しておきたい。その理由は、既に「 日韓社会科教育比較考 (その1)」 において述べたが、
学校教育の現場をフィール ドとす る社会科教育の研究にとって、教師の リア リティ構造 に接近 す る論理展開 と表現様式 もまた重要な課題 と考えるか らである。
あわせて、本稿 はこれまでの研究成果を踏 まえて、いまなお日本 と韓国の間で解決困難 な課 題 として存在す る教科書問題に対 して、我々なりに考察を試みたものである。その意味で、本 稿を、日本の教育実践者のみでな く、韓国の教育現場で教育の任にあたる先生方に一人で も多 く読んでいただけることを願 って、宋在鴻によるハ ングル訳を加えた。これが、日本 の教師を 対象にまとめた当初の表現形式をできるだけ保つ ことに した理由であ り、比較研究ではな く比 較考 とした もう一つの理由である。
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日韓社会科教育比較考(その3)
日本 文 篇
I。 日韓 社 会 科 教 科 書 にお け る「 太 平 洋 戦 争 」 の記 述 対 比 か ら考 え る メ デ ィア リテ ラ シーの必 要 性
1。 は じめに
本稿 は、『 教育科学 社会科教育』編集部により、「今どんな情報活用能力を育て るか」 とい う特集の もとで、「誌上検証 0メ ディア・ リテラシーの必要性を考 え る 『 太平洋戦争』 の記 述対比 一書 き手によって ここまで違 う?」 というテーマにより、「 日韓 の教科書比較 によ り、
同 じ問題 に対す る記述の違いの誌上検証か ら、メディア・ リテラシーの必要性の紹介を」 との 執筆依頼 によりまとめた ものである。
そのため、ここでは「 メディア0リ テラシー」を、まず文字通 り「媒体=メ ディア」を通 じ て「情報」を交換する際に、「送 り手」と「受 け手」に必要 となる「読み書き能力=リ テラシー」
ととらえる。ただ し 読み書 き"と あるように、本来「文字」というメディアに固有 な情報交 換能力を意味す る リテラシーを、 メディア・ リテラシーの必要性"と一般化す る前提には、
次の二つの社会的条件の変化があると考える。
その一つは、マルチメディアに代表されるメディアの多元0双方向化である。もう‐つ は衛 星放送やイ ンターネッ トに代表される情報のボーダー レス化である。さらにこの二つの変化は、
単 にキーボー ドとディスプ レイを用いての読み書 き能力の次元に止まらず、活字本に代表 され る旧来の媒体の交換能力をも変化 させる。
その意味で、本稿の目的は、太平洋戦争に関 して何を教えることが正 しいか という歴史教育 上の課題を検討することではない。教科書の内容の正誤を歴史学的に検討す ることで もない。
メディアの多元・ 双方向化 と情報のボーダー レス化が進行す る社会に生 きる人間が、好む と好 まざるとにかかわ らず獲得す ることを要請 される情報交換能力 (=リ テラシー)の特性 を、次 の三種のアイテムにより解読することが本稿の課題である。
①教科書 という旧メディア
②太平洋戦争 に関する情報
③ 日本 と韓国 との間にある差異=境 (ボーダー)
なお、韓国では、中学校 と高等学校において社会科 と別に独立教科 として国史が教え られて きた1ヽ また国史教科書 は国定を意味す る一種教科書であり、中学校国史の内容 は実質的 に高 等学校国史に包摂 されている。そのため、本稿では1990年発行の高等学校『 国史』下巻 (近現 代史)を もとに考察す る (以下『 国史』と略す)。 また、翻訳文 は全て『 対訳 世界 の教科書 にみる日本 韓国編』(国際教育情報セ ンター)2)か ら引用す る。
他方、日本の場合、歴史に関す る教科書 は検定のため中学・ 高校 ともに多数ある。 しか し、
一種類 しかない韓国の『 国史』との対比により、校種によって内容の質的量的な差がある高校 教科書ではな く、義務教育 として共通性 と一般性が高 い中学校社会科の歴史的分野の教科書を 用いる3)。
2.韓国の太平洋戦争
本稿 を執筆す るに先立 って、馬居 は韓国の文部省 (教育部)より派遣 され大阪の韓 国総 合教
馬居政幸・ 夫 伯・ 宋 在鴻・ 李 誠
育院で在 日韓国人の教育 に従事 し、今回共著者 に加 わ った宋在鴻 に、韓 国 の教科 書 にお け る
「 太平洋戦争」の記載内容の調査 を依頼 した。ところが宋 の返事 は、『 国史』 も含 めて韓 国 の教 科書 には太平洋戦争 の ことはほとん ど書かれていない、 とい うものであ った。
宋の調査 で は太平洋戦争 とい う言葉 が『 国史』に出て くるのはたった一箇所、それ も「 対 日 宣戦布告 と韓国光復軍 の活躍」 とい う項 目の一部 にす ぎない。長文だが比較 の基本 となるため、
この項 目の内容 の翻訳文を全文紹介す る。あわせて、メデ ィア・ リテ ラシーとしての特性 を確 認す るため、『 国史』の該 当部分を図 1と して示 してお きたい。 なお、図 1の点線 で囲 った部 分 が以下 の翻訳文の該 当箇所である4ゝ
対 日宣戦布告 と韓国光復軍の活躍
大韓民 国臨時政府 は中国の国民党政府 とともに数回 にわたって移動 したが、重慶 に定着 した後、政府体制 を本土修復 のための臨戦態勢 に整備 した。そ して、散 らば って いた各地 の武装勢力 を臨時政府傘下 の韓国光復軍 に統合 しなが ら軍事力を強化 した。
太平洋戦争 が起 こると、臨時政府 はただちに対外活動 を繰 り広 げて、対 日、対 独宣戦布 告文 を発布 し、韓国光復軍を連合軍 の一員 として参戦 させた。そ して韓国光復軍 は ミャ ン
図‑1 韓国『 国史』教科書の太平洋戦争記載箇所
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日韓社会科教育比較考(その3)
マー、インド戦線にまで派遣 されて、英国軍 との連合作戦を遂行 したりもした。
対 日戦 に参戦 した韓国光復軍 は直接戦闘に参加すること以外にも捕虜の尋間、暗号文翻 訳、宣伝 ビラの作成、懐柔放送などの心理作戦に参加 した。
韓国光復軍 は中国 と東南 アジアー帯で対 日戦に参戦 しなが ら、他方、祖国の光復 を 自分 たちの手で勝 ち取 るために、直接国内進入作戦を計画 したりもした。
韓国光復軍 は総司令官である池青天 (チ チ ョンチ ョン)、 支隊長 の李範爽 (イ ボ ン ムク)などを中心に、中国に駐屯 していた米軍 と連合 して、国土修復作戦の任務を受 けた 国内挺進軍の特殊訓練を実施 し、飛行隊まで編成 した。 しか し、1945年 8月15日、 日本が 無条件降伏す ることによって、韓国光復軍 はその年の 9月 に実行 しようとしていた国内進 入計画を実現できないまま光復を迎えることになった。
上記 の『 国史』にある大韓民国臨時政府 とは、191o年に国権 を 日本 に奪 われた (日本 で は韓 国併合)後、1919年の301運動 を契機 に上海 に樹立 した臨時政府の ことであ る。 また、光 復 軍 とは、 日本 か ら独立す るための解放軍 の名称。韓国で は日本 の敗戦 の 日が「光復 日」 とい う 名 の独立記念 日にな る。 したが って、連合国の一員 として 日本 と戦 った戦争 が、韓国の『 国史』
にお ける太平洋戦争 の位置づ けであ る。
で は日本 の場合 はど うか。
3.日本 の太平洋戦争
次 に紹介す るのは、 日本 のA社の中学校社会科歴史的分野の教科書 (以下『A』 と略す)に
お いて、「太平洋戦争」 とい う項 目名 の もとに記述 された部分 である。
太平洋戦争
1941年 (昭和16年)12月 8日 、 日本 は、ハ ワイの真珠湾のアメ リカ軍基地 を奇襲 す る一 方、マ レー半 島に上陸 し、太平洋戦争が始 ま った。
日本軍 は短時間でホ ンコン(香港)、 マニ ラ、 シ ンガポールを 占領 し、1942年 の中 ごろ までに、東南 ア ジア全域 を支配 した。
しか し、やがて アメ リカの強大 な戦力 が、 日本軍 に打撃 を加 え始 めた。1942年 6月、 日 本軍 は ミッ ドウェー海戦 に敗れ、次 いでガグルカナル島で も大 きな損害を受 け、その後 、 次 々に太平洋 の諸 島を奪 い返 された。1944年にはサイパ ン島が占領 され、 ビルマ (現在 の ミャンマー)戦線 で も敗北 した。そ してサイパ ンを基地 に して 日本本土 の空襲が始 まった。
爆撃 の対象 は、軍事施設 や工場 ばか りでな く、住宅地域 にまでおよび、翌年 には、東京 、 大阪を は じめ、お もな都市が焼 け野原 にな った。
い うまで もな く、 日本 の教科書 にお ける太平洋戦争 は連合国のアメ リカと戦 い敗 れた戦争 で あ る。他方、韓国の『 国史』では、韓国光復軍 は連合国の一員 として戦 った と記 されて い る。
とい うことは、 ここに紹介 した日韓 の教科書記述か ら判断す る限 り、 日本 と韓国 は太平洋戦争 において互 いに戦 った国 になる。
だが『A』 には、韓国 と戦 った ことはどこに も書かれて いない。それどころか ここに引用 し た次 の頁 には、図‑2に示す よ うに、本文 に「 戦時下 の朝鮮人」 とい う項 目が設 け られ、「『 朝
馬居政幸・ 夫 伯 0宋 在鴻・ 李 誠
鮮神宮』 と参拝 させ られ る朝鮮 の学生 たち」、「 朝鮮人 『 日本兵』」 とい うキ ャプ シ ョンと次 の よ うな説明文付 きの写真 が掲載 されている。
│ 「 朝鮮神宮」と参拝 させ られる朝鮮の学生たち │
│ 「 日中戦争以後、朝鮮で は一村 に一つの神社 の設置が強制 され、神社数 が急増 した。 そ │
│ して朝鮮 の人 びとは、参拝を強制 された。」
1 朝鮮人「 日本兵」
│ 「 戦局が悪化 して くると、朝鮮 0台 湾の植民地 の人 々 も軍隊 に召集 された。写 真 は朝鮮
│ の志願兵 たち。」 │
すなわち、 このよ うなキ ャプ ションの説明文、あるいは図‑2が示す本文の内容 か ら、 日本 政府 が朝鮮 の人々に対 して創氏改名 などによ り日本人への同化を強制 し、戦局 の悪化 とと もに 日本軍 に召集 したと記 されていることを読 み取 ることがで きよ う。加えて、 このよ うな記述 は
『A』 のみでな く、他社 の教科書 も同 じであ ることも指摘 してお く。
図‑2 『A』 の太平洋戦争 につ いての内容
1 太平洋職争の時期
│ の東B7ジアや朝 1 解の人々と。日民
│ の生活.
1日 本占領下の :日 本軍が苫嶺した東南ア 1東南アジア iジアでは。 ビルマやフ ィ リピンに独立政府がつくられたが,その実 権は 日本軍がにぎっていた。
占領地域では,戦争に必要な資源や米などが強制1的に取 り立3 てられ 民衆の生活は苦 しくなった。そのうえ。 日本軍は. 占
領したシンガポールやマレーシアで。 日本軍に抵読するとみな
した多数の中国系住民の生命を奪つたのをはじめ。フイリピン など各地で,軍の方針に反レた人々を厳しくLi調 し。 グリラと 見なした住民の生命を奪 うなどの強圧的な支配を行った.この ような占領政策の結乳 日本の支配に対する抵抗運動が各地に
。'■■の強B.シ ンガポールでは6千人以上とtl.4‑5万 人とtlいわれ。マレー シフでは75m人以上とも。10万人以上ともいわ■ろが,い 0● 8事■0■かめ●
口菫が崚けられている。 ・・
: H+rfiul,< t!at'-2nal tsRoirues i *e. trztzo ft#no*nrh)tta,ttt=
0菫■ 日本軍は,占領地 で軍■品を口遺するために,
量環とぃぅ晨帯を発行した,
写■13フイリピンでのtlの。 0住民Oa発 物資だけで なく。労働力も徴発された,
写真の タイ・ ビルマ間の餞 遭工事では.■労働のため。
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の学生たち 日中職0以後.朝口で は―村に一つの神社の腱置が日嗣さ れ."社 数が0増 した。そして朝鮮 の人々は。●■を強いられた。
0口
"人
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"・=善の糧螢もの人々 も=隊にゼ出された。写翼13.朝●J
のな願長たつ。
広がった。
1窮:天 の
I11lill:某 [111]t「し[]貪i
のもとで,IIBや鉱山などの重労働に従事させた.1945年 には,
在日朝鮮人の人数は,それまでに移佳してきた人々l●
"37)と合 わせて,朝鮮総人日の1割に当たる二百数十万人に違した。
また,政府は,朝鮮の人々に対して。 日本人に同化│せる政 策(●p.237)をさらに強め,日本語を使用することや神社に暮鼻す ること。理をを日本風にかえること(勧良置を)など。朝鮮の人 人にとっては,たえがたいことを強制した。
:口,と
」目民生活
ため.生活物資が不足して。国民の生活はきょくたんに切 りつ
=
日韓社会科教育比較考(その3)
韓国の教科書 には戦 った相手国 と記 され、その相手国の 日本の教科書 には自国の兵士 と して 召集 した と記 されている。 このよ うな ことがなぜ生 じるのか。
朝鮮 と韓国 は異 な る国であ り、日本が支配 したのは朝鮮 であ って韓国で はなか ったのか 。 そ れな ら『 国史』に記 された日本か ら独立す るための軍隊である光復軍 の存在が虚偽 にな る。で は韓国の教科書 が正 しく日本 の教科書 が誤 っているのか。 しか し、教科書問題 には常 に厳 しい 批判 の 目を向 ける韓国の言論界 も、 この点での指摘 はない。
とい うことは、両国の教科書 の矛盾す る記述 の背後 にあ る問題 の解決 は、歴史学 や歴 史教育 の観点 に基 づ く考察 の対象で はない、 とい うことで はないか。メデ ィア・ リテ ラシーの出番 で あ る。
4。 国家の歴史
表‑1は『 国史』の目次をまとめた ものであ る。また、その中か ら特 に「 Ⅲ.民族 の独立運 動」を構成す る大・ 中0小の項 目名 の全て と「 太平洋戦争」が記 されている項 目であ る「 対 日 宣戦布告 と韓国光復軍 の活躍」が含 まれ る「2。 大韓民国臨時政府 と独立戦争」の写 真 や脚注 を一覧表 に したのが表2である。
表1 韓国高等学校用歴史教科書「国史J(下巻)
I.近代社会への胎動 (1)
1。 近代社会への志向
2.政治体制の変化
3。 経済構造の変化 と社会変動
4。 文化の新気運
Ⅱ.近代社会の発展 (69)
1.近代社会の展開
2。 近代意識の成長 と民族意識の展開
3.近代の経済 と社会
4。 近代文化の発展
Ⅲ。民族の独立運動 (127)
1。 独立意識の成長.と 301運動
2。 大韓民国臨時政府 と独立戦争
3.経済・文化的抵抗運動
4。 民族文化守護運動
Ⅳ。現代社会の展開 (169)
1。 民主政治の発展
2.経済成長 と社会の変化
3。 現代文化の動向 ( )内 は頁
また次 に紹介す るのがⅢ「民族 の独立運動」の冒頭 に記 された「単元概要」であ る5)。
「近代国民国家の樹立 を求 めて いたわが国 は20世紀 のは じめ、武力 を先頭 に した 日帝 の 侵略で国を強引に占領 された。 このため、わが民族 は日帝 の憲兵警察の弾圧 で無数 の民 族 指導者 が逮捕 、投獄 され、民族 の生存権 まで侵害 された。/しか し、わが民族 は、 こ う し た民族的危機 を打開す るために各方面 を通 じて多様 な独立運動 を展開 した。す なわち、武 装独立闘争、民族実力養成運動、外交活動 などさまざまな方略をたてて根気強 く日帝 に対 抗 した。特 に、3.1運動以後 は大韓民国臨時政府 を中心 に独立運動 が よ り体 系化 され、第 2次世界大戦 中 は日本 と ドイツに宣戦布告 し、韓国光復軍 は連合国 とともに日本 に対抗 し てたたか った。そ して、1945年日帝 の敗亡 とともに光復を迎 えた。」
馬居政幸・ 夫 伯・ 宋 在鴻・ 李 誠
表2 韓国教科書「:::‑1。 2. 3。 4。 J(127〜168)
Ⅲ.民族の独立運動 (127〜155)
単元概要 年表 (128)
1。 独立意識の成長 と3・ 1運動 (129)
概要 研究課題
(1)民族の受難 (130〜131)
国権の被奪 間島 と独島 朝鮮総督府
憲兵警察統治 植民地支配体制の変化 民― 統治
(2航日独立運動の推進 (133〜134)
抗 日結社の組織 独立運動基地の建設
(3)3・ 1運動 (135〜138)
301運動の胎動 301独立宣言 3・ 1運動の拡散 301運動の意義
2.大韓民国臨時政府 と独立戦争 (139)
概要 研究課題
(1)大韓民国臨時政府の活動 (140〜141)
大韓民国臨時政府の樹立 臨時政府の憲法
光復運動の展開
写真 ①大韓民国臨時政府舎 (1919)
②大韓民国臨時政府の要人たち 脚注 ①大韓民国臨時政府の憲法 (4行)
資料 ②大韓民国臨時憲章宣布文
(2)国内の独立戦争 (142〜144)
武装抗 日闘争 愛国志士たちの活動
6010万歳運動 光州学生抗 日運動
写 真 ①義挙直後連行されるヂ奉吉義士
②光州学生の抗日運動を報道した当時の新聞
(3)国外の独立戦争 (145〜155)
独立戦争の方向 鳳梧洞,青山里戦闘 独立戦争の試練
韓国光復軍の結成 対 日宣戦布告 と韓国光復軍の活躍
写真 ①鳳梧洞戦闘現場 (現中国吉林省図個市)②金佐鎮
③訓練中の韓国光復軍 韓国光復軍の査閲式
④大韓民国臨時政府の対日宣戦声明書 地図 ①武装独立軍の対日抗戦
脚注 ①問島地方の日本軍による虐殺 (2行)
3.経済・ 文化的抵抗運動 (151)
概要 研究課題
(1)民族経済の侵奪 (152t154)
土地の略奪 産業の侵奪 食料の収奪 兵姑基地化政策
(2)経済的抵抗運動の展開 (155〜157)
小作争議 労働争議 民族企業の成長 物産奨励運動
(3壮会運動の展開 (158〜160)
新幹会 と檀友会 青少年運動 文盲退治運動
4。 民族文化守護運動 (161)
概要 研究課題
(1)国学運動の展開 (162〜164)
植民地化政策 ハ ングル振興運動 韓国史の研究
12)教育 と宗教活動 (165〜166)
民族教育 宗教活動
(3)文学 と芸術活動 (167〜168) 文学活動 芸術活動
日韓社会科教育比較考(その3)
この概要 と表 10表2か ら、韓国の近代史 は自国の近代化への努力 とそれを武力 で侵略 し国 権 を奪 った 日本 か ら独立す る戦争 の歴史であることが理解で きる。太平洋戦争 とはその 日本 と 連合国 との戦争 であ る以上、当然「 国外の独立戦争」 と位置づ け、連合国の一員 と して戦 う戦 争 とな る。た とえ 日本 の教科書 にあるよ うに、日本兵の中に日本 に支配 された国内で住 む人達 が いて も、それは日本 (日帝)に強制 された もの、大韓民国の国史で はない。ただ し、 この 日 本人化 を強制 された歴史 自体 は太平洋戦争 とい う独立戦争 の文脈ではな く、「民族の受難」(Ⅲ―
1‑(1))と い う文脈 の中の小項 目「民族抹殺統治」において とりあげ られる。
そ して このよ うな歴史を大韓民国の国史 と して明記 し、それを国民 に文字通 り 正 しく教 え る書 (メ デ ィア)"が『 国史』である。 この意味で、『 国史』 は多元・ 双方 向化 や ボー ダー レ ス化 を前提 としたメディアではない。
で は日本 の教科書 はど うか。
5。 記号 の世界ヘ
日本 の教科書 の構成上 の特性を知 るために、『A』 の目次 と他社 の教科書『B』 の 目次 の近 現代史 の部分 をまとめたのが表‑3と表‑4である。また、紙面構成 も含 め、日本 の教科書 の メデ ィアと しての特性を知 るために、 この二つの教科書の「 第2次世界大戦」につ いて述 べ ら れた部分 の中0小項 目名 と、それぞれのペー ジに掲載 された写真や地図 あるいは脚注 の名称 を 一覧表 に したのが表 5と 表6である。
表3 日本の教科書 A目 次(近現代史部分)
写真・ 資料のベージ (173)
第6章 近代 ヨーロッパ とアジア (177)
1.市民革命
::言詈言ヨ:彗層去二〔
ア侵略
第7章 近代 日本の歩み (209)
::習曽賃橿運動 と立憲政治の始 まり
3。 日清・ 日露戦争 と近代 日本
4。 近代産業の発展 と教育・ 文化 第8章 三度の世界大戦 と日本 (247)
::署I各
驚 言 容 撃 多 重 曽 看
3社会
4。 第二次世界大戦
表4 日本の教科書 B目 次(近現代史部分)
第6章 国際情勢の変化 と政治のいきづ まり (177) 第 1節 近代 ヨー ロッパ世界の形成
第2節 近代 ヨーロッパ との接触 第3節 開国 と幕府の滅亡
◇横浜開港資料館へいってみよう 第7章 近代 日本の歩み と国際関係 (205)
第 1節 明治維新
第2節 自由民権運動 と国会開設 第3節 日清0日露戦争 とアジアの情勢 第4節 近代産業の発展 と文化
◇女史工員のつらい労働 第8章 二つの世界大戦 と日本 (251)
1 第 1節 第 1次 世界大戦 と国際関係
第2節 大正デモクラシー と大衆文化の成立 第3節 激動する世界 と日本
第4節 第2次世界大戦 と日本
◇戦場 となうた沖縄
◇いまも残 る原子爆弾の爪あと
馬居政幸・ 夫 伯 。宋 在鴻・ 李 誠
表5 日本の教科書A「第8章 4 第2次世界大戦J(276〜288頁 計13頁)
〔ヨーロッパで戦争が始まり,日 本iまアメリカとの対立を深める.〕
第二次世界大戦の始まり 日本の南進政策 日米対立の激化
1写真 ①オラングを侵攻するドイツ軍 ②空襲におびえるイギリスの子どもたち 1地図 ①世界地図 ②ヨーロツパ地図
1脚注 ①ソ連ポーランド侵攻 (2行)②大東亜共栄圏 (2行)
〔日本はアメラカ,イ ギリスなどに対し, 太平洋と東南アジアでも戦争を始める。〕 太平洋戦争
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て蕩平薫戦争の時期の東南アジアや朝鮮の人々と,国民の生活6〕
日本 占領下の東南アジア 戦時下の朝鮮人 戦争 と国民生活
①軍票 (説明)②住民の徴発 (説明)
③「朝鮮神宮」と参拝させられる朝鮮の学生たち(説明)④銃剣術訓1練 (説明)
⑤朝鮮人「日本兵」(説明)⑥集められた寺院の鐘 (説明)
①シンガポールとマレニシアの日本軍による死者の数 (3行)
〔日本が降伏して第二次世界大戦は終わる.〕
沖縄での戦い イタリアとドイツの降伏 日本の敗北
酬夕 雲腱
①戦場となった沖縄の人々の体験 (「沖縄県史
①終戦直後の沖縄の人口
①いっしゅんにして廃墟となった広島 (説明)
①ヤルタ協定について (3行)
沖縄戦記録」より)
②解放を喜ぶ朝鮮の人々
◇テーマ学習のページ
「銃後の子どもたち」 問いと活動
写 真 ①教室も軍需工場に (説明)②戦う「少国民」(説明) ③遊びの変化 (説明)
◎第8章の学習 をあ りかえつて
(年表 と写真 と要約文の組み合わせ)
日韓社会科教育比較考(その3) 41
表6 日本の教科書Br第8章 第4節 第2次世界大戦と日本よ282〜型:頁 計13頁)
1。 第 2次 世界大戦のはじまり
◇学習課題
第2次世界大戦はどうしておこったか 日独伊三国同盟 日米の対立 太平洋戦争 コラム アンネ=フランク
1年表 ①1939〜1945 1
1地図 ①ヨーロッパ ②世界 (学習問題付き) │
1写真 ①廃墟となったスタニリングラード ②ノルマンディ上陸作戦 │ 三 ③ヤルタ会談の指導者たち 三
l ④ビルマ (現在のミャンマ∵)の 油田を攻撃する │
│グラフ ①日本とアメリカの生産力の比較 !
†脚注 ①連合国の国名 (2行) 三
戦争中の苦 しい生活
太平洋戦争が国民生活に与えた影響
☆コラム 集団疎開 した子供 たち コラム 日本に占領された国々
資料 ①配給券 │
写真 ①女学生の軍事訓練 (説明)
②エルペ川 (ドイツ)で握手をかわすアメリカ軍とソ連軍の兵士 グラフ ①第2次世界大戦での犠牲者 (質問)
3。 大戦の終わ り
イタリア・ ドイツの降伏 悲惨な沖縄戦 日本の降伏
写真 ①焼け野原になった東京 (説明)
◇戦場 となった,申縄
☆コラム 苦 しくなる食料捜 し 考えてみよう
(『那覇市史J資料篇 より 体験談)
写 真 ①沖縄にせまるアメリカ軍 ひめゆりの塔 (説明)
②アメリカ軍にとらえられた少年兵
◇いまも残 る原子爆弾の爪痕
☆コラム 被爆者の体験談 (広島文化センター「平和の光 りをJよ り)
考えてみよう
!写真 ①壊滅した広島と8時15分でとまった時計 (説明)
1資料 ①被爆者の遺品 (説明)
│グラフ ①原子爆弾による犠牲者数
〔学習のまとめ〕
年表にまとめてみよう 地図 に まとめてみよう 年表 (書き込み用) 地図 (書き込み用)
馬居政幸・ 夫 伯・ 宋 在鴻・ 李 誠
まず、 日本 の二種類 の教科書『A』 と『B』 の構成を示す表 3と 表4から、 日本 の教科 書 の 章 や節 の構成 が、ネー ミングの差を除 き、頁数 も含 めて ほとん ど同一 であ ることが理解 され よ う。また、表 5と 表6か ら、小項 目のたてかたにつ いて も同様 の傾 向が読 み取 れ る。 しか し、
写真、地 図、脚注、 コラム、グラフ等 の用 い方 に差 があることがわか る。
これ らの ことか ら、「送 り手」か ら「受 けて」に伝達す る情報 は共通 だ が、表現方法 で独 自 性 (差異化)を強調す ることが、日本の教科書 の特徴 といえ る。 この ことはメデ ィア・ リテ ラ
シーの観点 か ら重要 であ る。その理 由 は三つ。
一つ は「 メディアは事実をつ くる」 という観点である。
表3〜6は、日本 の教科書が太平洋戦争を
①第2次世界大戦 とい う世界史 の立場
② ア ジア各国 に対 して は加害の立場
③ 日本 の国民 にとって は被害の立場
とい う三種 の立場 か ら記述 していることを示唆 している。す なわち、一つの教科書 に三 つ の 立場 (文脈)に基づ く歴史上 の事実認識 (史観?)が混在 しているわ けである。 この多元性 こ そ、一元的 (単一文脈)に記述 された韓国の『 国史』 との間にズ レを引 き起 こし、 日本 とい う 国家 と国民 の立場 を曖昧=多元的 ?に す る原因であ る。
しか し、 このよ うな 日本 の教科書 の特性 は、 メディアが事実をつ くる"と い うメデ ィア・
リテ ラシーの学習教材 と しての 可能性"を秘 めた ものである。そ して このことは、メディア0 リテラシーの第二 の観点 である「 メディアは全てを記号 にす る」 と結 びつ く。
韓国 の『 国史』における「太平洋戦争」 とい う「 文字」 は、北緯38度線 を境 に内戦状 態 にあ る 北韓"に対す る自国の正 当性 を証明す る「記号」、日本 の教科書 の「 太平洋戦争 」 は三 つ の立場 を使 い分 けるための「 記号」 といえ る。これは、メデ ィアとは事実を記号 に還 元 し一定 の意味 とセ ッ トに した情報 として伝達す る装置、とい うことを意味す る。どのよ うな情報 も事 実 と意味が組 み合わ さった記号 の集積 として理解す ること、 これが メデ ィア・ リテ ラシーの第 二 の観点 であ る。
そ して これが、「 意味 は『 送 り手』ではな く『 メデ ィア』 と『 受 けて』の『 間 (あ いだ)』 に 創 られ る」 という第三 の観点 につなが る。
先 に 日本 の教科書 の立場 を曖味 と指摘 したが、その際 に多元的 という文字 に?を付加 した。
理 由は二つ。一つ は「書 き手=情報 の送 り手」の立場 は一元的であ ること。日本 は韓 国 と異 な り分断国家で はない。だが冷戦 を反映す るイデオ ロギーを内部 に持 ち、その対立 の場 が歴 史教 科書であ った。その結果が複数 の 立場→ イデオ ロギー→文脈 "での記述 である。もう一つは、
教科書 の採択 を巡 って はた らく競争原理である。すなわち、教科書 の内容 の自由度が狭 いため、
商品 と しての差異化 を表現様式 に求 めた結果 として多元化が生 じたと考 え る。
理 由 はともあれ、内容 は共通、表現 は多様 とい う日本 の教科書 の特性 が、教科書 の一 頁 の中 に、三つの文脈 の歴史的事実の解釈 を文字・ 写真 0資 料 など質的に異 な るメデ ィアによる モ ザイク的な知識→記号→情報"と して表現す る世界 を創造 した ことは事実 であ る。その結果 、 教科書 とい うメディアが伝達す る情報 の文脈 (記号 に付加 した意味)の解釈権 は「受 けて」 の 側 に うつ る。ただ し、教科書 の場合「受 け手」である学習者 を媒介す る教 師が一元化 す れ ば、
情報 は多元化 しない。それ故、情報 の一元的伝達 を重視す る社会ではメデ ィア・ リテ ラ シーで はな く リテ ラシーのみが問題 になる。
日韓社会科教育比較考(その3)
他方、現代 のメデ ィアと情報 の特性が、多元・ 双方化 とボーダー レス化 にあ ることは冒頭 で 述 べた。その意味で、新 たな時代が要請す るメデ ィア・ リテ ラシーを育成す るために教科 書 を 生 かすか、旧時代 のメデ ィアのままにす るか。 これが教師の課題 であ る。
加えて、 この ことは、 日本 の速度 よ りも早 く高度情報化社会への道 を歩んでいる韓国 もまた 例外で はない ことも付記 しておきたい。
注記
1)昨年 (1995)よ り実施 されている第6次教育課程 では、国史 は高等学校 のみ で教 え られ る 、
ことにな った。
2)『対訳 世界 の教科書 に見 る 日本 韓国編』国際教育情報 セ ンター編、1993年
3)以下 の教科書会社 の1993年発行 の教科書 を用 いた。東京書籍、帝国書院、教育 出版 、学校 図書、 日本図書 、大阪書籍
4)『国史』149,150頁 、『 対訳』153,155頁 5)『国史』128頁、『 対訳』111頁
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