新自由主義的世界における多文化主義の再構成に向けて
─ガッサン・ハージの多文化主義論に基づいて─
栗 林 大
Toward Reconstruction of Multiculturalism in the Neo-liberal Era:
Based on the Theory of Multiculturalism by Ghassan Hage Kuribayashi Oki
Today, the friction between multiculturalism and the nation-states that have held multiculturalism-oriented policies has increased more than ever before. Especially in European countries, criticism of the “failure of multiculturalism” is rapidly interpenetrating, and taking over mainstream political discourse, against the backdrop of increasing problems related to Muslim migrants and refugees. Now, multiculturalism policies look to transform while referring to the ideal of liberalism. This seems to comply with the logic of national integration, along with the modification of nation-states in the neo- liberal era.
This article focuses on the neo-liberal transformation and cul-de-sac of multiculturalism, and tries to plot an alternative way of reconstructing multiculturalism in terms of “social hope”, which was proposed by Ghassan Hage, anthropologist and sociologist in Australia.
キーワード: 多文化主義,国民国家,ネオリベラリズム,市民統合,ナショナル・アイデンティ ティ,ガッサン・ハージ,社会的希望,希望の分配メカニズム,パラノイア・ナショ ナリズム,ルーツ,コンヴィヴィアリティ
1. は じ め に
多文化主義政策は,今日それを掲げる国民国家との間で抜き差しならないほどの緊張関係を 孕んでいる.とりわけヨーロッパ諸国を中心に,ムスリム移民の増加や昨今の難民問題を背景 にして「多文化主義の失敗」を批判する論調は急速に勢いを増し,政治的言説のメインストリー ムを席巻しつつある.望田研吾は,2010年代初頭の英独両首脳の演説に示された「多文化主義
の失敗」1)の位置づけを象徴的なものとしてとりあげ,そこでは奇しくもともにホスト社会へ の移民の「統合」が促されていることを指摘した.そして,こうした主張の背景に「ヨーロッ パ社会全体におけるイスラームや移民への拒否感,抵抗感の拡がり」を想定し,多文化主義そ のものが重大な岐路にさしかかっているとの認識を示している2).また,宮島喬は,相次ぐテ ロ事件を経て,欧州社会を覆うイスラモフォビアや反移民・難民の政治的主張が,その構造的 背景として人の自由移動を可能にしているEUへの反感を巻き込むかたちで,右派の主導する ナショナル・ポピュリズムへ糾合されてゆくさまを論考に綴り3),次のように結んでいる.
移民たちを「他者」化し周辺化するのではなく,もはや帰るべき祖国をもたない,とも に生きていくべき存在だと認識したうえで,象徴的にも(言葉のうえでも),実質的にも(社 会関係的にも),対話的で,関係形成的な関わり方を取りもどしていかねばならない4).
グローバリゼーションのもたらす流動性を示す一つの事象として,社会の「他者」としての 移民問題が前景化する中で,多様性に対する寛容を旨としつつ,マジョリティとマイノリティ の分離と共存を適宜使い分けてきた従来の多文化主義政策は隘路にさしかかっている.そこで,
多文化主義はリベラリズムを参照点にしながら,社会のマジョリティのもつ理念や価値の下へ マイノリティを組み込むことを前提とした「統合」の論理の下で大きく姿を変えようとしてい るように思われる.
本稿では,今日的な多文化主義の変容を主にリベラル多文化主義との関連においてとりあげ,
その再構成の可能性について検討したい.その際,オーストラリアの人類学者・社会学者ガッ サン・ハージの多文化主義批判の視点を援用し,この問題を,グローバリゼーションを背景と した国民国家=福祉国家のネオリベラルな転回という社会的・経済的な構造的文脈から把握す る.また,ラディカルな批判の一方で,ハージはオルタナティヴとしての「他者と共に希望を 抱く」新たな多文化主義を提起しようとしている.それは,いわば宮島の語る「対話的で,関 係形成的な関わり方」を,社会的なマジョリティ/マイノリティの関係性の構築にかかわる問 題として捉え直す営みと言えるだろう.それらを踏まえた上で,新たな多文化主義への可能的 な道筋についてハージの「社会的希望」の概念を手がかりに考察したい.
2. 多文化主義の変容─リベラル多文化主義の抱えるアポリアについて
「多文化主義の失敗」が政治的な言説を賑わす中,ケナン・マリクは「ヨーロッパは,多様 化という社会の現実と,政治プロセスである多文化主義政策を切り離すべきだ」5)として多様 性を制度化する試みそれ自体を再考するよう促し,大きな議論を巻き起こした。一方,リベラ リズムの見地から多文化主義の理論的支柱としての役割を果たしてきたウィル・キムリッカは,キース・バンティングとの共著論文において次のように述べている.曰く,政策指標に照らし た分析の結果として西欧諸国における多文化主義政策に「実質的な後退」は生じていないとい うのである.
多文化主義に対するバックラッシュの印象が蔓延したことで,多くの国々で複合的に進 展した現実が見えづらくなっている.多文化主義プログラム(MCPs)を後退させた国々 がなかったわけではないが,21世紀初頭の10年間においてヨーロッパで見られる光景は多 文化主義政策の安定と拡張を示すものであった6).
しかしながら,同時にそれが以下のような政治状況において維持されていることにも言及し ている.
……いまや「mで始まる言葉」(the ʻm wordʼ,[引用者注:]multiculturalismをさす)
がほとんどタブーとなっている国もあり,それを覆すのは容易なことではない.しかし,
それは自由民主主義に基づく多文化主義的シティズンシップの根本的な原則や政策が実行 不可能になりつつあることを意味するわけではない.それらの原則や政策は,「多様性の 政策」(diversity policies)「間文化的な対話」(intercultural dialogue)「コミュニティの結束」
(community cohesion),そして「市民統合」(civic integration)といった言葉を冠して生 き存えている.……実のところこれがヨーロッパにおける多文化主義に関する直近の国際 比較調査で辿りついた結論である7).
キムリッカに従えば,これは単なるキー・タームの言い換えに過ぎない.しかし,そこに含 意された政治言説としての「拒否」の意味合いを結果的に看過することは果たして妥当と言え るだろうか.むしろ,彼の提唱してきたリベラルな国民国家によるマイノリティの多文化主義 的包摂というモデルの正当性が,リベラル・デモクラシーを奉じるホスト社会からの異議申し 立てによってシンボリックに傾きつつあることを示すものではないのだろうか.多文化主義政 策が「多文化主義」という言葉を冠しては生き存えられない,というまさにそのことが既存の 多文化主義の抱える理念的な隘路を示している.多様性,間文化的対話,コミュニティの結束,
市民統合などと言い換えられたそれぞれの政策理念に照らして,総体としての多文化主義政策 はどこへ向かうのか─「多文化主義」という言葉の回避現象を一つの分岐点として新たな考 察が必要とされているように思われる.本節では,そのうち市民統合の概念をとりあげ,リベ ラリズムと多文化主義の関係に焦点を当てたい.
西欧諸国における移民受け入れ問題に際してリベラリズムの立場から「市民統合」の概念に
着目し,その有効性を分析してきたのがクリスチャン・ヨプケであった.ヨプケによれば,市 民統合とは,「新来の移民に対して,入国後速やかな市民的・言語的な課程の受講を義務づけ,
それを行わなかった者に罰金を科す,永住許可を与えないなどの制裁措置を伴う」政策をさす8). 1990年代にオランダで導入された市民統合政策は,その後EUの移民政策の変容も手伝って欧 州諸国を席巻する.市民統合はその義務的な性格に特徴をもち,時と共に「統合」の名の下に,
移民の入国制限の道具立ての一つとなってきた.とりわけ,それは非熟練で,ホスト社会への 適合可能性が低いとされる移民の呼び寄せ家族の受け入れを制限する正当性を国家に付与する 制度として機能している.もとより,カナダのシティズンシップ・テストの例を待つまでもな く,ホスト社会への移民受け入れに際して言語や市民的知識の習得を義務づける潮流はこれら 欧州諸国の市民統合政策にはじまるものではない.ヨプケの分析は,従来型の多文化主義政策 に基づく新来の移民に対するパターナルなケアとそれによる社会統合とを目的としていたはず の制度が,グローバリゼーションの下でのネオリベラルな国家の転回を経て,移民のホスト社 会への適合性を審査するシステムとして導入され,選別と排除のメカニズムとして稼働してゆ く過程を捉えている.ヨプケが,オランダの制度を挙げて「抑圧的なリベラリズム(repressive
liberalism)」に陥っていると指摘したことは,その意味ではごく当然の帰結であった9).
ただ,ヨプケは 2 年後の著作『ヴェール論争』において,市民統合の「行き過ぎ」に対する 評価を軌道修正する.
私は以前に,リベラルな目標が(特に新来の移民に言語と公民の授業を義務づけるといっ た)不寛容な手段により追求されるという,どちらかと言えば些細な点をめぐって,市民 統合が「抑圧的なリベラリズム」の一種であると解釈したことがある.けれども,義務化 そのものが抑圧的だというわけではない.……市民統合が人々の自覚の次元に限定されて おり,実際問題としてアイデンティティの強制をほとんど伴わないのであれば,それを「抑 圧的」などと言うべきではないだろう10).
同書において,ヨプケは,ムスリム女性が着用するヘッドスカーフ(=ヴェール)について 明示的に宗教性を帯びた表徴として解釈し,一貫してヨーロッパにとっての異質性のシンボル として扱っている.それはヨーロッパの人びとに対して,自分たちのアイデンティティの淵源 を自覚させ,どういった社会像を望んでいるかを顧みる契機となる「アイデンティティを映し 出す鏡として機能」する11).したがって,ヨーロッパ共通の価値観としてのリベラリズムに対 して,ムスリム女性のヘッドスカーフはあくまで「挑戦」として位置づけられる.事例として 挙げられるイギリス,ドイツ,フランスにおける「ヘッドスカーフ論争」は,政治文化や国民 性に沿って形態こそ異なれど,いずれもリベラリズムとそれと明らかに齟齬を来す異質性との
相克の現れとして捉えられる.結果として,そこでは政教分離を基礎にしてリベラルな価値の 体現を標榜する社会が,市民統合の礎をなすリベラル・アイデンティティに沿ってムスリム移 民の統合可能性を測る正当性が語られるのである.
ヨプケによれば,市民統合政策の特色は,従来は厳格に区別されてきた社会的な統合と移民 の流入制限という二つの要素を結びつけた点にある.つまり,本来的には,前者をもって後者 の条件を操作すること自体がリベラリズムの本旨に抵触する危険性を孕むものであった.しか し,その区別が成り立っていたのは「われわれが『みな多文化主義者』だった幸せな時代の 話」12)であると彼が語るとき,市民統合の導入によって変容してゆく多文化主義政策の現状を
「後退」とは表現しないというキムリッカの結論に首肯することは些か難しくなる.少なくとも,
市民統合の名において多文化主義のいかなる側面が打ち捨てられようとしているのか,改めて 留意すべきであろう.言い換えれば,多文化主義を支えてきた複数の論理に照らして,どのよ うなシフトが生じているか検討する必要が生じているように思われる.
辻康夫は,マイノリティ集団の直面する困難の多面性に着目し,異なる側面から導出される
「多文化主義の実践を正当化するアプローチ」を類型化し,①「文化」,②「差異の政治」,③「ア イデンティティ形成」の三つに分類する.辻は,「文化」概念を「信条および実践のシステム」
と定義し,「人間の生に意味をあたえ,人間の活動や,人間関係の多様な局面を規制するもの」
と捉えている13).幅広く可変的な「文化」の定義の下で,社会には内的な多様性を抱えつつも 一定のまとまりをもつさまざまな集団の存在が想定される.しかし,それらの関係は平等では ない.社会的な制度がマジョリティの文化や価値観の反映として形成される以上,マイノリティ は自らの文化に従って生きる上での困難を抱えることになる.いきおいマイノリティはつねに,
マジョリティの文化の浸透によって自らの文化的実践が保持できなくなるリスク,またその実 践が社会生活において何らかのスティグマや制約,不利益を被るリスクに晒されている.
多文化主義的な実践に正当性を与える第一の論理として「文化」アプローチが挙げられる.
それはマイノリティを含む社会統合や文化的な公平性,多様性のもたらす価値といった観点か ら要請される.キムリッカらの提唱してきた「リベラルな多文化主義」を含め,「文化」アプロー チに基づく多文化主義は,個人の自由と文化的帰属の尊重という二つの要請に応えるヴィジョ ンを,社会的な合意の下でのマイノリティの文化的ニーズに対する特別な配慮というかたちで 実現しようとする.問題は,そうした社会的な配慮の対象となりうるマイノリティがその規模 や影響力によって選別されてしまうこと,そしてヴィジョンの基礎にある個人の自由と背反す るような文化的実践は認められないため,マジョリティの側がリベラリズムを標榜する限り,
制度上も価値の面でもマジョリティとマイノリティの非対称性が温存されてしまうことにあ る.
第二の論理は「差異の政治」アプローチである.「差異の政治」は,マジョリティとマイノ
リティの関係性における支配・抑圧・従属に焦点化される.既存の支配的な社会制度や価値体 系の中にマジョリティによるマイノリティに対する「劣等性の表象」が織り込まれている場合,
その回復は容易なものではない.普遍的な人間性に基づく「平等な尊厳」の承認のみでは,マ イノリティとして生きる個々人は社会生活を送る上でそうしたラベリングから逃れることがで きない.また,マジョリティとマイノリティとの間に非対称性が横たわっている限り,両者の 無原則な交流は前者の優越性を幾重にも確認し,絶えず統合を促す働きをもつ.「劣等性の表象」
を払拭するためには,マイノリティ自身の自己再定義とともに積極的是正策をも含む公的領域 での承認が必要となる.ただ,第一と第二のアプローチはリベラルな価値を挟んで鏡写しの関 係にあり,それゆえの問題性を孕んでいる.マイノリティがマジョリティとの間の非対称性を 解消しようとする中で,凝集力を保つために独自の空間を必要とすればそれだけ全体社会への 統合が危うくなる.たとえば,マイノリティは固有の価値体系を維持しようとすればするほど その内部における非リベラルな抑圧を抑制できなくなるディレンマに直面する.
辻の掲げる第三の論理は,二つのアプローチとは若干隔たった背景をもつ.「アイデンティ ティ形成」アプローチは,とりわけ後期近代に特有の現象としての,コミュニティの解体,個 人化の進展,経済システムの自律といった趨勢の中でこれまでのように安定的なアイデンティ ティの形成と再生産を期待しえないという構造的要因から要請される.多文化主義は,ここに
「文化」そのものの役割の変化に直面することになる.
今日では,市場の論理の強まりによって,あらゆる社会階層に属する人々が,富への欲 求を強め,欲求不満や挫折感を持つようになっている.他方において,「文化」の領域は,
従来の規範的統制から解放されて内部の多元性を高めるが,このことは「文化」が経済シ ステムと切り離され,包括的なヴィジョンを提示するものではなくなることを意味する.
こうしたローカルな文化が,アイデンティティを支える力は限られている.また多元化し た文化の一部は社会とのつながりを失って自閉する危険を孕んでいる14).
こうした状況下においては,集団的アイデンティティや「文化」の凝集性・安定性の決定的 な変化に対応して,それが果たしてきた役割を新たに生成・維持する営みが必要とされる.た とえば,ローカルなコミュニティをアイデンティティの資源として活用すること,経済システ ムを統べる市場の論理を抑制すること,再帰的なアイデンティティ状況を前提として個人の選 択を尊重することなどが同時並行的に求められる.多文化主義は,マジョリティ,マイノリティ 内部の多様性・可変性をも含み込む新たな多文化的状況に直面しつつある.しかし,それへの 処方箋が,既存のマジョリティ,マイノリティの集団性や境界を前提として文化の役割を措定 している第一,第二のアプローチから導出されることは想定しづらい.
主にマイノリティの抱える困難に基づく複数の論理の存在を前提とした場合,リベラル多文 化主義のとりうる選択肢は限られているように思われる.多様化し,流動化する多文化的状況 を前に,既存の「文化」の存在を前提とした多文化主義政策の有効性が低下する中,マジョリ ティがリベラリズムの存在を盾に第一のアプローチそのものの妥当性を問い続ける,いわば袋 小路のような状況が生まれている.そこでは,まさにキムリッカの政策分析に表れたように,
マジョリティがリベラリズムの価値体系を守るために多文化主義として掲げられてきた理念を 棚上げするか,多文化主義政策を持続させるために複数の政策的な文脈の下に再編成し,リベ ラリズムの枠内に切り縮めてゆく以外にない.前述の『ヴェール論争』において,ヨプケはい みじくも以下のように述べている.
強制的な再教育(世の中の趨勢としては,多文化主義は最終的にここまで行き着くかも しれない)でもされないかぎり,人は自分が反対するものに賛意を示すことはできないの だから,せいぜい期待できるのはヴェールに対する寛容のみである.とはいえ,寛容には 限界があり,そうした限界は時と場所と状況によって変化せざるをえない15).
ここには,いわばマジョリティがマイノリティに対して示しうる寛容性とその限界が,リベ ラリズムへの信任とともに語られている.決定的に抜け落ちているのは,寛容を示す側と示さ れる側の間にあるはずのマイノリティとの非対称的な関係性に対するマジョリティとしての自 己省察であって,この欠落にこそリベラリズムと多文化主義の間にあるアポリアの所在が端的 に示されている.
馬渕仁は,社会によって多様な現れをもつ多文化主義の形態を,リベラル多文化主義,コー ポレート多文化主義,クリティカル多文化主義の三つに分類する.これらは,辻の挙げたマイ ノリティの論理に基づく三つのアプローチに概ね対応している.基本的な構図として,個人の 尊厳や平等を尊重することに重きを置くリベラル多文化主義に対して,マイノリティ集団への 権利付与を通じて社会集団間の平等を実現しようとするコーポレート多文化主義が批判的に対 峙する.そして後者の派生形として,従来型の多文化主義そのものにとって極めて根源的な問 いを突きつけるクリティカル多文化主義がある.次節以降で扱うことになるハージの議論はそ の一角を占めるものとして位置づけられる16).
クリティカル多文化主義の視点から見えてくるのは,リベラル多文化主義の特性としての個 人主義的な側面と,管理主義的な側面である17).コーポレート多文化主義は,リベラル多文化 主義が個人主義的であるがゆえに「社会構造上の権力関係にはナイーブなアプローチである」
と批判する.クリティカル多文化主義はそれを大枠として受け継ぎながら,両者に通底する基 調となっている寛容性への信頼を問題化する.多文化主義のもつべき寛容性の「幅」をめぐる
議論は,社会を実質的に支配するマジョリティの側が「管理可能な他者のみを受け入れる」論 理構成を可能にするからである.「寛容」を多文化主義の調整弁とすることそれ自体を問題化 しようとするとき,そこにはマジョリティ自身にさえも不可視化されていた統治の論理が浮き 彫りとなる.そうした統治の論理の裏返しとしてクリティカル多文化主義が可視化するのは,
リベラル多文化主義とコーポレート多文化主義が共有する二つの臨界点である.一つは,マジョ リティ/マイノリティ関係を半ば自動的に統御してきた集団間の統治の論理としての「寛容」
の限界であり,もう一つは,辻の提唱する第三の論理,既存の文化集団の内的な多様性や可変 性,そして個人化の時代の到来を前提とした「アイデンティティ形成」アプローチに対応する 多文化主義的実践の不在である.
3. ガッサン・ハージの多文化主義批判
ガッサン・ハージの研究は,主著『ホワイト・ネイション』に代表されるように,オースト ラリア社会において,ネオリベラルな言説を援用して行われる排外主義に対する鋭い批判を構 成している.中でも,その批判から導出された「希望の分配メカニズム」への考察─分配メ カニズムの縮小がマジョリティのパラノイア・ナショナリズムを招く─は,今日,先進国を 中心とするさまざまな社会への適用可能性を指摘されている.テッサ・モーリス = スズキは,
ナショナリズムとの親和性を示す多文化主義へ矛先を向けるハージの議論を「統治的な概念と しての多文化主義に対する説得的な批判」と位置づけている18).
ハージは,1976年,レバノンからの移民として19歳でオーストラリアに移住し,21世紀を前 にしてオーストラリア社会を覆う多文化主義のネオリベラルな変容に直面する.もとよりオー ストラリアでは,1970年代後半以降,白豪主義からの転換を経て多文化主義が公定言説となっ てきた.1990年代後半ポーリン・ハンソン率いるワン・ネイション党の隆盛を契機として,主 にアジア系移民に対する排外主義が強まり,オーストラリア社会では移民の受け入れ制限や多 文化主義政策の見直しが公然と主張されるようになる.その後,とりわけジョン・ハワード自 由党政権において,社会統合に資するか否か,社会的・財政的コストに見合うか否か,といっ た政策合理性を標榜しながら移民の選別が志向され,従来の多文化主義の政策枠組みに修正を 迫る事態が頻発した.塩原良和は,このような多文化主義の変容を,行政主導の公定多文化主 義から経済論理が前景化するネオリベラル多文化主義への遷移として描いている.そして,と りわけオーストラリア経済に貢献するかどうかという視点から,中間層以上の移民を「役に立 つ人々」として限定的に受け入れようとする動きを「ミドルクラス多文化主義」と呼んでい る19).
こうした事態を前に,ハージは多様性に対応する政策体系を標榜しながら国民国家の社会統 合の道具として稼働する多文化主義の側面を論じ,ラディカルな批判を展開した.オーストラ
リア多文化主義は,表向き多様性を称揚しながらも,実態として多様な社会の「管理者」の役 割を,自動的に白人がもって任ずる論理の上に成り立ってきた.つまり,「白人性(ホワイト ネス)」の有無を暗黙の分節線としてマジョリティとマイノリティの主客の位置づけを固定し,
その布置の限りでの多様性を礼賛する「ホワイト・マルチカルチュラリズム」であるとしたの である.その際,マイノリティのもたらす多様性は,偏にマジョリティたる白人のマネジメン トの下で獲得された,オーストラリア社会全体を彩る豊かさとして位置づけられる.
問題なのは,豊かさの増大の言説が,支配的文化を他の移民文化よりも重要な場所に位 置づけているという単純なことのみではない.もっと重要なのは,この言説が,アングロ・
ケルト文化とは異なった存在様式を移民文化に割り当てていることである.支配的白人文 化は,そのまま疑問の余地なく存在しているが,移民文化は支配的白人文化のために存在 している20).
このようにして多文化主義的な寛容さを謳う社会において,マジョリティは,その寛容さゆ えにエスニックな多様性を享受し,社会の豊穣さを自らのものとして誇ることができる.ハー ジの言葉に従うならば「寛容な白人という幻想は,『死せる』エスニックたちに埋め尽くされ たナショナルな秩序の幻想」21)に他ならない.ここにマジョリティによる管理/統治の枠組み としての多文化主義の姿が浮かび上がる.そして,その中で生起するマジョリティのマイノリ ティに対する排斥感情は,白人の統治への潜在的な危惧を,すなわち統治における主客の関係 の逆転を過剰に恐怖する「パラノイア・ナショナリズム」として現出することになる22).前節 で述べたようなクリティカル多文化主義がつきつける根源的な批判は,まさにこの寛容さをめ ぐる多文化主義の統治的な側面にかかわっている.
4. 新自由主義的世界におけるナショナル・アイデンティティと「社会的希望」
ハージの分析は,多文化主義を介したマジョリティ支配への批判にとどまらず,グローバリ ゼーションという新たな状況の下でナショナル・マジョリティと社会そのもののもつ機能との 関係を「希望」の概念を介して位置づけ直すことに向かう.ここに,多文化主義の統治的な側 面とともに,それが今日急速に前景化している背景について,多文化主義のネオリベラルな転 回という文脈の下で論じる契機が生まれる.
ハージは,ピエール・ブルデューの社会学的知見を手がかりに,社会を「人生の意味を生み 出すメカニズム」と措定した上で,「社会的希望」の概念を定義している.「社会的希望」とは
「自己実現への機会を分配する社会の能力」23)であり,社会のうちに個人が自分の「生」の意 味を見出すことの重要性を表すものである.この意味づけの回路を経て,国民国家においてメ
ンバーシップとして手にすることのできる「あらゆる集合的ナショナル・アイデンティティは,
希望の分配メカニズムとして作用」するものと位置づけられる24).
20世紀後半,先進諸社会で主流化した国民国家=福祉国家体制の下で,社会はそれがもつ普 遍的な理念を「財の分配」という実績に基づいて,将来にかかわる社会的希望として成員に分 配してきた.言い換えれば,国民国家は,福祉国家化の帰結として社会保障というかたちで「財 の分配メカニズム」を経営し,それに裏打ちされた「希望の分配メカニズム」を稼働すること によって,ナショナル・アイデンティティを涵養してきたと言える.今日,グローバルな過剰 流動性を前にして,「国家が社会から撤退し,既存の希望の輪郭が収縮しはじめると,多くの 人々,中産階級並みの収入を得ている人々でさえもが……さまざまな形で希望の不足に悩まさ れるようになる」25).いきおい,あるネイションのマジョリティをなす人々がマイノリティに 対して共感や包摂,承認を示すか否かは,自らのもつ社会的希望を彼らと共有するか否かとい う問いとして立ち現れる.そして,それは偏に制度的な保障をもって社会を支えている国民国 家=福祉国家の行く末についての見通しに依存する.
次第に明らかになるのは,国家そのものが希望の配分から手を引くことで「社会そのもの」
の衰退を招くことの問題性である.グローバリゼーションの下でネオリベラル化してゆく国家 が社会に対する関与を大幅に切り詰めた結果,周縁化した人びとや貧困に喘ぐ人びとは福祉国 家の包摂の対象としてではなく,「ゼロ・トレランス」政策の眼差す排除の対象としてそこに 存在することになる.同時に,犯罪や貧困といった現象に人種やエスニシティを「無頓着に」
結びつけるような言説によって,彼らはしばしば社会の外側にいる人びととして描かれること さえある.ナショナルなものに帰属意識をもつことと,その結果として期待しうることとの落 差はますます大きくなり,それがマジョリティ自身の自己認識に深刻な影を落とすとともに,
マジョリティ/マイノリティ関係をいっそう緊迫したものにするであろう.
国家が社会への関与を縮退させてゆく一方,個人が国家や社会に対して抱く情緒的なアタッ チメントも変容を余儀なくされる.ハージは,存在論的な安心の有無によって分節される二つ の概念を提起して,個人が国民国家や国民社会に対してもちうる情緒的な態度とそれに基づく 帰属意識の態様を分析しようとする.一つは,国家と国民との相互的な関係の下で成り立つ「思 いやる(care)」こと,そしてもう一つは,その関係から相互性が失われ,一方的なものとなっ ていることを示す「憂慮する(worry)」ことである.
……思いやりの関係こそ,国民社会がその構成員と共有していると理想的に想像されて いるものである.国民国家は,養い,思いやる環境を提供する能力をもつとともに,境界 を管理する技術に長けていると想定されている.……ネイションに思いやられることで,
市民は能動的・情緒的なネイションへの参加を通じて,ネイションを「思いやり返す」.
超越的資本主義における思いやりのない懲罰国家と,そうした国家の抱く国境管理に関す るパラノイア的な強迫観念は,私たちがネイションへの愛着のあり方を考えることすら,
もはや許そうとしない.
憂慮する人々は,自分たちのネイションについて思いやることはできない.なぜなら,
彼・彼女らはまさしく,そのネイションによって思いやられてこなかったし,現在も思い やられていないからである.憂慮する人々がネイションと取り結ぶ,この不安な関係のゆ えに,彼・彼女らは,自分たちがたどり着くことのできないよい国民生活を防衛しようと することに由来するナショナルな帰属(憂慮すること)をもって,よい生活を楽しむこと に由来するナショナルな帰属(思いやること)の代用にしようとする26).
かくして,パラノイア・ナショナリズムの淵源は国民社会の外部にではなく,国家とナショ ナルな主体との関係性にこそ由来することが明らかとなる.ナショナルな帰属の在り方を念頭 に,マジョリティが抱くネイションに対する専権的な帰属意識を,ハージは「統治的帰属」と して描いている.すなわち,故国あるいは祖国に対して個人である「わたし」が何らかの統治 的権能を有するという幻想の上に,あらゆるナショナリストの言説や行為はかたちづくられる.
しかし,「希望の分配メカニズム」の機能が縮退し,国家と社会の重なり合いが揺らぐ時代に おいて,統治的帰属を支えていたナショナル・アイデンティティの在り方は根本的に変容せざ るをえない.ハージの見解に従えば,経済的に周縁化されてゆくマジョリティの一部は,国家 からはもはや顧みられることがないという事態を半ば事実的に予期している.むしろその上で,
彼らはナショナル・アイデンティティを唯一の「希望へのパスポート」とする限りにおいて,
国家の有り様や行く末をパラノイアックに「憂慮」し続ける現代のナショナリストとならざる をえないのである.存在論的不安の中に生きるマジョリティは,国家によって「『外部からの 難民』から『ネイション』を守るという名目のもとに」動員される「内なる難民」に他ならな い27).経済合理性を背景としたネオリベラル多文化主義が,国家による社会への関与の縮小を 背景としながら「移民の選別」という政策を焦点化し,「統治的帰属」の意識と国家の将来を 案ずる「憂慮」の情とを刺激しつつマジョリティの支持を搔き集めるといった状況はまさにこ のようにして生起する.また,よりあからさまに国民感情を煽り立てるナショナル・ポピュリ ズムやレイシズム,排外主義の高揚も同一の文脈から生成されうる.ハージは,社会・経済的 な構造問題に根ざした「希望の分配メカニズム」と,個人の国家に対するアタッチメントや帰 属意識の交点に「パラノイア・ナショナリズム」の生成を見ている28).こうしたハージの議論 を援用して,岩渕功一は,グローバリゼーションの下での国家と市場経済の癒着が「外部から の脅威を過度に防衛的に懸念する」ナショナリズムを伸張させ,「“わたしたちの共同体” を脅 かしている “危険な他者” “不審な外国人” がその管理の対象として」立ち現れるメカニズムに
ついて論じている29).また,ここに,山崎望の論ずる「グローバル化と新自由主義という背景 を持つナショナリズム」特有の「奇妙さ」(とりわけ,その「被害者」意識や非包摂性について)
の淵源の一端を,構造的に位置づけることができるように思われる30).
5. 多文化主義の再構成はいかにして可能か
国家/社会の機能不全を個人の意識の次元から問題化し,それを極めて克明に,かつ批判的 に描き出すことに長けたハージの議論は,その一方で大文字の統治性に繫がる回路を辿って共 同性あるいは統治の枠組みを構成することについては極めて慎重な立場を崩していない.本節 では,ミクロ的な視座に定位する傾向をもつハージの議論から多文化主義の再構築の可能性を 構想する手がかりを探りたい.
渋谷望は,ハージの議論を引用しつつマジョリティとマイノリティの支配─被支配の関係性 の変容を「憂慮のまなざしの逆転」と表現して,統治の再構成に向けて興味深い問題提起をし ている.国民国家=福祉国家の機能不全を背景に,ナショナルな枠組みの中で「統治する者」
の自己定義を巡って軋轢が生じている.マジョリティによる統治が自明性を失う一方で,ジェ ンダーやエスニシティなど一定の指標をもって統治から排除されていた者たちの政治参加が進 み,支配─被支配関係にある者の間で統治の権能を分有する可能性が示されつつある.それは マジョリティにとって「ネイションのエージェント」としての全能感を剝奪することを意味す るものの,今や「統治の分有なくしては社会が機能しないのが現状ではないだろうか」31)とい うのである.
統治する側にいると信じていた者と,統治される側に置かれていた者との間でいまいちど「統 治」を分かち合う─渋谷の議論における「統治の分有」への手がかりは,ハージの議論にお いては「交渉」というキー・タームで示されている.「交渉」とは,お互いが他者として向き 合う中で「私のなかのあなたを怖れさせる何か」「あなたのなかにある私を怖れさせる何か」
を相互承認することを出発点とする.それを根絶しようとしないこと,それが互いの主体の一 部であると認識することが,お互いがお互いに適応する意志をもつことの証となる.はじめに,
他者による自己統治の可能性を承認する32)ところから「統治の分有」がはじまるのだとすれば,
そのアプローチこそ「他者とともに希望を持つ,言い換えれば,他の方法で,統治する主体と しての他者とともに希望を持つという考え方」33)に他ならない.そして,ハージが「他者の主権,
および我々を傷つける彼らの潜在能力と共存できるような間文化的関係の様態へと移行する必 要がある」34)と語るとき,そこには徹底した他者性の承認を基礎として,ミクロなレベルから 構築しうる「統治の空間」の基礎をなす新たな倫理が顔を覗かせているように思われる.
ミクロなレベルの経験から,個人が他者の存在を内在的に了解してゆくプロセスについて,
ハージは自身の「ルーツ(roots)」を巡るライフヒストリーをある自己再定義を伴う物語とし
て再構成している35).
ガッサン・ハージのセルフ・ナラティヴは,母方の祖父母が,1930年代にレバノンから中米 のハイチを経てオーストラリアに渡り,東部のニューサウスウェールズ州バサーストに移民と して居を構えていたという事実にはじまる.祖父母は同地で母を生み育て,やがてレバノンに 帰国するがハージの母には典型的なオーストラリア訛りがあり,ハージ自身それを通して遠い オーストラリアに思いを馳せたという.やがてレバノン内戦を避けて,ハージの一家はオース トラリアに移住する.ハージ自身は大学での研究を続けるためにやって来たオーストラリア社 会に長いことなじめずにいた.後年,ハージはバサーストに赴き,既に他人のものとなった祖 父母の旧居を訪ねることになる.旧居の裏庭に,当時の面影を偲ばせるようにレバノンを象徴 する地中海性の木立を見つけたとき,ハージは,かつてレバノンで母が幼い彼に語ってくれた 祖父母のエピソードを思い起こすのである.それまで移住先の社会に対していかなる帰属意識 ももちえなかったハージにとって,それは初めて(レバノンではなく)オーストラリアへの4 4 4 4 4 4 4 4 4「
・
ルー4 4ツ4
・
」の感覚4 4 4となって訪れる.レバノン人であった祖父の植えた,まさにレバノンの木々から,私はここにルーツをもっ ているという感覚でそこに立ち,同時にそれまでで最もオーストラリア人であるという感 覚を抱いていた.この感覚の驚くべきところは,それがパラドクスにならなかったことで ある.むしろ,ノン・パラドクシカルな─感情の領域でパラドクスと同等の言葉を使う なら,ノン・アンビバレントな─オーストラリアにおけるルーツの感覚であった.
考えるに,私はこの木々をそれ自体としてではなく,バサーストでの祖父の存在を通し て理解したからこそ私はここにルーツをもっていると感じたのである.単純にオーストラ リアの土地に根ざしたレバノンの木々であると考えたら,私はレバノンへの郷愁に囚われ たのだろう.……私の経験にとって決定的だったのは,祖父が木々を植えたという記憶で ある.それは私がルーツを感じる土地に対する特別な関係を象徴する実践なのである.そ して木々は,そうした実践と関係を換喩的に拡張したものとしてそこに立っている36).
同時に,自らのルーツの発見に対する高揚感とは裏腹に,ハージは再びオーストラリアにお ける白人の移住の中心地に住んでいるのだという事実を意識する.この土地に別様に自らの ルーツを刻み,かたちづくってきた英国人たちの「裏庭」に立っているという感覚である.自 らのルーツをリアルなものとして感じたからこそ,ハージは,他者もまたこの空間に,また違 う時代に,自分自身の実践を通してルーツをもちうるということを強く意識したのである.「過 度に政治的に正しく言うなら」とハージは語る.「私のレバノンの木々も,英国風の裏庭も,
アボリジニの土地につくられていることを忘れてはならない」37).
ハージによれば,ルーツはレトリカルに二つの側面をもつ.一つは静態的・保守主義的なも のとして捉えられ,狭隘な心性と結びつけられがちなルーツの側面である.もう一つは,ハー ジが経験し衝き動かされたように,時に「翼をもつ」ようにさえ映ずるパラドクシカルなルー ツの側面─すなわち「人を土地に縛りつけるルーツではなく,人とともにあって,ともに動 くルーツの力」38)である.狭隘で,領域的なルーツの捉え方は悲しみとパラノイアを生むのに 対して,新しいルーツの捉え方は,新たな帰属への回路を開くものになりうる.それは,自ら の存在が変化してゆくことへの多様な可能性をもたらすものとして意識されるだろう.同時に,
ここに捉えられるルーツは,モノや場所をシンボルとして本質主義的に把握されるものではな い.「自らにかかわりをもつ人間が,そこにかかわりをもとうとした」という事実こそが自ら につながることとして想起される─記憶を,関係と実践において捉える構成的なアプローチ である.それはちょうど,ジェイムズ・クリフォードが二つのルーツ概念「roots[起源]」と
「routes[経路]」を対比させながら,「転地という実践」が「単なる場所の移動や拡張ではなく,
むしろ多様な文化的な意味を構成するものとして考えられる」可能性を示唆したことと通底す る39).そして,このように人のライフコースに沿って動態的に絶えず更新されてゆくルーツの 概念は,同じ場所,同じモノに対して他者が別様のルーツをもちうることをも示唆している.
さまざまな形態の多文化主義が行き詰まりを迎える中で,新たなルーツの概念に基づく帰属 の在り方の変容とともに,「文化間の相互作用(interaction of cultures)について再考を促す 新たな空間」40)の必要性について論ずるとき,ハージの議論は,他者の他者性を否定しないこ とを前提とする,自他の重なり合いや鬩ぎ合いの必然性にふれている.
これを多文化主義の文脈に差し戻すならば,ハージは,文化と文化の静態的な並置,すなわ ち文化的な共存(cultural co-existance)を理想とするのではなく,文化同士の接触を通じた相 互の変容を織り込む文化的な相互作用(cultural interaction)に基づく多文化主義を目指すべ きだと説いていることに行き当たる.共存の思想が旨とする「尊重」には特有の限界がある.
それは時に文化と文化をふれあわせないための技術となり,隣同士にありながら互いに交わる ことなく棲み分けることをよしとする思想に転化する.一方,文化的な相互作用は,予測不可 能な帰結を伴うことを前提として他者と「かかわる」こと,そこから生み出される理解/誤解 に基づいて,かかわっていない時よりもより親密な関係性を構築することに主眼が置かれる41). このように,ハージが提起する分析的ミクロ・アプローチと,クリティカル多文化主義の文 脈を踏まえて提案される新しい多文化主義に向けた実践の様式とは,異なる者同士の他者性を どのように位置づけるかという点において呼応する.そこで,従来型の多文化主義を支えてき た国民国家体制に象徴されるマクロ的秩序の構築とその延長線上に描かれる未来とを前提とし ない「社会的希望」がありうるとすれば,どのようなものとなるのかという問いも可能となる だろう.たとえばそれは,ミクロの次元での生々しい他者とのかかわりから生み出される無数
の可能性の中に潜む共同性として,あるいはそれに根ざした多文化主義のラディカルな再編成 として想定される.それはまた,塩原がイエン・アン(Ien Ang) の議論をひきつつ提唱する「コ スモポリタン多文化主義」の構想に示されるものと重なり合うはずである.
それ([引用者注:]コスモポリタン多文化主義)は,ある社会の「共通の価値・文化(=
標準)」を定めてそれに同化するように迫るのではなく,人々の差異を肯定する.しかし それと同時に,異なった人々のあいだの対話を促進する.そして絶えず対話を続けていく こと自体を,人々を結びつける力としていくのである.それゆえ,現時点で疎遠な関係な 他者どうしのあいだに対話の場が生み出されるように,政策・実践をつうじて働きかける ことが重要である.……コスモポリタン多文化主義とは,いまつながっていない人々,あ るいは分断されようとする人々をつなげていこうとする試みなのである42).
コスモポリタン多文化主義の前提として,塩原は単なる「越境人」としてではなく,他者に 対する共感可能性を備え,リフレクシヴに自己を遂行する人間像を,現代における「コスモポ リタン」の在り方として提起している.
コスモポリタンになるためには,他者の生きる現実への想像力が不可欠なのである.そ のためには自己の可謬性を知り多元主義を実践する「分かりあい」では不十分であり,自 己の加害可能性と受苦可能性を自覚し,その痛みを感じながらもなお他者と向き合い自分 を変えていく「変わりあい」の関係に勇気をもって入っていくことが必要である43).
塩原が「変わりあい」として示した可変可能性に対して─自己および他者に対して─個 人が開かれた態度をとりうる基礎的な条件とはどのようなものになるのだろうか.ハージは,
マイノリティ側の変容の様式として「参加的帰属」という帰属意識の在り方を提唱し,マジョ リティ特有の帰属様式である「統治的帰属」,社会的に広く共有されつつも統治にかかわる権 能をもちえないマイノリティの思考様式を枠づける「受動的帰属」と対置している.重要であ ろうと思われるのは,移民がホスト社会に対して単なる受動的な客体にとどまらない帰属意識 をもつには,そこでの社会的生活がはじめに贈り物として授けられなければならないという指 摘である.移民がもちうるホスト社会への帰属意識は,その贈り物への返礼として生成するも のと考えられている.そして,この帰属様式には「統治的帰属」における「憂慮」とは対照的 に,「思いやり」すなわちケアのアタッチメントが想定されていることに留意したい.
移民たちが共同体的連帯の感覚,思いやりを受ける感覚などを経験するとき(経験した
ならば),そして,移民たちがそのような思いやりに感謝することができるようになった とき(感謝することができるようになったならば),そのときこそ,移民たちは移住先社 会そのものを「思いやり」はじめるのである.そして,そのときから,移民たちは移住先 社会の「われわれ(we or weʼs)」と,そのあらゆる感情的付随物に,全面的ないし部分的 に自己同一化しはじめるのだ44).
もちろんのこと,ハージの語る多分に倫理的なニュアンスを含む帰属意識の概念を,一足飛 びにマクロな統合の論理に回収することがふさわしいとは言い難い.むしろ,そこからクロー ズアップされてくるのは,「変わりあい」に見られるような,ミクロ・レベルの実践の中から 紡ぎ出される可変的で相互的な新たな「アイデンティティ形成」のプロセスなのではないだろ うか.
たとえば,レス・バックは,国際都市ロンドンにおいて「過剰な多様性」とさえ形容される 多文化主義に対するバックラッシュの下で,若年の移民に対するフィールドワークに基づいて,
多文化的状況におけるミクロな公共空間の構築に意義を見出している.バックは,31人の若年 の成人移民への聞き取り調査から,彼らがその出自やライフコース,生活,価値観を構成する 膨大な差異を伴い,「差異を通じて機能するような連携」のかたちを実践しているさまを描き 出そうとする.それは,文化や宗教,人種などの分節線に沿って分断的に統治しようとする法 制度や監視体制を日常レベルで攪乱してゆく.移民たちは日常的にそうした境界を横断しなが ら,具体的な生を乗り切っていくための「コンヴィヴィアルな能力」を示しているという45). バックは,ポール・ギルロイの「コンヴィヴィアルな文化」に基づいて,人々を文化的起源 へと還元せず「かれらが何を日常的に行っているかに焦点を合わせるような文化に対するオル タナティヴな解釈」を可能にする視点として,コンヴィヴィアリティ(conviviality, 共に生き ること)を位置づけることを提唱する46).また,イヴァン・イリイチの構想に沿ってコンヴィ ヴィアリティを実践に即した道具的なものと捉えることで,それを甘やかな多様性幻想の隠れ 家とすることなく,他者とともに生きる「能力」を指し示すものとするべきだと語る.それは
「互いに深い関係を持つ人々が,重なり合う諸世界と都市の接触領域で生きることを実行可能 にするために,いかに具体的な道具を使用するのか,ということを前景化」してゆく試みであ る47).
バックは,フィールドワークでの観察から抽出されたコンヴィヴィアルな能力を定式化する48). そのうちの一つに彼らの住まう「街を気にかける(care)こと」が挙げられるのだが,そこで ハージの議論が踏まえられていることに注目しなければならない.ハージが,国民国家に対す る個人のアタッチメントの形態として提起した「憂慮」と「思いやり」の対概念は,ここでは 社会に対する「ケアの倫理と,文化の喪失あるいは差異による浸食を不安がる偏執病的ナショ
ナリストの心配を対比させる重要な区分」として想起され,援用される49).自らが生を紡ぐ場 として多文化的状況そのもの─たとえば,「ロンドンの異種混淆的ランドスケープ」─を 気にかけ,そこから受け取るものにセンシティヴであることが,やがてその場所を「ホーム」
として構築し自覚的に認識する営みに繫がってゆく.そこには,「過剰な多様性」の横溢する 多文化的状況を所与のものとして捉えつつ,その場に対する「ケアの感受性」をもち,異なる 出自や来歴をもつ人びととの繫がり,愛着を形成することがミクロ・レベルでの固有の空間を 構築へと繫がるシークエンスが見てとれる.その中で,そこに自らにとって固有の「ホーム」
をつくる営みとは,ケアのアタッチメントに基づいて社会生活を能動的に展開する「参加的帰 属」の具体的な足場を設営することとして位置づけられるだろう.同時にそれは,「生きる意味」
としての社会的希望を自他の文化的相互作用の下につくりだす営みとなりうる.
6. 結 論
リベラル多文化主義の陥りつつある隘路は,リベラリズムのもつ普遍主義的な価値規範と多 文化主義のもつ複合的な理念との遠心分離の狭間に現出しているように見える.それは,ガッ サン・ハージの分析を経て,両者を結びつけていた国民国家の動揺とそのネオリベラルな転回 に沿って生じている事態として位置づけることができる.ハージの分析のもつパースペクティ ヴは,ネオリベラル多文化主義へと傾斜してゆく多文化主義政策へのラディカルな批判ととも に,国民国家と社会の重なり合いから統合を導出する方法論を慎重に忌避するものであること は間違いない.ただその一方で,他者を他者として位置づけ,予定調和なき関係性を取り結ぶ
「交渉」パラダイムや参加的帰属を基礎づけるケアの倫理など,ミクロ的な実践を起点とする 豊穣なアイデアに見られるように,それは互恵的なやりとりを通じた社会参加の道筋,あるい は非統合的な統治の分有といった部分構想に繫がっている.ハージの提起した多彩な概念装置 の体系的な整序と意味づけについては,今後の検討課題の一つとしたい.
しかし,動態的で非領域的な「ルーツ」の概念を含め,ミクロなレベルにおいて個々人が多 様であることを前提としながら,自他の相互的な変容を予期しつつ一定の帰属意識をもって同 じ社会に住まうことを可能とする,新しい多文化主義への回路の一端は既に示されているので はないだろうか.不断の対話を基調とする「コスモポリタン多文化主義」にせよ,現実の多文 化的状況に対して差異を通じて機能するような連携を提起する「コンヴィヴィアルな能力」に せよ,その基盤にはマジョリティ,マイノリティの絶対的な区分や,固定的で凝集性の強いア イデンティティの形態を想定しない動態的な個人の生の捉え方,自己の可変性を前提とした上 での他者との関係性の構築の仕方が共通して看取できる.
また,他者の他者性を根絶しないやり方で,分離するでもなく同化するでもなく,かかわり あいながら「他者と共に希望を抱く」ためには,ハージが指摘するように,まずもって(マジョ
リティ/マイノリティを問わず)社会から「生」の場を与えられる経験ないしそれを担保する 制度的な裏付けが必要となる50)ということを併せて考えるならば,そのことがやがて互恵的 に他者という存在について想像し,ケアの倫理を起動させるミクロ・レベルの土壌をかたちづ くるという道筋が見えてくる.
「社会的希望」は,そうした営みがどれほど個人の「生」に意味をもたらすかということを 測る尺度として,あるいは個人が社会とかかわる中で相互的に生み出される果実として位置づ けることもできるだろう.それはやがて,ハージの「社会的希望」に関する議論を踏まえた上 で,個人化社会の中でそれを回復するためには自己と他者をめぐる「リスペクト」と「共感」
を醸成することが重要であると論じた宇野重規の議論ともやがて接合することになる51).本稿 で部分的に示されたような「新しい多文化主義」への回路は,ケナン・マリクの語る「多様化 という社会の現実」に対して─すなわち,ナショナルな空間における「多文化的〈現実〉」52)
の中で,他者とともに「生」を紡ぐための具体的な基盤を提供しうるものである.
注
1) 2010年10月16日,ドイツ首相アンゲラ・メルケルは,ポツダムにおいて自身が党首を務める政権 与党ドイツ・キリスト教民主同盟(CDU)の青年部会で講演し,ドイツにおける多文化社会構築に 向けた試みを「完全なる失敗」と位置づけ,大きな議論を呼んだ.その際,同時に「私たちの社会 に参画する者は,法を遵守するだけでなく言語の習得も必須である」とも述べ,ドイツ社会への移 民の統合を促す必要性を提起している( Chancellor Merkel says German multiculturalism has ʻutterly failedʼ”, Website Deutsche Welle (English version), 17. 10. 2010, http://dw.com/p/PfnH).また,2011年
2 月 5 日,イギリス首相デーヴィッド・キャメロン(当時)は,ミュンヘン安全保障会議において いわゆる「ホームグロウン・テロリズム」の抑止をテーマに講演し,これまで「国家政策としての 多文化主義(state multiculturalism)」こそが,社会のメインストリームと隔絶した価値観をもつコ ミュニティの存在を育んできたと述べている.そして,国民的アイデンティティの共有の必要性に ふれた上で「近年のような受け身の寛容性は捨て去り,アクティブで強力なリベラリズムを徹底す べき」であると述べ,リベラルな価値に基づく国民統合を提唱した(David Cameron, Speech PMʼs speech at Munich Security Conference”, Website GOV.UK, First published:5 February 2011, https://
www.gov.uk/government/speeches/pms-speech-at-munich-security-conference).
2) 望田研吾「多文化主義の『危機』」『教育と医学』第63巻 5 号,慶應義塾大学出版会,2015年,3 ペー ジ.
3) 宮島喬「ポピュリズム政治と『移民問題』:『イスラーム問題』の構築と移民社会─2015年パリ危 機からその後へ 3 」『UP』第528号,東京大学出版会,2016年,1 6 ページ.
4) 同書,6 ページ.
5) Kenan Malik, “The Failure of Multiculturalism : Community Versus Society in Europe”, Foreign Affairs, 94(2), New York: The Council of Foreign Relations, 2015, pp. 21 32(=2015年,竹下興喜監 訳「解体したヨーロッパ市民社会:多文化主義と同化政策はなぜ失敗したか」『フォーリン・アフェ アーズ・リポート』2015年 3/4 月号,フォーリン・アフェアーズ・ジャパン,33ページ).
6) Keith Banting & Will Kymlicka “Is there really a retreat from multiculturalism policies?: new evidence from the multiculturalism policy index”, Comparative European Policies, 11(5), London: Macmillan,
2013, p. 593. 7) ibid., p. 592.
8) Christian Joppke, “Beyond National Models : Civic Integration Policies for Immigrants in Western Europe”, West European Policies, 30(1), London: Routledge, 2007, p. 7.
9) ibid., p.19.
10) Christian Joppke, Veil : Mirror of Identity, Cambridge: Polity Press, 2009(=2015年,伊藤豊・長 谷川一年・竹島博之訳『ヴェール論争:リベラリズムの試練』法政大学出版局,200ページ). 11) 同書,4 ページ.
12) 同書,202ページ.
13) 辻康夫「多文化主義論の諸類型の検討:複合的アプローチに向けて」『法政理論』新潟大学,第45 巻 3 号,2013年,37ページ.
14) 同書,49 50ページ.
15) ヨプケ,前掲書,2009=2015年,204ページ.
16) 馬渕仁『クリティーク 多文化,異文化:文化の捉え方を超克する』東信堂,2010年,11 13ページ.
17) 同書,201 202ページ.
18) テッサ・モーリス=スズキ「移民/先住民の世界史─イギリス,オーストラリアを中心に」鵜飼哲・
酒井直樹・テッサ・モーリス=スズキ・李孝徳『レイシズム・スタディーズ序説』以文社,2012年,
117ページ.
19) 塩原良和『変革する多文化主義へ─オーストラリアからの展望』法政大学出版局,2010年,95ペー ジ.
20) Ghassan Hage, White Nation: Fantasies of White Supremacy in a Multicultural Society,
Anandale: Pluto Press, 1998(=2003年,塩原良和・保苅実訳『ホワイト・ネイション─ネオ・ナショ
ナリズム批判』平凡社,213ページ). 21) 同書,190ページ.
22) Ghassan Hage, Against Paranoid Nationalism: Searching for Hope in a Shrinking Society, Anandale: Pluto Press, 2003(=2008年,塩原良和訳『希望の分配メカニズム─パラノイア・ナショ ナリズム批判』御茶ノ水書房,16ページ).
23) 同書,36ページ.
24) 同書,32ページ.
25) 同書,42 43ページ.
26) 同書,61ページ.
27) 同書,44ページ.
28) 拙稿において,現代社会におけるナショナリズム現象を「希望の分配メカニズム」とのかかわり から検討している.栗林大「社会的希望としてのナショナル・アイデンティティ」中野勝郎編著『市 民社会と立憲主義』法政大学出版局,2012年,244 270ページ.
29) 岩渕功一『文化の対話力:ソフト・パワーとブランド・ナショナリズムを越えて』日本経済新聞 出版社,2007年,36ページ.
30) 山崎望「奇妙なナショナリズム?」山崎望編『奇妙なナショナリズムの時代:排外主義に抗して』
岩波書店,2015年,11ページ.
31) 渋谷望「統治しているのは誰か?:『自己』のテクノロジー第 4 回」『インターコミュニケーション』
第14巻 3 号(通巻53号),NTT出版,2005年,159ページ.
32) Ghassan Hage,“Hoping with Wolves, Or Can the Colonial Negotiate?”, 2007(=2009年,「ホープ・ウィ ズ・ウルブス─他者との『交渉』パラダイム」玄田有史・宇野重規編『希望学[ 4 ]希望のはじま