西鶴 : 二葉集の場合
著者名(日) 江本 裕
雑誌名 大妻国文
巻 18
ページ 91‑110
発行年 1987‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001563/
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十四 昴備︱︱二葉集の場合︱︱
江
本
裕
一 延 宝 七年 の西 鶴 延 宝七 年
︵一 六 七九
︶︑ 西鶴 三十 八歳
︒ こ の年 も歳 旦三 物集
﹃春
﹄枕 があ
たっ と うい が未 詳 正︒ 月 二十
一日 には 東 下 す る井 筒 木公
︵在江 戸 か︑ 延 宝七 年 刊 田代 松 意撰
﹃櫂 功 用群 鑑
﹄ に
﹁麻 布 住/ 公木 し を関 送 り し て間 に合 わず 青︑ 木 友 雪 和・ 気 舟遠
・釈 正察 と 四吟 百韻 を営 ん で︑
﹃俳 諧 四吟 六日 飛
﹄脚 と題 てし 上梓 し た︒ 月三 六 日 から 八 日 にか け て 摂は 津 鴻 池村 山本 西六 亭 に て︑ 松 井 花西
・水 西田 吟 山・ 本 西友
︵傍 点筆 者︑ 下以 同じ
︶と 五吟 五百 韻 を興 行︑
﹃西 鶴 五百 韻
﹄ と 銘 う てっ 刊 行 し た︒ 本書 元は 題 察剥 落 たの 原め 題 確を 認 す る こと きで ぬが 前︑ 々年 刊 行 の 俳﹃ 諧 大 句数
﹄ 角の 書 に
﹁西
﹂島
︵た だ し
﹁西
﹂ は剥 落← 天 理図 書 館編
﹃西 鶴 し 刻を し て いる のだ から 連︑ 衆 から みて
﹁西 鶴
﹂ を前 面 に出 す こと は 大 い にあ り得 た︒ 月四 十 四 日 には 青 木友 雪 と 両﹃ 吟 一日 千句
﹄
︵五 月 刊︶ を興 行︑ 月七 に 尾は 張鳴 海 下の 里勘 兵 衛知 足が 有 馬 入湯 の 帰 途 西鶴 庵 を訪 れ︑ 知足 を正 客 に木 村 一水 と斎 藤 子賀 も加 わ てっ 半 歌仙 が巻 かれ
︑ 月八 に は仙 台出 身 の木 村 一水 が 主 催 す る 句﹃ 箱
﹄ の興 行 に出 座 右︒ は 一水 が 大阪 の歌 舞 伎役 者 を招 いて 催 たし も だの が現 在 は勝 峰 晋 風 の西 鶴関 係手 抄 が残 る のみ であ る
︵若 干後 述
︶︒ 西 鶴 九 一
九二 同 じく 月八 には 同︑ 年 月三 台仙
の大 淀 三千 が風 興行 し た
﹃仙 台 大矢 数
﹄ に︑ 跛 文 と独 吟 歌の 仙 を与 え 斡︑ 旋 し て大 深阪 江屋 から 版 行
︒ この 出版 に西 鶴 が労 をと
たっ とこ 間違 いな く︑ そ の抜 文 に
﹁紀 子 千 八百 は いざ らし 波 の跡 かた も なき 事ぞ かし
﹂︑
﹁高 政 など の 拍口 子 にて は大 俳 諧 は及 ぶ事 にて あ らず
﹂ など 書 いて いる 処 らか す れ は︑ 援 助 は三 千風
への 親 切 心 か ら だけ では な か たっ ら し い︒ 困惑 狼 狽 し た三 千 風が
﹁愚 老 大矢 数 の奥 書 見を 侍 り て︑ こは 浅 まし と て足 摺 を けし れど
︑ は や難 波 の板 船 帆に を あげ ぬと き ゝて 高︑ 政
・紀 子 両翁
へ︑ 予 が 心 の外 なれ ば ゆ る てし うた び よと
︑ ひい にげ せの うそ こし て︑ おく に︑ おも ひき や我 松嶋
月の な ら で浮 世 の浪 に身 を よせ んと
﹂は 松G 嶋眺 望集 し と 弁 解 これ つと め るお まけ が つ く だの が︑ 西鶴 の腹 に 一物 あ たっ こと 違間 いな 処い だろ う︒ と いう のは
︑ いず れ詳 くし 考 え ねば なら ぬと 思 てっ るい のだ が
︑ この 年 月二 二十 二 日付 の下 里勘 兵衛 宛 の書 簡 に︑
﹁今 こそ 江戸 も京 も私 のぞ み の俳 諧 仕二 申 候 是 神力 と よろ こび 申 候
﹂と 満 足 しな がら も
﹁︑ 我等 千 六百 仕申 候 後 二 紀 子 申と 者 千 八百 作 物 仕二 申候 内証 存 な がら 一品 政 が点 おか くし 候﹂ と 同︑ くじ 紀 子 と高 政 を難 じ
︑ さ ら に 近﹁ 々 一二 日 夜一 三二 句千 のぞ み 御二 候座
﹂と 多︑ 分 翌 八年 の 西﹃ 鶴 大矢 数
﹄ の興 行 指を す あで ろう 計 画 を披 歴 てし いる から であ る︒ 如上 は
﹃大 矢 数
﹄ の成 文 にも 通じ る ので あ るが
︑ これ ら は単 な る紀 子
・ 高 政 への 個 人攻 撃 にと ど まら ず
︑ この 年 か ら騒 然 とな る貞 門
・談 林 間 の論 争 と決 し て無 関 係 で はな いよ う に思 われ る︒ 西 鶴 の 一種 の苛 立 ちを 示す も のと
一応 ここ で は記 し て おく
︒ さ て︑ 月十 八 日 には 大阪 天満 宮 の神 前 で 一日 千 句 を興 行
﹃︑ 飛梅 千
﹄句 と題 し 刊て 行 し た︒ 衆連 は西 鶴 はの か に西 波
・西 花
︒西 長
・賀 子
・西 里
・西 伊
・西 虎 仁・ 交
・友 雪 満・ 平
︵来 山
︶︒ 一鶴
・西 雪
・西 吟
︵執 筆 と追 加脇
︶ の十 四 名 十︒ 月一 七 日 には 江戸 小の 西似 春 を迎 え て 松の 門 亭
︵片 岡旨 恕
︶ での 百 韻興 行 に出 座
︵同 年 十 月二 難波 津散 人∧ 旨恕
∨自 序 の
﹃わ たし
﹄船 巻 頭 に 伊﹁ 勢 何
﹂ 収で ま
︶る︑
連衆 は似 春
・旨 恕
・益 翁
・梅 翁
・本 秋
・益 友
・夕 烏 ニ ホ先
︒政 寛 惟・ 中
・西 鶴
・ 保 友 の十 二名 同︒ 書 に 他は に四 巻 百の 韻 が収 ま るが 西鶴 は巻 尾 の
﹁何 払
﹂ にも 出 座︒ 連 衆 は梅 翁
・西 虎
・京 江雲
・旨 恕
・ 西鶴
亦・ 楽
・惟 中 の七 名 であ たっ
︒
以 上く だく だ くし たど
たっ が︑ 西鶴 は 一方 はで 門下 と げし く 会 なし が ら︑ 他方 で は師 宗 を因 はじ め︑ 大 阪 の著 名俳 人 あ る はい 梨 園 俳の 士︑ また 江戸 そ の他 自 己圏 外 の俳 士 と の交 流 をも 深 め︑ 勢 力拡 大 に つと めて いる ので あ る︒ そ し てそ んな 中 で︑ 第 二 の付 合集 コ︑ 一葉 集
﹄が 編 集刊 行 さ れた のだ
たっ
︒ 一一
二葉 集 細 目と 巻 頭 の西 鶴 二﹃ 葉 集
﹄ は横 本 一冊
︵二 冊 本も あ たっ か︶︑
延﹁ 宝 七年 霜 月 十 一日
/勢 州 杉村 西治
﹂ の序
﹁︑ 延 宝 七年
/ 未九 月 吉 日/ 大 坂伏 見呉 服町 書 林/ 深江 屋太 郎兵 衛
﹂板 序︒ 者 は西 治 だが 題︑ 簸 角書 に 俳﹁ 譜新 附 合/ 物種 集追 加﹂ とあ る こと や 後 述 の様 々な 事由 から 西︑ 鶴 の編 にな る とこ 確 実 であ る︒ ただ 版し 元 は
﹃物 種
﹄集 が 大阪 南 本 町 一丁 目 の生 野屋 六良 兵衛 あで たっ にの 対 し本 書 は深 江 屋 あで る︒ 深 江屋 から の西 鶴編 著 は本 書 が初 めて であ るが 本︑ 年 に入 ると 急 に密 で︑
﹃西 鶴 五 百 韻﹄ 曾 一月 刊︶︑ 中 村 西国 の 花﹃ 見数 寄
﹄
︵四 月 刊︶︑
﹃両 吟 一日 千句
﹄
︵五 月 刊︶︑
﹃仙 台大 矢
﹄数
︵八 月 刊︶︑
﹃飛 梅 千 句﹄ 十︵ 月刊
︶ と︑ 自著 や関 連深
い書 を す べ て深 江屋 らか 出 し て いる
︒ 本 書も 版 下 は水 田西 吟 収︑ す録 付る 合 は千 組
︵物 種 集 は五 百組
︶︑ 入集 者 の数 も
﹃物 種集
﹄ の 一六 五名
︵う ち 一人 は 読 人 不知
︶か ら 二六 五名
へと 百︑ 名 ふえ て いる 序︒ 者 の杉 村西 治 は
﹁勢 州﹂ とす がる 詳 細 不明 管︑ 見 の範 囲本 書 に十 三組 入 る 以外
では
﹃︑ 大矢 数
﹄ 44︵
の3
︶に 名 を見 る みの あで る︒ 本 書 には 既 に米 谷 巌
・檀 上正 孝 氏編
﹁物 種 集
︒二 葉 集作 者索 引﹂
∩近 世文 芸 稿
﹂ 9︑ 昭和 39 2・
︶ や大 谷篤 氏蔵 編 俳﹁ 譜新 付 合物 種集 追加 二葉 集 索引 只﹁ 女 子大 国文
﹂ 18ヽ
和昭 4
.
.n
︶︑ 更 には
﹃物 種
﹄﹃ 一葉
﹄ に重 複 てし 入 るを 示す 資料
︵古 典俳 文学 大系
・談 林 俳諧 集 一所 収 の二 葉 集
︶も 備 てっ いる のだ が
︑ 上記 を参 照 し つ つ︑ 以下 に若 千 の考 察 を試 みる
︒ そ こで
︑ まず 注 目す べき は︑ 巻頭
の付 合 だ ろう
︒ 西 鶴 九 三
九四 かね の鎖 のな がき 君 代が 臣 は水 日本
一の あ たけ 丸 西魏 右 が それ あで るが 該︑ 書 に到
てっ
︑ 西鶴 は初 めて 自身 の作 で巻 頭を 飾 たっ 念︒ のた め記 せば 巻尾 は津 田体 甫 であ る︒ 処 女編 著 の 生﹃ 玉万 句
﹄
→﹂ れも 巻頭 守 武 追︑ 加第 二 に西 翁 が座 るが
︶ はさ てお き 次︑ の 丹﹃ 仙 大 坂俳 諧師
﹄ 以来
︑ 本 書 を除
いて 己 編の 著 で師 宗 因 を巻 頭 か巻 尾 に配 さな い のは な か たっ
︵た だ 大し 歳坂 旦 には 入集 せず
︒ また 圧倒 的 巻に 頭 が多 く︑ 巻 尾 は古 今 誹諧 師手 鑑 のみ
︶︒ む ろ ん前 年 刊 の
﹃物 種 集
﹄ も 宗 因が 巻 頭 に いた ︒ 入集 数 こそ 六十 三組 で宗 因 が第 一位 だが
﹁︑ 一葉 集
﹄ にお け る この 措 置 は︑ 形 の上 きで わ め て異 例と いえ た︒ し かも 句意 あで る︒ 付句 の
﹁臣 は水
﹂ は 君﹁ は船 臣 は水 水︑ よく 船 を浮 かぶ
﹂
︵荀 子 上及 公篇
← 謡 曲 内 外 詣
・毛 吹 草 等
︶ で前 句 に付 き 御︑ 代 の長 久 を祝
てっ 巻 頭 飾を る に ふさ わ しく はな
てっ いる
︒ し かし 問題 は
﹁日 本 一の あ たけ
﹂丸 続と け る場 合 あで る︒
﹁安 宅
﹂丸 は三 代 将軍 家光 が寛 永 九年
︵一 六三 二︶ に向 井将 監 に造 ら せた 超 大 型軍 船 形式
御の 座 船 で︑ 推 定排 水 量千 五百 ト ン︑ 船首 に長 さ 三間 竜の 頭 を付 船け 上 二に 重 の天 守 を構 え て華 麗 を極 めた が実 用性 に乏 くし 天︑ 和 二 年
︵一 六八 二︶︑
代五 綱吉 命の 解で 体 され たと うい
吉︵ 川 文弘 館 国史 大辞 典
︶︒
﹃御 当代 記
﹄ は こ の解 体 の事 態 を︑
﹁当 代 御 たた ませ 被 成 候御 心︑ 諸 人 不審 仕
﹂
︵天 和 二年 秋︶ すと る ので あ るが
︑ む ろ ん延 宝 七年
の時 点 では 名声 を保 てっ お り︑ 庶 民 ベレ ルで 言 えば
あ﹁ たけ 丸と 日て 本 一の 御舟
﹂
︵東 海 道 名所 記
︒一
︶ でな け れば 句 が意 味 を な さぬ こと にな る︒ さ てそ こで 問題 は 日﹁ 本 一﹂ の係 り受 け あで る︒ 直素 に は
﹁日 本 一の あ たけ 丸﹂ であ るが 同︑ 時 に
﹁日 本 一﹂ は
﹁臣 は 水﹂ をも 受け
︑ つま り は 臣﹁ 水︵ と が 日﹁ 本 一﹂ とも な る︒ そ こで こ の
﹁君
﹂ を師
﹁︑
﹂臣 を弟 子と 解 たし らど うな るだ ろう 弟︒ 子が 師 を よく 浮 かば せ る こと にな る︒ 付会 にす ぎ るか も れし ぬが ど︑ うも 単純 に御 代 長 久を 祝 う と のみ は受 け と れ な い︒ かし も本 書 の巻 頭部 分 は︑ 井 原 西鶴 夕︑ 陽 庵道 寸 松︑ 山玖 也
︑ 西山 梅 翁︑ 釈 西海 前︑ 川由 平 大︑ 淀 友翰
︵三 千 風︶︑ 南 元順 と 並び 巻︑ 尾 は高 滝 益翁 高︑ 石 石斎 那︑ 波 江雲
︑ 西山 梅 翁 荒︑ 本 守田 武 山︑ 宗崎 鑑 進と み︑ 津 休田 甫 で 終 っ