後拾遺集の和泉式部の和歌
著者名(日) 伊藤 博
雑誌名 大妻国文
巻 15
ページ 27‑44
発行年 1984‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001592/
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後 拾 遺 集 の和 泉 式 部 の和 歌
伊
藤
博
はじ めに 後拾 遺集
には 作者
泉﹁和 式部
﹂ とあ る和 歌 が 六七 首採 られ て いる
︒ こ の六 首七 す べ てが 和 式泉 部 の作 とす る こと には 疑 間が あ る
︵上野 理氏
・﹃後 拾 遺集 前後
﹄
﹁第 五章 後拾 遺集
の資
﹂料 コ 一後 拾遺 集 と和 泉 式部 諸歌 群﹂
・笠 間書 院︶︒
ま た︑ 後 拾 遺集 中 西﹁ 宮 左大
﹂臣 の作 とす るも のに 和︑ 泉式 部 の和 歌が あ るか も知 れ な いと いう 意見
︵平 田喜 信氏
︒
﹁和 泉式 部集 と源 高
﹂明
∧﹃ 平安 和 歌新
﹄論 所 収
︒明 書治 院
︶∨ も提 出 され て いる
︒ この よう に後 拾 遺集 に採 録 され た和 泉式 部 の和 歌 は 首何 な のか 正確 な数 字 は不 明 と せざ るを 得 な いの が現 状 であ る︒ そ こで 後 拾遺 集 と和 式泉 部集 と のか かわ りあ いを 十分 に 検討 す る必 要 あが るが
︑ 現存 和 式泉 部集
の成 立 に つい ては かな りむ ず かし い問 題 を ふく んで いる
︒ たし かに 和 泉式 部諸 歌 群 が後 拾遺 集 資の 料 と な たっ あで うろ
こと 十は 分 に推 測 きで る︒ し かし 現存 和 泉式 部 集 そ のも のが 後拾 遺 集 の直 接 の資 料 とな たっ と は考 え られ な い︒ この よう に両 者 は不 分 明な 関 係 にあ りな が らも 後︑ 拾 遺集 には 和 泉式 部 の名 に よる 和 歌が 六 七首 あ る とこ
︒ これ は後 拾 集遺
の歌 人 と てし は最 高 の歌 数 あで てっ 歌︑ 和人 泉 式部 に対 す るき わ めて 高 い評 価 が さな れ て いた こと を物 語 る︒ 勿論 す︑ で に諸 先学 によ り︑ 歌 和人 泉式 部 に つい て︑ ま たそ の和 歌 の特 質 に つい て多 く の点 が き説 明 後拾 遣集 の和 泉式 部の 和歌 一一七
二八 さか れ てき た︒ 今更 が私 歌 和人 泉式 部 に いつ て言 及 す る余 地 はな いが
︑ 小 論 にお いて は︑ 後拾 遺集 に採 られ た和 泉式 部 の 和 歌 六 七首
︵こ の数 字 に いつ て は問 題が あ るが
︶ に関 す る︑ そ の採 録 の傾 向
︑ 詞書 の問 題 現︑ 存 和 泉式 部集 と の本 文 異 同 など に つい て少 くし 述 べ た い︒ な お︑ 後 拾遺 集 と現 存 和泉 式 部集 と 関の 係 に つい て は︑ す で 上に 野 氏理 が 詳細 に論 述 され て るい
金則 掲書
︶︒
また
︑ 氏 の
豊 ︲ 一一
三一 二 九 四 一五 三 一 一 一 一 一一 一
ざ
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i「①│llllli]│
奮
″ ″ ″ ″ 奎
″ ″ ″ 蛮
″ 蛮
″ ″ ″ ″ 哀
1776763757755746745 7■ 703691681635611575574573568539
③ 七 四 四
″ ″ ″ ″ ″ ″ ″ ″ 雑 ″ ″ ″ ″ ″ ″ ″ ″ ″
9289279269259219209139H910832821820817802801800799790
″ ″ ″ 雑 雑 雑 ″ ″ ″ 雑 ″ ″ ″
六 五 四 三
121312121206■64114310961010100910081000968965964
一 八 五 九
九一 一一 一 五 七 七五 六 五 五 七六 八 七 三 七 二 六 七 二
後拾遺集一 正 集 一続 集一後拾遺集一 一一 ハ一 四 七六 七
六 六 九〇 一ハ一一一 一一一 二
〇 七 一ハエハ 一 六 四 八
② 六八
二 三 五 五 三 五 一 四 一 一一 一 一一 一 二 三 四 八
二〇八
九 七 六九 二 九 一 九 三
④ 三 四 一一一 一一一一一
⑤ 七 二 三 七 七〇
⑥ 六 二五 七四 六
⑦
正 集
″ 95︲
一一 一一 一 一エ ハユハ 一 一九 六
四六四
一五 一 Ъレ ユハユハ
③ 六三 九 一五 二 七一 三
五九 一 五 七〇 二〇 一
⑨ 一≡ 一〇
三 九 一七 九 五二 四
︱.に﹂ は一F
︲︱ ト ー
ト 一
続 集
御 論 中 に両 者 の関 係 を 明 示 し た 表 が 作 成 さ れ て いる
︒ 小 論 をす す め る にあ た り
︑ 後 拾 遺 集 に採 ら れ て い る和 泉 式 部 の和 歌 の所 在 を 確 認 す る意 味 で︑ 上 野 氏 の作 成 さ れ た表 を 参 考 に さ せ て いた だ き
︑ 私 見 に よ り 次 の表 を 作 成 し た︒ 右 の表 で︑
① か ら⑨ ま で の数 字 を付 し た
︑ 118 ヽ 7︲6 ヽ 776 ヽ 8︲7 ヽ 832ヽ 9︲3ヽ 927ヽ
︲000ヽ
︲︲64 の九 首 は 現 存 和 泉 式 部 集 に見 え な い︒ ただ し︑
② の 746
は相 模 集
︵浅 野 家 本
︶∧ 私﹃ 家 集 大 成 中 古
Ⅱ
﹄ 相 模 集 I 一五 二∨ に
︑ 作 者 相 模 の和 歌 と し て︑
③ の 776
は相 模 集
︵書 陵 部 蔵
︶∧ 私﹃ 家 集 大 成 中 古
Ⅱ
﹄ 相 模 集
Ⅱ 二 二∨ に
︑ 作 者 相 模 の和 歌 と し て
⑥︑ の 9︲3
は 入 道 右 大 臣 集
∧
﹃私 家 集 大 成 中 古
Ⅱ 頼 宗 集 二 四
∨ に︑ そ れ ぞ れ 収 録 さ れ て い る︒ これ に よ る と︑ 残 り の六 首 が 現 存 私 家 集 に見 ら れ な い こ と にな る
︒ ま た
︑ 和 泉 式 部 集
︵正 集
︑ 続 集
︶ 中 で の重 複 歌 は
︑ 539
︵正 一六 一︑ 続 二 三 五
︶︑ 703
︵正 六 三 二
︑ 続 四
︶︑ 7︲︲
︵正 三〇 七
︑ 正 六 杢 こ
︑ 82︲
︵正 三 壬 二︑ 続 三 し ︑ 95︲
続︵ 三 二︑ 続 一一 六 ユ○
︑ 肌
︵正 一五 一︑ 続 し
︑ 鰤
︵正 一七 三
︑ 続 五 七
〇
︶︑
︲2︲2
︵正 一七 九
︑ 続 三 八 九
︶ の八 首 であ る︒ な お︑ 小 論 で は調 査 対 象 か ら 除 外 す る が
︑ 次 の九 首 も 和 泉 式 部 集 にあ る
︒ こ のう ち 49︲
の赤 染 衛 門 の和 歌 は︑ 和 泉 式 部 集 中 もで 作 者 赤 染 衛 門 であ る
︒ 他 八の 首 は
︑ 和 泉 式 部 集 で の作 者 は和 泉 式 部 であ る︒ 後 拾 遺 集
後拾遺集の作者名
五 五 三 五 八 五 五 四 九 五 四 五 五 四 六 五 四 三 五 四 四 六 五 一 一八 二
西官左大臣
後拾遺集の和泉式部の和歌
二 九
別 恋 ″ ″ ″ ″ 恋 恋 轄
二 四 二 4916798128■ 806805766675528
続 集
三〇 小 論 で の使 用本 文 は︑ 後 拾 遺集 太山 寺 本
︵八 代 集抄 も参
︶考 を︑ 和泉 式部 集 は榊 原 本 を使 用
︒ また 後︑ 遺拾 集 歌の 番 号 は藤 本 一恵 氏編
﹃後 拾遺 和歌
﹄集
︵桜 楓社
︶ に︑ 和泉 式部 集 の歌 番 号 は
﹃私 家集 大成 古中
Ⅱ﹄
︵明 治 書院
︶所 収 の
﹁和 泉式 部 集 I
・Ⅱ
﹂ によ る︒ 一 まず
︑ 和泉 式部 の和 歌 六七 首 がど の部 にそ れぞ れ採 られ て いる かを 表 示す る︒ な お︑ 後 拾遺 集 には 女流 歌 人 の歌 が多 く 採 られ て おり 和︑ 泉 式部 に つい で多 い のが 相︑ 模 四〇 首
︑ そ てし 赤 染 衛門 三 二首
︑ 伊勢 大輔 二 六首 であ る︒ 和泉 式部 の和 歌 の採 録状 況 を理 解 す る た め の 一助 と てし
︑ 二人 女の 性 の和 歌数 に つい ても 表 示す る︒
恋 一 恋 二 恋 三 恋 四 雑 一 雑 二 一雑 三 雑 四 雑 五 雑 六
計
0 1 0 2 1464 1045 00910
0 1 2 0
0 1 7 13
2204 1501
4 1 2 1
2304
26 32 40 67
後 拾遺 集 の全 歌数 を 一二 二〇 首 とす ると 和︑ 泉式 部 和の 歌 は六 七首 あで る ので 後︑ 拾遺 集 中 に占 める 割 合 は五
・五
% で あ る︒ そ こで 右︑ の表 よに り和 泉 式部
の和 歌 の採 録状 況 を整 理す ると 次 の通 り であ る︒ まず 恋︑ 部の 三二 首九 中 二に
一首 採 られ そ︑ の割 合 は九
%︒ 特 恋に 四 は六 三首 中 一〇 首 で︑ 三 ハ% を占 める
︒ 次 に︑ 雑 部の 三 八八 首 中 二に 三首 採 られ そ︑
の割 合 は六
% 全︑ 体 の割 合 に近 い平 均 的 な数 であ るが 特︑ 雑に 二 六は 八首 中 一三 首 で︑ 一 九% を占 める
︒ 雑 二 は︑ いわ ゆ る恋 歌 が収 めら れ てお り
︵六 八首 す べ でが 恋 歌 と認 定 す る こと には 少 々疑 問 もあ るが ︑ 一応 す べて を恋 歌 とす るな ら︶︑
そ の中 の 一九
% を和 式泉 部 の和 歌 が占 め て るい と うい とこ
︒ こ よの う に︑ 後 拾遺 集 にあ てっ 和泉 式 部 の 和 歌 は恋 歌 の占 める 割合 が非 常 に多 く︑ それ も恋 四︑ 雑 と二 うい
︑ いわ ば 恋 の種 々相 を歌 い上 げ る巻 に多 く採
ら れ て い る︒ こ のこ とも 彼 女 の詠 歌 の特 性が 奈辺 にあ るか を示 し て いる
︒ な お︑ 恋 の歌 に関 し ては 相︑ 模 と和 泉式 部 と は類 似 の傾 向 で採 ら れ て いる
︒ 赤 染衛 門 の場 合 後︑ 拾 遺集 に採 録 され た歌 数 は和 泉 式 部 の約 半数 であ るが
︑ す べ て の部 にわ たり 採 られ て いる
︒ な お︑ 和泉 式部 は賀 別︑ がな い︒ こ のこ とも 赤︑ 染 衛 門 の歌 人 と し て のあ り よう を示 てし いる ので あ ろう
︒ 哀傷
には 和泉 式部
の和 歌 五首 が 採 られ て いる
︒ これ は後 拾遺 集 歌人 で最 高 の数 であ る︒ な お︑ 古今 集 には 作 者名 が記 さ れ て いる 和 歌 で︑ 女性 の哀 傷 歌 は 一首 も な い︑ 後 撰 集 で は︑ 男 性
〇二 首 女︑ 性 一四 首 と なり
︑ 拾遺 集 では 男︑ 性 四 八首
︑ 女性
一二 首 とな る︒ と ころ が 後︑ 拾遺 集 で は︑ 男 性 二七 首 女︑ 性 三四 首 と な る︒ そう し た女 性 の哀 傷 歌が 増 加す ると いう 傾 向 の中 で︑ 和 式泉 部も 傷哀 五歌 首が 採 られ て いる
︒
後拾遺集の和泉式部の和歌
一一 一二 二
和 泉式 部 の和 歌 六 七首 の詞 書 を検 討 す ると 次︑ の点 が わ かる
︒ まず
︑ 和泉 式部 には 歌 合 の和 歌 が な い︒ と ころ が︑ 例 えば 相模 六は 首︑ 赤 染衛 門 は四 首 伊︑ 勢 大輔 は七 首あ る︒ これ は 和泉 式 部が 歌 人 と てし 活 躍 し 時た 期 と歌 合 の盛 行時 とも かか わり があ ろう し︑ ま た歌 合 の主 催 者 と和 泉式 部 と 関の 係 有の 無 も考 え るべ き あで ろう
︒ 次 に︑ 和泉 式部
の和 歌 の詞 書 には 個 有 名詞
︵人 名
︶ が少 な い︒ 三首 に のみ 人名 があ る︒ 小式 部 内侍
︵哀 傷
・五 六
︶︑八 敦 道親 王
︵哀 傷
・五 七三
︶︑ 保 昌
︵雑 三
︒一
〇
〇
〇︶ で︑ いず れも 彼 女 の人 生 に深 く かか わ たっ 人 々で あ る︒ な お︑ 相 模 に は 一〇 首︑ 赤 染衛 門 には 九 首︑ 伊勢 大輔 には 八首 に人 名 が見 える
︒ と ころ で︑ 雑 二 には 恋歌 が採 ら れ て いる が 恋︑ の部 と雑 二 の詞 書 を比 較 てし 気 づく とこ は︑ 雑 二 には 個 有名 詞
︵人 名︶ が多 とい いう とこ 恋︒ 歌 の二 二九 首 中 三二 首 に見 られ
︵約 一四
%︶︑
雑 二 の六 八首 中 二九 首 見に られ る
︵約 四三
%
︶︒ 雑 二 では 他 の部 に比 較 し て人 名が 多く 記 され て いる が︑ 和 泉式 部 の和 歌 は雑 二 に 三一 首 も採 られ て いな が ら︑ そ の詞 書 に は人 名 が見 られ な い︒ つま り︑ 和 式泉 部 の和 歌 は︑ 誰 に︑ 誰 とと うい とこ で は未 詳 歌 が多 いと いえ よう
︒ ま た︑ 後 拾 遺集 には
﹁題 らし ず
﹂ の和 歌 が 一五 四首 あ り︑ 全体 の 一三
% を占 め る︒ 和泉 式部 に つい ては す で に言 わ れ て いる が
︵藤 本 一恵 氏
﹃後 拾遺 和 歌集
﹄0
・講 談 社︶︑
題﹁ らし ず
﹂ の和 歌 が多 い︒ 次 に
﹁題 らし ず
﹂歌 の多 い歌 人 を 示 す
︒ 和 泉式 部 一ハ 七首 中 二三 首 曽 祠 好忠 九首 中 八首 相模 四
〇 首中 八首