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(1)

はじめに

はじめに

I

住民の学習と大学の関係は発展途上の段階

1

1

大学開放、今後の課題 まとめ

佐 藤 進

前年度の「研究報告」

)I(

で筆者は日本における大学開放政策とその評価に関する歴史的鳥廠図的概観を 試みた。大学生涯学習教育研究センター専任の職に就いたばかりという事情から、まだそのあり方につい て自分なりの展望を描ける段階ではなかったため、大学開放に関する政策の流れを追い、その評価をめぐ る先行研究を跡づけることで全体状況を把握しようとしたのであった。その後

1

年、大学でのサイクルを ーとおり経験した現時点における大学開放のあり方についての考えを整理するというのが本稿の意図であ る。折しも筆者の勤務する香川大学生涯学習教育研究センター(以下当センターと略す)は、その前身で ある大学教育開放センター以来の拠点であった経済学部構内施設から、

0002

11

月教育学部構内に新設さ れた研究交流棟に移転した。この建物は単に新しい施設というだけではなく放送大学香川学習センターと の合築棟である。これまでも放送大学施設は同じく経済学部構内にあったのだが、今度は当センターが 6 階、放送大学が

7・8

階となり、学習のため訪れる人からみて当然それぞれはどのような役割をもちどの 生 涯学習に果たす上での特性を見つめ直す必要性を強く感じている。

大学が地域貢献あるいは社会貢献を大学の使命と認識して公開講座に取り組むようになっている現在、

それが大学にとってどのような意味があるかということと合わせて地域においてどのような役割を果たし

ているのかという観点から問い直すべき時点に到達しているというべきであろう。つまり大学開放を大学

内部から論じるだけでなく、地域にとって、住民にとってどうかという視点が求められる段階にあると思

うのである。

02

世紀をとおして大学は学問の府象牙の塔から、合わせて教育の府、そして大学開放による

社会貢献をその役割として認識してきた。社会貢献という以上はその社会状況なり求められている貢献の

中身なりについての認識を持つことが必要となってくる。もちろん大学は自主的な学問研究の多様性多元

性に基づく時代のオピニオンリーダー的役割をこそ期待されているのであるから、要求に追随していれば

よいわけでないことは明白である。しかし大学の中からの発想だけで充分だとはいえないことも多いので

はないだろうか。その辺をどのように模索して展望を切り開くかが当面の課題である。以下これらの点に

ついて自治体社会教育職貝としての経験を踏まえて考察してみたい。

(2)

I

住民の学習と大学の関係は発展途上の段階

1 戦後教育改革と社会教育・学校開放

社会教育の歴史をたどるのが本稿の目的ではないが、社会を構成する人々の学びという点に目をすえれ ば、それは太古の昔からあった営みである。社会の進歩発展、あるいは戦争や破壊までもがその時代と社 会構成員の認識や技術水準と分かちがたく結びついていた。もちろんそれが個々人の営みとして自由であ ることはごく一部であり、歴史的に構築された社会構造が支配力を発揮してきたことは当然であるとして も、やはりそれは相互関係にあることを否定できない。社会は教育のぁり方を規定し、教育は社会の担い 手をつくるのである。

近代以降の日本における学びと教育を考えると、明治以前までの士族を中心とした支配層蓑成教育の有 り様とともに民衆の教育水準をバックボーンとしつつ、殖産興業・富国強兵をめざす近代日本の担い手養 成の必要から全国一律の学校制度がスタートしたのが

2781

年である。周知のごとく明治の日本においては 憲法に教育の規定がなく、教育勅語体制が

5491

年まで続いた。この間学校以外の教育は行政の上では通俗 教育から社会教育へと変容するが、その内実は住民が身近に学びを続ける施設はつくられず、もっぱら官 製団体を中心とした上からの指導つまり教化活動であった。数少ない回書館も有料を原則としさらに国家 や行政の価値規範に基づく図書資料の提供が行われた。それが戦後図書館界で戦争責任を問い直す必要を 生むのである。

そのようにして迎えた

5491

8

51

日以降、戦後日本の教育改革が行われることになるが、日本の

8

1

5

日の迎え方の特殊性がそこに反映した。第二次世界大戦時の同じ枢軸国であったムッソリーニのイタリ アは

3491

年に降伏、

64

年には王制から共和制に移行、制憲議会が新しい憲法を制定する。いっぼうヒット ラーのドイツは連合国 4 カ国による分割占領、その後東西ドイツに分裂という歴史をたどる。そのなかで

ドイツに対しては徹底的に非ナチ化が追求され、ドイツ自身もそれを国是としてきた。東西ドイツ統合後

1

0

年を経た今日ネオナチ台頭の動きもあり、それが必ずしも成功していないようであるし、あるいはそれ ほどに難しい課題であるのかも知れない。

日本の戦後改革は連合国軍の占領とはいっても実質的にアメリカ軍の単独占領であり、基本的に東西対 立を軸としたアメリカの対アジア政策との関連で進められたといってよい。現在の日本国憲法は、 「枢密 顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正」

12(

という手続きで天皇 の名で公布されている。帝国憲法下の統治権者たる天皇が国民主権を明記した憲法を公布するという、通 常の政治過程ではあり得ない手続きがとられた。それが共和制でも王制でもない象徴天皇制と国民主権制 という戦後日本独自の政治社会体制をつくったのである。これは日本国民の当時の力量とともに占領政策 の結果というべきである。また日本の戦争終結については無条件降伏と言われるが、これは降伏に際して 何の条件も付けられなかったかのごとき誤解を生む面がある。しかし日本は連合国に対してポツダム宣言

を受諾して降伏したのであり、

確立を求め、 「日本国政府が直に全日本国軍隊の無条件降伏を宣言」するよう求めそれを受諾したのであ る。したがって連合国の要求する条件を受け入れて日本国からは条件をつけなかったということなのであ

り、平和と民主主義の確立は戦後日本の国際的責務なのである。

さて戦後教育改革に的をしぽれば、まず

5491

9

月の文部省「新日本建設ノ教育方針」がある。ここで

は「益々国体ノ護持二努ムルト共二軍国的思想及施策ヲ払拭シ平和国家ノ建設ヲ目途トシテ謙虚反省只管

国民ノ教養ヲ深メ科学的思考カヲ養ヒ平和愛好ノ念ヲ篤クシ智徳ノ一般水準ヲ昂メテ世界ノ進運二貢献ス

(3)

ル」と、戦前的国体の護持と平和国家建設を同居させようとしていた。これに対して

01

月の連合国軍「日 本教育制度二対スル管理政策」が出される。この中では「軍国主義的及ビ極端ナル国家主義的イデオロ ギーノ普及ヲ禁止スルコト」と併せて「議会政治、国際平和、個人ノ権威ノ思想及集会、言論、信教ノ自 由ノ如キ基本的人権ノ思想二合致スル諸概念ノ教授及実践ノ確立ヲ奨励スルコト」としたのである。この ような経過を経て翌

64

3

月の第一次アメリカ教育使節団来日となる。この使節団報告書はその後の教育 制度改革に大きな影響を与えたものであり、憲法の教育条項、教育基本法へとつながったといえよう。現 今において時に復古的潮流が強まる日本の動向を見るとき、

8419

6

月衆参両院において教育勅語等の

「排除」 (衆議院)、 「失効確認」 (参議院)の決議がなされていることを想起することは意味がある。

戦後日本の改革は、

1591

年の講和条約までは占領者としてのアメリカ主体の連合国軍の管理と監視のも とではあるが、改革の直接の担い手は日本人自身であったことも記憶に留める必要がある。教育改革もそ うであり、総理大臣の諮問機関としての教育刷新委員会を中心に教育委員会制度の導入による教育行政の 自主性・ 自立性の確保等の制度化が進められた。社会教育法制定にいたる過程も当然のこととして連合国 軍の監視のもとであった。しかし法案は政府案として第

22

案が国会に提出されたことでもわかるように、

幾度も修正を加えて出されている。最近の国会における法制定あるいは地方分権一括法によって

754

法案 を一括改正したことなどと比べて、慎重に原案づくりがなされたことが推測される。

1 9 4

9

年に制定された社会教育法は、社会教育について「学校の教育課程として行われる教育活動を除き、

主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含 む。)」 ( 第

2

条)と定義したうえで、社会教育の主体を国民におき、国・自治体の役割を住民の自主的 活動を助長するための行政とした。しかも国民の活動に第一義的に関わるのは基礎自治体たる市町村であ る。市町村教育委員会事務局が関係事務を処理し、直接の教育・学習事業の実施や活動の場は社会教育機 関としての公民館や関連施設としたのである。次いで都道府県・国は市町村をバックアップするという仕 維みであった。もちろんバックアップの中身については弱点がないわけではない。つまりすべてにわたっ て「予算の範囲内」との条件つきであることや、中心機関としての公民館については職員の手だてが充分 講じられなかったことなどである。

なお、社会教育の概念に関しては教育基本法第 7 条(社会教育)に「勤労の場所その他社会において行 われる教育」、 「図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法」とある ほか、文部省設置法第 2 条では、社会教育は「公民教育、青少年教育、婦人教育、労働者教育等の社会人 に対する教育、生活向上のための職業教育及び科学教育、運動競技、レクリエーション並びに図書館、博 物館、公民館等の施設における活動」と規定されていた(文部省設置法は中央省庁再編に伴って

1002

1

月に廃止され、新たに制定された文部科学省設置法ではこのような定義は姿を消した)。また国際的に日 本や中国などの

laicos noitaucde

は「正規の学校教育や高等教育制度の外でおこなわれる教育で、雇用の ための教育ではないものを意味する」とされている

(3)0

公民館についてふれると、社会教育法制定前にすでにスタートしていたのであり、文部次官通牒「公民

館の設置運営について」がその始まりである。これはアメリカ教育使節団報告書公表

3

カ月後の

6491

7

月であった。教育制度改革がようやく始まったばかりの時に、地域住民の学習拠点づくりの必要が自覚さ

れた結果といえよう。もちろん戦後復興のメドも立たない時期であるため当然のこととして建物としての

公民館が構想されたとは言いきれない。戦後復興しかも民主的文化的地域づくりの拠点として住民が成長

する場として公民館活動が構想されたとみるべきである。そして公民館の根拠法となる社会教育法制定に

先駆けて

7491

3

月制定の教育基本法第

7

条に公民館の名が記されることとなったのである。公民館構想

(4)

が出されて

9

カ月後のことである匹

戦後教育改革によっていわゆる新制中学校がスタートするが、中学校建設は多くの困難を伴ったといわ れる。特に東京などの大都市は戦災によって壊滅的打繋を受けたことから、まちの復興と並行しての中学 校建設は大変な負担であった。それが大都市社会教育施設の遅れにもつながったことは想像に難くない。

ところで戦後初期の小中学校は子どもの学び舎であるとともに放課後や休日の遊び場であり、住民にとっ てのたまり場、文化や産業振興のセンターにもなった。地域の運動会、映画会、文化祭、産業祭などは多 く学校で行われていた。かつて学校は教師が宿直していたが、その後専門の警備職員になりさらに機械警 備へと変わるなかで管理責任等の問題からいったん放課後の門を閉じることとなる。しかしその後再び子 どもの遊び場として開放されさらに住民の生涯学習の場としての開放が模索されているのが現段階といえ よう。

高等学校は公立であっても住民に門を開くことは少なかった。グラウンドや体育館もクラプ活動でフル 回転ということもあったし、たとえ近くにある学校でも校区が広く入学試験の結果で方々から生徒が集ま るということから、住民からみて自分たちの学校という意識は育ちにくく、開放の対象としてはあまり意 識されてこなかった。しかし昨今公開講座の実施主体としての高校の役割が増大しているように見える。

以上のような状況を背景にして、政策的には学校教育と社会教育の「連携」から「融合」が提唱されて いる。筆者の見るところ学校教育と社会教育の現段階では連携はまだしも融合の実態を伴っているとは思 えない。連携は協力したり手をつなぎ合うという意味で使えるが、融合は別々のものが一つに溶け合うと いう意味を含むのであり、現在の「学社」の関係はそこまで進んでいるとは思えないからである。また学 校が地域社会に開かれることは是としつつも、 「学社」がことば本来の意味で「融合」すべきかどうかは 慎重に検討される必要のある課題である。

各種学校そして専修学校等も生涯学習政策進展のもとでその役割が増大しつつある。もともと職業技術 教育を役割とする教育機関である専修学校での取得単位が場合によっては大学等の単位として認定される 方向が打ち出されつつあるのがその例である。

大学は入学試験によって門前で振り分けて入学を許可した者にだけ高等教育を施すという伝統に立って きたが、現在国立大学を含めて大学を地域社会に開くことが推奨されている。つまり生涯学習の一翼を担 う存在としての大学の登場である。政策を受ける形で国立大学生涯学習教育研究センターが設置され、そ れは公私立の大学にも増えつつある。ひとくちに大学を開くといっても様々な局面があるのであり、それ は教育の面で入学機会を社会人に開く、公開講座として社会人の学習機会をつくる、研究面で地域や企業 と共同研究を進める、研究成果を製品化・商品化する、ベンチャー企業に関わって援助する、運営面で地 域社会の意見と評価を取り入れる・・・と、かつての大学では考えられないような開かれ方が進行してい

る。これらのことが生涯学習政策と一体化して進められているといえよう。

2

ユネスコの生涯教育理念と日本の生涯学習

知られているように生涯教育理念の国際的な提唱は、

5691

年ユネスコ主催国際成人教育推進委員会での

ユネスコ教育局継続教育部長ポール・ラングランのワーキングレポートによるものである。そこに出席し

た波多野完治が邦訳して紹介したのが日本における生涯教育理念普及の始まりといわれている。ラングラ

ンが指摘するように生涯教育理念はユネスコ主他青少年に関する国際会議

4691(

年・グルノーブル)、

88

カ国文部大臣会合

5691(

年・テヘラン)等、それ以前から提唱されていたが、体系的な議論の機会として

は国際成人教育推進委貝会の場が最初と考えてよいであろう。

(5)

さてラングランが最初に生涯教育を提唱した時その理念の眼目は大きくいって二つあったといえる。つ まり一つは当時の教育の状況について「学校、家庭、工場、授産場、労維などで行われる教育訓練におい て、生産者も消費者も市民一般も、自分にぴったりあった目的や効果を目標としない知識を教えられ、技 術を習わされる」と批判的にとらえた上で、 「生涯永続教育の目的とするところは、これら訓練の相こと

なる様相を同調協和して、これを個人の性癖と矛盾しないようにしようとする」、つまり「発達の総合的 な統一性」を提唱した。二つ目は生涯教育の目標を「人間形成の一般的な側面と特殊な側面、とくに職業 的養成の側面をこどもと青年と成人において、できるかぎり調和」させることと述べ、 「真実は、この二 つの部門のあいだに距離などなく、これら二つは相互に依存しあっており、その目的に一致している」と 述べているのがそれである

(510

生涯学習の流れを概観して感じるのは、学校教育・社会教育・家庭教育等の教 育体系を相互に関連するものとしてとらえ、さらにそれを融合させようとの努力はある程度進展してきた と思われる。つまり学校教育は幼少年時代から青年期までの世代の教育で完結するのではなく、生涯にわ たる教育の一環であるべきだとの考え方、さらに学校自体が特定年代に限定されるのでなくすべての世代 に開かれるべきだとの考え方である。ヨーロッパ諸国やアメリカに比べ遅きに失したとはいえ、この面で は種々の施策が展開されている。しかしもういっぽうの、教育内容それ自体を生涯教育の視点で見直す、

一般教育と職業教育の調和ということについては、見るべき前進を示していない、むしろ一般教育の後退 現象が見られるのが現状ではないだろうか。これは学校教育・社会教育の別を問わない実態のように思え る。そう考えると、大学が地域に果たす役割としては職業教育面での役割はもちろん重要だが、一般教育 の面でとりわけその果たすべき役割を持っているように思うのである。

社会教育政策レベルで初めて生涯教育に言及したのは

1791

年の社会教育審議会答申であった。これは

「急激な社会構造の変化に対処する社会教育の在り方について」の標題に見るように社会構造の急激な変 化の中では

01

代から

02

代前半までの教育体験でその後の社会を生きることは困難だというラングランの問 題認識と共通する立場であった。

1891

年に中央教育審議会によって出された「生涯教育」答申も基本的に 同様の問題意識でまとめられたものである。しかも両答申とも従来の学校教育・社会教育・家庭教育とい う枠組みを前提にして相互関連とそれぞれの役割発揮を求めていたのである。

この発想の転換点になったのが中曽根内閣のもとで設置された臨時教育審議会(臨教審)であるといえ る。臨教審はそれまで文部大臣の諮問機関として常置されてきた中央教育審議会や社会教育審議会と異な り

4891

年の臨時教育審議会設置法

(3

年間の時限立法)に基づく内閣総理大臣の諮問機関であった。同法 第 3 条では内閣に答申等の尊重義務を負わせる権限を持ち、その後の教育改革はこの答申の具体化という 路線で展開してきた。この点、総理大臣の私的諮問機関であった森内閣の教育改革国民会議とは位置づけ が全く異なっていた。

臨教審答申の特徴を見る前に触れておきたいのは、

1981-82

年に臨時行政調査会(臨調)答申が出され ていることである。臨調第一次答申においては「国債残高約

28

兆円にも及ぶ財政赤字の累積」と指摘した 上で、 「増税なき財政再建」こそが緊急課題であるとし、 「支出の節減合理化」のため、受益者負担、民 間委託が必要だと述べていた叫したがって臨教審は日本の教育を生涯教育の視点から見直すに当たって できるだけ財政支出を削減する方向で進めることを至上命題としていたのである。しかしその後

02

年新し

く導入された消費税がいまや税収入の主役となるとともに、いっぽうで財政赤字は国と地方合わせて

076

兆円にもなろうとしている。

もうひとつ、ユネスコの提唱は生涯教育であり、臨教審答申以前までは日本においてもそのような考え

(6)

方がされていた。しかし臨教審以降は生涯学習というように概念のとらえ方に変化がおきている。ちなみ に

1891

年の中教審「生涯教育」答申においては生涯教育と生涯学習の関係について次のように述べていた。

「今日、変化の激しい社会にあって、人々は、自己の充実・啓発や生活の向上のため、適切かつ豊かな 学習の機会を求めている。これらの学習は、各人が自発的意思に基づいて行うことを基本とするものであ り、必要に応じ、自己に適した手段・方法は、これを自ら選んで、生涯を通じて行うものである。その意 味では、これを生涯学習と呼ぶのがふさわしい。

この生涯学習のために、自ら学習する意欲と能力を養い、社会の様々な教育機能を相互の関連性を考慮 しつつ総合的に整備・充実しようとするのが生涯教育の考え方である。言い換えれば、生涯教育とは、国 民の一人一人が充実した人生を送ることを目指して生涯にわたって行う学習を助けるために、教育制度全 体がその上に打ち立てられるべき基本的な理念である」

17)

。これは「教育は学習とは同義語ではなく、学 習以上の意味を持つ言葉であり、学習を容易にする条件の供与を意味する」いうユネスコ関係者の見解と

も共通している

)8(

以上のように生涯教育は、生涯学習を支える教育制度のあり方をさす概念のはずであるが、教育は教え る側が主体で押しつけ的な印象になり学習は学ぶ者が主体だという程度の議論で生涯教育から生涯学習に 変更されたように思われる。いずれにしても臨教審以降は日本においては生涯教育の語は姿を消していま や生涯学習オンリーという様相である。

臨教審答申は

5891

6

月から

78

8

月までに第一次から第四次までの答申を行い第四次答申は三次にわ たるそれまでの答申を総括した最終答申として提出された。最終答申では教育改革の視点を、個性重視の 生涯学習体系への移行・変化への対応(国際社会への貢献・情報社会への対応)とした上で、具体 的方策として、生涯学習体制の整備・高等教育の多様化と改革・初等中等教育の充実と改革・国際化への 対応のための改革・情報化への対応のための改革・教育行財政の改革、をあげている。生涯学習体制の整 備について見ると、 . 1 学歴社会の弊害の是正と評価の多元化(例えば資格取得試験受験に際して学歴要 件を除去)

.2

家庭・学校・社会の諸機能の活性化と連携(「大学、高等学校等を、社会人が学習でき

る場として整備」、 「公開講座の単位認定」、 「社会教育行政について、生涯学習体系への移行という観 点から、社会教育に関連する法令を含め総合的に見直す」)

.3

スポーツの振興

4.

生涯学習の基盤 整備(「生涯学習に取り組む市町村の中から、特色あるものをモデル地域に指定」、 「教育・研究・文化

・スポーツ施設のインテリジェント化」、 「施設の管理・運営の在り方を見直し、施設の特性に応じて設 置者が直接管理するほか、第三者に委託する」)となっていた。その後の経過からもわかるようにこれら の提起は施策として具体化してきているのである。

3

生涯学習の法制化と最近の教育改革動向 (1) 法制化と地方分権改革

臨教審答申を受けて生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律(以下生涯学習振興 整備法と略す)が制定された。この法律は、 . 1 生涯学習振興のための都道府県の事業

.2

都道府県が 特定地域を指定して生涯学習イベントを行うことを奨励する、その際民間活力を活用して国の基準に合致 すれば税制面の優遇措置を講じる

3.

生涯学習審議会に関する規定、を盛り込んだものであった。した がって社会教育法の基本理念である社会教育の主体は住民の自主的活動で行政はそれをバックアップする、

しかも直接には基礎自治体としての市町村が中心であるという発想からは遠いものであった。ちょうど

1

9 7

0

年代、

08

年代をつうじて民間カルチャーセンターの台頭と一定の定着を見るなかで、これからの生涯

(7)

学習は民間の活力を主体にして行政はできるだけ手を引くべきだという考えが政策筋から強く提唱されて いたからである。その時期に『社会教育の終焉

J

(松下圭一)なる論が現れたことも、著者の主観として は市民の個の確立が進んだ段階で行政が市民教育を行うのは時代錯誤だという批判にあったとはいえ、社 会教育に対する民活路線を後押しする役割を担ったといってよい。

生涯学習振典整備法は、民間活力活用とともに生涯学習行政の中心を都道府県におき、さらに教育行政 とともに首長部局を主役の一つと位置付けた。そして行政の役割は民間を含む生涯学習事業の情報を住民 に提供することだとしたのである。しかし皮肉なことにこの法律が制定された時期からいわゆるバプル崩 壊が始まり、民間のカルチャーセンター等は非常に厳しい経営を迫られることになる。他分野の業種でカ ルチャ一部門に手をつけていた企業の中には撤退を迫られるものも現れた。生涯学習振興整備法が第一の 柱とした都道府県事業の内容は少なからず社会教育法の規定とかさなるものであったし、第二の柱として の特定地域を指定しての事業も法制定から

01

年余の間に全国でたった一度しか実施されていない。さらに 第三の柱である生涯学習審議会は、中央省庁再編と併せた審議会の再編統合により、

1002

1

月に中央教 育審議会の

1

分科審議会となった。地方分権一括法改正に際して、都道府県が作成する地域生涯学習振興 基本構想に対する国の承認規定や国の生涯学習審議会規定等も改正された。日本で初めての生涯学習を冠 する法律は制定後1

0

年余で大きな変容を来す結果となったのである。

地方分権をめぐる一連の改革は、自治体を国の出先機関的に扱ってきた機関委任事務の廃止などの点で は、住民に密着した行政を行うための自治権の増大という点で地方自治体から求められたものであるが、

かなりの部分が法定受託事務として残された。さらには社会教育にも関わっての一律の「専任」規定廃止 などは、財政合理化の施策という面が強く、必ずしも自治権を拡大するとは言えないものであった。また 地方分権という以上それを支える財政自主権の拡大が不可欠であるにもかかわらず、税財政面については 生涯学習分野についても様々なゆがみをもた らしている。例えば地方分権施策に先立っての自治体社会教育施設建設補助金の打ち切りなどは、まだ全 国的に不足している図書館建設とりわけ普及率の低い農山村部におけるそれに深刻な影響をもたらしてい るし、専任規定の廃止はいまですら兼任や非常勤職員の多い公民館長・主事の条件を悪化させる心配があ る。また必置規定の廃止による公民館運営審議会の任意設置化は、住民意思の雌重という地方自治の本旨 に逆行するものと言わざるを得ない。

(2) 教育改革の動向

教育はいつの時代もその社会の在り方とともに変わらざるを得ない宿命を負っているが、今日まさに教 育改革の課題が多方面から提起されている。大学開放に関する国の審議会答申については前年の「研究報 告」で概括を試みたが、ここで若干の補足をしておきたい。

〇「今後の地方教育行政の在り方について」

8991

9

月中央教育審議会

本答申については前年も言及したが、ここでは住民の生涯学習と大学という観点から改めて取りあげる こととする。この答申は、 「教育行政における国、都道府県及び市町村の役割分担」、 「教育委員会制度 の在り方」、 「学校の自主性・自律性の確立」、 「地域の教育機能の向上と地域コミュニティの育成及び 生涯学習及び大学 開放等については次のように述べている。

「既存の社会教育施設等の地域コミュニティの拠点としての機能を一層高める観点から、新たな情報手

段の活用を図るため、例えば衛星通信の受信システムなど必要な設備・ 装置の整備を進めるとともに、

(8)

衛星通信を利用した図書館、公民館等に対する子ども向け番維の提供やテレビ会議システムやインター ネット等を融合的に活用した大学等との連携による多様な公開講座・講習の提供などを積極的に促進す ること。」 ( 第

4

3

地域コミュニティの育成と地域振興 具体的改善方策(新たな情報手段を用 いた地域コミュニティの拠点の整備))

「大学や専修学校は、それぞれ、高度な教育・研究機能や実践的・専門的な教育機能を有する生涯学習 機関として、地域住民への施設開放、公開講座等をより積極的に行っていくことが期待されており、教 育委貝会は、こうした大学、専修学校など地域の高等教育機関等との連携を強め、地域住民のニーズを 踏まえた社会人の再教育機会の充実など、地域全体の人づくりの視点に立った施策の推進を図ることが 必要である。」 (4 教育委員会と首長部局、関係機関・ 団体等との関係)

そして具体的改善方策として「大学等との連携の促進」の項で、次のように述べている。

「 ウ 生涯学習を通じた地域振典という視点から、恒常的に大学等との協議の場を設定することなどに より、積極的な連携協力体制を整えるとともに、例えば、公民館などの施設において地域の複数の大学 や専修学校による公開講座を定期的に実施するなどの工夫を講じること。

エ 平成1 0 年 1 月から C S 放送による全国放送を開始した放送大学の提供する放送授業を積極的に活用 して、住民の学習の高度化を図るよう努めること。」

0

「グローバル化時代に求められる高等教育の在り方について」

0002

11

月大学審議会

この答申は

8991

01

月の答申「

12

世紀の大学像と今後の改革方策について」を受けて、インターネット 等の発展による国際社会の変化を「グローバル化」とおさえ、 「高等教育制度の国際的な整合性を図り、

教育研究のグローバル化を推進するとともに国際競争力を高める」ための教育研究の在り方就中教育の在 り方に重点をおいて検討したものである。ここでは教育内容として、教養と専門的知識の教育の重要性を 指摘するとともに、大学教員が授業を重視すること、つまり教貝の教育力の向上等を求めている。この答 申の中心論点は学生指導に関わる課題の検討であるが、本稿の課題にひきつけて生涯学習との関わりでの 大学の課題を見ると、社会人の学習環境の充実については、 「インターネット等の情報通信技術を活用し て、社会人が利用しやすい教育提供の形態を整備する」 「教育プログラムの内容を分かりやすく示すなど 適切な情報提供」 「社会人の履修相談に応ずる専門的なスタッフ」 「社会人特別選抜の実施、科目等履修 生制度の活用、夜間大学院の設置をより一層推進」 「放送大学の整備充実や同大学院の創設」、通信制大 学院に「博士課程の開設」、次いで単位累積加算制度の導入の検討、パートタイム学生の受け入れの検討

などをあげている。 【 ( 3 】 2 (3) 生涯学習ニーズヘの対応)

0

「新しい情報通信技術を活用した生涯学習の推進方策について」

0020

11

月生涯学習審議会答申 この答申では、新しい情報通信を活用した生涯学習推進における大学の役割について随所で言及してい る。そのなかから特に重要と思われる箇所を抜粋しておきたい。

「今後は、衛星通信やインターネットなどを活用して、広く全国に高度な学習機会を提供するなど、よ り一層地域に開かれた高度な学習機会の提供拠点としての役割を果たし、高度化した学習者の学習需要 に十分に対応できるようにすることが重要です。

例えば、公開講座を開設している大学は、 (中略)その受講者は、各大学の付近に居住する人々に限 定される傾向があります。 (中略)今後、大学、短期大学及び高等専門学校が提供する貴重な学習機会 を、全国津々浦々の人々に提供していくためには、開設する講座数が少ない大学、短期大学及び高等専 門学校でも衛星通信等を利用できるようなシステムの構築が必要です。

また、大学、短期大学及び高等専門学校の情報通信技術の専門家を活用することにより、一般住民を

(9)

はじめ、生涯学習関連施設の職員などが情報リテラシーを身につけるための学習機会を充実することが 必要です。さらに、大学、短期大学及び高等専門学校の施設を活用して、そのような学習機会を提供す

ることが望まれます。」 . I I ( . 1 (4) 大学・短期大学・高等専門学校)

この答申は、

9991

年のケルンサミットにおける「ケルン憲章一生涯学習の目的と希望」の採択、それを 受けた

0200

5

月の

GS

教育大臣会合・フォーラムにおける生涯学習とそれに果たす情報通信技術重視、

同年九州・沖縄サミットでの「グローバルな情報社会に関する沖縄憲章」の採択のながれを踏まえたもの である。ケルンサミット以降の経過は、生涯学習社会の到来を展望しそれに向かってすべての人の学習機 会の保障を提唱しているものの、基本的な立脚点はそのための

IT

関連産業分野への投資という視点なの である。これは同じく国際的流れといってもユネスコや国連における学習を権利として保障しようとする 方向とは趣を異にするというべきであろう。

I

I

大学開放、今後の課題

1 生涯学習の理念をもう一度問い直す

日本の生涯教育論は先述したように当初学校教育・社会教育・家庭教育の三本柱を前提に組み立てられ ていたが、臨教審以降それが生涯学習論となるのと合わせて社会教育軽視・基礎自治体としての市町村軽 視・教育委員会よりむしろ首長部局重視・民間活力重視へと軌道を変更してきた。これは生涯学習論その ものに内在するというよりは同時に進行した行政改革そして最近の地方分権政策の影響と考えるべきであ ろう。

ところで生涯学習の国際的動向は、一つはポール・ラングランから始まり

6791

年成人教育の発展に関す る勧告・

5891

年学習権宣言・

7919

年ハンブルク宣言等に見られる国連・ユネスコを中心とする流れであり、

もう一つはサミット諸国による生涯学習への着目である。

ユネスコ及び国連の動向は生涯教育の大きな方向として発展途上国に目を向けすべての人々の学習権保 障の理念を追求しているといってよい。これは国連が発足当初と違って中小の発展途上国の声が届きやす くなっていること、

NGO

つまり非政府練織の国際的発言力の強まりを反映しているといえよう。それに 対してサミット首脳会議は先進国と言われる国々の首脳中心の会議という性格から、民衆レベルの声は反 映しにくい場であり、政治経済を中心とする国家政策が色濃く現れている。そのような場で生涯学習の必 要が説かれていることば注目に値するが、それはちょうど日本国内で進められようとしている

IT

革命と の関連で生涯学習が論じられているのと共通している。今後

IT

戦略が生涯学習にどのような影響を及ぼ すかを予測することは困難であるが、先にふれた様々な答申から推測すると国民に

IT

技術を身につけさ せる場として生涯学習の場が想定されていること、したがって地域の公民館等の社会教育施設に

IT

設備 が整備されると同時にそこで住民の技術講習会を行う、その上で大学公開講座などを受講できる場とする、

それとの関連で大学にはそのような技術指導が期待され、さらに地域で受講可能な講座の発信元としての 役割が期待されているといえそうである。

この原稿を書いている

0102

1

月現在、籠者の加わっているメールネットワークを通じて、各地の自治

体社会教育現場からは政府の掲げる

IT

革命の原像のごときものが伝えられている。それによると、

0102

年度に全国で

505

万人を対象に

IT

講習会を実施する・

1

講座

02

名で

21

時間・経費はパソコン賭入費と講

師謝礼を文部科学、総務両省が

001

パーセント補助、というものである。自治体での受講者見込みは人口

(10)

1 0

0

万人規模の政令指定都市の場合

5

-6

万人

(2500-3000

講座)、

06

万人都市で

3

万人、

8

万人の都 市では 3 千人という膨大な数となる。実際に講習を担当するのは社会教育施設や学校となるとのことで、

突然降ってわいた事業にどう対応するかとまどいを隠せない状況のようである。

2 I T 技術の発展と大学開放

国立大学に最初に大学教育開放センターが設置されたのは

3791

年の東北大学が最初であり、その後金沢 大学、香川大学と続くのである。その後多くは生涯学習教育研究センターという名称で

1002

1

月現在ほ ぽ全国の半数の道府県に設置されている。そこでは生涯学習機会を社会人に開くつまり公開講座の実施と 合わせて生涯学習のあり方についての実践的研究も任務とされている。

社会人への大学開放の柱の一つは正規の学生として社会人を受け入れる、つまり大学への入り口を伝統 的な

81

歳高校卒業者ということでなく、いったん社会人としての職業経験を持つ人も入学可能なように整 えるということである。日本で社会人の正規入学を認めたのは

9791

年度の立教大学が最初であるが、現在 では国の施策としても推奨され多くの大学がそれを実施している。ただこれまでは若者と一緒に社会人学 生が勉学にいそしむ積極性は認められても、通学を前提としたものであったために対象者は限定されざる を得なかった。つまり勤務先と大学の距離、通学可能な勤務条件の確保等、勉学を続けるためには陰路が 多かったのである。しかし

IT

技術の発達普及とそれを大学教育に活用する施策によって、通信教育での 受講が可能となってきている。その典型が放送大学であるが、通学を前提とする一般の大学においてもそ れが普及しつつあるのである。社会人のリカレント教育という面からもこれは評価されてしかるべきであ るが、にもかかわらず問題は多いというべきであろう。現今の不況の長期化を背景とする失業、リストラ、

長時間労働、サービス残業、派遣労働者やパートタイマー・アルバイターなど不安定雇用の増大等々の労 働条件の劣悪化は、働きながら学ぶことの困難を増大させている。労働時間短縮等によるワークシェアリ

ングの実現によって失業率の低下と職場にゆとりを生み出さない限り、大学の社会人への開放も前進しな いといわざるを得ない。

ただそのような厳しい現実はあるものの大学においては社会人の特性に応じた入学試験の制度化、授業 の受講も生活実態に合わせてフレキシブルな対応をする、つまり夜間主コース・聴講生・科目等履修生、

さらに先にふれたように具体的な制度化は未知数ながらパートタイム学生なども提唱されている。また単 位認定の柔軟化によって他での取得単位を認め合うということなど、社会人の学習条件の整備という点で

は一定の前進が見られるといってよいであろう。

3

大学公開講座の可能性と課題

公開講座をどのような内容でどのように開設するかは各大学によって特徴があると思われるが、社会人 の学習保障と考えるならその地域で具体的にどのような学習が求められているのかということと、大学側 が用意する講座内容がマッチするかどうかが問われねばならない。この点では大学は市町村自治体のよう

に特定の地域やその住民をとらえているわけではない。すべての都道府県に国立大学が存在していること を考えれば、香川大学は香川県民との関わりが当然重視されるべきであるが、大学は自治体と異なり県民 や住民と明確な責任関係にあるわけではない。大学の任務である教育・研究はむしろ県や国を超え時間的 制約をも超えての役割が期待されるといってよい。しかし大学のもう一つの役割としての社会貢献あるい は地域貢献という点では香川大学は基本的に県民のために役割を果たすことが求められている。大学開放、

公開講座はまさにその役割の一つなのである。そのように考えた場合、香川大学は香川県民の大学開放へ

(11)

の要望に応える任務を持つということになる。しかし高松市に本拠を持つ香川大学の公開講座受講可能者 はこれまでの経験から見ても県内全域というわけにはいかない。香川県は全国で最も狭い県域であるとは いっても公開講座に通える範囲は自ずから限定されざるを得ない。

こんにち情報化が急速に進展し

IT

技術を駆使すれば世界中からの情報を取得することも可能な時代で ある。大学に足を運ばなくとも大学の勉強を進めることもできる。単位認定も場合によっては大学に足を 運ぶ必要はないかも知れない。すでに大学院も通信制がスタートしている。資格認定も同様であろう。そ うなったなかで大学が地域社会に開かれるという意味はなんであろうか。通信技術の活用で学習機会の可 能性を開くことと合わせてフェイス・トゥ・フェイスでの学習者と教授者の対面学習の意義を改めて考え て見る必要があるのではないだろうか。知識や情報を授ける受け取るというだけであればそれはまさに

I T

技術がその多くをカバーする時代になった。しかし教育とは人間と人間との関わりのなかで成り立つ側 面も大きいのでありそういう意味ではフェイス・トゥ・フェイスの役割は決しておろそかにはできないと 思う。そうであるならば大学人には知識の教授者としての役割にも増してフェイス・トゥ・フェイスに

よって学問と生活上の課題との関わりについて議論し刺激し合う関係づくりが求められる。

次に、学習者から求められる講座内容と提供できる講座をどのようにつき合わせることができるかも課 題である。筆者の経験からは、自治体社会教育の場では「学ぶ者と社会教育職員とで直接学ぶ場と内容を 構築する」ということが可能である。それは住民の学習を保障する第一義的任務は自治体がもつのであり、

社会教育活動に関しては住民とはその自治体居住者あるいは在勤者、在学者という想定があり、しかも住 民への日常的広報手段を持つがためにそれは可能なのである。これに対して香川大学公開講座は対象者が 百万人を超える県民で、広域でありしかも大学としての全県民への広報手段を持たない。確かにインター ネットの出現は全国・世界への情報発信の有力な手段とはいえるがまだそれが地域で有効性を発揮する段 階までは至っていない。したがって大学は学習者の顔が見えないままに公開講座を開設せざるを得ないの である。

大学開放には社会人のなかでも職業人のリカレント教育の役割も期待されている。これは本来職業技術 に限らずまさに一般教育分野も含めて考えられるべきなのであるが、日本においては一般教育=教養は個 人的に努力すべき分野、仕事に直結するもののみを研修の対象とする根強い考え方がある。これは労働者 教育行政に関する

8491

年の労働省・文部省の協議の結果、労働関係諸法令の普及、労働組合・団体交渉・

労働委員会、その他労働問題については社会教育の対象外とされた影響も大きいといわざるを得ない

o'"

次に地域社会教育の場であれば当然のこととして公開講座はいわば学習の動機付けであり同じ課題意識 を持つ人々の出会いの場なのである。したがって講座での学習が終着点ではなくむしろ継続学習の始まり なのである。しかし大学の開放講座は講座終了とともに完結となってしまう。そこで問われねばならない のは、大学は地域住民の学習要求に十全に応えきろうとするのか、それとも大学が公開したい講座を実施 してその範囲で任務完了とするのかということである。理論的には当然ながら大学の役割は前者である。

しかし現実には後者の段階にあるというべきであろう。この乖離状況をどのようにして乗り越えるかは当 七ンターの課題でもある。県内の住民の学習機会の状況を把握し、地域社会教育との連携のもとで大学と

して果たすべき課題を明確にして公開講座を実施するのかどうかということでもある。

他県の例をみても県レベルの生涯学習施策と関連づけての大学の役割が期待されている。香川県におい

ても県民カレッジ構想が具体化されようとしており、今後どのように具体化されるかまだ予測できる段階

関係機関等が相互に連携しながら住民の学習環境を整えるという

ことは全国的に進展しているのであり、いずれ本県においても進められるものと考えられる。

(12)

4

自治体社会教育の到達点に目を配る必要性

大学の公開講座を展望するとき、戦後

05

年余に及ぶ自治体社会教育実践の到達点を見ておくことは重要 である。籠者の課題意識に引きつけていくつかの分野について概観しておきたい。

(1) 若者をどのように育てるかは当面する日本の重要課題である。ここ数年来の

71

歳の関係する事件、

全国の注目を集めた

1002

年各地の成人式問題を含め若者をめぐっては種々課題はあると思うが、その一つ として地域に中高校生を中心とする若者の居場所をどのようにつくるかということがある。社会教育や児 そして地域に若者 の居場所をなくしてきたのではないかという問題意識から、中高校生の声に耳を傾けて中高校生を主体と した地域のたまり場づくりを試みてきている。施設の建設から遥営にいたるまで中高校生の声が生かされ ている東京都杉並区の児童青少年センター「ゆう・杉並」、運営委貝会の委員長に高校生が就いている町 田市の子どもセンター「ばあん」の例や、都市部の公民館では中高校生主体の音楽ライブなどのとりくみ がなされている。さらに

0002

21

月に全国で初めて制定された「川崎市こどもの権利に関する条例」

( 2 0 0

1

4

1

日施行)は、市民や子どもが原案づくりにかかわったものである。これらは子どもの権利 に関する条約の地域における具体化という意味も込めて、中高校生を地域の主体的な担い手とすることを・

つうじてこそ若者は育つとの実践である

)011

(2)

地域をなくしているという点では世の父親族も例外ではない。かつては親の背中を見て子は育つと いわれたが今やそれは死語の状態である。高度経済成長のため、会社のためと私生活をなげうって働いて きた結果のバブル崩壊、リストラ、少年事件、あるいは多方面での大人社会のモラルハザード。そのよう ななかで各地にタテ社会の人間関係と異なる地域活動をする父親の会が生まれてきている。とくに神奈川 県ではおやじの会ネットワークが生み出され、 「おやじサミット

ni

川崎」というイベントも実施され、子 育ての中で地域に復権する父親像が出現している。これらのきっかけは多く社会教育の場がつくつてきて いるのである

)111 0

(3) 核家族化のなかで幼い子を持つ母親の孤立した子育てへの支援も当面する重要な問題であるが、そ れに対しても各地の公民館の場で保育室活動や共同子育て、子育てネットワークの創出などがされてきて おり、都市部を中心にすでに

03

年以上の蓄積がなされている

2)1( 0

(4) 高齢化の進行はマイナスイメージで語られる面が多いが、高齢者は社会の各方面で様々な課題の担 い手として活躍している。そのような高齢者の増大を背景にしてこれまでの半生を社会の歴史と関連づけ ながらまとめる自分史学習が広がっている。インターネットのホームページで自分史の作り方をガイドす る人、愛知県春日井市の日本自分史センターのように、自治体として自分史学習に取り組む例もうまれて いる。

12

世紀を迎えたこんにち、激動の戦中戦後を生きた人々が綴る自分史は、歴史資料としての意義も 大きいといえる

01131

(5) 障害をもつ人の地域活動も広がりを見せている。歴史的には小中学校の知的障害をもつ子どもの学 級卒業生の親たちが社会教育行政に働きかけてスタートした場合が多いのであるが、社会教育と福祉関係 者の連携のもと重度障害の青年を含めた取り組みも広がっている。その活動にスタッフとして関わるなか でノーマライゼーションを実体験する若者も生まれているのである

)I.I(

(6) 国際化の進展のもとで在住外国人が国籍とことばのハンディキャップをこえて地域で生きる力をつ ける場として社会教育の取り組みが各地に広がっている。日本語の読み書き教室等生活に必要なことばを 学ぶとともにその国の文化を日本人が学び交流する草の根の国際交流として広がっている

05111

(7) その他地域の活性化や地域づくり エコ、ューンアム、エンパワーメントなどにとりくむ住民の学

(13)

生涯学習に果たす大学の役割

習活動も各地で見ることができる

)16( 0

以上、アラカルト風に社会教育の活動にふれてみたが、このような学習が日常的に住民の生活課題に引 きつけて地域で取り紐まれている。しかも進んだ自治体の場合は当然のこととして企画や運営に住民の参 画を求めている。特定非営利活動促進法

(NPO

法)、行政手続法や行政機関の保有する情報の公開に関 する法律(情報公開法)、男女共同参画社会基本法など、住民が主体的に学習や活動を展開するための法 制度も進展している。そのような住民生活の変化を念頭においた大学開放が構想されなければならないと いうことではないだろうか。

まとめ

大学開放の職場に身を置く立場から大学開放の課題等について述べてきたが、主題にどこまで迫り得た かという点では心許ない限りである。また本稿ではここに述べたことが筆者の職場でどこまで実行できて いるのか、あるいはこれからどれだけ可能なのかということは一応脇に置いて筆を進めた。なぜなら個人 として大学開放を論じることと機関としての当センターが実行することは必ずしも一致する訳ではないと いう考えからである。つまり個人の論は仮説や主観を含むのであり、いま当センターとして取り紐んでい ることは、これまでの蓄積と直面する課題の結果としてある。 「研究報告」における個人論文はたとえ職 務をテーマにしての論考であれあくまでも個人の問題把握と問題提起であると思っている。

当センターとしては

0020

年度に運営委員会のもとにワーキンググループを設置し、公開講座の体系化と 構造化、単位認定の可能性等について議論を行った。その成果をさらに深め具体化することが課題である。

また全体的な動向としては国立大学の独立行政法人化、香川大学と香川医科大学との統合など、当セン 生涯学習の取り 組み、民間カルチャー機関の動向、放送大学の果たしている役割等にも目を配りながら公私にわたって今 後とも大学開放のあり方について考察を続けたいと思っている。

(1) 拙稿「大学開放政策の展開とその評価に関する考察」 『香川大学生涯学習教育研究センター研究報 告』(第

5

号 、

0002

年 )

(2)

日本国憲法公布に際しての告示文、

6941

(3)

佐藤一子「社会教育/成人教育

laiocS( n,oticauEd !udA t E)onticadu

」におけるテイトムス編

『成人・生涯教育国際ハンドブック』

lacios natioeduc

解 説 東 京 大 学 教 育 学 部 紀 要 第

43

巻『社会教 育の基本用語に関する検討

j4991

(4) 教育基本法制定当時の公民館設置状況

設置率(市町村数に対する設置市町村数)

7491

8

19%

(館数不明)、

4919

6

40%

(館数約

6

, 0 0

0

館 ) (横山宏・小林文人編著『公民館史資料集成』

6981

年 エイデル研究所

32

頁 )

(5)

ポール・ラングラン「生涯教育について」

6591

年、ユネスコ主催国際成人教育推進委貝会へのワー キングレポート(波多野完治「社会教育の新しい方向」日本ユネスコ国内委員会

7619

年所収)

(6)

臨時行政調査会「行政改革に関する第一次答申」 (第一行政改革の理念と課題)

1891

(7)

中央教育審議会答申「生涯教育」 ( 第

1

1) 1891

参照

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