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西 洋 民 主 々 義 の 源 流 と 真 理 意 識 の 発 達

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(1)

西洋民主々義の源流と真理意識の発達

重藤威夫

一 西洋民主々義の源流

西洋文化に対してジャン・カルヴアン Jean Calvin ︵一五〇九−六四︶が与えた影響は深く︑その死後四〇〇

年を経た現在でも︑カルヴアン主義については多く論ぜられている︒しからばカルヴアン主義の如何なる点が近代文

化の発達に貢献したのであろうか︒先ず第一に考えられる事は︑それが西欧の民主主義の源流をなしたと云う事であ

る︒

元来民主主義は東洋とは異質的な西欧近代社会を地盤として咲いた美しい花であるだけに︑我国の土地に移植する

に当っては︑その本質︑或はその成育に必要な諸条件の如何が深く吟味されねばならない︒

一五一七年︑ルター︵一四八三〜一五四六︶によって口火をつけられた宗教改革はカルヴアンによって︑欧州全体

を焼き尽すような炎々たる大火にまで焼え上らしめられた︒これを境として︑西洋の中世時代は幕をとじ︑近代の夜

明けが始ったと云われる︒

カルヴアン主義との関係を考察するにあたっては︑その制度と思想との二万面からの関係が考えられるので︑先づ

西洋民主々義の源流と真理意識の発達三三

(2)

経 営 と 経 済

第一に制度の面から考えてみたい︒ 一五四二年以降カルヴアンは︑

ジュネ

l ヴで一つの新しい教会制度を創始した︒

それは教会の政治を平信徒たる教会員の総意に基いて運営しようとするものであった︒即ち︑神学者の団体である﹁

聖 職

会 ﹂

(F

M

芯 忌

EE ゅの︒日宮崎巳ゆ)の試験に合格した牧師と平信徒の中から︑選挙によって選ばれた長老(十

二人)との合議によって万般の政治が運営された︒即ち代議政治である︒それ以前のロ l マ教会では︑全ての聖職者

達(司祭)はロ l マ法王の任命によるものであり︑教会の政治は専ら司祭によって行われた︒そこに平信徒の介入は

全く許きれなかった︒又法王以下司祭の聞に多数の階級があり︑厳格︑複雑な階級制度の上に︑ 一大宗教王国が構成

されていた︒云わば宗教上の専制政治であった︒

カルヴアンの改革派教会はこれと正反対の立場にに立つものであり︑専制主義から民主主義への転換を意味する︒

民主的傾向は牧師の任命の方法にもよくあらわれている︒改革派教会では一教会一牧師を原則とし︑しかも牧師にな

るには氏︑素性︑門閥︑学歴を間わず︑何人も自由に﹁聖職会﹂の試験に合格すればよいのである︒以上の様な事柄

は今から四百年も前の欧州では正に画期的な破天荒な改革であった︒ローマ教会については先に一言したが︑

現 代 でも聖職者達の階級制度やその他の形式においてロ

l マ教会の伝統の上にたつ英国国教会(﹀ロ

m z g ロ

F Z円︒

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開 主

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F ロ Z円︒

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円 ︒

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同 開

m ロ

E ロ 円 四 ) で は ︑ 高 い 地 位 の 聖 職 者 た る に は ︑ 門閥や学閥が有力に作用するとい

わ れ

る ︒

第二は思想の面からの関係である︒カルヴアンの改革派教会の思想的根源はルタ i に負うのであるが︑その思想を

広く実践化し︑強化した点においてカルヴアンの貢献を没することは出来ない

3

ルターによれば︑神の前には司教と

平信徒との区別はなく︑何人も自由且つ平等であり︑ ローマ教会の階級制度は︑何等聖書に根拠のない誤った制度に

( B Z ‑ 2 ユ )

﹁ 従

僕 ﹂

( ω

)

﹁ 執

事 ﹂

( ︒ ゅ の

︒ ロ ︒

EC と呼 外ならぬとされた︒聖書は神学者及び司教達を﹁役者﹂

(3)

んでいるだけで︑それ以外に何の区別をもつけていない︒しかるにその聖職から︑此世的な権勢が生じ︑如何なる権

力もこれに匹敵することはできなくなった︒かくてキリスト教は聖書の真理から遠いものとなり︑その堕落が生じた

の で

あ る

( ル

l 著基督者の自由)

かかる思想は︑欧州中世では︑正に革命的宣言であったが︑真理の声であったために︑次第に全欧州に波及して行

き︑中世を脱却し︑近代への禁明をもたらした︒当時宗教は文化の中心であり︑文化即ち宗教であった︑宗教上の制

度やその思想の改革は同時に文化全般にわたる体制と思想の改革を意味した︒

次に思想の関係で重要なのは︑近代社会構成の根本理念をなす自由権即ち公民の自由︑一言論の自由等は改革派教会

によってもたらされたことである︒これは時の政治に対して従順であり︑経済問題に対しては依然として保守的であ

ったルタ l 派教会からは生れなかった︒カルヴアン自身はジュネーブのいわゆる神政政治(叶

F 8 2 ω

の 可

) で

︑ 当

時 の

自由主義者に対して︑極めて峻厳な非寛容の態度をとり︑ついにはセルヴエ l

ト (

∞ ︒

円 ︿

2 )

事件をひき起した︒

( セ

ル ヴ

i トが三位一体説及びキリストの先在︑預定説に反対したので︑カルヴアンの草した訴状により異端審聞にか

一五五三年に火刑にされた)乙の事件は後代においてカルヴアンの犯した重大な過誤であることが一般に承

認されている︒しかし︑彼以後のカルヴアン主義の後継者達は政治に対して彼等の宗教上の信念から︑鋭い批判的立

場をとるようになった︒時の政治のやり方が︑明白に神の正義に反すると考えられる場合には従順である必要はない

と考えた︒従って︑此世的な法律や制度に対して︑自己の信仰の立場から︑独自の判断と批判をなす習慣を養った︒ け

ら れ

先づ彼等は自己の信仰を守るために信教の自由に対して戦った︒

カルヴアン主義に立つ清教徒の人々が時の権力階級からの圧迫に対して︑信仰の自由を守るために新大陸に移住し

たのは周知の事実である︒メイ・フラワー(冨 ω

可 ョ

︒ 君

︒ 円

) 号

は 一

六 二

O 年の末頃︑新大陸に到着した︒この信教の

西洋民主々義の源流と真理意識の発達

一 五

(4)

経 蛍 と 経 済

一 ム ハ

自由のための戦は当然に思想の自由をも要求するものであり︑更に発展して言論︑出版︑集会︑結社の自由等を含む と乙ろのいわゆる公民の自由や学問の自由を要求するようになった︒改革派教会によって初められた民主主義は︑米 国の建国精神の基礎となり︑更に一七八九年フランス革命の﹁人権宣言﹂となって結実した︒リンカーン大統領の有

(註

)

名な﹁人民の︑人民による︑人民のための政治﹂という演説(一八六三年)中でその語句のすぐ前にロロ常

G a

( 神

の御守りの下に)という信仰告白の言葉があることを注意しなければならぬ︒ここに米国建国精神の根本理念が端的 に表明されている︒そ乙には人民の自由や諸権利を主張する以前に︑先づ神の栄光をあらわすために献身しようとす

る使命感がひそんでいる乙とを深く想はねばならない︒

米国の南北戦争当時︑一八六三年七月三日に︑ゲテイスパ

1

グの大会戦があり︑北軍は九万三千人の兵力の中で二万三

千人を失い︑南軍は七万入千人の兵力の中で︑略々同数の損失を受けた︒南軍は退却したが︑北軍はまだ決定的勝利を得な

かった︒その年十一月十九日︑乙の戦場に建てられた北軍戦死者の共同墓地の献堂式が行われた︒その時リンカーンは短い

演説をしたが︑その演説の末尾の方に右の言葉は述べられている︒

﹁六十七年前に我々の先祖は︑乙の大陸に一つの新しい国をつくりました︒それは自由の意図そもち︑すべての人聞は平

等 に つ く ら れ て 居 る と の 命 題 に 対 し て 献 げ ら れ た も の で あ り ま す ︒ : : : 中 略 : : : 乙 の 国 は ︑ 神 の 御 守 り の 下 に ︑ 自 由 の 新 な

る誕生をなすべきであります︒そうして人民の︑人民による︑人民のための政府は︑地球から誠ぶべきではありません︒﹂

( 守 内 原 忠 雄 ﹁ 余 の 尊 敬 す る 人 物 ﹂ 一 五 九 l 六 0

ペ ー

かくて民主主義はその源を遠く宗教改革の精神に発するものである︒その精神は︑単なる神の前における平等の権

利の主張ではなくて︑神の正義を此世において忠実に実践すべき義務の自覚である︒キリスト教信仰に基く敬度な使

命感がその根本において深く自覚されているところに︑西欧の民主主義の真面目とその根底の深さがある︒個に対す

(5)

る全能の神の恩寵と︑それに応えんとする超個的立脚地にたつ個の深き責任の自覚が西欧の民主主義の根底に横たわ

っている︒かかる神に対する深き責任の自覚が︑近代に於けるヨーロッパ人の文化の各方面における諸々のたくまし

き実践的意力の源であった︒単なる近世的功利主義ではない︒キリスト教信仰によって育成された敬度なる人格主義

である︒これは文芸復興(問︒ロ巳

ω g

ロ 2 )

によって与えられたものではない︒かかる深き精神史的基礎を欠く場合︑

民主主義が単なる放縦主義に陥り易いことは明かである︒

キリスト教信仰によって育成された深刻なる個意識は︑ ヨーロッパ精神に深く内在しているが︑しかし英米的個人

主義として単なる利己主義と混同され易い︒それは単なる個人主義ではなくて︑超個的立脚地に立つ個意識である︒

このことは深く顧みられねばならぬ︑右のような精神史的基礎を欠く我国の民主主義は砂上楼閣に等しい危険をもっ

ているであろう︒

かつて我国中世の仏教が西洋文化におけるキリスト教のような役割を演じた時代もあったが︑キリスト教史に見ら

れるような徹底した宗教改革が行われなかったために︑現代では宗教の形式 r け残ってその実質は失われている︒我

国民の道徳意識を支え︑それを高揚せしむべき真正な世界史的意義を有する宗教の欠如が痛感されるのであって︑こ

乙に現代日本の悲劇の真の原因をみるのである︒現に社会各方面において不正を不正とすら考えないような道徳的感

覚の麻揮或は道徳的価値判断の倒錯すら見れるではないか︒これは白蟻のように知らない聞に大伽藍をさえ倒すこと

がある︒それと共に我国の民主主義の前途も甚だ危い感がある︒要するに民主主義体制を真に活かすか或はその真の

生命を奪い残骸だけに終らせるかということは︑それを支持する国民の道徳意識の高低如何によって定まる︒

国民の聞に正義を愛する心が広く深ければ深いほど民主主義は生々と輝いてくる︒西洋の場合には道徳意識を育成

し︑高揚せしむるものとしてキリスト教が古くから厳存する︒しかも聖書に啓示された真理によって道徳的価値判断

西洋民主々義の源流と真理意識の発達

(6)

経 営 と 経 済

の確乎たる基準が与えられている︒しかも儒教や武士道のような自力主義と異り︑キリスト教は絶対他力主義である

から︑かえって自力主義には見られぬような道徳的活動に当つてのたくましい実践的意力が生れる︒自己を罪深き罪

人と自覚し︑全身全霊をあげて︑神の大前にひれ伏し︑悔改める︒しかし神を信仰する乙とにより︑その限りなき恩

寵を与えられ︑歓喜によってそ

ζ

から力強く立上る勇気が湧き上る︒

己を空しくすることが深ければ深い程︑神の恩寵はより深く与えられる道理である︒ダンテ神曲の地獄篇︑煉獄篇︑

天国篇を通じて︑乙の聞の消息は読みとられうるであろう︒ルターが宗教改革運動の苦難のただ中にあって特愛した

章句は﹁なんじら立ちかえりて静かにせば救いを得︑平穏にして依頼まぱ力をうべし

D

﹂(イザヤ吉三十の十五)とい

われるが︑宗教改革運動の全過程を通じて見られる彼のたくましき実践的意力の源はこの他力主義にあったと云いう

るであろう︒儒教或は武士道は自力主義の世界である︒実践倫理といった面では︑四書五経に書かれている倫理も聖

書のそれもほとんど変わるところはない︒儒教の﹁恨に報ゆるに徳を以ってせよ﹂と型書の﹁汝の敵を愛せよ﹂には

相通ずるものがある︒しかし自力主義に立つ限りそこに救いがない︒

人間は良心を鋭くすればするほど或は倫理的に正しく生きようとすればするほど︑逆に罪の自覚は益々深くなって︑

その矛盾に苦しむのが実状である︒自力主義にはそこに神よりの恩寵という救いがない︒救いによる歓喜がなく︑寂

しい世界である︒そこからは力強い道徳的活動力は生れ難い︒

孟子の﹁自らかえりみて︑正しくんぱ千万人といえども我往かん﹂という境地は︑孔子︑孟子のように︑特別傑出

した人格は別として︑普通は単なる空威張にすぎない︒自力では如何に頑張っても︑遂には一人力でしかない︒

一人対千万人ではとうてい勝負にはならない︒そこで世間の評判を第一に気にするようになる︒また自力主義の世

界では超越神や彼岸への理想を考えないから︑もっぱら此岸の世界が関心事となる︒

(7)

ギリシャ人が名誉を重んじ︑中国人が面子に最大の関心を寄せるのは︑自力主義の当然の成行である︒

れず︑神のみをおそれる二といったような剛直な人間像はかえって他力主義の世界から生れる︒世に勝つ信仰は乙乙

﹁ 人

を お

から生ずる

ι

t

なぜなら︑すべて神から生れた者は︑世に勝つからである

c

そして私達の信仰こそ︑世に勝たしめた

勝利の力である︒世に勝つ者はだれか︑イエスを神の子と信じる者ではないか

c

﹂(ヨハネ第一書五の四・五)かかる

世に勝つ信仰乙そ︑民主主義的世界の道徳的完成の為の根本条件である︒

真理の意味とその発達

学問とは真理の探究であり︑大学は真理探究の場であるといわれるが︑然らば︑真理とは何であるかということが

次に問題になる︒

大学は︑学問の道場であり︑真理探究の場である乙とは勿論である︑しかし大学の任務はそれだけにつきるのでな

く︑同時に人間形成の場である乙とも要求される︒従来人格の陶治という言葉で表現されて来たが︑何れにしても大

学 卒

業 者

は ︑

一般世人よりは優れて高い人格の所有者であることが要求されるのであり︑我々としてもそれを自ら誇

りとしたいものである︒

戦前の我国の大学では︑真理の探究の面だけがとかく強調されすぎて︑人間形成の面が軽視されて来た傾向があっ

た︒乙れは従来︑我国の大学が英国の大学に比べて︑著るしい遜色を示した点である︒英国の大学の卒業生は社会か

ら大学卒業生というだけですでに﹁紳士﹂として尊敬され︑彼らもそれに価するだけの人格の向上に真剣に努力して

来たのである︒新制大学の大きな使命は旧制大学が従来もっていたかかる欠点を克服して︑真理探究の面︑だけでなく︑

新しい人間像の形成という点において︑ 一新生面を聞く乙とにあると考えている︑我々はお互に努めたいものである︒

西洋民主之震の源流と真理意識の発達

(8)

経 営 と 経 済

大学としての理想像︑大学の理想的姿としては︑大学人全体が人格の修養︑向上に努めると共に︑学問研究に真剣に

取り組んで行く乙とであろう︒教授の聞に旺盛な学問的精神が撮り︑立派な学問上の業績が続々と発表されて行くな

らば︑その大学はたとえ中央から遠く離れていても︑真の学問の府として︑学問の進歩に貢献するところ大となり︑

我国学界に重きをなすようになり︑大学としての名声は大いに揚るであろう︒学生も︑その大学の名声や︑教授の高

風をしたって多数来集しそこに学ぶ聞に︑その大学のもつ高い好学の精神に薫化されて︑学問研究に励むようになる︒

また︑学問研究の過程を通じて人格も高められて行く︒か︑る姿が大学としての理想像であり︑その理想に向って努

力して行くところに大学の真の生命があると考えている︒

学問とは真理の探究を意味するに外ならないが︑ 大学の重要な使命の一つは︑ 単に真理探究の場である r けでな

く︑時の世俗的権威によって︑万一真理が曲げられようとしたり︑浸害されようとする場合には︑その権威に屈する

ことなく︑あくまでも真理の援護者として立ち上ることにある︒そ乙には﹁威武も屈する能はず富貴も淫する能はず

﹂という︑たくましい抵抗の精神が要求される︒それならば︑真理とは一体何んであるかということを次に考えて見

' ‑ ︑ ︒

i

ν

真理とは何か︑真理といっても︑その意味内容は︑自然科学と社会科学(文化科学)とではかなり異っている︒自

然科学の研究対象は自然現象であり︑自然界に生起する諸現象の聞に原因︑結果の必然的な法則を見出す乙とが自然

科学における真理の探究である︒その法則は例外のない厳然たる必然的法別である︒ 一定の原因があれば︑必ず一定

の結果が生ずるという法別であって︑万人の承認するところのものであるコ自然科学の法則で異論が起る場合は前提

となる諸条件に相違があったり︑或はそれらが同一であっても実験の過程に相違がある場合である︒また︑自然現象

であるから︑その法則そのものに善悪や正不正等の倫理的価値判断は存在しない︒天体の運行は善悪の問題とは無関

(9)

係である︒以上のようなものが自然科学での真理である︒これに反して︑社会科学の研究対象は人間の社会生活であ

る︒多数の人間が集まって相生きつ﹀ある共同生活の集団がその対象である︒しかも︑乙の共同生活は動物本能によ

る単なる集団生活ではなくて︑お互に自由なる理性と感情とをもった自由人格としての人間の集団である︒互に自他

の人格を敬重し相依り相扶け合いっ︑生きて行く集団である︒しかもその集団は自由なる社会でなければならぬ︒何

となれば︑意志の自由のないところに善悪の価値判断が働く余地はないからである︒

そこには︑自ら人間対人間の関係を伸すべき規範が要求される︒乙の規範は昔から色々の名称で呼ばれて来た︒道

理︑善︑正義︑ギリシャではロゴス︑イデア等︒何れにしても古今を貫き︑洋の東西を間わず普遍的に妥当する規範

を意味する︒社会科学における真理とは以上の意味を持つものである︒社会科学における真理は︑或は法則といっても

よいが何れにしても︑大小の程度に於て︑すべて︑かかる性格を有する︒乙れが自然科学に比べて社会科学の大きな

特色である︒か︑﹀る性格は︑倫理学や法律学において最も良くあらわれる︒もっとも学問によっては︑中間領域も存

在する︒数学などはその例である︒医学は自然科学に属することは明らかであるが︑その中でも衛生学等は相当社会

科学的性格をもつものであろう︒社会科学である経済学の中でも経済原論は幾分自然科学的性格をもつものといい得

る︒何となれば経済生活は他の諸生活部門に比べて︑かなり高度の合理性をもつからである︒財の生産︑流通︑消費

に関する生活は人種別や国家別によって大して異るものでなく汎人類的な性格をもつものである︒従って︑合理性が

高い︒これに反して︑国家生活︑家族生活は歴史的伝統に支配されることが多く︑歴史的個性的性格が強い︑従って︑

非合理性が大である︒例えば︑国家生活を規律する憲法や︑家族生活を規律する親族法︑相続法は︑各国にそれぞれ

特有な歴史的伝統に制約されて︑個性的な内容をもつのに反し︑経済生活中︑特に純粋な経済活動を規定する手形法

は国際会議の結果︑万国共通の統一手形法が昭和七年から施行されている︒また経済活動は営利の原則に支配される

西洋民主々義の源流と真理意識の発達

(10)

経 営 と 経 済

限り高度の合理性をもつようになるコ自由競争の下ではできるだけ生産を合理化し︑生産費をできるだけ安くする必

要があるからである

G

社会科学における真理が正義や善などの倫理的価値判断を主なる内容とすることから︑そこに社会科学特有の困難

な問題が生ずる︒自然科学における真理は実験的に証明出来るものであって︑原因・結果の必然的法則が一度樹立き

れるとそれは何人にも異論の余地のないものである︒然るに社会科学における真理は︑善悪や正︑不正の問題を主な

る内容とするだけに︑時代により︑人により︑国により︑その解釈を異にする場合が多い︒例えば戦争を例にとって

みる︒今次大戦前及び戦時中は︑我国民にとって戦争は﹁聖戦﹂であり︑正義であった︒平和を口にすることは非国

民であり︑社会的に許す可ら︑ざるものとされた︒昭和十二年七月支那事変勃発直後中央公論九月号に﹁国家の理想﹂

と題して国家が理想とすべきは国際正義と平和であると論じ︑またナチスのユダヤ人排斥に対して鋭い批判をなした

矢内原忠雄(当時東大経済学部教授)の運命は我々に多くの教訓を与えている︒戦後のことについては語るを要しな

いであろう︒戦争という一つの社会現象を例として見ても︑時代により全く反対の見解が存在し得る︒自然科学に比

べて社会科学の真理がま乙とにあやふやな頼りない感じがするであろう︒かくて社会科学における真理の探究という

乙とは頼むに足らず︑探究するに価しないと思われやすい︒果して善や正義の問題は時代により︑人によりその意味

内容が異るものであって古今を貫き︑洋の東西を通じて変らないところの普遍妥当性をもっ倫理法則というものは存

在しないであろうか︒この点については︑ ソクラテスの死が何を意味するかを考えてみたい︒

ソクラテス ω

︒ 口 E S

( 出・ゎ・四六八三九九)が生きていた当時のアテネの国情は大東亜戦争末期及戦後の我国

のそれと酷似するものがあった︒

ペルシヤ戦争により大敵ペルシヤ国家を撃破して︑地中海の覇者となったギリシャ国家は︑以後︑国運隆々として

(11)

その繁栄を誇り︑その絶頂において︑アテネとスパルタの聞に長年にわたってペロポネソス戦争

( B

・ C‑

四 三 二

四 O 四)を始めたばかりに以後衰運に陥り︑現在にいたった

c

恰も表国が日清︑日露の戦勝によって東洋の覇者とな

り︑国運隆々として発展した絶頂において︑満州事変から支那事変︑大東亜戦争と引続く侵略戦争に乗出したばかり

一時は破滅に瀕したのとよく似ている︒戦後経済の復興は著るしいものがあるが︑国力は未ピ戦前の最盛

時の水準には達していないと考えられる︒ペロポネソスの戦争の動機も︑我国のこんどの侵略戦争に全く似ているの に

挫 折

し ︑

におどろく位である︒ソクラテスがソフィストから思想犯人として告発され︑アテネ法廷で裁判の結果死刑を宣告さ

れ︑死刑の執行を待たないで︑毒杯を仰いで死んに当時のアテネは長年にわたるペロポネソス戦争のために疲幣し人

心が荒んでいた︒当時のアテネは︑かかる古今にわたって優れた哲人の生存を許さないほど真理から遠ざかり︑腐敗︑

堕落して居たのである︒

ソクラテスは古今を貫いて変らない普遍妥当的な真理(正義)の厳存を確信していた︒そしてそのことをアテネの

青年達に説いていた︒ソクラテスの﹁汝自身を知れ﹂という言葉は︑汝の道徳的使命を自覚せよという意味である︒

乙れに対して︑当時のソフィスト達は相反する立場をとっていた︒ ﹁すべての事につき二つの相矛盾する道理が存す

る ﹂

(プロタゴラス)というのが彼等の主張であった︒ソフィストの一人であるツラジマコスは﹁強者の強力が正義

であって︑正義とは強者の利益に他ならぬ︒﹂と説いた︒また彼は﹁法は支配者が自家の利益のためにつくるものであ

る︒即ち︑民主政は民主法を︑専制政は専制法を︒その他皆同様であるよと︒カリクレスは︑ ﹁強者の強力を自由に発

露させることが正義﹂であって︑天の理法であると主張し︑﹁強者のほしいま︑な支配を拘束するような道徳・慣習は︑

弱者が自己防衛のために工夫した不自然な細工であるから︑か︑る人為的束縛を打破して︑本来の義を恢復しなけれ

ばならぬ︒﹂と説いた︒これを要するに︑ソフィストにあっては︑普遍妥当的な真理の存在を信ぜず︑力は正義なり

西洋民主々義の源流と真理意識の発達

(12)

経 営 と 経 済

( 自 仲 間

Z U

同 仲 間 宮 ) と い う 考 え 方 と 言 い う る ︒

四 四

国家を強者の権力による支配関係と見て︑正義や法律は︑支配階級の権力に伴うところの利益を守るための手段で

あると考える思想は︑古代ギリシャのソフィスト学派に特有なものではなくて近代ヨーロッパにおいても見られる︒

社会主義的唯物史観がそれである︒ラツサ i

ル 司

・ 同

2 8

‑ z

( 一

八 二

1

六 回

) は

﹁特定社会の特定法律組織を決定

する原動力は︑その社会内に存在する現実の権力関係である︒﹂と考えた︒またエンゲルス司・開口

m o Z (

一 八

Ol

五)は﹁国家とは世界史上︑いかなる典型的時期についてこれをみるも︑常に必ず支配階級のための国家であり︑い

かなる場合にも︑主として被圧迫︑被搾取階級を抑圧するための機械として存在するものである︒﹂となした︒即ち︑

社会階級相互間の権力関係の実体を根本とし︑またそれを具体化するものが国家や国法の実質であるとなすのである︒

即ち︑古代のソフィスト学派の思想と同じ思想を中心として︑その上に社会主義的新衣を着せたものが︑マルクス主

(註

)

義の唯物史観である︒現実の国家生活をその過去の歴史において観察するならば︑右の権力思想を裏書するような事

例を多数見出しうるであろう︒実際において︑権力思想は現実の国家生活におけるか﹀る具体的な経験をその出発点

とする立論である︒しかし仮りに国家の現実の姿がそうであったとしても︑それは国家のあるべき姿を示すものでは

ない︒国家が如何にあるかという乙と︑︑如何にあるべきかということ︑を混同してはならない︒現実(印巴ロ)と理

( ω

三宮ロ)とは明らかに区別しなければならない︒国家のあるべき姿は︑普遍妥当的な正義と平和の原則によって

支配されるものでなければならない︒加うるに︑権力思想それ自身に一つの矛盾を含んでいる︒英雄・豪傑の権力が

以何に強大であっても︑彼一個人の力は極めて限られたものである︒彼の権力支配が成り立つのは︑王たる彼に多数

の部下が臣従することによるつ支配者の正しい命令に法服従するという倫理的規範がその根幹になっている︒か︑る

倫理的規範なしには︑支配者の権力は一日も成立たないことは明かである︒従って︑権力思想もその根本においては︑

(13)

倫理的規範を前提とせざるを得ないのである︒権力思想はその本質において︑倫理的規範を否定するものであるが︑

右に見たように︑権力関係は実際においては︑服従という倫理的規範を前提としなければ成立し得ないところに︑そ

の思想の矛盾が見られる︒

如何なる時代︑如何なる国家でも現実の世界では︑ソフィストの勢力が圧倒的に強いのである︒ソフィストは遠く

古代ギリシャまで遡らなくても︑現代の我国の各方面にあまりに多く見られるではないか︒ソクラテスはすでに三千

年も昔に︑普遍妥当的な真理の存在を死を以て我々に教えてくれたのである︒西洋の場合︑か︑る真理意識はソクラ

テスによって啓示され︑更にキリスト教がそれを二千年にわたって普遍化し︑強化した︒西洋人には︑その真理は聖

書によって啓示される︒西洋には聖書という明確な真理の基礎がある︒安心して頼ることができる依存物が昔から厳

存する︒そこに西洋文化の根底の深さを見るのである︒ひるがえって我国の場合は如何?西洋のキリスト教に代るべ

き真正な世界史的な宗教の欠如が痛感されるのである︒かつて我国の仏教がその最盛期において︑キリスト教が西洋

文化において果したような役割をなしえた時代もあったが︑キリスト教に見られるような影響力の著るしい且つ徹底

した宗教改革が行われなかった﹀めに︑現代では宗教の形式は残っているが︑その実質は失われて︑現代日本人の真

理意識を高めるために役立っていない︒乙冶に現代日本文化の不安と悲劇の根源を想はざるを得ないのである︒

明治維新以後︑﹁智識ヲ世界ニ求メ︑大イニ皇基ヲ振起スヘシ﹂との開国の国是と共に︑西洋の文化が決河の勢で

我国に流入したが︑明治政府の文化の受容の方法に根本的な誤りがあったと考えられる︒それは美しい花である表面

的な文化財だけを受入れて︑その根であるキリスト教を受入れようとはしなかったことである︒従って文化の諸形式

だけは美しく咲きそろっているが︑その深い実質の問題になると多くの欠陥があらわれて来る︒民主々義を一例とし

てみても︑その形式は整っているが︑民主々義が真に我国民のものになっているや否や大いに疑問である︒この点︑

西 洋

民 主

々 一

義 の

源 流

と 真

理 意

識 の

発 達

四 五

(14)

経 営 と 経 済

四六

奈良・平安朝の天皇を始めとしてその指導者達は︑中国から陪・唐時代の最盛期にあった仏教文化を学びとったが︑

同時に虚心坦懐に謙虚な気持で︑その根をなす中国仏教を熱心にうけいれた︒かくて形式・実質共に我国空前のけん

らんたる仏教文化の花を咲かせた︒この時代の文化にはゆるぎのない根底の深さが見られる︒こ︑に深く反省しなけ

れ ば な ら な い ︒

三谷隆正︑国家哲学五二

l

三頁

参照

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