• 検索結果がありません。

西口清勝

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "西口清勝"

Copied!
16
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

《研究ノート≫

(1)

マレーシアの工業化とイギリス資本

西口清勝

内 容

I はじめに

II イギリス資本によるマレーシア経済の支配とその工業化に及ぼした 影響

IIl 経営代理商会の変貌と製造業投資

Ⅳ むすぴに代えて

I はじめに

あらためて言うまでもなく,イギリス植民地支配下のマラヤはゴムとスズ の典型的なモノカルチュア経済あるいは「輸出経済」(exporteconomy)で あった。それは,アメT)カのすぐれたマラヤ研究者R.エマーソン(RupertE−

merson)をして「マラヤの繁栄がゴムとスズに依存する程度は驚くべきもの だ……世界市場に依存するゴムとスズが繁栄の基礎であり,生活消費品の大 部分を輸入にまつのだから実に危険だ。アメリカの景気不景気は貿易に支配 されると言うが,マラヤでは景気どころか生死まで貿易に支配されるのであ

(2)

る」と言わしめるほどのものであったが、こうしたマラヤ経済の基本的性格 は1957年の独立時においても不変であったということができる(第1表参照)。

ところで,マラヤが独立した当時(1950年代)の開発経済学において,途 上国の一次産品の開発=輸出を担った外国資本(伝統型または植民地型対外 投資とよばれる)に対して批判と弁護の鋭い意見の対立があった。

一方でH・W.シンガー(Hans W.Singer)は,途上国における外国資本は地

151

(2)

1表:マラヤの輸出に占めるゴムとスズの割合 (%) 

年 ゴ ム ス ズ 口、

1906  3.8  29.7  33.5  1916  26.8  20.1  46.9  1929  46.7  19.5  66.2  1937  54.1  21. 5  75.6  1947  59.1  8.2  67.3  1957  46.7  10.7  57.4  1960  54.5  10.7  65.2  (出所 Lim Chong‑Yah

, 

EconomDevelopmentofModern Malaya

, 

1967

, 

P.325 

理的な意味でのみ途上国の資本であって,経済的には投資国=先進国経済の 一部を成している。途上国への投資は先進国の場合のょっに累積的効果や乗 数効果によって工業化や資本形成を促進することはなく,先進国向けの一次 産品の生産に集中し途上国に不利な伝統的タイプの国際貿易の型(先進国の 製造品ご途上国の一次産品の交換)を助長し固定化させるだけであると主張

し込

3

らに対し,他方でR.ヌルクセ

(RagnarNu1r

.1

の言うとおり途上国への対外投資は工業の発展をひろめるのに貢献せず先進 国への輸出向け一次産品に力を注い f だ だ ご ご 、 が ' それは「取り立てて語るほどの国 内市場のなかった貧しい国においては,大きな工業中心国への輸出市場だけ が強力な投資誘因を提供できた」ためであって,途上国自身の投資誘因の不 足によるのであると外国資本の弁護論を展開した。

以上のように両者の問には見解の対立があったが,両者とも外国資本が途 上国の工業化に貢献していないという点では認識は一致していたのである。

さて,本稿のテーマである独立以降のマラヤ(マレーシア)経済に目を転 ずると,なるほど独立当時モノカルチュア経済と表裏の関係としてマラヤの 工業化の程度は低位であり,製造業部門が

GDP

に占める割合はわずかに

6

%にすぎず,それは東南アジアの他の諸国一タイ(1

0%)

,フィリピン(1

4

%)ーよりも低かったのである。しかし,それ以降

1957‑80

年の期間の製造

業部門の年平均成長率は

11‑12%

と高率で、あり,マレーシアにおける最も動

態的で最も成長の速い部門となり,同期間の

GDP

の実質成長率の二倍を記

録した。その結果,

P

に占めるシェアは

1980

年には

20%

をこえ,抽出産

(3)

153 

業と肩を並べる最大の産業部門にのしあがっただけでなしこれまでの軽工 業中心から重工業化をめざしさらに発展をとげようとして JL

本稿の目的は,こうした独立以降のマレーシアの工業化に果した外国資本 の役割を,外国資本の中でも特に優位を占めてきたイギリス資本を中心に検 討を加えることにある。

モノカルチュア経済の典型例であり,その植民地産品(ゴムとスズ)の輸 出によるドル稼得によって英帝国内において死活的に重要な地位を占めてい たマラヤ,そのマラヤ(マレーシア)における工業化の進展は我々にとって 少なからず興味をひくものだが,本論に入る前にここでは次の二点の限定を イ寸しておきたい

一つは,対象時期を独立前後から独立以来マレーシアにおける最大の事件 と言われる

1969

5

月1

3

日のいわゆる「人種暴動

J (communal riot

, 

5

月1

3

日事件)を経て「新経済政策

(New Economic  Policy

, 

19701990

)J

が 発表される(1

969

7

1

日)頃まで,つまり

1960

年代を中心に考察するこ

とにする。その理由は

5

13

日事件が「一つの時代の終りと新しい時代の 始まり

J

を意味するといつこと以外に,

(1)

イギリス資本の役割について検討 する時,

1960

年代に進行した工業化が輸入代替工業化であったことが特別に 重要な意味を有すること(この点はのちに詳しく述べる。なお、

1960

年代末を 画期としてマレーシアの工業化は輸入代替工業化から輸出指向工業化に転換 する)および

(2)1970

年が外国資本の国別表示の詳細な部門別統計が利用でき

(11) 

る最後の年であること(それ以降は外国資本として一括して表示され,各国 別の従ってイギリス資本についての詳細な統計は利用できない)による。

1970

年代以降については若干の展望を行うに止めたい。

他は,イギリス資本一般ではなしその内でも支配的な存在形態を成して

きた「経営代理商会

J(Agency  House)

の活動と性格に着目して分析を進め

ていくことである。独立当時の経営代理商会に関しては,シンカ、、ポールのチ

ャンギ刑務所

(ChangiPrison)

で書かれた

J.J.

プサチュアリー

(JamesJ. 

(4)

Puthucheary)

の秀れた研究がある。それについては節を改めて述べよう。

II  イギリス資本によるマレーシア経済の 支配とその工業化に及ぼした影響

マレーシア経済における外国資本の支配は,

1970

年においても極めて大き いものであった(第 2表参照)。外国資本は,プランテーション{鉱業のみな らず製造業,銀行・保険あるいは商業(貿易),海運業というマレーシア経済 の基幹産業部門の殆んど全てにおいて「支配的地位

J(commanding position) 

を築いていたので、品。

2

表:半島マレーシアにおける株式資本の所有(1

970

年)

(単位:100

万マレーシア・ドル,%) 合 計 額 外国所有額 外国資本の割合 農業・林業・漁業

1

432.4  ,1079.7  75.3 

鉱 業 ・ 採 石 業

543.5  393.9  72.4 1

、 畳 . E .

1

348.2  804.3  59.6  建 設

58.4  19.9  24.1 

運 輸 ・ 通 信

81. 9.8  12.0 

605.2  384.5  63.5 

銀 行 ・ 保 険

636.9  332.8  52.2 582.5  182.9  31.

5

289.0  3

207.9  60.7  (出所) Midterm Review 01 the Second Malaysia Plan 197175

1973

, 

p. 83. 

こうしたマレーシア経済における外国資本の支配について研究する場合,

ブサチュアリーの著作は,単に先駆的な意味をもつだけでなく,それ以降今 日 ま で あ ら わ れ た 諸 研 究 の 中 で 最 も 包 括 的 な も の で あ る と 言 っ て よ し の ち のマレーシア経済研究者に大きな影響力を及ぼした重要なものであると言え よう。

プサチュアリーは独立当時(1

953

年)のマラヤ経済が,その殆んど全てが

イギリス系のほんの lダースばかりの少数の経営代理商会という巨大な資本

(5)

155 

主義企業の手中にあることを明らかにした。

マラヤにおける経営代理商会の起源は,

19

世紀前半からシンカ

w

ポールが中 継貿易港=集積地としての役割を増すにつれ発展してきた「貿易会社

J(mer‑

chant  firm)

に求められる。彼らは,長年の東洋貿易に従事してきた経験を 生かし「企業の専門家や経営技術が稀少である諸国での外国投資の危険を軽 減する

J

イギリス投資家に代って企業経営を遂行する機能を果たすと共に,

貿易会社=輸出入業務からはじまり,海運,銀行・保険さらにプランテーシ ョン,鉱業へもその事業を拡大し,ついにマラヤ経済の基幹部門を制するに 至った。

プサチュアリーは,マラヤのプランテーションの

75%

,スズ鉱業の45% , 輸出貿易の60‑75% ,輸入貿易の60‑70% が経営代理商会の支配下にあるこ と,また各企業問で役員の相互派遣を行いその支配を一層強固なものにして いることを実証的に初めて明らかに l ! ? こ。彼の著作が「本書はマラヤにおけ る富の所有と支配に関する研究である」とのー句で書きはじめられている所 以である。

ところて¥プサチュアリーはマラヤ経済における支配の実態を初めて解明 したということに止まらず,こうしたイギリス資本一それは経営代理商会と いう存在形態をとっているーによる支配が マラヤにおける工業化に如何な る影響を及ぼすかについても考察を行った。

プサチュアリーによれば,途上国の工業化を妨げている諸要因(その例と して,天然資源の不足,国内市場の狭隆あるいは資本の不足等がしばしばあ げられる)の内最重要なものは既におこった資本主義的発展によって生みだ された限界そのものであるという。

「外国資本によって一次産品の生産という開発がなされた諸国では,工業 の発展は国内の資本形成によろうと新たに外国資本の投下によろうと,一般 に考えられているよりもずっと困難であろうに

彼の議論をもう少し詳しくみてみよう。

マラヤのような「輸出経済」においては,資本形成の主源泉は輸出産業(ゴ

(6)

ム産業とスズ鉱業)にある。その輸出産業は外国資本(特にイギリス資本) の支配下にあるため,資本形成の多くは外国人所有の企業(就中,経営代理 商会)に蓄積される。

ところで,マラヤにおいては国民所得に占める利潤の割合は高く,その分 配も‑外国人企業が利潤の圧倒的大部分を獲得し,マラヤの現地企業にはほ んのわずかしか配分されないため‑非常に不均等である。このように利潤の 分配が不均等で、あればあるほど国民所得の内貯蓄される部分がますます大き

・くなるのが通例だから(実際にマラヤにおける貯蓄率は高かった),マラヤに おける資本形成の諸条件は本来極めて有利なはずである。これまでのブサチ ュアリーの論理の連鎖をシェーマ化して示すと,

c

輸出経済〕輸出→国民所 得→利潤→貯蓄→投資→囲内資本形成, となるはずである。しかし「マラヤ では,この貯蓄が国内資本に転化しない。高い貯蓄率は高い資本形成率とな らない。その理由は簡単である。即ち,貯蓄されたものの多くは輸出されて いる。貯蓄されたものの中で再投資されるものは殆んどなれ

J

と彼は言う。

もう一度シェーマイじして示すと,輸出→国民所ト利潤→

IRT~

( 哨 潤の再投資山守国内資本形成)→資本輸出, となろう。

すでにふれたようにヌルクセは,外国資本が途上国の工業化に貢献しない 理由として途上国内での投資誘因の不足=有利な投資機会の欠如をあげてい た。こつしたヌルクセの主張を批判して,単に有利な投資機会が欠如してい るという理由で利潤が再投資されないのではなくて,外国資本による一次産 品の生産という開発そのものが有利な投資機会の欠如をもたらし,国内資本 形成=工業化を妨げているというのがプサチュアリーの言わんとすることで あった。

プサチュアリーは言っている。

「外国資本による開発は,他の諸産業が成長するための諸条件が生みださ れるのを不可能にし,従って利潤の再投資の機会が与えられるのを可能にす る(?と。

再度彼の論理をシェーマイじすると,輸出→国民所得→利潤→貯蓄→医至

亙 亙 ( 州 国 の 再 投 資 咽 内 資 本 形 成 ) → 資 本 輸 出 と な る 。

(7)

ここでプサチュアリーは,有利な投資機会を奪い国内資本形成を阻害する 一次産品の生産に特化した外国資本の機能について一層立ち入って説明を加 えている。それは以下の二点に要約できょう。

すでにみたように経営代理商会はマラヤの輸入貿易の大きな部分

(60‑70

%)を支配しているため,マラヤ現地で消費される製造品に強い間接的利害 関係を有している。言いかえれば,現地の製造業は経営代理商会の手を経て 輸入される製造品と競合関係にある。従って,マラヤにおける支配的な資本 であるイギリス経営代理商会がマラヤの製造業に投資したり,またそうする 人々を支持したりすることは殆んど期待できない, というのが第一点である。

第二点は,一次産品の生産に特化した外国資本それ自身がもっ特性ー彼は それを現地経済に容易に同化しない=現地化しないという意味をこめて「資 本の異質性

J(heterogeneity  of  capita

I)と名づけているーである。マラヤの

ゴムやスズに特化している外国企業のなしうる拡大は,既にこれら企業が特 化している線に沿った拡大なのである。もしマラヤにおいてそつした拡大 が不可能になった場合,外国企業は資本を他の諸国の同一産業部門に投下す るか,または非居住者たる株主に配分するか金融市場で有利に運用するため 投資本国に送る‑彼はこれを「資本の帰巣本能

J(homing instinct of  foreign  capital)

とよんでいるーかするのであって,いずれの場合にも資本は現地に 投下→資本形成されることなしマラヤから流出する結果となるのである。

マラヤ(マレーシア)の工業化に関する古典的労作として,これまで述べ てきたプサチュアリーのそれと並んで

E.

L.ウィールライト

(E.

L .  

Wheelwri‑

gh

t)の著作をあげることができる。ウィールライトもまた外国資本がマレー シアの工業化を阻害しているとして, (1)ゴムとスズの伝統的利益グループの 影響力と ( 2 ) 製造業の発展と輸入を支配している経営代理商会との聞の明確な 利害の対立を指摘し足。

ウィールライトは非居住者が入手する純利潤額=純資本流出額が異常に大 きいことに注目する。それは,経常収入の

10%

,国民所得の

6‑ 7 

%,また 国内粗資本形成の60‑80% を占めるのである(第

3

表参照)。

以上のことからウィールライトは,マレーシアの工業化の障害は資本の不

(8)

足によるのではない。投資可能な膨大な資金が海外流出をしている状況の下 で外国資本を輸入することが必要で、あると説くことは「より多くの烏が飛び 込んでくるのを期待して烏カゴの戸を開けはなしておくようなものであり」

馬鹿げたことである。マレーシアには資本の不足はなく,政府がコントロー ルして現在海外へ流出していっている投資可能な資金を国内投資=工業化に まわせばよいのであって,真に不足しているのは工業化に「不可欠な経営幹 部

(allimportant maerial ce)J

であると結論づ J1

3表:マレーシアからの利潤の流出と送金, 1955‑1961

(単位:100万マレーシア・ドル) 1955  1956  1957  1958  1959  1960  1961  非居住者への純利潤額 284  278  240  197  271  303  273  2.  フィルム賃貸料と特許料 17  18  19  19  19  20  20  3.  その他サービス・要素所得 10  10  n.a.  n.a.  4.  資 産 所 得 流 出 合 計 額 309  304  268  226  290  323  293  5. 経 常 支 出 額 203  216  205  209  217  234  235  流 出 額 合 計 512  520  473  435  507  557  528  7. 経 常 収 入 額 2552  2498  2455  2142  2743  3232  2951  8. 純 国 民 所 得 3758  3892  4001  3903  4232  4535  n.a.  9.  国 内 粗 資 本 形 成 額 361  428  498  457  427  538  n.a. 

(出所 E.

L .

Wheelwrigh ,tIndustrialization in  Malaysia

, 

1965

, 

P.103 

III  経営代理商会の変貌と製造業投資

これまで我々は,プランテーション,鉱業および、外国貿易に既得権益を有 するが故に外国資本, とりわけイギリス経営代理商会はマレーシアの工業化 に阻害的に作用するというプサチュアリー=ウィールライトの見解について みてきた。

しかし,すでにみたように独立以降のマレーシアの工業成長には顕著なも

のがあり, しかも独立当時にはその製造業投資は無視しつるほどわずかであ

(9)

159 

ったが,

1960

年代末には伝統的部門におけるそれには及ばないものの,製造 業部門においてもイギリス資本が優勢な地位を築くに至った(第

4

表参照) ことから,経営代理商会とマレーシアの製造業の発展には利害の対立はなく,

むしろその工業化を促進したという見解があらわれたのはけだし当然と言え ば当然のことであった。

J.

サーハム

(Junid Saham)

は,代表的なイギリス経営代理商会の多くが

1960

年代に従来の伝統的業務に加え製造業部門に進出するという多様化(

di

4

表:半島マレーシア製造業部門の国別表示(1

968年)

(単位:100

万マレーシア・ドル) 事 業 所

総 販 売 額 付加価値額

従 業 人 数

在日

可ア

8

468  94.0  1

629  52.9  452  51.7 83

490  69.1 

シ ン ガ ポ ー ル

260  2.9  438  14.2  119  13.6  16

566  13.7 

94  1. 585  19.0  181  20.7  9

186  7.6  メg.. 16  0.2  147  4.8  47  5.4  1

260  1.

3  0.0  12  0.4  7  0.8  656  0.5  オ フ

ータ 3  0.0  7  0.2  2  0.2  409  0.3 

J 61  0.7  3  0.1  1  0.1  241  0.2 

108  1. 258  8.4  66  7.5  8

999  7.5 

百十 9

013  100.0  3

079  100.0  874 100.0 120

807  100.0  (出戸庁 CharlesHirschman

, 

"Ownership  and  Control in  the  Manufacturing  Sector  of  West Malaysia,"  in  David  Lim (ed) Furthur Readings on Malaysian  Economic Deuelopment, 1983, P. 215 

versification)

戦 略 を 採 用 し た こ と を 明 ら か に し た ( 第

5

表参照)。彼はさ

らにイギリスの対マレーシア工業投資において経営代理商会が指導的役割を

果たしたことも明らかにした。経営代理商会の元々の機能は外国人投資家に

代って企業経営を代行するにある。彼らは,自らの武器であるマレーシアに

おける知識,経験や信用あるいは融資,倉庫,海運,保険等のサービス諸機

能を動貝してマレーシアへのイギリス製造業企業の進出を促しその経営を代

行したに止まらず, 自らも直接に製造業投資を行った。その結果,経営代理

商会は

1968

年においてイギリス製造業企業

112

社 の 内

62

社 と 利 害 関 係 を 持

(10)

5表:マレーシアにおける経営代理会社, 19601970

経営代理商会名 業マア開でレ始ーの事 (19営6社代5年理数)  (19↑テ6)・ 事 業 部 門 T.Barlow  1820年代 19  42  A 1 M  Guthrie  1820年代 22  39  A 1 M S T  Boustead‑Buttery  182737  58  A 1 M S T  Harrison Crosfield  184442  111  A 1 M S T  R.E.A. Cumberbatch  1850年代 37  55  A 1 M S  Plantation  Agencies  1850年代 10  29  A 1  Borreo (Inchcape)  1860年代 63  A 1 M S  Harper Gilfillan  1886年代 16  18  A 1 M S T  Oriental  EstatβS  1890年代 14  19  A 1  ames Warren  1890年代 16  21  A 1 M S T  Ethellrurga  1900年代 A 1  Whittal  1900年代 22  28  A 1  Patterson, Simon and Ewart  1900年代 A 1 M S T  William  J acks Co.  1900年代 A 1 M 

Sime  Darby  190223  30  A 1 M S T L  (注 N(不明)

, 

(輸出入),

(保険),

(製造業),

S (海運)

, 

(鉱業), (木材)を各々示す。

(出所 JunidSaham, British !ndustrial !nvestment in  Malaysia  196319711980

, 

P.115 

ち,純資産の

55%

, 付 加 価 値 の

55%

,総販売額の

53%

お よ び 従 業 員 の

42%

を 自らの管理ないし支配下においていたと推計されるまでになった(第

6

表参 照 ) 。

以 上 の 調 査 結 果 に 基 づ い て サ ー ハ ム は , 経 営 代 理 商 会 が マ レ ー シ ア の 工 業 化と重大な利害対立の関係にあったとは考えられないとの結論を導き出した。

第 6表:イギリスの対マレーシア工業投資に占める経営代理商会の割合(推計) (単位:100万マレーシア・ドル, %) 

言十 経会営の代関理係商分 経会営の代訓理合商 高も 資 産 右耳 159  87  55  付 加 価 値 客員 181  99  55 7士金15 客員 585  309  53  従 業 員 人 数 9186  3850  42  (出戸iff) Junid  Saham, ot. cit., P.123 

(11)

161 

ここで我々は当時

(1960

年代)進行していた工業化が輸入代替のそれであ ったことを想起すべきであろう。プサチュアリー=ウィールライトは経営代 理商会の輸入業務とマレーシアの製造業の発展には明確な利害の対立が存在 すると主張していた。サーハムは彼らの主張を一蹴し,なるほど輸入代替型 の工業の成長は経営代理商会の輸入業務の減少をもたらしたかも知れないが,

製造業部門への進出に伴なっ業務拡大によってその損失を補って余りがあっ た。それは

1960

年代の経営代理商会の利潤がすう勢的に増加傾向にあること から確認できる。経営代理商会はマレーシアの工業化を阻害したというより も,むしろそれに対し価値ある貢献をしたと言つべきであると評価を下した のだった。

サーハムの言う通り,経営代理商会が従来の伝統的業務の枠をゃぶり製造 業部門へ進出したのは事実である。しかし,それは単に業務拡大により利潤 の基盤を拡大するといつことで説明できるものではあるまい。それは,現地 での厳しい企業経営環境の変化に直面しての「サーバイパル(生き残り)戦 略」の一環であったはずであり,企業が成長していくため余儀なくされた方 策であったはずである。

マレーシア政府が,例えば ( 1 ) 一次産品輸出と製造品輸入への依存を減らし 国内の製造業を育成する, ( 2 ) 外国企業への現地の介入と支配を強化する, ( 3 )   経営陣に現地人を加えるのを義務づける, ( 4 ) 企業の登記をイギリスからマレ ーシアに変更させる,等の諸政策を打ち出してくるのに対応して,経営代理 商会も, (1)合理化あるいは再編成によって企業組織の強化を図り, ( 2 ) マレー シア一国に過度に依存することの危険を避け企業活動の地理的拡大をすすめ,

( 3 ) 同時に垂直及び.'7.K平的統合をつうじて利益の多様化を追求したのである。

その一環として製造業部門への進出が図られたのである。かくして,経営代

理商会は

1960

年代に大きく変貌をとげ,多国籍企業化したのである。

(12)

むすびに代;えて

経営代理商会の長

L

、歴史の中で,確かに

1960

年代以降の変貌には目ざまし いものがあった。このことは認められなければならない。しかし,そのこと は貿易や一次産品に依拠してきた経営代理商会の基本的性格を払拭してしま うものではなしむしろ逆に今日でも主要な活動分野である伝統的業務を基 盤にしての多様化にすぎなかったことも確認しておかなければならない。

サーハムは経営代理商会がマレーシアの工業化に貢献したことを向く評価 しているが,彼らが製造業投資に向かったのはサーハム自身も認めている通 リ防衛的な動機によるのである。イキリス製造業企業と経営代理商会とは協 力して. f!f'[民地時代から独占してきたマレーシアの製造品市場を他の諸国(日

・米・欧)の競争から防衛しひきつづき確保するために製造業投資に来りだ したにすぎなかった。 しカかミも' そつして

j

逐丞行された

1960

年代の輸入{代

t

替工業業

化の基本的性格は「農業基礎的(仏

agrasedω( 泣 ( ? 九 ;ι)

.夕パコス'木材およびび コゴやムの加工が中 心

dL

心、であリ' この三つの業種を合計する と

1960

年代末においても製造業生産の約半分を占めていたことになる(第

7

表)

1960

年代末にイギリス資本が製造業部門においても優位を保持しえた

7表:半島マレーシア製造業部門の産出高構成.1959‑1973

(%)  1959196319681973年 食 料 ・ 飲 料 ・ タ バ コ 36.7  28.5  29.2  23.8 

4イ を

1

n 16.1  13.2  11.8  13.1  コ 乙ヘ 31 口口 7.5  6.2  6.4  9.5  繊 維 ・ は き 物 ・ 衣 服 (1)  2.2  3.4  5.9 

~~・z4.7.5  11.3  9.9  7.5 

金 "'~ u 4.3  4.9  4.9  4.9 

機 械

f

JI 設 や

i l i

6.7  5.6  5.5  6.4  屯 機 機 械 (1)  1. 2.6  8.1 21. 2  26.8  26.3  20.8 

f100.0  100.0  100.0  100.0  (1)  他の商品グループに含まれる。

(出戸~) Kevin  young and  others Malaysia: Growth and Equi(v  i Jl Multiracial  Society 1980

, 

P.33 

(13)

163 

のは,イギリス資本が伝統的にマレーシア国内の一次産品に基礎を置いてい た強みによるものであることは多言を要しないであろう。しかし,以上のこ

第8

表:マレーシアの製造業輸出品

(Jii‑位:100

万マレーシア・ドル)

19701975年 ノ、ーセンテージ

1

11'

ド エ レ ク ト ロ ニ ク ス そ の 他

12  191  1

490  組A キ

t l i

午均 10  120  1

100 

1I13 I1  29  130  348 

製 製

t:l 18  260 

~1: 121)  1I11 Il  10  23  130 3夫 金 属 4 IE11 I1  11  83 

i l

司 金 属

ι3 20  233  機 械 輸 送 設 備 223  3

086 

i

j由 ー立i 1E11  52  58  12 

n、為 J137  794  480 

(出所 Kevinyoung and others, ot.  cit., P.29 

とは逆に言えば

1960

年代の農業基礎的な輸入代替型工業化から第

8

表が示す ように機械・輸送設備,エレクトロニクスあるいは繊維を中心とする

1970

年 代以降の「非農業基礎的

(non‑agro‑based)J

な輸出指向型工業化にマレー シアの工業化政策に転換するに至ると,伝統的な性格を払拭しえないイギリ ス経営代理商会による工業化の限界が露呈されることを意味する。しかも,

製造業に進出したにもかかわらずイギリス資本は相変らず強い「帰巣本能」

を有し,現地経済に同化するよりも「資本の異質性」を発揮している。自ら が一蹴したはずのプサチュアリー=ウィールライトの主張を,サーハム自身 が

1960

年代においてゴムやスズの伝統的部門においては勿論のこと肝心の製 造業部門においてすら本国送金が資本流入額を二倍も上回るという形で承認 せざるをえなかったのは皮肉なことであった(第

9

表参照)。製造業部門に おいてこうした大量の資本流出がつづく限り,哀をかえせば利潤のマレーシ ア現地での再投資率が低位である限り,イギリス資本が,就中経営代理商会 がマレーシアの長期にわたる工業化を促進すると期待するのは無理で あろう。

1970

年代以降,マレーシア政府による相次ぐ「名門の」あるいは「老舗の」

参照

関連したドキュメント

もっと早く詳しく報告すべきだったのだが、今日初めてフルヤ氏との共同の仕事の悲し

断面が変化する個所には伸縮継目を設けるとともに、斜面部においては、継目部受け台とすべり止め

点から見たときに、 債務者に、 複数債権者の有する債権額を考慮することなく弁済することを可能にしているものとしては、

Q-Flash Plus では、システムの電源が切れているとき(S5シャットダウン状態)に BIOS を更新する ことができます。最新の BIOS を USB

手動のレバーを押して津波がどのようにして起きるかを観察 することができます。シミュレーターの前には、 「地図で見る日本

を育成することを使命としており、その実現に向けて、すべての学生が卒業時に学部の区別なく共通に

を育成することを使命としており、その実現に向けて、すべての学生が卒業時に学部の区別なく共通に

【フリーア】 CIPFA の役割の一つは、地方自治体が従うべきガイダンスをつくるというもの になっております。それもあって、我々、