認知課題成績に及ぼす高所視環境の効果
高 橋 啓 介
Effects of Elevation as a Visual Environment upon the Performance of a Cognitive Task
Takahashi Keisuke
Abstract:The present research is a pilot study which attempts to grasp the function of the emotion system in a unity of perceptual, cognitive and behavioral systems. This study is concerned with elevation as a variable of the visual environment, and examines its psycholo・
gical effects. The subjects were divided into two groups following some preliminary inquiry.
One group was composed of those who tolerated elevation and the other group being those
who did not tolerate elevation. An attempt was made to assess elevation by comparing its effect upon the performance of a cognitive task(addition)between the two groups. Elevation aroused psychological tension(fear)strongly in the subjects who did not tolerate elevation,
and depressed their task achivement. This suggests that elevation is an environment vari・
able with peculiar psychological effects.
Key wards:elevation, visual environment, subjects who did not tolerate elevation, fear,
問
題
感情・情動系は,外的環境の情報処理過程である知覚・認知系と外的環境への適応過程であ る行動系とを媒介する生体の内部情報の処理過程である。したがって,それは本来独立した事 象として検討すれば事が足りる問題ではなく,感情・情動系が知覚・認知系および行動系とど のような関連性を有し,どのような機能的効果を及ぼしているのかについて検討すること,す なわち,感情・情動系と知覚・認知系,行動系との相互関係についてそのダイナミズムを可能 な範囲で保ったまま検討することが,感情・情動系が我々人間にとっていかなる機能であるの かを理解する上で重要であると考えられる。しかし,従来の心理学の研究史においては,上記 3過程は,それぞれ独立事象として研究の対象とされてきた。それには,知覚・認知系の事象 が外部刺激の物理的尺度に対応づけて検討されてきたのに対し,感情・情動系の事象が外部刺
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激の物理的尺度に対応づけて扱うことが困難であることと,映像刺激を用いて感情を喚起する という,従来の感情研究の主たるパラダイムが,感情・情動事象を知覚・認知事象と関連づけ て論じることを困難にしてきたことに由来する(辻 ほか,1996)。こうした問題に対処し,
知覚・認知系から行動系への一連の過程の中での感情・情動系の特性を捉えるためには,対処 行動を起こすことが要求される特定の外部環境を設定し,それによって喚起される事態依存的 感情・情動を検討の対象とする必要があるだろう。
対処行動を喚起しやすい事態依存的感情・情動として古くから知られているものに,空間性 恐怖がある。空間性恐怖とは,いわゆる広場恐怖,閉所恐怖,高所恐怖,暗所恐怖といったも ので,これらは,生物としてのヒトの外部環境への行動的適応と密接に関連していると考えら れる。中でも高所恐怖は,翼を持たない生物であるヒトにとって,個体の生命維持に関わる重 要な適応的機能を担ってきたと考えられる。
従来の高所視環境の特性に関する研究は,主に環境心理学の観点から,高層集合住宅居住者 の意識・行動特性を検討したものが多い(本間,1981;Tsuji,1994)。他方,実験心理学的な 接近による研究例は少ない。しかし,辻らのグループによる動物を対象とした「視覚的陥穴法」
による一連の研究(Tsuji, et al.,1972;林部 ほか,1974;辻 ほか,1981)は多くの示唆を 与えてくれる。たとえば,ヒヨコを対象とした研究からは,視覚的陥穴によってもたらされる 下方向の奥行視に伴う視覚性恐怖が陥穴領域の回避行動を強力に動機づけており,回避成績は,
のぞき込みや頭部回転,方向転換といった外界指向的反応(外部環境の知覚・認知的探索行動)
と,脱糞,不快コールなどの恐怖反応との強度比に規定されているとの知見が得られている(辻 ほか,1973;原 ほか,1974)。このことは,視覚的に喚起された空間性恐怖が生得的な適応 機制として機能しており(辻 ほか,1981),それが外部環境の知覚・認知情報処理,対処行 動と密接に関連していることを示している。
さらにTsuji(1994)は,視環境要因の心理特性を明らかにするために,高層集合住宅での 居住歴が異なる2群の母子ペアに対して,高所事態,広所事態,暗所事態での音刺激に対する 選択反応課題を実施し,高所事態が他の2事態に較べて,選択反応課題の遂行により大きな効 果を及ぼすこと,すなわち,反応を遅延させ,変動させ,錯誤を招きやすいといった効果を有 すること,そして,こうした効果は,高層集合住宅での居住歴が短い,高所環境への順応が不 十分な被験者に対して,より顕著に生ずることを明らかにしている。
上記の先行研究は,いずれも高所事態が生体にとって,ある心理的特異性を有する環境であ ることを示唆しており,その特異性は,知覚・認知情報処理および行動において発現し,その 背後に視覚性の感情(恐怖)が密接に関与している可能性を示唆している。そこで本研究では,
上記の点を確認する試みの端緒として,高所視環境事態における認知的情報処理と情動との関 連性について探索的な検討を試みる。
方 法
高所条件
統制条件(C):室内で椅子に着席する。
高条件(H):約15mの高さの所に立って,下を見降ろす。
中条件(M):約9mの高さの所に立って,下を見降ろす。
低条件(L):約1.5mの高さの所に立って,下を見降ろす。
上記4条件のうち,H, Mの両条件では,それぞれピルの5階(屋上)と3階のテラスから,
手すり越しに下を見降ろすことで事態を設定し,L条件では,脚立の上の立つことで事態を設 定した。
認知課題
クレペリン検査で用いるのと同様の,比較的単純な1桁の加法演算問題を認知処理課題とし
た。
高所事態に対する認知的評価
表1に示す10項目について,種々の高所事態に対する認知,情動的評価を「平気一いや」の 2件法で回答させた。さらに,自分が高所に対する恐怖を感じやすいか否かに対する自己認知 を「はい一いいえ」の2件法で回答させた。この高所恐怖に対する自己認知の回答に従って,
被験者を「高所耐性群」と「高所非耐性群」の2群に分類した。
表1 高所事態に対する認知的評価項目
12345678910
ビルの屋上から下を見るテレビ塔やタワーなどに登る 階段の上から下を見る 観覧車に乗る
リフトに乗る
ダムや滝をのぞき込む 脚立の上に立つ 飛行機に乗るロープウェイに乗る
絶対安全と保証されたスカイダイビングをする
被 験 者
成人男女8名(男性1名,女性7名)を,下記の手続きに従って,「高所耐性群(T)」(女 性4名,平均年齢19.0歳)と「高所非耐性群(IT)」(男性1名,女性3名,平均年齢21.5歳)
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とに分類した。
手 続 き
事前調査として,自分が高所に対する恐怖を感じゃすいか否かに対する自己認知を「はい一 いいえ」の2件法で回答させ,その回答に従って,被験者を「高所耐性群」と「高所非耐性群」
とに分けた。次いで,「高所事態に対する認知的評価項目」に回答させた。
高所環境下での測定は,被験者にまず室内で座席に着席した状態で認知課題を遂行させた(統 制条件)。その後,各高所条件に対応した事態下で,周囲の景色を観察させ,各事態での高さ を十分に認識させた後,統制条件と同様の課題を立位で遂行させた。さらに,課題終了後,各 高所条件に対応する恐怖感を「恐くない(1)」〜「とても恐い(5)」の単極型5段階評定尺 度で評定させた。
統制条件を除く各高所条件の呈示順序は,被験者間で順序効果を相殺するよう設定した。ま た,各条件での課題は時間制限法によって行わせ,制限時間を20秒とした。各条件での認知課 題実施回数は1回とし,各条件間間隔は約5分とした。
結 果
高所事態に対する認知的評価
表2に「高所事態に対する認知的評価項目」について,各被験者が「平気」と回答した平均 項目数と「いや」と回答した平均項目数とを示した。
表2 高所事態に対する認知的評価項目に対する 平均回答数
平 気 い や
非 耐 性 群 耐 性 群
5.5 8.0
4.5 2.0
高所耐性群で高所非耐性群に較べて「平気」の平均項目数が多く,高所非耐性群で高所耐性 群に較べて「いや」の平均項目数が多い傾向が認められた(x2(1)=3.700, p<.10)。このこ
とは,高所に対する適応度が高所耐性群に較べて高所非耐性群で低い傾向にあることを示して
いる。
高所事態に対する恐怖度
図1に各高所条件における恐怖度の平均評定値を被験者群ごとに示した。いずれの条件にお いても,「高所耐性群」に較べて「高所非耐性群」の恐怖度が高く,条件間では,L, H, M
の順に恐怖度が高くなることが認められた,
5
4 3 9一
恐怖感評定値
1
③ 、 、 、
O■OIT
●一●T
D
L M H 高所条件
図1 各高所条件における各被験者群の恐怖度平均評定値
各群,各条件における恐怖度の平均評定値について,.1元配置分散分析を行ったところ,高 所条件の主効果(F(2,18)=5.046,p〈.05),被験者群の主効果(F(Ll8)=5.232, p〈.05)
ともに有意であった、
認知課題の成績
% 100
80 正60
答率40 20
0
函函IT
C L M H 高所条件
図2 各実験条件における被験者群ごとの課題正答率
認知課題の成績については,次の2点を検討した。すなわち,課題の正答率と,統制条件と の比較における課題の遂行数である。後者については,統制条件における課題遂行数を基準値
として,各高所条件における課題遂行数と統制条件におけるそれとの差を分析の対象とした。
図2に各実験条件における課題正答率を被験者群ごとに示した。両被験者群ともに,いずれ
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の実験条件においても高い正答率を示しており,被験者群間,実験条件間ともに,顕著な差異 は認められなかった。
図3には,各高所条件における課題遂行数と統制条件における課題遂行数との差を被験者群 ごとに示した。図中の0点は統制条件と同じ遂行数であることを示す。これによると,「高所 非耐性群」はいずれの高所条件においても,統制条件より遂行数が減少しており,とくにL条 件とH条件でこの傾向が著しい。「高所耐性群」でも,L条件, H条件において統制条件に較 べて遂行数の減少が認められるが,「高所非耐性群」程ではない。各群の各高所条件における 統制条件との遂行数の差について二元配置分散分析を行ったところ,被験者群の主効果が認め られた(F(1,20)=6.003,p〈.05)。しかし,高所条件の主効果は認められず,若干の傾向の 可能性が示唆されたに過ぎなかった(F(2.20)=2.420,p=.12)。
2
1 0 1 9白 3 4
一 一 一 一課題遂行数の統制条件との差
一5
L
M
囲 lT
■T
H図3 各高所条件における被験者群ごとの課題遂行数と 統制条件における課題遂行数との差
考 察
高所視環境の心理的特性を検討するために,高所に対する適応が十分に達成されている被験 者(高所耐性群)と適応が不十分な被験者(高所非耐性群)とに対して,3水準の高所事態で の恐怖度と認知的課題の成績を測定した。被験者を2群に分けたのは,高所視環境の本来的な 心理特性は,いわゆる高所恐怖を感じる者,すなわち,高所への適応が不十分な者に対して,
より敏感に反映されると予測されるためであり,高所への適応の水準の異なる2被験者群間の 比較によって,それをより正確に記述できると考えられたからである。さらに,本来生得的で,
外界の危機を回避するための一種の適応機制として機能していたと考えられる高所恐怖(辻 ほか,1981)が,多くの人間においては,近代化に伴う居住環境の変化に対応して,消失しつ
つあるのに,ある人間には今なお根強く残存していることは,視環境や行動環境への人の適応 過程を考える上で重要な問題意識であると考えられるが,こうした問題に接近するための基礎 資料を得るということも,2つの被験者群を設定した重要な理由の1つである。
上記の測定の結果,高所事態における恐怖度は,視界が開けたオープンエアーの事態で高く なった。L条件で恐怖度が最も高くなったのは,オープンエアー事態であったことに加えて,
他条件に較べて,足場が不安定である印象を被験者に与える事態であったことによると考えら れる。これらの傾向は高所非耐性群においてより顕著であった。
認知課題の成績は,正答率で見ると被験者群間,高所条件間で差異は認められず,一様に高 い成績を示した。このことは,本実験で用いた課題が十分に平易であったことを示している。
他方,課題遂行数では,高所非耐性群で,高所での成績が平常時より低下する傾向が認められ た。しかも,興味深いのは,こうした傾向が高所耐性群では明確には認められず,被験者群間 で効果に差異が認められるということである。このことは,高所視環境の効果が高所非耐性群 に特異に現れていることを示しており,高所への適応が不十分な人間にとっては,高所は,認 知的な情報処理能力に否定的な影響を及ぼす環境となり得ることを示唆している。
本研究では,特に高所非耐性者にきわめて不快な事態を経験させるということに対する配慮 から,その実験手続きをきわめてシンプルなものとした。そのことが高所視環境の心理的特性 を明確にすることの妨げとなっている。たとえば,Tsuji(1994),高橋(1996)の所見が示す ように,課題を反復して,その成績の変動を分析することによって,高所視環境の心理的特性 をより明確にすることができたかも知れない。すなわち,不快や恐1布といった否定的な情動は,
外的環境情報の感覚的・知覚的・認知的情報処理の精度を低下させる可能性があり,それは,
情報処理の結果の変動が大きくなることによって示されると考えられるからである。
高所視環境が上記の知見と同様な効果を持つ感情を喚起する事態であるならば,その事態が 人間行動を規定するきわめて基本的な空間であり,そこには,人間の空間に対する適応過程の 問題がより直接的に関与していると考えられる。したがって,高所視環境の問題が「知覚・認 知一感情・情動一行動」といった一連の情報処理過程の相互関連性や相互作用過程を検討する 上で,きわめて有効な事態であることを意味し,その検討を進めることは,人間の行動科学的 研究において重要な意義を有するものであることが考えられる。こうした点を考慮しながら,
今後,高所視環境の心理特性の検討を進めることが重要であろう。
引用文献
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辻敬一郎,林部敬吉,原 政敏 1981 視覚的陥穴法(visual pittall technique)による奥行視の実験 的研究
Tsuji, K.,1994 Psychological coping with elevation:Preliminary approaches to the effect of residence in
multistoried housing.名古屋大学文学部研究論集,120,哲学 40,113−127辻敬一郎,奥田達也,高橋啓介,伊藤哲司 1996刺激文によって喚起される不快感情の分析:感覚モ ダリティと性の要因の効果 感情心理学研究,3(2),64−70
付 記
本研究は,筆者の指導の下に行われた竹内厚子氏,愛知淑徳短期大学コミュニケーション学科1992年 度卒業研究「作業効率に及ぼす高所環境の効果」のデータに基づき,筆者が分析・検討を加えたものの