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ドイ ツ に お け る鉄 道 国有 化 一 プ ロ イ セ ンの 事 例 と財 政 一

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Research Journal 1987, 3, 1-12

ドイ ツ に お け る鉄 道 国有 化

一 プ ロ イ セ ンの 事 例 と財 政 一

DIE VERSTAATLICHUNG DER EISENBAHNEN

— DARGESTELLT AM BEISPIEL PREUBEN —

Tetsuo YAMADA

Atomi Gakuen Women's University, Niiza-shi, Saitama 352

Bei diesem Beitrag, lal3t sich der Ubergang zum Staatsbahnsystem in Preul3en erklaren und diese Vorgange wa- ren in ihrer Bedeutung fiir die Staatsfinanzen sehr wichtig.

Am Ende Oktober 1879 war dem Abgeordnetenhaus der Entwurf fiber den Ankauf der Berlin-Stettiner, der Magdeburg-Halberstadter, der Hannover-Altenbeckener und der Köln-Mindener Eisenbahnen zugegangen. In der Session des Abgeordneten von 1882 hatte die Regierung weitere Verstaatlichungsvorschlagen eingebracht. Dadurch suchte sie einen Einflul3 auf die aul3erpreussischen Eisenbahnen zu gewinnen.

Die finanzielle Ergebnis der Verstaatlichung war besonders giinstig und die Einnahmen der Eisenbahnverwal- tung erfuhr eine bedeutende Steigerung.

Key words: Staatsbahnsystem, Verstaatlichung der Eisenbahn

(2)

2

は じ め に

我 が 国 にお い て 国鉄 の 民 営化 が さ し迫 った課 題 と な っ て い る 現 在,そ の 原 点 と も い 孝 喬f鉄 道 の.

国有 化 」 を検 討 す る こ とは,鉄 道 の経 営 形態 に歴 史的 展 望 を与 える こ とに な ろ う。 本稿 で は,19 世 紀 に ビスマ ル ク体制 下 で 行 なわ れた プ ロイ セ ン

の鉄 道 国有化 を概 観す る。 ドイ ツの鉄 道 政 策 を論 じる際,帝 国 レベ ルの政 策 展 開 と支邦 レベル のそ れ とい う,い わば 重 層的 な視 角か ら分析 す る 必要 が あ る(1)0以下 にお い ては,支 邦 の 経 済政 策 にす ぎ な い はず の 「プ ロイ セ ソの鉄道 政 策」 が,い か な る意 味 で,ま た,い か な る程 度 まで 全 ドイ ツ的 問 題 と関 わ りを持 って い た か を論 じよ う。

(1)プ ロイセ ン単 独 国有 化

ビス マル クが 「帝 国鉄道 」 の構 想 を実現 しよ う と した とき,そ の動 機 の 第一 は,基 軸 的 な交 通 手 段 の支 配 に よ る帝 国の 強 化 で あ った。 この こ とは 逆 に,支 邦 の独 自性の 前に プ ロイ セ ソ政 府 が制 約 を感 じて い た こ とに な る。 そ の一 例 として 「ベル リ ソ ・ドレスデ ン鉄道 」 をめ ぐる プ ロイ セ ン とザ クセ ンの確 執 が あげ られ よ う。 プ ロイ セ ン政 府が, 経 営 困難 に ある 同鉄道 の 経 営権 を掌握 しよ う と し た 際,鉄 道 の 通過 す るザ クセ ン政 府 が 強い 抵抗 を

連邦参謝 に入ると呼 幕があつ

ビ ス マ ル ク 自 身,諸 邦 の 連 邦 分 立 主 義 の 主 張 を 前 に して,プ ロイ セ ンが 単 独 で 国 有 化 に 向 か わ ざ る を え な い と予 期 し て い た 。1876年 の 「帝 国鉄 道 法 案 」 の 起 草 に 際 して,彼 は 次 の よ う に 記 し て い る。

『も し も,プ ロイ セ ンの 鉄 道 所 有 の 帝 国 へ の 移 行 の 為 の プ ロイ セ ン政 府 の 努 力 が,帝 国 の 多 くの 人hの 反 対 の 前 に 挫 折 した ら,そ の と き に は,プ

ロ イ セ ン 自 ら の 国 有 鉄 道 所 有 の 拡 大 と整 理 統 合 が, プ ロ イ セ ン鉄 道 政 策 の 次 の 目標 と 考 え られ る の は, 疑 い も な か ろ う。』(3)

ま た,同 年6月,ビ ス マ ル クは 次 の よ うな 書 簡 を 商 務 大 臣 ア ー ヒ ェ ンバ ッ ハ に 送 っ て い る 。

「一 刻 も 猶 予 な く,次 の プ ロイ セ ン議 会 に 主 要 路 線 の 買 収 協 定 に 関 す る 提 案 を用 意 し な け れ ば な ら な い ほ ど,事 態 が 切 迫 して い る よ う に 思 え る 。

… … … た と え そ れ が 帝 国 で 困 難 に ぶ つ か ろ う と も, 少 く と も プ ロイ セ ンの 範 囲 内 で 鉄 道 制 度 が 徹 底 し(4) て 整 備 さ れ る こ と に な ろ う。」

ビ ス マ ル クが,プ ロイ セ ン鉄 道 政 策 の 次 の 可 能 性 を 展 望 す る 一 方 で,ヴ ュ ル テ ム ベ ル クの エ ル ベ ンは,非 プ ロイ セ ン支 邦 の 立 場 か ら警 告 を 発 す る の で あ る。1876年3月 の ヴ ユ ル テ ム ベ ル ク議 会 で,ビ ス マ ル クの 帝 国鉄 道 計 画 を弁 護 しつ つ,次 の よ うな 内 容 の 演 説 を 行 った 。 即 ち,帝 国 鉄 道 政 策 に よ る 改 革 か,さ も な くば 純 プ ロイ セ ン鉄 道 政 策 に よ る 改 革 か,言 い か え る と,ド イ ツ鉄 道 制 度 に 関 す る 連 邦 参 議 院 の 正 当 な 支 配 か,さ も な く ば

窮錨 諮鬻 離纎 鶯 驪醤

後 者 の展 望 を見 い だ して い た ので あ る。 エル ベ ンも,来 るべき10年 間の ドイツの鉄道史 を予 想 し,支 邦 の立 場 か らプ ロイ セ ン単独 の 国有 化 を懸 念 して い た。

こ うい った 状 況下 で,1876‑78に プロイ セ ン の私 有 鉄道 の 多 くの 路 線 が,国 有 化(→ 卑鉄 へ の 移 行)及 び 国営化(経 営管 理 権 のみ 国家 に 移 譲)

された が,後 に 行 なわ れ た計 画 的 国 有化 とは連 関 を もた ず ・単 に 経 灘 に あ る私鉄 の救 済 倦)国家1こ

攜 諜瀦 髪纏 搬 撫 鶏壷

(8)と指 摘 さ れ て い る

。 私 或 い は 『 プ レ リュ ー ド 』

有 鉄 道 の 計 画 的 国 有 化 の 始 ま る1879年4月

鉄 道5,255】

国 営 私 有 鉄 道3,852km 私 営 私 有 鉄 道9,430㎞

という状觚 国鉄鮪 攤 なつな勲 靠撒 ず

に,私 鉄 の間 に 散在 してい た ので あ る。

私 鉄 の 計画 的 国有 化 を遂 行す る直 接的 な 契機 と な った の は,所 轄 官 庁 の担 当 大臣 に 国有 鉄道 論 者 が 就任 した こ とで あ った。1878年3月,商 務大 臣 が ア ー ヒェ ソバ ッ ハか ら前帝 国鉄 道 庁長官 マ イ バ ッハへ 交替 した。 前者 は,私 有鉄 道 論 者 で は な か った が,混 合鉄 道 制 度 を理 想 と考 えて い た ので,

騎鸞 斷 灘 灘 黎 獣 は'ビ

国有化 法 案

1789に 始 まる プ ロイセ ンの私 有 の 国有化 は, 複 数 の立法 を も って実 現 され るが,そ れ には 共通 した 原則 が確 認 で き る。

諸 会社 との協 定 の 締結 に あた って,二 つ の原 則 が み られ る。 まず 第 一 に,私 鉄 の 買 収 は 株式 の 買

(3)

山田:ド イ ツに おけ る鉄 道 国有 化 一 プ ロイ セ ソの事例 と財 政 一

戻 しに よ って 行 なわ れ るの で,取 引 所に お け る投 機 を回 避す るた め に政 府は 慎 重 な対応 を行 った。

内閣 で 決 定 され た入 札値 は 秘 密 が保 たれ,取 引所 相場 が適 当 と判断 され た ときに は じめて,入 札 が

公に され,企 業 とー協議 に入 った ので あ る。

第二 に,政 府 は買 収す る鉄道 に対す る支配 力 を で き る限 り早 く獲 得 す るた め に,さ しあ た って 資 金援 助 と引 きか えに 経 営権 だ け を掌 中に 収 めた。

そ の後 の 清算 に は2〜7年 を必要 と した。 従 来 か ら,高 収益 で 配 当が 期待 され てい る鉄 道 の場 合, 国家 は 直 ち に経 営 ・管理 権 を手 にい れ,随 時鉄道 の所 有 権 を獲 得 し会 社 を解 散す る権利 を留保 す る と ともに,経 営権 の 引 き渡 し時点 か ら,旧 株 主 に 配 当に 代わ る恒常 的 な利 子 を,政 府は 毎 年 支払 う こ とと した の で あ る。 他方,収 益 の乏 しい,従 っ て配 当 に期 待 が もて な い 鉄 道 の 場 合 は,買 す る までの 期 間,政 府 は と りあ えず 会社 の 決算 の 責任 を負い,現 金 や 国債 に よ って 短期 間 に,株 式 の 買収 が行 な わ れた 。

〔第1次 計 画的 国 有化(1879年)〕

1879年,プ ロイ セ ン政 府 は私 有鉄 道 の本 格的 国有化 に乗 り出 した。 同年 に 実施 され た プ ロイ セ ン下院 選 挙 に際 して,ビ スマ ル クは ブル ジ ョア ジ ー勢 力,自 由主 義 勢 力か らの訣 別 を決 意 し,ビ ス マ ル クを支 持す る保 守 党 が115議 席(解 散 時 ,42 議 席)を 獲 得 し,第 一党 に 躍進 した。 けれ ども 国 有 化政 策 に反 対 の 立場 を とる 自 由保 守派 も,15議 席 増や し50議席 を獲 得 した。 従 来 ビスマ ル ク与 党 で あ り,ブ ル ジ ョア ジーの 利害 を代 表す る 国民 自 由党 が105議 席(解 散 時,168議 席)と な った他, 中央党 が7議 席 増 の96議 席,進 歩党 が34議 席(解 散 時63議 席),ポ ー ラ ン ド党が19議 席(解 散 時,

15議 席)な ど とな ったの で あ る。 けれ ども政府 の 鉄道 政 策 を遂 行す る には,保 守 党 と中央 党 の 勢 力 だ けで は不 十 分 で あ った た め,ビ スマ ル クは 国民 自由党 と提 携 を進 め,そ の結果 中央 党 が野 党 に ま

(12) った。

1879年10月28日,『 なん とか して うま く, 鉄 道 問題 で 諸君 達 の 同意 が え られ る よ うに 』とい

う言葉 を含 んだ 勅 語 を も って,新 議会 が 開催 され,

鍵 簇難 嘆 鰻 繼 鑛嚢

私 有鉄道 に対 す る賛 否 両 論 が並 記 され,純 粋 の 国 有鉄 道体 系 の み が,鉄 道制 度の発 展 を導 くと結 論

3

された覚 濡 きが添 えられているρ

に叢懲 て買収される路線は・次のよう

ベ ル リ ン ・ シ ュ テ ッテ ィ ン 鉄 道 … … … 961.64km (本 線805.79km,支 線155.96km)

マ グ デ ブ ル ク ・ハ ル バ ー シ ュ タ ッ ト鉄 道 … … … 1,025.59km (本970.56km,支 線55.03km)

ハ ノ ー フ ァ ー ・ ア ル テ ン ベ ケ ン 鉄 道 … … … 268.05k皿 (本239.32km,支 線28.73㎞)

ケ ル ン ・ ミ ン デ ン 鉄 道 … 一 …1,108.46㎞

(本 線1,091.18㎞,支 線17.28]km)

FIG.1ベ ル リ ン ・ シ コ テ ッテ ィ ン鉄 道

(4)

F'IG・2

マ グ デ ブ ル ク ・ ハ ル バ ー シ 出 タ ツ ト鉄 道

F、G.3ハ ノ ー フ ・ 一 ・ ア ル テ ソ ベ ケ ソ 鉄 道 FIG.4ケ ル γ ・ ミ ン デ ン鉄 道

1892,D{isseldorf,1971

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山田 ドイ ツに おけ る鉄道 国 有化 一 プ ロイ セ ソの事 例 と財 政

5

当 時,プ ロ イ セ ンの 鉄 道 総 延 長 が18,75.4km,ま た 国 鉄 が5,255㎞ で あ っ た こ と を 考 え る と,買 規 模 が 桁 は ず れ に 大 き い こ と が わ か る 。 また 〔FIG.

1〕 〜 〔FIG.4〕 か ら 判 断 す れ ば プ ロ イ セ ン邦 内 の 幹 線 を 手 中 に 収 め,都 市 間 交 通 を 政 府 の も と に 掌 握 し,国 有 鉄 道 体 系 の 実 現 に む け て 大 き く 前 進 す る も の で あ った 。

政 府 は 法 案 の 審 議 を い そ い だ 。 とい うの は 政 府 と解 散 予 定 の 会 社 に か わ され た 協 定 は,1880年 1月1日 を 持 って 効 力 を 失 う こ と に な って い た か ら で あ る。 議 会 の 第 一 読 会 に お い て は 右 翼 勢 力 で

難 薯灘 嬲議 鬻 欝 嬲:

一 タ ーは 『 こ の 計 画 の 基 礎 に あ る 考 え方 の 実 現 は,

罐 靉 謡 飜 翦醗 撚 霎ξ

た の で あ る。

年 の 瀬 も 押 し迫 った12月4日,下 院 議 員 ハ ム マ ツ ヒ ヤ ーに よ っ て提 出 され た 委 員 会 報 告 は ,今 国 会 が 遅 く と も 次 の 会 期 ま で に 「財 政 的 ・経 済 的 保 証 に 関 す る 」(uberfinanzielleandwirt‑

schaftlic:heGaratien)法 案 を提 出 す る こ

髄 撫 慧 飜 飜 酷 灣言

下 院 は256票 対155票 を も っ て 国 有 化 法 案 を 承 認 し,17日 に は 上 院 を通 過 す る は こ び と な る 。 そ し て12月29日,こ の 年 も あ と2日 を残 し た 時 点 で,

が飾 さ瓶 齪 に盛 り込 まれていた智 辛 う じてみ た さ れ る こ ととな った ので あ る。

〔財政 的 ・経 済 的保 証 〕

国有化 法 案 の 承認 に際 して,議 会 が条 件 として 提 示 した 「財 政 的 ・経 済的 保 証」 とは,い かな る 内 容の もので あ ろ うか。 国有化 に よ って 強大 化 す る政 府 の権 限 に対 して,議 会 は一 定 の影 響 力 を鉄 道 行政 に対 して 及ぼす こ とを意 図 したの で あ った妙

財政 的保 証 に 関 して は,1880年12月15日

『鉄 道 業務 管理 の年 間 余剰 金 の利 用 に関す る法 案 』 が 議 会に提 出 され,翌 年1月8日 に 審議 が 開始 さ れた 。 同法 案 の骨 子 は 次 の よ うにな って い た。 国 有化 の実 施に 必 要 とされ る鉄道 債 は,鉄 道 部 門の 歳入 超 過 か ら定 期的 に 償還 され る こ と。 つ ま り, 鉄 道 を一般 会計 か ら独 立 させ て 扱 うとい うこ とで

あ る。 同法 案 の 長所 は,不 安 定 な鉄道 部門 の収 支 か ら一般 会計 を守 る こ とがで き る こ とで あ る が, 一方,鉄 道 債 の 償還 が 不安 定 とな る欠点 が あ った。

こ う した 点 を考 慮 し,議 会の 提示 した解 決 策 は 次 の よ うな もの で あ った。 当該 年 度の鉄 道 部門 にお け る 黒字 は,そ の金 額 に応 じて,鉄 道 債 の 利 子支

鬣 鸛驪 鼕訟;轍纜 灘 Σ

当 時,政 府 の一 般 会 計が大 幅 な赤字 を示 し,他 方 鉄 道 部 門が 多額 の 黒 字 を計上 してい た。 その た め

総 鼕鰻 讒 叢 讒 鈩 立させること

とはい って も,同 法 案 は鉄 道 部 門が政 府 の一 般 会 計 と間接 的な 関 連 を有 しつ つ も,鉄 道 債 の 償還 を保 証す る もの で あ った。 同法 案 の改 正 案が 再 提 出 された1882年 に,進 歩党,自 由主 義連 合 な ど

繁 灘 のの議 会を覊 過招 千

と ころで,こ の 立法 の 実効 性は ど うで あ った ろ うか?な るほ ど,当 面 国鉄 は黒 字 を生 じてい た が, 一 般 会 計は 恒常 的 な赤 字 に悩 ま されて い た。 しか

纈 灘 靈攀窩欝 錺飜 御

こ うい っ た 事 態 の 解 決 は,1897年 に す べ て の 公 債 の 効 果 的 な 償 還 が 立 法 化 さ れ,1903年 に 鉄

ご濁 計か嚇 されて初めて実現した

国 有化 法 案の 通 過 に際 して,条 件 と されて い た も うひ とつ の点,邸 ち経 済的 保 証 と称 せ られ て い た の は,賃 率 の決 定 と改 正 及び 鉄道 行 政 の為 の 諮 問 機 関 の設 立 とい う問題 で あ る。

そ の 第一 点 は,賃 率政 策 は 全面 的 に 国会 の承 認 に よ って 行な われ るべ きか,或 い は 少 くとも賃 率 の 引 き上 げに 関 して 州 議 会に 共 同決 定権 を与 える べ き かが争 点 で あ った。 結 局,行 政措 置 に よる賃 率 の 引 き上げ に 規制 を加 え る形で,後 者 の 考 え方 が反 映 され る こ とにな った。 第二 点 は,鉄 道 行 政 に経 済 団 体 な どの利 害 をい か な る程 度 に,ま たい か な る形 で 反映 させ るか とい うこ とで あ った。 こ の点 の 解 決は,1882年 の 『国有 鉄道 と行 政 のた め の地 方 鉄道 評 議委 員 会 及び 州鉄 道 評議 委 員 会の 設 立 に関 す る立法 』に ゆ だね られた。 両 委 員 会の 構成 員は,一 部 は政 府 か ら任 命 され,一 部 は 商業 会 議所,農 業 経 営者 団 体,工 業経 営 者 団体 とい っ た利 害 代表 か ら選 出 され,任 期 は三 年 で あ った。

彼等 は,年 間計画,賃 率 問題 或い は 交通 業 者 の利 害 に直 接 関係 の あ る問 題 に対 して大 きな発 言 力 を もち,随 時政 府 に報 告 を求め る こ とが で きた ので

(6)

(26) あ る

〔第 二 次 計 画 的 国 有 化 〕

第 一 次 国 有 化 が プ ロ イ セ ン邦 内秩 序 の 形 成 を 目 的 と し て い た の に 対 し,1882年 の 法 案 に よ る 第 二 次 国 有 化 の 主 眼 は,非 プ ロ イ セ ン諸 邦 の 鉄 道 網 に 対 す る 影 響 力 の 行 使 に 置 か れ,国 境 を 越 え て 隣 接 鉄 道 と連 絡 す る 路 線 や トラ ン ジ ッ ト輸 送 の 一 部 と して 重 要 な 路 線 が 対 象 と な った 。

こ の 計 画 に 含 ま れ て い た 私 有 鉄 道 は,総 延 長 3,145kmに の ぼ る 七 つ の 企 業 で,東 部 で は ベ ル リ ン=ア ンハ ル ト鉄 道,テs一 リ ン ゲ ン鉄 道,コ ト ブ ス=グ ロ ー セ ンハ イ ン 鉄 道,ベ ル リ ンeゲ リ ッ ツ鉄 道,メ ル ク=ポ ー ゼ ン鉄 道,西 部 で は ラ イ ン=ナ ー 工 鉄 道,ベ ル ク=マ ル ク鉄 道 が 含 ま れ て い た 。㈲

〔FIG.5〕 〜 〔FIG.10〕 を概 観 ずれ ば,い か に 非 プ ロ イ セ ン諸 邦 を 意 識 した 計 画 で あ る か が 明 白 で あ ろ う。 と りわ け プ ロ イ セ ン 北 東 部 の 国 有 化 に 重 点 が お か れ て い る こ と が わ か る 。

ベ ル リ ン=ア ル ハ ル ト鉄 道 は ザ クセ ン,バ イ エ ル ン と の 交 通 に あ ず か り,申 部 ドイ ツ か ら フ ラ ン ク フル ト ・ア ム ・マ イ ンに 至 る ル ー トと して 重 要 な 位 置 に あ った 。 ベ ル リ ソ=7ル リ ッ ツ鉄 道 は べ

錨 三纛 誰 蓼緊 嬉 諮 犖

鉄 道 網 の い わ ば 心 臓 部 に あ る に も か か わ らず 〆 そ の 路 線 の 大 半 が プ ロ イ セ ン領 内 に 存 在 し て い な か っ・た 。 し か も,テ ユ ー リ ン ゲ ン政 府 が 同 鉄 道 に 株

麟 鸚 鵜謡 難㌍膿 欝 釿

西 部 に お い て は,ニ ー ダ ー ラ イ ン ・ヴ ェ ス ト フ ァ ー レ ン工 業 地 帯 を 縦 横 に 走 る ベ ル ク=マ ル ク鉄 道 搬 び フ ラ ンス との 国境 に 隣 接 した ライ ンー ナ

ー 工 鉄 道 が 対 象 と な って い る 。

以 上 の 路 線 の う ち,高 収 益 を 誇 った ベ ル リ ンe ア ン ハ ル ト鉄 道 と は 協 議 に とま ど り,承 認 が 次 の 会 期 に 持 ち こ さ れ る こ と に な った が,上 記 の 私 鉄 は す べ て 国 有 化 さ れ る に 至 った 。

こ の 間 の 経 過 は 〔TABLE.1〕 が 雄 弁 に 物 語 っ て い る 。

〔TABLE.1〕 プ ロ イ セ ン私 鉄 の 国 有 化(㎞)

年 次 国 鉄 国 営 私 有

1879/806,1983,525 1880/8111,3923,525 1882末15,3052,142

〔:典 拠 〕Albertya,a,0.,S.141

私 鉄

10,033 5,032 3,850

FIG.5ベ ル リ ン ・ ア ソ ハ ル ト鉄 道

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山田 ドイ ツに おけ る鉄 道 国有化 一 プ ロイセ ソの事 例 と財政 一

7

FI(}.6テ コ ー リ シ ゲ ン鉄 道

FIG.7コ ッ ト ブ ス=グ ロ ー セ ン ハ イ ン鉄 道 及 び ベ ル リ ン=

ゲ ル リ ッ ツ 鉄 道

Berlin

コ ッ ト ブ ス=グ ロ ー セ ン ハ イ ン 鉄 道

・ ベ ル リ ン=ゲ ル リ ッ ツ 鉄 道

(8)

FIG.8マ ル ク ・=ポ ー ゼ ン鉄 道 FIG.9ラ イ ン=ナ ー 工 鉄 道

F'IG.10ベ ル ク マ ル ク鉄 道

FIG.5〜FIG.12の 典 拠,StTeckenatlasderdeutschen Eisenbahnen,a・a.0.

〔 国 有 化 の 進 展 〕

プ ロ イ セ ン議 会 の 次 の 会 期(1883‑84年)

に お い て ぽ,ベ ル リ ン=ア ソハ ル ト鉄 道 の ほ か, シzレ ー ジ エ ン地 域 の 鉄 道 と シ ュ レ ス ヴ ィ ヒ=ホ ル シ ュ タ イ ンの 鉄 道 の 獲 得 が 対 象 とな った。 〔Flcy.

11〕 に み ら れ る よ う に,シ ュ レー ジ エ ン地 域 で は,と りわ け オ ー バ ー ・シ コ レ ー ジ エ ン鉄 道 が 重 要 で あ り,鉱 工 業 地 帯 を カ バ ー す る と と も に, 隣 接 した 諸 国 との 交 通 の 媒 介 と な って い た 。 同 鉄 道 と と も に,異 常 に 高 い 石 炭 運 賃 に よ って 利 益 を えて い た の が 〔FIG.12〕 の ブ レス ラ ウ=シ ュ ヴ ァ イ ドニ ツ=フ ライ ブ ル ク鉄 道 で あ る。 こ の 二 鉄

道 に 加 え て,レ ヒ テ ・オ ー ダ ー ウ ー フ ァ ー鉄 道 は い ず れ も 同 地 域 に あ っ て 高 配 当 を 維 持 して い た が, い ず れ も 国 有 化 の 対 象 と な っ た 、 こ れに よ って シ

ュ レ ー ジ エ ンに あ る 高 収 益 の 路 線 が す べ て 政 府 の も とに 置 か れ た の で あ る 。

シ ュ レス ヴ ィ ヒeホ ル シ ュ タ イ ン地 域 の 鉄 道 の 国 有 化 は,む し ろ 軍 事 的 色 彩 が 強 い も の で あ った 。

と く に ア ル トナeキ ー ル 鉄 道 は,キ ー ル 軍 港 を か か え,シ ュ レス ヴ ィ ヒeホ ル シ ュ タ イ ン地 域 か ら

ドイ ツ全 土 へ 行 く ル ー トの 一 部 と な って い た か ら で あ る 。⑳

同 会 期 に お い て 承 認 さ れ た 鉄 道 の 国 有 化 は 他 に

(9)

9

山 田:ド イ ツにお ける鉄 道 国有 化 一 プ ロイ セ ンの 事例 と財政 一

FIG.11オ ー バ ー ・ シ ュ レ ー ジ エ ン 鉄 道

も 多 数 み ら れ た が,な か で も ベ ル リ ン=ハ ン ブ ル ク鉄 道 との 協 議 は 難 行 を 示 した 。 とい うの も,企 業 の 設 立 に 関 与 し て い た 者 が 株 主 と し て 大 き な 発 言 権 を 有 し て い る う え に,路 線 の 多 く が プ ロ イ セ

ン領 外 に あ った か らで あ る 。鮒

以 後 の 時 期 に お い て も,プ ロイ セ ン政 府 は 積 極 的 に 国 有 化 を 推 進 し,1909年 に は

鉄 道37,400km 国 営 私 有 鉄 道0〃

鉄 道2,900〃

と な り,国 鉄 が 圧 倒 的 優 位 の 体 制 が 確 立 す る に 至 っ た 。1

(3)ロ ー カ ル 線 と 軽 便 鉄 道

プ ロイ セ ン政 府 に よ る 鉄 道 へ の 介 入 は,幹 (Hauptlinie)及 び そ の 支 線(Nebenlinie) の 買 収 に と ど ま らな か った 。

1880年3月9日 の 立 法 に よ って,政 府 は ロ ー カ ル 線 の 新 規 建 設 を 助 成 す る 決 定 を 行 っ た 。 当 然 の こ と な が らRカ ル 線 の 収 益 の 可 能 性 は 小 さ い た め に,民 間 資 本 の 参 加 見 透 しは 限 定 さ れ て い る 。

とは い え,ロ ー カ ル 線 の 建 設 は 地 方 の 企 業 家,土 地 所 有 者 に 利 益 を 与 え る ば か りで な く,政 府 も そ れ に よ っ て 幹 線 の 育 成 とい う メ リ ッ トを 享 受 で き た の で あ る 。鱒

FIG.12ブ レ ス ラ ウ=シ ュ ヴ ァ イ ド ニ ツeフ ラ イ ブ ル ク 鉄 道

こ の法 律 に基 い て,政 府 は ロー カル線 の 建 設, 経 営 及び 資金 調 達 に参画 し,ま た 地方 の 鉄道 に利 害 を もつ 人 々に 協 力 を仰 ぐこ とも しば しば あ った。

か く して,わ ず か7年 の うちに,3,870㎞ の ロー カル線 が 国家 の 手 に よ って 建 設 され たが,こ れは 同 時 期に 国家 に よ って建 設 された 幹線 延 長(118

㎞)を は る かに 凌 ぐもので あ る。

幹 線 か らは ほ とん ど しめ だ され,地 方鉄 道 の 大半 を も国家 に掌 握 された 私 的 資本 にた い して, プaイ セ ン国家 が保 証 して や った 吐 口は 軽便 鉄 道 で あ った.隗 指摘 され てい る が,そ の 鞭 鑓1こ す らも,政 府 は 介入 の 姿勢 を示 した。 軽 便鉄 道 の 資金 調 達 を容 易 に し,国 家 の不 必要 な支 出 をお さ えるた め に1892年r軽 便鉄 道 に 関す る法律 」 が 施行 された の で あ る。 これ に基 い て,半 官 半 民 の 会社 が 設立 され,国 家,州,郡 及び 民 間 の利 害 関 係者(土 地 所 有者,森 林 所 有者)が 参 加す る例 が しば しばみ られた 。 こ うい った 方法 で20年 の うち 1万 キ ロメ ー トルの軽 便 鉄道 が建 設 され,そ のた めに8億5千 万 マ ル クが投 下 されて い る。 そ の 内

(10)

訳 は,2億 マ ル ク が 政 府 に よ っ て,1億 マ ル クが 州 に よ っ て,同 じ く1億 マ ル クが 利 害 関 係 者 に よ って,1億8千 万 マ ル クが 地 元 に よ って,残 りは 一 般 投 資 家 に よ っ て 調 達 さ れ た の で あ る 。

(4)ラ イ 匕 と シ ュ ター トの 鉄 道 財 政

プ ロイ セ ンの 鉄 道 の 国 有 化 は,い か な る 財 政 的 効 果 を 有 し て い た の で あ ろ うか 押 〔TABLE.2〕 は, 計 画 的 国 有 化 の 始 ま る1879年 と,国 有 化 が 相 当 の 進 展 を み,か つ 公 債 償 還 が 制 度 的 に 確 立 しっ っ も鉄 道 財 政 が 一 般 会 計 か ら分 離 さ れ る に 至 らな い 年 次(1900年)を 選 び,ラ イ ヒ と シ ュ タ ー トの 鉄 道 財 政 を 比 較 す る も の で あ る 。 支 出 項 目 中,普 通 経 費 は 収 入 項 目 中 の 経 営 収 入 に よ って ま か な わ れ,ま た 同 様 に,特 別 経 費 は 公 債(つ ま り臨 時 収 入)に よ って ま か な わ れ る の が 原 則 で あ る。

ラ イ ヒに 対 す る シ ュ タ ー トの 圧 倒 的 優 位 は 明 白 で あ る。 こ こ で ヴ ュ ル テ ム ベ ル ク議 会 に お け る エ ル ベ ンの 演 説 を 想 起 し よ う。 彼 の こ とば を 借 りれ 「ドイ ツ鉄 道 制 度 に 関 す る 連 邦 参 議 院 の 正 当 な 支 配 」 で は な く,「 プ ロ イ セ ン鉄 道 省 の 多 か れ 少 な か れ 苦 痛 に 感 じ られ る 支 配 」 が 実 現 しつ つ あ る と い う こ と で あ る。 つ ま り,ド イ ツの 鉄 道 制 度 に 影 響 を 及 ぼ しつ つ あ った の は,ラ イ ヒ財 政 で は な

恥LE.2ラ ィ ヒ ・ シ ュ タ ー ト財 政 と 鉄 道 (単 位 マ ル ク)

収 入

i{is道

l!簽

1879年1900年 691,7422,197,350

25,936 73,321

20,92210,664 836,007,8762,696,726,573

136,780,657926,089,806

93,253,76963,850,394

725,6172,097,234

37,51989,743 913,823,9082,893,202,970

194,991,7721,398,513,639

50,228,61060,487,670

く プ ロイ セ ンの シ ュ タ ー ト財 政 で あ った 。 こ れ は 単 に 財 政 的 規 模 の 問 題 で は な い 。1879年 か ら19

00年 に ラ イ ヒ財 政 が3倍 以 上 に 増 大 し て い る に も か か わ らず,鉄 道 項 目 は さ ほ ど の 増 加 が み られ な い 。 これ に 対 して,シ ュ タ ー ト レベ ルで は,普 通 経 費 中 の 鉄 道 支 出 及 び こ れ を 弁 済 す る経 営 収 入 中 の 鉄 道 収 入 が 漠 大 で,し か も 財 政 全 体 に 占 め る 比 重 が 大 幅 に 増 大 して い る こ と は 注 目に 値 す る 。 収 入 で み れ ば,鉄 道 収 入 の 比 率 は21.3か ら4&3

%に,一 方 支 出 で み る と,鉄 道 支 出 の そ れ は16.4%

か ら34.3%に 増 大 し,財 政,と りわ け 歳 入 面 で の 鉄 道 収 入 へ の 依 存 度 が 桁 は ず れ に 高 い こ と が わ か る。 これ に 対 して,鉄 道 公 債 収 入 は 同 期 に 全 収 入 の5.5%か ら2.1%に,ま た 特 別 経 費 と して の 鉄 道 支 出 は 全 支 出 の6.3か ら2.4%に 低 下 を 示 し て い る 。 こ の 二 つ の 過 程 を詳 し く検 討 す る た め に,次 の 〔TABLE.3〕 〔TABLE.4〕 を参 考 し よ う。

TABLE.3

シ ュ タ ー ト財 政 に 占 め る 国 有 鉄 道 収 入 の 比 率

1879年 1880

..

1882 1883 1884

..

1886

..

...

..,

'・1

21.3

20.8 34.1 35.5 43.2 43.1 45.0 46.3 45.2 45.3 44.0 42.9

単 位%

1891年44.2%

189244.2 189345.7 189442.6 189545.7 189647.4 189748.4 189848.7 189949.3 190048.3

〔注 〕 鉄 道 公債 収入 及 び鉄 道 税 収入 を除 く

〔典拠 〕 『 ドイ ツ財政統 計 』

〔典 拠 〕加 藤 栄 一 ・林 健 久 編 『 ドイ ツ 財 政 統 計 厂

〔1872‑1913〕 』(東 大 出 版 会,1983年)

(11)

山田:ド イ ツに お ける鉄 道 国有 化 一 プ ロイ セ ンの 事例 と財 政 一

11

TABLE.4シsタ ー ト財 政 に お け る 臨 時 収 入 単 位 マ ル ク

臨 時 収 入 う ち 鉄 道 債 収 入

1879年98,337,380,50,228,610 1880281,588,549266,857,790 188170,980,22338,795,032 1882148,861,259121,173,503 188377,474,19773,825,540 1884123,447,699121,137,854 1885132,744,966127,634,774 1886104,575,09563,108,534 1887128,143,911.114,399,882 1888119,041,29289,523,616 1889157,043,577136,791,328 1890197,812,906146,737,870 1891171,534,964137,302,776 1892151,806,771106,600,744 1893127,072,80385,056,533 1894175,125,53572,105,414 1895114,535,10770,386,604 1896114,535,10770,386,604 1897110,071,25083,163,352 1898121,555,75459,135,392 1899108,915,47354,323,109 1900104,031,57860,487,670

〔、 典 拠 〕 『 ド イ ツ 財 政 統 計 』

〔TABLE.3〕 は,国 有 鉄道 収 入 の比率 が 国 家 財政 に おい て,年 を追 うご とに増大 してい る こ とを示 してい る。 と りわけ 第 一 次,第 二 次 計画 的 国有 化 の直 後 に,こ の比 率 が 著 る し く増 大 して い る こ と がわ か る。 そ して20世 紀初頭に は財政 収 入 の半 分 近 くを鉄道 に 頼 る事 態 に まで 至 ってい る。

〔TABLE.4〕 は公 債 収 入の大半が,鉄 道債 収 入 で あ る こ とを示 してい る。 鉄 道債 は 国有 化 の た めの 買 収 資 金に 用い られ た。 従 って1893年 以 降,鉄 道 債 収入 が 低下 して い るの は,国 有化 政 策 が一 段 落 した こ と を示 して い る。

お わ りに

プ ロイ セ ン政 府 に よ る鉄道 の本 格的 な 国有 化 は, プ ロイ セ ン内秩 序 の形 成 に と どまる もの では な か った。 非 プ ロイ セ ン ドイ ツ諸邦 に対 す る影響 力 の 行 便 に相 当 力点 が 置 かれ て いた とい うこ とは,逆 に 諸邦 の独 自な 鉄道 政 策 が なお 生 きて い た こ との 証 拠 に他 な らな い。 「連 邦」 と しての ドイ ツに対

す る 具 体 的 な 企 て が,ラ イ ヒ財 政 で は な く,シs タ ー ト財 政 を 通 じて の プ ロ イ セ ンの 政 策 展 開 で あ った とい え よ う。

プ ロイ セ ンにお け る鉄 道 の 計画 的 有化 は,プ イ セ ン内秩 序 の形 成 を 昌的 とす る1879年 の立 法, 及び 非 プ ロイセ ン ドイ ツに 対す る影響 力の 行 使 を 主た る 目的 とす る1882年 の立 法 を中心 に 展 開 さ され た。 この経 済 政 策上 の措 置 は,ド イ ツ帝 国財 政 で は な く,プ ロイ セ ン邦 財政 を通 じて,全 ドイ ツ的 影響 力 を持 ち えた ところに 特 異 性が あ る一 方, 鉄道 収入 は プ ロイセ ン財政 に比 較 に な らない ほ ど 大 きな収 入 をもた ら した の で ある。

(1)帝 国 次 元 の 政 策 に つ い て は,拙 稿 「帝 制 ド イ

ツ に お け る 経 済 政 策 の 二 元 性 一 諸 邦 の 鉄 道 政 策

と 帝 国 鉄 道 問 題 」 『 研 究 報 告 』(跡 見 学 園 女 子

大 学)第2号(1986年)参 照 。

(2)Keck,E,Geschicktederdeutschen Eisenbahnpolitik,Leipzig,1911,S.

120‑1

(3)derselbe,a.aO.,S.122‑3,Alberty,

Dθ ゲ ∬bθ γ9伽 σz蹴Staatsbahnsystem伽 Preussen,Jena,o.J24

(4)SchreibenandenHandelsminister DrAchenbach,Juni12・,1876in:

A腕 備 協 ・ん・ 鰰Wirts・ ん・!tsp・litik FiirstenBismarck,hx'sg.vonH.v.

Pos◎hinger,Berlin91.890,S.232 (5)Alberty,a.a.0・,5.32 16)Vegesach,Mvon,ZurVerstaatli‐

oん襯 σderpreussis・ ん θ%1ヲisenbaんne%, Berlin(1905),5.17‑8

(7)Alberty,aa.O.,S.33 (8)Keck,a.a.O・,S.124 (9)Vegesach,a.a.O:,S.17

ao)derselbe,aao.,S18,Jagtiani;】 ヨ【.

N,TheRoleoftheStateinthe,

Provisionof況 αづ'?〃α Ψs,1924,p.67;

Alberty,aaO.,S36;Kech,a.a.O.,S.

125

q])Keeh,a.a.0.,S.126̲7

(12)Albertya.a.O.,S.54‑5

(12)

(13)derselbe,a.a.O.,S.55,Vegesach,a.

a.OS.19こ の 法 案 の 全 文 はAlberty,S.

56‑8

qのJagtiani,op。cit,pp71‑5;Alberty, a.a.O.,S.62f;Kech,aa.Q.,S.128 (15)Alberty,aa.O.,S.58 (16)Kech,a.a.O.,S.128

¢ηAlberty,a.a.0.,S.ユ91

㈹Kech,a.a.0.,S.128‑9;Vegesach,a.a.

O・>S.20‑1

(19)Vegesach,a.a.O・,S.22;Kech,a.a.0・, S.129

(20)Vegesach,a.a.O・,S.44

⑳derselbe,a.a。0.,.S.49‑50;Alberty, a.a.O.,S.125u224Ef;Keck,a.a.O.,S.

129‑130

(22)Vegesach,a.a.0・,50‑51;Alberty,a.

a.O.,S.126

㈱Alberty,a.a.0.,S.128‑9法 案 の 条 文 は

derselbe,S.126‑8

鉄道 財政 に 関す る先駆 的 業 績 と して 松井 担

「プ ロイ セ ン国 有鉄 道 と ドイ ツ帝 国主 義 財政 」 (同 『 ドイ ツ帝 国主 義 史論 』松 井担 遺 稿,追 悼 集刊 行 会,1981年)が あ る。

⑳Vegesach,a.a.0・,S.52‑3;Kech,a.a.0., 5.131

⑳Kech,a.a.0.s.131‑2;Vegesach,a.a。

O・,S.53‑4

㈱Vegesach・a.a.0・S.45‑8・1882年 の 立

法 の 条 文 はAlberty,a.a.0、S.132‑6

⑳Kech,a.a.0.,S.134

(28)derselbe,S.135;Vegesach,a.a.O,,S.

27‑8

(29)Kech,a.a.O.,S.134‑5,Vegesach,a.a., 0.,S.27

⑳ 拙 稿 「 プ ロ イ セ ン に お け る 鉄 道 と 国 家 」 『 経

営 史 学 』16‑4 鋤Vegesach,a。a.0.,S.29‑30 e2derselbe

⑬derselbe,a.a.0.,S.31 GφClapham,J.H,EconomicDevelopment

ofFranceandGermany,CambridgeU.

P,1914,p.347

Jagtiani,op.cit,pp.71‑2

③㊧ibid,pp.73‑5

㈱ 中 西 健 一 『 日 本 私 有 鉄 道 史 研 究 』(日 本 評 論

新 社,昭 和38年)152ペ ー ジ

爾Jagtiani,oP.cit,PP75‑6

参照

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