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「身体感性教育」論構築に向けて

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1  問題の所在

 本研究グループが明らかにしようとするテーマは「『身体感性教育』の構築とその現代的意 義」であるが,この研究の目的を端的に述べれば,「身体感性教育」という研究領域をここで 新たに提起することである。

 この研究領域の出発点となったのは,フェルデンクライス・メソッドという身体訓練法の 自らの実戦経験をもとに展開された,哲学者リチャード・シュスターマンの「身体感性論

(somaesthetics)」である。その紹介が広島大学の学習開発講座の樋口聡によってなされてい るが,それを簡潔にまとめると以下のようになる。

 身体感性論とは,身体の経験と使用についての批判的,改良主義的研究を行なう一つの学 問である。すなわち,身体をよりよいもの(鋭敏な感覚を持った身体,感覚の機能が高めら れた身体)に変えていくために,身体への配慮を構造化し,身体への配慮を改良することを 可能にする知識,言説,身体訓練に関わる学問である。この論の基本的な考え方は,身体に 属する感覚による知覚に依拠することによって,知識や世界認識,「身体=自己」の知が成立 し,さらにはそのような「知」と身体的経験の洗練によって得られる「効果的な意志」の両 者を求める「正しい行為」もが認知され,また身体的快楽・楽しさの追求や自己制御の方法 にもつながるということである。そして,この論は,身体に関する存在論・認識論や社会学 的研究(身体論),身体訓練法についての包括的研究,そして実践そのものの三つの次元で構 成される。ようするに,身体感性論とは「身体感性に関する知」と規定されるべきものとい うことになる(1)

 シュスターマンのこの論では,五感を基礎とした感覚を中核に,日常生活での感性や倫理 的価値も扱われてはいるが,それらは,身体感覚的感性を媒介とした(実感的な)知覚ない し認識を基盤として「よりよい身体」を担う「自己」のあり方を身体的感覚のレベルで知覚 ないし認識しようとする認識論中心主義的なとらえかたになっているとみられる。

 感覚に基づく意識の働きには二つの相があると考えられる。一つは,感覚を媒介としての 直観的な対象認知や反省を伴う認識に向かう方向で,対象とするものの形態を客観的にとら

「身体感性教育」論構築に向けて

Constructing a Theory of Somaesthetics for Education 梅澤 啓一

Keiichi Umezawa

*立正大学社会福祉学部人間福祉学科

キーワード:身体感性教育,身体活動,価値判断,生活的価値意識,感性発達メカニズム

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えようとする相である。もう一つは,感覚を媒介として発達させた,快不快・喜怒哀楽など の生理的感覚的感性,楽しい・うれしい・かなしいなどの生活的価値意識としての日常的感 性,そして真善美聖などの理想的価値意識による高次の美的感性などを,対象とするものの 形態に主観的に付与する(価値判断ないし価値評価)相である。

 人間が対象に働きかけ,それを直接的間接的に変化させると共に,逆に,人間自らの身体 的精神的本性を変化ないし発達させる「対象的活動」という人間の営為に際しては,この認 識と価値判断の並行(≠交差することのない平行)的相互関係をとらえる必要があろう。受 容的側面を司る認知・認識を深めるにあたっても,対象との関わりを通じて,対象に新たな 価値を付与する主体的な「発信的契機」の側面が認知・認識の意識を高め,それまで気づか なかった新たな意味を獲得することにつながるのである。価値意識としての感性の相を軽視 して,認知・認識の相に単純に組み込んでしまったり,単に認知・認識に付随するものとと らえたりすることは危険である。

 このように,対象把握という人間的活動に際しては,認知・認識と価値判断の両契機の相 互作用関係(区別と連関の関係)を明確にとらえることが肝要である。例えば,我々は日常 的に「身体的実感」を体験し,身を以て外的対象の何たるかをとらえるのみならず,翻って 自らの身体を対象として,その変化や発達の相を自覚し,ひいてはそのような身体のあり方 や本性が何であるかをとらえている。しかし,それは単に五感の「息づき」というステージ の働きに留まってのものではなく,先に述べた生理的感覚的感性,生活的感性,そして美的 感性といった質的に高次化されたステージの感性の「躍動」によって得られているものであ る。では,そのような感性は身体そのものの内でなされる価値判断によって生じているもの なのか,それとも身体を媒介にして意識上にて価値判断されたものが身体に物象化されたも のなのであろうか。確かに日常的には感性は身体と一体のものとしてとらえられて,我々は 身体そのものを通じてあらゆる物事をとらえているかに「感じて」はいるが,身体のあり方 をこのようにとらえるようになっている過程とそのメカニズムを明らかにすることなくして

「身体感性論」を展開することは適わないであろう。

 樋口は,引き続いて,シュスターマンの説く実践的身体感性論の教育的価値とは,経験的 な身体感性の知が身体の気づきを鋭くし,我々の感覚の用い方を改めて教育すること,すな わち,感情や情緒を制御し,運動や行為を制御し,さらに習慣の再構成にも重要な役割を果 たすことであると紹介している(2)

 ようするに,身体に属し,身体の働きを統御している感性(というよりも感覚)の機能を 鋭く意識化し,「知」としてとらえるによって,よりよい身体ひいては自己のあり方を確立し ていくに際して,教育の存在が必要であるというのである。ここにも,「上位」に位置づけら れた知性が「下位」にある感性を制御し,そのことを通じて人間自身とその行為や姿勢を統 制していくという,認識論中心主義的なとらえかたの特徴が顕わになっている。感性と知性 とは相互に連関し合いながら,それぞれ独自の発達過程を経ていくものであって,主従の関

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係にあるわけではない。むしろ,価値観・世界観の形成と発達に大きく関わる価値意識とし ての感性が,知性や人間の活動・行為を定位し,それらの発達を方向づける役割を果たしつ つ,そのことを通じて,同時に自らの質を高次化していくという重要な契機に着目すべきで ある。

 とはいえ,シュスターマンの考え方にはこのような問題点ないし疑問点が認められはして も,「身体感性教育(学)」すなわち「身体的感性に関する教育学」を,「身体の働きを媒介と して,当の身体を構成する重要な要素である(感覚を含む)感性が関わって,身体・音楽・

造形などの表現活動を含むあらゆる人間的な諸活動の発生・発達に供する教育のあり方・方 法・内容を問題にする研究領域」という新たな規定の上に立って,新たに提起して展開して いくことは意味ある試みであろう。身体に備わる感性は,他の諸活動とそれらを司る独自の 感性の発生・発達にも関わりながら,同時に自らの感性も発達させていくと考えれば,この 研究領域は人間発達の根幹の役割を果たしているとみられるからである。

2  身体そのものの持つパラドクス

 ここで, 1 章で挙げた「感性は身体そのものの内でなされる価値判断によって生じている ものなのか,それとも身体を媒介にして意識上にて価値判断されたものが身体に物象化され たものなのであろうか」という問題を解決しておかなければ,身体感性の発達の過程とメカ ニズムを探ることが適わなくなる。そこで,人間的主体を意識ではなく身体ととらえるメル ロ = ポンティの考え方を検討したい。彼の論点をまとめると,以下のようになる。

 謎は私の身体が〈見るもの〉〈触わるもの〉であると同時に〈見えるもの〉〈触わられるも の〉だという点にある。私の身体は見ている自身を見,触っている自分に触わる。私の身体 は自身にとっても見えるものであり,感じうるものなのだ。それは一個の自己である。それ は混在やナルチシズムによって,つまり〈見るもの〉の〈見られるもの〉への,〈触わるも の〉の〈触わられるもの〉への,〈感ずるもの〉の〈感じられるもの〉への内属によって一つ の自己なのである。この謎は,身体と世界との両義的関係によって成立している。すなわち,

見えるものであり,動かされるものである私の身体は,世界の織目の中に取り込まれており,

一つの物である。しかし,一方で,私の身体は自分で見たり動いたりして,自分のまわりに 物を集めるが,それらの物はいわば身体そのものの付属品か延長であり,その肉の内に象嵌 され,言葉の全き意味での身体の一部をなしている。したがって,世界は,ほかならぬ身体 という生地で仕立てられていることになる。例えば,セザンヌは「自然は内にある」と言い,

アンドレ・マルシャンは「森の中で…中略…樹が私を見つめ,私に語りかけているように感 じた日もある」と言った。ここには,画家にとっては,「同じ物があちらの世界のただなかに も,こちらの視覚の中にもあるのだ」という「感覚的なものの再帰性」によって,「身体に とってあるがままの感覚的世界」が存在している。こうして,「画家はその身体を世界に貸す ことによって,世界を絵に変える」のである(3)

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 以上のようなメルロ = ポンティによる現象学的な「感覚的なものの再帰性」の分析にみら れるように,人間が人やもの・事象と関わり合う際には,意識上の諸過程が捨象されること によって,自らの身体を感覚的に全ての根幹ととらえる「錯覚」とも言うべき意識の物象化 作用が働いていると考えられる。日常的な生活や実践においてこのような身体性の次元での 認知や実感・感動がクローズアップされることは,そこに人間性がまぎれもなく立ち現れて いるように感じ取られるので,身体を中心としてあるいは切り口として物事をとらえていく ことは有効であろう。しかし,教育などを介して人間自身が反省を媒介として発達して行く 際や発達研究に際しては,このような物象化に至る身体と関わる意識の発達過程をたどり,

そのメカニズムを明らかにする必要があるであろう。

3  意識および人格の発達過程のメカニズムの探究

 意識の発達過程を弁証法的に展開するということでは,ヘーゲルを挙げないわけにはいか ないであろう。彼の『大論理学』(1812-16)から,発達のメカニズム解明に添うようまとめ 直すと,以下のようになる(4)

1 .「即自 an sich」の段階 :「最初の直接的なもの」を意味している。新しい対象的活動開始 以前なので,それによる内的矛盾を覚えず,発達の可能性を持ちながらも発達の契機とな る分化を見ない即自的な統一の状態である。

2 .「対自 für sich」の段階(即自の否定):「自己を自分自身の他者として措定(自分の否定)」

を意味している。対象的活動を通じて新しい局面に出会い対応しきれないと,自己の内部 の即自的な状態に矛盾を来たし,これを否定し,対立意識を生み,意識内の他者との関係 において自己を自覚する。自らの在り方を分化し,多様な可能性を実現し,自らを多様な 形で示す。

3 .「即かつ対自 an und für sich」段階(対自の否定=即自の否定の否定):「矛盾の止揚(相 関関係の否定)」を意味する。対自段階で分化し,自らの多様な可能性を実現したが,即自 段階で含み持っていた積極的側面がその多様性の内に保存されていることに気付き,この 積極的側面と新しい多様性である現実態との相関関係を否定し(すなわち,他のものとも 豊かな関係を取り結びながら),発達した自己のあり方を統一させる。

 この 3 つの弁証法的発達過程において,「即自 an sich」の段階では,主体としての身体意 識は,即自的に感覚と一体化した身体を媒介として,世界に対して一方的な〈見るもの〉〈触 わるもの〉という態度をとる。しかし,次の「対自 für sich」の段階(即自の否定)では,

身体意識は世界に対する自分の身体を意識し,身体を〈見えるもの〉〈触わられるもの〉とと らえる。そして,最後の「即かつ対自 an und für sich」段階(対自の否定=即自の否定の否 定)において,メルロ = ポンティの言う「身体にとってあるがままの感覚的世界」を感じ取 り,主体を身体についての意識ではなく身体そのものとしてとらえるという物象化的現象が 引き起こされ,ここに至る意識上での過程が捨象あるいは度外視ないしは忘れ去られて,身

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体の存在だけがクローズアップされて感じ取られることになるのである。即自の段階と即か つ対自の段階では,一見同様に身体が主体のようにとらえられているが,即自の段階の身体 意識は例えば乳児のように,身体と感覚とが即自的にすなわち未分化に一体化したものであ るのに対して,即かつ対自の段階では,例えば画家のように,人生と芸術に関わる様々な経 験や体験を対自の段階として経た上で獲得した,高次元の身体意識である。とはいえ,もち ろん,この三つの弁証法過程は人生において一度限りのものなどではなく,人間の発達の各 ステージにおいて質を高めつつ繰り返されていくことは言うまでもない。

4  個人の発達の系からのメカニズムの探究

 このような身体感性の発達過程とそれを推し進めるメカニズムを個人の発達の系から探る にあたっては,メルロ = ポンティの論文「幼児の対人関係」(1950-51年)も参考になる。彼 は,さまざまの対人関係を取り結ぶ主体としての自我を,純粋意識としてではなく身体と規 定した上で,幼児の「鏡像」に対する意識の変遷過程の分析し,自我は自己意識である以前 に身体であり,また,いわゆる間主観性も原初的には間身体性であることを論証した(5)  しかし,ここでは,身体に関わって発生する意識の問題を解き明かそうとしている浜田寿 美男の『身体から表象へ』という著作の検討を進めることにする(6)

 浜田は,同書の目的を次のように述べている。

 発生上の順序に忠実であろうとするかぎり,最初にあるのはやはりあくまで身体である。

身体で直接に周辺の時空世界をなぞり,また身体でもって人どうしがたがいにやりとりをか わし,この身体の世界の編み目のうえに表象の世界が立ち上がっていく。そこではじめて私 たちの生活史を支える舞台がととのう。しかし,そうしていったん舞台がととのえば,こん どはそれがまるで最初から存在し,私たちの生活を包んでいたかのように錯覚する。そこに 奇妙な反転が生じてしまう。この最後の反転を含めて,「身体から表象へ」の過程を発生の順 を追って,順行的に記述することが当面の課題である。

 そして,この課題のために,浜田は,ワロンが述べる,以下のような「場面の知能」,すな わち,現前の場面に対応して適合的な行動をしていく知能の観点をもとに,ピアジェの発達 論を再検討している。

 外的な知覚の場,主体の欲望,嫌悪,感情的傾向,そこから生じる姿勢,態度,運動など を融合させて一種の力動的体制をつくりあげ,行動に適切な目的と手段を与えて,そのとき そのときの印象のなかから,その成功にもっとも有効なものを集めてくる。

 浜田は,この「場面の知能」の考え方からワロンを評価し,ピアジェの論を機械的な段階 論と見て,ピアジェによる弁証法的な発達的展開をとらえていないようである。例えば,ピ アジェは感覚運動的世界から表象的世界への展開こそが重大な節目と見ているが,ワロンで はこのような連続はなく,「場面の知能」に位置づけられた,身体的なパースペクティブの中 での適応行動とみているとしている。

(6)

 しかし,このとらえ方では,感覚運動的世界から表象的世界への展開を場面に応じた非連 続な適応ないしバリエーションととらえるのみで,前者を基盤としてはじめて後者が成り立 つという弁証法的な連関の関係を探ろうとしないことになってしまうであろう。問題は,発 達の各段階(stage)を限定的な定められた一点ととらえるのではなく,同質でありながら多 様な発達のあり方を認める「場」「場面」「舞台」ととらえ,そのような各 stage がいかなる 弁証法的なメカニズムで以て展開されていくかを探ることであろう。

 とはいえ,浜田によるピアジェの乳幼児期の発達論再考はある程度弁証法的連関を踏まえ ざるを得ないものとなっており,それを整理すると以下のようになる。

第 1 段階 誕生~ 1 ヵ月 反射的行動

持って生まれた反射的行動パタンを刺激状況に合わせて行使する的身体のおかれた場面 の圧力に推されて動き出す「共鳴動作 coaction =共同の場の力動」

ex. 他の乳児が泣き出すと自分も泣き出す。

第 2 段階 生後 1 ~ 4 ヵ月 自分の身体を使った繰り返し反応〈第 1 次循環反応〉

模倣に近い散発的行動―自己身体にかかわる循環反応が生じ,そこから獲得性のシェマ が生まれる時期

ex. 自分の行動レパートリーにあるものを相手から真似られることではじめて触発され る。

第 3 段階  4 ~ 8 ヶ月 物を取り入れた繰り返し反応〈第 2 次循環反応〉

直前に自分でやっている行動でなくても模倣するが,本人の行動レパートリーにすでに 含まれているものに限られ,自分の目で見たり聞いたりできる部分に限られる。

第 4 段階  8 ~12ヶ月 対象の永続性の理解

自分の行動レパートリーにない新しい行動の模倣ができはじめる。共鳴動作のときのよ うな最初からの一体性ではなく,いったん自他の区別を介在させたうえでの一体性が実 現自自他を区別しつつ自他を重ねる,自他を重ねつつ自他を区別する(身体どうしの交 感),この模倣による 2 重化こそが表象世界への鍵を握る。

第 5 段階  1 ~ 1 歳半 心的表象の始まり

以前見た行動が内面化され,それを心の中で保持する力である表象機能が生じてくる。

能動的な探索活動が出てくる。

 表象的ないし前表象的要素≠視覚や聴覚の認知的イメージ        =姿勢-情動を含む身体的なもの

…模倣は身体の外の何かによって導かれるものではなく,むしろ身体そのものの内部 にはらまれたものが,あたためられ,そののちに具体的な模倣の仕草として現れ出て くる

第 6 段階  1 歳半~ 2 歳 延滞模倣のはじまり(以前に見たことを思い出してマネをする)

外界に対する自分の動作に興味を持ち,新しい手段を試してみるようになる〈第 3 次循

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環反応〉

模倣もふりも,当のイメージや思考から導かれるものでなく,むしろ逆にそのイメージ や思考が模倣やふりの身体動作そのものに内包されている

 ここには,反射的行動を起点として,持って生まれた身体的素質に即して自らの身体的活 動の枠組みであるシェマを形成していき, 1 歳頃から心的表象を媒介として外部から能動的 に新しい身体的活動を取り入れつつ,子どもの自分らしい個性の一側面として位置づけられ る独自の身体活動シェマを成立させていく過程と方向が示されている。

 しかし,ここでは,感性については身体に関わっての共鳴,交感,情動,興味などが扱わ れているに過ぎなく,身体と感性との発達連関を踏まえての,この両者の発達過程とメカニ ズムについては明確とは言えない。

 身体の発達を取り扱った他の文献としては,田中昌人らが人間発達の諸側面の連関をとら えながら,弁証法的な発達過程とそのメカニズムを「可逆操作の高次化における階層-段階 理論」(7)として打ち立てているが,そこでは対人関係における情動の発達に留まり,感性全般 については不明なままである。その他の文献では,身体能力や運動能力の成長の様子の記述 に留まっていたり(8),身体意識の発達過程の記述(9)であったりと,身体と感性との関係に踏み 込むものは見つけ難い状況である。

5  乳幼児期における身体感性の発達過程とそのメカニズム

 そこで,これらの文献も部分的に参考にしながら,筆者が遊びの発達論について,かつて 考察した際の事例を再度取り上げて(10),乳幼児期に限定されはするが,身体と感性の発達連 関を踏まえた発達過程とそのメカニズムを検討することにしたい。

 その際,問題解明の根幹となることは,人間=身体が感性を媒介として対象(人,物,事 象)といかに関わり,同時にそれらをいかにとらえるか,また,このことを通じて,逆に,

人間が身体自身を対象としてこれをいかに感性的に発達せしめるかということである。

 感性は対象に付与された価値意識であるが,そのような意識は対象の何に対しての価値判 断によって生じるのであろうか。それは,客観的に実在するものの中に,主体が対象的活動 を通じて認めた本質的な諸側面を活動の対象として再構成し,客体化(=認知・認識)した もの,という意味での「現実 reality の形態」(≠実在 existence の形態)である。ようする に,それは「人間に関係づけられた現実性」の形態であるが,この形態は同時に価値判断の 直接的な対象でもある。ここから,感性を「現実形態価値意識」と規定する。すなわち,現4 実形態に価値を見いだす意識4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4である(11)。我々は,日常生活において,認知・認識と価値判断

(ようするに,知性と感性)とを統一して働かせることによって対象をとらえていることを経 験的に認めているが,それはこの現実形態が両者を媒介する役割を担っているからである。

物事が統一されるからには,このような両者を結びつけるものの存在を特定し,そのものが いかに変化・変形し,その変化・変形に応じて知性と感性とがいかに質を変えて行くかの相

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をとらえなければならない。したがって,ここでは,身体の対象(外的対象および身体自身)

としての現実形態変化と,それに価値づけられる感性の質的変化(発達)をたどることが求 められる。

 子どもは,対象的活動において,対象(素材,遊具,仲間などのものと人)に能動的に働 きかける際,その活動へ没入・集中することによって,現実的な自己自身から自発的に離れ,

対象と一体化する(筆者はこれを遊戯状態と呼んでいる)。すなわち,子どもは自己を対象に 転化すると同時に,対象の中に自己自身が一体になっているのを確認する。その際,子ども は,感性と理性とを統一させて発揮できる自らの最大の能力を使って,対象の形態を変形し

(素材の直接的な形態変形,遊具の機能形態の変形,仲間関係という形態の変形など),その 変化させた形態に快・不快・喜び・楽しさ・恐さ・うれしさなどの感性的価値づけを成す。

同時に,それを媒介として,子ども自身の心身の能力や人格の形態の変形(=発達),すなわ ちそれらの自由性を自ら獲得することになる。

 感性と関わる諸カテゴリーを,参考までにまとめておくと,以下のようになる。

感覚(五感)↗ 認知・認識↘ 価値 …両者は現実形態を媒介物として相互連関的に並行して発達

◎感性=現実形態価値意識

○情動・感情・気分・情緒

=新たな現実形態に対峙し,その形態に対して評価(価値判断)して生まれた新し い価値によって,それまでの感性(価値意識体系)が質的構造変換をせまられる 際に生じる価値の量的側面が,エネルギーとして現象的に発生する意識の働き

・情動=食物,飲み水,空気摂取,防寒,性的欲求,自己保存の本能などへの有機的欲 求の満足あるいは不満と結びついた最も単純な体験

・感情=常に対象性を帯び,一定の対象や現象によって引き起こされるもの     気分はこれらの状態を,情緒は比較的高い年齢での高尚な感情を指す

 以上のような考え方から,身体活動が,個人の発達の系において,特に感性と関わって,

いかなる時期に,いかなる契機で生起・分化し,さらに諸活動といかに相互作用的に働き合っ て行くかを見,その発達のメカニズムを探る。その際,発達における新しい基本単位の産出 による決定的な質的転換期である「階層」,この階層間の飛躍的移行の媒介項としての「次階 層の準備期」,さらに各階層における基本単位内での質的転換期である「段階」という「階層

-段階」の構造枠(12)を特定し,その弁証法的な発達過程をヘーゲルの「否定の否定」の法則 を援用して,感性と身体との発達のメカニズムの全過程を跡づける。

⑴ 階層 1  生理的感覚的感性と未分化な活動( 0 歳から 2 歳なかば頃まで)

 階層 1 は,自らの心身の姿勢ないし状態に対する快・不快を基礎とする自己目的的な生理 的感覚的感性と,探索活動を主とした未分化な生活的活動を特徴とし,発達の可能性を持ち ながらも発達の契機となる分化を見ない即自的な統一の状態である(即自❶)。従って,本階 層では,子どもにおいて身体と感性は一体ものとして成り立っており,それらを対象化して

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乳幼児期における身体活動を媒介とした感性発達のメカニズム

2012 梅澤啓一 階層-段階 発達年齢 身体と感性の発達的特徴 螺旋 1 螺旋 2 螺旋 3 階層 1 0 歳から 生理的感覚的感性と未分化な活動

・ 自らの心身の姿勢ないし状態に対する快・不快を基 礎とする自己目的的な生理的感覚的感性

・ 身体活動は,自らの心身の姿勢ないし状態を対象と した内的活動に止まり,生活的諸活動と身体活動と の区別はなく,外界の状況や自らの心身状態の諸形 態を探るいわば「探索活動」を主とした,身体その ものが意識されていない未分化な活動を特徴とし,

発達の可能性を持ちながらも発達の契機となる分化 を見ない即自的な統一の状態

即自❶ 即自①

◯段階 1 6,7か月頃 対象(形態)意識の発生と感性の分化の芽生え

(親しさ,愛着,不安など) 即自⑴

○段階 2 10か月頃 周囲への働きかけと基本的感性の表出

(喜怒哀楽などの基本的感性) 対自⑴

●階層 2

の準備期 1 歳なかば

頃から 感性の多様化と身体活動シェマの芽生え

(自我の発生,達成感,気持ちの整え,泣く・喜ぶなど の多様性)

対自①

○段階 3 2 歳前後 感性の保持とイメージや身体活動シェマ形成へ

(自我の拡大) 即かつ

対自⑴ 階層 2 2 歳なかば

頃から 感性(生活的価値意識)と身体活動シェマの分化(発生)

・ 生活的価値(使用価値 : 有用性とそれに基づく有用 感,生活の中で見いだした,対象に対するたのしい,

うれしい,かわいい,きれい,かわいそう,こわい などの個別的な感性内容)を,直観的レベルでとら えた身体活動形態に対象化し,そのことによって同 時に感性の質も高める(ただし,まだ普遍化せず保 存はされない)

・ 具体的な生活場面で得た生活的価値を直接的に体現 ないし表現する身体活動の意識のめばえ(身体活動 が,生活の一側面としての役割を持ちはじめ,意識 されだすようになる)。特定のシェマによる身体活動 の開始(分化のはじまり)

対自❶ 即かつ 対自①/ 即自②

○段階 1 2 歳後半か

ら 3 歳頃 イメージをもとにした意識的な身体活動のはじまり

(自我の充実,たのしい,うれしい,かわいい,きれ い,かわいそう,こわいなどの個別的感性内容)

即自⑵

○段階 2 4 , 5 歳頃 意図を伴う独自な身体活動の展開とそのイメージの拡大

(見出した身体活動形態への思い入れと満足感) 対自⑵

●階層 3

の準備期 5 歳なかば

頃から 感性の保存と身体活動シェマの形成 対自②

○段階 3 6 歳頃 感性を主題にした意識的な身体活動の開始 即かつ 対自⑵ 階層 3 7 歳頃から 感性(生活的価値意識)と身体活動シェマの独立(成立)

・ 具体物に即した感性の独立(具体物に即して論理的 に思考することと併せて,具体物に即した価値意識 や感情を保存)。対象に対する「やさしさ」や「おも しろさ」などの感性内容が羅列的ないし並列的にと らえられる段階から,「うれしさ」や「かなしさ」な どの感性内容が相補的な意味合いを持ち,これらが

「ない交ぜに」なったような複雑なものへの質的変化

・ 実在意識を成立させ,生活のなかに実在する事物のを見る 形態やそれにこめられた感性(生活的価値意識)を 直接的に把握し,この感性を主意とする活動意図を,

活動手段として独立させた身体活動シェマによって そのまま説明的に体現化しようとする素朴な観念に 基づく身体活動( 7 歳以前までは,身体活動は生活 の一部分に過ぎず,この活動の特殊性が意識されて いない)

即かつ対自❶ /即自❷

即かつ対自② /即自③

(10)

意識に登らせることは基本的になく,身体活動のシェマ(行動としての枠組み)として認め られる明確に固定された形態は成立していないとみられる。従って,この時期の発達上の特 徴を「生理的感覚的感性と未分化な活動」と規定する。

段階 1  対象(形態)意識の発生と感性の分化の芽生え( 6 , 7 ヶ月頃)

 観察例 1 は, 6 カ月半ば頃の女児が,吊られた 鈴や輪などを紐で遠隔操作して,音と動きを出し ている操作活動である。何とか音を出そうと真剣 になって,それが達成されるための身体的動作の 形態を得ようと操作を試みている目的的活動であ る。紐が容易にうまく操作でき,思うように音が 出ることが,快感情につながり,音が鳴ることと 引っぱる活動とが同一の楽しみを生み出すものと してとらえられるようになると,紐を引っぱる身

体活動が成立するのであろうが,ここではまだその段階に至っていない,自由性を欠く段階 とみられる。

 生後 6 , 7 ヶ月頃には,特定の人やものに対する働きかけを媒介として対象の現実形態意 識が生じ,この形態に対する価値意識や感情が客体化され,感性の分化が芽生える(親しみ,

愛着,不安など)。この時期は,他方で初期の人見知りに見られるような,周囲のものや人へ の一方向的・固定的な働きかけとそれに伴う感性の発生を示すが,対象の形態を感性に定位 されながら意識する最初の芽生えとして注目される。現実形態意識の芽生えは身体活動の発 生につながる第一歩であると考えられるので,この時期を階層 1 の段階 1 「対象(形態)意 識の発生と感性の分化の芽生え」(即自⑴)と規定する。

段階 2  周囲への働きかけと基本的感性の表出(10ヶ月頃)

 観察例 2 は,10ヶ月の女児が, 1 歳 3 ヶ月の男 児が衣類棚を開けて探索しているのにつられて,

棚を伝ってつかまり立ちし,さらに,彼を足台に して棚の中を覗き込んでいる様子である。

 この時期の子どもは,周囲のあらゆる人やもの に働きかけ,またそれらを取り込み,気持ちの交 流を行い,喜怒哀楽などの基本的な感性を率直に 表情に出し始める。この観察例に見られる女児の 行動も,男児の行動への興味と棚の中のものへの

興味から,模倣というよりも自らもそうして中身を確かめ・見てみたいという明確な目的を 持ち,男児を踏みつぶすことも顧みない「必死な」探索活動である。

 しかし, 6 , 7 ヶ月頃の周囲の人やものへの一方向的・固定的な働きかけと,それに伴う 観察例 1 ( 6 カ月半ば頃 女児)

観察例 2 (10ヶ月 女児)

(11)

感性の分化の芽生えの時期を経て,階層 1 内の発達的特徴の枠内ながら,対象との関わりや 感性のあり方を分化させ,多様な可能性を実現し,自らを多様な形で示すようになったこと が,身体活動のシェマの発生につながる可能性の広がりを見せていると考えられる。この意 味で,この時期を階層 1 の段階 2 「周囲への働きかけと基本的感性の表出」(対自⑴)と規定 できよう。

階層 2 の準備期 感性の多様化と身体活動シェマの芽生え( 1 歳なかば頃から)

  1 歳なかば頃の時期では,例えば,観察例 3 の ように,保育者主導の「食事ごっこ」などで,保 育者が「パクパク」と言って食べるふりをして見 せると,子ども達も同じようにする「ごっこ遊び」

めいた4 4 4(ごっこ遊びの萌芽)活動が生じる。これ は,興味・関心を覚えた保育者の活動の型を模倣 しているのであるが,模倣といっても受動的なも のではなく,感性に定位された意識的な身体的活 動である。

 観察例 4 も,気になっている人間の側に来て,

持っている物を差し出し,受け取ってもらい,次 には逆に差し出されたものを受け取るという繰り 返しが「受け取りごっこ」めいて4 4 4なされる例であ る。コミュニケーションや対象的活動を通じて様々 な身体的活動の形態が次第に形成されるようになっ ていることがわかる。

 すなわち,この時期では,自我の発生に伴い,

複数の視点から対象に働きかけ,人やものとの関

係を広げ,達成感,気持ちの整え,泣く・喜ぶなどの感性の多様性を発生させ,同時にこの 感性の働きに定位されて,身体を通じての様々な活動のシェマが芽生えるのである。

 このような発達的特徴は,階層 1 の発達的特徴である「生理的感覚的感性と未分化な活動」

(即自段階①)が分化し多様性を展開した姿として,対自段階①と規定されよう。この方向性 は,生理的感覚的感性から生活的価値意識としての日常的な感性への転化,および未分化な 活動から意識的な身体活動への分化を促す兆し(芽生え)を示すものとみられる。従って,

1 歳なかば頃の時期の特徴は,「感性(生活的価値意識)と身体活動シェマの分化(発生)」

(即かつ対自段階①,同時に次階層の即自②でもある)を発達上の特徴とする階層 2 (階層 2 の規定については後述)の準備期として措定され,「感性の多様化と身体活動シェマの芽生 え」規定できよう。

 準備期とは,この時期を含む階層に属し,その基本単位に制約されてはいるが,次階層の 観察例 3 ( 1 歳 3 ヶ月~ 1 歳 5 ヶ月)

観察例 4 ( 1 歳 3 ヶ月 男児)

(12)

新しい基本単位の展開を準備する「萌芽」が見え隠れする時期のことである。保育や教育の 上で,このような萌芽期の発生のメカニズムをとらえることは,その契機をとらえ次階層へ の発達を促す有効な指導のあり方を決定するに際して必要不可欠のものであろう。こうして,

対自段階①であるこの準備期を媒介項として,階層 1 は即かつ対自段階①としての発達上の 決定的質的転換期である階層 2 へと飛躍的移行を遂げることとなる。

段階 3  感性の保持とイメージや身体活動シェマ形成へ( 2 歳前後)

 観察例 5 は, 1 歳10ヶ月の女児が,生活発表会 の練習を舞台でしている年長児たちの様子を見て,

自分も一緒に踊っているところである。模倣から 出発してはいるが, 1 歳なかば頃のように,保育 士らの動作に合わせてその活動の意味をそれほど 理解しないまま真似ているのではなく,自らの踊 り方の身体的シェマを作り上げようとしていると みられる。

 また,観察例 6 は,こちらと目を合わせ,「アッ カンベー」をして見せているところである。この 時期のこの種の活動は,条件反射的とも思える程 頻発に,しかも恣意的に現れる。活動の展開や発 展性はほとんど見られない単発的なものに終わる が,コミュニケーションの一手段として,このよ うな行動が適用され,そのための身体活動シェマ が確立しつつあるのが見てとれる。

 このように, 2 歳前後の時期の子どもは,対象 への働きかけを飽きずに繰り返したり,他の活動

へ移行したりしながら,自我を拡大し,対象や活動への感性的価値意識を保持するようにな り,イメージと活動のシェマを形成しはじめる。様々な活動のシェマを形成しながらも,ま だ普遍化や保存には至っていないが,そのときどきの対象形態に対する個別的な感性内容を 保持したり,諸活動そのものへの意識が成立しはじめており,階層 2 「感性(生活的価値意 識)と身体活動シェマの分化(発生)」への飛躍的移行を間近にしているものと考えてよいで あろう。

 この時期は,すでに 1 歳なかば頃の階層 2 の準備期「感性の多様化と身体活動シェマの芽 生え」の特徴を発展させながらも,まだ意識的で明確な身体活動の形態が分化(発生)して いない階層 1 の枠内に留まっている。この意味で,この時期を階層 1 の即かつ対自段階⑴と 特定し,その特徴を「感性の保持とイメージや身体活動シェマ形成へ」と規定できよう。

観察例 5 ( 1 歳10ヵ月,女児)

観察例 6 ( 2 歳 男児)

(13)

⑵ 階層 2  感性(生活的価値意識)と身体活動シェマの分化(発生)( 2 歳なかば頃から 7 歳頃まで)

 階層 2 は,生活的価値(有用性とそれに基づく有用感を意味する使用価値,生活の中で見 いだした,対象に対するたのしい,うれしい,かわいい,きれい,かわいそう,こわいなど の個別的な感性内容)を,直観的レベルでとらえた身体活動形態に対象化し,そのことによっ て同時に感性の質も高める(ただし,まだ普遍化せず保存はされない)。そして,具体的な生 活場面で得たこの生活的価値を直接的に体現ないし表現する身体活動が,生活の一側面とし ての役割を持ちはじめ,意識されだすようになる。すなわち,特定のシェマによる身体活動 の開始(分化のはじまり)の時期である。これは,身体と感性とが即自的に一体化していた 前階層(即自❶)に対して,自らの在り方を分化し,多様な可能性を実現し,自らを多様な 形で示すことによって,発達した身体と感性との区別と連関を自覚する対自❶の階層 2 に至っ たことを示す。従って,この時期の発達上の特徴を「感性(生活的価値意識)と身体活動シェ マの分化(発生)」と規定する。

段階 1  イメージをもとにした意識的な身体活動のはじまり( 2 歳後半から 3 歳頃)

 観察例 7 は,砂場でケーキなどをつくって「ま まごとごっこ」をしていた時, 2 歳 7 ヶ月の男児 が葉っぱをうさぎの耳に見立てて「うさぎケーキ」

をつくってみんなに提示した場面である。保育者 主導ではあるが,観察例 3 に示した 1 歳なかば頃 の「ままごとごっこ遊び」めいた4 4 4(ごっこ遊びの 萌芽)活動のような単なる模倣や感覚的な行動で はなく,一つの意図的・意識的な活動として成立 している。イメージが先行し,それに従って類似

した材料でものを作っている。実際にケーキを作るわけではないことは十分承知しながら,

調理の形式を独立させて「作る真似」という一つの活動を意識的に展開しているので明確に 遊びと呼ぶことができよう。ある主意を持って形を作る過程は造形表現活動であるが(造形 表現活動の分化),造形の意図やこれを提示して「ままごと」に参加する過程は「ごっこあそ び」であり,遊びの形態として分化している。ここには,意識的に発達せしめた手指の巧緻 性における身体活動の分化も見られる。このように,同様に分化しはじめた諸活動が相互に 連関し合い,転化し合い,影響し合い,有機的とも言える総合性を持った活動が展開・発展 し,またこの過程を通じて,分化した諸活動の質をも高めて行くことになる。

 ようするに,階層 2 では,未分化であった探索活動から諸活動が分化し,相互連関をしな がら発達していくと共に,活動の推進役としての身体と感性も即自的な一体化を脱し,区別 と連関のもとに発達していくのである。

 観察例 8 は, 2 歳なかばから 3 歳前半の子ども達が,散歩の途中,保育者より先に行き,

観察例 7 ( 2 歳 7 ヶ月 皿を持った男児)

(14)

塀の所に隠れ,保育者を驚かせようとしている場 面である。保育者は当然その企てを知っており,

塀の上から子ども達の様子を覗きつつ,子ども達 と同時に「ワッ」と驚き合うタイミングをはかり ながら歩いている。 1 歳なかば頃の時期では,保 育者が子ども達に「この塀に隠れて,後から来る 子ども達を驚かししてやろう」などとけしかけ,

かくれんぼを組織していたものであるが,この時 期になると自分達で進んで互いを組織しあうよう

になっている。これも,子どもである自分たちが大人である保育者を「驚かしてやるのがお もしろい」という日常生活で生まれた感性の定位による意識的な身体活動が分化したあり方 を示している。

 観察例 9 は,自転車に乗っていた子どもを中心 に保育者が呼び掛けて,列車ごっこをしている場 面である。丸太を駅に見立て,そこで座って園庭 を一周してくる列車を待ち,列車が来たら交替し て乗るというルールを,保育者が子どもの要求に 添って提案し,子ども達が積極的にこの活動に加 わって行く様子が見られた。複雑な遊びのルール を作り上げることはまだ無理であるが,一定のルー ルに従って,集団的なまとまりを保ちつつ楽しむ

ために,自らの身体活動を調整し,必要に応じて身体機能の発達を自ら促していくことが可 能になってきている。

 以上のようなことから, 2 歳なかば頃から 3 歳代にかけてのこの時期の特徴としては,自 我を充実させ,日常生活の中で働きかけ見い出しかつ感性的価値付けをした対象の現実形態

(たのしい,うれしい,かわいい,きれい,こわい,かわいそうなどの感性的内容を含み持っ ている)からイメージを呼び起こし,そのイメージをもとに意識的に身体を使った活動を展 開し,しかも他の諸活動とも連関させながら意識的に行ない,発展させて行くようになるこ とが挙げられよう。これら諸活動の分化とその発展は,生活上の活動体験から得られたイメー ジをもとに組み立てられているが,このイメージによって組み立てられた諸活動が,さらに は,逆にこれまでには見られない生活そのもののスケールの拡大や質的発展をもたらしてい る。

 以上から, 2 歳後半から 3 歳頃の時期を階層 2 の段階 1 (即自⑵)として措定し,その特 徴を「イメージをもとにした意識的な身体活動のはじまり」と規定する。感性の質としては,

自我の充実,たのしい,うれしい,かわいい,きれい,かわいそう,こわいなどの個別的感 観察例 8 ( 2 歳なかばから 3 歳前半)

観察例 9 ( 2 歳なかばから 3 歳前半)

(15)

性内容である。

段階 2  意図を伴う独自な身体活動の展開とそのイメージの拡大( 4 , 5 歳頃)

 観察例10は,朝の内まだクラスのメンバーが集 まりきらない時間帯に,異年齢の子どもたちと共 に, 4 歳なかば頃から 5 歳なかば頃の子どもが主 となって,気ままにホールに集まって様々な活動 をしている場面である。手前では布をほうり上げ て受け止める遊びを繰り返している。向こうでは 段ボールを頭に乗せて運んだり,取り合ったり,

橇にしたりして遊んでいる。普段の諸活動の中で 興味を持ち,面白いと思った活動を,何の脈絡も

なく断片的にこの場で思いついたままに,多様な遊びとして展開している。それなりに楽し み,楽しみを見い出すために様々に可能性を探っているのだが,この場合明確に一つの遊び 体系をつくり出そうとするものではないので,あまり発展性はない。別の場面で何らかの活 動をするときに参考になるものと思われる。しかし,感性の赴きのままに身体をかなり自由 に動かせるようになっている。

 観察例11は,テレビアニメの音楽に合わせてそ れぞれ異なる動作をし,それぞれの踊りの型作り をすると共に,そのことを楽しんでいる場面であ る。様々な場合に自由に活用できる動作の型(シェ マ)が,個々それぞれに確定しつつある。遊びに も,演技にも応用可能な状態である。これ自体は 音楽にあわせて表現しようとする意図的・目的的 な活動であるので遊びとは言えないが,自分の興 味に合わせてアドリブを行なったりして「遊びの 部分(剰余の部分)」も一定部分を占めている。

 この後,今度は各人が作っていたキャラクターのベルトを締め,主人公になり切って音楽 に合わせて踊った。このことによって,個々ばらばらな踊り(演技≠遊び)が,時にはそろ い,時にはそれぞれの型でなされながらも,全体としてまとまりを持つものとなった。

 以上のように,4 ,5 歳頃の子どもの特徴としては,相対的な時間空間観念を芽生えさせ,

目的や主題を先に決めて独自の方法や仕方で活動を行いながらも,全体をまとめて一つの新 しい活動の形態を生み出して世界を広げ,これらの活動形態に満足感などの感性的価値付け を行なうことを介してイメージをさらに広げていこうとすることなどが挙げられよう。

 人との関わりも通じてイメージが量的質的に拡大・発展することによって,身体活動の形 態も他の諸活動と共に次第に明確なものとなり,身体活動の形態と他の諸活動の形態とが相 観察例10( 4 歳なかばから 5 歳なかば頃)

観察例11( 4 歳なかばから 5 歳なかば頃)

(16)

互に形態変換する関係と,しかも,身体活動の形態がその関係の媒介役をしていることが,

複雑ではあるが明瞭にとらえられるようになって来ている。

 これらのことから, 4 , 5 歳頃のこの時期は,階層 2 「感性(生活的価値意識)と身体活 動の分化(発生)」の発達ステージに属すると共に,その段階 1 「イメージをもとにした意識 的な身体活動のはじまり」の時期( 2 歳後半から 3 歳頃 即自段階⑵)を経て,この特徴が 多様に展開した段階 2 (対自段階⑵)と措定されよう。そして,その発達的特徴は,「意図を 伴う独自な身体活動の展開とそのイメージの拡大」と規定できよう。

階層 3 の準備期 感性の保存と身体活動シェマの形成( 5 歳なかば頃から)

 観察例12は, 5 歳なかば頃から 6 歳なかば頃の 3 人の子ども達が,乗れるようになった一輪車を 集団で挑戦している場面である。高度な均衡感覚,

技術,精神的調和,真剣さなどが必要であり,こ れを成就することによって,危険を伴う反面,そ れを乗り越えた楽しさを得ることができる。持て る能力を最大限に駆使し,夢中によって生じる「遊 戯状態」を介して,うまく乗りこなすこととその 面白さという自己目的のみを追求しているので遊 びと呼べよう。個人的力量と集団の力を統一させ た高度な遊びを実現することができる身体活動機 能とシェマを形成し,身体活動のあり方に焦点を 当ててその能力を錬磨するという,身体活動その ものの独立(成立)へ向けての萌芽の時期(準備 期)であることが見て取れる。

 観察例13は, 5 歳なかば頃から 6 歳なかば頃の 子ども達が,落ち葉を集めてビニール袋に詰めて 作った「足に余る ?」重い「サッカーボール」を

蹴り試している場面である。これでサッカーなどができるとは思っていないようだが,試し てみる事にあきもせず挑戦している。傍から見れば,とても続きそうにもない試みであるが,

新聞紙の切れはしや本物のサッカーボールを蹴って比べてみたり,蹴り方を様々に工夫して みたりしている。多少でも動けば操作できる対象と判断するのであろうか。サッカーのよう なルールのあるゲームにはとうてい行き着かないが,蹴って動かすことのみに集中し,その 面白さを追求している遊び活動と見られる。この後も,この重い「サッカーボール」を手で ほうり投げてみたりした。自分たちで作ったものが何者であるかを知り尽くしたいという感 じである。これは子ども達共通の思いであるらしく,いつのまにか順番を待つために自然に 並んで立ち,順に投げ,どこまで投げられるかと距離を競うゲーム遊びへと展開していた。

観察例12( 5 歳なかば頃から 6 歳なかば頃)

観察例13( 5 歳なかば頃から 6 歳なかば頃)

(17)

あらゆるものを主体的に何らかの遊び活動へと手段化するために身体を駆使することができ る年齢に至っているとみられる。

 以上の例に見られるように, 5 歳なかば頃からの時期では,日常生活の中でとらえた感性 内容を諸活動形態に具体化して構成するようになり,これを通じて感性の質を高めるととも に,その保存も伴いはじめる。諸活動の具体的な構成が主体的になされるようになるという ことは,「今」や「ここ」を起点にした相対的な時間空間観念が成立しはじめ,脈絡ある活動 形態の構成とその遂行のための効果的なコミュニケーションが可能になり,また,それを通 じて,自己形成視(自分を対象としてその成長の変化をとらえること)の芽生えや集団的自 我(集団の中の自分という意識)の形成がなされ始めることを意味する。

 身体活動についてのここでの発達的特徴を概括すれば,「感性の保存と身体活動シェマの形 成」ということになる。この発達的特徴は,階層 2 の発達的特徴である「感性(生活的価値 意識)と身体活動シェマの分化(発生)」(即自段階②)がそのあり方の多様性を実現すると 共にシェマの形成ヘと向かいつつある点で,対自段階②と規定されよう。この方向性は,感 性と身体活動そのものの独立への転化を促すものとみられる。従って,この時期の特徴は,

「感性(生活的価値意識)と身体活動の独立」を発達上の特徴とする階層 3 (規定については 後述する)の準備期として措定できるものと考えられる。こうして,対自段階であるこの準 備期を媒介項として,階層 2 は即かつ対自段階②(同時に即自③)としての発達上の決定的 質的転換期である階層 3 へと飛躍的移行を遂げることとなる。

段階 3  感性を主題にした意識的な身体活動の開始( 6 歳頃)

 観察例14は,生活発表会で演じる予定の劇「ね ずみのすもう」の演技を,子ども達中心で演じつ つ工夫している場面である。保育者の発問に応じ ながら,日常生活で体験している諸活動や遊びの 形態を応用して,より効果的な演技の仕方と内容 を互いに意見を出し合いながら構成している。所々 で熱中して「遊戯状態」に入り,そこから新しい 演技の形態を生むかと思えば,逸脱して単なる戯 れをしたりもするが,その戯れという遊びの形態

がまた別の新しい演技の発想につながったりもする。もちろん,これら考案の大半は,劇全 体の構成の中で押さえられ,落ち着くべき形態に収まることが多いのであるが,劇のイメー ジの内容を膨らまし質を高める大きな役割を担っているものとみられる。 5 歳なかば頃から,

日常生活における身体活動を発展させて,フィクションとしての身体表現活動の萌芽がみら れるようになってくる。ここでは,演技とそうではない戯れとがどこかで連関しながらも,

明確に区別され,それぞれの働きが意識されはじめているのである。子どもはこれら演技も 日常生活の一側面ないし延長と見ており,身体活動を日常生活から独立させて,明確に身体

観察例14( 6 歳代)

参照

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