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飯田恒作の綴方教育論研究

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飯田恒作の綴方教育論研究

大 内 善 一

(1984年11月5日受理)

は じ め に

一私が最も残念だと思つてゐるのは,これまで経験を粗末にしてゐたといふことです。長い間綴り 方の研究をしてゐますが,誇るに足る何物も有ってゐません。日に日に見出す新な疑問に,私は痛切に

自己の貧しさを感じます。もし私が自己の経験の尊いことにもつと早く目覚めてゐたなら,この長い年 月の間に私は相当の自信が出来たに違いありません。一  (P.73)

この言葉は,大正4年11月から昭和16年3月まで,26年間にわたって東京高等師範学校附属小学校訓 導を勤め,その間ひたすら綴轍育研究に取り組んできた飯田恒作が昭和2年のr楯研究』(鷺藪翻 麩難属小学校内)誌1月号に発表した「勧方研究者としての行き方」という論考の中で述べたもの である。この中で,飯田は,さらに「これまで綴り方の研究として公にされたものに,研究といふ名に 価するものは無いといってもよいくらひです」と断言している。っまり,実際家の経験が粗末に取り扱 われ,その主張に独断が多い点を指摘し,その綴方研究法に対する自覚の乏しさを批難することによっ て,自らの綴方教育研究態度をも厳しく反省しているのである。その後,今日まで半世紀を経ているの であるが,この飯田恒作の指摘はそのまま今日の教育現場の教育研究態度にもあてはまるかもしれない。

そこで,これを自らへの戒めともするために,飯田恒作の綴方教育研究観や実際の研究方法及び内容等 を分析し,実際指導に携わる者としての作文教育研究及びその実践への方途を探ってみようと思う。

なお,本論考をまとめるにあたって参考にした飯田恒作の著書,論文は以下の通りである。

・r馳方の内面的研究』大正13年9月天地翻・r藷謬畿綴方の新指導』大正14年4月

培風館 ・『綴方指導の組織と実際』大正15年4月 目黒書店 ・『綴方の本質と指導の実際』昭和 3年11月 郁文書院 ・『綴る力の展開とその指導』昭和10年9月 培風館 。『綴方教育』昭和11 年3月 藤井書店 ・『綴方教育の学年的発展』昭和14年11月 晃文社

・『教育研究』誌に発表された諸論文一「学習としての綴り方」大10・7,「綴り方の指導系統」大 10・8,「随意選題か課題か」大10・11,「綴り方研究者の行き方」大11・4,「綴り方協議会の感想」大 12・7,「綴り方の研究と先輩の暗示」大12・8,「綴り方指導系統案の論争」大13・1,「綴り方研究者として

の行き方」昭2・1,「綴り方の指導案」昭6・12,「尋常三・四学年綴方指導要項批判」昭7・6,「高学 年の綴方傾向と各学年の指導要項」昭7・10,「綴方教育上改善すべきこと」昭12・1,「綴方教育と腹案 考」昭12・8,「綴方教授細目と根本方針」昭13・4,

・『教育研究』臨時増刊一綴方研究号(第二十回全国訓導綴方協議会)大正12年11月

1.実際家としての綴方教育研究態度の形成

飯田恒作の主著と目される畷る力の展開とその手旨導』(昭1・・9魍館)は,r藷礫義綴方の新指

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導』(大14・4培風館)と同様に,同一児童の同一題の綴方作品を6年間にわたって蓄…積し,表現の上か ら児童創作生活の発達の様相をとらえようとしたものである。倉沢栄吉氏は,この書について,「何百と ある綴り方作文研究書の中でも異色あるもの」1)という評価を下している。とまれ,この研究内容の意義 については後述することにして,まず,こうした方面からの研究を志した飯田の綴方教育研究態度がどの ように形成されていったのかということについて探ってみようと思う。

飯田恒作は,昭和3年11月に自著『綴方の本質と指導の実際』(郁文書院)を発行するに際して,その自       1

序の中でこれまでの自らの綴方教育研究の歩みを回顧して三っの方面を提示している。すなわち,「本質 論的方面」「児童の創作生活を凝視した方面」「指導の実際を組織立てた方面」である。そして,これら 三つの方面を追求してきたのがこれまでの自著であるr綴り方の内面的研究』r藷麸鐵綴方の新指 導』『綴り方指導の組織と実際』であるとしている。これらの三著書は,飯田の大正期三部作と言われ

るもので,その綴方教育研究の出発・展開・総括という発展の一貫性は,昭和期に入ってもいささかも 揺らぐことなく,やがて,主著『綴る力の展開とその指導』に結実していくのである。

さて,この主著に結実された綴る力の学年的発達の検討と,これに基づいた綴方指導段階の組織(ニ 綴方の学年別指導要項の設定)といった研究方向は,r晶礫叢綴方の新指導』で語られるところに よればかなり古いことになる。まず,同一児童の同一題材の綴方作品を蒐集し始めたのが,大正6年4 月に入学した自らの担任児童45名によるものからである。ところが,滑川道夫氏は,飯田がこのような 研究方向をとった動機及び方法論の設定に,「当時の東京高師の教官小野島右左雄と,当時その助手であ った依田新と当時心理学科の学生であった阪本一郎」2}らの側面的な協力と影響があったであろうと想定 している。しかし,この想定のし方は少なくとも飯田が思い立った研究方向と三人の心理学者との相互 関係という面に関して誤解を生みやすいと思われる。確かに,飯田らは,滑川氏が引用指摘するように,

東京高等師範の附属小で毎月一回研究会を持ったようであるが,これは昭和8・9年頃のことで,それも 1年ほどで立ち枯れになったと阪本一郎は回想しているぎしてみればこれら三人の心理学者からの示 唆・影響は昭和10年刊行の『綴る力の展開とその指導』において何らかの形であったとみてよいであろ

慨そもそもの児童創作鰍の発達に関する研究への動機は,これより1・年程前1こ刊行されたr藷蕩 恍ヤ方の新指導』よりはるか以前にあったという事実を確認しておかねばなるまい.っまり,鯛 が自らの担任児童の綴方作品の蒐集を始めたのが大正6年からであるという事実を見落としてはなるま いと思うのである。そして,阪本一郎の回想にも,小野島右左雄が阪本に対してこの『綴方の新指導』を 読んでおくように命じたとあり,この著書が阪本に「始めて綴方の世界に魅力を発見」させてくれたと あるところなどからも.むしろ,飯田の方がこれらの心理学者に多くの示唆・影響を与えたのではないか とも考えられるのである。阪本は,飯田が8歳も年下の小野島教授に対して終始謙虚な態度で接してい たとも回想している。飯田の実際指導に携わる者としてのこのような研究態度をこそ問題にすべきであ

ろうと思われるのである。

さて,論がいささか本筋からそれたが,要するにここで考察しようとしているのは,綴方・作文教育 史上の実際家及び研究者の中でもひときわ異彩を放っている飯田恒作の綴方教育研究への姿勢である。

その姿勢がいっ頃より,どのようにして胚胎したかということである。

そこで,注目したいのは,飯田が大正10年の『教育研究』誌7月号に発表した「学習としての綴り方」

という論文である。この中で飯田は,「学習」概念を自然習得的な広義のものと区別して「一定の計画の

下に行はれる各自体の純化である」(R13)と規定し,「盲目的な,その場限りの経験ではなく,積極的な

適応であり,また経験の統整でもある」と述べている。そして,綴方教育の世界に従前からζのような

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積極的な指導としての学習でなく,自然習得的学習が行われてきていることを厳しく批判しているので ある。すなわち,「綴り方教授ほど自由で,放任で,場当りで,独断で一即ち無系統であり暗中模索で あるものはないと思われる。」と述べて,こうした状態を「綴り方が如何に個性的創作的の教科であって も,肯定し難いことである。」(PI9)と断じているのである。また,飯田は,綴方教授の発達を和歌の 発達と比較しつつ,明治時代に入ってからの個性尊重を標榜した短歌革新運動と同様,綴方教育界のこ こ10年来の個性尊重の思潮の内実について考察している。そして,大正10年代における自由主義的個性 尊重の綴方教育が「児童の心理一創作の心理的発達を知らないために,個性をどう純化するかの実際

に迷つて」(R16)行詰まってしまったとし,綴方の個性・独自性を生かし,その指導の規範を生み出す ために,「児童の創作心理の発達」に関する研究が必要であると唱えているのである。

      ●   ●      ●  o  ●  ●

ニころで,こうした考え方が,大正10年代後半より世上を賑わしてきていたいわゆる随意選題論争と 無関係でないことはいうまでもないことである。いずれにしても,飯田の児童創作心理の発達の研究と,

これに基づいた綴方指導の実際案の組織化・系統化という研究方面が,以上のような綴方教育観より胚 胎していることは注目しておくべきである。

さらに,飯田は,大正11年の『教育研究』誌4月号の「綴り方研究者の行き方」4}という論考において,

近年の綴方研究の二つの潮流を批判的にとらえ,同時に,自らの綴方教育研究の歩みを省みつつ,新た な研究方向に目覚めた経緯を述べている。まず,近年の綴方研究の二っの潮流を一般的創作論から迫る

ものと指導系統論から迫ろうとするものととらえて両者の長短を分析している。前者は,創作の本質や 直観と表現の心理を知ることを可能にするが,指導論としては余りに高遠に過ぎたり,迂遠であったり

するものが少なくないとし,これに比べて,後者は,綴方を学習として妥当な方案を求めようとするた め,概して常識を疑うような研究は行わないととらえている。しかし,この両者は共に科学的な根拠を 持ち得ないという事情においてよく似ていると述べている。そこで,長い間実際家として児童の綴方を 指導している者には相当の児童観があり,教育観があるのだから,これに創作論・芸術論を持った者が 指導の妥当性を求めたときに真に価値ある綴方教育が出来るのだと主張するのである。

続いて,自らの研究態度の変遷に関して以下のように述べている。

その頃は,まだ私のやうな実際家にとつて,最も適当である一といふよりも,実際家でなければ

      ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●

o来ない,そして綴り方独自のものである,児童の創作心理を研究するといふことに余り気が附かな かつた。所謂創作心理,所謂芸術論で,児童の芸術,児童の創作心理の尊いことを知らなかつた。近 頃行はれてゐる,児童を離れた創作論が,私のその頃狙つてゐたものであつた。(P6)

要するに,飯田は現時点のように児童の創作心理の発達を研究しなければならないと思い至る以前に 自分にも近年の一潮流である児童を離れた創作一般論を研究していた時期があったと謙虚に反省してい るのである。そうして,結論として,綴方教育の実際家が芸術論を知り,一般の創作心理を学び,教育 論の洗礼を受けると同時に,児童に即した創作心理を根本のものとして持ち,そこから児童に即した妥 当な指導規範を見出していかなければならないと主張しているのである。ここで,飯田が芸術論や創作 一般論からも綴方教育の本質的価値を汲み取っていくべきであるとするのは,自らの綴方教育研究の三 方面の一つとしてく本質論的方面〉をも重視するという態度を持してきたからである。そして,飯田の この方面での研究をまとめたものが『綴り方の内面的研究』(大正13・9)であり,この中では,さまざ まな芸術家・創作家の創作心境を多方面にわたって引用紹介しつつ,そこから綴方の指導規範を導き出 そうと試みている。ここには,飯田の綴方教育研究態度の初期の姿がみてとれるのである。

このようにして,飯田は近年の綴方教育界の潮流を批判しつつ,同時に,自らの研究態度の変遷も謙

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虚に省みて,その研究の方向性をより確かに把握していくのである。加うるに,飯田は周到にも従前の 綴方研究に関した歴史的発達にも学ぼうとする姿勢を示している。それは,大正12年の『教育研究』誌

8月号の「綴り方の研究と先輩の暗示」という論考にうかがえる。

飯田がこの論考において考察した綴方研究の歴史的発達の歩みとは,明治38・9年頃から東京高等師 範学校附属小の訓導諸氏による一連の綴方教育革新の叫びにっいてであった。飯田は,具体的には,佐

々木吉三郎の『国語教育法集成』(明治40年》富永岩太郎の『実験講話大教授法』(明治39年),森岡常 蔵の『各科教授法精義』(明治38年)の三著書を分析考察しつつ,この時代の綴方教育思潮を以下の五点 に集約している。

1 作文教育の名から綴り方の教授へ  2 形式から本質への暗示  3 消極から積極への過渡 期  4 各科教授法から専門的の研究へ  5 発達段階から来る暗示(項目のみ P123〜124)

飯田は,これらの思潮がそれぞれに不十分な面を持ちつつも,今日までの綴方教育研究に相応の影響 を与えてきていることを認めている。このうち,2と5については,〈暗示〉という言葉を付している ところからもわかるように,飯田の綴方教育研究態度の基底を成すものとして積極的に評価しているの である。殊に,5については,この時代の綴方教授法を見ると,一般的。抽象的ながらも発達段階論が ほとんど踏まえられているとして,自らの研究態度を固める礎としていることがわかる。

こうして,飯田の綴方教育研究態度は,①芸術家や創作家の芸術論や創作一般論から学ぼうとする本 質論的研究,②同一児童の同一題の綴方作品を長期間にわたって蓄積し,これによって児童創作意識の 発達の方向を探ろうとする研究,③前二方面からの研究成果によりつつ,綴方指導の組織化・系統化を 図る研究,の三方面からの姿勢によって一貫していて,その総合的な成果は,『綴る力の展開とその指 導』に結実したとみることができる。そこで,以下にこの著書に基づいて,主に第②,第③の方面から

の研究の具体的成果について概観してみようと思う。

2.児童創作意識の発達の研究

(1}綴る力の学年的発達の調査研究

飯田恒作が試みた児童創作意識の発達の研究は,担任学級の児童に昭和4年4月から昭和10年3月ま での六年間にわたって,毎年「おとうさん」という文題による課題作文を実施し,これを分析すること によって「同一の児童が,学年の進むにつれて如何に観方が発達するか,それが構想の上に如何に現れ るか」(R17)を明らかにするという方向で行われている。なお,文題を「おとうさん」と設定したのは,

それが「自己の構想力によってまとめなければならないもの」,「共通の経験を有つてゐるもの」,「高学 年に至つても対象の余り変化のないもの」(以上R16〜17)であるという理由からである。そして,調査 資料としての作品のとりあげ方は,「調査を簡潔に運ぶ為に,尋常一学年,同三学年,同五学年の作品だ けを資料とし,これを更にA・B・Cの三組に分類して,各組から五名つつの代表者を選」(P17)び,

A・B・Cの組は,五学年末の成績順(各教科の合計点)によって分けている。飯田が児童の綴る力の 学年的発達の段階を低・中・高の三段階として把握していたことについては,後年,飯田自身が「学年 的発展といつたところで,さうはつきりと各学年間の発達が区別出来るものではない。発達は徐々に進 むものであつて個人差の大であるのは前述の通りである。だから綴方は教科の本質上低学年,中学年,

高学年の三段くらゐに眺めた方がよいと思つてゐる。」5)と述べているがこうしたとらえ方は,概ね妥当

であったといえよう。

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さて,研究の手順として飯田は,まずこれら15名の児童の作品を個人ごとに考察し,続いて学年単位 の綴る力を考察するという周到な形をとっている。考察の中心は,綴ろうとする素材に対するく観方の 展開〉という面に置かれ,これが綴方作品の起文・結文や構想力の発達との関係でどのような学年的発 展をみせるかという面にも置かれている。したがって,飯田の場合は,文章め起・結の問題を吟味する に際しても,「修辞学や文章学の上から起・結として見るべきものと,児童の観方の展開に即して文の始・

終として見るべきものでは多少の相違がある」(R96)として,主に後者の面に即して考察しているので ある。飯田が「文の起・結は単なる技巧上の問題ではなく,実は題材の全面的な把握と,表現のテーマ

と,観方の展開に重大な関係を有つことが解ると思ふ」(P88)と述べて,文章の表現形式面と内容・構 想面とを関係的にとらえている点は注目すべきである。さらに,飯田は,構想面の発達ということに関

しても,「創作の用意」として素材に関する「観方の多方的な用意」(P95)があれば,綴り出してからの 仕事は容易なはずであるとして,これを「観方の展開」ととらえるべきであるとも述べている。そして,

このような暗示を創作家の創作態度から得ているのも,飯田の言う本質論的綴方教育研究という方面と この児童創作意識の発達の研究との関連をつけているという点でやはり注目しておかねばなるまい。

次に,飯田のこの調査研究の考察内容をみていくことにしよう。

まず,文章の起・結に関しては,創作の一般的理念から素材の観方が自ずと文章の起文と結文をして 一種の命題や結論のような形に展開させるという仮定を立てて,こうした視点から低・中・高学年の各 児童の綴方作品を分析している。その結果,「文の結には,作者の中心的な感情や思想がかなり現れてゐ る」として,「しかも高学年に進むに随つて,その色彩が濃厚である」ととらえている。さらに,「文の起 と結が照応して来て,首尾一貫する作品の多くなるのも興味ある事実であると思ふ」と述べて,「この種 の傾向を単に文の起・結の問題に限定せず,作品を全面的に眺めて,児童の観方の展開を考察するのは,

私にとつて更に興味ある研究でなければならない」(P.134)と結んでいる。ここでは,綴る力のうち,文 章の起・結を構想の一種ととらえ,これを観方の展開と関連づけておさえているのである。

続いて,低・中・高各学年の児童作品の全体的な構想展開についての考察内容をみてみよう。

低学年の児童作品の全体的傾向を示すものとして,①「思ひ出したことを,思ひ出した順序に綴つて ゐる」もの(B組1児童),②「時間の順序」で綴っているもの(A組D児童),とがある。①の1児童の 作品では,「ボクノオトウサマハ」という具合に主語を省略しないで七回も繰り返している点や「ソシテ」

という接続詞を六回も使用している点を指摘して,この時期の児童の素材の現し方を理解するための好 資料と意義づけている。そして,この頃の児童作品には,ほとんど構想と認むべきものを発見できない

としつつも,②のD児童の場合に,「ダケドモ」という接続詞の使用や「タイテイノ日ハ」といった現し 方に「作者の観方の展開性が閃めいてゐるのだから見落してはならない」として,この作者の綴る力の 将来の展開性(一発展性)を認めているのである。

次に,中学年の児童作品の構想展開として,多くの児童作品に共通する傾向として,観方が多方的で 取材の範囲がかなり広くなり,内面的な萌芽(一部児童の批判的なものの見方も含めている)を見せる 者が出てきていることが指摘されている。また,文を細かに綴る傾向に伴って対話が多くなり,これに よって文章が描写的に具体化されている点も指摘し,さらに,「この頃になつても対話を挿んで文を綴ら ない児童は,多くは小さく概念化してゐる優等児童か,乃至は内容の貧しい劣等児童である」(P。164)

として対話の有無を綴る力の展開の一指標と認めている。そして,中学年児童の作品の構想がこのよう に多方的に展開するのは,この時期に児童の観方が非常な発達をしているからであると考察して

いる。

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さらに,高学年では特に著しい進歩として,「観方が多方的で内容が豊かになつて来たこと」と同時に,

「ものを批判的に観てゐるといふこと」の二点をあげ,こうした傾向を一言にして言えば,「児童の観方 が内面的な意味づけを行つてゐるといふこと」になると述べている。また,この学年の児童のほとんど 全てに認められる著しい傾向としては,先にみておいたように,文章に起・結のあることが指摘されて いる。例としては,C組K児童の「家の父はきげんの良い時はとても面白くて,怒つてゐるととてもこ はい。」という起文と,これに対する「僕にとつて大じな大じなお父さんは,僕は大すきである。これか らもつともつと孝行しなければならないと思ふ。」という結文を提示している。児童の構想意識の発達と して特に注意を促している点である。

飯田の以上のような調査研究の眼目は,考察の中心を,綴ろうとする素材に対してのく観方の展開〉と いう面において,いわば認識力(=ものの見方,感じ方,考え方)の拡充・深化の相を6年間という学 年的発展の段階でとらえていこうとしたところにある。しかも,当時,形式主義的,技巧的な綴方とし て退けられがちであった「現し方」(=表現形式面)の方面も幅広く視野に入れて調査の対象に加えてい る点,殊に,文章の起・結の問題を構想展開の一種として把握し,文章全体の問題としている点は,表 現形式面から認識的側面をとらえていこうとする試みとして興味深いものとなっている。

飯田は,児童の生活なり事象なりが創作的な観方の展開に即して構想されたものか,「文の想乃至は内 容」であるとし,こうした加工を「想化作用」と呼び,この作用が「素材を整理し,これを変容し,更 に成長させて一つの作品として完成」(R135)させるとしている。つまり,飯田は,便宜上素材に対する

「観方の展開」に対して「綴ることに関するすべての技巧(=素材の整理・変容・成長はいふまでもな く,文字や言葉の如き外的な表現に関するすべてのもの……筆者注)」(R135)を「現し方の展開」(=構 想展開)として分けて考察しているが,それも自ら一つのものの両面であると述べているように,相互 補完的なものとして把握しているのである。例えば,文章の起・結と観方の展開との関係や「ダケドモ」

などの接続詞の使用と観方の展開との関係などにそれがうかがえる。要するに,飯田は,文章表現にお ける内容面と形式面とを「観方の展開」という,いわばく認識的側面〉から統一的に把握して,その学 年的発達段階をとらえていこうとしたのである。

では,このようにして調査研究された結果を土台としてつくられた「綴方の指導要項」がどのような ものであったのかという点を,飯田の綴方指導の系統化という視座から考察してみよう。

(2)綴方指導の系統化の研究

綴方の指導系統案について語る時,まさに飯田恒作の面目躍如たるものがある。その構成法がこれま でみてきたような児童創作生活の発達傾向の具体的な調査研究に基づくものだからである。しかし,飯 田が綴方指導の組織化・系統化を『綴る力の展開とその指導』に見られるような「綴方の指導要項と学 年的展開」といったものにまとめるまでにはかなりの歳月を要しているし,それなりの幾変遷があった のである。同書によれば,飯田が綴方の指導要項を組織立てようと思い立ったのは大正7・8年頃である とされ,この頃は折しも自由選題論と課題論とが火花を散らして論争していたのである。この時期はま た.飯田が児童創作生活の発達の研究を構想しはじめた時期とも合致している9結局,飯田のこうした 地道で息の長い調査研究や創作家の創作一般論に基づく綴方の本質論的研究は,綴方指導の組織化・系 統化を目指してのたゆまざる道程であったとみてもよいであろう。

そして,この道程における独自の研究の生成と発展の相は,飯田の著書・論文によって順次たどるこ

とかできるのである。まず,飯田の綴方指導の組織化・系統化という方向での問題意識生成の直接の動

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機は,やはりいわゆる随意選題論争にあったと見ることができるのであるが,その主な立場は,前述し たように綴方を積極的な指導としての「学習」とみる「学習としての綴方」という考え方に明確に示さ れている。ここから綴方の「指導規範」を求あるということ,「系統案」を作るということ,「教授細目」

を編むということ,つまり,指導の組織化・系統化を図らねばならないという姿勢が固あられていくの である。

飯田は,大正10年の『教育研究』誌8月号でも「綴り方の指導系統」という論考によって指導系統に 関するさまざまな論議を整理・考察しつつ,指導者のいわゆる「文章観」,「指導者の体験と児童(学習)

の内省」,「創作心理」の研究といった面と指導系統との関連に論及して,「指導系統を認める」という立       7)

黷 鮮明に打ち出している。続いて,大正10年の同誌11月号では,「随意選題か課題か」という論考を発 表して,いわゆる随意選題論争に対して自らの立場を明らかにしている。その論ずるところは,歌論か ら得た暗示に基づく周到にして堅固なものであり,飯田のいわゆる本質論的研究を基盤にして堂々たる 論となっている。結論としては,「自由選題はたとへ表現指導の本幹でもあつても,学習の系統から見て 決して課題を軽んじてはならない」(R19)とし,一方,課題論者に対しても児童の個性・興味を尊重し,

努力によって生きる道を与えなければならないと説き,最後に「学習の原理」に基づいて「学習の経済」

ということを忘れてはならないと断じている。

ところで,大正12年5月19日から盟日にかけて東京高師剛、で開かれた「全国訓導協議i会(綴り方箔 でも随意選題論議並びに綴方教授細目論議がなされて,協議会の「質問討議」は,「教授細目」「系統案」

論争によって盛りあかりをみせたようである。実は,この協議会に先立って『教育研究』誌(大正12・

5)に東京高師附小の「綴方教授細目」案が発表され,その内容検討の予告と共に協議題として示され       i

ていたのである。そして,この細目案を組織立てるにあたって制定されたのがいわゆる「綴方指導の根 本方針十箇条」である。この十箇条の内容は,以下の通りである。

一 綴り方は自己の生活を文にあらはし,自己を生長せしめる事を目的とする。

二 常に経験を通して自己を視つめる態度を養ふ。

三 材は主として実際生活から取らせる。

四 発表の態度は外面生活より漸次内面生活に向はせる。

五 文体は凡て口語体とする。

六 自由選題・課題いつれをも合はせ取る。

七 児童の発表程度に応じて指導する。

八 形式の指導は内容に即して行ふ。

九 韻文を作ることは児童の随意とする。

δ 内容・形式とも多方面に導くを本体とする。但し,多少一方に偏することがあっても止むを得な

い。

これらの内容を見ると,ここに飯田の考え方がかなり盛り込まれているとみることができる。これま

で述べてきた飯田の綴方教育研究態度,その研究内容に付き合わせてみて,児童の創作心理の研究,随

意選題論争への立場,児童の創作生活の発達の研究,綴る素材の観方の展開を基調とする内容重視の立

場といった研究の歩みから判断するに,四,六,七,八などには,飯田の主張そのものが打ち出されて

いるといっても過言ではあるまい。後年,当時東京高師附小で飯田の後輩であった田中豊太郎が回想す

るところによっても「みんなで分担して大綱をつくったが,大きな骨組みは飯田恒作先生がつくったの

ではなかったかと思う罰と指摘されている。とりわけ,当時の児童心理学や発達心理学の「発達」研究

(8)

の程度からみれば,七のように明記するには,それなりの覚悟の要ることであったに相違ない。その意 味からも,当時こうした方針を鮮明に打ち出せるのは,飯田をおいて他には考えられないのである。

なお,この「綴方教授細目」案は,『綴り方の内面的研究』の中でも,第十七章「指導要綱と細目」に

「取材・腹案・記述。推敲・文話」(後に「鑑賞と批評」が加わって六つの過程となる。)の五つの過程に 沿って尋常一・二,三・四,五・六学年の「指導要項」が示されている。そして,この指導要項を飯田 自身の児童綴方作品の内面的研究,児童創作意識の発達研究に基づいてさらに具体的に追求し,組織立 てたもの岬藷礫畿綴方の新指導』に見られる各章末の「本学年の指鞭項」であり,この指鞭 項の生かし方を参考文例を加えて詳細に説いたものが『綴方指導の組織と実際』(大正15・4目黒書店)

   10)

ナある。また,『綴方の本質と指導の実際』(昭3・11郁文書院)の中では,「指導要項」の発展として「綴 り方の指導細目」なるものの作成についてふれ,その具備すべき要件として.「1 指導の要項 2 主 要な文話 3 児童の生活行事 4 参考文題 5 参考文例 6 参考文例の董なる暗示」(R61〜62)

が掲げられている。やがて,この考え方は,基本的に昭和10年の『綴る力の展開とその指導』でまとめ られた「綴方の指導要項と学年的展開」に踏襲され,「綴る力の学年的発達」の調査研究の成果を存分に 取り入れて,より情細な綴方指導系統案となるのである。

さて,ここで一応このような綴方指導系統案のあり方についての飯田の基本的な考え方をみておく必 要があろう。飯田は,昭和6年の『教育研究』誌12月号の「綴り方の指導案」と題する論考の中でその より妥当な構成のためには,以下のような多方的でしかも総合的な深い修養を必要とするものであると 説いている。

1.綴り方教育の目的論的の研究  2.児童創作生活の研究(イ,一っの作をまとめるまでの研究 ロ,創作生活の発達に関する研究)  3.学習指導に関する方法学的の研究  4.綴り方の指 導案(イ,綴り方指導の根本方針 ロ,各学年の指導要項 ハ,指導細目)  (R37)

ここには,これまでみてきた飯田の綴方教育研究観とその実践的経緯が端的に集約されていると思う。

そして,飯田は,このようにして構成されていく指導案でも決して永久不変のものではないとして,児 童生活の研究が進むにつれて漸次改訂されていくべきものであると説いている。また,飯田は,綴方の 指導者の指導案の生かし方とその意義について,以下のように述べている。

実際家の中には特殊を重く見て普遍を忘れてゐる者もあるし,普遍を重く見て特殊を軽く見る者も ある。如何なる妙案も特殊を考へた場合,実際に当てはまる児童はないはずである。世の中に同一の 児童はないからである。指導者はこの個性の前に立つて普遍に生きなければならない。指導案はこの 生き方を知らない実際家にとつては,乾枯びた概念に過ぎないだろうし,また無用の栓桔に過ぎない であらう。私は此処で指導案の生命は実際家を生かす為のものであることを断つて置きたい」(R41)

飯田は,こうした考え方をそのまま実践するかのように,4年後に再び,6年間にわたって蓄積した 児童綴方作品に基づいて児童創作意識の発達の調査研究を行い,その成果を踏まえて,かって大正12年

5月に公にされた東京高師附小の「綴方教授細目」の本格的な改訂を自ら行ったのである。それが飯田 の主著『綴る力の展開とその指導』にまとめられた系統案「綴方の指導要項と学年的展開」である。こ こに至るまでの飯田の綴方教育実際家としての真摯でねばり強い研究態度とその研究内容には,以後今 日に至るまでの教育・作文教育のあり方を根底的に問いっめ,内省を促さずにはおかないものがある。

結びにかえて一言付け加えておけば,飯田恒作の綴方教育研究は,さらにこの指導系統案を踏まえて のより実際的な指導過程の組織化の研究へと進み,その成果は,主に『綴方教育』(昭11・3藤井書店),

『綴方教育の学年的発展』(昭14・11晃文社)の二著にまとめられていくのであるが,この方面の研究

(9)

についての考察は他の機会に譲りたいと思う。

       注

P) 井上敏夫他編『作文指導事典』(第一法規 1971年3月),p.470 2) 滑川道夫著「日本作文綴方教育史2大正篇』(国土社 1978年11月),P.604

3) 阪本一郎「飯田恒作氏の思い出」(『近代国語教育論大系』第12巻付録 光村図書 1976年7月λP.5 4) この論考はやや書き改められているが,飯田の著書『綴り方の内面的研究』の冒頭部分に挿入されている。

5) 飯田恒作著『綴方教育の学年的発展』(晃文社 1939年11月),p.20

6) 飯田の「発達」研究への動機については,田中豊太郎が『教育建設第三号生活綴方と作文教育』(金子書房 1952年6月)の中で,いわゆる随意選題論争後に残された課題の一つに「子どもの作文力の発達」の研究の必 要があったことを指摘し,「そこへ目をつけたのが,わたしたちの先輩である飯田恒作氏であった」(p.118)と

証言している。

7) この論考も飯田の著書『綴り方の内面的研究』に再録されている。

8) この時の模様については『教育研究』誌臨時増刊一第二十回全国訓導綴方協議会一(大正12・11)によって 詳しくみることができる。また,この協議会の意義については,滑川道夫氏が『日本作文綴方教育史』(大正篇)

の中で詳しく論究している。

9) 倉沢栄吉他著『近代国語教育のあゆみ1』(新光閣 1968年11月),p.102

10) 大正15年には飯田の一連の継続研究の結果まとめられた綴方の指導要項に基づく東京高師附小国語研究部員

の共同研究の成果として『小学校綴り方教授細目』(培風館)が刊行されている。

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