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体育の社会学的研究課題 §文化社会学的側面の研究条件

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体育の社会学的研究課題

§文化社会学的側面の研究条件

体育研究室 大  西  国  男

Topio◎of SoeiologiGa1鵬osearoh in P㎞ysioa皿Bduea重ion

by

Kunio Onishi

This article is to search how to acquire a method of trainlng of physical education at school on the basis of relations btween sociological idea of culture and physical culture.

乃αη窺σ短循鴬めノ,ル倣λノの伽

Oo 301959   ●

§Some i亀ems for studylng culture−sociologieal prof謳es

a)  idea of culture

b)  coastruction and function of physical culture

06θ60漉∫棚84.

一研究の趣意一

体育の社会学約研究の対象として文化の概念理論を考え,文化における体育の位置づけ についての見解をただし,体育がわれわれの社会の中で文化の形式や側面においていかな る関係をもつか,またいかに結合しているかを洞察し,体育に関する理論灼研究によって 学問的基礎を形成することは意義の南ることであり,価値ある課題である。殊に,体育に よって教育領域における研究と実際教育作業に従事するものにとっては,体育理論の課題 を文化社会学的側面を対象として論ずることは,必要なことでありかつ望ましいことであ

る。

今やわれわれの社会生活においては, その大さな重要な部分としてスポーツ運動があ る。これは実際主活の易面において明らかであるように,社会生活におけるこの領域の必

要性と重要性を十分認識することができる。

その故にまた,体育は社会生活の中に存在すべきものであり,かつまた単独に存在する

(2)

ものでないから,社会生活の一部として他の領域の種々の部分といかに結合しているかを

洞察することを必要とする。

文化は社会生活と相対的に関連をもって,具体的に社会条件と密接なむすびつきをもつ ものであるから,「社会生活の文化の位置づけ」から敷衛して,「体育の社会文化内の位 置づけ」を明らかにすることが望まれる。ここではさきの集団社会学内側而の研究条件に 続き,文化の構成要素が如何に連絡し体育はこれらとどのように連絡しているかについて 考察し,この点で体育理論を構成していく一課題として取り上げようとしている。

体育をphysical education or physical cultureという言葉で表現するところに精神 文化としてまた物質文化(身体文化…身体的所産く体格に近い意味〉)として何程かのヒ

ントを得ることもできるであろうが,社会と文化一文化と体育の関係において,関連ある 文献から思弁的に文化社会学的研究の条件を導き出し客観的,実証的研究への仮説をうち たてんとしている。殊に体育の教育領域としての研究意識は,最も意義深いものとして保

持…すぺきものである。

§文化社会学的側面の研究条件

1 文化の概念

文化とか社会という言葉は,吾々に最も近いしかもいろいろの意味を含んだ言葉である が,普段このように使いなれた言葉も,その概念を規定しようとすると簡単にできない。

しかもこれは吾々に最も近いものであり,かつわれわれ自身であるところに問題がある。

文化は,社会において習得され社会によって伝達される一切の行動形式を現わす総合的 なものである1)といわれ,文化はむしろ生活様式として社会生活によって生み出され,

<歴史的な経過において起る文化事象としての一部分>2)世代から世代へ集団から集団 へと社会的に伝達せられ,それが成員の一部または全部によって分有される精神的,物質 的なもの全部に対して用いられるのが一般的な考え方とされている。

文化と社会について理解可能な納得しやすい方法でむすびつけようとしても,なかなか 問題が多いと考えられるが,然し,類形的な形態や発達段階を示すのは,やはり社会過程

〈統一した巨大な〉において見るべきであろう。文化の概念規定が試みられようとすると き,そこに歴史的な叙述の必要が起り3)それに従って段々と文化概念の意峠の使用の拡 大や文化概念の内容の量的増大も生ずる4)またイデオロギーの相違によってもこの試み に本質的な差異も起るであろう。文化概念の多様な定義のうちで一致していると考えられ

るのは,社会現象として文化が二つの領域く一方は精神文化であり他方は物質文化である

(3)

大 西:体育の社会学的研究課題      165

〉を抱括しているということである。

以上の如く社会を「実体」として把握しようと,また「関係」の形態であると規定しよ うとしても簡単にできるものではない。社会学者は,人間関係の諸式形と理解しまた人間 生活の全体系とも理解する。社会を人間行為の総体において理解しようとしたり,経済行 為(人間行為の所産である)をとおしてとらえようとする考えも成立し,完全なる把握は 困難である。文化も同様であってその概念規定もいろいろとなり,文化を「生活様式」,

「人間生活の全体」と考えると文化という言葉は,人間の生活の全体あるいは一部をさし

ていることはたしかである。

ここでは,文化社会学の文化の概念に従って文化とは「学習によって後天的に獲得され た行動様式の総体であり,その構成要素が特定の集団の全成員あるいは特定の成員によっ て分享され世代から世代へ伝達されるものである」という考えに止める。

社会現象としての物質的文化には,本質的に最も重要なものとして技術があり,文化的 関連のもとにあるものに生活方法,住居,衣服.日常用具や食物などがある。精神的文化 には,社会的意識における諸形態(哲学,芸術,道徳,宗教,その他言語,習慣,制度,

イデォロギー,教育など)あるいはそれに関連する施設,機関(学校,図書館,美術館,

劇場など)があげられる。

社会現象の中の教育に体育が属することは疑いのないことであるが,体育を精神文化あ るいは物質文化の何れに位置づけて論ずるかは大きな課題となろう。遊戯やスポーツやレ クリエーションは,長い人間の歴史の過程において作られた行動様式であって,文化の一 つであると考えられる。これらが社会においてどのような役割を演じているか,集団生活 の中でどのような位置を占めているかは近代生活において重要な問題である。遊戯やスポ 一ッやレクリエーションは長い時代を経で慣習やルールや規範を発達させ,参加者に影響 を与える。このような影響から生ずる行動の経緯としてスポーツにおけるルールやスポー ツマンシップやアマチュアリズムの問題などが該当するのである。

体育的行動の総体く特定規範に従って展開している身体活動及び社会的制約によって付 与される行動様式〉は体育集団の全成員によって支持されなければならない。体育現象の 基底をなすものは体育行動であり,これは集団全員に認容され理解された行動様式として 伝達され習得されるものであるから体育文化であると言うことができる。

@       *

@文化の概念が英米系の文化入類学に由来する方向と,ドイツ系の歴史哲学・文化社会学における

理解との間に対蹄的な相違が認められることは一般に指摘されるところである。前者は包括的に物

(4)

質文化,精神文化,運動文化,社会組織をも含めた広い領域にわたる。後者は,それ自体の目的価 値にかかる狭義の意味に限定し(二の点で文化と文明を区別している)精神的価値に関係する意味 形象として規定する文化概念と接近する傾向をもっている(前掲,講座社会学第三巻,社会と文化

P6)

1) ブラウン,教育社会学・西本三十二訳(上巻)

2) 社会学者が物事を統一的にいろいろの文化史的基本の立場でみようとしても,また文化事象 が歴史的な全経過のなかからどのような条件で生れ出ざるを得なかったかという必然性において 理解しようとしても,なお文化の発現やその本質の内容をとらえるのに困難があるだろう(文化 社会学,Alfred Weber,草薙iE夫他訳P,8創文社)

3) 。精神の文化一哲学〜人間の精神文化の所産が文化の本質的構成要素(ローマ)

。封狸的一神学的世界観の支配条件〜宗教的性格(中世)。市民階級の拾頭一中世的封建的 世界に対、ン:〜文化珂1想,教化理想,人間精神の形成,古代文献の研究と知識,道徳的態度く人間 性〉(ルネッサンス)

4) 文化概念の発展で最も重要な特殊性は,人間の活動を通して養われ,培われ創造されたもの を文化概念として理解するのであって,人間が労働によって作り出し自然状態から区別されるす ぺてのものをさしているといつている(Erhard John・Kultur und Gesellschaft−kulter und

K6rper−kulter,体育とスポーツ, Oug.・Oct.1958)

。文化構造を「観念的文化」「行動的文化」「物質的文化」の3つのレヴェルに分けて考察す る……ソローキンの理論(前掲社会学講座,三巻P.168)

。クラックホーン(Clyde Kluckbohn)は,文化とは外面的および内面的な生活の雛型の体系で 歴史的に由来するものであってある集団のすべてのあるいは特定の成員たちにより共有される傾 向があるものと定義する。

。カルポフ(Karpow)は,文化とは人間性の社会的〜歴史的労働活動の結果であるところの物 質的,精神的価値と総体である。

・社会学・福田直篇・角川書店・第五章社会と文化,参照

(1) 文化の構成要素

われわれの社会生活は,その社会生活に共通な行動様式によって支えられて存続しかつ 組織だてられている。一定の社会集団の成員の間に繰り返され共通する特有の様式として の風習は文化と呼ばれるものであって,人々の社会的相互関係に通路をつけ社会集団を組 織する働きをもつている。そして風習の相違に対する注目は文fヒの研究を動機づける最初 のものであり,異った風習というものは,人間の本性によるものでなくてそれぞれの社会 において習得されそこから形成された習性であって,文化はある一定のそれぞれの仕方で 習得された社会的伝承である。1)

文化人類学での文化の比較研究の概念用具としての「文化特質」「文化複合」社会的発 展における「制度」の体系概念などは,文化の構造分析にとって基本的な役割をもつもの であろう。文化特質とは,一定の文化にあって相対的に独立に分離することのできる最小 の要素的単位をさすものであり,文化複合とは,これらの要素的特質が一定の仕方で結び つくとき一つの文化複合を形成する。ある社会の文化はこれらの要素的風習の総体であ

(5)

大 西:体育の社会学的研究課題      167 る。2)

然し以上のような文化的要素の分析によれば要素的特質は相対的なものであり,また,

文化要素が一定の観点の下での全体にとっての構成部分であるということは,それがわれ われにとって意味形象であることを示唆している。この点で一つ一つの分析的要素は一定 の認識における観点では相互的であり,かつその認識目的によつて方向づけられる体系に よって決定される。3)すなわち,ある観点からは単位要素であるものも他の観点では別 のものであり,それはある観点に立てば意味ある要素として構城単位を形成することはで

きるがそれを切り離して考えるときは意味を失うことになる。

このように考察してくると文化とは特定の風習,その分析的特質,文化複合の諸形態に 関して意味形象を指すようになるとともにそれを統一して一つの意味観念をもつことにな

ると言える。

ある行動や態度が単なる環境的状況か偶発的事情に由来するにしろ,その人々には共通 な価値態度が形成されるであろうし,風習が価値をもつということも第三者にとっては客        闇 マ的な合理的価値を意味するとはかぎらないのであって,その人々の主観的な価値であり 彼等の生活の体系の肝絡の中での価値なり意味なりを表すものである。

行動様式を人々が内面的な意味,価値と解釈するのでなければならないという点で,行 動蒜式としての文化は人々にとって行動標準を意味しており,それに従うべきだという価 値基準の規範をあらわしている。それは入々の多数の間に事実として行きわたっている統 計的集積のみにとどまらず,意味的な統合として人々にとっての行動標準を意味してい

るo

以上の方法によって文化の共有を地理甦分布に従って辿ってみると,そこに文化的領域 を設定することができる。この文化領域の重なり合いや領域内の共通な要素の数量的密度 を結密に謳査することによって,一定文化の借用や伝播の方向と経路を明らかにする歴史

的構成に適用することもできる。

スポーツの発生は,その社会跳様相を背景として社会的集団のもつ文化の形態(スポー ツの形式,試合方法,ルール,技術,服装及びこれらに伺随する思想,感情,態度,教養 など物心両面)においてそれぞれ狂特の形式,内容,思想のもとに特有¢<国技と称され るスポーツ〉文イヒ領域をもっている。名種スポーツの発生が民族,国家,社会情勢を反影 し,それぞれ異った恒棺や箸姿をもって癸展しかつ変容をとげることは事実であるが,然

し藩像以」二にこの独自な性格というべきものは変容してきた。却ち近代スポーツの一般的

但向として生匡的な独自性を持ちながら,かつ世界的な普遍性を持つに至っているという

(6)

168       茨城大学教育学部紀要 第九号

ことができるのである。殊に近代オリムピヤード大会は民族,国境,人種の隔りなく世界 性をもつに至り,スポーツの形式,ルールに一貫性をもつにいたったといえよう。

体育的現象を身体活動く体育的行動を中心として〉という一定の行動様式を付与され定 形化されたものとして考え,社会的現実として見たとしても特定の成員から伝達されたも のであり,それが更に特定の体育集団の成員に伝達される過程く体育文化といわれるもの になってくる〉は歴史的創造物である。また全体的な体育的現象の歴史的持間的経過や変 遷の面から考察しても文化としての体育現象を認めることができる。

スポーツは,普遍性と共通性をもちながら猶かつスポーツ独自の文化的要素を堅持して 文化的価値を失わず,現実に面した社会的価値と結びついたかたちで,永遠に生活規準の

中に組み入れられて行くぺきものである。

以上の観点て体育文化を考える場合,社会の全成員が支持する普遍的文化の立場と,学 校集団,学級集団,及び特定な体育集団によって支持される特種的文化としての体育文化 の立場の二面を捉えて考えることも必要なこととなるだろう。

体育的行動は,社会的な規範に類するルール,伝統,慣習などによって制約を受けるけ れども,身体活動という個有の行動様式は技術(力学的,物理的)と生理学的要因の制約 を受けることは勿論のこと,器械器具に対する要求や創造その他体育的要求のいろいろの 事象が,それぞれ複合して体育現象の基底をなしているのである※F,BQasのいう「社会 集団を構成するもろもろの個人が集団的,個人的にかれらの自然約環境に対し,他の集団 に対し,その集団自身の成員達に対し,さらには各個人が自分自身に対してもつ関係にお いて,彼の行動を特色づけるところの精神的および身体的な反応活動の全体性として定我 することができる。それはまたこれらの活動の産物およびそれが集団生活の中で演ずる役 割をも含んでいる。」云々の規定においてみるとき,体育現象を構成する諸要素を体育文

化構成の要素としてとり上げることができる。

      *

P) 風習が集団により地方によって異っていると言うことは相対的な比較を通してのことであ る。われわれの行動様式が共通であり且つ欲求充足の活動においても極めて自然な様式として自 己に密着し,自己の風習が人間の固有注に根ざすものであり,その点で自然に由来するものであ るとの強固な態度(いわゆる民族的自己中心主義)をとるものと,これに対する風習のちがいは

「郷に入れば郷に従え」に表現される如く人間の本生によるものでなくてそれぞれの社会におい て習得され自然な様式として形成されたもの(第二の自然となって形成された習陶とする考え

とである。

2) 最小の要素的単位については,例えば運動する場合の行動様式として靴をはくということは パンツをつけユニフォームをきて帽子をかむるなどの行動とともに運動が行われる場合の風習の 一部分をさしているものであり,即ち要素的単位を構成している。

これらの要素的特質が一定の仕方で結合しているスポーツの服装風習は,一つの文化複合をな

(7)

大西:体育の社会学的研究課題       1董9 し運動方法その他とならんでより大きな単位風習を形成している。従って社会の文化というもの はこのような要素的風習の総体であるから,この考え方が文化形成の概念を提供してくれること

になる。

3) 運動をする際の靴をはくという行動様式は,一つの特質的要素であると考えたが,その靴,

そのものはその製造工程において更に多数の部分に分割できるのであって,その多数の部分と過 程において文化複合をなしているのである。以上のような分析的要素は,その観点において相関 的であり文化的全体の体系によって決定される。食堂のセットは一つの単位としては意味をもつ が,食事の用途と切り離して考えるときは意味を失う。またなお細部の単位(素材,材料)とし て多様に分割すれば家具としての意味をなくする。然しこの素材も製造工程において考えるとき は,それぞれ意味ある要素として構成単位を形成することができる。

※ 新体育特集・体育社会学.1959.7号

(2) 制度体系

制度とは前項で述ぺたような諸要素の複合からなる大きな単位であって,その役剖,機 能における相互関連を通して文化の統合体系を構成しているものである。文化がその構成 要素の集合の総体というだけでなくて,一定の結びつきによって相互に統含され,それが 全体における機能約関連に従って組織された部分を構成したものであるから,制度はこれ が一定の目的価値によって組織されて,文化的全体における機能的単位を構成していると いうことになる。制度の概念は,広く共同の目的に従って社会的に設定された集団,施設

を指すとともに,狭くはかかる集団の制走された規則,手続きの形式を意床する1)

制度の規範性は,それに関わる人々の意識,感精,態度の形式において実効的な機能を もつことができる2)基礎約な生活要求を中心とする行動様式は,躾を通して習得される とともに社会的規範に対する基礎的な態度がパーソナリティの中に育成される。

社会の大部分の成員に支持される普遍的文化は,制度化された訓育の様式を通して形成 される。これは外面的な行動様式のみでなくて,内面約な一定の正しい価値態度を養成す るはたらさをもっている。3)

ある風習が人々の間に共通に見られるというのは,その習得の過程において教育の様式 が実施され,人々の習慣として複合して成立し,人々の中にその習性,態度が内面化し価 値意識,感晴が形成される。この点で文1ヒが人々のパーソナリティを形成する要因として はたらくゆえんであるo

ある一・定の社会の人々のパーソナリティに見られる共通な態度・価値・意識の特色など

が,その社会的性格を構成するようになるのであって,このよ)にしてパーソナリティ,

社会的性格,イデオロギーなどは文化的行動様弍の内面内なものとともに構造的統含を与

えるものということができる。

《学校文化と教育・体育》 学校は集団である限りにおいて一定の文化をもつもので,学

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170       茨城大学教育学部紀要 第九号

校はもともと文化を伝達する機関として成立しているといってよい。然し教育内容によっ て知るように,外社会の文化は変容なしには学校文化となり得ない。学校に固有な文化形 式(culturざpatterns)は即ち特種な教育文化であり,毎日の課業,学習指導,生徒指導 学校暦に組まれた入学式,卒業式,表彰式,学芸会,運動会などの学校行事によって窺い

知ることができる。

学校の集団機能はすなわち学則や校規が教育的意義を失うことなく社会的規範(Socia1

norms)として成立している。社会統制(Social Contro1)の市l!度としての法や宗教と並

んで社会化(Socialization)の制度としての教育は,重要な規制的機能を果している。そ れは将来さまざまな役割へ人々を参加させるための訓練を含んでいる。

訓練は大別して技術的なものと規範的なものとに区別されるだろうが,実験観察,演 習,体育運動の如き学習は技術的であり,行儀作法,生活態度の学習などは規範的である

と言えよう。然しこの二つの型の訓練は,性や階級によって特種化される側面をもってい る(封建社会は階級別特種的文化の注入がめだって顕著な例である)

体育集団の中には,伝統をもった運動部や,教育のための学級集団,遊戯やレクリエー ションの集団,各種スポーツ団体あるいは広くスポーツ界,観衆や応援団,後援会といっ た集団も考えられる。そしてそこには普遍的あるいは特種な社会的秩序が生れ・集団力学 の理論や方法の研究が生れ,集団の概念,人間関係,グループモラルの研究を必要とする

ようになる。

いかなる集団も独自の欲求や考え方をもち価値判断をもっている。ここに社会性の問題 が生れ体育の場における社会性育成の目標が具体化してくるのである。而して社会性に関 する能力というのは,個人が自分の所属する集団にいかに積極的に参加しそれに適応し,

かつよりよく改善する能力をもっているかということである。体育集団とそれに規定され た規則や手続の形式,競技会の運営く対抗競技,校内競技,記録会,選手権など〉スポー ツ団体,運動クラブ〈学級や学校,校外生活,林間・臨海学校〉競技場,施設用具の管理 運営などは,一定の規則規範に従ってその意義や目的価値の認識が共通の心構えや態度に

よって支えられ,かつ役割の意識によって相互に支えられることになる。

体育文化という特殊的立場で考えるとき,体育の諸現象における制度的概念の問榎は

(の法規上の行政管理く運動場,競技場,プログラムサービス(競技プログラム,レク リエーションサービスなど)〉(2)教授の場における指導管理技術(3)集団理論(4

)欲求,関心,興味やその行動環境にあっての各自の受けとり方などがとり上げられ,そ れが社会的条件や社会的行動としての角度から解釈されて行くことが必要である。

(9)

大西:体育の社会学的研究課題      171

今日では個人や集団はそれ自体で独自な機能や役割を認め,その特殊性に応ずる行動や 役割を果して行くことは勿論であるが,進学問題のもつ影響や校内競技における(上級学 校の場合)動員数の貧弱さなどには社会的条件の作用と考えられる点が多く,国民体育デ 一や地域社会におけるレクリエーション大会においても社会人の運動参加にはその地域的 差異以上に地域的政策の面が多く作用していると見ても差支えないといえよう。勿論その 外の個人的運動歴や職業く会社・官庁・家庭中心の職業〉性別,階級,家族構成メンバー の占める役割や位置の状態など,社会学的問題に関連して考えなければならない事柄は多 いのである。而してこれらの究極のねらいは「社会的アプローチ」にあることから考えて 社会学,心理学,教育学の各分野でそれぞれの研究的立場を基底として発展をねらうぺき

ものであろう。

       * O掲講座,社会学く社会と文化〉三巻,文化の理論

1) 学校は建物,教室の如き物質的文化を用いることにより定められた人々の行動の相互作用が 営まれる。人々は一定の規則,規範に従い行動の仕方を心得ていると同時にその意義や目的など を知つていて,IEしい価値あるものと感じ,共通な心構えや態度に支えられながら,それぞれの 役割の意識によって相互に結びつき成立している。

2) 制童的規則は,自発的自然に服従する規則でなく,褒賞と報復によって維持されていると云 うべきで,社会的認容や地位の名声,将来の利益の確保などをその動機としている。従って規範 のもつ圧力は複雑な心理的複合によって支えられている。

3) 特殊的な文化・規範は特定の人々にのみ共通な行動様式と価値・態度を形成する。一定の階 層や職業,技能などに共通な特殊的文化や選択的な任意的文化においてはその規範も特殊化す

る。(P.13)

(3) 文化の機能

〈社会と個人に対する寄与〉 文化の社会的機能は同時に個人に対する機能を意味し,

また文化の個人に対する機能と同時に社会的機能を意味している。それ故もっとも基礎的 なレベルでの文化の機能は同じ作用を通して社会と個人に寄与するということができる。

個人は環境に順応しながら自分の欲求を満たさなければならない。この環境への不断の 適応の必要が個人に一定のパーソナリティの構造を強いるのである。いいかえればパーソ ナリティ内の諸要素間に特定の関係が形成され,そしてこのような構造の維持は環境が不 変であるかぎり,個人が生活する上に満たさなければならない必要条件でもある。従って この構造を維持する作用を文化が持つ易合,われわれはそこに文化の畿詣を認めなければ

ならない。

社会はさまざまの役刮の相互連関からなる体系であるとみて,社会体系がスムーズに運 行して行くためには各種の役割行動が相互に補充し適合しあっていなければならない。も

(10)

しそうでないと,集団はその成員の諸必要を継続的に充足させることができないから,ま もなく解体してしまうことになる。社会生活においては極めて素朴な協力になる組織によ る目標の追求にさいしても,諸活動は相互に適合しあっている。そしてそれぞれの活動

(役割占有者の権利と義務)を規定するのは人間の社会においては本能でなくて文化であ

るo

〈内部の調整〉 社会が存続して行くにはさまざまの活動を行う役割,活動の道具とな る種々の財や権力が社会の内部に適当に配分されていなければならない。然しこの道具く 財〉や役割く権力〉などはそれを望む個人の数に比べて相対的に少ないのである。そこで これらのものやこれに附ずいする収入や好意ないし尊敬(それは個人にとっては報賞を意 味する)をめぐる競争が起る可能性があり,このような競争が無制限に行われるならば社

会秒序の存続は困難に陥るのである。

法は個人の利己的な利益の追求が正当な限界を越えるとき,それを規制する制度であ る。また社会は宗教,道徳あるいはイデオロギーを通して欲求充足の仕方を個人の内側か

らコントロールする他の面も持っている。

遊戯はどのような社会的機能をもっているかを考察してみると,それは明らかに個人の 欲求充足の否定を通してではなく,解放を通して行われる。なぜなら遊戯はより自由なよ り許容的な領域にあるからである。日常生活の中では個人はしばしば極めて無力な存在に すぎず,自分が遵守しているルールは他人によってしばしば違反されがちであり,彼にと っては明らかに不当に感ずる損害をこうむることも少なくない。

これに反して遊戯におけるルールは厳重に守られ,しかも遊戯への参加と脱退は個人の 自由てあるという意味において,究極には自己が運命の支配者ということになる。なかに は偶然が支配する遊戯があるとしても,彼の野心,彼の構想は遊戯く実生活のシンボル〉

の中でこそ容易に実現される可能性を持っている。

遊戯のもつ側面に以上のような許容的面があるとしても,他面ではやはり調整的側面を もっている。これは日常生活から個人がこうむる無力感,卑小感を償い,かつ日常生活の 役割への意欲を刺戟する一方,日常生活において起りがちなさまざまの不満から生ずる衝 動く攻撃的・斗争的〉を社会そのものえ向けずに,遊戯を通して表現するという意味て調 整される。従ってこのような調整が十分に行われるためには,遊戯を生活の他の領域から

隔離する必要がある。

以上のような遊戯活動の意味の限定は,遊戯に関するモラルとして現われて来るのであ って,遊戯者は常に冷静てあり不運にも不平をならさず,自ら招かぬ不幸でも平然として

(11)

大 西:体育の社会学的研究課題      173

受け容れる。換言すれば,よき遊戯者プレーヤーであるためには,遊戯はどこまでも遊戯 であり実生活とは異ったオーダーに属するということを心得ていなければならない。

幼児の末分化的生活は遊戯につらなり,そのモラルが社会的秩序を形成する。遊戯が象 徴的な活動であり,遊びという点で日常生活から離れているとみることができる。また逆 に考えれば,既成の社会秩序に対しての反逆く社会的機能に対する不満〉の一つの形態と してこのように隔離された壁く生活体系と無縁の領域にある遊戯〉を取り去ることでもあ

るo

遊戯のモラルを日常生活に転移し融合することによって現実原則の見地く目的→手段 の合理的活動の体系〉に接近すぺき点が認められるのであって,遊戯と実生活との倫理的

社会文化的な意識活動を相互補完すべきである。

@       甚

ミ会学講座,第三巻,東大出版会,及び月報7,泉 靖一 文化社会学,アルフレート・ウエーバー,草薙正夫外訳,創文社

文化と社会=社会と体育,E・ヨーン,体育とスポーツ, AUG, OCT.1958 前掲講座第三巻,社会と文化(文化の諸形態一教育一)

集団のモラル,学級集団,茨城大学教育学部紀要 1958 社会学,福武 直篇,角川書店

特集,体育社会学,新体育 1959,τ号

皿 体育文化の構造と機能

(の  歴史的経過にみる教育観と体育観

身体活動が人間に対してもつ意味は,社会学的には一律に考えることはできない。歴史 的流れの跡を辿りそれぞれの体育観や方法が生み出された社会的背景を探ることによって その意味を認識することができる。すなわち体育の具体的姿は,歴史的段階や社会的背景 の相違によって必ずしも一様に論ずることができない。古代ギリシヤとローマはいまだ組 織的な体育的考え方はなかったとしても,全体として特色をもち且つ地域的時代的に異な

るものがある。

古代ギリシャでは教育内容の二大領域として「音楽」と「体育」を掲げ,これは人間の 調和的発達に欠くべからざるものであるとした。然しギリシャ体育が社会的背景に負うと ころ大なることは勿論である1)当時の哲人(ソクラテス,プラトー)や知識人あるいは 芸術家たちが体育に深い関心を示したことが窺われ,堅実なアテネにあこがれ体操くむし ろ今日のスポーツ〉の価値を身体的道徳的に求め,身体的堪能は市民の義務であるとして

体育を健全な方向に導いた。

ローマでは強健な肉体と有能な軍人への手段としてのみに求めたのであって,人間の調

(12)

174       茨城大学教育学部紀要 第九号

和や芸術的理想といったものから離れたものがあった。勿論二者は異った類形に分れるも ので,前者が都市国家く哩想主義〉後者が強大な帝国く現実主義〉の対比において考える べきである。富と物質の優越,政治的腐敗,階級的対立く傭兵の一般化,身体活動と軍事 能力のむすびつきをなくする〉鏡技の職業化,観衆の欲求と態度く惨酷で堕落した職業ス ポーツ,感覚的な見せ物〉これらはローマ人から健全さを奪い崩壊を早め,いわゆる中世 禁欲主義への有力なる跳躍台になったと考えられている。

〈心身二元観〉 禁欲主義やスコラ哲学2)が体育にとってながくマイナスの要素となっ たことは周知であって,身体的軽視く苦行は身体的弱化と精神的錯乱に導く〉の中世体育 の考え方が現在なお一般世人の考え方に影響するところ大であるといえよう。

ルネッサンス(14〜19世紀)宗教改革く宗教の強力な支配の後退,神の手から人間を解 放〉通商増大,封建体制に代る国家主義の拾頭,科学的態度の尊重は現世的人間を価値の 中心におくヒューマニズムとして生れ,調和的発達への教育理想や古代ギリシャ的体育理 想へのあこがれとなって現われた。イタリーのヒューマニスト,ヴィットリーノや宗教改 革の主役ルーテルの思想には,教育の世俗化,心身の調和杓発達,体育の重視を求めてい

ることが窺われる。

17世紀のリァリズムを基調として人間化は進み,ロックの思想く体育を基礎としてその 上に徳育,知育を求め現世約人間を考えた〉はローマの古語「健全なる身体に健全なる精 神が宿ることが望ましい」における人生の幸福を簡明に表わしているというべきである3)

〈現実的一元的人間観〉 子供は行動を通して思考する……身体活動が思考にまで高めら れそれに精神が形成される4)すなわち発展しつつあるもの diveloping Person とし て捉え心と身を並置して接合しただけで生れるものではない。18世紀ルソーは人間の自然 的可能性を抑えず歪めず伸ばすく自然的発展〉こそが教育の原理であって「人間釣自然」

自然の意志に従うことが教育の原理にかなうことであり,連続的プロセスが教育く発展主

義〉であるとのべている。

〈汎愛派〉 デッソーやシュネップエンタールの学校は,学校体育の発祥地であり学校に よる普通教育形態の試行と体育の学校教科への導入のもとをなすものであって,バセドウ やザルツマンの体操(turnen)の思想やグーツムーツのドイツ体操の考案により「身体 の教育」という大きな分野が開かれ,人間の身体は教育の中に重要な位置をかちとった。

以上の如くロック→ルソー→汎愛派に至る思潮は,従来の二元観を克服し精神主義偏向

は一段落するに至ったのである。

19世紀に及んでは,心身の調和的発展による全人(whole person)教育思想に発展す るにいたったが,ペスタロッチは体育を独立させず「技能の教育」に直結して考え,技能

(13)

大西:体育の社会学的研究課題       175

の教育を子供に内在するすぺての身体的精力を発展させることにあるとみた。苦またプレ 一ベルは幼児の遊戯の中に教育的価値を貝出し,身体活動の満足だけでなく人間的本能の

現実に不可欠の要件であるとみたのである。

physicalismにもmentalismにも偏しない発展観に立っている点は真の意味でルソー

の発展者であるといってよかろう。5)

〈教育と個人と社会〉 教育において個人を問題とするときそこに今一つの二元論が現わ れる。個人と社会……教育は社会のため既存の文化財を後代に伝授する→教育は注入に傾 き個人の存在が無視される。個人的見地と社会的見地の対立……教育は内部からの発展で あり内的性向を自然的に開発する→教育は自由放任に流れ社会文化の意義が忘れられる。

体育観

ギリシャローマの体育   ・・国家的,軍事的目的

体育観に発展主義はなく体育による 中世騎士の体育      …武技中心

個人の形成という考えに欠ける。

グーツムーツ(ドイツ体操)…国家的,国防的見地 リング(スエーデン体操) …国家主義的傾向に代

個人主義的体育観では,身体活動の

って身体主義に傾

人間形成的,社会的意義が認められ

く。 ない。

教育観 人間は「特殊にして普遍な存在であり,まことの人間とは特殊な個性の中に社 会の普遍的な一般価値を表現する人格体であって,これが教育の目的である」シュライエ ル,マッヘル(1768〜1834)6)従って,教育は一方から見れば個性を発現させることで

ある。彼はこの見地から生活による教育と,児童の自己活動とを共に重視したのである。

わが国における学校体育の変邉をみるに,明治五年の学制では「体術と養生法」に見る 如く,術と養生の概念において考えるものであった。ヘルバルト主義の教育思想は教授,

訓練,管理のもとに健康主義的な体育は養護として管理のうちに含めて考え,訓練との結 びつきにおいて学校体育を副次的な取り扱いに軽視するものがあったと見ることができ る。またスペンサーの三育主義と称する知育,徳育,体育の思想は,現在においても猶か つ知育を主とし体育く身体活動〉を従とする考えを抱かしめるもとをなすことは恐るべき

事実と云うぺきであろう。

大正時代の社会的教育学く自由主義思想〉のもとには技術主義的体育が生れ,選手主義 オリムピック主義を呈し,身体の意志的形成思想は人格主義体育を生み,道徳的目的にお ける訓練を主張する如くであって,体育観と教育観,個人と社会の分離や二元的考え方に

多くの検討と反省批判を必要とする。

(14)

176       茨城大学教育学部紀要 第九号

個人と社会の分離も現実の人間存在を見失うことから起るのであって,社会は架空な存 在ではなく個人は真空の中で形成されない。社会文化の存続発展と個人の成長発達は相互 に媒介される。身体活動においても,そのもつ社会的意義と役割を正当に認識し方法化す

ることである。

社会とか個人とかは,同一現実体から抽象したこ概念にすぎない。具体杓にあるものは 単なる社会でもなく個人でもなくて人間そのものである。このような立場は,これを社会

=個人的見地(socio−humanistic point of view)とでも名ずけるべきものである。現 実的人間の教育は,この立場をおいてほかにない。この立場が認められれば,体育のあり 方もより深い検討を必要とすることになる。体育は単に「からだの教育」として身体側面 に限定できない。それは身体的,知的,情緒的,社会的側面を包含した一元的な「全人」

の発達に奉fi:すぺきものである。※社会と個人の関係は,機械約,形式内に刮り切っては

説明不可能である。

@      甚

@1) 閑暇階級(13isureclass)生産の仕事から解放されて自由時間を高度な文化の生産にあてるく 調和的発達という教育理想,絵画彫刻などの芸術,レクリェーションとしての活用など〉 戦争

と体育との関係く内部的不均衝…自由民,半自由民,奴隷…と国際的緊張〉有能な軍人。用具の 未発達の外,目的や方法も社会的必要に応ずるものであって現在とは異った。

2) キリスト教の教義を説{llせんとして起ったもので,ローマ教会で走められた教義を真理とし ギリシャ哲学をかりて証男したので,宗教的知的に偏し身体的面に価値を認めない点が禁欲主義

と共通する。

3) 一元的人間に捉えられていないで,人間発達の諸要素を対比約く準備悦,鍛錬主義〉にみて

いる。

4) 教師の大きな任務として,この経験を思考にまで高めていくべきであるということがあげら れる。この経験(感性的認識)と思考〔理性的認識)との問に何が存在しているか,子供の認識 の発達の系統性についてどれだけ理解しているか,これが現代における課題であろう。

5) 体育の意義を「身体的側面にのみ限ることはルソーの真意でなく<mentalisn精神主義一〉

Physicalism身体主義〉精神主義に反抗することは正しいだろうが身体主義に偏向することはよ くない。ヘルバルトは能力心理学を打破して「表現説」をとるから主知主義となり,体育を教育 学から除外する。

6) この洞察に富んだ思想も,当時のドイツを中心として拾頭した国家主義に圧せられて正当な 継承者をみず,ただ社会的見地に偏った社会的教育学や文化教育学を発展せしめるに止った。

※歌うことに動作をつけ,子供に手ぶりさせることが,子供の活動性を増すものだ(フレーベル)

※※個人は常に何らかの集団に属し社会を離れては存在し得ないのであるから,ここで問題を社会 と個人の関係というふうにいったん切り離して後に捉えるということが既に一つの抽象を犯して いるとも言える。つまり本来よい個人は良い社会の中に育つぺきであり,また逆に個人の白覚が それぞれに高まらなければ良い社会の建設はあり得ないのであるから,社会と個人の関係を論ず ることは分離できないものを分離しようとすることであると云えよう。(道徳教育の本質は何か 大島康正,有信堂)

(2) 体育の文化社会学的研究の対象

(15)

大西:体育の社会学的研究課題      177

ここで考えようとする事象は,何等かの形で体育の領域と関係のある事柄である。取り 扱う側面や考える角度の変化によって集団社会学か文化社会学か何れの立場に関連づけて 研究するのが適当であるかを考えることが必要であり,なおまた社会変動や社会問題とし て扱うべきものであるかどうかを考えることも必要である。次のような二つの角度から取

り上げてみるのも一方法であろう。

1) 歴史的,社会的条件との結びつきにおいて考える場合

〈考察の対象〉体育の目的や内容や方法…理論や方法,各種運動の活動様式や技術,ルー ル,体育制度や伝統などはそれぞれ歴史的社会的条件に規定され,相対的なものといえる から具体灼に社会的条件との結びつきにおいて考えるぺきである。

体育の用具,施設,服装などの物質的なものから,スポーツやレクリェーションも文化

の一部門であることは云うまでもない。

文化の中で考えられるこれらの事柄は,世代から世代へ集団から集団へと伝播し新しい ものが工夫され発明されるだけでなく他の文化部門に影響される。すなわち,科学や技術 の進歩による大工場生産,交通や通信機関の発達,思想や行動基準の変化などは体育の領

域に影響を与えるものである。

2) 文化の変動(変動と変革を阻む社会的要因)と文化の発展(発展と遅帯)との結び つきにおいて考える場倉く社会変動や社会問題〉

〈考察の対象〉百少年の不良化とレクリェーションを社会的問題で論じ,体育やスポーツ の意味に関する階層的差異やレクリエーションの社会学的見地(自由時間の増大)やスポ 一ツの国際約緊張の緩和への機能などに関しては※社会変動の体育の立場で考察すること が適当であり,社会の必要に応じて特色ある体育を生み出すとも考えられる。マス,コミ ユニケーションと体育に関しては(企業体として集団社会学的立場で論ずることもできる

が)文化変動と体育の問題として扱うこともできる。

男女に関する身体活動の伝統1勺な考え方や態度や,その影響は文化社会学の側面で考え ることもできよう。また戦後教員養成の制度の変更は学校体育の方法上に問題を提示する

ものであって,制度の立場から文化社会学の問題として考えてみるべきであろう (体育学 研究法,竹ノ下休歳「杜会学的研究法」体育の科学社)参照

3) 社会的諸現象く社会問題〉と体育

社会生活各面に見られる急激な変化から,身体活動の意味も新らしい角度から理解しな ければならなくなった。現代と前の時代とを区別する社会的条件の相違は体育についても

適用せられるものさしでもある。

〈社会的変化の影響〉 学校と社会体制は離れすぎている。学校と社会生活とはもっと密

(16)

178       茨城大学教育学部紀要 第九号

接に結びつくべきであって,児童生徒が学校で学ぶ事柄は彼等を助けて現代の社会問題を 理解させる上で,制約され限定された形でのみ役立つという批判もある。ここに促進者の 努力が要望され,かつまた児童に対する教育方法,技術の改善,学校に対する要求(立法 財政,カリキュラム構威,教師の養成,設備,時間割,指導者など)の而で取り上げる必

要が生れるのである。

この事の直接的起因が社会的変化く家庭及び家族生活の変化,農工業の機械化,人口都 市集中,都市週辺の市街地区発達,児童保健の強調,多数人民の余1暇増加,生活標準の改 善,一般教育理念の拡大〉などの影響によるものであることは周知のとおりである。

体育に及ほす社会眺変化以外の影響について次のような事象を取り上げて考察すること も必要である。外国の体育計画,教育指導者の心理的理論,時代の戦争精神や社会哲学,

その他遊戯場,運動場の設備,流行した種々の運動などが考えられる。

体育に及ぼす社会的変化は,遊戯,健全レクリエーション,余暇の生産利用を強調し,

団体と運動の関係にも大きな影響を与えるが,社会的変化は次のような社会事象や社会問 題となって現われ現代の社会生活の様相を一変してくる。<都市増大,人[流動一大工場 生産,国際距離の短縮一交通機関の発達,農村の都市化一マスコミュニケーションの機能 と普及,白由時間の増大一労働時間の短縮,家庭機能の減退,レクリエーション問題の拾 頭,第二次的集団の優越と社会的緊張,青少年の問題一入試と体育,青少年不良化,スポ 一ツの国際的緊張の緩和などとなって現われ〉これらが相関連して現代の体育を方向づけ

身体活動の必要と生活への取り入れ方についーて,望ましい方法や形や条件に新しい意味を

加えることになる。その時代の社会的条rトによって体育く身体活動〉の意味が異った立場 で受け入れられ実施されることもるが,然し現実に起りあるいは起りつつある社会の諸現 象がく事実は多く社会問題という形で現れるだろう〉直に体育の意識と行動の基底とな

欝難霧1亡聞悔黙釜;要求ず纏蜘

    …i

カ物学的背景    

lL(達成……氾動,指導法)       1

体育と社会的条件 体育計画実行の    1 社会的諸現象 一       〉       一 一一 一

現代の 目 標 基本的重要事項

学習過程の特質

学校カリキュラム

専門指導者グループ

一(購講蓮藷鍮懲すびつけ)

授業と管理など

(17)

大西:体育の社会学的研究課題      1四

り,それは現代の特徴となり傾旬となり新しい体育的見地が形成されるようになる。

〈体育原理の設定条件〉 社会の状態と個々の児童の要求の移り変りによって,計画の内 容と教授方法を修正するに必要な識見と理解の巾をもつことが教育く体育〉を行う上に大 切なことである。従って適切に説明された体育の原哩は,指導過程の目的や方法を示唆す る資料となり一つの指導標ともなる。体育原理の機能を要約して,前頁の如く示すことが

できるだろう。

〈現代の特徴と身体活動の意味〉 一一般的な傾向として周知の如く労働力の不必要が肉体 の軽視となって現われ,身体活動のもつ意味を労働力の直接的な要素とのみ考えてかえり みない結果を誘引する。一方では,外観的な型の美にあこがれて身体諸器官の機能の発達 よりも外型を作る(ボディビル)ことを目標とする。次に児童生徒の早熟と体位の向上く 殊に身長の増大〉が環境・食生活・スポーツの普及によって著しく増大してきた事であ る。昭和33年(1958)度の学生生徒の年令別発育表によれば,学童の体位は今年の調査で は学校教育始まって以来の発育を示し,ことに女子は13歳ないし16歳の胸囲が最も著し い。今年の数字で目立つのは14歳の男子の発育であって,発育増進期は男子が12歳から15 歳,女子はこの1,2年早目に大きくなっている。戦前最高(昭和14年)と比べると下肢

長だサでも2石増となり,昭ド部年こ比叫4晟の身長は5Cmのびている。

文部省初中局の見解ではパン食普及や学校給食による一般的な栄養改善がこの体位の向 上となって現われたものという。女子の胸囲の発育はスポーツの盛んになったためとみら

れる。(1958.6.3朝日新聞参積)これらの事柄と社会的影響は身体と精神のバランスを失い

〈精神約未熟や身体発育と頭脳発達の不均衡〉少年犯罪をひき起す原因とも見られてい

る。

人間の平均寿命は著しく延び,周知の如く日本人の平均寿命も男子64歳,女子67歳と一 流の欧米長寿国の末席に入ることができたが,最近における中年層の死亡率低下の足ぶみ は脳卒中,ガン,心臓病,動脈硬化,肝硬変などのいわゆる成人病が増して来たためであ

る。(1958.4.23朝日新聞参照)と見られている。ハンス・セリエ博士(カナダ,モントリオ

一ル大学)の「ストレスと人生」の研究などに窺うごとく,ノイローゼや精神病患者の増 大は,もはや人間衰微のきざしを呈すると見るむきもある。原爆ストロンチュームの影響

や遺伝的影響も社会的問題として重要な事柄である。

また心臓病の予防、ま,「ふとりすぎも悪いが大切なのは身体活動である」と心臓の権威

者たちの見解が,期せずして心臓病予防のための身体活動の重要性を認めている。 (田多

井吉之介・国立公衆衛生院主理衛生学部長,国際シンポジウム傍聴記,参照,

体育のねらうものはこのような一般的傾向に対する処置でもある。(1)身体活動によって

(18)

180       茨城大学教育学部紀要第九号

活気と生活力を与え,生活を自然化(野ばんでない)に導き,不活濃や無精を排斥する。

②情緒を安定にし,緊張状態(感情病)をやわらげる。殊に知識で抑制することのできな

い人間感情を意志によってコントロールし人格完成を目ざす体育とする。(3、人間関係を円

滑にして生活を楽しいゆたかなものにし,生産の能率の向上にも資するところにある。

現代の運動種目の考え方としては,すでに述ぺた如く,physical culture運動文化の 立場で技術体系→身につけたもの(無形文化財)精神体系→スホーツマンシップの二面で

考えることができる。

無形文化財は,従来の各派各流の家元,極意に見る如く,身につけた技術を伝えて次代 に継承するものである。そこには多くの努力と時間を必要とし,法や宗教のイデーを見る こともできる。現代の運動種目は,自然的発生〜遊戯的活動,スポーツ活動,人為的作成

〜体操的運動その他の種目に類別することができるが,その様式や態度に本能的活動や生 活に直接つらなっておこった形式のものに,人為的,習慣的なものが加って分類されるこ とになろう。すなわち人類発生以来の身体活動が徒走を中心として起り,その習慣や欲求 によってそれぞれ特徴ある様式,態度を形成し組織だった形として現在に伝承されてきた ものである。この点で技術体系の文化財的意味が在るのであって,活動の基底をなすもの は本能的,生活的,自然的な欲求にあると見るぺきであろう。

精神体系は活動の様式や態度の要求に対する意味所与的な立場にたって,活動の場面構 成の行動に対する理想的要求とみるべきであろう。すなわち,身体活動を職業的,経済的 活動の基礎を培うものであるとする以上に,高度な社会的理想を体育的生活の体験を通し て社会におしすすめていくことにある。行動やゲームの:場において,社会的・道徳的性格 の育成に好都合である事は事実である。この社会的資質は高い理想仕会に進めるための生 活の力となり,人間の活動力と社会理念の拡大を期することができるであろう。

スポーツのもつ精神体系は保守的,紳士的精神体系であり,ゼンツルマン・シップ=ス ポーツマン・シップとみる傾向もある。これは実際の活動場面において,チーム成員の行 動や役員の態度,応援団,後援会の態度に見る事ができるが,ゲームそのものの行動形式 や様式態度に見ることもできる。これらの中には目にあまってゆき過ぎのものもあり,ま たそうでもないものもある。運動の種目がもつ文化的領域の影響や社会的規範によって特 殊化された要素を包含していること,殊に封建的社会や階級別文化く学生とスポーツ〉に

は顕著な例を見るが如きである。

家元や宗家の極意が過度の規制的機能をもつものであったに対して,現在各種スポーツ は特種な社会的秩序のもとにありながらかつ普遍的であって,人々の習性,態度が内面化 し価値意識,感情が形成され,現代社会に共通的な態度,価値意識を構成し,パーソナリ

(19)

大西:体育の社会学的研究課題       181

ティ,社会的性格,イデオロギーの構造的統合を期すべきであろう。

@      耗

ミ会過程(social process)と社会変動(social change)とは相対的な概念で,不均衡状態がある 体系内部の変動で対処できるとき,その変化はその体系にとってまだ社会過程にすぎず,体系内部 の変動だけでは対処できなくなって体系そのものがかわるとき,社会変動という。しかし一般には 社会体制の変動を社会変化とよぶことが多い(社会学・福武直編・角川書店P・55)

教育観と体育観〜その変遷,小山田勝治・体育の科学・May l957 ペスタロッチの体育思想,木村吉次・体育の科学・Nov.1958 現代スポーツの諸問題,大島鎌吉・体育科教育・2,3,4,5号・1958 定義(西と東、,G・ハインツェ・体育とスポーツ・9,10,11,12,13号・1957 社会学(福田直篇)P.72,社会変動論

社会学(前掲,講座第八巻)第二章・社会変動

参照

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