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中学校技術科学習指導要領の変遷

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中学校技術科学習指導要領の変遷

永 島 利 明

(1980年11月15日受理)

は  じ め に

職業科から技術・家庭科にいたるまでの中学校技術科の学習指導要領の変遷史は,他教科に比較 すればよく研究されて来たと思われる。それはこの教科に財界や政府の産業政策が強く影響してき たからであろう。ここでは従来の先行研究に対する疑問やいくつかのいまでも公開されてこなかっ た事実について紹介してみたい。また,現場の教師がどのように改訂に対応したかもみたい。しか し,筆者な十分な調査はできず,いまだ試論の段階にすぎないことをおことわりしておく。なお,

各学習指導要領の内容については引用文献に詳細にわたって書かれているので,省略する。

職業科時代の学習指導要領

新制中学校において職業科という名称が初めて登場したのは,6・3制の発足にそなえて,1947 年3月20日に学習指導要領一般編が発行され,中学校に「職業科」を新設するときであった。長谷 川淳は「どうしてこの教科がおかれ,職業科という教科名が付せられるようになったかは明かでは ない。米国教育使節団報告書の発表(昭和21年4月)から,学習指導要領一般編の刊行すなわち,

職業科の設置(昭和22年3月)までの一年間の,この教科に関する資料や書かれた歴史は何もない」     ユ)とのべている。職業科という名称になったことについて,「産業教育八十年史」は「家庭科がはい

るので,従来の農・工・商・水産だけに使われていた「実業科ではぐあいが悪いという理由を認め       2)て職業科になったのである」としている。八十年史のこの説明では実業科という名称が使用できな

い理由は説明しているものの,職業科の名称の成立根拠としては十分とはいえないであろう。長谷 川淳は,職業科の名称につき,職業指導協会の運動があったものとして,つぎのように推定している。

「従前から「職業指導」という副読本を出版していた「職業指導協会」という団体が強力に働き かけ,文部省およびCIEを動かして,ついに「職業科」という教科名を勝ちとったといわれて いる。昭和21年11月にCIEの助言によって文部省に「職業教育並職業指導委員会」が官制によ らず設置され,「職業指導協会」の主要メンバーである淡路円治郎氏が委員長となったことも符 節が合づ1。

1947年の職業科の成立前後から1957年の職業・家庭科の学習指導要領の改訂までに日本職業指導 協会は,この教科に絶大な影響力をもっていたので,この推定には十分な根拠がある。しかし,こ れと同時にすでに青年学校では職業科および家庭科という名称が使用されていたことに留意しなけ ればならない。

青年学校は普通科2年,本科5年となっていた帆全日制の学校ではなく,本科2年以下に於て

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は,21α時間,本科3年以上に於ては180時間を義務課程の時数としていた。青年学校令施行規則に は,本科では修身及公民科は20時間,普通学科は50時間,職業科は70時間,教練科は70時間と規定 されていた。 (ただし本科3〜5年は普通科,職業科合せて90時間であった)。男子のみ義務教育

であった。女子では家庭科と職業科合せて110時間,体操科30時間が配当されていた。これらの時      3〜4)

数を12歳から19歳にわたって行えばよく,一種の社会教育機関であった。

周知のように,青年学校の教員養成は青年師範学校で行われ,新制大学になると教員養成大学・

学部に編成されたのである。こうした経過からみると,青年学校で使われた職業科の名称が新制中 学校の職業科に継承されたと推定してよいであろう。その継承に尽力したのが,職業指導協会では

      この裏付にはCIEの助言によって官制によらず設置された「職業教育並職なかったのだろうか。

ニ鱒委員会」礪成委員の謡や記録の発見に待たねばならない。なお請原道癖原磁は「青       6)年学校の実業科」と記述しているが,職業科の誤りである。従来の学習指導要領の先行研究では,       

両氏の研究がもっともすぐれているが,青年学校の教授要目の検討がされていない。この点は批判 されなければならない。

1947年の学習指導要領は農・工。商・水産・家庭・職業指導のバランスの上に立ち,一つの教 科として統一的な原理や内容をもつものではなかった。戦前の中学校の作業科,高等小学校の実業 科,職業指導,家事・裁縫の伝統をそのままひきっぎ,それにアメリカの職業指導の理論やインダ

ストリアルアーツの内容を加えて,編成されていた。

そのうえ職業科の大部分の教師は戦前の国民学校高等科の実業科や家事・裁縫の担当者,青年学 校の職業科や家庭科の担当者が横すべりしたために,それぞれの立場でうけとめた。文部省の伝達 講習では農業・工業・商業・水産・家庭の担当者がそれぞれの立場を強調し,また,職業指導協会

の講習では職業指導の適性が強調されるというように,大きな流れはなかった。この点は1947年

7−8)

の学習指導要領だけではなく,それ以後の1951年版,1957年版の学習指導要領においても共通していた。

従来の研究では,特に職業科時代の学習指導要領の短所を批判し,あたかも継承すべき長所がな かったかのようにいわれている。しかし,筆者は後の学習指導要領が継承し,現在にも生かすべきふた つの点があったと考えている。それはひとつは男女共学であり,ほかのひとつは地域主義である。

第1の点は男女共学である。1949年5月,文部省は「新制中学校の教師と時間数の改正について」

という通達を出し,職業科は「職業科及び家庭科」に変更された。この通達のなかで「職業科及び 家庭科は,男生徒及び女性徒がその一方のみを学習すべきではなく,男女いずれの生徒にも適切と 思う単元について両者に学習せしむべきである」ということが書かれていた。当時は新憲法発布直 後とはいえ, 「男子は生産,女子は家庭」という性的分業によって成り立っていた家父長制が強固 に残っていた。そうした社会のなかである程度の男女共学を推進していこうという意図をもってい たことは高く評価できる。しかし,1958年版の技術・家庭科の学習指導要領では内容を「男子向き,

女子向き」とし,義務教育のなかに男女差別を公然と導入したのであった。

第2の点は地域主義である。当時は地域社会学校論が強調されていた。学校は地域社会の教育の

中心となり,一方では青少年の教育を通じて地域社会の発展に貢献するとともに,他方では学校が

社会教育の中心となり地域社会の人々に教養とよき娯楽を与えねばならない。このように地域社会

の文化センターのような性格をもっ学校を地域社会学校とよんだ。この理論は職業科にも多くの影

響を与えた。その結果,地域の職業や産業に関する事項が数多く教材として導入された。この点は

批判されなければならないが,数多くのなかから技術教育の目標を実現する教材として最適のもの

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を精選すれば,その目標を達成できるはずである。この2点は1958年の技術・家庭科の学習指導要 領には継承されなかったのである。

1958年以後の技術・家庭科の学習指導要領

日本の産業における技術革新は1955年頃から本格化した。これを反映して日本経営者団体連盟は

「新時代の要請に対応する技術教育に関する意見書」 (1956年11月)を出し,つづいて翌年には「科 学技術教育振興に関する意見書」を出して,政府に技術教育の改革をせまった。これらの意見書を

うけて,1957年4月に文部省は中央教育審議会に対して「科学技術教育の振興方策」を諮問した。

その答申では中学校においては「職業に関する基礎教育を強化する必要がある。しかして,数学・

理科教育および産業教育の実施においては,生徒の進路の多様性に留意して,その志望と能力に応 ずる指導がなされることが必要である」としている。この答申によって,教育課程審議会は職業・

家庭科を技術科(のちに文部省は技術・家庭科とかえる)に編成がえする方針をうちだした。

1958年10月1日付告示の技術・家庭科の学習指導要領の内容の大要はつぎの通りである。総括目 標は「生活に必要な基礎的な技術を習得させ,創造し生産する喜びを味わせ,近代技術に関する理 解を与え,生活に処する基礎的態度を養う」というものであった。

各学年の目標および内容は男子を対象とするものと女子を対象にするものに分けられていた。各 領域には時間数と実習例が示されていた。男子向きの内容は第1学年で設計・製図(25時間,以下 時間を省略),木材加工(40),金属加工(20),栽培(20)であり,第2学年では設計・製図(30),

木材加工(25),金属加工(30),機械(20)であった。第3学年では機械(25),電気(45),総合 実習(35)となっていた。女子向きには調理,被服製作,保育,設計・製図,家庭機械,家庭工作 があった。

この学習指導要領の特徴は3点あった。第一に,日経連等の産業界の要求をいれて.下級労働者 の育成をはかったことである。第2に,憲法や教育基本法の男女平等の原則に違反して,「男子向 き」「女子向き」という男女別学を公認したことである。第3に,教育内容を工業的分野にほぼ画 一化したことである。農業の内容は栽培として残されたが,僅かに,315時間中の20時間にすぎな かった。職業科時代にみられた(完全なものではなかったが)男女共学や地域主義は完全に姿を消

した。

文部省は1959年から3ケ年計画でこれまで中学校で職業・家庭科または図画工作科を担当し,将 来,技術・家庭科を担当する予定の全教員を対象に,各都道府県ごとに,中学校教育課程(技術・

家庭)研究協議会を男子向き12日間,女子向き4日間を実施した。これに出席したものだけに技術 科の2級免許状を授与したのである。僅か12日間の現職教育で免許状を授与するのは,日本の歴史 上においても例をみないものであった。

それには研究協議会という名称はついていたものの,実際は実技講習会であった。学習指導要領 にある実習例について講習を行うだけで,研究協議はまったく行われなかった。

日本教職員組合は学習指導要領の改訂に対して, 「就職組,進学組に区分する差別教育の復活及

びそのコース制や男女共学制の破壊」,「科学技術教育振興の美名のもとに下級技能者養成をはかる

技術税家事灘的技術蟻に内容を改悪する家庭科」であるとして強く反対し怨各都道府県の

教員組合では実技講習に参加しないことが決議された。教員組合は反対のために講習会阻止のため

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のピケットラインをはったところが多かった。大分県日田地区では1959年8月4日日田林工業高校 における講習会開催中止に成功した。しかし,その実行者たちは公務執行妨害罪などの司法弾圧,

停職・減給・戒告などの行政処分をうけた。こうした行政・司法弾圧によって,反対闘争は実技講 習会を民主的な内容にする方向へと変っていった。たとえば,北海道では単なる実技講習会にしな いで,「現場からも問題を出合って,どうすれば北海道の教育がよくなるか」という研究がされる ようになっ鶏しかし,ついにこの学習指導要領は是正されることなく実施された。

この学習指導要領は1969年4月14日に改訂された。技術科における主な改訂点は時間指定がなく なったこと,実習例がなくたったこと,栽培が1年より3年に編成がえされたことなどである。し かし,本質的には1958年版と何ら変ることがなかった。

1977年版学習指導要領の問題点

1958年版以後の学習指導要領のもっとも大きな問題点は男女別学ということであった。それは単 に法的に憲法や教育基本法に違反するというばかりでなく,教育的にも男子が生産を女子が家事を

分担するという性的分業を固定化すると,女子の自然科学的な学力の低下,学習能率の低下,教師      11)が担任として自己のクラスの授業を担当することができないことなどが批判されてきた。

77年の学習指導要領ではこの男女差別の批判をかわすため,「男女相互乗り入れ」を導入した。

このことは,男子には従来の「家庭科」の領域のなかから,女子には「技術科」の領域のなかから 一領域以上を履習するということである。相互乗り入れは男子が家庭系列を学ぶことについては,

1958・1969年版にはみられなかったことで改善されていると評価できる。

しかし,女子の技術教育についていえば,1958年版では設計・製図,家庭機械・家庭工作,1969 年版では住居,家庭機械,家庭電気が必修であったものが,技術系列のひとつだけ選択すればよい のであるから,大きく後退したといえる。しかも,1977年版の住居では,1969年版にみられた技術 教育の基本ともいうべき製図が姿を消してしまった。

授業時間数は1〜2年では3時間から2時間に削減された。従来,3時間のうち1時間のみを技 術教育にあて,男女共学によって行う学校が多かったが,この削減によってこうした学習形態は困

難になるであろう。従って,表面的には男女相互乗り入れは承認されたものの共学や女子の技術教       12)育は成立条件をいちじるしくそこなわれているといっても過言ではない。

なお,この学習指導要領の領域は,A,木材加工1・2。 B,金属加工1・2。 C,機械1・2。

D,電気1・2。E,栽培。 F,被服1・2・3。 G,食物1・2・3。 H,住居。1,保育とな っている。1や2という小領域も1領域となっているので,全部で17領域あることを付記しておく。

つぎに,この学習指導要領の特徴は「指導計画の作成と内容の取扱い」において, 「地域や学校 の実態を考慮して」ということばが2回使われていることである。ひとつは男女の相互乗り入れ,

ひとつは選択教科に関連してのべられている。

相互乗り入れに関係して考慮しなければならないことは,技術科の施設・設備のことである。も

ともと技術科の予算は産業教育振興法によって,国費3分の1,都道府県費3分の1,市町村費3

分の1によって運営されてきた。しかし,財政力のない市町村では3分の1を負担することができ

ず,その結果県費,国費の負担もうけられないという悪循環が続いていた。この欠点を除去するた

め,義務教育国庫負担法による国費2分の1負担に変わった。しかし,作成された教材基準は従来

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の設備参考例よりひくく,必要な工具の生徒による個人負担化が進んでいる。このため負担能力の 乏しい地域や学校では,十分な技術教育を保障できないという問題が生じている。このことは教育 の地域格差を固定することになろう。

選択教科としての「技術・家庭」については,「地域や学校の実態を考慮して,各領域の内容に示 したもののうち適切なものを選び,これを一層深めて取り扱うほか,例えば飼育,植林,和裁など のうち適切なものを取り扱う」とのべられている。しかし,具体的な内容はなんら示されていない。

だが,地域重視に影響されて,栽培では地域の作物から精選して授業を行う例もみられる。このこ とは技術科を「地域の離島」にしない試みとして高く評価できるであろう。このように地域の重視 は一方では地域の格差を固定し,一方ではこどもの地域理解をすすめるという二律背反的作用をも っている。

お  わ  り  に

これを書きながら特に感じたことは,技術科は従来男子のための教材とみられてきたが,しだい に他教科なみに牛歩ではあるけれども,男女共学へと進んでいくであろう, ニいうことであった。

日本政府が最初のうち調印することを渋った「婦人に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条 約」は,男女平等を保証するために, 「この平等は,就学前教育,普通教意技術教育,職業教 育と高等技術教育およびあらゆる騨の職業訓繍・おいて保障されるものとする」とのべてい魏 この条約では家庭科教育についてはなんらふれていない。技術教育は男女平等を保証する重要な課 題であるという認識がしだいに普及していくであろう。

また,1958年版以後の学習指導要領は工業技術教育に画一化されてきた。しかし,地域の産業か ら精選された教材を採用することが望ましい。そのことが地域の教育力の回復力につながっていく であろう。

ここではおもに男女共学や地域の問題などを考察の対象としてきたが,十分な研究に到達してい るとはいえない。そのひとつの理由は学習指導要領の作成作業は公開されておらず,研究は当時者 の証言なしには進まないからである。作成作業の情報公開の必要性を痛感する。

1 長谷川淳 戦後日本の技術教育史(1》技術教育研究創刊号 技術教育研究会 1972年1月 6〜7頁。

2 文部省 産業教育八十年史 大蔵省印刷局 1966年426頁。

3 近代日本教育制度史料編さん会編 近代日本教育制度資料第4巻 講談社 1956年 8頁。

4 永島利明 用語「家庭科」と保育および老人問題 技術教育2761975年7月号 42頁。

5 産業教育研究連盟編 技術・家庭科教育の創造 国土社 1968年 23頁。

6 原正敏他編 技術教育の歴史と展望(講座現代技術と教育8巻) 開隆堂 ユ975年 166頁。

7 6の172頁。

8 5の23頁。

9 日本教職員組合 日教組20年史資料篇 労働旬報社 1970年 884頁。

10 北教組上川地区協議会組合史第二集一昭和29〜39年まで一刊年不明137頁。

(6)

11 岡邦雄・向山玉雄編 男女共通の技術・家庭科教育 明治図書 1970年 22頁。

12 新指導要領批判 技術教育301号 国土社 28−34頁にいくつかの批判がある。

13 向山玉雄  「婦人の差別撤廃条約」と技術教育 技術教室340号 民衆社 1980年11月号 5頁。

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