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書くということ

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Academic year: 2021

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巻頭言

書くということ

中島八十一

高校の同級生に画家になった男がいる。有名にはならなかったがこれまで画家だけを生業として糊口 を凌いだので、良い人生だったといえるだろう。彼のひとつ話は大学入試の実技である。毎日放課後美 術室にこもり彫像のデッサンに励むのを見て感心したものの、来年の出題は何かとヤマを張るのを聞い てはいささか興醒めした。

さて、入試当日、同心円状に配置された受験生は中央のテーブルにどの彫像が置かれるのか固唾を呑 んで待っている。そこへ試験官が1枚のザラ紙を持って登場、クシャクシャと丸めて放り出すとこれを描 けという。頭に血が上ったことは言うまでもない。もし、これを入試の小論文の題材に置き換えたらど うだろう。クシャクシャと丸めた紙を文章で描写するのである。

明治時代の外相陸奥宗光は、日清戦争の顛末を記した蹇蹇録で次のように述べる。「公文記録は実測 図面のように山川の高低深浅を数字を違わないように記すばかりである。さらに、山川の本質を極めよ うとするならば、別途写生絵画を必要とする。本書の目的は、当時の外交の写生絵画を作ることにある。

読者は公文記録と本書を照合し、山川の数字と本質の両方を見ることで十分に得心が行くであろう」(中 島訳)。文章を書くことに関するまことに正鵠を射た見解であるが、陸奥にしてできることが何人にも 同じようにできるかどうか。

そもそも、文章による写生には手を焼くのが通例である。静止画であっても難しいものが、動画を文 章にするとなると尚更であり、いわゆるアクション物は小説としても高度の技術を要する。客観的な事 象を、誰にでも分かるように書くことには大きな困難が伴う。もっとも身近なところでは、道を尋ねら れて口頭であっても尋ねた者を正確に目的地に導く説明をなすには、相当に修練を必要とする。日本語 という言語的制約もあるかも知れない。フランスで道行く普通のおじさん、おばさんに行き道を尋ねれば、

大概目的地にすんなりたどり着けるのはその例である。それに比べれば、心情を始めとして心の中の出 来事を述べることは易しいので、随筆というジャンルが成立する。

職業としての研究者が書くのは論文であり、その内容はエビデンスに基づいた医療あるいは看護が謳 われ、これをもって科学的であるとされ、事象を数理科学に還元することが求められる。それは正しい。

その対極にあるかに見えるのがナラティブと呼ばれる手法で、記述を蓄積し、分析することで事象の本 質を極めることである。言うまでもなく、そこに心情が入る隙間はなく、主観的な感想を求めるもので はない。特段両者に対立関係はない。数理科学を駆使して得られた結果を整理し説得力ある論理展開に して見せるのは、ナラティブ以外の何物でもない。しかも、その本質を描写することは写生に他ならない。

読み手が共通して脳裏に同じ実体を浮かべられるようであれば、書くことの目的を果たしたことになる。

参照

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