序
建罷露盤盟書留置翠盟露経A.:::.0..
Z
岡
1
現 代 目 ト ラ 巾 課 題
オ ー ス ト ラ リ ア 全 土 の 人 口 は
2016
年 の 最 新 の 国 勢 調 査 に よ れ ば 約2.340
万人 で あ る 。 し か し オ ー ス ト ラ リ ア が ま だ 白 豪 主 義 を 堅 持 し て い た
i 9
6
9
年には1 .
2
2
6
万人 , グローパリゼーション による都市再開発ラッシュが訪れる前の1
9
8
9
年には1 ,6
8
1
万人にすぎなかったo1969
年からの4
0
年余りで約1 .8
倍に,また ,
1
9
8
9
年 か ら の わ ず か2
0
年 余 り で5
0
0
万 人 も 増 え た 人 口 の 多 く は 上 位 の5大都市閣に居住している。こうしたオーストラリア全イ本の人口の急速な増加
に大きく寄 与 してきたのは移民である( 図
1
- 1
)
。オーストラリア人の大多数は ,(万人)
30
20
10
。
東欧・南欧系 東南ア ジア系
↓ ↓
中国系 ↓
1950 1960 1970 1980 1990 2000 2005 ( 年)
図1- 1 オーストラリアにおける増加人口の内訳 ( 1945 --- 2005年)
] 序 論 3
過 去 約
200
年1
m
に200
ほどの1
m
と地域からやってきた移民( M
i gran
t )
か,その子孫である。人口の約半分は移民] 世の増加による直接的な人口増加であり,
残りの半分を占める自然増加においても オーストラリアで生まれた移民
2
世や
3
世の増加といった間接的な影響も大きい。1950
年 代 頃 ま で は , オ ー ス トラ リ ア へ の 移 民 の 出 身 地 の 大 多 数 は イ ギ リ ス と ア イ ル ラ ン ド か ら で あ っ た が,
そ れ ら は
1960
年 代 頃 か ら 急 減 し た 。 そ れ に 代 わ っ て1950
セ@1960
年 代 に かけて東欧系( 特に,
I
日ユーゴスラピア系), イ タ リ ア や ギ リ シ ア な ど のw
n
孜系移民が急増した。
1970
年 代 に 臼 豪 主 義 が 撤 廃 さ れ る とF イ ン ド シ ナ 難 民 を 含む東南アジア系移民が急増した。
1990
年 代 後 半 に か け て は 移 民 の 出 身 国 は さらに多様化し,インドやスリランカなどの南アジアs 中東諸国 ,l: j コ国・韓国な
どの束アジアからの移民も増加した。
2007
年 以 降 に は 中 東 諸 国 や ア フ リ カ 諸国 か ら の 移 民 も 増 加 し て い る 。 人 口 の 自 然 増 加 率 は 停 滞 傾 向 が 確 認 で き る が2
近 年 で は 移 民 に よ る 人 口 増 加 率 が 再 び 拡 大 し て お りr 年によっては
2
0
万 人 以上というベースで移民が増加し続けているのが現代オーストラリアの特徴であ
る。
オーストラリアの多文化性については,これまで国際政治学や国際関係論,
オセアニア史などの分野で一定の研究蓄積がみられる 。 これらの研究は ,
1
9
0
1
年に現在のオーストラリア連邦が誕生して以来堅持された白豪主義が終駕した
1970
年 代 前 後 の 社 会 変 容 を 取 り 扱 っ た も の が 多 い 。 こ う し た 急 激 な 変 化 の 主たる要因は. オーストラリアで
1
9
7
2
年にみられた政権交代であり. これによって移 民 政 策 と し て 導 入 さ れ た ポ イ ン ト シ ス テ ム に あ る 。 し か し 前 述 の よ う に ,
長らく主な供給源で、あったイギリス・アイルランドからの移民は,この政権交
代 に 先 立 つ
1960
年代に 急、減しており3 代 わ っ て 東 欧 や 南 欧 諸 国 か ら の 移 民 の顕著な増加がみられた。こうしたヨーロッパ系移民の出身地の多様化は,アン
グロ・ケルトおよび英認を共通語とするオーストラリアの文化的基鍛を大きく
揺 る が し 結 果 的 に は オ ) ス ト ラ リ ア は 多 文 化 社 会 へ と 舵 を 切 ら ざ る を え な く
なった( 竹田.
2
0
0
0
)
。ギリシアやイタリア
.
1
日ユ) ゴスラピア諸国などからの移民が急増した結果.オ ー ス ト ラ リ ア が
1960
年 代 に 経i換した「英語の通じない白人J の増加は,多4
移 民 の 急 増 の 際 に も こ の 経 験 が 活 用 で き た と 肯 定 的 に と ら え る 意 見 が 存 夜 す
るG このようなエスニックあるいは文化的多様性がオーストラリア社会で顕在
化する一方,
1990
年 代 半 ば 以 降 の グ ロ ー パ リ ゼ ー シ ョ ン 期 に お い て は , オ ーストラリアでは規制緩和および、市場主i幕路線の経済社会改革を行うネオ・リベ
ラリズムの潮流にものみ込まれてきた。この過程で,それまでの社会民主主義
あ る い は 福 祉 国 家 重 視 の 考 え 方 に 代 わ っ て , 自 由 主 義 を 重 視 し 小 さ な 政 府 や
個 人 主 義 と い っ た 経 済 合 理 主 義 的 な 思 考 様 式 が オ ー ス ト ラ リ ア 国 民 の 間 に 広
まっていった( 塩原,
2005)
。これらの動きは,やがてエスニック・マイノリテイの排斥や社会的弱者への福祉切捨て政策 難民・亡命希望者への排他主義らに
代表される社会問題の共通の根となっていった
( H
age
,1998)
。このように,オ…ストラリア社会は多文化主義の推進と抑制という,相反する 2つの瀧念に挟ま
れながら. まるでアクセjレとブレーキを同時に踏むかのように進展してきた。
オーストラリアでは移民の出身閣がヨーロッパのみならずアジアを合めて多
様化したことは,急速な人口増加に大きく寄与することとなった。その一方で,
オーストラリアという国が地球上の地理的位援に相応して,名実ともにアジア・
太平洋地域の国家となったプロセスととらえることもできるだろう。急速な「ア
ジ ア イ ね に よ る 多 文 化 化 の 進 展 は 寛 容 な 雰 間 気 を 醸 し 出 す 効 果 が あ る と 考 え
られる一方で¥オーストラリア社会にさまざまな社会問題を発生させていると
いう指摘もある。例えば,
2005
年にシドニー郊外のクロヌラピーチで、起きたアジア系移民に関わる暴動や( 吉田,
2007)
,2009
年にメルボルンで、頻発したインド系留学生への暴行事件のようにこれまで、比較的治安のよいとされてき
たオーストラリア社会は アジア系移民の急増に直面して,今まさに岐路に立
たされている。
かつて,移民といえば「英語が苦手J r低 所 得J r肉体労働」といったステレ
オタイプなイメージが付きものだ、ったが,今日では従来の移民保とは異なり,
くて英語のスキルが一定レベル以上,かつ,専門的な資格をもっ新たなタイ
プの移民「新規移民J がオーストラリアの大都市閣で急増している。新規移民
の中には,
I T
技 術 者 や 高 度 な 専 門 職 等 に 就 く 者 も 決 し て 珍 し く は な く , 高 所得を得ている彼らは, もはや従来のエスニックコミュニティの集ノ住地区にはこ
i 序 論 5
のコミュニティだけを調べれば事足りる時代は終了している。都市圏全体の構
造を把擬したうえで個別の事例地区でみられる事象を考察することが不可欠で
ある。そこで本書ではy 多文化化の進む現代オーストラリアの都市社会に着自
し 各 エ ス ニ ッ ク グ ル ー プ の 特 徴 を ( 大 ) 都 市 圏 の 構 造 か ら と ら え る こ と で ,
QセS
このように,広く( 大) 都市関内を対象として3 客観的にエスニッググルー
プ 別 の 住 み 分 け の 様 子 を 把 握 す る 観 点 は 地 理 学 で は 一 般 的 な 切 り 口 で あ る が1
隣接諸科学では一般的にみられるとはいえない。本書では. 個別の都市のさま
ざまな社会・経済指標七時系列的に丹念に分析することはもちろん( 都市を「点」
としてとらえる視点), さまざまな変化が起こっている地区の詳細を地理情報
システム( 以下,
G
1S)
を 駆 使 し て 解 析 し 都 市 ( 圏 ) 全 体 の 構 造 の 文j振からも考察を加えている( 都市を「面」としてとらえる視点) 。本書が提示するよ
う な
G
1S
を用いて都市社会問題といった社会・経済分析を行うといったアカデミックな切り口は,管見の限り,ほとんど自にしない状況である。本書で採
用している
G
I S
を 用 い た 社 会 ‘ 経 済 属 性 別 に み た 詳 細 な 地 図 を 解 析 に 用 い る手法が,最終的には地理学のみならずヲ移民研究. 社会学. 経済学ア教育学等F
他の分野の研究者との今後の共同研究への拡張の可能性を提示することも,本
書のもう] つの自的である。
セ@
;
;
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-
;
;
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ト
ラ
リ
羽
市
構
造
オ ー ス ト ラ リ ア 最 大 の 都 市 は 人 口
482
万 人 を 数 え る シ ド ニ … で あ る 。 シ ドニ〕に次ぐオ) ストラリア第
2
の人口( 4
4
9
万人) のメルボルン、さらにはブリスベン. パース. アデレードの各都市の成長も著しい。観光地として名高い
ゴ… jレドコーストは 5大都市に次ぐ人口6位の都市であり,首都キャンベラ
TS iセ X
口は20万人で13位ヲ日本人観光客も多く訪れるケアンズは人口14万人でお位.
北部準州の 11: 1心都市ダーウインの人口は
1
2
万人で1
7
位である( 表1-
1) Q.ら
袈
1
-1
オ{ ストラリアの都市別人口( 2
0
1
6
年)1
1
慎位 都市 人口( 人)シドニーGC C S A
4
,8
2
3
‘9
9
3
2
メjレ レ ンGC C S A4
.
4
8
5
,2
1
0
3
スベンGC C S A2
; 2
7
0
,8
0
7
4
GC C S A1
,9
4
3
,8
6
"
1
5 ドGC C S A
6
ゴール ト6
2
4
,2
6
3
7
ーユーカッスjレ8
キャンベラ9
セ: ノ3
l 9
; 6
8
1
"
1
0
HエヲZ hiiセ@ : オーストラリ
GC C S A ( Gr eat er Ci t y Stati坑i cal とは,オー
ス ト ラ リ ア 統 計 局 が 定 義 す る 大 都 市 閣 の 範 囲 .
サ ン シ ャ イ ン コ ー ス ト か ら メ ル ボ ル ン に か け て の 一 帯 に は 人 口 規 模 上 位
1
0
都市のうちパースとアデレードを除く 8都 市 が 集 中 し て い る 。 大 陸 東 部 は 読i援湿
潤気候に恵まれており
i
昆かい気候を求めてイギリスやアイルランドデさらにュ ー ジ ー ラ ン ド か ら 高 齢 者 が ロ ン グ ス テ イ に 訪 れ て い るO また,オースト
ア国内においても 退 職 後 に 大 陸 東 部 の 温 暖 な 気 候 の 土 地 に 移 住 す る 者 も
多い。
jレポlレン,ブリスベン,パース,アデレードはそれぞれ州都で
1901 年のオーストラリア連邦成立以降,人口を増加させてきた。
ては周辺農村ーから集められた農音産物の集散地として,近年では都市的産業の
集積地として各州内の最大のヰI心地として機能している。これら5 大都市に加
え,首都のキャンペラも含ゆた6 都市は高等教育機関や就業機会にも恵まれる
1 序論 7
120 0
E 135
0 E
150 0 E
l 合f
骨その他の主な都市 : 九 毛
い
つ
|j iセBBB
図1- 2 オーストラリアにおける主な都市の分布
集まってきている。
本書で、はエ只ニックコミュニテイに着目することが重要な切り口であるがy
それと同時に,個別のエスニックコミュニテイの事例研究を( 大) 都市圏全体
という客観的な視点をもって考察することを試みている。本書において( 大)
都市
i
習を分析の空間スケールとする理由は. オーストラリアの生活上のまとまりがあるからである。移民として初めてオ} ストラリアの大都市にやってきた
者は. 初めはエスニックコミュニティを頼りに生活拠点を立ち上げるケースが
多いといわれるが,こうした移民を受け入れることができる規模のエスニック
コミュニテイが存在するのはこれら
6
都市にほぼ限られる。働く場所( 英語の能力が低い場合は5 多くのケースで工場労働者として勤務) が比較的豊富にあ
ることや3 家賃の安いjレ… ムシェアから郊外の戸建て住宅‘ 都心部の高層コン
ドミニアムなど. さまざまなニーズに合致した住宅ストックがあるのも6都市
の特徴である。各都市は都心部の中心市のみの狭い範
1
m
のみで成立しているの8
開 デ ー タ の 特 徴 :
一 一 勢 調 査 …
マ イ
本舎を通して,オーストラリア統計局
( A
l l st rat i an B
l l reaU
o
f St at
Lsti cs
,以下
ABS )
の 提 供 す る 国 勢 調 査 デ ー タ の カ ス タ マ イ ズ テ ー ブ ル とG
I S
を組み合わ せ て , 大 都 市 密 内 部 の エ ス ニ ッ ク グ ル ー プ7J i J の住み分けの様子や,社会- 経
済 属 性 と の 関 連 の 考 察 を 試 み て い る 。 オ ー ス ト ラ リ ア は
G
I S
の 利 活 用 に お いては先進国であり,
G
I S
に よ っ て 作 図 し た 地 図 自 体 は , 学 術 利 用 に と ど ま ら ずに生活のさまざまな場面において, 日本よりもむしろはるかに多く使われてい
る と の 印 象 も あ る 。 オ ー ス ト ラ リ ア の 統 計 整 備 の 先 進 性 が な け れ ば ¥ 本 撃 は 誕
生しなかったといっても過言ではない。
本書で採用した研究方法は,以下の通りである。詳細な国勢調査
f
のデータ( 次長' i で詳述)1 と
G
I S
を 組 み 合 わ せ た 定 量 分 析 を 基 本 と し , こ う し た 分 析 に 基 づいて,研究課題に沿った適切な事例地区を選定した。そのうえで? 各エスニック
グ ル ー プ を 対 象 と し た 聞 き 取 り 調 査 に 基 づ く 定 性 的 な 分 析 を 組 み 合 わ せ た 。 調
査 の 過 程 で 用 い た 言 語 は 英 語 は も ち ろ ん 必 要 に 応 じ て 中 国 語 や ベ ト ナ ム 諾
でも実施した。本書では,
G
I S
に よ る 解 析 結 果 と 開 き 取 り 調 査 で 得 た 資 料 等 を照 合 す る こ と に よ り , 詳 細 か つ 客 観 的 な 分 析 お よ び 考 察 を 行 っ たO
A B S
は,2009
年8
月に,2006
年 実 施 の 国 勢 調 査 デ ー タ の 公 開 を 目 的 と す るテ ー ブ ル ピ ル ダ ー と い う 製 品 を 発 売 し た ( 図1- 3) 0 これは発売価格が1,
655
ドル( キ
148
,950 凡
1
豪 ド ル= 9 0
円 で 換 算 ) で あ る 。 先 行 製 品 で あ るC D A T A
に 比 べ る と 価 格 が か な り 低 く 抑 え ら れ て い る ほ かP テーフソレビ〕レダーは「表を作成するJ という製品名の通り 購 入 者 が 任 意 の 統 計 地 区 ご と に 託 意
の 属 性 を 自 由 に 組 み 合 わ せ る こ と が で き るQ
テ ー プjレ ピ ル ダ ー で は , す べ て の デ 」 タ 利 用 が オ ン ラ イ ン 化 さ れ て い る 。 当
該サイトは,オーストラリア国内に│ 浪らず,インターネットに接続された端末
を 通 し て 世 界 中 か ら ア ク セ ス が 可 能 で あ る 。 デ ー タ は
D V D
な ど の メ デ ィ ア 等r or I M. Xnl(A 明泊目、me:竃4lf!"れ 勺 -.ぴτ a_b!.e8也氏"" r a bl岨ul l O・『向。依命 由atp<';:!pr回 訓 . ..伊 """"間 崎 町 出Cc同 国 由 也
オ エ\BGNN ュ H|N Giヲ V u icI[A Gセm cZ ioZ NH ッュ ーヲNIGB
GB X BBB セ・D ZZHᅦ uGャoc Aャ i AケNQBNA N\ャ v。セ セ ャN エヲ cセ suD ← セ p セ NaNj m ァ\G Qャ Qセ ZyoZ o ou ^^oGB IGᅮ IX「 AM エ
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柑 酔 舟 何 時 時 開C相以"由'< lセ ョセ jGiZi セ N 「NG 、。イ B
u セエBAG N bョD」 G ーイー `エj N ュッAN ャ cエN GB XN HF AGェ セ 、 BBB エN Bi 。エ Nャッ、オGZヲG・ G 」 IZBjQi セ ly NNィ セヲIN
N イN N i cG NcZ Gセ Hャ Z\PB N
」ッZ セ N イ・ャ・。ウッ 2 0) 1 d d回 a V;:ll!abl c...nTBbl e.8ut l dcr I).CW
図1- 3 オーストラリア統計局によるテーブルピルダー
I 序 論 9
( オーストラリア統計J苛のデ} タをもとに作成)
こ の 情 報 を 用 い て サ イ ト に ア ク セ ス す る 。
デ ー タ の 集 計 範 閣 は 「 常 住 地J i就 業 地J iセ ン サ ス 実 施 日 の 滞 在 場 所 」 の
3
つ のiゃから選ぶことができ. さらにデ一夕集計計a範囲の単位も選ぶぶ、ことができるo
A
小¥叶奇統売計計a区
(約
5
ω
O
i
世並帯の集討計aイ値直) でで、ある C D ( Col l ect i on Di stむrオ-ic比ctじ:20
∞
06
年までで、) 上,やS A f ( 2O] 1 年) カか3らy司中コ統計訓
i
皮玄である SLPd ; ( Stati sti cal ILJ Oω A r ω ,刊耐n
可市市T引i町Jl町iり 附 ]州レベベ、ルまで. 任意の地区を対象としたデータを取得できる( 図1- 4) 。
テ ー ブ ル ピ ル ダ ー の 最 大 の 特 徴 は , デ ー タ の カ ス タ マ イ ズ 機 能 で あ る 。 国 勢
調 査 の デ ー タ に 器 づ い た 各 種 の 報 告書 等 は , オ ン ラ イ ン ・ オ フ ラ イ ン を 問 わ ず
Qャ Qセ j[
例 え ば i高 所 得 者 の 分 布J i英 語 に 流 暢 で な い 住 民 の 割 合J r通 勤 に 公 共 交 通 機 関 を 利 用 す る 住 民 の 割 合J 等. A B Sの 社 会 地 図 で、紹 介 さ れ て い る よ う な 情
報が代表作。であるがp 研 究 レ ベ ル で 利 用 す る 場 合 は r高 所 得 者 」 と い う 単 一
の 属 性 の み な ら ず r高 所 得 者 」 で あ り , か つ 「 家 庭 で 、 中 国 誌 を 話 す 人J r企 業 の 管 理 職 以 上 に 就 く 人 」 と い う よ う に2つ, 3つ の 属 性 を ク ロ ス さ せ た デ ー タ
が 必 要 に な る 。
10
図1- 4 オーストラリア統計局によるテーブルピjレダー( 詳細菌商) ( オーストラリア統計局のデータをもとに作成)
研究自的の複雑なデータをオーダーメイドで作成するサービス( カスタマイズ
データの提供) に応じてきた。大都市圏内の通勤流動の分析から大都市圏構造
の 特 徴 を 論 じ た 研 究 ( Fuj i i et aL, 2006) や , 近 年 急 速 に 増 加 す る 留 学 生 の 急
増と都心のコンドミニアムの賃貸需要との関連から都市再開発の特徴を論じた
研究( 堤・オコナー, 2008) などは, A B Sに作成を依頼したカスタマイズデー
タ に 基 づ い て い る 。 た だ し こ れ ら の デ ー タ の リ ク エ ス ト は ,
1
@ の作業につき700セQPPP o j ェ
初 の 壁
3
剥司法払えば,あとは新たなデータの作成自体の費用は発生しない。すなわち,テーフソレピルダーのシステムを用いれば大都市圏全域の任意の空間 iセ,学歴,家庭で使用する
通 勤 に 使 用 す る 交 通 手 段 等 に 関 す る 詳 細 な デ ー タ が 取 得 可 能 で あ る 。 「 通 勤 に
自家用車を利用J かつ r-週 給2,000豪ドjレ以上の高所得者J,あるいは r使用
( 例 : 家 庭 で 中 国 語 を 話 す ) と 「 居 住 数J ( 例: 2000年以降の来豪者)
というような, 2種類, 3潜: 類といった複数の属性をクロスさせたデータが?
特定の大都市医
i
や都市,ヰI統計区,ノト統計区といった任意の地区に対してオン] 序 論 11
ヨ 本 書 の 構 成
本 書 は
2
音;1構 成 で あ る 。 第I
部は. 大都市圏全体の構造変容の枠組の中で,現代オーストラリアの大都市閣の変容を扱っている。
1
章で研究課題や研究目的・方法。 使 用 デ ー タ を 概 説 し た 後
. I J
章はシドニ一大都市圏を対象に,モータリゼーションに伴う大都市│ 習の外延的拡大やエスニックグループ別の住み分
けといった社会・経済的な構造変容,
1
1
1
章はこうした構造変容に関連して,シドニー大都市圏の郊外に形成された比較的安価な住宅地区へのフィリピン系
移民の急増の状況を分析している。 1V章はメルボルン大都市! 習を対象に,モー
タリゼーションに伴う大都市圏の外延的拡大やエスニックグループ別の住み分
けといった社会・経済的な構造変容 ,¥1 章はこうした構造変容に関連して,メ
ル ボ ル シ の 都 心 部 に お け る 高 層 コ ン ド ミ ニ ア ム の 急 増 と 都 心 近 く に 存 在 す る
著名な大学へのアジア各国からの留学生の急増との11与にみられる関係について
考 察 し て い る 。 こ の よ う に , 第
I
部で扱う事例はすべて大都市圏スケーjレで展開する事象である。
続く第I l 部は,変貌する都市社会に焦点を当て. よりミクロなスケールで
の分析を進める。 '. V ] 章 で は イ タ リ ア 系 住 民 が 多 く み ら れ る シ ド ニ ー 郊 外 の ラ
イカ) ト地区を事例としたイタリア移民によるコミュニティ再興の事例. ¥1
1
1
掌は標準中国語系と広東語系ともに増加の著しい中国系住民の状況について,
キャンベラを事例に考察している。キャンベラを事例として選定した迎由は,
人口
100
万 人 以 上 の 大 都 市 と キ ャ ン ベ ラ の6
都 市 を 対 象 と し た 場 合 . 過 去1
0
年で最も急速にIj:J国系の移民( オーストラリア国立大学への留学生を含む) が
増 え た 都 市 の l つであり,中国系の移民によるコミュニテイの変容を考察する
には. キャンベラは好適な都市だからである。さらに. アデレード郊外を対象
と し て , ベ トナ ム系 の 移民 の増加の 要因を掘 り下げ る
v nI
章 が 続 く 。 第1
1
部で取り上げるイタリア系. jJ:J
I
! I 系. ベトナム系の各移民は,個別の大都市圏だけでなく,オーストラリア全体でみてもr 移民数の多いエスニックグループで
ある。本書の事例から得ーられる知見は. オーストラリアの他の大者I S' f ! J 圏にも共
12
は ミ ク ロ な ス ケ ー ル で の 分 析 を 主 眼 と し つ つ も , 第I部で展開した大都市霞
i
全体 の 構 造 変 容 の 視 点 か ら の 分 析 も 随 所 に 散 り ば め ら れ て い る 。 そ し て , 最 後 の
I X主主は結論である。
ま た 本 書 に は , 学 術 的 内 容 か ら は 少 し 離 れ る が , 章 と 章 の 問 に コ ラ ム を 設 け
ているu 大 都 市 で 愛 さ れ る 高 級 食 材 のwa g y u, ア ウ ト パ ッ ク ツ ー リ ズ ム と 都
市 住 民 , ダ ン デ ノ ン 丘 陵 の 森 と 親 し む メ ル ボ ル ン 市 民 , ワ イ ン と バ ー ベ キ ュ ー
を 楽 し む オ ー ス ト ラ リ ア 市 民 ? 多 様 性 を 活 か し た 都 市 観 光 の 推 進 一 シ ド ニ ー の
L GBT
ツーリズムの事例- そしてアウトパックの中国人である。このような,現代のオーストラリアをよく表すトピックスを通して,オーストラリアの「今」
を親しみやすく紹介することにも努めた。 、 〔堤 純)
J主
1 2014年3月 に オ ー ス ト ラ リ ア 統 計 局 ( Aust r al i anBur eau of St at:i sti cs, 以 下ABS ) か
ら 発 表 さ れ た 報 告書 によれば, 2011年 の 国 勢 調 査 結 果 で は 全 国 民 の お よ そ4分のl に相
当する530万人が外国立まれの「移民Jで あ る 。 こ の 報 告 書 に よ れ ば r移 民Jの定義はオー
ス ト ラ リ ア 以 外 で 生 ま れ た 人 を す べ て 含 ん で い る 。 し た が っ て , こ の 定 義 に 恭 づ く 「 移 民j
は,永住者はもちろん,長期滞在者,留学生などを含んで、いる。ただし,国勢調資当E! に
オ ー ス ト ラ リ ア 国 内 に 滞 在 し て い て . 1 年未満で帰医iすると回答こした者は「移民」には合
まれていない。
ht t句p:メ/メ!ソ/八もW司v収ww. abs . gov .au/ aus部st凶at臼s / abs @. ns f l LookLlp/ 4102. 0 mai n十f白eat u山r esl 020l t t #t ωop ( 2017年6月llE日i最終閲覧)
2 . A B S は2013年7月に, 2011年 実 施 の 国 勢 調 査5デ ー タ の 公 開 を 目 的 と す る テ ー プjレピ
ル ダ ー と い う オ ン ラ イ ン サ ー ビ ス を750袋ドル( ヰ67,500凡 i表 ドjレ= 9 0円 で 換 算 ) で
開始した。このカスタマイズデータでは, J構入者が任意の統計地区ご‘ とに任; 苦; の属性を長i
E
t
lに 組 み 合 わ せ る こ と が で き る 。 ま た す べ て の デ ー タ 利 用 が オ ン ラ イ ン 化 さ れ て い る うえ , ア ク セ ス 回 数 にtiilJ 限はない( 堤, 2014)
。
3 2001年 実 施 の 国 勢 調 査 の デ ー タ に 基 づ い た 製 品 で あ るC D A T Aは. GI Sの 代 表 的 な ソ
フトウェアの1つであるMapl nf oの ソ フ ト ウ ェ ア ア プ リ ケ ー シ ョンがデータと同l時にパッ
ケージ化されており ,任 意 の 社 会 経 済 属 性 デ ー タ を 任 意 の 統 計 地 区 を 取 り 上 げ て 独 自 に 地
図 化 す る こ と を 可 能 に し た 画 期 的 な 製 品 で あ っ た 。 こ れ に よ り r 匡i勢捌査十
G
rsJ
の有用性は理解されたものの,最大の難点は, 10,500豪 ドjレ( 約945,000円, 1築 ドjレ= 9 0 F[J
で 換 算 ) と い う 価 格 で あ っ た 。 C D A T Aは , オ ー ス ト ラ リ ア の 大 学 図 書 館 や 州
n
:
国 書 館等 の 公 共 施 設 で は 無 料 で 扱 う こ と が で き た が , 民 間 レ ベ ル で 活 用 す る に は 費 用 的 な 負 担 が
問題であった( 堤. 2004; 2010a)。
4 A B Sの テ ー プJレピjレダーのウェプサイトのトップページ ( 2012年11月5日最終閲覧)
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i 序 論 13
居住区周辺では90人桂皮) で] つの統計IRを構成している。
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6 S L Aは , 基 本 的 に は 市 町 村 領 域 内 に 複 数 設 定 さ れ る 。 人 口 密 集 地 と 過 疎 地 域 で は 各
S L A内に含まれる人口のばらつきが多い難点があるが, A B Sの七ンサスデータのうちき
過去にまたがる時系列データ ( TSP :Ti me Seri es Pr o五le) の集計にはこのS L Aが採用
されているため. 本意でも時系列比較のためにS L A単位の集計データを採用した。各統
計地区の詳細な説明は
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のホームページに公開されている。ht t p: //¥vVlヘN.3bS. gOV. 3 uhv ebsi t ed bs/ D3310 114. nsf / 4325635300 l af3ed4 b2562b bOO121564/ 6 b6e07234 c98365aca25792d0010d730/ $FI LE/ Ch3nges %20t o %20Geogr aphi c %2QAr eas % 20bet ween %20Censuses. pdf ( 2015年5月31 ,ヨ最終閲覧)
7 A B S ( 2008) :2030. 2 - Mel bour ne :A Soci al Atlas, 2006
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8 2013年にオーストラリアの政権交代で誕生した保守系のトニー・アポット首相の方針
転 換 に よ り . 当 該 サ ー ビ ス に 対 し て 毎 年 課 金 す る 制 度 へ と 変 更 が あ っ た 。 こ れ に よ りP
2014年7月] 日からの会計年度から. 前年度のデータダウンロード査に応じた課金制度
が取られるようになった。本害の研究チ} ムが1年度に支払ったデータ使用料は年Ijjj3,900