証券價値論の成立
その他のタイトル Value of Securities as an Economical Theory
著者 今西 庄次郎
雑誌名 關西大學商學論集
巻 1
号 1
ページ 1‑19
発行年 1956‑04‑01
URL http://hdl.handle.net/10112/00021880
証 券 価 値
論
の 成
価値を有つ擬制資本の身代りだというわけである︒ 法 ︑
つまり証券につき斯く斯くの事態が生じている以上それに価値ありとしなければならぬという方法で行わるべ
きである︒これに対し︑そのような事態を取上げて説明しなくても有価証券は擬制資本
F i
k t
i v
e s
K a
p i
t a
l
の証券
化せられたものという其の本体から当然価値あることは窺知されるという主張もないではない︒要言すれば︑証券
は擬制資本を紙片の上に具象化したもので︑謂わば操制資本の身代りたるものである︒擬制資本が価値を有つこと
は明かであるがゆえ証券が価値を有つのは自明である︑
立︵今西︶ という論旨である︒主張の眼目は身代りという点にあり︑ 掠︑証券が価値を有つことの論証であるが︑これは証券が価値を有つによって生ずる事態を指摘するという方
の存
在︑
つまり証券に価値のあることから始めねばならなくなるのである︒ みたこともないという人すら見受けるところだ︒従て︑証券価値論の成立を論ずるに当つては︑先ず以て証券価値 いなく価値を有つのであるが︑ 証券価値論の成立は︑勿論︑証券価値の存在を前提とする︒而して証券は︑財貨や貨幣が価値を有つ如く︑間違
一部にはそれを疑問に思う者がないでもない︒実際︑世間には証券価値など考えて
証 券 価 値 の 存 在
証 券 債 値 論 の 成 立
今
西 庄 次 郎
註
があるからに外ならぬ︒ 立︵今西︶
一般に証 この主張も一理ないではない︒けれども証券に価値あることの証明は︑矢張り︑価値あることによって齋される
格好な事態を指摘するによって最も明瞭になると云わねばならない︒然らばそのような事態として如何なることが
あるであろうか︒それとして︑先ず︑証券が売買せられる事態が取上げられる︒既に知られるように︑証券制度な
るものは売買移転を行い易いようにする工夫であるが︑単にそのように工夫されたからと云つて売買されるとなる
ものではない︒証券が売買されるのは︑矢張りそういう売買され易いという性能そのものよりも証券の実体に価値
一体︑価値の無いものは売買されないのであり︑逆に云つて売買されるということはその
物に価値があるからである︒この場合︑証券の実体が何であるかは問うところでない︵実体は勿論擬制資本である
が︑擬制資本であろうが他のものであろうがこの場合問うところでない︶︒
周知のように︑マルクス学派によれば︑資本主義社会に於て︑商品は使用価値
Ge
br
au
ch
sw
er
t
を有すると共に交換価値
Ta
u 咎h
we
rt
をも有する財貨である︒夫々何等かの使用価値を有たねば売買︑交換されないが︑使用価値を有つていても
交換価値を有たねば又売買︑交換されない︒斯くて商品の場合︑売買︑交換という事態によって証明されるのは︑使用価
値と交換価値の二種の価値を有つということである︒今︑これから聯想されることは︑証券の場合︑売買せられるによっ
て価値の存在が証明せられるという︑それは一種か二種か︑又どのような価値かという事項である︒併し今吾々の取上げ
ているのは︑証券に価値のあることだけの証明であり︑それらの種類などに論及しなくてもよいのである︵之等は証券価
値の本論に属し︑勿論複雑な論考の対象となるところである︶︒
証券に価値あることは︑先ず︑証券が売買される事実から酌みとれる︒が︑この事実から証券に価値あることの
把握は︑事実そのものが余りに慣れ切つていることであるので︑経済理論的に物事を考えない一般の人々には却て
理解のゆき難い節がないでもない︒それよりも一般に理解され易いと思われるのは︑次の事実であろう︒
券︑例えば株式に就いては優良株とか不良株とか呼ばれるものがある︒或る株式を指して不良株と呼ぶのはその価
証 券 価 値 論 の 成
3
証 券 価 値 論 の 成
格が低いからと限らない︒不良株と呼ばれるものの多くは価格は低いが︑然も価格は相当の大いさを有つものの中
にも不良株と目されるものがないでもない︒又不良株は配当が少いからそう呼ばれるとも限らない︒高率の配当を
やつている株式で不良株と目されるものもある︒結局︑或る株式が不良株と目されるのは︑株式につき何か実質的
なものがありそれが少いからとなる︒同様に︑優良株とはそれが多いものとみるの外がない︒而してその実質的な
ものとは何かであるが︑これは株式の価値に外ならないのである︒要するに︑証券に優良証券︑不良証券という語
の存するのは︑証券に価値のあることを前提としているのであり︑仮令或る人として価値ということを意識してい
証券に価値のあることの証明は︑更に次の事態を以てもなされる︒凡そ証券売買に於ては当然価格を生ずるがそ
の際よく割安とか割高であるとかの言を聞く︒商品の場合割安とか割高ということは︑
対し或る取引に於ける価格が何等かの事情で安かったり高かったりする場合か︑
ないことはないが甚だ稀であり︵一殻に市揚体制が充分に出来●つているから︶︑ 一定商品の一般的な市価に
又は或る種︵この場合の種類とは綿
糸︑米︑砂糖の如きを指す︶の商品一般の価格に対し其種商品の或る銘柄の価格が相対的に低かったり高かったりす
る場合に発せられる言葉である︒証券の場合︑或る取引で当該証券の一般的な市価と離れた価格が行われる事例は
又株式や公社債等に於ける銘柄は商品
に於ける銘柄と内容が異り寧ろ商品別に該当し︑従て株式公社債に於ける各銘柄の価格は本来独自的に定まり︑そ
の大いさは当然異るのである︒従て証券が割安︑割高と云われるのは︑夫々の証券そのものにつき一定の﹁拠り所﹂
がありとされ︑価格をそれと比較したものに違いないのである︒而してその﹁拠り所﹂は当にその証券の価値に外
ならないのだ︒勿論彼等は価値という観念を以て認識しているかどうか判らないが︑吾々からみて価値を認めてい
立︵
今西
︶
なくとも︑証券価値の存在を肯定しているものである︒
ものでないのである︒ 立︵今西︶
るものに該当する︒或は︑証券価格に就いて割安とか割高という言葉の用いられるときは価値の大いさを量つてお
り︑価値の大いさを取上げているのだとも云われよう︒けれども犬いさを問題としている以上は当然価値の存在は
以上︑証券が価値を有つによって生ずる諸事態を指摘して来たが︑これらにより証券に価値の存在することは略々
納得し得られたと思う︒処で︑弦に是非明かにして置かねばならないことがある︒吾人は初めに一般人は証券につ
それは一般投資大衆の中
一定の証券に対し投資価値があるとか無いとかいうことが屡々用いられている事実である︒つまりこの事実か
らは証券に価値あることは一般に知られているようであるのだ︒けれどもその所謂投資価値なるものは証券の有つ
ている実体的な価値とは別な概念であり︑その言葉が用いられていることと証券価値が認識されているということ
一体︑彼等は如何なる場合に投資価値があると云い︑或は無いと云うのであるかというに︑
それはかの証券の割安︑割高の場合である︒即ち︑割安の時は投資価値があると云い︑割高の時は投資価値は無い
と云うのである︒併し或る証券が割高ということは価格がその証券の有つている実価即ち価値に比べ大に過ぎると
いうに過ぎず︑実価即ち価値が無いということでないのだ︒否︑価値があるから割高ということが云い得るのであ
る︒又割安のとき投資価値大なりというも当該証券の実質的に有しているもの即ち価値は小なるかも知れず︑否小
なることも随分あり得るのである︒要するに︑世人の云う投資価値なるものは証券の価格と価値の相対関係︑乃至
開きそのものを指しているに過ぎず︑寧ろ投資余地︑投資妙味と云う方が正確な概念となるもので︑何等価値その とは全く別なのである︒ に ︑ き価値を考えていないと云ったが︑恰もこの言と矛盾するような事実があるのである︒ 認めており︑存在を通り越し大いさまで問題にしているのである︒
証 券 価 値 論 の 成
四
5
証 券 価 値
論
の 成
その事態が仲々固いことである︒
の 成 立
のよ
うに
︑
その価値の本質の究明の六カしいことは︑
五
扱︑再び元に戻るが︑割安︑割高の言葉から示唆される証券価値の存在に関する重要な︱つの事実を指摘しなけ ればならない︒断つて置くが︑価値の存在に関する︱つの事実と云つてもそれは最早証券に価値があるということ く︑証券価値の存在の仕方︑存在振りに関する事態である︒
而してそれは︑
る︑価値あっての価格という関係に於て存在するのを云うのである︒
価値の存在そのことでな
証券価値は証券価格のために存在す 一般経済学が財貨︑商品を取上げる場合も︑先ずその価値より出発する︒価格はその次に論及される︒而して周知
一部の学者をして経済学は価値論を措き価格論より出発すべ しとの説を出さしめているくらいである︒処が︑これに対し︑証券にありては︑価値あっての価格というが如く価 値は価格と密接に関係しているのである︒この事は証券については常に割安︑割高が云われ︑割安︑割高の見方を 離れて証券をみる者がないという実情がよく証明するところである︒素より証券価値は単に価値としても充分存在 する︒が︑価格との関係に於てその存在の意味が大きくなるのである︒何が故に証券価値はそのような関係状態に 於て存在するのか吾々の吟味の眼は当然それに向わざるを得ないが︑
り︑今はそれに入らない︒こ
4
に知つて置いて貰うべく力説して置くのは︑証券価値は上のような状態で存在し︑
証 券 価 値
立︵今西︶ 論
これは証券価値論の本論に属する問題であ 証券にも価値が存在する以上︑それを対象とする学問が成立してよいわけである︒否︑成立してよいという以上
では
ない
︒
その事は既に前に論証された︒
今証券価値の存在に関する事実というのは︑
価格
は︑
価格の決定には是非価値の決定となっているのであ 立︵今酉︶
に成立ささねばならないのである︒正直に云つて︑従来の経済学は物財︑貨幣を中心対象として発達し︑証券を取
上げるもの少く︑漸く近年に至り其の研究緒についた態にある︒併し進んだ番云1主義社会︵証券賓本主義
E ff e c te n k a, p it a l is m
u s と呼ばれる︶に於ては︑証券は物財︑貨幣と並んで三大存在物となっており︑
つと推し進められてよいと思うのである︒而して財貨︑貨幣の経済学に於ては何れもその根本的なテーマとして価
値論を取上げているのだ︒所謂経済原論に於て価値論が出発点たる意味を有たされ吟味の中心となっていること周
知の通りであり︑又貨幣経済に関する根本研究たる所謂貨幣論もその中心問題は貨幣価値論である︒そうだとすれ
ば︑今証券の経済研究に於ても︑同様に︑何よりその価値論を行わねばならないのである︒
以上述べた︑証券価値論の成立論は証券に価値がある以上当然成立する筈だという︑謂わば事実認識論に立った
ものであった︒併し証券価値の研究は︑更に︑その学問の必要︑役立ちという立場からも行わねばならないのであ
る︒その学問の必要とは何であろうか︒それは証券価格のために価値の研究が必要なるを云う︒周知の如く︑証券
に就いては価格が極めて重視される︒売買取引の条件として︑財産としての評価基準として︑担保金融の評価基準
として︑将た又景気のバロメーターに役立たすものとして︑何れも価格が必要とされるところである︒然も︑
る︒勿論︑証券価格は価格としての独特な性格を有たないものでなく︑価値通りに定まるものでない︒つまり証券
価格は価値を掴むだけでなく︑
が︑それにしても価格の研究には価値の研究が是非必要となるのである︒
処で
︑
前段の終りに述ぺた如く︑価値と比較してみられ︑
それに価格独特の性状を附加するによってその充分なるものが得られるのである
この証券価格の研究には先ずその価値の研究というのに対し︑世間の態度は一般にそれと同調的でない︒
証 券 価 値 論 の 成
証券経済の研究はもっとも
. . . . . . . ノ
この
7
証 券 価 値 論 の 成
従来行われて来た証券価格の学問的研究の方法は︑大体二つある︒
七
一は証券市場論の中に価格論を附加するやり方
であり︑他の一は証券分析論の名の下に証券価格を規定する諸条件を吟味するものである︒
先ず証券価格論を証券市場論の中に挟入するやり方をとるものであるが︑これは仲々少くない︒例えばヒューブ
( 1 )
ナーもその一人である︒彼の名著﹁株式市場論﹂は第一部﹁組織的証券市場の機能﹂︑第二部﹁証券市場の組織と
及慣
例︶
︒又
最近
(‑
九五
四年
︶出
た︑
活動﹂と続いて第三部﹁証券価格を規定する諸条件﹂となっている︵尚第四部として証券取引所の取引を統制する法規
( 2 )
イギリスの女流学者リックスの﹁株式市場経済論﹂も同様で︑内容を三部とな
し︑ヒュープナーのように自ら各部にはつきり名称を附していないが︑第一部で株式取引所︵特にロンドン株式取引所︶
と産業界や国家との関係︑株式取引所と投資大衆との関係を取上げ︑第二部で取引される証券の一般的性質を取上
げ︑第三部で投資動機と株式価格の理論を取上げている︒が︑この証券市場論に於て証券価格の理論的内実的研究
をなすやり方は︑証券価格の学的研究の方法として不充分だと云わざるを得ないのであそ︒既に知れるであろう如
く︑証券市場論なる学問は︑本来︑証券の動態現象を対象とするものである︒素より証券価格は証券の売買移転に
よって生ずるところで︑従て証券市場論に於ても価格は当然取上げらるぺく︑否その主要なテーマとなるところで
ある︒併し証券価格は証券市場論に於て取上げられると云つても︑それは価格の全面でなく︑市場的機構によって
与えられる性格の面だけがそれに該当するのである︒端的に云えば︑価格が市価となる面だけである︒然も価格に
更にその内実︑つまり組成内容に関する面があるのだ︒これは市場とは直接関係のない問題である︒即ち証券価格
の全体的な研究としては前者の面と後者の面とを併せ内容として全きを得るところである︒而して証券市場論は証
券価格論でなく︑従て価格の後者の面は之を内容とする必要はないのである︒勿論この証券価格の内実面の研究の
立︵
今西
︶
ys is
なる著書も次第に現れつ4
ある
︒
注意してよいのは︑ 独立に行うに如かずとなるのだ︒ 部分が少ければ証券市場論として本来の研究が手薄なものとはならないであろうが︑それらが加わることは証券市場論として異分子も含んだものとみられざるを得ないのだ︒然も注意すべきは︑証券価格の内実的な研究はそれとして相当な分量を有つということである。斯くて、証券価格の内実論ー|•価値との関係に於ける価格論ーー~は別個
(1 )s .
s•Huebner,
Th e S t8 k
market•1934.
(2 )M . S.
R i x , St oc k Ma rk et Economics,
1 95 4 . 註 右 に 証 券 市 場 論 で 証 券 価 格 の 内 実 論 を 取 入 れ て い る も の と し て ヒ ュ ー プ ナ ー
︑ リ ッ ク ス の 著 書 を 挙 げ た
︒ が
︑ そ れ ら は 可 成りにスペースを割いて取上げているものの例であり︑僅か取上げているものに至っては更に少くない︒株式市場学者と
(~)
( 2 )
して古い
C.A
・ダイス然り︑レフラーもそうである︒例えばダイスの著﹁株式市場論﹂は二十九章よりなるが︑その中 に証券分析なる一章を設けている︒但し之等の証券市湯論は︑本格的に証券価格の本質論を取扱っているとは見倣されな
( 3 )
いのであり︑謂わば一寸紬れたというところである︒拙者﹁証券市場論﹂に於ては︑証券市場論として取上げるぺき価格 論は市場問題としての範囲という分を厳に守つているつもりである︒
(1 )C .
A .
D i c e a nd
W .
J•Eiteman,
Th e S to ck ma rk et 19 5 2 . (2 )G .
L .
Leffler•The
St oc k m ar ke t. 1 9 5 1.
(3
) 拙者﹁証券市場論﹂昭和二八年一月
次に世間で行われている証券分析論なる名称の証券価格の学的研究であるが︑この方は前の証券市場論の中で証
券価格実質論を取上げるやり方のものに比べて少い︒これは︑これ迄証券経済に関する研究は証券市場論中心に発
達して来たことによるものとみられる︒併し最近証券価格の構成的研究が活澄となり︑証券分析論
Se cu ri ty An al
証 券 価 値 論 の 成 立
︵ 今 西
︶
アメリカに於て盛に出る証券投資論なる著書の多くは
八
︐
証 券 価 値 論 の 成
S e
n i
o r
S e
c u
r i
t i
e s
﹂に於て︑転換
権︑
て ︑ ︵
原名
は
I n v e s t m e n t
だが
実質
は
S R
u r
i t
y I n v e s t m e n t
である︶の内容は第一部緒言︑第二部産業評価
A p
p r
a i
器1
o f
t
h e
I n
d u
a t
r y
︑第三部会社評価
A p p r a i
総1
o f
t h e C o m p a n y
︑第四部公共証券︑
r k
e t
︑第六部組織的投資︵投資機関論︶となっており︑中心的な第二部︑第一︱一部は証券︑就中株式の価格構成論である︒それは兎も角︑証券分析論なる学問の内容であるが︑その代表的著書と見倣されているグラハムとドッドの共
( 1 )
著﹁証券分析論﹂に就いて云えば︑第一部﹁総説及び研究手引﹂
S u r v e y a o d A p p r o a c h
1 ! 於
て︑
的︑証券分析の機能︑
投資
と投
機︑
証券投資の資料︑
証券投資判断を目指し諸表の詳細な分析をなす︒
慮とそれによる真の収益力の把握を述べ︑ 証券の分類等に触れた後︑
九
一例を挙げると︑グロディンスキーの﹁証券投資論﹂
第五部金融と市場
m o n e y a u d m a ,
証券分析の目
第二部﹁財務諸表の分析﹂に於
即ち財務諸表の中心をなす損益計第書と貸借対照表を取上
げ︑前者に就いては諸引当金︑棚卸資産評価︑減価償却︑補助金︑課税など利益確定に関係ある事項の周到なる考
後者に就いては基礎比率
K e y
R a
t i
o s
( P r o f i t a b i l i t y R a t i o s C r , e d i t R a
苦
s ,
G r
o w
t h
R a t i o s , S t a b i l i t y R a t i o s , P a y ‑ o u t R a t i o s , P r i c e R a t i o s )
の 述5 { 心 e チ
J七 ぃ d
ツに
よる
i g
血ヂ
盗手
本ー
の抽
9 応 i
︑資本
構成
︑
当り資産の明確化を述べている︒而して同著書は証券分析の仕事として投資証券の選択論に入り︑第三部﹁確定収
a d
j u
s t
m e
n t
o f r a s
s e
t v
a l
u e
s
! , J .
て芸
でわ
され
ると
なし
︑
益証券﹂に於て︑先ず社債につき投資選択上の四原則其他を明かにし︑次いで優先株について述べ︑第四部﹁普通株
の評価﹂に於て︑普通株の性格から進んでその評価に入り︑普通株の価値はM
( d i v i d e n d +
︵ ほ
⑮ 韮 階 ︶ 片 p g s i b l e
即ち期待される配当︑期待される収
益︑資本化歩合
M
︑資産価値につき夫々その内容の説明︑規定をなしている︒尚︑第五部﹁投機性を有つ優位証券利潤分配︑応募権等の附いた証券の種々の事態について述べている︒而し
立︵
今西
︶
その各ファクター︑ その内容証券分析論と殆ど変わらぬものが多いことである︒
一株
析を内容とするに止まつている︒ 行さしているのは問題である︒ 探︑之等証券分析論に対する批評であるが私
経済
的な
研究
対象
とし
てい
る点
は暫
く措
く︒
この
点は
後章
に紬
れる
︶証
券価
格の
構成
的︑
いう方法に立つている点は︑全く支持されてよい︒けれどもそれが証券価値判断に企業の財務分析︑経営分析を先
さによって決定されるという見解に基くものに外ならない︒若し証券価値が企業のよさ通りに与えられるものなら
ば︑証券価格論としては企業分析論を主要内容としなければならないであろう︒併し証券価値は単純に企業のよさ
によって定まるものでなく︑ただ企業のよさを構成する収益状態︑経営の安全性などが材料となって出来上るに過 る ︒ て同著書は︑最近会社経営にとり株主の好意が有益たることから︒ハプリック・リレィションズなどが行われ︑それによって会社経営内容が株主に知らされるようになったが︑株主にとり残されている経営上の諸問題ー│`経営の適否評価︑経営に対する報償︑配当政策︑株式資本の拙用などー│'がありとなし︑それらを第六部﹁株主と経営﹂として取上げた後︑第七部﹁証券分析の活用﹂
S e c u
r i t y
A n
a l
y a
i s
n i
A c
t i
o n
の題の下に︑証券投資に於ては一流確
実な証券でも余り高い価格は注意すべく︑二流普通の証券でも低い価格ならば投資してもよいとされ︑結局価格と
価値の関係が問題となるとして価格と価値の開きの事態と︑二流証券に就いて世間では価格予想を価値決定よりも
重視する傾向にあり︑
弦に証券分析と密接な関係を有つに至るとして市場分析
ma
rk
et
A n a l
y s i s
を取上げてい
(1
)B
.
G r a h a m
an d D .
L•Dodd,
S e c
日i t
y
Analysis•1951.
証 券 価 値 論 の 成
立︵今西︶
内実的研究を専門的にやろうと
︵そ
れら
の多
くが
証券
価値
を︱
つの
国民
経済
現象
とし
てよ
りも
証券
投資
とい
う
一部の証券分析論にありては︑証券の価値論を全然やらず︑単に財務分析︑経営分
一体このような態度は何処から生ずるのかというに︑証券の価値は一に企業のよ
l o
11
証 券 価 値
論 の 成
の 性 格
ぎない︒尤も材料となるに止まると云つても︑材料となる以上︑それらを正確に把握すること︑例えば経営の定全 性は如何にして確定すぺきかなどの知識の必要なことは喪わない︒従てそのような事業の収益性︑安全性を把握す る研究が別に行われていなければ︑今証券価値論として自らそれをなさねばならないに至るであろう︒処が︑これ ら事業の収益性︑安全性など企業のよさを検討する学問は︑財務分析論︑経営分析論として別に存立しているのだ︒
つまり企業の経営をよくせんとする目的は︑
ある︒そうだとすれば︑証券価格の構成的︑
げるに及ばず︑既に存在している学問を利用すればよく︑彼の中心的な仕事はそれらによって得られる資料を価格 構成に対する先後︑主従の関係に従って組合わすにありとなる︒この組合わして得られるものが証券価格の基礎で あり︑証券価値たること最早想像せられるであろう︒斯くて︑証券価格の内実的研究として経営分析などを内容と する証券分析論は全く無くてもがなの存在であり︑グラハム︑
ての財務︑経営分析は余り必要がなく︑証券価格の独立研究として値打のあるのは専らその第三部︑第四部︑第五 部の価値論となる︒その蓄書が証券分析論と名付けられたのは前半の企業分折論があるからであり︑それらが除か れた場合その名称の用いるに足らないこと贅言を要しない︒何れにしても︑証券価格の内実的研究として行うべき
は証券価値論となるのである︒
証 券 価 値
立︵今西︶ 論
内実的研究としては︑資料そのものの把握に関する知識は自ら取上
ドッドの証券分析論としても前半の財務諸表を用い 前段に証券価値論の成立せざるを得ない事情の一っとして︑世間一部に行われている証券分析論が証券価格の独
之等の学問を経営経済学の一部門として夙に成立せしめているので
︵個
人だ
けで
なく
団体
でも
よい
︶の
利殖
︑ 立︵今酉︶
立的研究として不充分︑不完全であることを述べた︒事業の財務や経営の分析を主たる内容とするに止まるが如き
は︑証券価格の構成材料となるものをバラバラに与え得るに過ぎず︑証券価格の独立研究としてはそれらを一定の
法則の下に結合さす︵価値となる︶ことが中心的な内容とされなければならないというのであった︒が︑証券価値論
る︒それは吾々の証券価値論は国民経済現象として証券価値現象を取扱うのに対し︑
処が従
所謂投資の観点に立ちその対象物として証券価値を取上げようとしている点をいう︒証券分析論のこの性格はそれらの著書の殆どが冒頭に投資の態度など投資に関する一般論をなしそれか
ら証券価格に影響するものとして産業を検討し会社の諸点を吟味する方法をとつていることによりて容易に肯け
る︒近世先進国に於ては個別人の利殖即ち投資の目的から価格現象を研究することが行われ投資学と呼ばれてい
る︒この投資学は凡ゆる対象物︵不動産︑手形類︑有価証券︶に関するものと或る種の投資物を専らとするものとに
分たれるが︑後者の中の資本証券を対象物とするものが最も努力され︑単に投資学と云えばこの証券投資論と考え
てよいくらいとなっている︒而してこの投資学︑就中証券投資学に於ては︑本来︑個人投資の場合︵投資者の境遇と
証券
投賓
︑賓
金の
大小
及び
性質
と証
券投
賓︶
︑
ろである︒たゞ︑ 団体投資の場合︵銀行︑保険会社等の金融機関の投資︑投賓信託の投資︑学校︑
宗教団体等の某金投賓︶︑投資証券の選択乃至組合せ︑投資出動の時機等が内容となるところである︒が︑投資研究
に於ては更に各種証券の価値︑延いて価格が如何に決定せられるかも無関心たるを得ず︑否重要な問題となるとこ
この種の証券価値︑価格の研究はそれが国民経済現象として行うもの1吾人の証券価値論I
が存在しているならば︑証券投資論としてはその知識を藉ればよく︑ は其の内容に於て証券分析論と同じではないのみならず︑
自ら取上げるに及ばぬわけである︒ 一般の証券分析論は個別人 尚学問としての性格に於ても趣を異にしているのであ
証 券 価 値 論 の 成
13
証 券 価 値 論 の 成
市場分析論なるものは必要でない︒ 来この種の証券価値の研究は︑既述の如く殆ど等閑視され成立していなかった︒こ4に投資学としては其の鉄を補
うべく自らその研究に乗出し︑証券投資論の一内容として︑或は特にそれだけを専門的に行うに至ったのである︒
証券投資論としてその中に取上げているのは前者の例であり︑証券分析論として行われて来たものが後者に当るこ
と︑最早想像されるであろう︒従て︑将来国民経済学としての証券価値論が確立すれば︑証券投資論はその本来の
領域に専念するに至ることが予想され︑又学問分業の上から云つてこういう在り方の方が合理的と思われる︒何れ
にしても︑証券価値論は国民経済学の一部分であり︑それに於ける知識を証券投資論が利用することはそれとして
何等差支えないとして︑それ自体は証券投資のためにのみ存立し奉仕する学問では決してないのである︒
証券︑就中株式の価値決定には企業のよさを知ることが必要となり︑この企業のよさは主として経営分析論︑財
務分析論に於て取扱われているので︑証券価値論としては自らそれをやる必要なくそれら学問の知識を藉ればよく︑
藉らねばならないわけである︒この事は改めて云う迄もないが︑兎に角︑証券価値論は経営分析論などと密接な
関係を有つところである︒而して証券価値論は証券市場論とも密接な関係を有つ︒既に知れる如く︑証券価値論は
証券価格の構成的︑内実的研究をなさんとするものであり︑謂わば価格が究極の目標なのである︒証券価値はその
ま
4
価格となること難く︑証券市場にもまれ︑市場的影響をうけて価格として成立するところである︒即ちそこには証券市場の価格作用を知らねばならないが︑これは証券市場論によって与えられるのである︒かの証券分析論の
中には︑その後章の方に市場分析論をなすものがある︒例えばグラハム︑ドッドの著書もそれである︒これは証券
価値と価格の関係︑就中価値を価格にまで持つてゆかんとする方法に立ったものと思われるが︑吾々としては証券
一体︑市場分析論なるものは証券市場価格現象を投資乃至投機の立場から取上
立︵今西︶
げるものに外ならず︑投資的見地に立った証券分析論としては恰もそれが通用するであろうが︑国民経済学の一分 科としての証券価値論としては国民経済の立場からする証券市場価格現象を取上げたもの即ち証券市場論の知識を
用うべしとなるのだ︒
上来述べた如く︑証券価値論は本来国民経済現象たる証券価値現象並に価格現象をそのま
4
対象とする国民経済 学の一部である︒凡そ資本主義社会に於ける証券に関する国民経済学としては証券価値論のほかに証券市場論︑証
( 1 )
券経済論︵証券の種類︑数量︑分布︑価格と国民経済︶があり︑私は之等を全体として広義の証券経済学と呼んでいる︒
従て証券価値論は広義証券経済学の一部門をなすわけであり︑従来証券市場論のみ独り発達し︑証券価値論は狭義
証券経済論と共に殆ど未開拓であったが︵但し証券価値︑価格の研究が既述の如く私経済的立場から取上げられて来たが︶︑
学問の性質上︑広義証券経済学中最も基礎的なものとしてその第一部門たる地位を占めるべきものである︒
(1
)
拙署﹁前褐書﹂一四頁
註証券に関する国民経済学として証券価値論︑証券市場論︑証券経済論があるのに対し︑その私謳済学︑個別経済学としては
既述の証券投資論︑証券投楓論のほか証券市場経常論︑証券会社︵証券業︶経営論等があり得る︒証券投賓論が必要とする
証券価値︑価格の国民経済的な知識は証券価値論並びに証券市場論の知識を藉ればよいこと既述の通りである︒証券投機論
は我国では従来機論とか機学と称せられてーー.寧ろ米穀について夙に発達したところだ—ー'一部に行われていた。尚、証券市場経常論は証券市場の経営論であり︑国民経済現象たる証券市場を対象とするものでないこと容易に想像せられるとし
て︑証券会社経鴬論も証券会社の経営に関する研究であり︑証券市場論の特殊研究たる証券会社論と別なることを注意しけ
れ ば な ら な い
︒ 今日一般経済学の基礎論たる経済原論が主として財貨︑貨幣を対象とし証券を殆ど取上げていないこと︑並びに この経済原論が価値論から出発していることは一言したところである︒元来価値問題が広く経済現象の基礎となる
証 券 価 値 論 の 成 立
︵ 今 西
︶
一四
15
証 券 価 値 論 の 成
炊用による価値一種より成るが︑ 四 以上︑価値論は価格論その他の前提として論じられなければならないのであるが︑犬多数の経済原論にありては︑価値論をそういう方向に力点を置いて取上げておらず︑純粋に価値のための価値論となっているのである︒つまり極めて抽象的な論議に終始しているのだ︒斯くて今日世人は経済学に於て価値論と云えば全く抽象的なものと考えるところである︒けれども今証券価値論としては会社の利益分配︑企業のよさ︑資本利子等がファクターとなり︑自ら具体的な論義となる︒即ち一般︵財貨や貨弊︶価値論と証券価値論とはその性質に於て大いなるコントラストをなすのだ︒勿論詳しくは証券価値論の本論に於て知られるところであるが︑今日価値論と云えば抽象的な学問という印象が強く持たれており︑証券価値論も亦抽象的なものという先入観を以て臨まれる虞がありそうなので︑敢て一言して置く次第である︒
証 券 価 値 論
一 五
上来︑証券価値論の成立とその性格を明かにしたと思うので︑これよりその学問の体系に就いて述べよう︒学問の体系とは、今更云う迄もなく、当該学問として取上げるべき事象、問題を網羅すると共にー—'反対に、取上げる謂
われのないものは取入れないーーそれらを一定の方法の下に順序正しく配列することである︒
証券価値論の問題︑事象として何より取上げらるべきが其の本質如何であること云う迄もない︒而して証券価値
の本質となった場合︑先ず頭に浮ぷのはそれが単一か否かである︒これは︑商品の場合︑オーストリヤ学派によれば
マルクス学派によれば使用価値と交換価値の二種の価値を有すということから︑
証券の場合にも一種か二種か将たそれ以上かとなるのである︒勿論︑この答は本論に展開される吟味の結果明かにな
立︵ 今西
︶ の
体 系
さ論が重要な地位を占めるのである︒ さに就いても根本的な論争が予想されるのである︒斯くて`証券価値の研究に於ては価値の本質と並んでその大い 立︵今西︶
るところであるが︑証券としては主たる価値のほかに従たる価値を有つことが充分予想されるのである︒尤もこれ
には異論も予想されないではない︒が︑矢張り最も論議の的となるのはその主たる価値の性質如何である︒蓋し証
券所有の目的︑証券に与えられる利益が種々であり︑延いて所有者の証券に着眼するところが単一でないからであ
る︒而してこの証券価値の本質如何は︑結局︑前提として証券の本質の吟味にまで遡ることが必要とならんとする
に至るのである︒
右の如く証券価値論に於ては何よりその本質が論究の対象となるが︑価値の本質を論じた暁には当然その大いさ
論に入らざるを得ない︒実際︑証券価値を問題にする者にしてその大いさ論に及ばぬものはないと云つてよい︒而
して商品や貨幣の場合その本質如何につき夫々諸種の学説があり本質の確定は仲々六カしい問題であるが︑本質を
斯うと定めた上はその価値の大いさはそれほど論争は激しくない︒例えば商品の価値は炊用によって生ずるという
学説に従った場合その大いさは限界炊用によって定まるとなり︑或る商品の価値の総量に就いては各個単位の限界
炊用の和であるという見解と︑最後の単位の限界奴用に総量を乗じた大いさであるという見解とがあるが︑既に派
生論争とされるが如くである︒処が︑証券価値の場合︑価値の本質に諸種の見解があり得るのみならず︑その大い
証券価値論の成立論で述べたように︑それは証券価値を明かにするためのみならず︑証券価格を最も理論的に定
与し把握するために成立したものであった︒そうだとすれば︑証券価値論は価値を明かにする本質論や︑その大い
さは如何に決定せられるかの大いさ論に止めらるべきでないこと贅言を侯たぬ︒換言すれば︑進んで証券価値と価
証 券 価 値 論 の 成
一 六
17
証 券 価 値
思う
が︑
論
の 成 立
︵ 今 西
︶
一七
格の関係︑就中価値を基準として価格が構成せられる関係に論及しなければならない︒而してこの関係論である が︑凡ての場合がその一般的な理論によって説明せられ得ると限らない︒斯る疑問は世間に行われている現実の証 券価格をみれば自ら起らざるを得ない︒或国にみる一部主力花形株の価格の如きその好例である︒斯くて証券価値 を基とせる価格論としては此種異常な証券価格をも関聯事項として取上げねばならないのである︒
右により証券価値論の課題として価値の本質︑価値の大いさ︑価値と価格の関係の三つのあることが知られたと
それらを取上げる順序は上記の順に行うべしとされる︒この根拠は殆ど自明に近く︑別段説明を要しない と思う︒処で︑証券価値論の問題としては価値本質論︑大いさ論に続き︑価値と価格論に先立つ位置に於て更に取 上ぐべき事項があるのだ︒それは課税と証券価値の関係︑証券価値の変動である︒今日多くの国に於ては種々の形 に於て証券に課税が行われ︑証券の価値に影響を与えていそうである︒従て証券価値の大いさ論の謂わば特論とし て課税と証券価値の問題を取上げねばならないのである︒又証券価値の大いさは各証券に就いては夫々不変なもの でなく時々に動くものである︒それは証券価値の大いさを規定するファクターが変動するからであることは想像に 難くないが︑それらファクターの変動︑特にそれに基く価値の大いさの変動に諸種の様相があり︑常識的な知識だ けで満足出来ないのである︒而してこの課税と証券価値︑証券価値変動の両者の取上げ順序であるが︑課税は理論 上常にあるものでない︑又課税の影響を別にした方が普通の変動がはつきりするという事由で︑価値大いさの変動 を先に取上げるものもないではない︒併し証券課税は何れの国に於ても殆ど行われており︑又課税が証券価値に影 響を与えるとすれば課税の変化も価値大いさの変動の︱ファクターとなるわけでこれも含める方が論理的と云わね ばならない︒従て︑課税と証券価値の方が価値大いさの変動よりも先に置かるべしとなるのである︒
第 一 章 証 券 価 値 の 本 質 第一総説︵証券の本質︶
立︵
今西
︶
これ迄述べ来ったところを纏めると︑価値本質論︑大いさ論︑課税と価値の大いさ︑価値変動論︑価値と価格の
関係というのが証券価値論の内容であった︒が︑この最後に置かれた価値と価格論の後に尚取上げるべき問題のあ
ることを知らねばならない︒既に知れる如く︑証券価値は証券価格の基準となるものであり︑従て現実の価格に対
しては価値はそれを批判するものとなる︒然るに︑世間をみるに︑証券価格︑特に株式価格を批判するのに価値を
以てせず︑その代わりに他のものを以てすることが行われ︑否この方が寧ろ盛なのである︒株式利廻り
St oc k
y i e l d
及び株価収益比率
P r i c e , e a r n i n R a g s t i o s
これである︒斯くて折角価値を研究する者としては斯る方法がよいか否
か︑つまり利廻り︑株価収益比率は価値に代わり価格を批判するものとして如何なる性格を有つかを吟味する仕事
を行わなければならなくなるのである︒
以上吾人が証券価値論の体系を造るためその内容たるべき問題を取上げるに当り︑証券を凡て単純に証券として
取上げた︒併し実際に於ては夫等の問題は証券の種類により夫々幾分特殊性を有つのである︒例えば証券価値の本
質の場合︑証券としての価値本質は凡ての証券を通じて︱つであるが︑証券の種類により共通性の上に幾分特殊な
性質を帯びる︒価値の大いさの決まり方に至っては一層然りである︒素より証券の種類は細かく分類すれば限りが
ないが︑上記各種の問題の特殊性を明かにする必要からは︑少くとも証券の二大種別︑自己資本証券︵出賓々本証券︶
と他人資本証券︵貸借賓本証券︶とに分類しなければならないとなる︒で︑
仕上げてみれば︑結局次の如くになる︒
証 券 価 値 論 の 成
この種別を取入れて証券価値論の体系を
一八
19
証 券 価 値
第
論 の 成
第六章
第
第証券価値の本質一般
株式︵出資々本証券︶価値の特質
公社債︵貸借資本証券︶価値の特質
第三章課税と証券価値
株式価値の変動
公社債価値の変動
証券価値と価格の関係
株式の価値の価格の関係
公社債の価値と価格の関係 第五章
株式の価値に代わり株式価格を批判するものとしての利廻り︑株価収益比率
立︵
今西
︶
第
第四章証券価値大いさの変動
第二公社債︵貸借資本証券︶価値の大いさ 従たる価値︵市場性価値︶の大いさ 主たる価値︵収益価値︶の大いさ 第一株式︵出資々本証券︶価値の大いさ
第 二 章 証 券 価 値 の 大 い さ
第四 第 第