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賀川豊彦 : 音の生涯 (1)

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首都大学東京 機関リポジトリ

Title

賀川豊彦 : 音の生涯 (1)

Author(s)

岡崎, 一

Citation

人文学報 表象文化論(416): 1‑24

Issue Date

2009‑03‑30

URL

http://hdl.handle.net/10748/5329

Rights

Type

Departmental Bulletin Paper

Textversion

publisher

http://www.tmu.ac.jp/

(2)

賀 川 豊 彦 一一音 の生涯 一 一(翌)

岡焙 一

賀 川豊 彦 は キ リス ト教 祉会 運 動 家 と して通 常 知 られ てお り、『生 命 宗 教 と生 命 芸 徳』

〈警 醒社 、 ユ9盟 年 〉の よ うな 著 書 が あ りな が ら も、 文 芸 〈特 に 芸 術)の方 面 で論 じられ る こ とは 余 りな い 。Lか し、『人 問苦 と人 間 選 糊(警 醒 社 、192◎ 年)の 著書 もあ る賀Iii は 、̀̀人間 最 高 の芸 術 は 人 間建 築 その も の31と考 えて い た た め 、̀̀歌と、踊 と、音 楽 は 、 人 間 芸 術 の 中 で も禦捌 に大 切 にせ ね ば な らぬ も の"(瓢;95;馳 平線 上の名 古 墜憎 名 古 屋 美 論1『 地 醐)と 考 えて い た 。現 に̀聖 書 は 皆忘 れ て しまっ て も よい0讃 美 歌 を覚 えて さへ ゐれ ば 、 何 時 で も感 謝 は 湧 く もの で あ る。"(3:432;丁 裡 の聖 翰

薩 姻)と い うよ うに、 書 よ りも歌 を優 先 して い た。

また 、 自 らをK受 感 性の 人 問 診(⑳3;「 序 」 『涙 の』)と 呼び 、 自ら もオル ガ ン を奏 した 賀 川 は 、(眼病 を 患 っ て い た た め 一層)音 響 にっ い て も鋭 敏 な感 覚卜一一音 感 卜一 を 持 って いた 。̀̀厳島 の 管絃 祭 ㍗ 瀬 戸 内 海 の大 祭 〉に行 っ て̀晦 の 恩恵 に 就 て深 く考 へ さ せ られ た"こ と鵬:336;「 瀬 戸 内 海の 美1『 彷 復』)、"鍛 冶屋 の店 先 で 雨 の止 む の を待 つ 問 に 、鍛 冶 屋 さん の槌 の 音 と、 ア ン ウヰ ル の 鳴 る音 と、 そ して 雨 垂れ の音 を世 界 的 の 音 楽 に じ'た て た̀̀楽 聖 ハ イ ドゾ ユ〈21:xz2;「 大 阪r『 地 殻 翌)に 言 及 して い る こ と、 西洋 鋸 の奏 す る讃 美歌 を 耳 に して、 そ のi6平 民 音楽"に 驚 き感 ひして い るこ と(24:119;rア ジア の 呼 吸 」 『雲 の柱 』1930年9月 、後 に23:257;「 紙 製国 家 と支那 」

『彷 復』)、 べ 一 トー ヴ ェ ン のQtマ ス"一 岬 中 期 の 佳作 《ミサ 曲 ハ 長 調 作 品86》

の こ とで は な く、̀ζ常軌 を逸 した べ 一 ト0ヴ ェ ニ ア ー ナ 聖(ヴ ァー グナ ー 、『わ が 生凋 172で あ った ヴ ァー グナ ー磁h躍 虚wa幽2澱)が 厩 蹟o溜 α87① にお い て ζ最 も真 正 なべ 一 トー ヴエ ン的 糊 申の純 粋 に 交響 曲的 な 作 品"(̀̀蝕 聡 鵬 卿 蜘 難舳e§w眺 、 d鈴ach糖s醜 舳 癒o》磁 麟e蓑Gsi崩 §"膨 躍9:8婆」)と呼 ん でい る晩 年 の 大作 《荘 厳

ミサ 曲 二 長 調 作 品123》 の こ とで あ ろ う一 一 を 蓄 音 器 で 闘い て 感 涙 を催 してい る

(3)

2賀 想 豊 彦一 音 の生 涯一 く1)

こ と麟:159;「 放浪の旅 よ り」『 雲の柱 』1933年1月 、後に23:356;撮 後の旅1『彷 径』)、長男の賀川純基が医学か ら音楽(バ ッハ研究)の 道に転進 した こ となどは、賀 川の音楽的血脈を物語 るもの と言 えよ う。また、昭和初期、賀IIIの責任編 集で家庭科 学 体系が文化生活研究会か ら発行 された際、瞬辺 尚雄 ・ 高野辰之『β本音楽講調(1927 年)と 伊庭孝 森 岩雄・ 牛源虚彦 『 オペ ラ と映画』(1繊8年)が 叢書に含 まれた ことも、

賀1コ1の 音楽的セ ンスを物語るもの と言 えよ う。

また、賀川研究a評価 の上 ではほ とん ど問題 に されていない ことだが、賀川は作詞 家 としての側 面 も兼ね備 えて い払 そ の作 詞の大半は、米 沢湘 一郎編 『 賀 用豊 彦』、

人物書誌体系25佃 外ア ソシエー ツ6均 繊 年)349・5◎で容 易に一覧 できる。その中 には、作 曲者 ・ 合唱指揮者 ・(ロシア民 謡 「 赤 いサ ラファン」や̀fi.fお

おスザ ンナ」な どの)訳 詞家 と して知 られ る津 川主̀.3と 灘ン ビを組んだ作品 鴎 ひ か る駒(後 に 「 星の光る晩」)・ 「 一粒 の麦 」があ り、興味 深い。その津川の(書 誌 には講 され てい るものの駕 鞭 究の上で嘘 貼 れていない)騰 翻 稼 の面影』

改訂増補版(臼 東出版社、147年)に 、賀 川は ギ 序」(...月13濤 執 筆)を 寄せている。 この 「 序 」には賀川 の音 楽(職 こ讃美歌)論 が 良く幾 え るが、特に以下 の最終段 落は改めて引用紹介 してお く価値があ ろ う0(引用は筆者所蔵 の19娼 年版に 拠 る。)

昆虫 も、爬虫類 も、鳥獣 も、みんな音楽 を持つて ゐる。凡そ生命を持ってゐる も のは、音楽 を持たねばな ら嵐 で、霊魂 を持つ人間 は、永遠 の譜調の為に新 しき

げ ユ

音律 を創 造主 に捧げね ばな らない。キ リス トは歌いっ 玉ヂツセマネの園に行かれ た。 我々も新 しきβ本の為 に新 しき讃歌 を神に搬 ずよう。 ④ 、

tc死 は沖 謝 強 く生 くる者に取つてのオーケス トラの一節だ'(21:287;f死 と人間の対 誕トー 死 よ神 の裳 の嚢 よ一 一」『 地劇 〉 とい う見解 も含 めて、 ここには汎神論 に対応 す る汎音く 楽》 論 とで も言 うべ きもの一一既 にヘ ルダー(1slyG◎ 魎eδHerd鋤 が

『 言語起 源論』(鋤 紐 翻㎎ 嚢 搬 ぬ 〜砿 鍵 鍵 ㎎ 伽 伽 盈碗77⑳ で 移 様な音 を

奏でる神 的な 自然全捧"(『 言 語起源論』 、木村直司説 大修館書店、1972年!63;第1

部第3章1と 呼んでい るもの一 一が認 め られ る。(因み に、 自然教案 の関係で賀 川は一

(4)

)EI彦 一 音 の 生 涯 一(1)3

時24罐 に%種 類の/L鳥を養っていて、̀̀朝 は この小鳥 の鳴声を聞 くだけで天来の音 楽 に接す るや うな気9?:羽2;「 武蔵野 の森 よ り」『 雲の柱』X937年1月}に なって いた。)この よ うな立場はe全 く対照的な人柄 と生き方 なが らも、"直接 音楽 とは関係 が なくて も、昆虫、小鳥、滝 、雷、鐘、人声 などの発す る音響 には常に注意を払い、

聴 覚 型作家 の面 濁を発 揮 して いる音楽的描写 を行 っだ'、̀聴覚の鋭敏な作家"(申 村 洪 介、晒 洋 の音、霞本 の耳一 近代 貝本文学 と西洋音楽 一 「』 、薪装版{春 秋祉、2002 年盈91)永 井 荷風弓と、意 外にも共通す る所がある。

本 稿は、上記 のよ うな賀 川の汎音く 楽1論的 立場 の展開 を詳 細に(と は言って も、平 凡 ・煩雑 を避 けるた め必ず しも全ての音 関連 資料 を取 り上げる とい うわ けではな く、

有意義 な事 例を適 宜取捨選択 して)跡 付けるこ とに よ り、その特微を明 らかにするこ とを穆標 とす るが、 中で も楽 器な どの純音楽 的指標に注 隅す る。 また、検証範囲につ いて は、素顔の賀IIJを 赤裸々 に物語る(そ れだけ賀 川の音感 を凝 縮的 に示す)一 森 鴎外の詩歌集 『うた 鷺記』(春陽堂、1907年)が 名実 ともに先例 となってい る一"即 興的79な"『歌 購 司"⑳:218;「 廟 『 銀色 』)としての詩歌 集(『全 剰 第2◎巻)、紀 行 文(『全 集』第23巻)、 身辺 雑寵(『全 剃 第24巻 お よび 『 史料集 』)などに原則 と して範囲を限定す る。散文 詩については、詩 的散 文との区別が曖昧であるた め、必ず しも網 羅的 には扱 わない。従 って、r殻 を破 って1幌 よ り星への通路」 「 雷 鶉の 冒 醒 む る前」 「 地球 を墳墓 として」 の四冊 には部分的であ るが、沖 瑚 散 文詩 が出てゐ

る"(20:48;「 序」『 永遠』)ものの、副次的資料 として しか扱 わない。

詩 歌集については、必ず しも出版順には検証 しない。賀 川の詩歌 集は、作品を必ず しも創作年 代順 や発表年御 頂に収録 してい るわけではなく、また創作時 と発表時の連 動 性もないた め、詩歌 集を一旦解体 して、収 録作品をできるだけ創作年月 碍順に並べ 替 え、且つ詩歌 集以外 の文献 と関連づけて考察す る必要 があ る。また、詩 歌作品は公 表の際に しば しぱ改訂 されてい るが、改訂箇所 につ いては重要 と判断 され るもののみ 下線(改 訂前の箇所にはs° 、改訂後の箇所には二重線)を 引いて(揚 合によって は引かないで)明 示す る。分 かち書き(ス ペー スあけ)、行替 え等 の異 同については、

いちいち明示 しない。

旧漢字・ 変 体仮名の引用 に際 しては、賀ICIの場合を除 いて、原劉 として 当用漢字 ・ 仮

名 に改めた。ル ビや傍点 ・ 圏点の引用 に際 しては、賀 川の場合を除いて、原則 として

(5)

4賀 州 豊 彦一 音 の 生涯 一 く雲)

省略 し鳥 誤 字 ・ 脱字 と判断 され る場 合には、適宜補訂 した。欧 文表記 は、原則 とし て 雌 ム 論文様 式に拠 った。翻 訳の 引用に際 しては、紙 面節約 のため、原(欧 〉文併 記は原 則として避 けた。副題 は省略 した場合 もある。

傍証 に際 して は、賀 川の場 合、原則 として 『 全 剃 当該巻数:ペ ー ジ数;作 品名 、 単行本名(略 称)も しくは初 出紙誌名(掲 載年月 鋤 の順に記載 した0

王.貧 民窟以前

賀ICIの 処女詩 歌 集 『 涙の 二等 分』(ヱ 瓢gl大 正8)年1は 、同題であ る 醸 の二等 分」

の部(ま さに貧民窟瀦歌 集)か ら始まっているが、本稿では賀 川が神戸(葺合親 ゆの 貧 民窟 に入る以前 の詩 作一 一 「 肺 を病み し頃の詩」〈 釦:22‑29)の 部一 か ら検 証を始 める必要 が ある。(同 部には 《̀一 ヅ貧民窟 に入 る前/』 明治 四十年一 一明治 四十二 年 鱒 とい う注厭が付いているが、少 なくとも'°Y治 姻 年 の詩作 「 ひ と り勝負 」 編 記 『 健闘録 轟 、『 史料集 罫726]が 含まれてい ることか ら、貧 民窟時f惚 期の詩作 も 含 まれてい ることを、予め指摘 しておかなけれ ばな らない。)

最初 に登場す るのは、明石湊 病院 に入院 申.f(明 治4◎)年1D月 蛤 日に作詩 された 「 姉が来た。 」 佃 記 『 矛盾録1、『 史料 集』19◎)一 後 に 「 姉様がい ら した」

像):2の 一一 で、̀̀過 去を繰 返 して、/噛 立くのだ。"(後に̀顎 を見合す と/唯 泣 く 一一")と い うよ うに 、音関連 の語句 が現 れてい る、

同時期の詩 作 欄 勧(曜r波 の剖 、r史料 鋼312)一 後 に 噛 散J〈20:24) t...は 、"地獄 よ/再 び天 に叫びて泣 く"、"閑散、何虞?/先 づ笑はん。"とい うよ うに、音 関連の語 句が現 れている。

同時期の詩作 と推定 され る 験 路に假寝」(『 波 の音』 、『 史料集 躯 ◎8)一 後に 「 淡 路 にか り寝」(20壌3>一一受 こは、u小鳥の聲 を/濱 千鳥/給 島の浦を/海 っ宮"、"寄せ くる波や/さ はげ とも"と い うよ うに、音関連の語句が現れてお り、ff人 世何虞/影 何慮'の 箇所は、名 曲 慌 城の月J〈土 井晩 翠 作 詞、滝 廉 太郎 作曲、東京音楽 学校 蔵板 『 中学唱歌 歴 共益商 社楽器 店、19磁 年})中 の̀̀昔の光 いまいず こ"の 箇所 を連 想 させ る。 そ もそ も 「 淡 路島通 ふ千鳥のJ5(『 矛盾録1、『 史料集 』1?◎)の項 で、賀

マ マコ

川 は 《 四 年前 腺 立徳 島中学 校在学 刺 の幼 小 の独身旅'で 受けた"強 きイ ンプ レツシ

灘ソ'に 触 れ、淡路島の"偉 大 なる夕陽 を慕"っ ているが、 ここで関係 しているのは

(6)

賀川 鎧 彦一 音 の生 涯一(1>5

歌人 の西行一 当時の賀 川が共 感 していた̀孤 独に苦 しむ西そ デ'(κ 波の音』、『 史欄 324)一 一 であ る。因みに、『 波の音灘に記 された西行関連文献(『史料集』332)一 一 厳密 にはt郎 校 著r異 本山家集 附録西行翻 体 郷 書院1906年)と 申龍児

『 詩人西行』(民 友社、1896年)一 の内、『 異本山家鋼 の 「 冬まの部か ら̀灘 島迫 門の監干 の夕暮 に須 磨よ り通ふ千鳥鳴な り。 野(原文は5tあはち嶋せ との甕干の夕 暮 に、す まよ りか よふ千鳥鳴な り。 つ、 ヂ 追加」の部か ら̀̀千鳥鳴 く、給島捕 にす む月 を、浪 に うつ してみ る今 宵哉"(原 文 は̀千 鳥鳴ク 檜島 の浦にすむ月 を、浪に うつ して み る こよひ 哉、")とい う淡 路島関連の2首 が、(改変 された形で)引 用 されている(『波 暗 』、『 史}繕 藥 』3琵 ≧ 婆。25)。

賀 川は1辮(明 治41)年1月2()臼 に ・a湊 病院 を退院 し、1月 鍛 印 こ愛知県の 蒲郡 に到 着 した。(現 在観光地 の)竹 島が眼前 に甕 える蒲郡町内の漁村一 府相(現 在 は蒲郡 市府相 町)一 一で 自炊 生活 を しなが ら、肺結核の保 養をするためである。蒲 郡 時代の詩作で本 稿に関連す る最初 のものは、無題詩(骸 の剖 、『 史料集/t')

→ に 破 暗 」伽 鱒 一 である。この識 嵐 野 がu高ぐ ・ 中天に/鞍 饗 、

csもや に 包 ま"れ た 西 方 の̀彬 の 原'帽 に は̀孤 光'》(後に̀̀弧 燈")が̀漏l 拶 れ

"渥 美 湾"(後 にcc三 河 湾')の 鱗 し%い る、

、{筏 も更 け"(後 に 削 除)た 光 景 を懸 ・て い る。そ の点 で 、例 えば 高 山樗 牛 の 碗 夜 の美 感 に就 い て」 ㈱ 埼正 治 ・斎藤 信策 翼編、

『樗 牛 全 集 』 聴 文 館 、19◎5・◎6年1第1巻 碁3・7のを連 想 させ る明 治mン に の 場 合 に は 寧 ろ̀『浪漫")主 義 の典 型 と言 え よ うが、f櫨 の音s>(後 に削 除)以 外 は 音感 に は 乏 しい。 何 故 な ら、̀̀波の 音絶 え791̀披 も動 かず'と い うよ うに 、肝 島・の̀̀波 の音"

は 絶 えて 、静 寂が 支 配 して い る と見 られ るか らで あ る。

190§ 年5月?の 詩 作 ゼ十 字架 」 σ波 の音 濯、『史 料 剣 雛 ◎)itに 「十 字 架 」〈幻:

泌 ト は、 既 出 の 無 題 詩(後 に 「波 の翻 〉 とは 打 っ て変 わ っ て、 当時 の賀 川 の内 面 一̀悪 き我'㌦̀脱 は れ た る 生命 鱒一 一を 露 呈 して い るがe夕 景 描 写一̀疲 れ た る 夕 陽 に群 蝿 泣 園 く、49Ct飢を しる 人 の子 無 意 味 に叫 ぶ「9こ 生 物(̀̀蝿'と̀̀人 の 子")の 音 声 が現 れ て い る。

1908年6月?の 詩 作r数 稿 α波 の音 』、『史 料集13鍛)に は、̀̀小供 が(/) 濱 で(、)/騒 い だ り泣 い た り(/)笑 った りしそ ド'る 音 力観 れて い る。 見 過 ご され や す い が 、 『波 の 音』 裏 表 紙 に は{(騒 ぐ/笑 ふ/小 供 の/濱 遊 び/泣 く/散 る/砂 地は

(7)

s賀 坦 豊 彦一 音 の生 涯 一(1)

/凸 凹"(『史料集 』3(n)と い う記載があ り、当詩の成立過程 を考慮 する上での参考 資料 になってい る。

19◎8年6月15臼?、 賀川は 『 波の音』 にtc凡てQS』 は歯を食ひ絞 って出 る音で

0000

あ るか ら、 ハ ッ キ リと した 事 を 明 瞭 に 云 ふ の で あ る。"と 記 し、̀3"で 始 ま る 語 句の 実 例 を 以 下 の よ うに8つ 挙 げ てい る(『 史 料 集 』326)。

s◎… … SAy◎NA黎A s㎜E.

ShiJuKA.

S{騨.

① 封>Su,

!'

意外 にも賀川が歯茎摩擦音(を 扱 う音 声学)に 興味 を持 っていた ことの証 拠 と言 え る。

1908年6月18目?、 賀 川は 『 波の音』に 「 言語 學上の人情史}を 記 した(『史料 i剃328)。 注 目すべ き資料なので、以 下に全 文を引用す るく 厳密な意味での復元 は困 難で あ り、 不体裁で読み に くくもなるので、 省略符 号な どば適宜 整理 した場合が ある)。

言語 の軽 い、 重 い 、奇 麗 だ 、醜 い と云ふ の は誰 れ で も云 ふ事 だO そ れ に また 言 語 程 人 間 を 善 く現 す も の は あ る まい と思 ふ 。

それ に言 葉[糊 地 方 語 の多 いの は,..い。 す る と空 氣 の 工合 ひ 、 土地 の 傾 斜 、 温 寒 が 、言 語 に 影響 す る ので あ る。 例 へ ば、Ba,Bi… ・の 行 で あ る

eき ばきBoBoifiお ヨ  

馬鹿 陰部(阿 波の方 言)糞 婆i'1(陰 部)

0

Ueryと か云ふ激甚な感 清を表 した場 合に多 いのではあるまいか、 之れ がEを

多 く使ふの と0を 多 く使ふ の とで人情 を区別す ることが出来 ると思 ふbま た

  ハ ハ     0

k◎ketaと 云 ふ の と松 ◎蹴aと 云 ふ の で 人情 の 区 別が 出来 る と思 ふ。 一 方 は 喉

(8)

賀JII彦 一 音 の 生 涯 一(1)7

か ら出 る音 で 、原 始 的 で(?)あ り、樵 方 は 舌 の 音 で 、北 方的 じや あ るま いか?

鶏 が 麺 藍a茎慮oと 凡 て 腿 』[で}始ま るが 之 れ も面 白い で はな い か 、勇 ま しい 、 荒 い 慮 が あ る。

馬 溺 ・ ・ … イ ヒ、 ヒイ ヒイ ヒ ン ftbin地

鶯 が6・ … ホー 、 ボ ケ キ ョ ウ.

tコ

蛙 が ・ ・ …G即G㌍ 烏 がK転 惑A一 猫 が0・ … ニ ヤ オ

̲f 猿 が ・ ・ … 】蚤 一トK卜Kl 牛 が 一 ・ 一 瓢 ◎一

三 味 が ・e・o…TU翼 …T8餌 琴 が ・ ・ …KO蘇0‑R泌 ぎ一ShA餌 戸 が ・ ・eo・Do‑‑S麺N…Ga・ ・TA腿 漁 車 力a。 も 。 ・ピ ー ・◎。Pi… 鳶 力寓造 趣 髄 雀 が 。 。 ・ 。 。「鉛su‑Tsu

狐 ・ ・ ・ …K醸 一KE層 杜 鵬 ・ ・ …KUU…KU.

兎 は ・ ・ …Pyo冠 …R,,;.

・o・0・+t…P◎

け エ け エ す ・!i…K醗 一K露 一SU,

雲 雀 、 【。 ・ 弓 ツ0ツ ク 、 ツ ー ツ ク 、 ピ イ ヒ。イ 、 ピ イ 頭 と 頭 が 【・ ・】Kb…TSU…Ri.

倒 れ る ・s・ ・Kb… 】職)…R凌

呼 ぶ 時 にeO・Ko…RA。 … ○ …O…i。Ho…H◎

1

Doッ 。・・K6i…S姦o

此 様 に露納 す る と大 分 面 白い 結 論 【が]あ る と思 ふ。 即 ち 人情 史 の あ る もの が

(9)

8賀 川 豊 彦一 音 の 生涯 〜(1)

襲 見 出来 よ う。

上記は5っ の論点を含ん でい る。第1は 、言語お よび(そ の言語 を用 いる〉人聞に 対 す る風 ± の影 響 一 ま さ に ヴン ト(隔 面 が浩 翻 な1D巻 本 『民族 心理 学』

〈 臨 甥麟 噸 購 鍛◎◎受①の第1‑2巻 『 言語』(伽 鋤 盈 ε)第3章 第 露錦第4 項 で 竃 雌 簸畿 藤 鍵 撫 搬e麺磁S騨 議c飴(1鍵U聯b磁9'7と 呼 んでいるもの一一

に注 冒して いる点 であ るaこ の問題 については 、例 えば(『史料集 』492、516、62◎

で言及 され てい る)ル ソー(お緻 ・Ja(離 総 恥 醸贈 撚)が 『言語起 源論 』(撫鋤 紺 ル贈 魏 磁8加 騨 鶴o嚢 ガ8舘躍 褻 撚 勲 欝爾 糖 謡}伽 薦 加 遡 躍 励)第8章 で く 諸 言 語の 区別をつける主要な原因は地域 的な ものであ り、そ繍 ま言語 が生れ る風 土 と、言語が形成 され る仕 方か ら起って くる9J(『 雷語 起源論』 、小林 善彦訳、古典文

劇 現代思潮 ・;,)と 記 してお り便 には漉 欝 融 ㈱ 藤 倉囎 羅 鶏 碗 卿 ε

6醗晦 擁}醜 舜く鼠Bg難 盛G&解 奪魏 箋就M澱 掘 ぬy搬 磁d,B三 髄 ◎癒 さ⑳eddaP塾6iade, も5(fif:,199δ)15露 で ス タ 潭バ ン ス キー{論 繊S髄 む癒8麺)も 注 釈 して い る

よ うに、 『人 間 不平 等起 源 論 』(謄 語 起 源 論 盟 は 元 来 そ の̀̀闘 甲')の 第2部 で も推 論 され て い る。 特 に風 土 の影 響 につ い て は 、 『言 語起 源 謝 第9章 と関 連す る政 論 断 章 曙文 明 に対 ず る風 土の 影 響ljà麓 滅 娘e頚㈱ δ¢$d血 磁 §瓢 鍛civ鎖 綴 盤㎝1]"(仮 題1に も記 され て い る淋 、賀 川 の見 解 は 寧 ろ 〈『史 料 集 』378で 認 識 論 の立 場 か ら撫 判的 に言 及 して い る)ヘ ル ダー の ζ気 候 、空 気 水 、食 物 、飲 物 は発 声 器官 と、 当然 言 語 に も影 響 を及 ぼ す で あ ろ ゲ(151;第2部 「第3自 然 法 則2)と い う見 解 に近 い。 ただ し

̀̀地方譜(方 言)に っ い て は

、̀牡 会 の風 習 と、 習慣 とい う力 強 い 女 神 は 、身 賑 り と 作 法 に従 っ で'言 語 に̀種 々 の特 色 と相 違 点 を も ち こむ で あ ろ う"(151)と い うよ うに、

ヘ ル ダ ー の方 が一歩 踏 み 込 ん で い る。 なおa(『 史 料 集 肱 δ7、344、373、521.537、

618で 引 用 され て い る 堕$y¢田o塊 ゾSの 著 者)ヴ ン トも 『言 藷』 第9章(終 章1で言 語 の起 源 に っ い て 論 じて い る が 、 賀 堺が 『言 語』 を 読 ん で い た 形 跡 は な い(『 民 族 心 理 学 』 の 簡 略 版 で あ る 『民 族 心理 学 提 要 』 一 一 ・漁 畷 劔 毎del・ 購 即 鋤(麺 ぴ 伽 澱 伽 初 曲 醒 ジ鋤 噸 磁 紐rsdex'+//・

海 重麺 霧:簸 薇 鋤 ヱ9翅 一 → ま、そ もそ も未 だ 出版 され て い な か っ た 〉。 それ で も、

(10)

賀 揖 豊彦 一 音 の生 涯 一(1)9

日本 語 の 実 例 を引 証 して い る 膳 語 』を 駕 紋 と比 較 して み る と、似 下 に示 す よ うに〉

興 味 深 い 対 応 が 見 られ る。

第2は 、[be]音 と岡 音 の 例 か ら一 つ の結 論 を導 き出 そ う と して い る点 で あ る。 阿 波 《徳 島県}の 方 言 例 に して も 三 河(愛 繍県1の方 言例 に して も、実例 に接 して い る点 渉強 味 と言 え よ う。興 味 深 い こ とに 、 ヴン トも 『言 謝 で(̀iBa,Bi・ … ・の 行"に 相 当す る)唇 音 の 加,it/'形 を 引証 し て い る(1:327;第3章 第3節 第3項 》が、これ らは̀ξ父"

を意 味 す るpaの 方 言 で あ る。

第3は 、"激 甚 な 感精"に 関 す る点 で 、ヘ ル ダー の 言 う 『感 覚 語"(5;1部 第1 動 一̀灘 を 表 珈 るた め"の"自 然 あ 音 淘 〈16;第1部 第1章}一 の 概 念に 該 当す る。 興 味 深 い こ とに 、 ヴン トも 『言語 』 で 母音(の 強 勢 変化 〉に言 及 して 、̀覧 較 的 遠 隔 の地 と同様 に、 比 較 的 遠 隔 の 人 も母 音強 勢 の 増 大 を 通 じて表 現 され る が、そ の 際 に通 鴬 禽oと 薩は 比 較的 強 い母 音 と して 現 れ 、eとiV的 弱 い母 音 と して現 れ る。"(ζW隻ed醗e嬢 鹿 類 蹴e()i*̀(挽 腿 盤}漁継eP蟹 鋤識d鶴h翫e纏 de§i.stt§a誠 曙e(紬ckちwobeまd嘘hw曙 粛o醐d麗a18曲  贈k鵬 簸,ε㎜dゴ 副8(he§ch囎(lhe聡 簸Vbka塾ee鋤 挽 鋤 ガ'【1:354;第3章t項1)と 記 して い る。

第4は 、 閉 鎖 音〈働 ρ ま た は破 裂 音 Φ1憾 鷲)の 問 題 で あ る。 闘 音(喉 音 騨 伽ra1) も 田 音(舌 音h難g破a1、 広 義 の歯 音denialと ほ とん ど同 義 〉 も、閉鎖 音 また は破 裂 音 と して 音 声 学 的 に は 同 類 で あ るが 、 前者 を 源 女舗'で 後者 を[f北 方 的"と す る見解 は独 特 で(ル ソー 『言 語 起 源 論 』で 引 用 され て い るラ ミ.‑rx世 紀 の 言 語 理 論 家 ・オ ラ トリオ修 道会 神 父 で 同 じ くオ ラ トリオ修 道会 員 ・哲 学 者マ ル ブ ラ ン シ ュ[瓶 曲ra麟e]の 友 人 で も あ っ た が 『修 辞 学 ま た は 話 す 技 術 』 血 勲6加.鮮08趣6幽 ρ醒耐 でt4北 方 の人 た ち は強 い子 音 よ り成 る語 を用 い る傾 向

が あ り、 そ れ は 喉 の 奥 で 発 音 され る。"[82;第 ヱ部15,,引 用1まル ソ0膳 語 起 源 論1小 林 訳 註 ⑲董)に拠 る」と指 摘 して い る の とは対 照 的)、 賀 川 の特 異 な感 覚 を例 証 す る もの と言 え る か も しれ な い 。 た だ し、 こ の よ うな 二分 法 的 区別 自体 の 先 例 に は 、 ル ソー 騰 語 起 源 論1の̀̀南 方 の 言 語 は活 発 で 、響 きが よ く、抑 揚 が あ って 、雄 弁 で 、 そ して しば しば 力 強 さの ゆ え に は っ き り しな か った に愚 、ない。 北 方 の言 語 は 響 きが 鈍 く、 耳 ざわ りで 、音 節 が は っ き り区切 られ 、 甲高 く、単 調 で、 よ くで きた 構 成 のた

め とい う よ りは 、 む し ろ語 の お か げ で 明快 で あ った に違 い ない 。37(小林 訳97;11

(11)

1◎ 賀1コf彦 一 音 の 生 涯 一 ・(1)

章)と い う指摘がある。なお、興味深 いこ とに、 ヴン トも 『 言語』で鶏 を意味す るフ ランス語の小児語 抽 お よび 鰍 爾 を引証 してい る(1:294,31α 第3章 第2節 第 2、盈項)◎

第5は 、ル ソー も 『 言語起源論』(/」 淋 訳31;第4章 〉で(既にス タロバンスキーが 捲摘 してい るように、*aas文̀̀0簸o憩 鋤 麹"[『 百科全書』伽 獅蠣 を 参考に して)言及 している擬 音語{b簸 幟a纏 脱 麹 の問題であ る。擬音語は、全 部で26 例(鶏 を除 く動物の鳴 き声が15例 、楽 器音が2例 、その他9働 が記 されている。

興味深い ことに、 ヴン トも 『 言語』(1:310‑11;第3章 第2節 第4項1で ㈲ 台 王 ◎の知人 か ら情報提供 され た53例 の 臼本の小児Rq擬 音Aの 中か ら〉 ほぼ同数 の25例 を次の よ

うに列挙 している 絡 称 は稀 尺〉二dQdg.,,、搬o惣o牛 、1,. '犬 、遡 遡 猫、

忽綻盟鍵鼠 盈3癩 鳥 、鰯 θ鶏、五α細動 夜 熱tst鳩 、颪蝕 額確 雀、蜘 盟 蠕蝉、rxが 露 笛 、鋤 額紐 あるい は 脚 卿 大鐘 、舳 渤 小鐘 、 伽 ・ 伽 太鼓、卿 騨 投 車、8脚 脚 雷、alt/咳 、rttttttt文 字 〈 唇の鋤

きの模倣)、姦脅 火 侠 を吹 き起 こす際の 口の動きか ら)、i食 事(食 べ る 動き)、惣 癩 痛い、またナイフ(苦 痛感覚 による叫び)、1:煙 草(喫 煙 者の ξ̀一 服す る"か ら)。賀1収 と重複 す る例 は少 な く、賀 川が 『 言語』 を読 んでいなかった 証拠 と言 えよ う。 このよ うな例か ら帰納 される"結 論"と は、言語学で言 う"音 声象 徴'(鋤 猫d騨b6h  鐵)に立脚する擬音説(自 然音 源説〉 書 語起源論の一種一 一

に繋がるものであ り、(『 史料集1378で 言及 されてい る)ヘ ル ダーの̀す べての始源 あ・ 書語たほ、駈 中嘲 自然 的昔声あ名麦 箋り参なお鳴b馨 い七ぴ る。"(r言 語起源論』9;

第1部 第 王章)と い う自然音源説 と共通 ずる。ヘル ダーを頂点 として18世 紀 中頃に 盛 んだった言語起源論は、1865年 にパ リ言語学会騒e溢de㎞g樋s蜘 聡dePa露 δ で遣 放宣告 を受 けて以来、既 に過去の遺物になっていたが、そのよ うな中で賀 川が書 語起源論の一端に触れていた ことは興 廉深 い。ま して講 起源論が最 近"単 に書語学 に止 らず 、心理学、人類学(文化 ・ 形質 とも)、社会 学 、法律学 、大脳生理学、計算機理 論(ハー ド・ ソフ トとも)、 人工知能論、認知科歎 な どの諸 領域にわた る幅 広い褥野 を もっ総合的 ・ 学際的話題 として再生 し、 これ らの話題 を通 ¢て、装い薪た に現代a語 論 のDの 申心的課題 として復権 を着 実に果 しっっ ある稀有 な領域で ある"〈 坂本百大、

『 言語起源 論の新展開』[大修館 書店、 ・s年}3‑4)こ とを考慮す る と、一層 興味深

(12)

賀 摺 豊 彦一 音 の 生涯ト・(1)11

いものがある。 いつ れに しても、 ギ 言語學上 の人情 史」 は、賀川の全 くと言 って良い ほ ど知 られて いない一面を例証 している。

むきかタ

「言 語學 上 の 人情 兜 末 尾 の反 対,̲.̲.ジに は 、 駿 苅 二稿 一一 糊 稿 「麦 苅}(未 完) と第 露稿 「麦 苅 」〈完 縞 ト が 記 載 され て い る(肢 料 集 』329)。 この こ とか ら、ま た 詩 作 内 の̀̀臼 に照 ら され て/麦 苅 る と/一 生 送 りた い/(お)百 姓 さんで"と い う農 本'蠣"預 言者 ア モ スや 、 ミカ の 仲 問 入 りを して 、 ボ ア ズ の畑 に麦 刈 を し て み た い"(£3:180;ギ ヘ ブ μ ン行 」 『雲 水 曇)とい う 『旧約 聖 翻 〈特 に ギル ツ記 」)的背 景 も あ るの か も しれ な い 一 が"此 の 問麦 苅 りした 時 に 、太 陽 を礼 洋 した い や うな気 が した 事 を 思 ひ 出す 。"(2215◎;r小 屋 碍記 」1908年7月6翼.肺 音中』)と い う記 載 と符 号 す る こ とか ら、 当 詩 も 同時 期 の 詩 作 と見 られ るが 、 当詩 自体 は音 とは 関係 が ない。

と ころ が 、(綴り こそ 異 な る もの の意 味 的 には 同 義 の)「麦刈 」(ao=26)一 一̀̀ぼ'・"照"・

̀蟻'TCGO刈(苅)'㌦"鎌"と い う同一 文 字 の 使 用か ら 陵 苅 」 の 改稿 と言 え るか も し れ な い が 、む しろ別 稿 とも書 うべ き程 に内 容 は 相違 して い る→ ま、戦 前 に作 曲 され 国 民 歌 謡 と して 歌 わ れ た こ と も あ る 島崎 藤 村 の詩 「労 働 雑詠 」(麟 落 梅 集』1901年) を連 想 させ る 内 容 で 、駿 の穂 は/赤 く11(賀1ゆ と̀稲 の穂 は黄 にみ の りた り"(藤 村)、

 ま

"お 旨様 が/か ん 〉 照つて/海 も空 も/青 い

。"(賀 川)と(6見 よβは高き青空 の/端 よ り端 を弓 として/今 し父 の矢母の矢の/光 を降 らす真昼中"(藤 村)などの対応 関係を

む きりわ ら

指 滴できる。肝 心の音に関 しては、"麦 幹 のすれ合ふ音 、/鎌 の なる音/す そつれの

i33t

音 、/足 音、雲雀 の声!"、"遥 かに/子 供の 叫び/機 の音/若 い女の歌!"と い うよ うに、各種 の音 が現 れている。 なお 、興味深い ことに、後年 、文部省唱歌に同題で民 謡 調のr麦 刈」(白鳥省吾 作詞、井上武士 作 曲、文部省 『 初等科音楽 三』[大β本 図書株式会社 、19囎 年1;堀 内敬三 ・ 井上武士編、r:唱 歌集』 、岩波 文劇 岩波 書店、

1958年234)が 含 まれ るこ とになるが、それ にして も福 田正夫編 顧 本社会詩入詩集 』'

〈 日本評論社出版部、X922年)で 各々共著者の一人であった賀川 と白鳥が同題 の詩 を作っていた とは、奇縁(あ るいは宿縁1と で も言 うべき所 であろ う0

(̀吟私 は、M/此 稼い県立病院のベ ツ トの上に横はってゐ る"と い う箇所 か

ら見 て、賀川が兵庫県立病院で蓄膿症の手術 を受け一時危篤状態 に陥 った>1908年

10月 頃 の詩 作 と推 定 され る 「 火葬 場に 自らを葬 る歌」 伽:34‑36)は 、認 刺5F『 空

中征 服』(16;3・109)末 尾のモ チーフ となって いる点で注 冒され るが、"二三人の足音が

(13)

12賀Jコ1豊 彦 一 音 の 生 涯 一(1)

私 の枕 元 に す る"、̀̀大勢 の足音 が棺 の 後 先 にす るs>a"耳 が ブー ン、 ブ ー ン鳴 る"と ㌃\

うよ うに、 音 関 連 の語 句が 現 れ て い る。

(u出血 が丘 らぬ'こ と とcs>at の 強 調 か ら見 て)t年xo月(前 記の 蓄 膿 症 の 手 徳 時)か ら19◎9年7月(嚥 の哲 学 」執 筆時)の 期 間 内 に作 詩 された のか も しれ

らっば

な い 「終 末 の 籔 聞 こ ゆ ま伽;36・ 切 は 、 噺 約 聖 書』 の 「澱バ ネ の黙 示 録 」を 下 敷 き に して お り、賀 川 の 終 末 意識 が 窺 え る文 献 の 一 っ で あ る。"籔'の 響 き、{電 車 の 響'、

̀機賊 の 音)}

、⊆地 の底 に/泡 立つ 水 音 のや うな も の"、"大 声"、"瞬"び 、̀̀ひと り言'、

U小 さい 声"

、Cの 音"、it恐ろ しい 物 音"、̀甦 る もの の声 か 何か"、"悶 絶'、"先 妻 の 泣 き声"、ff人の叫 び 声鐸'、̀裸人間 の 痴 話 と、嫉 妬 の言 葉 と、/刀 の切 れ 音 と、 皮 膚 の 擦 れ 合ふ 音 と、/走 る足音 と、 泣 き 声"、 ζ男 の声 と女 の声"、̀{女の 泣 き 声J)灘̀祈 の 声 と識 悔 の声"、̀̀江戸 児 声"、GC自覚 の 声31、"骨の 延 長 す る音!/皮 の 張破 れ る響1"、

涙 のcs美 妙 な響 、̀俺汽 車 が トンネ ル を く ゴつ て ゐ る様 な/音"、es足 音7D、64人間 の声"

とい うよ うに、 各 種 の 音 が現 れて い るが 、 音 楽 的 に は"籔"が 注 濤され る。

19◎9(明 治42)年6月2壌 臼起 稿 の 論 文 草 稿 ギ生 存 償値 論 」(『史料 集 』335名7) に は 、音 楽 関 連 の 箇 所 が 以 下 の通 り三 つ 含 まれ て い る。

人間に出來ぬ事があるから辛い と泣 くのは余 程現代 的で 、ワグ子ル の『 神 族征測 よ り一層意味が深 い。(第 露稿 、『 史料集』34fi>

元來樗牛 さんの思想はニーチエか ら出て居 るが、ニー チxや ワグ子ルはまだあれ で、生存 の贋値所 じや 無い、奮 闘的意志 を認定 して居 る。所 謂薪 ローマンチシズ ム派瀧 超 現代 派瀧 安全な翫(第3稿 、『 史料集』359)

細 翻 戦後の 自然 主義文学の流行[、 嬉翻櫛 民謡 の出環に至っては、賃本、嘗 て無 い、現實 自覚の叫である口(第3稿 、『 史料集 曇347>

ドイ ツの 大 作 曲家 ヴァー グナ 象 徴 派詩 人 マ ラル メ 〈inFrIt)の

よ うな熱 烈 な 崇 拝 者 に とっ ては̀神"(L£dieの11で さえ あ った 一一 へ の言 及 が繰 り返 され て い るの は 、 興味 深 い 。1燗 題 は 、 賀 経iがヴ ァー グナ ー に ど の よ うな 形 で接 触 し て い たの か とい うこ とで あ る。

臼本 人 に よ る ヴ ァ0グ ナ ー 受 容 史 は、(岩 倉 使 節 団 の よ うな海 外 で の体 験 を別 に し

(14)

賀 摺 豊彦 一 音 の生 涯轡(1)13

て)遅 く とも 三883〈明治16)年 には始まっていた。以後の展開は、例 えば漱 山龍莫 編 脂 本 の洋楽百年剣(第 一法規ass年)掲 載資料を丹念 に辿 って行 けば 自ず か ら 判 明す る ことだが、中で も条 約改正問題 が燵 る最 中の1887年3月17資 、午後8時 半 よ り鹿 鳴館において開催 された(大)目 本音楽会く 会長は鍋島直大侯 爵、副会長は伊 澤修 づ 第2回 演奏会で、フランツ ・エ ッケル ト(恥 鷹E6ke菰 略歴 については堀内 敬 三 『 音 楽 五十年史』鯵 書房、i.it参 照1̀調 理"(指 揮)の̀簾'

(q=nsrto楽 隊)に よ り、̀̀ファンテ ジー 、シユール、 ロペ ラ、 タンハイセル(粛 鋤"

〈 離劇 タンホイザ 囲幻 想曲)が 演奏 された(磁 本音楽会第 二回演奏会」『 大 霞本 教育 会 雑誌11887年3月31臨 秋1.033‑35)}表 記か ら見て"恐 らくフランス人編 曲

に成 る楽譜 を用 いたので あろ ゲ 〈 中村478)一 ことな どは、ヱヵ月後の1"

に首相(当 時は伊藤榑 文)官 邸で開催 され(谷 干城 らの硬派 を始め として世間のk たる非難 を浴び)た 大 仮装舞踏 会 と並 んで、明治への幻想 を掻き立てるには絶好 の史 実 と言 えよ う。 そ して、 ヴァー グナー楽劇 は雷わず もがな、ヴァー グナー音 楽に接す る機 会 も散発的 ・ 部 分㈱ 的で限 られていたた め、C4明 治二、三十年代か ら四十 年代 初 期(十 九世 紀末か ら二十世紀初め)へ かけての諸 家のヴァー グナー論'は 、"賛否 何 れにせ よ多 分にハイ ・ ブ ロウな文学 的思想 的哲学的衣裳 を纏っていだ'〈中村527)。

興味 深い ことに、 ドイ ツにおいてttヴ ァ0グ ナーカ清 年を征股 したのは音楽によるの ではな く、r蓮葱」に ょる"(『ヴァー グナ ーの揚 合』 、浅井真男訳 秋 山英 夫 ・浅井真

男 訳 『ニー チ ェ全 集 璽第 夏期 第3巻[白 水 社 、 ・ ・X[i)、 ま た̀̀ヴ ァ0グ ナ ー が 哲 学 者 と して の 面 欝 を最 大 限 に発 揮 す る の は 放 胆 な彼 の実 行 力 が最 大 限 に発 揮 され た場 合 で あ る"(『 反 時 代的 考 察 』 第4篇 『バ イ ロイ トに お け る リヒャ ル ト ・ヴァー グ ナ 轡』、 三 光 長 治 訳 、三 光 長 治 ・高 辻 知 義 ・谷 本 慎 介訳 『ニ ー チ ェ全 剰 第 夏期 第5 巻 狛 水 社 、198◎ 鯛3① とい うニ ー チ 鳳の 主 張 をま さに地 で行 った 感 が あ るが 、 上 記 の 劉llの ヴ ァー グナ 瀟 もま た 、̀̀愚想的"の 一例 と言 え る。

特 に 「生存 贋値 論 の執 筆時 期 に 注 目す る と、 賀 川が ヴァー グナ ー に言 及 した 背景 に は 、19◎3(明 治36)年 の く4ヴァ ー グネ リア ン ・ペ ス ト"(中 村190、2Ei4、448、483、

530)一"「 タ ン ホ イ ザ ー 」や 「ロー一エ ン グ リン」、 或 は 「トリス タ ン とイ ゾル デ〕

の極 く一 部だ け を頼 りに 、 一斑 を 以 て 全 豹 を トす る式 の"、 っ ま り̀̀ヴ ァー グナ ー聴 かず の ヴ ァ0グ ナ ー 論 者 を 多 数 生み 出 す とい う特 異 現 象'(中 村477)一 一 が あ っ た

(15)

14賀 揖 豊 彦一 音 の生 涯 一(1)

と見 て 間違 い ない 。̀̀近代 化 を急 く順 本 の 文 壇 に とっ て 偲 礎稼 」 ヴ ァ0グ ナ.一一13が論

た とえ

ず るに恰好 の人物であった事 、また仮令音楽 を充分聴 かず 専 ら活字 に拠 って もヴァー グナーの 偲 想1は 論 じられた14"が 、この"特 異現象の因って来 る所以だ った と 考 えて よい"(中村 留7>。 しか し、その直接 原因一「 火付け役一 一 となったのは、〈 ヴ ァー グナー を論 じてもいる)高W宛 書 簡 「 高 山樗牛に答ふ るのJ(6太 陽』ヱ902 年2・3月 〉 を備 矢とす る姉崎嘲風(正 治)16の 数篇の文章だった。即ち、19◎2(明 治 35)年以後、̀海外での少数 の ヴァー グナー 体験者及び矢張 り少数 の先覚者 を除 く大 多 数 の人々は、嘲 風によって ヴァーグナーの何者た るかを知 り、潮風の説 によって ヴァ ーグナー を論 じた"(中 村 銘3)の である く その中で も̀重 症の ヴァー グナー病患者"

石川啄木については、 中村 藪6・ 魑 参 照)。

後 に賀i11は 嘲風の校訂 した"β 翻 少,一 正確 に1ま 姉崎正治校注 脂 蓮 上人文抄』、

岩波文庫 〈 岩波 書店、193◎年)一 一 を読んでい る(鍛:253;賦 蔵野の森 よりJ『雲 の欄1938年 δ月)解 、初糊の時点で報 の文章 を読んでいたか ど うかは不 明で あ る。 しか し、た とえ読 んでいなかった として も、賀 綴が強い 関心 を持 っていた(現 に

『 史料集』93、347、359、11ヱ5で 言及 している〉樗 牛の文章isを 介 して ヴァー グナ ー に接触 していた可能 性は 、極 めて高い。そもそ も、LC吾 入の生涯は矛 盾にて充て り"

(『 矛盾録1、『 史料集』141)と い う賀川の文章は、U予は茅旛の人也、績 簡の人也。

予が今 βまでの短き生 涯は、実に是の矛 盾煩悶の 中に過 ごされた り。'タ(「 姉崎嘲 風に 与ふ る書 」 、『 樗 牛全 集』第2巻t,)と い う樗牛の文章 と重な り合 う。問題の賀 川論文 「 生存儂値論 の表 題 自体 も、樗 牛論文 「 人生の価値及厭世主義a(『帝国文 学』

1895年6‑8月;r全 剰 第 壌巻137・66)を 連想 させ るが、これは共に文 中で言及 されているシ ョーペ ンハ ウアーが共通の源 泉 とな ってい るか らで、u十 九世 紀末 の中 心問題は実に人生の価値(W麟dε$L6b劔8)如 何 といふ厳 粛な疑問であっ払 シ 滋ペ ン ハ ワーの厭 世観が一たび世に広がつて このかた、欧羅 巴の思想 界は、挙 げて人生の価 値間題 に熱 中 したではないか。"(金子筑 水、r現実生活 の興蜘[『 早稲 田文学函 ・i' 年3月 】 、ザ 時 代思想 之研 究』埠 稲 田大学出版pR、191◎年}37)と い う指 滴が参考 とな ろ う。また、前後 に樗牛への言及 こそないものの、賀 斑の く6美 的生活"σ 生存側 齢 翻 、

『 史欄336)と い う語句 も、樗牛の幅広い反響 を呼んだ論文 嘆 的生活を論 ず」

①太陽』19◎1年8月;『 樗 牛全 剃 第 娃巻853・70)に 基 因す る と見 るのは自然であ

(16)

賀想 豊 彦一 音 の 生涯 一(1)15

ろ う。

いみ じ くも上 記 の よ うに賀 脇 ま̀̀元來樗 牛 さん の思 想 は ニー チ エ か ら出 て 居 る"と 記 して お り、樗 牛 自身 も ζξニ イ チ ェ の理 想 に彷 縷す る者79〈明 治35年7月3日 付 け姉 崎 正 治 宛 書 簡、奮樗 牛全 集 』 第5巻458)で あ る こ とを 自認 して い た が 、実 はそ の(嘲 風 と の往 復 書 簡 の 中で 示 され た)̀樗 牛 の ニ ー チ ェ論'こ そ、̀̀目本 に 多 くの ヴ ァー グ ナ.̲.̲か ず の ヴ ァ0グ ナ ー 論 者 を産 み 出 し"(中 村515・16)て い た の で あ る。̀朋 治 三 十 年 代 の シaト ゥル ム ・ウ ン ト・ドラ ン グ時 代 、文 壇 の 主 た る 関'謡ま本 能 讃 美 の ニー チ ェ 蟻 に 向 け られ 、 ヴ ァー グナ ー は 、 い わ ば ニー チ ェの 巻 添 え に され た感 が深 く、

宮 学 の 秀 才 樗 牛 の 何 処 か 世 を 見 下 す 傲 慢 の筆 が ニ ー チ ェ そ の 人 の 思 想 を 充分 理解 し て い な か った の と 同様 、ヴ ァー グナ ー に つ い て も空 回 り して実 の無 い言 が 増 え た"〈中 村516)わ け だ が 、賀 川 の ヴァー グナ ー 論 も実体 験 に基 づ い た も の とは思 わ れ ず 、何

らか の 受 け売 りと見 るべ き で あ ろ う。

因 み に、駕 ゆ 明 治 学 院 高 等 部神 学 予科 在 学 中(19()5年4月 一1907年3月)、1905 年8月1揖 夕 刻 に は、濤比 谷 公 園音 楽 堂で 開 堂 式 が行 われ(市 長 の 尾 崎行 雄 が 挨 拶)、

永 井 建 子(陸 軍 戸 山 学 校 教 嘗)の 指揮 下 で 同校 軍 楽 隊 員 に よ り6歌 劇 タン ホイ ゼ ル ワ グネ ル 作 。"が 演 奏 され て い る(堀内270・71)。 また 、 同月12日 の第2回 公 園 奏 楽 で は 、 吉 本 光 蔵(軍楽 長 〉の 指 揮 下で(横 須賀 〉 海 軍 軍楽 隊 に よ り"歌 劇 「ロ唖 ン グ リン」中 の佳 飾 抜 葦 曲 リ ヒアル ド、 ワ グネ ル 作 。"が 演 奏 され て い る(堀内271)。

ま た 、190δ 年 鐙 月 弱 賛に は 、東 京 音 楽 学校 奏 楽 堂Z̀ζ ロー ヘ ン グ リン ワ グネ ル 作 曲"が"管 絃 合 奏"さ れ て い る(ゼ東 京音 楽 学 校 第 十 三 回秋 季 音 楽 演 奏 会 」;秋W 描 ・4⑳。 ま た 、19◎6年2月1◎ 目に は 、神 霜青 年 会館で 金 須 書 之 進 の"ヴ ア イ オ リ

ン独 奏(タ ン ホ イゼ ル)"が 行 われ て い る?(「 楽 究 会 第一 回演 奏 会」 『東京 霞目新 剛 19C6年 ヱ月t;秋 山145)。 また 、1906年8月11日 に は、 β比 谷 公 園 音 楽 堂で

̀̀タン ホイ ゼ ー ル 劇 中 の大 行 進 ワ グネ ル 催'と̀̀大 歌 劇 ワル キ ー ル ワグネ ル 作'が 永 井 建 子(既 出》の 指 揮 下 に演 奏 され て い る(順 比 谷 の演 奏 」・「日比 谷 の 演 奏 評 」 『東 京 βB新 闘』1906年8月8臼 ・1◎月 田;秋 山151噸3;「 翫 ヒ谷 吹 奏 楽(陸 軍 軍 楽 隊)」

『東 京 朝 日新 聞』1906年8月12臼)。 ま た 、19◎6年9月 露9臼 に は、 資比 谷 公 園 音

レ ユ

楽 堂 で6G歌 劇 タ イ ホイ ゼ ル 抜 葦 曲 カー ル 作"が 吉 本 光 蔵(既曲 の指 揮 下 に演 奏 され て い る(「 β比 谷 の演 奏 評」 『東 京 聞 新 聞』1906年10月1臼;秋 由152‑53)。 しか

(17)

1s賀Jil豊 彦 一 音 の 生 涯 一(1)

し、賀川と上記の演奏 会 との接点は見当た らない。賀 川が明治学院在学 中に、既 に東 京では̀旧 比 谷公 園の管楽 器演奏は言はず もがな青年会館 其他各所 に催 さるる有鍵 楽 器乃至 ヴヰ オ リン等 の演奏会は昨今何れ も満 員の盛況 を現 は し青木外 相時 代以u 度衰へたる楽界は今や 捲土重 裏隆 々として流行 の手を拡 げつっあ り"σ 音楽の流行 と 楽器」『 東 京 賛β薪闘』19◎6年9月7臼;秋 由152)、 それに伴 って演奏 会で ヴァー

グナー音楽 を取 り上げる機会 も激増 していたが、卒業後あいに くなこ とに賀川は西下 し神 戸に本拠 を置 くようになっていたため、ヴァー グナー 音楽 に接す る機会 も必撚 的 に減少 してい鳥 ただ し、そ うであって も、̀̀ヴァーグネ リアン・ ペ ス ド に初期の賀 川 も敏感 に反応 してい た とい う事実事体はai劉 糊 究 は書 うに及 ぱず 、近代 賃本 洋楽 受容史上の盲点 として も、注 員に値 する。

上記 のよ うな背景を念頭 にお いて、改めて賀川 の文 章を検討 してみ る。̀写 神族征 服 』"とは、 ヴァー グナーの代表作であ る(が ヴァー グナ・ 一批 判者か らは̀神 々 の商 工年鑑'王?と椰楡 された)4部 作 《 ニーベル ングの指輪》(伽 鞠 慮6、 醐謝 雌 鋼 自体一 より限定すれ ば、第3矯 の く 榊 々の黄昏》 〈(FsXIJt'で はな く、

序夜 の 《ライ ンの黄金》(醸8磁 θ 蜘 戴)で示 され る世界 支配 の欲 望の こと一 を指 して いるのであろ う。因みに、皆11(〈E・ 、文学士、翻訳家、英 認教員、

夏 目漱 謎 口週 『 英文学形 式論』階 波書店、1924年i編 纂駅 『ワグネル物 語』(内外 出版協 会、ヱ908年ト(恐 らく ♂ 照k鯉 鵬 ρ認de簸 ではな くV蜘aTay1◎ 鯉

の ろ ひ

の〉伽a寧 舳 晦 醐 際 の終章 「 呪認の指環J(《ニーベル ングの指輪》の 梗概)に も̀神 族"と い う言葉が現 れてい るが、(̀̀灘'と い う言葉は現れていて も〉

"征服"と い う言葉 は現れていないので

、賀川 は皆州訳を読んでいなかったので あろ う。なお、《 ニーベルン グの指輪》の源 泉たは、古代 アイス ラン ド 糖 で書かれた詩歌 集 『㈹)エ ッダ』(Jfや 、(興味深いこ とに皆州正禧 訳[大智 書房、1943璃 も出版 されてい る)中 世 ドイ ツの英trニ ーベ ルンゲンの歌1(蝕3ム 伽 ノ ㎎ 雌 励

エママま な どが あ る が 、賀 川 も 「生 存 償値 論 第3稿 で̀『腿daやarasに6も

,..w厭 出慰想 が 、古 代 詩 と して現 れ て 居 る ので 有 名 だ'(『 史 料 剃36雲)と 記 して い る。

̀̀ニー チ エや ワグ子 ノゾ の 箇所 は、 ζ̀やワグ 子 ノレ'を 後 で挿 入 して い るの で 、 二 一 チ 訊 の方 が主 体で あっ た こ とが判 る。賀 川 は記 して い ない が 、 ニー チ ェ と ヴァー グナ

(18)

脾翼

賀 糾 豊 彦一 音 の 生涯一(1)17

0と い う性格 の対 照 的 な 二 人一 前 者 はCf反 劇 場 的 な性 質 の 者'で 後者 はCL[」,人 と 俳 優"(『 ニー チ ェ対 ヴァー グナ 「』、浅 井 真 男 訳 、『ニ ー チ ェ全 集 』第 嚢期 第3巻271) 一 の有 名 な親 交 と離 反(1868・78年)isの 経 緯 につ い て は、 ニ ー チ ェ の 『ヴ ァー グナ ー の場 合』(伽 瑠 馳 爾1888)や 『ニ ー チ ェ 対 ヴァー グナ ー 』(1漉 雄 ε姻 麹

陶 醗;r:)な どで知 られ て い る通 りで あ る。

̀『樗 牛 の ヴ ァー グナ ー は 何 時 もニ ー チ ェ とセ ッ トにな っ て顔 を出ず'(中 村X11) とい う指 摘 と例 証 σ文 明 批 評 家 と して の 文 学 者(本 邦 文 壇 の 側 面評)」 『太 陽』1901 年 ヱ月 、f,東(姉 崎 嘲 風 に与 ふ る書)」 『太 陽 』19◎2年9月)を 考慮 す る と、賀 川 が ニー チ ェ とヴ ァー グナ ー にセ ッ トで 言 及 して い る の も樗 牛 式 と言 え よ う。 姉崎 嘲 風 ・笹f風 と並 ん で̀̀明 治 の 三 風'と 瞬 まれ た登 張 竹 風 の揚 合 も、 「プ リイ ドリ ヒ、

ニ イ チ エ を論 ず 」(『帝 国 文 学 』19{)1年6‑8 、11月)・ 傭 滑 人 言 を難 ず達(『帝 国文 学 』

・i年12月)Or 先 生 に答 ふ 」(『帝 国文 学 』1902年2月)に 見 られ る通 り、uヴ ァー グナ ー は 全 て ニ ー チsと セ ッ トに な って 触 れ られ て い る 努(中村517)し 、 賀川 も"登 張 的 鏡 花 主 義"(『 史 料 集』359)に 触 れ て い る が、 これ は 論 文草 稿 「現 代 傾 向 の 哲 学」 で言 及 して い る;,鐘31is(『 史料 集 』533)に 関 わ る もの で あ って 、 筋合 い が 異 な る。

̀奮闘 臆 志"に

つ い て は 、 斎藤 野 の人(信 策)一 樗 牛 の 実 弟 で 、SC牛 に 欠 け て ゐ た 音 楽79が あ っ て 、"ピ ア ノ を稽 古 して"お り、̀̀又樗 牛 よ りは 哲 学 的 考察 の 人 で あ つ た"(笹 川;『 明治 文 学全 集』 第1ia1)一 の ヴァー グナ ー 評̀̀ワ グネ ル も 亦現 代 の 文 明 を 堕 落 とな した る よ り彼 の芸 術 的 奮闘 は始 ま りぬ"(「 イ プ セ ン とは 如 何 な る人 ぞ 」 陳 亜 の 光 』19◎6年7、9・ 鷺 月;瀬 沼茂 樹 編 、 膿鵜 欝 翻 、『明 治 文 学1巻[筑 摩 書 房 、1970年 醜7)と 用 語 面 で 偶 々 共通 して い るが 、既 に 嘲 風 もニ ー チ ェ が"悲 痛 の 中 に 健 闘 し"(「 再 び樗 牛 に与 ふ る書jQ太 陽 』19fl2年8 月;『 明治 文 学全 剣 第 凄0巻233)た こ とを記 してお り、 寧 ろ(明 治 の時 代精 神 に も 符 合す る)一 般 的 捉 え方 と見 られ る。

"所謂 新 ロー マ ン チ シ ズ ム派"と い う評 価 にっ い て は

、"此頃 姉 崎博 士 な どの 手 に 、 新 ロマ ンチ シ ズム といふ こ と が盛 に唱 道 せ られ て 、 ワ グネ ル の楽 劇 な ど も段 々 わが 文 壇 に紹 介 せ られ っ 》あ るや うだ'佃 山花 袋 「露 骨 な る描 写」 『太 陽 』1904年2月;

吉 田精 一編 、r::花 袋 集』、 『明 治文 学 全 集 』第67巻 函 摩 書房 、1w2◎3)と

(19)

18賀 川 豊彦 一音 の生 涯 一(1)

い う文章が参考になろ う く 現に ドイツ留学 から帰国後の嘲風は、1903年11月7ヨ の 帝国文学会講 演で、̀̀ワグネルの材 料は現世 的な らず して古の神 話、又は十二三 世紀 の基督教不信仰の時代のもの より取 りしが為めに、総て其空気 たるや 貿オマ ンチ ック な り"[「ワグ子ルの戯 麟に於 る恋 」『 明星 恥9◎3年 並 月;中 村5鰯 と述べている)。

Gf超 現代派"と い う評 価については

、既 に獺 風が"超 世的"(「再び 樗牛に与ふ るJ、

『 明治文学全集1第 魂0巻228)と い う評価 を示 してい る。

なお、"劇吹 節"と は、(軍歌第一号 とも言われ る)「抜刀隊の歌」(外 由正一 作詞、

ルノ レー[伽}esL脚 鰻xコ 作 曲、1鰯 年 」 、rノルマ ン トン号沈没 の歌」(#,)の 曲調を(転 化 した形で)受 け継 いだ、のむき山人(添 田唖蝉坊)作 詞 ・作曲L

(Z9◎5年)の ことで、明治末期にかけて大 流行 し、演歌 を俗謡界 の王座に就 かせる こととなった。 唖蝉坊の回想に よれば、唖蝉坊は 当時、浅 草北 清島町 の武井 とい うラ ンプ屋 の二階に間借 りしてお り、 「 嘲駄節」の ビラ本く チラシ状の歌 奉)を̀̀武 井方共同 出版社 として発 行 したが、毎 朝門前は市をなすの景況で、一人三 葱部五 百部 と望む も のに、辛 うじて百部若 くは百玉十部 を渡す とそれを一時間か二時間で売 り尽 して又馳 けつけて来 るといふ始末 で、為 に.,は 夜業を続け る騒ぎであった"と い う(添田唖 蝉坊顕彰会編、『 唖蝉坊流生記』【 添 田唖蝉 坊顕 彰会、 ・ ①。 騨銚 節」への言 及は、賀 痢の流行歌に対す る僕沁 を例証す るものである。

本 稿 の底 本 は 、賀 川 豊 彦全 集 刊 行 会Q賀 川豊 彦全 集』(以 後 『全 集 』 と略 記)第1 版 第3刷(キ リス ト薪 闘 社 、1981・83年)で あ る。そ もそ もYC賀 川豊 彦全 集 は 当初36

巻 で 計 画 され 、そ の後%巻 に 変 更 され た"た め 、"実質 的 に 選 集で あ る"(米 沢 ヱ8())。

この こ とが包 括 的 な賀 川研 究 を 阻害 して い る大 き な原 因 で あ るが 、現 状 で は少 な く と も分 量 の面 で 『全 集 』を上 回 るテ クス トは無 いの で 、『全 剃 に依 拠 せ ざ る を えな い。

ま た 、第3捌 は欠 陥 版 で 、テ クス トの 部 分 的 削 除(第8巻)や 数 々 の誤 植(例 え ば"パ ン ドラ"が"シ ン ドラ ≫[2◎:170]、"犬 齢'が"大 儒 哲学 者"【20:202]、"雨 に 咽 る"がcc西 に 咽 る"[2t):2251、"百 万 の兵'淋GG百 万 の 丘"[2◎:235])を 含 ん で い るが 、最 新 の賀 川 全集 とい う意 味 で(の み)使 用 せ ざ るを え ない 版 本 で あ る。

(20)

賀lil豊 彦 一 音 の 生 涯 一(1)1s

また、本稿で 痩用 した賀ICI作 品(単 行本)の 略称 と原題 は、以下の通 りで ある(五十 音順)。

『暗 中』:『暗 中隻語 』(春 秋 社 、1926年)

『雲 ガく』:『雲 オくi遅蚕路』(改 造 社 、1926年)

『永 遠 翫 『永遠 の乳 房』(福 永書 店、1925年)

『銀 創:『 銀 色 の泥1寧』 〈桜 美林 学園 、1t.年)

『空 中』:『空 中そ瑚 浸』(礎 社 、1922左 琴≒)

『殉 教 』:『殉教 の血 を承 継 ぐもの 』 佃 曜 世 界 社 、1929年 〉

『世 界1:『 世 界 を私 の家 と して 』(第一 書 房 、1938年1

『地 調:『 地殻 を破 っ て』(福永 書 店 、 ・1年) r1:『 地球 を墳 墓 と して』(アテ ネ 書 院1924)

『天 劉:脈 空 と黒 土 を縫 合 せて 』(臼独 書 院 、.,)

『涙 の』:『涙 の二 等 分』(福 永書 店 、1919年)

『彷 働 澄 彷 裡 と巡 棚(春 秋社 、 ヱ933年1

『北 斗 』 曜 北 斗星 の招 宴』(若 芽 書房 、sxa年)

『雷 、鶴』:『雷鳥 の 濁醒 む る前 』(改造 社 、1923年)

『黎 剛:『 黎 明 を呼 び醒 ませ 』(第一 書房 、1937年)

音 楽 関 係 につ い て は 、 古 茂 田信 男:C文 ・矢沢 保 ・横 沢 千 秋 鮪 本 流 行 歌 史』(社 会 思 想 社 、1970年)と 金 田一 春 彦 ・安 西愛 子 編 『日本 の 唱 醐 全3巻 、講 談 社 文庫 く講 談 社 、i#)を 、(明 示 しな か っ た 力弐)主 に参 照 した。

119世 紀 に(名称 の 出 所 は不 明 だ が)〈調 子 の 良 い 鍛7罎 町heHa遡 ◎弧io聡 :ill:"(鍵 盤 作 品 《ク ラ ヴサ ン組 麟》,.

[Qン ドン、172◎ 璃 、第5番 、 ホ長 調 の 内)と 名 づ け られ た 有 名 な 変奏 曲 の作 者(で 即 興 的 な オル ガ ン奏 者 、楽 譜 の速 筆 家 で もあ っ た)ヘ ンデル との混 同か も しれ な い。

な お 、 κあ ら えび す"こ と野 村 嚢 竺(胡 堂)が 、GCラン ドフス カ の ク ラ ヴサ ゾ(ビ ク ター レ識一 ド)で同 曲 を聴 き 、sc面白い"と 評 して い る(あ らえ びす 、 『楽 聖 物 語 附

(21)

2◎ 賀糾 豊 彦 一音 の生 涯 一(1)

その作品 とレコー ド』[レ3一 ド音 楽 祉 、1941年]22)。

2ヴ ァー グナ ー は、 短 文 「べ 一 トー ヴェ ン の 第9交 響 曲 に 寄 せ て 」(《̀Z穀 B鎗 撫o総 醗 漉 磁 搬Sy卿 痴 藤e"11846動 に お い て̀蜜 ¢玲 ◎嚢6d銘B鍵 伽 聡 難鋭he簸 Geま細s'㌧"べ 一 トー ヴェ ン的 精 神 の 精 華"(魚 晒 認 陥 興 餅 α 纏 噸 瞬 緻6

Yt'f似 後mと 略記1,}匁 翫e搬B◎ 姻 惣ey鋤 」蜘 泌 竃灘 籔 薦ga娩,Bd.9 紐a撫a狐M髄:㎞s窃,̀≪9)と 呼 ん で い る 《交 響 曲第9番 二短 調 作 品 125》(通 称 《合 唱 》〉 の 手稿 を入 手 して筆 写 す る こ とで 、 自 らのe:フ ァ ン タ ジー と音 楽 との 心 と装 い とにお け る神 秘 的 な か な め鯵(リヒ ャル ト・ヴ ァー グナ,̲.̲,、『わ が生 濁 、 山 田 ゆ り説 勤 草 書 房 、1986璃46)と し、 短 篇 小 説 「べ 一 トー ヴェ ン詣 で」(̀̀U録e Vi醗 総 盛艶 ¢癒㈱ 璽ノ'撮&卿 θ666漉 漉 塑 銘磁 曲 慮 伽 珍1840年9月19賛 一12 月3鷺 、後 に 騒 醜P瞭e伽 職B鈴 癒 ◎鵬 聡"協 あ 磨 磁 効 礎 伽 蜘 ・血 伽 診所 収Dま で書 い て念 願 の 会 見 を(空想 裡 に)果た したaな お 、 《交 響 懸 第9番 》 は 、 さ し

も の 無政 府 主 義 者(で ヴァー グナ ー と も交 流 の あ っ た)バ クー ニ ン(C

を も熱 狂 させ て 、"ギ予期 され る世 界大 戦 で 音 楽 が こ とご と く消 滅 す る に して も、 こ の シ ン フォ ニ ー を 守 るた め に、 我 々 は 身 の 危 険 を挺 して 団結 しよ うで は な い カイ'(ヴ ァ ー グナ ー、 『わ が生 涯 』45(ン51)と ま で 言 わ せ た 。

3津 川 は賀 州 に̀知 ら さな い で 、参 百余 円 の 金 を集 め̲}、̀̀東京 本 所 の 産 業 青 年 会 の た め に非 常 に美 しい オル ガ ン を 寄附'し 、̀̀その オル ガ ン で 、創 立 記 念 第 六 遍 年 の 一 夜 を音 楽 会 で 飾 つ3)た 人 物 で も あ る(24:105;「 放 浪 の旅 よ り」 『雲 の柱 』 ヱ929年 11月 、 後 に23:241;「 ま た 四国 へ」 『彷 倒)。

・劉 は 噸 。00と 名つくる飾 鋤 弱受象鰍 蜘 を唱謝 る耀 の 喰 表"と 見ていた(r現 代傾 向の哲学」 、米沢和一郎 ・ 布川 弘編 『 賀 川豊彦初期史料集A[以 後 『 史料剣 と略詞 、賀 川豊 彦関係史料双書5[緑 蔭書房、1991璃535)。

6俗 に̀̀恋の辻 占"の 枕詞 と して馴染み深 いが

、本来は源 兼昌の ζ̀関 路千鳥 と いへ る事 をよめる"名 歌"淡 路嶋かよふ 千鳥 のな く聲 にい くよね ざめぬ須 磨のせき守"

(『 金葉和歌剃 巻第四 「 冬歌 」 、引用は佐 々木弘綱 ・佐々木信綱標註 『 金葉和 歌集』、

脂 本歌学全翻 第 五編 『 金葉集 詞花 集 堀 河百首』騰 文館、18瓢 年155に 拠 る) の略。

6環 在は漁港 温泉地 として知 られ る蒲郡市形原町の ことで

、当時は愛知県宝

(22)

賀JAI豊彦一 音 の 生涯r(x>21

飯 郡 形 原机"形 之原 ≫tcO形ノ原'と い う男猿 記 も あ った が 、1877年 に"形 原"に 表 記 を統 一 。 誤 読 され や す い 字体 の ま まで 後 に 原 稿 が 印刷 に回 され た た めか 、 ま た校 正

ミス も重 な った た めか 、 現 在 では 誤 っ てK片 の原"と して 流 砥

7剛h甑 輪 蝋 伽 伽 晦 磁1vo盤 lf!/・rノ 肋8

11J!der動 魏 図 ㎎ 聯 舘 吻 繊....:/J馳 認 雌 げ 伽,4te 殿 蹴 蝕d8蜘A岨(St縫 蛇 譲 メK蓼触e鶉1921>3ヱ α

8正 確 に は 英 訳 本1'r=Xft'(IA .:ice'isìi;N6wを 勧k:

S観he嬬1897>、 ドイ ツ 語 原 題 は 畿 磁 旛{綬 伽 嚢吻 戻L帥 宏g:E㎎e㎞a鵬, itff、 邦 訳 は 元 良勇 次 郎a1‑」一1島泰蔵 合 訳 『窪 心 理 学 概論 毒 上 ・中 ・下巻(富[翻 由 房 、 玉89号99年)。

9当 書 の 出 版 史 は、F勲 夢◎誌 儀 掘,伽 認 伽 膨 伽 窟 刀診 伽 露 ftrsc〜 騨 纏 磯Le搬 ◎uvementdesids$&簸 ㎜ ・s蹴艶2(ir PressUniversitairesdeFrance,1964)12ユ ・22に詳 しい が 、 も と も とa一 ρ曲r('.11675)と して 出 版 、1688年 に3版 を底 本 に ム露通6鱒 囎 儂 ノ撫 由 parleyと 改 題 され 、 更 にt/!.,.と 改 題 され た新 版(1741年)を ル ソー が 使 用。

10賀 川 よ り4歳 しか 年 少 に過 ぎ な か っ た に も か か わ らず、 賀 川を̀丁 死 線 を越 え て 』 とい う小 説 で 名 を あ げ た キ リス ト教 壇 の ・とい うよ りも貧 民 窟 の ・大 説獅

と評 した哲 学 者 の 出 隆 が 、 東 京 帝 国 大 学 文 科 大 学 文 学 科(言 語 学専攻)に 入 学 した (1913年9月)当 時 、興 味 深 い こ とに 擁 わ勲 面8をuな けな しの 金 を はた い て購 入 じ' て 勉 強 して い る(出 隆 、『出 隆 自倒 、『出 隆藩 作集8第7巻 働 草 書房 、1963年}46、

オ ノ マ トポ イ ユ

15X)。 しか し、"そ の 本 の脚 注 だ っ たか に、 擬 音 語 の例 と して 、 目本 の 仙 台 で は履 物 働 下 駄 〉の こ とをTカ ッ 凋 と呼ぶ と、 わ ざ わ ざ 「仙 台 で」 と記 され て い た こ とだけ"

を覚 えて い る とい う後 年 の 追 想(妬 〉は 、̀̀動蜘H血 團"と の記 憶 違 い で あ ろ う。

葺 初 出 は̀Ho難 鵬age畿wagneべ 飴 劾 四8㎎(痴 初 聡8」 殿v重ef1886 、後 に̀fiii,"∫ 魔 醜3(1887)。 引用 は 、五醐 鷺 総 翻 露8箆 翻 勧 惣6(Bruxelles:

^tt ・#,18鋤 を 底 本 とす るrif1社 な どの 各種 版本 に拠 る。

iz̀̀宇 宙 を 再 び 製造 し直"そ うとす る̀̀ワ グ子 ノゾ(第3稿 、『史 料剣351)も 言 及 され て い る が 、賀 川 も記 してい る よ うに 、これ は(ゲ ー テ)『 フ ァ ウス ト』(1伽 幼

(23)

22賀 翅豊 彦一 音の 生涯 一(1)

の 一̀̀騨'(具 体 的 には 第2部 第 露幕 「実 験 室 」[̀騒b◎ 掘 磁 磁'コ 〉 だ け で な く第1部 冨頭 の 「夜 」(̀腕 叙溺')に も既 に 現 れ て い る一一 登 揚 人 物 で あ っ て 、本 稿 に は 関 係が な い。

13讐 に ニー チ ェがLLILỳ想家 と して の ヴ ァー グナー は音 楽 家 詩 人 として の ヴ ァー

グナー と同程度の高 さにある"(随 された断想(一入七二年夏 一七四年 葡 』 、大 河内了 義訳、『 ニーチェ全集』第1期4泊 水社、198ヱ綱45◎)と 指 摘した点、更には

メ タ   リテ イ ツク ス

ア メ リカ の詩 入 ・歴 史 学 者 ヴ ィー レ ック が̀̀ワ ー グナー の 政 而 上 学"と 呼 ん だ も の(艶 継 聡 鍍駕k,警 玉簸蟹 組d斑(ぬ 叙dW衰 脚 懇:0遣the(E・iis

Sσc漉 ≦磁,"02灘 儂5初 劔N磁 デD{鴻1939;ピ ー ター ・ヴ ィー レッ ク、rヒ トラー と リ ヒャル ト9ワ ー グナ ー 一 一国 民 社 会 蟻 の起 源 につ い て 」、 トー マ ス ・マ ン

『ワー グナ ー と現 代 』、 小 塚 敏 夫 説 み す ず書 房 、1971璃188‑206>を 連 想 させ る。

14友 人 た ちが 証 言 して い る通 り、 シ 欝一 ペ ンハ ウア ー の よ うに元 々 音 楽 家 と し て の ヴ ァー グナ ー を皮 肉 に も認 めず 詩 人 と して の ヴ ァー グナ ー を 認 め て い た 入 物 も 居 る(ク ル ト・フ ォ ン ・ヴ ェス テ ル ンハ ー ゲ ン 、『ワ0グ ナー 』、 三 光長 治 ・高 辻 知 義 訳 伯 水 社 、1973年i272;ヴ ィル ヘ ル ム ・グ ヴ ィナ ー 、 『身 近 に接 した シ3一 ペ ンハ ウ ア ー 一一「生涯 、 性 格 お よび 教 説 の概 鯛 、斎 藤 忍 随 ・兵 頭 高 夫 訳 、 『シ 霧一 ペ ンハ ウ ア ー 生涯 と思縄 、 『シ 滋一ペ ン ハ ウアー全 集』 別 巻[白 水 社 、1975年]483)。 と は い うも のの 、 自ら(̀̀価 値 の 低 い")作 麟 も行 いGC交 響 曲"文 体 を 駆 使 した̀̀音 楽 家"

ニ ー チ ェ 〈シ ュ ヴ ァイ ツ ァー 、『バ ッハ(中)』、浅 井 真 男 ・内 垣 啓 一 ・杉 山 好 共駅 、『シ ュ ヴ ァイ ツ ァー著 作 集』 第13巻 〔白水 社 、1958年169‑'7C})一 特 に シ ュ ヴ ァイ ツ ァ ,...̲.は6tドイ ツ語 の 最 も完 成 せ る も のは ル ター の 聖 書 翻 訳 とニ ー チxの 階 悪 の 彼岸 』 で あ ろ う}1(『わ が生 活 と思 想 よ り』、竹 山道 雄 訳 、 『シ ュ ヴァイ ツ ァー落 作 剣 第2巻 伯 水 社 、1956璃81)と も書 い て い る一 一 が否 定 的 に指 滴 して い る よ うに、 ξ{ユダヤ 人 に 対 して、み ず か ら 「ドイ ツ語 の救 済者J然 と して 構 え る"(『遺 され た 断想(一 ノ)t 八年 初 頭≒ 八 八年 夏1』、 氷 上英 廣 訳 、 『ニー チ ェ全 集』 第H期 第11巻 【白水 社 、193 鋼379)ヴ ァー グナい のQ:葉 が き わ めて 強 い 表 現 へ と高 め られ る一 頭 鰻'(隙 さ れ た 断 想(一八七 二年 夏 一七 四 年 菊 』、『ニー チ ェ全 集 』第1期 第 壌巻473)頻 用 文 体 、

ベ リ オ いデ

̀̀副次 的 な単 語 の 多用 の た め に膨 れ あが っ た 重 々 しい 技巧 的 な総 合 文"(『 バ イ 灘イ ト にお け る リヒ ャル ト ・ヴ ァー グ ナー 』、『ニ ー チ ェ 全 集 』第 三期 第5巻94)、 絶 えず̀̀誇

(24)

賀Jil豊 彦 一 音 の 生 涯 一 ・(1)23

張"的 で 泥 沼 の よ うにc̀璽'〈 冗 漫 な ドイ ツ語(『 遺 され た 断 想(一ノ)〜八年 初 頭 邑 八 八 年 嚢)』、 『ニ ー チ ェ 全 集』 第 猛期 第11巻259、365)に 直 面 して い た ら、 どこま で

ヴァー グナ ー 論 争 が 盛 り上 が りを 見せ て い た か は判 らな い.

16"樗 牛 無 二 の親 友 と してf嘲 風 に与 ふ る書 」 で 大 に紹 介 され だ'(笹 州 臨 風

すきがへ し

『明 治 還 魂 縄 匪 細 亜社 、19輪 年1;臼 井 吉 見 編 、『明 治 文 学回 顧 録 集(二 〉』、『明治 文 学 全 集 』 第99巻[筑 摩 書 房、198◎ 年1133)一 方 、̀̀実際 に シ ョー ペ ンハ ウア ー と

ニー チ ェ か ら出 発 して ヴァー グナ ー に辿 り着 い た"霞 本 人 初 の̀̀ヴ ァー グネ リア ン"

(中村 盤6)。

ヱ6姉 崎嘲 風 編 喋 文 は 人 な り』(博 文 館、1912年 〉 は ま だ 出版 され て い な か っ た が 、̀樗 牛 を 不 朽 な ら し め る も ので 、 嘗 て は青 年 学 徒 が 必ず 通 過 す る 人生 鉄 路 の停 車 場 で あっ たn(笹 州;『 明 治 文 学 全 剰 第99巻13の 『樗 牛 全 集1全 δ巻 は 既 に世 に 現 れ て い た。

1?C捻 磁eD的 翼邸y、「ヴァー グナ ー生 誕 百 働 、『政 治 、文 学 年鰯(飴8鋤 認 宮 勲 痴興 麗 θ紘 徽 癬5)1913年 δ月 鋳 臼;『音 楽 の た め に一 ドビュ ッシー 評 論集

一 』、杉 本 秀 太 郎訳 、新 装 版(白 水 社 、 ヱ993年)盤&

18二 〇 チ ェの 著 作 で 言 うな らば 、,「リ ヒャル ト ・ヴ ァー グナ ー に寄 せ る序 文 」に お い て ヴァ0グ ナ ー を 《操 く尊 敬 す る友"・C!R貴 な 先 駆 者"(『 悲 劇の 誕 生 あ るい は ギ リシ ア精 神 と悲 観 論 』、 浅 井 真 男 訳 、 浅 井 真 男 ・西 尾 幹二 訳 『ニ ー チ ェ全 集 』 第 夏 期 第 ユ巻[白 水 社 、1979年1露7・28)と賞 揚 した 『悲 劇 の 誕 生』(1s・11

170‑71)か ら、6(きわ め て大 き な文 化 上 の 勢7}̀世 界 ゐ単 細 謄'・̀1社 会 あ輩 命 家' (『ニ ー チ ェ全 集』 第1期 第5巻32、63)と ま で崇 拝 した 『バ イ ロイ トにお け る リ ヒ ャル ト ・ヴ ァー グナ ー 』 を経 過 して 、"見 か け は 赫 々 た る勝 利 者 な が ら、 実 の とこ ろ は腐 朽 し絶 望 して い る 一人 の ロマ ン主 義 者 撃'(『人 間的 な、あ ま りに人 間 的 な(下)』「序 言 」、手 塚 耕哉 訳 、 浅井 真 男 ・手 塚 彩織 訳 『ニ ー チ ェ全 剣 第 亙期 第7巻 伯 水 社 、

⑲80年314)と 弾 劾 し た 『人 間 的 な 、 余 り に 入 問 的 な 』(働 磁 幼 鶴 伽 θ製曲 ぬ爾187縁7粉 まで 。

19(沁 凝ぬ麟H盆 疑夢舳 鯉 ,窟 診蹴 磁 薇 ε(勲融8(1896)の 登 張竹 風0泉 鏡 花洪 訳 『沈 鐘 』(春 陽 堂、19◎8年)の こ と。 初 め 『や ま と新 聞 』 に連載(1907年5月5日 一6月29ヨ)さ れ た 際、長 谷 州 天 渓 が 「文 芸 時 評 」 〈『太 陽 』19◎7年6月)で 酷 評 した

(25)

24賀Jコ1豊 彦 一 音 の生 涯一(1)

た め 、竹 風 が 耽 鐘 の翻 駅 に つ い て」(『新 小説 』1907年7月)で 反駁 した こ とは 有 名。

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