NII-Electronic Library Service 智山学 報第三十八輯
三
昧
と
阿
闍 梨
一 三眛
と生
活 規
範
2
一小 山 典 勇
(論文要旨)間もな く興教大師の
850
年御遠 忌を迎え, 観法が脚光を浴びて い る, し か しその意味が 論 じ られてい る と は言い がたい。 観法の意義を根本的に問 うことか ら始め て み ようでは な い かo そこ で1
宗教 (宗數者, その体験)と 日常生活 (知的な営み, もの の見 方お よび具体的行為) との か かわ りを考察する。 それは真言行籍とその生活の在 り方を聞 うこ とに な ろ う。2
今は考察の事例とし て 《般 舟三昧 経》を取
り上げ, 髄 頂の1
諜題を検討する。3
考察の手掛か りとし て, 筆者 橇これ まで取り組ん できた 「バ クテn 信仰の あ り方」 を あ らか じめ紹介し, 比較L
てい くこ とに したい。 ノミクテ ィ信仰は最高存寉 (あるい はその 化身)を情的に精神集中し て, それとの一体感であ りその法悦である。 ま た そこ に 至 る経 緯 (修行,実践), 結果 (法悦)で もある。 宗教的には常時一体帯感を味わ うこ とが 目指 される であろ う。 その道 筋は時に伝 統釣羲会規範 ,生活規範と衝 突すること を避け られ な t・ 。 法悦は 内箇に蓄積され, 行為 規範となっ てあふれ 出る こ とに な るか らである。 そのエ ネル ギーは社会を動か し て行 く原 動力とな ろ う。 お お よそこ の よ う な展開 を書くこ と がで ぎよ う。4
《般舟三 昧経》は大乗 初期の, 三昧をテーマ とする経典群の1
である。 「現在 諸仏 悉在 前立三昧」 とは何か, 仏を見る とは, そ して仏を見た人は どんな生活をするか の各項につ い て, 考察し よ う05
これまで 《般舟三昧経》に対す る関心 は, a 阿弥陀仏が 登場し てい るの で浄土 関係,b
黨 昧につ いて は止観に着目 して天台開係が 主に考察して い る。 し たが っ て経の 全体像を 理解し,さ らに1
の課題を検討すること は意味がある と考え る。 テ キス トは3
巻本を用い るo −39
一 N工工一Eleotronlo Llbrary三昧と阿闍梨 (小 山典 勇) は じめ に
阿闍 梨に つ い て は 『大 日経 』に い わ ゆ る阿闍 梨の
13徳
が知
られて い る。 い ま さ ら阿闍
梨を話題にする必要 もない よ うであ
るが, こ こ に 取 り上げ
る理 由は,62
年
度の発表
(37
輯掲
載 )でr
般舟
三昧経
』 を考 察 した時
,般舟
三昧を修得
し てい く過 程で,師す
な わ ち阿闍梨
,今
日的
に は指導
者の存在
がその 成 否に大 き く関与 する の で はない か とい う示 唆をえた こ とに よ る。何
故
, 師, 阿闍 梨が重視され るの か, それに は どの よ うな 理 由,背 景
が考
え られるの か , な どを考察す
るこ とに よっ て阿 闍梨
の 出現, その役
割,意
義 を考
えて み たい 。将
来 的に は阿闍梨
が 出現 し た こ とに よ っ て大 乗 初 期の 運 動展 開の うね りの中
で 『般舟
三 昧 経』の位置付
けを試
みた い とも願
っ てい る。こ こ で は 『般舟三昧 経 』の 問題
提起
を, 年 代的
に は隔
た りがあ
る が, ヒ ソ ド ゥ ー教 ・ バ ーガ ヴ ァ タ ・プ ラ ーナ聖典 (
略 号BH
.P
.)に お けるバ クテ ィ 信仰
を事
例に考 察
を進め よ う。 パ ク テ ィ信仰
もま た 自身の 面 前に最 高 存 在を感得
し.神
秘 的 没 我の境
地を 主題 とするもの であるか らであ
る。人
間 と最高存在
との 関 係を直 接 的に とらえ よう とする点で, 年 代を越えて共通の課題
に せ ま る も の と 言え よ う。I
r
般舟
三昧
経』で は三昧を成就
する ため に善
師を求
め尊
敬 し, 仏 とし て仰
ぐ ぺ きで ある と指
示 してい る。「慈心 を もっ て, 常に善 師を願い な さい 。 見る師は 仏の よ うに 仕えなさい 。 三
昧経
を書
写 した り, 学 ぼ うとする時, その よ うに しな さい 。 ある い は善 師に 対 して 怒があ
っ た り, ま た善
師の 短所
をつ い た り,軽視
して , 仏の よ うに しな い者
は 三 昧 を 得るこ とは難 しい 」 (13
巻,301
, a.)何故, 師 を 仏の よ うに尊 敬しなければな らない のだ ろ うか,
確
か に経
典の 書写
や内
容の 理 解にあ
た っ て は,師
に習
い柔
順に学ん でい く態 度は必 要であろ う。 しか し, た だそ れだけ
の理由
であろ うか。 ま た師を仏の よ うに尊
敬 する意味
は 一40
一NII-Electronic Library Service 智山学報第三十入輯
何
であ
ろ うか 。 『般舟
三昧経
』自身
は 「悪師
で は 三昧
は得
られない」 とい うが , その理 由を具 体 的に説明 して はい ない。こ の
素朴
な疑
問に ,BH
.P
. を資料
に , バ ク テ ィ信 仰にあっ て は どの よ うに なっ てい るの か, 考察
して み よ うQ ∬ ア指 導者 が 登 場 す る場 合
四 住 期の 中の学 生 期に おける学 生 と師 長
宗教 的学 習 期に ある
禁
欲者
は, 師 長の家に佐み, 心 お だ や かで, 師 長の為に な る事を し, あたか も召し使
い の ように へ りくだ り, 師 長に極め て堅 固な友情
を もち, 《BH
・P
・VIL
12
・L
》 毎遡
に は, 師 長, 祭 火, 太 腸,神
々 の 長を尊
敬 し, ま た朝
・ 夕の薄
弱か りの 時に , 言 葉を調え, 呪を 唱 え, ブ ラ フ マ ン を瞑 想 するの である。 《2
》齲
長の前
に 呼び 出された ら, よ く心 を欄
して, 聖な る曉チ ャ ン ダス を 学 習 す るの である。師
長に近付 く時
と,(
学 習
の )終 わ りに は, 頭を足に付
けて敬礼
し な さし、 o 《3
》これ はバ ラモ ン の 子
弟
が学 生と し て, 指 導 者である師
畏に入門
し, バ ラモ ン教学
を学習す
る一場 面であ
る。 すで にバ ラモ ン至上の体 制の もとに編纂
された 「V ヌ法 典」で取
り上げ られて い る事項
で あ る。 学生期はその組 織, 団 体の 一 員 と な る ため の段階, 条件で ある。 ここで は 当面の課 題である神 秘的 体 験を 問題
とす
る以箭
に ,制度
的に学 習 が 義務付
け られて い る。僅
かな 文例
にも形式
上 整備
された学習
と,師長
に竝す
る態度
と して , 『般舟
三昧癰
で見た よ うな尊
敬
,親
し み の情 (
→友情
) が指摘
されてい る 。 さか の ぼればブラ ーフ マ ナ 文 献 に , 「神
に2
種あ
る。神
は神 で あ る。 学識があっ て… …婆
羅 門は人 間的 神であ る」 とい わ れ た時代 を 反 映 す るよ うに, 宗 數 釣権 威者 とし て祭式に よ っ て神を支
配し, 社会
組織
的に は 人間 界を統率
する意識が継 承 されて い る とい えよ う。なお
組織的
な悶題
でい えば,仏教教 団
に お い ても規範
師 と呼
ぼ れ教授役
をつ とめ る指 導髫の 存 在は 周知の 通 りである。 −41
一 N工工一Eleotronlo Llbrary三昧と阿闍梨 (小山典勇) イ
指
導
者が直接的
に登場
しない 場 合ヒ ン ドゥ ー教
神
話の 英 雄 ・ ク リシ ェ ナ の物 語に は ,少年期
に引 き起 こ し た 様 々 ない たず ら事 件が ユ ーモ ラス に語
られて い る。 その対 応は次の 文例の よ うに 立 場や経験
に よ っ て多様
で ある。 こ こ で は , 少年 ク リ シ ュ ナ ,実
は最高 存葎
の化身
が引
き起 こ し た 事 件の1
場面 と して ,少年
ク リシ ュ ナ が 自分の 口 の中
に全世界
を見ぜたい たず らに対 応 する母親, 牛飼い の女の例を見 よ う。 さ らに場 面 は異な る が 同様
の神
秘 的な場 面に 直面 し た ブ ラフ マ ー などの 事 例 も検 討して み よ う。1
.母
親
の 場合
,卒
倒した。かの 母は, か わ いが り, 飲み たい ばか りの ・ 口を開 けた
彼
の輝
くほ ほ笑
みの ある 口 の
中
に ,次
の もの を見
た。 《BH
.P
.X
,7
,35
.》pitaprEyasya
janani
s五 tasya rucira −smitam/
mukha 耳11alayati rajafij
;mbhatodadr
ξeidam
ノ 《35
》空 ・ 天 地 ・ 星 ・
輝
き ・ 空間 。 太陽 ・ 月 ・ 火 ・ 風 ・海
。陸
・ 山・川
・林
・動
・不動の 生物 《
36
》kha
甲 rodasijyotir
anikama6輙
sitryendu −vahni 一ξvasanambudhirpg ca /dvipEn
nag 巨卑 stadduhit
;ir
vananibhittani
yfini
sthira ・jafigarnani
ノ 《36
》こ の子
鹿
の ような 目を持
つ女
は,突
然 以 上の よ うな全
世界
を見
て, お の のきを生 じ, び っ く りし て,
卒
倒 した。 《37
》sa vikSya viSvarP sahasa rajan sarPjatavepathu
与
/
sammilya mrgaga =vak 寧
i
netrefisit
suvismit 五 ノ 《37
》2
. 牛 飼い 女の 場 合, 一度
は疑
5
が , 不思議 なことに敬礼
した。もしそ うな ら口を開い て ごらん, といわ れて,何 者に も抵 抗され ない 自在
力を そ なえ ・
遊
戯に よ っ て人 間の 子供
の 姿をする至福者バ リは 口を開
い た。 《BH
.P
.X
.8
.36
.》yady
evalptarhi
vyadehity uktab sabhagav
五nharih
/
vyadattavya =
hatai
≦varyahkri4
巨・manuja4 〕五laka
与
ノ
《36
》彼 女はそこ に 全 世
界
を見
た。 不動
な もの, 虚 空, 諸方
, 山, 陸,海
, 地,NII-Electronic Library Service
智 山学報 第三十八輯
天 体を そ な え ,風,火, 月, 惑 星を そ なえる 《
37
》sa tatra
dadT
忌e vi6vamjagat
sthasnu cakharp
di
ξah/
stidri −dvip
盃bdhi
−bhO
・gola
甲 savayv −agnindu −tErakam
/
《37
》こ の よ うな生
命
・時 ・ 本性 ・ 行 為 ・ 住 所 ・ 特質
の 種 類を, そ して
自分
を含む ヴァ ラ ジ ャ (牧 草地)を, 息 子の小 さ な開い た 口 の 中に 見て,
疑
い を生じた。 《
39
》etad vicitram sahajivakalasvabhava ・
karmaSaya
・linga
−bhedam
/
siinosta皿au vikrlya
Vidaritasye
vrajarp sahatamanam avapa ≦ahk 亘m ノ 《39
》これは夢か, 神の仕 業 (神 力)か, ある い は私の理 性の動
転
か , は た ま た私の息 子の ア ー トマ ヨ ーガ (病 気 )が 生 じた のか。 《
40
》kilp
svapna etad utadevam
巨y
互kirp
v亘 madiyobata
buddhi
・mohab/
atho amuqyaiva mamarbhakasya
yab
kascanautpatttika
atmayogab
ノ《
41
》確か に 心 ・ 意 ・
行
為 ・ 言葉
で す ぐに推 測され る範 囲で はない。 その もの に
よ り, その ものな るが ゆ えに理
解
しがたい として も, よ り所
と見
な されてい る, か の 足 に私は 敬礼 し よう。 《
41
》.atho
yath
互van na vitarka ・gocaralp
ceto ・manab −karma
−vacobhir afijasE/ yad
齬 raya 甲yena
yata
阜
pratiyate
sudurvibh 亘vya1Ppra4atasmi
tatpadam
ノ
《41
》私は, 彼は私の夫,
彼
は私
の息
子, ヴァ ラ ジャ牧草
地の 王の 貞節 な 女,一 切の
富
の を守るもの , ま た 私は牛飼い ,牛飼
い の女
,家畜
な ど とい う, この よ うに か の
神
力に よっ て, 私の歩み は 愚か で あ っ た。 《42
》aharp mamtisau
patir
e 睾a me suto vraje6varasy 盃khila
.vittapa sati/
gopya6
cagop 池
sahagodhana ≦ ca meyan
mayayetthalpkumatill
same
gati皐
/《
42
》こ うして か の 王 ・
支
配 者は真 実を悟っ た 牛 飼い の女に, 息子へ の愛
情 よ りなる ヴ ィ シ ュ ヌ の
神
力を広め た。 《43
》ittharp
vidita −tattv
訌y
亘卑90pikaya
卑 saiSvarah /
vai寧
4av
−i
rp
vyatanen−
43
一三昧と阿闍梨 (小 山典勇)
mEyErp
putra
・sllehamayi 卑 vibh晦
ノ
《43
》不 思 議なあ りさ まに驚い た牛 飼い 女は, い ろ ん な 原 因, 理 由を考 えな が ら, 凡 人の 理
解
を越
えた存在
があ
る こ とを認め て,敬服
した。 その ような姿勢
が不 思議
な世 界を開 く糸 口に な る と考
えた最高存
在は , 真実を覆
い 隠すた め に,息
子 へ の愛情
とい うヴィ シ ュ ヌ の神 力を用い て 隠 し た 。(
何 故, 神 秘の扉を公 開し なか っ たの か の疑 問は今後
の 問題と して先
に進
む)こ こ で評
価
されてい る点は不思議
なことを素直
に認め,受
け入 れ,尊敬
する態度
である。3
.ブ ラ フ マ ー
(
梵
天 )の場 合 , び っ くり呆 然 自失 して, 言葉
を失う。真実
・知 識 ・無 限 ・歓 喜そ の もの ・ 唯一 ・ 喜びを 姿とし , 奥義 書を見る人々 に とっ て多 数の 賛歌, 《
BH
.P
.X
,13
,54
》satya −
jfi
…indnantananda
−mEtraika ・rasa −mitrtayab/
asp 楙 a−bhitri
−maliatm =yti
apihy
upaniSaddt6am ノ 《54
》こ の よ うに ,
空然梵
天は 一切が最 高 神その もの であ
るの を見た 。 その ものの
輝 き
に よっ て, こ の世
の動
・ 不動
の 一切
が現
れる 。 《55
》evarp sak ;
d
dadar
≦酉ja
り
parabrahm
訌tmano
,khil
…珈/ yasya
bhas
訌 sar=vam
idarp
vibhati sacaracaram / 《55
》そ して, 激 しい好 奇心 に よっ て 目を ま わ し, その
威
光に よ っ て 十一の感覚
器
官
は働
か な くな り, 梵 天は沈黙 し た。 あた か も (田舎の )娘が都の 王女の
前
に出
た よ うに。 《56
》tato
atikutukodv ;tya stimitaikada6endriya与
/
taddhamna
’bhitd
ajast
{玲尊i
エpp
ロr−devy
antivaputrika
ノ《
56
》以 上 の よ うに, ブ ラ フ マ ー 一
分
別 され ない もの , 自己の偉
大さ, 自己 を出
現
するもの , 根 本原質
とは 別の ものは 力を失い , 見て も, あるい は
これは何 事だ と混 乱 し て い る時, 最 勝 ・ 不 生 なる
彼
はそれ を悟
っ て,直
ちに
神
の神
力とい うカーテ ンを(
お お い )隠 し た。 《57
》itire6e
’tarkye nijamahimani svapramitike
paratraj
亘to
’tannirasana
−mukha 冨brahmaka
−mitau/
an16e:
’pi
dra
§tum
kim
idam
iti
vE muhyati satiNII-Electronic Library Service
智山学報第三十入輯
cachadfijo
jfiatva
sapadiparamo
’jaja
vanikfim ノ 《57
》そ こ で再び視 力を
取
り戻
して , ま るで死 人の ように 立 っ た ま まで , 勇気によっ てや っ と 目を
開
き, 目前の あ りさまを見た。 《58
》tato ’
rvak
pratilabdh
亘k
串a阜
ka
阜paretavad
utthita尊
/k
;cchr 盃d
unmilyavai
dr
§tir
EeaStedarp
mahatmanaノ
《58
》ブ ラフ マ ーは
突
然 ,神秘的
な世界
に直面 し, すべ てが最 高存
在 その もの の現
れ で あるに もか か わ らず
, 理解
する こ とは で きなか っ た。突
然,華
やかな舞台
に 登 場 し て我を失っ たか の よ うで ある。こ こ に は ブ ラフ マ ー が直 面 し た 出来事を理 解で きなか っ た こ との意 味に は, ブ ラ フ V 一を モ デル に, 一 つ の
時
代の権威
とし て も, またその知 識, 経 験な ど も以 前の よ うに 全 く通
用しない こ とを指摘
し てい る とも考
えられよ う。 こ の ブ ラ フ マ ーにつ い て は後
で繰 り逼
し て 登 場 し て も ら う予定である。4
. 悪 業の バ ラモ ソ, ア ジ ャ ー ミ ラ の場 合この 揚
面
は多少
の説
明を しなけれ ばな らない 。臨
終の 間 際に 枕 も とに ヤ マ神
の使
い が 立 っ たの で , 不 安 と恐 れか ら, バ ラモ ン 。 ア ジ ャ ー ミ ラ は可愛
が っ てiv
・た息子 を頼み , その名
前 を 思 わず
叫んだ。 そ の名前は 最 高 存在ヴ ィ シ ュ ヌ神
の名
前でも あ っ た。 (最 高 存在の 名 前を息
子 の 名前に した だ けの こ とで はあ
る が) その 瞬 間,枕
も とに ヴ ィ シ ュ ヌ神
の使者
が現 れた。 そ し て両者に よっ て, ア ジ ャ ー ミ ラ の こ れまで の行 為の善悪
が論議
さ れ,最終的
に臨終
の間際
に最高
存 在であるヴ ィ シ ュ ヌ神
の名前
を唱 えた ことが重 視 され, そ れは 生涯の 全過 失 を帳 消 しに する ほ どの 優れた善
業で ある と結論 さ れ, ア ジ ャ ー ミ ラ は ヤマ 神の 束縛
か ら解 放 され る運び とな っ た 。綱か らとか れたバ ラ モ ンは恐 怖 もきえ , 正気に も ど り, 最 高 神 ヴィ シ ュ ヌ
の 使 者 との 会 見を
喜
び, 頭を伏し て敬 礼 し た 。 《BH
.P
.VII
,2
,22
》dvijah
pA
ξEd
vinirmuktogata
bhi
与 prak
;tirpgata寡 /
vavandeSirasE
v 董睾
po
阜
kirpkaran
darSanotsavab
ノ 《22
》彼
が何か言い た が っ て い ると思い, ヴ ィ シ ュ ヌの使者
た ちは,彼
が見て いる
前
で, 突 然 姿を消 し た。 《23
》一 45 一
三昧と阿闍梨 (小 山典 勇)
talp vivak §um abhipretya mahapuruSa −
kirpkarab
/
sahas 五pa6yatas
tasya
tatrti
皿tardadhire
, nagha
ノ
《
23
》そ れか らバ ラモ ン ・ ア ジ ャ ー ミ ラ はヤマ と ヴィ シ ュ ヌの
使
者との 話一 聖なるバ ーガ ヴ ァ タ派の ダル マ , 三種の 学 問の
付
属 の 原 典 な ど, を聞い て 《24
》直
ちに ヴィ シ ュ ヌ神
にパ ク テ ィ信を もつ もの とな り, ヴィ シ ュ ヌ神
の賛歌
を聞
き
, 自分
の 不浄 (
罪
)を思
い出
して は大変後悔
した。 《25
》
ajamilo ’
pi
athakarpyadittfin
五rpyama
・k
;S4ayoh /
dharmarp
bhagavatarp
.ξuddha 項
traividyam
cagu
鐔 ξrayam / 《24
》bhaktimEn
bhagavtyti
ξu rnahtitmya −Sravapad
dhareh
/ anutfipo mah 珈 .亘sit smarto ’首ubham atmanab / 《
25
》オ ー, 最大の不運だ。 心 を制 御で き ない 自
分
に は。 シ ュ ー ド ラの 女 と老齢
に
達
した自分
とに よっ て, ・ミラ モ ンの
権威
は だい な し に なっ た 。 《
26
》aho me
paramarTl
kastam
abhttd avijit亘tmana
与
/
yena
vip1 巨vita 斡brahma
v;salyarpjayatatmana
ノ
《26
》Vi
− 一一, 何 とし た こ とか。 こ の 私は 善人に よっ て非 難され, 行い
悪
く, 家の煤
の よ うである。貞
節な女 (一妻
) を捨て, 酒を呑み, そ して 不貞な 女に近
い たの だか ら。 《27
》dhip
皿arp
vigarhitarp sadbhirduSkrtarp
kula
・kafijalam
/
hitva
bala
耳p
satilp
yo
’ha
卑 sUr五
pEm
asatim agam ノ 《27
》幸い に も私に も, 神との 尊い 出会い で, 幸 運が あ りそ うだ。 私に とっ て,
心
底
か ら有
り難
い と感 じて い る の だか ら。 《32
》athEpi me
durbhagasya
vibudhottama −darSane
/bhavitavyaIp
mafi ・=galena
yenatma
meprasidati
ノ 《32
》さ もなけ れば, 死に そ うな
邪悪
な シ ュー ド ラ女の 夫で あ る私が 舌で ヴァ イ
ク ン タ (= ヴ
ィ シ ュ ヌ )
神
の名
前を唱え る こ とは,今
や, ふ さわ し くない 。《
33
》anyatha mriyamapasya n五
Sucer
v 獰 alipate翠
/
vaiku 與ha
・nama −graha
;NII-Electronic Library Service
智 山学報第三十 八輯
narp
jihvA
vaktumiharhati
ノ 《33
》詐
欺
師, 邪 悪な, バ ラ モ ンの地 位を傷 付 けた,恥 知 らず の私
と, ナーラー
ヤ ナ (ヴィ シ ュ ヌ) 神 ・ 至 福 神の 恵み とは雲 泥の 差 が ある。 《
34
》kva
caha 甲kitavab
papo
brahmaghno
nirapatrapa与
/
kva
ca naraya ・nety etad
bhagavan
−nama mahgalam ノ 《34
》私は今 後 再び, 暗い 暗 黒に 自
分
をお ぼれ させない ように, 心・ 感
覚
器官
とい う風を制 御 して, 努 力 し よ う。 《
35
》so ’
ham
tatha
yatis
y
盃miyata
−citttendriyanilah / atha nabhaya
atm
巨=nam andhe tamasi majjaye ノ 《
35
》ア ジャ ー ミラ の 例は, 神 秘 的な 場面に出会 っ た こ とに よっ て,従 来の 生 活 を 反 省し,
後
悔し, それを きっ か けに して新
しい 生 活へ の エ ネル ギーとしてい る 。 そ れ は ヴィ シ ュ ヌ 神に対 するバ ク テ ィ 信仰
を もち た い と願 うほ どの 一大転
機 と な っ た。 内面 的に は, 自分 自身を支えて い たバ ラモ ン の自覚
を, 新しい 観 点か ら取 り上げ, よ り深 く意味を 問い なおそ う とする もの とい え る。 出会
い を感謝
として受
け止め てい る態
度に も注意 し て お きたい 。5
. バ ラ ラ ーマ の場合
そ れは何 事か , また どこか ら来た の か , 天に 関 する もの か, あるい は人 間,
ア ス ラ の か, しか し多 分 私の主 の
神
力であ
ろ う。 他の もの が私を惑わ すは ずはない か ら。 《BH
.P
.X
,13
,37
》keya
卑 vakutas
ayata
daivi
va nEryuEsuri/
prayo
皿ayas
mebhartur
nEnya me ,
pi
vimohini / 《37
》こ の よ
う
に考
えて, か の ダシ ャ ール は, 子牛や友人がすべ て ヴ ァ イ ク ソ タ世 界に 居るの を, 明らか な 目で 見た。 《
38
》iti
sarpcintyada6
五rhovatsan
savayasan
api
/
sarvfin
aca
鉱a vaikku4 =ham
cak 婁u 爭a vayunena sa阜
/ 《38
》これ らは神々 の支 配 者で は ない , ま た 聖 仙で もない 。 他な らぬ あ なた が,
個々別々 とい う場に現 れて い る の である。 主 よ, 一切で あり ,
唯
一 な る もの に つ い て
根
本か ら話を語れ, と以 上 の よ うに支
配者
に 言わ れて, バ ラ ー47
一 N工工一Eleotronlo Llbrary三昧と阿閣梨 (小山典 勇)
(ラーマ )は
, そ の 出
来事
を 理解
した。 《39
》naite sure6 五
r
串ayo na caitetvam
evabh
五si6abhid
蕊raye ,pi /
sarva 皿p
τthaktva
甲 nigamEtkathtirn
vadetyuktena v;ttharp
prabhu
埴ノ
《39
》(
他
に よ らず)自身
か ら生まれた ブラ フ マ ーは , 自分
時 間の 一瞬
間とい う時
が経 過 し, (すな わ ち人 間 時 間の )
1
年 (が過ぎ
さっ て も, ま だ真実
に 気が付か ない で )前の よ うに, 仲 間と 一 緒に
遊
ん で い るバ リを見
るぼか りで あっ た。 《
40
》t
巨vad ety 訌tmabhttr
盃trna
・mti皿enatruty
anehasa /purovad
abda 皿kri4anta
甲dad
;6e
sakalalpharim
ノ 《40
》バ ラ ラーマ は兄 弟で あ るク リシ a ナ の 本 性に つ い て 予備知 識があっ た の で, 真
相
を理解
す るこ とがで きた。 最 高存
在に直
接 的に語 りか け, ま た状
況を受
け止 めて い る。 しか し, そ こ に居 合わせた ブ ラフ マ ーは気
が付
か ない ま まであ
っ た。前
述の よ うに ブ ラフ マ ーは こ っ けい でさ えあ
り,気
の毒
で さ えある。考 察
母 親, 牛 飼い 女, ブ ラ フ マ ー , ア ジ ャ ー ミ ラ , バ ラ ラ ーマ が
神秘
の 世界
に直
面 し, その 対応 の事
例を み て きた。 既に指 摘 した よ うに , 母親
ブラ フ マ ーの ,場 合は何
も分
か ら ない ま まに終
っ てい る。真
実は何か分か らない ま まに も不 思議
な有 り様
を率
直に 受け 止 め, 受 け入 れ, 尊 敬 して い く態度
が牛飼い 女 の 例であ
る。物事
を率直
に受
け 入 れる敬虔
な 心情
,態度
がポイ ン ト の1
に数
え られ よ う。 次に ブ ラ フ マ ーの 場 合は も う一つ 興 味 ある対応を示 し てい る。 そ れ は 自分の経験
や知
識がかえ っ てその 真 相を見る 目を覆
い 隠し て し まい , 《新
しい局面
》に 対 応がで きて い ない と うこ とで ある。 その 反 対に , バ ラ ラ ーマ の 揚 合 は , 《新 しい 局面へ の》 予 備知 識 や経験
があ っ た こ とか らその 場に直 面 し て も受 け入 れ るこ とに 抵 抗は少なか っ た こ とが分
か る。不 可 思議な神 秘の世 界に 直 面 した 場 合, 当
$
者 本人 が ど う受け止め るか, ど う対
応 するかに つ い て は,事
前の 予備知識
もまた大 きな役割
を果た してい るこ とが分
か る。 そ の予備
知 識 とな る もの は, そ れ が風の蹲
で あれ, 人づ て の話で 一48
一NII-Electronic Library Service 智山学報 第三十八輯
あ
れ, その情
報の 源に そ の意識
を高
揚し, 宣 伝 鼓 吹す る指導
者の存 在が予想 さ れる ところである。 し か し, この 予 備 知 識は また, ブ ラ フ マ ーの よ うに従来
の 予 備 知識があるが故に か えっ て新 しい 知識を受 け 入 れ られ ない 矛盾
を孕ん で い る こ とで もあ
る。 そこ で次に この盲点
を補
う意 味
で,指導者
との人閲闘係
の在
り方を視点
に加 え れぽ よい で あろ う。 つ ま り弟
子 な どの 当事者か らみれば, 指導
者との 人 間 関係の い か んが受け 入れ 姿 勢や その こ との理解, そ し て 将 来の事 の成否
に現
れてく
る と考
え られ
る。 「息子
へ の愛清
とい う心清
」 もま た最高存
在へ の 第一歩
と評 価される理 由 もこ こ に あるの で は ない か 。以上の 点に注 目す れ ば, 『般舟三昧 経 』に お い て , 師の
存
在が強 調さ れ る背 景に は, 指導
者に よっ て直
接 的に 具体 的 な 方法で , その よ うな神 秘 体 験を重 視す
る傾 向
が大乗仏教
に濃厚
に現
れてき
た こ とを物藷
るもの とい え ない で あろう
か。 巫次に これ重で とは逆に神 秘 的 世 界を体験 する手だて, 方 此を
探
っ て み る こ と に よっ て, 師 ・ 指 導者 と弟子 との か か わ りを考 察 し て み よう 。1
神秘 的 世界
を体 験 する方 法, 手だて とL
て, み じかに実
行で きる もの は英
雄
ク リシ ュ ナの物語
りを聞 く
, 歌 うな ど, あるい は その しぐ
さ,振
る舞
い を ま ね るな どの行
為であ
る。至
福者 (
冨 ク リシ 。、 ナ)が突 然姿を消し た の で, 彼を見 付 けられず, 牧場の 女達は, ま るで
牝
象が 頭 領の象
を 見信
け られず
困っ て い る よ うに, 爾ってい た。 《
BH
.P
.X
,30
,1
.》antarhite
bhagavati
sahasaiva
vraj 五
figan
且阜
/
atapya 耳
ps
tam
acak 爭
a
=蕁
麟
karinya
iva
yathapam
/ 《1
》足取 り, 愛 燈の あ るほ ほ笑み, 品を作っ た眼 差 し, 人を引 き付け る話し,
遊
び,媚態
に心 を奪
わ れ た,浮気
な女
達は, それ ぞれに ラマ ーの夫
(… ク
リシ ュ ナ )の し ぐさを,
彼
にな りきっ て まねた のだ。 《2
》gatyiinuraga
・smita ・vibhramekgitair man 。rama 至議pavihara
−vibhrama海
/
−49
一三昧と阿闍梨 (小山典勇)
EkSipta
・cittta与
pramada
ramtipatestas
ta
vice §ta
jagrhus
tad
亘tmik麺
ノ
《2
》足 取 り, ほ ほ笑み,
眼差
し,会話好
きな 女達
は愛
人の姿
をまねて,彼
そのもの のつ も りで, ク リ シ ュ ナ 遊びに大 喜 び で, 「私は ク リシ ュ ナ だ」 と
言
っ た。 《
3
》gati
−smita −prekSa
亭a・bh
邸adi §upriyEh
priyasya
pratiritdlla
−mitrtayab/
asav aham tv
ity
abal 訌stadatmikE
nyavedi §u阜
kr
§4a
−vih 五ra ・vibhgrama阜
/ 《
3
》遠 くへ 行っ た牛を呼び, ク リ シ ュ ナ が
吹
くよ うに彼
を まね し て,笛
を吹いて遊ぶ 女を, 他 の 女達は , 上手, 上 手 とほ め た。 《
18
》alittya
dttraga
yadvat
k
τ§尊astam
anuvartatim/
ve4umkvarpantirp
kridantim
anya阜
Samsanti
s五dhv
iti
/
《18
》物
語 りの 主 人公であ
る ク リシ ュ ナ をま ねする こ とに よっ て, あるい は ク リシ ュ ナ その もの に 成 り切る こ とに よ っ て ,物
語か ら得
た イ メ ージ の主人公
に出合
っ てい るとい えよう。 そっ くりまね ればまね るほ ど, 真実
の世界
に近付
くこと に な り, い いか えれ ば没我
の境
地に入る こ と が可能
と なる。 それは真実
の世 界 の 追 体 験で もある。こ れ らの事 例に は
特
別の 役 割を もっ た指導者
は現 れてい ない こ と を考え ざ る を え ない 。 ・ミク テ ィ 信仰で は こ の よ うに直接 的に 最高存
在に ふれ, そ の もの と の出合
い を説 くとす れ ば,初
心者を導
く指導者
を必 要と しない こ とに な っ て し まい , そ れ で は無原 則 的な, 恣意
的 な神 秘 体験にな るで は ない か とい う疑
問 も 生 じて くる。これにつ い ては, 一つ に は
物
語 り自体が ダル マ を述
べ るもの であ
り, ま た最高存在
その もの が ダル マ の体現
者である こ とを指摘
す れば よい であ
ろ う。 そ し て ここ に物語
が 風の噂
, 単 なる お話
し か ら, 聖 なる言葉
と して 「聖 言量 」に位 置 付 けされる所 以 もで て くる。 つ ま り初心者
の信徒
は くりかえ し物語
を聞 き
, 話 す こ とに よっ て, 自己の 中に最高存
在の イ メ ージを作 りあげるこ とにな る。 生活
の折
々 にその熱
い思
い が噴 き出す時
に, 最 高存
在を追 体 験 するこ とに な り. 一50
一NII-Electronic Library Service 智山学 報第三十八輯 自己 を反 省 し, 原点に 立 ち返 っ て の 新 しい生 活へ と展 開する ことに な ると考え られる◎ これはバ ラ モ ン の ア ジャ ー ミラ の 事 例に よ く示 されてい る。 師 ・ 指 導 者の 存在と聖 典 ・ 経 典との 位 置付 けや , 相互 関係が新しい 闘 題と浮 か ん で きたが, 次へ の 課