2008 年度博士学位申請論文
ヒロシマ・ナガサキはどのように表象されてきたか
―公的記憶の変遷を辿る―
指導教員:篠原初枝教授
大学院アジア太平洋研究科 国際関係学 専攻 学籍番号: 4005s302-9
氏名: 安藤 裕子
目次
序章... 4
第1節 本論文の目的... 4
第2節 用語の定義... 5
第3節 本論文の構成... 6
第4節 先行研究に対する本研究の位置付け... 7
第5節 研究方法... 16
第1章 公的記憶の生成と表象... 19
第1節 記憶と表象をめぐる議論の現状... 20
第1項 欧州における議論... 20
第2項 米国における議論... 23
第3項 日本における議論... 26
第2節 「国家の記憶」はどのように形成されるのか... 28
第3節 「周辺の記憶」はどのように発見されるのか... 32
第4節 「公的記憶」はどのように生み出されるのか... 35
第5節 小括... 37
第2章 教科書におけるヒロシマ・ナガサキの表象... 39
第1節 学校教科書制度の概要... 39
第2節 社会科・歴史教科書に見るヒロシマ・ナガサキの表象... 40
第1項 歴史教科書の語りはどのように形成されるのか... 40
第2項 ヒロシマ・ナガサキをめぐる表象の時系列変化... 41
第3項 「アジア・太平洋戦争」の表象全体における位置の変化... 45
第3節 国語教育におけるヒロシマ・ナガサキの表象... 48
第1項 国語教科書の中のヒロシマ・ナガサキ... 48
第2項 読書感想文課題図書... 50
第4節 修学旅行とヒロシマ・ナガサキ... 52
第5節 小括... 53
第3章 博物館・資料館におけるヒロシマ・ナガサキの表象... 55
第1節 日本の博物館・資料館における「戦争と平和」展示の動向... 55
第2節 広島平和記念資料館... 60
第3節 長崎原爆資料館... 64
第4節 国立原爆死没者追悼平和祈念館... 71
第5節 東京都立第五福竜丸展示館... 73
第6節 その他の資料館におけるヒロシマ・ナガサキの展示... 78
第1項 長崎市永井隆記念館... 78
第2項 岡まさはる記念長崎平和資料館... 80
第3項 立命館大学国際平和ミュージアム... 82
第7節 小括... 83
第4章 ジャーナリズムにおけるヒロシマ・ナガサキの表象... 87
第1節 先行研究からの示唆... 88
第2節 新聞報道におけるヒロシマ・ナガサキ... 91
第3節 NHK報道におけるヒロシマ・ナガサキ... 106
第4節 オピニオン誌におけるヒロシマ・ナガサキ... 115
第5節 小括... 119
第5章 マスカルチャーにおけるヒロシマ・ナガサキの表象... 124
第1節 文学の中のヒロシマ・ナガサキ... 124
第1項 第一期(占領期):被爆者の記録文学としての創生期... 124
第2項 第二期(1953−1960年代半ば):原爆体験の客観化と新たな主題の萌芽期... 126
第3項 第三期(1960年代後半〜1980年代末):原爆文学から核文学への進化期... 130
第4項 第四期(1990年〜21世紀初頭):核文学の停滞期... 136
第5項 第五期(現在):新世代による普遍化への新たな取組み期... 137
第2節 映画の中のヒロシマ・ナガサキ... 138
第1項 第一期(占領期):哀歌調の原爆映画... 139
第2項 第二期(1953−1950年代末):政治化される原爆映画とゴジラ... 140
第3項 第三期(1960−1970年代):全面核戦争の恐怖への世界的関心... 143
第4項 第四期(1980年代〜1991):原爆映画の大衆普及とステレオタイプ化... 143
第5項 第五期(1990年代〜現在):冷戦終結と新たな核問題への接近の試み... 147
第3節 美術の中のヒロシマ・ナガサキ... 150
第1項 『原爆の図』におけるヒロシマ・ナガサキの表象... 150
第2項 市民が描く「原爆の絵」... 154
第3項 写真の中のヒロシマ・ナガサキ... 156
第4節 漫画、アニメーションの中のヒロシマ・ナガサキ... 163
第1項 手塚治虫が描き続けた原爆と核... 164
第2項 原爆漫画の正典、『はだしのゲン』... 167
第3項 『宇宙戦艦ヤマト』に始まるSF漫画・アニメの終末世界観... 170
第4項 外国アニメ『風が吹くとき』のインパクト... 173
第5項 戦後世代が描く新たな原爆漫画と原爆アニメ... 174
第5節 小括... 177
終章 ヒロシマ・ナガサキの表象と公的記憶の変遷... 182
第1節 ヒロシマ・ナガサキをめぐる表象の変遷... 182
第2節 公的記憶の生成のダイナミズム... 187
第3節 ヒロシマ・ナガサキの記憶、その現代的位置... 190
あとがき... 192
文献目録... 193
付録資料... 207
序章
第1節 本論文の目的
戦後 60 年の節目がメディアを賑わせてから、はや 3 年が過ぎ去った。その間もアジア・
太平洋戦争の直接体験者は徐々に減少し続けており、先の戦争をめぐる記憶の風化は、一 層深刻かつ緊急を要する課題となっている。敗戦により傷ついた日本が再出発するに当た って選択した「戦争の絶対放棄」という道については、記憶の風化と反比例するように見 直そうとする動きが加速化している。一方、アジアの隣国との間で先の戦争に関する歴史 認識や戦後補償をめぐって生み出された軋轢は、いまだに解決に至ってはおらず、アジア 地域の信頼醸成を阻む阻害要因として横たわったままだ。日本は先の戦争をどのように受 けとめ、そこからどんな教訓を得たのか。そして、その認識や教訓を今後日本が歩んでい く上でどのように生かそうとしているのか。変わってよいものは何で、守らなければなら ないものは何なのか。
これらの問題に思いをめぐらす上で、ヒロシマ・ナガサキを考えてみることは大きな意 味を持つのではないかと思われる。なぜなら、戦争の直接体験者は勿論のこと、戦後生ま れの世代においても、ヒロシマ・ナガサキは先の戦争のもたらした悲惨な結末のシンボル として、また現在や将来にも起こりうる人類絶滅戦争への警鐘を促すシンボルとして、あ るいはその時代ごとの様々な社会情勢と関連づけられながら、日本人の記憶に繰り返し焼 き付けられてきたと考えられるからである1。そして、ヒロシマ・ナガサキの記憶は戦後の日 本人の戦争観、平和観に少なからぬ影響を与えたと考えられるからである。
本来ならば広島と長崎の人々だけが体験した出来事であるにも関わらず、国民全体の経 験として共有されてきたかに見える原爆投下という出来事。一体、日本国民が共有するヒ ロシマ・ナガサキの記憶というものは本当にあるのだろうか。あるとすれば、その記憶はど のように生み出されてきたのだろうか。
また、「歴史の記憶」をめぐる軋轢を考える上でも、ヒロシマ・ナガサキをめぐる記憶は 興味深いケースとなり得る。1994 年から 95 年にかけてアメリカで起きたスミソニアン論争
2に際して、「原爆投下は絶対悪であり、ヒロシマ・ナガサキは世界における反核平和の象徴 として機能してきた」と信じる日本人は、アメリカやアジア諸国では全く異なる記憶が存
1 ヒロシマ・ナガサキに関する国民共通の記憶には複数の研究者が言及しており、細谷千博・入江昭・大芝亮編『記 憶としてのパールハーバー』(ミネルヴァ書房、2004 年)、藤原帰一『戦争を記憶する−広島・ホロコーストと現在−』
(講談社現代新書、2001 年)、『正しい戦争はあるのか』(Rockingʼon、2003 年)、ローラ・ハイン&マーク・セルデ ン「原爆はどのように記憶されてきたのか−発話と沈黙の 50 年−」(『世界』岩波書店、1998 年 1 月号)等が参考にな る。
2 1994 年〜95 年にかけて、米国のスミソニアン航空宇宙博物館(NASM)が、広島への原爆投下機エノラ・ゲイ号を修 復展示するにあたって原爆展を企画したが、その内容が「原爆投下は正義」という記憶に疑義を突きつけるものであ るとして、退役軍人、議会、メディアから大きな批判が集まり、歴史家や平和運動家も巻き込んで論争となった。こ の論争は結局、原爆展の中止とNASM館長の退任によって幕を閉じた。
在してきたという事実に大きなショックを受けることとなった。そして、これを一つの契 機として盛んになった「歴史の記憶」をめぐる議論が進展していく中で、国内外のみなら ず、日本国内においてもヒロシマ・ナガサキをめぐる「歴史の記憶」はけして一枚岩とは言 えないことが浮かび上がってきたのである。
以上のような筆者の問題意識を出発点として、本論文では日本におけるヒロシマ・ナガ サキの公的記憶が戦後のどのような表象を通じて国民の中に形成されてきたのかを考察し たいと思う。「歴史の記憶」と表象をめぐる研究については、欧州では特にフランスを中心 に戦後早い段階から議論が始まっていたが3、日本では先述したように 1990 年代半ば頃から 次第に注目を集めるようになった。そもそも歴史を「記憶」という概念と共に捉えること は、従来の歴史観とは異なる立場に立つものである。つまり、「唯一真正の歴史がある」と いう捉え方ではなく、「歴史とはその時その場の視点から常に再構成される言説や表現の総 体だ」という捉え方をする立場をとる。これは裏を返せば、その時その場における言説や 表現、すなわちその時代ごとの表象を辿っていくことによって、ある出来事のどういう部 分が記憶されようとしたのか、またどういう部分が忘却されようとしたのかが浮かび上が ってくるということを意味する。
そこで、本論文では「歴史の記憶」を形成する上で特に大きな役割を果たしてきたと思 われる以下の公的空間における表象の場、すなわち教科書、博物館・資料館、ジャーナリ ズム、マスカルチャーの4つを抽出し、それぞれの場におけるヒロシマ・ナガサキの表象 の歴史を辿っていこうと思う。これらの分析を通じて、国家や権力の側がどのように自分 たちに都合のよい歴史の物語を形成しようと試みてきたのか、そして市民の個人的、集団 的記憶がどのようにそれに抗ってきたのか、その結果としてどのような国民が共有する公 的記憶が生まれてきたのか、その一面が明らかになるであろう。この意味において、本論 文は「記憶をめぐる戦いの歴史」を考察するひとつのケーススタディとなり得るものであ る。そして、日本人の戦争観、平和観に大きな影響を与えてきたと考えられるヒロシマ・
ナガサキの公的記憶の揺らぎを考察することは、日本人の戦争観、平和観の揺らぎを考察 する上でもヒントを与えるものであり、日本が今後進むべき道を議論する上で踏まえるべ き論点を呈示すると信じるものである。
第 2 節 用語の定義
議論の展開に先立ち、本論文で筆者が使用するキーワードを以下のように定義する。
(1) ヒロシマ・ナガサキ
本研究の意図する所は、「広島・長崎における原爆投下という出来事を、原爆投下そのも
3 「歴史の記憶」の議論の進展に貢献した初期のフランスの研究者としては、モーリス・アルバックスやミッシェル・
フーコーなどがいる。詳細は第 1 章第 1 節第 1 項を参照されたい。
のに限定することなく、原爆投下に始まる戦後の核時代の様々な出来事と関連づけられな がら、この出来事が戦後世代にどのように記憶づけられていったか」を分析することにあ る。そこで、「原爆投下に始まる核時代のシンボル」という意味を込めて、ヒロシマ・ナガ サキというカタカナ表記を用いる。従って、本論で筆者がヒロシマ・ナガサキの表象分析の 範疇とするのは、原爆投下、原水爆実験、核戦争、核軍拡競争、反核運動、原子力の平和 利用、被爆者、放射線被曝、核汚染等々、およそ核にまつわる全ての問題である。
(2) 国家の記憶
国家や権力の側が、国民統合や愛国心育成の為に国民に刷り込もうとする、自国に都合 のよい歴史の物語を指す。
(3) 周辺の記憶
「国家の記憶」とは異なるものとして個人や特定の集団の中に保有されており、権力の 側からは無視、あるいは隠蔽されている記憶を指す。
(4) 公的記憶
「国家の記憶」とも「周辺の記憶」とも異なるものとして、これらのせめぎ合いの中で 自然発生的に生まれてくる記憶であり、国民によって広く共有され認知された記憶を指す。
(2)から(4)の用語の定義の根拠については、第2章で詳細に論じる。
第 3 節 本論文の構成
第 1節で述べた目的に基づき、本論文は以下の終章を含めた6章構成によって議論を進 めていく。
まず第 1 章では議論の枠組として、記憶と表象をめぐる研究の現状を整理し、その主要 な論点を抽出する。「歴史の記憶」をめぐる議論は、モーリス・アルバックスの呈示した「集 合的記憶」4の概念に代表されるように、元々は社会学や心理学の分野で扱われてきたもの である。しかし、こうした概念は特に90年代以降、国家間、文明間の記憶の軋轢を考察す る上で有効な概念として、歴史学や文化人類学の分野でも注目されるようになった。21 世 紀に入って多くの国でナショナリズムの再燃を懸念する声が高まる中で、「過去の記憶の仕 方」をめぐる議論は一層盛んになっている。ここでは特に、「ヒロシマ・ナガサキをめぐる 公的記憶は、周辺の記憶が見出される過程を通じて、徐々に揺らぎ多様化していった」と いう本論の仮説を検証するに当たって、国家や権力はどのように「国家の記憶」を作り出 そうとするのか、またそれに対抗し得る「周辺の記憶」はどのように発見されていくのか、
そして「公的記憶」はどのようなせめぎ合いを通じて生み出されていくのかという観点か
4 アルバックスが「集合的記憶」と呼ぶのは以下の概念である。個人の記憶は必ずしもその個人の直接経験のみによ っているのではなく、様々な他者との語りによって浸透しており、また想起という行為でさえもしばしば他者とのコ ミュニケーションを通じて初めて形になる。すなわち、個人の記憶とは他者を介在した集合的な過程を通じで出来上 がっており、逆にある集団の記憶もまた、個人の直接経験の複合的な積算になっているとみることができる。そのメ カニズムをつかむことが、ある社会的集団の記憶の生成について考察する上できわめて重要となる。
ら、本論文全体を考察する為の論点を整理していく。
第2章から第5章においては、第1章で整理した論点に沿いながら、具体的な公的空間 の言説表象の場におけるヒロシマ・ナガサキの表象を時系列に沿って考察していく。
まず第2章では、「教科書」における表象を検討する。具体的には、小学校社会科、中学 校歴史、高等学校日本史の教科書の中でヒロシマ・ナガサキがどのように記述されてきた のかを、アジア・太平洋戦争全体の文脈の中に位置付けながら検証する。また、社会科・
歴史以外では、国語の読解用教材としてヒロシマ・ナガサキに関わる素材がしばしばとり あげられているという事実に着目し、小・中・高の国語教科書や読書感想文コンクール等の 場を通じてヒロシマ・ナガサキがどのように呈示されているのかも検討する。更には、教 科教育以外の活動として、修学旅行におけるヒロシマ・ナガサキとの関与についても補足 的に検討する。
第3章では、「博物館・資料館」における表象を取り上げる。ヒロシマ・ナガサキの記憶 の形成に当たっては、広島平和記念資料館と長崎原爆資料館の果たしてきた役割が非常に 大きいと思われる。これら2つの公立資料館における表象の歴史を中心に、近年新しく開 館した国立の追悼記念館の意味、また私立の資料館の果たしている役割等と併せて、博物 館・資料館という場で、どのような記憶の抗争や揺らぎが起こってきたのかを検討する。
第4章では、「ジャーナリズム」における表象を取り上げる。具体的には、新聞、テレビ・
オピニオン誌の三媒体の中から、それぞれ影響力が大きいと思われる全国版のビークルを いくつか抽出し、ヒロシマ・ナガサキの表象が時代ごとにどのように変遷してきたのかを考 察する。
第 5章では、「文学」、「映画」、「美術」、「マンガ・アニメ−ション」の4つを取り上げ、
ヒロシマ・ナガサキがマスカルチャーの場においては、どのように世の中に呈示されてき たのかを時系列かつ横断的に検討していく。
終章では、第1章の議論の枠組をベースに、第2章から第5章まで検討してきた「ヒロ シマ・ナガサキをめぐる記憶の揺らぎの歴史」を総括し、その現代的位置と今後のあり様 について考察を加える。
第 4 節 先行研究に対する本研究の位置付け
以下に、本研究と関連する先行研究を5つの領域に分けて整理する。
A. 学校教育とヒロシマ・ナガサキ
B. 博物館・資料館展示とヒロシマ・ナガサキ C. ジャーナリズムとヒロシマ・ナガサキ D. マスカルチャーとヒロシマ・ナガサキ E. ヒロシマ・ナガサキの記憶の形成
A. 学校教育とヒロシマ・ナガサキ
ここでは本論文で主として議論する「社会科・歴史教育」との関連で先行研究を整理す る。日本の戦後歴史教育をめぐる研究は主に、「①戦後の教育改革と歴史教育について」、「② 家永教科書裁判5と歴史教科書検定について」、「③教科書問題6とアジア・太平洋戦争史観に ついて」、「④歴史教科書の国際比較、教科書をめぐる国際対話について」の 4 つのテーマ に大別される。
①は、ひとつには竹前栄治、袖井林二郎、油井大三郎といった占領期を中心とする日本 近現代史専門の歴史家によって行われてきた。彼らは教育改革の中で戦前の教育システム がどのようにGHQを中心にリフォームされ、占領後の検定教科書制度につながっていった かを分析している。もうひとつには、海後宗とき臣おみ7を始め、寺崎昌男、久保善三、朝倉隆太郎、
碓井正久等の社会教育専門家による研究がある。彼らは、戦後の教育改革や社会科・歴史 教科書の意味、今後進むべき方向についての指針を多く論じている。
②は、家永自身を始めとする歴史家、法学者、教育学者、歴史教育実践家が各々の立場 から数多く論じている。家永裁判で争点となったのは、主に日本軍の加害行為(南京大虐 殺、七三一部隊、植民地支配、沖縄戦における住民虐殺等)に関する記述であり、教科書 検定制度・学習指導要領と「学問・表現の自由」の抵触についてである。従って、研究の 大半は教科書記述内容の正当性をめぐる個別研究と検定の違憲性をめぐる議論であり、ま た将来の歴史教育実践のあり方に対する問題提起を行うものである。
そして、一連の研究を更に推し進めたのが③の教科書問題である。これらをめぐって国 内外の批判が噴出したことにより、教科書記述の個別研究は更に進展することとなった。
そして藤沢法暎、松島榮一を始めとして、多くの歴史家や教育者から歴史教育への加害認 識の取り入れについての問題提起が行われ、次第に「アジア・太平洋戦争史観」と言われ る新しい見方が形成されるようになったのである。
これら加害認識取り入れの過程の中で、次第に取り組まれるようになっていった研究が
④である。これらは西川正雄、近藤孝弘、君島和彦、イアン・ブルマ等によって試みられ たが、その多くは「日本に限らず国家による自国史の美化は世界各地で見られる」との立 場から、複数国間で歴史教科書を相互に検討する取組みが世界でどのように行われ、どの ような成果をあげているか、その成果を日本の歴史教科書にいかに取り込むことが可能か を論じている。
5 高等学校日本史教科書『新日本史』(三省堂)の執筆者家永三郎が、教科書検定に関して国を相手に起こした一連の 裁判。1965 年提訴の一次訴訟、1967 年提訴の二次訴訟、1984 年提訴の三次訴訟があり、1997 年最高裁判決を持って 終結。訴訟の最大の争点は「教科書検定は違憲か否か」であったが、最高裁はこれを合憲として、家永側の主張の大 半を退けた。
6 いわゆる教科書問題とは、歴史教科書の記述や、ある歴史の認識や解釈をめぐって関係各国で発生する諸問題のこ とであり、大きくは 1982 年の教科書検定において文部省が中国華北部への「侵略」を「進出」という表記に書き換え させたとする報道をめぐる問題と、2001 年に検定合格した扶桑社教科書『新しい歴史教科書』をめぐる問題を指して いる。
7 東京書籍の教科書『新しい社会』の執筆者として知られる。
以上に見たように、戦後日本の社会科・歴史教育をめぐる研究は、歴史学者、教育学者、
歴史教育実践家を中心に数多く存在し、その多くがアジア・太平洋戦争の記述に関するも のである。しかし、それらのほとんどが「日本の加害行為についてどう記述し、どう教育 実践の場に反映させていくのか」という問題意識に基づくものであり、本論文の意図する 歴史教育の場でヒロシマ・ナガサキの公的記憶がどのように形成されたのかという視点で 考察したものは見当たらない。
B. 博物館・資料館展示とヒロシマ・ナガサキ
博物館や資料館において、アジア・太平洋戦争をどのように展示するのかをめぐる研究 は、1995年の戦後50周年を総括する時期がひとつの発展の契機になったと見られる。折し
も1994〜95年に米国のスミソニアン航空宇宙博物館において、原爆の歴史をどう展示する
のかをめぐって大論争が起こり、日本国内においても公共の博物館が歴史をどう展示すべ きか、とりわけ見解の相違が生じやすい「戦争に関する歴史」をどのように呈示すべきか という議論が盛んになった。こうした議論はマスメディアはもとより、『歴史評論』等の専 門誌などの場で散発的に論じられてきた8。例えば、1994年には日本近代史を専門とする井 口和起が「現代史研究と展示‐戦争展示を中心に」と題する論文の中で「たとえこの戦争 史のなかの特定の事件やテーマ(例えば、空襲、原爆、沖縄戦、特攻等々)に限ってあつ かう展示の場合でも、しっかりした全体像をもち、その中に正確に位置付けられたあつか いを要求される」9と述べ、アジア・太平洋戦争の展示の困難さを指摘している。また、立 命館国際平和ミュージアム学芸員の山辺昌彦は、1996 年の論文「地域に根ざす平和のため の戦争展示‐戦争展運動を中心に‐」において、90 年代に全国で盛んになった「戦争展運 動」が果たした役割について言及している。こうした先駆者の働きに導かれ、近年では「平 和博物館・戦争資料館の展示」に関する研究は、随分まとまった形を成すようになってき た。高知大学の山根和代10は、自ら市民による平和資料館「草の家」の活動に関わりながら 国内外の平和博物館とのネットワーク化を精力的に行い、体系的な把握を試みている。一 方、京都教育大学の村上登司文は「平和博物館と軍事博物館の比較―比較社会学的考察−」
(2003年)において、平和博物館が多い日本の特徴を外国との比較から論じている。また、
金子淳11は写真や映像、モノを媒介とした従来の戦争展示の限界に迫り、今後の戦争展示の 新たな可能性を見出そうと試みた。このように、アジア・太平洋戦争の展示のあり方に関 する研究が進展する中で、ヒロシマ・ナガサキの展示のあり方に焦点を絞ったものはいまだ 数少ない。特筆すべきは、米山リサの『広島−記憶のポリティクス』 (2005)であろう。米 山の研究は資料館の展示内容に本格的に踏み込むものではないが、資料館の意匠や慰霊碑
8『歴史評論』では 1994 年 2 月号で「博物館展示と歴史研究」、2002 年 1 月号では「博物館と歴史認識」という特集 を組んでいる。
9 井口(1994)、 p.39 参照。
10 日本平和学会 2006 年度春季研究大会部会Ⅰ「平和をどう伝えるかーアート・オブ・ピース」における山根和代の 発表「平和のための博物館・美術館における活動について」を参照。
11 金子(2006)参照。
の碑文を含め、平和祈念公園という空間全体がどのような記憶を表象しているのかを紐解 こうとする画期的取組みであった。この他、スミソニアン論争をめぐって広島・長崎の資 料館の展示に言及するものはいくつか散見されるものの、ヒロシマ・ナガサキの展示のあ り方と変遷に的を絞り、これらがヒロシマ・ナガサキの記憶の形成にどのような影響を与 えてきたのかを、近年の議論を踏まえた上で包括的に考察したものは見当たらない。
C. ジャーナリズムとヒロシマ・ナガサキ
ジャーナリズムについては、ウィルフレッド・バーチェットの『広島Today』(1983)、モ ニカ・ブラウの『検閲 1945−1949 禁じられた原爆報道』(1988)、堀場清子の『禁じられ た原爆体験』(1995)など、占領下で原爆に関する報道がいかに制限されたのかを明らかにす る研究はいくつか存在する。
また、中国新聞社は1966年とかなり早い段階から自らの原爆報道を記録しようとの取組 みを始めており、それらは『ヒロシマの記録』(1966年)、『ヒロシマ・25年』(1971年)、
『年表ヒロシマ40年の記録』(1986年)、『年表ヒロシマ〜核時代50年の記録〜』(1995年)
と続いてきた。『年表ヒロシマ〜核時代 50 年の記録〜』の巻末では、広島女学院大学教授 の宇吹 暁さとるが「核兵器廃絶の世紀へ」と題する寄稿論文の中で、簡潔にではあるが原爆報道 の 50 年間の歴史を振り返っており、大きな流れを把握する上での指針となる。更に 2003 年には、中国新聞社と共に戦後の原爆報道の両輪を担ってきたNHKが共同で原爆報道を詳 細に検証した記録12を出版している。NHKの原爆報道については、更に2005年に同局のエ グゼクティブ・プロデューサーを務める桜井均が著書『テレビは戦争をどう描いてきたか−
映像と記憶のアーカイブズ−』の中において独自の分析を行い、1950年代後半から60年代 後半にかけての報道における特徴のひとつとして、「原爆の体験とアメリカの「核の傘」に 入るという選択が、矛盾して語られることが少なかった」という点を指摘している13。また、
2008年にはNHK放送文化研究所の七沢潔が、NHKが過去 50 年に原子力に関してどのよう な内容の報道を行ってきたのかをNHKアーカイブズに残る膨大なコンテンツを用いて詳細 に分析した研究を発表している14。
多くの戦後史研究において、ジャーナリズムにおける言説を時系列的にたどる手法は使 われてきたのであり、その代表的なものが日本人の戦争観の推移をマスメディアの言説や 世論調査結果を主な素材として明らかにした吉田裕の『日本人の戦争観−戦後史のなかの 変容』(1995)だと言える。先にも触れたように、戦争報道のあり方をめぐる議論は世界的 にも注目を浴びている分野である。本論文では、これらの先行研究の内容や手法を参考に しながら、全国規模のメディアにおける 63 年のヒロシマ・ナガサキの表象の変遷を新聞・
テレビ・雑誌を横断して整理するという点で、前例のないものになろう。
12 NHK出版編(2003)、『ヒロシマはどう記録されたか−NHKと中国新聞の原爆報道』を参照。
13 桜井(2005)、p.ⅸ参照。
14 七沢(2008)参照。
D. マスカルチャーとヒロシマ・ナガサキ
ここでは、文学・映画・美術・漫画/アニメーションの4 つの分野においてどのようにヒ ロシマ・ナガサキが論じられてきたのかを概観する。
(1)文学
文学という領域において原爆がどう呈示されているかを検討しようとした最も初期の試 みは、阿部知二、小田切秀雄らによるアンソロジー『原子力と文学』(1955年)であろうと 思われる。これは、原民喜の『夏の花』(1947)、大田洋子の『屍の街』(1948)、峠三吉の
『原爆詩集』(1951)等、被爆後間もない時期に、占領下にも関わらず出版されて反響を呼 んだ戦後初期の原爆をテーマとした小説や詩歌を一同に集めようとした初の試みである。
この中で、阿部は初期の原爆文学が「ただ悲しみや憎しみや怒りや絶望に終わる」15私小説 的なものに止まっているように見受けられることについての反省を促している。また、小 田切は、原爆は単に過去に広島や長崎で起きた出来事として捉えるのではなく、人類全体 の問題として文学という領域で真摯に追究されるべきテーマであると主張している。しか し、「原子力の平和利用」という概念についてはいまだ楽観的にありすぎる点や、反米親ソ のイデオロギー的言説が目立ち、中立性に問題がある点において、学術研究としてはいく つかの限界も見られる。
こうした初期の試みを起点として、「原爆文学」という領域が姿を現すようになったのは、
川口隆行16によれば1960年代後半から70年代前半にかけてのことである。これは、原民喜 の『夏の花』や井伏鱒二の『黒い雨』(1966)が国語教科書の題材として取り上げられ、広 く国民に読まれるようになったことと無関係ではないと考えられる。そして、1973 年に初 めて原爆文学を「通史」として整理した長岡弘芳の研究である『原爆文学史』が登場する のである。長岡は、原爆文学を「原爆がもたらした諸悪とそれに対する人間の尊厳とを追 究する文学」17であると定義づけ、戦後20余年を 4期に分けて文学作品を分類した。こう した作業を通じて、長岡は3つの課題を提起している。ひとつは、原爆文学作品の絶対的 な数の少なさである。2つめは、テーマの幅の狭さであり、長岡は将来原爆文学が追究す るテーマとして、朝鮮人被爆者、沖縄在住被爆者、胎内被爆者等の周辺被爆者の問題や、
投下国アメリカの国家責任の問題、核を「国家悪と人類の闘い」と位置付ける普遍的視点 などをあげている。そして3つめには、原爆文学に常につきまとう「原爆文学はそもそも 芸術なのか」という性急な論議への批判的視点である。長岡は1982年には『原爆文献を読 む』を著し、これらの視点を更に深めた。
以上の小田切や長岡の研究を下敷きとしながら、戦後の原爆文学・核文学作品を通史とし て整理し、文学という領域における現代的位置を明らかにしようと試みてきたのが黒古一
15 阿部・小田切(1955)、序文参照。
16 台湾在住、台湾東海大学文学院日本語文学系所属。原爆文学研究会のメンバーであり、『原爆文学研究』にも度々 寄稿している。
17 長岡(1973)、p.155 参照。
夫18であり、黒古は現在も活躍する原爆文学研究の第一人者と言える。その代表作は、『原 爆文学論−核時代と想像力−』(1993)、『原爆文献大辞典:1945−2002』(2004)、『21 世紀 の若者達へ4:原爆は文学にどう描かれてきたか』(2005)等である。
しかし、原爆文学という領域の研究は、これらの限られた研究者の努力によって細々と 続けられてきたという事実は否定できない。そうした中で、海外における原爆文学研究と して異彩を放つのが、ジョン・トリートのWriting Ground Zero: Japanese Literature and the Atomic Bomb (1995)である。トリートは井伏鱒二を専門とする日本文学者であるが、本作に おいては井伏の他に原民喜、大田洋子、大江健三郎、小田実らの作品を取り上げ、原爆文 学の特徴を考察しようと試みている。本研究の特にユニークな点は、広島と長崎の原爆文 学の違いについて論じている点であろう。トリートは、長崎発の原爆文学が広島と比して 数の上では劣ることを指摘した上で、長崎発の文学作品には、周辺のジェンダー・人種・
民族に対する排斥や彼らの被った犠牲という視点で描かれたものが圧倒的に多く、これは カトリック教徒弾圧という長い歴史の延長にあるものだという考察を行っている。
更に、直近の動きで注目されるのは、2002年に福岡で創刊された機関誌『原爆文学研究』
の存在である。これは九州大学を中心として主に中国・九州地方の研究者が集う「原爆文 学研究会」の活動を母体とした出版物である。原民喜や井伏鱒二といった古典から現代の 原爆漫画に至るまでを含め、「原爆文学」の今日的意味を明らかにしようという意欲に満ち た内容である。例えば、その中心的参加者のひとりである川上隆行は、創刊号に寄稿した 論文「『原爆文学』という問題領域・再考」において、先に述べたように「60年代後半から 70 年代前半に『原爆文学』という領域化が進行した」と考察し、そのプロセスが「戦後日 本というナショナルな空間の同一性の構築、脱構築、再構築といった実践と極めて深く結 びついていた」19という視点を提起している。
(2)映画
原爆を題材に取り上げた映画としては、戦後初期は『長崎の鐘』や『原爆の子』等の話 題になった文学作品を映画化したものが中心で、原作との関連で論じられることがほとん どであった。原爆が映画という領域において本格的に論じられる契機となったのは、『ゴジ ラ』の登場によってであろう。1954 年に封切りされた『ゴジラ』は、アメリカの水爆実験 によって一億年前の恐竜が甦るというストーリー設定であり、明らかに同年のビキニ水爆 実験と第五福竜丸被災という社会的背景の中で登場した作品であった。その後『博士の異 常な愛情』(1964年)や『アトミック・カフェ』(1982年)といったアメリカ映画が一部のサブ カルチャー支持層に大きな注目を集めるものの、広く社会に認知されるには至らなかった。
邦画では1989年に今村昌平が『黒い雨』を映画化したのが話題となったのを除けば注目さ れる作品はほとんどなく、学問の場はもとよりメディアで原爆と映画について論じられる ことも少なかった。しかし戦後60年と前後して、再び原爆を題材とした映画が散見される
18 筑波大学大学院教授、文芸評論家。専門は近代文学、書誌学、出版文化論。
19 川口(2002)、p.20 参照、<http://scs.kyushu-u.ac.jp/~th/genbunken/kenkyu/01pdf/02̲kawaguchi.pdf>。
ようになり、メディアでの登場回数も増えている。そのひとつの契機となったのが『父と 暮らせば』(2004年)のヒットであろう。岩波ホールで異例の単館ロングランとなったこの作 品は、主演俳優の映画賞受賞や監督の逝去といったニュースも重なり、マスコミで度々取 り上げられた。しかし、こうした話題作を中心としたマスメディアにおける映画評論は散 見されても、まとまった原爆・核映画評論、特にアカデミックな分野での研究は非常に限 定されている。この分野での最初のまとまった考察としては、著名な映画評論家である佐 藤忠男が1960年に雑誌『文学』の「戦後十五年と文学」特集において論じた「原水爆と映 画」がある。佐藤はこの論文で1950年代に発表された原水爆映画について以下の2点を指 摘している。第一に、日本人には「自分の惨めさを他人の目にさらしたくない」20という感 情が強い為、原水爆関連の映画にも健気で奥ゆかしい被爆者ばかりが登場し、観客は安心 して同情を寄せることが可能となる。また、原爆を使った米国と日本が軍事同盟を結ぶと いう体制下にあって、日本政府はなるべく被爆者のことは忘れようと思っており、そうい う体制を選んだ国民もまた、被爆者を「将来自分がああなっては大変だ、という困ったも ののモデル」21として以上に考えたがらない。こうして敗戦直後には国民が共有できていた はずの感情に大きな溝が生じているのだという点である。第二には、主人公が自分の感情 を抑えず「死ぬのはいやだ、助けてくれ」と声をあげる映画も少数派ながらあるものの、
これらの映画も原水爆はこわいという視点以上のものを呈示できず、「観客を、現在いる地 点から一歩も動かせない」22という点である。佐藤は、「原水爆について、こわがりくらべ をする段階は、もうすぎている」23と述べ、映画も「原水爆の所有者たちをコントロールす る方法をこそ描かねばならぬ段階」24に来ていると考察した。
アカデミックな分野においては、占領下における映画の検閲に関する研究はいくつかあ るものの、「映画においてヒロシマ・ナガサキがどのように描かれているか」という視点か らアプローチした研究は、ミック・ブロデリック編著の『ヒバクシャ・シネマ』(1999)と 好井裕明の『ゴジラ・モスラ・原水爆 特撮映画の社会学』(2007)を除いては見当たらな い。前者は『ゴジラ』や『黒い雨』、また黒澤明の映画などを主な題材として、原爆がどの ように表象されているかを様々な論者が論じた寄稿論文集である。後者は一昨年上梓され たばかりであり、『ゴジラ』に代表される特撮怪獣映画の歴史において、当初刻印されてい た原水爆イメージが、どのように崩れ去っていったのかを検証した個性的な研究だと言え る。
(3)美術
美術については、「原爆の図」で著名な丸木位里、俊夫妻に関する研究25、NHKが中心と
20 佐藤(1960)、p.29 参照。
21 前掲、p.32 参照。
22 前掲、p.34 参照。
23 前掲、p.34 参照。
24 前掲、p.34 参照。
25 丸木位里,丸木俊『鎮魂の道 : 原爆・水俣・沖縄』(岩波書店、1984)、菅原憲義『遺言 : 丸木位里・俊の五十年』
(青木書店、1996)、ヨシダ・ヨシエ『丸木位里・俊の時空 : 絵画としての『原爆の図』』(青木書店、1996)等があ る。
なって市民から集めた「原爆の絵」に関して論じたものがいくつかある26。中でも、本論に とっては「原爆の図」を「思想」や「記憶」という観点から分析した小沢節子の『「原爆 の図」−描かれた<記憶>、語られた<記憶>』(2002)、更にこれを深めた小沢の博士論文 である「『原爆の図』の思想史的研究」(2005)が参考になる。絵画以外では湾岸戦争を大き な契機として報道写真のあり方についての関心が高まったこともあり27、この影響もあるの か日本でも原爆写真の表象に関する研究が少しずつ登場している。以前から個別の原爆写 真家(土門拳、松重美人、山端庸介等)に関する研究はいくつか見られたが、2005 年に朝 日新聞のフォト・ディレクターである徳山喜雄が初めて包括的な原爆写真の研究を行った
『原爆と写真』が登場した。徳山はキノコ雲の写真を原爆のシンボルとして扱うことに対 しての疑問を出発点とする。彼はキノコ雲の写真は核兵器の威力を誇るものであり、その 下にいる犠牲者の姿を隠蔽するものだと考え、必要なのは生身の一人一人の人間を写し出 すことだと主張する。この本は、こうした生身のヒバクシャの姿に迫った十数名の写真家 とその作品について考察を加えたものである。
(4)漫画・アニメーション
漫画・アニメ−ションの分野における原爆の表象については、中沢啓治の『はだしのゲ ン』(1973連載開始)はもとより、核戦争による地球の滅亡と再生という背景設定の中で描 かれた宮崎駿アニメの『未来少年コナン』や大友克洋の『AKIRA』等が、専門誌において 文芸評論的に論じられたものは散見されていた。しかし、これらが初めてまとまった形で 考察されたのは、2005年にNYのジャパン・ソサイエティーで開催された村上隆の「リトル ボーイ:爆発する日本のサブカルチャーアート」展であったと考えられる。リトルボーイ 展は、「日本以外では子供の娯楽にすぎないマンガ・アニメがいかにアーティストの手段と なって核戦争のトラウマ、敗戦の惨状、そこから生じた足元の危うい非政治的状況を解決 するために使われているか」28という点を探求しており、これに刺激を受けたサブカルチャ ーにおける原爆表象研究も現れた29。更に 2006 年には、『はだしのゲン』を題材に、「戦後 日本において、『戦争の実態を知る』とか『戦争について考える』といった経験が、(中略)
視覚表現、メディア、ポピュラーカルチャーを通じてなされてきたという現実と正面から 向き合い、その可能性や課題を見つめ直す」30ことを目的としたアカデミックな研究が初め て登場した。先述の「原爆文学研究」も漫画を研究の対象としてとりあげる31など、近年注 目される分野となっている。
26 松原美代子『原爆の絵アメリカを行く』(NHK出版、1983)、NHK広島放送局『原爆の絵:ヒロシマの記憶』(NHK出版、
2003)、NHK長崎放送局『原爆の絵:ナガサキの祈り』(NHK出版、2003)、直野章子『「原爆の絵」と出合う:込め られ た想いに耳を澄まして』(岩波書店、2004)などがある。
27 代表的な著作はスーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』(みすず書房、2003)であろう。
28 村上(2005)、p.247 参照。
29 紅野(2006)参照。
30 吉村和真・福間良明(2006)、pp.4-5 参照。
31 川口隆行(2005)、「メディアとしての漫画、蘇る原爆の記憶−こうの史代『夕凪の街桜の国』試論−」、『原爆文学 研究』第 4 号、花書院を参照。
E. ヒロシマ・ナガサキの記憶の形成について
「歴史の記憶」をめぐる議論が日本で盛んになったのは、教科書問題が勃発して近隣諸 国から日本の歴史認識に対する批判が繰り返されるようになった80年代以降、とりわけス ミソニアン論争で日米間の原爆観ギャップが白日の下に晒された90年代半ば以降であると 考えられる。「歴史の記憶」をめぐる議論は、欧州においてはホロコーストをめぐるドイツ の記憶のあり方を中心として、戦後早い時期から行われてきたのであり、ヴァルター・ベ ンヤミン、モーリス・アルバックス、ノラ・ピエール、ミシェル・フーコー、ユルゲン・
ハーバーマスといった思想家が議論の拠り所となってきた。一方、アメリカではヴェトナ ム戦争がひとつの大きな契機となって、これらの論議が深まっていった32。これらの研究の 成果については第 1 章で改めて詳細に論じることとして、ここでは「ヒロシマ・ナガサキ の記憶」に直接関わる先行研究を中心に整理する。
上記の「歴史の記憶をめぐる議論」を踏まえた形で、「ヒロシマ・ナガサキがどのように 日本人に記憶されたか」を考察した研究が登場するのは、やはりスミソニアン論争以後の ことだと考えられる。その先駆的かつ代表的な研究者は、油井大三郎、米山リサ、藤原帰 一であろう。油井は歴史学33、米山は文化人類学34、藤原は国際政治学35と 3 人ともフィー ルドは異なるが、各々の立場からヒロシマ・ナガサキが戦後の日本人にとってどのように 記憶され、どのような意味を担ってきたのか、そしてそれらが国内外におけるどのような 認識ギャップの中に置かれているのかを解き明かそうと試みている。とりわけ米山は分析 の対象を都市空間や景観、祭事、原爆ドームや慰霊碑等のモニュメント、被爆者の証言活 動等に設定しており、文化人類学・社会学・表象文化学等のジャンルを超えた学際的、越 境的な性格を持つ極めて意欲的な試みであり、後続の研究者にとってはひとつのベンチマ ークとなるものである。これらの先駆者の刺激を受ける形で近年は様々なフィールドから このテーマにアプローチする研究者が現れており、例えば佐藤丙午は「日米安全保障条約 と戦後日本の核政策」の関連でこの問題を論じている36。
一方、「日本人の戦争の記憶」に包括的に迫った研究としては、イアン・ブルマの『戦争 の記憶:日本人とドイツ人』(1994)、吉田裕の『日本人の戦争観』(1995)、加藤典洋の『敗 戦後論』(2005)などがあり、ヒロシマ・ナガサキに言及した部分も含めて参考になる。ま た、「記憶の再現不可能性」という論点については、米山が被爆証言の分析を通じて原爆体 験の再現不可能性を繰り返し指摘しているが、東京大学の高橋哲哉は95年の著作『記憶の エチカ』においてホロコースト体験等を題材にこの論点について深い洞察を行っており、
参考になる。
32 歴史の記憶をめぐる先行研究については、エミリー・S・ローゼンバーグ(2004)の「パールハーバーーアメリカ 文化に生きる日付―」、『記憶としてのパールハーバー』(岩波書店)の註pp.441-444 が大変参考になる。
33 油井(1995)参照。この著作はスミソニアン論争に際して、ヒロシマ・ナガサキをめぐる記憶が日米間でどのよう に存在してきたかを日本人の立場から描き出した初期の研究のひとつである。
34 米山(2005)参照。本著の元となったのは、米山のスタンフォード大学Ph.D.論文“Hiroshima Narratives and the Politics of Memory”(1993)である。
35 藤原(2001)参照。
36 細谷(2004)のpp.106-126、佐藤丙午「「広島・長崎の記憶」と日米同盟関係−核廃絶と核の傘の狭間でー」参照。
以上、本研究と関連する先行研究を5つの領域に分けて整理した。本研究を行う上で特 に参考になると思われるのは、米山リサの研究である。米山が解き明かそうと試みたのは、
ヒロシマ・ナガサキの記憶の表象にいかに国内外の政治的思惑が作用してきたのかという 点であり、本研究はこの視点に立って議論を展開するものではないが、「ヒロシマ・ナガサ キの記憶の表象」の解き明かし方という点で学ぶべき所が多い研究であり、「国家の記憶」
がどのように作り出されようとするのかを考える上でも様々な視点を与えてくれるもので ある。また、世論調査やその時々のマスメディアにおける言説を時系列的に丹念に追いな がら戦後の日本人の戦争観を紐解いていった吉田裕の研究は、その調査手法において倣う 所が多い。これらの重要な先行研究の存在を踏まえた上で、本研究が独自性として主張す るのは、「学校教育・博物館展示・ジャーナリズム・マスカルチャーといった公共の記憶形 成の場を通じて、一般の日本人のヒロシマ・ナガサキ観、すなわちヒロシマ・ナガサキの公 的記憶がどのように形成されていったのか、そのプロセスを明らかにしようと試みた研究 は依然としてない」という点である。本研究の目指す所は、一部の知識人、あるいは広島・
長崎に連なる人々に限定することなく、日本人全般が共有していると思われるヒロシマ・
ナガサキの記憶の現状を明らかにし、その現代的位置を考察することである37。
第 5 節 研究方法
本論文は以下の研究方法によって、第1節に述べた目的にアプローチを試みる。
まず第1章では、文献研究を中心として、「歴史の記憶」をめぐる研究が先行して進展し た欧州や米国、そして日本における主要な議論の現状を整理し、第 2 章以降の分析の土台 となる論点を抽出する。
第 2 章は、戦後の社会科・歴史教科書における記述分析を基本とする。具体的には、占 領が終結し検定教科書制度が本格的に開始してから現在(1952〜2008)までの原爆・核関 連の記述の変化を、下記にあげる市場占有率38 1 位の教科書を用いて時系列分析する。
◆小学校社会:東京書籍『新しい社会』(2005 年度採択実績 49.9%39)
◆中学校社会:東京書籍『新しい社会』(2006 年度採択実績 51.2%40)
◆高校日本史:山川出版社『詳細日本史』(2008 年度採択実績 58.9%)
ここで、高校では日本史が選択科目であること41、更に 1989 年の学習指導要領で日本史が
37 分析対象が異なる為に先行研究の中では触れなかったが、この目標設定、あるいはアプローチ方法において最も参 考にし得る先行研究は、原爆投下直後の一般的なアメリカ人の意識を明らかにしようと試みた 1985 年のポール・ボイ ヤーの著作By the Bombʼs Early Light:American Thought and Culture at the Dawn of the Atomic Age (North Carolina Press)である。
38 採択率は全て『内外教育』(時事通信社)発表の数値。
39 3 年おきに発表される採択率実績において、本書は 1965 年以後、1971 年を除いてずっと 1 位である。
40 同じく、1975 年以後ずっと 1 位である。
41 新学習指導要領下では、「世界史A」及び「世界史B」から 1 科目、「日本史A」「日本史B」「地理A」「地理B」から 1 科目、計 2 科目を選択必修する。ちなみに、『内外教育』2008 年 3 月 18 日号によれば、2008 年度の日本史選択者のう ち「日本史A」選択者が 43.3%、「日本史B」選択者が 56.7%である。中期的には「日本史A」の選択者が増加の傾向に
近現代史を中心とする「日本史A」と従来の通史型の「日本史B」に分けられ、教科書体系 が煩雑になったことを考慮し、高校教科書は補足資料として位置付ける。また、出版社に より教科書記述には多少の偏向が見られるので、補足の為に主な最新版教科書(小学校 5 種、中学校 8 種、高校 7 種)42も比較検証を行うこととする。
併せて、本章では国語教科書でとりあげられた原爆・核関連の題材分析も行う。国語教 育は自国の伝統・文化を継承し、愛国心を育成する上で重要な役割を果たすと思われる。
教科書の中には戦争や平和を扱った題材も多く取り上げられているが、中にはヒロシマ・
ナガサキを扱ったものも散見され、国民のヒロシマ・ナガサキ観に幾ばくかの影響を与え ていると思われる。具体的には、同じく 1952 年〜2008 年にどのような題材が取り上げられ たのかについて、下記に挙げる市場占有率 1 位の教科書を中心に時系列分析を行う43。
◆小学校国語:光村図書(2005 年度採択実績 58.9%44)
◆中学校国語:光村図書(2006 年度採択実績 46.3%45)
◆高校現代文:第一学習社(2008 年度採択実績 24.0%46)
以上に加えて、読書感想文の課題図書や修学旅行といった周辺の存在にも注目し、一部関 係者へのインタビューも行いながら、その動向を検討する。
第 3 章については、可能な限り資料館や博物館を訪問して実見調査を行うことは勿論で あるが、これに加えて近年は来館者への入口として各館ともにホームページが整備されて いる為、その内容も配布パンフレット、展示物の図録などに加えて表象分析の一次資料と して活用する。また、広島と長崎の資料館の展示に関しては、一般に公開されている関係 文書47も多い為、これらを丁寧に分析しながら、必要に応じて関係者への問い合わせを行う。
また、これらの個別分析を博物館・資料館全体の動向の中で位置付ける為に、新しい視点 を取り入れた国内の博物館・資料館の動向や、世界の平和博物館、戦争博物館の動向にも 目を向ける48。
ある。
42 小学校は、教育出版『小学社会6上』、大阪書籍『小学社会 6 年上』、光村図書『社会6上』、日本文教出版『小学 生の社会6上−日本の歩み−』、東京書籍の 5 種。中学校は、日本書籍新社『わたしたちの中学社会−歴史的分野−』、
清水書院『新中学校歴史改訂版−日本の歴史と世界−』、教育出版『中学社会歴史−未来をみつめて』、大阪書籍『中 学社会歴史的分野』、帝国書院『社会科中学生の歴史−日本の歩みと世界の動きー』、日本文教出版『中学生の社会科 歴史−日本の歩みと世界―』、扶桑社『改訂版新しい歴史教科書中学社会』と東京書籍の 8 種。高校は同一の出版社か ら複数の教科書が出版されている為、日本史Bの教科書で各社シェアが最も高い教科書を抽出して検討する。すなわち、
東京書籍『新選日本史B』、実教出版『高校日本史B』、清水書院『高等学校日本史B』、桐原書院『新日本史B』、三省堂
『日本史B』、明成社『高等学校最新日本史』、山川出版社『詳細日本史』の 7 種である。
43 小学校国語では光村図書に加え、東京書籍、教育出版、学校図書、大阪書籍、中学校では光村と東京書籍、三省 堂、学校図書、教育出版、高等学校では第一学習社に加え、東京書籍、筑摩書房、大修館書店を分析している。
44 採択率は 1961 年以後、ずっと 1 位である。
45 採択率は 1966 年以後、ずっと 1 位である。
46 高等学校国語現代文の教科書は、教科書会社ごとに複数の種類があり、教科書別シェアは細分化されている。第一 学習社は出版社別シェアで 1 位であり、このシェアは『高等学校改訂版現代文』,『高等学校改訂版標準現代文』、『高 等学校改訂版新編現代文』、『高等学校標準現代文』の 4 つの合計値。このうち教科書別でシェア 1 位なのが『高等学 校改訂版現代文』(11.8%)である。
47 広島平和記念資料館「広島平和記念資料館更新計画(素案)」(2005.11)、広島市「広島市被爆 60 周年記念事業基 本計画」(2005.2)、広島市「広島平和記念資料館更新計画検討委員会会議要旨」(2004.12)、長崎市(1992)「長崎国 際文化会館の建替えに係る基本構想及び基本計画(抜粋)」などがある。
48 世界の平和博物館の動向については、国連発行のPeace Museums Worldwide (1998)、国連NGOである「平和のため の博物館国際ネットワーク」の発表資料が参考になる。また、日本の平和博物館の動向についてはNGO「平和のための
第 4 章については、過去の報道データがある程度まとまった形で追跡できるビークルを 選択し、原爆や核をめぐる報道言説の変遷を分析する。具体的には、NHK と主要全国紙 2 紙(朝日新聞、読売新聞)、オピニオン誌2誌(『世界』、『諸君』)を分析の対象とする。NHK の報道については、通常のニュースを除く番組の中で、ヒロシマ・ナガサキと関連するテ ーマがどのように取り扱われてきたかを検討する。新聞については、縮刷版とデータベー スを用いて、ヒロシマ・ナガサキに関するどのような報道が行われてきたのかを見出し分析 を通じて検討する。また、オピニオン誌についてはヒロシマ・ナガサキに関するどのような 論文や記事が掲載されてきたのかを検討する。より詳細な手法については、第 4 章の冒頭 で説明する。
第 5 章は、分野によっては一部まとまった形で資料が存在しているものの、残念ながら 大半は資料が散逸した状態にある。従って、マスメディアで取り上げられたものや先行研 究の参考文献等を手がかりとして、辛抱強く個別の素材におけるヒロシマ・ナガサキの表象 を追跡していくという地道な作業となる。本章では、文学、映画、美術、漫画・アニメー ションにおけるヒロシマ・ナガサキの表象テーマの変遷を各分野ごとに時系列で明らかに した上で、分野を横断してテーマがどのように変遷していったのかを大きな流れで把握す る。
終章では、第2章から第5章で各メディアごとに分析してきたヒロシマ・ナガサキの表象 の変遷を総括した上で、「日本人のヒロシマ・ナガサキをめぐる公的記憶がどのように生成 してきたのか」を第 1 章で呈示した論点を踏まえて考察する。そして最終的には、ヒロシ マ・ナガサキの公的記憶の現代における位置を明らかにし今後のあり方を考察することに よって、平和学の進展に寄与することを本論文のゴールにしたいと考えている。
博物館・市民ネットワーク」の発表資料が参考になる。
第 1 章 公的記憶の生成と表象
新聞やテレビなどで「歴史の記憶」という言葉が目に付くようになったのは、戦後60年 と前後するここ数年のことであると思われる。なぜ今、「歴史の記憶」が注目されるのか。
これまで使われてきた「歴史認識」という言葉とはどのように違うのだろう。
筆者の解釈では、「歴史の記憶」とは次のような立ち位置から物事を見る考え方である。
まず何より、「唯一真正の歴史」の存在を前提に置かない。つまり、「歴史学とは新たな証 拠の発見を通じて、ある出来事の真実の姿をまるで一枚一枚覆いをはぎとるかのように明 らかにしていくものだ」というアプローチをとらない。唯一の真実があるのではなく、そ もそも歴史とはいつも現在から過去のある出来事に光をあてた時に壁に映し出される投射 のようなものだと捉える。壁に映し出される絵は、従って光の当て方によって異なる。誰 が、何のために、どのようにその出来事に光をあてるのかによって、見えてくる出来事の 有様は変わってくるのだ。従って、その出来事に誰が、何のために、どのように光を当て ようとしたのかを併せて考えることが前提となる。
そして、このような立ち位置に身を置くが故に、「歴史の記憶」を考える際には、「記憶」
と「忘却」が背中合わせに存在していることを常に意識することが求められる。「誰が、何 のために、どのように、その出来事に光をあてるのか」と同様に、「誰が、何のために、そ の出来事に光をあてようとしないのか」ということも大きな意味を持っているのである。
日本で「歴史の記憶」についての議論が活発に交わされるようになったのは、90 年代に 入ってからだと思われるが、欧州やアメリカでは先行して議論が始まっていた。
本章では、第 2 章以降でヒロシマ・ナガサキの記憶の表象を分析するにあたって土台と なる、「歴史の記憶」と表象をめぐる議論の論点を整理したいと思う。まず第1節では、「歴 史の記憶」と表象についての議論が先行した欧州、米国での足跡をたどり、日本における 議論の現状を整理する。続く第2節では、「国家の記憶」、第3節では「周辺の記憶」、第4 節では「公的記憶」という3つの概念を整理し、本論の土台となる議論のフレームワーク を呈示する。すなわち、国家権力主導で形成される「国家の記憶」と、これと対抗関係に あって「国家の記憶」を揺るがす存在となる可能性を秘めた「周辺の記憶」とが交わる場 から、新たな「公的記憶」が生み出されていくというダイナミズムを明らかにする。筆者 がここで「周辺の記憶」と呼ぶのは、「国家の記憶」とは異なる個人の記憶や集団の記憶の ことである。実際の出来事からしばらくの間、沈黙を保っていたかに見えるこれらの記憶 が、いかなる表象を通じて世間に立ち現れ、「国家の記憶」を脅かす存在となり、新たな「公 的記憶」の創出を促すのかについて議論を整理したい。小括では、こうした議論の整理を 踏まえて、第2章以降の検証の前提となる仮説を呈示しようと思う。