近 世 五 重 塔 の 基 本 計 画 に 関 す る 研 究
〜 妙 成 寺 五 重 塔 を 中 心 と して 〜
≦H≧̲**
櫻 井 敏 雄*,濱 田 日
Study on Basic Planning Method of Five Story Pagoda in Early Modern Times
— Centering around Myohujyohuji Pagoda—
Shinichi HAMADA* * Toshio SAKURAI* and
This thesis deals with basic planning method about the five story pagoda in the Early Modem Times. The proportion of five story pagoda gradually changes according to the age. In this paper it is made clear by using the measurement of them that how the planning method changes to the early modern times. In this paper it is made clear that the planning method of Myohjyohji Pagoda is established by using the standard three story pagoda to put two stories into the second
and the forth story.
Characteristics on Five-Story-Pagoda, Myohjyohji-Temple, School of Kenninji SHIWARI-System, Early modem times, Rule of the KIWARI system
Key words:
序 言
藩 を中心 に北 陸 地 方 にお い て活 躍 が認 め られ る、建仁 寺 流 大 工 の うち ・坂 上 越後 守 嘉紹 が建 て た妙 成寺 五 重塔 を中
心 に して述 べ る。
建仁 寺 流 の 研 究 に っ い て は 内 藤 昌 博 士 と一 門 の研 究 者 に よ り、そ の膨 大 な 木割 書 の研 究 が刊 行 され てお り、中 世 の遺 構 とも対比 され てい る。そ して 木割 書 を 大 き く江 戸 建 仁 寺流 と、北 陸 を 中心 と した加 賀 建 仁 寺流 の もの とに分 類 され て い る。しか し、木割 書 の 内容 と遺構 との 関係 は今 後 の問題 と して残 され て い る。
本 研 究 で は こ う した 木割 書 を参酌 しな が ら、甲良豊 後守 宗 廣 をは じめ とす る江 戸幕 府 作事 方 大 工 の残 した遺 構 、ま た 後 に前 田家 の大 工 頭 とな り坂 上姓 か ら山上 姓 にか わ る 加 賀 建仁 寺 流 の 大 工 の残 した遺構 を通 じて 、そ の設 計 の在 り方 を、近世 五 重塔 の分 析 を も とに 、基 本 計画 を相 互 に 対 比 させ な が ら検討 しよ うとす るの が 目的 で あ る。
い わ ゆ る層塔 の 中 に は、現 存遺 構 として五 重 ・三 重 ・二 重 塔 の ほか に多 宝 塔 が あ る。これ らは時 代 と共 にそ の意 匠 に移 り変 わ りの あ る こ とが知 られ て い る。これ を客観 的 な デー タ ー に基づ い て総 合 的 に検 討 を加 え、明 らかに され た の が浜 島正 士 氏 で ある。
こ うした 氏 の浩 潮 な研 究 を基 礎 と して、は じめて 幾つ か の 間題 につ い て総 合 的 に検討 で き る よ うにな った 。多 くの 層塔 の実測 値 を整 理 した上 で の解 釈 は 、全 体 の流 れ を明 ら か にす る必要性 か ら、そ の解 釈 に画 一 的 な面 の 出 た こ とも 否 めず 、全 体 をみ な が ら個別 的 な 問題 を今後 明 らか に して い く必 要 が あ る。
本稿 で は特 に近世 の 五重 塔 につ いて研 究す る中で 、加賀 平 成17年6月11日 受理
*建 築 学科
**総 合理 工 学研 究科 環境 系 工学 専 攻
と踏 む 。
各 層 柱 問 三 間 の 五 重 塔 で栩 葺 と し、東 面 して建 つ 。初 層 柱 間 二 層 目以 上 は 各 柱 間 毎 に一 枝 落 ち で 、各 層 で は三 枝 落 ち と して 、 一 枝0.5尺 の 為 、 実 寸 で1.5尺 ず つ 逓 減す る 。 同 様 の 遺 構 には 日光 東 照 宮(文 政 元 ・1818)が あ る。
内 部 に は 、四 天 柱 と、心 柱 を配 し、ま た 丸桁 を 支 え る丸 桁 ば ね を 各 層 入 れ る。軸 部 の様 式 は初 層 か ら五 層 まで す べ て和 様 で あ り、組 物 もす べ て 和 様 で 、各 層 の各 間 に 間斗 束 を配 す る(初 層 内 部 の み 禅 宗 様)。 垂木 は 、す べ て 二 軒 平 行 繁垂 木 で あ る 。
1.2五 重 塔 の 規 模 一16尺 正 方 形 平 面 の検 討
近 世 建 立 の 【表 一1】 に掲 げ る五 重 塔 の 平 面 をみ る と、
一辺 が16尺 の 設 計 とみ られ る もの が 圧 倒 的 で 、 これが基 準 とな って い た こ とが 推 察 さ れ る 。妙 成 寺 五 重 塔 は 坂 上越 後 守 嘉 紹 が 元 和4年(1618)に 建 て た こ とが棟 札 によ り判 明 して い る こ と に つ い て は触 れ た が 、法 華経 寺 五 重 塔 も根 来 坂 本 の 大 工 との 協 同 で あ るが 嘉 紹 と同 じ 北庄 大 工 の 建 立 で あ る。また 、この 中 で は 本 門 寺 の五 重 塔 は もっ とも禅 宗 様 が 濃 厚 に採 用 され て お り、注 目 され る。
寛 永 寺 五 重 塔 と慶 安 創 建 の 日光 東 照 宮 五 重 塔 は と も に 同 じ建 仁 寺 流 を 学 び 江 戸 で 活 躍 す る 甲 良 豊 後 守 宗 廣 一 族 の 設 計 で あ る。
前 述 の よ う に妙 成 寺 で は初 層 全 枝 数 を32枝 と して 中 央 を12枝 、 脇 間 を2枝 落 ち の10枝 とす る 偶 数割 と して 、 各 層 各 柱 間 で は ユ枝 落 ち 、 各 眉 で3枝 落 ち とす る 。
『匠 明 』で 五 重塔 の 各 層 の 枝 数 を見 る と 、初 層 は(10・
12・10)で 、 中 央 問 は 各 層 で(12・12・10・9・8)と 逓 減 し 、 脇 問 は(10・9・9・8・7)と 枝 数 を減 じて い る 。 この 枝割 は 下 記 の いず れ の塔 の枝 割 と も合 致 しな い。下 記 の 塔 の枝 数 は 、各 問 が 一 枝 ず つ 減 じる もの で 、各 層 全 体 で は3枝 ず つ 減 る勘 定 で あ る。
しか し、 『匠 明 』 の巻 装 裏 書 で は 初 層 は(U・12・1D で 中央 間 ・脇 間 は これ よ り1枝 ず つ都 合 全 体 で3枝 ず つ 各 層 が 逓 減 す る と記 され て い る。 しか し、こ の意 味 す る と こ ろは そ れ ほ ど明 確 に説 明 され て いな い 。
と ころ で 、下 記 の 五 重 塔 遺 構 で はす べ て 各 柱 間 を1枝 落 ち と し、各 層 全体 で は3枝 ず つ 減 じ、初 層 の枝 割 こそ 違 え 、 逓 減 の基 本 は 同 じで あ る 。な お 、中央 間 の枝 数 が偶 数 か奇 数 とな るか は別 に して 、初 層 で 中央 問 と脇 間が2枝 落 ち と 1.妙 成 寺 伽 藍 と五 重 塔
1.1各 説
金 栄 山 妙 成 寺 は 北 陸 唯 一 の 日蓮 宗 の 中 核 寺 院 と して 大 伽 藍 を今 に 伝 え 、多 くの 建 物 が重 要 文 化 財 に指 定 され て い る。そ の 伽 藍 配 置 は 主 要 建物 が 三 棟 南 面 す るが 、当宗 派 で は伽 藍 を象 徴 す る の は塔 で あ る こ とか ら、伽 藍 中 心 線 の 前 方 、 西 側 の 一 段 高 い と こ ろ に軸線 をはず して 建 て る 。
五 重 塔 は 東 に位 置 す る 山 門 か らそ の 大 伽 藍 に誘 導 す る よ う に東 西 軸 線 上 に位 置 す る。
す な わ ち 、平 野 部 か ら まず 五 重 塔 が 丘 陵 上 に遠 望 さ れ 妙 成 寺 の 位 置 を示 し、参 道 か らは 山 門 とそ の 奥 に 位 置 す る 塔 に 導 か れ 、石 段 を登 り山 門 を入 る と五 重 塔 が 小 高 い位 置 に 見 え る 。塔 に 導 か れ て 中 に は い る と、右 手 に 境 内 が 大 き く 拡 が り本 堂 ・祖 師 堂 ・三 光 堂 が 正 面 奥 に 並 び 立 つ見 事 な 配
置 計画 で あ る.
五重 塔 は 当 寺 の シ ン ポル で あ るが 、棟 札 に よ り建 立 年 代 が 元和4年(1618)と 明 らか で 、加 え て加 賀 藩 を 中心 に 北陸 地 方 にお い て 活 躍 が 認 め られ る、建 仁 寺 流 の大 工 坂 上 越 後 守 嘉 紹 が 建 て た 事 も判 明 して い る。
初 層 柱 間 総 長 を16.00(尺)と し、 枝 数 は10・12・10枝
押 照
【写真1】 妙成寺五重塔正面全景
【表 一1】 近 世 にお け る初 層16尺 四 方 の 五 重 塔 遺 構
一 枝 0.43尺
0.5尺 0.435尺
0.47尺
0.5尺
五層総枝 数 総間 と初層枝割
大工名 御大工鈴木近江守 長次 宗派
日蓮宗 年 代
慶 長12年{1607)
名称 本 門寺
越 前北庄住坂上越 後守嘉紹 紀 州那賀郡根来坂 本住 越州北 庄 東明町 小 、 正 家 日蓮宗
元 和4年(1618)
妙成 寺
大 工 甲 良 豊 後 守 四位 宗 廣 ・棟 梁 甲 良 左 士 原 宗 久
甲良豊後守宗廣(慶安建立時) 日蓮宗
天台宗 霊廟
元 和8年(1622)
寛 永16年 〔16391
文 政 元 年(1818)
法華経 寺 寛永 寺 日光東 照宮
寺(滋 賀 県(鎌 倉 後 期))、大 法 寺(正 慶2・1333)、 大 滝 山(嘉 吉 元1441)な ど で確 認 され る(註2)。 壁 付 き の肘 木 と巻 斗 が 通 肘 木 か ら造 り出 さ れ て い る 例 に は 如 意 寺(至 徳2・
1385)、 岩 船 寺(嘉 吉2・1442)な どが あ る。
な お 、琵 琶板 は時 代 の 遡 ぼ る塔 を調 べ て み る と、板 と称 す る には 厚 み が あ る の に対 して 、中 世 の もの は 板 状 とな る
もの が ほ とん どで あ る。
この 点 か らす る と 、近 世 の 遺 構 で あ る 妙 成 寺 五 重 塔 は 古 代 の 工 法 を3・4・5層 で適 用 、継 承 し、荷 重 の か か る初 層 ・2眉 で は組 物 廻 りの部 材 を 一体 化 し、そ れ を一 種 の校 倉 式 の 壁 と して い る こ と にな る。後 者 で は 内側 に組 物 が 現 れ な い 。この よ うな 構 法 の 採 用 に は い くつ か の 理 由が 存 在
【写真2】 本 門寺五重塔内部
【写真3】 妙成寺五重塔内部 な る の は 妙 成 寺 と 日光 東 照 宮 の み で 、寛 永 寺 で は 両 脇 間 が
1枝 落 ち で 、 匠 明 の裏 書 と同 じで あ る。
な お 、初 層 で は 中 備 を入 れ る場 合 、奇 数 割 りで は 真 納 ま りとな り 目立 つが 、二 層 以 上 で は そ れ ほ ど 目立 っ とは考 え に く い。
妙 成 寺 を別 に す る と 、 い ず れ の 塔 も江 戸 の 膝 元 にあ り、
これ ら の塔 造 営 に関 与 した 大 工 をみ る と 、甲 良 に加 え て根 来 ・北 之 庄(坂 上 の 出 身 地)な ど各地 の 大 工 が幕 府 の 大 工 と して 傘 下 に組 み 込 まれ た 過 程 を も示 し、平 内 も江 戸 に あ っ て 、 他 の 社 寺 の 造 営 に参 画 して い る。
幕 府 御 大 工 と して は 木 原 ・鈴 木 が お り、そ の下 で 恐 ら く 得 意 で は な い部 分 や 多 く の 仕 事 を こ れ ら の大 棟 梁 が 分 担
した もの と推 察 され る.
因 み に 本 門 寺 五 重塔 で は 造 営 中 に 鈴 木 長 次(当 時27歳) は 御 大 工 か ら大 棟 梁 とな った とみ られ る が(覆 鉢 名)、 長 次 は 初 眉 を和 様 と して 、当 時 もて は や され て い た 禅 宗 様 を 二 層 以 上す べ て の軸 部 と軒(扇 垂 木)に 適 用 した が 、 この 種 の遺 構 が 他 に見 られ な い こ とか らす る と 、恐 ら く配 下 に は 禅 宗 様 を得 意 とす る大 工 の 助 けが あ っ た に違 いな い.
1.3五 量 塔 の 特 異 な構 造
塔 の よ うに 同 じ構 造 方 式 で積 み 上 げ 、 骨格 を造 る よ う な 場 合 、小 さな 部 材 を組 上 げた 組 物 廻 りを どの よ う に設 計 す る か 、 固 定 す る か が 重 要 視 され た と考 え られ る 。
しか も古 代 か ら 中世 に至 り、小 屋 構 造 が 大 き く変 化 し た た め 、柱 筋 上 の組 物 を一体 化 す る か 、深 い軒 を支 え るた め の 手 先 部分 を一 体 化 す るか は大 き な 問題 で あ った と考 え られ る。
今 回 、 妙 成 寺 の 許 可 を得 て 初 層 か ら五 重 まで 詳 細 な 調 査 を実 施 した が 、そ の結 果 、以下 の よ うな 興 味 深 い事 実 が 判 明 した 。す な わ ち 、通 常 、本 門 寺 五 重 塔 の 内 部 【写 真2】
の よ う に、組 物 の部 材 を個 々 に積 み 上 げ 、空 い た部 分 に は 琵 琶 板 と い う、薄 板 を入 れ るの が 普 通 で あ るが 、妙 成 寺 五 重 塔 で は.琵 琶 板 と通 肘 木 が 初 層 、二 層 で は一 木 で造 りだ さ れ 、三 層 で は二 段 目通肘 木 の み 琵 琶 板 と一木 に な り、四 、 五 層 で は 通肘 木 と琵 琶 板 とが別 木 とな り、さ らに 壁 付 き 巻 斗 は外 側 に貼 り付 け られ る格 好 で あ る 【写 真3】 。 部 分 的 で あれ ば 、この よ うな事 象 は塔 に 限 らず 多 くの 建 物 に 認 め られ る と こ ろで あ るが 、 これ が 三 手 先 組 物 で 、初 、二 層 は 一 体 化 し
、そ れ 以 上 で は琵 琶 板 を厚 くす る と い う例 は極 め て 珍 し い工 法 とな る。
琵 琶 板 の厚 さは 平均 す る と2寸5分 位 の 厚 さで 、 通 常 の もの とは 全 く具な る。ま た壁 付 き 組 物 は 大 斗 の み が 内 側 に 出 る のみ で 、そ の他 は 内側 に全 く見 え な い。
五 重 塔 で 枠 肘 木 と琵 琶 板 とが 壁 付 き位 置 で 一 木 と な る 遺 構 と して は、 海 住 山 寺(建 保2・1214)、 明 王 院(貞 和 4'1348)、 厳 島 神社(応 永14・1407)、 瑠璃 光 寺(嘉 吉 2・1442)の 各塔 が あ り、三 重 塔 で は 一 乗 寺(承安 元 ・1171)、
浄 瑠 璃 寺(治 承2・1178)、 長 福 寺(弘 安8・1285)、 西 明
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【図 一2】 西 明 寺 三 重 塔 断 面 詳 細 図
初層 が16尺 四 方 で風 の強 い浜 際 に建 ち、五 層 目の逓減 も 少 な く風圧 と荷 重 に 対 して強 化 す る 目的 で 構 造 的 な配 慮 が加 え られ た 可能 性 が強 い。
なお 、明 通 寺 ・西明 寺(初層)で は恐 らく、柱 筋 の組物 を 校倉 式 の壁 に造 り、西 明寺 の2・3層 では肘 木 と琵 琶板 を 一 木 と して斗 を は りつ け、同時 に軒 を支 持す る丸桁 を しっ か り受 け よ うとす る過 渡期 的様 相 を示 す もので 、本 門 寺 な どは 、深 い 軒の 支持 に注意 を払 っ た もの とい え る。(註2)
2.三 重 塔 ・五 重 塔 に お け る 基 本 計 画 一 妙 成寺 五 ■塔 枝割 の 成立 過程 一
2.1建 仁 寺 流 雛 形 本 の 検 討
【表 一2】 ・1表 一3】 は 近 世 建 築 書 一 堂 宮 雛 形2(建 仁 寺 流)の 中 か ら五 重 塔 と 三 重 塔 に 関 連 す る も の を 取 り上 げ 、
これ に 記 載 され て い る 枝 数 を示 した も の で あ る。
ま ず 表 か ら 、 三 重 塔 ・五 重 塔 と も に 初 層 の 枝 数 を ほ ぼ (10・12・10)枝 と踏 む 例 の 多 い こ と が 分 か る。 初 層 の 枝 数 が(10・12・10)枝 と踏 む 遺 構 を み る と、三 重 塔 で は 長 福 寺 (弘安8・1285)が 最 も 早 い 遺 構 で 、最 も 多 く存 在 す る。 ま た 、 五 重 塔 で は 、 厳 島 神 社(応 永14・1407)が 早 く 、 中 世 以 降(明 治 以 前)の 遺 構 中 で は16棟 中7棟 と約 半 数 を 占 め 、 年 代 的 に は 、文 化 か ら天 保 頃(1804〜1843)に 集 中 す る。 そ
うす る と 、建 仁 寺 流 で は 、 中 世 以 降 、 三 重 塔 、五 重 塔 で 一 般 化 され て き た こ の 枝 数 を踏 襲 し た の で は な い か と 考 え られ 、 『匠 明 』 で も 同 様 に 三 重 塔 、 五 重 塔 共 に 一 層 目 の 枝 数 を(10・12・10)枝 と して い る 。 『匠 明 』 は 、 平 内 政 信 が そ れ ま で の 遺 構 な ど を 基 に 木 割 書 と し て ま と め た も の で あ り、中 世 以 降 一 般 化 さ れ て き た こ の 枝 数 を 、取 り入 れ た も の と し て 、 わ ず か に 安 久 津 八 幡 神 社(寛 政7・1795)が 確 した と考 え られ る。
内部 を造 らない 類 似 の 古例 と して は海 龍 王 寺 五 重 小塔 が あ るが、これ は舎利 を入 れ るた めの容 器 と考 え られ るの で別 に考 え る必 要 が あ るが 、 こ の よ うな形 式 は 中世 の厨 子 ・宮殿 にみ られ 、そ の 目的が 異 な るが 、類似 した構 法 が と られ てい るこ とは注 目され る。なお 、多 宝塔 で は上 層 が 円形 平面 を構成 し、そ こに方 形 の屋 根 を架 す る とい う不 安 定 な要素 が あ るた め 、こ うした 一 体的 な構 法 が多 く とられ て い る。
この よ うな特 具 な組 物廻 りの部 材 を一 木 化 して 、一 種 の 校倉 式 の壁 面 を造 る工 法 は管 見 の限 りでは 、五重 塔 では 妙 成 寺に しか み られ ない もの であ る。
こ うした 点 を以 下 、三 重塔 につ いて考 察 してみ よ う。三 重塔 で と りわ け注 目され る のは 、明 通寺(文 永7・1270)
と、西 明寺 三 重塔(栃 木 天 文6・1537)で 、 明通 寺 で は 、 壁 面 で は各 眉 と もに大 斗位 置 の み薄 手 の琵 琶板 が張 られ
るが、 それ よ り上部 では 、妙 成 寺の4、5層 でみ る よ うな 厚 手の琵 琶 板 の上 に通 肘木 が の る格 好 とな る 、壁 付 き組 物 は 大斗 のみ が 内側 に出 るのみ で 、壁 付 き巻 斗 は通 肘木 か ら 造 り出 され 、 そ の他 では 内側 に全 く見 られ な い 【図 一1】。
西 明寺 で は、2・3層 で大 斗位 置 か ら琵琶 板 と肘 木 、琶 琶 板 と通肘 木 を二段 、琵 琶 板 と桁 を一 体化 して積 上 げ 、柱 半 分 を欠 き と り添わせ て挿 入 して い る。斗 は外 側 か ら貼 り付 け られ た状 態 で あ る。この塔 の初層 で注 目 され る のは妙 成 寺 の初 層 、二 層 と同 じ構 法 が とられ てい る こ とで あ る 【図
一2】。この よ うな構 法 が とられ る塔 に共通 す る こ とと して 、 軒 の 出が他 の 遺構 と比 べ 深 い事 が あ げ られ る。(註1)ま た 、 五 重 塔 で は枠 肘 木 が琵 琶 板 か ら造 り出 され る手 法 は部 分 的 に は他 に も存在 す るが 、妙成 寺 の よ うに初 層 ・2層 を堅 固 に 、3層 以 上 を幅 の あ る琵 琶 板 を使 用す る とい う、同様
の手法 は他 にみ られず 、この よ うな構 法 が採 用 され た の は、
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明 通寺 三 重塔 断 面詳 細 図
1図 一1】
【表 一4】、 【表 一5】 は 現 存 す る 国 宝 ・重 文 の 三 重 、 五 重 塔 に お け る 枝 数 、中 備 と 垂 木 との 関 係 詳 細 を 示 し た も の で あ る 。 そ こ に 各 塔 の 様 式 と軒 周 り に つ い て も加 え た 。
妙 成 寺 の 各 層 の 枝 数 〔初 層 か ら(10・12・10)・(9・11・
9)・(8・10・8)・(7・9・7)・(6・8・6)〕 と一 致 す る 遺 構 と して は 、 厳 島 神 社(応 永14・1407)と 、 日光 東 照 宮(文 政 元 ・1818)が あ る 。 日 光 東 照 宮 に つ い て は 、 同 じ建 仁 寺 流 の 大 工 甲 良 豊 後 守 宗 廣 が 設 計 し た も の の 再 建 と考 え られ る の で 、枝 数 が 一 致 し て も 当然 の 事 と考 え られ る 。厳 島 神 社 に つ い て は 、 こ の 枝 数 の 計 画 が 初 層 を(10・12・10)と 定 め 、二 層 目以 降 、各 層 上 る に 従 っ て 各 間 ご とに 一 枝 落 ち と し 、都 合 全 体 で 三 枝 落 ち とす る 規 則 的 か つ 平 明 な 計 画 で あ り、さ ら に 初 層(10・12・10)と す る遺 構 は 前 述 す る よ うに 、 五 重 塔 で は 中 世 以 降(明 治 以 前)、16棟 中7棟 存 在 し、一 般 化 しや す い 傾 向 に あ っ た と考 え られ る(註3)。 し か し 、 近 世 初 頭 の 盛 行 と折 衷 化 の な か で 、唯 一 五 層 す べ て の 軸 部 の 様 式 を 禅 宗 様 とす る 厳 島 神 社(た だ しす べ て 平 行 垂 木)と 、 三 重 塔 で は 三 層 す べ て の 軸 部 が 禅 宗 様 で あ る 向 上 寺(永 享 4・1432)(初 層 の み 扇 垂 木)な ど は 異 例 の 存 在 と し て 、当 時 建 仁 寺 流 の 大 工 は そ れ ら の 遺 構 の 存 在 を 恐 ら く認 知 し て い た か も しれ な い 。 三 重 塔 で も 初 層 の枝 数 が(10・12・10)
を踏 む 遺 構 が 圧 倒 的 に 多 く 、 特 に応 永 〜 大 永 頃(1394〜
1527)、 文 化 か ら天 保 頃(1804〜1843)の 間 に 集 中 し、 次 に 認 され て い る。
二 層 目以 降 は 各 書 に よ っ て 、 違 い が 見 られ る 。 【表 一3】
中 の 『建 仁 寺 派 家 伝 書 』 一 「層 塔 」、『塔 全 』 の よ うに 初 層 か ら二 層 目 に か け て 、脇 間 の み 一 枝 ず つ 減 じ る 遺 構 は 確 認 で きず 、著 者 独 自 の 計 画 で あ っ た の で は な い か と 考 え ら れ る。
ま た 、 【表 一2】 中 の 『塔 之 図 』(乾 ・坤)、 『清 水 家 伝 来 目 録』 一 「重 塔 図 」、 『中 川 家 伝 来 三 重 塔 図 』、 『岩 城 家 伝 来 重 塔 図 』の よ うに 、各 層 ご と に 脇 間 で 一 枝 、中 央 間 で 二 枝 、 枝 数 を 逓 減 す る遺 構 は 、 常 楽 寺(応 永7・1400)を 初 め と し て 、 応 永 か ら永 禄 頃(1394〜1559)に か け 、4棟 確 認 で き 、 こ れ らの 遺 構 と の 関 連 を 思 わ せ る 。
次 に 妙 成 寺 五 重 塔 の 枝 数 と一 致 す る も の に っ い て み る と、 前 項 【表 一2】 中 の 『塔 極 秘 伝 之 巻 』 は 一 層 目か ら五 層 目 ま で 妙 成 寺 の 枝 数 とす べ て 一 致 す る。これ は 明 治 時 代 に 書 か れ た も の で あ る た め 、む し ろ 妙 成 寺 を 参 考 に して 書 か れ た も の で あ る 可 能 性 が あ る。 さ ら に 、 【表 一3】 中 の 同 じ木 割 書 を み る と 、三 重 塔 の 初 層 か ら三 層 目 ま で の 枝 数 が 妙 成 寺 の 初 層 か ら 三 層 目 ま で の も の と一 致 す る。これ も 妙 成 寺 を 参 酌 した も の か と 考 え ら れ 、五 重 塔 の 三 層 目 を 三 重 塔 に す る と い う、 容 易 な 計 画 で あ る。
2.2妙 成寺 に おける枝 数 の検 討
【表 一2】 各 木割 書 の枝 数表(三 重 塔)
各層枝数 三 層 初層 二層
年代 著者
名称
天 和 元 年 (1681)頃
『大 工割方雑集 』 児 玉家
享 保2(1717)
〜 享 保 甲良棟利
『塔 全 』
江 戸 時 代 後 期 寛 延3(1750)
〜 寛 政 元
『匠道奥秘巻 塔の巻 』
) 乾(池 上 延 世)坤(池 上 右 平
記 、(池 上 延 世)写
『塔 之 図 』(乾 ・坤)三 重 塔
江 戸 時 代 中 ・ 後 期
…(萢王 舌 祓 ∵ 天 西 蔽 棄 ヲ記 …碑i 水 政 則)伝 ・写
青
『清 水 家 伝 来 目録 』 一 「重 塔 図 」
江戸 時代後期 江戸 時代後 期
〜明 治時代 高橋 家 写
『高橋 家伝来重 塔図』
中川家 写
『中川家伝 来三重塔 図』
明治 時代 庄
明治 時代 岩 城庄 之丈護則 写
(三浦 之上 蒸正唯)記(岩 城 之丈護則)写
『岩城 家伝来重 塔図』
『塔 極秘伝 之巻』
江 戸建仁寺流
加賀建仁 寺流
【表 一3】 各木 割書 の枝数 表(五 重 塔)
四層 五層 層枝数
三層 初層 二層
年 代
延 宝5(1677)
著者
甲 良宗 賀 ・宗 俊 ・宗員
名称
「建 仁 寺派 家 伝 一 「 」塔
保2(1717)
甲良棟利
『塔 全』
江戸建仁寺渣
江戸 代後 匠
延3(1750) 乾(池 上 延 世)(池 上
、 ノ
の
。之 図(乾 ・
延3(1750) (池 延 世)(池 上
、 ノ
。之 図(・
江戸 代
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(池 上吉 政 ・ 西 政 乗 記
江戸 後
高橋家 写
水 目
一 「 ・
来 重 。
厘賀建仁寺流
(三'之 上 蒸 正)記(石 明治時代
『塔極秘伝之巻』
垂木 が くる もの、つ ま り真納 りとな る もの を示 す。三 重塔 で は江 戸前 期以 降 の資 料 が乏 し く、また調 査 に も限 りが あ るた め、本 稿 で は江 戸前 期 まで の遺 構 を考 察 し、以降 の も の につ いて は以 後調 査 、 資料 収集 し全 体 の 考察 をす る。
五 重塔 で は真 納 り とな る もの が 、中央 問 で は、初 層5 棟 、二眉10棟 、三層7棟 、四層9棟 、五 層2棟 で 、脇 間
【図 一3】 真 納 り と な る 遺 構 例(本 門 寺 ・東 京)
で は 初 層7棟 、 二 眉11棟 、 三 層6棟 、 四 層7棟 、 五 層5 棟 存 在 す る 。 こ の結 果 を 見 る と 、 中 央 間 で は 初 層 に5棟 、 五 層 に2棟 と少 な く、五 層 で は 下 層 と比 べ 柱 間 が 逓 減 す る た め 、中備 を 置 く こ と が で き な く な っ た た め で あ る。 ま た 初 層 に 少 な い 理 由 と して 、手 挟 む ほ うが よ い と考 え た か ら で あ る。 二 、三 、 四 各 層 に 真 納 りが 多 い の は 、 あ ま り 目立 た な い こ と と 、 各 層 上 る に っ れ て 一 枝 ず つ 逓 減 す る遺 構 二 、 三 層 で は 枝 数 を(8・10・8)、(6・8・6)枝 とす る遺 構
が 多 く 、初 層 と異 な り全 体 的 に 分 散 して い る傾 向 に あ る と 言 え る が 、 そ の 中 で も 二 層 で は 応 永 か ら嘉 吉 頃(1394〜
1445)、 文 化 か ら 天 保 頃(1804〜1843)、 三 層 で は 文 化 か ら 天 保 頃(1804〜1843)に か け て 集 中 して い る の が 確 認 で き た 。 こ の 結 果 か ら三 重 塔 で は 、(10・12・10)・(8・10・8)・
(6・8・6)と い う計 画 が 最 も主 流 で あ っ た 事 が 判 明 す る。
な お 、 古 い 遺 構 と して は 、長 福 寺(弘 安8・1285)、 西 国 寺 (永享 元 ・1429)が 早 く 、遺 構 全 体 か ら み る と 時 代 を通 じて 均 等 に 分 布 して い る。
ま た 、 こ の 計 画 は 妙 成 寺 の 初 、三 、 五 各 層 と一 致 し 、妙 成 寺 の 枝 数 計 画 が 、 三 重 塔 の 初 、 二 、三 各 層 の 間 に 二 、四 層 を 挿 入 し、 五 重 塔 と した 可 能 性 を 示 唆 す る。(10・12・
10)・(8・10・8)・(6・8・6)の 間 に 入 る枝 数 は 当 然 の こ と な が ら 、(9・11・9)・(7・9・7)枝 とな る。 そ うす る と、
妙 成 寺 五 重 塔 の 計 画 は 、三 重 塔 の 枝 割 計 画 を 勘 案 して 成 立 した も の と考 え られ て く る。こ の よ うな 関 連 に あ る も の と して 、時 代 が 古 代 に 遡 る が 、法 隆 寺 と 法 起 寺 の 計 画 が あ る。
法 起 寺 で は 、先 例 の 法 隆 寺 の 初 ・三 ・五 層 を と っ て 三 重 塔 と し て い る こ と が 知 られ て い る。
な お 、妙 成 寺 五 重 塔 の 初 、 二 、三 層 の 枝 数 を 踏 む 三 重 塔 の 先 例 に 前 山 寺(永 正11・1514)が あ る 。 前 山 寺 は 長 野 県 に あ り 、石 川 県 か ら もそ れ ほ ど 遠 く な く 、前 山 寺 の 三 重 塔 上 部 に 、四 、五 層 を 積 上 げ 妙 成 寺 とす る 計 画 で あ っ た 可 能 性 も あ る が 、そ れ を 遺 構 上 で み る と 、江 戸 中 期 以 降 の も の に 限 られ 、前 述 の よ うな 主 流 で あ る 三 重 塔 の 枝 割 計 画 か ら、
五 重 塔 が 計 画 され た とは 、前 山 寺 一 棟 の 存 在 の み で は 、判 断 しに く い 。
Z3各 層 に お け る枝 数 と中 備 の 検 討
1表 一4】、 【表 一5】 中 の 枝 数 をOで 囲 ん だ も の は 、 中 備 が あ る 層 を 、 ア ン ダ ー ラ イ ン の も の は 、 中 備 中 央 上 に
巳双 一 触」 ラ5廿 』 」里 崎r収 鰍 双 」ワコ但 彦《罰 」
枝 数
五」■枝数 四層枝数 二層枝数 三層披数
一層総長寸法 一層枝数 軒 鶏 り
,置10
懸期∩
平行垂木 樺 式
断在砲
岨 物
、
年 代 名 称
「 、
艮 臼6001 濫隠9
巳
寮艮繭臼期 楽良 海電ヨ…寺五富小塔2
寮霞 斎艮 元貫噂五重 小塔
3
騒層 年 閏(?81rrgo51奈 艮 塞生 ◎
」
剰 冒6{952⊃ 京 弼 寺
5
京5
●傑2Ω2胴 》 穐住山舜
6
広島 貞釦4q348}
山瑠 2}
7) 広島 奈優 6}
双循
,O
山 口 2}
明ヨロ院 7
昨安5q3 羽露山
8
応永腫q4 戯島神乱
● 9
応永33̀詞 輿謳奪
且0
*享12̀M 艦●寺
11
冨 實2《図 瑠璃光r唖
12
累京 慶 長 ■2q607}
本門専 L3
石川 ヲ己和4q6L8⊃
礁寺
● M
千顕 元穐8q622, 15 塗華繰寺
累8 寛jk脇̀1637 仁和寺
16
鼠京 寛 水 巳6q639》
旧寛潔 ■ i7
正保元単q644} 京冨 9… 瑠口 噂
18
胃縁 寛文6G666}
最 院 19
国 寛2q?49}
大石寺 20
文でヒ5く1808}
員正噂 21
幅木 文岐元竿q81帥 日党裏照實
● 22
獅溝 文歌8(巳825》
23 '宣寺
職山 天 像8̀巳837}
爾中口分奪 21
注巴}.瞳簿 察様 を.△ は和服を.Ol2そ の他 をな瞭†る.注2)告 層 筏数6P交闘 での0嘘4禰 の智を意唾す る.̲は 翼納塞 りとなる.注3〕 ●は診威奪の筏敏 と一致する.減 弔▲は2・3。4・5賜が掃療鳳
【表一5】現 存 三 重 塔 枝 数 表 【明 治 以 前 】
三層枝致 一層 枝 数 二層枝数
L鵬 鮒 法
2塞.17 2&22儒4,70, π.56 i7.25
18̀6。5・6, 24⊂8・ ⑭ ・81
29〔9・ ⑪ ・9 15.07
21σ ・7・71 22・ ⑰ ・7,
24・ ・
題0.08
竃9{6●7●0 22{Z・ ⑪ ・D
31nO.・10, 15.98
皇8̀6●6・6⊃
22・ ① ・ 266・ ⑩ ・8}
13.76
196● ⑦ ・6, 22・ ⑪ ・
23。 ・ ・
亀↓50
2016・O・5D 2618・ ⑭ ・8》
32̀監0.⑫ 。且OD 1↓02
22σ ・8・7D 25儒 ・ ・8⊃
29{・ ・
隠.86
2随 ・⑭ ・9 23・
32qO・ ⑫ ・10, 16.06
23・
26【8・98}
34̀10● ⑭ 。10, 16.80
31nO。 ・101 測 ・⑫ ・
2618・ ⑫ ・81 ll.30
20̀6・8・6, 24・ ⑭ ・
26¢8・ ・8}
ll.93
20{6・ ・61 23・
26̀8・ ⑭ ・6, lZ56
2416・ ⑧ ・8》
28Q・ ⑭ ・9 32UO・ ⑫ ・量Ol
1鼠04
21璽7・7・ η 25侶 ●9●8①
30̀10・10●IO, 15.05
247・ ⑰ ・η 276・ ・8①
32nO● ⑫ ・10, 13.28
20̀6・ ・6}
26儒 ・ ・61 321109・10}
量↓97
206・ ② ・6}
2618・ ⑩ ●8, 32qO.⑫ ・量0,
lzoo
20哩5●8・6, 26{8・lO・8,
32UO・12.10, 置2,00
246・ ⑧ ・8, 2809・ ⑪ 。9,
32m・ ⑫ ・101 12、43
22 ・⑪ ・ 26⊂8・ ・6,
ll.27 30・
2」68・ ⑧ ・6}
280・ ⑩ ・帥 32UO・ ⑫ ・10D
1底88
2518・ ・8①
28・ ・
32̀10● ⑫ ・10⊃
12.83
2518・ ・6ゆ 28・o・
32̀10● ・量OD 1蕊15
2尋̀8・o・6}
28・ ⑰ ・ 32m・ ⑪ ・101
1乳96
26̀8。 ⑭ 。8, 30・ ⑫ ・
34̀10・ ⑪ ・10}
1&65
2016・ ⑰ 。6, 2666・ ・81
32̀10・ ・10, 12.90
22σ ・③ ●7, 26CB・0・8,
32̀10・ ⑫ ●肛0⊃
12.61
25{8・ 。6}
28・ ⑰ ・9 32̀!0。 ・10,
15.o鰯
2518・ ・8}
28・0・ 勃
32110・ ⑫ ・IO⊃
lZ83
26⊂8●0●83 凶 偲 ・ 。9⊃
32く10・ ⑫ ・ 且0, 10.{0
2518・ ・8, 28・0・
32110・ ⑫ ・1ω 12.42
制 儒 ・⑭ ・61 28・ ⑬ ・
32̀10.・ 且0, 15.35
踊18・ ・81 27に 。 。8》
30・ ⑫ ・9 15.11
̀22σ ・⑪ ・7}, 260B・ ⑪ ・6,
30・ ・
9.oo
24̀7。o●7, 26侶 。12・8,
30〔8・ 。8① 10.29
24〔6。8。6, 28・o・
32m・ ⑫ ・10, 15.07
2016・ ・51
23・ ・
26̀8。 ⑭ ●幻 1↓52
221τ ●8.7}
26儒 ●⑱ 。8, 32α0● ⑫ ●10⊃
鳳oo
24̀8●o・6, 28・o・
32⊂10・ ⑫ ●10D 12.72
22 ・⑪ ・ 26̀8● ・8,
30・ ⑫ ・ 肱00
2016・ ・o 23・
肪18・ ・8, 1↓12
2015・ ・61 23・
26{8・ ① ・8, 題5.03
20̀6・ 。61
231・ ・
26̀8・ ⑭ ●9 17.16
20{5・ 。61
23。 ・
26̀8。 ⑬ ・8, 題5.03
123̀7●9・79, 健66.童0・6,9
{50̀10●30・10,}
9.67
23 27̀8・ ●8, 30・ ⑫ ・
14.50
22σ ・8● η 25{8。9●8,
箆̀9● 且0.9⊃
15.99
25【6●9・8, 28⑲ ・10●9,
32⊂10・ 星2・10}
15.36
2317σ9・ η 2618●10●6,
四 ⊂9● 量1.9D 12.79
20̀6●8● 励 26侶 ・10・6,
32{10●12●10D 置6.oo
26{8・10●8じ 26儒 ●12・6,
30{9・12●9D 15.07
20̀6・8・6, 26劇B●10・ ε,
32̀10・12・ 置OD 亀↓66
20【5・8。6, 26儒.10・8,
32α0● 且2.!O, ll.09
25̀8・10・8, 2go・11・9,
32110● 星2。IO, 1&05
25̀8・10・8, 28̀8● 艮2●8,
30臼9● 塞2●91 9.00
22{7●8●7, 25̀6・9●6}
28〔8・12・8}
15.09
22{Z・ ⑧ ・"
2518。 ⑨ ・6, 認 【8・⑫ ・8}
1↓ 日
206・6・6, 25⊂6・10・ 幻
32̀10●12。!0, 10.24
26̀6,10曾8, 2go・1巳 ●9D
32̀10●12・:0,
!3.τ8
2616・ ⑬ ・8⊃
3川0・ ⑫ ・10D 36q2・ ⑭ ・12,
1&05
23{7。9●7, 28α9・10●9D
32̀10.!2・109 12,48
22σ ・8・7}
26{6・:0●8}
32qOO12。10, 13.羽
24̀8。8●8⊃
289・:0.9}
32̀且0。13・10, 1↓40
23̀7●9●7⊃
26⊂8。 量0●8, 29̀9・ 且1・9,
ll.38
28{9・ 量0・9》
34̀1!・12巳 竃1,
」0112●16・12, 12.40
23.5̀7.5●8b5●7.5, 28⑲ ●10●9,
32̀10。12・ 置0, 13.羽
26{8・ 且O●ε, 32̀豊0・12●11,
35{:1。13● 且帥 Il6.70
22σ ・8・7⊃
28凹.10●9}
32̀10・12・10, 15.36
25lS● 且0・S, 300・12●9⊃
34UO●1¶ 量・10, 10.8S
26̀8●10。6, 29凶 ・1量 ・9}
32̀置0・12・10, 10.86
2518●:0・8, 2go● 亘1・9,
32⊂10.12・10D ξ6.32
206。8.6, 26̀8● 且0・8,
32⊂10.12●10}
lZ63
2015。8●6}
2.亀̀7・ 且0。7,, 26儒 ・且2.8⊃
14。29
20⊂6●6・6}
26儒 ●匿0。8, 32nO●12・IO,
14.08
2016●6●5, 26̀8・IO・8,
32{:OgI2。10}
17.60
26̀8・10。8, 29顧9・11・9,
321lo・12・Io⊃
15.90
20{6●8●6, 26̀8・10・6,
32̀量0・12・10⊃
1↓53
2618・10・8, 29̀9。 且1●9}
32̀豊O.12。 置O, 15.20
20{5●8・6》
26̀8。10●8, 32̀且0。12010,
1乳77
38̀12・1.1・12⊃
41⊂13。15・13, 尋8q4・16。14,
2z27
2317・9・7}
2317・9●7, 26{8●10.6,
:5.94
2317.5.8.7.5⊃
2809● 聖009D 33̀10●13・10,
:2.85
20̀6●8・6}
23σ ●9。 η 26〔8● 且0●8,
監6.25
266・Io●8}
29凹 ●Il・9}
32ClOD累2・10, 盤 霊、
25,65
塾2.轟 創1=盆̀r}番̲』 臨も 畠 しb3豊訓 1ま1匡自自皇n♪ た る̲ ●
優婁3̀706, 豪艮 1 法起寺
叉平2σ3ω 奈良 縄師寺東塔
楽良 当廓寺百塔 楽良
豪良 兵庫 甲安紛潮 承安元m7n 当騨寺粟塔
4 一 乗尊
治承2m78,移 す 京8 6 浄瑠璃尋
奈良 娼井 寮良 竃倉紛朔 文*7U270,
鎌倉前湖 輿樋寺
7 8 明通寺
百涛寺
岡山 潅賀 弘安6{1285,
織倉後朔 憂福尋
01
1 西明寺
鐵倉後鯛 愛擾 石手尋
長野 奈良 正慶2{1333⊃
文翻511356, 大櫨寺
31
霊山寺
4ー
口山 兵慮 灘賀 京5 広島 永釦2{1376, 至琶2{136励 応 」9こ7{1400,
寛町 応 ∫k23{回㈲
」枇事元{閥291 宝福寺
5 如鴛寺
6ー
常運専
7腫
●域尋
8聖9ー
20 酉目寺
広魯 愛知 岡 山 jk】6【4{1432, 嘉 吉元n441, 嘉 盲元{隅41}
2 向上尋 2福 生寺 2
大穐山 23
京8 8盲2̀襯 勘 4 岩船寺
文笠 〜応仁 属直 享徳3̀置454}
5 石峰寺 捻見尋 26
神奈川 峻阜 室町 寛正4U463, 27田 鰹明 寺
28断 長谷 寺
寛正6̀146励 茨機 29 小山尋
員庫 口 山 楽良 長野 長野 文 正元n466,
室町 明応6U497}
蜜町 永 正1且{15149 30八 幡鉾 社
真光 寺31 爾濫羅寺 3
33 国分尊 前山尋
永 正12̀1515, 長野 35覇 悔三社神社
兵摩 大*5{152励 36名 草神 社
京5 37 室町
愛知 樋ホ 貞曜 事糠4̀153n 天 文20̀置551}
*糠8U5651 38 三明寺
西明専 39
竃嶋奪 40
峡阜 京塵
愛知 京6 京5 石川 闘 山 口 山 闘山 調山 兵鷹 埼玉 畏野 圏山 京8 茨城 千葉 秋田 長野 厨木 長野 栃*
暫象山 剛山 塞町 慶長2̀1597⊃
眺山 麗 長16U611}
元旬51量619, 寛潅411527》
寛旗9{1523}
冤 永10頃 寛 潅!9̀旧2}
寛 永19̀16421 承 応元{1652}
魑宝2̀1674⊃敵修 雁宝6̀15781 貞 享元n664}
貞事5{量688, 元襟6U693}
元 襟重1{1696}
元 橡14{170n 元 襟1駅 置703}
宝 承元{57041 正蟹2{重7田 宝永4{17071 宝永8q7m i1三徳3{17乳3D 冤 遷2α749隣頃
寛 矯il̀1751, 宝 層13n763}
明掬211765, 臼盲捧社
畏の尊 42 43 宝積尋 網 曲山寺
乙宝導 45 46 茜 目尋
7 摺水尋 金賎光明尊 48
廓谷寺 4
50 真揮院 5 率山寺
隠館働神祉 52
西大導 53
4 貝願寺 太山寺 55
百椙奪 56 57 高山尋
曹諏寺 58
三宣戸尋 59
60 蔓王薩 篇顧寺
置6
62日 吉八幡 神社 3着 一王子 神祉 翰王寺 64 65 寓楽尋
高o寺 66
辺餓等 67
千光寺
●
o
●●O
鰯山 山形 長野 安』ヒ3̀1774, 安永9II78ω 天明7̀1787, 寛醸7m95}
文化5̀1808, 高澱寺
69 朗 寺 70
金山寺
ー7
安久惨八幅神社 72
光前奪 7
岡山 兵慮 剛山 文化51璽806, 文 化12n81励 文 化阻2U8且5り 成就尋
74
柏原八幅神社 75
簾慶寺 76
岐皐 爾山 岡山 山形 属竃 千葉 圏 山 京部 大分 島敏 文疏 訓182ω 文歌3α8201 文 敬m11827》
文 敗!ll182勧 文 歌13U830}
ヲξ服7̀1836, 天保7̀1836, 天係7{1836, 天 俣 重4{18」巳3》
安 歌5〔185⑳ 安 敵5{1859, 慶応 元n865}
国分寺 77
五竜尊滝院 78
鶴林寺 τ9 80 慈愚寺
予光寺
18
職晋鍛専 82
8 貫糧o 薦水守 84
翼正 楽寺
●原寺 86
濃水尋 87
五智国分寺 88
盗11■ は 禅癌機 を.△ は 和爆 を.Oは その 他 を意 脈 する.住2,各 層伎 数中 央閉 で のOは 中鮒 の有 を意 喋す る.̲
注 心 ●は妙 戚 導の観.三.五 層 と一致.Oは 妙成 寺の 切.二 。三 層 と一致.
●
●●●
●
●OOO●●●O●O●
o
一:艘 園2入 寸陪
{,:国 上寸怯の檀敷凝紀 柱閥内寸筐:喰 図計口値
{,は 蕨敵褒2 台鱈 上⊂ 吋 該:喰 国計測億 岐榎舎計
1
【図 一4】 絵 図分 析 図 が 多 いた め 、一 層 お き に枝 数 が 奇 数 とな る こ とが 上 げ られ
る。脇 間で は初 層 に多 い の は 、(11・12・11)枝 と い うよ う な 、中央 間 よ り一 枝 落 ち の もの が 多 く存 在 す るた め で あ り、
最 も人 目 につ く、初 層 中央 間 に真 納 り を避 け た た め で あ る と考 え られ る。三 重 塔 で な る もの は、 中 央 間 で は 、初 層4 棟 、二 層7棟 、三 層10棟 とな り、脇 間 で は 、初 層10棟 、 二 層23棟 、 三 層13棟 と、 中 央 間 に比 べ 脇 問 に多 い事 が 分 か る。 理 由 と して は 、 五 重 塔 の 初 層 と 同様 の 事 が い え 、 中央 問 で は 、真 納 り とな る事 を避 け た の で あ ろ う。三 重 塔 は 五 重 塔 よ り も極 め て 遺構 数 が 多 い が 、全体 と して 、真 納 り とな る割 合 は 五 重塔 よ りも遥 か に少 な い事 が 分 か る。こ れ は 初 層 の枝 数 が 偶 数 に な る も のが 多 く 、ま た 各 層 ご とに 6枝 落 ち 、 つ ま り枝 数 が 偶 数 ず つ 減 ず る か ら とみ られ る.
2.4妙 成 寺 五 重 塔 絵 図 の 考 察
金 沢市 立 玉 川 図書 館 に は 『瀧 谷 妙成 寺五 重 塔 五 拾 分一 絵 図 』【参 考絵 図 】。な る絵 図 が 所 蔵 され て い る 。絵 図 に は初 層 で は 、左 隅 と左 中柱 上 、二 層 で は 左 中 柱 上 、三 層 で は左 隅 に組 物 が 記 され て い る。また 、二 層 上 部 〜 四層 にか けて 内 部 の構 造 が 朱 で 記 され て いた 。これ まで 、当絵 図 の年 代 そ の 内 容 、詳細 な ど は検 討 され た こ とは な い。本 節 で は 当 図 の 分 析 を行 い 、この 図 の性 格 につ いて も憶 測 の 域 はで な いが 考 察 す る。
絵 図 を当 該 縮 尺 で 実 測 した 値 を実 寸 に 直 す と、各 柱 間 に 記 入 され て い る寸 法 と合 致 す る 。 初 層 で は 、 脇 間5.1尺 、 中 央 間6尺 、脇 間5尺 とな り、初 層 の 現 構 の 実 測 値 は5・
6・5尺 で あ るの で 、 脇 間 で の0.1尺 の 誤差 が 生 じる.0.1 尺 の 誤 差 は 、1!50の 絵 図 上 で は0.6mmで あ り、作 図 上 の 誤 差 と考 え られ る 。 二 層 目 で は 現 在 の 五 重 塔 の 寸 法 が 4.5・5.5・4.5尺 で あ り、 極 め て よ く一 致 す る 。 三 層 目で の現 構 寸 法 は 、4・5・4尺 とな り、 脇 間 で そ れ ぞ れ0.1、
0.15尺 の 誤 差 が で るが 、 これ も一 層 と 同様 、 作 図 上 の 誤 差 と して よ い で あ ろ う。四 層 目で は 、現 構 寸 法 が3.5・4.5・
3.5尺 とな り、 脇 間 で0.1尺 、 中 央 問 で0.2尺 の 誤差 が 生 じる が 、柱 間総 長 で は一 致 し、両 脇 間 の0.1尺 を 中 央 間 に 加 え る と 、3.5・4.5・3.5尺 とな りす べ てが うま く一致 す る の で 、総 長 を先 に と り、割 っ た と考 え る と作 図上 で の 誤 差 とみ られ る。五 層 目にお いて も現 構 寸 法 と の 間 に誤 差 が 生 じるが 、これ も総 長 を 先 に と り、割 っ た時 に 生 じた 誤差
と考 え て よか ろ う。
次 に指 図 の高 さ 関係 につ いて 検 討 す る と、【図 一5】の よ うな 結 果 を 得 た 。(A)は 、井 桁 土 台 下 端 か ら丸 桁 下 端 と、
初 層 柱 間 総 長 が16尺 で 計 画 され 、(B)は 五 層 柱 間 総 長 外 法 と、 丸 桁 下 端 か ら伏 鉢 下 端 ま で が11尺 で あ る こ と を示 す 。また 、現 構 五 重 塔 実 測 調 査 で 得 る こ との で きな か った 丸 桁 間 と、丸 桁 か らの 主 要 寸 法 が 指 図 か ら得 られ た.各 層 丸 桁 間 は 、14尺 で 計 画 が され て お り、 丸 桁 下 端 か ら台 輪 上端 まで は 各 層10尺 、そ の 間 に位 置 す る、 丸 桁 下 端 か ら 縁 板 下 端 は6尺 、縁 板 下 端 か ら台 輪 上 端 は4尺 で あ り、
【写 真 一4】 那 谷 寺 三 重 塔 初 層
の で 、初 層 か ら五 層 まで の逓 減 は20枝 とな る。 この よ う に規 則 的 な 計 画 が 明 らか とな り、現 構 の 一枝 寸 法0.50尺 を用 いて 枝 数 表 記 す る た め に仮 定 した 寸 法 で 計 画 され た 事 が 考 え られ る 。 な お 、 記 載 され た 値 に つ いて の 計 画 の 意 図 は 明 らか で は な い。
ま た 、 各 層 に お い て の枝 数 の 関 係 をみ る と、 初 層 で は 脇 問 が 中央 間 よ り も11枝 落 ち 、二 層 目で は 、6枝 、 三 層 目で は3枝 、四層 目で は2枝 、五 層 で ま た 、3枝 落 ち る。
こ こで 注 目す べ き 点 は 、 初 層 の枝 数 で 、 中央 問 が 脇 間 の 枝 数 の2.1倍 にな って い る。 この よ う に、 中央 間 が脇 問 に 比 べ非 常 に大 きな 値 を と る遺 構 に 、 同 じ石 川 県 小 松 市 の 那 谷 寺 三 重 塔(寛 永19・1643)が あ る 【写 真 一4】。 那 谷 寺 で は 初 層 の 枝 数 が(10・30・10)枝 、二 層(8・10・8)、
三 層(7・9・7)と な り(那谷 寺 は扇 垂 木 で あ るた め 、平 行 部 分 の 枝 割 で 計 算 して 各 層 の 枝 数 を算 出)、初 層 で は この絵 図 よ り も更 に脇 間 に 比 べ 中央 問 が 大 きな 値 を と り、二 、 三 層 の 枝 数 は妙 成 寺 の 現 在 の三 、 四 層 と一 致 す る。 そ う す る と、 これ は那 谷 寺 の 設 計 の 際 に まず 、 五 重 塔 で 計 画
し、 そ の 後 初 層 に は仏 が 入 るた め 、 中央 間 は 計 画 よ り も 大 き く し、 脇 間 の み 妙 成 寺 の 枝 数 を 用 い 、 さ らに 二 、 三 層 で は妙 成 寺 の 四 、 五 層 の枝 数 をそ の ま ま取 り入 れ た 可 能 性 が 示 唆 さ れ る 。 妙 成 寺 を 建 て た 、 坂 上 越 後 守 嘉 紹 の 一 門 で あ る 、山上善衛門嘉廣が 建てた事 と推定 されて い る こと と も符 号 す る。
以 上 よ り当指 図か らは 、実測 値 を 実 寸 に戻 す 事 に よ り、
現 状 の五 重塔 と一 致 す る 事 が 明 らか にな った 。 更 に 現 状 実 測 調 査 で得 る こ と の で き な か った 、 各 層 丸 桁 間 の 寸 法 を得 る事 が で き 、 そ の 結 果 高 さ 関 係 につ いて は丸 桁 を 中 心 と した 計 画 で あ る可 能 性 が 強 ま っ た 。 記 載 寸 法 は 、規 組 物 積 上 高 は4尺 で 計 画 され て い る こ とが 確 認 さ れ る。こ
れ らの こ とか ら、この 図 か らは 丸 桁 間 を基本 とす る 計画 の 存 在 が わ か る。
次 に ア ン ダ ー ライ ン を 引 いた 数 値 は 絵 図上 の 各 層 柱 問 に 記 入 され て いた 数 値 を示 す も ので あ るが 、初 層 に は数 値 は 記 入 され て いな か った 。 二 層 目 には4.7・7.5・4.7尺 と 記 さ れ 、現 五 重 塔 とは あ わ ず 、三 、五 層 目 もまた 現 構 数 値 と は 一 致 せ ず 、四 層 目 のみ 値 が 近似 す る。 こ こで現 在 の五 重 塔 の 一 枝 寸 法0.50尺 を 用 い て枝 数 表 記 にな お す 為 に、
二 層 目両 脇 間 の4.7尺 は4.5尺 、四 層 目 に記 され て い る3.7 尺 も ま た3.5尺 と仮 定 す る と ア ン ダー ライ ンの()内 の 数 と な る 。二 眉 目 よ り33枝 、27枝 、23枝 、21枝 とな る。
ま た五 層 目か ら順 に下 る と、2の 倍 数 ず つ 各 層 の 枝 数 が 増 加 して い る こ とが わ か る。この 計画 を基 に初 層 の 枝 数 を推 測 した も の が 、 初 層 の ア ンダ ー ライ ン を引 い た21枝 で あ る。 そ うす る と、 初 層8枝 、6枝 、4枝 、2枝 逓 減 す る
A
【図 一5】 絵 図 実 測 寸 法 図
た め 、現 時 点 で の 判 断 は で き な い.な お,明 王 院 五 重 塔(貞 和4・1且48)も 初 層 柱 間 給 長 が14,39
と小 さレ㌔
図 面 や 表 に つ い て は 、 各 種 毎 理 工 事 報 告 書 を 参 照 した.
【参 考 文 献 】
1)監 修 小葉 田 淳 ・内 藤 昌 著 者 河 田 克 博 近 世 建 築 書 ロ堂 宮 雛 形2建 仁 寺 流 大 竜 堂 書 店,1988
の 各 種 国宝 ・重 要 文 化 財 修 理 報 告 書
【参 考 絵 図 】
『薦 谷 妙 成 寺 五 重 塔 五 拾分 一詮 図 』 則 的 な 計画 で お り、初 層柱 問 が 垣 萄 て 大 き く、妙 成 寺 の三 、
四 層 の枝 数 を と る那 谷 寺 の 設計 の 際 に.五 重塔 の計 画 か ら 三 重 塔 が 導 き出 され た こ とが 推 測 で き る。
3,結 語
本 稿 で は 近 世 五 重塔 で あ る.妙 成 寺 を中 心 と して.そ の 構 法 の 特 質 と 計 画 を 明 占か にす る 事 に よ り.建 仁 寺 洗 の墓 本 とな る 計画 に存 在 に つ い て 検 討 した。妙 成 寺 の 特 質 と し て は 組 物 と 琵 琶 板 を 一 体 化 して 一・種 の 校 倉 の 壁 と して い る こ とを 指摘 し、初 層 繧 長 寸 浩 を15.OO尺 とす る の が 近 世 五 重 塔 に集 中す 看 に は 、建 仁 寺 流 大 工 が 深 く関 与 した可 能 性 が 考 え られ.モ の特 色 と して 各 屠{各柱 問 を1枝)ご と に 5枝 藩 ち とな る こ とを 指 摘 した.
基 本 計 画 に お いて は 、初 層 の枝 数(10・1皿 ・10)枝 を、
三 重 塔 で は最 も早 く に 長 福 寺(弘 安 呂・1躯5}が 取 り入 れ, 中 世 以 降 、三 重 塔 で 一 般 化 さ れ る 値 とな る こ と を指 摘 した 。 五 重 塔 で は鑑 島 神 社(応 永14・1407)が 早 く.五 重 塔 で は 三 重塔 か ら遅 れ て この 枝 数 を取 り入 れ.普 及 す るよ う にな っ た と考 え られ る.さ ら に三 重 堪 で は.二 君{呂一10・ 日), 三 層(6・ 呂・窃 の枝 割 が 一一舷 化 され た値 で あ る こ と 壱硅 認
した が 、これ らの 値 は 妙 成 寺 五 重 塔 の 初 、三,五 眉 の もの と一致 す 着 こ と を指 摘 した.モ の 結 果 、姓 成 寺 は 三 重 塔 で 中 世以 降 一 艘 化 した 各 層枝 数 を基 に.初 ・二 層 問,二 ・三 層 間 に二 ・四 層 を いれ て 、五 重 塔 と した と考 え られ る 。法 起 寺で は先 例 の 怯 隆 寺 五重 塔 の 初 、三,五 層 を用 い て 計 画 され た ことが 知 られ て いるが,近 世 の 抄 成 寺 で は,逆 の こ とが 行 わ れ て い る。
また 、建仁 寺流 の給 図 に お い て も初 層 の 枝 数 が(10・12・
1ので 統 一 され て い る箏 か ら,建 仁 寺 流 は モ の枝 数 を踏 襲 した と考 え られ る,
本 来 、基 本 計 画 を検 討 す る に は 、平面 のみ を 主体 とす る の轟 で は な く、高 さ閑 係 の検 討 も 必 要 で あ る.妙 成 寺 絵 図 の分 析 で は そ う した 資 料 もえ られ た が 、遺 構 と の対 応 が 慾 要 で 茜 る 。しか し、モ の 部 位 の実 測 は現 在 の と こ ろ不 可 能 で あ る.そ の他 の 実 測 は 行 い.そ の検 討 も した が.こ の 点 にコ い て は他 日 を期 した い 。
{註 記 】
註 上 墳 島 正 士r日 本 仏 塔 藁 成 』 中 央 公 論 美 術 出 胆, 2⑪Ol.のP且O昼 資 料 ・表1・4一 且 毒 照
註2寸 怯 、枝 割 等 は 妙 成 寺 は 実 測 調 査か ら.明 通 寺 、 西 明 寺(栃 木)は 報 告 書 図 面 か ら引 用 したが 、そ の 他 つ いて は 『日本 仏 塔 集 成 』 壱参 考 と した.
註a各 層 柱 間 枝 割 と逓 械 は妙 成 寺 と同 樺 で あ 看が.初 眉 柱 間 槍 長 は15.05尺 で 工暉.OO尺 よ りも小 さ く、
か つ 構 造 につ いて は 資 科 を欠 き.調 査 も不 可 能 な