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禅研究所紀要 第31号 008伊藤秀憲「『正法眼蔵聞書抄』口語訳の試み-行持一-」

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Academic year: 2021

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(1)

『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤)

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は じ め に 「『 正 法 眼 蔵 抄』 口 語 訳の 試み 」 或いは 「『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み 」 として、 七 十 五 巻 本『 正 法 眼 蔵』 第 一 「 現 成 公 案」 、 第 二「 摩 訶 般 若 波 羅 蜜」 、 第 三「 仏 性」 、 第 十 一「 坐 禅 儀」 、 第 十 二「 坐 禅 箴」 、 第 三 十 一「 諸 悪 莫 作」 、 第 六 十 三「 発 菩 提 心」 、 第 六 十 七「 転 法 輪」 の 巻の 『 聞 書 抄』 の 口 語 訳を 発 表して きた (『 駒 沢 大 学 仏 教 学 部 論 集』 第 一 三~ 二 五・ 二 七 号、 駒 沢 大 学 仏 教 学 部 研 究 紀 要』 第 四 一・ 四 三~ 四 五・ 四 九・ 五 一~ 五 三 号) 今 回、 第 十 六「 行 持」 の 巻を 取り 上げたの は 、 本 学 文 学 部 宗 教 学 科の 開 講 科 目「 禅 学 特 講」 で、 講 読している 巻だ から である。 次に 凡 例を 示すが 、 こ の 凡 例は、 本 稿のみに 限るのでは なく、 今 後 発 表する であろ う 口 語 訳に 共 通するもの である 。 凡 例 一、 正 法 眼 蔵』 の 本 文は、 大 久 保 道 舟 編『 道 元 禅 師 全 集』 上 巻(『 道 元 全』 上と 略 称する ) 所 収のものに よ る 。 一、 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 は 泉 福 寺 本( 大 分 県 泉 福 寺 所 蔵) を 収 めた 『 永 平 正 法 眼 蔵 蒐 書 大 成』 (『 正 法 蒐』 と 略 称する ) 一 一~ 一 四による。 但し、 必 要に 応じて 、 永 平 寺 本( 一 六 九 七 年、 眉 山 道 庸 書 写、 福 井 県 永 平 寺 所 蔵) 森 福 寺 本 一 七 五〇~ 五 一 頃、 祖 天 哲 宗 所 持 本、 鳥 取 県 森 福 寺 所 蔵、 正 法 蒐』

(2)

『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 続 輯 一〇 所 収) 総 持 寺 本( 一 七 五 一 年、 智 外 鉄 忍 書 写、 神 奈 川 県 総 持 寺 所 蔵) 万 福 寺 本( 一 七 五 九 年、 万 仭 道 坦 撰 集・ 謄 写、 愛 知 県 万 福 寺 所 蔵、 正 法 蒐』 二 二 所 収) ・ 玉 林 寺 本( 一 七 七 九 年、 笑 巌 聯 芳 書 写、 駒 沢 大 学 図 書 館 所 蔵) 寛 政 五 年 書 写 本( 一 七 九 三 年、 駒 沢 大 学 図 書 館 所 蔵) を 参 照するこ と と し、 本 文 全 体の 校 訂は 行わない 。『 正 法 蒐』 から の 引 用 箇 所を 示す 場 合には 、 一 頁に 一 丁 収 載され て い る 時は 右 をa、 左をbとし、 二 丁の 時は 上 段の 右 左をab、 下 段 の 左 右をcdと 表 記して、 頁 数は 単 位 語を 省 略した。こ れは 他の 影 印 本に つ いても 同じで あ る 。 一、 正 法 眼 蔵 抄』 の 段 落によ っ て 『 正 法 眼 蔵』 の 本 文を 掲 げ、その 後に、 上 段に 『 抄』 の 原 文を 載せ、 下 段にその 口 語 訳を 試みた。 一、 正 法 眼 蔵』 の 本 文 中に 引 用され る 文 献の 出 典につ い て は、 特にその 都 度 注 記しない が 、『 渉 典 録』『 渉 典 録 続 貂』 並びに 鏡 島 元 隆『 道 元 禅 師と 引 用 経 典・ 語 録の 研 究』 ( 木 耳 社、 一 九 六 五 年 十 月) 鏡 島 元 隆 監 修・ 曹 洞 宗 宗 学 研 究 所 編『 道 元 禅 師 引 用 語 録の 研 究』 春 秋 社、 一 九 九 五 年 三 月) 等の 成 果を 利 用させていただいた。 『 正 法 眼 蔵』 の 本 文 一、 聞 書 抄』 と 明らかに 異なる 場 合のみ 注 記し 改めた。 な お、を -お、ゑ -え、ん -む 等の 表 記の 違いは 特に 注 記 しなかった。 一、 原 則として、 漢 字は 新 字 体を 用いることとし、 旧 字 体 は 改めた。 一、 道 元 全』 上 所 収の 『 正 法 眼 蔵』 の 本 文の 漢 字に 付いて いるふり 仮 名は、 削 除したり 改めたりした 場 合もある。 また、 新たに 付け 加えたものもある。 同 様に、 漢 文の 読 み 方も、 訳 者の 考えで 改めた 場 合もある。 『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 の 原 文( 上 段) 一、 聞 書』 は 『 聞 書 抄』 の 収 載 順 通り 『 抄』 の 後とする。 一、() 内には 、『 正 法 蒐』 の 所 収 頁を 各 末 尾に 付した。 一、 原 則とし て 、 漢 字は 新 字 体を 用い、 異 体 字・ 略 体 字・ 古 用 仮 名 文 字は 本 来の 字に 改めた。 一、 振り 仮 名・ 送り 仮 名・ 行 間の 書き 込み ・ 傍 記・ 欄 外の 注 記 等は、 可 能な 限り 活 字 化した。 訂 正 字は 訂 正したも のを 活 字 化し、 抹 消 字は 活 字 化しなかった。 一、 原 本には ないが 、 句 点を 付けた。

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤)

上 第 一 段( 1 ) 仏 祖の 大 道、かならず 無 上の 行 持あり、 道 環して 断 絶せず。 発 心・ 修 行・ 菩 提・ 涅 槃、しばらくの 間 隙あらず、 かん げ き 行 持 道 環なり ( 1 ) 。 此 行 持ノ 行ノ 字、 教 行 証ノ 行ニアラ ス 、 証ヲ 不 待ユヘ ニ 、 所 詮 以㍼ 仏 祖㍽ 名㍼ 行 持㍽ 也、 道 環トハ 始 中 終ニカ ヽ ハ ラサ ル 儀ナ リ、 発 心 修 行 菩 提 涅 槃ト 談スル 事、 モ 間 隔ナキ 道 理ナリ、 ( 三a ) この 「 行 持」 の 行の 字は、 「 教 行 証」 仏の 教えに よっ て 修 行し 証るこ と ) の 行では ない。 証を 待たない 〔 行である 〕 から。 結 局「 仏 祖」 を 「 行 持」 と 名 付けるの で さと り ある。 「 道 環」 仏 祖の 大 道は 円い 輪のよ うなも の ) というの は、 始め、 中 間、 終わり ということにかかわ ら ない 〔 無 始 無 終である 〕 ことで あ る。 「 発 心・ 修 行・ 菩 提・ 涅 槃」 と 説くこと、 〔 これ らが 〕 すこしの 間も 間 隔がな い 道 理〔 が 行 持 道 環〕 である 。 へだた り 一、 原 本には 一 部 分 付いている が、 新たに 返り 点を 付けた。 口 語 訳( 下 段) 一、 正 法 眼 蔵』 の 本 文の 引 用、 及び 必 要に 応じて 注 意すべ き 語には 「」 を 付けた。 一、 漢 文の 書き 下しは 、『 聞 書 抄』 の 読み 方とは 必ずしも 一 致しない。 一、〔〕 内には 、 原 文には ないが 、 補った 方が 理 解に 便と 考えた 場 合、 文や 語 句を 補った。 一、() 内には 、 書き 下し 文、 原 文 或いは 語 句の 意 味 等を 必 要に 応じて 記した。 一、〈〉 は、 割 注・ 頭 注 等の 部 分である こ と を 示す。 一、 抄』 と 『 聞 書』 とでは 、 段 落の 区 切りが 一 致しない 場 合もあるので、 『 抄』 の 段 落によ り、 相 当する 『 聞 書』 の 口 語 訳の 右に 〈 第○ 段〉 というように 記した。

(4)

『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 第 一 段( 2 ) このゆゑに、みづからの 強 為にあらず、 他の 強 為にあ らず、 不 曾 染 汚の 行 持なり。 ごう い ふ ぞう ぜ ん な 実 此 行 持ノ 道 理、 自 他ノ 強 為アル ヘ カ ラ ス、 不 曾 染 汚ノ 行 持ナルヘ シ 、 第 一 段( 3 ) この 行 持の 功 徳、われを 保 任し、 他を 保 任す。その 宗 旨は、わ が 行 持すな はち 十 方の 地 漫 天、みなその 功 徳 そう ち まん てん をかうむる。 他もしらず、われもしらずといへども 、 し かあるなり。 此 我ハ 行 持ノ 我ナリ、 第 一 段( 4 ) このゆゑに、 諸 仏 諸 祖の 行 持によ りて、 わ れ ら が 行 持 見 成し、 われ らが 大 道 通 達するなり 。 わ れら が 行 持によ げんじょ う つう だつ りて、 諸 仏の 行 持 見 成し、 諸 仏の 大 道 通 達するなり 。わ れら が 行 持によ りて、 こ の 道 環の 功 徳あり。 是ハ 諸 仏 諸 祖ト 云モ、 我 等ト 云モ、 只 同 体ナルユ ヘ ニ 、 ( 三b ) 如㍾ 此 打チカ ヘテ 実にこ の 「 行 持」 の 道 理〔 にお い て 〕 は、 「 みづか ら 〔 の 強 為〕」 ( 自ら 無 理につ とめ る こ と ) 「 他の 強 為」 他より 無 理につと め させら れ るこ と ) がある は ずがな い 。「 不 曾 染 汚の 行 持」 ( かつ て 染 汚したこ と のな い 行 持) であ ろ う 。 この 「 われ 」 は 「 行 持」〔 しているところ 〕 の 「 われ 」 である 。 これ は 「 諸 仏 諸 祖」 と 言うのも 、「 われ ら 」 と 言うのも 、 全く 同 体である か ら 、 このように 引っ 繰り 返して 釈かれ るので あ る。 「 諸 仏 諸 祖〔 の 行 持〕」 と 「 われ ら と

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 被㍾ 釈ナリ、 諸 仏 諸 祖 我 等 行 持 只 一 体、 ト リハ ナタ ル マ シ キ 道 理カ、 如㍾ 此 入チカ ヘ テ 云ハルヽ ナ リ 、 第 一 段( 5 ) これ によ りて、 仏 仏 祖 祖、 仏 住し、 仏 非し、 仏 心し、 仏 成して、 断 絶せざるなり。 ぶ っ ぴ 是ハ 行 持ノウ ヘノ 仏㎏ 祖㎏ 、 仏 住 仏 非 仏 心 仏 成 等ノ 道 理、 断 絶セス ト 云 也、 第 一 段( 6 ) この 行 持によ りて 日 月 星 辰あり、 行 持によ りて 大 地 虚 空あり、 行 持によ りて 依 正 身 心あり、 行 持によ りて 四 大 にちげつせ い しん えしょ う し ん じん 五 蘊あり。うん 日 月 星 辰ヲ 行 持ト 談ス、 大 地 虚 空 行 持 也、 ( 四a ) 乃 至 依 正 身 心、 四 大 五 蘊 等、 皆 是 行 持 也ト 云ナリ 、 第 一 段( 7 ) 行 持これ 世 人の 愛 処にあ ら ざ れど も、 諸 人の 実 帰なる べし 。 過 去・ 現 在・ 未 来の 諸 仏の 行 持によりて 、 過 去・ が 行 持」 とは 全く 一 体で、 別にす ることが 出 来ない 道 理が、この ように 入れ 違え て 言われ るので あ る 。 これ は 、 行 持の 上の 「 仏 仏 祖 祖」 が 「 仏 住し、 仏 非し、 仏 心し、 仏 成」 ( 仏とし てあ り 、 仏を 超え、 仏の 心をも ち 、 仏とし て 成 道) する 等の 道 理〔 であ り 、 こ れ が 〕「 断 絶せず 」 というの で あ る 。 「 日 月 星 辰」 を 「 行 持」 と 説く。 「 大 地 虚 空」 が 「 行 持」 である 。 或いは 「 依 正 ( 依 報・ 正 報) 身 心」「 四 大 五 蘊」 等が、 皆「 行 持」 である と い う の で ある 。

(6)

『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 現 在・ 未 来の 諸 仏は 現 成するなり 。 過 去ノ 行 持ナル ト キ ハ 、 全 過 去ノ 行 持ナ ルヘシ、 現 在 未 来モ 如㍾ 此、 三 世トモ ニ 行 持ナレトモ、 過 去 諸 仏ノ 行 持ノ 時ハ、 現 在 未 来ハカクル ヽ ナ リ、 是 則 行 持ノ 上ノ 三 世ナルユ ヘ ニ 、 ( 四b ) 第 一 段( 8 ) その 行 持の 功 徳、ときにかくれず。かる が ゆゑに 発 心 修 行す。その 功 徳、ときにあらはれず。かる がゆゑに 見 聞 覚 知せず。 あ らはれざれども、 かくれ ず と 参 学すべし。 穏 顕 存 没に 染 汚せられざる が ゆゑに、 われを 見 成す おん けんぞ ん も つ ぜん な げんじょ う る 行 持、いまの 当 穏に、これ いかなる 縁 起の 諸 法あり て 行 持する と 不 会なる は、 行 持の 会 取、さらに 新 条の 特 とうおん ふ え え しゅ 地にあらざるによりてなり。 此 発 心 修 行モ、 菩 提 涅 槃ヲ 果ニ 置テ 談ス ル 発 心 修 行ニハ アラス 、ユヘ ニ 穏 顕 存 没 ニモ カカハ ラ ス 、 見 聞 知 覚スル 人ナキ ナ リ、 第 一 段( 9 ) 縁 起は 行 持なり、 行 持は 縁 起せざるが ゆゑにと、 功 夫 参 学を 審 細にすべし。 「 過 去」 の 「 行 持」 である と き は 、 全て 過 去の 行 持であ ろ う 。「 現 在・ 未 来」 も このようで あ る 。 三 世ともに 行 持であ るけ れども 、「 過 去の 諸 仏」 の 行 持のと き は、 「 現 在・ 未 来」〔 の 諸 仏〕 は 〔 過 去の 諸 仏の 行 持に 〕 隠れ る ので ある。こ れは、 「 行 持」 の 上の 三 世である か ら 。 この 「 発 心・ 修 行」 も、 菩 提・ 涅 槃を 果において 説く、 〔 因としての 〕 発 心・ 修 行では ない 。 だ から、 〔 行 持の 功 徳は 〕「 隠 顕 存 没」 にも か か わ ら な い 。〔 それゆ え 〕「 見 聞 覚 知」 する 人がいな い の で ある 。

(7)

『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 縁 起ト 云ハ、 実ニモ 行 持ナル ヘシ、 縁 起 ヲ 行 持ト 談スル ユ ヘ ニ 、 如㍾ 此 云ヘハト テ、 又 行 持ヲ 縁 起ト 不㍾ 可㍾ 談 也、 第 一 段( 10) かの 行 持を 見 成する 行 持は、すな はちこ れ わ れ ら が いまの 行 持なり。 今 我 等トサ ス ハ 行 持ノ 我 也、 非㍼ 吾 我∩ ( 五a ) 第 一 段( 11) 行 持のいまは、 自 己の 本 有 元 住にあらず。 行 持のいまは、 自 己に 去 来 出 入するにあらず。いまといふ 道は、 行 ほん ぬ げ んじ ゅ う こ ら い どう 持よりさきにあるに は あ らず、 行 持 現 成する をいまと いふ 。しかあ れば すな はち 、 一 日の 行 持、こ れ 諸 仏の 種 子なり、 諸 仏の 行 持なり。この 行 持に 諸 仏 見 成せられ 、 行 持せらるるを、 行 持せざるは、 諸 仏をいとひ、 諸 仏 を 供 養せず、 行 持をいとひ、 諸 仏と 同 生 同 死せず、 同 学 同 参せざるなり。 打 任ハ 本 有 元 住ニカヽハルト 可㍾ 云 歟、 然 而 今ノ 行 持ノスカ タ 本 有 元 住ニ 不㍾ 拘、 カヽハ ラ 「 縁 起」 というのは、 実に 「 行 持」 であ ろ う 。「 縁 起」 を 「 行 持」 と 説くの であ るから。 このよう に 言うからといって、 また、 「 行 持」 を 「 縁 起」 と 説いてはなら ない ので あ る 。〔 なぜなら 、「 縁 起」 が 「 行 持」 であるから 、「 縁 起」 の 他に 「 行 持」 はな いの である。そ れ 故「 行 持」 は 「 縁 起」 ではなく、 「 行 持」 である 。〕 ここで 「 われ ら 」 と 指すの は、 「 行 持」〔 しているところ 〕 の 「 われ ( 我) であ る。 吾 我の 「 われ 」 ではない。 普 通 一 般には 、〔 「 自 己」 とい う の は 〕「 本 有 元 住」 ( 本 来あっ て 常 住のも の ) に 拘 ると 言うべ きか 。 そ う で は あ る が 、 今の 行 持のす がたは、 「 本 有 元 住」 に 拘らな

(8)

『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) ユヘ ニ 自 己ニ 去 来 出 入スルニハアラスト 云 也、 古 今ヲ 超 越スル 行 持ナルユヘニ 、 第 一 段( 12) いまの 華 開 葉 落、こ れ 行 持の 現 成なり。 磨 鏡 破 鏡、それ 行 持にあらざるなし。 け か い よ う ら く 所 詮 非㍼ 行 持㍽ 一 法ナキ 所ヲ 如㍾ 此 云 也、( 五 b ) 第 一 段( 13) このゆゑに、 行 持をさ しお か ん と 擬する は、 行 持をのがれんとする 邪 心をかくさ んがために、 行 持をさ しお く ぎ も 行 持なるに よ りて、 行 持におも む かんとする は 、な ほこ れ 行 持をこころざすににた れ ども 、 真 父の 家 郷に 宝 財をな げ す てて、 さ ら に 他 国 の 窮 子となる ( 2 ) 。 のとき の 風 水、た とひ 身 命を 喪 失せし めず とい ふとも 、 れい へ い ぐう じ しん み ょ う 真 父の 宝 財なげすつべきにあらず。 真 父の 法 財なほ 失 誤するなり。このゆゑに、 行 持はしばらくも 懈 惓なき 法 げ けん なり。 是ハ 何トアルモ 行 持ナルウ ヘ ハ 、 只イタ ツラ ニ 居タラムモ 行 持ナル ヘ シ ト 云 邪 心 ヲ、 多 人ノヲ コ ス ナ リ 、 其ヲ 邪 心トイ マ い。だから 「〔 行 持のいまは、 〕 自 己に 去 来 出 入するにあらず 」 というの である 。 古 今を 超 越する 行 持である か ら 。 結 局、 行 持でな いも の は な い ところ を 、こ の よ うに 言うの である 。 こ れ は、どのよう にあるのも 行 持である か らに は、 〔「 行 持をさ しお くのも 行 持 なり 」 とし て 〕 ただ 何もしな い でじっ と して いる のも 行 持であ る と いう 「 邪 心」 を、 多くの 人が 起こすの で ある 。そ れを 「 邪 心」 と 戒めら れるの で ある 。 何もし

(9)

『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) シメ ラルヽ ナ リ 、 イタツラニ 居モ 行 持ナ レハ ト 云 心 地ヲ、シハラク 猶コレ 行 持ヲ 心サスニヽ タ レ トモト ハ アル ナリ、 他 国 ノ 時 節モマ コトニ 行 持ノ 外ニハ アラ サレ ト モ 、 此 時 節ハ 真 父ノ 法 財ヲハ 未㍾ 得 也、 今ノ ( 六a ) 喩ニ 尤 相 応セリ 、 第 二 段 慈 父 大 師 釈 迦 牟 尼 仏、 十 九 歳の 仏 寿より 、 深 山に 行 持して、 三 十 歳 ( 3 ) の 仏 寿にいたりて、 大 地 有 情 同 時 成 道 ( 4 ) の 行 持あり。 八 旬の 仏 寿にいたるまで、なほ 山 林に 行 持し、 精 藍に 行 持す。 王 宮にかへらず、 国 利を 領せず。 布 僧 せい ら ん おう ぐ う こく り ふ そう 伽 梨を 衣 持し、 在 世に 一 経するに 互 換せず。 一 盂 在 世に 互 換せず、 一 時 一 日も 独 処するこ と なし。 人 天の 閑 供 ぎゃ り え じ きょ う 養を 辞せず、 外 道の 謗を 忍 辱す。おほよ そ 一 化は 行 持なり。 浄 衣 乞 食の 仏 儀、しかしな がら 行 持にあらずと せん ぼ う にん にく け じょ う え こつじ き いふことなし。 仏ハ 一 時 一 日モ 不㍼ 独─ 処∩ 閑─ 供─ 養 辞セ トク ヲ シ ス、 外 道ノ 謗ヲ 忍 辱ス、 是ヲ( 5 ) 化 導ヲ セン ハ ウ ソ シ ル ニム ニク 為㍾ 先 之 故 歟、 サキ ト 第 三 段 第 八 祖 摩 訶 迦 葉 尊 者は、 釈 尊の 嫡 嗣なり。 生 前もは ら 十 二 頭 陀を 行 持して 、さら に おこ たらず。 十 二 頭 陀 ( 6 ) と ま か か しょ う て き し ず だ ないで じ っとしてい る のも 行 持である と い う 考えを、か りに 「 なほこ れ 行 持をこ ころざすににたれど も 」 とあるの である 。「 他 国 」 の 時も、 実に 行 持のほかで はな い け れど も 、 こ の 時はま だ 「 真 父( 釈 尊) の 法 財」 行 持が 釈 尊の 法 財である こ と ) を 得ていないので ある。 〔『 妙 法 蓮 華 経』 の 長 者 窮 子の 喩は 〕 ここでの 喩にも っ とも 相 応しい。 仏は 「 一 時 一 日も 独 処」 しないし、 「〔 人 天の 〕 閑 供 養( 福 報を 目 的とす る 供 養) を 辞せず、 外 道の 仙 謗( そしり ) を 忍 辱( 堪え 忍ぶこ と ) す 」 る。 これは 化 導( 衆 生を 教 化し 導くこ と ) を 第 一とするからで ある。

(10)

『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) いふ は、 一 者 不㍾ 受㍼ 人 請∩ 日 行㍼ 乞 食⊿ 亦 不㍾ 受㍼ 比 丘 僧 一 飯 食 分 銭 財⊿ ( 中 略) 四 者 止㍼ 宿 野 田 中 樹 下⊿ ( 中 略) 十 一 者 ツニハ ケ ノ ヲ ヒビニ ズ ヲ タ ケ ノ ノ ヲ ツニ ハ ス ノ ノ ニ ニハ 但 欲㍼ 露 臥∩ 不㍾ 在㍼ 樹 下 屋 宿⊿ 十 二 者 不㍾ 食㍾ 肉、 亦 不㍾ 食㍼ 醍 醐⊿ 麻 油 不㍾ 塗㍾ 身。 ダ ヒテ ヲ ラ ニ ニ ハ セ ヲ タ セ ヲ ヲ ラ ニ これ を 十 二 頭 陀といふ。 摩 訶 迦 葉 尊 者、よ く 一 生に 不 退 不 転なり。 如 来の 正 法 眼 蔵を 正 伝すといへども 、この 頭 陀を 退するこ と なし。 ( 後 略) 迦 葉 頭 陀ト 云 是 也、 如㍾ 文、 第 四 段 第 十 祖 波 栗 湿 縛 尊 者は、 一 生 脇 不 至 席なり 。こ れ 八 旬 老 年の 道なり といへ ど も、 当 時すみ やか に 大 法を 単 は り し ば きょ う ふ し せき 伝す。 これ 光 陰をいたづらにもらさざるに よりて、 わ づ かに 三 箇 年の 功 夫なりといへども 、 三 菩 提の 正 眼を 単 しょ うげ ん 伝す。 尊 者の 在 胎 六 十 年なり 、 出 胎 髪 白なり。 誓 不㍼ 屍 臥∩ 名㍼ 脇 尊 者⊿ 乃 至 暗 中 手 放㍼ 光 明∩ 以 取㍼ 経 法⊿( 7 ) こ テ セ ク ト ニ ヨリ テ ヲ テ ル ヲ れ 生 得の 奇 相なり。 ( 中 略) しかあれ ば、 脇 尊 者、 処 胎 六 十 年、は じ め て 出 胎せり。 胎 内に 功 夫なからんや。 出 しょ うと く 胎より のち 、 八 十にならんとするに、は じめて 出 家 学 道をも とむ。 託 胎より のち 、 一 百 四 十 年なり。まことに 不 群なりといへども 、 朽 老は 阿 誰よりも 朽 老ならん。 処 胎にて 老 年なり、 出 胎にても 老 年なり。 し かあ れども、 あ すい 時 人の 譏 嫌をかへりみず、 誓 願の 一 志 不 退なれ ば、 わ づ か に 三 歳をふるに 、 道 現 成するなり 。た れか 見 賢 思 き けん けんけん し 斉をゆるくせ ん 、 年 老 耄 及をうらむ ることなかれ。 こ の 生しり がたし。 生か、 生にあらざるか。 老か、 老にあ せい ねん ろ う も う ぎ ゅ う しょ う らざるか。 四 見すで におなじからず、 諸 類の 見おなじからず。ただ 志 気を 専 修にして、 道 功 夫すべきなり。 しい き せんし ゅ 道に 生 死をみるに 相 似せりと 参 学すべし、 生 死に 道するに は あらず。 ( 後 略) 迦 葉 頭 陀というのはこ れである 。 〈 文のと お り 〉

(11)

『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 胎 内 六 十 年、 出 胎 後 八 十 年、 都 合 一 百 四 十 年、 実 奇 代 事 也、 実 年 老 耄 及ヲウラム ヘカラス、 尤 志 気ヲ 専 修ニシ テ、 辨 道 功 シ キ セム 夫スヘ キ 也、 委 見㍾ 文、 六b ) 第 五 段 六 祖は 新 州の 樵 夫なり、 有 識と 称しが たし 。 い とけ な く し て 父を 喪す、 老 母に 養 育せられ て 長ぜり。 樵 夫の しょ う ふ う しき そう 業を 養 母の 活 計とす。 十 字の 街 頭にして 一 句の 聞 経より の ち 、 た ち ま ち に 老 母をすてて 大 法をたづぬ。 こ れ 奇 ぎょ う 代の 大 器なり、 抜 群の 道なり。 ( 後 略) 第 六 段 江 西 馬 祖の 坐 禅するこ と は 二 十 年なり。こ れ 南 嶽の 密 印を 稟 受するなり ( 8 ) 。 伝 法 済 人のとき、 坐 禅をさ しお くと こう ぜい ぼんじ ゅ さい にん 道 取せず。 参 学のは じめ ていた る には 、 か ならず 心 印を 密 受せしむ。 普 請 作 務のところに、かならず 先 赴す。 ふ しん さ む せん ぷ 老にいたりて 懈 惓せず。いまの 臨 済は 江 西の 流なり。 げ けん りゅう 第 七 段 雲 巌 和 尚と 道 吾と、 おなじく 薬 山に 参 学して、 と もに ちかひをたてて、 四 十 年わきを 席につ け ず 、 一 味 参 究す。 法を 洞 山の 悟 本 大 師に 伝 付す。 洞 山いは く、 われ 欲㍾ 打㍼ 成 一 片∩ 坐 禅 道、 已 二 十 年なり。 い まその 道、 あ シテ セ ント ニ スル コト ニ どう まねく 伝 付せり。 胎 内に 六 十 年、 出 胎 後 八 十 年、 都 合 百 四 十 年。 実に 世にも 不 思 議なことで ある。 実に 「 年 老 髦 及をう ら 」 んでは な らない。 特に 「 志 気を 専 修にして、 弁 道 功 夫すべ きなり 」 。 委しくは 本 文に 書かれ て い る 〉

(12)

『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 第 八 段 雲 居 山 弘 覚 大 師、そ のか み 三 峯 庵に 住せしと き 、 天 廚 送 食す。 大 師ある とき 洞 山に 参じて 、 大 道を 決 択して ぐ かく てん ちゅ うそ う じ き けっじゃく さらに 庵にかへ る 。 天 使また 食を 再 送して 師を 尋 見する に 、 三 日を 経て 師をみることえず、 天 廚をまつ こ とな じき し。 大 道を 所 宗とす。 肯の 志 気、おも ひ やる べし。 べん こ う しい き 天 廚 送 食セリ、 而 大 師 洞 山ニ 大 法 決 択シ ツ ソウ ケツ チ ャ ク テ 後、 天 使 師ヲ 尋 見スル ニ 、 経㍼ 三 日㍽ シ シム 見㍾ 師 不㍾ 得、 是 隔㍼ 境 界㍽ 之 故 也、 事 レヘ タツ ル キャ ウ ヲ 第 九 段 百 丈 山 大 智 禅 師、そのかみ 馬 祖の 侍 者とありし より 、 入 寂のゆふべにいたるまで、 一 日も 為 衆 為 人の 勤 仕なき い しゅ い にん ごん し 日あらず。かたじけなく、 一 日 不 作 一 日 不 食の( 9 ) あとをのこすといふは 、 百 丈 禅 師、す で に 年 老 臘 高なり、 な ほ ふ さ ふ じき 普 請 作 務のところに、 壮 齢とおなじ く 励 力す。 ( 後 略) ふ しん さ む れい り き 第 十 段 鏡 清 和 尚 住 院のとき、 土 地 神かつ て 師 顔をみることえず。た よ り を え ざ るに よりてなり 。 ど じ じん 土 地 神 不㍾ 得㍾ 見㍼ 師 顔∩ 不㍾ 得㍾ 便 之 故 カン ヲ タヨ リ ヲ 也、 同㍼ 弘 覚 大 師∩ ( 七a ) 「 天 廚 送 食」 した。 そ して 、「 〔 雲 居 山 弘 覚〕 大 師」 が 「 洞 山」 のも と で 大 法を 「 決 択」 した 後は、 「 天 使」 が 「 師を 尋 見するに 、 三 日を 経て 師をみることえず 」 。 これ は 、〔 大 師と 天 使は 〕 境 界を 隔てているからで あ る。 「 土 地 神」 は 「 師 顔をみることをえず 、た よ り ( 手 掛かり ) をえ ざ る 」 から であ る。 〔 第 八の 雲 居 山〕 弘 覚 大 師〔 の 段〕 に 同じで あ る 。

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 第 十 一 段 三 平 山 義 忠 禅 師、そのかみ 天 廚 送 食す。 大 顛をみてのちに 、 天 神また 師をも とむるに 、みるこ とあ た は ず。 だい てん 是 又 天 廚 送 食ス、 是 又 得 法 之 後 不㍾ 能㍾ 求㍾ 師、 大 顛ハ 石 頭ノ 弟 子ナリ、 今ノ 義 忠 テン ハ 大 顛 弟 子 也、 第 十 二 段 後 大 和 尚いはく 、 我 二 十 年 在㍼ 山∩ 喫㍼ 山 飯∩ ㍼ 山 ∩ 不㍾ 参㍼ 山 道⊿ 只 牧㍼ 得 一 頭 水 牛∩ 終 日 露 ご だい い レ テ ニ シ ノ ヲ シ ノ ヲ ゼ ノ ニ ダ シテ ノ ヲ 回 回 也。( ) ナリ しる べし、 一 頭の 水 牛は、 二 十 年 在 山の 行 持より 牧 得せり。この 師かつ て 百 丈の 会 下に 参 学しきたれ り。 え か しづかに 二 十 年 中の 消 息おもひや るべし、わするる 時なかれ。たとひ 参 山 道する 人ありとも、 不 参 山 道の 行 持はま れなる べ し。 二 十 年 之 間 在㍼ 山㍽ 喫㍼ ─ 山 飯∩ ㍼ ─ ヲ アス 山 ∩ 不㍾ 参㍼ ─ 山∩ 只 牧㍼ 得 一─ 頭 水─ アヲ ニ カイ タリ コ 牛∩ 云㎏ 、 是カ 今ノ 行 持ノ 姿ニテ アル 也、 ヲ 所 詮 至 極 解 脱シタ ル 詞 也、 不 会 仏 法ト 六 祖ノ 被㍾ 仰タル 程ノ 詞ナリ 、 ( 七b ) これ もま た 「 天 廚 送 食す 」 。 こ れ も ま た 得 法の 後は 「 師をも とむる 」 ことができ ない。 大 顛〔 宝 通〕 は 石 頭の 弟 子である 。 こ の 〔 三 平〕 義 忠は 大 顛の 弟 子である 。 「 二 十 年」 の 間、 在 山、 喫 山 飯、 山 、 不 参 山〔 道〕 、 只 牧 得 一 頭 水 牛、… … 」 山に 在って 、 山の 飯を 喫し、 山の を し、 山〔 の 道〕 に 参ぜず 、 只 一 頭の 水 牛を 牧 得して、 … … ) これが 、 今の 行 持の 姿である 。 結 局この 上もなく 解 脱している 詞である 。〔 「 不 参 山 道」 とは 〕「 不 会 仏 法 ( ) 」 と 六 祖〔 慧 能〕 が 仰っ たほどの 詞である 。

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 第 十 三 段 趙 州 観 音 院 真 際 大 師 従 和 尚、とし 六 十 一 歳なり しに、は じめ て 発 心 求 道をこころざす。 瓶 錫をたづさ へ じょ う し ゅ う じゅう し ん びょ うし ゃ く て 行 脚し、 遍 歴 諸 方するに、つねにみづからいはく、 七 歳 童 児、 若 勝㍾ 我 者、 我 即 問㍾ 伊。 百 歳 老 翁、 不㍾ ノ ナリト モ シ レバ ヨリモ レ チ フベシ カ レニ ノ ナリト モ バ 及㍾ 我 者、 我 即 教㍾ 他。( ) バ ニ レ チ フベシ カ レヲ かくのごとくして 南 泉の 道を 学 得する 、 工 夫すなわち 二 十 年なり。 年 至 八 十のとき、は じ め て 趙 州 城 東 観 音 院 どう く ふう に 住して、 人 天を 化 道するこ と 四 十 年 来なり。 ( 中 略) 四 十 年のあひだ、 世 財をたくはへず、 常 住に 米 穀なし。 にん でん け どう あるい は 栗 子・ 椎 子をひ ろうて 食 物にあ つ、ある いは 旋 転 飯 食す。まことに 上 古 龍 象の 家 風なり、 恋 慕すべ り す すい す じき も つ せん でん ぼん じ き りゅう ぞ う き 操 行なり。 そう ぎ ょ う あるとき、 衆にしめしていはく、 若 一 生 不㍾ 離㍼ 叢 林∩ 不 語 十 年 五 載、 無 ≒ 人 喚㍾ 作㍼ 唖 漢∩ 已 後、 諸 仏 しゅ シ レ ヲ ナル コト スト モ ラン ノ デ ヲスル コ ト ト ノチ ニ ハ モ 也 不㍼ 奈㍾ 何⊿ ( ) マタ ルナリ ヲ トモセ これ 行 持をしめすなり。しる べ し、 十 年 五 載の 不 語、お ろ か な る に 相 似せりといへども 、 不 離 叢 林の 功 夫によ りて、 不 語なりといへども 唖 漢にあらざらん。 仏 道かくのごとし。 仏 道 声をきかざらんは、 不 語の 不 唖 漢なる しょ う 道 理あるべからず。 し かあ れば、 行 持の 至 妙は 不 離 叢 林なり、 不 離 叢 林は 脱 落なる 全 語なり。 至 愚のみづから しいみょ う は、 不 唖 漢をしらず、 不 唖 漢をしらせず。 阿 誰か 遮 障せざれ ど も、しらせざるなり。 不 唖 漢なるを、 得 恁 麼な あ すい いん も りときかず、 得 恁 麼なりとしらざらんは、あ は れむべ き 自 己なり。 不 離 叢 林の 行 持、しづかに 行 持すべし、 東 西の 風に 東 西するこ と な か れ。 十 年 五 載の 春 風 秋 月、し ら れ ざ れ ど も 、 声 色 透 脱の 道あり。その 道 得、われ に どう 不 知なり、 わ れに 不 会なり。 行 持の 寸 陰を 可 借 許なりと 参 学すべし。 不 語を 空 然なるとあ やしむことなかれ。 え か しゃ っ こ くう ね ん 入 之 一 叢 林なり、 出 之 一 叢 林なり。 島 路 一 叢 林なり。 界 一 叢 林なり。 にゅっしい ち そうりん しゅ っ し

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 一 生 不 離 叢 林ノ 姿カ、 ス ナ ハ チ 行 持ナル ヘシ 、 仏 道ナラ スハ 不 語ヲ 行 持ト 談 事 更 アル ヘカラ ス 、 唖 漢トハヲ シ ナ リ 、 叢 林 ニ 住シテ 不 語ナル 姿カ 行 持ナル 也、 坐 禅 ノ 当 体 則 作 仏 也ト 云 程ノ 義 也、 諸 仏 也マタ 不㍼ 奈㍾ 何 ㍽トハ 、 諸 仏ヲモ 物トモ セ セス イカ ン ナム チ ヲ トモ スト 云 心 也、タト ヘ ハ 仏ニモ ヲトル ヘ カ ラス ト 云 心 地ナリ、 又 入 之 一 叢 林 也、 出 之 一 叢 林 也、 鳥 路 一 叢 林 也、 界 一 叢 林 也ト、 文、 叢 林ト 云ヘハ 只 一 字ノ 堂ト 思 フヘ カ ラ ス 、 尽 界 叢 林ナル ヘ シ 、 是 則 行 持ナル ヘ シ 、 是ニ 出 入 共ニ ( 八a ) 行 持 也、 只 僧 堂ニ 衆 僧ノ 出 入スル 義ト 許ハ 不㍾ 可㍼ 心 得㍽ 也、 第 十 四 段 大 梅 山は 慶 元 府にあり、この 山に 護 聖 寺を 草 創す。 法 常 禅 師その 本 元なり。 禅 師は 襄 陽 人なり。かつ ( … て 馬 祖の ノ 会に 参じてとふ、 「 如 何 是 仏」 と。 馬 祖いは く、 「 即 心 是 仏」 と。 法 常このことばをききて、 言 下 大 悟す。 ち ナラ ン カ レ なみに 大 梅 山の 絶 頂にのぼ り て、 人 倫に 不 群なり、 草 庵に 独 居す。 松 実を 食し、 荷 葉を 衣とす。かの 山に 小 池 か よう え あり、 池に 荷おほし。 坐 禅 道するこ と 三 十 余 年なり。 人 事たえて 見 聞せず、 年 暦おほよ そ おぼ えず。 四 山 青 又 黄のみをみる。おもひやるに は、あ は れむべき 風 霜なり。 師の 坐 禅には 、 八 寸の 鉄 塔 一 基を 頂 上におく。 如 戴 宝 冠なり。 こ の 塔を 落 地 却せしめざらんと 功 夫すれ ば、 ね ぶ らざ るなり。 その 塔、い ま 本 山にあり、 庫 下に らく ち きゃく く か 「 一 生 不 離 叢 林」 一 生 叢 林を 離れず ) の 姿が、そのま ま 「 行 持」 であ ろ う 。〔 「 不 語」 が 〕「 仏 道」 でな い な ら ば 、「 不 語」 を 「 行 持」 と 説くことは 決してある はず がな い 。「 唖 漢」 とは 口がきけない 人である 。「 叢 林」 に 住して 「 不 語」 である 姿 が 「 行 持」 である 。 坐 禅の 当 体( 叢 林に 住して 不 語であ る こ と ) がすな わ ち 作 仏であ ると いう ほどの 意 味である 。「 諸 仏 也 不 奈 何」 諸 仏もま た を 奈 何ともせざ る な り ) い か ん とは 、 諸 仏をも 、もの と も し ないとい う 意 味である 。 た と え ば 、 仏にも 劣るは ず がな い と い う 意 味 合いで あ る 。 ま た、 「 入 之 一 叢 林なり、 出 之 一 叢 林なり、 鳥 路 一 叢 林なり、 界 一 叢 林なり 」 とある 。「 叢 林」 というと、 た だ 一 棟の 堂と 思って は ならない。 尽 界が 叢 林である 。 こ れ がすな わ ち 行 持である 。 こ れ に 出 入するの が 共に 行 持である 。 ただ 僧 堂に 衆 僧が 出 入する 意 味とだけ 理 解して はいけない。

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 交 割す 。かく のごと く 道すること、 死にい た り て 懈 惓なし 。かく のごと く して 年 月を 経 歴するに、 塩 官の こう か つ きょ う り ゃ く 会より 一 僧きたりて、やまにいりて 杖をもとむるち なみに、 迷 山 路して、はからざるに 師の 庵 所にいたる。 不 期のな かに 師をみる 。 すな はちと ふ 、「 和 尚この 山に 住して よりこ の かた 、 多 少 時 也。 師いは く 、「 只 見㍼ ふ ご ヤ ダ ルノ ミ 四 山 青 又 黄⊿ 」 この 僧またとふ、 「 出 山 路、 向㍼ 什 麼 処㍽ 去。 師いはく 、「 随㍾ 流 去。 この 僧、あや し む こ こ ろ ノ タ ナル ヲ ノ テ ノ ニ カン ヒ ニ ケ あり。かへりて 塩 官に 挙 似するに 、 塩 官いは く、 その か み 江 西にありしとき、 一 僧を 曾 見す、そ れ よ り のち 消 そう け ん 息をしらず。 莫㍼ 是 此 僧㍽ 否。 シヤ レ ノ ナル コト ヤ つひに 僧に 命じて 師を 請するに 、 出 山せず。 偈をつ く り て 答するにい はく、 摧 残 枯 木 倚㍼ 寒 林⊿ 幾 度 逢㍾ 春 不㍾ とう セル ル ニ カ テ ニ 変㍾ 心、 樵 客 遇㍾ 之 猶 不㍾ 顧、 郢 人 那 得㍼ 苦 追 尋⊿ つひにおも む かず。 こ れよりのちに、 な ほ 山 奥へいら ん と ゼ ヲ テ ニ ホ ミ えいじん ゾ ン ネンゴ ロ ニ スル コト ヲ せしちなみに、 有 頌するにい はく、 一 池 荷 葉 衣 無㍾ 尽、 数 樹 松 華 食 有㍾ 余、 剛 被≒ 世 人 知㍼ 住 処∩ 更 移 ㍼ 茅 う じゅ ノ キル ニ シ ルコ ト ノ スル ニ リ リ アナ ガ チ ニ テ ニ ラ ヲ ニ シテ 舎㍽ 入㍼ 深 居⊿( ) つひに 庵を 山 奥にうつ す 。 ヲ ル ニ あると き 、 馬 祖ことさら 僧をつ か は し て と は し む 、「 和 尚その か み 馬 祖を 参 見せし に 、 得 何 道 理、 便 住 此 山な る。 」 師いは く、 「 馬 祖われ にむかひ ていふ、 即 心 是 仏。すな は ちこの 山に 住す。 」 僧いは く、 「 近 日 仏 法また 別 なり。 」 師いは く、 「 作 麼 生 別なる。 」 僧いは く、 「 馬 祖いは く、 非 心 非 仏とあり 。」 師いは く、 「 這 老 漢、ひとを そ も さん この 惑 乱するこ と 、 了 期あるべからず。 任 他 非 心 非 仏、 我 祗 管 即 心 是 仏。 りょ う ご サモ アラ バアレ ハ ニ この 道をもちて 馬 祖に 挙 似す。 馬 祖いは く、 梅 子 熟 也。… ( 後 略) どう バイ ス セリ 第 十 五 段 五 祖 山の 法 演 ( … 禅 師いは く、 師 翁はじ めて 楊 岐に 住せし とき、 老 屋 敗 椽して 風 雨 之 敝はな はだ し ( ) 。ときに 冬 暮な し おう よう ぎ てん へい り、 殿 堂ことごとく 旧 損せり。 そ のなかに、 僧 堂ことにやぶれ、 雪 霰 満 牀、 居 不 遑 処なり。 雪 頂の 耆 宿、な ほ く そん せっ ちょ う ぎし ゅく

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 澡 雪し、 厖 眉の 尊 年、 皺 眉のうれへ ある が ご とし。 衆 僧やすく 坐 禅することなし。 衲 子 投 誠して 修 造せん こ ぼ う び しゅ う び しゅ そう のっ す とう じょ う しゅ ぞう とを 請せしに 、 師 翁 却㍾ 之いはく 、 我 仏 有㍾ 言、 時 当㍼ 減 劫∩ 高 岸 深 谷、 遷 変 不㍾ 常、 安 得≒ 円 満 如 意、 自 ケテ ヲ ガ リ ヘル コ ト ツテ ニ シテ ナラ ンゾ ン ニシ テ ラ 求㍼ 称 足㍽ならん。 古 往の 聖 人、お ほ く 樹 下 露 地に 経 行す。 古 来の 勝 躅なり。 履 空の 玄 風なり。 な んだち 出 ムル コトヲ ヲ しょ うにん じゅ げ ろ じ きん ひ ん しょ うち ょく げん ぷ う 家 学 道する 、 做 手 脚なほいまだおだ やかならず。 わ づかにこ れ 四 五 十 歳なり、 た れかいたづらなるいとまあり さ しゅ き ゃ く て、 豊 屋をこととせ ん 。つひに 不 従なり … ) 。 ( 中 略) 演 和 尚、ある と き し め し て い はく 、 行 無㍾ 越㍾ 思、 思 無㍾ 越㍾ 行。( ) この 語おもく す べ し 。 日 夜 思㍾ 之、 朝 夕 ハ ク ユルコ ト ヲ ハ シ ユル コ ト ヲ ニ ヒ ヲ ニ 行㍾ 之。いたづらに 東 西 南 北の 風にふかるるが ごとく な るべからず。 ( 後 略) ズ ヲ 五 祖ハ 山 名 也、 非㍼ 五 祖 六 祖 事∩ 我 仏 有㍾ ノ ニ カフツ ア リ 言、 当㍼ 咸( ) 劫∩ 高 岸 深 谷、 遷 変 不㍾ 常、 イエ ル 事 テ ケム ニ カム コク セム ヘ ム シテ ス ツネ 安 得㍼ 円 満 如 意、 自 求 称 足∩ 云㎏ 、 是 イツク ム ソ ム ニシテ シ ク ショ ウソ ク ハ 古 往ノ 聖 人、 多 露 地 樹 下ニ 経 行ス、 而 末 代 人 豊 屋ヲ 元トシテ 行 道 疎ナル 事ヲイ ホウ ヲ ク マシ メラル ヽ ナリ、 演 和 尚 或 時 示 曰、 行 無㍾ 越㍾ 思∩ 思 無㍾ エム ナシ コウ ル 事ヲモ イ ヲ ヒ シ 越㍾ 行、 云㎏ 、 ( 八b ) 是ハ 行ノ 詞ヲ、 行 ウル 事 ヲ 持ノ 草 子ナルユ ヘ ニ 被㍼ 引 出㍽ 也、 行 与㍾ 思 差 別ナキ 道 理ヲノ ヘ ラ ルヽ 也、 打 任ハ 行 ハ 身 上ノ 所 作、 思ハ 心 意 識ノ 上ニ 談㍾ 之、 為㍾ 破㍼ 此 邪 念㍽ナリ 、 行 思 共 一 法ナル 道 理 不㍾ 可㍼ 忘 却∩ ハウキ ャ ク 「 五 祖」 は 山の 名である 。 五 祖〔 弘 忍〕・ 六 祖〔 慧 能〕 のことではない。 「 我 仏 有 言、 時〕 当 減 劫、 高 岸 深 谷、 遷 変 不 常、 安 得 円 満 如 意、 自 求 称 足」 我が 仏、 言え るこ と 有り、 〔 時〕 に 減 劫に 当って、 高 岸 深 谷、 遷 変して 常なら ず 、 安くん ぞ 円 満 如 意にし げん ご う いず て、 自ら 称 足を 求むる こ と を 得ん ) とある 。 こ れ は 「 古 往の 聖 人、お ほ く 樹 下 路 地に 経 行す 」 。 し か し 、 末 代の 人は、 豊 屋を 居 所として、 行 道がお ろ そ か で あ る こ と を 戒めら れるの で ある。 「 演 和 尚、あ る と き し め し て い は く 、『 行 無 越 思、 思 無 越 行』 行は 思を 超ゆるこ と なく 、 思は 行を 越ゆる こ と なし ) 」 とある 。 こ れ は、 「 行」 の 詞を、 行 持の 巻である か ら 引き 出され た の で あ る。 〔 行と 思とを 入れ 換えることによって 〕 行と 思と 違いが ない 道 理を 述べら れ る の で ある 。 普 通 一 般には 、 行は 身の 上の 所 作、 思は 心 意 識 の 上で 説く。この 邪 念を 破るためで あ る。 行と 思と 共に 一 法である 道 理を 忘 却し

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 第 十 六 段 太 白 山 宏 智 禅 師 正 覚 和 尚の 会に、 護 伽 藍 神いは く、わ れ き く 、 覚 和 尚この 山に 住するこ と 十 余 年なり。つね に わん し ご が らんじん 寝 堂にいたりてみ んとするに、 不 能 前なり、 未 之 誠 也。( ) まことに 有 道の 先 蹤にあひあふなり。 なり この 天 童 山は、も と は 小 院なり。 覚 和 尚の 住 裏に、 道 士 観・ 尼 寺・ 教 院 等を 掃 除して、いまの 景 徳 寺となせり 。 そう じ ょ 師 遷 化ののち、 左 朝 奉 大 夫 侍 御 史 王 伯 庠、 ち なみに 師の 行 業 記を 記するに 、 ある 人いは く、 「 かの 道 士 観・ 尼 さ ちょ う ぶ だい ふ じ ぎょ し おう は く しょ う ぎょ うご う き 寺・ 教 寺をうば ひ て、いまの 天 童 寺となせ る ことを 記すべし 。」 御 史いは く、 「 不 可 也、 此 事 非㍼ 僧 徳㍽ 矣。 と ノ ズ ノ ニ きの 人、おほ く 侍 御 史をほ む。 しる べし、かくのごとくの 事は、 俗の 能なり、 僧の 徳にあらず。おほよそ 仏 道に 登 入する 最 初より 、 は る か に 三 界の 人 天をこゆるなり。 ( 中 略) いま 仏 祖の 大 道を 行 持せん には 、 大 隠 小 隠を 論ずることなく、 聡 明 鈍 癡をい にん でん ふことなかれ。ただながく 名 利をな げすてて、 万 縁に 繋 縛せらるることなかれ。 光 陰をすごさず、 頭 燃をは ら け ばく ず ねん ふべ し。 大 悟をまつ こ となかれ、 大 悟は 家 常の 茶 飯なり。 不 悟をねが ふ ことなかれ、 不 悟は 髻 中の 宝 珠なり。 か じょ う けい ち ゅ う ただまさに、 家 郷あらんは 家 郷をは なれ 、 恩 愛あらん は 恩 愛をは なれ 、 名あらんは 名をの がれ、 利あらんは 利 おん ない みょ う をの がれ、 田 園あらんは 田 園をの がれ、 親 族あらんは 親 族をは なるべし。 名 利 等なからん も、 又はなる べ し 。 す で にある を はなる 、 な き をも はなる べ き 道 理、あ き ら かなり。そ れ すな はち 一 条の 行 持なり。 ( 後 略) 是ハ 宏 智 禅 師 遷 化 之 後、 行 業 記ヲ 注ニ、 セン 円 寂 クエ 之 後 也 道 士 観、 尼 寺、 教 寺 院 等ヲヤ フリ テ 、 今 ては いけ ない。 これは 宏 智 禅 師の 遷 化の 後 円 寂の 後であ る 〉 、『 行 業 記』 を 注するに、 〔 ある 人 が、 宏 智 禅 師が 〕「 道 士 観・ 尼 寺・ 教 寺) 院 等」 を 壊して、 今の 景 徳 寺としたこ

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) ノ 景 徳 寺トナ セ リ 、 其ヲ 行 業 記ニ 記セム トス ル ヲ 、 今ノ 左 朝 奉 大 夫 侍 御 史 王 佰 庠 サ テウ フ シ キヨ シ ワウ ハ ク シ ヤ ウ 云、 不 可 也、 此 事 非㍼ 僧 徳㍽ 矣、 仍 不㍾ 載㍼ ヤ ス シ スム テ イ 行 業 記∩ 此 御 史ヲ 讃㍾ 之、 九a ) 是 俗 能 キヨ シ ホム ル ナリ 、 非㍼ 僧 徳㍽ 也、 第 十 七 段 大 慈 寰 中 禅 師いは く、 説㍼ 得 一 丈∩ 不㍾ 如㍾ 行㍼ 取 一 尺⊿ 説㍼ 得 一 尺∩ 不㍾ 如㍾ 行㍼ 取 一 寸⊿( ) だい じ かん ち ゅ う セン ヨ リ ハ ヲ カ セン ニ ヲ セン ヨ リ ハ ヲ カ セン ニ ヲ これ は 、 時 人の 行 持おろそかにして、 仏 道の 通 達をわ すれたる がごとくなるをい ましむるににたりといへども 、 一 丈の 説は 不 是とに はあらず、 一 尺の 行は 一 丈 説よりも 大 功なるといふなり。なんぞただ 丈 尺の 度 量のみなら ん、はるかに 須 弥と 芥 子との 論 功もあるべきなり。 須 弥に 全 量あり、 芥 子に 全 量あり。 行 持の 大 節、こ れかく のごとし。いまの 道 得は、 寰 中の 自 為 道にあらず、 寰 中の 自 為 道なり。 説㍼ 得 一 丈㍽ 不㍾ 如㍾ 行㍼ 取 一 尺∩ 説㍼ セム ヨ リ ハ シ シカ アム ニハ ヲ 得 一 尺㍽ 不㍾ 如㍾ 行㍼ 取ハ 一 寸∩ 云㎏ 、 此 ヨリ ハ シ シカ セン ニ ハ ヲ 詞ヲ 打 任テ 心 得ニハ、 一 丈ヲ 説 得スルヨ リモ 一 尺ヲ 行 取スルハ マ サ リ タ ル ヤ ウ ニ 思 付タリ 、 今 義ハ 非㍾ 爾、 其 故ハ 一 丈モ 行 ニ 持ノ 上ニ 仕フ、 一 丈 一 尺モ 乃 至 一 寸モ、 行 持ノ 上ニ 談スル 尺 寸ナリ、 ユ ヘニ 勝 劣 高 下ノ 論ニ 付㍾ 可㍾ 及、 而 今ノ 草 子ニ 一 尺 とを 『 行 業 記』 に 記そうとしたのに、 今の 左 朝 大 夫 侍 御 史 王 佰 庠は 「 不 可 也。 此 事 非 僧 徳 矣」 ( 不 可なり 、 此の 事、 僧の 徳にあ ら ず ) と 言った。よっ て 『 行 業 記』 に 載せなかった。 この 御 史を 讃める の で ある 。 こ れは 「 俗の 能」 であ って 「 僧の 徳」 ではないので ある。 「 説 得 一 丈、 不 如 行 取 一 尺。 説 得 一 尺、 不 如 行 取 一 寸」 一 丈を 説 得せんより は 、 一 尺を 行 取せん に 如かず。 一 尺を 説 得せん より は、 一 寸を 行 取せん に 如かず ) とあ る 。 こ の 詞を 普 通 一 般に 理 解する ときに は 、 一 丈を 説 得する よりも 一 尺を 行 取するの は ま さっ てい るよ う に 思ってしまう。ここの 意 味はそ う で はな い 。 そ の わ け は、 一 丈 も 行 持の 上でつかう 。 一 丈 一 尺も 或いは 一 寸も、 行 持の 上で 説く 尺 寸である 。 だ から 勝 劣 高 下の 論に 及ぶべきで ない。そうでは あ るが、この 巻に 「 一 尺の 行は 一 丈の 説よりも 大 功なり 」 というの で、やはり 勝 劣がある よ う で ある 。 前 後が 一 致

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) ノ 行ハ 一 丈ノ 説ヨリ モ 大 功 也ト 云ヘハ 、 猶 勝 劣アル ニヽ タ リ 、 前 後ノ 参( 九b ) シン 差ニモ 聞タリ、 是ハ 行 持ト 云 草 子ノ 上ナ シ ルユ ヘニ、 一 尺ノ 行ハ 一 丈ノ 説ヨリモ 大 功 也トハ 云トモ 、サ レ ハ トテ 始 終 更 勝 劣 浅 深ノ 義 不㍾ 可㍾ 有、 随 上ニ 一 丈ノ 説ハ 不 是トニハ ア ラスト 被㍾ 釈 分 明 也、 又 行ノ 位ハア サ ク 、 証ノ 位ハ 深シト 思ヘリ 、 行 証 共 只 同タケ 也、 今ノ 一 丈 一 尺、 ㎏㎏ 一 寸 等ノ 詞ニ、 此 道 理 符 合スル 也、 又 須 弥 与㍼ 芥 子∩ 仏 法ニハ 只 一 也ト 習 也、 打 任ハ 天 地 懸 隔 相 違ノ 喩トナレリ、 須 弥ニ 全 量 アリ 、 芥 子ニ 全 量アリト 云、 此 心 地ナリ 、 ( 一〇a ) コノ 道 得ハ、 寰 中ノ 自 為 道ニア タウ テ クワン シ ヰ タウ ラス 、 寰 中ノ 自 為 道 也ト 云ヘリ 、 此 道 得 クワ ム ハ、 寰 中ノ 自 為 道 許ニ アラス 、 三 世 諸 仏 祖 等ノ 自 為 道ナリ、 コ ノ 道 理ナル ユ ヘ ニ 、 又 寰 中ノ 自 為 道 也トモ イハ ル ヽ 也、 第 十 八 段 洞 山 悟 本 大 師 道、 説㍼ 取 行 不 得 底∩ 行㍼ 取 説 不 得 底⊿( ) ク シ ヲ ス ヲ これ 高 祖の 道なり。その 宗 旨は、 行は 説に 通ずるみちをあ きら め、 説の 行に 通ずるみちあり。しかあ れば、 終 どう しないように 受け 取られ る。 これは 行 持の 巻の 上である か ら 、 かり に 、「 一 尺の 行 は 一 丈の 説よりも 大 功なり 」 と 言うけれども、そうであるからと 言って 、 常に 決 して 勝 劣 浅 深の 意 味がある は ず が な い 。し た が って 、 上に 「 一 丈の 説は 不 是とに はあ ら ず 」 と 釈かれ るのは 明らかで あ る。また 〔 一 般には 〕 行の 位は 浅く、 証の 位は 深いと 思っている 。 行も 証も 共に 同じ 程である 。 今の 一 丈 一 尺、 一 尺 一 寸 等 の 詞に、 この 道 理は 符 号するの で ある 。 ま た、 「 須 弥」 と 「 芥 子」 とは 、 仏 法では ただ 一つで あると 習うの である 。 普 通 一 般には 、 天と 地がは るかに 隔たっ ている ほど 相 違していることの 喩となる 。「 須 弥に 全 量あり、 芥 子に 全 量あり 」 と 言うの はこの 意 味 合いで あ る 。 こ の 「 道 得は、 寰 中の 自 為 道にあらず、 寰 中の 自 為 道な り 」 とある 。 この 「 道 得は、 寰 中の 自 為 道」 ( 寰 中が 自ら 発したことば ) ばかりでは ない、 三 世 諸 仏 祖 等の 自 為 道である 。 こ の 道 理である か ら 、 また 「 寰 中の 自 為 道 なり 」 とも かりに 言われ るので あ る。

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 日とくところに 終 日おこなふなり。その 宗 旨は、 行 不 得 底を 行 取し、 説 不 得 底を 説 取するなり 。 説㍼ 取 行 不 得 底∩ 行㍼ 取 説 不 得 底㍽ 云㎏ 、 是 シュ ヲ ス ヲ ハ 説 与㍾ 行ヲ 各 別ニ 被㍾ 説 也、 説ノ 時ハ 行 ハカクレ 、 行ノ 時ハ 説ハカ クルヘ シ 、 一 方ヲ 証スル トキハ 一 方ハクラ キ 道 理ナル ヘシ 、 然 而 前ニ 詞 不㍾ 可㍾ 違 也、 一〇b ) 第 十 九 段 雲 居 山 弘 覚 大 師、この 道を 七 通 八 達するにい はく、 説 時 無㍼ 行 路∩ 行 時 無㍼ 説 路⊿( ) ぐ かく どう ニハ ク ニハ シ この 道 得は、 行 説なきにあらず。その 説 時は、 一 生 不 離 叢 林なり。その 行 時は、 洗 頭 到 雪 峯 前なり。 説 時 無 行 路、 行 時 無 説 路、さしおくべからず、みだらざるべし 。 古 来の 仏 祖いひきたれ る こと あり、 い は ゆ る、 若 人 生 百 歳、 不㍾ 会㍼ 諸 仏 機∩ 未㍾ 若≒ 生 一 日 而 能 決㍼ シ ケラ ンコト ナラ ン ニ ラン ハ セ ノ ヲ ダ ジ シカ ケラ ンコト ニシ テ ク 了 之⊿ セン ニ ハ ヲ これ は 一 仏 二 仏のいふところにあらず、 諸 仏の 道 取しきた れ る と ころ 、 諸 仏の 行 取しきたれ るところなり。 ( 後 略) 是 又 説 行 之 心 得ヤウ 、 前ニ 不㍾ 可㍾ 違 也、 所 詮 一 生 不㍾ 離㍼ 叢 林∩ 洗㍾ 頭 到㍼ 雪 峯 前㍽ヲ 「 説 取 行 不 得 底、 行 取 説 不 得 底」 ( 行 不 得 底を 説 取し、 説 不 得 底を 行 取す ) とある 。 これ は 、 説と 行とを そ れ ぞれ 別に 説かれ るので あ る。 説の 時は 行はかく れ 、 行の 時は 説はかく れ る は ず で ある 。「 一 方を 証する ときは、 一 方はくら き 道 理」 であ ろ う。そうであるから、 前〔 の 段〕 に 〔 おけ る 「 説 得 一 丈、 不 如 行 取 一 尺。 説 得 一 尺、 不 如 行 取 一 寸」 と 〕 詞が 違うは ずが ない。 これ もま た 説と 行との 理 解の 仕 方は、 前〔 の 段〕 に 違うは ずが ないので ある。 結 局、 一 生 不 離 叢 林」 ( 一 生 叢 林を 離れず ) 「 洗 頭 到 雪 峰 前」 ( 洗 頭して 雪 峰の 前に 到

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 以テ 行 持ト 談 也、 一 生 不 離 叢 林 事、 趙 州 段ニ 委 載 了、 説 時ニハ 行 路ナク、 行 時 クハ シ ク ノ セ ニハ 説 路ナキ 也、 然 而 説 時ナキニ アラス 、 不 離 叢 林ノ 姿 説 時 也、 行 路 又 無キニ アラ ス、 洗 頭 到 雪 峯 姿ヲ 以テ 行 路トハ 談 也、 又 若─ 人 生 百 歳、 不㍾ 会㍼ 諸─ 仏─ 機∩ 未㍾ 若 イキテ ナラム ラム ウイ ノ ヲ シ ダ シカ 生㍼ 一 日㍽ 而 能 決㍼ 了 之∩ 此 文ハ 法 句 キ テ ヨク ケ ツ セム ニ ハ ヲ ク 経 文 也、 依㍼ 此 文㍽ 阿 難 入 定 寂 滅シ 給、 キョ ウ ノ 云㎏ 、 其 故ハ、 或 時 此 文ヲ 唱テ 人ノトヲ リ ( 一 一a ) ケル ヲ 聞 給ヘハ 、 若 人 生 百 歳、 不 見 水 老 鶴、 未㍾ 若 生 一 日、 不 能 覩 見 カク シ シカ 而 歟 ト 之、 如㍾ 此 誦シテ 過ケル アヒ タ、 阿 難 此 誦㊥ モノヲ ヨ ヒ 入テ、 此 文ハ 経 文 也、ワ ス ル 歟 タク シ ノ 詞 不㍾ 可㍾ 入、ア シ ク 誦スル 也ト テ 如㍼ 経 文㍽ナヲ サレタリケル ヲ、 任㍼ 阿 難 教㍽ 誦シケ ル 程ニ、 又 或 時 先 度アシク 誦セ ニ ト シヤ ウニ 唱テ 過ケルア ヒ タ、 又ヨヒ 入テ ナト 先 度ヲシヘ シ マ ヽ ニ ハ 不㍾ 誦シテ 、 如㍾ 本アシ クハ 誦スルソ ト 被㍾ 仰ケレ ハ、 先 度 御 教 訓ノ 定ニ 誦スレ ハ 僻 事 也、 只 如㍼ 先 度㍽ 可㍾ 誦ト 人ノ 申シ 間、 如㍾ 此 誦ス ル 也ト 答 申ケリ、 其 時 仏 入 滅シ 給 事( 一 一b ) 不㍾ 久ニ、 是 程ニ 皆 人 邪 見ニ 堕セリ 、 タ る ) を 行 持と 説くの で あ る。 「 一 生 不 離 叢 林」 のこ とは 、 趙 州の 段に 委しく 載せ た。 説 時に 行 路がなく 、 行 時に 説 路がな いの である 。 そ う で は ある が、 説 時がな いのではない。 「〔 一 生〕 不 離 叢 林」 の 姿が 「 説 時」 である 。 行 路もまたないので はな い 。「 洗 頭 到 雪 峰〔 前〕」 の 姿を 「 行 路」 と 説くの である。 また 「 若 人 生 百 歳、 不 会 諸 仏 機、 未 若 生 一 日、 而 能 決 了 之 ( ) 」 若し 人、 生けら んこ と 百 歳なら んに、 諸 仏の 機を 会せず んば 、 未だ 生けら んこと 一 日にして 、 能く 之を 決 了せ んには し かじ ) とある 。 この 文は 『 法 句 経』 の 文である 。 こ の 文によ っ て 阿 難は 入 定 寂 滅され た。 そ の わ け は 、 あ る 時、この 文を 唱えて 人が 通ったのを 聞かれ たと ころ、 「 若 人 生 百 歳、 不 見 水 老 鶴、 未 若 生 一 日、 而 能 覩 見 之」 若し 人、 生けら んこ と 百 歳なら んに、 水 老 鶴を 見ずば、 未だ 生けら んこと 一 日にして 、 能く 之を 覩 見せんには しかじ ) と、 このよ う に 誦して 通り 過ぎたため、 阿 難はこの 誦す 者を 呼び 入れて 、 「 この 文は 経 文である 。 自 分の 詞を 入れて はな らな い 。〔 おま えは 〕 誤って 誦して いる 」 と 言って 、 経 文のよ う に 直され た の で 、 阿 難の 教えに 従って 誦したところ が、また、ある 時、 先 日 誤って 誦したように 唱えて 通り 過ぎたため、また 呼び 入 れて 「 どうして 先 日 教えたよう に 誦さないで、もとのように 誤って 誦しているの か 」 と 仰ったところ、 「 先 日の 御 教 訓のよ う に 誦すと 間 違いで あ る 。 た だ も と の よ うに 誦すべきで あると 人が 申したため、このように 誦すの です 」 と 答え 申し 上げ た。 その 時は、 仏が 入 滅され て 久しくないのに、 こ れ ほ どに 皆 邪 見に 堕していた。 このような 世に 住して も 無 意 味である と い っ て 、〔 阿 難は 〕 寂 滅され た。 … …

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) カヽラム 世ニ 住シテ 無㍾ 詮トテ、 寂 滅 給、 云㎏ 、 第 二 十 段 南 嶽 大 慧 禅 師 懐 譲 和 尚、 そ の か み 曹 谿に 参じて、 執 侍するこ と 十 五 秋なり。 し かうして 伝 道 授 業するこ と 、 一 え じょ う じゅ ごう 器 水 瀉 一 器なることをえたり。 古 先の 安 履、も とも 慕 古すべし。 十 五 秋の 風 霜、われ を わ づ らは す お ほか るべ あん り し。 しかあれ ども、 純 一に 究 す。 これ 晩 進の 亀 鏡なり。 寒 炉に 炭なく、 ひ とり 虚 堂にふせり。 涼 夜に 燭なく、 しょ く ひとり 明 窓に 坐する 。たとひ 一 知 半 解なくとも、 無 為の 絶 学なり。こ れ 行 持なる べし。 ( 後 略) いっ ち はん げ 第 二 十 一 段 香 厳の 智 閑 禅 師は、 ( 中 略) 一 日わづかに 道 路を 併 浄するに 、 礫のほとばしりて、 竹にあたりて 声をなすに よ きょ う げ ん し かん びょ うじ ょ う こい し りて、 忽 然として 悟 道す。 ( 後 略) こつね ん 礫ノホ トハシリ テ 竹ニア タ リ テ 声ヲナス レキ ツフ テ ニヨリテ、 忽 然トシテ 悟 道スル ハ 、 此 禅 師 事 也、 第 二 十 二 段 臨 済 院 慧 照 大 師は、 黄 檗の 嫡 嗣なり。 黄 檗の 会にあり て 三 年なり。 純 一に 道するに 、 睦 州 陳 尊 宿の 教 訓によ ぼく りて、 仏 法の 大 意を 黄 檗にと ふこと 三 番するに 、 かさねて 六 十 棒を 喫す。なほ 励 志たゆむことなし。 大 愚にい れい し 「 礫のほとばしり て、 竹にあたりて 声をなすに よりて、 忽 然として 悟 道す 」 るの は、この 〔 香 厳 智 閑〕 禅 師のことで ある。

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) たりて 大 悟するこ と も 、 すな はち 黄 檗・ 睦 州 両 尊 宿の 教 訓なり。 ( 中 略) 師 在㍼ 黄 檗∩ 与㍼ 黄 檗㍽ 栽㍼ 杉 松㍽ 次、 黄 檗 問㍾ 師 曰、 深 山 裏 栽㍼ 許 多 樹㍽ 作 麼。 師 曰、 一 与㍼ 山 門㍽ 為㍼ 境 致∩ 二 テ ニ トモニ ト ル ヲ デ テ ニ ク ニ テ ノ ヲ ナニ カ セ ン ク ニハタメニ ノ シ ト ニハ 与㍼ 後 人㍽ 作㍼ 標 榜⊿ 」 乃 将㍾ 鍬 拍㍾ 地 両 下。 黄 檗 拈㍼ 起 杖㍽ 曰、 雖㍼ 然 如∑ 是、 汝 已 喫㍼ 我 三 十 棒㍽ 了 也。 師 ニ ノ ス ト チ テ ヲ ツコト ヲ ス シテ ヲ ク モ モ クナ リト ノ ニ シ ガ ヲ レリ 作㍼ 嘘 嘘 声⊿ 黄 檗 曰、 吾 宗 到㍾ 汝 大 興㍼ 於 世⊿ ( ) ( 後 略) ス キョキョノ ヲ ク ガ テ ニ イニ ラン ニ 陳 尊 宿ノ 教 訓ニ 依テ、 仏 法ノ 大 意ヲ チム 黄 檗ニ 問ニ、 三 番スル ニ 一 番ニ 二 十 棒 クワ ウ ヘ キ ワ ウ ハ ク サン ハ ム ミ タ ヒ ツヽ 都 合 六 十 棒ヲ 与キ、 励 志タユ ム 事 ハケ ム シ コヽ ロ サ シ ナシ 、 大 愚ニイタリテ 大 悟ス ( 一 二a ) ル 事モ、スナハチ 黄 檗 睦 州 両 尊 宿ノ 教 訓ニ ヨリ テ 也、 黄 檗 与㍼ 臨 済㍽ 問 答、 文ニツ フ サナ リ、 第 二 十 三 段 唐 宣 宗 皇 帝は、 憲 宗 皇 帝 第 二の 子なり。 少 而より 敏 黠なり。 よ の つ ねに 結 跏 趺 坐を 愛す、 宮にありてつねに 坐 せん そ う しょ う に びん かつ 禅す。 穆 宗は 宣 宗の 兄なり。 穆 宗 在 位のとき、 早 朝 罷に、 宣 宗すな はち 戯 而して、 龍 牀にのぼ り て 揖 群 臣 勢を ぼく そ う は け に りゅう し ょ う いつ ぐ ん し ん せ い なす。 大 臣これ を み て、 心 風なりとす。すな は ち 穆 宗に 奏す。 穆 宗みて、 宣 宗を 撫 而していはく、 我 弟 乃 吾 宗 ぶ に ガ ハ チ ガ ノ 之 英 冑 也。と き に 宣 宗、と しは じめ て 十 三なり。 穆 宗は 長 慶 四 年 晏 駕あり 。 穆 宗に 三 子あり。いはゆる 、 一 えい ちゅう ナ リ あん が は 敬 宗、 二は 文 宗、 三は 武 宗なり。 敬 宗 父 位をつぎて 三 年に 崩ず。 文 宗 継 位する に 一 年とい ふ に 、 内 臣 謀 而、 だい し ん ぼ う に これ を 易す。 武 宗 即 位するに 、 宣 宗いまだ 即 位せずして、 を ひのくににあり。 武 宗つねに 宣 宗をよぶに 癡 叔と えき ち しゅ く 「 陳 尊 宿の 教 訓によりて、 仏 法の 大 意を 黄 檗にと ふ 」 に、 「 三 番するに 」 、 一 番に 二 十 棒ずつ 、 合 計 六 十 棒を 〔 黄 檗は 臨 済に 〕 与えた。 「 励 志たゆむことなし。 大 愚 にいたりて 大 悟するこ と も 、 すな はち 黄 檗・ 睦 州 両 尊 宿の 教 訓」 によ っ て で あ る。 黄 檗と 臨 済との 問 答は、 本 文に 詳らかで あ る。

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) いふ。 武 宗は 会 昌の 天 子なり、 仏 法を 廃せし 人なり。 武 宗あるとき 宣 宗をめして、 昔 日ちちのくらゐにのぼり か いしょ う しことを 罰して、 一 頓 打 殺して、 後 華 園のなかにおきて、 不 浄を 灌するに 復 生す。 つひに 父 王の 邦をは なれ て、 た せつ くに ひそ かに 香 厳の 閑 禅 師の 会に 参じて、 剃 頭して 沙 弥となりぬ。 し かあ れど、 い まだ 不 具 戒なり。 志 閑 禅 師 ( ) をと きょ う げ ん てい づ もとして 遊 方するに 、 蘆 山にいたる。ちなみに 志 閑みづ か ら 瀑 布を 題していはく、 穿㍾ 崖 透㍾ 石 不㍾ 辞㍾ 労、 遠 地 チ ヲ シテ ヲ セ ヲ 方 知 出 処 高。 この 両 句をも て 沙 弥を 釣 他して 、こ れい か な る 人ぞと みん とす るな り。 沙 弥これ を 続して い マサニ リヌ ノ キキ コ ト ヲ ちょ う た はく、 渓 庄 豈 能 留 得 住、 終 帰㍼ 大 海㍽ 作㍼ 波 涛⊿ この 両 句をみて、 沙 弥はこ れ つ ねの 人にあらずとしりぬ。 ニ ク メ テトド メ ン ヤ ニ シテ ニ ナル ト のちに 杭 州 塩 官 斉 安 国 師の 会にいたりて、 書 記に 充する に 、 黄 檗 禅 師、ときに 塩 官の 首 座に 充す。ゆゑに 黄 檗 さい あん しゅ そ と 連 単なり。 黄 檗ときに 仏 殿にいた り て 礼 仏するに 、 書 記いたりてとふ、 「 不㍼ 著㍾ 仏 求∩ 不㍼ 著㍾ 法 求∩ 不㍼ 著㍾ らい ぶ つ テ ニ メ テ ニ メ テ 僧 求∩ 長 老 用㍾ 礼 何 為。 かくの ご と く 問 著する に 、 黄 檗 便 掌して 、 沙 弥 書 記にむ か ひ て 道す、 「 不㍼ 著㍾ 仏 求∩ ニ メ テ ヲ カ ン べんし ょ う テ ニ メ 不㍼ 著㍾ 法 求∩ 不㍼ 著㍾ 僧 求∩ 常 礼 如㍼ 是 事⊿ かくの ご とく 道しをは り て、 又 掌するこ と 一 掌す。 書 記いは く、 テ ニ メ テ ニ メ ニ スル コト シ ノ ノ しょ う 「 太 生なり 。」 黄 檗いは く、 「 遮 裏 是 什 麼 所 在、 更 説㍼ 什 麼 細⊿ また 書 記を 掌するこ と 一 掌す。 書 記ちな み たい そ せい レ ノ ゾ ニ カン ノ トカ に 休 去す。 きう こ 武 宗ののち、 書 記つひに 還 俗して 即 位す。 武 宗の 廃 仏 法を 廃して、 宣 宗すな はち 仏 法を 中 興す。 宣 宗は 即 位 在 位のあひだ、つねに 坐 禅をこの む 。 未 即 位のとき、 父 王のくにをは な れ て 、 遠 地の 渓 庄 遊 方せしとき、 純 一に おん ち 道す。 即 位ののち、 昼 夜に 坐 禅すといふ。まことに、 父 王すで に 崩 御す、 兄 帝また 晏 駕す、をひのために 打 殺せらる、あ は れむ べ き 窮 子なる がごとし 。しか あ れ ど も、 励 志うつ ら ず 道 功 夫す。 希 代の 勝 躅なり 、 天 ぐう じ しょ うち ょく 真の 行 持なる べし。 心 風 也トハ 物 狂 也ト 云 心ナリ 、 沙 弥 閑 禅 「 心 風なり 」 とは 「 物 狂いなり 」 という 意 味である 。 沙 弥は 「〔 志〕 閑 禅 師をと

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 師ヲ 為㍾ 友 遊 方スル ニ 、 盧 山ニイ タルニ、 ロ 志 閑 沙 弥ヲ 心ミム ト テ 瀑 布ヲ 題シテ イハ ハク ホ タイ ク、 穿㍾( ) 岸 透㍾ 石 不㍾ 辞㍾ 労、 遠 地 方 知 ウカ テ ヲト ヲリ テ ヲ ス シ ラウ ヲ エム チ サニ シ ル 出 処 高、 此 両 句ヲ 以テ 沙 弥ヲミ ム ト ス ル ノ トヲ 也、 沙 弥 是ヲ 続シテ イ ハ ク 、 渓─ 澗 豈 能 ソク ケイ カム ア ニ ク 留 得─ 住、 終 帰㍼ 大 海㍽ 作㍼ 波 涛∩ トヽ メ エテ トヽ メ ムヤ ツイ ニ テ ニ サン ス タウ ヲ 見㍼ 此 両 句∩ 沙 弥 是 非㍼ 常( 一 二b ) 人㍽ ニ 知㍾ 之、 黄 檗トキニ 仏 殿ニイタリテ 礼 拝ス ルニ、 沙 弥イタリテイ フ、 不㍼ 著㍾ 仏 求∩ ツイ テ ニモ トメ 不㍼ 著㍾ 法 求∩ 不㍼ 著㍾ 僧 求∩ 長 老 用㍾ 礼 ス ツイ テ ニ メ ヨウ モチ イテ ライ ライ ヲ 何 為、 如㍾ 此 問 著スル ニ 、 黄 檗 便 掌シ カ イ ナニ カ セ ム スナ ハ チ シ ョ ウ テ、 沙 弥 書 記ニム カ イ テ 道ス、 不㍼ 著㍾ 仏 求∩ 不㍼ 著㍾ 法 求∩ 不㍼ 著㍾ 僧 求㍽ 常 礼㍼ 如㍾ ツネニ レ イ ス ノ 是 事∩ 如㍾ 此 道シヲハリテ、 又 掌スル 事 一 シ ヲ 掌ス、 書 記イハ ク 、 太 生 也、 是ハ 風 性 ハナ ハ タ タイ ソ サム 常 住 無 所 不 周 底ト 問シニ 、 和 尚 重テ 扇ヲ 仕シ 程ノ 道 理 也、 黄 檗イハク 這 裏 是 什 麼 シャ リ コレ イ カ ナル 所 在、 更 説㍼ 什 一 三a ) 麼 細∩ マタ トコ ロ ナ レ ハ カサ ラ ニ トク ナニ ノ ソ サイ 書 記ヲ 掌スル 事 一 掌ス、 書 記チナミ ニ 休キウ 去ス、 武 宗ノヽ チ 書 記ツイ ニ 還 俗シテ 即 クヰ クエンソ ク ソク 位ス、 ( 一 三b ) ヰ もとし て 遊 方するに、 盧 山にい た る 」 に、 志 閑は 沙 弥をこころみ よ う と として、 「 瀑 布を 題していは く、 穿 崖 透 石 不 辞 労、 遠 地 方 知 出 処 高( 崖を 穿ち 石を 透って 労を 辞せず、 遠 地 方に 知りぬ 、 出 処の 高きこ と を )。こ の 両 句をも て 、 沙 弥を 」〔 どの 様な まさ 人である か 〕「 みん とす るなり 」 。 「 沙 弥これ を 続していはく、 渓 庄 豈 能 留 得 住、 終 帰 大 海 作 波 涛( 渓 庄、 豈に 能く 留め 得て 住めんや、 終に 大 海に 帰して 波 涛と 作る )。こ の とど な 両 句をみて、 沙 弥はこ れ つ ね の 人にあらずと 」 知った。 「 黄 檗ときに 仏 殿にいたりて 」 礼 拝する ときに 、 沙 弥がやって 来て 言った。 「『 不 著 仏 求、 不 著 法 求、 不 著 僧 求、 長 老 用 礼 何 為』 仏に 著いて 求めず 、 法に 著いて 求め ず、 僧に 著いて 求めず 、 長 老、 礼を 用って 何にか 為ん )。か く の ごと く 問 著するに 、 黄 せ 檗 便 掌して、 沙 弥 書 記にむ かひ て 道す、 『 不 著 仏 求、 不 著 法 求、 不 著 僧 求。 常 礼 如 是 事』 仏に 著いて 求めず 、 法に 著いて 求めず、 僧に 著いて 求めず、 常に 礼する こ と 是の 事 の 如し )。か く の ごと く 道しをはりて、 又 掌すること 一 掌す。 書 記いは く、 『 太 生( はな はだ 粗 雑であ る ) なり 』」。こ れ は 〔 ある 僧が 〕「 〔 どの よ う な こ と が 〕 風 性 常 住 無 所 不 周 底〔 の 道 理か 〕」 と 尋ねたときに、 〔 麻 谷 山 宝 徹〕 和 尚は 重ねて 扇を 使った ( ) ほどの 道 理であ る 。「 黄 檗いは く、 『 遮 裏 是 什 麼 所 在、 更 説 什 麼 細』 遮 裏 是れ 什 麼の 所 在ぞ、 更に 什 麼の 細とか 説かん )。ま た 書 記を 掌するこ と 一 掌す。 書 記 ちなみに 休 去す。 武 宗ののち、 書 記つひに 還 俗して 即 位す 」 。

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『 正 法 眼 蔵 聞 書 抄』 口 語 訳の 試み ( 伊 藤) 唐 ( ) 憲 宗 皇 帝── ケン ─ ─── ── ─ 穆 宗 ホク 長 慶 四 年 宴 駕、 ─ 宣 宗 武 宗 即 位 時 召㍼ 宣 宗∩ 昔 日 父 位 登 事ヲ 罰ス、 一 頓 打 殺 而 ニ トン ニ タ セツ 置㍼ 後 花 園 中㍽ 灌㍼ 不 浄㍽ 復─ ソヽ ク ニ ヲ フク 生ス、 終 父 王ノ 邦ヲ 離テ、 セイ クニ 窃 登㍼ 香 巌( ) 志 閑 禅 師 会㍽ ヒソ カ ニ ノ ホ テ カン ニ 成㍼ 沙 弥∩ 然 而 未㍼ 具 戒㍽ 也、 後 タ ス ク ニ 杭 州 塩 官ノ 所ニ 至テ 書 記ニナ カウ エン クワ リヌ 、 黄 檗 于 時 塩 官ノ 首 座 也、 黄 檗 与㍼ 書 記㍽ 隣 単ナリ、 ( 一 四 リンタン a ) 穆 宗── 憲 宗 皇 帝 子 ─ 敬 宗 キム 継㍼ 父 位㍽ 即 位、 ㎏㎏ 後 三 ツイ テ ノ ヲ ス ノ チ 年 崩、 ニ ㎜ ホウ ス ─ 文 宗 フム 継 位 有 一 年、 内 臣 謀 而 タイ シ ン ホ ウ ニ ㎜ 易㍾ 之、 カフ コレヲ 其 後 又 即 位、 ─ 武 宗 号㍼ 会 昌 天 子㍽ 是 也、 仏 カウ ス ル シヤウ ノ ト レ 法ヲ 廃セシ 人 也、 ハイ 唐 憲 宗 皇 帝( 在 位 八〇 五~ 八 二〇 ) ── ──────── ─────── ─ ─ 穆 宗 長 慶 四 年 八 二 四) 崩 御。 在 位 八 二〇~ 八 二 四) ─ 宣 宗 武 宗が 即 位した 時、 宣 宗を 呼び、 昔、 父の 天 子の 座に 登ったことを 罰 して、 一 打ちに 打ち 殺して、 後 花 園の 中に 置いて、 小 便を 灌いだとこ ろ、 再び 生き 返った。 終に 父である 王の 国を 離れて 、 窃かに 香 厳 志 閑 禅 師の 会に 参じて、 沙 弥となった。そうでは あ る が 、まだ 具 足 戒を 受 けて はい なかった。 後に 杭 州 塩 官 禅 師の 所に 行って 書 記になった。 黄 檗はそ の 時、 塩 官の 首 座であ った 。 黄 檗と 書 記とは 単が 隣であ った 。 ( 在 位 八 四 六~ 八 五 九) 穆 宗── 憲 宗 皇 帝の 子。 ─ 敬 宗 父の 位を 継いで 即 位した。 即 位の 後 三 年にして 崩 御した。 ( 在 位 八 二 四~ 八 二 六) ─ 文 宗 位を 継いで 一 年というに、 内 臣が 謀って 退 位させた。 その 後また 即 位した。 ( 在 位 八 二 六~ 八 四〇 ) ─ 武 宗 会 昌 年 間( 八 四 一~ 八 四 六) の 天 子というの はこの 人である 。 仏 法 を 廃した 人である 。 ( 在 位 八 四〇~ 八 四 六)

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