北海道農村における部落の構造
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(2) . 第8巻 第2号. 北海道学芸大学紀要・ (第一部). 2年12月 昭和3. 北海道農村 にお ける部 落の 構造 --美瑛町置杵牛地区内部落の事例研究-- 北. 達. 村. 北海道学芸大学旭川分校社会学研究室. T6ru KITAMURA:. SociaI Structure of “ Buraku ”. in Hokka ido RuraI Com munities. 一--A Case St udy of “ Buraku” at okikini ushi Di icti i str ‐ch6 n Bi e. 目. 序. 次. ’集団 4 ( ) 信仰に結びつく. 説. 部落の概況. 5 ( ) 生産協同部落会. 部落内集団の種類と性格. 6 ( ) 学校及び学校周辺集団 7 ( ) 機 能 的 集 団. ① 近 隣 集 団 ② イ ンフ ォ ー マ ルな 集 団 ◎. 部落共同体の構築と解体. 共 同 作業 集 団. 1. 序. 説. 農村社会における 部落構造の究明は 家族構造の追求と共に 農村社会 学上重要な 問題とされてい る。 家族と部落は農民の第一次的生活の場と して、 日常生活、 生産生活、 社会生活の大部分が遂行 されている。 すなわち農村の都市化、 農民の生活圏の拡大によって、 家族及 び部落を超えて、 生活. の場が漸次拡大してきている今日においてもなお、 部落と言う地域社会を基盤と して農業生産が遂 行され、 生産を通 じて種々なる共同が行なわれ、 日常的交誼、 協力がなされているのである。 した がって部落の構造分析は農村の社会構造を明らかならしめるた めに、 不可欠の問題とされながら、. 部落は複雑な構成 要素から成っているので、 それ ぞれの部落において異なった構造をとる故、 その 構造的.特質を一義的に把握する事は容易でない。 特に都市化の変化の過程にある部落を動的に把握 する事は一層困難である。 しか し農村社会学の先駆者たる鈴木教授が部落構造解明のた めに、 部落. を農村における第二社会地区と名付け、 この地区に社会集団及び社会関係が累積 し、 更に生活のあ らゆる方面を規定 している社会意識の自足的相互拘 束の関係が存する事によ り社会的統一が図られ 1 ) 部落構造を明らかならしめる指標である。 ここに部落共同体成立の契 ていると述べ ている事は、. 機があり、 農民の意識及び行動は部落共同体的規制を受ける事になるのである。 府県 の水田農村部落は現在もなお部落共同体と して把握され、 理 解されているが、 潮見俊隆氏は. 多くの社会調査を通 じて、 その理由と して、 「部落は農業用潅排水施設、 共同林野、 農業用の各種建. 物、 農機具などの共同利用という点で、 ゆい、 手伝い、 または共同作業を通 じて、 冠婚葬祭、 土木、 - 52 -.
(3) . 北海道農村における部落の構造. 祭典、 警防、 衛生、 教育などの面で協力の場となっており、 更に国の政治的な支配の末端組織と し て、 政治が農民に達する過程の重要な基盤となっているので、 農民は無意識的に あるいは意識的に. 2 ) 確かに稲作経営では、 最低 部落の枠を外して行動 し、 意識する事は許されない。」 と言っている。 限度用水の共同的維持利用 により、 農民は部落の用水権 の下に一致協力する必要に迫 られるし、 更. に部落 共有林野の所有と統制も、 部落を生 産共 同体と して組織化しているし、 その他氏神の祭礼、 年中行事, 冠婚葬祭時の協力も部落共同体的強制の基礎をな している。 更に歴史的に形成してきた. 同族、 親族集団の規制と、 集村型で地域的距離の近接は、 自ら社会的距離の接近となって、 共同せ ざるを得ない組織 を 形作っている事も、 部落共同体成立の契機となるのである。 しかるに畑作、 酪農村部落においては、 集団を構成する農村は、 商業的となり、 市場と直結 し、 自然、 都市との接触回数多く、 利己的、 投機的となるし、 水の強制を受ける事なく、 個別経営を原. 則とし、 比較的散居居住型をとるため、 共同連帯の必要と機会がないの で、 部落共同的強制も脆弱 とならざるを 得ないのである。 更に道 内東部の純畑作、 酪農村部落では、 経営面積も 15町歩を基 準と して、 完全に散居分 散型となり、 非農業者のみで形成されている市街地と農民が個人的に結 ぶ 度合が強まるにつれ、 部落 共同体が解体化の傾向を辿っている事に就いては、 概観的ではあるが、 S ) しかし歴史的にも古く、 水田農業を主体とせる道内中央部の 筆者の調査を通じて明らかに した。. 農村部落においては、 部落共同体の構築は如何なる形で表われているか、 叉これを解体せしめてい る要因は何であるかを、 部落内で自然的に形成された集団、 人為的に作られた集団の機能、 活動、 性格、 集団内の農民間の社会的相互作用などを克明に追求する事によって明らかにしてみたい。 n 部 落 の 概 況 0分、 美瑛駅前市街地より東南1 調査対象たる美瑛町置杵牛地区は旭川市より南へ富良野線にて4 0 2 2 町に亘っ て展開し、 下精美 (21 型半の地帯より美瑛川の支流たる置杵牛川に沿うて、 東南方 里. 中. 宇 \、、 莫 昇り 、 、 ュ も 地 、 区. そ ぐ さ ま き 三 -き′;$き. 灘. 、、 \ ・ 、 ‐下. 1 」地区 てき ギミ…上宇莫昇 -. 地、 区o . , 、 、 ・. 」日 向 0. ー. 2. 3 ., 4K 日 .. - 53 -. 地. 区. 、 、 纏り.
(4) . . 北. 村. 達. 19戸)、 藤井 ( 13戸)、 中央 ( 37戸)、 協英 ( 47戸)、 の5部落によって形成されてい 戸)、 上精美 ( る。 別表附図にみるごとく、 部落の南北は丘陵地帯で、 その中央部置杵牛川に沿うて水田地帯が開 け、 川 に 大体平行 して国鉄 バス路線が走り、 この路線の両側に2~3軒単位に居住し、 他の 2~3軒. 00米乃至 150米の間隔を おいて散在 している。 但 し藤井部落のみは13戸が殆んど の間とは凡そ1 密集 していて、 北側の丘陵地帯を山越え して開けた土地で、 通い畑作のみに従事 している。. 美瑛町史によれば置杵牛は、 アイ ヌ語の 「オキキニウシ」 で、 接骨 (にわとこ) の意と言い、 叉 4 ) 古くは一面森林地帯で 「ケネウシ」「山赤楊」(やまはんのき) の意でもあるとも言われているが. あって、 開墾には伐採、 造材で 苦労 している。 入植の先駆を な したのは、 明治37年児島乙次郎、 次いで38 年三宮菊太郎、 餌取九郎左衛門、39 年 に 坂田豊久が入植し、 明治期には全部で 18 戸の 入植をみた。 大正初期 においては、 明治期入植の自作者の外 は、 協英、 上下精美部落では三谷喜三 0 町歩の土地を所有 し、 中央部落では坂田、 児島、 鹿島等が地主として、 郎が不在地主と して、 約 7 漸次′ 」 v作者を入れ、 藤井部落は 札幌在住の 藤井氏が不在地主と なっていた。 全部落とも 麦類、 そ ば、 馬鈴薯の畑作のみであった。 しかるに第一次欧洲大戦の終結と共に、 雑穀の市場価格急落のため、 畑作のみ では農業経営が成. り立た ず、 この転機をみてとった三宮菊太郎、 餌取九郎左衛門 等は造田計画を立て、 薯畑を片っ端 5 ) 不在地主た る三谷氏も自己の所有地を水田に切換え 府県より道内各地へ 不 から水田に した。 、 、 利な土地に 入植した者に 呼びかけて募集 し、 水田/ j v作と した。 このため大正7年より大正 11年ま でに入植 した者は藤井部落を除いて37戸に達する。 叉藤井農場への小作者13戸は大正2年より大 正 12年までの 入植である。 三谷の/ J ・作者は 水田、 反に就き5斗5 升を年貢と して納め、 中央部落 の坂田を中心とせる小作者は反4斗5升を年貢と して納めていたが、 自作地でなかったため、 土地. に対 する執着欲、 経営意欲は低かった。 藤井農場の小作者達は依然と して畑作経営のみで、 反 1円 50 銭 で、 5~7 町歩を借受けていたが、 藤井氏が戦前既 に個 人的に小作者に反 4円で売渡 し 現在 、 各戸 5~8町歩を 所有 し、 平均耕地面積は6町歩である。 他の 4部落の土地は 戦後農地改革 によっ て解放された もので、 現在各戸、 田1 町3反~2町8反、 畑1町~3 町歩 を 所有 し、 外に山林、 原 野、 牧野等1 町歩余を所有 している。 藤井部落の13戸は畑作経営であるが 他 4部落、124戸は稲 作主、 畑作従の経 営を行なっているので、 部落構造の解明も、 水田経営を主とする部落に焦点をあ てて論及を 進 めていく。. 部落内家族の構造、 機能の究明は本稿の論外になるのであるが、 簡単に家族 の構造を概観 してみ ると、 第一に 類型的に分 類すれば第 1 表のごとくである。 第1表 家族の類型 この表によって直系家族が比率的に高いのは、 既に明治、 類 数 (比率) 型ー戸 大正入植者では現在 2 代目、3 代目となっていて、「家」が伝. 1繁 昌驚 艶麦蓬 大 家 統的に孝幸承三善喜 零ニ馨二千÷音三 桝家族? 階にあるo 農村家族では老夫婦と若夫婦の同居は 謝 れな. 蓬. き ;喜 菱ず .. 雄. いが、 当地区部落においても、 そ の場合父たる家長が労働生 産面における監督、 統制をな し、 妻 子は 家長 の命ずるが鑑に働いている。 特に嫁と娘の地位は低い。. 面接家族の中年層の世帯主も、「嫁入と軍隊の初年兵とは同じ位苦労なものだ。」 とか、「嫁が惨めな 生 活を して 我 慢 している事によって、 経済の バ ランスが とれている。」 と、 公然と言い放ち、 嫁は 当然従順であり、 忍従すべきものと されている。 叉男女青年間の交際も一般に不自由で、 中央部落 - 54 -.
(5) . 北海道農村における部落の構造. に仲人専門職のよ うな世活好きの0婆さんがいて、 彼女を通 じて若い男女間の結婚の橋渡 しが行な. われている状態である。 傍系家族のうちには婚姻 家族に夫の弟妹が同居する単純傍系家族の外に、 兄夫婦、 弟夫婦の同居する家族が1戸あった。 ここで便宜的に拡大家族とは、 婚姻、 直系、 傍系家 G ) 彼等は身寄がなくて引取られたか、 叉農業 族に叔父、 甥、 姪及び他人が同居する家族を指すが、 労働力に必要欠くべ からざる者と して、 半永久的に常傭されている者で、 純粋な家族に取っての寄. 生者となってい る。 家族の一員と して、 精神的には家族的待遇を受けているが、 労働に対する報酬 は小遣い程度の場合が多い。 次に 世帯人員数と子供数は第 2表のごとくである。 第2表 一世帯構成員数及び子供数. 世 帯人員 数. 2人. 3人. 数. 一 5戸. 一 6戸. 戸. 子 戸. 供. 6人. 7人. 一 」 1 、 17戸 18戸 9戸. 一 19戸. 4人. 5人. 8人. 9人 10人. 11人. 12人. 一 1OF 1. 一 4戸. 6戸. 一 1 1 1 戸 19戸. 13人 、 3F i. 数. 0人. 1人. 2人. 3人. 4人. 5人. 6人. 7人. 8人. 9人. 数. 一 5戸. 12人. 一 35戸. 一 28F i. 一 13 ′. 一 17戸. 一 14F i. 一 8F i. 一 3F 1. 一 2F i. 平均数 6 9人 ,. 平均数 3 5人 ,. 第2表によれば4人~7人世帯が最も多く、9人世帯も19戸も ある。 最も早く開けた中央部落で 9人に 5人で、 大世帯構成であるが、 全部落と しても.平均 6 は、 家族の構造も 複雑なだけに平均 7 . ,. 1 人に比 して多いが、 経営 規模を考慮すれ 50年国勢調査による 全国農家平均6 達する。 これを 19 . 5 ば、 労働力約3人 で、 大体妥当な構成と言えるだろう。 次に現在世帯主 を基準と した子供数は3 .. 人で、 農家と して 少数なる ごとく考 えられるが、 これは戦後の結婚者、 分家者に家族計画が積極的 に行なわれている故、2人~3人の子供で制限する者が増加 してきているた めである。 しかし戦前 の結婚者には 5 人~6 人の子供は普通であるから、 当部落でも次、 三男問題は真剣に考えられてい. る。 分家するには協英部落の東方に未開拓地は あるが、 此処は水田耕作には不適であり、 畑作には 00万円も 出費が 嵩むの 広面積を必要と し、 土地の外、 家屋、 農具、 馬と一戸の分家に50万円~1. で、 上級学校進学によって他の職業転換も経済力の許す範囲で考慮 している。 当地区でも大学進 学 者 4人、 旭 川の高校通学 4人、 美 瑛高校へ 通学者11人を数えているのは その表われである。 以上. によって当地区内の 家族を概観 してきたが、 水田経営を主とせる 4部落では、 好天に恵まれさえす れば、 反6俵平均の収穫を あげ得 る事 によって、 蓄舎、 住宅も漸次改築され、 新 しい農機具も個別 的に所有 し、 経済的基礎も確立されつつある。 これに反 し純畑作 経営を行なっている藤井部落では. 、. 耕地が他 4部落に比 して広大なるに拘 らず、 生産物の価格が安定せず、 未だに入植時よ りの古い家 屋に住み着いていて、 経済的にも低位にあるため、 部落民は他の 4部落民に対 して嫉妬心を抱 き、. 部落と して排地的性格を持っている。 水田部落では特に戦後自作地に転換 してからは、 部落民の土 地に対する執着心が強く、 真剣に自作地よ り多収穫をあげんとする意欲を燃や し、 叉富山県、 東北 県人で、 彼等は伝統的に節約、 辛抱の気 風に富み、 温和で忍耐強い性格を持っている。 i 部落内集団の種類と性格 1 l (も 近 隣 集 団 農村部 落の家族が連合 して自然的に作り出す最初の集団 は近隣集団である。 都市社 会でも近隣集 団の 存ずる所も あるが、 その範囲は小さく、 叉機能も著 しく単純化されて、 単なる個人的な近隣関 係となっている場合が多いが、 農村部落では葬式一つ出すにも、 重病人を安全に町へ運ぶにも個人. 的に解決する事は困難 である。 自然、 近隣的組織が形成されるので、 部落民は近隣的な拘束からの - 55 -.
(6) . 北. 村. 達. がれようと しても不可能である。 しか し近隣集団が組織的集団と して確認され るためには、 如何な. る機能を果 し、 組織的活動を行なっているかが問題となる。 鈴木教授は近隣集団の機能と して吉凶 時における好意表示の期待 をあげ、 最 大の凶時である死亡の場合の好意の表示は近隣性の最少限度. の具体的表われとな し、 それすら存せざる所には近隣集団の存在は客観的に認められないと言って 7 ) しか し吉凶時における好意表示、 特に葬儀に際 しては他部落の親戚 知人も集まってきて いる。 、 、 広範囲に及 ぶので、 これを以て近隣集団の指標とすべきかに 就いては、 かなり疑問がある。 近隣性 は吉凶時の好意表示の外、 施設、 農具を共同にするとか、 労働力を交換するとか、 日常的に相互 扶 助の活動がなければならない。 それによって個々の家族が集団の課する慣行に支 配され、 個人が集 団的行動を余儀なくされる所に、 近隣集団が第一次的集団と して意義づけられるのである。 若 しか かる機能が弱められているとすれ ば、 集団と しての本来の性格は変化 しているのである。 当地区部落において近隣集団は部落単位に発生 していない。 すなわち部落は最も大きい協英部落. で47戸 にも及 び、 広範なた めに 相互扶助は期待出来ない。 各部落は地 理的に近接 している6 戸~ 8戸 単位で班 組織となっていて、 班単位の近隣集団が認め られる。 各班 には班長が1年交替輪番で 選出されているが、 班長は班員を 指揮 している。 吉凶時における協力状態をみると、 家族内で死亡 者のあった時は 各戸より手の空いている1名あるいは2名が米 を1~2升 持参 して 手伝いに行き、. 班長指揮の下に葬式の知らせ、 寺へ の交渉、 棺桶作り、 葬具作りから、 通夜、 本葬、 忌引までの一 切の世活を行なう。 本葬の時だけは部落全員が 出て弔意を表 する慣例になっている。 このように班 内の協力が緊密であるから、 当家の主人は何等心配の必要はないのである。 次に婚礼の際は手伝い. 人が班内全部から出る強制は なく、 班内でも 親密な関係にある3~4軒と親戚から 手伝いが出る事 になって いる。 只披露宴に は班内全部の者が呼ばれ、 知人、 親戚も含めて総数 30 人~40 人程度に. なるのは、 A家の婚礼に班全員が呼ばれると他家の場合にも必らず呼び合うと言う義理に基づくの である。 班内の家族で労働の支柱となっていた家長が重病で倒れた時 には、 班長が指揮 して班内の 者が交替で田畑仕事の手伝いを無償で行なう事は、 近隣集団の重要な活動となっている。 その他班. 内家族相互間では、 時折訪問、 漫談を した り、 正月、 祭に飲食 した りする事はあるが、 班内全戸で 施設、 農具を共有 した り、 田植時の 労働交換を する事なく、 これ等は班内の 4~5軒かあるいは班. を超 出 して10数人に及ぶ事もある。 常時生産上の共同がない点で近 隣集団の機能が幾らか弱めら れているとは言え、 班 単位の各家族間の接触は緊密であり、 義理、 人情、 信頼で繋がれている点、 叉部落民の日常生活が制約されている点で組織的集団と して認められよう。 2 ) イ ンフオ ーマルな集団 ( 近隣集団りに次いで府県農村では本分家で構成される血縁集団、 更に奉公人 分家をも 含めての同族 集団は強い結合力を有 し、 労働、 農具の共同、 畜舎、 家屋の普請 を通 じての共同、 叉同族祖神を祭 り、 先祖祭の執行、 一定日に分家より本家への礼拝、 飲食の共 同などがなされる。 この場合分家は 本家より恩恵的に土地 を分け与え られていると言う劣等感も伴なって、 本家に従属する事によって. 上下的な関係で結ばれている場合が多い。 叉婚姻によって形成される姻戚集団は同族よりその機能 は単純であるが、 冠婚葬祭時における協 力と親睦、 盆正月 の贈答がなされ、 所によっては作業の共 同をな して強い結合力を保持 している場合もある。. 調査部落においても、 中央 部落では坂田勝治本家を中心と して3 軒の分 家があ り、 協英部落では 餌取勝次本家の外に 4軒の分家、 下精美 部落では保田 盛信本家の外に4軒の分家があり、 叉 2 軒、3. 軒の本分 家は10組もある。 しか しこれ等本分家間 には府県農村にみられるような組織的な集団活. 動はないし、 分家の奉仕、 本家の保護と言う従属的な関係で結ばれてもいない。 只地域的に近接 し 「 56 -.
(7) . 北海道農村における部落の構造. ている場合には、 時 折りの訪問、 農具の貸借、 多忙時の労働交換 がなされ事がある。 この場合も労. 働は正当に評価されて賃金あるいは物で支払われるのが普通である。 分家が本家に対 して何等の圧 迫を感ぜず、 自由意志によって 結びついているのは、 分家も亦3~4町の土地所有者で 単独で自活 し得るので、 本家に対する奉仕によって援助を期待 する必要のない事、 本家定着の歴史も明治以降. で、 特別家の伝統、 生活慣習が確立されず、 そのため分家が日常生活でも彼等の自由が拘束される 事なく、 本分家間の結合力は弱いの である。 叉5部落相互間の部落内婚が 優位を 占めていたため、 5部落内の何れの家族も部落内の何 れかの家族と姻戚関係を持つ程副 奏 している。 しか し姻戚間の 接触度は本分家間よ り一層低い。. かように同族 叉は親族と して明白な目的を持ち、 それに したがって組織的活動を行 なっていない. ので、 血縁 間 及び姻戚間3~4軒あるいは5~6軒の間で労働交換、 農具の貸借が行なわれている場 合 に は、 こ れ をイ ンフ ォ ー マ ル な 集 団 と して把 握 す る の が 妥 当 で あ る。 ア メ リ カ 農 村 で は、 家 族 と. 近 隣 の 外 にイ ンフ ォ ー マ ル な 集 団 が 重 視 さ れ て い る が、 ル← ミ ス と ビ ト グ ル に よ れ ば、 こ の 集 団 は. 近隣集団 の ごとく地域的な限定を持たず農民の自由な相互作用を特色とする。 その場合の基本的相 互作用 の型は訪問、 労働の交換、 農具の貸借であるが、 農民間の結合紐帯は血縁、 地域的近接性、 8 ) かかる集団は調査部落内で班内相互間に、 叉部落相互間で、 特に気の 土地所有関係などである。 合った4~5軒を中心に して構成されているか、 叉本分家、姻戚間で構成されている。 彼等は共通の. 話題 を持って集まったり、 趣味、 娯楽の一致 している家族間では、 距離的に遠くても訪問 し合って いる。 田植え収穫時にも手間代え、 農具の貸借 を班を超出 し、 部落を超出 して、3~4軒から、 多く は10数軒の間でな している。 イ ンフォ←マ ル な集団は次に述 べる共同作業集団の中でもみられる. が、 その場合の集団構成員は年度により異なる事もあるし、 その目的に したがって構成員も変動 し、 飽くまで彼等の自由な相互作用に 基礎をおく点、 道内農村部落では特徴的な集団と言 えよう。 ◎. 共同作業集団. 水田経営においては水を通じての共同生活を余儀 なくされる。 共同に田に水を入れる事、 潅流. 庫、 用 水路の掃除、 水に対する共同防衛 は絶対に必要 事であって、 個人と しての独立の行動は許さ れない。 叉田植え収穫時のごとく短時日に多くの労働力を必要とする場合には、 ュイ の慣行によっ. て共同作業が行なわれる。 かかる共同作業は個人間の自由な相互援助と異なって、 無制限的協力を 原則 と して い るo. 調査部落において水利に就いては、 美瑛町水利組合が結成 され、 組合の代議員が各部落におり、 春の水の採入れ、 河川修理 には全戸が動員される。 用 水路の草刈、 潅流 庫の掃除には必要の都度水 の使用に受益者各戸から必らず 1 人~2人出て共 同作業に従事する。 水の共同利用は農業生産の基 礎になるから労力提供に対 して個人の自由 を許さないが、 部落民は極めて積極的である。 次に田植えの際の手間替えは部落によって方法 は幾らか異なるが、 部落全員交替で手間替えする 所はない。 短時日に田植えを完了 しなければならず・1日でも早く自分の田植え を終えたいと考え. るから、 構成は10 軒前後で行なわれる事が 多く、 部落内で気の合った数軒に隣接部落で本分家、 姻戚関係に ある2~4軒を含めて手間替えを している。 労力の交換は飽くまで労働提供に対する等 価値の労働 を提供する事を条件とするので、 全戸の田植え完了まで自由が拘束される。 慣習と して 午前、 午後の中休時間には、 パ ン、 菓子の接待、 終了後酒 1升を振舞うと取決め している部落もあ る。 (中央部落) 若 し 何かの事故あって1 日だ け休 む時は1日 500 円 の 賃 金 を 支 払 う 事 に して い る が、 これは共 同作業が無制限的協力でない事 を意 味 している。 この共同作業が田植えと言う特種の. 目的のためにのみ協力しておるのであり、 他の作業にでも協力するのでない。 叉田植えのみの構成 - 57 -.
(8) . 北. 村. 達. 員も年により異動する点で、 イ ンフォーマルな集団と して把握される所もある。 しか し各部落毎に みられる現象 であるが、10日 前後も自己の労働を拘束されるのを嫌い、 叉田植えを好季に素早く済. ますた めに、 一度に10数人の日傭労務者を入れ、1人500円の賃金を支払い、 1日で完了する例も. あったが、 この場合は飲食接待で気を配る必要もなく合理的に解決されるので、 農家の 経済力が高 まるにつれ漸増の 傾向にある。 その他生産上の共同作業は 草取、 稲刈、 脱殻などのために 親密な間柄、 親戚間の3~4軒単位で. 行なわれるが、 その場合の共同も強制的共同でなく、 油代、 農具修理代は 実費弁債、 労賃一日に付 400 円と決められた契約的共同であり、 個性を自覚 した共同と言えよう。 各部落の全体的な仕事と. しては町道の補修と学校仕事とがある。 前者は各戸1人ずつ出て労力奉仕する事になっているが、 若 し病気などの事故で出られない時には、 女、 子供が代って出る事になっている点、 部落の義務的. 共同作業となつている。 学校建築、 教員住宅建設の時も無償の労力 奉仕を割当てられるが、 これに 対 しても特別不平がないのは児童が学校の世話になつている し、 将来も世話になると言う身近かな. 目的を通 して義務感が起るのであろう。 しか し二つの 部落仕事を通 じて言い得る事は、 かかる共同 作業に従事させられる事が部落民にとって自由の圧迫とか、 拘束とは考えられず、 当然出役すべき であると言う積 極的態度を強く示 している点 は水を通 じての共同作業と同様である。 て 4 ) 信仰に結びつく集団 信仰に結びつく集団と して主 要な集団は氏子集団である。 鈴木教授は 「氏神は自然村守護の神社. で、 自然村の独立的存在はその氏神に客観的標識を示 したのであるが、 その氏神の共同維持は自然 9 ) 部落における組織 村の成員等を飽 くまで強固な集団に団結せ しめずにはおかなかった。」 と言い、. 的集団と しての重要性を認 めているが、 部落民は 常時氏神に対 して崇敬心を抱き、 参詣する し、 部. 落内平安のため種々なる共同祈願を行なう事により、 部落民の共同意識を鼓舞 してきた事は事実で ある。 神社の社会的機能が失なわれてきた現在においても、 なお最少限度に必要なる協力は氏神の 0 1 ) 神事に関する協力であると言われている。 調査部落においては5部落毎に氏神はなく、 叉置杵牛全体の象徴たる神社もない。 ここでは下精 美、 上精美、 藤井部落を守護する氏神と して置杵牛神社 (祭神、 天照皇大神、 八幡大柿) が下精美 部落に あり、 中央、 協英両部落守護の氏神と して明治神社 (祭神、 明治天皇命) が あつて、 部落民. は氏 子と なっている。 部落民の 神社に対する 崇敬心は戦前より 薄れたとは言え、 初期に 開けた協 英、 中央部落民の うちには毎月 1 日、 15 日に必らず参詣する者が10人位いる。 叉神社区毎に置杵 牛神社青年会、 明治神社青年会が青年達によって結成され、 月 1回神社及び周辺の清掃を行ない、. 祭りの時には進んで奉仕するなど、 氏神に対する崇敬心は他農村より強い。 祭典は明治神社は 8月. 30 日、 置杵牛神社は9月 7 日に執行されるが、 各部落の氏子総代が世話役とな り 祭典費と して一 、. 00円、 米2合、 余興費と して一戸平均 30 0 円の寄附金を徴収する。 前 日の宵宮祭と本祭の2 日 戸1. 間は部落の仕事休みとなり、 祭儀の外子供、 青年相撲が行なわれ、 更に映画、 芝居、 演芸等が市街 地から出張 して盛 大 に催 おされる。 このように府県農村部落程でないにしても、 氏神を中心と して. の部落民の結び付きは強いと言える。 その他の祭と しては各部落毎に部落会長が指揮 して行なわれ る地鎮祭がある。 毎年9月 下旬 に秋の初穂 を供 え、 部落民を培ってきた土地に感謝する意 味で、 神. 主 を 呼んで祝 詞をあげて貰った後で一緒に共同飲食をなす習慣 になつて いる。 祭は1 日だけで、 そ の 規模も小さいが、 仕事休みとな り、 子供相撲を行ない、 青年、 部落民主体の演芸がなされるので ある。 この日に馬の霊を肥る馬頭観音祭を併せ行なっている所もある。 (下精美部落) 次に農村部落では単純な農民を相手と して新興宗教が入り込み易く、 信仰、 祈蔭によって病気の - 58 -.
(9) . 北海道農村における部落の構造. 治癒、 災害の予防を しようとするのであるが、 中央部落の0家の主管せる神道神理教 は他部落も含 めて10数人の信者を集めている。 神理教は天照皇大神外18柱の神を神体と してその教義は 「在天. 諸神の無量不測の霊妙、 天然固有の理法と して顕幽を通じて厳在せろを神理と称 し、 言霊をもって この理を正 し、 大義明分を立て、 善悪応報、 盛衰栄枯の因由を明らかに し、 皇上を奉戴 して祖先の. 祭記を重ん じ、 子孫 を愛護 し. 常に理に合わ ざることは言う事なく、 行う事なく、 口に唱うる事は. 一念これを守 り、 身これを行ひ、 虚礼を捨て、 実務に就き、 古道に意をとめて礼法を興 し、 国風を. 振起 し、 もって邦家の安全 一般衆庶の 顕幽の幸福を祈願するにあ り。」 と、 すなわち 祈陰によって. 生活の幸福を断らし、 広く社会を 明るく出来る と言うのである。 毎月 20 日に祭が 行なわれるが、 置杵牛地区内部落、 地区外を含めて、20人~30人位集まってくる。 全国的にも普遍的な天理教は 協英部落に戦前からの布教師Fがいて、 地区内部落の信者は15 、6人で、 毎月 13 日は仕事休みで祭 を行ない、 集まる者 10人位ある。 叉協英部落K家において は、 名称はないが. 天照大神を祭神と し、 祈蔭によって病気 治 癒、 回復 がなされると言う信仰に結びつく集まりがある。 医者が手離 した病気、 精神病者が月 に 3.4人集. まってくるが、 それらの病人を自宅に寝泊りさせ、 主管者K夫人が自家の祭壇において、 お倣いを し、 懸命に祈り続りていると、 自然に病人の心も清められ、 体内の毒が排遣されて病気も治癒する 1 日も断食する事によって、 重 と言う。 ある時には毎夜 子の刻に神社の裏で水ごおりを しながら、2. 病の精神病者も 治癒 したと言っている。(K夫人より 直接面接聴取による。 ) 毎月 15 日は一家の仕 8 事休みとなり、 7 、 、 人の礼拝者があり、 その際接待、 飲食する事に していろ。 このような信仰も 2. 3人の成功者を出せば 信者を容易に獲得出来るのであるが、 同部落内部落民の話では、 信者は同部 落内より他 部落、 他地区部落に多いと言う事であった。. 以上述 べてきたところでは調査部落内の信仰に結 びつく集団は比較的多いが、 之は開拓の歴史も 5 年であ り、 それまで 奥地の中央、 協英両部落は 封鎖性 古く、 市街地とのバス開通も戦後の昭和2. が強かった為めである。 然 し市街地との交通頻繁により、 病院も整備されてくれば、 単純な信仰に 基づく集団は解 体 してくるであろうが、 氏 子集団のみは筒組織的な集団として残るであろう。 ◎. 生産協同部落会. 部落民の出生、 死亡、 移動、 税金納付等の日常的な面から、 肥料の購入、 生産物の売渡等の生産 的な面は、 部落民が個人的に解決するのでなく、 何 らかの機関を通 してな されるのが普通である。. 殆んどの部落 では経 済的な面は農事 実行組合を通 じて、 行政的な面は部落会を通 じて行なわれてい. ろ。 実行組合は農業協同組合の下部組織と して、 部落民との連絡にあたり、 部落会は役場、 その他 官庁 との連絡機関と しての役割を果 している。 従って此の二つの機関は部落民が絶対にの がれる事 の出来ないものであるが、 部落民自身も大 きな関心を持っているのである。 5号 により部落会は全国的に廃止されるに伴な い、 当部落でも部落会が廃 さ 戦後22年5月 政令1. 5年頃から 部落民の自主 れ、 代って部落駐在員をおいて 部落の行政的事務を行なわせたが、 昭和 2 的組織と しての部落会が復活 し、 同時に経済的な生産活動の連絡機関と して、 農事実行組合も結成 されていた。 然るに昭和30 年頃より 二つの機関と 二人の長があっては事務的に煩頃 混乱を招 く. 事、 之 からの部落活動が生産活動を主 体としたものでなければならないと言う、 主とLて役場側の 提唱に よ り、 両者 を合体 して 生産協同部落会を結成 して. 昭和32年4月 より 之の一本化の下に活. 動 して いる。 各部落毎に統合的な生産協同部落 会が結成されれば、 自然、 官製的色彩が強くなり、 此の会を通 じて部落民が圧迫を受けると言う理由から部落民間に強い反対もあり. 農民同盟も部落 民の自主性を奪うものと して反対意見を表明 したが、 結局役場、 農協などに押 し切られて結成され - 59 -.
(10) . 北. 村. 達. たのである。 その目的 として規約第二条に 「此の会は行政区の協力機関と して行政事務の円滑なる推進を図ると共に、 農 業経営及び農家生 活の改善合理化を促進 し、 農業生産力の増進と経済流通 における自主的共同体制を確立 し、 併せ て会員並びにその家族の文化的水準、 社会的地位を高める事を目的とする。」 とあり、 更にその事業として第三 条に、 一. 農業経営及び技術の改善に関する事業. 二. 農作業の協同化と労働効率の増進に関 する施設. 三. 農 業の目的に供 せられる土地の造成、 改善若 しくは農業水利施設の設置若 しくは管理. 五. 生産物の共同販売、 資材必需品の共同購買、 共同加工利用等会員の利益増進に関する事項 生活文化の改善向上に関する事業. 六. 関係機関との連絡調整. 七. その他目的達成上必要と認める事項. 四. となっているので、 部落民の生産活動の大 部分と生活、 文化活動も部落会を通 して行なわれるので ある。 成る程規約第二条には自主的 共同体制の確立と言う事になっているが、 何処まで部落民の自 主制が尊重されているかは疑問であ り、 事実部落民が自由の圧迫であると言っているところから、. 役場と して は生産 協同部落会の結成によ り、 支配機構を通 じて部落扶序の確立を図らんと している. 意図は見のがせない。 かかる動きは 全国的な現象であって、 講和発効後 町村役 場の指導で部落会は 1 1 ) 復活傾向を示 してきたが、行政の遂行を確保するための末端組織と して重視されているのである。 調 査部落における 部落会の活動状況をみれば、 会組織は会長 の下に総務、 産業、 社会、 教化部を. おき、 総務部は庶 務会 計を担当 し、 産業部は農業生産に関 する一切の業務を行ない、 社会部は青年、 婦人の指導、 生活文化の改善の事業を行 ない、 教化部は冠婚葬祭を担当 している。 会合は用件のあ. る都度開かれるが、 大体月 2~3回、 部落会館に集合する事になっている。 会の運営は会長が独断 的に議事を進めていくような事なく、 全員の自由なる発言を尊重 して行なわれる。 しかし大抵の場 合3~4人の論客の発言に 左 右される事が多い。 但 し税務署の 作況調 査、 農協より資金の借入れ、. 冷害資金の割当のごとく、 直接自己の利害に関係する事項に就いては、 それぞれ自己に有利に主張. するので纏まらない。 それだけ部落民は打算的、 功利的になっているのである。 特に毎年所得税の 基礎となる作況調査の際は、 部落全員総出で各戸を訪問 し調査する、 共同監視をなす部落 (中央部. 落) もある し、 部落会で数名の委員をあ げて精密に調査する部落 上、 下精美部落)もある。 会長、 部長の役職に 就く事 は出来るだけ避けようと している。 役職に就く事は部落民の生産活動を犠牲に する し、 事務的仕事に 不慣れなためもあるからである。 特に会長になる事は極力拒否するので、 本 来公選制を採るべ き役職員の選出は、 各班より適任者を推薦 して貰って、 その上で家庭的に労働力. に余裕ある者を全員で選出するか、(協英部落)推薦委員数名をあげて適任者を選 出する (上、 下精 美、 中央 部落) かの方法を採っている。 生産協同部落 会組織 になってから、 会長のなすべき、 処理 すべ き事項が、 如何に複雑多様であるかは、 昭和 32年 7月 中に会長宛に 各関係機関より 送付され た調査及 び指令事項をみれば了解されるが、 下記のごとくである。 町役場よ り. 1 冷害米麦 7月分売渡 しに就いて 2 美瑛町納税協力委員設置要綱 3 美瑛町第 8回綜合家畜品評会について 4 夏作物作況 調 査について - 60 -.
(11) . 北海道農村における部落の構造. 5 引揚者給付金等の申請手続について. 6 米の予約代金処理精算書送付の件 7 予約米前渡金による町税の納入について , 8 共同施設納税通帳の送付と取まと め納 入の依頼について 9 農業経営調査書の記入提出について. 農業協同組合より 1 32 年 度 米 申 込 に つ い て. 2 燕麦の損害評価の提出について 3 稲熱病対策について 4 米前渡金支払いと引当債務の控除について 5 貴地区懇談会決定日御案内について 6 農協拡充五ヵ年計画に伴なう出資増口計画達成について 7 菜種 並 びに除中菊の集荷について 8 藁工品の配送について 上川税務署より 1 32年農作1人 物作物毎作付面積及び1人 別の主 要作物毎反収調べ について 2 納税促進対策について 3 滞納整理に基く滞納徴収実施計画書 公民館長より 1 高令者調査 について 共済組 合長より 1 農作物共済掛金並に賦課金納 入告知伝票、 領収票送付について 選 挙管理委員会より 1 農業委員選 挙投票入場券の配布に ついて 日赤美瑛分区長より 1 日赤社員募集について このように会長に送付された書類を農民に伝達すると共に、 部長と協 ガLながら短時日の間に各 関係機関に送付しなければならないので、 若 し克明に正確に調査を行なうとすれば、 自分の仕事は 殆んど犠牲に しなければ ならないのである。 叉週に 1~2回は 各関係機関との連絡、 会合のた めに 市街地まで出掛 けて行かねばならないし、 寄附金も集めなければならない。 更に部落内の堤防が決 に処理方を持ち込まれるので、 壊 した り、 有線放送線が切断されたり、 電柱の倒壊等、 すべて会長.. 会長にな り手がないと言う事は当然かも しれない。 これだ け多忙な業務に従事 していながら、 役場 よりは年に2千円の 手当のみしか与えられておらず、 バス賃にも不足する状況であるか ら、 各部落 000円拠出 して、 会長に年1万円、 部長には3千円程度の 手当を 謝礼と して出 とも一戸500円~1 , している。 この手当の一部を1 日1人500円に換算 して 労働力を提供 して 差 引く所も ある。(中央. 部落) しかし各関係機関で利用 する 限りは、 それぞれの機関で相当額の報酬を与えるのが当然であ ろ う。. 次に部落会の 下部組織となっている班との関係については、 班長は会長との連絡の役割を果 し、 種々なる調 査、 指令を通報し、 冠婚葬祭の世話、 寄附金集め、 電燈料金の徴収、 班内の災害 班員に‐. 予防等が主たる 仕事 であって、 重要な事項はすべて部落会において決議され、 会長と班長との間は - 61 -.
(12) . 北. 村. 達. 上下的な命令関 係にはないのである。 最後に5部落を統合 して 置杵牛行政区となっていて 区長がおかれているが、 (現- 在下精美部落の ○が区長) 区長と部落 会長との関 係について検討を加えよう。 町条例によれば、. 「本町の行政運営に関 し民主的に して、 且つ能率的な組織及び行政の確保を図るために行政区を 定め、 その下部組織に部落会を設置 し、 それぞれの区に区長及び部落会長をおく 」 。 とあり、 生産 協同部落会 規約第二条の冒頭には、 「こ の 会 は 行 政 区 の 協 力 機 関 と して・…・ ・」. とあり、 叉同三十条には、 「会長は区長に必要 な事は、 その都度報告 しなければならない。」. とあ り、 これ等の条文により部落会長は区長の指揮下にあって、 行政は役場--区長--部落会長. と言うコー スを通って浸透 していくかに みえるが、 実状はそうでなく、 役場--部落会長--部落. 民のコースを辿 り、 両者の緊密な関′ 係はみられない。 それは役場の調査、 指令が9割まで部落会長 を通すからである。 只地 区内全部落民のための福祉の仕事 地域の発展のために必要 な仕事 例え 、 、 ば区内 の道路の全面 的補修、 河川修理、 衛生 掃除 予防注射等は区長の指揮の下に行なわれて い る 、. に過ぎないo 以上によって 綾々述 べてきたが、 生産協同部落会は特異な組織であり これを通じて除々に部落 、 民の自由 が抑えられ、 部落民の共同連帯が強 化される事は容易に予想され る所で これに抵抗 し 、 、 真の意味で部落民の自主性に基づく共同体制を作り上 げるた めには、 部落民個々の自覚に期待 され る の で あ るo L か し現実においては逆コ←ス傾向にある事が調査を通 じて観察された 。. ( 6 ) 学校及び学校周辺 集団. 農村部落 における学校、 青年団、 婦人会等の諸集団は鈴木教授も指摘するごとく 明治以降 一貫 、 して農村部落 に存 していた古い社会機構、 古い権威の組織に絶えず挑戦 し、 それを侵害 し破壊 して ] 2 ) 特に戦後において はその集団の名称は変って も 学 校 青年会 婦人会 きた事は確かであ る。 、 、 、 、 母の会、 生活改善会等は部落に残 る封建性、 封鎖性、 家族主義的性格を払拭 して 漸進的にせよ開 、 放的、 民主的性格を植え付けて きた事は事実であるが、 その過程においては絶えず部落にある諸集 団との間に摩擦を起 し、 その度毎 に民主化が阻まれてきた。 調査部落におけ るこれら集団の機能と 活動状況を探って みよう。. 小学校 は既に明治40年 7月、 戸数 15戸収容児童数10名で、 置杵牛簡易教 育所と して発足した 。 歴代校長9名、 現在小中学 校併置で、 それぞれ3学級編成で、 置杵牛地区内5部落を学区と してい る。 学校 と部落民の結び付き、 児童教育に対する部落民の関心、 学校を利用 しての社会教育等はす べて学校長 の考え方、 態度に影響される所多大である 僻地部落にいく程 教育者と して 文化人 。 、 、 と しての校長の地位 が高まるからである。 その点前任校長 Mは児童教育面でも 最も理想 的な校長 、 と して信望を集めて いた。 彼は学校内では教官達と良く融和 していた し 部落各戸を平均に公平に 、 廻り、 児童が事故、 病気で休んだ時は自ら家庭訪問 した事 児童教育に熱心 ・で、 中学生 の上級校進 、 学を進 め、 放課後一時間の補習 授業を行なった事 学校を社会教育上のセ ンターと して 青年 婦 、 、 、 人に自由に開放 した事、 青年学 級のカリキュ ラムに新鮮な内容を盛 り、 青年達の集ま りが良 かった 事、 PoToAの運営に当っては会長と良く相談 し 会計は父兄側 に任せた事等 実行 した事自体は 、 、 極 めて平凡であるが、 この事を一般に農村部落の校長 は実行出来ないのである ある校長は只権威 。 を以て部落民に臨み、 あるいは部落民と完全妥協するか、 部落の特定の派閥に 所属 するか あるい 、 は利己的になるか、 諦観的に教育を放棄するとか、 種々なる型の校長が生れるが 何れの場合も一 、 一 62 -.
(13) . 北海道農村における部落の構造. 方に偏 して部落民から好意を受けられないのである。 現校長Yも児童教育に熱心 であり、 毎年青年学級を開設 し、 部落の文化的行事に学校を開放 し、. 学校主催の映画会を開催する等積極的である。 しか し調 査の過程 において、 敢えて部落民の非難を. あ げれ ば、 「教員間が必ず しも融和一致 していない。 」「学校の 利用に対 して 厳格すぎる。 例え ば青 」「余り部落民の所を 訪問 して呉れない。」 事であっ 年会、 その他の会合には 時間を厳守 し過ぎる。 た。 それにも拘 らず部落民の学校に対する協力には殆ん ど一致 し、 対抗的意識 はない。 運動会、 文 化祭は部落の仕事休みとなって、 殆んど全員参加 し、 特に運動会には青年、 父兄達の種目も相当入. れられて、 子供達と共に楽 しんでいる。 校舎の改築、 教員住宅の建 設には金銭的な援助の外に無償 で労力を提供 している。 例えば今夏8月、 教員住宅の4戸建の増改築には、 部落の半額負担の条件 附で進 められたのであるが、 全戸1戸平均 2千円の寄附金を納入 した外、 PoToAの仕事と して、. 毎日各部落で4~5名、 1ヵ月間無償の労力 奉仕を して完成 したのである。 昨年の凶作で経済的打. 撃が深刻であったに拘 らず、 労力 奉仕に対 して部落民は全然 不平を洩らさず、 進んで参加 している. 事は学校に対 する協 力の高さを裏書 していると言えよう。 叉PQT◎Aは会長、 副会長の下に各部落 に1名の評議員が選出されており、 すべての決定は2ヵ月に一度開かれる評議員会で行なわれてい る 点、 民 主 的 に 運 営 さ れ て い る と 言 え る。. 次に青年会、 青年学級、 婦人会の活動である。 これ等の集団的活動は静止的な部落社会の中に新 しい芽を育成 していくものであり、 特に農業技術の改良、 新 しい農法の導入、 農業の機械化、 生活. 改善運動を通 して、 絶えず新鮮な息吹を与えるものであり、 彼等の自主的、 積極的な活動は非常に 期待され るのである。. 青年 会の動きと して前述 した二つの神社青年会は氏神に奉仕するために結成された青年会である が、 外に 5部落を統合し、 学校を中心と した置杵牛青年会が結 成され、 男女含めて 70人の構成で、. …′機関誌発行、 弁論大会。 産業部 …ハ農 会長の 下に部制を施いている。 すなわち総務部、 修養部 /. 業 プロ ジェク ト、 品種改良、 肥料投入法、 農機具操作法の研究。 娯楽部 一 青年会終了後の レクリ ・野球、 卓球、 陸上競技、 バ レ←。 ェト シ ョ ン、 演 芸、 ゲー ム、 フ ォ ← ク ダ ン ス の 実 施。 体育 部 \~. 家政部-- 衛生、 料理、 講習と5部に分れて活動 している。 月 1 回青年常会が開かれるが、 集まる のは半数程 度に過ぎない。 その理由と して、 夏は多忙であり、 冬 は男子青年は造材山へ出稼労働に. 出掛 け、 女子青年は町へ洋和裁の修習に行くからである。 会は高校出の青年が主体となって運営 し. ているが、 女子青年の発言が少なく、 常 に 男子青年にリー ドされている。 これは彼女達が育成され、 成長 してきた家庭内で常に発言を 封ぜられ、 自由を拘 束されてきたため で、 自由討議出来る環境に. 馴 じめないからである。 活発な活動と して注目されるのは、 機関誌 「会 の窓」 の発行と産業部の活 動である。 機関誌はガリ版刷ながら、 年3回発行され、 歌、 俳句、 詩、 随筆、 感想文が多彩に載せ られている。 ここでは会員の不 平、 不満も自由に述 べ られているが、 平生無口な女子青年にとって ‘陽光” と題 も唯一の不満のは け口となっている。 例え ば会誌 8巻 2号で中央部落の女子青年D は ‘. してその中で 「……前略……家庭内での封建性の抜 け切らないのも農家に特に多いよ うで、 古い因 習にとらわれ 世帯主とい うか、 父、 祖父の権力が強く 女性の意見を聞こうと してくれないo「女に. 何が出来る」 と言う観念がそのような人々の頭から離れないので しょう。 それでもと思い、 意見を 述 べた り、 いろいろな相談を持ちかけ ると終には暴力に訴え るような事 が長い間積み重ねられ、 女 性の地位を奪われたのです。 ……中略……叉自分を自分の価値以下に評価 しておる人が若い私達に 多いの ではないかと思います。劣等感を覚え「自分には何もする事が出来ない」「何も言えない」「誰 かが代りに言ってくれるでLよう。」 と他人に頼る、 自分を諦めている。 このような人を何時も見 - 63 -.
(14) . 北. 村. 達. かけます。 ……路……まず私 達の知識を高め、 家族と話合ってもその話に乗っていけるようになら なければならないと思います。 叉若い私 達はすぐ感情的になりますから、 その点に注意 し大らかな. 気持で話 し合う事です。」(原文のまま) これは当地区の女子青年の気持を端的に述 べて おり、 彼女 等の地位の低さを家庭内における家長の権力の強大と彼女達自身の劣等感に求 めて いるの である。. しか し反省と して積極的に自己の教養を高め、 勇気を以て古い伝統の壁を突き破らんとも していて. 現 在はもがきの段階 にあると言える。. 産 業部では如何に生産 活動を能率化 し、 反別収量を高 めるべきかに力を注いでいる。 全町的に毎. 年農業祭が開かれ、 俵あみ、 農薬の鑑別、 肥料の投入 稲熱病の鑑別、 鶏の飼育法等の競技会が持 たれ、 部落青年会と して参加 している。 以上で青年達の全部ではないが、 青年会活動を通 して生産 の 向上を図り、 自己の教養を高 めようとする意欲的な動きは十分みられるのである。 しか しその活 動が常にスムースに行なわれるのでなく、 部落の中年層以 上の人達の意見と衝突する事もあり、 こ れ等の人 達が持つ古い考え方を啓蒙 し、 叉如何に協調 していくべきは今後に残された課題である。. 青年学級は既に前任校長時代の昭和 2 6年より開設され、7年間連続 して続けられているが、 青年 自身も積極的態度を以て自己の教養を高 めよ うと しているのである。 毎年青年学級運営委員会を開. いて、 年度のカリキュ ラムを定め、 その内容も年によって異なるが、 国語、 社会、 農業、 珠算、 芸 能 等多面的であり、 特に一貫Lて社会、 時事問題に対する関心は強く、 新聞解説、 時事解説が開か. れ、 社会の進展に遅れまいと している。 月 3~4 回、 夜間 8時~10 時頃まで授業があり、 年間100 時間以上を目標と し、 講師は小中学校教官が主体となり、 農業改良普及員、 農業指導部も担当 して 0 人集 まるが、 受講態度は積極的で、 最近は音楽、 踊 りなどの情操教育 いる。 男女合 して 30人~4. も希望 しているが、 適当 な講師が得られず足踏みの状況である. 部落における婦人会の活動は自主性が奪われている点特徴的である。 戦後各部落単位に 婦人の自 由意志に基づいて 地域婦人会が発足したが、 活動が停滞 したので、 農協の指導部が積極的に干渉 し て、 各地区全部落を対象と して農協婦人部を結成 し、 各部落毎に農協婦人部、 中央支部、 協英支部 と言うごとく、 支部制で、 支部長を連絡指導係 と している。 部落内主婦はすべて支部に所属 して会 員となっている。 農協の指導下にあるので会費は無料だが、 農協から号令をかけなければ、 動けな いと言う官製的色彩 が強く、 自主的な活動は殆んどみられない。 活動内容と して料理の講習、 布団. の綿入講習のように実生活に直結するものは集まりがよく、 修養講座講演等は集 まりが悪い、 貯金 の督励は何処の支部 でも熱心であるが、 これは貯蓄、 勤倹の気 風に慣 らされてきた家庭の伝統にも よる訳で、 極 めて少数 の例外を除き、 金があって も生活の合理化、 簡易化のためには使われていな い。 婚礼には莫 大 な金をかけても電気洗濯機、 ミキサトの入っている家庭は全然ないと言う状況で ある。 叉農協では家庭婦人解放の主旨から毎年2回婦人部主催で、 日帰 りあるいは一泊で温泉、 慰. 安旅行を 一部補助を出 して 計画実施するが、 当地区全体で参加する主婦が20人程度であるのは、 未だ家族内の家長の権力の強大な事を裏書 している。. 日常生活が 極めて切り詰 められて いるに拘 らず、 結婚の際には20万円程度出費 し、 結婚後5年 間 位の衣服を準備 し、 披露宴に30~40人も招待 して 無駄な支出をな 寸賞習があるので、 婦人会を. 中心に婚礼の簡素化、 その他生活改善を行なうべ く強く提唱されていながら、 それを着実に実施 し ているのは上精美婦人会の み であった。 ここの支部長F夫人は農村生活の旧幣打破に熱心で、 自ら 00 円、 婚礼祝 モ デル住宅を建て、 家庭内の人間関係にも明るさを持たせると共に部落内では香典 2 儀 300 円、 披露宴は酒1人 2合平均、2時間以内切揚 げと し、 婚礼の引物、 香典返 しは しない事、 年. 始、 祭には隣近所を飲み 歩かないで、 部落会館で簡単に行なう事を取定めてあるが、 良く実行され - 64 -.
(15) . 北海道農村における部落の構造. ている。 以上によって婦人部の活動を みてきたが、 上精美婦人部 を除いて、 全体と して自主的活動 はみられない。 しか し真に個々人の自覚による活動が行なわれなければ、 婦人の低位からの脱却 は 望 め な い で あ ろ う。. 7 ) 機能的集団 ( 以上述 べてきた所 で、 大体部落内の集団 は尽きるの であるが、 最後に機能的集団は特定の要素的 な機能のみを遂行 している集団、 したがって集団と して明白な目的を有するが、 常時農民を拘束 し ている集団 でなく一時的なものである。 主と して法 に 基づいて結成された集団が多い。 第一に各部. 落毎に結成されている納税組合である。 これは税務署の勧奨によって作られたもの で、 部 落民の税 完納を 目的と している。 各組合に組合長がいて部落民を督励 しているが、 協英納税組 合を除いて、. 各組 合とも組合員は、 税は個 人的に自由意志で納付すべ きであると して、 強制される事を好まない から、 納税組合は有名無実 となっている。 反対に協英部落ではE組合長が卒先 して納期前に各戸洩 れなく督励 して歩くので、 3年間完納 して表彰され、 数万円の報奨金を得ている。 組合ではこの金 を農民 に貸付けて生産向上のために使われている。 この組合の動きに 対 して部落民の意見を求めた 所、「納税は 義務で、 組合長の督励は強制とは思われない。 」 と言っているので、 現在の所問題はな い。 しか し完全に部落民の自由を拘束する事になれば、 組合設立の主旨から言って好ま しくないだ ろ う。. 次に各部毎に設置されている水防組合であるが、 昭和24年制定の水防法に 基づ いて作 られ、 本部 を美瑛 町役場においている。 水害予防、 堤防決潰 に 対する協力などを目的と している。 川は部落 民 の生産の基礎であり、 生命でもあるから、 災害予防、 復旧に対 しては全部落民 総出で、 徹宵作業に 従事する彼等の行動は功利性に基づくと言うよりは寧ろそれ を無視 している。 道路愛護組合は置杵牛地区単位におかれ、 主と して町道の補修整備に当るが、 前述 したごとく部. 落仕事と して無償で労力を提供する場合が多い。 幹線道路は生産物の運搬、 市街地との連絡上欠く べ か ら ざ る も の で あ る と 言 う 功 利 性 も 働 い て、 不 平、 不 満 は な い。 役 場 よ り トラ ッ ク、 ダ ンプ カ ー. を廻 してくれるので、 部落民の 仕事と しても 砂利の運 び出 し位のもので、 年 間作業日も 2~3 日 に 過ぎない。. 農業協同組合、 農民同盟も農民にとって切 り離す事の出来ない集団であるが、 これ等は全町的組 織であって部落と緊密に結びつく集団でないから、 分析を省略する。 只美瑛町農民同盟 は 各部落毎 に部落 委員、 行政区毎に執行委員をおき、 月一回執行委員会を開催 して、 各地区の状勢を分析 し運. 動方針を決定する。 活動の内容と しても、 税対策、 税の減免、 共済組合金の査定、 融資、 農手の延 期、 農家簿記の指導、 農業法規の説明、 部落懇談会会催など直接生産に プラスする事多く、 農協に. 協力 しながら、 プレ←キもかけて部落民の福祉を図っている。 特に税対策のためには税務署と別個. に作況調査を行ない、 税務署と対決 して税の軽減を図っている。 この点では部落民が一致 して感謝. している。 更に農民同盟が真に農村部落民主化の拠点となって活動する事は、 最近の農村部落逆コ ←ス傾向に対 して、 極めて期待されるのであるが、 現在はそこまで運動が活溌化 していない。 IV 部落共同体の構築と解体. 以上によって部落内の諸集団を分析 してきたが、 本項においては結論的に最近問題とされている. 部落共同体の成立と構築、 更に進んで解体の過程を探って みよう。 序説においても述 べた ごとく共. 同体成立の契機 は集団と社会関係の累積によ り社会意識の統一が図られねばならず、 叉福武直氏は 「共同体を して共同体たらしめる基礎は、 あまりに も幼弱な 農業生産が共同なくしては 成 りたちえ - 65 -.
(16) . 北. 村. 達. ないところにあった。 それは したがって共同組織と してとりあげられなければならないわ けである が、 その生産の共同組織は、 これを 基底と して 生産以外の 生活面においても 共同組織を 作りあげ ]の 両学者の説 によ り 府県農村部落では 農地改革後においてもなお 一町 る。」 と言っている。 、 、 、. 歩以下の土地所有者が多いため、 他との生産的共同がなければ生活が成立たず、 それに山と水によ る共同体的強制 も 伴なって、 苔8落共同体が構築されてくるのである。 更に部落共同体成立は部落に 発生する集団 の多くが、 同一部落内の構成員を以て形成される事、 集団が累積的機能を有 し、 多様 な紐帯で部落民を結びつけている事 によって社会意識の統一が図られ、 共同体的強制が生れよう。. 叉部 落内で部落民の欲求の大部分が充足される事も、 共同体構築のた め の条件となろう。 かかる目. 途の下に集団分析の結果に検 討を加えよう。. 部落単位で全部落民包括的な集団と しては部落会と若干の機能的集団 しか発見出来ない。 機能的. 集 団は単一な目的のためのみに結成された 集団で、 常時面接的集団でない故、 拘束力は一時的であ. る。 生産協同部落会は詳述 した ごとく、 行政上の末端組織と して、 役場の支配機構が部落会を通 じ て部落秩序の確立を図らんと している動きは注目される し生産、 生活の両面において農政の確実な. 侵透を 企図する 事 に より、 部落の共同連帯を 強化 しよ うと している。 部落民自身はそれらの動き が圧迫的であると意識 しながら、 強いて反対 しようとせず、 自然 に自主性が奪 わ巾 ていくようであ る。 共同体成立に不可欠とされる生産上 の共同組織体に就いては、 水の共同利用、 田植え、 収穫時 の協力を通じてみられる。 そのうち共同に田に 水を入れる、 水を抜かねばならない所の水を通 じて. の共同組織体は、 毎 年一定の成員で構成され、 無制限的協力をなす点で、 依然と して水 によ る強制 は避けられない。 しか し田植え、 収穫 時における共 同作業は年 によ り構成員が移動する し、 自由な. 相互作用で結びつき、 単一な目的のみで結合 しているので、 目的 が達せられれば直ちに解消するか ら、 此の集団を構成 しているところの各戸間の結合力は一時的であり弱い。 叉年々賃金労働者を入. れて合理的な賃金を支払って、 個別的経営を行なう者も増加 してきているので、 共同作業集団は年 々減少 している。 血縁、 姻戚関係が年を経るに したがい増加 しつつあるので、 これらの集団的活動. は十分 注意 しなければならないが、 彼等は 略々同等の 土地所有者であるため従 属関係に立たない 事、 家の伝統が ない事によって、 府県農村の ごとく同族的親族的、 集団活動はみられず、 僅かにイ ンフォーマルな集団と して命脈を保っているに過 ぎない。 部落単位ではないが、 近隣集団 が果 して いる機能はかなり 累積的であり、 農民の意識と行動は 規制される。 しか しこれも 7~8戸の班単位. で構成員が 少数であるのは、 府県農村のごとく 集村型でなく、 散村型の 居住形式を とるからであ る。 信仰に結びつく 集団の活動は 比較的組織化されている。 氏神に対する 崇敬心も 薄れていない し、 祭も盛んであり、 氏神を中心と して部落民の意識の統一が図られているが、 氏神は各部落毎で なく、 数部落を単位と して設立されている点で、 府県農村部落と異なるのである。 かくて部落共 同体は近隣集団、 氏子集団水を通じての共同作業集団、 部落会を通じて構築されつ つある が、 これに反 して、 イ ンフォーマ ルな集団、 機能的集団、 学校、 青年会、 婦人会等の活動は. 古い部落共同体を解体 しつつある。 更に解体化作用と して部落民の都市、 市街地との直接的関係の 増大も考慮 しなければならない。 美瑛市街地と部落間には毎日 バスが四往復 しているから、 自然 に 部落民は市街地に頻繁に出掛けていく。 世帯主は月に4~5回、 青年男 子は2~3 回、 女子は冬期間 毎日洋和裁に 出掛けて行く。 但 し主婦は月 1~2回 に過ぎない。 市街地 には 各種専門の商店、 飲食. 品、 生産 関係の 官庁、 事務所の外、 公民 館、 図書館、 映画館も整備されているから、 部落民の経済 的、 文化的、 政治的、 娯楽的欲求のすべ てを満た して呉れる。 かよう な市街地との頻繁なる接触が 増加すれば、 集団的結合よ り個人的関係が優位的となる結果、 部落民の性格も個性的、 異質的とな - 66 -.
(17) . 北海道農村における部落の構造. るので、 この面より部落共同体の解体が促進されるだろう。 叉調査部落 に おいて は、 福武直氏の指 摘 するごとく、H) 過小農 なるが故に種々なる共同組織をとら ざるを得ない所に形成される共同 体の 成立は考えられない。 すなわち現在各戸の保有面積 で個別的な独立生産 が可能である し 今後生産 、 力 が 更 に 高 ま れ ば、 部 落 共 同 体 は 一 層 解 体 化 す る で あ ろ う。 1 ) 2 ) 3 ) 4 ) 5 ) 6 ) 7 ) 8 ) 9 ) 10 ) 1 1 ) 1 2 ) 13 ) 14 ). 19 5 7 ( ) ,9 .20. 鈴木栄太郎 「日本農村社会学原理」1 06頁 潮見俊隆 「日本の農村」17~18頁 0回、 日本社会学会大会発表要旨 「北海道開拓村の家族と部落の構造」 北村 達 第3 美瑛村役場編 「美瑛町史」588頁 8~589頁 前掲 「美瑛町史」58 北村 達 「畑作、 酪農村の社会構造」(教育研究紀要第8号) 26~3 鈴木栄太郎 「前掲書」3 27頁 小倉武一 「農民と社会」126頁 鈴木栄太郎 「前掲書」309頁 11頁 鈴木栄太郎 「前掲書」3 大島太郎 「日本の農村」46 頁 鈴木栄太郎 「前掲書」338頁 福武 直 「現代日本における村落共同体の存在形態」(村落共同体の構造分析)10頁 福武 直 「前掲論文」11頁 附. 記. 本稿は昭和32年7月 25 日の予備調 査、 8月 1日より4日間の現地調査、8月 28 日、 9 月 5 日 の 補足調査に 基づいて起草 したもので、 調査期間中、 町役場、 町教委の協力を得、 叉現地調査の際は. 置杵牛小学校山本校長、 打田教官の御協力を受けた。 なお調査費に就いては僻地教育研究所より助 成を受け、 叉本学飯野教授 の御校閲をいただいた。 各関係機関 並びに教官に対 して深甚なる謝意を. -愛す る 。. - 67 -.
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