「子供の歴史」をめぐる諸問題(II)
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(2) . 1 1 「子供の 歴史」 をめ ぐる諸問題 〔 〕. 浜. 雄. 忠. 目 はじめ に. 1 アリェス 『<子供>の誕生』 2 7リェス学説へのいくつかの疑問 3 「1 7世紀の全般的危機」 と子供たち ( 1 ) 「全般的危機」 の諸相 ( 2 ) 近世フランスの家族と産育 (その1) [以上前号] ( 3 ) 近世フランスの家族と産育 (その2) ( 4 ) 絶対王政と家族. 次 4. ルソ ー に お ける 「子 供の 発 見」 と 女 性 観. 5 フランス革命と女性, 母性 [以上本号] ( 1 ) 『女権宣言』 [以下次号] ㈲ 課題レポートを読んで ( 2 ) 「旧約聖書」 的女性観 6 「母性主義」 をめぐって おわりに (追記) 講義を振り返って. 3 「1 7世紀の全般的危機」 と子供たち (承前) ) ( 3 ) 近世フランスの家族と産育 (その2 17018世紀の子供たちをとりまく生存条件の話をもう少し続けることにします.. 図 29 を ご 覧 く だ さ い. 右 手 の 女 性 が こ の 絵 の 主 人 公 で ア ンリ 4 世 の 愛 妾 だ っ た ガ ブ リ ェ ルoデ ス. トレで, 左手の女性が授乳している子供はデストレの子供です, このように, 子供 が生母ではなく 乳母によって育て られることは ごく普通 に行われたようです, フランス革命の 前夜になりますが, パ リ の 警 視 総 監 ル ノ ワ ー ル が ハ ン ガ リ ー の 女 王 に 送 っ た 報 告 書 が あ っ て, そ れ に よ る と, 1780 年. のパリ では1年に2万1千人の子供 が生ま れるが, そのうち生母に育てられるのは1千人にも満た. ず, 住込みの乳母に育て られるの は1千人, 残りの1万9千人は里子 に出されるということです (これは大変有名な事実で, 沢山の研究書で紹介されてし・ますが, ここでは, 本城靖久 『18世紀パ 80頁と, 有地亭 『フランスの親子, 日本の親子』 985年, 1 リの明暗』 , 日本放送出版協 , 新潮社, 1 , 会, 1 981年, 33頁だけを挙げておきます) , 乳母を雇う習慣はフランスではかなり古くからあ った ようですが, 1 8世紀には里子の習慣とともに一般的な現象になっています, 里子は, 普通, 「運び 屋」の手で近隣の農村に連れていかれる(図3 0 ) . ひとりの乳母が同時に数人の子供を養うこ とも稀 ではなかったらしく, そのため, 保育状態はすこぶる悪く, 栄養失調や様々 な事故で死ぬことも少 なくなか ったようです. 図31は里子に出した子供の死に接して嘆く母親を描いたものです (ただ し, この作品が1 9世紀初めのものであることに注意してください, このような形で「母性」の責任 が表現されたのです) .. 15.
(3) . 浜. 忠 雄. 以前に (前号9頁) , グゥ ベールの研究 によ って, 12年間に9人というように短期間に数多くの 子供を出産すると い った例を紹介 し, そのような場合 には子供の死亡率が概して高くなること を見. ま した. そのようなケース はあるいは この 乳母や里 子の習慣とも無関係 ではないのではないか , , と思わ れます, という のは, 専門的な事 はよく解りませんが 母親が子供を自 分の母乳で育ててい , る間は排卵の再出現が遅れるため受胎しにくいということがあるのだそうです , 出産 の問題はまた産 児制限や避任の問題とも関わって検討されなくて はな らないことになりま す, これはかなり厄介な問題 ですが さいわい 教科書の『概説フランス史』(有斐閣 1 , , , 982年)の 第7章 「家族と性と愛の社会史」 で志垣嘉夫氏が, 「神を欺く方法」 としてマスの世界に広く行わ れ た と い わ れ る 「未 完 の 交 接 (coi tusinterruptus )」 を め ぐ っ て 興 味 深 い 知 見 を 提 供 して く れ て いま. す の で, そ れ に 譲 る こ と に し ま す, こ の 問 題 と 直 接 に は 関 係 し ま せ ん が グ ゥ べ - ル の 本 に あ っ ,. た, 初婚から初産までの間隔を示した図32は 当時の性習俗 の一面を窺わせて いて面白いと思い , ます, 大部分は1年な いし2年以内 に第1子を出産します が 1番多い のは1 0箇月 目. 現代風に ,. 言 う と ハ ネ ム ー ンoベ ビ ー と い う こ と で し ょ う か 次 が 9 箇月 目 です か らや や 早 産(?) 面 白 い の は . , ,. 少ない けれども8箇月 以内で出産する例 さらには ごく僅かなが らも婚前出産(na i さnu- t s s ance an , i l t ) もあることで, これらの場合 はいずれも 「婚前受胎」 を想定しなければならないでしょう. a e p 結婚を前提した性交渉というのもあるのでしょうが, それよりも, 女性が懐妊したため に (男性の 方 が) しぶしぶ, というのも随分あ った らしく, そのよう な 「やむをえざる結婚」 のことをいう i <shot-gun wedding> と か <shot-gun marr age> と か い う 言 葉 さ え あ る の で す. イ ン グ ラ ン ド. は「婚前受胎率」(正確には, 初出生児のうち結婚後8箇月 以内に出生した者の割合)の大変高し・国 で, 18世紀の前半で20%, 1 8世紀後半から19世紀初頭には30数%にも達 します. ちなみにフラ ンス では, 18世紀の前半ま でで6%, それ以後が10数%です (M.F1 1 乃8 鋭‘mpgの? i nn ‐ , De朔o ,7. r gmp崩じ 励跡のれ, ヱ5oo~ヱ820,1981; 遅 塚 忠 鰹『ヨ ー ロ ッ パ の 革 命』 , 『< ビジ ュ ア ル 版 > 世 界 の 歴. 史o14 』 985年を参照) , 講談社, 1 , 話を元に戻します, 志垣氏も触れていましたが, 乳母や里子とならんで注目しなければならない. の は捨 子 の 問 題. 図 33 は 17 世 紀 後 半 に 創 立 さ れ た パ リ の 「捨 子 養 育 院」 (H6pi l des Enfant ta s- Trouves ) の サ ンoヴァ ンサンリド・ポール院長と 「慈善の修道女たち」 を描いたものです 二宮宏 ,. 之氏は「7千人の捨子」 ( 『月 刊百科』 981年, 平凡社)という大変興味深い論文を書い , 第221号, 1 ておられます. パ リの 「捨子院」 の記録によると, 167 0年から17 91年までの年間収容数は図35の. グ ラ フ の よ う に な り, 1670 年 に 312 人 だ っ た の が 最 高 と な っ た 1772 年 に は7 676 人 と 実 に25 , , ,. 倍にも増加しています. この数の中には, 首都たるパリの特殊事情か ら パ リ生れの子供だけでな , く, 地方の子供 (1770~1790年頃で収容児の30~40%)や 時には外国生れの子供も含まれている , ようですが, それにしても, にわかには信 じられなし・よう な数字ですね, 以前に私は 別の本で , , 1 8世紀後半の ヴェニスでは, 年平均出生数5 61人のうち451人が捨子された (約9%) という記 ,1 事を読んで驚いたことがあります が (G, M. Cipola, β欲oだ 劫e Z 7 2燐岱かお/ 尺eりo/防ぎの2 , London , 1976 6 8 また図3 パ 6も参照) . . ,p , 18世紀後半の リの場合 は, あるいはその比率を上 回るかもしれ ません. 「捨子院」に収容された子供は, しかし, 1年以内に50% 60% 時には90%も死んでし , , ま っ た の だ そ う です,. あ の ジ ャ ソoジ ャ ッ クoル ソ ー が, 彼 自 身 『告 白』 の な か で 書 いて い る よ う に 下 宿 の 女 中 テ レー ,. ズと の間に生まれた5人の 子供を次から次にパ リの 「捨子院」 の 「回転箱」 に送り込んだ事実は大 変有名ですが, 二宮氏によれば, 捨子の理由は様々 であ って 例えば 主人と召使の間に生まれた , ,. 子供, 当時の庶民の若者の中に拡ま った同棲生活に由来する 子供など, 要するに私生児の他 にも , 16.
(4) . 1 1 「子供の歴史」 をめぐる諸問題 〔 〕. 9 [左上] 図2 浴室のガ ブリェル・ デス トレ. ぎ ラ ー - か ぎ滋ぎー ー、. - キー. き ’ [右上] 図3 三聴 r義三 0. 里子に出される子供たち. ; 諸違濯 諜嗣. 蝋. 犠醇 導 増 さ 凄、 ・. 1 [左]図3. 母親の嘆 き. h N ド 慰 さハ ロ ー ミミ. 図 32 初 婚か. . ・ 平 間-- ””-…+-------“…・ 50%.m一M▼--”--甲MM ,一” ・ I Auneu i l 1 735:436c ム 民 機 ミ 表 濠\ :1656‐ a s. □ CheEBouヒonne:XVmfs. Se {De );629c a s x v r e s U ‐. ら初産 100. ー 00. 恥 $ミ. ま ミ ミ\ で の間隔 L N u s へ N NN N 氷 \ . . 1 t t n e n - 8 e a s p r 123456 1 2 e ・ANNEE l t. r ÷ 小.ANNEE 21. T叩 蹴c. ‐ e 3e P. 4岬.. ÷ 「 5 17.
(5) . 浜. 図33. 忠 雄. サ ン ・ ヴァ ン サ ン・ ド ・ ポ ー ル. 図34 母親の子殺 しに対する死刑判決. 院長と慈善の修道女たち. リーヴル 50 バリ穀物市場にお 穀物市場における小麦価格. 図 3 7 パ リの. 1070. 1700. 90. 図35 パ リの 捨 子養育院の収容数. 捨 子 数 と 小 麦 価 格. 20. 10 陰児敦 5000. バリ養育院の袷児収容数. の. 1756 175 9 1765 1 776 1782 1783 1785 1 787. . 1 99 204 192 230 229 2 35 228 231. 210 201 233 248 238 244 233 250. MF 40 9 405 425 478 467 4 79 461 481. 5 246 51 72 5090 524 3 5166 50 77 50 74 5220. 図36 18世紀後半 ヴェ ニスの捨 子数 18. 8 7 , 7 8 , 8 3 , 9 1 . O 9 , 9 4 . 9 I , 2 9 ,. . 2000. 1 looo. 500 300 1670. 80. PO. 1700. 10. 20.
(6) . 1 1 「子供の歴史」 をめぐる諸問題 〔 〕. 正規の結婚から生まれた嫡出児もかなりの比重を占めたようです. しかも, 決して社会の最底辺の 階層だけでなく, 親方や商人層 にも見 られたといいます, ただ, 氏は図37を示しな が ら, 穀物価 コンフレリー 格の変動と捨子数の変化の間に 「緊密な相関関係があ った」 ことと, 「兄弟団」 のような 「伝統的 な共同体の粋が弛緩し, しかもそれに代わる新しい市民的共同体 がなお形成されるに至らない, 狭 1 3頁) 間の時代」の 所産であるとも指摘しておられます( , つまり, 捨子の問題は, 社会構造の在り 方 に原 因 して い る と い う こ と で し ょ う か,. 16世紀中頃にイエズス会宣教師として日本にや って来たルイス o フロイス の 『日欧文化比較』 (158 5年)の記述に, 「ヨーロ ッパ では, 生れる児を堕胎することはあるが, 滅多にない. 日本では 普通のことで、 20回も堕した女性 があるほどである」とか「ヨーロッパ では嬰児が生れてから殺され るということは滅多に, というよりほとんど全くない, 日本の女性は, 育てていくことができない と思うと, みんな喉の上に足をのせて殺してしまう」 とあ って(岡田章雄訳『大航海時代叢書oXI 』 , v』 7頁にも同 岩波書店, 1965年, 527頁. フロイス 『日本史al , 柳谷武夫訳, 平凡社e東洋文庫, 8 が 「堕 パ いわゆる 様の指摘がある) 日本とヨーロ の習俗を対比するのによく引かれるのです ッ , , 胎」 や 「間引き」 が特殊日本的あるいは稲作文化に固有の現象であ って, ヨーロ ッパ には存在しな か ったと考えるのは問題かも知れませんね, ヨーロッパ には 「間引き」 に相当する言葉はないのだ そ う です が, 「子 殺 し」 の 例 は い く ら で も あ りま す, 例 え ば, サ ン = ジ ェ ル マ ン o デo プ レ修道院 が所有した 荘園 では, どこ も男 女の 比率 に偏 り があ って, 最も甚だ しい場 合, 成人で男 は女の. 2,52倍, 未成年で1 6倍にもなる, 人口学者コールマンは, 労働力として価値の劣る女児を選ん ,5 と推論しているようです( 堀米庸三編『中世の森の中で』 l 』 で排除した結果, , 『生活の世界歴史ev , 80~181頁) 4は 1 8世紀末になりますが 河出書房新社, 1 975年, 1 図3 子殺しを取り締まる目 , , , 的でポスター化された, 「子殺しに対する判決文」 です が, これによると, 「子供の首を締めて殺. し, 死 体 を 便 所 に捨 て た」ア ドラ イ ドoマ ジ ェ と い う 2 2歳の母親に死刑の判決 が下されたようです,. 「子殺し」 や 「堕胎」 と 「捨子」 との間にはほとんど差がないと見ていいでしょう, また, 二宮, 志 垣両氏が共に書いておられるように, 「里子と捨子の現実の隔たりは, 原理上の隔たりほど大きく 4頁;志垣, 前掲論文「家族と性と愛の社会史」 89頁)とすれば, あ はない」 (二宮, 前掲論文, 1 ,1 るいは 「里子」 も含めていいのかも知れません.. ところで, 既に気付いているかと思います が, 図29や図33で描かれた子供の産着は実に奇怪な. l lot> と い い ま す が, こ う し た 産 着 は こ も の で す ね. 英 語 で <swaddl e>, フ ラ ンス 語 で は <mai の 時 代 の フ ラ ンス にの み 見 ら れ た 特 異 なも の と い う の で は な い よ う で す (参 照, 口 パ ー ト o エ テ ィ. 983年, エンヌ 「古代の医療意識と子供の生命」 , 『学校のない社会, 学校のある社会』 , 新評論, 1 138~1 42頁) . 先にあげたルイス◎フロイスの 『日欧文化比較』 にも出てきます が, 日本語では 「棚 裸」 (普通には 「おしめ」 「おむつ」 の意) と訳されています (前掲訳書, 5 3 6頁) , ルークスの説明 に よ る と, 「保 温 と 身 体 づ け と い う, 二 重 の 目 的 の た め」 なの だそ う で す が (フ ラ ンソ ワ ー ズ9ル ー. クス, 福井憲彦訳 『<母と子>の民俗史』 98 3年, 212頁) , 新評論, 1 , それにしても, いかにも窮 屈な感じですね, 私には, この時代のヨーロッパ の子供たちの 「不自由」 さがこの産着に象徴され て い る よ う に 思 えて な り ま せ ん.. さて, このように見てきますと, 《「1 7世紀の全般的危機」 ÷→ 「子供の魂o人格へのまな ざし」 ÷→ 「子供の発見」》という因果連関を構想することもあながち不可能でないよう に思えてきます, 物事かように単純化できるならまことに都合がいいのですが, ただちに, 不都合があることに気付 きます, ひとつは, この図式では, 「子供の発見」 が貴族◎ ブルジョ ワに限定的 (ないし先駆的). 19.
(7) . 浜. 忠 雄. に現れるという, アリェス がしばしば強調 していた事情を説明できないことです, なぜなら, 「17 世紀の全般的危機」 はひとり貴族 や ブルジョ ワだ けを襲 っ たもの ではありませ んし, むしろ, 貴 族o ブル ジョワとその子供たちの生活諸条件は, 農民や民衆のそれに比べてはるかに良好であ った と推測されるか らです. いまひとつは, 先の図式では, 子供の死, あるいは死亡率の上昇は, 親の 子供に対する愛着o惜別の情をいやがうえにもかきたてたに違いないという観念が暗黙のうちに前 提されていますが, これも問題なしとしないようです. エリザベートoバダソテールー-彼女もアリェスの研究に触発されたひとりです が一一は, その. i inter th Bad i 著 書 (E1 sabe γ 8” PZ Z岱, Par s , じα例の‘ ,1980 , 鈴 木 晶 訳 『プラ スoラ ブ』 , サ ン リ オ,. 1981年) の中で, 17018世紀に至るまで母親は子供の死 に対してきわめて無関心であったとしか言 いようのないような数多くの事例を紹介しながら, さらに, 次のように断言しているのです, 「そ うすると, 一般 に流布している命題を逆にしなければならなくなるだ ろう. 子 どもたちが虫 けらの. ように死んでいくから, 母親が子 ども にほとんど関心をもたなかったのではなく, 彼女たちが子ど もに関心をもたなかったために, おびただしい数の 子ども が死 んでいったのだ」 (邦訳84頁) .. l l 母 性 愛(amour materne e)と い う の は 決 して 本 能 な の で は な い, 「付 け 加 わ っ た 愛」 (amour en l ぎ ) に す な い の だ と 言 う の です か ら, い さ さ か シ ョ ッ キ ン グ で す. バ ダ ソ テ ー ル の い う 「母 性 pus. 愛」 と は, なによりも子供と家庭 に対する「献身と自己犠牲」(11頁) であるわけですが, このよう な 「ま ったく新しい生き方 が18世紀末にあらわれ, 19世紀を通 じて発展していく, 近代家族 は, 『内部』 , すなわち家族の愛着の粋を温かく保つ 『家の中』 のほうへと傾斜し, これまで一度として あたえられなかったような重要な地位を 得た母親を中心に据 え, そのまわりに固ま った」( 231頁) と さ れ て い ま す. ノミダ ン テ ー ル は, こ の い わ ば「母 性 愛 の 発 見」 と も い う べ き も の の 画 期 を 18 世 紀. 後半, とりわ け176 0年頃に求めています( 1 55頁) . つまり, そのころから, 「母親に対して, 自分 で子どもの世話をするように勧め, 子どもに乳をあたえるよう 『命ずる』 書物が, 数多く出版され た」 (同) . そ の 代 表 が ジ ャ ンoジ ャ ッ クoル ソ ー と い う こ と に な りま す が, 例 の 『エミ ー ル』 や 『新 エ ロ イ ー ズ』 が 出 版 さ れ た の は, ま さ しく 1761~1762 年 の こ と な の です ね.. バ ダ ン テ ー ル の 所 説 につ い て は し か し も っ と 吟 味 し て み な く て は な ら な い 点 が あ り そ う で , ,. す. 例 えば, 阿部謹也氏は, 『世界子どもの歴史』 の第3巻 『中世』 のなかで, バ ダソテールの著書 には直接言及していませんが, 類似の所説 に触れて次のように述 べておられます. 「たぶんこの問. 題は最初から最後までつきまとうと思うんです けれども, アリェス がいう二つの家族をはっ きり分 けますとね, 前のほうには家族 の情愛というか親子の情愛というものは欠如しているということに な り ま す ね, こ れ は シ ョ ータ ー が, は っ き り 言 い き っ て しま っ て い る わ け です (シ ョ ータ ー の 所 説. ter-Kind-Beziehungen zu Beginn der 入江oderne は, E. Shorter . , Der VVandel der Ddut Ge 物た ね 〆 G ′ ‘ た 及ば ね ”” ぉ物〆諺 ルγ 圧鰭 傭おc庇 S Z s e s g 立 α弟. O Z ”卿 無 雑s c蹴れ 1 , 1975 で 展 開 さ. れているもののようですが, 私は読んでおりません-筆者) ,僕はそれは間違いだと思うんです. つ まり, 親子の情愛というものはけっ して近代になって生まれたのではなくて, 中世にもそういうも の がなかったというふう には言えない」 (61頁) , バ ダンテールの言う 「母性愛」 と阿部氏の言う 「親子の情愛」 とはすこし違うと思いますが い , ずれにせよ, 私には, どち らとも判断がつきかねます. ですから, この点については態度を保留せ ざるをえないのです. ただ, 次のことは言えそうです. 母性愛は本能ではないといわれると, いさ さかショッ キングかも知れませ んし, 母性愛が歴史のある時期に初めて発見されたものだというの も, あるいは突飛に聞えるかも知 れません. しかし, そのように立論すること自体はあながち不可 能とはいえません, 別の例でいえば, 男女の間の愛についても似たようなことがあるからです. 男. 20.
(8) . 1 1 「子供の歴史」 をめぐる諸問題 〔 〕. 女間の愛はいっの時代にもあるわけです が, これを現代人にとって常識である, 男と女とが対等な 2世 意識o感情をも って接し合う愛という意味で捉えるときには, ヨーロ ッパ においては, 普通, 1 2世紀の発明」 紀に始まると考えられているのです(この点, 新倉俊一「愛, この1 , 堀米庸三編『西. 6年;江守五夫『愛の復権』 欧精神の探究--革新の1 2世紀』 , 大月 書店, , 日本放送出版協 会, 197 966年などにより解説した が, 省略する) 1977年;伊藤勝彦『愛の思想史』 . 母性 , 紀伊国屋書店, 1 愛にもいろいろな形 があ りうるでしょう. バ ダソテールのいう 「献身と自己犠牲」 はそのひとつに 1 すぎないと考えればいいわけです. ごく最近( 985年11月) , 『母性を問う』(上o下, 脇田晴子編, 人文書院) という本が出ました, 日本の古代から現代までの 「母性」 の変遷と特質 が追 及されてい て大変興味深い本です, まだ入手した ばかりですから, 詳しくは紹介できませんので, 後で, 「母 性主義」 を問題にするときに触れることにします. 同様の研究 がヨーロッパ についてもなされる必 要があり, 「母性愛」 をめぐる今の問題もそのような研究の蓄積に僕つほかなさそうです,. しかしそれにしても, 子供の大量死や捨子, 里子といった現象の主たる原因を「献身と自己犠牲」 としての 「母性愛」 の欠如に求めるパダソテールの所説は, 短絡的にすぎないか, という疑問が残 り, また, いささか抵抗を感じなくもありま せん, というのは, わが国でもこの数年, 子をおいて の母の蒸発り家出o離婚, 育児放棄, 虐待, 子殺しが報道される度に, 「母性喪失現象」 と書かれ, あるいは 「母原病」 なる新語すら造られて, 要するに 「母親が悪いのだ」 という論調がしばしば見 られるのです が, バ ダソテールのそれも, 時代や国が違うとはい え似ているように思われるので. す, 私は, 現代の子供の問題は単に 「母親が悪いのだ」 な.どと言 って済まされるようなものではな 8世紀のフランスの く, もっと根底的というか全構造的な問題に発していると考えるのです. 1701 場合も, 捨子について二宮氏 が指摘されたように, 社会構造との関連を捨象できないのではないで し ょ う か.. ( 4 ) 絶対王権と家族 ともあれ, アリェスのいう 「子供の発見」 の意味を考 えるには, 17世紀という時代, とりわ け, 「1 7世紀の全般的危機」 の存在を捨象すること ができないだろうというの が, 私の意見です, ちな みに, 『世界子どもの歴史』 の第5巻 『絶対主義o啓蒙主義時代』 を担当された江藤恭二氏も, 冒 頭の 「17世紀ヨーロッパ の社会o文化o思想-- 転換期の諸相」 の章を 「全般的危機」 から書きお 17世紀の全般的危機」 ÷→ 「子供の魂o人格 こしておられます. ただし, 前にも触れたように, 《「 へのまな ざし」 ÷→ 「子供の発見」》というように短絡的に図式化できるほどに, 因果関係は単純で も直線的でもなかったと思われます, したがって, 「1 7世紀の全般的危機」 の存在を念頭に置きな. が らも, 「子供の発見」 がとりわけ貴族o ブルジョワに限定的 (ないし先駆的) に現れることにつ いては, 視点を変えて検討する必要がありましょう. その場合, 絶対王政について触れることが避 けられなくなるように思われます. フランスの絶対 王政 は, 17世紀の後半, まさに 「 17世紀の全般的危機」 の克服過程において成 立する, 「封建的危 機の最終段階における国家権力形態」 に外ならないのです. しかし,ここでフランス絶対王政論を全 面的に展開する余裕がありません, 『概 説 フ ラ ンス 史』 の 第 5 章 と 6 章 に は 「フ ラ ンスoモ ー ド」 と 「フ ラ ンス 料 理」 の こ と が 紹 介 さ. れていますが, いずれもが17世紀を 「成立期」 ないし 「出発点」 とし, かつまた, 「次第に興隆し てきた市民階級に対して, 今度は貴族社会全体 がその身分を明らかにしようという孤立と所属の二 122頁) つの欲求」 の結果として ( , あるいは 「その権威の誇示」 , 「象徴」 として追及されたものだ. 1 ( 54頁) , と書かれていることに注目しましょ う, 料理のことは余りよく知りませんが, 服装につ. 21.
(9) . 浜. 忠 雄. いては, 同様のことを別の本で読んだことがあり, 例えば, パ スカルoセ ッセ 『服飾の歴史』(日向 あき子訳, 美術出版社) では, アンシャ ン o レジーム期における奮惨禁圧令に触れて, それは 「貴. 族と庶民との差異を強調しようという心づかいのあらわれ」 ( 1 94頁)であると書かれております(他 には, 井上康男, 匠秀夫 『衣服の文化史』 78年;菅原珠子, 佐々井啓 『西洋服飾 , 研究社出版, 19 史』 , , 朝倉書店, 1985年などを参照). フランスでは, 16世紀から, ブル ジョワ層 が商工業や土地集積を通して富を蓄積 しその一 部 は l i e t 官職売買 (vena ) を利用 して貴族化する (い わ ゆ る 「新 貴 族」 nobl ) ま で に な り, esse de robe こうして, 封建的土地所有関係とこれを基礎として初めて存立しえた封建的身分階層秩序が動揺し l 始めます. こうした動向に対する特権層なかんずく貴族(「旧貴族」nob )の対応は, 通 e s s e ぼるpee i l i きac と t ) い う用 語 を も て 付 して 常 「領主的反動」(r s l n r 特 徴 け られ そ こ の 「領 主 的 on eg eu ae っ ,. 反動」 はふたつの面を持つと理解されています. すなわち, ひとつに, 貴族が直営地の小作経営に 重 点を移して自ら私的領主に転化しつつ, また旧来の領主権を活用 して産業の発展に便乗し, 特権 マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ー ル に 投 資 す る, し・わ ば 「開 明 的」 コ ー ス. も う ひ と つ は, 土 地 台 帳 の 書 換 え に. よる封建的貢租の強化や古い賦課の復活などにより, 旧来の領主権を再強化する, 文字 どうり 「守 旧的」 , 「反動的」 なコース. こうした「守旧的」 と「開明的」の二面性を有する動き がひとしく 「領. 主的反動」 の用語で総括されるのは, いずれの場合も身分的特権の擁護という点では一致し, 農民 層に対する新たな収奪の強化を意味したという点 で変り がなか ったからです (以上については, 遅 塚忠卵 「フランス絶対王政期の農村社会」 4』 69年を参照) . , 『講座世界歴史o1 , 岩波書店, 19 「フ ラ ンスoモ ー ド」 や 「フ ラ ンス 料 理」 の 成 立 につ い て も 以 上 の よ う な 脈 絡 を念 頭 に 入 れ る 必 ,. 要がありましょう. 貴族や ブルジョ ワにおける 「ロー ブ型の男児用子供服」 の考案は, ブルジョ ワ. にあ っては身分的o社会的上昇 の, 貴族にあっては自らのカース ト性を維持o補強するためのひと つの標章ではなか ったか, と私は考えるのです, アリエスが 「遊び」 に関して触れている 「子供期 の意識と階級意識の間の関係」 (『<子供>の誕生』 , 前掲訳書96頁)は, 「子供服」についても, そ してまた, 総じて, アリェス が17世紀の貴族や ブルジョワの中に見出した「子供の発見」について. も同様に指摘することが出来るのではないでしょうか.. とこ ろで, フランスの家族史上, 絶対王政は決定的な意味を持っております, その点は, 遅塚忠 解氏が 『講座り家族』(青山道夫他編, 全8巻, 弘文堂) の第1巻 『家族の歴史』( 1 973年) 所収の. 論文でまとめておられますので, 紹介します, 一言 でし・え ば, 絶対王政という形での強力な集権的 国家権力が, はじめて, 家族に対する外的な強制力として登場して, 「家族」 の掌握に着手すると i t いうことです. ひとつには, 地方監察官 ( t ) をはじめとする親任官僚制度によって 「村落 n endan. 共同体」 を租税徴収機構の末端に組み入れることを通して. いまひとつには, アンシャ ン o レジ ー ムにおいて世俗権力によ っては作成されることのなかった 「戸籍」 に換わるものとしての 「聖堂区 tre pa i i l 記 録」 (regi s ) を利用すべく 「聖堂区」 を掌握することを通して (例えば, 洗礼, 婚 ro s s a 姻, 埋葬につし・て, 日付, 年齢, 住所の詳細を記 した聖堂区記録の謄本の提出を命 じた, 166 7年 f l l の 「サンoジェ ルマン王令」) ) ami e . なぜ 家族を 「掌握」 しようとするのかは, 例えば, 「家族 ( は, およそ 国家たるものの真の源泉およ び根源 であり, かつ, 国家の基本的構成要素 (membre. inc ipal ) で あ る. ……よく治められた家族は国家の真の模像( image )であり, 家庭を治める権力 pr. ique) は 主 権 (pui i (pui t ssance domes ) に 相 当 し, 家 (ma ssance souveraine son) の 正 当 な統 治 は. 国家の統治の真のモデルである.」(ジャ ソ・ポダン 『国家論六書』 , 1583年) あるいは 「子の親に対 する自然的嵩敬は, 主権者に対する臣民の正当な服従を維持する綱紀である」(「 1 63 9年1 1月 26 日 の令」) に見られるとおりです, そうしますと, 貴族・ブルジョ ワにおける 「子供の発見」 には, こ. 22.
(10) . 1 1 「子供の歴史」 をめぐる諸問題 〔 〕. のような, 絶対王権による国家統治に繁り, あるいはこれを補完する家族統合の過程のひとつの現 れとも見れなくないように思われます.. 4. ルソーにおける「子供の発見」 と女性観. 教育原理や教育史の講義などですでに学ぶ機会があっ たかと思し・ますが, 「子供の発見」 といえ. ば, と り わ け ジ ャ ソリ ジ ャ ッ ク リル ソ ー (1712~1778 年) と名 と と も に, そ して 彼 の 代 表 作 の ひ と. 1762年) とともに取り上げられるのが普通ですね. 例えば, 『岩波講座o子 どもの つ 『エミール』( 1979年) 所収の為本六花治氏 「近代における 発達と教育』 の第2巻『子 ども観と発達思想の展開』( 『子どもの発見』」 でも, また参考文献に指定した堀尾輝久氏の 『子 どもを見なおす 子ども観の 8世紀の中頃の 歴史と現在--』(岩波書店, 1 984年)でもそう書かれています, つまり, 時代は1 ことです. しかるに, アリェス が 『<子供>の誕生』 のなかで我々に示してくれた 「子供の発見」. は17世紀のことですから, ルソーのそれよりもかなり早いことになりますし, かつまた, 内容的 にも随分違 っていることに気付かれるでしょう, なぜな ら, ルソーによる「子供の発見」とは, 「感 性的, 肉体的な存在としての子でもの健康な成熟の中に, 人間の幸福のもっとも確かな土台を, 人. 86頁) 間精神の本来的成立条件を見出し」(為本前掲, 1 , また, 「大人とは違う子 ども」の なかに「発 6頁)を見出す, 達の可能性」を, つまり「現存の大人の予測をこえて発達する可能性」(堀尾前掲, 4 そういうものであ ったと理解されるのが普通ですし, それに対して, アリェスのいう「子供の発見」 はいわ ば 「管理的」 ないし 「統合的」 な子供観であった訳ですから. ところで, 同じ堀尾氏の叙述の中ですこしこだわってみたい箇所があります, それは次の一節で す, 「ルソーは, 新しい社会を展望しながら, その新しい社会をつくる人間をどう育てるかという 問題を 『エミール』 で考え抜いたわけですし, そして, この 『エミール』 全体がすでにみたように. 『子 どもの自然の発見の書』 , あるいは 『子 どもと青年の発見の書』 であると言っていいのです. 同 時にそれは 『人間の発見の書』 であったということもできると思います. 18世紀の人権の時代は, 人間の権利を確認した時代ですが, その人間というものが, 子どもの発見として, 青年の発見とし て, 具体的にとらえられてくるという意味でも, 人間解放の思想史のなかでのルソーの意味は, 大 きいと言えましょう」 ( 66~67頁) . 「人間解放の思想史のなかでのルソー」 という大筋ではま った. く異論はありません, 何か気に掛かるかと言いますと, ルソーにおける女性観の問題性 が欠落され 『女性解放思 ていることなのです. ルソーの女性観についてはすでに水田珠枝氏による詳しい研究( 想の歩み』 3年;『女性解放思想史』 9年)がありますが, ルソーの , 岩波新書, 197 , 筑摩書房, 197 女性観は, 一言 でい って, まことに保守的なものです. 水田氏によれば, 「ルソーの女性像を男性. 像 と く ら べ て み る と, す さ ま じい ま で の ち が い に驚 か さ れ る, か れ の どの 著 作 を ひ ら い て み て も,. 抑圧に対するはげしい攻撃, 人間の自由e平等り独立に対する熱烈な要求をよみとること ができる のだ が, 抑圧に対する攻撃も自由偽平等o独立の要求も, 人類の半数である女性にはおよ ばない, そ れどころか, 半数である女性の自由と独立の剥奪のうえに, あとの半数である男性の自由と独立が. 確立される. このような, 一方 には自由 e 独立り平等を, 他方には不自由o不平等o依存をという 主張は, ルソーの理論を矛盾にみちたものにするのであ って, かれは, 男性に関しては, 不平等な 現実社会を自然に反するものとして告発し, 女性に関しては, 同じ現状を自然のあたえたものとし. 『女性解放思想史』 て賛美する」( , 57頁) のです.. 念の た め, ル ソ ー 自 身 の 文 章 を 読 ん で み ま し ょ う. 23.
(11) . 浜. 忠 雄. まず, 『人間不平等起源論』( 1754年) から. 「私は人類の中に二種の不平等を考える. ひとつ は, それが自然によ って設定されるもので あるから, 私が自然的また は肉体的不平等と名 づ けるもの で, こ れは年齢や健康や体力の差 と, 精神の質の差から成りたっている, もうひとつは, それが一種の規約に依存し, 人々の合. 意によって設定されるか, もしくは少なくとも容認されるものであるから, これを社会的ある いは政治的不平等と名づけることができ る. ……ひとは自然的不平等の源泉は何であるかを尋 ねることはできない, なぜならそ の答は, この語の定義そのもののなかにの べられて いるのだ. から. また, この二つの不平等の間 に何か本質的なつな がりがありはしまいかと尋ねることは なおさらできない.」(本田喜代治o平岡昇訳, 岩波文庫, 34頁). これを読む限りでは, 女性の男性への従属という言 いかたは出てこないでしょう. 次に, 1762 年に書かれた 『エミール』 の中の第5編 「ソフィ ー”-女性について」 を読みましょう. 「性に関係のないあらゆる点においては, 女は男と同じである, ……性に関係のあるあらゆ る点において は, 女と男には, どこを見ても関連があ り, どこを見ても相違がある. 両者を比 較することのむずかしさ は, 両者の構造にみられる, 性に属するものとそうでないものとを決 定 す る こ と の む ず か し さ に よ る, … … わ た した ち が 確 実 に知 っ て い る た だ ひと つ の こ と は, 両. 者に共通のものはすべて種 に属するということ, 違 っているものはすべて性 に属するというこ. とだ. ……そういう類似と相違は, 当然, 道徳的なことに影響をあたえる. これは明らかなこ とで, 経験と一致しているし, 男女の優劣とか平等とかいうことについての議論のむなしさを 証明してもいる, ……共通 にも っているものから考えれば, 両者は平等なのだ. 違 っている点 から考えれ ば, 両者は比較できないものなのだ,」(今野一 雄訳, 岩波文庫, 下, 6~7頁). 途中ですが, 一旦切 ります. ここまでのところは, 『人間不平等起源論』 の論旨とよく似ていま す, 「性差」 は 「比較できない」 とすれば, 不平等の根拠になりえないということになりましょう, しかし, もう少し先を読みますと, こう書かれています,. 「性のまじわりにおいて はどち らの性も同じように協同の目的に協力 しているのだが 同じ , 流儀によ ってではない. そのちがっ た流儀から両性の道徳的な関係にお ける最初のはっきりし. た相異が生じてくる. 一方 は能動的で強く, 他方は受動的で弱くなければならない. ……この 原則 が確認さ れたとすれば, 女性はとく に男性の気に入るようにするために生れついている, と い う こ と に な る, … … こ れ は 恋 愛 の 法 則 で は な い, と い う こ と は わ た し も み と め る. し か. し, 自然の法則 であ って, 恋愛そのものにさえ先行することだ. ……女性は, 気に入られるよ. う に, ま た, 征 服 さ れ る よ う に 生 れ つ い て い る と す る な ら, 男 性 に い どむ よ う な こ と は し な い. で, 男性 に快く思われる者にならなければならない. ……自然は差別なしに両性の どちらにも 同じように相手に言い寄ることを命じて いる, だから, 最初に欲望を抱いた者が最初 にはっき. りした意志表示をすること にもなる, などとだれが考えられよう. それはなんという奇妙な, 堕落した考えかただ ろう, ……性の結果についていえ ば, 両性のあいだにはぜんぜん似たとこ ろはない, ……妊娠中 には身をいたわらなけれ ばならない, 出産のときには安静が必要だ, 子 どもを哨育するためにはあまり体を動かさないでじっ と座っている生活が必要だ, 子どもを育. てるには, 忍耐とやさしい心づかい, どんなこと にも 失望させ られない熱意と愛情が必要だ, 24.
(12) . 1 1 〕 「子供の歴史」 をめぐる諸問題 〔. 女性は子 どもとその父親をむす びつけるものとなる, 女性だけが父親に子 どもへの愛を感じさ せ, その子をわ が子と呼べる確信を父親にあたえる, ……両性の相互的な義務のき びしさは同 じで は な い し, ま た 同 じ で はあ り え な い. こ の 点 に つ い て 男 性 は 不 公 平 な 差 別 を して い る と 女. 性が不平をいうとしたら, 女性はまち がっている. この差別は人間がつくりあげたものではな く, 理性 がつく ったものだ, ……女と男はた がいに相手のためになる ように生れつ いて いる が, 相互の依存状態は同等ではない, 男はその欲望によって女に依存している. 女はその欲望 とその必要によって男に依存している. ……母親の健康な体質はまず子 どものすぐれた体質を 決定するものとなる. 女性の心 づかいは人間の初期の教育を決定するもの となる, さらに女性 によって, 男性の 品行, 情念, 趣味, 楽しみ, 幸福そのものさえも左右される. そこで女性の 教育はす べて 男性の 気に入り, 役に 立ち, 男性 か ら愛され, 尊敬され, 男 性が幼いとき は育 て, 大きくなれ ば世話をやき, 助言をあた え, なく さめ, 生活を楽しく快いものにしてやる, こういうこと があらゆる時代における女性の義務であり, 女性に子どものときから教えなけれ ばな らない ことだ, こういう原則にさかのぼって考えないかぎり, 人は目的から遠 ざかること になり, 女性にあたえる教訓は女性自身の幸福にもわたしたち男性の幸福にもいっさい役にた たないことになる,」 (同上訳書, 7~21頁). かなり長い引用をしましたから, 改めてコメ ントする必要はないでしょう. 私自身もこの箇 所を 初めて読んだ時には, これがルソーの言葉だろうかと驚いたことを覚えています が, ともかく, ル ソ ー の 女 性 観 は ま こ と に 不 徹 底 で 守 旧 的 で あ っ た と い う ほ か あ り ま せ ん. 重 要 なこ と は, ア リ ェ ス. が言う 「子供の発見」 とルソーの 「子供の発見」 との間には対極 的ともいえる違いを見出すこ とが できるのです が, こと 「女性観」 ないし 「母親 (母性) 観」 に関する限りでは大差がない, むしろ ルソーにおいて徹底化されているということです. 堀尾氏は, 「子 どもが歴史のなかで発見 される. 4 1頁)と書いて おられま という プロセス と, 女性が解放されるという プロセス は重なっています」( す が, これには, 限定を付す必要がありましょう. 少なくとも, 17~19世紀のフランス につ いて 見たとき, 「子供の発見」 と 「女性の解放」 とが 「重なって」 いたとは到底言えそうにありません. 端的には, 「人権宣言」 を高らかにう たいあげたフランス 革命は決して女性をも解放したのではな かったのです. その点は項目を改めてお話しすることにします, それに先立って, 私の問題関心を少し申し上げまずと, 「子供」 について 調べてきます とどうし ても 「女性」 とか 「母性」 について考えること が避 けられないのではないかと考えるようになりま した. 「子供の 歴史」 は 「母親の歴史」 とリンクされなけれ ばならないと, そんなことを考 えてい 9号) で長谷川博子 氏の論文 「女o男9子供の関 る時, 昨年の春に 『思想』 の1984年5月号 (第71 係史にむけて-- 女性史研究の発展的解消--」 を読みました. 氏はその中で次のように書いてお られま した, 「ア リ ェ ス の 研 究 に 触 発 さ れて 考 えた こ と は, 子 供 と い うカ テ ゴ リ ーを 女 o 男の 関係. 性の中に組み こみ, さらには現代にもつ ながるような時間的に長い視野でそれを歴史的変化の うち に考察していくことである. 家族における女o男の関係性を問う とき, そこに子供との関係性を問 38頁) 題にする視角 が出てくるのは避けられないことである」 ( , 氏の場合は, 「女性史」 あるいは. 「家族史」 研究の側からの問題提起であるわけですが, 逆に, 「子供の 歴史」 研究の側からも全く同 じことが言えるように思います,. 25.
(13) . 浜. 忠 雄. 5 フランス革命と女性, 母性. { 1 ) 『女 権 宣 言』. . 常駐,泰 鞭 一 - -. フ ラ ン ス 革 命 下 の 1790 年 に オ ラ ソ プ ・ ドo グ ー , ジ ュ (0lympe de Gouges 1 7 , 48 年 5 月 7 日 ?~1793. * 緒副 報 謝 滋養 - ;. 年 11月 3 日) とし・う女性によ って書かれ 17 , 91年に 公けにされた 「女性および女性市民の諸権利の宣言」. ion des droi (Declarat ts de lafemme et de la. 硫oy細 ← 以下では「女権宣言」 と略す) を紹介. ます. 17 89年の有名 な 「人権宣言」 とも 対比できるよ うに訳出しま したが, 下線部は 「人権宣言」 における (. ) の 内 の 表 現 が 「女 権 宣 言」 で 修 正 さ れ た 箇. 所, 【. 】 は 「人権宣言」 にはなく 「女権 宣言」. で 追 加 さ れ た 箇 所, {. } は 「人 権 宣 言」 に あ っ て. . E i 擢 さま声端岡 ● ず , ′ ・ ◆ ′ . . 、 、. ” . 掴. . 壕. さ槻慧 . ,. . 説き 畿キド. 図38 オラ. ブ。 ド。 グージ. ン ユ の肖像 「女権宣言」 では削除された箇所 であることを示 しま す. 「女権宣言」 の原典 は, Le s Ee粥’”e s dα”s 超 尺 〃◇/彰われ F粥夕 2”Z se , (EDH工S .2) , 1982 t ,. ts de la femme に所収の Les droi i neに, また,「人権宣言」 の訳例は多数ありますが, , ala Re ここでは, ジョル ジュoルフ ェーブル著 高橋幸八郎o柴田三千雄o遅 塚忠朗訳 『 17 89年--フ ラン , ス革命序論--』(岩波書店) 中の訳文 に依りました,. 「女性および女性 市民の諸権利 の宣言」. 国民議会の至近の会期, あるい は来たるべき立法議会 において宣言されるために 国民の女性代表者たる, 母親, 娘, 姉妹たちは 国民議会の構成員となることを要求す , る, (国民議会として組織された フランス人民の代表者たちは ) 女性 (人間) の諸権利の無知。忘 , 却または軽視が公共の不幸と政 府の腐敗との唯一 の原因であること にかんがみて 女性 (人間) の , 自然に備わっ たo譲渡すべからざる ・神聖な諸権利を ひとつの厳粛な宣言において提示 しようと , 決意した. その意図す るところは この宣言が社会のすべての構成員の眼前に不断に存在すること , によ って, この宣言が彼らに, 自分たちの諸権利と諸義務と を絶えず想起させるためであり 女性 , の権力 (立法権) の諸行為と男性の権力 (執行権) の諸行為とが およそ政治制 度たるものの目的 , とするところと常 に比較対照されうること によって その諸行為が 社会のすべての構成員によ っ , , て一層よく尊重されるに値するも のとなるためであ り さらにまた 女性市民たち (市民たち) の , , 諸要求が今後 は簡潔で異議 の生じる余地のない諸原理に基づく ことによ って その諸要求の方向 , が, 常に憲法と良俗の維持 そして万人の幸福とに向うよう になるためである , . その結果と して, 母性の苦痛の中にあ って勇気と美と に秀でた性 (国民議会) は 最高存在の面 , 前で, かつその庇護のもと に 女性と女性市民(人間と市民)との以下の ごと き諸権利を承認し か , , つ, 宣言する. 前. 文. 第1条 女性 (人間) は, 生まれなが らにして 自由であ り 権利において 【男性と】 平等であ , , る. 社会的差 別は, 共同の利益 に基 づく場合にしか設 けられることはない . 第2条 およそ政治的結合と いうものの目的は 女性と男性 (人間) の自然に備わった消滅する , 26.
(14) . 「子供の歴史」 をめぐる諸問題 〔 1 1 〕. ことのない諸権利を保全することである, その諸権利とは, 自由, 平等, 安全, および 【なにより も】 圧制にたいする抵抗である,. およそ主権と いうものの根源は, 本質的に国民のうちに存ずる, 【国民とは, 女性と男 性との結合にほかならない.】 いかなる団体も,いかなる個人も,明瞭に国民から発していないよう 第3条. な権力を行使することはできない. 第4条 自由と正義と は, およそ他人に属するすべてのものを返還すること にある. (自由とは,. 他人を害しない限りは何をしてもよい, ということにある,) したがって, 女性 (それぞれの人間) の自然に備わ った諸権利の行使は, 男性 が女性に加える不断の暴虐という (社会の他の構成員たち. にも同様の諸権利の享受を確保するために設けられる) 諸限界によってしか, 制限されない. その 諸限界は, 自然と理性によ って作り直されなければならない, (法律によ って でなければ定められ る こ と が で き な い.). 自然と理性の諸法律 は, 社会にとって有害なすべての行為を禁止する. (法律は, 社会 にとって有害な行為だけしか禁止する権利をもたない,) この賢明かつ崇高な 諸法律(法律) によっ 第5条. て禁止されていない一切のことがらは, 妨害されることがありえないのであり, また何人も, 法律 が命じていないことが らをなすように強制されることはありえない. 第6条. 法律は一般意志の表現でなければならない. (あるっ) すべての女性市民と男性市民 (市 民)は, その身みずから, またはその代表者を通じて, 法律の作成に参画しなければならない. (す る権利を有する,)法律は, {保護を与える場合でも, 処罰を加える場合でも,}万人にたいして同一. でなけれ ばならない. すべての女性市民とすべての男性市民 (すべての市民) は, 法律の目には平 等であるゆえに, その能力に応じて, かつその徳と才能との区別以外 にはいかなる差別もなく, ひ としく, すべての公けの位階, 地位, 職に就くこと ができなけれ ばならない. (できる,) 第7条 いかなる女性も, 法律によって定められた場合において訴追され, 逮捕され, 拘禁され ることについて, 例外はない, 女性 は男性と同様に, この厳格な法律に服する, (何びとも, 法律 によ って定められた場合で, しかも, 法律が定めた形式に従ってでなければ, 訴追されたり, 逮捕 されたり, 拘禁されたりすることはありえない. 諮意的な命令を要請しe発令し6執行しまた は執. 行せしめる者は, 処罰されなければならない. だが, およそ市民にして法律により召換ないし逮捕 せられるものは, ただちに従わなければならず, 抵抗すれ ば有罪となる,) 第8条 法律は, 厳密かつ明白に必要な刑罰だけしか定めてはならないのであり, また, 何びと も, その犯罪にさきだ って制定o公布され, かつ 【女性に】 適法的に適用されたなんらかの法律に よるのでなければ, 処罰されることはありえない,. 第9条 いかなる女性でも, 有罪と宣告されたときは, 法律によ って苛酷な措置が執行される. (いかなる人間でも, 有罪と宣告されるまでは無罪と見なされるのであるか ら, その者を逮捕する ことが不可欠であると判断される場合でも, その身柄を確保するため に必要である以上の一切の苛 酷な措置は, 法律によって厳格に抑止されなければならない,) 第10条 何びとも, その意見の表明が法律 によって定められた公けの秩序を乱すも のでない限. り, その意見のゆえに, たといそれが根源的な (宗教上の) 意見であろうとも, 他から脅かされる ことがあ ってはならない【のであり, 女性には, 処刑台にのぼる権利があるのだから, 同じように,. 演壇にのぼる権利ももたなければならない】,. 第11条 思想および意見の自由な伝達は, 女性(人間)の最も貴重な諸権利のひとつである, 【な ぜ なら, この自由が, 子供にたいする父親の嫡出関係を確保するからである.】 したがって およそ , 女性市民 (市民) は, 【野蛮な偏見が真実を偽らせることのないように,1自由に, 【自分が貴方の子 27.
(15) . 浜. 忠 雄. の母親であると1 言う (語りo書き・印刷する) ことができる. ただし, 法律によって定められた 場合には, その自由の濫用 について責任を負わね ばな らない. 第12条. 女性および女性市民 (人および市民) の権利を保証するためには, 多数の効用 (公けの. 武力) が必要である. {従 って,} その保証 (武力) は, 万人の利益のために設 けられなけれ ばな ら ない (られる) のであって, それが委託された女性たち (人たち) の個別的利益のために設けられ る の で は な い.. 第13条 公けの武力を維持するためにも, 行政の費用を弁ずるためにも, 女性と男性(共同)の 租税拠出は平等 (不可欠) である. 女性はすべての賦役とすべての労役に貢献する, したがって女 性は, 地位・職務・負担o位階o産業において同等に貢献しなけれ ばな らなし・ , (その租税拠出は,. すべての市民たちの間に, その資力に応じて, 同等に割り当て られなけれ ばな らない,) 第14条 女性市民と男性市民(すべての市民) は, 自分自身で, またはその代表者を通じて, 公. けの租税拠出の必要性を確認する権利を有する. (有し,) 女性市民は, 財産関係のみならず, 公行 政において平等に参画することが認められることによってはじめて, それに加わることができ, そ の割り当て額o割り当て方法o徴収方法o存続期間を決定すること ができる. (その租税拠出を自分. の意志で承認し, その使途を追跡し, その割り当て額り割り当て方法・徴収期間o存続期間を決定 する権利を有する.) 第15条 男性大衆への租税拠出に提携された女性大衆(社会)は, いかなる官公吏にたいしても, その公務の執行について報告を求める権利を有する.. およそ社会にして, その内部の諸権利の保証 が確保さ れて おらず, 諸権力の分立を規 定されていないような社会は, そもそも憲法をもってし・ないのである. 【もし, 国民を構成する諸 個人の多数が憲法の作成に協力していなかったとすれ ば, その憲法は無効である.】 第16条. 第17条 【財産 は, 結婚していると離別しているとにかかわらず, 両性に属する.】 財産 (所有) は, 【そのいずれの性にとっても,】 侵すべからざる神聖な権利であるがゆえに, 何びとも, 適法的 に確認された公けの必要 が明白に財産の収用を要求する場合で, しかも, 正当かつ事前の補償を与. えられるという条件のもとにおいてでなければ, 【自然からの真の遺産としての】 財産 (所有) を奪 われることはありえない.. す ぐに気付かれるように, 「女権宣言」は, 前文と全17箇条とからなる構成といい, 文体といい, 「人権宣言」 とそ っくりです. グージュ は1789年8月 26 日に国民議会で採択された「人権宣言」 を i t ) に, 「市民」(c ) 下敷きにしな がら, 「人権宣言」 でいう 「人」(homme) を 「女性」(femme oyen toyenne を 「女性市民」 i ) に置き換えることで, 女性にも男性と同様の自由o平等o諸権利が承認 されるべきことを要求しているわけです, 逆に言うと, 「人権宣言」は女性への適用を予定されては い な か っ た と い う こ と に な り ま す. そ の 意 味 で は, 当 時 フ ラ ンス に居 た ュ ダ ャ 人, 黒 人, さ ら に は. 西イ ン ド植民地にいたおおよそ60万人の奴隷と同じ扱いであ ったことになります. ちなみに, 在 フランスのュダヤ人と黒人については1791年に 「人権宣言」 が適用されること が布告されます し,. 植民地の黒人奴隷も17 94年2月 4 日 の 宣 言 に よ っ て 解 放 さ れ る こ と に な り ま す (こ の 点 に つ い て. は, 私の 「フ ランス革命の植 民 地 問 題--黒人奴隷制 の廃止をめ ぐる論争--」 , 『歴史学研究』 , 第 419 号, 1975 年 を 参 照) , で は, 女 性 は い っ の こ と に な る の で し ょ う か.. 辻村 みよ子 氏は「フランス革命と『女権宣言』」(『法律時報』 , 48-1 , 1976年--この論文は, 私 の知る限り, 「女権宣言」 に関するわ が国で唯一 の研究 だと思います) の中で, 「女権宣言」 の意 義として, 次の3点を指摘しておられます. ①フランス革命史ないし革命の女性史上の意義. バ ス 28.
(16) . 1 1 〕 「子供の歴史」 をめぐる諸問題 〔. チーュ襲撃や ヴェルサイュ行動などの民衆 運動の中での女性の政治的実践を支えたの が「女権宣言」 であり, そのような 「女権宣言」 と著者のグージュ が革命政府の弾圧により抹殺されていく過程か ら革命権力の性格をみることができる. ②女性解放史=フ ェミニズムの思想史上の意義. 近代にお ける 「女性解放思想の成立」 を示す. グージュ は, 女性の政治的o市民的権利獲得の問題のみなら. ず, 家族o結婚にまつわる女性の 本性的諸問題を通して, 女性解放の道を追及しようと している. ③法学的ひいて は憲法史的意義. 人権原理における両性の平等原理に, 最初に目を向けたものであ 1 975年) に至る, 女性の 1967年) や 「メキシコ宣言」 ( り, 現代の 「婦人に対する差別撤廃宣言」 ( 人権史の重大な起点をなす.. 「女権宣言」と革命期の女性たちの政治的実践との関わりについてはもう少し具体的な吟味が必要 かと思います が, おおむね異論がありません, ただ, 私なりに, いくつか敷延ないし追加したい点. があります. ①女性自身が男女平等の主張を書物に著した例としては, わが国でもメアリー e ウ ル l tonecraf t 2dた餌おれ げ 豹e 尺奮励s qf 班o粥 勿,1792 ス ト ソ ク ラ フ トの そ れ (Mary Wol s , , A 降7 「 グージ がよく知られていますが 女権 の 上 清水書院 ) o 下 藤井武夫訳 『女性の権利の擁護』 ュ , , , 宣言」 は, ごく僅かではあります が, それよりも早く, 存在を確認できるものでは恐らく最も古い ものであると考えられること. ②女性の権利を自然権としつつ, かつ 「自由と正義とは, 他人に属 するすべてのものを返還するこ とにある」(第4条, 傍点筆者)としていることからも窺えるように,. 端緒的ながら, いわ ば歴史認識に裏 づ けられながら主張されていること, ③女性が自由や権利を十 全に実現しようとするとき絶えず問題になるのが, これを保証する経済的基盤の問題です が, この 古くて新い問題に適確に着眼されていること, ④そしてさらに, 「女権宣言」にはいわ ば「母性主義」 的な傾向を読み取ることができることです,. 以上に挙げたなかで, 私が最も重視したし・と考 えているのは, 最後の点です. 辻村 氏も, グー ジュ は 「家族o婚姻にまつわる女性の本性的諸問題を通して, 女性解放の道を追及しようとしてい る」 (傍点筆者) と書いておられるわけです が, 私はこれを端的に, 「母性主義」 と性格付 けていい. のではないか と考えます. グージュ に対して 「母性主義」 の名を冠するのは, おおむね 「人権宣言」 の引き写しである「女権宣言」 ・にあって, 前文末尾の「母性の苦痛 の中にあ って, 勇気と美とに秀で l l es)と た性」( e sexe superleur en beaute comme en courage, dans les sou賃rances maternel いう表現や, 第11条中の 「およそ女性市民は, 野 蛮な偏 見が真 実を偽らせることのないように, 自由に, 自分が貴方の子の母親であると言うことができる」 という表現がひときわ注目されるから なのです. そ れ に して も, グ ー ジ ュ を して 「母 性」 を 「苦 痛」 と 言 わ し め た も の は, い っ た い 何 な の で し ょ .. うか. そして, 女性は, そのように 「母性の苦痛の中にある」 にもかかわらず, 「勇気と美とに秀 でた性」 であるとすることは, 何を意味することになるでしょうか. 「母性の苦痛」 とは, およそ 妊娠o分娩o育児にかかわる肉体的ないし精神的な一切の苦痛, と了解していいでしょうか. だと すれば, ここで, <「母性」=「苦痛」>とする発想 が, とりわけ当時のヨーロッパ で支配的だっ たい. わゆる 「旧約聖書」 的な女性観ないし母性観において顕著であるという事実に注意されなくてはな らないと思われます. すなわち, 「創世記」 には, 「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す. あなたは苦しんで子を産む. それでもなお, あなたは夫を慕い, 彼はあなたを治めるであろう」(第. 3章 第 16 節) と あ る の が 想 起 さ れ る の で す,. (次 号 に 続 く). 29.
(17) . 浜. 図. 版. 忠 雄. 出. 典. 一. 覧. 本稿 (前号および本号) で使用した図版の出典は以下の通りである.. 図 1 緑野の聖母 (ラファエロ画, 1 50 7年):『ラファエロ』 』 , 『新潮美術文庫・3 , 新潮社, 図 2 マ ドンナ ・ リ ッタ (レオ ナ ル ド・ ダ・ ヴィ ソチ 画, 1494 年 頃)=『レオ ナ ル ド・ ダ・ ヴィ ソチ』 『同 上 ・4』 , 図 3 自 然 の 躍 動 (M・ ジ エ ラ ー ル 画, 19 世 紀 初):Y. Kni b i ehl eret C. Fouquet s 掴みe f s dz , じんなめルゼ de r“o i l ba t , ’ zのぞ; z dge d sプα“s, Edi ons Monta , ,1980. 図 4 子供 (J・ラウー画, 17 4 0年):同上書, 図 5 朝食 (F・ブーシエ画, 17 39年)=同上書. 図 6 ルソ ー 『エミ ー ル』 への 挿 画. (M ・ ド・ ジ ュ ソヌ 画, 1777年): 同 上 書.. 図 7 「ローブ型」 による男児用子供服の諸例 ④ アンジユー公:フィ リッ プ・アリェス『<子供>の誕生』 80年. , 杉山光信, 杉山恵美子訳, みすず書房, 19 ◎ 紳士と息子の肖像 (ヴァン・ダイク画):『ルーブル美術館・V』 9 86年, , 日本放送出版協会, 1 ◎ チャールズ1世の子供たち (ヴァン・ダイク画):『世界の美術・5 6 』 , 朝日新聞社. ④ ルイ14世と母アソヌ:吉田弘夫編訳 『ルイ14世』 『 世界を創 た人々・ 19 』 78年, っ , , 平凡社, 19 ◎ エ ドワー ド7世:A・フレイザー 『おもちゃの文化史』 和久洋三監訳 玉川大学出版部 1 0年. , , , 98 ①. F・ D ・ ロ ー ズ ベル ト : ジ ョ ン・ ガン サ ー 『回 想の ロ ー ズベル ト』 , 清 水 俊 二 訳, 早川 書房, 1968 年.. 図 8 子供の遊戯 (ブリューゲル画, 15 60年):『ブリューゲル』 』 , 『新潮美術文庫・8 , 新潮社, 図 9 木版画やタイルに描かれた子供の遊び:阿部謹也 『中世の窓から』 朝日新聞社 981年, , ,1 図10 学校のロバ (ブリューゲル画):『ブリューゲルとその時代』 『 世界版画・ 4 筑摩書房 』 78年, , , , 19 図 11 1 7世紀の民衆学校:江藤恭二 『絶対主義・啓蒙主義時代』 第一法規 』 98 5年, , 『世界子どもの歴史・5 , ,1 2 生徒の喧嘩 ( 図1 ・ソス・ブルクマイル画):阿部謹也 『ノ ノ ・-〆ルソの笛吹き男』 974年, , 平凡社, 1 図1 3 大人をからかう子供たち ( 16 50年頃):阿部謹也 『中世』 』 84年. , 『世界子どもの歴史・3 , 第一法規, 19 図1 4 貧民の子供たち (アウグス ブルク, 153 9年):阿部謹也 『ハーメルンの笛吹き男』 図15 乞食の少年 (B・E・ムリリョ画, 165 0年):『ルーブル博物館』 , 『世界の博物館・10』 , 講談社, 図1 6 世界の人口数の推移:宮崎犀一他編 『近代国際経済要覧』 東京大学出版 9 1年, 8 , ,1 図17 ヨーロッパ主要地域の人口数の推移:G,Parker 98 648, New York,1979 ‘ γ ope 粥 C感想 ヱ5 , Ez . 図1 8 北西ヨーロッパ におけるペストの来襲地数:志垣嘉夫編 『近世ヨーロッパ』 98 0年. , 有斐閣, 1 図19 太陽黒点数の変動:甲斐敬造 『太陽の ドラマ』 0年, , 岩波ジュニア新書, 198 図 20 ヨ ー ロ ッ パ に お ける 戦 争 とペス トの 相 関 :G. Parker . αr . , op. 図2 1 図2 2 図23 図24. グリンデルヴァルトから見たアルプス氷河の変動;木村尚三郎 『近代の神話』 97 5年, , 中公新書, 1 ヨーロッパの穀物収穫率:遅塚忠朗 『ヨーロッパの革命』 講談社 1 9 8 5年 , , , 子沢山の夫婦 (アウグス ブルク, 15 39年):阿部謹也 『 ・ーメルソの笛吹き男』 ノ 農民の家族 (ル・ナン画, 16 43年頃);『世界の美術・58 』 , 朝日新聞社.. ! 図 25 家族 の 食 事 (ベ ルテ 画, 1775 年):Y. Knib i l r eh eret C. Fouque op .c . 8 i 女性の初婚年齢と最終出産年齢:P G b な ′ B t 愛 須 な r, m‘ 〃 ‘ ” g e α加 s 〆β ヱ600 々 ヱの0, Par s . ou e , ,1960. 図26 図27 図28 図29 図30. 婚姻継続年数:同上書. 出産間隔の諸タイプ;同上書. 浴室の ガ ブリ エ ル・ デス ト レ: Y. Knibiehleret C, Fouquet . , の, dr 里子に出される子供たち:同上書. 図 31 母親の嘆き:同上書, 図32 初婚から初産までの間隔:P t r .Goube . , の. α!. i bi 図 33 サ ン・ ヴァ ンサ ン・ ド・ ポー ル 院長 と慈 善 の 修 道 女 た ち : Y. Kn t C, Fouque t ehl ere . m. , op. 4 母親の子殺しに対する死刑判決書:同上書. 図3 図3 5 パリの捨子養育院の収容数:二宮宏之 「七千人の捨子」 21号, 19 81年, 平凡社. , 『月刊百科』 , 第2 la 図 36 18世 紀 後 半 ヴェ ニ ス の 拾 子:C, M. Ci ≧ e ろzぬ感γ他′ 尺勿ひ山 師〃 po , β琢り柁 “ . , London ,1976. 図3 7 パリの捨子数と小麦価格の変動:二宮宏之, 前掲論文, 図 38 オ ラ ン プ・ ド・ グー ジ ュ の 肖 像:L. Lacour i zmgs αB / ジo/ α 尺β z ‘”のz s , 万o応 召の; . , Par ,1900 (本学助教授・岩見沢分校) 30.
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