バッハ2声・3声インヴェンションの演奏解釈
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(2) . 平成5年7月. 北海道教育大学紀要 (第1部A) 第44巻 第1号 1 i 44 ion(Sec i t i i ty ofEducat lof Hokka do Un onI A) Vol ver s Journa ‐ . , No. ly Ju ,1993. バ ッ ハ 2声・3声イ ンヴェ ンシ ョ ンの演奏解釈. 山. 木艮. 俊. 男. 本稿は鍵盤楽器の音楽にかかわりのある人たち (演奏者, 教育者, 愛好家など) が, この愛らし い 作 品 = バ ッ ハ の ク ラ ヴィ ー ア の た め の 小 品 集 ・イ ン ヴ ェ ン シ ョ ン = を どの よ う に 考 え, と り 扱 え. ばよいのかということについて成立の過程 などその背景にあるものを通して述べたものである.. 1 バ ッ ハ とク ラ ヴィ ー ア ian1 1675-1750 ) t )は音楽史上では後期 バロ ッ クの時代( 50 68 5-17 j .S.バ ッ ハ(Bach ,Joharm Sebas. に ドイ ツで活動した大作曲家である. その作風はオ ペラ以外の当時のあらゆる音楽領域にわたり生 涯を通して様式的にも, また内容的にも著しい発展を 遂げているために, バッハの様式を簡単に要 ) 以来 1 600 500‐1 約するのは困難である‐ しかし様式の発展の方向を考 慮すれば, ルネサンス時代 ( のさま ざまな手法を総合して偉大な個性の中で完全に消化して見事に新たな姿に蘇らせ たという意 味において 「バロッ ク音楽の総合者」 ということができる. またバッハは新しい様式への関心もあ 0-1830 )への道を開くという進歩的な面も持ち合わせていた‐ 全作 177 り, 来るべき古典派の時代 ( 品の中ではルタ一派の プロテスタントの礼拝のためのものが多数を占めているが, そのほかに世俗 100曲に及んでいる. バッハ 的なもので優れたものもあり, 作品の総数は現存するものだけでも約1 は若い頃からオルガンの名 手として有名 であっ たが, クラ ヴィ コー ドやチェ ン バロなどの鍵盤楽器 V)の525- 994と非常に多 の演奏も得意とした. そのために鍵盤楽器のための作品は作品目録(BW÷ くの割合を占めていることが分かる. オルガンは教会に設置されたある意味では公的な性格を有す る楽器であっ て, 礼拝の時に演奏するのがその主たる用途である. それに対してクラヴィ コー ドや チェ ン バロは宮廷又は家庭における室内用の楽器として使われ, 主として楽しみや教育を目的とし ていたのである‐ そのためにオル ガン曲は宗教的あるいは超越的, 構築的な傾向が強く, 一方のク ラヴィ コー ドやチェ ン バロの曲はそれに対して世俗的であり, 舞曲のリ ズムをとり入れるなど感覚 的にも親しみ易いものが多い‐ i ) バッハのクラヴィ ーア作品を研究する場合にまず問題になることはクラヴィ ーア (K1 r[独] av e l i ) という名称はすべて の鍵盤楽器を指し, した の意味である. 古い時代はクラ ヴィ ス ( c av s[羅] がっ てオルガンも含まれるが, この習慣は バッハの時代にも続いていた. バッハがこの意味でクラ ヴィ ーアという楽器名を用いた作品は初期のものにもまた後期のものにも見られる. しかし一方で lavi ichord [独] ‐ す でに バ ッ ハ の 時 代 に な る と ク ラ ヴィ ー ア と いう 名 称 は ク ラ ヴィ コ ー ド (K1av ,c. ) と かチ ェ ン バ ロ (cembalo [伊], harpsichord[英], clavecin [仏]) の よ う な 有 弦 鍵 chord[英] 盤楽器だけを指す狭い意味に用いられるようになっ ていた. 更にバッハ以後の時代に入るとこれら l f l l[独]」 l[独] 又は Ki uge uge の楽器の名 称 はそ れ ぞれチェ ン バ ロ は 「F1 e , クラ ヴィ コー ドは 「 「K1 H er [独]」 ammerklavi i r [独]」 及び現在のピアノの 前身楽器である フ ォ ル テ・ピア ノ は av e 131.
(3) . 山 根 俊 男. のように明確に区別されて使われるようになっ てゆくのである. ちなみに今日のクラヴィ ーア (ピ アノ) はバッハの死後になっ て完成された楽器であるから, バッハが考えていた有弦鍵盤楽器はク ラ ヴィ コー ドと チ ェ ン バ ロ だ け で あ っ た と い う こ と に な る‐ ク ラ ヴィ コ ー ドは 16 世 紀 か ら 19 世 紀. 初頭にわたっ てヨーロッ パ で広く用いられた楽器で, 発音機構は弦を打つようになっ ており, 音量 は非常に弱いために家庭用や学習用として広く普及した. 音域は 「ひらがなノ・音」 から 「かたかな 3点ノ・音」 ま での4オクター ヴにわたり, 音の強弱の変化をつけて表現することが可能であっ た. それに対してチェ ン バロは16世紀から1 8世紀にわたっ て最も栄えた楽器で, その形は現在のグラ ン ド・ピアノに似ているが, 発音機構はクラヴィ コー ドとは異なっ ており弦を鋭くひっ かいて音を 出すようになっ ている. バッハの時代には2段の鍵盤をもつチェ ン バロも出現し, クラヴィ コー ド のように微妙なニュ アンスを表現するのではなく, オルガンのようにはっ きり際立っ た段落をつけ るとか, いく段もの 「音響のテラス」 を使い分けることが出来るようになっ た. その特 生に よ っ て チェ ンバロは独奏用としてだけではなく, アンサンブル用の楽器として室内楽や管弦楽にも使われ るようになっ てきた. その音域は当初はクラヴィ コー ドと同じ程度であっ たが,18世紀前半頃まで に上下に拡大されて最大では下は 「ひらがな下1点ト音」 から上は 「かたかな3点ト音」 に達する ものま でになっ た. またチェ ン バロの中にはオルガンと同じような 「足鍵盤」 を備えたものも普及 していたとの説もある. バ ッ ハ の 研 究 者 と し て 知 ら れ る フ ォ ル ケ ル (Forke l lm Nikolaus1749‐1818) は 「バ ッ ハ は ,Joha. 何よりクラヴィ コー ドを愛用した‐ フリュ ーゲルは多彩な演奏ができるにしても精神が抜けている ように 思わ れた し, フ ォ ル テ ・ ピ ア ノ は 彼 を 満 足 さ せ る 楽 器 では な か っ た. ク ラ ヴィ コ ー ドこ そ 自 分 の持っ ているもっ とも繊細な楽想を表現するためには, たとえ音量は貧しくとも学習用としてあ る い は 1 人 で楽 し む た め に も 最 良 の 楽 器 で あ る と 考 え て い た」と い っ て い る.こ の こ と は 恐 らく バ ッ. ハは 「クラヴィ ーア」 という楽器に関しては保守的であっ て, 当時新しく登場したタイ プの鍵盤楽 器には関心を示さなかっ たものと考えられる. 実際に バッハは 「イタリア協奏曲 (BWV 971 )」 や 「ゴルトベ ルク変奏曲 (BVV 988 )」 など明確にチェ ン バロ用の作品を書いている (少なくともク ラヴィ コー ド用 ではない作品) わけ で, これらの曲は歴史的な楽器のために作られたと考えること もできる. 次にバッハのクラ ヴィ ーア作品の創作活動を, その生涯から概観してみたい. バッハは200年に わたって50人以上の音楽家を輩出した大音楽家系に生まれ,幼い時から音楽家の一族に取り囲まれ て 早く か ら 才 能 を 発 揮 し て い た.1694 年 に あ い つ い で両 親 を 失 い, 長 兄 の j .C.バ ッ ハ(Bach ,Joha・m Chr i toph1 21 671-17 ) に引き取られ, そこでクラヴィ ーアの手ほ どきを受けることになっ た (オー s. 69 00 ル ドルフ時代, 1 5‐17 ) ‐ 兄の秘蔵していたクラヴィ ーア曲集の楽譜を持ち出して, 夜月の光で ひそかに写譜していたのが見つかっ てしまい取りあげられてしまっ たという逸話もこの頃のことで ある. やがて兄の家族がふえて自活を余儀なくされたバッハはリュ ーネ ブルクに移り( 17 2 ) 00-170 , i この時期にはオ ルガン演奏の技術 が向上する が, 同時にJ nken ‐A‐ライ ンケン (Re ,Jan Adams 1623‐1722 )の オ ル ガ ン 曲 の ソ ナ タ を 編 曲 し た 習 作 が あ る.1703 年 に ア ン シ ュ タ ッ ト の 教 会 の オ ル ガ. 17 03‐ )にクラヴィ ーア曲はあまり作曲されてないが, 1704年に書か ニストとなり, この時期( 1707 icc iosopralalontananzade lf is l lod l i れた 「旅立つ最愛の兄に 思い を 寄 せ る 奇 想 曲 (Capr t rate et imo )」 というめずらしく描写的な作品がある‐ 続くミュ ールハウゼンでの教会オルガ 92 s , BWV 9. ニスト時代 ( 1707 ‐1708 ) 及びヴァイマルでの宮廷オルガニスト時代 ( ) においてもクラ 17 08-1717 ヴィ ーア作品はオルガン曲やカンタータ作品の陰にかくれてしまい,あまり目立たなくなっ ている. l d i i ) を中心とするイタリアの新しい様式によ しかし A.ヴィ ヴァ ルディ (Vi t va on o1678‐1741 ,An 132.
(4) . バッハ 2声・3声イ ンヴェンショ ンの演奏解釈. る協奏曲は, バッハにとっ てはそれまでになかっ た新鮮な魅力となっ て, それらの曲をオルガンや チェ ンバロのために編曲したり研究したりしているところを見ると, クラヴィ ーアは相変わらず大 切な楽器であっ たに違いない. そのほかにも当時の作と思われるクラヴィ ーア用の組曲やトッカー 20‐1722頃の タ, 個別的なフーガな どの楽譜も伝えられているし, 最近の研究によると以前には17 「 )」 が 1715 年 頃 の l i ten BWV 806-811 作であるとされていた イ ギリス組曲全6曲 (Eng s che Sui ものであるとされている‐ そうすればこのヴァイマル時代は バッハにとっ てクラヴィ ーア曲の創作 活動が大きな高まりを見せたことになるのである‐ バッハのクラヴィ ーア作曲技法が更に成熟したのは次のケーテン時代 ( 2 1717‐17 3 )に 入っ てから である‐ ここでバッハは宮廷楽長に任命され, 宮廷楽団のために合奏曲を書き, 領主の私室 で行わ れる演奏のために室 内楽を作曲する ことが主要な職務 であっ た‐ バッハの才能を高く評価し, 異例 な高給をもっ て遇した領主のもとで, 創作意欲はいやが上にも高まり, 世俗的な器楽曲の大部分 が l he lm こ の 時 代 に 生 ま れ た. こ の 頃 に は バッハ の 長 男 で 楽 才 豊 か な W.F ‐バッハ (Bach , Wi Fr i ) が 成 長 し, 正 し い 音 楽 教 育 の た め の ク ラ ヴィ ー ア 曲 が 必 要 と 考 え た バ ッ ハ ・m 1720‐1784 edema 「 l he l in fur Wi は 息 子 の た め に W.F.バ ッ ハ の た め の ク ラ ヴィ ー ア 小 曲 集 (K1avi erbuchl e ln 「 B 2 と 3 イ ン ヴ ン シ Fr i d h め た で あ る そ の 中 に は 後 の 声 声 の ) を 書 き 始 の n n a c ェ e ema ョン 」 . lnvent ionenBWV 772‐801 )」 の 大 部 分 の 曲 や 「平 均 律 ク ラ ヴィ ー ア 曲 集 第 1 巻 (Das Wohl temper ( ierte K1 avierI BWV. 8 ‐869 ) の一部の曲が含まれており, これらの曲には教育へのこまやかな 46 22年に書き始められた バッハの 心づかいと妥協のない音楽上の厳しさが織り込まれている.また17. infurAJma Mag‐ 新 妻 へ の 楽 譜 帖 「A‐M‐バ ッ ハ の た め の ク ラ ヴィ ー ア 小 曲 集 第 1 巻 (Notenbuchl e 「 )」 に 発 展 し て i dal )」 は 後 の 6 曲 の フ ラ ン ス 組 曲 (Franzるs ten BWV 812‐817 sheSui ena Bachl ), トー マ ス 教 会 の カ ン ゆく‐ 次 に バ ッ ハ は 生 涯 最 後 の 地 と な っ た ライ ブ ツイ ヒ に 移 り (1723‐1750. トル (Kan to r・プロテスタント教会 では音楽監督を意味する) として赴任し, 教会付属学校の音楽 教師と教会音楽の作曲及び演奏に従事しながら27年間を過 ごすことになっ た.これはバッハをクラ ヴィ ーアから遠 ざける結果となり, 職務に専念して多数の教会カ ンタータを書き続ける 間にクラ ヴィ ーア曲の創作は減少を余儀なくされた. しかしその中でも「A.M.バッノ、のためのクラヴィ ーア. 小曲集第2巻 (Notenbuchleinfur A]皿a Magdalena Bachll)」 を 書 き 始 め,. こ れ は 後 の 6 曲 の 「パ. i ten BWV 825‐830)」 に 書 き 継 が れ る こ と に な る‐ 1725 年 頃 か ら バ ッ ハ の ク ラ ルテ ィ ー タ (Part. ヴィ ーア作品は新しい段階に入り, これま で書き続けてきた作品(とりわけクラヴィ ーア曲の分野) 26年から毎年刊行したもの の出版活動を始めたのである‐ この出版は 「6曲のパ ルティ ータ」 を17 i を ま と め て 「ク ラ ヴィ ー ア 練 習 曲 集 第 1 巻 (K1av 31年から始まり, )」 として発刊 した17 erubungl l )」 と し て 「イ タ リ ア 協 奏 曲 ( l i 1735 年 に は 「ク ラ ヴィ ー ア 練 習 曲 集 第 2 巻 (K1avi tal erublmgl enis i )」 と 「フ ラ ン ス 序 曲 (Franzos )」 31 ches Konze rtBWV 971 she ouvertureBWV8. が相 つい で世. l l )」 と して 「コ ラ ー ル 前 に 出 た. 更 に 1739 年 に は 「ク ラヴィ ーア練習曲集第3 巻 (K1avi embmlgl lvorspie lelmd Duetten BWV 552 奏 曲 と デ ュ エ ッ ト(Chora , 669-689 , 802‐805= 俗 称. オ ル ガ ン・. ミ サ)」 が, そ して こ の シ リ ー ズ の 最 後 に な る 「ク ラ ヴィ ー ア 練 習 曲 集 第 4 巻 (K1avi embungIV)」 「 iat ionen BWV 9 と して ゴ ル ト ベ ル ク 変 奏 曲 (Goldberg Var )」 が1742年に出版されたのであ 88 る.. バッハがこのような出版活動を始めた背景には, 彼がライ ブツィ ヒの職場に不満を感じはじめた のではないかということが考えられる. 当地の音楽水準は低く, また収入も少ない上に事あるごと 29 に当局者と対立せ ざるを得なかっ たよう である. そのために バッハは教会の外に仕事を求め, 17 l i 年 か ら は 大 学 生 の 演 奏 団 体 で あ る コ レ ギ ウ ム ・ ム ジ ク ム (col egi t lm mus cmn) の 指 揮 を す る よ う 133.
(5) . 山 根 俊 男. になる. ここでバッハは息子たちや弟子たちとも共演しながら自由な世俗音楽の演奏を楽しみなが ら過 ごしたの である. またこの頃からバッハの創作は再びクラヴィ ーア曲に傾き, 既作の曲の編曲 を中心に数多くの曲が書かれたが, その中でも特筆すべきものとしては, 後の時代のピアノ協奏曲 の 先 駆 とさ れ る 1, 2, 3 あ る い は 4 台 の ク ラヴィ ーアのための協奏曲をあげることができる. こ IBWVI052 2EdurBWV I053 ld mol 5曲あり, その内訳は1台用が7曲( の曲は全部 で1 no ‐ , ‐ , no l IBVrVI056 6Fd 4 A durB▽ずVI055 5f宜 『VI054 l o l立 BVずVI057 no ‐ . ‐3 D durB▽ ‐ , no , , no , no lo IBV V I060 9 C dur BWV I061 2 台 用 が 3 曲 (no 8c moi . . ‐ , no , no IBWV I063 12CdurBWVI 06 4 ) 及び4台 1ld mol l IBWV‐1062 ), 3 台 用 が 2 曲 (no c mo ‐ . , no IBWV I065) で あ る. 更 に 上 記 以 外 に ク ラ ヴィ ー ア, フ ルー ト 及 び ヴ ァイ 用が1曲 (no.13 a mol ・BV VI044 l ) が あ る. こ 15a mol オ リンのための3重協奏曲が2曲 ( 14D durBWV I050 no . ‐ , no 11 12 14 の 5 曲 は オ リ ジ ナ ル 作 品 であ る が, こ れ 以 外 の 10 4 9 の 15 曲 のう ち no . . ‐ ‐ . , no , no , no , no 7 g mo l IBWV I058 no.. 曲は確実にあるいは不確実ではあるが, ヴァイオリン協奏曲, ブランデンブルク協奏曲及びその他 の曲からの編曲である.年齢が50才近くなっ た時期になっ ても バッハはまだクラヴィ ーアの音楽を 追求することをやめなかっ た. 当時イタリア・オペ ラの中心地であっ た ドイツの ドレスデンにおい てバッハはイタリアのギャ ラント様式を吸収しようと努めていたのである. イタリア協奏曲やフラ ンス序曲にもそれをうかがい知ることができるが, 数学的, 論理的構成にもとづく ゴルトベ ルク変 39年から1742 奏曲が, 大胆な技巧を発展させているのも新境地開拓のひとつの帰結といえよう.17 40年前 年頃にかけては平均律クラヴィ ーア曲集第2巻が補筆集成の形でまとめられている.また17 「 K F t d BWV I 8 ) と1 7 4 7年の 音楽の捧 0 0 半に書き進められた 「フーガの技法 (Di n u s r u e e ge 」 ikal i げ 物 (Mus )」 はいずれもクラヴィ ーア曲を含んだ管弦楽曲である‐ 079 sches opfer BWV I. 1 1 イ ン ヴェ ン シ ョ ンの成 立 バッハのクラヴィ ーア作品を演奏しようとするときに, まず直面しなければならない問題は, 使 用する楽譜の選択とその音符を通して 「バッハが予期 したと考えられる音楽」 をどのように表現す ) が 「バ ッ ハ が れ ばよ い の か と いう こ と であ ろ う‐ 今 日 で は 楽 譜 に 関 し て は 原 典 版 (Urtextausgabe. 音符以外のことは殆 ど記入してなく, デュ ナーミク, テンポ, オルナメンテイ ク及びアーティ キュ レーショ ンな どの表現上の直接的な指示をほとん ど行っ ていない」 という理由で高い評価を受けて 普及している. つまり現在では原典版によって各自の演奏解釈を確立するという行為が必須とされ ているのである. しかし一方 では, 原典を正確に伝えようとすればする程, 楽譜だけ では不充分 で あっ て資料が不可欠なものとなる. 「イン ヴェ ンショ ンに関する原典資料」は最も新しい研究によれ ば5種類のものがあると考えられる. したがっ てもしこの資料がすべてバッハの真意であり, イン ヴ ェ ン シ ョ ン に 5通りの楽譜が必要であるのかも知れないのに楽譜の校訂者はそれを1つの楽譜に 決定しているのである‐ 楽譜の利用者たちが, このような原典資料によっ て自らの手でバッハの真 意にもっ とも近いものを見出すことが出来るようにしてこそ 「原典」 を正確に読み取っ たことにな る訳である. 優れた原典版にはこの種のいわゆる「校訂記録」が付加されているのはそのためであっ て, この校訂記録を充分 に利用 してはじめて原典版を使用 したということができるのである. バッハのクラヴィ ーア作品全体に関する原典資料と楽譜についてみると, 晩年の作品については ほとんどの曲は バッハ自身が書いた楽譜 (自筆譜) が残っ ているか, あるいは自分が出版した楽譜 が今日ま で伝えられているので, これらについては, どの楽譜が作曲者の真意を伝えるかという 、問 134.
(6) . バッハ 2声・3声イ ンヴェンションの演奏解釈. 題が起こる心配はほとんどないといっ てよい. しかしバッハの若い時代の作品になると, 自筆譜に よっ て今日まで伝えられた曲はほとんどない状態である. その理由はもしかすると, バッハが後に なっ て過去の作品を重視しなく なり, もっ と良い作品が書けるようになっ たために, それまでの古 い楽譜を友人や弟子たちにゆずり, それが手廻しで写譜しているうちに原譜が紛失してしまっ たと いう こ と も 考 え ら れ る‐ バ ッ ハ の 初 期の作品は, このような状況で書かれた写譜による楽譜でしか. 今日まで残っ ていないため, 中には真作か否かの確認さえ困難なものもある. 「イ ン ヴ ェ ン シ ョ ン は バ ッ ハ が 働 き 盛 り の 時 期 (1720-1723) に 作 曲 さ れ て お り 自 筆 譜 が 現 存 」 ,. する作品に含まれている. バッハは17 50年にその生涯を閉じたが, 彼の死後は大作曲家としての評 価を受けることもなく, 半世紀ほどの間楽譜の出版も跡絶えていた. 1 800年になっ てやっ と 「印刷 「 楽譜」 が出版されるようになり, クラヴィ ーア関係 では 平均律クラヴィ ーア曲集第1巻」 が3つ の出版社からほぼ同時に刊行された. またペーテル社からは1801年から1806年にわたっ てバッハ l l のクラヴィ ーア作品の全集版が発行された. その後は, 1850年になっ てバッハ協会 (Bach ‐Ge e - s 「 バ h f ) が創立され 翌年の1 8 1年から1 8 9 9年までの長期間にわた て ハ全集全4 6巻 が 5 sc at っ ッ 」 , 刊行された‐ 1 0年には新 バッハ協会 9世紀後半には バッハに対する関心は更に高まりを見せ, 190 l l ) が 設 立 さ れ, 1904 年 か ら は 「バ ッ ハ 年 鑑」 を 発 行 し, バ ッ ハ 研 究 の 中 (Neue Bach‐Gese t schaf. 心になると同時に楽譜の出版や演奏を通じて バッハ音楽の普及に大きな役割を果たした. 第2次世 界大戦後になると, バッハ研究は更に新 しい時代に 入り, 19 54年か らは 「新 バッハ 全集 (Neue Bach )の刊行が始まり, それと平行して基本的資料の再検討が行われて, 多くの新しい事 ‐Ausgabe 実が発見されており, バッハに関する研究は今もなお大きくゆれ動いているのである.「イン ヴェ ン ショ ン」 の原典資料は前述のように最新の研究によると5種類あるのでそれについて述べてみる. 23年の自筆譜であり, 現在はベ ルリンの ドイ ツ国立図書館の所有となっ ているもの であ 囚は17 「 io)」 工nvent る‐ 2 声 部 のイ ン ヴ ェ ン シ ョ ン は「イ ン ヴ ェ ン ツィ オ( , 3 声 部 のイ ン ヴ ェ ン シ ョ ン は シ. Si i ンフォ ニア ( )」 と題されており, 入念に清書された楽譜であっ て, 訂正や誤記は少なく, nfon a 装飾音や脱落していた変化記号等の追記が多いことがあげられる 特徴としては, ‐ ( B )は「W.F‐バ ッ ハ の た め の ク ラ ヴィ ー ア 小 曲 集(1720)」に 見 ら れ る も の で,J ‐S‐バ ッ ハ と W‐F.バ ッ. ハの手によっ て書かれている‐ 現在 ではアメリカのエール大学 (コネティ カッ ト州) 音楽学部付属 図書噴飯所蔵となっ ており, 部分的に多くの修正箇所をもつ最初の草稿である‐「2声インヴェ ンショ ン. I BWV. 772一 は 「2 声 の プ レ ア ム ブ ル ム. I BWV. 787一 は 「3 声の フ ァ ン タ ジ ア. 「 l 1(Praeambu un]1さ2)」 , 3 声イ ン ヴ ェ ン シ ョ. iala3)」 と い う 題 名 を も っ て い る‐ 調 1 (Fantas 「 プ ブ レ ア ム ル ム の 1」 か ら 「15」 ま で, 続 い て フ ァ ン タ ジ ア の 「1」 の 配列 は ④ の 場 合 と は 異 な り, 「 「 「 「 「 か ら 「14一 ま で の そ れ ぞ れ に つ い て, 「ハ 長 調」 , ニ 短 調」 , ホ 短 調」 , ヘ 長 調」 , ト 長 調」 , イ短 「 「 「 「 「 「 「 「 調」 , ロ 短 調」 , 変 ロ 長 調」 , イ 長 調」 , ト 短 調」 , ヘ 短 調」 , ホ 長 調」 , 変 ホ 長 調」 , ニ 長 調」 , 「ノ・短 調」 の 順 に な っ て い る た だ し フ ァ ン タ ジ ア 14(後 の シ ン フ ォ ニ ア 3) の 第 13 小 節 以 , , . ン. 降とファ ンタ ジア. 15 (後 の シ ン フ ォ ニ ア. 2) を 含 む 2 ペ ー ジ は 破 り 取 ら れ て お り, 紛 失 し た も. の と 思われる. プレアム ブルム. 3から プレアムブルム. い る. た だ し, プ レ ア ム ブ ル ム. 5 (イ ン ヴ ェ ン シ ョ ン 10 ) は 部 分 的 に (第 10 小 節 か ら 第 15 節 ま. 7までは, W‐F ‐バッハの手で筆写されて. でと, 第 31 .S‐バ ッ ハ に よ っ て 書 か れ て い る. 修 正 さ れ た 箇 所 は, い く つ か の プ レ ア ム , 324・節)j. ブルム(およ びフ ァ ンタジア)が, 初稿にも拘らずすでに充分に修正された後に再びJ S ‐ ‐バッハが修 正 し た こ と を 示 して い る. イ ン ヴ ェ ン シ ヨ ン. 7. 11 . 13 と シ ン フ ォ ニ ア. 5 は小 節 数 に 関 して も. 囚とは異なっ ている. )は明確ではないが17 23年頃, バッハの姓名不詳の弟子による筆写譜で, 囚と同じベ ルリンの ド ( C 135.
(7) . 山 根 俊 男. S イツ国立図書館所蔵であっ て,かつてはJ ‐ ‐バッハの自筆譜と思われていたもの である.各インヴェ )と B ンショ ンのあとに同じ調のシンフォ ニアが続く順序に配列されて いるいる. 尚, 調性の配列は( 同じである. ) の 手にかか る ich Nikolaus 1702-1775 inr ( 動は バッハの弟子である H.N.ゲ ル バ ー (Gerber , He 筆写譜であっ て, オランダのハー グのゲメーンテ博物館所蔵のものである. 内容は囚を入念に清書 したものと思われる. J ‐N‐フォ ルケルはバッハに関する著書の中でバッハが弟子たちの勉学のため にすばらしい手段を用いたことを次のように述べている. すなわち 「バッハは弟子たちが習得すべ き楽曲を, まず自分 で 弾 い て 聞 か せ, そ れ か ら こ う い う の だ っ た.= こ ん な ふう に 聞 こ え る ん だ よ」 と.ゲルバーはおそらく授業中に多数の装飾音を書き入れたと 思わ れ る. シ ン フ ォ ニ ア. 5 では バ ッ. ハ 自 ら そ の 労 を と っ て い る.. F ( E )はJ .バッハの所有している資料に基づいて作成させ た比較的新しい筆写 ‐N.フォ ルケルが W. 譜で, ベ ルリンの国立図書館 (プロイセン文化財保護財団) 所蔵となっ ているものである. その内 容は( )にならっ て筆写されたものである. B インヴェ ンショ ンの原典版と称する楽譜は数多く刊行されて いるが, 特に本稿の主旨に合致する ものとして, 下記の2部をあげておく‐ ionenundsinfoni i ion42 Wi textEd t en ener Ur .S‐Bachlnvent ,1973 (シ ョ ッ ト 社, ユ ニ ヴ ァ ー ,j. サル社, 音楽の友社による共同出版) i ionen mldSinfon iesIJ.S‐Bachlnvet Bareme i ter UnextSer en ,1970 (邦 訳. 角 倉 「朗. 1972). 1 1 1 クラ ヴィ ー ア 曲の演 奏 法 広 ) デュ ナーミク バロッ ク時代の終わりに至る頃までのクラヴィ ーア作品のための楽譜にはデュ ナーミク(強弱法) の指示は一般的には付されていなかっ た. バッハの作品の場合には例外的に明らかに 「2段鍵盤を te」 及 び 「piano」 と 記 入さ れ た 箇 所 も つ チ ェ ン バ ロ」 の た め に 作 曲 さ れ た と 思 わ れ る 曲 の 中 に 「for 「 te」 が 見 ら れる だけ で, そ れ 以 外 に デ ュ ナ ー ミ ク を 指 示 す る 記 号 は 全 く な い‐ こ の「for , piano」の. 記号は 「エコー」 といっ て手鍵盤の交代を指示するもの で, その作品は 「イ タリア協奏曲 BWV 「 「 971一 31 」及び「平均律クラ ヴィ ー 一 , フ ランス序曲 BWV 8 , ゴルトベ ルク変奏曲 BWV 988 8番 嬰ト短調前奏曲 BWV 887 ア曲集第2巻第1 」である. 当時の楽譜にデュナーミク記号が記 入されなかっ た理由は, その当時の演奏者は誰でも伝統的に, あるいは無意識に備わっ た様式感に よっ て, それをどのように演奏すべきかについては充分に心得ていたために記入の必要がなかっ た のである‐ 常にいろいろの時代様式による音楽と付き合わなければならない今日のわれわれと違っ て, いつも自分の時代の音楽だけを弾いていた演奏者だけに, 一層このことについては良く理解し て い た と 思われる. 後期 バロッ クから多感様式の時代へと移り, 更に多感様式の時代からヴィ ーン. 古典派の時代へと変化して, ようやく 「テラス状のデュ ナーミク」 から 「漸進的なデュ ナーミク」. へ, つ ま り 強 弱 の 「直 接 的 対 比」 か ら 「ク レ ッ シ ェ ン ドや ディ ミ ヌ エ ン ドに よ る 変 化」 へ と 移 行 し て ゆく の であ る.. バッハの場合, 小さな曲では唯一の基本的なものが始めから終わりまで保持される音楽なのであ る. また, いくつもの部分から成り立っ ている大きな曲 (トッカータ, 協奏曲及び組曲など) の場 合はオルガン曲と同様に 「レジストレーショ ン」 されれば, それぞれの部分は音響的に対比して表 136.
(8) . バッハ 2声・3声イ ンヴェンショ ンの演奏解釈. 現できるのである. このようにして生まれた変化は漸進的ディ ナーミクに匹敵する効果をもっと同 時に, それとは全く異なっ た構築的な性格を表出するものである. 例えば 「半音階的幻想曲とフー IBWV9 i i ガ (C I鯉omaf 03 )」 の場合のように, その表現の幅が最後 elmld Fuged mol sche Fantas f f の極限にま で及ぶような曲では, 当然「pp」 (レチタティ ー ヴォ の部分)とか「 」 (フーガの終結部) も許されることがあっ ても, 一般的にバッハの他の殆 どの曲では中位の強さが主流となっ ているの である‐ しかし, その場合は, さえない無表情な 「mf 」 ではなくて, 強められた 「p」 あるいは音量 「i 「 バ を殺した f ano 」 」 であるべき , -であろう‐ 2段鍵盤のチェ ン ロのための曲に記入されている p 「 様に 音の強さよりは f t o r e 」はオルガンでのトリオ演奏の場合と同 , , むしろ音色の区別を意味して いると考えるべきである. バッハが音の強さを指定していても, その実は音色のことに 重点を置い ているという, ささやかながら誠に含蓄の深いこのひとことの中にこそ, バッハにとっ てデュ ナー ミクが自律的な表現要素 であるにはほど遠いということが, もっ とも端的にあらわれているのであ る. クラ ヴィ コー ドの曲に関してはデュ ナーミクは問題にならない. なぜなら楽器自体が, 大きな 音は不可能ではあっ ても「ppp~mf 一の幅で強弱を表現できるからである‐ 線的な構成法自体が演奏 をいかに柔軟にいきいきと保つかを充分に示しているからである. ベー ブン グ (Bebml g[独] クラ ヴィ コー ドに特有なヴィ ブラート効果)の過度の使用については極めて慎重ではなくてはならない‐ しかし, 作品をより音楽的に演奏するためにはデュ ナーミクの理解は何より必要になる. クラヴィ コー ドの曲は, 無伴奏のヴァイオリンやチェ ロのためのソナタや楽曲とともに作曲者の創造的な結 実のごく一部を表現しているに過 ぎないかも知れないが, 人間としての バッハの一面を見せてくれ る も の であ っ て, 心 の こ も っ た や さ しさ に あ ふ れ て い る. も し, わ れ わ れ も 自分 のために詩を読ん. だり, 自分の楽しみのために歌っ たりするのと同じように バッハの作品に近づいて行けば, そこか ら正しい様式を見出すことも不可能ではないかも知 れない. クラヴィ コー ドの作品を研究している と, バ ッ ハ は バ ロ ッ ク の 巨 匠 で は あ る が, ロ マ ン 的 な 巨 匠 で も あ る よ う に 思 え て く る.. 旧 ). テ. ン. ポ. デュ ナーミクについて述べたことはテン ポについても当てはまる. つまり バッハの時代の奏者に とっ て正しいテン ポを見出すことはやさしいことであっ た. それは曲の基本的な性格と拍子記号と 最小の音価から判 断して正しいテンポを推定することができるからである. どの時代においても固 有な基本テンポというものがあり, バロッ ク時代の基本テンポは「テンポ・オルディ ナーリ オ(tempo l i i ) io[伊]普 通 の テ ン ポ の 意)」で あ っ た. G‐F‐ヘ ン デ ル(Hande edr ch1685-1759 ordenar ,GeorgFr 「 I l グロ ー ト A 1 d ) り ( egro moto mo erato [伊] 」 であ , がよく 用 いた標 語は ア レ モ ル ト モ デラ. これは当時の身分の高い人びとにふさわしいとされた威厳のある 沈着な態度に相 応したテン ポで あ っ て 「ア ン ダン テ (Andante[伊])」 に 近 い‐ た だ バ ロ ッ ク 時 代 の ア ン ダン テ は ヴィ ー ン 古 典 派 の. i 音楽 家たちの場合のよう に静か でしっ かり した 足取り の 歩行 では なく て 「ア ダージョ ( o adag )」の副次的な形とみられていたの である‐ バッハ自分で指揮するときは非常に正確 であり, 通 [伊] 常は極めて活発にとっ たテンポでも最後までくずれたりせず, 確実であっ たと伝えられている‐ つ まり バッハは一度定めたテンポは曲の最後まで変わることはなく, 又自分の作品は他の奏者よりも 速 い テ ン ポ で 演 奏 す る こ と を 常 と し て い た と い う こ と で あ る. しか し, こ の こ と は ヴィ ー ン 古 典 派. の音楽家たちの場合よりも範囲を狭めて受け取られなく てはならない だろう‐ バッハの. 「ア ダー. ) の 「ア ダー ジ ョ」 ほ どゆ っ く ン ョ」 は Lv .ベ ー トー ヴ ェ ン (Beethoven ,Ludmg van 1770‐1827. りではないのである. バロッ ク時代のテンポは 「中位」 が基本となっ ていて, 速い場合には 「少し 「 早目に」 , 遅い場合は 少し遅目に」 程度に考えるとよいということである‐ 137.
(9) . 山 根 俊 男. テンポを正確にとるためには 「拍単位」 をしっ かり捉えることが重要な前提条件となる. われわ れの楽譜に書かれている拍子記号の 「C」 は4/4と8/8の どちらに理解されるべきなのか, 又2/ 2/8拍子の場合に拍単位が「8 4は4/8と理解してもよいのかどうか, 又3/8, 6/8, 9/8, 1 「 分音符」 なのか 付点4分音符」 なのか, というようなことがはっ きりしていない‐ これらをどの ように決定するかということが非常に重要なことになっ てくるのである. バッハの音楽では譜面上 では4分音符が拍の単位になっ ていても, 実際には8分音符が拍単位 であるというケースがかなり ある. 例えば 「イタリア協奏曲」 の第1楽章は2/4と書かれているが, 実際には4/8であっ て, 8分 音符が1拍として数えられることによっ てはじめてこの曲の内的に躍動する表現が可能になる の である. 又これと逆の例としては 「平均律 クラ ヴィ ーア曲集第1巻第4番 嬰ハ 短調の前奏曲 BWV 849 一 は6/4と書かれているが, 1拍と数えるのは4分音符ではなく て付点2分音符であ る.. ◎. オルナメ ンテイ ク. 長いあいだ音楽理論家はもとより, 演奏家たちでさえも, 古い音楽に付けられている 「オルナメ i k[独] 装飾法)」 は取り去っ て演奏することができるし, 又そうすべきであ ンティ ク (o・mamen t S る と 思っ て来た. とくに「偉大な厳格な一j . .バッハの作品に関しては, その 思いには特別のものが あ っ た こ と に つ い て は, さ ま ざま な 論 証 と と も に 一 層 確 実 な も の と 信 じ ら れ て き た. 「マ ニ エ ー ル. i (Man e r[独] 装飾音)」 に否定的な立場をとる人たちは, たんに記入された 「付加物」 としてしか 見ていないのである‐ 歴史的に見れば, 古い時代に記号で書かれていたマニエールは, その後になっ て徐々に形を変えて,つまり記号としてではなく普通の音符として記されるようになっ たのである. そのために即興性は奪われた形になっ て古典派やロマン派のすぐれた作品の中で生き続けていると いう事実を見逃してはならない. そこで過去の芸術に関する時代研究と客観的な解釈が開発されて くるのにつれて, 反論に対するそのまた反論が生じて来たのも不思議ではない‐ f )は「J まず Lラ ン ツ ホ フ(Landshof ‐S‐バ ッ ハ イ ン ヴ ェ ン シ ョ ン と シ ン フ ォ ,Ludwig1874-1941 「 933 ニアの校訂報告書, 1 」の中で次のように述べている‐ バロッ クの音楽ではマニエー ルは決して 空虚な形式遊戯でも, またそえられた薬味でもなく, 強い内的衝動にしたがって 形成されるものな のである. マニエールは果たすべ き重要な使命をもち, 表現を高める手段として芸術作品の直接的. な構成要素の一つに属するものである」 . l ) は そ の 著 書 「J この立場に対して H.ケ ラ ー (Kel er ‐S‐バ ッ ハ の ク ラ ヴィ ー ,Hermann1885-1967 「 9世紀の音楽観の中で育っ た 『リスナー』 は, ロマ 50 ア作品, 19 一 の中で次のように述べて いる‐ 1 ン派の作品にあらわれるマニエールを, 感情表現の高揚されたものと評価するのが習慣となっ てい る. ところがバロッ クの音楽家は, 単純な旋律に装飾を施していても, ロマン派とは逆に, マニエー ルを感情から遠 ざけた次元にまで高め, その高められた次元において, 貴重な宝石類のように展示 したのである. マニエールを正しく使用するための欠く べからざる前提条件はそれゆえ, 1 8世紀の 偉大な名演奏家たちが, まだ例外なしにそして19世紀の名演奏家も, ほんの一部にせよ, まだ持っ i in ていたと こ ろ の『貴 族 的 な 態 度』と い う こ と であ る. F.クー プ ラ ン(Couper s1668‐1733) ,Fransco のクラヴィ ーア作品にふんだんに付けられているマニエールは, 室内画においても装飾崇拝を極端 にまで押しすすめたヴェ ルサイユという, あの華麗なそして美的にす ぐれた食欲な世界の申し分 の ない表現なのである‐ 貴族には義務が伴い, 装飾様式もまたそれにふさわしい態度が義務づけられ る. その態度を欠く者は装飾を断念しなければならない」 ‐ こ の 2つ の解釈の 間に 立っ て最近 では, バッハ研 究者 と して知 ら れて いる G v ‐ ‐ダーデルゼン 138.
(10) . バッハ 2声・3声インヴェンションの演奏解釈 ) の 「マ t Di M ikin Geschi l chte 皿Id Gegenwar (Dade sen ,1966 ,Georg vonl918-) は MGG ( e us. ニエール」の項にその意義と目的につ いて次のような見解を示している. 「マニエールは音楽におい て, 経過, 強調または高揚などにかかわりをもつ他のすべての要素と同じように演奏の直接的な衝 動にまつわる問題なのである. そのため, マニエールの厳密なリズム上の音価, あるいはデュ ナー ミクの度合は, しばしば演奏者の意識の中に も記譜の上でも正確に把握できないこと がある. 適正 なリ ズムの決定は, 演奏者の趣味と技量に任されているというマニエールのもつ特性のなかに, そ の独特な魅力が存在するのである」 . それではマニエールは表現を高めるための手段なのか, 感情から解き放された次元まで引き入れ ることなのか, はたまた演奏者の直接の衝動にかかわることがちなのか. 3つの立場はすべて正し く, 互いに排除し合う必要は全くないという見解が妥当であろう. オルナメンティ クは飾り細工で はなく, 当時の楽器の音量が乏しかっ たために生じたものでもなければ, またそのために 許容され i i ) は 「マ ニ エ ー nr ch1868-1935 る 楽 器 上 の 効 果 で も な い の で あ る. H‐シ ェ ン カ ー (Schenker , He. 「 ルについての寄稿, 1908 」において次のように述べている‐ 事実, マニエールの システム全体と楽 器の音量の不足とを, 因果関係 でむすびつける見解は, 従来もっ とも好まれて普及されて来たが, これは一見権威があるようにみえる筋の人びと, すなわち私たちの先輩 (理論家) によっ てかなり 強力な支持を受けていた. というのも, かれら自身がそのように考え, かつ文書等でその意見を後 バ 世 に 残 した か ら であ る‐ と こ ろ が, こ の 問 題 に つ い て j .S.バ ッ ハ の 次 男 で あ る C‐P‐E‐ ッ ハ(Bach , ー ル は ク ラ ヴィ ー ア に あ ま り ニ り る つ マ エ 立 は 次 の 通 で l ipp Emanue l 1 7 1 4 1 7 8 8 ) の 場 Car IPhi - ‐ ,. 属するものであっ て, クラヴィ ーアの音が短す ぎて貧弱であるからではなく, クラヴィ ーアはまさ に ク ラ ビー ア に ほ か な ら ず, 人 声 や オ ル ガ ン の よ う な も の で は な い か ら であ る‐ ク ラ ヴィ ー ア は そ. のような独特な身軽さをもつ 楽器として, 本来その音楽内容にある種のきらびや かさを備えること が望≧まれている‐ このきらびやかな性格が, いろいろな種類の音型, パッセージ及 びマニエールで 表出されるのである. つまり広い意味でオルナメンティ クと呼んでよいすべてのものによっ て表現 さ れ る の であ る‐. それでは原典資料付の原典版を使用する場合にオルナメンティ クに関しては どのようなことに留 意すればよいのであろうか. それは演奏の即興の 要素としてマニエールが単に知識だけではなく, 芸術的趣味をも要求していることを理解することである. つはり, 文献学におけるマニエールの記 号の名称, 判断及び定義な どは原則を示すだけに過ぎないもの であっ て, 例えば正当性のあるいく つ かの資料の相違点を発見するたびに, ますます混乱してしまう 結果になりかねないということを 知っ ておくべきであろう. バッハの初期の頃のクラヴィ ーア曲の手写本の間にもマニエー ルに関す る相違とか不 統一が見られるのは, マニエールの記号の多くは, バッハがレッスン中に急いで記入 し た こ と が 原 因 と な っ て い る こ と が 考 え ら れ る‐ そ の レ ッ ス ン に つ い て E‐L‐ゲ ル バ ー (Gerber ,. 「 Ems ) は 「音楽家の歴史・伝記辞典, 1970 tLudwig1 7 46-1 819 一 の中に次のように記している‐ 教. える気になれないという口実のもとに, バッハはレッ スン中に一番立 派な楽器の前に腰を下ろし, レッ スン時間を分(ふん)にすりかえて短く切り上げていた」 .ランツホフも上記の報告書の . また L 「 S 中で J 、れてしまい, 楽譜に拘束されることも ‐ ‐バッハは生徒や友人の前で演奏する際に, われを忘 なく, ファ ンタジーの自由な余地を創り出 していっ た. あるときはこの作品を, そしてまたあると きは別の作品をより一層豊かに装飾し, 一つのフレー ズにマニエールで脚光 を当てるかと思えば, l i ) をさずけて表現を高めるのであ またある場合には他のフレー ズに自由なメリスマ (me sma[希] る」 とも記している. オルナメンティ クに関して理論家, 編集者, 演奏家たちが一様に厄介視してきた諸問題は, 実は 139.
(11) . 山 根 俊 男. 実践面よりも多分に理論的な性格のものかも知れない. 原典資料の編集者たちは, いつ も大筋をは ずれないようにしたいと願うあまり, ただそこに書き記された事実だけをことさらに確信する傾向 をもっ ているために, これらの諸問題はたしかに過大な価値を与えられ過 ぎている. そこで理論漬 けにするより, まずもっ と実際に演奏し, 試行錯誤を行い, 「耳をきたえる」訓練を行う 必要がある と いう こ と が い え る. C‐F‐E.バ ッ ハ の 教 則 本「正 し い ク ラ ヴィ ー ア 奏 法, 1753」 でさ え も 次 の よ う に. もいっ ているのである.「オルナメンティ クに関しては矛盾がないわけではない. しかし矛盾を退け るのは無理なことも事実である. 何故ならば, 記号の解釈は一般化しようとするあらゆる試みを拒 「 むものだからである」 v .ダーデルゼンも オルナメンティ クの規則が正確なリズムを決定す . また G. る瞬間に, 芸術が損なわれるのは事の性格上当然のことである. この 点からみて, マニエールの一 覧表では小さい活字の音符と記号がはっ きりとリズム形で示されているだけであるが, これ自体の 内にも矛盾が起きている‐ そしてこの矛盾は特別の教育的な目的により, マニエールに不案内な人 びとのために, 記号のもっ ている多様な意味の中の代表的な一例を掲げたということ でのみ, 釈明 できるものである. マニエールをただ一つだけの正しいリズム で解決しようとすることをめ ぐる果 てしのない論議は, それ故におよそ不可能に近い試みであろう」 ともいっ ているのである‐ 芸術作 品の構成要素の一つとしてオルナメンティ クは, 厳密にいえば, 作品そのものと同じようにそれぞ 「 れが新たな意味を持っ ているものである.C F E ‐ ‐ ‐バッハは更に それぞれのマニエー ルを使用する箇 所を厳密に規定することは難しい‐ すべての作曲家は創作に際してよい趣味を損なう のでさえなけ れば,ほとんどの箇所で気に入っ たマニエールを付ける自由がある.私たちはいくつかのきまりきっ た定理と実例をあげたり, 少なくともマニエールを用いるには不可能な場合を楽譜の利用者に示す ことで満足しよう」 と述べ ている‐ つまり音楽的な感覚に反するマニエールを指示しようといっ て い る の であ る. た だ こ こ で 注 意 し た い こ と は,C‐P‐E‐バ ッ ハ が 述 べ て い る オ ルナ メ ン テ ィ ク に 関 す る. Sノぐッハから学んだものと思われるが, 記述の細部については, 次のような理由 多くの内容は, 父j ‐ からその妥当性が疑問となる のである.つまり,J S ‐ ‐バッ ハの息子である C‐P.E.バ ッ ハ は あ く ま で も 「息子の時代」 を代表する理論家であり 「正しいクラ ヴィ ーア奏法」 を書いたのは父の死後であっ , て, 「イ ン ヴ ェ ン シ ョ ン と シ ン フ ォ ニ ア」 が 作 曲 さ れ て か ら 3 0年余り過 ぎていて, この著書は父の 時代とは別の 「新しい作品」 を対象として書かれたという点である‐ この 「新しい作品」 は, もは S や父j . .バッハが到達した頂を超えることはできず,そのために,それまでとは違っ たところから新 たな出発を始めなければならなかっ たが, 少なくともその発端においては古い様式の 「ゲネラルバ l ba ス (Gene s s [独] 通奏低音)」 とオルナメンティ クを用いたのである. ゲネラルバスに付され ra P E た数字の列は C . ‐ .バッハの作品では当初多用されていたが, やがて新しい音楽観の邪魔となり, 作曲の際には実音も一緒に記されるようになっ たために,次第に消滅していっ たのである.マニエー ルも同様の運命をたどることになり,1 0年後にマニエールは当時の作品の中の固定化された構成要 素 と な る の であ る‐ し か し, そ れ に も 拘 ら ず C‐P‐E‐バ ッ ハ は 次 の よ う に も 述 べ て い る. 「そ れ 故, こ. のようなマニエールを合理的に用いるためには多くの細かい事柄にまで精通しているべきであり, そのためにはできるだけ良い音楽に耳を傾けて音感覚を訓練し, 更に理解を深めるためにゲネラル バスの知識を身につけることである. 和声法の基礎を理解していない人はづ いつもマニエー ルをつ ける時, 暗中模索し, たまによい結果が得られたとしても, それは必ずしも意図して得たのではな く, 偶然にそうなっ たという事例を知っ ている. そのために, 私たちは必要とあれば, 例題には必 ず バ ス を つ け て い る」 .. このようなわけで, マニエー ルの演奏 (オルナメンティ ク) は, 曲想上の要素, テンポ, 及び直 接的な前後関係 (装飾をつける声部の横の動き) ばかりではなく, 最終的には バス, 即ち和声的な 140.
(12) . バッハ 2声・3声イ ンヴェンションの演奏解釈. 状況にも依存しているのである.. @ ). アー テイ キュ レー ショ ン 「 「 「 ア ー テ ィ キ ュ レ ー シ ョ ン は, 奏 者 が 「レ ガー ト」 , ノ ン・レ ガ ー ト」 及 び ス タ ッ , ポ ル タ ー ト」. カート」 などの表現手法を駆使することによっ て, 旋律線の表情を形成してゆくもので, その可能 性は非常に多様なものである‐ それ故, バッハの音楽の演奏解釈にかかわる問題の中でも最も難し いことである‐ 多くの資料な どを比較, 分類しなければならなかっ たオルナメンティ クの研究とは 逆に, アーティ キュ レーショ ンの場合には, 資料が極 端に不足しているのが現状 である. バッハの クラヴィ ーア作品にはアーティ キュ レーショ ンの指示はほとん ど見られない上に, この分野の研究 は非常に立ち遅れていて, 最近になっ てようやくその基礎りくりが始まっ たばかり である‐ 唯一の ika l i 研 究 書 は H‐ケ ラ ー に よ る「音 楽 の ア ー ティ キ ュ レ ー シ ョ ン = 特 に J ‐ e mus s ‐S‐バ ッ ハ の 場 合(Di 「 グと ー B ー ア i i S h 1 あ 尚 書 は 後 に フ レ ジ ン l この ikuaton sbe j che Art .‐ ac , 935)」 で る‐ ,besonder iner ierul ikulat ion‐EinBe i t ティ キ ュ レ ー シ ョ ン = 音 楽 の 文 法 へ の 一 寄 与 (P]窺as ragzue l g md Art Sprachl i k 96 9年には邦訳出版されている. バッ 955 )」 として再出版されており, 1 ehe der Mu s ,1. ハの作品において正統的なアーティ キュ レーショ ンの指示や, 当時の資料には参考にするのに足る ものが極 めて少ないため, 先ず入手できる資料を集めることが必要である. イ ンヴェ ンショ ン (2 )」 にはスラー記号が多用されてい )」 と 「ヘ短調 (BWV 780 声) の中では 「ニ長調 (BWV 744 3 )」 では第8小節に下行する2度の音符に 付けられたスラー記号があ ノ・短調 (BWV 77 る. また 「 るが, これは作曲中に高揚した感情が表れたものか, あるいはレッスン中に記入したものであろう 6 86 )」 では第1 か? 又 「ロ短調 (BWV 7 , 17小節に4つの16分音符を結ぶスラー記号があり, こ れ は L‐ラ ン ツ ホ フ の 研 究 に よ っ て 明 ら か に な っ た も の で, 意 味 深 い も の で あ る‐ 「イ 長 調 (BW÷V. 「 )」 の第19 78 3 , 20小節にも8分音符に対してスラー記号が見られる‐ 一方シンフォ ニア では 変ホ 「 ヘ 調 BW 短 ( 長 調 (BWV 791 )」 の 第 22 V 7 95 )」 の第1小節には理解 , 23 , 24 , 28 小 節 に, 又 の手がかりとなるスラー記号が付されている‐ これらの例の中には, 作品を理解する上で決定的な 重要性を持つスラー記号も含まれており, もしその指示がなければ見過 ごしてしまう可能性がある ことを思うと, 充分な観察が塑{まれると痛感する次第である. 特にイン ヴェ ンショ ンの 「ニ長調」 と「ヘ短調」に関しては一層の注意が望 まれる. 全体的に見ると, バッハの指示にはゆきあたりばっ たりで, なんとも説明のつかないものが多くて, アーティ キュ レーショ ンの問題を充分に明確にす ることがどんなに困難であるかを物語るものである. 一方, バッハは管・弦楽器のための作品では, 信 じられないほど豊富にスラーやスタッカートの記号を記入して, 音の構成の意味を充分 に明らか にしているの で, クラヴィ ーアの場合とでは何故これ程の相違があるのか, 比較して考えてみたい‐ そもそも 「スラー記号」 が今日では2通りの意味で使用されていることを念頭に置かなければな らない. 本来, クラ ヴィ ーア作品においてスラー記号が付けられている場合は, 「レガート奏法」を 指示するものであり, 管・弦楽器作品の場合では 「プレス」 あるいは 「ボーイング」 を意味するも のであっ た. ところがこの 「スラー記号」 は次第に楽想の長さを示す 「フレージン グ」 の指示とし ても用いられるように変わっ て来たのである‐ つまり1つのスラー記号が 「レガート奏法」 を表す のか, あ る い は 「フ レー ジ ン グ」 を 示 す の か と い う こ と が あ ま り 明 確 に さ れ て い な い の で あ る‐ 幸. なことに, クラヴィ ーア作品の場合にはスラー記号は 「レガート奏法」 以外の意味を表すことがな かっ たということである. また当時のクラヴィ ーア用の作品は専ら限られた一部の人たち (専門的 に学習している者, 専門家, 作曲家自身な ど) が利用するために作られ, このような音楽的教養が 高いクラヴィ ーア奏者は, アーティ キュ レーショ ンの基礎的な法則に関する知識などは身につけて 141.
(13) . 山 根 俊 男 い た と 思われる. しかし, この程度の理由でバッハのクラヴィ ーア作品にスラー記号がほとん ど見. られないという謎を解くことはできない. バッハのアーティ キュ レーショ ンの基本原則を考察するにあたっ て, 声楽や管弦楽の作品に見ら i Schwe t れる豊富なスラー記号の資料がどれほど役に立つかを調べて見たい. A.シュ バイツァー ( ‐ 「 bert1875‐1965) は そ の 著 書 「j zer .S‐バ ッ ハ, 1929)」 の 中 で ブラ ン デ ン ブ ル ク 協 奏 曲 や カ ン ,A1. タータのオーケストラ・ パートに見られるスタッカートやスラーの記号を知っ ている人は誰でもク ラ ヴィ ー ア の た め の 作 品 でフ レ ー ジ ン グ (当 時 は ま だ ア ー テ ィ キ ュ レ ー シ ョ ン と い う 概 念 は なく,. この語の中に含まれていた) の扱い方が理解できるであろう」 といっ ていることや 「バッハはカン タータの入念に記号づけられた多くのオ ブリガートの器楽 パート譜や, 室内楽などにおいて, クラ ヴィ ーア曲やオルガン曲のアーティ キュ レーショ ンを判 断するための手がかりを充分に与えてい る」 と いう H‐ケラーのことばは, 一 見問題がすべ て簡単に解決するかのように見えるが, 実際には この2人の示す指示は殆ど一致していないのである.ケラーは「バッハ自身がアーティ キュ レーショ ンを書いている作品の記号を, 指示のない作品に当てはめても理にかなっ ているのは, バッハの語 法の偉大な統一性のなせるわ ざである」 ともいっ ているが, バッハ自身の手によるスラー記号の資 料のすべ てを見ても, そこに確固たる統一性があるとは言い難い. 又, バッハの語法には作品全体 にわたっ て統一性があるという点にも疑問が残る. 大 バッハの作品であれば, 小規模のものから最 大のものまで「バッハ作曲」 である以上すべて正しいのである. またクラヴィ ーア作品といっ ても, クラヴィ コー ドとチェ ン バロでは, それぞれの楽器の構造から生ずる技法上の相違があり, このこ とはその他の器楽や声楽に及言してゆけば, 同様に, 「各自の語法」 があることに気付くのである. 声楽曲については 「ことばの領域」 と思えば分かり易い‐ つまり特定のモティ ーフは歌詞によっ て アーティ キュ レイ トされるのである.バッハはいつ でも歌詞が伝わり易いように旋律を書いている. しかし, 声楽のためのモティ ーフを伴奏楽器にも弾かせる場合で, その楽器にとっ て別のものがふ さ わ し い と き は, バ ッ ハ は 異 な っ た ア ー テ ィ キ ュ レ ー シ ョ ン の 指 示 を 行 っ て い る の で あ る. こ の 一. 例をもっ てしても, 前述のシュ ヴァイツアーやケラーの主張には無理があるといわ ざるをえない. バッハのアーティ キュ レーショ ンに対する一般的な処理法は, 彼ほどの才能のない我々の能力を越 える多様性と豊富さとを持っ てはいるが,ある程度の基本法則にしたがっ ていることも事実である. この一般的な基本法則とは, およそ次のようなものである‐ 「速いテンポの場合にはノン・レガート又はスタッカートがよく 遅いテンポの場合にはレガート , がよい. 中位のテンポの場合には近接する音程はレガート, 離れた音程はポルタート又はノン・レ 「 ガートがよい」 . ただしクラ ヴィ ーアの作品については次の補足説明が必要である. 中位から速い テンポの場合, チェ ン バロではノン・レガートやスタッカートの奏法への傾向が強く, クラヴィ コー ドではレガート奏法がよい‐ 又遅いテンポの場合, チェ ン バロ ではポーコ・レガート奏法, クラヴィ コー ドではモルト・レガート奏法が基本である」 .. IV. イ ン ヴ ェ ンシ ョ ンの意 義. 「 j .S‐バ ッ ハ は イ ン ヴ ェ ン シ ョ ン と シ ン フ ォ ニ ア」 の 清 書 稿 を 完 成 さ せ た と き, そ の 表 題 で次 の よ. 1 )2声できれい うに記している. 『正しい手引き. クラヴィ ーアの愛好家, とりわけ学習希望者が,( に奏することだけではなく, 更に上達したならば( 2 )3つの主要声部を正しくそして上手に処理する ことを学び, それと同時にす ぐれた楽想を手に入れるだけではなく, それらを巧に展開すること, 142.
(14) . バッハ 2声・3声インヴェ ンションの演奏解釈. そしてとりわけカンタービレな奏 法を習得し, それとともに作曲の予備知識を得るために.1723年 アンハ ルト ケーテン公の宮廷楽長 ヨハン・セ バスティ アン・ バッハ』 この表題は無類の簡潔さ をもっ て, この曲集の教育目的を詳しく 説明している‐ つまり, この曲集は「学習希望者(クラ ヴィ ー ア学習者)」のための手引きであっ て, 独立した2声部および3声部をもつ楽 曲の奏法習得を目的と l i している‐ まず第1に ポリフォ ニー (Po e [独] 多声楽曲) の演奏にあたって両手の独立 生 yphon を高めるための基礎教本であっ て, 曲ごとに別種の技術的課題が課せられている‐ たとえばハ長調 のインヴェ ンショ ンでは, 手を静止したままでの自在な指使い, そして元来2番目に置かれていた ニ短調の曲では, 他の指の上を越えたり, 下をく ぐっ たりする運指法が要求される. 最初3番目に あっ たホ短調では明らかにモルデント及び他の種々のトリルが中心課題である し, ヘ長調の曲は, それまでに習得した流暢さを発揮するように作られ, ト長調の曲は分散3和音の練習であるなどで ある. ちなみに, このよう な教育上の針路は, 後の配列 (現在普及しているもの) よりも最初の配 列の方が一層明瞭に認められる.更に学習者は個々の声部を技術的に正確に弾く だけではなく,バッ ハが強調しているように, それらを 「カンタービレに」 つまり 歌の旋律のように演奏しなければな ら な い‐ そ の た め に は 正 し い デ ュ ナ ー ミ ク, テ ン ポ, オ ルナ メ ン テ ィ ク 及 び ア ー テ ィ キ ュ レ ー シ ョ. ンなど (楽譜の中には詳しい指示はほとんどないが) に関して適切な表現を考えなけれ ばならない の で あ る‐. この曲集はまた同時に 「作曲の予備知識」 を与えることを目的としている‐ それは先ず 「す ぐれ た楽想」 とは何か, つまり多声的展開に適した主題という 意味での楽想について教え, 次にそれは 展開されてどのような姿を呈するのかを実例をもっ て説明してゆくのである‐ ひとつひとつの曲は 唯一の楽想から楽曲全体を作り出す ための, この上もなく 多様な手法の範例にほかならない‐ 楽曲 様式を規定する線的体位法の手法には, 自由模倣からカノン (イン ヴェ ンショ ン 2) や厳格な3 9) まで, 数多くのものが含まれている‐ 約半数の曲がフーガ風に設計 されていて, 反行や逆行も旋律構成と対位法的労作の手段として 活用されている (インヴェ ンショ ン 1, 11 , シンフォ ニア 1) . 和声的な傾向をもち, リュ ート風な分散低音上で2声部が2重奏. 重フーガ (シンフォ ニア. を奏 でる歌唱的, 表出的なトリオ曲 (シンフォ ニア 視 した 華 麗 な 曲 (イ ン ヴェ ン シ ョ ン. 5) もあれば, クラヴィ ーアの演奏技巧を重. 12 , シ ンフォ ニ ア. 15) も 見 ら れ る. 各 曲 の 外 形 上 の 規 模 は,. 演奏中にページをめくらずに済むように, 1曲を2 ペー ジに収めるという バッハ自身の定めた制約 から生じたものとなっ ている‐ そして音楽内部の問題とすれば, このことはすでに 主題の選択に際 数的な楽曲を形成す して集中化と限定化が必要であることを意味する‐ つまり, 主題はそこから特堰 るに足る独自の相貌を持たねばならず, それと同時に 主題に内在するエネ ルギーは規定された枠内 で完全に展開されなければならなかっ た‐ その手法においてこれらの無比の楽曲が生まれたのであ る. この曲集を学習するのにあたっ ては, それが書かれた時代に高級な音楽が 「クラヴィ ーア練習 曲」 として, 好ん で教育的な装いのもとで現れたことを想起すべき であろう. その技法は, 初心者 には 「予備知識」 を与え, 専門家がくり返し研究したとき, はじめてその全貌を見せるのである‐. 主な参考文献 hrer Gesch i iedergabe l l in Be i Her t rag zui ・ na lm Ke e K1a頃e r v verke Bachse chte er , Fonn, Deutmlg und 訳′ , , Di Ver lag C P L i i 9 0( 邦訳 東川清一・他 音楽の友社 1 9 7 2 ) E 1 5 t e e e r s z p g .. , , ’ iver i i ErWin Bodky ty Pres tat 1r ard Un s s as sa- re on of Bach s Keyboard Wrorks l l ) ,Cambddge , M【 , 日a , The工nte. ) 5 960(邦訳 千蔵八郎 音楽の友社 197 t t chus e s ,1 143.
(15) . 山 根 俊 男 A1 be i S.Bach i l i ig tSchwe t tkopfund Har t r zer e pz . ,Bre ,J ,Le ,1929 (邦 訳. 辻荘 一・ 他. 岩波 書店. ) 1955. 1 . i inerSprach1 ik .undBaSe dA【iku Henコ l i i 1 t ragzue ederM【 ng wl on;Ein Be se at ehr qa lm Ke er as e l l l us ,Kas , ,P加ご. i l 9 9 ) Bar 69 55(邦訳 植村耕三・他 音楽の友社 1 t nre r ‐Ve r e e ag ,1 (本 学 教 授. 144. 旭 川 分 校).
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