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幼児と「悪」に関する発達論的検討 : 問題に映る行動の事例研究を通して

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Academic year: 2021

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(1)平成23年度. 学位論文. 幼児とr悪」に関する発達論的検討 一問題に映る行動の事例研究を通して一. 兵庫教育大学大学院修士課程    学校教育学専攻    幼年教育コース.    M09023A    久保田 智裕.

(2)            目 次.                        頁 1問題と目的….、。。._。、。一...。.。。。…。。._。一。一...。。。。一。.。.。。。。一一。..。.。。。、。。..。一。1. 2方法…・・・……・・1・・・・・……一・・・・・・・・…一・・・・…一…・・・……・・・……・・・・・………13.  (1)手続き  (2)抽出児について.    1)K児について    2)A児について    3)丁児について 3事例と考察…・・…一.。。一・・…一一一一。、・…一...……。。.。.……._。。・・一一一。。。。.。・6.  事例① 主張が受け入れられない怒り(K児)  6  事例② 友達と心通い合えない苛立ち(K児)  9  事例③ 別れという言い知れめ不安(K児)   12  事例④ 抑えきれない悔しさの表現(A児)   15  事例⑤ 相手の物を隠して困らせる(丁児)   19 4総合考察…。。…・一一….。。・・.一.。。。_。。。。。一.。。。。。。。.。.。。。。。._.。,。..一一。。。。。_。。24.

(3) 1間題と目的  現在、幼稚園・保育所における役割は多岐にわたっている。2011年の文部科 学省 中央教育審議会の答申でも示されたように、少子化・核家族化・都市化・. 情報化・国際化といった急激な社会の変容に伴い、人間関係の希薄化・地域に おける地縁的なっながりの希薄化などによる育児不安を抱える保護者も年々増 加し、保育現場はもはや目の前の幼児の育ちだけに気を配るというわけにはい かなくなっているのが現状である。いわゆる、地域の子育てセンターとしての 役割が強く求められることになったのである。.  幼児教育現場で、「道徳性の芽生え」という言葉が使われるようになって久し. い。幼稚園教育要領では、平成10年の改訂で、人間関係の領域で大きくクロー. ズアップされた。また、これまで家庭内で行われてきたはずのrしつけ」とい う面でも、保育現場に求められる比重が大きくなっているのが実情である。子 育ての経験は希薄であっても、様々な情報はあふれている現代において、保護 者の幼稚園や保育所に対する要望は、ますます高まり、ときには大変複雑であ ったりする。それら、保護者に年度当初に調査票の要望欄に記入してもらうと、. その多くは一「集団経験が少なく、友達と仲良くできるかが不安。そのために適 切な指導してほしい」といった願いが多くみられる。.  保護者にとっても、初めての園生活を、周りの人と上手くかかわりながら進 めていけるかどうかは、幼児以上に大きな不安なのかもしれない。そのため、「友. 達に迷惑をかけない」「けんかをしない」、いわゆる「よい子」を大人は求めが ちである。しかし、それは本来の幼児の姿なのであろうか。“日本では『攻撃的』 ということに対する許容度が極端に低いことを自覚すべきである。(中略)日本に. おける攻撃性の低い評価は、『平和日本』になって、ますます強くなった。つま り、何事によらず、r素直でおとなしい』子どもがよいと考える”と河合(1997) は述べている。また、明石(2011)は“家庭では「お利口さんにしなさい」という. しつけが徹底されているのでしょう。子どもはこの枠からはみ出る機会を失っ ているのです”と述べている。実際、我が子をよい子に育てることが、保護者の. コミニュティで円滑に周りとコミュニケーションを取ることが出来る、」番の 近道なのかもしれない。周りの友達や教師と上手くコミュニケーションが取れ ないことが原因で、転出を余儀なくされ、保護者が過度の不安を抱えて本園に.                  1.

(4) 転入園してくるケースもある。.  また、そうした「よい子」を幼児に求めるのは、何も保護者だけではない。 我々保育者も、幼児たちが集団生活を通して「誰とでも仲良くできる、明るい、. 素直なよい子」となるように、心を配っている。しかし、そのための規範意識 を幼児に身に付けさせようとするあまり、きまりやルールにおける指導性を必 要以上に発揮して、幼児本来の姿を抑え込んではいないだろうか。岸井(2009) は“注意を与えてその子の「行動」が変わればよいのだろうか。少なくとも、行. 動をやめさせたり変えたりすることよりも、まずは葛藤に向き合うようにする ことが大切だと考える”と述べている。鯨岡(2001)もまた、“一人の子どもの. 負の状態を前にしたとき、多数の幼児を集団として保育している保育者には、 自分の作ろうとしている保育の流れがそれによって壊されるように感じられ、 それを無視したり排除・否定したい気持ちになることがあるのかもしれません。. 保育者が万が一そのような気持ちになったとき(子どもを愛する構えが崩れる とき)、その子は保育者によって丸ごと受け止められないことになります”と述 べている。もちろん、「よい子」を育てようとするのは間違いではない。幼児は. 本来、素直であり、そのしぐさや表情は実に愛らしい。これは生まれながらに して幼児が持ち合わせている財産である。.  しかし、我々大人は必要以上に幼児に「よい子」を求めすぎていないだろう か。何より、幼児に限らず、人は「よい存在」であり続けることはできるので あろうか。そのようなことは、一誰しもが不可能であろう。ときには嘘をついた. り、意地悪をしたりした経験は、誰にでもあるはずであり、それもまた幼児ら しい一面であると言える。.  大人の目が行き届きやすい現代において、そうした一見、「悪」とも言える一. 面を素直に幼児が表したり、経験したりできる機会が過度に抑え込まれたりし. てはいないだろうか。幼児の成長に必要なr悪」もきっとあるはずだと筆者は 感じている。河合(1997)は“教師や親が悪を排除することによってrよい子』 をつくろうと焦ると、結局は大きい悪を招き寄せることになってしまう”と述べ ている。また明石(2011)は“「いたずら」「やんちゃ」「ちょい悪」という観念を. もっと許容してほしいのです。お利口さん文化だけでは、骨太の子どもは育た ないのです”と述べている。保育者は幼児のもつ「悪」と思える一面に出会った.                  2.

(5) ときに、そこにどのような意味合いがあるのかを探らなければならないだろう。.  しかし、「よい子」にかかる先行研究や、幼児期の「悪」を正面から取り上げ. た先行研究は少ない。またそれに伴う事例研究も極めて少なく、通常、保育者 が対応や制御をすべき「気になる行動」として扱われることが多い。いわば、r必. 要悪」として、その意味を検討したものは少ない。そこで本研究では、幼児が 「悪」を経験したときにはどのような心の動きがあり、それが幼児の育ちにど のようにつながっているのか、また保育者はそのr悪」をどのように受け止め、. 保育を展開していけばよいのかを、事例を基に考察し探っていきたい。. 2方法 (1)手続き.  筆者が勤務するH県丁市内の公立幼稚園において、2009年度・2010年度に 「筆者が気にかかる幼児」数人の観察を行った。なお、筆者は2009年度は4 歳児クラス担任であり、2010年度は副園長という立場である。.  そして、友達とのかかわりの中でトラブルになった、またトラブルになりか けた場面を中心としたエピソードを記述し、考察を行った。エピソードの記録 の取り方については、筆者が実際に保育をしたり、他の教師の保育を見たりし て後に筆記した場面がある。また、ビデオに記録した映像を基に書き起こした ものもある。.  本論で、エピソードを提示するにあたって、登場する幼児は名前の頭文字を とったアルファベット表記とした。.  なお、エピソード記述を基に事例研究を行うのは、幼児のr悪」は日々の生 活場面で、周囲の教師や友達等とのかかわりの中で芽生え、表出されるもので あると捉えるからである。そのような実態を捉えることを第一として、この方 法を採用した。. (2)抽出児について.  本研究では、気にかかる幼児として3名を抽出した。3名の背景について、 説明しておく。.

(6) 1)K児について  4歳児クラス(2009年時)男児。2009年9月より近隣の私立幼稚園より転 入園してきた。.  両親(20代)・妹(3歳)・本人の4人家族。隣家は母親の実家である。普 段は自宅と母親の実家とを行き来しながら生活することが多く、祖母とかか わる時間も多い。.  K児は少し吃音があるが、言葉数は多く、自分の思いを叶えようと自分な りに理由付けながら、言葉を駆使して表現することができる。転入当初は不 安定で、思いが通らなかったり、教師に注意されると火がついたように激し く泣き続け、なかなか気持ちを切り替えられないことが多かった。また、ス ピーカーから流れる大きな音や声が苦手であるとの報告を受けていた。また、. 母親からは相談機関において軽度の発達障害の疑いがあると言われたことを 聞かされた。実際、保育室内においても、運動会で行う体操やダンスを始め るとその場を離れ、保育室から出てテラスから中の様子をうかがうことが多 かった。その後は保育室の隅にあるおもちゃのガスコンロの上に座って、友 達の様子を見る日が続いた。.  弁当は、同じ場所、もしくは同じ友達の隣に座ることにこだわりを見せる。. 気に入った友達がいると自分からの接触を繰り返す。友達とのかかわりでは、. おもちゃの取り合いになると、あれこれと理由付けて話し、何とか思いを通 そうとする。それが通じないとおもちゃを振り上げて相手を威嚇することも あったが、そこから相手を叩くなどの行為には及ばない。振り上げたおもち ゃを激しく振り下ろしても、それは威嚇であって相手に当たらないように振 り回している様子が見て取れた。.  転園の経緯について、転入園前の私立幼稚園では、泣いたり、保育者の指 示を聞かなかったり、他の幼児と同じように行動できなかったりといったこ とから受け入れが難しく、公立園への転園を勧められたと、母親を通じて聞 く。転入当初の母親の表情は固く、こちらから話しかけても、返ってくる言. 葉数は少なかった。K児が怒ったり泣いたりして情緒が安定せず、集団に入 れなくても、その接し方は比較的マイペースで、感情的にならず落ち着いて 声をかけていると感じた。母親はかつて自分が卒園した私立幼稚園だったこ                  4.

(7) ともあり、自分の、自、子もそちらに通わせたいと思っていたところ、公立幼稚. 園への転入を進められ、ショックを受けている様子がうかがえた。しかし、. その心の内を幼稚園の職員になかなか話そうとせず、つらい思いを話せたの は幼稚園に月に一度訪れるカウンセラーとの話の中であった。その後、比較 的この当時の副園長には心を許し、自分の思いをポツリポツリと話す場面が 見られるようになっていった。.  その後母親は、保育者がK児の幼稚園での様子を伝えていくうちに、少し ずつ表情も柔らかくなり、家庭での様子を話してくれるようになった。また、 母親同士のつながりも生まれ、笑顔.で談笑する姿も見られるようになった。. 2)A児について  A児は4歳児クラスの男児である。2人兄弟の兄で2歳下に弟がいる。母 親は毎日父親の仕事の手伝いに出かけ、その問はヘルパーや保育所の一時保. 育を利用してA児と弟のことをみてもらっている。また、A児が幼稚園に通 っている問、弟は保育所に預けられている。.  園生活では身辺整理など身の周りのことを順序立てて行うことが苦手で、 時間がかかりがちである。.  A児は明るく、人なつっこい性格であり、周りの大人や友達に自分からか かわりを求めることが多い。しかし、上手く言葉でコミニュケーションがと れなかったり、相手の思いに気付けなかったりすることがしばしばである。. そのため、自分では良かれと思って友達にかかわろうとしても、相手にとっ ては嫌だったり、力ずくと捉えられたりしてトラブルになりがちであり、気 の合う友達ができにくい様子である。.  また、自分の思いが通らないと突然へそを曲げて、その場を動こうとしな. いときもある。母親もこのようなA児に手を焼くことが多いようで、子育て についての悩みをとき折口にする。. 3)丁児について.  丁児は4歳児クラスの男児であり、小学3年生に姉がいる。体格はやや大 柄で、活発的であり、入園当初から、自分で身の回りのことをこなし意欲的.                 5.

(8) に生活を送ることができていた。また、自分から積極的に教師等の大人にか かわりながら遊ぼうとする姿も見られた。ルールのある遊びはよく理解して 楽しめる反面、ごっこ遊びなど想像を膨らませて遊ぶことは苦手な様子で、 誘われても友達の様子を遠巻きにすることもあった。.  また、負けず嫌いで、自分の思ったことをはっきりと友達に言葉で表現す ることができる。クラスのリーダー的存在になることもしばしばである。し かし自分の考えを主張しようとするあまり、口調がきつくなりがちで.ある。. 特に、相手が間違っていると思うときには、rずるい!」r違うで!」と攻撃 的な口調になりがちであり、そのためにトラブルになることも増えてきてい る。特に、「上記抽出児のA児」の行動が気にかかるようで、A児が気になる 行動を取ると、繰り返し注意したり、追いかけたりしては、それがもとでト ラブルになることが増えている。.  母親は明るく真面目で、PTA役員も務めており、幼稚園に対して協力的 である。PTA活動のために来園した際に丁児の様子を見て、「丁児が友達に 対して強い口調で接しているのではないか、けんかをしてはいないか」と気 にかけ、相談に来ることもあった。. 3事例と考察  K児については3エピソード、A児については1エピソード、丁児について は1エピソー一ドを取り上げる。それぞれ事例分析を行っていく。. 事例①主張が受は入れられない怒り(K児) 2009年9月 ●エピソ・一ド.  K児が転入園してまだ間もないころ、園児に手紙を配る機会があった。そこ でいつものように、6つある生活グループからそれぞれ一人すっ順番に保育者 (筆者)のところにきて、配布する手紙を受け取り、グループの友達に配るよ うにと、全体に声をかけた。.  代表の園児は保育者のところに来ると、「お手紙、○枚ください」と自分のグ ループの人数(4∼5枚)を告げる。「はい、上手に言えたね。いち、に、さん.、.. はい、○枚どうぞ」と園児の前で手紙を声に出して数えて渡す。園児は「あり.                  6.

(9) がどう」と、手紙を受け取るとグループに戻って手紙を順に配り始める。.  こうした教師と友達とのやりとりを見ていたK児が、おもむろに教師のとこ ろにやってくる。K児はrK君は、8枚ちょうだい」と教師に手を差し出す。教. 師が「K君、このお手紙は1枚ずつなんだよ。お友達が配ってくれるから、待 っててね」と声を掛けるも、「あかん、K君は8枚ちょうだい!」と声を大きく. して怒りだす。教師が「K君にそんなにあげたら、みんなのお手紙がなくなっ ちゃうよ」と再び声をかけると、「あかん!8枚いるの!」とK児は顔を紅潮さ せ、ますます大きな声で怒って訴える。rK君、8枚とちゃうで。」と同じグルー プの友達に声をかけられると、そちらを睨み「ちがう!8枚!」と大きな声で言 い返す。.  そこで、もう」度手紙の配り方を伝えたり、友達のしている様子を見せよう としたりするものの、K児は全く聞く耳をもたない。それどころか、「もう!K 君は、8枚いるって言ってるやんか一っ!」と地団駄を踏み、ますます怒りを表 す。周りの幼児も少しあっけにとられて、そのやりとりを見ている。.  このとき教師は、何度話しても譲らないK児が、何故8枚という数にこだわ っているのかがまるでわからなかった。そこで「どうして、そんなにたくさん お手紙がいるの、K君?」と聞いてみた。する.とK児は、「8枚いるやんか!だ って、ママ、ち一ちゃん(妹)、えっと...」と自分が一緒に住んでいる家族、そ. して隣に住む祖父母の家族の人数を数え始める。.  そこで、初めてK児が一緒に住んでいる家族全員分の手紙を持って帰ろうと していることを理解することができた。そこで、K児にこの手紙は、1枚だけ家 に持って帰ってみんなに見せたらいいことを伝えるも、まだ不機嫌そうに首を. かしげている。そこで、K児に実際に手紙を配ることを経験させようと、K児 の手を取り、友達が手紙を一枚すっ配っている様子をもう一度見せる。それか ら他の幼児に当番を代わってもらい、K児と一緒に、グループの人数を端から 順に指差しながら数える。「いち、に、さん...はい全部で5人だね。じゃあ、お. 手紙を5枚渡すから1枚ずつお友達に配っていこう」と手紙を手渡す。最初の 友達がrありがとう」とK児に声をかけると、K児はとたんに嬉しそうな顔に なり、機嫌よく手紙を配り始める。.

(10) ●考察.  自分の思い通りに手紙がもらえず、ただ教師に大声で怒りをぶつける、ここ. にK児のr悪」がある。転入間もないK児にとって、グループの当番が手紙を 代表で取りに来る、グループの友達に一人ずつ配る、という一連の行動は初め て見るものだったであろう。しかし、その意味合いを捉えることは、まだまだ. 難しく、教師が声に出して数えながら手紙を渡すところが、K児にとって印象 深かったのであろう。後のK児の言葉からすると「教師のところに行って、欲 しい枚数を言えば、教師がその数を数えて、手紙を渡してくれる」と理解した に違いない。.  しかし教師(筆者)はその思いを理解できず、この手紙は1人1枚であるこ とと、手紙の配り方を説明した。それをK児は聞き入れず、怒りだし、決して 意思を曲げようとはしなかった。それどころか、どうして自分の主張が通らな いのかがまるで理解できない様子であり、そのことが怒りをさらに強くさせて. いたようだった。実際、このときのK児の思いを理解していたものは、教師も 周りの友達も誰…人としていなかった。K児からすれば、自分の思いが理解さ れず、受け入れられないのだから、教師の無理解に怒りを爆発させたのは当然 かもしれない。.  K児にとってこのときの手紙は、欲しいだけもらえるものであった。そして、. その欲しい枚数には意味があり、それは自分が大切な家族の人数であった。そ こには、自分の両親、妹以外に、隣に住む祖母の家族も含まれていた。周りの. 幼児があ?けにとられるくらい、激しく怒るK児であったが、その心には大切 な家族への思いがあった。また、転入問もないこの時期、保育者が思う以上に、. K児は不安をいっぱいに抱えていたのかもしれない。それをまだ上手く表現で きないうえ、自分を理解してもらえないもどかしさやつらさの繰り返しが大き なr怒り=悪」となって表れたのだろう。.  一見すると、わがままを言っているともとられかねないK児の主張と怒りっ ぷりであった。そしてそれは幼児らしい強情であった。しかし、その裏には、“家. 族の分の手紙をもらうから”というK児なりの理由があった。その理由を保育者 に理解されないもどかしさ、周囲に理解されないが故の制御できない不安が、. 爆発的な怒りや強情といった「悪」で表出された。それは周りにとっては思い.                  8.

(11) もよらない理由であり、教師も当初気付かなかった。しかし、K児にとっては. 大切な理由であった。思いが通らないとかんしゃくを起こすK児は、きっとこ れまでも、主張はするものの、その思いを上手く伝えられず、結果、受け入れ られないことが多かったのではないだろうか。自分の思いを落ち着いて話せず、. 怒りという形で悪を表現するK児の未熟さはまだまだこれからの課題であるこ とは間違いない。保育者は、まずその怒りの理由がどこにあるのかを注意深く. 見つめ、K児が受け入れられたと実感できるような、受け止める援助が大切で あろう。. 事例②友達と心遣い合えない苛皿ち(K児) 2010年6月 ●エピソードA.  土山では、スコップで穴を掘ったり、水をバケツに汲んで流したりと、それ. ぞれ幼児が気の合う友達と一緒に思い思いに遊んでいる。K児は土山の一番高 いところの穴をスコップで掘っている。土山のてっぺんでスコップで穴を掘っ. ているK児は、側にいる幼児に「お水汲んでくるね1」と声をかけ、土山を駆 け降りる。いきなり声をかけられた幼児はとりあえずK児に振り向き、駆け寄 ろうとする。しかし、K児はバケツを見付けられずに再び戻ってくると、違う. 場所に向かう。そしてK児は違う場所で見つけた足元にあるバケツを手に取ろ うとする。しかし、そのバケツはY児がスコップですくった土を入れていると. ころであり、Y児から「ダメやで!Kくん!Yちゃんが使ってるんやからリ と強い口調で言われその場を離れる。.  その先でS児と一緒に穴を掘っていたB児が「ここにはお水を入れないでく. ださ一い」とK児に声をかける。するとK児はrここに、お水、ジャーってす るねん」と答え、B児が掘っている穴の近くに置いてあったバケツに手をかけ る。すると「あかんで!」とB児と一緒にいたS児にとがめられる。言われた K児は手に取ったバケツをさっと置く。「(水を流すのは)やめろよ」とその隣. りにいたM児に念を押されると、K児は穴の側にしゃがみ込み、「なんでそれな. ら、ここに水、とってんの?」と聞き、スコップで穴の中を掘り始める。S児 はあわてて、「ここの中に水が入ってるから、K石やめて」とK児の顔を覗き込. みながら話し、手でK児のスコップの先を押さえる。K児は構わずスコップを                  9.

(12) 動かし、S児の手を払うように掘り始める。S児は「K君!1」と大きな声を 出して怒る。r掘り起こしちゃだめ!」とB児も怒ってK児に声をかける。K児 は小走りにその場を離れ、背を向けて斜面に座り、サンダルを脱いで両足の砂 をはらう。.  再び歩き出し、側で穴を掘っていた女児2人のところに行き「入れて」と一. 声かけて掘り始める。女児2入は「いいよ」と答える。K児は特に反応するで もなく、穴にたまった泥水にスコップを差し込み、先をねじる。一瞬土山の下 に目をやると、たまった泥水が先へ流れるように掘り始める。水がじわじわ流 れ始めると、懸命にそこから先へ流れるように掘り始める。 ●考察.  K児には「土山の上から水を流したい」という明確な思い・めあてがあるこ とがうかがえる。それに向けて行動しているだけなのだが、周囲から否定され がちである。.  最初に、側にいる友達にr水を汲んでくる」と声をかけるが、相手は水を欲 していないため、気持ちがつながらないでいる。また、水を汲むバケツを手に 入れようとしているのだが、友達が使っていることに気付かず、とりあえず目 についた物に手を伸ばそうとするために、友達からとがめられるケースが多い。. K児にしてみれば、目についたものに手を伸ばしているだけにすぎず、何をし ても「ダメ=悪」とされるのは何とも息苦しい。.  友達から「ダメ!」と言われたことに不満げな表情を見せるものの、とりあ えず相手の言うことを飲んで、バケツを返したり、「なんであかんの?」と聞き. 返したりしているところに成長を感じる。場所を転々と変えることで、思いが一 通らない気持ちを自分なりにコントロールしているようにも思える。.  先述のように、視線は友達の表情よりも、水たまりだったり、友達が掘って. いる穴だったりと、自分が興味ある物に向けられている。途中女児2人にr入 れて」と声をかけたが、相手の答えを聞く前に穴を掘り始めていることから、. 自分の興味がわいたことを実現させたいのであり、そこにはまだ友達との関係 は芽生えにくいようだ。それが遂に周囲の友達からの否定的行動(悪)につな がっている面もあろう。. 10.

(13) ●エピソードB.  水路を掘り進めようとするK児の様子をS児が見つめている。「あかんで、K 君!」と声をかけるがK児は知らん顔で掘り続ける。「K君!!」とS児はます. ます声を荒げて制止しようとする。S児たちや、K児が遊んでいる側の斜面の 下はコンクリートの坂になっており、そこから一流れ出た泥水がフェンスを・越え. て国外に流れ出るため、こちらの斜面には水を流さないようにしようという約 束が前日に担任と交わされていたようである。.  K児は泥水をかきだすようにスコップを動かす。S児はK児の下に回り自分 が持っていたスコップで水の流れをせきとめようとする。それに気付いたK児. はA児の側に行き、自分のスコップでS児のスコップを突く。S児は「K君!」 と怒るが、構わず繰り返しスコップで突いてはねのける。S児は教師のところ に行?て、K児が水を流していることを訴える。K児は構わず水をかきだすよ うにして流そうとする。友達が汲んできた水を流し入れると、ますます動きは 大きくなる。そしてしばらくして、その場を離れて他の水たまりのところに移 る。. ●考察.  前日に決められたという約束(コンクリートの坂の方には泥水を流さない). を守って遊ぼうとし、それをK児に訴えようとするS児だが、K児は自分の遊 びを妨げられている理由が分かっていない様子である。この約束に対する無理 解と力ずくで思いを通そうとする無法ぶりが周囲にとってはr悪」と映る。.  事実、K児は、S児が水をせき止めようとしているスコップを、邪魔だとば かり力で払いのけようとしている。一」見すると粗暴な行動にも映るが、K児の. 力の先はせき止めているスコップの先に限られており、S児には力を加えてい ないことが分かる。友達に暴力をふるってもいけないし、約束も守らないとい けない、しかし自分はどうしても斜面に水を流して楽しみたい、そうした葛藤 の折り合いを自分なりに付けようとしている様子がうかがえる。すなわち、心 の中で膨らむ、悪につながる得体のしれない感情を自分なりに抑えようとして. いるところに、K児の成長はあると言えよう。そして友達のいない隙に水をか き出したところで、自分の中のこうした思いは収縮したのだろう。.  自分の思いを伝えられなかったり、相手の思いに気付くことが難しく、友達.                  11.

(14) と心を通わせ合うことが難しいK児である。5歳児になり、それぞれが思いやめ あてをもって遊びだすこの時期、どうしても友達にとがめられたりする場面も 多くなっている。教師は思いの橋渡しをしながら、自分で葛藤に向き合えるよ うに見守り支えていく必要があるだろう。. 事例③別れという言い知れぬ不安(K児) 2010年3月 ●背景.  年度末である3月末、職員の異動及び退職を保護者にも伝え、春季休業中の 夕方にお別れの挨拶の場を設けた。今回退職することになった副園長は、K児 のこともよく気にとめていて声をかけることが多かった。また、母親も副園長 に対し少しずつ心を許し、時折育てについての悩みを聞いてもらう場面もあっ た。. ●エピソード.  この日、母親に連れられて幼稚園にやってきたK児は明らかに機嫌が悪く、 なかなか門をくぐろうとしなかった。ようやく門をくぐっても、それ以上進も. うとせずその場にしゃがみ込んでしまった。担任の私が近付き「K君、待って たよ」と声をかけると私を見ようとせず、母親の手を振りほどき一目散に遊具. の方に走りだす。そして遠くからrうるさい!」rばか!」rあっちいけ!」と 大声を出す。.  該当する職員が園庭にいる親子にマイクで挨拶を始めるが、まるで聞くそぶ りを見せず、今度は土山の側でしゃがみ込む。副園長が挨拶を始めるとみんな が話を聞く中、K児は何やら大声でわめき始める。気付いた園長が、rちょっと、. 静かにさせてきて!」と怒った表情で、筆者にK児のところに行ってたしなめ るように促す。K児がいつもと少し違う様子であることから、rK君、どうした?. 何を怒ってるん?」と側でK児の思いを聞こうと落ち着いて声をかけ、頭をな でる。しかしK児はその手を振りほどき、うう一っと捻ってみたり「うるさい!」 と怒って取り合おうとしない。すると隣りにいた母親が、「この子、もう一生会 えないと思っているんです」とぼっりとっぶやく。「えっ1..そうなんですか」と. 驚いて声をかけると、母親は「だから昨日の夜からずっと機嫌が悪くて。また 会えるからと言っても納得しないんです」と話し、困った表情の中にも、温か.                  12.

(15) い目線でK児を見つめる。「K君、悲しかったんやな。おいで」とK児を抱きか. かえると、意外にK児はおとなしく筆者に抱かれる。そしてK児が少し落ち着 いたところで、挨拶をしている副園長の側に抱いたまま近付き、「ほら、副園長. 先生がお話してるよ」と声をかけるが、K児はまるで顔をあげようとしない。.  その後、挨拶を終えた副園長が、筆者とK児のところへやって来る。筆者が 副園長にK児の心の内を話すと、副園長は目を潤ませながら「K君、大丈夫。 また会えるからね」と声をかける。K児はしゃがんだまま顔をあげようとせず、 「うるさい!」「あっちいけ!」と副園長の足に向かって砂を繰り返し投げつけ. る。そのK児を副園長は温かい目で見つめる。.  この後、全てが終わり職員室に戻ったとき、園長は「K君への対応が甘い。. これからK君とうするの。来年、年長になっても抱っこでは困るのよ。もっと 話が聞けるように、少し厳しく指導しないと」と職員全員に話す。 ○考察.  母親と幼稚園にやってきたときから、K児の様子は明らかに違っていた』し かし、その原因が母親の言葉の通りであるならば、別れにあるとはその時点で. わかりえなかった。K児の別れに対する思いは「もうこれから一生会えないの だ」と、前夜から相当にK児の心に重くのしかかっていた。この苦しみを自分 の中でどう消化していいかわからず、暴言を吐いたり、砂をかけたりといった 反抗的な行動に転嫁されていたと考える。.  こうした行動は明らかにその場の秩序をみだす迷惑行為である。そのため、. K児の心の内を知らない者にとっては、わがままであったり乱暴であったりと いった、r悪」に映って見えたことだろう。事実、周りからみれば迷惑行為には. 違いなく、この立場に立てばK児のこの思いの表出の仕方は「悪」である。こ の場にいた園長が私に、K児をたしなめるように声をかけたことからもそうで あろう。それまでのK児の様子やつぶやきを知るよしのない、園長を始めとす る周囲の他者には、K児の心の内をとうてい理解出来るはずもなかった。しか し、K児にとってはこうするしか、自分の気持ちを表現できる術がなかったの でないだろうか。得体も知れずに表出される「悪」であり、K児にとっては自 分の心を落ち着かせる必要悪だったかもしれない。母親の話から分かることは、 K児は苦しみに押しっぶされないように苦しんでいたということだろう。.                  13.

(16)  K児のこの苦しみに気付けたときに、初めてK児に寄り添うことができた。. そして、K児を抱き上げることができた。腕の中で顔を隠していたK児の表情 はうかがい知れなかったが、少なくとも少し安心したようには感じた。.  しかし、疑問は残る。K児がどこまで、この別れを別れとして認識できてい たのであろうかということである。母親の話を聞く限りK児は「もう一生会え ない」と思いこんでしまっているが、これは大人からすると大きな捉え違いで ある。一つ考えられることとして、母親が比較的心を許していた副園長の退職. である。少なからず母親の動揺がK児に伝わり、K児の心を揺らしたとも推測 できる。また、自分が通う幼稚園の先生の退職という事態は、K児にとって初 めての事態であり、別れそのものよりも「何やら普段と違う大変な事態」とし て捉え、一層の不安を掻き立てたとも考えられはしないだろうか。.  この別れというK児の内面に膨らむ得体のしれない不安は、K児にとって悪 であった。この悪(不安)に対して周囲が向き合い、受け止めが必要である。. 母親は前夜からK児の話を聞き、不安を受け止めつつ心配ないと話した。しか し、「自分がいつも通っている幼稚園の先生が何人かいなくなる」というK児に. とって初めての経験は、K児にとって理解や納得できるものではなく、不安は 解消されなかった。そしてその不安は暴言や怒りという形で表出された。これ は周囲にとっての悪である。.  K児の表出はそのままでは受け入れ一がたく、理解も得られにくい状況であっ. た。特に別れの挨拶というこの場では、ゆっくりとK児の思いを聞いたり、保 育者問で情報を共有したりすることが難しい状況であった。結果、周囲の保育 者の受け止めや対応はそれぞれ違ったものであった。別れが寂しいのだと感じ. て抱きしめる筆者、やさしく声をかけて見守る副園長、K死への指導の必要性 を感じる園長と、保育者間で統一されていなかったところが問題である。そし てここに悪を表面的に捉えられる危険性が秘められている。我々保育者は、幼 児の悪に出会ったときにその内面に目を向け、発達段階や課題を把握し、それ に基づいて必要な援助の在り方について共通理解して向き合うことが必要であ る。. 14.

(17) 事例④抑えきれない悔しさの表現一(A児) 2011年2月 ●背景.  この日は参観目で、A児は見に来ている母親にづったりと甘えて離れようと せず、母親の言葉にも担任の言葉にも耳を貸そうとしなかった。その後ジャン ケン列車の遊びが始まるとA死もようやく立ち上がって笑顔で参加し始める。. そして友達を見付けてジャンケンをして勝つ。すると相手から「後だしや!ず るい!」と強く言われる。A児は「違うで!」と大声で答えるが互いに譲らな い。気付いた担任はピアノを止めて双方の話を聞くが、その一部始終を見てい なかったこともあり、もう一度ジャンケンをやり直そうと提案する。A児は「い やや一」と答え、訴えるような目で母親を見てしがみっく。しばらく母親にも. 促され渋々ジャンケンをやり直すと、今度はA児が負けてしまう。するとA児 はべそをかきながら走って母親のところに戻りしがみつく。そしてその後はい くら担任が声をかけても参加しようとしなかった。.  この参観の後、筆者が母親に声をかけると、母親は「本当、最近のA児は言 うことをきかなくなって困っています。でも、私が見ていたあの場面では、A 児は後だししてなかったんですけどね...」と苦笑いしながら話した。 ●エピソード.  参観を終えて保護者も帰ったこの目の午後、保育室の前を通りかかると、「K. ちゃんの靴がなくなったんだよ!」と2,3人の園児が筆者に興奮気味に話し かけてきた。すると側にいたA児が「僕、どこにあるか知ってるで!」と答え た。「A君、知ってるの?どこ?」と聞くと、「こっち来て!」と園舎の裏の方. に駆け出す。そこで周りの幼児には保育室で担任と待つように伝え、A児を追 いかけた。A児はフェンスの側まで行くと「この向こうに落ちてる!」と話す。 「A君、本当?」と半信半疑で外に目をやると、「ほら、先生そこ!」とA児が 指をさす。その先には確かに斜面の草に隠れて靴が片方落ちている。「本当だ。. あともう片方はどこだろう?」と筆者が探そうとすると、A児は「それも知っ てる!」と得意そうな顔をする。聞けば、こちらからはまるで見えない斜面の 下に落ちているのだと言う。そこで、「どうしてそこに落ちてることをA君は知 ってるの?」と聞くと、「えっと...あのね、僕がね、鬼ごっこをしてここを走っ. てるときに、ポォ∼ンと靴が飛んで落ちるのを見たんやで。ほんまやで」と答                  15.

(18) える。「う∼ん、でも靴は自分で飛んで行かないしなあ...」とA児に話すと、「そ. うやなあ...。あっ、きっと知らないおじさんが、そお一つと入ってきて、えい. って投げたんとちゃう?」とそろそろ歩く真似をして見せる。「でも、こんな高. いフェンスだしなあ。難しいと思うけど?」と話すと、「大丈夫、こうやって投. げるねん!」と傍にあったドングリを拾って高く投げて見せ、rな、先生1」と にっと笑う。.  A児が靴を外に放り投げたことは容易に察することが出来たが、その心の内 を知りたいと思った。そこで、まずA児と一緒に靴を拾いに行くことにした。「A. 君、先生一人だとわからないから、手伝ってくれる?」と話すと「いいよ!」. とA児は嬉しそうに答える。側の裏門を開け、A児と外に出て探したところ、 坂の下の溝まで転がっていた靴を見付け、拾う。そして一端、園舎裏に戻り、 そのままA児と座って話をすることにした。.  「ああ、見つかってよかった。ありがとう、A君」と話すと「うん、よかっ た。な、先生」と答える。そのA児の表情は少しほっとしているように見えた。. そして「ねえA君、その知らないおじさんは、なんで靴を外に投げたんやろう ね?」と話すとrなんでやろうなあ...。そうや!なんか嫌なことがあったんと. 違う?」と答える。rそっか一、そうかも知れないね。何かとても嫌なことがあ. って、もう我慢できなくて、それで靴を投げたのか∼なるほど」と話すと「き. っとそうや。もう嫌だ一って投げたんとちゃう?」とうなずいて答える。A児 の言葉に筆者が大きくうなずいて見せた後「そういえばA君は、今日何か嫌な こととかあった?」と聞くと、少し考える様子の後「...うん、あった」と答え. る。rどんな嫌なことがあったの?」と聞くと、鬼ごっこをしていたときに友達. とけんかしたことや、朝に家で母親にしかられたことなどをぼつ、ばつと話し 始める。rそうか、嫌なことがいっぱいあったんやね。A君はそんなときはどう するの?」と聞くとすぐに「我慢する」と答える。「そうなのかあ。でも我慢で きないくらい嫌なこともあるんじゃないの?」と聞くと、「でも、我慢せなあか. んねん。こうやって、んん一つと力を入れて我慢するねん」とA児はこぶしを 握り、体に力を入れて見せる。 ●考察.  A児は一見すると、我慢できなかったり、自分の思いを強く通そうとしたり                  16.

(19) して、友達とトラブルになっているような印象を周りに与えがちである。しか. しA児自身は、わがままを言おうとしているのではなく、我慢をしていると言 う。実はA児は自分なりの思いを上手く伝えられずに問題を解決できないでい るのではないか。その結果、これまでも日常の中で何かしら納得てきず、スト レスを抱える場面が多かったのではなかっただろうか。家庭でも、忙しい母親. は弟の育児に追われて、A児が十分に甘えられず我慢をしていることは容易に 想像できる。.  この日の参観の場面でもそうだった。ジャンケン列車ではせっかく母親の前 でジャンケンに勝ったにもかかわらず、r後たした!」と非難され相当悔しかっ たことだろう。「自分は後だしなんかしていない!」と強く訴えたかったことだ. ろうが、A児にはr違うで!」と言うのが精いっぱいだったのだろう。しかし 相手に受け入れられず、周りの友達や母親にも認めてもらえなかった。そして 頼みの担任からはジャンケンのやり直しを促されて、ただ悔しさを押し殺して 母親にしがみついて我慢するしかなかったのだろう。.  そして、A児はその悔しさを友達の靴を隠すことで解消しようとしたのでは なかっただろうか。ここでのA児の悪について検討してみよう。麻生(2011)は、. “『悪い』と知ってr悪い』ことをするには、ある勇気と知恵がいります。行為. をなす前にその行為が『悪い』と分かることは、その行為を抑制する方向に働 きます。それを振り切る勇気(蛮勇)がなければ『悪い』ことはできません。 また、『悪い』ことは見つかると叱られたり罰せられることです。それを回避す るためには、ばれないようにする知恵がある程度必要です”と述べている。事実、. A児は自分が靴を放り投げたと1幸言わなかった。そして、自分が考えた創作の. 話でつじつまを合わせようとした。A児なりにこの行為はいけないことである ことを認識していることが分かる。つまり、午前中から募らせた悔しさや怒り. などの「悪」の感情にA児は向き合っていた。その悪を自分の内に抑えきれな くなったとき、それをいけないとわかっていながら誰かの靴を隠すという「悪」 で表出したということである。  麻生(2011)はこうも述べている。“『悪さ』を意識せずにしてしまう幼児たち. は、まだ十分に社会化されていない幼児たちである。幼児は自己の行為の『悪 さ』を認識するのは事後に大人から指摘されてのことである。『悪い』というご.                  17.

(20) とが分かるのは、行為をしてしまってからである”と。そう、A児は友達の靴を. 隠す行為は、r悪い」ことであるということは分かっている。しかし、私はA児. に真相を追究することはしなかった。話せば話すほど、A児が起こした事態で あることは確信できた。何がそうさせたのか、A児の心の内を深く知りたいと 思ったからである。ここでA児が起こした靴隠しという行為の悪をたしなめれ ば、彼の思いを聞きとることはできなかっただろう。そして話を聞くほどに、. A児の心の中に色々な悔しさが渦巻いていたことが感じ取れた。だとすれば、. それに気付いて来なかった教師の側にも悪があると言えるのではないか。A児 はそれに向き合って来ざるを得なかったのである。  靴を隠す行為そのものだけを切り取ってみたときに、「悪い」行為を吃り、「う. そをっくことはよくない」とはっきり認識させるのは教師の仕事の一つである。. しかし、その瞬間だけに捉えきれない、A児の心の負の部分を深く理解する必 要があると考えたとき、とことんじっくりとA児の話に耳を傾ける必要がある だろう。磯辺(2011)は“幼児の示すいわゆる『問題行動』は、それぞれの幼児の. 発達のプロセスのなかで捉える事が大切です。そのときの現象だけをとらえて 注意し、抑え込もうとしても、本来的な問題の解決にはならないことが多いも のです。周囲の大人は、幼児たちの表面的な『問題行動』を、ただ頭ごなしに 叱ったり、禁止したりして抑え込むのではなく、それぞれの幼児の奥底にある 願いに真筆に耳を傾け、それが上手く表現できるよう、援助する必要がありま す”と述べている。また、亀岡(2011)は“社会のルールを教えることも必要だろう。. しかし、最も重要なことは、いつも関心をもってくれて、ありのままを受け入 れてくれる大人の存在であるように思う。そのような大人との信頼関係を日々 紡いていくことが、子どもの心身の発達には不可欠であるし、傷つけてはいけ ない大切な人がいると実感していることは、絶対にっいてはいけないうその抑 止になると思われる”と述べている。そして、A児の言葉に耳を傾け続けること. で、私はようやく、A児が友達の靴をフェンスの外に放り投げるまでに、様々 な悔しい思い「負の感情=悪」が重なっていたことに気付くことができたので ある。それは同時に教師自身の無理解という「悪」を反省させられるものでも あった。.  しかし、疑問が残る。普通、自分のしたことで騒ぎになった場合、そのまま                  18.

(21) 知らない顔をしていてもよさそうであるが、A児は自分から自然に靴の話を筆 者にし始め、靴の場所まで誘導していったことである。つまり自分の「悪」を ほのめかしている。これはどういうことなのであろうか。改めてこの日を振り 返ったとき、参観日という場で大好きな母親の前でずるいと友達に言われたこ とは、自分ではまるで納得できなかったであろう。そして必死に訴えたにもか かわらず、担任からも母親からも、支えられはしたが主張を認められることは なかった。この悔しさを泣いたり甘えたりすることでしか表現できなかった。. こうした悔しさがA児の心の中にどんどん堆積していったのであろう。参観日 での母親への甘え方からは「もっと自分のことを見てほしい、思いに気付いて. ほしい」というA児の心からのメッセージが感じ取れた。また「嫌なことがあ ったときには、我慢せなあかん」というA児の言葉から考えるに、家庭でも、. 集団生活の場でも、普段からA児は自分の負の感情を自分なりに押し留めよう とすることが多かったのではないだろうか。だからこそA児は、自分の「悪」 をほのめかすことで、周囲の目を自分の思いに向けようとしていたとは考えら. れないだろうか。我々保育者は、これまで本当にA児の内面を理解し、納得す るまでじっくり付き合って来れたのか、A死とのかかわりを見直すきっかけに しなければならない。A児と悪にかかわる省察は、彼自身はもちろんのこと、 教師の側についても様々な課題を明るみに出すものであったと思われる。. 事例⑤相手の物を隠して困らせる(丁児) 2011年3月 ●エピソード.  遊びを終えて、幼児が園庭から学級に次々と戻ってくる。前述のA児はいつ ものごとく、一番最後の方に戻って来る。しばらくしてみると、A児が何やら あたりを見回している。筆者が通りかかると、丁児を含むクラスの幼児数名が. 「先生、あのな、A君の上靴がなくなってん!」と口々に告げる。そこで、A 児に状況を聞くのだが、A児は困った表情で「ちゃんと靴箱に入れた」と答え るのみである。そこで、担任と共に周囲を探してみたのだが、上靴は見つから ない。筆者が別のクラスにまぎれていないかと靴箱を確認に行っている間に、 A児の上靴が見付かったと連絡が入る。  筆者が駆け付けると、そこは保育室から少し離れた遊戯室の裏手であった。.                  19.

(22) 裏手の桜の木の根元のくぼみで丁児が見つけたという。「僕が見付けてんで!」. と少し得意げな丁児に、A児がrT君、ありがとう!」と声をかけると丁児は 「どういたしまして!」と笑顔で返す。.  しかし、このような場所に上靴があること、またそれを丁児のみが知り得て いることに違和感があり、これは丁児が何らかの形でかかわっているのではな いかと直感した。そして、その理由、つまり丁児の心の内を知る必要があると. 思った。そこでそのきっかけとして「でも、なんでこんなところにA君の上靴 があるんだろうね?」と丁児を含め、その場にいた幼児全員に不思議そうに問 いかけてみた。すると周りの幼児の中の一人が「誰か魔法で飛ばしたんと違う?. ひゅ一ってリと笑って答える。A児、丁児もつられて笑っている。筆者がrそ んなことはないと思うなあ。上靴は自分で飛んでこないよ、きっと」と答える と、丁児は腕組みをし、こぶしを頭にあてて「う一ん、おかしいなあ...」と考. える表情を見せる。そこで、rよしわかった、じゃあ先生が聞いておくよ。」と. 筆者が話すと、周りの幼児は「誰に?」と驚いた表情でこちらを見る。筆者は 「うん、この桜の木がきっと見てたはずだから、木に聞いてみるよ」と答え、. 丁児の心を揺さぶり、その反応をうかがってみた。すると、「先生、木と話せる. ん?」と皆笑いだす。丁児はあまり表情の変化を見せず、黙ってこちらを見上 げる。筆者が真剣な表情で、rそうだよ。仲良くなったら、何とでもでもお話し. できるよ。だから、先生はギター君と仲良しで、よく一緒にお話しをしてたで しょう」と話すと、「あっ、そうか一」とうなずきrじゃあ、出とかも?」と答 える。「うん、仲良.くなったら、ちゃんと気持ちもわかるよ。だから、先生はこ の木とお話しておく.から、みんな、一度(担任の)先生とお部屋に戻っていて」. と話し、クラスに帰るようにその場の全員に促す。幼児たちは担任にも促され、. クラスに戻って行くが、丁児はこちらの様子が気にかかるようで、何度も振り 返る。.  保育室に戻った幼児たちが少し落ち着いたところで、担任が絵本を説もうと 学級の幼児を集める。そのタイミングを見てそっと丁児を呼び寄せ、もう一度 桜の木の下、一緒に手をつないで行く。かがんで丁児に向き合い、「丁君、今、. 何か言いたいことはある?」と尋ねると、丁児は大きくうなずく。rどんなこ と?」と話し掛けると「あのな...あのな...、A君にごめんなさいって言わない.                  20.

(23) とあかん...」とうつむき加減にぽつり、ぽつりと話す。「どうして?」と尋ねる. と、「だって、Tが上靴を(ここに)持ってきたから...」と今にも泣き出しそう. に答える。rそうだね、桜の木も先生にそう教えてくれたよ」と話すと丁児はう つむいたまま小さくうなずく。rでも、どうして?何か理由があったんじゃない. の?」と尋ねると、rだって!A君な、嫌なことばっかりするねん!さっき、顔 に砂をかけられたし!」・と顔を上げて話し始めると、徐々に悔しさが表情に表. れてくる。丁児の我慢できなかった悔しさやA死への怒りを知り、「そうか、そ. んな嫌なことがあったんだね。悔しかったね」とまずは丁児の心の寄り添って 言葉をかけると、丁児は怒った表情のままうつむき加減にうなずく。「でもね丁. 君、悔しかったのはよくわかるけれど、上靴を隠すこのやり方でよかったのか な」と穏やかな口調で投げかけると、丁児は顔を曇らせ、rあかんかった..1」と. うつむいたまま小さな声で答える。「そうだね、先生もそう思う。相手の知らな. いところで困らせるのは、ずるいよね。でもそれが分かってるから、丁君はご めんなさいって言わないといけないと思ったんだよね」と話すと丁児は黙って うなずく。.  保育室に丁児と一緒に戻ると、丁児はA児のもとに歩み寄り、「A君、ごめん」. と謝る。しかしA児は事態が飲み込めず、反応を返さないでいる。そこでA児 と丁児を呼び寄せ、筆者がA児に事情を話す。するとA児は、「うん、いいよ」 とあっけらかんとした口調で丁児に答える。  引き続き、改めて丁児とA児の双方に、遊んでし.、たときの出来事を聞いてみ. た。するとA児は「うん、砂がけちゃってん。だってな、Aが縄跳びしてたら、 丁君が嫌なこと言ってん、下手くそって...。だから...怒って砂がけちゃった」. どはつが悪そうに下を向いて話し、ちらっと上目使いにこちらを見る。「そうか、. A君はそれが悔しかったんだね.1.よくわかった。でも、砂を顔にかけるのはだ. めだよね」と少し強い口調で話すと、A児はうなずき「ごめんね」と素直に丁 児に謝る。すると丁児はすぐに「いいよ」とA児を見て返事を返した。 ●考察.  A児の事例④と同じく、「相手の身につけているもの(靴)を知らないところで. 隠す」事例である。相手への怒りを相手を困らせることで解消しようとすると ころに丁児の表出された「悪」がある。ただ、隠す靴は誰のものでもよかった                  21.

(24) 事例④と違い、丁児の場合は「悪」の矛先は明らかにA児に照準が定まってい る。「A児から砂をかけられる」という行為は、丁児にとって許し難い「悪」で. あったろう。さらに怒りや悔しさといった「負の感情」は丁児にとっての内的. な「悪」だと言える。すなわち、A児に対する怒りや、悔しさを「相手の上靴 を隠す」という行為でぶつけたと思われる。.  何故、丁児はこのような行為で表したのだろうか。筆者が見る限り、これま でそのような形で思いを表現することはなかった。友達に対して物怖じせず、 怒りなどの情動を、やや攻撃的ではあるが、言葉で表現出来ていた丁児である。. 磯辺(2011)は“関係性攻撃を示す幼児は、大人の顔色をうかがって行動するよ. うなところが示唆されています。こうした行動傾向が、そもそも大人から見つ かりやすい身体的行動を避けて、比較的見えにくい関係性攻撃を用いることと 関連しているように思われますが、これは大人の前では『よい子でいなければ ならない』という、誤った育ちの結果であると考えられます”と述べている。確. かに、丁児は発言力があり、クラスのリーダー的存在で周りからも一目置かれ. ている存在であった。いわゆる決まりを守るrよい子」である。それゆえに丁 児は、とかく奔放なA児の行動が目に付き、繰り返し指摘したり、注意したり することがこれまでも多かった。また自分が約束を守っていても、A児が原因 でトラブルが起こり、活動を中断して待たされる時間が増え、それを我慢する ことも度々あった。生真面目なところがある丁児には、相当腹立たしいときも. あったであろう。そうした経験が、A児に対して執拗な注意をする行動に表れ ていたのだと思われる。しかし、それは丁児にとってもA児にとっても、互い に大きなストレスであった。そのため2人の間にトラブルも増えた。言葉や勢 いで圧倒されがちなA児は、丁児をひっかくなど、攻撃的行為がエスカレート する傾向にあった。「よい子」の丁児にとってA児の幼い行動は悪に映っただろ. う。A児にとっても、同じように攻撃的でありながらリーダーでいる丁児はr我 慢ならない相手二悪」であったのではないか。.  そこにきて、この日、縄跳びの遊びでトラブルが起こり、丁児はA児から顔 に砂をかけられた。この行為だけを見た場合、「相手の顔に砂をかける」という. 行為は丁児にとって、驚きであり、r許されない行為=悪」だったと思われる。. これは、丁児が同じように相手の顔に砂をかけ返さなかったことからも想像で.                  22.

(25) きる。またこの時期、母親からも、常々「嫌なことがあっても、手を出すので はなく、ちゃんと口で言い返しなさい」と繰り返し言われていたようである。. 結果、丁児は反撃をこらえたが、相当の怒りが込み上げてきたことは想像する に容易い。そ」うした「やり場のない怒り=内的な悪」の矛先が、それ相応の、 同じく自分の中では「許されるはずのない行為=・表出された悪」で表現された. のではなかっただろうか。すなわち、A児の「悪さ」を意識して自分の中の「悪 い感情」に自反し、「悪さ」で返してしまったのである。.  振り返れば、A児の上靴がなくなったと知らせに来た輪の中にも丁児はいた。 また、いち早く丁児は上靴を見付けた。おそらく、A児が「自分の上靴がない」 と困った表清を浮かべたとき点で、丁児の思いは達成、解消されたのであろう。. 前回のA児の靴を放り投げた事例と違い、誰かに気持ちを分かってほしかった というよりは、あくまで対象はA児であった。丁児にとっては、自分の思いが 解消されたとき点で、この一件はフェードアウトすることを望んでいたかもし れない。.  しかし、筆者は、丁児が心に抱えている思いを理解し、受け止めることが必 要であると考えた。「桜の木に聞いてみる」と言われ、保育室に戻る際に何度も 何度も振り返る丁児の姿からは、不安がこみ上げてきている様子が感じ取れた。. しかし、丁児が心に抱えている悔しさや怒りを引き出し、それを丸ごと受け止 めるために、心を揺さぶることがどうしても必要だった。そうした内的な「悪」 に教師が.向き合い、受け止め共感したうえで丁児と向き合っていがなければ、. 丁児はただr見つかってしまった」r叱られた」という思いしか抱くことができ ず、丁児の心の葛藤は何ら解決されなかっただろう。ともすれば、今後別の方. 法でその心の負の部分を解消させようと表出されたr悪」が増長し、より巧妙 な手立てを考える方向に進むことにもなりかねない。.  このような一見すると「悪」に見える負の部分にこそ、幼児の心に隠しきれ ない思いが詰まっていると感じずにいられない。だからこそ保育者は、このよ うな「悪」と出会ったときに、感情的になったり、間違いを正そうと方法を指 し示したりすることにのみ力を注ぐのではなく、まずはそこに隠されている意 味を理解しようとする姿勢が求められると考える。. 23.

(26) 4総合考察  これまでのエピソードおよび考察から見えてきたものがある。「悪」とは幼児. が葛藤したり自制しようとしたりする生活の中から当たり前に生まれ、当然経 験すべきものであり、幼児の育ちの過程に必要なものの一つである。そして幼 児が「悪」を表出できた場面には、その幼児の、また、周囲にも育ちにつなが る要素が散りばめられていた。この育ちは何も子どもに限ったものではなく、. 保育者の育ちや気付きにもつながるものであった。であれば、周囲が単純にこ の「悪」を抑制し、正そうと指導するのはおかしい。.  また、「悪」は一方向からの視点で表面的に捉えられがちであり、ここに危険. 性が潜んでいるということである。すなわち、周囲にとって受け入れ難い幼児 の表出は周囲にとって「悪」であるが、幼児からすると自分に対する無理解な 周囲こそが「悪」ということである。幼児にとって、他者はときに無理解な存 在であり、それは保育者も例外ではない。.   ここで、幼児が経験する「悪」における心理と行動の過程を次の図一1に  表す。. 図1「悪」における心理と行動の過程.             ⑤・1a自己の行為や内面に                        ⑤・2a他者の行為や内面に                向けられるもの                           向けられるもの. ②周囲からは  受け入れ難い表出. ③直感的判断  洞察による理解. ㌫憐 丁・…}∴…・ドー〆  ⑤一1b自己の行為や内面に  ⑤・2b他者の行為や内面まで  ④直感や洞察に     向けられた後       向けられた後      基づくかかわり     自分に返るもの      自分に返るもの. 幼児は生活を送る中で、押さえ切れない欲求や、納得がいかない、理解で                24.

(27)  きないと感じた思い、また周囲の他者からの強制などを起因とする、自分の 思い通りにならないストレスに直面する。すると自分の内面に「①得体の知 れない感情」が沸き起こる。いわば心の中の苦しみである。それが膨らみ、.  自分の中で抑えきれなくなったときに不満や怒り、周囲からは受け入れがた. い表出という形で外に向けられる。事例②では、K児は初めて経験する別れ  という不安が「①得体の知れない感情」、暴言を吐いたり砂をかけるといった. 行為が「②周囲からは受け入れがたい表出」であり、このとき点で目に見え.  る悪となって表れる。このときに周囲の他者である筆者は、K児の様子が何  かしらいっもとは少し違うと感じた。そして母親との話から、当初、K児は  別れがつらく大きな悲しみを抱えていて、それを受け止める必要があると思.  った。これがr③直感的判断 洞察による理解」であり、K児を抱き寄せ励  ますという援助がr④直感的判断や洞察に基づくかかわり」である。このr③.  直感的判断 洞察による理解」は人によって違うため、K児がわがままを言  っていると直感・理解したならば、「その後はもっと厳しい指導が必要」との.  判断に基づくかかわりとなる。その後の考察でK児が抱えていたのは、悲し  みではなく不安が大きかったのではないかと気付いたが、ともかく抱きしめ.  るとK児は徐々に落ち着いていった。K児の悪はいったん外に向けて表出さ  れ、周囲に受け止められたことでまた自分の内面へと緩やかに収まっていっ  たと考えられる。このとき点でのK児の悪は「無意識の悪」であり、高濱(2011).  の言う「反抗のための反抗」にすぎないであろう。そしてK児の意識の矛先  は、不安によってもやもやしたものを抱えて怒り、悪態をつくという形で表  出した自分自身であり=「⑤一1a自己の行為や内面に向けられるもの」、それ  でもまだなかなか解消できずにいる自己の心に戻って来る=「⑤一1b自己の行.  為や内面に向けられた後自分に返るもの」ことを繰り返す。この一連の意識  の流れの繰り返しが「⑤意識のループ」である。.  事例④でA児は、参観日で「ジャンケンが後出しだ」と友達から自分が悪者 にされたことに始まり、「違う、していない」と主張するも聞き入れられず、担. 任からはジャンケンをやり直すように言われ、母親にすがるもその場で共感し てもらえず、さらに納得がいかぬままジャンケンをしたものの負けてしまうと いう、心の中のもやもやした「①得体の知れない感情」がどんどん膨らんでし                  25.

参照

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