近代幕藩体制下の領国経済
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(2) . 北海道教育大学紀要(第一部B). 第 20 巻 第 1 号. 4年7月 昭和4. 近世幕藩体制下の領国経済 石. 徹. 沢. 北海道教育大学旭川分校史学研究室. Toru, 18日1ZA、VA. The Feuda I Govern1ent’s and Lord’s i. Economy in The Days o f The Shogunate ,. 次. 日 序 論 本 論 ,1 近世領国経済の性格 1 , 中世後期の経済より, 近世初期の経済 への転換 2 , 幕藩体制の経済構造 3 , 領国経済の経済政策 4 , 社会秩序の恢復と生産意欲の向上及び. 勧農政策. 1 , 準商品経済という意味. 2 , 中世後期の財貨経済思想の残存. 3 , 準商品経済の発展 4 , 寄生虫的商業の特質 5 , 近世市場の性格 6 . 領国経済規制下の準商品経済 皿 領国経済崩壊の要因. ▲初期の経済論 補 論 近世. 口 準商品経済の発展. 序. 論. 本論文は, 題目をみると, これまでのラ丘世経済史の研究の概説のようにもうけとられるが, そ のような目的ではない. 日本の古代経済には, 律令体制下の計画経済, 中世荘園経済には荘園経 営の経済学,.中世後期には名主級, 作人級の名田経営と財貨経済の楕円経済であっ て, それぞれ の経済構造に応じた経済法則 が作用 していると考えられるので, その点を論文として発表 してき た,. 同じ考えからして, 近世には近世の経済法則が作用 している. してみると, 多くの経済資料の 中に埋没 して しまっ て, そこに作用 している法則なり原理なりを忘却してはな らないと思う, 近 世経済の経済法則なり原理を, 誰もが納得のできるようなものを明確にせんとするのが本論文の 目的である, 経済学の一分野としての, 科学と しての経済史を樹立せんとするものである. 本論. 1. 近世領国経済の性格. 1 , 中世後期の経済より, 近世初期の経済への転換, 中世後期の経済は, 他の論文で明らかに したように, 中小名主級, 作人級らの, 小規模の名田 経営と, 財貨経済 (宝の蓄積) を焦点とする楕円経済であるが, それが近世初期になって領国経 済へと転換した. この転換は, ことに戦国大名たちの戦時体制経済, 即ち, 強力な軍事的分国経 営によ って推進された, 中世後期の動乱期には, 大きな荘園は崩壊して, 中小名主級, 作人級による名田経営 が発達し - 1 -.
(3) . 石. 沢. 徹. た, たとえば, 近江国甲賀郡柚荘は, 古くは延暦寺領の荘園であっ たが, この頃には, 地方豪族 (土豪) の名田経営となり, これ らの土豪を中心に, 近世につづいて名をとどめている村が成立 してい った. 同じく野洲川に沿うた伊勢神宮の荘園であった柏木の御厨も同じ経路をたどった, しかるに, 戦国の乱世にあっ て, これ らの中小名主級, 作人級の名田経営者は, 戦国大名の武 士団, 家臣として, 城下町にあっめられて, 在村の経営者ではなくな った. たとえば, 柚荘の和 田村の和田氏は, 豊臣の家臣とな って, 名ある武士となった, 山上村の山上氏も, 同じ経路をた どっ たのだが, 誰の家臣とな っ たかはた しかめていない. 城下町に出て, 家臣団の一員とならな か っ たものは, 村の庄屋または名 主な どとなり, この場合は多くは世襲とな った. 村の土豪を城 下町に出 して しまっ た村は, 庄屋または名主などを選挙した. それを 入札といった, 村に残った名主たちは, 重い税の負担や労働力の動員に苦しみ, 大きな名田経営は不利, また 困難とな っ たので, 一族や被官百姓, 小作人などに分割, 分与して, 手許には僅かの手作地を残 すのみであった, ) 中世末期からラ丘世初期への変化は, 「荘園制 解体期の上層名主層が, 譜代下人 古 島敏雄氏は,1 労働力に依存 して, やや大規模な農業生産を営む状態か ら, 開こんの進展にともな って, 傍統血 族, 下人層が小生産者として, 独自の小生産をもち, 名主層は武力を貯える郷侍層となり, やが て小生産者を収奪の基盤として, 郷侍層が農業を離れた近世的武士団と, 村里に残る豪農とに分 離 していく過程であると説明 している. 多少の説明を付説すれば, 村から多くの土豪が去って武士団となっ たのは, 戦国大名自身が, 在村の土豪を武士団としてあっめ, かつ, 武力をもちうる在村の土豪を村から排除するという 政 策をとっ たからであり, 分国内の土豪の城をこぼって, 武力 を城下 町にあっめた. 徳川幕府の政 策と しても, 大名の居城を一つのみに して, 支城や土豪の城を許さなかったこともあっ て, 彼ら 土豪は自然に城下へ出て, 家臣団の一員となるほかはなか った, しか らざれば, 在村 して, 農民 と な り, 名 主, 庄 屋 な ど を や っ て い っ た.. 中世後期に広く行なわれていた名主級らの名田経営が放棄されて, 名田を一族, 被官人, 小作 人らに分割, 分与 したかというに, 戦国大名が戦時体制をととのえ, 戦国経済をお しすすめるた めに, 分国内の完全な経営権を一手に掌握したために, 勧農, 経営の主導権は, 戦国大名の手中 に移され, しかも戦時税を課せ られて重税になやまされたので, かかる状況の下では, 名田経営 は何 らの自発的意味も, 創意性, 営利性もなくなり, ただ牛馬のように耕作, 耕農するのみとな っ た. このような理由で, 税の負担をさけるためと, 名田経営の意味を失ったこと, 力のあるも のは武士と して城下町に出て しま っ たことか らして, 名田を分割, 分与 したのである. 以上のようにして, 名主級, 作人級の名田経営というものがみ られなくな った, かく して, 近 ) 「徳川初期において, 農村の支配的な構成部分を 世初期の農村は松本新八郎氏のいうように,2 占めたものは, 独立自営の封建的小農であっ た」 のであり, 太閤検地をはじめ, 検地の目的 は, 小農民自立策として行なわれたものである. かくの如くに, 戦国大名, 後には幕藩領主の, 統制 的, 組織的経営が農村を支配するようにな って, 村は長百姓とか本百姓と称する村役人を中心に, 全く経営権を失った納税負担団体のようなものになって しまった. 生産の面か らいうと, 伊藤忠 ) 幕藩社会の構成原理である 「石高制」 は, 「小農」 ウクラー ドを基礎とし, こ 士がいうように,3 の小農は, 生産手段である土地を保有する単婚小家族の労働力 に基づ く経営を基本としているけ れども, 日本農業の歴史的発展の所 産として, 農業生産力発展の面か らいえば, 土地生産性の向 上を通 して, 労働生産性の向上を実現せ しめるという, 水田稲作生産における特徴的 な特質的性 - 2 -.
(4) . 近世幕藩体制下の領国経済 4 格をもっ ていると論じているが, 小農経営 で生産は向上したと考え られる. ) 2 . 幕藩体制の経済構造 幕藩体制の経済構造は, 中村吉治氏が 「近世封建社 会の成立」 で, 大名の成長, 領国の成長 , 領国の拡大, 大名の統一というように, 領国体制の形成についての, 政治史的, 社会史的な 説明 を行な っているが, われわれもそのような説明を 必要と思うものである, しかし, ここ では, 経 済史の面に限定 して説明することにするが, 政治史的, 社会史的説明を不要と考え ているもので は な い.. 幕藩体制下 の経済は, 中央政府たる幕府の経営理念と, その指導下にある藩国の経営理念とが あっ て, 後者は 幕府の経営の指導下にあるとはいえ, 藩の経営の自主性は, ある程度, みとめら れていた, 幕府は直轄地に ついて経営 し, 私領地については, 各藩にまかせた しか し, 幕府は . 貿易を統制し, 鉱山を直轄地とし, 貨幣の鋳造権を握り, 参勤交 替を各藩に求め, 道路などを経 営 したので, 幕府の経営方針は, 私領の藩にも影響 した. 幕藩体制の経済構造は, 支配層が城下町に居住 し, その財政を支えるために, 物納または金納 という年貢の形 で農民か ら収奪したが, その年貢徴収のために, 強制力と徴収の組 織とが必要と なっ た. それが家臣団の組織化であっ た. かかる組織は, 荘園経済の場合でも, 本所, 領家, 荘 官とあり, 荘官にも上司, 中司, 下司という組織をもったほどであるから, 人数の多いと思われ ることを除けば驚くにあた らない, それに, この方は, 軍備, 警備をも担当 したのであるか ら, かなりの数にのぼるのは当然であるが, これらの家臣団は, 当然に必要である勘定方とか 勘定役 になることを名誉としなかったのは注目する必要がある, 以上のようにみてくると, 幕藩領主制の領国経済は, 第一に, 幕府, 諸大名, 旗本, それらの 家臣団の経済の複合体であって, すべて農民からの領主的収奪 の経済であっ た, 幕府の財政, 大 名の財政, その収奪と消費が経済の中心であったとい ってもよい, それ故に, 幕藩体制下の領国 5 ) 経済 と い わ れ る,. 3 , 領国経済の経済政策 大名と城下町とは, 支配 権力の表現であり, 象徴である, そこには, 中世封建社会の結合精神 である擬制的氏族精神はなくなり, 武力と経済力という実力 のみが支配している, 諸大名は白領 内に, 城下町を建設 し, 楽市, 楽座を保護 し, 土卒, 町人, 豪農などあらゆ る権力と富力とをこ こに集中 して統一政策を行なっ た, 荘園経済を土台として, 擬制的氏族精神によっ て結合された 中世的封建社会ではなくて, 村落共同体を基礎と し, それを支配する身分的, 職分論的に結合さ れた近世的封建社会を現出せしめたのであるが, そこには, 封建社会そ のものの基本的精神であ る, 日常の軍備の充実と富 の備蓄という富国強兵の精神がつらぬかれている, 領国経済の経済政 策 も, こ こ に根 差 して い る.. 近世封建体制下の経済現象としては, 城下町に武士階級が あっめられて, 消費階級となった, 彼らは, かつて農村における商品購買能力をもっ た土豪たちであった. それが武士と して城下町 にあっめられた. これらの支配階級は, 人口数では多くないとしても, 農民の収益の五割以上を 収奪 している消費階級であるから, これを相手とする商人の商業活動は活溌となり, それがやが て農村にも, 商品経済の浸透をみんとする傾向にあった, 実際に, 農業的生産か ら離れて, 貨幣 に依存する生活へ, 即ち, 農民から有力な長者, 商人となったものも, たとえも 難波長者淀屋家 のような成功者もあらわれた, しかし, 農村への商品経済の浸透は, 自然経済を条件として成立 している農村経済を破壊し, かつ, それに依存 している支配階級の生活をおびやかすことになる 一 3 -.
(5) . 石. 沢. 撒. ので, 領主たちは, 農村への商品経済の浸透は, 極力防止せんと努力 した. 人口の80%以上を占 める農民に, 自然経済, 自足経済を守ら しめんとする政策をとっ た, 近世封建制の経済構造 から して, 支配階級も, 農民も, 自然経済, 自足経済を利とし, 米遣い経済が適 していた. 商品経済 の発達は, 消費欲を刺戟 し, ぜいたく心をあおる, それ故に, 熊沢蕃山などは, 武士帰納論や米 遣いの経済への復帰 を主張したのであるが, 幕府はお触書により, 各藩は旋書によって, このよ うな方向で, 尚農論や節約論の方向で, 農民生活を規 定 した. 以上のような規 制をうけていた農村経済 は, 商品経済の影響を うけつつも, なおきわ めて自然 9 ) 「近世前期の農業」 にて, 「重い 負担と, 種々 経済的色彩の濃いものであっ た. 三橋時雄氏は, 業を営む場としての村は, 商品経済 が 零細な規模の農 の封建的束縛, 制限を受けた当時の農民 , を内包する幕藩体制の性格 上, 農民的商品流通も, やがて展開するので, 純粋な自然経済ではな く, 貨幣経済がすでに入りこん ではいた が, しか し, 一般的にはまだ農業と手工業とが結合し, 自然経済的 色彩が強か った. そ して, このような自然経済的な農村が, 幕府, 諸藩の経済 的基礎 となっ ていたのであ っ て, 村は課税の単位であると共に, 行政の単位でも あっ たが, その内部に は村淀があ って, 共同体をなし, 封建制下の一種の自治体でもあっ た」 との べている. この叙述 は, ほ ぼ み と め て よ い と 思 う,. -方に農民から有力な長者, 商人となっ たものもあるが, 多くの農民は自足経済の状態 また, - 7 ) にあ っ た例として, 西岡虎之助氏は, 次のような例をあ げている. 「けれども全国経済化は, 傾向の域を脱せ ず, 完成を見たのではなか ったところから, 封鎖的 経済性は, なお容易に払拭せらるるには至らなか っ た, かく して, そうした事情のもとに, 地方 的現象と して, 貨幣経済確 立化の線にそいつつ も, なお農業的生産を保守 しつ づけて土地 に依存 する経済生活 が, 広く強く存続せられた. それは農家における自給経済生活の温存として, 具現 するのであ っ て, そこでは貨幣経済の可塑性は, 生産, 消費両面にわたり交換面の拡大を促進 し 」 とのべ, 西岡氏はつ づいて, ているものの, まだ自給状態を覆すまでには立ちいたらなか っ た, 8 ) また, 下野国河内郡上 三川の農民, 田 下野国岩船山麓の自給技術のす ぐれた農民の例をあ げ, 村仁平老人のことをあ げている. この老人は, 塩より外は, 買うものな しといった人物の例であ ) 「長(オサ)とも見ゆるものの家は, l o 9 ) また, 遠州浜松の奥の京丸の村の長とみゆる家では, る, 寺院めきて仏画を掛けたり, その 画幅は一向宗の真向光明の弥陀にひとしき大いなるもの」 で, 「食物のみを供へ, 松をとも して燈明とす, 花を手向くる事な し」 というように, あ らゆる生活 面に自給状態をと っているので, 浜松の或人が, この村へいりこみ 「かへるにのぞみて, 泊りた る家あるじに, 銭もて議 しけれども, 他国はかかるものにて用を足せ ども, この地に用なきもの として, 取らず, 家にかヘリ給ひて 後便りあらば米を少 しにても贈り絵はるべ しと度々」 い っ た とあるように, 貨幣経済を知らぬ社 会であっ た, 1 ) 技術的な面から商 工業の発展しない理由をあげている. 「農業生産力 は増大し 中村吉治氏は1 たが, 革命的なものにまではならない. それは技術 的にもそうである, だから商工業発展を条件 ・ づける力もそ れだけ小さいので, 農村経済は貨幣経済化 して しまわない, そこで, 家族を単 位と した拡大された自 足経済体が, そこに 生まれるし, 技術的にも拡大された協議体が生まれる必然 性 を も っ て い た, そ の こ と は, 村 落 自 治 体 の 成 長 に お い て も み ら れ る の で あ る」 と の べ て い る,. 徳川幕府の経済統 制は, 戦国時代の分国経済からの継承である. 永原慶二氏の所論を要約する 1 ) 織豊政権は, 戦国大名の諸限界を克服し, 封建社会確立期の政権にふさわしい 政策を示し 2 と, 1 )検地, 刀狩の実施で兵 農分離をやり, 農民身 た. それは 幕藩体制により継承され発 展された. ( - 4 -.
(6) . 近世幕藩体制下の領国経済 分ならびに本百姓の身分を確定 した,( 2 )楽市, 楽座を奨励し, 商人の城下 町への結集をはか った. 却兵農分離を前提とする封建家臣団の確定とその知行制度を定めた. t 織豊政権の経済政策を継承した幕藩体制下の経済は, 領国 (領主) 統制経済というべきもので あろう. 各藩ともに, 藩国の経済の計画性をもっていた, 財政確立のために, 検地 をな して税制 の確立をし, また, 各藩毎に殖産興業政策を実施し, 新田開発をし, 濯湖用水路をつくり, 天災, 飢鐘に備え, 倹約を奨励 し, 藩の学校を興し, 文教の振興につとめるなどした. この時代が領主 経営の時代といわれるだけに, 各藩の経営の善 し, 悪しの評価こそは, この時代の経済の本質を なすものであっ た, 諸藩の名君と称されるものが輩出した. 岡山藩の池田光政・会津藩の保科正 之・米沢藩の上杉鷹山公などは著名である, 各藩ともに, 国産品を奨励 し, かなり後期の書では 1844年・天保1 5年) には, 当時の, 領主の奨励した特 産品があ あるが, 大蔵永常の 「国産考」 ( 1 3 ) 各藩では, 藩の財政の強化のために, 専売仕法とか, 家中仕法などの方法を行 げられている. なった, 地方自治体の企業のようなものである, 近世封建制下の経済を, 幕 藩体制下の統制経済といわねばならぬのは, 幕府の中央統制経済と 各藩の地方統制経済とが複合していたからである, 藩の経済政策について, 先に簡単にの べたが, 幕府が中央政府として, 全国経済を左右 した点をあげると, 幕府は大工事の助役を各藩に命じ, また, 参勤交替を行なわせたが, これは各旅にとって, 大きな負担であっ た, その外に, 幕府は 貨幣の鋳造権をもち, 鉱山を直営と し, 貿易を管轄 した, 物価の調節や, 米価の維持をはか っ た. 幕 藩体制下で, 準商品経済が発展した. 米穀市場を通じて, 米価はきまり米価は諸商品の価格の バ ロメ ータ ー と な っ た, しか る に, 次 第 に, 諸 商 品 に つ い て の, 株 仲 間 (党) が 成 立 して, 米 価. は下がっても, その商品の価格の, 独占的価格を維持した. 幕府や藩は, 経営方針と しては, 商 品経済の自由な発展は, 幕藩体制を危くするものと感じとっていたので, いろいろの方法で, 商 品経済の発展の抑制をはかっ た, 農民の身分の抑制 (衣・食・住の限定) , 農作物の作付の限定, 酒造高や, タ バ コ・菜種・綿作などの作付の制限や緩和という方法によっ て, 米価や物価の調整 をはかった, また, 貿易統制として, 白糸割符制度などによって統制し, 物価の調節をはか っ た, 新井白石や田沼意次らの貿易政策は, この観点から行なわれた, 他方では, 藩内商業の振興をは かるために, 座商人からの解放のために, 楽市, 楽座を奨励 した, 以上のような幕藩体制下の経済の経営は, 体制的に, 農民及び町人らを隷従していたので, 封 建制といわれ, このような体制の下では, 完全な, 自由な商品経済の発達はゆるされなかっ た, 後にもいうように, 封建体制の身分的隷従制が, 完全なる社会の分業をゆるさず, 従 って, 市場 における自由競争をなさしめず, そのために, 商品市場の完全なる発達がゆるされなか っ た. 4 , 社会秩序の恢復と生産意欲の向上及び勧 農政策 幕藩体制の確立によりて, 何よりも大きな変化は, 領国経済が確立して, 農業生産の価値観が 大きく変わり, 生産への努力や意欲がたかまり, それをすすめる勧農政策が強くあらわれてきた, 多くの経済史家は, 幕藩体制の農民からの収奪という面のみを重視 しているが, 幕藩体制の確立 がもた らした重要な意味を忘れがちである, また, 中世後期の経済から, 近世封建制の領国経済 への変換は, マルクス経済史家が好んでいうような, 農業技術の発達ということが先ではなくて 体制の確立による社会秩序の恢復によっ て, 非生産的な財宝 (タカラ) の蓄積よりも, 農業 幕藩′ 生産を中心とした生産向上が利を生むような経済的な社会がつくりだされたからである, ちなみに, この時期の農業技術の発達と して, あげられれるものは, 耕続用具には鍬と鎌が基 本であり, 型耕は畿内, 北陸で行なわれ, 牛馬耕は西の牛, 東の馬であ った, 脱穀, 調製の要具 - 5 ー.
(7) . 石. 沢. 徹. は, 当時の農業技術での最も著 しい進歩を示し, 扱箸使用から, 竹歯の千歯扱を使うようになっ た. 選別要具には, 箕の外に, 節・千石簾・万石嬢を用いた. 揚水機には, 中世以来の揚水水車 と竜骨車. はねつるべ・なげつるべ が用いられ, 肥料には, 目統肥料から購入肥料へと転換がす 4 1 ) すみ1 7世紀中頃からは, 畿内はじめ各地で干鰯・油粕が使用された, 中世後期の財貨経済とは, つまり, 土倉の中に財 (タカラ) = 金銀財宝を貯えるという長者の 理念は, 社会秩序の混乱と不安の中から生じた特殊な経済理念であり, 結局は農業生産に生活と 将来を託 しえない不信から生じたものである, 中世後期は, 社会不安で, 農業生産は不安であり, 安心 して生産に従事できなかった. したがっ て, 農業生産の拡大, 拡充というよりも, 堅固な土 蔵の中に, 金銀財宝を蓄積するということの方 が, 安全であり, そ れを世間では長者といった. Lかるに, 幕藩体制の確立によっ て, 社会秩 序は恢復し, 農業生産に従事 し, 農業生産をあげる ことの方が, 財宝の単なる蓄積よりも, より生活を豊かにすることができる経済行為とな っ た, 織豊 政権も, 後の領国大名も, 勧農によりて, 農業生産への保証と安心観を与えることにつとめ たので, 本佐録の著者, 本多佐渡守がいうように, 百姓は一定の年貢さえ納めておれ ば, これほ ど生産的で しかも 働くほど利をまし, 自らを豊かにするものはないとの安定観を与えた, それの みでなく, 新田開発や瀬繊用 水の開発, その他の勧農のことがすすめられていっ て, 領主を始め 農民までも, ともに生産的に活動するようになっ て, 中世後期の理 念 であっ た財貨経済の思想は 衰え, このような理念の変化として, 貴穀膜金論 が生まれ, また, 尚農論も生じてきた. このよ うな生産主義の中から, 尚農論が生まれてきた. 近世初期 となり, 経国済民の思想や, それについての学者の意見が生ずるようになっ たのは, 幕藩体制の確立により社会秩序が恢復され, 為政者による天下の経営, 経世, 一国の経営という ことが重大視されるようになっ たからである. 領 ,主の経営意欲も強くなり, 領国経営の理念も努 力もあらわれてきたからである. 後にも評論するつもりであるが, 近世初期にな って, 始めて, 学者が社会経済上の問題を議論 の対象とした, 当時の経済論の主要なる題目は, 大別してみると, 四つに分けられる, 身分的階 級論, 尚農論, 倹約論, 財政救済策である, 身分的階級論は, 中世末期の, 下池上の, 社会秩序 の混乱期に 対 して, 社会秩序の恢復のために は, この論が必要であっ た. 尚農論・倹約論・財政 救済策は, 幕藩領主の領国経済政策, 即ち, 仁 政論を根拠として, 領民の厚生福祉政策の実施上 必然に 生まれてくる理論である. つまり, 支配階級搾取論からのみでは説明 できないもの, 即ち 理念的には, 厚生福祉 政策の理念がみられることである. 中世後期の個人主義的利己主義思想に 代 って, 近世初期となり, 幕藩体制の経済に応じて, 「国益」 の思想が生まれてくる. 藤田貞一 郎氏の 「近世経済思想の研究」 の中の, 国益の思想は参考となる, 「御救い」 と国益の思想が, ラ丘世封建制成立の根 戴こある. それが 幕藩体制の経営理念の根本である. それを儒教風に仁 政思 想というが, 国益思想, 御救いの思想ともいわれた, この理 念は, 今日の用語では, 社会福祉の 国家の思想である. 衣ロ何なる武力の実力者といえ ども, 支配階級の利益のみの追求では, その存 立を許されないこと は, 賢明な支配階級の知るところであり, 幕府も, 悪 しき領主は, お家断絶 や, 所領替えを強行 した. 家康・秀忠・家光の三代に, 断絶や所替えされた大名は, 莫大なもの であ っ た,. また, 近世初期となり, 農政学や, 農業生産の向上に関する意見が出され, 各旅ともに, 勧農 政策を真剣にとりあ げるようになっ たのは, それがただ藩の財政を確保し, 豊かにするというた めのみではなくて, 先にもの べたように, にF世後期のような財宝蓄積という経済行為よりも, 農 - 6 -.
(8) . 近世幕藩体制下の領国経済 業生産の向上という経済行為が, それなりに報いられるような社会秩序が恢復したからである . n. 準商品経済の発展. 1 , 準商品経済という用語の意味 準商品経済という用語について, 最初にあ る程度, 説明 しておくと, 近世社会 では中世後期以 来の, 財貨経済思想 (タカラの蓄積) もなお残存せ るものがあり, 他方では純粋の商品経済とも いうべき信用経済への発展途上にもあ るという性格, 純粋商品経済の成立する基盤たる, 社会の 分業の貫徹がなく, 労働力が封建的隷従制下にあるということから, 準商品経済とい う の で あ る,. 近世経済の発達では, 商業革命ともいわれるほどに, 商業の発達があり, 為替制度の発達や, 両替屋の繁栄など, 多くの信用経済の発達や商品経済の発展に必要な商業制度の多くが発達し, 商業資本の拾頭とかいっ て, さわがれるほどに, 株仲間商人による物価のっりあげや, 市場の支 配, また特権商人の悪徳 なども多くみられるほどに, .商業全盛の観を呈 している, それにもかか わらず, これを商品経済ということができないのは, 純粋商品経済にあっ ては, 労働力が完全に 市場で商品化されること, 労働力の封建的隷属性が打破されることであり, それには, 産業革命 による社会分業の完成な しでは不可能である, 労働力が完全に商品化される指標と しては, マル クスのいう賃労働者の発生ということが重要である, 棉作地帯や桐生, 足利などの織物工業労働 者や鉱山労働者などの賃金労働者の発生が必要 である, しか し, それが あっ ても, 産業革命の完 成な しでは, 完全ではない. つまり, 農民が完全に, 自足経済から解放されて 専らに 純粋の , , 農業生産のみに従事 し, 他の工業品の製作から解放されるという社会分業の完成な しでは 真の , 商品経済は発達 しない. 2 . 中世後期の財貨経済思想の残存 中世後期以来の財貨蓄積思想は, 近世初期の社会秩序の恢復による農業生産の経済的価値の向 上によって, 次第に従的位置におかれるようになっ ていっ た, しか し, 財貨経済思想なり, 理念 なりがなくなっ たというわけ ではない. 治安の恢復, また, 経済秩序の恢復には, 秀吉や家康ら が, 天下の実力者と して, 巨万の金銀財宝を所有 し, 巨大な経済力を掌握したことによるところ がある, 戦国大名も, 秀吉も家康も, 金銀山を直轄とし, 巨万の金銀を掌握していた 家康が巨 . 大な量の金銀を蓄積したのは, 中世後期以来の財貨経済思想からうけつぐ財貨 (タカラ) の蓄積 により, 世人の長者として の信用を獲得するため であり, 大長者となっ たことである, しかも彼 は, 財宝を多く蓄積することは, 国民の 「御救い」 のためである, 国家社会の治安と救済のため であると考えていた. 家康の政治顧問とい われた本多佐渡守の本佐録にも, そのような思想がみ られる. 「天地の間に, 人ほどの宝はなし, 叉, 金銀は水火に入っ てもおぼれず, 人につ ぎての 宝也」 という. 金銀は水火に 入っ てもおぼれぬ不変 の宝と しての性格を重視 し, 戦乱の世におけ 5 ) 「黄金は, 自然の出 る水火の災害を予想して, 金銀の宝としての価値をみとめている, 素行は1 産に して, 水火のために変せず, 古今のゆへに変わらず, これ宝の上に して, 白銀之に次ぐ也」 との べ てい る が, 同 じく, 水 火 の 災 難 に も 変 じ な い こ と が, 価 値 と して み と め ら れ て い る .. この. ような金銀尊重論は, 中世末の財貨経済思想をうけつぐものであるが, 貨幣経済の流行 した近世 中期にも存続 していて, 金銀貨を, その貨幣の含有する金銀の純度によって, 貨幣市場が成立 し 幕府の禁止にもかかわらず, 表示額とは別個に取 引された, 金銀貨が交換のための流通貨幣とい うよりも, その財宝的価値によっ て取引された. - 7 -.
(9) . 石. 沢. 激. 新井白石は, 貨幣の本 来 の性格よりすれば, 貨幣の品位などは問題ではなく, 紙幣でもょいの だといっ たが, 当時の経済界の現状では, 紙幣が全国の流通貨幣と して通用するまでにはいたら なかっ た, 慶長の金貨 (大判・小判) は, 純度が一番高か ったので, 市場からかくれて, 財宝と して蓄積され, 白石の建議によりて, 正徳の純度が慶長のと同じのが出ると, これが市場から消 えて, 多少でも磨 滅している慶長の金貨が市場に出てきた. 近世の都市商人というものも, 系譜 的には, このような中世後期の 金銀財宝を蓄積して長者となるという理 念をつく ものであり, 西 i 6 ) 岡虎之助氏 のあげる難波長者とよ ばれた大阪の淀屋家の如きはよい例である. ざるをえない理由について【一 3 . 準商品経済の発展-- 準商品経済といわ べ 近世商業の発達, 商品流通経済の発展をの るものは, その盛況をみて, 商業時}代, 商品経済 時代と表現するを惜 しまぬほどである. 領回的な範囲をこえて, 全国的な規模の市 場が成立した, 大阪・江戸,京都・兵 庫・堺・大津・長崎などは, 全国的な商品経済の中心的 役割を果していた. 江戸を中心とする交通路 の発達と宿 駅の制度の完成は, 商品の全国的流通を助けた. また, 商品 取引上, 必要なす べての経済制度の完備をみると, しかも, 武士階級が城下町に居住し, 消費階 級化し, 農民の生産の五割を収奪 して消費 して商品流通を促 しているのをみると, 商品経済時イヒ と よ び た い ほ ど で あ る.. しか し, 我々は, この時代を, 商品経済時代とはよ ばない. 準商品経済時代とよぶ のである, 何故に準商品経済 とよばねばならぬかというと, 社会に完全なる社会的分業の発達なしでは, 純 粋商品経済は発達 しない. そ れには, まず, 封建的隷従関係が排除される必要 がある. 近世封建 1 ) 年貢の確保をはかるために, 年貢負担者としての, 本百姓を, いわゆる封建的経済外 7 体制は, 強制をもっ て, さま ざまの制限を加え, 土地に緊縛しようと した. 土地永代売買禁止令, 分地制 限令, 土地利用制限令などをはじめ, 転職業の禁, 移動の制限, その他, 衣食住にわたる広汎な 範囲の干渉政策が行われた. このことは, マルクスのいうように, 労働力が市 場で完全に商品化 されるまでは, 純粋商品経済は発達 しない といえる. また, 社会的分業の貫徹 のためには, 農業 生産と農民の生活が, 自給経済から脱却 して, 工業生産品を農民, 全人口の8割以上の農民が, 日常の生活品と して, 低廉に購入し使用 しうるような状態となり, そこから生じた時間と労力を 専らに, 純粋の農業生産の向上に費 しうるような社会体制となるまでは, 即ち, 産業革命の起こ るまでは, 純粋商品経済の発達はありえない, 農業の自給経済 農村は, 全人口の8割以上を占めていたが, 自給自足の自然経済を求められた, 当時の生産力 の発展の限界からいっ ても, 自然経済を建前とせざるをえなかっ た. 農村で,,商品購買力のある ものは, 長百姓までであ って, 分家百姓や水呑百姓には, その力 はなかっ た, そ れが封建制下の i 8 ) 商品経済の限界であ っ た. 当時の農業経営をみると, 紙内・中国・東海などの先進地帯では, 比較的早く契約的な賃金支 払いにうつる可能性があ っ たが, 後進地帯では, 賦役的な労力, 家内奴隷的な下人の労力が主と なり, 下人労働や賦役に依存するものは, 自給的色彩が強く, 米・大麦・小麦・蕎麦・稗・大根 を中心に, 豆類・粟・煙草・里芋・猪・とうきび・荏・葉・麻などを自家用につくり, 肥料も, 厩肥・苅敷・人糞尿にたよるのみであ っ た. このように, 封建社会の基調をなすものは, 自然経 済であり, 封建的農業は, 本来, 自給自足経済の主穀農業であ った, と揖西光速氏はの べている 1 9 ) が, 用語には多少の不満をもつが, 大体をのべている, 工業生産の発達とその性格 - 8 -.
(10) . 近世幕藩体制下の領国経済 近世になって, 工業生産は発達したといわれる. 繊維工業部門を始め, ことに 金属工業部門が 発達した. 鋳金・彫金・打物・鍍金などの技術や、 堺鉄砲 や近江の国友鉄砲が有名である. 陶磁 0 2 ) 繊維工業では, 麻を 器も, 朝鮮の技術を導入して, 黄 金時代を現出した, 製紙業も発達した. 始め, 絹 糸の生産も増加し, 綿織物も発達した, 江戸時 代の細工人・職人の職種 (京都周辺) が どれほどあ っ たかというに, 元禄三年 ( 1 690年) の 「人倫訓蒙図藁」 にあげるところによると百 数十種にのぼっ ている. それでは, 江戸時代の職人・細工人が, どれほどいたかというと明治政 府が作成 した明治7年の統計書には, 明治6年現在で, 全国有業者の職業別構成では, 手工業者 は, 僅かに, 3 ,55%である. 農業職業が80%であるに対 して, 手工業生産に専従するものはきわ めて少ないことが わかる, 職人・細工人には株仲間制度があり, 彼らは徒弟制の下で教育され, 名人かたぎの, 工芸品的なものの製作者であ った, 工業といっても手工業品がほとんどであり, 工芸品的なもの以外であれば, 日用品は農民の手で自給 したのであるから, 彼らの製作品は, 一 般的性 各からいえば, フランスの経済学者ケネー (18世紀の学者) が 「経済表」 でいっ ているよ うな, 非生産的なぜいたく品たる工芸品製作が主であ った, 陶器でも, 刀剣でも, 所領の下賜の 代りに, 将軍家や大名から家臣に下賜されたので, その名工の社会的地位はたかく, したがって, 名工 の作風を盗作 しようとするものもあらわれた. 当時の職人・細工人は大きな自負心と名誉心 をもっ ていた. 世間も, 名工 の作品と然らざるものの間には, 大きな差をつけてみていた. 商業 の場合でも, 最初は丁稚として使われ, 番頭になって, その後に 暖簾 (ノ レン) を分けてもらっ た, 売買される商品も, 多くは, 自給を建前とす る農民生活には関係の少ないものであ った. 当 時の商品流通経済は, 発達したといっても, 当時の商工業者の社会的分担は, なお支配階級とそ れに依存する町人階級のための, 主と してぜいたく品の製造販売を主とするものであ ったから, 当時の商工人階級は, 支配階級の寄生虫的な存在であ っ たといえる. 4 . 寄生虫的商業の特質 近世経済は, 全国的な商品流通の経済であり, 全国的な市場が成立していたといっても, 先に もいっ たように, 都市や城下町に住む消費階級相手の商業であ っ た, だが農業生産者から, 五割 以上の収益を収奪 して消費するのであるから, 商品の売買の額はかなりになるのである, しかし, 国民の8割以上が農民である, その農民の生活必需品の商業でないから, 完全な社会的分業の上 にたつ全国的商品経済ではない, 支配階級たる士階級に依存する寄生虫的商業であ ったから, こ れを純粋商品経済と区別して, 準商品経済という, 2 1 ) 「戦国末期から近世初期にかけて, 大名領主制の形 山口徹氏は, 「初期豪商の性格」 にて, 成がしだいに進んでくると, 領主の生活資料や, 軍需品等の重要物資の供給をほとん ど一手に独 占し, 領主より特 別の保護を受けた商人が市場の担い手と して出現した, このような商人を一般 に, 初期豪商とよび, しばしば, 代官的豪商, 初期特権商人, あるいは初期御用商人な どとよび ならわ してきた, 」 かかる初期特権商人にかぎらず, 近世の豪商らは, ほとんど特権商人, 御用商 人であ っ た, 角倉・末吉・平野・今井などの豪商は, 早くから政商的活動を していた. 即ち, 寄 生虫的商人の代表である, かかる御用商人的存在は, 維新後も, 明治政府の御用商人となり, や がて財閥として成長 してくる. これらの御用商人, 特権商人は, その寄生虫的性格上, 幕藩体制 の崩壊と運命をともにするものが多い. 幕藩体制の崩壊までゆかぬでも, 掛金倒れするものが多 2 2 ) 富家五十数家の没落をつたえている. その原因には かっ た. 三井高房の 「町人考見録」 には, . 長崎商いの失敗も多いが, やはり当時, 領主側の財政窮乏から, 手段を選ばぬ借金ふみ倒 しが行 8件という. ところが三井は紀州家貸金のこげつきにあいながら発展 なわれ, これによる破産が2.
(11) . 石. 沢. 徴. し, 大阪の鴻池も安泰だっ たのは, 彼らは比較的, 領主に独立的態度にあ ったからといわれる. それ故に, 三井家の家訓では, 大名貸 しを戒 しめている. このような準商品経済の象 徴的存在が, 蔵元・掛屋・札差と称する豪商たちである, 彼らは幕 府や諸藩・旗本・家臣らの御用 商人であり, 高利貸業者である, 彼らこそは, 領国経済における 支配階級の寄生虫的商人である. それ故に, 貸倒れ した商人も多いが, また, 薩州藩の御用商人 は, 調所広郷の藩政改革の時には, 貸金を二百数十年で支払うというような強制的書換えをせま られても, 受諾の外はなかっ たものや, 幕末となり, 藩がつぶれると共に, 崩れて しまった有力 な商人, たとえば仙台藩の中 井家の如きは, そのよい例である, 彼の家の土倉には, 貸金証文が 山 の よ う に 積 ま れ て い た, こ の よ う な 近 世 商 業 であ る か ら, ヨ ー ロ ッ パ の 近 代 ポ ル ト ガル ・ ス ペイ ンや が て オ ラ ン ダ・イ. ギリスなどによっ て行なわれた, 近代初めの商業革命と同一視することは できない. 彼らの 場合 は, 植民地を獲得 し, そこに商業資本の独自の発展の基礎をおいたものであ って, 支配階級に寄 生する商業ではなかった, 日本の近世の商業は, 如何に盛んだったといっても, 植民地を基盤と する商業資本の発展ではなく, 本多利明が喝破 したように, 日本国内だけでの, 物資の移動と利 潤 の と り あ い に す ぎ な か っ た. そ れ 故 に, ヨ ー ロ ッ パ の 商 業 革 命 に 比 す る こ と は で き な い.. 5 , 近世市場の性格 商品経済・市 場経済の貫徹されるためには, ある程度の広域な市場・国民経済から世界経済と いっ た広域市場と, 需要・供給の原 理が自由に作用するような自由な市 場の形成と封建的隷従制 のない社会的分業の完成 した社会的条件を必要とする. 国民経済というような広域経済になると 広く交易が行なわれて, 有無相通ずるようになり, 広い社会的分業を推進させる. それに は交通 の発達や中央政府の樹立によ って行なわれる. また, 商品経済の発達は, 需要と供給の原理が自由に作用 する市場の形成によっ て可能となる, 需要の多いものは高価となり, したがっ て, 生産者も利潤の多いものをつくろうとする, このよ うな市場 の作用によ って, 利潤の平衡化が行なわれる. このような市 場の自由化を妨げるものが 近世経済では多くあった, 特権商人の活動も自由化を妨げるものであ っ たが, なによりも, 幕藩 体制下で, 商品経済の発達を防止したものは, 幕藩体制の経営理念である. 農村への商業の侵入 を防 ぎ, 農作物の作付を制限し, 農民の生活を抑制 したことである, さらに, 封建的隷従制が撤去されて, 労働 力が市場に商品化されて, 社会的分業が完成される 必要がある. しかるに, 近世経済では, 封建制といわれるように, 人口の8割を占める農民の労 働力は, 多くの封建的拘束の下に隷従せ しめられ, しば しばいうように, 彼らは自給経済の下に おかれて, 商品経済の外におかれていた. 彼らの労働力が市場に自由に商品化されることなく, 社会の分業化が行なわれなかった. しか し, 真に社会の分業の完成のためには, 産業革命を必要 と す る と い う こ と は 先 に の べ た と こ ろ で あ る.. いろいろの制限はあっ たとしても, ある程度の全国的商品市場が 成立 していたからには, 市場 と しての機能や市場に対するスペク レーショ ンの作用するのは当然と思われる. 江戸時代の商人 仲間が, これを悪用 して, 商品の買占めや売惜 しみなどをやって, 不当の利を収めるということ も多く行なわれた, だが, 近代経済にみられるような景気の周期的循環というようなことが起こ らなか っ たのであるか. 江戸時代にも, 好況と不況とは相繰返しているのであるが, それがほと んど天災地変 や天候の順, 不順によっ て起こっているといってよい, 農作物の豊凶が市場に影響 して, 米価をはじめ, 物価の上昇や下落を起こ している. 天候に支配される豊凶によっ て, 好況 - 10 -.
(12) . 近世幕藩体制下の領国経済 と不況は生じたが, 商人たちは農作物の豊凶を利用 して, 物価を左右 し, 巨利を博 した, 米価は 下がっても, 他の商品を下げなかったので, 豊作貧乏も生じた. このように, 好況, 不況は生じても, 主として, 自然に支配され るところが多く, 他の多くの 要因によ って支配されるスペクレーショ ンの作用による 景気循環という現象に生じなかったとい ってよい. 景気の循環の生ずるのは, 自由な企業が可能 であり, 自由な市場の機能によ って, 価 格がきめられるというような近代経済下 でのみ可能である, 近世社会では, 農民は換金作物の作 付にも制限があり自由ではなく, ス ペクレー トする自由をもたなか った, 現代の先進資本主義 国 のよ う な 混 合 体 制 下 で も, ス ペ ク レ ー シ ョ ンに よ る 景 気 循 環 は 生 じ な い,. 6 . 領国経済規制下の準商品経済 準商品経済という観点か ら, 近世経済を説明 してきたのであるが, 中世後期の経済を, 二つの 焦 点をもつ楕円経済であるとい ったが, そのような方法で, 近世経済の他の焦点, 即ち, 領国経 営という ,焦点と, もう一つの他の焦点と してあげることができないかということである, そ れに は否定的に答え るほかはない. 他の焦点と してあげることはできない. その理由は, 準商品経済 の根本的性格が, 先に指摘したように, 領主階級の御用商人的性格, 寄生虫的性格をもっ ている からである. 彼らはあくまでも, 領国経済の経営の下に, その拘束の下に存立したものであ る , 3 )「幕府経済の変貌と金融政策 の展開」 で, 幕府による市場操作の例をあげ 松本四 竹内誠氏は,2 , )「商品流通の発展と流通機構の再編成」 で 幕府による米価低下阻止政策をあげている 4 郎氏は2 , . 幕府は貨 幣改鋳や御用金運上の命令や, 酒造高米の調節によっ て, 米価維持につとめ, 物価高の 抑制につとめた, そのほかに, 著杉な豪商 の身分を剥奪 したり, 先にものべたように, 薩州藩 で は, 調所広郷は, 御用商人の豪商からの借金を, ほとんど棒引にすること もできたのであるから 如何に近世商業は盛況であ ったといっても, あくまでも, 領国経済の経営の下に存在したもので あるから, 準商品経済の経済活動を, この時代の経済原則の焦点と してあげることはできない, しか し, やがて, 幕藩体制下の領国経営の理念に服さないもの, 反体制的なものが生じてくる , 幕藩体制の経営力の弱体化, 領国経営の行詰りが でてくるのである, m. 領国経済崩壊の要因. 領国経済の崩壊は, これまでのべてきた幕藩体制下の領国経済の行詰りから生じたものである. 第一にあげられる行詰りの要因は, 幕藩体制そのものの経営方針が対立し, 分裂 した こ と で あ る, 幕府は直轄領を経営 し, 藩領 (私領地) は, 藩に任せていたのであるが, 幕府の威力 のある 間は, 諸旅は, 幕府の方針を踏襲した. しかるに, 幕末となり, 諸藩の中に, 幕府の経 営方針・ 国政の方針に服さず, 反対の意見を強く主張す るものがあらわれてきた, 幕府と水戸藩主との意 見の対立は全国に影響した. ことに対外問題で, 開国か鎖国かで大きな対立を生 じた 幕府の威 , 力が, 意見を異にする有力な藩を抑えきれなかったことである, 第二には, 領国経済の重大な経済政策である, 農村の経済を自給自足の経済にとどめて, 商品 経済の影響を防止するということであるが, 全国的な商品経 済の発達と商品階級の活溌な活動に よって, 農村に商品経済は浸透 してゆき, 自足自給経済を危く していった. それは農民の生活程 度をたかめ, つねに欲求不満を感ずるようになり, 百姓一機の原 因にもなった 第三には 株仲 , , 間商人による物価のっりあげと利潤の独占である, 米価は低落するのに, 諸物価は騰貴 した 幕 , 府は, 米価維持と, 物価騰貴の抑制につとめたが, 甚だ困難であっ た, このようなことが, 百姓 一機や, 年貢の軽減運動となっ てあらわれた, 第四には, 幕府は, 商品経済の発展 してくると共 - 11 -.
(13) . 石. 沢. 激. に, その対応策と して, つまり取締りの方法と して, 江戸・大阪・京都の三都の特権商人を通 し て, 全国的に商品流通を統 制 してきたのであるが, 農民的商品生産の発展による在方商人などの 新興商人の進出によっ て, 特権商人による統制力 が失われてきた, 幕府は, 特権商人を通じての 商品生産の規制を断念せざるをえなくなった. 第五には, 税制改革のできなかったことである. 2 5 ) 幕藩体制の行詰りの第一に, 幕府財政の破綻をあげている. 財政の窮乏は, 幕 中村吉治氏は, 府のみでなく, 諸藩も窮乏 していた. これを第一の要因にあげる理由もないではないが, 幕府を 困らせた最大の問題は, 財政を女P何に して建直すかの問題ではなかった. 対外交問題であ った, 1もそれに成功 していた, それ故に, 財政窮 また, 薩州は, 藩政改革で財政の建直 しをやり, 長男 乏を第一の原因にあ げるの はあたらない, しか し, 幕府も諸藩も財政窮乏で苦 しんだ. その根本 的理由は, 時代に即応 した税制改革を することができなかっ たからである, 豪商からは冥加金と か運上金を上納せ しめたが, 税制の根本は, あくまでも, 農民に, 主と して課税する建前であ っ て, 利益を独占 している商工人階級から徴税する体制がとれなかっ たことにある. 武士階級は, 税制改革には, 最も不得手であ っ た, 以上, いろいろの要因があげられるが, 何よりも重大な要因は, 最初にあげた幕府と有力諸藩 との間に, 経営の方針について分裂し, 争うようになったことである, 幕府の威力も, 有力諸藩 を抑えきれなくなっ たことである, 捕論・近世初 期の経済論 序論 1, 経済 即ち 経国済民 近世の学者は, 経済を, 経国済民と解 していた, 実際の政事のことを論じて, 我々が今日考え るような経済の法則を探求することはなかっ た, 滝本誠一博士は, 彼らの経済論は, 何ら深く原 理を探求するものでなく, その時, その 場の便宜的な政策論であると評している, 本庄栄治郎博 士は, 彼らが経済を経国済民と解 したのは, 当時の封建制度という 政治組織と深い関係があると いう, 両者ともに, 解説が乏 しいので, 人を納得させないものがある, 近世封建制の経済は, 根 本的には, 幕藩領主による領国経営の経済である, それ故に, 学者の経 済論が幕藩領主による経 営論, 即ち, 政事のことになるのは当然である. また, 当時, 商品市場がかなり発達 していたと いっても, 近代市場のような, 自由な需要・供給の関係が作用 し, 経済界を支配する経済体制で ないから, 経済法則として, 今日 考えるようなものは存在しなかっ たか らである, 労働力の隷従 制が, 封建制の根本であ るから, 労働価値説の如きも生まれるはずがないのである. それ故に, 多をいま しめ, 物価騰貴を抑 領国経営論と して, 財政上の量入制出を原則と し, 高利を抑え, 著1 え, 物価の安定をはかるといっ たことが主要なこととなる, 序論 2 、想が初めて起こっ たこと. . 近世となり経済恩 近世社会となって, 始めて, 社会思想や経済思想が学者の間に論ぜられるようになった理由に ついて, 野村兼太郎博士は, 徳川氏によって, 天下が統一され, 日本全体にわたって, 経済が関 係をもつようになっ たことと, 天下泰平となり, 生活向上 し, 支配階級たる武士も, 理財の才能 が必要になった. かかる要望に答えて, 全国的視野をもつ学者 が著述をもって語るようになっ た のだといわれる. これについても, やや解説の不充分さを感 ずる. 中世の荘園経営に代って, 近 世となり, 幕藩体制による領国経営 が, 経済の中心課題となってきたので, 全国的視野をもつ学 者が, 著述をもって, それに答えんと したと考えられる. 本論 3 , 領国経営理念の建設の必要性. 2- -i.
(14) . 近世幕藩体制の下領国経済 近世封建社会の再統 一の事業は, 地縁的共同社 会ともいう べき村落共同社会を基礎と して, そ れを支配する専制君主的封建諸侯と家臣団による武力によっ ての, 法度的抑圧政治の実 行という 方法で成立した. かかる封建的秩 序・支配と被 支配との関係を維 持する結合倫理が, 儒教による 職分論・天職論と して求められた. 4 . 身分的階級論 前時代が下池上の時代 といわれるように, 社会秩 序の混乱 した時代であ っ たから, 何よりも, 社会秩 序の恢復と維持が求められた, 政治史的に成立 した幕藩領主の社会的権 威の理論付けが必 要であった, 学者は儒教思想をもって, 身分的階級制が天命たることをといた. 士は特に選 まれ たもので, 四民の師表たる べ きもの, 農は土についで, 生産的な任務を負う重要なも の, 工商は 利によって生活するも ので, 利は 卑しいものとし, 農を尚び, 商を騰 しむ 身分的階級制が主張さ れた, 5 , 天職論--・職分論. 幕藩領主が, 領国の 支配者, 経営の責任者たることを理論付ける必要があっ た, 中世封建社 会 では, 主従関係は, 擬制的氏族 意識をもって, 一家, 一族という関係で結 合されていたが, 中世 後期に, 社会秩序がみだれた, 近世の社会秩序の恢 復により, 学者たちは, 儒教の天職 論をもっ て理論付けた. 人はそ れぞれ天命によって, 社会的身分も階級も異なって生まれたものであり, 人には身分階級に応じて, 職分なり, 天命による天職がある, 君主は天命によって, 人君として の天職, 職分が与えられている. 士農工商と, それ ぞれに天命による職分 があり, 人は君主に服 す べきものである, とといた, 天命論の形而上学と しては, 天に自 然の秩序があるように, 人間 の社会にも, 天命による秩 序がある べきだとの考にた っている, 山鹿素行は, 社会階級の発生を 自然発生的に考え, この士農工商の区分を, 社会分業 的に理解 している, 6 , 君主の仁 政論 君主は天道に した がって, 仁政を行なうのが, 君主の職分であり, 天職である, 領国経営の 責 任者と して, 国益と御救いのことのみを専らにす べきものであるというのが, ほとん どの儒学者 の意見である. 本佐録にも 「天道より 天子に, 天下をあたヘ給ふの心は, 天子より天理を行ひ, 天下の万民を安楽に治む べ し, 天下の万民困窮 し, 苦 しみつ かれば, あたヘ給ふ所の天下, 尽く 亡 べ しとなり」 との べている, 領国経営者の心 得は, 天道の本心を知るにあるという, 7 , 幕藩の収税論と財政論 也, 是を治るに法有, 先一人一人の田地 本佐録の 「百姓の仕置の事」 に, 「百姓は天下の根 本, の境目を能立て, 籾 一年の入用作食をつもらせ, 其余を年貢に収む べ し, 百姓は財の 余らぬ様に 不足なき様に, 治る事道なり,」とのべている, 近来, よく 「百姓は財の余 らぬ様に, 不足なきょ うに治る事道なり」 という文句のみを引用 して, 著者ののべんとする前後の女をみないのである が, 本佐録の全文をみれば, 百姓 …は愚かなものであるから, 危難の時の用 意を忘れ, その準備を せぬものが多いから, 賢者たる君主は, 万民の危難を救うために, 万一の時の貯えをつくってお いてやることが大切 である, だから, 生活のできるように 保証 して, あとは危難の時の備えに蓄 えておいてやることが, 治政の道である, かかる目的で収税するのであるから, 君主一人の栄華 のために費すのは, 天地の物を盗むことになる. そのようなことをすれば, 天からの各めをうけ る よ う に な る と い う の だ,. 収税は, 以上のような目的で収めるものであるから, 財政論と しては, 「財用ヲ節ニス ル事」 (本佐録) が緊要である, 国家の財政支出の基準を, 分限に応じた中廉を守った範囲におく べ し - 13 -.
(15) . 石. 沢. 徹. という. 藤樹も, 「翁問答」 で, 財宝の使用は, 「薬用」 (浪費) も 「しわき」 も, いずれもよく な い. 中 廉 で, 適 用 な る が よ い と い う. - 8 . 勧 農 論. 近世には, 農業は 著 しい発達の機運に向った. 農業奨励があ り, 新田開発がすすみ, 諸藩の特 産品がおこった. 新田開発がすすみ, 町人新田の経営までみられるようにな ったのは, 何よりも 社会秩序が恢復 して, 生産を増加 しても, それだけ自己の収入をまし, 生活を向上させうる社会 体制となったからであ る, 秀吉の時に, 全国の耕地は150万町歩であったが, 享保の頃には 300 万町歩とな っている. 社会秩序の恢復により, 生産第一主義がとかれ, 尚農論が学者らに よりて とかれ, 貴穀騰金論がおこり, 宮崎安貞の 「農業全書」 な ども著わ されるようになっ てきた , 9 ,. 倹. 約. 論. 近世 の学者が倹約論をとくのは, 土階級が依存 している農村が自給自足 の経済体制にあり 商 , 工人階級が生産 し販売する商品は, 農民が これを購入 し, それにひきあうだけの農業生産を高め うるほ どに, 農業技術 も生産方法もすすまず, 社会の分業がすすんでいなか った それ故に き , , まった生産による収入で生活するのであ るから, 当然に, 倹約論は, 当時の経済構造 からする必 然の法則 であ った. 一定 の収入と一定の収穫の下では, 財政的には, 量入制出を原則とす るのは 当然 である. 10 , 物価調整論 徳川時代 の学者は, 多くは米価の維持と, 他の商品の低廉・物価騰貴の抑圧を主張した 米価 . が低廉になると武士・農民が困窮 し, 武士・農民の困窮 は それに依存 し寄生してい る商工業の , 不況をきたすか らである, 徳川幕府 の物価調整策と しては, ことに米価の安定のためには 酒造 , 米高を, 米作の豊凶に応じて, 制限 したり, 緩和 したり して, 安定をはか った また 米穀の買 , , 上げなども やった, 当時の 学者は, 米価の価格の維持, 諸商品の物価騰貴の抑制を主 張 したが , 商人たちは, 概 仲間をつくっ て, 独占価格をつくり, 利益を独占 したので 学者の批判は 彼らに , むけられた. 話 1) 2) 3) 4) 5) G ) 7) 8) 9) 10) 11) 1 2) 13) 14) 15) 16) 17) 18) 19) 20). 古島敏雄・近世経済史総論 1 ) ,17 松本新八郎, 中世社会の研究 p.348 伊藤忠土, 検地と農民支配 (日本封建社会論) 糧西光速, 日本経済史 p.65 古島敏雄, 同上著 p,27 三橋時雄, 近世前期の農業 (産業史口)p ,21 西岡虎之肋, 民衆生活史の研究 1 ) ,38 地蔵菩薩霊験記9の1 2 見聞談 雲≠ 事雑誌三 中村吉治, 日本経済史 1 } ≦ ) .18. 永原慶二, 日本封建社会論 p,248. 日本経済史大系・ 近世口, p 5 .26 揖西光速, 同上著 p,66 山鹿語頭巻10 西岡虎之肋, 同上著 1 ) .37 揖西光速, 同上著 p.63 古島敏雄, 日本農業史 p.328 揖西光速, 同上著 p,69 渡辺一郎, 近世諸工業の発達 1 24 ) .2.
(16) . 近世幕盤体制下の領国経済 21) 2 2) 23) 24) 25). n) 山口徹, 初期豪商の性格 (日本経済史大系l 三井高房, 町人考見録 1) 竹内誠, 幕府経済の変貌と金融政策の展開 (日本経済史大系1 松本四郎, 商品流通の発展と流通機構の再編成 (日本経済史大系四) 中村吉治, 日本経済史 p.247. 一 15 -.
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