字津保物語登場人物論拾遺
字
淫
保
物
語
登
場
人
物
論
拾
遺
原 田 芳 起 一 は し が き 宇津保物語は,源氏物語と同様、世代にして実に四代にわたる長篇物語である。したがって、これも源氏物語 と同じく,登場人物の数がきわめて多く 人物相互の関係の設定も複雑である。系譜的な関係が煩雑である上 に,一それを読者に理解させるための用意が十分でなかったきらいがある。その点は'源氏物語に遠-及ばないこ と,攻めて申すまでもなかろう。説明はされているのだがへ読者にはよ-わからない'楽屋おちに終っているも のがある事も、結果として認めざるを得ない。だが、この点について、この物語にあま-に多-を求めることが 無理であろう。この物語の失敗が'源氏物語作者に教訓となった点もあったにらがいない。 たとえば,藤原の君の巻で'左大将源正額の家の繁栄を語-たいために'十四人の女の子、十二人の男の子、 それに七人の婿たちを九絞ま--に登場させ'以後この複雑な大家族関係が折に触れて物語面に出て来る.しか のみならず,九の君あて宵に対するおびただしい数の懸想人たちがつぎつぎ登場し'しかも平行的に活躍し、そ れらの家族関係まで出て来るのだから'読者の記憶への負担は大へんなものになる。これは読者にとって負担で あるだけでなく、作者の創作活動にとっても少なからぬ束縛となったであろう。説明不足はその結果としてまぬ がれない所もあった。 一般の読者は、わからない所を努力してまで考えてみることもなかったが、この作品を古典として研究しょう- 2 -とし始めた後世の学者たちは'われわれもそうであるように'何とか自分たちの手を加えてでも理解しなければ ならなかった。多-の誤解がこの時に生まれたのは'これ-当然の事でもあった。 理解の困難がまず多-の誤写を生じた。それを改訂して原態に返そうとして推定がはたらくのは当然だが、作 業が性急であれば'誤った改訂が生じる。甲の箇所における改訂本文がこの箇所の本文と衝突し矛盾すると、乙 の箇所も攻められる。乙の箇所の本文は正しかったかも知れない。さらに、丙丁と改訂が施されてゆくこともあ る。この種の改訂が集積してへ全篇にわたる。それで全篇にわたって合理化されるかというと'決してそうはゆ かないものである。よ-大きな矛盾があちらにもこちらにも生じて拾収がつかないものになる。われわれがこれ まで活字を通して読んで来た字津保物語の本文は'このようなものでぁった。 近世の校本以前の写本(以下便宜上旧来の写本もし-は旧本と記すことにする)には'誤写が多くてとてもそ のままでは読めないが'物語内容の矛盾や衝突はむしろ少なかった。あれば、原作自体の成立に関係させて説明 で き る も の で あ っ た 。 これらの'誤解による本文損壊の中で'一番厄介なのが'作中人物をめぐる説明や描写に関する詞章における それである。それは全篇の構成に直接関係するからであ-、かつ誤解が連鎖反応的に転移してゆくからである。 そ の 例 を 一 つ あ げ て み よ う 。 蔵開の中の巻で'右大将兼雅が'一条邸に住む旧妻妾たちを説明する詞章があるが'細井貞雄の「玉琴」など で'旧本の原形を留めな-なる程に改訂して、われわれはこの改訂に従って読んでいたのだが'旧本と改訂本文 と比較してどちらが矛盾が少ないか。旧本の本文の一部をまず宮内庁書陵部桂宮本によって記して'最低限の誤 写の訂正を右傍に小さ-添えてお-。これを玉琴が本文とした所と比べてみることにする。 ① ⑧ ( マ マ たちばなの所はちかげのおとゞのみいもうと也。それはとしはわれにこよな-このかみにぞおはせしおやに ) ③ ④ す る 。 に し わ た -に は か う い な ど い ま す か -。 そ の か う い は ' さ い 将 の 中 将 の み め へ み こ の は ゝ 也 。 む め つ ぼの宮す所といひし'いみじか-し色ごのみな-しを'かたらひた-しぞ.(35ウラ-36オモテ) (古典文庫一
宇津保物語登場人物論拾遺 - 3 -1 三 二 貢 ) . 実は'これで何ら矛盾する所はないのである。この引用の部分は昔の右大臣橘千蔭のいもうとと'その近親者 らしい梅壷の更衣との二人について言っている。更衣は千蔭のむとどの娘かも知れない。忠こそ法師と昔愛情を 持ちあっていた事があるが'同族でもあったのだろうか。「おやにする」五文字は'何の誤写かはつき-した見 当 は つ か な い 。 「 玉 琴 」 の 「 そ の 」 と し て い る の は へ 内 容 と し て は 穏 当 で あ る が 、 誤 写 の プ ロ セ ス を 考 え に -い 。 「 を や 」 を 上 に 付 け る 助 詞 と 見 て そ こ で 切 -' 「 す る 」 を 「 そ が 」 の 誤 写 と 見 る 事 も で き る 。 「 お は す る 」 の誤写で下にかか右かとも。更衣と宰相中将との関係は'中将の妻(嵯峨院の皇女) の母であると解釈すべきで ある。この内親王と中将との間には宮はたと呼ばれる男の子がいる。中将は左大将源正額の三郎'名は祐澄、祐 鐙が内親王に冷たいという事が世間の話題になっていて'嵯峨院も心配していらせられる。物語におけるこの設 定はかな-重要なもので、内親王の結婚のむずかしさという事が問題として提起されているのである。源氏物語 に も 同 様 の 問 題 提 起 を し た ら し い ス ト 1 -の い -つ か が あ -、 問 題 小 説 の 先 駆 と も 見 得 る も の で あ る か ら ' こ この人物設定は重大な意味を持つ。 きて'右の部分を玉琴はどう処理しているかと見ると、㊥は大体同じだが、「也」は削られ'③は一句全部こ の位置から除いて下の万に移される。③④の部分も原形を留めないほどの改作がなされている。つないで見る と'次のように全-内容を異にした本文になる。 司 J 7 日 . 1 . . . 1 = . . T r . 1 . . 1 7 " I . . _ ⋮ _ . . I . 7 1 ' ・ i . ≡ " " I . T . . , T . ︰ T ⋮ . _ ︰ . _ . . . . , P l y . _ . 、 " . . . . . . L p . _ l l " . " . " ≡ . ︰ . 、 卜 r r T I . " r r r I . r J " . T . . " . T _ ︰ = た ち ば な の 所 は ら が げ の お と ゞ の み い も う と ' み こ ば ら な -。 う め つ ぼ の み や す 所 と ぞ い ひ し ' い み じ き 包 .JMe.み矧裾引嵐かrw..﹀訓引ud引。それは年はわれにこよなくこのかみにぞおはせし。そのにしわたりに も と の 伺 は故かういのいますめ-。そのかういはへ宰相中将のみむすめな-しが勺.野麟管和上覇吋甜蘭画山.。それ り _ r 1 . . ≡ . . " . T A 4 . . . . . _ _ . I . . " I . L t . T A " " " . " ≡ . ー ⋮ _ . l T _ 7 1 _ T " . . I . I に ち ご ひ と -出 も う で た -し が ' い か に お ひ 出 し に や あ ら ん 。 わ ㈹伺い国㈹ni;はすべて作為的にはめこまれだものである0 これでは干蔭のおとどの妹が画梅壷の御息所で'兼 雅よ-はるかに年上で㈹母は皇女であ-'それとは別に更衣であった女性があって'それは国事相中将の娘であ 国 事
- 4 -り'銅琵琶の名手であ-'右大層兼雅と結ばれて恒子が一人あるということになる。「故かうい」とあるのは、 「もとの更衣」とすべきところを用字法を誤ったものである。 この玉琴の本文には数多-の矛盾がある。梅壷の御息所を更衣と別人とする設定にも無理がある。梅壷の御息 所が嵯峨院に仕えたことは忠こその巻に見え、忠こそと近親関係があるらしいことや'二人の間に単なる好意に はとどまらない程度の愛惜が持たれていたことが知られる。一方、宰相中将源祐音の妻が皇女であったことは' 沖つ白波の巻末の絵詞に「北の方は源氏、年二十三、子二人」とある所で初めて語られ'蔵開中巻で祐音の子宮 はたが登場する所で、夫妻の間がらがやや-わし-紹介される。絵詞の「源氏」という記載は厳密なものでなか ったのか、子を「営はた」と呼んでいる点からは、皇女の身分を保っていた事が知られる。きて祐農の妻が嵯峨 院の皇女であることは蔵開中巻に朱雀院が述懐して'「そがうちにも冒(大后) の御愛子な力.などみこたちか -の み あ ら ん 。 女 三 の 営 ( 兼 雅 室 ) も い と あ は れ に も の せ ら る な -。 祐 澄 の 朝 臣 も ( 妻 な る み こ を ) い か ゞ し な さ ん と も の す ら ん 。 す べ て 女 み こ た ち は た ゞ に も の せ ら れ ん こ そ よ か ら め 。 身 に よ か ら ぬ 官 た ち 多 -持 た る や 」 (6才) (一〇七一)と言われた所からも明らかである. そこでこれらの同じ巻に出て来る「宰相中将」を祐澄以外の人物とすることは乱暴な解釈としなければならな い。宰相中将の御娘が更衣であって、しかも今は兼雅の妻の一人となっているということは不可能である。 さらに大きな矛盾は、一条に住むもとの更衣が琵琶の名手であるという設定である。兼雅の妻妾たちの中で、 琵琶の名手であ-、心賢い女で'やがて三条に迎えられて仲忠母とも伸むつまじ-なると物語られるのは、音源 宰相と呼ばれた人の娘で、若いうちに兼雅に托された女性で'一条殿では西の一の対に住んでいたのである。こ の人に一人の男の子があって'兄の仲忠にも愛される人気者となるのである。この源宰相の娘と更衣を混同して 作文してしまったにせ物であると考えるほかはない。 このような無理な改作がどこから生じたか。これは明らかに'蔵開下の文章の読みあやま-から出てお-、こ れとつじっまを合わせたものである。女三の宮や'式部卿の官の中の君が三条殿に迎え取られたので'万一の望
宇津保物語登場人物論拾遺 - 5 -み も 讐 れ 妄 た ( S は ' そ れ ぞ れ の ゆ か -に 頼 っ て 分 散 す る 。 ( ひ ) ④ か う い は さ い 将 の 中 将 の わ た -し の と の に ' 御 む す め む か へ た て ま つ -給 ・ て ' に し の 一 の た い に お は す る ( な る 入 ) は , さ い 将 ば か -の 人 の 御 む す め , わ か -て た て ま つ -た る な -け -' そ れ は せ う と な よ て あ り け れ ば む か へ つ 。 ( 3 8 丁 ) ( 一 二 二 八 ) ①④が別人であることは,物語の前後に照らせば明らかである。・㊤は「更衣は宰相中将の私の殿に'中将の北 の方である内親王が迎え申した」というのである。これを「御娘卦迎えて」と解釈したために、前に引いた「更 衣は宰相中将の御娘な-しが」という改作本文となったのである。 さらに「宰相中将の私の殿に御娘を迎え」と解したので「西の一の対におはする」を'「中将邸の西の一の対 に更衣が住む」と続けて意味を取った。そこで更衣と西の一の対の君とが一人にされてしまったのである。「宰 相ばかりの人の御娘」が重複もし矛盾もする事'「せうとなる人あ-て迎へつ」が全-意味をなきなくなってい る事は,いずれも放置されている。琵琶と子の事は楼の上の上巻に西の対の君の事として語られている所で'そ の男の子を見た伸忠の口から間接的に' ( 浴 ) あ や し き こ と か な 。 に し の た い の 君 を こ そ 「 ち ご あ -し を た ゞ ひ と め み ず て を ば 君 な む か な し う し て と り こ め て し 」 と の た ま ひ し に や あ ら ん 。 ( 3 ) ( 〓 ハ 七 五 ) と語られ,そののち伸忠が重ねて訪問した時にこの子が琵琶を上手に弾-という事でこれも間接に母君が名手で ある事が語られる。玉琴の本文の攻作者が,この対の君と更衣を同一人物にしようとして作為していることが知 られよう。 この対の君と更衣が同一人物でなど絶対にあ-えないことは'兼雅と対の君が結ばれた事情を追想する兼雅の 発 言 を 注 意 す れ ば 綿 か 訝 . 相 ) ( ほ ) ( え さ むかしあはれぐゑんさい将の,「ゆ-すゑやむごとなき人おはすとも'なをこれ心ぐるしう見たまへ'斥さ \ ● ヽ ︺ レ 一 「 \ ら ん , 心 ぽ そ く も の は か な さ さ ま に て ら -は べ ら ん は ' い と か な し か る べ -な む 」 と ' 「 か た ち は よ に も よ ら で ) ( よ き も )
- 6 -( ば へ ) ( え ) に い と お ぼ く は べ ら ん ' こ ∼ ろ に ・ は み に -ま せ た ま は じ 」 と い ひ し も の を -⊥ ( 5 ウ ラ ) ( 一 六 八 二 ) 対の君は年少の時分にその父涼宰相が兼雅に托したのであ-,宮仕への経歴などあるべ-もない。更衣につい ては'蔵開下の巻に' ( め ) ( ほ ) ゐ ん に さ ぶ ら ひ し を ' い て ま か で に し ぞ か し , あ な い と お し 。 ( 3 9 オ モ テ ) ( 二 三 九 ) とある'嵯峨院の更衣であったのを、兼雅がいわば強引に迎え取ったという形である。それがあわれだと兼雅は 思う。宰相の君については故源宰相の遺托に十分こたえていなかった事を心ぐるし-思うのである。この二つの 影像を一つに重ねる事は不可能である。 このあたりに平安朝物語文章の表現の不明確さも責められるかも知れない。それは今言ってもしかたのない事 であろう。壷釈から本文批判への道のむずかしさを自戒自重する事が必要であろう。 私は以前に「宇津保物語の中の人物-藤原の君の子女をめぐって」という小論*,国語国文竺一十二巻十一号に 発表し'また「宇津保物語の中の人物-嵯峨院およびその周辺」と題して、樟蔭国文学竺毎に発表した.本稿で は前稿前々稿に残された分野で'この物語に登場する人物をめぐって解釈上に疑義や問題のあるものを拾ってゆ く こ と に す る 。 ( 注 〓 なぜこのようにT字津保物語が特に'人物関係の理解に混乱をおこしたのかという点を,ついで竺考してお きたい。この物語が必要以上に人物を曜列する傾向があ-'主題に統一されない末端的な興味がつつ走-がちな ことにわざわいされているのではないかと思う。色好み兼雅をめぐる女たちに話が及ぶと,その一人一人につい て同じようなウエイトをかけて説明しないと気がすまない。遠近法的な物語技巧が不足している。あて宵をめぐ る求婚競争を書き始めると'やたらに多-の人物が登場する。その一人一人にそれぞれ境遇があ-,家族関係が ぁ る の は 当 然 だ が ' そ の い ず れ を -省 -事 が で き な い 。 一 往 は す べ て 説 明 し よ う と す る 。 つ ま -、 統 一 し た 主 題 への結構が弱-て'やたらに小主題に分裂する傾向が強い。むやみに多-の人物が羅列される。作者は計算して 書いていても、読者にはとてもおぼえきれない。要するに世相物語的興味が独走して,全篇的主題へのしぼ-が
宇津保物語登場人物論拾遺 - 7 -不足している。そのあた-に原因があるであろう。 とは言うものの'注意して読んでみると'作者ーの不注意による錯誤は案外多-はない。かな-知的に計算し て'系譜的関係を設定して書いているようである。それにもかかわらず、従来作られている人物系図で成功して いると見られるものはほとんどない。一部は物語そのものの罪で-あろうが'多-は研究者側の読みの不足にも と づ -も の で あ る 。 こ 右大臣藤原兼雅をめぐる人物系譜 俊蔭の巻に'時の太政大臣の四郎でわか子君と呼ばれる少年として登場した兼雅は'俊蔭女とはかない一夜の 葵を結ぶのであるが'藤原氏であるかどうかはまだ書かれていなかった。藤原の君の巻で、あて宵に求婚する色 好みの一人として登場する時に藤原の氏の名が紹介される。 藤原の君の巻に'一世の源氏正額の北の方となる女性が「時の太政大臣のひとりむすめ」であるが'この太政 大臣が前の巻に語られた兼雅らの父と同一人物であるか否かはここでは語られない。おそら-これらの巻々で は'この二つの「時の太政大臣」を同一人にするか別人にするかを、はっきり限定して考えではいなかつだろ う。物語の構想に何らの関係もないからである。 しかし'物語の構想が発展するにつれて、これらの非限定の人物関係に限定した内容を与えて'系譜的関係を 設定することは'長篇物語の重要な一方法となるのである。兼雅とその周辺の人物との系譜的なつなが-はどう なっているのか。それは主としてこの物語の後半'いわゆる牙二部においてあらたに加えられるところで、可能 な範囲では作者自身最初の腹案を変改する事もあ-得る。父は苦太政大臣であった。兄の忠雅は、国議の巻では 太政大臣に至る人である。それらの関係は物語の表面で語られているからここで問題にするような事はない。国 議の巻で'朱雀院の中宮が兼雅らの「いもうと」であることがわか-う、左大臣正額の二人の北の方の中の一人' 「太政大臣の御むすめ」がやは-兼雅の姉であることが物語られる。これは朱雀院議位の後に新東宮を'藤壷腹
- 8 -の才一皇子にするか'梨壷腹の牙三皇子にするかで'源氏と藤氏の対立が強-意識されるようになった新情勢に 導かれた追加的構想と見なしてよい。 この新しい設定で'左大臣源正頼の北の方が忠雅兼雅らのはらからであるという設定は'東宮争いにおける兼 雅らの態度に重大な影響を与えるのである。作者は俊蔭の巻の「時の太政大臣」 と'藤原の君の巻の「時の太政 大臣」とを'同一人物と限定する事で' 細井貞雄の「玉松」 の系図に' この新設定を行なったのである。 太 政 大 臣 -橘云云 ⋮ 千 蔭 -女 君 正 頼 北 方 云 云 -女 君 梅 壷 女 御 云 云 と あ る の は 、 さ ま ざ ま 誤 読 が 重 な っ て い る ら し い 。 正頼北方、一のむすめのよし藤原巻にみゆ'兼雅北方とはことはらの姉のよし蔵開巻にいへ-㌔ と注記している。藤原の君の巻に「ひと-むすめ」とあつたのを「一のむすめ」と解したのもつじっまを合わせ るためであるらしい。「蔵閑の巻に」とあるのはへ次の詞章を指すものである。 ( の ) ( の ) ( 御 か た カ ) ( つ ) ( 浴 ) き た の た い に お は す る は い も う と な -。 右 ・ お と ゞ ・ お ほ い ど の ∼ あ な た の 一 ・ 御 は ら の を と う と 、 は ら か ら な れ ど こ と は ら に て う と か -け る を 、 い も う と む つ ぴ し て 忍 び て む か へ と り て か よ ひ 給 ひ し な -。 き さ い ( A ) の 官 の み -し げ 殿 、 こ と 御 は ら の い も う と な れ ど う い と ら う た -し て か へ -み 給 ・ を へ か -き こ し め し て へ ( ひ ) ( A ) 「 さ れ ば こ そ ' ひ そ か に わ た -給 ・ ね と は も の せ し か 」 と て ' べ ち な う に わ た し た て ま つ -つ 。 ( 3 8 オ モ テ ) (一二二七∼) 玉松の著者(細井貞雄) は'この北の対におわする女を梅壷の御息所の妹と解釈したらしい。そして右大臣家
宇津保物語登場人物論拾遺 - 9 -の「大い殿の御方」の「異腹のおとうと」であるとしたものである。すぐ上に真言院の律師忠こそが叔母おとど を 迎 え た こ と を 言 っ て い る の で ' 続 -こ の 一 節 の 「 い も う と な -」 を 忠 こ そ の 叔 母 お と ど の 妹 と 解 し た -な っ た のもなるほどと思うがへ後世の読者がうつか-忘れやすいのは当時の「いもうと」という語の用法である。女ど うしの関係で年少の方を「い-つと」と呼んだ例はない。男から見てのその女きようだいだけが'長幼の別なく 「いもうと」である。これはある男性に対して'姉または妹である女でなければならない。ここは兼雅の妹であ ると解する以外には考えられない文脈である。その兼雅のいもうとが正額の北の方の同母妹でもあるという意味 である。玉松では「はらからなれどことはらにて」を正額の北の方との関係と見たらしいが'これははなはだま ず い 。 「 ひ と つ 腹 の お と う と 」 と 語 っ て い る で は な い か 。 「 は ら か ら な れ ど 異 腹 に て 」 は ' 兼 雅 と そ の い も う と との関係である。異母兄妹で疎かったのである。それが恋愛関係を生ぜしめた大きな条件である。下の「いもう とむつぴ」は下男が自分の女さようだいを異性として特に強-愛する事をいう当時の造語である。 さて右の一節に見える「きさいの宮」は後に明らかになるように兼雅の「いもうと」である。多分同母姉であ ろう。その后の宮に仕える御-しげ殿もまた兼雅の異母姉である。「きさいの営のみ-しげ殿'こと御腹のいも うとなれど」は、兼雅と異腹の姉であ㌃と解すべきである。北の対の御方に対してならば女性どうしだから「い もうと」と書いては慣例にそむく。兼雅と母を異にする姉であることは'北の対の御方と同母であるか異母であ るかばわからない。だが、「なれど」とあるから北の対の御方とも異母と旦るべきである。 右の一文をロ語釈して確かめよう。 北の対に御住まいの君は兼雅の殿白身の御妹である。右大臣殿のおおいどのの御方の同母の姉で、兼雅の殿 とは兄妹だが異母妹で,疏--らしておられたのを'世に言わゆる〝いもうとむつぴ〟をして、ひそかに迎 え取って通われたのである。中宮に仕える御匝殿の御方は'殿とは異腹の御姉でおわしたがへこの北の対の 君を子のようにしてかわいがって御世話をなさつていたのに'このあ-さまをお聞きになって「こんな事だ からこそ心配してひそかにこちらにおいでなさいと申したのです」と言って'御匝殿(貞観殿)の別納に迎
- 10 -・.L.I,・一寸二 え取りなされた。 前にも述べたようにへ誤写はあるが'矛盾は全-ない本文である。玉松の系図が根拠のない作為であることは 明白であると思う。と同時に兼雅の女きようだい関係が'かな--わし-新し-うち出されたことが注意を引 く 0 日本古典文学大系には'苦心の伺われる注を施されてあるが'結局ここの入物関係をすべて未詳としてある。 「兼雅がその妹と契って秘かに北の対に迎えたというのであるが」とあるので,異母兄妹問の結婚を認められた のかと心強-思ったが、すぐ続けて「誰の事か未詳」とあるので'兼雅の異母妹とは解釈されなかった事が知ら れ る 。 ( 注 二 ) なるほど特異な設定であるが'「いもうと」という語の用例になれた当時の読者は,何の不審もおこ47なかっ たにらがいない。大筋にかかわ-のないこのような特異な設定をあえてしたのは'兼雅の色好みの極まる所を強 調したかったからにらがいない。笠物語などの影響を考えて見る事も面白かろう。 右の蔵開下の系譜設定は'一部国譲下巻の物語に利用される。忠雅兼雅らと中宮との関係、およびこの時の左 大臣正頼の北の方との関係が'東宮争いに微妙に作用するという構想を展、開したのである。中宮は是が非でも藤 氏出身の東宮空弘てようと思い、兄弟である太政大臣忠雅'右大臣兼雅へ忠雅の長男藤大納言,同じく次男藤宰 相、兼雅の一子右大将仲忠と、藤氏一族の公卿を総動員して'梨壷腹の矛二一皇子立坊の謀略を推進しようとす る。ところが忠雅は左大臣家の六の君を'藤大納言は同じ-八の君を藤宰相は同じ-三の君を妻として愛してい る。仲忠は左大臣の孫にあたる女一の宮を妻として異心もない。兼雅もまた、姉が左大臣の妻である。皆左大臣 にそむくわけにはゆかないというのである。中宮に対する兼雅の詞がその間のいきさつを語る。長文になるので 兼雅の姉に関する部分だけ引く。 ( 宰 相 ) 中 将 の あ そ ん も か ね ま き が あ ね の は ら な -. そ れ も こ ど も 侍 り 。 ( 3 ウ ラ ) ( 1 五 〇 〇 ) 「中将」は「宰相」の誤写(「宰」の草体を「申」に。「将」は「相」の倍音表記)で,忠雅の三郎である。
字津保物語登場人物論拾遺 ll -大い殿の上の腹の三の君を妻としている。三の君の夫君「藤宰相」を「頭宰相」と誤読Lt源民部卿と同一人物 とする従来の解釈はとんでもない誤-である。参議が蔵人の頭を兼ねる事はないし'源民部卿実正の妻が大宮の 腹に生まれた七の君であることはこれも動かせない基本的設定である。ここの宰相を藤原清正と解し'「兼雅が 姉の腹」は静本が皆誤ったものとする諸解釈ももちろん誤っている。字津保の旧本には矛盾はむしろ少ないので ある。三の君の婿たる藤宰相が'ここの「宰相」であるという構想は動かしてほならないのである。三の君は大 い殿の上の腹である。そして大い殿の上は兼雅の異腹の姉であることは'前述のように'蔵開下に語った所と符 合する。系図にしてみよう。(注三) 太政大臣」 藤 氏 。 -忠 雅 太 政 大 臣 ∼ 男 -男 -兼 雅 右 大 臣 。 -女子 左大臣正頼室へ兼雅とは異腹。 「女子 中宮'兼雅と同母。 ∼女子 御匝殿、中宮とは異母。 -女子 1条の北の対の君、兼雅とは異母。 さてへ / 兼雅をめぐる女性たちの中の一人'北の対の君について'もうすこし見てみよう。女三宮や中の君が三 条殿に移-'他の女たちもそれぞれ分散したあとの荒涼たる一条殿に桜の咲いた時節に兼雅仲忠の父子が様子を 見にゆ-と'立ち去るにあたって女たちはそれぞれ歌を書きとどめている。そうした閏怨のあわれを書-のがね
- 12 -らいであるが、その一番に描かれているのが、この北の対の君である。 ( ひ ︺ まづきたのおとゞにい-てみ給へばへ ゐ給・し所にかのきみの御てにて' ( ず ) ( ゑ ) ( ほ ︺ いもせがはすまひな-ぬるやどゆへに涙をもなをながしっる哉(注四) ( ひ ) と あ る を あ は れ と み 給 ・ て 、 ( 3 8 ウ ラ ) ( 一 二 二 八 ) 正直の所'私も「かの君」が誰であるかがわからずに解釈に苦心した。どの注を見ても中の君と注してある が'式部卿の宵の中の君は一条の南のおとどに住んでいて'今は三条殿に迎えられているのであるから'北のお と ど に 住 ん だ こ の 人 と は 一 致 し な い . ま た ' 思 い が け ず ' 急 に 迎 え を 受 け た の で あ る か ら ' こ こ に 見 え る よ う な 怨みの歌を詠み残すはずもなくそんな時間的余裕もなかったのである。中の君説は成立しない。ここの「北の おとど」は上に見えた「北の対」と同義であ-'「かの君」が北の対の君すなわちいもうとの君であることは明 白な事である。 以上で、兼雅の女きようだいとして設定された人物は大体はつき-した。次に兼雅をめぐる妻妾たちについ て'前節にも少し触れる所があつたが'ここでまとめて考察して'前節に言及した所の確かめをしておこう。 俊蔭女すなわち仲忠母については、解釈上の疑点が全-ないから持説しない。 嵯峨院の女三の宮は兼雅の妻の中で一番高貴な女性で'この人の事も不審な点はほとんどない。ただ、従来多 少とも不審がられた問題が二つあった。一つは'嵯峨院の巻で源仲頼について紹介的に物語る条に' なかよ-は天下一の三宮むこど-給ヘビとらすは。(桂官本29オモテ) とあるが、前田家本(古典文庫による) には なかよ-は天下一ゐ三営むこど-給へどもとられず。(三六二∼) とあって、桂官本の方に誤写があると見てよい。 また'仲額の妻の父宮内脚が'仲額にうと-されて嘆-娘に説き聞かせる言葉の中に、
宇津保物語登場人物論拾遺 / - 13 -われのみかゝるはぢを見ばこそあらぬへ一院三宮大臣公卿のみこむすめもさこそすてらるべかめれ(桂官本 2 9 ウ ラ ) ( る ) とあ-'前田家本も文末が「すてらかめれ」とあるだけで'上部は同じである。 この「一ゐ三宮」 「一院三宮」という本文の処置について新見を記してみる.有朋堂文庫は前の例を「院の帝 の三の官」という本文を定めて'「今兼雅の持物たる嵯峨の院の女三宮へ こ∼は前の事をいへる也」と注してい る。後の例も本文を「院の帝の三の営」としている。これは玉松にも玉琴にも後の例だげに「院のみかどの三の 営」と攻めた本文を記し'前の例は坂本に従ったと見られるのを折申したものと見られる。日本古典全書は有朋 堂文庫に同じ-'日本古典文学大系は玉松玉琴の処置にひとしい。 私も旧高で'ここの「一院」を嵯峨院と解釈Lt 「三宮」を「女三の宮」を指すiJ考えた私見を発表した事が ある。樟蔭国文学矛三号の「字津保物語の中の人物-嵯峨院およびその周辺」の中で'「女三の宮と源仲頼との関 係は兼雅と結婚する以前の事として認めることができる」と書き'「別人と解釈する余地のない話である」と書 いた。だが'それは「三宮」を「三の宵」と補読するとすればの考えで嵯峨院の女三の官を仲額の話に引き出す ことは'何か釈然としないものがある事も否定できない感じがある。 最近'御給(御たうば-)の故実を調べている時'古事類苑に引かれた文献の中から「一院三宮」なる名目を 見出だして実ほどき-とした。中世に入ってからの故実書ではあるが'「除目抄」に' 一院三官 爵一人 三官有女爵、東宮無之。但一院新院有女爵云云 内宮一人 按 一 人 目 一 人 一 分 三 人 とある。この場合は,「一転」および「三宮」であり,例示であるからもちろん特定の人物を指すLJとはない。
- 14 -「f院」 「三宮」は'天子を別にすれば最高の地位である.「御給」の事は別に書-予定であるのでここでは省 -がへ 「一院三宮」という字面は兄のがせない気がする。宇津保の文でも'「一院三宮」 「一ゐ三宮」と、表記 においてほぼ一致するのである。「いちゐんさんぐう」と読んでみると、嵯峨院の女三の宮という特定の女性を 引き出す解釈に何か知ら感じられた不安は消える。「一院三宮大臣公卿のみこむすめも」という続けかたは'た しかに固有の人物を引き出す余地のない表現である。1院についてはへ樟蔭国文学矛四号(4 1年1 1月) に「一院 という称呼について」で詳論したように、最高才一の太上天皇一人に対する尊称で'太上天皇が一人だけおわす 場合にもこの尊称の行なわれた例が平安朝には少な-なかった。三宮は太皇太后皇太后皇后を指す称である。 伸額はいかに一院三宮のような尊貴なあだ-から婿にと望まれても応じなかった。 であるLt われらだげがかかる恥を見るならば堪えられな-もあろうが、一院三営大臣公卿の御娘たちもあのように捨 て ら れ る よ う だ か ら 、 あ き ら め も つ -0 である。 だから嵯峨院の巻に現れる「三宮」は女三の営ではなく女三の宮常は色好み兼家に迎えられる以前にそのよ うな話はなかったと見てよい。それで物語がすこぶるすっきりする。 次に'源祐濃の妻が女三の宵ではなかったかという説が二三あつたが、それは蔵開中巻の文を読みちがえたも のであることは'旧稿「字津保物語の中の人物1嵯峨院およびその周辺」で論じたので参照していただきたい。 さてへ この女三の官の設定は、物語の始めの部分では単純に兼雅の色好みなる事を強調するものであった。俊 蔭 の 巻 に ' 一 条 に ひ ろ -お は い な る 殿 に さ ま ぐ な る お と ゞ つ -か さ ね て 、 院 の み か ど の 女 三 の 官 を は じ め た て ま つ ( ひ ) りて'さるべき御子たちかむだちめの御女おは-'めしうどまであっめきぶらはぜ給・ければ、(44オモテ) ( 八 九 )
宇津保物語登場人物論拾遺 - 15 -とあるが'それほどの色好みがすべてを忘れて傾倒した俊蔭女の非凡を証明する道具だて以上にあま-意味がな かったかに見える。それが'あて営入内をめぐって'あて宮と対抗すべき女の一人'梨壷の御方をこの女三の官 の腹に生まれたという線を引-ことで'構想上の女三の官の重さが増して-る。これも所詮はあて宵を引き立た せるための脇役であった。さらに国譲-をめぐって'源氏を外戚とする才一皇子と、藤氏系の牙三皇子の立坊令 いで'牙三皇子の外祖母たるこの女三の宮の位置が一段の重さを増す。この布石は内侍の督の巻あた-からかす かながら用意されていて、賢明な若者の伸忠は、異腹ながら梨壷の後見を (父に代って)心にかけへ女三の宮に もなるべ-親し-してゆ-。女三の宮と梨壷とは'頼みにならない兼雅の事はあきら虜ていて'伸忠に頼る心が 強-なる。 仲忠は生母内侍のかみと謀って、女三の営らを三条殿に迎えることで'梨壷とその腹の皇子の里邸が花やかに なるように心を配る。女三の宮に再び平穏な日々がめぐって来るが'これは牙三皇子誕生の舞台を準備するもの でもあったのである。伸忠母子の賢さは、兼雅の昔の妻妾たちに幸福を返してあげる事で'やがてめぐ-来る藤 氏の栄華が固められてゆ-観がある。兼雅という人は好色の世界に終始した。政治の世界にははいつてゆかない 人である。伸忠の賢い処置がなかったら、梨壷や牙三皇子も荒涼たる一条の旧邸をいつまでも里としていなけれ ばなるまい。 兼雅には子が少ない。正額とは正反対である。作者はしかし次の時代に源氏と藤氏の交替を考えていたかに思 われる。だが太政大臣忠雅の子息は'大納言も宰相も傑出した人物で闇ない。仲忠一人でも'左大臣の子息十余 人をたばにして及ばない'やがて伸忠時代が来る。それにして男のきようだいがないのは心細かろう。作者はこ L uでずばぬけた弟を急に出現させる。一条の西の対の君の腹に生まれた若君である. では女三の宮以外の一条の女君たちはどのように設定されていたか。構想上の意義にも少しずつ触れて'あげ てみよう。
-・ 16 -まず'式部卿の宮の中の君。この人は俊蔭の巻の「さるべきみこたちかんだちめの御むすめ」とあるのを承け て'親王家の姫君として登場したものである。作者はこの姫君に興味のある境遇性格を与えている。十三歳で兼 雅のもとに来てまもな-父みこに死なれ、侍女たちの言うままになる善良すぎる弱い性格である。ある面では源 氏物語の常陸の宮の姫君末摘花と類似する点がある。すぐれた人ではないがあわれむべき人である。男に忘れら れてから久し-もとの家で待ち-らしている点、のちに男に迎えられてすなおに従ってゆ-点も'末摘花に通ず る も の が あ る 。 ち が う の は ' 風 雅 も 一 往 は 解 し て い て ' 兼 雅 と も 父 み こ の 意 志 で ま と も に 結 婚 し て い る 点 で あ る℃姫君タイプで世才がなく困難に堪えぬYような精神力もなく一口に言えばたよりない女である。この性 格描写には、もともと品定め癖の強い作者の意図的なものであるにらがいない。 この姫君がはじめて物語に登場するのは'蔵開中巻で'仲忠が父のために一条の女三の宵を訪問した時へ南の おとどから相子を一つ投げつけた女へそれがこの中の君だったわけである。菓実を投げるというのはへ節安仁の 故事であるが'物語意匠への影響から言うならば、むしろ遊仙窟を摸したものと言うべきか。(注五) ノ こ こ ク レ ナ ン ト へ チ ヲ ク ニ ソ ノ ト キ ノ ニ チ ニ リ オ チ イ ル ガ ニ テ ハ ク フ ソ ハ 定時日哨レタ。携竃就二樹蔭一。当時へ樹上忽有二壷子二 落二下官懐中1。下官詠日'問李樹如何意 丁 ∴ . ・ : . 、 : ・ 1 , I . ∵ ] . I . , : : ・ 1 . : : . ・ : . . 」 . ・ ' ' 二 ∴ ' , ; . ; I . , ・ ・ . ㍉ ∴ ; , . 5 : . . I , ・ : ・ 二 . 千 : . . : . . . . . . . . i , ( . . ; . . : . : : ・ ・ ・ . I . ∴ ・ : : M J . I . , I . : : . , T ' . : I . . , L . . . ・ ( . I . I . ; , : I . ' ・ ( . I . : : ノ ヲ ナ ゲ ウ ツ テ ヲ ル キ -ガ ア タ リ 二 子 意 二 審 レ 菓 到 二 渠 辺 1 。 ( 慶 安 版 四 七 ウ ラ ) 娘子は崖十娘で女主人公'五硬はそのあによめ'下官は主人公(作者)張文成の自称の詞。菜実が主の女の意 中を知って客の懐中に飛び入るという意匠である。蔵開中巻では' ( ︰ . ) 大 将 「 な -て ら -に し ふ る さ と の 」 と い ひ て た ち 給 へ ば ' 南 の お と ゞ よ -か う じ を 一 ・ な げ て 大 将 を う つ 人 あ -' 「 ま ち と る な る こ そ 」 と て と り つ 。 ( 3 3 ウ ラ ) ( 二 二 七 -) この南の殿に住む女が誰かはここではあかきれない。三条殿でこの相子を開いて見ると中に歌が入っている。 ( お ) ( が ) むすぴをきて我。たらちねはわかれにきいかにせよとてれすれはてしぞ
字津保物語登場人物論拾遺 -- 17 I-とある,この歌がこの人の経歴と、あどけない心ばえを示している。続-兼雅の述懐、 このかうじなげいだしっらん所は、こしきぶ脚の宮のなかの君也。ち∼官のめしてのたまひしやう'「われ ( ど ) な ん よ に ひ さ し く あ る ま じ き 。 こ ∼ に ら う た し と お も ふ も の な ん あ る 。 あ だ - し く は い は る れ ・ ' さ り と ( ひ ) も と お も ひ て な ん 」 と て た び た り し 人 也 。 十 三 に て 見 そ め て ' い -ば -も な -て 宮 か -れ 給 ・ に き 。 そ の の ち ほ ど も な く て ぞ こ ゝ に は さ に し か ば ' げ に い か に お も ふ ら ん 。 ( 3 5 オ モ テ ) ( 二 三 一 ) とあるので素性経歴を知らされる。 そののち,女三の宮を訪れるついでに'中の君の南のおとどに兼雅が立ちよる場面がある。蔵関の下の巻へ ( ゐ ) 左大将はしのびて中の君の御方にまい-てみ給へばへうちやぶれたるぴやうぶ一よろひばか-'なつのかた ぴ ら の す ゝ げ た る き ち や う ひ と つ ふ た つ た て ∼ 、 君 は あ や か い ぬ -の と こ ろ ぐ . ・ や ぶ れ た る 一 か さ ね ' す ゝ ( つ ) げ た る 白 ぎ ぬ き て 、 火 を け の す ゝ け た る に 火 わ づ か に お こ し た る に , だ い 二 た て ∼ p し ろ き た う わ ん に 、 ( き ) お も の ひ め め き て す こ し も -て す -杏 -。 ほ じ か み へ つ け た る か ぶ ら ' か た い し は ば か -し て 、 よ さ り の 御 ( ゐ ) ( み ) 物 に も あ ら ず ' あ し た の 物 に も あ ら ぬ ほ ど に ま い -た -。 御 ま へ に は ふ る ぴ た る ま き ゑ の な ぐ し の は こ ' き ゃ う な る す ゞ り ぽ こ 霊 ) て 、 く し の は こ , ふ た を と り の け て , 一 日 の か う じ の っ ぽ の ゝ こ -を と -い で ゝ p ( し も ) めのとかけて見などす。そのむすめむまごなどわらはにてあ-。しにもづかへひと-ばかりなむありける。 ( 1 3 ウ ラ ) ( 二 . 七 一 ∼ ) その貧窮のさまが描かれている。世間知らずのお人良しの姫は'万事めのとまかぜで、めのと一族の-いもの になっているようすであった。乳母がむすめ孫まで同居させている点でそれを示そうとしているのである。源氏 物語の蓬生の巻の描写ほどではないが'宮家の姫の零落を措き'その裏にあ-どい人間ののさばるさまをもほの めかして'作者の正義感も察知される一節である。 とか-の事があって'この中の君も三条殿に迎えられる。年は三十八九になっている。兼雅の意見で一条で使 っていたむさくるしい衣服調度類はめのとの族類にとらせて、新しい家の券などいろいろ与えて'これからは人
- 18 -にごまかされないように注意する。 ( 浴 ) ( A ) こ れ は た し か な ら ん 物 に い れ て を き 給 へ れ . こ れ を さ へ は か な -な し 給 ・ な 。 ( 3 5 オ モ テ ) ( 一 二 二 1 ) この中の君のこめかしさは'国譲中巻でも兼家が物を贈-与える暗にへ半紙に「かひな-例のとbちらされ給 ふな」と書きそえなければならない程であった。 源氏物語帝木の両夜の品定めに'「もとはやんごとなきすぢなれど'世にふるたづき少なく 時世に移ろひ て'覚えおとろへぬればへ心は心として事足らず、わろぴたる事どもいで-るわざ」と品評された、そのような 類型に属する女性であった。そうした壁を自分では破れない'いつまでも上衆めかしくこめかしい人としてこの 人は描かれている。その点ではこのような端役脇役の方が面白-書かれているのが字津保であった。 一条殿に住む人々の中で'残ったのは' ④ 昔の右大臣橘千蔭の妹I-頁の対 ④ 梅壷の御息所 - 西の対 ③ 兼雅の異母妹 - 北の対 ④ 源仲頼の妹 - 東の一の対 ⑨ 昔の源宰相の娘 - 西の一の対 の五人であった。この五人は一括して語られたためへ解釈の混乱があったことは、上釆の論述のついでにある程 度触れた。この串で'千蔭の妹を梅壷の御息所と混同した解釈の誤-については前節に説いた.それに関連して 故源宰相の娘を混同したような本文改訂の混乱についても弁証した。またこの節の前半で'兼雅の異母妹が一条 の夫人たちの中にあることについても証諭した。源伸頼の妹だけは'仲忠が仲額に対する友情もあって'妻の女 一の宮の二条院に引き取っていぬ宵養育係としたので、物語が明瞭で右の混乱に関係しなかつた。 この五人が'最後に1条を立ち去るのであるが'その-ど-は忠頼妹の分を除いてすでに引用して解説してい るのでここには省-。ただこの五人がはつき-五人に分析されることを証明される物語が続けて書かれているの
字捧保物語登場人物論拾遺 や ど へ ゆ ば -.}/. ヽ に)ゐ ふ の 涙 給 〉⑧を・ もし
:.I;喜三
な が L i司 る 哉 - 19 -侍カ/一 \ 。り ) 」零 と 申( ● Lpti 袷 ふ 0 で'千蔭の妹と梅壷の御息所と宰相の君とがそれぞれ別人であることを'はつき-裏づけてみる事にする。 花盛-'興透る一日へ兼雅仲忠父子は'「一条の人げもなかなるをへ いかゞ住みなしたると見む」と'もろと -にやつて来た。 ( ひ ) と あ り け る に へ 「 ゐ ん 樗 さ ぶ ら ひ し を い て ま か で に し ぞ か し 。 あ な い と お し 」 と 見 給 ・ て ' お な じ 一 の た い ま づ き た の お と ゞ に い り て み 給 ( ず ) いもせがはすまひなりぬる ( ひ ) とあるをあはれとみ給・て' にしのたい ち か ゝ -し 雲 の お -ゐ て み る べ き に 風 ( ゐ ) かういの御方をみたまへばへ ゐ給・しところのはしらに' -ち-とまどふ.身はなぞ ( ひ ) ( ほ ) ( ひ ) ③ 'かの君の御てにて をみ給へば' ふ る さ と に お ぼ -の と し を ま ち わ び て わ た -が は に も と ほ じ と や す る ( り ) ㊨ と あ れ ば ' 「 ま し て ' あ は れ い づ -へ な ら ん 。 い か で こ れ が 返 ・ 事 せ ん 」 と お ぼ す 。 ひ ん が し の 二 の た い に ( た け カ ) い -て み 給 へ ば ' そ の た い の ま へ に ' さ ま L U 、 の た い に あ た れ る 柱 に ' こぬ人をまちわた-つるわれな-てまがきのたけに誰をはらはん ① と あ る を ' 「 ふ る も の と い ひ し と こ ろ 」 と お ぼ し て ' 一 の た い に い -て み 給 へ ば ' ゐ た ま ひ し は し ら よ せ に ' きつゝみしやどにぞかげもたのまれしわれだにあらぬかたへゆ-かな と ' さ う に か き た り 。 お と ゞ 「 こ の ひ と い づ ち な ら ん ' は ∼ 宮 の 御 も と に は た あ ら ざ め り 」 と の た ま へ ば ' ( る ) 大将「なかたゞなん'二でうのゐんにわたしたてまつりて侍・ー。いま にかの物したぶがあそぴする人な-てさうぐしくし給へばう むかへ 二八∼) か し こ ひ ろ う な り ぬ べ か な れ ば ' そ こ (3 8ウラ∼) (二一 この中で'千蔭の妹君の歌が「こぬ人を」であることばへ風葉和歌集にも「うつほの橘右大臣のいもうと」と- 20 -して引いている事でも裏づげられる。東の対に住むことは蔵開中巻で語られている。西の対の更衣は、蔵開中巻 で旧本では梅壷の御息所と称したとある'それがここと符合するのであって'本文を改めてまで梅壷の御息所す なわち千蔭の妹とするのは無意味であることが知られる。兼雅がここで「院に候ひしを」と言っていることも注 意すべきで'「院」と言えばこの時点では嵯峨院しかないのである。 北の対の君については前に述べた。いもうとの君である。異母兄と結婚する事は当時絶無の事ではなかった が'普通の事でもなかった'それがいかに苦しい事であったかが'その歌「いもせがは」に訴えられているので あ る 。 「 つ い に 住 ま ず な っ て し ま っ た も の を 、 い た ず ら に 涙 を 流 し た こ と よ 」 と い う 意 で あ る べ -' 牙 二 句 「 住 まずな-ぬる」であるべきは論なし。この歌の初句「いもせがは」は夫婦の交情を意味する事は無論だが'同時 に 「 い も う と せ う と の 間 が ら 」 の 意 を 暗 に ふ -め た の で あ る こ と に は 傍 例 も あ る 。 ( 注 六 ) 南の一の対の君が宰相の君であることは'楼の上の上の冒頭にここの歌が再び書かれてこの人を攻めてクロー ズアップしていることで確実にきれる。 兼雅という一入の色好みをめぐる夫人たちは、右の五人を俊蔭女・女三宮・式部卿の宵の中の君に加えて八人 がクローズアップされている。桂の巻に「三の宮を愚ひし時も十七八人ばか-もてあ-し」とあるからへ この八 人については作者が特に書いてみたいという意欲を感じたということになろう。それは何であろう。俊蔭女だけ はそのすぐれた宿世を語るべ-虚構されたものであり、また女三の宵にも多少物語主題と関連があるのである が'他の六人に対する作者の関心のあ-かたはいささか異なる。また俊蔭女の場合にしても、前世に天女であっ てこの世界に転生し来ったというような非凡な資質や、現世における数奇を極めた運命の変転をさしおいて'現 実の人間として他の七人と並べられる時'その聡明へ その心ばえのやさしきう その寛容さ'その節操の確かさ、 すべて人間としてのあらまほしさを具した女性として造型されているのであって'他の七人と対比されるのであ る。女三の宵は品高さ女性としてのあてはかさが主となろう。兼雅が離れ去ったのちも'梨壷の御方の母として
字津保物語登場人物論拾遺 21 -その後見をりつばにやっているLt悲嘆やぐちに明け暮れるような所は全-ない。愛を奪い去った俊蔭女を怨む 心も見えず,その女を母とする伸忠に対してもやきし-物静かに接することができる。内侍のかみの巻で'仲忠 が自分の母のために御凡帳を借-に宮のもとに立ち寄ると'快-貸し与えへ ( る ) 月 ご ろ わ か き 人 の ひ と り さ ぶ ら ひ た ま へ ば ' う し ろ め た さ に こ ∼ に 侍 ・ を ' こ と 人 は さ も こ そ と う た ま は ざ らめ,そこにさへいとうと-おぼしたれ。謁に蒜鮎欄指唱)(晋ラ)(八二。) と言う。「あなたにとっても妹なのだから'梨壷の事は心にかけて親し-してやつてほしい」という気持を、き わめてすなおに述べている。これは心の広い人でなければとても言えない言葉である。伸忠もまた' ( る ) か ず な ち ず お ぼ さ る と も 、 よ の 人 の し た し -さ ぶ ら は ん よ -は 心 こ と に お も は さ ん な ん い と う れ し く 侍 ・ べ き 。 ( 同 ) と 言 い ' 営 は か さ ぬ ( 汀 , ' ( ふ ︺ ( A ) さ ら に も の た ま う か な 。 こ の さ ぶ ら ひ 給 ・ 人 は 、 お や も お も は し わ す れ た ま う め れ ば ' よ の 中 に あ は れ に 心 ( ほ ) ぼ そ げ な る 人 な め り 。 は ら か ら も な に ∼ つ け て か お ぼ さ む 。 な を 、 あ は れ な る も の ゝ 心 ぐ る し き に お も は し て と ぶ ら ひ 給 へ か し 。 ( 同 ) と懇望する。このすなおさがと-もなおきずあてはかさである。これはさらに端的に、兼雅が仲忠の勧めに同意 して女三の宮を三条に迎えるために一条の旧邸におもむいた時の久しぶの-対面の場に現われる。つらい人との 再会であるが'怨みのそぶ-もなくきわめて平静である。巻は蔵開下へ ( I . ) , ) おはする所ありさまむかしにをとらず'御しとねしきて、みすのまへにゐ給へ-。営はむかしの御かたちに ︹ お ノ ( 浴 ) こ と に を と り 給 は ず ' あ や か い ね -の こ き う す き ' を -物 の ほ そ な が な ど た て ま つ -て ' 御 ひ を げ き よ ら に ( ゐ ノ て お は す 。 す ぴ つ に 火 な ど お こ し た -。 卿 だ い ひ と よ ろ ひ ' ご さ な ど し て ' れ い の や う に て 物 ま い れ り 。 (14ウラ) (一一七三以下)ト と書かれている。十五年の歳月が消えて昔がただちに今に連続しているかのようである。男にはなはだしい気ま
- 22 -ずさを感じさせないやさしさとも評されようか。二人の話あいは静かに進行する。次の一節を見よ。・ ① ⑧ 営 ' さ ら に と し ご ろ 見 ざ り つ る と も お ぼ し た ち で ' い と お い ら か に ' 「 よ の 中 は ' い と よ -か -て も あ _ う ぬ ③ ( 醍 ) や 。 た ゞ く る し -お ぼ ゆ る は ' 身 の う へ も み や も ﹃ 心 と 世 の 中 に す み は ふ れ て ' み か ど き さ き の 御 お も て を ( と J ( 宣 ふ ) ( ゐ ) ④ ( 宜 ひ ) ふ す る こ と ﹄ ゝ の 給 ・ な れ ば ' え ま い ら で と し を ふ る な む 。 か な し さ は ' 昔 は 心 ば し こ そ の 給 ・ し か ' と き ( ゐ ) ( A ) ( ぞ ) ぐ は ま い り か よ ひ し 物 を と 愚 ・ な む 。 そ わ う の 御 う へ は お も ひ た ま へ ら る ∼ 。 さ れ ば い ま は と も か -も し なしすてられなんま、にをとなん,一日中納言にものせし」AJ(伽凱2,33どに,おとゞ(⋮)*まへにむかしのや ( ゐ ) う に て 細 だ い ま い れ り 。 ( 1 5 オ モ テ ) ( 二 七 四 ∼ ) この人の理性的な性格をよ-書けていると思う。ただし'本文批判や解釈に考えてお-べき点があるので念の た め に 説 明 を 加 え る 。 ① 「 い と よ -」 を 坂 本 「 い と ゞ か -」 と あ る の は 誤 -で あ る 。 ④ を 「 あ わ ぬ べ し や 」 と 攻 め る の も ま ず い 。 ③ は 「 身 の う へ 」 で は 意 味 の わ か ら ぬ 文 に な る 。 必 ず や 「 院 の 上 」 と あ る べ き で ' ( 院 -ゐ ← み←身) の誤写経路が考えられる。「院の上」は嵯峨院すなわち父みかどであ-'「宮」は母大后を指す。④以 下「しばしこそ宣ひしか」は父みかどたちが三の宮の結婚に反対でしばら-は御叱-もなきつたが」という意で ある。「時々は参-通ひし」は敬語のない点からも'三の宵が父上母上のもとにゆききした意に解すべきであ る。「そわう」は孫王で'当然梨壷の御方を指す。「恩ひ給へらるる」は謙譲表現だからへ 「思われます」 「心 配になります」である。女三の宮の語る詞だけを口語訳して私の解釈の責任を明確にする。 世の中の事は結構このままですごせますのよ。ただ心苦し-感じますのは'父の院も母宮も「わが心のつた なさから'男にまで捨てられて'うちのみかどや中宮にお恥ずかしい思いをさせることよ」と仰せられてだ そうで'恥ずかし-てとても参れないで長年すごして来た事です。悲しいのは、以前はしばらくは不覚な結 婚を責めてでしたが'やがて御怒-も和らいで時々は院にも参っていたのに'と思う事だけです。それに 孫王(梨壷)の事は心配です。ですからもうどうでもあなたのなさるまま'お捨てになればそれであまんじ てT と先日中納言にも申しました。
宇浬保物語登場人物論拾遺 - 23 - .′ 静かなる恕-と評すべきか。情に流される事のない人である。玉琴ではこの一節も大き-改作し.てしまってい て、有朋堂文庫.・古典全書もそれに従.っているが'認めがたい。古典文学大系は旧本に近-なっているが'本文 にも解釈にも同意しがたい点がある。詳論を省-0 中の君の事は上にも解説したが'女三の宵とは対照的である。彼女の貧窮をもたらしたのは'半分は彼女自身 の才覚のなさであった.おなじ-身の宿世を嘆-言葉にも性格の差異が示されている. 0 わ れ か -て い み じ き さ ま を 見 え ぬ る は さ も あ ら ば あ れ ' こ と よ に や は へ た る ' か -な し た る に こ そ あ め れ ' これをか-すと見えぬるはいみじ-かなしき事。わがきいはひな-へ はぢをみるべきす-せのあ-ければ' (うき目カ) こ ゝ ら の 年 月 こ そ あ れ ' か ゝ る 年 月 を ノ み る こ と 。 ( 1 4 オ モ テ ) ( 二 七 三 ) この中の君の言葉には、.女三の宮の言葉に比べると'抑制がない。子供のように単純である。この君の姿態を 蔵開下に次の如-描いている。 ( お ) ( の ) ( ひ ) ( つ ) 君 ' よ べ お と ゞ の つ ゝ ま せ て お は し た る あ や か い ね -、 を -物 ・ ほ そ な が な ど き 給 ・ て ' と し 四 十 に 一 ・ ( つ ) ( ら ) 二 ・ た う ね ど ' い と あ て は か に こ め き て ら う た げ な る か ほ し て ' か み た け に 二 尺 ば か -あ ま -給 へ -。 い と ( A ) わ か -見 え 給 ・ 。 ( 3 5 オ モ テ ) ( 二 三 〇 ) 親王家の姫君としての'あてにこめきたるらうたきがこの人の身についたものであった。 兼家が特に愛していたのは'故源宰相の娘'西の一の対の君であっV.住まいに書き残した歌を見て'この人 ( り ) にだ排は「いかでこれが返・事せん」と思った程である。この人の人がらが-わしく語られるのは'楼の上の上 巻である。兼家が'この人を追想して言う。 ( 香 ) 心 ふ か -お か し う ' か た ち な ど も こ と な む な か -し を ' い か で こ れ ば か -を あ り ど こ ろ を き か ま し か ば た づ ね て し が な 。 ( -オ モ テ ) 二 六 七 一 )
- 24 -仲忠が父の心を休して探しているうち'石造寺でこの君とその子(小君) に出逢う。そこで仲忠が受けた彼女 の 印 象 は ' 日 -れ て ぴ や う ぶ の も と に て た い め ん し た ま へ -。 い と あ て に ' げ は ひ な ど も し き ぶ ぎ ゃ う の 君 よ -も 心 に -ゝ は づ か し げ に も の し 給 へ -。 院 の 女 御 の 御 こ ゑ に お ぼ え 給 へ -0 ( 4 オ モ テ ) ( 一 六 七 八 ) というのであった。「院の女御」は仁寿殿へ声が似ているとは'やは-計算された表現であろう。とすれば'故 源宰相が'源正頼と血縁の近い一世の源氏である事を暗示した-のでもあろう。小君が伸忠と共に詩を詞する声 のよさや、琵琶の巧みさを通してこの人の才芸の非凡さも知らされる。故源宰相も「心はえに-ませたまはじ」 と言って兼雅に将来を托したのであった。筆蹟もみごとで'兼雅は内侍のかみに' ( 杏 ) ( さ ) ( 杏 ) こ れ 見 た ま へ 。 て と こ そ へ こ の け ぢ か -見 し 人 々 よ -は よ -か き た れ 。 み ど こ ろ あ る ・ ま に お か し く ぞ か き た る や 。 ( 6 ウ ラ ) ( 〓 ハ 八 五 ) と推賞し、内侍のかみも'一所に住んでむつまじ-しだいと願う。か-て母子ともに三条の東の一の対に迎えら れることになった。仲忠がその前日訪れて、この君をかいまみる。 ( は ) い と こ -ろ き う ち さ の つ や ゝ か な る ひ と か き ぬ う う す き は な だ の あ や の み -わ た か さ ね て き て ゐ た る 人 の ' か み い と を よ -か け た る や う に つ や ∼ か に な が げ な -。 ひ た ひ に か ゝ れ る ほ ど ' い と う つ -し げ な り 。 ( の ) そ び や か に な ま め か し き か た ち 、 な い し の か み ・ 御 や う だ い か た ち に お ぼ え た -。 ( 7 ブ ラ ) ( 〓 ハ 八 七 ) 旧一条の夫人たちの中ではずばぬけた容姿である。その子中君も愛らし-'生いさきを楽しませるすぐれた資 質を見せていて'相依って懸命に生き.てゆ-母子の姿は'美しいというほかはない。尚侍と似ていると書いてい るのも、あるいはへ俊蔭の妻となった一世の源氏と故源宰相との血縁的つなが-を暗示したものかも知れない。 ( り ) ( こ き う ち き ば か り ) ( ひ ) ( ひ ) ( 杏 ) あ -し 君 T か い ね か の こ う ち す き は -き 給 ・ て ' つ る は ぎ に て へ い と ち ゐ さ -お か し げ な る ぴ は を か き い だ ( A ) き て ' ま へ に ゐ 給 へ ば ' い と う つ -し と 愚 ひ 給 う て か み か き や -給 ・ て つ き ' い と う つ -し げ な -。 こ の 君 ( 杏 ) ( 杏 ) ( 杏 ) ( ひ ) ( ひ ) び は ぜ ふ と お か し -ら う -\ し -お か し -ひ き 給 ・ つ ゝ ' 君 「 い ま き へ こ の ち ゐ き き び は を ひ き た ま ふ は い
宇津保物語登場人物論拾遺 - 25 -( 浴 ) ( て ) と み ぐ る し か ら ん は 」 と の た ま へ ば 、 「 さ は 、 を ん ひ ざ に ゐ て ひ さ は べ ら ん 。 た ゞ た ふ れ に ・ は べ -」 と ( A ) て ' お ぼ き な る を ひ き 給 ・ ' い と 上 ず な り 。 ( 7 ウ ラ ) 二 六 八 七 以 下 ) 御匝殿にたよって一条を去ったいもうとの君と'忠こそ律師に引き取られた千蔭のいもうと君については'そ の後の消息もない。兼雅の色好みの多様さを語る道具立てにすぎなかったと見るべきである。 梅壷の御息所は'倭の上の上の巻で'兼雅に迎えられて三条に来るが'これは御息所の方から怨みかけて'そ れがきっかけとなったものであった。色好みと騒がれた女人の末路のさびしさを思わせる。この人は忠こそが十 四歳の時にすでにみやすどころと呼ばれているのだから'兼雅よ-も多少年上であったと見るべきであろう。 かように'色好み兼雅をめぐる女君たちをさまざまに描きわけようとする構想は'宇津保物語の一つの新機軸 であったと認めることができる。それはまだ低次の着想であったのであるが'ここから1つ脱皮したものが'源 氏物語であったとも言える。兼雅をして説かしめる' ( 杏 ) か う い の か た は ' ら う / ー し く ' く せ ぐ し く も の し た ま ふ 。 し き ぶ き ゃ う の 君 は ' 心 お き な -て ' め の と の も の い ひ な め し 。 た い の 君 は ' お い ら か な れ ど ' こ ゝ ろ ふ か け れ ば こ そ ' 人 々 の 御 た め に も 心 や す け れ 。 (楼の上へ 上'16ウラ) (一七〇七) と。字津保の物語に散見する品定め趣味の一つの現れである。このあた-にも宇津保から源氏へとつなぐ線が見 え て -る 。 三 左大臣源正頬の子息たち 作者は'一世の源氏である正頼を一代の子福者と描き出した。女の子が十四人'男の子が十二人(十三人かも 知れない)'これを二人の北の方が生みひろげたりライバルの兼雅が二十人にも及ぼうという多-の女性と交渉
- 26 -を持ちながら'男の子が二人と女の子が一人だけというのが対照的である。作者ははじめは正額の家の子どもた ちを'「変化の者な-'天女の-ど-てうみ給へるな-」と'理想的な一族として設定したが,これは九の君を はじめとする女君たちに焦点を置いたものでもあつたが、物語の後半になると'超人的性格は消滅する。正頼が みずから一族の凡俗さを慨嘆するようにまでなるのである。 ( 上 ) ま き よ り こ ど も あ ま た も て 侍 れ ど ' ま こ と に は ' -や し う お も て ふ す べ き は 侍 ら ぬ ど ' 大 ず に ま じ ら は ん に ■ ′ お ) ( る ) を も だ ゝ し く 侍 ・ べ き も な く 人 の あ そ ぴ せ ん r J J こ ろ に は -さ か -ぶ え ふ -ば か -の 心 ど も に て ' い と む し (ものは) ん に て 侍 り 。 か ら う じ て と ざ ま に ま じ ら ひ て も は 首 な か -し か は ・ ' は か な -て ま づ か く れ に き 。 さ れ ば か た じ け な く と も ' い ま は た お や も お は し ま さ ぬ を へ た の も し げ な -と -と の ∼ 御 か は り と お む は せ 。 ま さ よ ( へ ) -は む か し 侍 -し も の ∼ か -な -給 へ る と 思 ひ 給 え ん 。 ( 国 謹 上 へ 5 3 ウ ラ ) ( 三 一 六 一 ) 新中納言源実忠に'心を攻めて出仕するように勧奨する言葉である。この正頼の言には現実主義的な思慮が見 える。藤壷および才一皇子の後盾となるべき一族に人材が不足することを思って'同族の実忠の才を惜しんでい るのである。来るべき立坊争いは決して楽観を許さない情勢になって来た。・朱雀院の中宮を核として敵方に動員 され得る藤氏の人々には'新太政大臣・右大臣・右大将・大納言・宰相等が地位を強化して来たLt次のみかど たるべき東宮は中宮の腹である。正額の子息たちは数は多いが上達部は忠澄師澄祐澄の三人だけで,それも比較 的下藤である。正額の焦慮はそこにあった。物語の冒頭で「変化の一族」とたたえたのは、遊仙文学の系統を引 く浪漫主義であったが'物語の後半で人材の乏しきを嘆いたのは'現実主義への変貌であったと言えよう。 源正頼の家の息女たちについては旧稿で論じたのでへしの稿では息子たちについて'従来誤解があつたと思わ れる諸点をあげて'弁証しておきたいと思う。 藤原の君の巻で、あて宮十二歳の時点での兄弟姉妹たちおよそ二十七人ばか-を絞ま--に説明しているが, この説明自体にい-ば-かの矛盾がもともとからあったように見うげられる。あるいはこの部分は'物語者の手 控えのように書いて添えられたものであったかも知れない。太い殿の御方の御腹に男四人女五人、宮の御腹に男
字津保物語登場人物論拾遺 - 27 -八人女九人と書いているが'「十一郎ちかずみ」のあとに男の子が二人生まれだとすると、男十三人になって一 人だけ説明の誤差が生ずる。だからといって近鐙を最後に生まれた二人の中の1人とするような本文改変はとん でもないまちがいである。「ちかずみ」と名の-を持つことは元服している事を示すのをへ六歳の宵あこと同年 とするような改変は'その改変がいかなる性質のものであるかを暴露している。 きてこの前後の本文が誤脱のきわめて多いことは周知の事であるからへ この子どもの人数の誤差は'本文の高 部批判で解決できるかも知れないが'誤差をそのまま誤差としてさしお-べきである。片桐洋一氏が、「宇津保 物語登場人物綜覧」 (宇津保物語新教所載)において'物語中に八郎に該当する人物がどこにも姿を見せない点 に注意して'原態は「十郎ちかずみ」であったろうという解釈をしていられるのは'傾聴すべきである。私は, 藤原の君冒頭の絞ま--的人物紹介には'もともと未完成な点があった一のではないかと思う。「おほいどのゝ, ( 香 ) おとこよところ」の方が修正を忘れたままに残ったもので.あるかも知れない。あるいはまた'作者の初案に大い 殿腹の家あこがなかったかも知れない。それが嵯峨院の巻あた-で、宮あこと並んで陵王を舞わせる要求から一 人加えられた。そこで'藤原の君の紹介文の一部を修正して' ( A ) 又さしつゞき.材払出とーし」叫おとこぎみムー吋むむ卑矧が引うみ給・.(2) (一二四) とした。傍線の字句が添加された'と仮定してみる事もできる。年齢の紹介の部分で' ( 君 ) ( つ ) そ の 御 お と ∼ の お と こ 営 ' 六 ・ に な ん お は し ま し け る . ( 3 ウ ラ ) ( 一 二 七 ) が複数の表示がないのは、宮あこ一人を言って,修正もれでもあろう。.(注七) 「か-て太郎君」以下の詞章が'牙二次的にはめこまれたかにも感じられる0 「 い づ れ も -か た ち き よ ら に こ ゝ ろ よ -」 と 総 括 評 を 添 え て 結 び な が ら ' すぐ上がへ一往紹介を終えて' また各個に紹介するのも'木に 竹をついだ感がある。この中で「八郎」という文字に続-べき語が見えないのは'脱落とも'本来空白のまま残 っていたとも考えられる。 総じてこの冒頭紹介の詞章は'物語の展開に従って修正を加える予定であったかと思われるふしがある。冒頭