1.伝 統 の 現 代 化
人文科学と人工知能の互恵的関係を考える本企画にお いて,伝統文化の継承について考える機会をいただいた. 陶芸の土練り動作やサンバの演奏・ダンスなどを分析し ているので [Matsumura 11, Yamamoto 08],伝統工芸 や芸能に興味があると思っていただけたのであろう. 情報処理技術と人文科学の接点を意識したのは 1999 年冬に King’s College Londonを訪れた際のことに遡る. 当時,Computing in the Humanities と銘打ったセン ターがあり,主宰者と会って活動の概要などを教えてい ただいた.なぜそのセンターを訪問する気になったのか はよく覚えていないが,察するに文献研究(解釈)に検 索技術が使われて成果を上げているということを知って いたからであろう.なぜ文献研究に興味があったかとい えば学部で哲学を専攻し,原書で哲学書を読まされてい たからである.残念ながら自分には文献読解の才能がな いとわかって人工知能分野に転向したけれども,計算機 を使った文献研究なら自分にも何か貢献できることがあ るかもしれないと思ったのではないか. 知人の音楽学者(富田 庸氏)の研究成果をもとに J. S. Bachの手書き譜(後代に写譜されたものも含む)に関 するデータベースを構築し,インクの成分や筆跡,音符 の書き方など事細かに楽譜の特徴をデータ化したことも ある [Tomita 02].人文科学と人工知能の互恵的関係と いう観点からはこういったテーマが本道であろう.いく つもの手書き譜を分析することで,時代とともに Bach の音楽がどのように受容されていったのか,地域ごとの 違いはどのようなものであったのかといったことが明ら かになる [Niitsuma 09].音楽的感性といったものは時 代とともに変化するものであり,今の時代に生きる我々 が過去の人達の音楽の感じ方を理解するのは容易ではな い.録音もない時代だから,ある地域・ある時代にどの ような演奏をしていたのか推察するだけでも大仕事であ るが,データを分析することでおぼろげながらも時代と 地域による違いと連続性が見えてくる可能性がある.し かし,この仕事は未完である. 2002年頃から陶芸家や陶芸を学ぶ人達と関わるよう になり,伝統工芸に目を向けるようになった [Abe 03, Yamamoto 04].とはいえ,やったことといえばモーショ ンキャプチャ装置をつけて粘土を練ってもらうことくら いである.熟練者と初心者の違いがわかり有意義であっ たが,体の動きを探ることで作陶の文化に迫れたのかと 問われれば答えに窮する.石川県立九谷焼技術研修所(石 川県能美市)に出入りしていて聞いたことのなかには, 粘土を練る回転方向が西と東で違う,時計回りと逆時計 回りがあってその境が萩焼辺り,などという面白いもの もあったが,全国津々浦々,あらゆる工房を回って土の 練り方の違いを明らかにし,そこから技術伝搬のルート とスピードを推察するといった研究をするのかと問われ れば,そこまでの情熱はないと答える. 身体文化というものが存在するか否か.伝統文化とい う表現には文字を介さず人から人へ,師弟関係を通じて 伝わっていく含みがある.古い時代のことだから伝統文 化を担う人達の多くは文盲であっただろうし,遡れば文 字がない社会だったこともあるだろう.ゆえに伝統文化 を身体文化と言い換えても意味はほぼ保たれるはずだ. しかし,身体に付着した文化 [Mauss 73] とは一体どの ようなものであろうか. この問題に直面したのはサンバの研究をしていたと きであった.毎週のように近所の高校に通い,ブラスバ ンド部の人達にサンバのレッスンを受けてもらって,そ の習得過程を一年半かけて調べた.しかしその成果を論 文 [Matsumura 11] として発表するにあたっては多くの 困難があった.草稿を読んだ方々から受けた指摘を要約 すると,「体の動きを明らかにして知能を研究したこと になるのか」ということになる.指摘されて初めて,自 分達があることを暗黙裏に前提としていたことに気付い た.すなわち,人の動作は知的であるという前提である. 人のやることの何が知的であって,何が知的でないの か.人は話すから言葉を調べ,文法を明らかにし,意味伝統文化の継承と AI
─手仕事の技を現代に生かすには─
Cultural Heritage and Artificial Intelligence
藤波 努
北陸先端科学技術大学院大学Tsutomu Fujinami Japan Advanced Institute of Science and Technology. [email protected], http://www.jaist.ac.jp/~fuji/
Keywords:
skill acquisition, needlework, craft.論を構築する.これは知能の研究であろう.では,人は 動くから動作を調べ,その規則性を明らかにし,意味論 を構築する [Israel 91].これも知能の研究といってよい のではないか.動作にはスピードやパワーなど物理的側 面もあるが,我々が注目しているのは物理的側面ではな く,動きの規則性や意味である.しかしこのような考え 方が異質であることは否めない.踊りに意味があると考 える人は少ない. 伝統文化と呼ばれているものは多くが言葉で伝えにく く,そのため観察と模倣を通して伝わっていくが,動き の規則性や表現される意味については未知であることが 多い.伝統の伝承過程を推察するのはさらに困難である. 文字で書き残されているものが少ないことが障壁となっ ている. 興味深いことに我々の調査に興味と理解を示してくれ るのは人類学者であったりする.我々の活動はエスノグ ラフィーのようなもので,現地調査をセンサや装置まで もち込んで緻密にやっているように映るらしい.目には 見えない微細な変化を機械で拾っているのだから,そう いう解釈もあり得るだろう.実験室でのデータ収集では なく,現場でデータを集めることを重視するのは我々が 文脈を大事にしているからとの好意的解釈も成り立つ. 技能継承者の技を民族誌的に詳しく記述し,記録す ることは重要であるが,本論ではアーカイブ作成 [藤本 03]のようなテーマではなく,そのような技を現代にお いてどのように生かしたらよいかという課題に焦点を当 てる.なぜかといえば伝統文化というものが絶えつつあ るからである.例えば実際のところ,陶芸で土を手で練 る機会はあまりない.粘土は機械で練れるからである. 作陶の技法は貴重な伝統文化であるが,文明の発展が文 化を衰退させるという皮肉な結果をもたらしている.し かも伝統工芸は手間がかかる割に儲からないから,後継 者がなく,技能が途絶える恐れがある. 後世のために映像記録などを残していくことに価値は ある.しかし生活の中で生かされない文化資産に何の意 味があるだろうか? 伝統文化と呼ばれているものも過 去には最先端の技術を用いており,時代とともに進化し ていた.「伝統」の対義語は「現代」であろうが,伝統 的なものは過去において現代的なものであった.時代の 変化から取り残され,過去の遺産としてショーケースに 展示される伝統に意味はない.伝統からいかに良いもの を探り出して今日的な姿に蘇らせるかが重要である.人 工知能は伝統の現代化という課題に対して重要な貢献が できるはずだ.
2.編み物の世界に学ぶ
2・1 身体技能の活用と継承の可能性 伝統文化はいかなる形で生き残っていくだろうか.伝 統文化を職人が担うものと捉えると明るい未来は描きに くい.一つのものを仕上げるのに手間がかかるので,ど うしても高価になり,買い手が限られる.なかなか売れ ないが売れたところで人手をかけているから利益は少な い.仕事はきついのに収益が期待できないとなれば,担 い手が減るのもやむを得ないだろう. 伝統文化を衰退させているのは機械文明である.大量 生産と大量消費で成り立っている消費社会で一品ずつ丁 寧に手づくりしていては経済的に立ちゆかない.市場に 出たときの値段が違いすぎて勝負にならないのである. そうだとすると伝統文化の生き残る先は,大量消費社会 とは別種の社会に求めなければならない.そのような社 会とはいかなるものであろうか. 一つの可能性は「自分がほしいものを自分でつくる」 運動に見いだされる.各地に Fab Lab がつくられ,相応 の費用を負担すれば誰でも自由に工作機械などが使える 環境が整いつつある.自分が製作者であり,供給者であ り,利用者でもあるので利益を考える必要がない.こう いった趣味的な自作の世界では採算を度外視してでも質 を追究できるので,手仕事の技が受け継がれていく可能 性がある.Fab Labや Make: といった新しい運動の盛り上がり
を待たずとも,古来から受け継がれ,多くの人が実践し ている技がある.それは編み物である.既製服が手軽な 値段で買えるのに手芸店はいまだ健在である.週末とも なれば多くの愛好家が店を訪れ,毛糸などの素材を品定 めしている.毛糸から編むことを考えたら,すでに出来 上がったものを買うほうが安上がりなはずだが,なぜ多 くの人が毛糸を編んで自作するのであろうか. 気に入るものが売られていないということがあるだろ う.市場になければ自分でつくるほかない.市場になけ ればあきらめるのが普通だが,手を動かすのが好きな人 であれば自分でつくってみようと考えても不思議ではな い.つくること自体が好きという人もいる.身に付ける ものは自分でデザインしたいという人もいるだろう. 最近,スマートファブリックとかスマートテキスタイ ルと呼ばれているもの [Cho 10] に興味をもち,自分で もつくってみようと思い立って編み物を始めた.生まれ てこの方,編み物をしたことがなく興味もなかったので, この挑戦を通していろいろなことを知り,身体技能の行 く末を考えるきっかけとなった.編み物体験を通して身 体技能の活用と継承の可能性を垣間見たので,以下では 編み物の世界を取り上げる. 2・2 映 像 の 力 編み物を始めようとしたときに困るのは,本を買って きて編み方を示した図やイラストを見ても何をしている のかよくわからないことである.通常,要点を図示し, 連続写真のように一連の動作を説明していることが多 い.しかし,これらの図を頭の中でつなげて動作を再構 成するのが難しい.ひと編みするだけで位相が大きく変
化する.変化が急で非連続なので,編み物の経験がない 者が連続写真やイラストを見て編み方を理解するのは不 可能といってよい. 本ではよくわからなかったので,手芸のテレビ番組 (NHK の「すてきにハンドメイド」)を録画し,同じとこ ろを何度も見返すことで少しずつ理解できるようになっ た.編み物の本は多々出版されているが映像が添付され ているものはほとんどない.かろうじて 2 冊 [日本 16a, 日本 16b],DVD が付いている教則本を見つけたのでそ れらを購入した.また動画共有サイトに多くの編み物映 像がアップロードされており,それらも有益であった. 動画がなかったら編み物を独習できなかったであろう. ある程度技術が身につくと,動画共有サイト上の編み 物動画はまた別の楽しみを提供してくれる.同じような ことをするのでも国によって編み方が異なっていたりす るので,「ドイツではこんな編み方をするのか,さすが 合理的だな」といった発見がある.個人でユニークな編 み方を披露している人がいて,「よくこんなやり方を思 いつくなぁ」と感心することもある.動画共有サイト上 の編み物動画は結構閲覧されているようで,編み物史上 初めて多様な編み方が広く知られるようになったといっ て過言ではない. ネット上で動画が見られるようになる前は人から人へ と直接,技術が伝えられていただろう.どう考えても本 を読んだだけで編めるようになるとは思えないからであ る.編む技術は母から娘へ伝えられたり,友達の間で教 え合ったりする形で,ごく狭い人間関係のなかで継承さ れてきたと推測される.そのためそれぞれの系統で独自 の編み方が発展したのだろう. 2・3 デ ザ イ ン 販 売 どのように編むかというだけでなく何を編むかという ことも重要である.素人がいくら工夫しても美しいもの はできない.従来は気に入ったデザインが載っている本 を買ってきてそれを見ながらつくることが多かったよう だが,編み物の世界でもインターネットが活用されてお り,写真を見て気に入った作品のパターンを買うことが できることが多い [オチアイ 13].一冊の本を買うと特 に興味のない編み図も含まれるが,ネット上ならほしい パターンだけ買えるので合理的である.このあたり,ア ルバムごとではなく一曲ずつ買えるようになった音楽販 売と似たところがある. 自ら手を動かして糸から作品を編んでいてはなかなか 利益が出ないが,デザインしたパターン(編み図など) を売るなら手間がかからないのでそれなりの利益がある のではないかと推察される.編み物の世界をビジネスと して見たとき,製品ではなく意匠を売ることが目指すべ き形態ではないかと考える. もう少し事情を検討してみよう.手の込んだ,美しい 民芸風の靴下がネットで二万円で売られている.靴下に 二万円は高いと考えるのが普通だろう.しかし,その一 足の靴下を編むのに 70 時間かかると知ったらどうだろ うか.本誌を読んでいる読者の時給は数千円を下らない だろう.仮に読者の時給が 3,000 円だとする.70 時間 に 3,000 円を掛けていくらになるかといえば,21 万円 である.仮にその靴下を編んだとしたら 21 万円で売ら ないと赤字になってしまう.靴下一足に 21 万円払って くれる人はいないだろう.あなたが有名人で何万人とい うファンを有していない限り. コンビニエンスストアでアルバイトとして働いても時 給 800 円くらいはもらえるから,その給与から計算する と 6 万円くらいになる.これでもまだ高い.逆に計算す ると 70 時間かけてつくったものを二万円で売ったとき の時給は 300 円である.時給 300 円で人が雇えるとこ ろはどこかを考えてみると,発展途上国しか思いつかな い.大手服飾販売企業がバングラデシュに進出する理由 がわかる.しかし,靴下一足に違和感なく払えるお金は 1,000円くらいだろう.1,000 円を 70 時間で割ったら 15 円にもならない.時給 15 円で働いてくれる人は地球上 にいない.ゆえに,編み物は合理的な経済観念を有した人 のみで構成される社会では途絶えるほかないのである. 趣味としてなら生き残るかもしれない.採算や経済的 合理性を無視してくれる買い手がいれば編み物が継承さ れていくだろう.その場合でも,物をつくって売ってい ては利益が出ないからアイディア(デザイン)を売るほ かない.設計図 1 枚に 100 円の値を付け,1 000 人が買っ てくれたら 10 万円の売上げになる.まともな生活をし ようとしたら,専門家はそのやり方で生計を立てるほか ない. 2・4 人工知能を使った支援 編み物にはデザインと製作という二つの工程がある. 図 1 エストニア風靴下の製作開始から 7 時間経った状態
このうち利益のあがる見込みがあるのはデザインのほう であるが,つくってくれる人が大勢いないと売上げが期 待できない.ゆえに編み物を楽しむ人の数を増やすこと が不可欠である. 2011年の社会生活基本調査(総務省統計局)[総務 省 13] を見ると,編み物・手芸をたしなむ人は人口比で 10.1%となっている.女性に限れば 19.1%なので,女 性五人に一人が手芸をすると推察される.これがどの程 度の割合かといえば,楽器を演奏する人が 9.6%,パチ ンコをする人が 10%というのが比較対象となるだろう. 男性でパチンコをする人は 16%だから,女性の手芸愛 好者のほうが人数としては多い. 一年に何日くらい編み物をするかというと,女性で平 均 19.3 日らしい.男性がパチンコに行くのは年 16 日と いうから,それに近い.おおよそ月に一度か二度といっ たところだろうか.しかし,週に 4 日以上編み物をする 熱心な人も 50 万人程度はいるらしく,女性 100 人に一 人くらいの割合でそういう熱心な人がいる勘定になる. 体験的にも納得できる値である.一人の熟練者が四人の 経験者からの相談に乗るという構図も浮かぶ. 編み物をする日数が延びること,また編み物に親しむ 人の数が増えることで編み物の世界が盛り上がる.しか し,現実には編み物人口は頭打ちである.男性愛好家も 少ない.なぜだろうか.自分の経験を振り返りつつ,障 害を特定し,対策を提案する.その提案に人工知能の応 用が含まれる. 2・5 どう編むかではなく,何を編んでいるのかを 教本を探していて戸惑うのは,初心者向けと銘打って いるものであっても,ある程度経験がある人を対象とし ていることである.完全なる未経験者を考慮して書いて くれているものは皆無といってよい.比較的丁寧に説明 してくれているもの [松村 13a, 松村 13b] を手元に置い て参照しているがわからないことも多い.一本の糸が自 らに絡むことで形が安定しているということすら,経験 のない者にはわからない.一段目と二段目では半目分ず つ目の位置がずれているということにも気付かない. 編むことで何をつくっているか,それがどのような構 造なのかという説明がないのである.糸を結ぶことで形 ができるので,位相的な分析があってもよさそうなもの だが編み物の数学的な分析はわずかであり,調べた限り では英語のもの 2 冊 [Belcastro 07, Taimina 09] しか存 在しない.理論が存在しないのは学習者にとってきつい 状況である.職人技の世界にもときどき見られることで あるが,体で覚えることが重視され,分析が疎まれる雰 囲気がある. 人工知能を応用するにはまず編み物の数理モデルが 必要である.代数や群論で編み物のモデルが記述できる だろう [Grishanov 09, 伊藤 01].しかしそこに至る前に 世界各地で編み出されてきたさまざまな技法をデータ化 し,そこに見られる規則性を概念として特定しなければ ならない.そのような作業を進めていくうえで,言語理 論が有用と考える. 一つの編み物作品は文章に似ている.編み物のパー ツはパラグラフに相当する.パラグラフが複数の文から 構成されるように,編み物のパーツは編み目のパターン が複数組み合わさって構成される.編み目のパターンは 糸を絡ませる方法を複数(直列に)並べることで構成さ れる.このパターンは正規言語で記述できる.実際,英 語の本を見るとアルゴリズム的に編み方が説明されてい る.自動織機から計算機が生まれてきたように,編み物 と計算は密接に関連している.自動織機で使われていた パンチカードは編み目のパターンを記述している.複数 のパンチカードをつなげることで編み物のパーツが出来 上がる. 人間の手は機械よりも複雑なことができるので,パ ターンの記述も複雑になるが,原理的には可能である. パターンが数理的に分析できれば,世界各地で受け継が れ発展してきた民族色の強い編み物を系統的に整理でき るだろう.そのような系統樹があれば,パターン間の類 似度も導き出せるようになり,検索がやりやすくなる. 気に入ったパターンを例として入力すると好みに合いそ うなパターンを一挙に表示することもできるだろう. ひとたび理論が整理されれば,デザインと製作の両面 において人工知能の応用が飛躍的に進む.デザイン面で いえば,簡単なスケッチを入力して,そこから対話的に テクスチャ(質感)や伸縮性,色などを決めていって最 終的に設計図まで落とし込むことができるだろう [Cre 14, Yano 05, Yuksel 12].その過程で類似検索を使って 過去の作品を閲覧することで,発想上のヒントも得られ る. 製作過程については,編み棒に圧力センサ,ジャイロ (傾き)センサ,加速度センサなどを組み込んで編み手 の情報をさらに詳しく収集することが考えられる.編み 物の難しいところの一つは糸の張力(テンション)をど のように制御するかというところにある. ヨーロッパ式編み方であれば左手人差し指に糸を掛け て,編み込まれていく糸が緩まないよう,この左手人差 し指を反らせて制御するのだが,きつすぎると編みにく いし,編まれたものの目が詰まって堅くなるなどの問題 が起きる.しかし,どのタイミングでどのくらい糸を引 いたらよいかが初心者にはなかなかわからない.筋肉の 緊張と弛緩は視覚的に確認しにくいものなので,どれだ け注意深く観察してもわからない.糸にかかっている張 力が測れれば学習上有益である.どのタイミングで,ど のくらいの張力をかければよいのか,PC 画面上のグラ フなどから視覚的に確認できるからである. 編み棒を使う角度変化や速度も重要である.適切な角 度で編まないと余計な力がかかり,疲れやすいばかりか 仕上がりが美しくない.編み棒の動きがセンサで追跡で
きれば今どの部分,どの目を編んでいるか画面上に表示 することもできる.編み物の厄介なところは今,何段目 の何目を編んでいるのか,数えながら作業しなければな らないことである.ふとしたことで数え間違えたりする ことは(特に初心者であれば)日常茶飯事である.編ん でいる位置を常にモニタできれば数え間違いが防げるだ ろう. 多くの熟練者からデータを集められれば編む技術が 明らかになるだろう.技術レベルが判定できるようにな れば,自分のレベルよりも少し上の人のやり方を見てま ねることで段階的に技術を向上させられる.編み方にも 多様なスタイルがあると思われるが,自分のスタイルに 合ったものを探し出せるようになる.適切なお手本を選 ぶことで早く上達するだろう.
3.手仕事の技で生活を豊かなものに
編み物を例として,人工知能が伝統文化の継承と発展 にどのように寄与できるかを思考実験した.効率よりも 質を追究する工芸では,専業が経済的に困難である.そ うであれば,趣味として継承・発展させていくしかない. しかし全員が趣味として嗜む程度になってしまうと,新 しい技術が生まれてこなかったり,斬新なアイディアが 出てこなくなったりする恐れがある.優れたアイディア をもった人の努力に経済的にも報いるには,意匠を売り 買いできる仕組みがいる.物では得られる利益に限界が あるので,意匠のほうを売るのである. しかしながら意匠を売って生計を立てていくには,そ の意匠を使って編んでくれるアマチュアが大勢いなけれ ばならない.すそ野を広げないと頂点に立つ人を支えら れないのである.そのためには編みやすくする工夫,学 びやすくする工夫がいる.身体技能の難しさは観察しに くい微細な変化にある.編み物の場合は糸の引き方,編 み棒の動かし方にコツがあるので,それらを明らかにす るためセンシング技術を適用する.動きの内容が詳細に わかれば,編み間違いをすぐに指摘できるし,技術レベ ルも効率的に向上させられる. 人工知能はデザインと製作の両方に生かせる.好みの 形,色,質感の作品をアルゴリズム(編み図・つくり方) に落とし込んだり,所定の設計に対して製作中のものが 正しく実装されているかチェックするといったことが可 能になる.デザイナを見た目のつくり込みに専念させ, 編み手に安心感を与えることが可能であろう. 実現のためには編み物の数理モデル,および作業時の 編み針の動きに関するデータが膨大に必要となる.しか しそのために必要な知識や技術はかなりの程度,すでに 我々のもとにあると考える. 本稿では編み物を素材として伝統文化の継承と発展の 道筋を探った.伝統・現代の別を意識するとき,伝統は 時代の変化から取り残された遺物として扱われがちであ る.大量生産・消費の波に乗れず,高価な一点物として かろうじて生き延びているのが現状である.しかし文明 の爛熟とともに,職人の手づくりにより生み出される質 の良いものが再び市場競争力を取り戻しつつあるように 思われる.多少,お金を払ってもよいから良いものがほ しい,気に入ったものに囲まれて暮らしたいという人が 増えている.そういった人達が満足して生きる文明は今 現在我々が浸かっているものとは異なるかもしれない. 技術的な発展を取り込んで手仕事のコストを下げること で,手仕事の技で生活の質を押し上げる,新しい生産と 消費の仕組みが立ち現れてくるかもしれない [Ferris 13].4. 地域との関わり
消費社会のなかで手づくりすることにどのような意味 があるのだろうか.それに関連して印象に残っているこ との一つにガンジーの糸車がある.ここ数年,インドの 大学(Indian Institute of Technology, Gandhinagar)と 連携しており,年に一度の頻度で通っている.町名から わかるようにガンジーに縁のある土地であり,彼が住ん でいた住居が残っている.そこには糸車が置いてあって, 彼が糸を紡いでいる写真が展示されている. ガンジーがなぜ糸を紡いだかといえば,地元で産出さ れる綿花を使って服をつくりたかったからである.その 背景には当時インドを支配していたイギリスが綿花をイ ンドからもち出し,本国で服をつくってインドに売りつ けていた事情がある.その構図はインド人を搾取するも のであった.産業革命を経たイギリスが自動織機を使っ て大量に布を製作し,服を売りつけることに反感を覚え, 抵抗した. 着る物や身に纏う物は個人や民族のアイデンティティー と密接に関連する.南米では下層民として虐げられてき た人達が民族色豊かな布を織ることで民族としての誇 りを取り戻すといった運動も起きている.糸を紡ぐガン ジーと通底するものがある. 昔,農家の娘は秋の収穫祭に備えて半年以上前から機 織りして着物をつくったという.素材や柄に工夫を凝らし て,美しさを競ったものらしく,何をつくっているかは 家族に対しても秘密であったらしい.人の気持ちはそう いったものだろう.手づくりするのは自己表現のためだ. 地域の伝統,特に手仕事が関わるものの重要性は共 同体の維持という観点からも検討すべきだろう.最近印 象に残ったプロジェクトの一つに,エストニアで地域伝 統の編み物を自閉症の子達と一緒につくるというものが あった.編み物は手を動かせればできるから言葉に問題 のある自閉症の子達とも一緒に作業できることが利点で ある.加えて,地域の伝統的な柄を編むというところが 要点である.これが幾何模様だったり,中南米辺りの模 様だったりしたらどうだろうか.単なる遊びになってし まう.地域の伝統的な模様とそれをつくる作業を学ぶことは地域の歴史と文化を身をもって学ぶことでもある. 我々自身の仕事でいうと,以前,地域で小学校 4 年生 とお年寄り達との交流会を開催していた.あるとき,わ らの編み方を習うことになり,教室にブルーシートを敷 き詰めて大量のわらをもち込み,縄の結い方,わらじの つくり方などを教わった.お年寄りが数本のわらを両方 の掌でこすって手早く縄をつくるだけで,子供達は素直 に感動する.そこからわらじをつくるに至っては神業扱 いである.お年寄りらも子供達の反応の良さにうれしそ うだった.技の伝達は教科書的知識の伝達よりも深いレ ベルで起きる.精神的なつながりを感じた瞬間だった. 地域共同体が成立するには身体文化を共有する必要が ある.共同体の成員は地域に受け継がれてきた身体文化 に接合することで個人の力を超えた大きな何かを得る. そうして得たものがその人を力づけ,大きな仕事をする ことを可能にする.身体文化はまた知的障害者を差別し ない.大人も子供も等しく参加できる.手仕事が大事だ と我々が思う背後には,そういった誰もが等しい立場で 参画できる共同体を理想とする気持ちが働いているので はないだろうか. そういった構想のなかで人工知能がどれだけの貢献が できるかはわからないが,伝統文化,特に身体的なもの が継承されていく過程で役立つものができたらよい.手 仕事にはそれ自身の良さや面白さがあるが,それが生 まれてきた背景や地域共同体の歴史に目を向ければ,個 人を超えた豊かな精神文化につながる可能性を秘めてい る.長い年月を経て培われてきた身体的集合知と呼びた いところだが,そういったものも研究対象としたい.
◇ 参 考 文 献 ◇
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2017年 3 月 23 日 受理