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ブレトン・ウッズ体制と「知識」  ――シエラレオネ内戦の研究を事例として(岡野英之)

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序論

本稿は、本企画の補論として、ブレトンウッズ体制下に おいていかに知識が利用されたのかを考えることにする。 とくに一九九〇年代に注目を集めた武力紛争に注目し、ブ レトンウッズ体制の枠組みにおける世界秩序の維持体制の な か で、 「知 識」 (社 会 科 学 の 研 究、 お よ び、 そ れ に 類 す る 知 識) が い か に 利 用 さ れ て き た の か。 ま た、 そ れ に 対 し て 知識の生産者、すなわち研究者はいかにかかわったのかを 論じることにする。とはいえ、その試みをするには膨大な 資料を渉猟する必要がある。そこで本稿はシエラレオネ内 戦に限定して上述の問いに挑みたい。 ブ レ ト ン ウ ッ ズ体 制 は 、 第 二 次 世 界 大 戦 の 終 結 を 契 機 に 形 成 さ れ 、 今 日 ま で の 七 〇 年 間 維 持 さ れ て き た 。 本 特 集 の 冒 頭 に お い て 塩 谷 は ブ レ ト ン ウ ッ ズ 体 制 を 三 つ の 柱 か ら な ると した 。 す な わち 、 常 任 理 事 国 を 中 心 と す る国 連 体 系 、 世 界 銀 行 や I M F を 中 心 とす る 国 際 金 融 枠 組 み 、 そ し て 、 米 軍 に よ る 世 界 展 開 で あ る 。 こ れ ら の 制 度 は 成 立 し て 以 降 、 変 わ ら ず に 存 在 し て き たわ け で は な い 。 時 代 の要 請 に 応 じ て 変 容 し て き た 。 と く に 一 九 九 〇 年 代 は 、 世 界 秩 序 が 大 き く 変 容 し 、 そ れ に 応 じ て 制 度 も 変 わ っ て き て い る 。 本 稿 と の か か わ り で い う と 、 サ ブ ・ サ ハ ラ ・ ア フ リ カ ( 以 降 、

第Ⅰ部

基軸通貨体制 黄昏

体制

知識

内戦

研究

事例

岡野英之

「 ア フ リ カ 」 と 表 記 ) や 旧 ソ 連 諸 国 を 中 心 に 多 く の 武 力 紛 争 が 発 生し 、 先 進 国 政 府 や 国 際 機 関 、 N G O が そ れ ら へ の 対 応 を 迫 られ て い る 。 こ れ ら の 組 織 は 武 力 紛 争 や 、 紛 争 後 に 実 施 さ れ る 平 和 構 築 / 復 興 支 援 へ と 関 与 す る なか で 、 そ の 介 入 を正 当 化 する た め の 言 説 を 作 り 出 し た 。 本 稿 が 指 摘 す る の は 、 そ の 言 説 が 武 力 紛 争 に 関 す る 知 識 を 取 り 入 れ 、 そ れ を 過 度 な 一 般 化 と 本 質 主 義 的 な 理 解 に 加 工 す る こ と で 作 り 出 さ れ て い る こ と 、 お よ び 、 そ う し た 言 説 に 異 議 を 唱 え る こ と で 武 力 紛 争 の 研 究 が 進 展 し て き た と い う こ と で あ る 。 その動向が顕著にみられる事例として本稿ではシエラレ オ ネ 内 戦 (一 九 九 一 ― 二 〇 〇 二 年) を 取 り 上 げ る。 西 ア フ リカに位置するシエラレオネでは、一九九一年三月に反政 府 勢 力「革 命 統 一 戦 線」 ( Revolutionary United Front : R U F) が 蜂 起 し て 以 来、 一 一 年 に わ た る 内 戦 が 続 い た。 こ の 内 戦 に 対 処 す る た め、 多 く の 主 体 (国 際 連 合 諸 機 関、 先 進 国 政 府、 N G O な ど) が 介 入 に 乗 り 出 し た。 そ の 介 入 は おおむね成功したと考えられ、シエラレオネは平和構築の 成功例と位置付けることになった。それによって、国際社 会はシエラレオネへと注目し、シエラレオネに関する研究 成果にも注目が集まった。一方、その応答として、シエラ レオネを研究する研究者も国際的に流布する言説に注意を 向けるようになった。こうした流れを見るとシエラレオネ 内戦の研究は、ブレトンウッズ体制諸機関が採用する言説 と無関係ではない。シエラレオネ内戦の研究動向は、ブレ トンウッズ体制下で知識がいかに利用されたのかを顕著に 示す好例といえよう。 本稿ではシエラレオネ内戦に説明を与えるものを便宜的 に「知識」と呼ぶことにした。ここでの知識には、学術研 究でのシエラレオネ内戦の説明だけではなく、ルポルター ジュや実務家のメモワールも含まれる。また、武力紛争全 般に対する説明をシエラレオネに当てはめたものも含んで いる。本稿は、それらシエラレオネ内戦に関する知識の系 譜を追っていくことにする。とはいえ、本稿は単なる先行 研究レビューではない。知識の系譜を追うことで本稿が明 らかにしたいのは、シエラレオネ内戦という一国の武力紛 争についての研究の進展が、ブレトンウッズ体制における 安全保障体制内で作られた言説と無縁ではないことと示す ことにある。 学術研究を含めたシエラレオネ内戦に対する諸知識は錯 そうし、知識のポリティクスを展開している。シエラレオ ネ内戦については多くの知識が生産されてきた。そのなか に は 政 策 実 務 者 (国 際 連 合 諸 機 関、 先 進 国 政 府、 N G O で

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意 思 決 定 に か か わ る 職 員・ 官 僚・ 政 治 家) に 参 照 さ れ る も のや、政策決定に影響を及ぼすものがある。また、政策実 務 と 近 い 場 所 に い る 研 究 者 が 作 り 出 し た 知 識 (研 究 成 果) が大きな影響力を持つこともある。また逆に、政策実務者 に採用された言説の問題点を指摘することで政策の議論へ と参加する研究者もいる。こうした知識の錯そうを紐解く ことで、ブレトンウッズ体制諸機関と知識との関係を明ら かにすることが本稿の目指すところである。

現象

多様

理解

一九九〇年代には、旧ソ連諸国やアフリカで大規模な武 力 紛 争 (国 内 紛 争) が 発 生 し た。 そ れ を 受 け て 武 力 紛 争 の 研究は飛躍的に進展している。国内紛争は、特定の学問分 野で研究されてこなかった社会現象であるため、複数の学 問分野がその研究に乗り出した。そのなかには、政治学、 文化人類学、国際関係学、計量経済学が含まれる。こうし た 諸 分 野 の 研 究 者 は、 そ れ ぞ れ の 研 究 手 法 や 認 識 枠 組 み を 用 い て 武 力 紛 争 に つ い て 説 明 を 与 え て き た 。 武力紛争の原因についてもさまざまな研究が行われてい るものの、武力紛争には経済・社会・宗教などさまざまな 側面が複雑に絡み合っており、国際政治的な要因や特定の 国の野心といった要因も絡んでくる。そのため武力紛争は その勃発を特定の原因に求められるわけではなく、複雑に 要因が絡んでいる。さらに諸要因の因果関係についてもさ まざまな議論があり、研究者間のコンセンサスが確立され ているわけではない (稲田 二〇〇四:三一) 。 また、武力紛争をいかに理解するかについてはさまざま な立場がありうる。たとえば、武力紛争を、不満を持った 人 々 に よ る 抵 抗 と 捉 え る 立 場 も あ れ ば ( Stewart 2008 ) 、 武力紛争を経済的な利益の追求活動であり、山賊行為とな ん ら 変 わ ら な い と み る 立 場 も あ る ( Keen 1998; 2000; コ リ ア ー 二 〇 〇 八) 。 こ う し た 理 解 は 背 反 す る も の で は な い。 一つの武力紛争に対しても多様な解釈がありうる。なぜな ら「ひと」や人間の文化現象・社会現象といった社会科学 の研究対象は、一つの「ものさし」では測り得ることがで きず、多元的な、あるいは多義的な空間が浮かび上がって く る よ う な 対 象 で あ る か ら で あ る (小 林 一 九 九 四: 六) 。 ゆえに、ある説明が正しいか正しくないかを一つの基準か ら判断することはできない (小林 一九九四:一一) 。 シエラレオネ内戦の研究も例外ではない。たとえば、シ エラレオネの武装勢力RUFに対しては、反乱、革命、山 賊行為、混乱に乗じた利益追求活動などさまざまな説明が 付 与 さ れ て き た ( Keen 1998; 2005; Peters 2006; 2011; Richards 1996; コリアー 二〇〇八:四四―四五) 。そのいず れの説明も間違いとはいえない。RUFにはそれぞれの側 面が見られたのである。RUFには革命を志す幹部がいた 一方、山賊行為に走ったり、露天掘りのダイヤモンド鉱山 で ダ イ ヤ モ ン ド を 掘 る こ と で 利 益 を 得 て い た 者 も い る ( Peters 2006 ) 。RUFに対して研究者が異なる理解を示し ていることは、一つの現象であっても、それをいかに説明 するかはさまざまな立場がありうることを物語っている。

一律的

説明

﹁貪欲・憤懣﹂論争

こうした多様な理解とは逆に、一つの側面からの説明だ け で 武 力 紛 争 を 理 解 し よ う と し た 研 究 か ら 議 論 を 始 め た い。計量経済学者ポール・コリアー ( Paul Collier ) の研究 で あ る。 彼 は 武 力 紛 争 に つ い て の 一 大 論 争 で あ っ た「貪 欲・ 憤 懣」 論 争 を 仕 掛 け た 張 本 人 で あ る。 「貪 欲・ 憤 懣」 論争とは、武力紛争の要因を「貪欲」 ( Greed ) と「憤懣」 ( Grievance ) と の 二 つ に 分 け、 そ の ど ち ら が 武 力 紛 争 の 発 生 に 強 く 関 与 し て い る か に つ い て の 論 争 で あ る。 「貪 欲」 説は特定の政治集団が資源の獲得をめぐって一般の人々や 貧困者を操縦・動員して紛争を仕掛けると考えた。それに 対 し て、 「憤 懣」 説 は、 社 会 的 に 抑 圧 さ れ て い る 人 々 の 不 満が集団内で増幅されることで抑圧者に対しての紛争が起 き る と 考 え る (笹 岡 二 〇 〇 八) 。 こ の 論 争 は、 憤 懣 と 貪 欲 のどちらが紛争の原因かという二律背反の様相を呈した。 憤懣と貪欲が紛争のなかでいかに関係しているかという問 いは無視され、双方が、一方の主張を批判し、他方を支持 するディベートとなった。この論争は二〇〇〇年あたりか ら始まり二〇〇五年あたりまで続き、多くの研究者がこの 対立に加担している。この論争が生まれたのは、コリアー が一つの「ものさし」で武力紛争を図ろうとし、そのほか の「ものさし」を否定したからに他ならない。

研究

計量経済学者ポール・コリアーの研究は、第二次世界大 戦 後 に 発 生 し た 武 力 紛 争 に つ い て の デ ー タ セ ッ ト を 用 い て、いかなる条件下にある国で紛争が生じやすいかを明ら

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かにするものであった。第二次世界大戦以降に見られたす べての武力紛争を見ることで、世界的にみられる武力紛争 の傾向を掴もうとしたのである。その成果は複数の論文に まとめられているが、その成果の一部として以下のものが あげられる。 「紛 争 は 教 育 の 機 会 が 限 ら れ た 国 で 発 生 し や す く、 紛 争が発生した国では平均して若い男性の四五パーセン トしか中等教育を受けていない」 ( Collier 2000: 7 ) 「一 次 産 品 へ の 依 存 度 が 高 い、 そ し て 一 人 あ た り 所 得 が低く、しかもその所得の分配が不平等である場合に は、 内 戦 に 陥 る リ ス ク が 高 く な る」 (世 界 銀 行 二 〇 〇 四:三) 「急 激 な 人 口 増 加 率 を 示 す 国 は 紛 争 が 発 生 し や す く、 人口増加率が一%増えると紛争のリスクは二・五パー セント増加する」 ( Collier 2000: 7 ) こうした相関関係についての指摘は、武力紛争の一つの 側 面 を 描 き 出 し、 と く に 数 値 と し て 示 し た 点 が 評 価 で き る。しかし、その相関関係から導き出された武力紛争に対 する理解は、あまりにも一面的であり、論争を生むことに なった。 た と え ば 、 コ リ ア ー は あ る 論 文 で 、 経 済 の 一 次 産 品 へ の 依 存 度 が 高 い 国 の 方 が 武 力 紛 争 が 発 生 し や す い と い う 相 関 関 係 を 提 示 し て い る 。 そ の 相 関 関 係 の説 明 と し て 、 武 装 勢 力 は 一 次 産 品 か ら の 利 益 を 得 る た め に 蜂 起 を す る た め こ の よ う な 相 関 関 係 が 見 ら れ る の だ と し た ( コ リ ア ー 二 〇 〇 八 ; C olli er 2 000 ; C olli er e t a l. 2 00 3: 63 。 こ の 説 明 を コ リ ア ー は ど の 武 力 紛 争 に も あ て は ま る か の 如 く 提 示 し て い る 。 コ リ ア ー は 、 自 ら の 主 張 を 示 す 事 例 の 一 つ と し て シ エ ラ レ オ ネ 内 戦 を 取 り 上 げ た 。 そ こ で は 武 装 勢 力 R U F を ダ イ ヤ モ ン ド を 採 掘 し 、 そ れ を 売 る こと に よ っ て 利 益 を 得 て い る 利 益 追 求 集 団 と み な し て い る ( Co llie r e t a l. 20 03 : 63 ) 。 上 述 の よ う に R U F に つ い て は さ ま ざ ま な 説 明 が 付 与 さ れ て い る 。 コ リ ア ー の 説 明 は そ の う ち の 一 つ の 説 明 に す ぎ な い 。

2﹁貪欲・憤懣﹂論争

しかし、コリアーは自らの説明を唯一の正しい結論であ る と も 取 れ る よ う な 主 張 を し て い る。 「武 装 勢 力 は お し な べて利益追求集団である」という理解は、RUFに留まら ず、すべての武力紛争に対して一律的にあてはまるという ような書きぶりである。そういうコリアーは以下のような 立場を取る。 「 経 済 学 者 [ コ リ ア ー の 依 拠 す る ア プ ロ ー チ ] は 反 乱 を 抗 議 行 動 の 極 端 な 形 と は捉 えな い 。 組 織 犯 罪 の 極 端 な 形 と し て 捉 え る 。 グ ロ ス マ ン ( Gr ossm an 1 999 ) の 述 べ る よ う に 「 … …反 乱 は 山 賊 行 為 や 海 賊 行 為 と 変 わり は な い 」 の で ある 。 反 乱 は 大 規 模 な 生 産 経 済 活 動 の収 奪 なの だ 。… … も し 隠 し て い た と し て も 、 行 動 に よ っ て 本当の動機が現れるはずだ。 」 ( Collier 2000: 3-5 ) 。 すなわち、コリアーは反乱組織を利益集団としてのみと らえている。その姿勢には他の解釈を認めない姿勢が見ら れる。他のアプローチを頑なに否定するように、コリアー は以下のようにも述べている。 「…… 紛 争 の 言 説〔反 乱 組 織 に よ る 憤 懣 の 主 張〕 を 信 じることはできない。……反乱運動は国際的に人々と よい関係を築かなければならず、殺人行為を動機付け る理由が必要となる。なぜなら国外からの資金援助を 募ったり、殺人行為に人々を引き込んだりする必要が あるからである。……反乱組織は犯罪者とみなされて いるわけにはいかない。……ゆえに反乱組織は憤懣に ついての言説を主張する。反乱組織にとって憤懣はビ ジネス〔一次資源から利益を得ること〕を正当化する ためである。……それら〔武装勢力による主張〕は事 実上、意味はない ( it is of no practical importance ) 」 ( Collier 2000: 3-4 ) さらに、以下のような主張も行っている。 「ア カ デ ミ ッ ク な 紛 争 の 研 究 者 が 反 政 府 運 動 の 強 烈 な 憤りに共感を持つ場合もある。……彼らは憤りと反乱 の関係性を自明視し、それを統計的に調査するという 考え方に反発する。こうしたタイプの研究者には憤り と反乱に関係があることなど既定の事実なのである」 (コリアー 二〇〇八:三五) このようにコリアーは武装勢力の声を聞くという研究に は意味がないという姿勢を示した。

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コリアーの狭量な態度は、議論を盛り上げるための挑発 的なレトリックなのか、そう信じて疑わないのかはわから ない。問題は一律の理解を求めるコリアーの研究が、世界 銀 行 の 研 究 プ ロ ジ ェ ク ト と し て 遂 行 さ れ て い る こ と で あ る。コリアーは、一九九八年から二〇〇三年に世界銀行の 開発研究グループ ( Development Research Group ) の担当 理事を務め、本グループの研究成果物の多くで筆頭執筆者 を 務 め た ( Collier et al. 2003;   Collier and Hoefller 2002a; 2002b ) 。 そ う し た 成 果 物 の 集 大 成 と し て 二 〇 〇 三 年 に 発 表 さ れ た 報 告 書 が『紛 争 の 罠 か ら の 脱 出』 ( Breaking the Conflict Trap ) で あ る ( Collier et al. 2003 )(邦 訳 も あ る。 世 界 銀 行 二 〇 〇 四) 。 こ の 報 告 書 は、 コ リ ア ー に よ る 武 力 紛争の一面的理解を集約したものともいえる。 世 界 銀 行 が そ う し た 一 面 的 な 理 解 の み を 肯 定 す る 報 告 書 を 出 版 し た こ と で 、 個 々 の 事 例 を 研 究 す る 研 究 者 は そ の 態 度 を 問 題 視 し た 。 コ リ ア ーが 見 る 一 側 面 だ け で は 武 力 紛 争 の 理 解 と し て不 十 分 だ と いう 指 摘 が な さ れ た 。 そ の こ と が 「 貪 欲 ・ 憤 懣 」 論 争 に 繋 が っ た 。 本 論 争 の 代 表 的 な 文 献 と し て 、 コ リ ア ー ( 二 〇 〇 八 ) 、 Ba lle nti ne an d S hr m an 20 03 ) 、 Berdal and Malone ( 2000 ) 、 Collier ( 2000 ) 、 Collier et al. ( 2003 ) 、 Le Billon ( 2003 ) 、 Richards and Helander ( eds. )( 2005 ) を あ げ る こ と が で き る。 こ の 論 争 は 二 〇 〇 〇 年 代 半 ば あ た り ま で 見 ら れ た 後、 急 速 に 論 じ ら れ な く なった。いわば、学術論争上の流行だったといえる。 コリアーの研究は、一律の基準を用いて世界のすべての 武力紛争を説明しようとした。こうした研究は現象の一側 面を見るということでは有意義ではあるが、現象を理解す るためには、その他の側面を見落としているかもしれない ことに常に留意する必要がある。ゆえに、コリアーに反発 する研究者が多くいたのももっともである。

研究

体制

諸機関

親和性

そ の 一 方、 一 律 の 基 準 で 現 象 を 理 解 し よ う と す る 研 究 は、国際社会との親和性がよい。なぜなら国際機関は武力 紛争への介入を正当化するために、介入のターゲットとな るすべての国に当てはまりうる基準を必要としているから で あ る。 一 九 九 〇 年 代 に は、 ブ レ ト ン ウ ッ ズ 体 制 諸 機 関 は、武力紛争に介入し平和構築・復興支援へと関与するた めの制度的枠組みを整えていった。こうした制度的枠組み が整えられるとともに、介入を正当化するための言説が確 立 さ れ て い っ た。 そ う し た 正 当 化 の た め に 用 い ら れ た ロ ジックとは、人々の安全を保障し、社会サービスを提供す る役割を負った政府が果たすべき義務を果たしていない国 に対しては、国際社会がその義務を代行しなければならな いというものである * 1 。 コリアーの研究はそのロジックに則っている。彼の研究 は、 い か な る 国 で 武 力 紛 争 が 発 生 し や す い か を 論 じ て お り、その分析単位は国家である。さらに経済構造や教育の 普及率を取り上げており、紛争のリスクが高い国家はその 役割を十分に果たせていないことを示している。このよう に近代国家を単位とし、世界を一つのものさしではかろう とする研究は、ブレトンウッズ体制の諸機関に採用されや すかったといえよう。 しかし、こうした一律的な理解は武力紛争という現象を 十分に理解しているとはいいがたい。前述したように社会 現象はさまざまな側面を持つからである。シエラレオネ内 戦の研究の進展を見てみると、フィールドワークを行い、 現地で得たデータで研究を発表してきた地域研究者が、一 律の基準で武力紛争を理解しようとする姿勢に対して疑問 を投げかけることで進展してきた。次節以降、シエラレオ ネ内戦の研究がいかに発展してきたかを見ていき、最後に もう一度、 「貪欲・憤懣」論争を考察することにする。

Ⅲ﹁来

反論

内戦

シエラレオネ内戦は、一九九〇年代の武力紛争のなかで も研究蓄積が多い事例の一つである。シエラレオネ内戦の 研究が本格的に取り組まれるきっかけとなったのが一つの 雑誌記事であった。この記事が提示する武力紛争に対する 理解は武力紛争への人道的介入を考えるビル・クリントン ( Bill Clinton ) 第四二代アメリカ合衆国大統領 (在任期間: 一九九三―二〇〇一年) に大きな影響を与えた。

1﹁来

政策実務者 の 間 に 流布 し た 過度 な 一般化 一 九 九 四 年 二 月 、 雑 誌 『 月 刊 ア ト ラ ン テ ィ ッ ク 』 ( A tla ntic M ont hl y ) に 「 来 た る べ き ア ナ ー キ ー 」 ( Th e C omin g A na rch y ) と い う 記 事 が 掲 載 さ れ た ( K apla n 19 94 。 そ の 記 事 の 副 題 は 「 い かに 欠 乏 、 犯 罪 、 人 口 過 密 、 部 族 主 義 、 感 染 症 が こ の 惑 星 の 社 会 秩 序 を 破 壊 し て い る の か 」 と い う

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もの で あ っ た 。 こ の 記 事 の 著 者 は 、 ア メリ カ 人 ジ ャ ー ナ リ ス ト 、 ロ バ ー ト ・ D ・ カ プ ラ ン ( R ob er t D . K apla n ) で あ る 。 この記事は当時、世界中で多く発生している武力紛争に ついて広くあてはめることのできる説明を与えている。こ の記事でのカプランの説明によると、武力紛争とは、貧困 や環境破壊によって都市に押し出され、根無し草となった 粗暴な若者によって引き起こされる犯罪行為である。カプ ランの記事の論旨は、人口増加によって高まった人口圧に よ り 社 会 が 混 乱 す る こ と は 避 け ら れ ず、 部 族 ( tribe ) に よって分断されている社会では必然的に部族間の対立が生 まれるというものである ( Kaplan 1994 ) 。 その主張をするカプランの記事は「準学術的」な体裁を 取っている。 記事のなかでは、 人口学者マルサス ( Thomas Malthus ) や 戦 争 論 の 著 者 で あ る ク ラ ウ ゼ ウ ィ ッ ツ ( Carl von Clausewitz ) と い っ た 古 典 が な ら び、 フ ラ ン シ ス・ フ ク ヤ マ ( Francis Fukuyama ) や サ ム エ ル・ P・ ハ ン チ ン ト ン ( Samuel P. Huntington ) と い っ た 当 時、 影 響 力 の 強 かった論者の引用もなされている。また、武力紛争と環境 変化の関係を統計的に論じたホマー=ディクソン ( Thomas Homer-Dixson ) の 論 文 が 紹 介 さ れ て い る ( Homer-Dixson 1991 ) 。 社 会 科 学 の 理 論 を、 取 材 と 結 び つ け る こ と で、 カ プランの記事は表面的には説得力を持っていた。 そもそもカプランはこの記事以前から紛争に対して同様 の見解を有しており、その見解はアメリカ大統領ビル・ク リ ン ト ン の 意 思 決 定 に 影 響 を 及 ぼ し て い た と い わ れ て い る。アメリカは一九九三年にボスニア・ヘルツェゴビナへ の軍事介入を予定していた。ボスニア・ヘルツェゴビナで は 一 九 九 二 年 に 内 戦 が 発 生 し、 セ ル ビ ア 人、 ク ロ ア チ ア 人、ボスニア人を巻き込んだ「民族対立」が発生した。し かし、クリントンはクリスマスにカプランの著書『バルカ ン の 亡 霊 た ち』 ( Balkan Ghosts ) を 入 手 し た こ と で、 介 入 の姿勢を撤回したという ( cf. Kaplan 1993 ) 。その本には、 貧困に留めおかれた社会では民族対立は不可避であり、武 力 紛 争 を 止 め る こ と は で き な い と い う 主 張 が な さ れ て い た。その著書を読んだクリントンは、介入しても紛争をと めることは不可能であると思い、介入をしなかったという (た だ し、 ボ ス ニ ア・ ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ へ の 介 入 は 後 に N A T O に よ る 空 爆 と し て 実 現 す る) ( Tuastad 2003: 598 ) 。 そ の 本 に 引 き 続 き だ さ れ た 記 事 で あ る「来 た る べ き ア ナ ー キー」では、バルカンと同様の説明が、世界各地の紛争に も当てはまると主張していた。 三 二 ペ ー ジ に も わ た る カ プ ラ ン の 記 事 は 、 シ エ ラ レ オ ネ の ス ト ー リ ー か ら 始 ま る 。 冒 頭 で 紹 介 し たよ う に シ エ ラ レ オ ネ は 一 九 九 一 年 に R U F が 蜂 起 し た こ と に よ り 内 戦 に 陥 っ た 。 し か も 、 中 央 で は そ の 翌 年 に 、 弱 冠 二 〇 代 の 下 士 官 が クーデターを起こし、政権の中枢を担うことになった * 2 。カ プランにとってシエラレオネは、自らの説明を典型的に示 す事例であった。すなわち、環境破壊と人口圧によって都 市に押し出された若者によって引き起こされた非合理で理 解 不 可 能 な 暴 力 に 支 配 さ れ る 無 秩 序 (ア ナ ー キ ー) の 国 と みなしたのである。ちなみに、シエラレオネ内戦は民族紛 争ではないため、カプランのいうような部族間の対立はな かった。しかし少なくとも、カプランの目にはシエラレオ ネが、自己の主張する武力紛争の解釈を典型的に示す国だ と映ったのである。 カ プ ラ ン の 記 事 は 、 シ エ ラレ オ ネ の あ る 0 0 大 臣の 語 り か ら 始 ま る 。「 … … 確 か に 我 々 は 〔 旧 宗 主 国 で あ る 〕 イ ギ リ ス が 去 っ て か ら う ま く 統 治 で き な か っ た 。 我 々 は い ま や 最 悪 な 状 態 に あ る 。 現 代 社 会 の 貧 者 、 社 会 か ら の 脱 落 者 ( so ci al failure s ) 子 ど も を 育 て ら れ な い 人 々 か ら の 復 讐 が こ の 国 を 覆 っ て い る 」。 大 臣 に よ る こ の 言 葉 は 、 内 戦 を 起 こ さ し め た R U F だ け で は な く 、 クー デ タ ー を 起 こ し た 若 者 た ち に も 向 け ら れ て い る 。 す な わ ち 、 こ の 大 臣 は 、 反 政 府 組 織 と 軍 事 政 権 の 両 方 を 「 根 無 し 草 の 若 者 に よ っ て 引 き 起こ さ れ た 混 乱 」 だ と 見 な し た の で あ る 。 記 事 は 以 下 の よ う に 続 く 。 〔大 臣 は 言 っ た。 〕「権 力 を 握 っ た 坊 や 達 は、 あ ん な 家 に 住 ん で い た は ず さ。 」 大 臣 は、 子 ど も た ち が あ ふ れ ているトタン屋根の小屋を指差した。 「〔軍政が始まっ て か ら の〕 三 カ 月、 あ の 坊 や 達 は 公 用 車 の メ ル セ デ ス・べンツ、ボルボ、BMWを全部押収し、わざと公 道で破壊した……屈辱を晴らし、彼らの支持層である 中間層の機嫌を取るためだ。 」 カプランがこの取材をしたのはクーデターの数カ月後で ある。カプランの記事でのシエラレオネとは、人口圧と環 境悪化が反乱を導いただけではなく、クーデターによる政 権転覆をも導いた国であった。 シ エ ラ レ オ ネ の ス ト ー リ ー か ら 始 ま る「来 た る べ き ア ナーキー」は、先進国の政策実務者に広く読まれることに な っ た。 ク リ ン ト ン は、 国 務 次 官 テ ィ モ シ ー・ ワ ー ス ( Timothy Wirth ) に 対 し て、 こ の 記 事 を す べ て の ア メ リ カ大使館にファックスするように命じている。当時すでに アメリカはソマリアでの軍事介入に失敗し、アフリカへの

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介入に対しては消極的な姿勢を示していたが、カプランの 記事はその消極的な姿勢にさらなる拍車をかけたといわれ ている。この記事がアメリカ合衆国で政策実務者に広く読 まれたことを皮切りに、カナダやヨーロッパ諸国、国際連 合の諸機関でも広く読まれた。国際連合では、高官がミー ティングを開き、この記事からの教訓を導き出そうと議論 が 交 わ さ れ も し た の だ と い う ( Bradshaw 1996 cited in Richards 1996: xiv ) 。 こ う し た こ と か ら、 紛 争 は 不 可 避 だ とするカプランの記事が、政策実務者の思考に影響力を与 えたのは想像に難くない。たとえば、一九九四年四月から 七月にかけてルワンダでは大虐殺が発生しているが、国際 社会はその事態に対して目立った介入はせず、後に激しい 批判を招くことになった。このような国際社会の紛争に対 する消極的な態度を、カプランの記事は後押ししたのでは ないかともいわれている ( ACUNS 2014; Tuastad 2003 * 3 ) 。

研究者

批判

カプランの理解に対して強烈な批判を展開したのが、シ エ ラ レ オ ネ を 長 年 研 究 し て き た 社 会 人 類 学 者 ポ ー ル・ リ チャーズ ( Paul Richards ) である。彼の著書であり、シエ ラレオネ内戦についての最初の研究書である『熱帯雨林の た め の 戦 い

シ エ ラ レ オ ネ の 戦 争、 若 者、 資 源』 ( Fighting for the Rain Forest ) の 冒 頭 は、 カ プ ラ ン に 対 す る痛烈な批判から始められている ( Richards 1996 ) 。 リチャーズによると、カプランは冷戦終焉以降に発生し た武力紛争を過度に一般化して捉えている。しかも、カプ ランは、部族は対立するもの、そして、若者は暴力的なも のと頭から決めかかった態度を取っている。こうした決め 付けは長年ヨーロッパ社会で持たれていた「アフリカの部 族 は そ も そ も 野 蛮 で あ る」 と い う 思 い 込 み、 す な わ ち、 「野 蛮 主 義」 ( barbarism ) と も 共 通 し て い る。 こ の よ う に 糾弾した上でリチャーズは、野蛮主義という古くからある 思考様式が冷戦後の武力紛争を説明するために再度隆盛し ていると指摘し、新たに台頭した古くからあるこの思考様 式を「新野蛮主義」 ( new barbarism ) と名付けた。 たしかにカプランは記事のなかで以下のように述べてい る。 「西 洋 の 啓 蒙 が 及 ん で い な い 地 域 で は 貧 困 が 蔓 延 し て お り、 人 々 は 自 由 と な る す べ を 暴 力 に 見 出 す」 ( Kaplan 1994: 45 ) 。この主張の裏側には「彼ら」 (武力紛争が発生し た 国 に 住 む 人 々) と「我 々」 (西 洋 に い る 啓 蒙 を 受 け た 人 々) は 異 な っ て お り、 「彼 ら」 は そ も そ も 暴 力 的 で あ る と決めてかかった態度が見られる。その態度は本質主義的 で あ り、 そ れ 以 上 の 思 考 (す な わ ち、 彼 ら を 理 解 し よ う と す る 思 考) を 停 止 さ せ て い る と リ チ ャ ー ズ は 批 判 す る。 カ プ ラ ン に 代 表 さ れ る 新 野 蛮 主 義 で の、 部 族 は 対 立 す る も の、文明は衝突するもの、と決めかかった態度は、アフリ カやバルカン半島で発生している武力紛争への洞察を妨げ て い る と リ チ ャ ー ズ は い う ( Richards 1996: xiii-xvii ) 。 す な わ ち、 リ チ ャ ー ズ は、 カ プ ラ ン の 過 度 な 一 般 化、 そ し て、本質主義的な態度を批判したといえる。 リ チ ャ ー ズ は カ プ ラ ン の 表 面 的 な 理 解 を 反 駁 す る た め に 、 シ エ ラ レ オ ネ の 社 会 環 境 を 詳 細 に 考 察 し た 。 農 村 に 住 む 人 々 の 暮 ら し や 森 林 と 人 々 の か か わ り 、 そ し て 、 若 者 の 生 活 態 度 や 教 育 事 情 を 調 査 し た の で あ る 。 こ う し た 緻 密 な 調 査 に よ り シ エ ラ レ オ ネ 内 戦 は 、 環 境 破 壊 な ら び に 人 口 圧 に よ っ てもたらされたものではないことをリチャーズは示した。

研究

意義

リチャーズはシエラレオネを長年研究してきた社会人類 学であり、いかにシエラレオネの人々が農業を営んできた の か を 研 究 し て き た。 彼 が 長 年 の 研 究 テ ー マ を 差 し 置 い て、内戦を研究することになったのはフィールドが内戦に 巻 き 込 ま れ た か ら に ほ か な ら な い。 そ う い う 意 味 で 彼 は 「単 な る」 地 域 研 究 者 で あ っ た。 そ う し た リ チ ャ ー ズ が シ エラレオネ内戦についての研究書の冒頭にカプランの批判 を据えたことから、この研究書は単にシエラレオネについ ての地域研究だけでなく、より広い文脈で世の中への警鐘 だ と 捉 え ら れ る こ と に な っ た。 本 質 主 義 的 な 理 解、 お よ び、過度な一般化に対する警鐘である。 政策実務者にとって一律的な理解は都合がよい。政策実 務者はどの国を担当するかもわからないし、多くの国をま とめて担当しなければならないこともある。ゆえにどの事 例にもあてはまる解釈は都合がいい。実際、武力紛争の解 決や平和構築の研究や報告書は、国や地域を問わず、全般 にみられる傾向や、どの国にも当てはまるノウハウを得よ うとするものが多い ( cf. Newman et al. ( eds. ) 2009, Paris and Sisk ( eds. ) 2009 )。これらの方針が間違っているとは いえないし、政策実務者のニーズを満たしているともいえ る。またコリアーのように研究者のなかには紛争の全体的 な傾向を読み取ろうとする者もおり、その作業に意義がな いわけではない。しかし、少なくともカプランの記事で提 示された過度に一般化された紛争理解は、シエラレオネに

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当てはまらなかった。リチャーズが評価できるのは、カプ ランに対する批判を単にシエラレオネに対する無理解とい う指摘だけに留めなかったことである。さまざまな地域を 担当しなければならない政策実務者とは異なり、研究者は 一つの地域について長年考察をし続けることができる。リ チャーズも例外ではない。彼はシエラレオネの個別の状況 を理解していた。そうした知見をもとにリチャーズは、カ プランのような一律的な理解が、単にシエラレオネに当て はまらないだけではなく、各地で発生している武力紛争の 個別理解を阻んでおり、個別理解を阻む姿勢が広く政策実 務者に共有されていることを指摘したのである。 この指摘によって、単なる小国の事例にすぎないと切り 捨てられかねないシエラレオネ内戦の研究書は広い読者層 に訴えることになり、リチャーズの著作は、武力紛争への 社会・文化人類学によるアプローチとして広く知られるこ ととなった。

内戦研究

進展

平和構築

知見

シエラレオネ内戦の研究は、リチャーズの著作を嚆矢と してその後飛躍的に進展する。内戦やその背後にある社会 的要因についても考察が深められた。その知見のなかには 平和構築の取り組みのなかに活かされたものもある。本稿 はリチャーズのカプラン批判を取り上げたが、リチャーズ がその著作のなかでシエラレオネ内戦をいかに説明してい るのかをまだ記していない。本節ではリチャーズのシエラ レオネ内戦についての説明を皮切りに、いかにシエラレオ ネ内戦の研究が進んでいったのかを見ることにする。

内戦

解釈

リ チ ャ ー ズ も カ プ ラ ン と 同 様、 暴 力 的 な 若 者 に 注 目 し た。しかし、その姿勢はカプランとは異なる。リチャーズ は、若者は暴力的だと決めかかるのではなく、なぜ若者が 暴力に加担するのかを突き詰めようとした。 リ チ ャ ー ズ は 著 書 の な か で 、 シ エ ラ レ オ ネ 内 戦 に 対 し て 独 自 の 解 釈 を 提 示 し て い る ( R ich ar ds 1 996 ) 。 そ の 解 釈 は 、 家 産 主 義 ( pa trimo ni alis m ) と い う 概 念 に 依 拠 し て い る 。 家 産 主 義 と は 国 家 の あ り 方 を 指 す 概 念 で あ り 、 利 益 の 分 配 を通 じ た 統 治 を 指 す 。 家 産 主 義 国 家 で は 、 支 配 者 が 権 力 ・ 財 産 ・ 権 益 を 独 占 し 、 そ れ ら を 私 物 ( 家 産 ) の よ う に 利 用 す る 。 そ し て 、 そ れ ら を 分 配 す る こ と で 私 的 隷 属 者 を 作 り 出 し 、 彼 らを用 い て 領 土 や 人 民 を 支 配 し よ う と す る 。 家 産 主 義 国 家 で は 私 物 化 さ れ た 国 家 機 構 や 行 政 機 構 を 通 じ て 富 ・ 地 位 ・ 契 約 ・ 雇 用 ・ 権 益 と い っ た さ ま ざ ま な 資 源 が 上 層 か ら 下 層 へ 分 配 さ れ 、 そ の 代 わ り に 支 持 ・ 忠 誠 心 ・ 服 従 な ど が 下 層 か ら 上 層 へ と 提 供 さ れ る ( 落 合 二 〇 〇 一 : 五 一 ― 五 二 ) 。 リチャーズによると、シエラレオネは家産主義に基づく 国家であり、市民は奨学金や保健衛生などの社会サービス と し て 資 源 分 配 を 受 け て い た。 医 者、 教 師 を 含 む 公 務 員 も、政治エリートからの「特別措置」として補助金を受け た り、 米 な ど の 臨 時 配 分 を 受 け た り し て い た と い う (給 料 は 生 活 で き る 額 で は な か っ た) 。 し か し シ エ ラ レ オ ネ の 経 済 が悪化した結果、分配される資源が減少した。その結果、 市 民 の 不 満、 と く に「若 者」 の 不 満 が 高 ま っ た と い う ( Richards 1996: 36 ) 。 そのようななかに現れた反政府組織RUFは、閉塞を打 開する存在であったとリチャーズは考えている。彼の描く RUFとは、打倒政府というイデオロギーを持つ一枚岩の 存在である。すなわち、RUFとは、腐敗にまみれ市民に 社会サービスを提供できない政府を打倒し、新しい政治秩 序を築き上げようとする政治集団であった。その主張の根 拠 と し て リ チ ャ ー ズ が 提 示 し た の が、 R U F の 初 期 メ ン バーが時の政権の恩恵を受けることができなかったインテ リ層であることである。リチャーズによるとRUFを創設 したのは、大学出の無職者や、自らの意思に反して地方に 派遣されるしかなかった教師などだという。そして、彼ら が率いるRUFが拡大し、全土を巻き込む内戦となったの は、 イ ン テ リ 層 の 掲 げ た 社 会 改 革 の 思 想 に 共 感 す る「若 者」 を 農 村 か ら 動 員 す る こ と が で き た か ら だ と い う。 リ チャーズの持つシエラレオネ内戦についての理解は、都市 部で育ったインテリの若者が主導し、農村の若者を吸収す ることで拡大した反政府組織によって引き起こされた「世 直し」あるいは「革命」であった。 ただし、この理解がリチャーズの著作で十分実証された かは疑問が残る。インテリ層の若者、および、農村の若者 がなぜ政府に不満を持ったのかは十分に明らかにされたと はいえない。リチャーズの著書が出版された一九九六年は 内戦がいまだに継続中であり、十分な情報がなかったから である。 その後、リチャーズ自身が研究を継続し、自身の主張の 実証を試みるようになった。また、新しい世代の研究者も

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リ チ ャ ー ズ の 見 解 を 受 け 継 い で 研 究 を 重 ね た。 そ れ に よ り、 シ エ ラ レ オ ネ 内 戦 の 研 究 蓄 積 が 増 え て い っ た (も ち ろ ん、 そ の な か に は リ チ ャ ー ズ へ の 批 判 も 含 ま れ る) 。 た だ し、シエラレオネ内戦はリチャーズの解釈とは異なる方向 で混迷を深めることになった。RUFは支配地域でダイヤ モンドを採掘するようになり、経済的な利益のために紛争 を継続する主体とみなされるようになった。また、襲撃と 同時に子どもを誘拐し、戦闘員に仕立て上げた。不合理な 暴力を繰り返してもいる。RUFは単なる政治集団でもな く、暴力的な若者の集合でもない。いわば、研究者にとっ て一つの解釈を許さない不可解な存在になっていった。

農村部

﹁若者﹂

RUF

参加

リチャーズは内戦で現地調査ができないままに研究書を 出版したこともあり、農村の若者がなぜRUFに参加した のかを十分に明らかにできていない。しかし、リチャーズ の指摘以降、農村の若者についての研究蓄積は増えていっ た。若者を理解しようとする姿勢も次の世代の研究者に受 け継がれた。彼らの研究では、なぜ農村の若者がRUFに 参加したのかが論じられている。それらの議論での共通見 解とは、RUFに参加し戦闘員になった者たちは、農村に おける伝統的な指導者層によって搾取され、周縁化された 存 在 で あ り、 農 村 に 居 場 所 が な か っ た い う 理 解 で あ る ( Archibald and Richards 2002; Chauveau and Richards 2008; Richards 2005 ) 。 シ エ ラ レ オ ネ の 大 半 は 首 長 区 ( ch ief dom ) と い う 行 政 区 分 に 分 け ら れ て い る ( 県 ( dis trict ) の 下 位 区 分 で あ る )。 首 長 区 は 、 か つ て 林 立 し て い た 小 国 が も と と な っ て い る 。 イ ギ リ ス に よ る 植 民 地 統 治 の も と 、 小 国 の 王 は 行 政 制 度 に 取 り 込 ま れ た 。 王 は そ の 地 域 の 統 治 を 担 う 大 首 長 ( pa ra moun t ch ief ) に 任 命 され 、 そ の 支 配 領 域 は 首 長 区 と し て 植 民 地 行 政 の 傘 下 に 取 り 込 ま れ た 。 大 首 長 に な れ る の は 、 か つ て の 王 の 家 系 に 限 ら れ て い る 。 大 首 長 の 傘 下 に は 長 老 層 ( el der s ) が い る 。 彼 ら は 伝 統 的 な 指 導 者 層 で あると 同 時 に 行 政 官で も あ る 。植 民 地 統 治 下に お い て 定 めら れ た こ の制 度 は 独 立 後 も 存 続 す る こ とと な っ た 。 独 立 後 、 経 済 悪 化 に よ り 国 家 が 疲 弊 し 、 中 央 から の 影 響 力 が 薄 ま る な か 、 大 首 長 は 個 人 的 な 権 限 を 行 使 し 、 首 長 区 内 に お い て 独 裁 とも い える統治を敷いたといわれる ( cf. Mamdani 1996 ) 。 RUFに動員された若者とは、大首長をはじめとする首 長区の指導者層に横暴や搾取のターゲットとされた者たち であった。そうした説明がリチャーズをはじめとする何人 か の 研 究 者 に よ っ て な さ れ た ( Archibald and Richards 2002; Chauveau and Richards 2008; Fanthorp 2001; 2005 ) 。 たとえば、アーチバルトとリチャーズによると、大首長は 土地の使用権、コミュニティの司法権、コミュニティ労働 の 召 集 権 を 持 っ て お り、 そ の 立 場 を 私 的 に 行 使 し た と い う。また、首長区の共有地を企業や実業家に売却したり、 私 的 な 目 的 で コ ミ ュ ニ テ ィ 労 働 を 徴 用 し た り し た と も い う。さらに司法権を乱用し、不当な罰金や罰としての労働 を住民に課した。その他にもコミュニティの婚姻をコント ロールし、女性を与える対価として法外な婚資や労働奉仕 を強要したという。こうした横暴の標的になったのは伝統 的 指 導 層 と 血 縁 関 係 や 姻 戚 関 係 に な い 家 系 の 若 者 で あ っ た。彼らは、RUFの侵攻をコミュニティから逃げる機会 と と ら え、 多 く R U F に 参 加 し た の だ と い う ( Archibald and Richards 2002 ) 。 こ の 理 解 に 基 づ く と 農 村 か ら R U F に参加した若者とは、首長層によって周縁化された者たち であった。 この説明は紛争が収束した後、シエラレオネで平和構築 支援が実施されるなかで注目を集めた。そもそも内戦が始 まった当初は、国際社会はシエラレオネに注目を払わず、 十分な援助が投入されていたとはいえない。しかし、内戦 中の一九九七年に発生したクーデター、および、そのクー デターに対する周辺国による軍事介入により、シエラレオ ネ は 国 際 社 会 か ら 注 目 を 集 め る こ と に な っ た ( Smillie and Minear 2004: 23-50 ) 。 そ れ 以 降、 シ エ ラ レ オ ネ は 平 和 構 築 のテスト・ケースとなり、援助の投入は増加し、実務者お よび実務志向の研究者による研究も増えていった。また、 シエラレオネが注目を集めることでシエラレオネ内戦を理 解しようという実証型の研究も増加し、シエラレオネ内戦 は最も研究された武力紛争の一つとなった。シエラレオネ 内戦は二〇〇二年に終結したが、その後も研究は増加して いった。 武力紛争を収束させるためにシエラレオネへと介入した ブレトンウッズ体制諸機関は、首長制度を内戦の一要因と して注目するようになった (稲田ほか 二〇〇三:二〇五) 。 世界銀行は、リチャーズを筆頭とした調査チームを作り、 コミュニティにおける参加型開発とエンパワーメントの可 能性を調査している ( Richards et al. 2003 ) 。その報告書で は、シエラレオネの農村コミュニティは、首長制度ゆえに コミュニティの団結力が欠如しており、住民への説明責任

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がない、ゆえに、首長制度によって周縁化された人の声を 丹念に拾う必要があるとしている。リチャーズらは首長制 度の見直しさえ勧告した。 ただし、リチャーズの主張するような首長制度に対する ラディカルな改革は実際には施行されなかった。稲田らに よると、シエラレオネ内戦収束のために立ち上げられた平 和 維 持 活 動「国 際 連 合 シ エ ラ レ オ ネ 派 遣 団」 ( United Nations Mission in Sierra Leone : U N A M S I L) の な か で は、 首 長 制 度 に つ い て 諸 意 見 が 出 た と い う。 「長 老 の 意 見を大事にする伝統社会の慣習があればこそ……地域社会 で問題解決を図ることができる」という意見が出る一方、 「長 老 が 社 会 を 牛 耳 っ て い る た め に 若 者 が 芽 を 出 せ ず に 内 戦をおこしたのだから彼らに法的な根拠を与えず、あくま で象徴的な存在として」残すべきだという意見もあったと い う (稲 田 ほ か 二 〇 〇 三: 二 〇 五) 。 と は い え「復 興・ 開 発期には精神的支柱は必要なものである」から首長制度は 存 続 す べ き と の 声 が (現 地 側 で) 強 く、 か つ U N A M S I L側にも撤廃する意見は強く出なかったことから、首長制 度は存続することに決まったという。このように首長制度 の根幹は内戦後も変わらなかった。 しかし少なくとも内戦後に地方行政制度が整備されるな か で、 首 長 制 度 に 対 し て 注 目 が 集 ま っ た こ と は 確 か で あ る。紛争後、シエラレオネでは、二〇〇四年に地方自治法 が成立し、それに基づく地方選挙が実施され県議会が全国 で次々と開設された。その際、県議会と大首長の役割分担 が定められた。

平和構築

若者

首長制度

研究

援 助 機 関 が 首 長 層 の 動 向 に 注 意 深 く 目 を 向 け る よ う に なったのは、学術的な議論で若者について掘り下げられた からだといえる。若者に目を向けた研究者が、若者が暴力 に訴える背景として首長制度を論点として取り上げるよう になったことで、援助機関もまた首長制度を問題として取 り上げることになった。研究者がシエラレオネの内戦を掘 り下げることによって、政策実務者が取り組まなければな らない問題が発見できたのだといえる。もし「若者は暴力 的である」と本質主義的に理解するだけだったとしたら、 首長制度が問題視されることはなかったかもしれない * 4 。こ のようにシエラレオネでは若者についての研究が深められ ることで、首長制度の問題が指摘され、注目されることと なった。 そ の 一 方 で 、 若 者 論 は 、 シ エ ラ レ オ ネ を 離 れ 、 広 く 平 和 構 築 の イ シ ュ ー と し て 取 り 上 げ る よ う に も な っ た 。 武 力 紛 争 に 対 処 す る た め に は 若 者 に 注 目 し な け れ ば な ら な い と 一 般 論 と し て も 取 り 上 げ ら れ る よ う に な っ た の で あ る 。 ま た 、 学 術 研 究 で も 著 者 と 武 力 紛 争 の 関 係 は 広 く 論 じ ら れ る よ う に な っ た ( A bbi nk a nd va n K es se l ( ed s. ) 20 05 ; C ha uve au a nd R ic ahr ds 20 08; H on w an a an d D e B oe ck ed s. ) 20 05 ; R ich ar ds 1 996 ; 20 05 ; R ich ar ds a nd H ela nd er ed s. ) 20 05 ; Pe te rs 2 00 6; 20 11 ; U ta s 2 008 ; V ig h 200 6; 月 二 〇 〇 五 )。 そ れ に 伴 い 、 平 和 構 築 に 関 する 政 策 研 究 で も 若 者 問 題 を 扱 う 研 究 が 出 版 さ れ ( IC G 20 01 ; W eiss 20 05 ; K emp er 20 05 、 援 助 機 関 で も 若 者 問 題 を 取 り 上 げ る よ う に な っ た ( DF ID

2001; Ebata et al. 2005; Sommers 2003

) 。 た だし 、 そ の 取 り 上 げ ら れ 方 は 、 過 度 な 一 般 化 を 伴 う と い う 傾 向 が あ る 。 た と え ば 、 英 国 開 発 省 ( D ep ar tment fo r Int er na tio na l D evel opment : D F I D ) は ア フ リ カ の 武 力 紛 争 を 分 析 す る 指 南 書 を 公 開 し て い る が 、 そこ で は 「 雇 用 さ れ て お ら ず 、 教 育 を 受 けて い な い 若 者 た ち 」 が 紛 争 の 副 次 要 因 で あ る と 指 摘 さ れ て い る に 留 ま っ て い る ( D FI D 20 01 ) 。 ま た U N D P か ら 出 さ れ た 報 告 書 『 若 者 と 武 力 紛 争

社 会 と 開 発に 対 す る 危 機 か ? 』 で も 「 人 口 が 増 加 す る 若 年 層 は 平 和 の 定 着 と 開 発 を 阻 害 す る 要 因 と な っ て い る 」 と 指 摘 し て い る に す ぎ な い ( E ba ta e t a l. 20 05 ) 。 若 者 に 注 目 を 集 め た こ とか ら 、 こ れ ら の 指 摘 が 無 益 とは い え な い 。 し か し 、 こ れ ら の認 識で は 若 者 が な ぜ不 満 を 持 つ の か を 掘 り 下 げ る の は 難 し い だ ろ う 。 シ エ ラ レ オ ネ の 場 合 、 若 者 を 理 解 し よ う と する試 み か ら 、 首 長 制 度 の 問 題 点 が 浮 き 彫 り と な っ た 。 そ れ に 対 し て 、 若 者 を 武 力 紛 争 の 副 次 要 因 と 位 置 付 け るだ け で は 、 そ の背 後 に 横 た わ る 問 題に 気 付 く こ と がで き な い 。 カ プ ラ ン の 批 判 か ら 始 ま っ た 若 者 論 は シ エ ラ レ オ ネ 内 戦 に 主 導 さ れ て 進 展 を 見 せ た も の の 、 そ の 知 見 が 一 般 論 と して 政 策 に フ ィ ー ド バ ッ ク さ れ る と き 、 若 者 に 対 す る 解 釈 は カ プ ラ ン と同 じよ う に 「 若 者 は 暴 力 的で あ る 」 という本質主義的な理解に立ち戻ってしまったといえる。

Ⅴ﹁貪欲・憤懣﹂論争、再

RUFの若者に対する探究は、首長制度の問題点を指摘 するに至ったことを前節では指摘した。実はここまでRU Fを率いたインテリ層の若者とはいかなる存在だったのか を紹介していない。本節ではそのことを指摘する。この問

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題に取り組んだのが人類学者クライン・ペーターズ ( Krijin Peters ) である。

RUF

研究

ペ ー タ ー ズ は 紛 争 後 の シ エ ラ レ オ ネ で フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 実 施 し 、 R U F に 参 加 し た戦 闘 員や 司 令 官 た ち の 声 を 聞 き 取 り 、 彼 ら の 価 値 観 や R U F で 達 成 し よ う と し た 理 想 の 世 界 に つ い て の 「 語 り 」 を 聞 き 取 っ た 。 そ の 著 作 ( Pet er s 20 06 は 博 士 論 文 で あ る が 、 数 多 く 引 用 さ れ 、 シ エ ラ レ オ ネ 内 戦 の 研 究 の み な ら ず 、 武 力 紛 争 と若 者 を 論 じ る 研 究 に 広 く イ ン パ ク ト を 与 え た ( 澤 二 〇 一 一 ; D en ov 20 10; Ch auv ea u

and Richards 2008; Utas 2008

) 。 シエラレオネ内戦は二〇〇〇年あたりから沈静化しはじ め た。 ペ ー タ ー ズ が フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 実 施 し た の は、 ちょうどその頃である。ペーターズは武装解除キャンプで 元 戦 闘 員 や 元 司 令 官 た ち と 共 に 生 活 し、 ラ ポ ー ル (信 頼 関 係) を 築 い た 上 で、 彼 ら の 声 を 聞 き 取 っ た と い う ( Peters 2006: 8 ) こ の 研 究 以 前 に も R U F に つ い て 論 じ た 研 究 は あるが、RUFの戦闘員に直接コンタクトを持った研究者 はほとんどいない。それに対してペーターズは戦闘員のみ な ら ず 幹 部 と も 接 触 し、 彼 ら の 主 張 を 聞 き 取 っ た。 彼 は キャンプに通いながら元戦闘員の子どもたちとサッカーを したり、大人たちとディスカッションをして一日を潰すこ とにより信頼関係を築いたという。ペーターズとRUFの 司令官たちの年齢は同じくらいであり、比較的打ち解けや すかったのだと語る (筆者によるペーターズとの会話から) 。 ペ ー タ ー ズ の 研 究 の 意 義 は 、 元 戦 闘 員 の 語 り や 彼 ら の 取 り 組 み か ら こ れ ま で 注 目 さ れ て こ な か っ た R U F の 内 部 の 様 子 や 彼 ら の 持 つ 信 念 を 明 ら か に し た こ と に あ る 。 た と え ば 、 基 地 内 で の 規 律 や 生 活 の 様 子 を 聞 き取 っ た り ( 四 章 ) 、 具 体 的 な 場 所 や 出 来 事 ( 有 名 な 戦 闘 や 和 平 合 意 な ど ) を 提 示 し た 上 で の 戦 闘 員 の ラ イ フ ヒ ス ト リ ー を 提 示 し た り し た ( 八 章 ) 。 と く に ラ イ フ ヒ ス ト リ ー は シ エ ラ レ オ ネ 内 戦 の 中 を 生 き た 人 の 具 体 的 な 経 験 を 提 示 し て お り 大 き な 学 術 的 貢 献 と い え る 。 彼はそのなかで、RUFで理想の社会を作ろうとした二 人の司令官のことを紹介している。彼らは紛争前のシエラ レオネの荒廃を憂い、政府を打倒し理想の社会を構築する ことを夢見てRUFに参加した。農業に基づく自立した社 会を作りたかったのだという。しかし、戦闘員の規律が崩 れコントロールできなくなったことにより頓挫したのだと いう。紛争後、彼らは理想としていた社会を別の形で作る た め に N G O を 立 ち 上 げ た の だ と ペ ー タ ー ズ は い う ( Peters 2006: 87-97 ) 。彼らは二国間援助機関やローカルN GOから助成を受けつつ農場を経営している。 このようにペーターズはRUFの声、特にリチャーズの いう「インテリ層」の声を聞き取ることにより大きな学術 貢献をした。ペーターズは、RUFの行ったダイヤモンド 採掘といった経済的な側面を描いておらず、暴力的な側面 についても十分踏み込めていない。そのため、RUFに対 する理解としてはいささか偏っている。しかし、RUFの 「若 者 に よ る 革 命」 と い う 側 面 を 描 く 点 で は 彼 は 大 き な 貢 献を行った。少なくともコリアーと同様一つの側面を描い たという点においてペーターズの研究は重要である。

2﹁貪欲・憤懣﹂論争

冒頭で紹介した「貪欲・憤懣」論争に戻ろう。コリアー は武装勢力の声を聞くという研究には意味がないという姿 勢 を 取 り、 R U F を 利 益 追 求 集 団 と 見 做 し て い る。 リ チャーズが主張したようにRUFはそもそも社会運動が過 激化することで生まれた武装勢力である。また、ダイヤモ ン ド 採 掘 活 動 も 紛 争 中 盤 に な る ま で 本 格 的 に は 行 わ れ な か っ た ( Peters 2006: 7 ) よ っ て コ リ ア ー の R U F は 利 益 追求集団であるという主張はシエラレオネに関するかぎり あてはまらない部分もある。コリアーは「経済の一次産品 への依存度が高い場合、武力紛争が発生しやすい」という 相関関係を導き出した。その相関関係は正しいのかもしれ ないが、そこからコリアーが導き出した解釈は少なくとも 検討の余地がある。 ペーターズの主張と、コリアーが導き出した相関関係、 そして、社会変革を志していたはずのRUFがダイヤモン ドからの利益を重視するように変化したという事実の三者 を踏まえると、新しい研究課題が生まれるはずである。す なわち、いかにRUFは利益を追求するようになったのか と い う 問 い を 導 く こ と が で き よ う。 し か し、 「貪 欲・ 憤 懣」論争は、こうした学際的な方向に議論が進展すること を阻んだ。その背景には、コリアーがペーターズの実施す るような研究の価値を認めない態度を取ったからである。 ただし、そうしたコリアーの態度の裏側には、世界銀行に 対して介入の正当性を与えるという使命があったことは留 意すべきである。

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結論

本稿では、ブレトンウッズ体制の枠組みにおける世界秩 序 の 維 持 体 制 の な か で、 「知 識」 (社 会 科 学 の 研 究、 お よ び、 そ れ に 類 似 す る 知 識) が い か に 利 用 さ れ て き た の か。 また、それに対して知識の生産者、すなわち研究者はいか にかかわったのかを論じるため、シエラレオネ内戦に関す る知識を取り上げ、その系譜を追っていった。 ブレトンウッズ体制内の諸機関は、介入の正当性を保つ ために知識を利用している。その際に好まれるのが一般化 を志向した知識である。一般化を志向した知識は、介入の 根拠としてどの国に介入するとしても適用可能な一律の説 明を提示できる。コリアーによる統計的な研究やカプラン による記事はその一例といえよう。こうした一律的な理解 に対して地域研究者は、介入する側が軽視しがちな、一般 的な法則性だけでは理解できない個別の事例の特異性を強 調してきた。シエラレオネ内戦の研究は、一般化された理 解に反論をすることで進展をしてきたといえよう。 そ の よ う に 考 え る と、 コ リ ア ー に よ っ て 仕 掛 け ら れ た 「貪 欲・ 憤 懣」 論 争 と は、 一 般 化 を 志 す か、 個 別 理 解 を 志 すかという社会科学が抱き続けてきた問題を反映したもの といえるかもしれない。しかし、この論争が特異なのは、 社会科学を超えて行き過ぎた一般化が問題視されているこ とである。世界の武力紛争を一律に理解しようとする研究 に は 一 定 の 意 義 が あ り、 武 力 紛 争 を 理 解 す る 一 助 と は な る。しかし、そうした理解がブレトンウッズ体制の諸機関 によって用いられる場合、理解は固定化し、本質主義的な 理解となってしまう。シエラレオネ内戦の研究の系譜を見 ると、個別理解を志す研究者は、そうした介入する側の都 合で作られた行き過ぎた一般化、あるいは、もはや現象を 理解するために助けにならないような一律的理解を反証す ることで研究を進展させてきた。 政策における過度な一般化と本質主義的理解に対して研 究者が批判をするという構図は、シエラレオネ内戦に限っ たことではない。こうした状況は必然的に起こるといえよ う。なぜなら政策では本質主義的理解をせざるをえないか ら で あ る。 人 類 学 者 デ ヴ ィ ッ ド・ タ ー ト ン ( David Turton ) は そ の こ と を 人 道 援 助 機 関 が 難 民 を 保 護 す る と いう状況で指摘している。人道援助機関は、難民を保護す るという政策を遂行するために難民に対して解釈を付与す る。すなわち、難民を「保護を求め国境を越える存在」で あ り、 「武 力 紛 争 に よ る 犠 牲 者 で あ り、 人 道 援 助 機 関 に よ り庇護が必要な存在」とみなす。この理解は、犠牲者像を 固定化することで難民に対して本質主義的な理解を提示す ることにほかならない。こうした本質主義的な理解が「難 民を保護する」という人道支援機関の活動に根拠を与えて いる。 しかし、現実をみると、難民は主体的に行動し、自らの 意思で移動することを決めていることも多い。難民として 人道援助機関に保護されることを選んだのも一つの選択肢 である場合もある。しかし、そうした実情を描くことは介 入の正当性を蝕むことにつながり、人道援助機関にとって 無 益 で あ る。 こ の よ う に 政 策 (こ こ で は 難 民 を 保 護 す る こ と) を 遂 行 す る た め に は、 そ の 正 当 性 を 確 保 す る た め 本 質 主義的な理解に依拠せざるを得ないのである。 ゆえに政策を実施する機関に、現状を正直に語らせよう とすることは非現実的である。いくら人道援助機関が難民 を理解し、把握していたとしても、介入の正当性を得るた めには難民を犠牲者で庇護を求める受け身な存在として描 かざるをえない。ゆえに学術研究の役割としては、直接的 に実務家に対して知識を提供することではなく、政策やそ の実践を詳細に検討し、その問題点を外側から指摘し続け る こ と に 意 義 を 持 つ の だ と タ ー ト ン は 指 摘 し て い る ( Turton 2003: 17 ) 。 シエラレオネ内戦の研究は、タートンの言うような学術 研究の役割を実践することで進展してきたといえる。とく にリチャーズによるカプラン批判には、シエラレオネとい う地域への理解を手掛かりに、広い知的貢献を意識した態 度が読み取れる。人類学者のなかには、植民地主義の反省 から政策と距離を取る者も多い、その一方、シエラレオネ 内戦の研究者たちは政策の世界をあえて意識することで研 究を進展させてきたといえる。 ◉注 * 1 こ う し た ロ ジ ッ ク は 「 保 護 す る 責 任 」( re sp on si bili ty to pr otec t ) と い う 概 念 に 明 確 に 表 れ て い る 。 保 護 す る 責 任 と は 、 国 家 に は そ の 領 土 を 統 治 し 、 人 々 を 保 護 す る 責 任 を 持 っ て お り 、 適 切 な 統 治 能 力 を 持 た ず 、 社 会 的 緊 張 を 管 理 す る こ と が で き な い 国 家 に 対 し て は 国 際 社 会 が 軍 事 介 入 す る こ と が で き る と い う 考 え 方 で あ る 。 こ の 考 え 方 は 一 九 九 〇 年 代 後 半 か ら 二 〇 〇 〇 年 代 前 半 に 台 頭 し 、 国 連 に お け る 委 員 会 の 報 告 書 や 合 意 文 書 に お い て 扱 わ れ る よ う に な っ た ( 榎 本 二 〇 一 四 : 四 一 )。 例 え ば 、 国 連 に よ る 報 告 書 『 わ れ ら 人 民 』( W e th e

参照

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