Author(s)
組原, 洋
Citation
沖縄大学法経学部紀要 = Okinawa University JOURNAL
OF LAW & ECONOMICS(6): 29-43
Issue Date
2006-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/5972
【研究ノート】
沖縄における都会と田舎
組原洋 キーワード:田舎の過疎化、食料自給率 まえがき筆者は05年度に設置された沖縄大学大学院で、比較法政策研究という後期2単位の科目を担当し
ている。この科目は、筆者がこれまで関与したり、調査したりしてきた、沖縄で生起してきた法的
な事例や事件を順次取り上げ、その問題構造や背景等を把握しようとするものである。「比較」とい
う言葉を入れたのは、アジア地域における沖縄の位置づけを比較によって試みたいということで
あった。講義要項を作成した段階では、具体的には、軽貨物訴訟、黙認耕作の問題、金武等におけ
る入会権関係の訴訟、国際児の問題、フィリピン残留日系人の問題等を考えていた。
ところが、05年度後期のこの科目の受講者は高根博樹氏1人だけであったので、同氏が主要テー
マとしているいわゆる赤土問題を考えてみることにした。最初はせいぜい数回でこのテーマは終え
ることができるであろうと思っていたのだが、意外にも、そこからどんどんふくれあがっていった。
また、他地域との比較は予想以上に大きな比重を占めるに至ったが、アジアの他地域との比較より
は欧米との比較が多くなった。そして、内容的に、自治体学と非常に関連したものとなったので、
06年1月5日に、それまでやった内容を「都会と田舎の関係」と題してまとめ、筆者が同大学法経
学部で担当している自治体学入門の講義としてやった。
周知のように、沖縄では、米軍普天間基地の移転先をめぐって、日米間で、沖縄県の頭越しに取
り決められたことから、「沖縄のことは沖縄で決めるべきである」という論調が非常に強まってい
る。そういう状況の中で講義を担当しながら考えていたのは、では沖縄が自立する方向で動いて
いったとき、どういう社会になるであろうか、どういう社会であるべきだろうかということである。
沖縄の自立をいいながら、特に生活レベルに近い問題については、沖縄全体との関連で考えたもの
がそんなに多くはないと感じられるのである。そこで、そのような試みの1つとして、05年度後期
における筆者の思考展開を跡づけてみたのが本稿である。問題が現在進行形であり、さらに思考が
ふくらんで行くことは十分考えられるが、一応05年度に考えた範囲でまとめてみた。高根氏との授業は、ほとんど名護市内の筆者の法律事務所で行った。高根氏が名護市在住という
こともあるが、筆者と共同で仕事をしていて、名護をはじめ、沖縄ヤンバル地方の事‘情に詳しい税
理士の島清氏の意見を聞きながら授業を進めたかったからである。また、後述するように、農業法
の専門家である島根大学法務研究科教授の小川竹一氏からいろいろご教示いただけたことで、当初
は予想もしなかった展開になった。ここで両氏に謝意を表したい。筆者としては、本稿が今後の議論の端緒の1つとなればと願っている。忌憧のないご意見を期待
している。 -29-1景観論=環境も文化論の一環として考える
高根氏は、名桜大学での卒業論文のテーマも赤土問題で、2003年10月から翌年10月にかけて「赤
土(土壌)流出防止対策における農家の意識調査及び行政の取り組みについての調査」を行ったと のことで、大学院での研究課題「沖縄県における赤士防止対策の政策的検討一滋賀県における環境 こだわり農業の沖縄県への適用可能性」もその継続である。島氏も交えてまずその話を聞いてみた。 一番印象に残ったのは、現在、農地からの土壌流失が赤土の7割程度も占めているということであ る。すなわち、沖縄県では1995年に赤土等防止条例を施行した結果、公共事業等による赤土の流出 減少がみられたのに対して、農地からの流出量はわずかに減少したにとどまるという。その対策に ついても聞いたが、それよりは、農業従事者の高齢化が進んでいることがうかがえたのが強く印象 に残った。島氏も、もしこのまま高齢化が進んで、しかも跡継ぎがいなければ、農業ができなくな るという形で問題が自動的に終わってしまう可能性もあるのではないか、といったことを述べられ た。 問題の概況を把握するために、小川氏からいただいた文献(1)所収の平松紘「沖縄における沿 岸環境問題と地域社会一コモンズ論の視点から-」を読んでみた。これによって沖縄の振興政策と 環境問題の変遷を理解できた。沖縄県赤土防止条例については、この条例は1000平方メートル以上 の土地(赤土を問わず)について事業を行うものは知事に届出または通知を必要としていることと、 赤土防止策、及びその実際の効果が述べられ、農家からの赤士防止にはほとんど効果がなかったこ とが記されている。この論稿の最後の部分で赤土等流出問題とイノーについて述べられているが、 赤土によるイノー破壊は結果であって、原因把握とは直接にはつながらない。 また、文献(2)の記事で、八重山でも同じ問題が発生していることを知った。この記事で農家 の対応が記されている。傾斜地には低い方に石垣を積み上げて高低差を少なくしたり、沈砂池を 造ったりするなどの対策を取り始めたが、傾斜が緩くなると「水はけが悪くなる」「耕地面積が減る」 と農地側からは消極的な声もあるという。沖縄県では、傾斜を緩くするだけでなく、畑と道路の境 界線や収穫後の畑に根付きのいい植物を植えるなど、農地にあった対策を総合的に立て、05年度か ら実行しているとのことである。 この問題を筆者なりに考えてみて思い当たったのは、文献(3)で知った、フランスの「最も美 しい村」運動である。 フランスには日本の十数倍にあたる3万6500の市町村が今なお基礎自治体として生き続けてい る。フランス革命期とあまり変わっていない。フランスでも、わが国同様に、地方自治の効率化を もくろむ中央政府がコミューン合併を促した時期もあった(1971年7月16日法)が、フランス国民 は合併を拒み、今日に至っている。当時3万8500あったコミューンのうち838件、2045のコミューン が応じたに過ぎなかった。一度合併しても再び分離して元に戻るコミューンまで現れた。フランス は、面積は日本の1.5倍であるが、人口は6000万人と日本の半分で、パリでさえ、郊外に-歩踏み出 せば広々とした田園風景に変わる。コミューンの平均人口は1600人に過ぎない。50人に満たない家 族のような村でさえ1000をこえる。100人未満に広げると3900.すべてのコミューンの76%(約2万 8000)までが人口1000人に満たない。5000人未満にまで広げると95%(3万4700)。逆に人口10万 人をこえる都市は01%(36団体)に過ぎない。日本でいうと中核市の要件である人口30万人を単独 で満たす都市はパリ、マルセイユ、リヨン、トウルーズ、ニースの5市しかない。1981年ミッテラ -30-ン政権が成立すると、「フランスは建国のため強力な中央集権を必要とした。今日、フランスは解体 しないために地方分権を必要とする」と宣言し、本格的な地方分権法の関係法整備に乗り出した。 翌1982年に「フランスの最も美しい村協会」制度ができ、2004年7月現在148の村を認定しているそ うで、例として、リヨン北東35キロのペルージュ(ローヌ・アルプ州アン県)などが文献(3)に 挙げられている。 文献(4)によれば、このような、農村の景観や郷士芸能などを守りながら、観光によって地域 の発展を目指すフランスの「最も美しい村」運動を手本に、日本でも、7町村が「美しい村連合」 を立ち上げている。 景観法もできたので、赤土問題に、「美しい景観」を守るというアプローチでどうかと考えてみた わけである。景観法は建築基準法や都市計画法と異なって、一律に規制するのではなく、その気に なった自治体に根拠を与えるという意味で、地方分権の申し子である(文献(5)参照)。もともと は、まちなみなど、都会の問題が焦点であった。例えば、国立市の大学通りマンション事件につい て、長谷川貴陽史「景観権の形成と裁判一国立・大学通りマンション事件訴訟を素材として-」(文 献(6)所収)等を参照されたい。この法律は、田舎の景観形成にも利用できるが、ではどんな景 観が「美しい」とされるのだろうか、ということで、日本の田舎の景観としてどんな事例が挙げら れているのか、いろいろ調べてみたら、やはり、日本の代表的景観は棚田であろう。そういう田舎 での事例集をあたってみた範囲では、沖縄を取り上げたものが見あたらなかったので、沖縄らしい 景観ってどんなものなのだろうかとさらに考えてみた。実は、沖縄のヤンバルでも1950年代まで、 水田がたくさんあった。ちょっと年輩の人ならそのころの風景をよく記I億している。探してみた ら、文献(7)に1959年4月19日頃撮影されたと思われる、ヤンバルの奥部落の全景写真が載って いるのが見つかった。確かに水田が写っている。当時w山頂近くまで段畑になっていたそうで、栽 培割合は、水稲が一番多く、甘藷、甘蒔と続く。焼畑農法が行われており、また、お茶も生産され ていた。 2都会と田舎の合体=都会の人たちを単なる消費者としないために 棚田については、ちょうど文献(8)が出版されたので読んだ。そこに収録されている写真は確 かに美しく感じられた。しかし、次のメモにも書いてあるように、水田景観は手入れが非常に大変 で、過疎化がどんどん進行して行っている状況下では維持が困難である。 <富山和子「日本の風景を読む」メモ> 第3章棚田を読む *斜面にはえているライン川のブドウ畑を見て「畑と水田は違う」と思った。 *水田は水を使うだけでなく、大地に水を張る。 そのためには、水源を探し、川をせき止め、水路を築く土木工事が必要。農地についても、木竹 を払い、石を除き、土地を平らにする。周囲にしっかりと畦を築く。 上流から水が来なければダメ。 水をどのように分けるかを調整、秩序立ててきたのが日本の共同体。 *水田には水の出口と入り口がある。 -31
*水を引いてくる努力。美しい棚田には水に苦しんだ歴史がある。
*水源地の宿命:山村がつくった水はたいてい地下に潜ってしまい、下流にわき出る。自分では使
えない。 第4章森林を読む *水の原点は森林。*水田風景が平野から山裾へ、沢合いの段々畑がはい上がっているような場合は山もまた森林が守
られている。林業は独立しては成り立ちにくい産業である。自分が植えた木は自分が生きている間は伐れず、
孫の代にならないと収入にならない。だから植林も農業と一体。 *中国山地の山々は木材生産でなく炭焼きで栄えた。製鉄(たたら)。戦後石油の侵入とともにいち 早く過疎になった。山も放置され、ただ荒れ果てた広葉樹の天然林が足の踏み場もなくむんむんと 茂っている。台風が来たら大水害になった。 懸命に米作りしているところは山も生き生きしている。日本は世界160カ国中150位クラスの農業軽視国になりはてた。自給能力を失った。山の廃嘘化が
確実に進行している。 *日本の漁村には「鯨塚」や「魚魂塚」があるけれど、東北の山村には「草木塔」まであった。 なおたまたまであるが、筆者は、05年8月にはマダガスカルを、同年9月にはインドネシアのス ラウェシ島を旅行した。この際、マダガスカルの中央高地部分、及びスラウェシ島のトラジャ周辺 でたくさんの棚田をみることができた。考えてみてもなぜかよく分からないのだが、確かに棚田の 景観は筆者の心に残った。 田舎の過疎化は、都会が便利だから仕方がないのか? この点について、英国の「田園都市」論と、レッチワースでの実践は興味深い。田園都市という 言葉は以前からきき知っていたが、文献(9)に出あうまでずっと誤解していたことに直ちに気が ついた。文献(10)も参照しながら作成した文献(9)のメモを以下に掲げる。 <菊池威「田園都市を解くレッチワースの行財政に学ぶ」メモ> (E・ハワード「明日」に描かれた新都市の骨組み) *6000エーカー(2400ヘクタール)真ん中の1000エーカー(400ヘクタール)が市街地。住宅と産業。 総人口3万2000人(町に3万人、農用地に2000人)。農用地の住人は市街地の近くに住み市街地にあ る社会的利便'性を市街地の人々とともに享受できる。 新都市は賃貸都市である。それによって開発利益の共同還元が可能になる。 土地の共同所有と会社組織による開発・維持・管理。 田園都市はやがて社会都市に発展する。社会都市とは、複数の田園都市が連携する状態である。 ルッチワースの推移) 1898「明日:真の改革のための平和の道」初刊 1899田園都市協会設立:田園都市構想の啓蒙活動 -32-1902ガーデン・シティ・パイオニア・カンパニー設立:事業立ち上げ会社 1903第一田園都市株式会社(FGC社)設立 水・ガス・電気の供給、交通システム運営まで請け負う公的性質の強いもの。 ハートフオード州レッチワースに3822エーカーの土地を15人の地主から15万ポンド強で購入。ロ ンドンの北55キロ。場所的にはロンドンからちょうどいい距離。レッチワース、ノートン、ウイリ アンの3パリッシュからなる(人口は合計491人)。最初は変わり者が来て住んだが、やがて普通の 人々が多数になる。人工的あるいは強制的ではなく、自然にくまち>を成長させる方針。また、周 辺部から中央に向かって開発・建築していく方法。 協同住宅・労働者向けコテージの開発。 19073パリッシュがレッチワースに統合。 1919人口が1万人に到達したところで「町」に昇格。レッチワース町議会が誕生。パリッシュ議 会は自動消滅。1934、町議会はタウンスクエアに庁舎を建設。 1913年リポートでは、将来町議会に移管するよりは信託会社に移管する方がベターだと考えられ ていた。1914年にレッチワース・シビック・トラストがつくられた。将来FGCの地所をこの組織 に引き継がせようとしたのかもしれないが、そのようには進展せず、この団体は定款変更して慈善 団体になった。 第1次大戦中ベルギーから3000人のベルギー人避難者を受け入れる。 (戦前の経営内容) *99年賃貸方式99年ごとに見直し、地代が改定された場合は改訂時から99年の更新を認める。工場 については99年間固定地代。 固定地代(士地購入費と関連経費を比例割合で負担)+地方税(レイト)、地代ルント) *開発利益が課税で吸収されてしまえばレッチワースの試みはたちまち危機に直面する。1909年 増価税及び未開発税(開発予定地対象)の提案:この目的でレッチワースが評価されたことはなく 新税を免れた。 *初配当は1913年。1%・借入資本が少なく、自己資本が多ければもっと早く配当でしたでしょう。 1913年以降1918年まで配当が途絶える(第1次大戦)。1918年から3年間、2.5%。1923年に上限の 5%。1937年累積未払い支払開始。1946年すべての未払い金を支払い終えた。 *会社本来の業務である土地・開発に充てられた経費を大幅に上回る金額が水道・ガス・電気事業 に充てられた。しかし、十分に引き合った。 (戦後の動き) 1946ニュー・タウン法成立 開発公社化の動き。もう1つの田園都市ウェルウィン・ガーデン・シティはこの政策に呑まれる。 1947年労働党政権による開発税導入と公益事業の国有化。しかしレッチワースは開発税を免除され た。開発税は地方における土地取引を著しく停滞させたとして、1953年、保守党政権によって廃止 された。 1949臨時株主総会で定款変更(FGC社資産を公的組織へ将来移譲することと精算時の余剰を株 -33-
主に分配すること) 後半の定款変更は従来からのFGC社の約束を反故にするもの。
(1950年代半ばから1960年代初め投機筋からの株買い占めで私企業に乗っ取られてその資産を切り
売りされてしまう危機にさらされる。) l956FGC社配当制限撤廃 投機グループの動きに対応して株主に特段の配慮をする。タウンミーティングで批判。その結果、1957年、FGC社再度の定款変更(精算時の余剰の10%を
住民に還元) l961FGC社、ヨークホテル社の子会社に。1962レッチワース・ガーデンシティ公社法成立(私企業による乗っ取り策に対抗)
l968FGC社の全資産、レッチワース・ガーデンシテイ信託公社に移管 1974レッチワース町、北ハートフォードシヤー州に併合1995レッチワースガーデンシテイ信託公社財団化ルッチワース・ガーデンシテイ・ヘリテージ・
ファウンデーション)田園都市論の大きな魅力は、単なる構想でなく、レッチワースという実在の町がつくられ、今日
まで存続しているという点にある。上記の経緯をみても、レッチワースが今日まで存続していると
いうことだけでもすごいことだと感じられるのだが、しかし、都市の際限のない拡張を食い止めるという目的達成のためには田園都市は1つではダメで、多数の田園都市が連携し、ハワードの言葉
で言えば社会都市に発展することが必要である。しかし、この点は達成されなかった。 ただ、ハワードのいわゆる「都市と農村の結婚」という理念は、必ずしも田園都市という形でなくても実現可能なのではないかと筆者は考えている。だからこそ、19世紀末に生まれたこの考えが
いまだに興味を持たれ続けてきているのではないだろうか。 3国土保全、環境保全の観点からの政策論 筆者は、沖縄大学地域研究所で「コミュニティの生活規範と法」班の代表をしており、この班の ワークショップを05年12月6日に開催した際に、沖縄における法政策課題の一例として赤土問題も 取り上げ、これまで述べてきたような経緯を述べた。これに対して、小川氏は、デカップリングと いう政策手法があることをご教示下さいスイスなどでこの政策が実際に行われていることも知っ た。さっそく、インターネットで検索してみると、多数の資料を入手できた。 スイスの事例を文献(11)によってまとめると以下のようになる。 デカップリング(所得補償制度) *スイスの国土の3分の2が山岳地帯であり、人口の4分の1がそこに住んでいる。 3000ある自治体のうち120Oあまりが山岳地帯に位置している。山岳地帯だけでも5つのゾーンに 分けられている。 スイスの国士の25%が農地、3分の1が森林であり、畜産(放牧)地帯を含めると国士の約40% が農業用の土地になる。 -34-農業経営者数は7万人で、うち41%が山岳地帯にいる。専業農家の割合は70%で、農家1戸あた りの平均経営面積は17ヘクタールである。これは、ドイツ、フランスに比べると小さいが、日本よ りは大きい。農業従事者は12万5000人で就業人口の42%である。農業に関連する業種、チーズ加工 業等にかかわる人口も含めると就業人口の8%を占める。生産物の70%は酪農、残る30%が農業 生産物である。国内総生産に対する農業生産額の割合は1.9%ぐらいである。 食料自給率は65%・EUは100%を超えているので輸出しているが、これと比較すれば低い。 *スイスでは、1996年に農業改革に関する新規条項が憲法に追加されたことに伴い「スイスの農業 政策について」が作成された。この政策の中で、生活環境が守られること、景観を守ること、空気、 土地、水、汚染についても細かく取り決められている。これは観光のためではなく、次世代に渡し ていくためである。 また、重要な政策の1つに、農家を分散して山岳地帯に住んでもらうということがある。 スイスの農業政策は、農産物を作るということだけでなく、多角的農業経営が求められている。 *スイスでは1992年にすでに、いわゆるデカップリングを始めている。以前は、山岳地帯で農産物 が多く生産できない場合に農産物そのものを高く買い上げるやり方をしていた。そうすると、農産 物価格が高くなって、国外の農産物に勝てなくなった。また、全部買い上げてくれるということで、 生産物が過剰になり、この制度を維持できなくなった。対策として、所得補償を高くすることにし た。そのため、生産については国はまったくタッチしていない。 農業予算のうち60%が所得補償にあてられており、-番大きな部分である。 基本的な考え方は、農産物を生産するから補償が入るのではないということである。スイスでは 農業と、環境、動物保護、河川保護などを編みあわせて考えている。農業を始めて所得補償を受け るということになったとき、農業を経営するだけでなく、エコロジーにも責任を持って取り組まな ければならない。 *具体的な所得補償額は、だいたいの数値として、工場で働く労働者の3分の2程度であろう。農 業経営者に対して所得補償が出ることについて、農業経営者以外の人たちからは比較的反対の声は 出ていない。 山岳地帯だけでなく平坦地に住んでいる人たちも所得補償の対象になる。兼業農家は就業時間が 3分の1以上という標準時間を満たせば所得補償は受けられる。 65歳になったら所得補償は受けられない。そのかわり、恩給が受けられる。 また、以上に関連するスイス憲法の規定は、文献(12)によれば次の通りである。 2000年1月1日に、新しいスイス連邦憲法が発効した。これは、1874年連邦憲法の全面改正であ る(1874年憲法は1848年憲法の改正されたもの)。部分改正は頻繁に行われてきたが、ほとんどは連 邦と邦(カントン)間の権限分配を内容とする。連邦は連邦憲法によって移譲された権限のみを行 使しうるから、新しい行政課題が登場するたびに権限分配が連邦憲法の改正を促すことになる。な お、日本でも、2000年、憲法調査会設置したが、ヨーロッパ5カ国の憲法事情視察することとなり (スイス、ドイツ、イタリア、フランス、フィンランド)、スイスも含まれている。 スイス新憲法の特徴の1つに「エコロジー憲法」のメルクマールを備えていることが挙げられる。 特に、「将来世代の権利」「被造物の尊厳」「(生態系・生物圏の)持続的発展」などを憲法上の概念 -35-
として取り入れた。 前文で「被造物に対する責任」および「将来世代に対する共同の成果と責任」をうたい、また連 邦の国家目的として国士の「持続的発展」(2項)、また、「自然的生存基盤の永続的保全」(4項) を掲げた上で、その後の多数の規定で具体化している(「持続性」の見出しを持つ73条、「環境保護」 の74条、さらに、75~80条、84条1項、104条3項a.b号、「被造物への責任」を体現して、「人間 の領域における生殖医療および遺伝子技術」と「人間以外の領域における遺伝子技術」とを具体化 した119条と120条、さらに、「移植医療」に関する119条の2など)。 1980年のアールガウ邦憲法において「被造物の尊厳」の概念が、「学術の教授および研究ならびに 芸術活動は自由である。教授および研究は、被造物の尊厳を尊重しなければならない」(14条)とい う文脈で用いられたのが実定憲法上初。それが92年の国民投票で連邦憲法に挿入され(24条の9 3項:「連邦は、動物、植物およびその他の生物の胚および遺伝形質の取り扱いに関する規則を制定 する。そのさい、連邦は、被造物の尊厳と人間、動物、環境の安全を考慮し、動物界および植物界 の遺伝的多様性を保護する」)、今回の全面改正でも維持された。 スイスのデカップリングは、この制度のねらいを明瞭に示してくれている。 EUにおける直接支払は1975年のいわゆる条件不利益地域に対する平衡給付金の導入にはじま る。1992年、WTO(ウルグアイラウンド)に対応して、農産物価格支持にかわる直接支払が導入さ れた。2003年7月に決定された共通農業政策CAP改革では生産からデカップルし、単一農場支払 に転換し、直接支払の受給には消費者・環境・動物保護の分野での最低基準の遵守を義務づける。 日本でも、1999年の食料・農業・農村基本法の制定とともに、中山間地域を農業の条件不利地域 と規定し、そこでの直接支払を開始した。これは農業の持つ環境保全機能の対価を財政で支払うも のであるが、日本では兼業農家が多いのでEU型支払は国民のコンセンサスを得るのが困難である として、条件不利と指定された市町村のlヘクタール以上の面的なまとまりのある集団農地を対象 に、地目別、傾斜度別の補助単価を設定する。農業生産を5年以上継続し、多面的機能の増進につ ながる行為を行う協定を守る農業者へ支払われるものとする。 以上については、文献(13)ないし(17)等を参照されたい。 4まちづくりにおける「焼畑商業」 ここまでで冬休みに入り、筆者は05年末ニューヨークに行ってきた。ニューヨーク訪問の目的の 1つがアジア系の人々の現状を観察することにあったため、マンハッタン区よりはクイーンズ区な どをむしろ中心にまわったが、1983年に訪問したときと比べてアジア系の人口が大幅に増えている だけでなく、エスニシティに応じたコミュニティが形成されている。このクィーンズ区で住民が、 米国において圧倒的な地位を築いてきたウォルマートの進出を阻止したということを文献(18)に よって知った。それによれば、ウォルマートはクィーンズ区に2008年開店予定で1万1880㎡の大型 店(1400台の駐車場)を出店する計画であった(25階建て超高層住宅2棟に併設するビルの1階部 分)が、近隣住民団体、環境グループ、労働組合、地元商店街、市会議員などを巻き込んだ反対運 動に直面し、05年断念したという。他の大都市でも抵抗勢力に阻まれ、大都市都心部への進出は遅 滞している。都心に入る前の大都市周縁部でも足踏みしている。ただし、大都市の都心が全国 チェーンの安売り大型店にとって未開の市場となっているわけではない。トイザラス、ホームデポ -36-
(家庭用品)、Kマート(総合スーパー)、ベストバイ(家電)などはニューヨーク市内に進出を終
えているが、地域にとけ込むようにして進出している。実際、そんな感じがした。
この本をニューヨークで読みながら、田舎の問題は都会の問題と表裏一体になっていることを痛
感した。そこで、筆者が沖縄大学で担当している比較法文明論の年明けの授業でこの本を紹介して
みた。90年代以降欧米先進国・都市は共通して大型店の立地を厳しく規制し、その開発を中心市街地に
誘導し、これによって、サスティナブルシティ、コンパクトシティの形成を目指してきたのに、日
本だけがこの流れに逆行してきた。日本では、大規模小売店舗法(大店法)の下で出店調整期間は
1989年度には平均35ケ月に達していたが、対日進出をうかがう米国流通資本の声を背にした米国政
府がいらだち、日米構造改革協議(1989年~1990年)の場で、日本の流通市場は閉鎖的であると糾
弾したのである。協議の最終報告書に、出店調整手続の明確性・透明性の確保と並んで「迅速`性」
が記載された。この結果大店法が1991年に改正され、出店調整期間は1年以内になった。その後結
局、大店法は廃止され、2000年に大規模小売店舗立地法(大店立地法)にかわったが、出店調整期
間は10ヶ月以内にさらに短縮された。こうして日本は現在大型店過剰の時代を迎えている。大型店でも店舗が増えているのはスーパー
(2003年に2000年の1.9倍)で、百貨店は店舗数がやや減少している。大型店の売上高は1997年を境に
前年比マイナスに転じた。その結果当然、l店舗あたりの売上高は激減している(2003年は1997年
より28%マイナス)。その結果、大手流通資本の経営破綻が相次いでいる。それでも増加している
のは、①大店立地法が施行されて以来、大型店の出店が原則として自由になった。実際、新規出店
する大型店の売り場面積はますます拡大の傾向にある。立地場所も巨大店舗を出しやすい郊外農地
や幹線道路沿いの工場跡地が増えている。②安普請の店なのですぐに老朽化する。売上が伸びなく
なったら即刻閉店し、閉店店舗数を上回る数の新規出店を続けることによって企業全体としての収
益を確保する。このような「スクラップ.アンド・ビルド」式のやり方を矢作氏は「焼畑商業」と
名づけている。言い得て妙である。小売業全体に占める大型店の面積比率は2002年に全国平均で44.0%に達し、小売業全体に占める
大型店の売上高比率も全国平均で32.4%に達している。90年以降、地方都市の中心市街地は急速に
衰退し、女↓性が夜道を独り歩きできない、空き店舗放火等の治安悪化が見られるようになった。最
近は地方都市周縁部や郊外でも大型店が閉鎖したまま放置されている。稼ぐだけ稼いで、その影響
で地域の商店街が衰退しきったところに撤退では地域社会はたまらない。それでも誘致する自治体
は後を絶たない。それは3つの期待からである。すなわち、「雇用機会の増加」、「買い物機会の拡
大」、固定資産税など「市税の増収」。その分中心市街地での雇用の減少、買い物機会の減少、地価
の下落が起こる。米国では、土地利用規制権限は連邦でなく州に属している。連邦憲法と抵触しない限り地方政府
は個性的なゾーニング条例をかなり自由に制定することができる。規制の仕方を同書によってみて
みると、さまざまな規模の店がバランスよく混在している状態を維持することが町独特の素朴な雰
囲気を守り、商業地区の活力と多様`性、そして市民の生活の質の維持という目的達成にかなうとし
て、自治体は規制条例を制定する。それは、裏を返すと、全国レベルのチェーン経営の大型店が増
えると地元の中小商店が廃業に追い込まれるから制限すると言ってることになるのだが、条例は表
-37-向き規制対象をその属地によって差別しているわけではなく、均質化店舗規制は地元チェーンにも
等しく適用されるので、取り扱いの平等性を求めた連邦法に抵触せず、州法の下における自治体の
合法的な土地利用規制権限の行使であるということになる。均質化店舗の立地規制をしているのは
風光明媚な地方都市に多いが、今や大都市にも広がる傾向がある。サンフランシスコがその先駆け
となった。同市議会は2004年4月に規制条例を成立させた。米国の地方政府のこのような動きは「自治の思想」に関係している。地域社会の資源の自己管理である。それは、「新開地」を自分たち
で守ってきた歴史に根ざしているが、一方でゲーティッド・コミュニティの急増にもつながってい る。現在、日本でも各地で規制への模索が見られるようになった。2000年の都市計画法改正は、都市
化社会(郊外化)から都市型社会(スプロール型開発抑制)にかわったという認識からいくつかの
開発制限型新制度を導入したが、逆に郊外開発を規制してきた線引き制度(市街化区域と市街化調
整区域に区分し、調整区域内での開発抑制)が、これまで義務だったのを選択制度に切り替える規
制緩和を行った。そういう動きに対抗して新たに調整区域を設定し、農地・農村をスプロール型開
発から守る政策を打ち出した都市もある。しかし、その周辺に都市計画法の土地利用規制がかかっ
ていない白地地域があれば、そこを狙って大型店開発が行われる。大型店立地をめぐって広域都市 圏内調整が必要になるゆえんである。 また、大店立地法、改正都市計画法と並ぶ「まちづくり3法」の1つ、中心市街地活」性化法(1998 年施行)に基づきコンパクトなまちづくりを政策ビジョンに掲げる自治体が増えている。そして、 まちづくりビジョンでは「都市と農村の共生」をうたっているところが多く、ゾーニングマップを作成して開発を誘導するところも出てきた。そして、大規模開発事業に対して事前協議制度を導入
する。 以上のような日本全国での動きと比べ、沖縄はどうであろうか。沖縄においても、ジヤスコなど 大型店は多数進出し、すでに過剰になっているのは本土と同じである。05年中に、ダイエーの沖縄 からの撤退が決まっている。本土との違いというなら、那覇から沖縄本島中部まで郊外とは言えな いほどに密集していて、家々は切れ目なく続いている。まとめて1つと考えてもおかしくない状態 である。郊外にもいろいろあるが、沖縄の場合このように非常に都会化が進んでいる。本稿で「都 市」ではなく「都会」という言葉を使ったのも、家々はびっちりならんでいるが、単なる住宅地を 都市というのははばかられ、さりとて、都会ではないという意味での田舎でもない部分が広がりつ つあるからである。今、そういったところに大型店が進出していっているわけである。 比較法文明論の授業後に学生たちにきいてみた結果、大型店に好意的な意見の方が多い。特に地 元資本が経営しているサンエーについてはそうである。便利だからいいではないか、というのであ る。これに対して、日本における大型店の問題点を非常にうまく提示しているものとして、文献 (19)が挙げられよう。田中角栄の「日本列島改造論」、大平正芳の「田園都市国家の構想」、1998 年国土庁発表の「新しい全国総合開発計画」、いずれでも田園都市構想は通奏低音として響き続けて いるが、都市集中の弊害を除くためによき故郷を守ろうというのではなく、工業を配置し、新幹線 と高速自動車道を建設し、‘情報通信網のネットワーク形成などをテコにして都市と農村、表日本と 裏日本の格差をなくそうというのだから、ハワードの田園都市構想とは似てもつかない逆さまなも のになったのは当然である。この25年から30年、大都市で達成された中流社会を徹底し、特に地方 -38-において本格的中流社会・大衆消費社会をつくることを目指した結果、地方の都会化は進み、地方
の方が消費支出が多くなった。そして、地方の消費動向が全国全体の消費を決めるようにさえなっ
た。今や生産と労働の現場はアジアに移転し、日本国内では生産と勤労を間近に見る機会は地方ほ
ど消えている。「下流社会」という造語(文献(20)参照)の作成者でもある三浦氏が問題としているのは、日本
においても階層化が進んで来ている中で、より低い収入階級の人が必ずしも現状を否定しておら
ず、むしろ現状を楽しんでいることである。この層は教育費は低いが、教養娯楽費は最も増えてい
る。しかし、中味はテレビやビデオ、ゲーム等である。教育についても地域格差が生まれている。
地方の若者の意欲が低下している。東京などの大都会と比較して、地方は体験できる職業も少ない
し、単調で退屈であり、多様な体験モデルがない。単なる消費の場所となった。公務員的な仕事が
安定していて-番ということになり、公共事業の他に内発的な産業があるわけではない。というこ
とになれば、適当に生きることしか考えなくなるのは当然で、夢を容易に見つけられない。
5環境形成と農業=食料自給との関連でこのような地方の都会の現状を変えるには、生活のあり方を抜本的に見直すことが必要であろ
う。田舎との関連では、都会の人間が何らかの形で今よりももっと農業にかかわることが必要では
ないかと思った。そして、手始めに食料自給率の問題をきちんと調べてみようと思って、この方面
の文献探しをした。コメの自給過程については、ニューヨーク旅行中に文献(21)を読んだが、沖縄との関連では特
に、戦前台湾からのコメが移入されたということが述べられているのが興味深く思われた。台湾は
1895年に、朝鮮は1910年に日本の植民地となり、両地域から大量のコメが内地に運ばれた。しかし、
在来のコメの品種が非常に多く、台湾では1300種類もの品種があったそうであるが、それは内地の
人々は食べないので、内地の人々が好む品種に統一するという品種改良が行われた。蓬莱米といわ
れているのもそういうふうに改良されたコメなのだそうである。同時に士地改良や栽培技術の指導
も行われた。島氏によると、戦後沖縄で栽培されていたコメは台中65号という品種だそうである。 ニューヨークから東京に戻って、引き続き食料自給の問題を扱った文献を探していたら、文献 (22)が見つかった。非常に勉強になった。以下にそのメモの一部を掲げる。 <柏久「環境形成と農業_新しい農業政策の理念を求めて」メモ> (序章) *90年頃から「農業の多面的機能」という言葉が非常によくきかれるようになった。今や日本の農業政策の中心的な概念となっている。棚田の景観等からは農林業と環境との深い関係を瞬時に連想
させられるし、地球環境問題は近代社会における異常なまでの科学技術の進歩と工業化の進展の結 果だから、確かに農林水産業の持つ意義は非常に大きい。食料の自給との関連でも、2050年に人口 100億だから、中長期的には必ずや危機は来る。だから、多面的機能の強調は間違ってはいないが、①現在の日本農業は環境に対してプラスの作
用ばかりしているのではない。化学肥料や農薬。家畜の糞尿の産業廃棄物化。②動機に不純さが見
て取れる。コメの自由化阻止の論拠として登場。 -39-(第1部食料と環境) *食料自給率の基準
個々の品目なら重量ベースでOK・コメについては、潜在能力としては1400万トンだが、減反が
行われている。ミニマムアクセスとして毎年70万トン輸入しているので、重量ベースでのコメの自
給率は95%である。金額ベース:畜産との関連で問題をはらむ。飼料がほとんど国内で生産されていないので畜産物
の8割が自給されているといっても、そのコストの5割の70%は輸入によるものである。 2000年のカロリーベース自給率40%、金額ベース自給率71%・ 鶏を国内で育てたからといってエサが外国産だから鶏肉の一部しか国産とは言えないのではない か?→オリジナルカロリーベースの自給率:鶏肉1単位分の25%のみが国産と考えられる(飼料効 率は3分の1)。 *自給率が初めて農水省から公表されたのは1969年:金額ベース。その高い数値を根拠に、1970年 代前半に世界的に食糧需給が逼迫した時代にも政府は心配ないと言い続けた。 1988年に牛肉・オレンジの自由化問題が日米間で決着し、焦点が米の自由化に移った。 1990年から96年まで両ベース併記。97年から2000年までカロリーベースのみ。 2001年からは両ベース併記となっているが、金額ベース計算の際、以前と異なって輸入飼料額を はずし、自給率は85年、90年いずれでも8%高くなっている。 2005年「食料・農業・農村基本計画」の修正に際して再び金額ベースの自給率が前面に押し出さ れる。 *1964年、日本はIMF8条国、ガット11条国となって、原則として国際収支の調整手段に為替・輸 入制限が出きなくなった。同年の自由化率は93%、残存輸入制限品目137. 1974年、残存輸入品目は22. 1988年、自由化されていないのは、コメ・麦・一部の乳製品といった国家貿易品目と澱粉やこん にゃくだけ。 1993年、輸入数量制限が行われるのはコメだけになる。 1995年、ガットがWT○に発展的解消してから、コメの関税化。 *食糧不足の時代を経て高度成長期に入り、土地生産性ではなく労働生産'性を高める必要が出てき た。 昭和30年代前半、農家の平均経営面積は0.8ヘクタール。昭和36年(1961年)制定の農業基本法で 自立経営育成を目指したが、現実には農家数は予想したようには減少しなかった。 *昭和30年代以降、耕地整理が行われて畦が少なくなったこと、及び、食生活の洋風化(絞って油 にする。絞りかすは飼料になる)が大豆の自給率低下を招いた。 小麦は、1954年、アメリカのPL480(農業貿易促進援助法)に基づいて余剰農産物を受け入れた。 その前年にアメリカは日本にMSA協定(MutualSecurityAct)の締結を求め、実現。 *飼料は、粗飼料と濃厚飼料にわけられる。小麦を精製する際に出るフスマ、大豆を搾油する際に 出る大豆かすは非常に良好な濃厚飼料となる。これも輸入されたものとみなして飼料の自給率を計 算すると、1960年に62.9%であったのが、1995年には25.7%・濃厚飼料だけで見ればもっと低くなっ て、60年代でも30%程度だったが、80年代には約10%・粗飼料の輸入も増えている。 -40-濃厚飼料の中で配合飼料の割合が高い。保税承認工場制度があって、指定を受けた工場に税官吏
が派遣され、そこで配合して配合飼料とする場合は関税が免除される。
関税定率法の中に承認工場制度というものがあり、特定品について関税が免除されるが、1953年
から飼料に適用されるようになった。 1963年に両制度は統合され、新しい承認工場制度が生まれた。配合飼料会社の3~4割を農協が占めている。保護と規制の下に自由な競争が阻害され、技術革
新の進展が鈍化してしまった。今日社会的な問題となっているBSEに関しても、この飼料構造が原
因解明を遅らせているし、責任の所在を不明瞭にしている。
1953年に飼料需給安定法制定。政府自らが輸入飼料を買い入れ、保管売り渡しを行う。昭和30年
代にこの法律の果たした役割は非常に大きかったが、その後この法律に基づく政府操作資料割合は
徐々に低下した。*加工型畜産の帰結として過剰な家畜糞尿は産業廃棄物化して、土壌や水を汚染し、環境に負荷を
与えている。年間9000万トン強の家畜糞尿。日本の農地500万ヘクタールで何とかぎりぎり還元で
きる量。 (第Ⅱ部食料生産の国内基盤)*1960年には専業、第1種兼業、第2種兼業がほぼ3分の1ずつであった。現在では第2種兼業が
75%を占める。農家は豊かであり、貧しくない。農家総所得は平成3年で、873.8万円。農業所得が112.0万円、農
業外所得が5714万円。貯蓄が勤労者世帯より1000万円以上多く、貯蓄総額2456万円(勤労世帯1128
万円)。農業に比重を置いた生活をするより、兼業の方がよりよい経済状態が得られる。農地を手放す必
要性もない。在宅で従事できる雇用機会があること、機械化の進展が兼業を可能にしたが、「むら」
という日本的な集団と不可分の関係にあるからでもある。道ぶしんや溝さらえなどを考えよ。耕作
放棄地が目立つ今日、農業、とりわけ稲作が継続して行われていることがいかに農地を保全してい
るかは、一目瞭然である。 集落の数(「むら」とは完全に一致しないかもしれないが)は135万。 *「村」のエートスを作る背景となってきたのは水の利用であろう。このように、食料自給率の基準自体が興味深い変遷を示しているのである。そして、この本の序
章でも述べられているように、著者の柏氏は、中山間地域での直接支払政策に対して批判的である。
理由は次の2つである。①中山間地域が条件不利地域だとは言えないのでないか。そのように考え
るのは、コメに偏った政策を展開してきたからではないか。②所得補償、直接支払などを集落単位
で行えば構造変化が遅滞してしまう。 6ローカリゼーションとグローカリゼーション 田園都市について調べている際に、文献(23)で「ローカリゼーション」という言葉に接した。ローカリゼーションとは、地域の自然資源、知恵・技術等人的資源、団結力・信頼関係等の社会資
源等を発掘し、最大限に活用し、地域の中で循環させる地域内資源循環社会形成活動である。そこ -41-では、ローカリゼーションは、地域資源の枯渇、地域の独自性や地域経済の衰退等グローバリゼー ションがもたらしうる負の側面を克服する手段としてとらえられている。 ところで筆者は、05年に文献(24)を書いた際に、「地域国際化」に相当する言葉として「グロー カリゼーション」を使用した。国家だけで国際関係が作られていく時代が終わり、他の主体が国際 関係を作るのに寄与し始め、特に個人に近いレベルでの動きが国の外交政策にも影響を与えるよう になっているということがその意味内容である。 ローカリゼーションとグローカリゼーションとをこのように理解すると、特にいわゆるグローバ リゼーションと対立しているという意味では共通している。ローカリゼーションの活動主体が、そ の地域外の同じような主体とネットワークを作っていくとするならば、それはまさにグローカリ ゼーションそのものであるといえる。 本稿は、まえがきにも記したように、沖縄の自立問題を頭において書いてきた。その自立という のが、小さな地域内に閉じこもってしまうことを意味するのであれば、そもそもそんなことは不可 能であるし、望ましいことでもない。だから、ローカリゼーションが地域内で完結してしまうので はなく、地域相互の国際化、地域間の国際交流をもたらすものであってほしいのである。意識しな くても自ずと開かれていくような組織作りを保障してくれるものは何なのだろうか?文献(23)で は、ローカリゼーションとセットにして、行政・企業・市民グループ、そして1人1人の市民のパー トナーシップ方式によって英国の持続可能な地域づくりがなされてきたことが記されている。日本 において、あるいは沖縄においては、どういう形で望ましい活動主体を形成することができるであ ろうか。 文献(22)で、柏氏は、官僚主導型の日本農業を批判し、農業への企業参加を認めること、国民 総農業従事、農業者のネットワーク拡大を提言される。これらの問題について、どう考えればよい のか、まだ筆者なりの結論が出せていないが、方向として、より多くの人々が何らかの形で農業に 携わり、関わっていくことが必要であることは、ますます確かなこととして感じられるようになっ た。文献(23)などでも、地域全体の大きな問題だけでなく、個人レベルで実行可能なものとして パーマカルチャーなどが取り上げられているが、日本の現状は、英国などと比較してずっと深刻で ある。 06年は1月29日が旧正月だが、島氏はメールで次のように述べられる。「40年ほど前までは盛ん に行なわれていたことですが、たいてい4世帯が-組となって、農家に飼育委託をした豚を正月に つぶして食べる習'慣がありました。現在では食料事情も良くなったこともあり、沖縄でも、共同肥 育を必要としなくなりました。ところがBSE問題が起こってからは、食に対する安全は、関心事と なっています。一方、田舎では、外国の農産物との競争にさらされた農家の疲弊は激しく、農家の 跡継ぎがいないことが問題となっているのです。友人とも話したのですが、都会に住んでいる人た ちに呼びかけて、正月用豚の共同肥育を始める必要があるのでは。とにかく何かを始めることが大 切なのではないかと、考えています。豚の肥育委託をとっかかりに、野菜、果物、農産物の加工へ と発展させていければ良いのですが。」 BSE問題というと、中国では鳥インフルエンザとの関係で旧正月の移動が問題となっているが、 最近中国のいわゆる三農問題について調べる機会があった。中国の都市・農村問題の現状を学びな がら、絶えず、日本、沖縄での問題を頭において考えていたのだが、違えば違うものだと思わざる -42-
を得なかった。考えてみればそれも当然で、地域ごとに個別の状況と対応があればこそ特色ある地 域というものができるわけである。そのような個別化の側面の中にも、共通の問題が現れ、しかも、 無視できない大きな問題となってきていることが現代的な状況なのだと思う。沖縄の自立論もその ような流れの中で、具体的な政策論を伴いながら発展していくことを願っている。 本稿においては沖縄における都会と田舎の現状を見たにとどまり、その「関係」のあり方につい てはほとんど触れることができなかったが、それは今後の課題として残しておきたい。 文献一覧 (1)「沖縄における近代法の形成と現代における法的諸問題」平成13年度~平成16年度科学研究費 補助金基盤研究(A)研究成果報告書(研究課題番号13302001)・研究代表者田里修・2005年 3月 (2)「環境ルネサンス八重山の海に赤土被害サンゴの敵畑から」朝日新聞2005年7月31日 (3)自治・分権ジャーナリストの会編「フランスの地方分権改革」日本評論社.2005年 (4)「スローな魅力発信」朝日新聞2005年10月13日 (5)「景観法はまちの魅力を引き出せるか(「都市問題」公開講座ブックレット5)」財団法人東京 市政調査会・2005年 (6)日本法社会学会編「訴訟機能の拡大と政策形成(法社会学第63号)」有斐閣・2005年 (7)溝上泰子「受難島の人々」未来社.1959年 (8)富山和子「日本の風景を読む」NTT出版・2005年 (9)菊池威「田園都市を解くレッチワースの行財政に学ぶ」技報堂出版・2004年 (10)西山八重子「イギリス田園都市の社会学」ミネルヴァ書房・2002年 (11)「デカップリング(所得補償制度)」http://www・prefkumamotojp/assembly/contents/ kaigai/dekappuringupdf (12)森田安一編「岐路に立つスイス」刀水書房・2001年 (13)日本農業法学会編「農業法研究第35号」農山漁村文化協会・2000年 (14)同編「農業法研究第34号」同.1999年 (15)日本農業研究所編「日本型デカップリングの研究」農林統計協会・1999年 (16)矢口芳生編著「中山間地域振興の在り方を問う」農林統計協会・’999年 (17)豊田隆「農業政策(国際公共政策叢書第10巻)」日本経済評論社.2003年 (18)矢作弘「大型店とまちづくり-規制進むアメリカー」岩波新書・2005年 (19)三浦展「ファスト風土化する日本郊外化とその病理」洋泉社.2004年 (20)同「下流社会新たな階層集団の出現」光文社新書・2005年 (21)北出俊昭「コメから見た日本の食料事`清」筑波書房・2002年 (22)柏久「環境形成と農業-新しい農業政策の理念を求めて」昭和堂.2005年