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世界客家大会: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

世界客家大会

Author(s)

緒方, 修

Citation

沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of

Humanities and Social Sciences(1): 91-100

Issue Date

2000-03-31

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/6040

(2)

世界客家大会

緒方

合わせた参加人数は延べで1万人を超える。ある 時は記念館設立式典のほか小学生、中学生まで動 員したマスゲームや花火大会、見本市でにぎわい (第12回中国・広東省梅県)、ある時は国旗掲示 をめぐって中国「代表」が退席(3)し緊張がよぎる 場面もあった(第14回台北)。 いずれの回も大会期間中に文化展示会や、踊り、 歌、客家料理試食会、学術研究会、小旅行等が実 行された。主催者側はトップレベルの実力者を登 場させる。元広東省長・葉選平(第12回中国・ 広東省)、副首相・リーシェンロン(第13回シン ガポール)、総統・李登輝(第14回台北)、首相・ マハティール(第15回マレーシア)。 マハティール首相を除いては全て客家人だ。彼 らは世界各地から参集した客家たちを前に客家の 先人たちの偉業を称える。中国・台湾双方の国父 である孫文が客家であることは良く知られてい る。そして何よりも挨拶に立つ代表者自身が、中 国人民解放軍の英雄・葉剣英の息子(葉選平)、 シンガポール建国の父・リークァンユー(李光耀) の息子(リーシェンロン・李顕龍)。文字通り後 継者で実力者だ。マレーシアでは錫工業の創始者・ 葉亜来の名前がマハティール首相の演説の中に引 用された。 大会では客家語が延々と続くこともある。客家 山歌は必ず披露される。客家精神の高揚、客家文 化の継承が唱えられる。かといって排他的な雰囲 気ではない。大会では各地の'盾勢を聞き、晩餐会 では和気藷々とみんなで食事をし、踊りを楽しみ、 小旅行ではゆかりの土地を訪ね楽しんで帰る。誰 も本当の客家人かどうか詮索されたり、参加資格 を問われることはない。入場料を払えば誰でも参 加できる会だ。 I客家大会の系譜 世界客家大会とは、世界中の客家'11が(原則と して)2年に一度集まる大会のことをいう。大会 の歴史は30年近く前にさかのぼる。 第1回は1971年9月に香港で開かれた。 香港崇正総会'21創立50周年を記念するために 世界各国・地域の代表47団体、250人が香港崇 正総会のホールに集まった。集会の名前を「世界 客属懇親大会」と定め、世界大会を2年に1回開 くことを決議した。 第2回台北(1973年9月、67団体2400人) 第3回台北(1976年10月、61団体1352人) 第4回サンフランシスコ(1978年9月、25団 体320人) 第5回東京(1980年10月、33団体1100人) 第6回バンコク(1982年9月、70団体1352 人) 第7回台北(1984年10月、48団体974人) 第8回モーリシャス(1986年5月、15団体 210人) 第9回サンフランシスコ(1988年10月、31 団体458人) 第10回マレーシア・サバ(1990年6月、20 カ国・地域代表1500人) 第11回台湾・高雄(1992年10月、56団体 2500人) 第12回中国・広東省梅州(1994年12月、40 カ国・地域代表1700人) 第13回シンガポール(1996年11月、2500 人) 第14回台北(1998年10月、2200人) 第15回マレーシア・クアラルンプール(1999 年11月、1200人) 筆者は第12回大会以降続けて4回出席し、大 会の現状を垣間見ている。この4回をとっても開 会式だけで毎回1500人~2500人以上が参加し た。前夜祭や晩餐会、特別公演、記念行事などを 疑問点 40カ国以上に散らばった客家たちは、何故集ま るのか。大会では何を決めているのか。 -91-

(3)

沖縄大学人文学部紀要第1号2000

踵憂

第四届 美國三藩市

第七届 台湾台北市

匡露

第九届 美國三藩市

(団体数、人数はいずれも主催者発表による。図は南洋商報99.11.5.掲載)

何故客家は優秀な人材を輩出しているのか。故中で、逆に人と人との直接交流をめざす動きが出

都小平は中国大陸の最高指導者、李登輝は台湾のてくる、国境を越えたこうした集まりはどんどん

総統、リークァンユー(李光耀)はシンガポール増えてくるだろう、国々の参加を前提とした国際

元首相。全てが客家人だ。中国ばかりではなく、連合は有効,性を失い、国がコントロール出来ない

これだけ周辺諸国においても国家のリーダーを生ネットワークが育ちつつあるのではないか。

み出しているのは教育システムに見るべきものが

あるのではないか。沖縄の関心

そもそも客家とは何なのか。客家的精神、客家沖縄県の「国際都市形成構想」を推進する重要

的文化とは。漢民族の中の少数派ではあるが、そなソフト部門として、国際ネットワークの構築が

れでは多数派とどう違うのか。グループとしてのあげられる。その中で世界各国に住む華僑・華人

優秀さを誇示する裏に、他への蔑視が伴っていなネットワークの環に沖縄も参入し、人的・経済的・

いかどうか。はっきりした歴史は何処まで遡れる文化的な交流を重ねることも重要な選択と思われ

のか。福建省から沖縄に渡ってきた渡来人の中にる。

客家がいたのかどうか。2000年ほど前から移動を沖縄県では平成10年3月に「世界客家大会沖

何度か繰り返しているが、「漂泊の民」ユダヤ人縄誘致推進シンポジウム」側を開き2002年の沖

やロマ(ジプシー)と比較されるような文化、行縄開催をめざして行動を開始した。

動様式があるのかどうか..…・・大会に出席してい

次回の世界大会は平成12年(2000年)、福建

ると様々な疑問が湧いてくる。省閻西'51、と決定している。

漠然とした予感がある。サイバー社会の進行の福建省での大会の前夜に、次回2002年の開催

-92-

(4)

*(3)(前半) 1998年(平成10年)12月9日水曜日琉球新報

世界客属第十四次懇親大会‐(世

ばっか

.’界客家太一雪)ば、十月六日から九

.曰まで台北市で開かれた。脈

国父・孫文を記念して建てられ

・た中山樫は、閑静な陽明山の中腹

にある中国の伝統的港宮殿だ。、

そ}」に海外一一一十六カ国から六百

人、国内から九百人、合わせて千

五百人の客家人が集まった。私は

九四年の中国。梅県、九六年のシ

ンガポールと連続して世界客家大

会に参加している。これまで会場

内で中国の三塁紅旗やシンガポー

ルの国旗を見かけたことはなかつ

・た。どうしたことだろう。孫文の肖

像は中国台湾ともに崇拝の対象

だから良いが、台湾の国旗が後ろ

っだのほ私だけではなかったろう。い)の代表をはじめ一一~一一一十人の

た蕊鵡雛謝瀦舗鯆に鑑鴎嬢潔離鯛餅

ヌンバーが出席しているはずだ。

闘西で進一○○○年に次々回の世

界大会が予定されている。・

そこにもし中国の国旗が掲げら

れれば台湾側は参加を見合わせる

だろう。

しかし大会は何事もなく開幕し

た。子供たちの踊りや獅子舞、棒

蓑蕊

中・台駆け引きの舞台裏

董鐙

術等のオープニングアトラクショ

ンを見ているうちに私も国旗のこ

とば忘れてしまった。

呉伯雄名誉会長はあいさつで客

家人の優秀さを称え、客家の文化を

次の世代に伝えよう、と強調した。

台湾が世界客家大会にかける熱

意はすさまじい。

前夜、国賓大飯店でのパーティー

にほ李登輝総統、赫万長行政院長

(首相)以下の大物が顔をそろえた。

ちなみにこの一一人も客家人だ。

霧一千一一一一一一「「

= ̄犀一一

三-'一三L|言

昌一一一三

=と ̄L'二三

二Ei1露

=『 ̄二三

宴が進むにつれ国民党支這琶熱心

に訴える声も聞かれた。

どうも政治的に偏ってきたな、と

いつのが今回の率直な印象だった。

そして本会議ではハプーラグが

起きた。

僑務委員会委員長、.つまり海外

にいる華僑を担当する大臣格の演

説が終わるど-人の男が演壇に立

った。

話を始めた瞬間にマイクのスイ

ツチが切られた。後で聞くと、男

は中国代表の一人だった。「我々

は中国梅県の大会の時に国旗を出

さなかった。なぜ台湾は、慣例を

無視して国旗を掲げているのか」

と抗議したらしいP.’

それ以降、中国代表の姿は会場

から消えた。

-93-

(5)

沖細大学人文学部紀要第1号2000 *3(後半)

世界客家大会は政治蓬持ち込ま

ないことを理想としている。ただ

し現実には中国、台湾の利害は対

立し双方出覺の客家たちも争いに

無縁ではいられない。中国として

は香港をようやく取り戻し、マカ

オ返還超秒読みに入っている。

台湾統一は来世記早々にも実現

させたい悲願だ。「国旗も国歌も

変えても良い、李登輝氏が総統を

名乗ら談国民党代表で来てくれれ

ばいつでもお会いしたい」とへり

。。。I叩・

下って耐る。

もちろん台湾ほ、そ和な片思い

は迷惑至極だ。

ロ▲砂●OC0、

中立のはずの客家大会に台湾が

国旗鱈げたのほ、明らかにゾト

のサボンだ。両者の溝は深く埋め

がたい。

しかしよくよく考えれば中国側

孫文の肖イ象の後ろに掲げられた台;弩の国旗「青天白日 万箕」=台北市、陽明山中山キ典

ほなぜ最初から出席を拒否しなか

ったのか?.、抗議の演説は台湾側

の要人たちのスピーチが終わった

直後に行われた。台湾国旗の存在

ほ最初から分かっていたがハ台湾

側のメンツをつぶさないようギリ

ギリの時間まで待ち、そして絶妙

の瞬間に遅出したのだ。

抗議した中国側の代表も降壇し

た後、「あれは芝居だよ」と親し

い人に漏らした。。.

中国共産党の要職にある人物

が、青天白曰旗の掲揚された場所に

入ることは許されない。抗議しなけ

れば帰国後の自分の地位が種つい。・

これにはさらに蘂がある。中国

側はそれぞれ個人の資格で台湾に

里帰りし、たまたま大会に出席し

た形をとっていた。組織として参

加したわけではなく、個人として

も抗議退出したのであれば何の責

任も問われないだろう。

華やか港世界客家大会の裏では

舌を善くほどの外交戦が繰り広げ

られている。

(衷曇歪公会顧問)

地が決定される。 一方、日本の客家団体である全日本崇正総會は、 東京崇正公會を最大のグループとして国際的な活 動をしている。毎年3月に開かれる東京大会は 500人以上が参加し、台湾の駐日代表や中国大陸 からの要人、アメリカ、カナダからの代表も加わ るなど、事実上の国際大会となっている。2002 年の大会誘致のためには、こうした会議を先ず沖 縄へ誘致し、国内国外への認知を図るべきであろ う。 全日本崇正総會も沖縄での世界大会開催に関し て前向きな姿勢である。日本で世界客家大会が開 かれたのは1980年。(6)既に20年以上も前のこと だ。再び立候補する時期がめぐってきている。開 催地は日本、会場は沖縄という決定に導くのは可 能だ。 要は、沖縄県が積極的に大会開催の誘致活動を 展開するかどうかにかかっている。 歴史的にも↑「'1純と客家は関係がありそうだ。沖 縄には6世紀前から閲人三十六姓、あるいは久米 三十六姓と呼ばれる渡来人たちが住んでいた。久 米村に居を構え、琉球王朝の経営を助け、沖縄の -94-

(6)

*(4) 大交易時代を支える重要な役割を果たしていた、 と推測されている。彼らは福建省を中心にした地 域からやってきた、。 この渡来人たちの中に客家がいなかったかどう か。彼らの末商が受け継いでいる久米崇聖会は、 世界の客家たちが作る崇正会とよく似ている。

世界書家大会沖縄誘致推進

シンポジウム

Ⅱ各地区郷情報告 とりあえず問題を-つに絞ろう。世界客家大会 とは何なのか。 世界大会に参加した印象、配られた資料、イン タビューを手がかりとして客家の現状を知ること から始めたい。 世界大会の度に各地の郷情報告が配られる。最 新版は1999年11月のマレーシア世界大会に合わ せて作成された。この報告は合わせて27ページ。 世界各地の客家組織12団体よりレポートが寄せ られている。(主として東南アジア、中国各地) お祝いの挨拶としての意味もある。例えばカナ ダの章には、有力な参加者の家族紹介が掲載され ている。これは活躍中の人物を世界各地から参集 した客家人たちに紹介したい、というもので客観 的な報告とは言い難い。しかしこの郷’情報告を通 して各地の客家人の情況の一端と、何を伝えたい かを覗うことが出来る。 紙面の制約のため福建省からの二つの報告のみ 紹介する。一つは今年2000年に世界客家大会の 開催を予定している聞西、もう一つは福建省全体 の客家の」情況である。 アジアのみならず世界の政治・経済をリードしている客家 とのネットワーク構築と世界客家大会の本県誘致へ向けて 主催/沖縄県 (財)沖縄観光コンベンションビューロー シンハシ 時:平成10年3月17日(火)・(2時~4時) 場:沖縄コンベンションセンター大会議室 日 会 フロクラム Z化照,首言 問西郷情報告 (中国・福建)閻西客家運誼会会長:曽耀東 次回の第16回世界客属懇親大会を主催する悶 西客連会として、私たちは非常に嬉しく今大会に 参加してまいりました。マレーシア客家公会の経 験を手本とし、またこの機会に世界各地の客属団 体との交流、協力関係をつくりたいと思っており ます。悶西連会と300万人余りの閻西客家を代表 して、大会の成功をお祝いいたします。マレーシ ア客家公会の暖かい歓迎にも心からお礼を申し上 げます。また、この盛大な大会に出席された客属 系の皆様と友人の皆様に心からお祝いを申し上げ 肘 ]|昂上訴l記i渥fll廿牙RO 椎17て(罰 邦承敏(沖縄大学致樗.舎謹出身0 ヨ源(沖縄崇正会幹璽長.寛亜柿 可-1 -95-

(7)

沖縄大学人文学部紀要第1号2000 *(7)久米村姓氏一覧表 ノー来(入籍) ■ ■ -96- 氏 兀 祖 出身地 渡来(入籍) 年 家名(太字は大宗家。『氏集』『門中風土記』) 0 1234 5678 9 1 1 1 23456789 11111111 0 2 1 2 2345 2222 察林金鄭 梁紅陳院毛 鄭察王院陳楊林察梁周孫曾程魏林季 才 鼎 詐貴思 州重 徳郁秀美詐麟請生 崇喜瑛義 嵩英康国国 肇宗立明華明世塵守文良志泰瑞胤栄 察林金鄭 梁紅陳院毛 鄭察王院陳楊林察梁周孫曾程魏林季 福建省泉州府南安県 福建省泉州府閉県 漸江→閲県 福建省福州府長楽県 福建省福州府長楽県 福建省福州府聞県 福建省福州府悶県 福建省滝州府龍渓県 福建省潭州府龍渓県 福建省福州府長楽県 福建省西門外 福建省撞州府龍渓県 福建省潭州府龍渓県 福建省璋州府 漸江省台州府 琉球 琉球 琉球 琉球 琉球(京都→琉球) 琉球(首里の虞氏) 琉球(首里の虞氏) 琉球(首里の応氏) 琉球(小禄間切) 琉球(那覇の牛氏) 洪武25年 (1392) 洪武・永楽 年間 洪武25年 (1392) 洪武25年 (1392) 間楽間間年

年永年妬

楽武楽暦

永洪年永万 (1607) 万暦35年 (1607) 嘉靖年間 嘉靖年間 万暦19年 (1591) 万暦19年 (1591) 万暦45年 (1617) 順治5年 (1648) 万暦3年 (1575) 万暦38年 (1610) 万 ( 崇 順 年定年2 暦推禎治 間 ) 間 年 (1645) 順治13年 (1656) 順治13年 (1656) 康煕8年 (1669) 康煕9年 (1670) 康煕初年 (推定) 安 ・久宮糸・ 吉真風垣喜屋仲 慶 喜本 志松 ・計

嶋渡艫臘勵部Ⅷ

..南..・ 安 城屋・儀嶺良崎伊 ●●

繍川

》》』冊》栂誹》韮

》一》》『》邪}》》》鯉》》Ⅲ繍唾峰辨雫間袷》鰍鵠

嘉 ・し山 ・田 田 阿 ・渡 小 平 段

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慶瀬・

間嶺馴趨艮協週便与島嵜鴇か朴眞繍飢餅吉Ⅱ図Ⅱ川場柵鴫臺巨堅原計山・賀座宗護嶺喜躯里

・・外嶺間根 儀次名具松湖村城数亀国和仲神元玉与原花久与部平国宗浜幸古上伊冨名阿安仲名高屋平久

(8)

ます゜ 金、石灰石、カオリン、ベントナイト等の埋蔵量 は福建省で最も多く、大いに開発の見通しがある といえる。また、悶西の客家文化はきらびやかで 美しく多彩で、風情もある。国家級の歴史と文化 の都汀州、奇抜な建築物永定士楼、寧化の客家公 祠、上杭の李氏大宗祠、永定の虎豹別荘地、その 他にも多くの客家の遺跡や祠廟等々、どれも客家 文化精神が物質化した神秘的で独特の風景であ る。また、千年余り続いた客家の苦難の歴史と客 家文化を反映した客家芸術や客家山歌も、現代の 芸術界の中で極めて独特な風貌を持っている。 代々にわたって閻西客家の子供たちを育んでき た“客家の母なる河”汀江、“華南虎と南方紅豆 杉の原産地”である国家A級自然保護区梅花山、 国家重点風景名勝地の冠芳山と“華東第一洞”の 誉れ高い龍岩龍腔洞等の大自然は、客家文化と共 に光輝き国内外でも有名だ。悶西の客家文化は、 世界の文化群と芸術界においても大きな反響を呼 んでいる。十数年来、非常に多くの客家人が国内 外からルーツを尋ねに、また観光旅行に来ている が、その他にも多くの国から専門家や学者、関係 者が考察、研究また観光に訪れている。 歴史の前進に伴い、悶西は改革開放の中で大き な変化を遂げた。経済成長が速く進み、社会事業 は発展し、街の様子も日に日に変わり、人々の生 活も絶えず向上してきた。この千百年来農耕区 だった山地が新興工業基地に変貌し、電力、冶金、 石炭、機械、森林工業、化学工業、煙草、食品等 の業界はかなり発展して優位に立っている。以前 の問西は交通の便が悪く、情報も少なかったが、 現在は国道が各県(市)に走り、廩門につながる 龍(岩)葎(州)高速道路が建設中で、もとの樟 (平)龍(岩)攻(市)の線路を基礎とし、近年、 潭(平)泉(州)肖(暦)線を新たに建設した。 悶西鷹廩線はすでに電化されており、広(州)、 梅(州)、汕(頭)の梅吹線も間もなく完成する。 郵便、通信はすでに現代化の水準に達し、市・県・ 郷・村では百以上の国や地域への直通電話も可能 になっている。これらはすべて悶西を広く開放し、 発展を速めるための条件となった。 20世紀の幕がゆっくりと下り、21世紀の旭日が 見え始めている。本大会で私達はマレーシア客家 私たちの住む関西は、歴史上では汀州府の管轄 する長汀、上杭、連城、永定、武平、寧化、清流、 帰化の八県を指す。龍岩市内の新羅区(もとの龍 岩県、龍岩県級市に改名し、2年前にまた現在の 名称に変更した。)は、以前は汀州府の所轄地で あった。歴史の変遷に伴い行政区も何度か調整さ れ、現在の閻西は龍岩市管轄の新羅、潭平、長汀、 連城、上杭、永定、武平の7県(市、区)と三明 市に属する寧化、清流、明渓(もとの帰化県の改 称)の3県で構成された区域を指す。この区域内 はほとんどが客家人で、その中のもとの汀州府管 轄の八県はどれも“純客県”である。新羅、障平 両区(市)は、“純客県”ではないが客家の割合 は非常に大きい。このような訳で悶西地区は全中 国で、全世界で最も客家人が集中して居住してい る地区の一つになっている。 関係資料の記載と国内外の客家学研究学者の論 証によると、閻西は客家系が形成する重要な歴史 の舞台である。古いことわざに:“群雄は中央で 争い、庶民は南彊へ行く(群雄争中士、黎庶走南 玄彊)”というのがある。晋の時代から清まで千 年の歴史の中、度重なる戦乱のため中原の漢民族 は南遷を繰り返してきた。客家の先人も福建・広 東・江西境界の山地に移動してきた中原の漢民族 であった。彼らはこの(福・広・江)境界の山地 という特殊な地理環境の中に安住の地を求めた。 土地を拓き田を耕し、子孫を増やしていった。地 理環境の変化と周辺の異民族との接触の影響で、 山地に定住した中原の移民たちは中原文化を守り つつ現地の文化も取り入れた上に客家文化を創造 してきた。積極的で前向きに頑張るという客家精 神を育み、中華という大家族の中において個性の 強い一族となったのである。今日、国外の客家人 10人の内8,9人は、族譜の中に先祖が悶西に住 んでいた足跡を見つけることができるだろう。福 建・広東・江西境界地区では、中原の音を残した 客家なまりがある。 閻西は、客家先祖の発祥地として神秘的で魅力 的な土地である。自然資源は豊富で福建省の主要 な鉱山区であり森林区でもあり、石炭、鉄、銅、 -97-

(9)

沖縄大学人文学部紀要第1号2000 公会より客属懇親大会の五環梅花大旗を受け継 ぎ、来年の龍岩第16回懇親大会開催の責務を再任 する。私達悶西の客家は千年の幕開けの年に親睦 を深めて交流を促す客属盛会を引き受けるにあ たって多くの激励をいただいた。福建省政府と龍 岩、三明、璋州の三市の政府はたいへん重要視し ており、大きく支持している。現在、第16回懇 親大会の準備作業が順次、急いで進められている ところだ。関西の中心都市である龍岩市路の増改 築もすすみ、基本的な施設も日々整いつつある。 都市の緑化もさらに整備され、高級ホテルやレス トランも次々と建っている。会議場は計画に沿っ て改造、建築が進められ、各主要観光地につなが る道路も急いで拡幅している。客家研究叢書と論 文も専門家、学者によって編集が進んでいる。国 内外の客属の期待を裏切ることなく、大会を成功 させたい。客属の皆様、並びに友人の皆様、次回 の一世紀を総括する懇親大会にぜひご出席くださ い。心より歓迎いたします。 第15回懇親大会の円満成功を心からお祝い申 し上げます。皆様の事業のご発展と、お幸せを心 からお祈りいたします。 光澤}、聞南滝州市管轄(南靖、平和、詔安}の 計13の県(市・区)及び福州、廩門、濾州、泉 州等の都市に居住する客家人は総計400余万人で ある。 福建省は1994年に福建省客家学(聯誼)会を 組織し、客家学の研究を進めながら、国内外の客 家人同士の連絡作業を進めている。省客家学(聯 誼)会は、《客家》雑誌社を設立し、《客家》とい う季刊誌を国内外に向けて発行しており、反響も 少なくない。関西(龍岩市)、三明市、璋州市も 客家の研究と連絡組織を組織している。また、長 汀、寧化等、多くの県(市)で同様の組織がある。 これらの組織はどれも客家の雑誌と研究資料を 不定期に発行している。省客家学会と関係部門は 共同で《客家文化叢書》1セット10冊を国内外で 発行している。 (二)広東省嘉応州(現梅州市)で数十年間生活 し、布教活動をしていたイギリス人宣教師のヘン ベール氏は、1912年に彼独自の調査によって"嶺 東の客家は10人いれば8,9人の祖先は福建汀州 府寧化県石壁村の出身である。諸事実によると、 あらゆる姓の先祖は寧化を離れて広東に来たと き、族譜に必ず自分の名前を載せた。”と結論づ けている。 嘉応州の黄遵偕は《先兄公度事実述略》の中で、: “嘉応に住むもので他所から来たものは皆、汀州 寧化石壁の出身で、各姓から考証すると同じ筋か ら出たようによく似ている。(嘉応一属、所自来者、 皆出於汀州寧化石壁、征諸各姓、如出一轍),,と 嘉応州梅県の梁伯聰氏は《梅県風土二百吟》の中 で:“旧姓の大多数の族譜は闇(福建)にあり、 婦人靴の形や豆腐の作り方も昔と変わらず、皆、 寧化(福建)にある。(旧姓今存古卜楊、大多族 譜祖閻方;女靴豆腐佃原様、寧化入来説故郷。)” と記している。 上述の資料中にでてくる石壁は、現在の寧化県 禾口郷にある村である。国外の客家族譜に記載さ れている石壁は、石壁に代表される寧化県西部の 100平方キロメートル余りの盆地である。-世紀 以来、石壁という地名は荘洋とした海のように広 い客家学研究の著作の中で満天の星空の中でひと きわ輝く北斗のように、頻繁に出てきた。 八闇山水客家根 中国福建省客家郷,情簡況 (一)福建省は中国東南部の-省であり、東の台 湾海峡を隔てて祖国の宝島台湾がある。全省の面 積は12万余平方キロメートル、84の市や区から なる。1998年の人口は3,200余万人で、その内; 純客家県(人口の90%以上が客家語を話す)は、 悶西龍岩市管轄(長汀、上杭、武平、永定、連 城} 閲西北三明市管轄{寧化、清流、明渓(旧称帰 化)} の計8つで(旧称汀州八県)、人口総計271万人 である。 非純客家県(少なくとも一つの郷或いは鎖で客 家語が話されている)は、 悶西新羅区(1996年以前は県級の龍岩市)、璋 平市(省管轄の県級の市)、閲西北沙県、建寧、 泰寧、将楽、閲北南平市管轄{延平、順昌、部武、 -98-

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中原の漢族は南遷を繰り返し、その苦難に満ち た歴史は千年も続いた。そして終に福建・広東. 江西境界区の三角地帯の悶西の大地に根を下ろ し、客家一族を創りだした。地理的に特殊な石壁 区域は、客家人の“揺篭,,また“基地”となった。 北から南へ流れてくる汀江は、客家の子孫を育て、 彼らを江南の数省と海外へと送り出した。近年は 国内外の客家人たちが族譜を胸に抱きながら、つ ぎつぎと祖先の足跡を辿りにやって来る。 最初の訪問者は、90年代初期に観光旅行として 来た台湾同胞であった。1995年の夏、マレーシ アのダドゥ・瀧光麟氏を団長に、南原永芳グルー プの理事長挑美良氏を顧問とした136名のマレー シア“中国客家文化ルーツ(尋根)訪問団”が、 福建省客家学(聯誼)会と福建省中国旅行社が主 催した"客家の旅特別ツアー"に参加し、石壁の"客 家公祠,,を訪れて香を供えて礼拝した。その際に、 -年に一度、全世界の客家人が石壁の“客家公祠,, を礼拝すること、また“客家の母なる河、汀江,, を記念する祭りを催すことを提案し、実行した。 この祭りはすでに5年も続いており、毎年冬季の 国内外の客家人たちの祖先礼拝の盛大な行事と なっている。 (三)新中国が成立してから50年来、特に改革 開放がはじまって20年、関西省の客家人地域は経 済が飛躍的に発展してきた。現在、金属、非金属 などの鉱物が60種以上も発見され、全省で発見さ れた鉱物の半分以上を占めている。その内石炭、 鉄、マンガン、銅、石灰石、カオリン、ベントナ イトの7種は埋蔵量が全省の約半分以上を占めて いる。また、重要な林、竹、糧食、煙草葉の産地 でもある。電力、郵電、交通と科学技術等の業界 も大きな発展を遂げている。近年着工した悶西梅 州一吹市鉄路、龍岩一樟州間高速道路、国家重点 プログラムの永定県綿花灘発電ダム等々、興味深 いことに、客家人の始まりの地(祖籍地)には良 い投資環境が整っている。 (四)現在、悶西、閲北山区にある客家の祖先の 地も観光投資スポットになりつつある。 永定士楼。以前は客家人が固く守る閉ざ されたトーチカ式民居で、客家人の求新変革の思 想を束縛するものだと思われていた。この10年 来、現地の人々は重い門を開け、“土楼の旅,,ブー ムを巻き起こした。これまでに国内外の43ヶ国か ら100万人余りの観光客を受け入れてきた。内外 の建築家権威はその素晴らしさに驚嘆し、"建築史 上まれに見る奇抜なもの、東方文明の真珠,,と讃 した。90年代初め以来、土楼を出て沿海特区に 行った永定県客家の若者は5万人を超える。彼ら は毎年、実家へ送金し、新しい観念と技術を持ち 帰っている。 百年間、歴史のちりにまみれた寧化石壁 と客家の首府(中心都市)汀州(現長汀)では、 宮殿のような壮麗な客家人家廟が建築され、明清 時代から残る古建築物が復元されて1995年から 全世界の客家人たちの心の故郷となっている。遠 方から訪れる客家人たちは、石壁家廟大殿に足を 踏み入れて同姓同族の祖先の位牌を見たとき、ま た汀江のほとりの“客家の母親園,,で子供を背負 いながら畑仕事をしている母親を模した土人形を 見たとき、一種の荘厳で神聖な空気に包まれ、ひ ざまずき音をたてて叩頭の礼をし、或いは孝養の 気持ちが熱い涙となってあふれでて、或いは立ち つくして長い祈りを捧げる。この情景が、千里を 遷都して来て、苦労して仕事をし生活をしてきた 客家の先人を偲ばせ、違う国や地域から訪れる客 家人たちの心を固く結びつけている。 流れが急で険しく深いことで知られる “客家の母なる河(客家母親河),,汀江は、千百 年来、船頭たちをてこずらせてきたが、今では急 流下りのスポットとなり、また客家人の一生懸命 に努力するという精神を奮いたたせる河となって いる。約60億人民元を投資し、60万キロワット の容量をもつ水力発電ダムが、福建・広東の辺境 汀江綿花灘で完成が急がれている。 2001年には大壌から上杭県まで至る百里の汀 江に20億立方メートルの巨大な湖が現れる。湖の 周りに広がる山林と湖に浮かぶ小島は美しい風景 を織りなすであろう。この自然資源を活かしてリ ゾート地区、また国外からの投資を目的とした地 区の建設青写真を上杭と永定両県政府が計画中で ある。 上杭、連城、新羅の三県が接している地 域に、1,000平方キロメートル余りの梅花山と呼ば -99-

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沖縄大学人文学部紀要第1号2000 れている大山塊が、海抜1,000メートル以上の高 地に350座余りある。千百年来、当地では“梅花 には十八の洞窟があり、洞窟はそれぞれ十八里を 走り、毎里十八の洞穴があり、一つ一つの洞穴に は金の椅子がある。(梅花十八洞、洞洞十八里、 里里十八窟、窟窟十八把金交椅。)',という民謡が 言い伝えられており、それがこの大山塊に神秘の ベールをまとわせ、珍しい辺地と思われていた。 山も高く道も険しい、妖魔の踊り出る未開の世 界で、訪れる人もわずかであった。この十数年来、 国内外の多分野の多数の専門家による考察を経 て、“梅花山は全世界に例を見ない「北回帰上の 荒漠の中の蒻翠」であり"、“動植物資源の源"、 “華南虎の原産地及び繁殖地,,ということがわ かった。現在、梅花山の縦横数十キロに及ぶ中心 地は、省と国の自然保護地区となっており、国連 の環境企画署では世界でもA級の自然保護地区と 確認している。 中国林業部と当地政府が協力している華南虎の

救援がすでに始まっている。また龍岩市政府は梅

花山公園と梅花湖温泉リゾート村の建設に着手し ている。近い将来、梅花山は大きく胸を開いて、 国内外の科学調査やリゾート観光を受け入れるで あろう。(資料翻訳・仲宗根礼子) 独特の習俗を保ち、言語も独自の方言をな す.」…広辞苑より 客家の存在およびハッカという読み方は、日 本では1991年6月発行の「客家一中国の内 なる異邦人」高木桂蔵著・講談社現代新書以 来、次第に知られるようになった。 (2)1921年9月29日に発足した香港在住者を中 心とする客家の会。会長の黄石華氏の尽力に より世界客家大会が誕生した。香港の人口の 3分の1が客家人。 (3)香港~台湾客家世界大会見聞記上(琉球 新報1998年12月9日)の拙稿参照。 (4)沖縄県・(財)沖縄観光コンベンションビュー ローの主催により、平成10年3月17日、沖 縄コンベンションセンター大会議室にて開催 された。資料参照。 (5)閲とは福建省のこと。関西にある八つの県は かつて汀州府と呼ばれた。 (6)世界客属第五次懇親大会は1980年10月2~ 3日、東京のパシフィックホテルに内外の客 家人1,200名、続いて10月7日には大阪の宝 塚グランドホテルに800名を集めて開催され た。 (7)福建省を中心にした地域からやってきた。 拙著「客家見聞録」pl36~pl37の久米村 姓氏一覧表(久米崇聖会・提供)参照。 以上、広東省と並んで客家が最も多く住む福建 省からの報告を紹介した。1994年には広東省(梅 州市梅県)で世界大会が開催されている。2000 年の福建省における世界大会は中国大陸では2回 目となる。客家大会を機に研究叢書の出版、論文 の発表なども予定されている。客家研究の現状は、 世界的に見るとまだ緒についたばかりと言ってよ い。毎回の大会では研究発表も平行して行なわれ ており、開催自体が研究を促進している面もある。 次回大会に期待しつつ、ひとまずこの項を終え る。 圧 (1) 「ハッカ[客家](Hakka)中国の広東省 を中心に南東部の諸省において、かつて華北 から南下移住してきた漢族の子孫として、他 の漢族や少数民族とは区別されてきた集団。 -100-

参照

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