一九七○年の四月以来今日に至る迄、筆者は西ドイツ、ハン ブルク大学︵口凰ぐ①勗芹詳国④日冒侭︶の東洋学専門部門︵司四目! 胃門田目○国の弓昌浮時︶に籍を置いている。而してこの間、印 度学科のベルンハルト教授は、ネ。ハールのムスタンクで研究調 査中、心臓病の為に若き生涯を閉じ、アルスドルフ教授は停年 退官をされて名誉教授︵同日閏旨③再埠旦の閉。H︶となられた。そ して、両教授の後任には、三二歳と三四歳の若き正教授が迎え られるなど、印度学科には新しい伝統が生まれようとしている 時期が到来し、それらを筆者は眼の当りに見聞して来た。ドイ ツ全体を眺めても、若き学者の台頭が著しく目立ち、特に各大 学の印度学科に於ける正教授の年令層が三十代に移ろうとして いるのが事実である。そこで今回紙上を借りて、ハンブルク大 学印度学科の状況の一端を紹介してみることにする。 印度学科を初め、日本、中国、東南アジア、アフリカ、オリ エント諸学科に代表される東洋学専門部門司.○・︶は、神学、 法学、医学などと共にある十五の専門部門の中、第十番目に位 置している。曽っては学部制度︵例えば文学部、神学部、医学 海外学界一一ユース
ハンブルク大学の印度学研究
田端哲哉
部など︶を採用していたのであるが、一九七○年一月より、 甸月与閂①曽呂の制度に切り換えて、閃。の中に上述の諸学科 ︵幣冒冒目︶は所属することとなった。戸pでは東洋学専門委 員会弓胃弓閂⑦︼呂閨甘口晶号の両○・︶を設け、教授十二名、 助教授︵含講師︶六名、助手六名、学生六名、職員二名の計三 二名の代表が各ゼミナールより互選されて運営している。この 国の回.同○.は各ゼミナールに於て討議された人事問題、経 済問題を再検討並びに決議する用らきと、各ゼミナール間への 連絡面との縦横の機能を果している。印度学科よりは、この委 員会に教授、助教授、助手、学生の代表に夫々一名づっが参加 し、会の構成委員︵旨洋瞥①号H︶として活躍している。大学に於 ける位置は以上の如くであるが、次に印度学科自体のシステム を見れば次の如くなっている。名誉教授一名、教授︵含助教授︶ 四名、講師二名、助手一名、図書館員一名、事務員二名である。 そしてこれら各層の代表者に学生の代表者が加わって、研究室 会議︵旨の胃具閏呉朋胃ロ品︶が開かれ、会議長︵牙の呂罠乱臣︲ H①目の尉冒Hの冨○H︶には教授が選出されて、代理者︵ぐ閏芽①前門︶ には助教授からも立候補出来る制度になっている。 一九七二年八月末日で満六八歳を迎え、停年制により退官さ れたアルスドルフ教授は、名誉教授として授業をする義務は無 いが権利を持ち、現在でも演習一課目を担当されている。教授 の業績は、ただハンブルク大学印度学科への貢献のみならず、 ドイツ全体の印度学の水準を高め、延いては世界の斯学へ絶大 なる稗益をなした偉大と称するに相応しい学者である。今日のドイツ印度学会を代表する学者は、アルスドルフ教授を筆頭 に、勺H9.日目①目①︵目写巨品①目︶﹄国旦.国騨鳥目︵旨目鼻⑦H︶︾ 印具.弓己鳥目目鼻︵⑦鼻陣侭の]︺︶の四人を挙げ得る。アルス ドルフ教授は、ジャイナ、プラクリット、韻律、阿育王碑文、 ヴェーダ、ウパニシャッド、印度文学、更に・ヘルシャ学にも秀 でた学者で、高弟には現在ベルリンで活躍中のプルーン教授が いる。因にティーメ教授は、ヴェーダ学と文法学に勝れた学者 で、国.枠冒罠騨乏のN言勗国.局・の目目鼻らが高弟に当る。 国.鷺富民①は現在アメリカに居り、彼の属四貝旨冨︲シH昏四︲ 圏の茸四の成立が、紀元後一世紀であるとした研究報告は定説 となった。国.勺m8日a計は曽って米国のバークレー大学の教 授で、現在は目弓目開口の団同且.目巨①日のの後継者として活躍 している。ぐの§のぐ吋四菌の語義決定をなし、最近ではぐc目 のぐ胃搦冒首についての研究発表をなした。陣旦.国秒鳥⑦Hは ヴェーダーゾタの著名な研究者として知られ、聞旦弓騨国唾呂︲ 目号は日日駐ロ曾且①口のマヌスクリプトを解読し整理出版し ている。弔尻具.国曽甘]︵国の旦甘︶勺門旦.砕匡首唱○ぬつ旨口の旨①ロ︶・ 故陣具.国の目冒aはヴァルトシュミット教授の高弟である。 即9.ど乱○風︾卑旦目日の目の︾国且.急巴冨切目目鼻は夫女ド イツの、プラークリット、ヴェーダ、佛教学の代表者で共に、故 呼旦.F且員唾に学んだ。扱て、アルスドルフ教授の威業を拙 稿にて述、へるには紙幅が無くて割愛せざるを得ないが、現在教 授が携わっておられるシQ旨の己弓昌目昌○口騨ご出版につ いては明記しておかねばならない。○.勺.豆の。言旦胃胃C﹄︲ として教授自らも執筆され、又編集の任を荷なって全世界の斯 界の権威者に原稿を依頼されている。ぐ巳.旨自騨、。巨①刃冒目 l己開園宜日四岳国.9胃昌侭のロが既に出版されており、執 筆者は次の通りである。旨31冒呼:国属○弓這いl騎困唱賦ばゅ ⋮O。2厘鼻怠の出国lso旨丙時曾・・弓.切.切巳扉団鄙1日詳餌:. 国勺幽昌胃ローロ開園ロ日四⋮弓.国.切○扁PC①ロ①H巴”①く尉閂 胃国出○獄口①H,o冨呉同日8H門.ど巴○篦教授は。勺.己.全 巻を今後数十年で完成させるべく脱稿を急いでおられる。 故ベルンハルト教授︵一九三一’七一︶と本学の佐全木現順 教授は佐々木教授の在独以来の親友であった事より、筆者は佐 々木教授の国旨昏冒巨侭を受け、ベルンハルト教授を訪れるこ とが可能となった。それ故一九七○年四月より一九七一年七月 にネパールへ旅立たれる迄、短期間ではあったが、週に一度乃至 二度、ヘルンハルト教授の研究室を訪問して指導を受ける事が出 来た。又個人的な教授宅での晩餐会にも屡盈招待を受け、折食 に曙○翌ごa言の紹介とそれについての研究方法を教わる事が 出来た。幾多の有益な論文を残された教授の業績の中、次に学 位論文を記しておこう。ロ①zoB目⑳房○冒冒の旨○口目目○・g︲ 風“呂①画︾●鼻は品。ロ.岳認.これに続いて口3口ゆく閏唱のテキ スト、索引を相次いで出版された教授は、己︹国口騨ご自盟の註釈 害であるロロロ昌冨冒圃日騨目○号肖騎目.シ,吟×鵠盟弓①冒旨] 国曼昏日昌の固茜扇弓の研究に着手されており、並行して研究 中であった巨弾胃。冨の資料調査をも兼ねて、第二回目のネ。ハ ール研究旅行に出発されたのであった。チ、、ヘット学にも力を注
ぎ、ムスタンクで数灸の写本を購入されたのが、故郷の御両親 のもとに今は置かれてある。 アルスドルフ教授の後任者はヴェッラー教授︵陣旦.P.葛①︲ 巳①H︶で、目号旨鳴冒の弓Hg.目巨①白。高弟である。三四歳の 教授は、文法学に於て冨号圃潤の翻訳研究をされ、一九七二 、’七三冬学期にハンブルクでは言語学と哲学の両面より授業を された。︵]︶ご后君凹屋Hp①ロロロ鴨嚴胃①号のz罰脚くゅ.︵巴F①序 匪H①Q①、の凶昌]自国四︲嗣胃陦凹日岸目色再己9房脚命︶同旨昏胃自侭 旨昌①①旨ロ①冒昌、c宮①旨呂mop①⑳d円い。旨己言さの○℃冒側ぐ回丙冒凹毛騨︲
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ロ引望四月 、ヘルンハルト教授の後任は三二歳のシユミヅタウゼン教授 ︵国9.F.留冒︺筐]四口印①ロ︶で、学位はウィーンのフラウワル ナー教授のもとで修得、二七歳で教授資格論文を提出した。唯 識二十頌、三十頌の比較研究に於て、曽ってフラウワルナー教 授の提唱した﹁世親二人説﹂を新しき観点より肯定された。 の四口陣習昇時四︲ぐ○境四口のの①目ppm①ロ掛目ぐ旨勗胃時山口ロ包弓昌冒鰹一国︾ 星ご尉唇①H雨①再思匿風津監尉昌①閃自己Q①⑳陣QppQ○黒色望曾勗〆飼 ご亀.国閏昌〆胃乏庸ロ.又、ロ関z胃く自国︲睦冨呂口岸旨︵旨H ご旨扉○凹冒浄、色目唄騨彦騨昌号片唱吊動o胃四匡昌冒仔己や国つロ.民○︲ 烏○a2︺N乏旨口.g$.をも出版された教授は、佛教学に深い 造詣を示し、将来ドイツを代表する学者となろう。 、 印度人のシュリ’一バサン博士︵ロ烏.mシ、聾︲目司尉沙ご︶はア ルスドルフ教授のもと普菖昌薗匡茸く四宮宮ロ昌弓の研究によ り学位を得たのであるが、この研究は、二七の写本を比較検討 したテキストクリティークで、曽って○四号①が出版したもの を上廻わる決定版となった。本年二月罰四日ごp巨騏についての 教授資格論文を提出された。 ギリシャ語にて学位取得後、印度学で教授資格論文を提出さ れたメッテ博士︵pH.衿.旨①茸①︶は、ジャイナ研究者である。 冒己四8国のテキストクリティークをなし、最近は、佛陀とマ ハーピーラーの伝記を比較されて研究発表をなされた。 ベルンハルト教授の助手を勤め、現在は、ボン大学に移った ハーン博士︵己H,旨.園農口︶は三一歳にしてチベット学関係の 書物三冊を出版した。ボン大学では梵語を講じているが、専門 は目号の爵呂①H目①嵐にあり、それを梵・漢・日・印各言語と 如何に比較研究するかが課題であると云われる。 本年二月学位を得た若きエティヶ博士は、仇教学に於て将来 シユミッタウゼン教授共さ﹂の方面の希有の学者となろう事は 疑う余地もない。 ドイツの学生は、兵役義務もあり、平均二二歳で大学に入学 するが、高校にて基礎語学︵英、佛、ギリシャ、ラテン語︶を 修得する故に、大学では教養課程を勉強する必要がなく、従っ て大学では全て専門課目を演習、講読にて学ぶ。概論的知識を 欲すれば、その種の書物を入手して読む訳で、一般講義はなさ れていない。学生は印度学科で学位を得る為に、最底三年間基 礎語学を学ばねばならない。即ち、ヴ一一1ダ語、梵語、プラー クリット︵含むパーリー︶、近代語の内一種の合計四種が︸﹂れで ある。学位を得る資格は、大学で四年間以上学ばねばならない規定であるから、その弾は基礎語学に費す訳である。主専門学 科の他に、副専門学科二つを課せられてもいる。勿論主専攻に て高度の内容を必要とする論文を提出する訳であるが、口頭試 問は三学科で行なわれる。内容は、教授がその場で差し出すテ キストを直ちに翻訳し得る能力を要求されるものである。従っ て学生は、語学中心の学問方法を身に付けるが、問題があって、 それは学位修得後の就職の段になって現われて来る。即ち現在 いる約三五名の学生が、将来学者として残るか、ジャーナリス トとして活躍するかに就職の焦点が合わされて来る為、現代印 度について社会学的観点よりの授業を要請する者も出て来てい る。然し古典を無視して現代は語れぬとする教授側の意見が今 は採られている。 終りにハンブルク大学印度学科一九七三年夏学期の授業課目 を挙げておこう。 岸めい目農H津胃P,勇行昌臼 蝉めゅ邑爵﹃芹ロ、.シ、の昌昌ぐ儲色目 い□ず自口鳴旨間口叶叶閉凹︲目豈①○国の“z抑q鼠蔚前煙く早く冒日岸 炉ご宮昌四ぐ四m目も計ゆめ属O日昌①ロ3列の.吟.の凰昌ぐ閉口ロ 鍔伊己弄四sの冨吋四犀.旨鼻蔚 、ロヴロコ、の目圃pH目amoゴ⑦ロ旨①茸時日洋圃①房凰①国①穴菖H① 岸.豈角①#① 回国門凰①宮昌ロ函胃口四岸①己冒昌の目淫.割く①里閏 式固四曾堅騨弓叩倒○m四呂吋P衿.ごく①里①H P]ゆく自詳四ずず凹拝画噛のシ、自己砂○四冒号包剖色シ、罰ぐ⑦里①門 画] 函 胃 つ ④ ーーー ぬ 司 句 Ice 胄 昌 昌 一 昌 胃 C − 1 ト 狸 函 t o ー っ て 、 ]。 い い。 ﹄。 画︲
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