• 検索結果がありません。

小選挙区制度の導入と市長選挙 : 2008年藤沢市長選挙の事例を中心に

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "小選挙区制度の導入と市長選挙 : 2008年藤沢市長選挙の事例を中心に"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

はじめに

近年市長1)(首長)選挙に関する研究は、異なるレベ ルの選挙との関係など多くの指摘がなされている2)。し かし、小選挙区制度の導入や影響から市長選挙の構図を 説明する研究はほとんどない。そこで本研究では、小選 挙区制度が地方政治および地方政治家に何らかの影響を 与えているはずだという仮定の下に 2008 年に行われた 神奈川県藤沢市の市長選挙を取り上げ、事例分析を行う。 注目するのは中央政治家(主に代議士)と地方政治家の 関係である。 この事例分析からは、新聞紙上で政党推薦を受けない 無所属の市長候補と扱われていても、小選挙区を争う代 議士や政党の動向に影響されうるということを明らかに するものである。こうした点について、まず先行研究を 整理し、事例を紹介する中で市長候補と代議士の関係や 市長候補のリクルートメントに関するメカニズムの一端 を明らかにしていく。

Ⅰ.国政と市長選挙との関係に関する

先行研究の整理と本研究の位置づけ

この章では、国政と市長選挙との関係に関する研究を 概観し、本研究の位置付けを明らかにする。 近年、国政と地方政治の中でも国政と市長選挙に関す る先行研究を整理すると大きく分けて二つの方向性があ る。そのことは、国政と地方政治の関連性についての議 論でみてとれる。 一つの見方として山田真裕は、地方政治家の県議に関 する研究の中で、国政選挙(衆院)と地方選挙の間はま ったく独立ではなく、自民党代議士と自民党(系)首 長・地方議員の間で一定の相互依存関係(系列化)が存 在し、それが両者の集票に影響を及ぼしているというの が一般的な理解であると述べている(山田 2007)。 一方で国政と地方政治の中で、国政と地方政治の関係 を政党の存在に着目しながら分析し、脱政党や無党派知 事の登場を理由に、関係が薄くなっているという見方も 存在する。首長の政党推薦・支持の傾向を分析した牛山 久仁彦(牛山 2006)や地方政治家へのアンケート調査 に基づいた分析の中で地方政治家の中には知事に政党は そぐわないという主張を行った河村和徳(河村 2007) ら地方政治に対する見方もある3) この議論の中で本稿の立場は、国政の選挙制度改革に 着目し、国政と地方政治の関係はあるとの議論を支持し たい。そもそも新しい小選挙区制度は、二大政党化4) もたらすことを期待され導入された。それによって、各 小選挙区に有力な2つの政党を代表する代議士5)が存在 するものと考える。その代議士のお互いが小選挙区にお ける再選(当選)を考えること6)を前提とすれば、代議 士にとって市長は無視できない存在である。加えて、国 政選挙(衆院)と地方選挙の間はまったく独立ではない と考えると、代議士と首長(この場合は市長)の間で一 定の相互依存関係が存在し、それが両者の集票に影響を 及ぼしていると考えられる。 はじめに Ⅰ.国政と市長選挙との関係に関する先行研究の整理と 本研究の位置づけ Ⅱ.本研究と事例の関係 Ⅲ.事例検討― 2008 年2月 藤沢市長選挙 1.藤沢市の概要 2.藤沢市の政治事情(代議士と市長を中心に) 3.市長選挙の発生(2006 年 10 月∼ 2007 年2月) 4.市長選の序盤戦(2007 年2月∼統一地方選∼ 2007 年8月) 5.市長選の中盤戦(2007 年9月∼ 12 月上旬) 6.市長選挙の終盤(2007 年 12 月∼ 2008 年2月) 7.市長選の結果 Ⅳ.結語

小選挙区制度の導入と市長選挙

─ 2008 年藤沢市長選挙の事例を中心に─

鶴 谷 将 彦 

(2)

よって、代議士と首長の間には、何らかの関係を生じ るものと理解することが当然であろう。では、どの部分 に影響が出るかと考える事となる。その問いをめぐって 新たな方向性を示したのが、小選挙区制度と市長選挙の 関係に着目した議論である(鶴谷 2008)。ここでは、国 政の小選挙区制度と市長選挙は同じ選挙制度であるとい う点と選挙区域が限りなく接近する点に着目し、小選挙 区に含まれる市の人口規模が大きい場合には、小選挙区 の代議士対決構造が影響することを示した。衆議院の小 選挙区の特性に着目した理由としては、小選挙区制度の 区割りが人口(有権者数)30 万から 50 万人という人口 規模を基準として設けられているからである。その人口 規模に限りなく接近する市の市長選挙は、小選挙区を争 う代議士にとって市長の政治資源7)を自身の選挙に有利 なものとして利用したいと考えられるのが当然であろ う。 しかし、分析結果においては小選挙区に包含されかつ 小選挙区内で人口規模の大きい市における市長選挙 (1998 年から 2007 年 10 月)の 25 %でしかこの考え方は 当てはまらない。残りの 75 %については、留保なしで は説明できないのが現状である(鶴谷 2008)。この 75 % の事例の中をさらに見てみると、小選挙区を争う国政の 与野党が推薦・支持する相乗り型候補が登場する市長選 挙の対決構造が小選挙区の代議士対決ではないものの、 細部を見ると小選挙区を争う代議士や政党の影響力があ る程度存在しているといえる。しかし、政党推薦・支持 が新聞紙上で表記のない無所属候補同士の争う市長選挙 については、どの様なメカニズムもしくは国政と地方政 治の関係について明らかではないことに加えて筆者の立 場を支持しているとはいえない。 そこで本稿の目的は、選挙区域が小選挙区に限りなく 接近し、人口規模においても小選挙区のかなりの部分を 占める自治体(いわゆる「1市1選挙区8)」に限りなく 近い自治体)の市長選挙において、政党および小選挙区 を争う代議士が関わらない市長選挙は、存在するのだろ うかということを無所属候補によって争われた 2008 年 藤沢市長選挙の事例から明らかにすることである。

Ⅱ.本研究と事例の関係

この章においては、市長選挙の事例として 2008 年藤 沢市長選挙を扱うことについて、説明することとする。 市長選挙の中でも、なぜ 2008 年2月の藤沢市長選挙 を取り扱うのかについては理由がある。まず、小選挙区 制度と地方政治(鶴谷 2008)での指摘で、1994 年の新 選挙制度である小選挙区制度導入の特徴の一つは、人口 比による区割りと選挙制度の類似と選挙区域の接近であ るといえる。表1の小選挙区に含まれる当該市の有権者 の比率において、藤沢市は小選挙区に含まれる市の中で 限りなく 100 %(1市1小選挙区)に近い存在である。 しかし、2008 年の市長選挙においては、政党推薦・支 持は新聞紙上でも見られず、代議士の行動も伝えられる ことはほとんどない扱いであった。 二つ目として、小選挙区を相争う代議士が常に存在し ている点である。表2でも明らかなように、神奈川 12 区は、国政の与野党が常に争い、加えて中小政党も存在 するほど激戦区である。2003 年 11 月から 2005 年9月の 間には、小選挙区制度下において4名の代議士を排出し ていた時期も存在した。この状況下で政党に無関係の市 長選挙が行われたとすれば、本研究の仮説を覆すもので ある。そこで、2008 年2月の藤沢市長選挙は、本研究 にとってクリティカルケースであり、事例分析の対象と して扱うこととした。 表1 2005 年衆議院選挙における小選挙区に含まれる 市の人口規模 順位 市区名 規模% 順位 市区名 規模% 1 秋田市  100.00 16 高槻市  92.49 1 船橋市  100.00 17 福山市  91.01 1 杉並区  100.00 18 福井市  90.69 1 板橋区  100.00 19 宇都宮市 90.09 1 江東区  100.00 20 高松市  89.47 1 八王子市 100.00 21 横須賀市 89.39 1 金沢市  100.00 22 藤沢市  89.38 1 岐阜市  100.00 23 川口市  89.13 1 豊中市  100.00 24 下関市  87.15 1 東大阪市 100.00 25 豊橋市  84.66 1 尼崎市  100.00 26 枚方市  83.90 1 姫路市  100.00 27 西宮市  82.82 1 和歌山市 100.00 28 いわき市 82.70 14 徳島市  98.79 29 盛岡市  82.30 15 那覇市  95.51 30 葛飾区  82.16 2005 年衆議院選挙の当日有権者数を基に筆者が作成 例 小選挙区における市区の規模(%) =2005 年9月総選挙時亀岡市の有権者数 ×100 2005 年9月総選挙時京都4区の有権者数

(3)

Ⅲ.事例検討― 2008 年2月 藤沢市長選挙

この章では、2008 年2月に行われた藤沢市長選挙を 市長候補と小選挙区を争う代議士のそれぞれの視点から 時系列的に整理・紹介し、選挙の過程にどのような影響 を相互に及ぼしたのかを追いながら市長選挙を説明する こととする。 なお、代議士の動向は、神奈川 12 区(藤沢市と高座 郡寒川町)で議席を争う桜井郁三代議士(自民党)と江 崎洋一郎(自民党)および中塚一宏支部長(民主党)に 注目する。以下の項目で自民党の江崎代議士についてあ まり触れない場合もある9)。よって、桜井代議士と中塚 支部長を代議士側として注目しながら説明する。 1.藤沢市の概要 神奈川県藤沢市は、東京から約 50 キロメートル離れ た神奈川県の中央南部に位置し、人口約 40 万人10)の自 治体である。東京・横浜の通勤圏内に位置し、首都圏の 有力な衛星都市として、高度成長期には住宅団地や大企 業工場の進出が目覚しかった。その影響で発展し、首都 圏の中核的な市となった。 2.藤沢市の政治事情(代議士と市長を中心に) (1)市長について 藤沢市の市長は保守市政から葉山革新市政を経て共産 党以外の国政与野党相乗り市政を展開することとなっ 表2 小選挙区神奈川 12 区の結果 2005 年衆議院選挙小選挙区神奈川 12 区 藤沢市結果 有権者数 318,303 投票率 66.58 % 小選挙区当選 候補者名 政党名 票 数 得票率 絶対得票率 増 減 当 桜井 郁三 自民党 97,590 46.8 30.66 31436 中塚 一宏 民主党 67,829 32.5 21.31 − 156 比例当選 阿部 知子 社民党 32,324 15.5 10.16 7216 沼上 常生 共産党 10,706 5.1 3.36 622 有効投票数 208,449 1996 年衆議院選挙小選挙区神奈川 12 区 藤沢市結果 有権者数 289,051 投票率 53.62 % 小選挙区当選 候補者名 政党名 票 数 得票率 絶対得票率 当 桜井 郁三 自民党 45,955 30.6 15.90 江崎洋一郎 新進党 44,019 29.3 15.23 原田 尚武 民主党 37,297 24.8 12.90 桑原 正一 共産党 22,926 15.3 7.93 有効投票数 150,197 2003 年衆議院選挙小選挙区神奈川 12 区 藤沢市結果 有権者数 314,236 投票率 56.97 % 小選挙区当選 候補者名 政党名 票 数 得票率 絶対得票率 増 減 当 中塚 一宏 民主党 67,985 39.2 21.64 比例当選 桜井 郁三 自民党 66,154 38.1 21.05 21739 比例当選 阿部 知子 社民党 25,108 14.5 7.99 − 8378 高松みどり 共産党 10,084 5.8 3.21 − 3523 鈴木 浩一 無所属 4,294 2.5 1.37 有効投票数 173,625 2000 年衆議院選挙小選挙区神奈川 12 区 藤沢市結果 有権者数 301,752 投票率 58.44 % 小選挙区当選 候補者名 政党名 票 数 得票率 絶対得票率 増 減 当 江崎洋一郎 民主党 47,955 27.8 15.89 3936 桜井 郁三 自民党 44,415 25.7 14.72 − 1540 比例当選 阿部 知子 社民党 33,486 19.4 11.10 原田 尚武 無所属 33,226 19.2 11.01 − 4071 沼上 常生 共産党 13,607 7.9 4.51 − 9319 有効投票数 172,689

(4)

た。まず、金子小一郎市長は、自民党出身ということも あり保守市政をおこなった。そして 1972 年には、地方 政治における革新自治体の影響から革新勢力に支援を受 けた葉山峻が市長に就任し、革新自治体として 24 年の 長きにわたる革新市政を展開することとなった。その後、 葉山市長の引退を受けて行われた 1996 年の市長選挙に おいて 1992 年の市長選挙で葉山市長に挑戦した自民党 出身の山本捷雄が葉山後継の市長候補を破りに就任する こととなった。その山本市政は、共産党以外のすべてが 1期目の最中に与党化するなど国政の相乗り体制が成立 し2期目の選挙(2000 年)と3期目の選挙(2004 年) では共産党以外の政党の推薦・支持を受ける相乗り選挙 を展開し、相乗り市政を継続してきた。 (2)国政 小選挙区神奈川 12 区は、藤沢市と寒川町で構成され ている。その中でも藤沢市は、約 89 %の有権者比率を 持ち、選挙戦の動向を左右する自治体である。ここでは、 小選挙区制度の導入から 2008 年の藤沢市長選挙に至る までの国政の動向を中心に整理する。 小選挙区導入 1994 年の選挙制度改革によって、藤沢市を含む中選 挙区神奈川3区は、約5つの小選挙区に分割された。そ の中で、当時藤沢市長であった葉山は、市長を今期限り という見方が強く、社会党からの総選挙出馬に意欲的だ とみられていた11)。葉山峻12)の出馬動向は、市長という 要職を 24 年もつとめているため、知名度抜群であり、 自民党および新進党の候補者選定を遅らせる結果となっ た。特に、中選挙区神奈川3区の代議士は、藤沢市内に おいても後援会など有力な選挙基盤を保持していたもの の、葉山との直接対決を避け有力保守系代議士の不出馬 選挙区13)となった。結果として、積極的に立候補する ものがおらず、新進党は藤沢市出身ではない江崎洋一郎 を擁立し、自民党は自民党藤沢市連合支部(以降は自民 党藤沢支部と略す)による候補者選定を中心的に行い支 持を得られた藤沢市議の桜井郁三を擁立することとなっ た。この時点から自民党藤沢市支部と桜井郁三の関係は 桜井の後援会の一部としてみることが出来、全面的に桜 井郁三を支えていくこととなった。 1996 年、2000 年の小選挙区神奈川 12 区の対立構図か ら 2008 年市長選発生時まで 表2にもあるように小選挙区導入後2回の小選挙区対 決の構造(1996 年と 2000 年)は、桜井郁三(自民党) と江崎洋一郎(国政の野党第一党)との争いであった。 その結果は小選挙区での復活当選も許さないほどの激し いものとなった14)。2002 年になるとその構図は変化する。 それは中央政界の動向であった。神奈川 12 区選出の江 崎代議士が、民主党から保守新党へ移籍することとなっ た。その動向は、自民党藤沢支部に新たな動きを生じさ せることとなった。2003 年に入ると国政与党分裂選挙 の中で民主党と争うことを警戒した自民党藤沢市部幹部 が党本部や保守新党幹部への働きかけ、江崎代議士を衆 院選前に自民党入党させ、桜井支部長(当時)とコスタ リカ方式15)を軸とした選挙協力をすることを勧めたの である。この行動に対して江崎代議士も受け入れ衆院選 前に自民党に入党することとなった。 その結果、2003 年 11 月の小選挙区神奈川 12 区の対立 構図は、落選中の桜井郁三(自民党)と旧自由党時代か ら立候補を表明していた中塚一宏16)(民主党)が、事実 上争うこととなった。ただ、この選挙区は社民党から阿 部知子も立候補しており、共産党候補も含めると野党競 合選挙区となっていた。そして 2005 年9月のいわゆる 郵政解散による選挙において、桜井が約 10 万票を獲得 し、2位の中塚は比例区重複立候補をしていたにもかか わらず落選となってしまった一方で、3位の阿部知子は 比例区での復活当選をした。結果として、2008 年市長 選発生時において桜井は、自民党現職代議士17)であり、 江崎も 2003 年および 2005 年衆院選において単独の比例 候補として当選していた。一方の中塚は、民主党神奈川 第 12 区総支部長(以下では支部長と略す)であり、落 選中であった。 3.市長選挙の発生(2006 年 10 月∼ 2007 年2月) 2008 年2月に任期満了する藤沢市長の職については、 まず山本捷雄市長の去就が焦点であった。その去就発表 は、2006 年秋頃から、山本市長ペースで始まった。ま ず、超党派的に編成していた山本市長の後援会幹部や選 挙の中心母体である自民党藤沢支部幹部に対して3期 12 年で市長職を退く旨を伝えていた18)。その情報を知っ たさまざまな政治家や関係者は、この時期に行われた意 思表示について唐突に感じていた。一方で、市長側にも

(5)

いくつかの要因があったといわれている。まず、山本市 長は、葉山前市長と争って当選した経緯もあり、3期 12 年での引退を表明していた。また、2007 年4月には 統一地方選挙が予定され、藤沢市においても県議会議員 選挙と市議会議員選挙の実施が予定されていた。よって 山本市長は、市長選挙立候補者市長選挙は統一地方選挙 前に態度表明するのが筋であるとの信念を持っていた。 したがって、2006 年 12 月 21 日正式に不出馬表明19)とな った。 それに答える形で、市長選挙への出馬意欲を持った候 補者が現れた。その動きは、山本市長を中心的に支えた 自民党籍の地方政治家の中から4名の出馬意欲20)を生 じさせた。その一人が神奈川県議の星野剛士である。星 野は県議3期目で年齢 45 歳。国政など早くから転進希 望を周囲に示すなどキャリアパスをかねてから持ってい た。藤沢市北部を地盤とし、業界団体などからの支持も 厚く、過去の県議選の結果などから見ても、藤沢市の地 方政治家の中では、市長に一番近いと目される存在であ った。二人目としては、藤沢市会議員の海老根靖典であ る。松下政経塾出身で、藤沢市出身ではないが 1991 年 の市議会議員選挙において当時 1992 年の藤沢市長選挙 に出馬予定で後に市長に就任する山本捷雄の市議時代の 地盤を継承し初当選を果たした。無所属で4回の選挙に 立候補するものの常に自民党籍を持ち、自民党の推薦を 得て当選してきた市議4期目の 52 歳。早くから山本市 長の後継市長を目標に定め、市議会議員として行動して きた。藤沢市南部が地盤とされていた。 三人目としては、神奈川県議の鈴木恒夫である。鈴木 は、藤沢市中南部を地盤とし、自民党籍の藤沢市議を4 期務めてから新進党推薦の無所属で神奈川県議へ転身 し、無所属から自民党に入党して3期目 57 歳であった。 鈴木はこの頃、県政での活躍より政治家としての集大成 の場として市長というポストに魅力を感じて意欲を示し ていた。そして四人目が藤沢市議会議員の国松誠である。 国松は市議4期目の藤沢市議で、藤沢市南西部が地盤で あった。2003 年から全国市議会議長会会長を務めるな ど、市議会のベテラン的存在であった。全国市議会議長 会会長は市議会議員の集大成ともいえる役職であるた め、国松自身も更なるキャリアパスを考えていたようで ある21) 自民党籍を持った4人の出馬意欲を持った地方政治家 を最終的に調整することとなったのは、自民党藤沢支部 の役員であった。自民党藤沢支部は、元県議の番場正孝 や議員経験のない丸山久美夫など数人の有力者22)が役 員を務める政党支部であり、有力者による集団指導体制 であった。この政党支部の候補者決定およびその後の選 挙戦の動向に重要な位置を占めることは間違いなく、そ の認識を早くから持っていた海老根は、自民党藤沢支部 の役員(有力者)に対して山本市長の去就が注目される 以前から積極的な支援要請を行い始めていた。そして自 民党藤沢支部の有力者の一人である丸山は、海老根の思 いと以前から山本市長も後継者の一人として、藤沢市に 昔からのしがらみのない海老根を意中の候補としていた ため、海老根支持を鮮明にしてほかの役員の意思を統一 させ、候補者調整を始めたのである。そして、海老根一 本化に向けた立候補断念の要請は、他の三人に対して行 われ、中でも国松は、2007 年1月下旬に県議への転進 を条件に断念することとなった。また鈴木は、市長のポ ストに固執したものの最終的に自民党藤沢支部での中心 的存在としての役割を理由に説得され断念するに至り、 2007 年2月頃には次期県議選への出馬へと傾いていっ た。星野に対しては役員による説得が試みられたものの、 役員の多くが、県議選藤沢市選挙区における星野のライ バルで存在した番場の支持者であったことなどの歴史的 経緯23)によって、最終的に断念させることが出来ず、 出馬へと傾いていくこととなった。 そして海老根は、自民党藤沢支部の幹部の動向に注視 しながら、山本市長の不出馬表明の翌々日に出馬表明し、 一方の星野24)も 2007 年1月日に出馬表明することとな った。 代議士の市長選挙への対応 この時期の小選挙区神奈川 12 区を争う代議士や支部 長の動向は主体的にかかわらない方針であった。特に小 選挙区の議席保持者である自民党の桜井代議士は、自民 党籍2名の市長選立候補であり主体的な候補者擁立に関 わることができず、加えて桜井代議士を支持する自民党 藤沢市支部に候補者調整を委ねていた。桜井代議士の心 情的としては、星野候補との過去の経緯25)に加え、海 老根候補は桜井代議士の藤沢市議時代の同僚でもあった ことと、自民党藤沢支部が海老根支持に固まる過程にお いても星野候補と海老根候補に分裂もしくはバランスの 取れた支持になることに対して興味を持たず、結果とし て自民党藤沢支部の大方が海老根候補指示になることを

(6)

黙認したことからも明らかである。一方の中塚支部長は、 衆議院議員の現職ではなく、次期衆院選での当選が絶対 とされている状況においても候補者擁立活動を行ってい たものの積極的に民主系の地方政治家の立候補を促す行 動や市長選挙の勝利を意識した発言はあまり見られず、 主体的にこの選挙へ関わる行動は見られなかった。 4.市長選の序盤戦(2007 年2月∼統一地方選∼ 2007 年8月) 市長候補の動向 海老根・星野両候補は、既存団体や地方政治家への多 数派工作と支持基盤確立に向けて活動していった。まず、 この時点で市長選挙は自民党分裂選挙という構図であっ たことで、出来るだけ強固な支持基盤を築きたかった。 二つ目として、自民党代議士の桜井・江崎を押さえれば、 自民党系の地方政治家や支持団体がすべて味方になると いう仕組みを認識していたことであった。三つ目として、 選挙の時期が2月の真冬であることに加え、市長選挙の 投票率は近年 30 %前後を推移しているなどの歴史的経 緯から、低投票率が見込まれ、浮動票より固定票を確保 することが市長選挙を制するのに有利であると選挙関係 者のほとんどが予想できたことである。 そこで、ここからは朴の小選挙区代議士の誕生につい て書かれた『代議士の作られ方』(朴 2000)の中におい て、自民党代議士は、地方政治家・中間団体(各種業界 団体と宗教団体)・後援会・浮動票に着目した分析を行 っていることを踏まえて、両候補の行動を整理すること とする。なぜなら保守系候補2人の争いであるためこの 方法を採用することとした。 地元代議士と県議の取り込み 海老根・星野両候補ともに、自民党代議士の桜井と江 崎に対しては、両市長候補が自民党籍を持っているため、 どちらの候補に対しても明確な支持を表明しないことを 望んでいた。一方の小選挙区のライバルである民主党の 中塚支部長に対しては、民主党神奈川県第 12 総支部 (以下では民主党藤沢支部と表記する)独自で候補者擁 立が想定されたため、中塚支部長の支援をあまり意識し ていない様子であった。 海老根候補は、県議選の対立構造を利用した側面があ っ た 。 そ れ は 、 星 野 候 補 の 県 議 時 代 の ラ イ バ ル 候 補26)である鈴木恒夫県議の取り込みを重要視していた からである。特に市長選立候補を断念した経緯から鈴木 県議への配慮をすることも自民党藤沢支部の支援を円滑 にする上で必要であり、県議選においては明確な支援を 行う態度をとった。しかし、鈴木県議からは、市長選挙 への明確な支援をすることにインセンティブを感じなか ったことと海老根候補への支援は、藤沢市長選挙出馬の 断念理由である自民党藤沢支部の中心的存在としての地 位を得ることにとってはマイナスであると感じ、選挙戦 終盤に至るまで支援を行わなかった。更に海老根候補は、 市議時代同じ会派で活動していた民主党県議の井出拓也 の支援を取り付けることを行うなど、県議レベルで星野 候補の状況を意識した対立構図の形成に奔走した。 一方、星野候補は、県議後継候補として市議の国松誠 を後継指名27)し、県議選において協力する一方で市長 選挙での支援を受ける形であった。しかしそれ以外の県 議の支持獲得にあまり興味を示さなかった。 市議の取り込み 両候補ともに、地方政治家の支持動向に関しては強い 関心を持っていた。それは、集票となることが見込まれ る市会議員の確保にあった。その理由は、選挙運動の形 態から見て取ることが出来る。市長選の候補者の選挙運 動を支えているのは、市長候補の個人後援会だけではな く、市議は陣営の選挙運動の司令塔としての役割や個人 の紹介を市長候補に対して積極的に行う役割を担ってお り、どの市議(地方政治家)を獲得するかは、選挙戦の 流れを左右するほどである重要な存在である。そのため 市長候補は、集票に有力な市議の獲得のみに力を注ぐこ ととなった。 海老根候補は、まず市議時代に行動を共にしてきた市 議からの支援に積極的な働きかけを行った。その市議の 多くは、個人後援会に依存していない者も多いが、市議 選において上位当選を果たしていた。加えて、その多く は自民党籍を持っている市議会議員である。自民党籍を 持っている市議は藤沢市において6名おり、それらのほ とんどが自民党藤沢支部の主要アクターであった。その ため、海老根候補はこれらの市議の支持獲得を奔走する こととなった。最終的に海老根候補を支援した市議は、 保守系と見られている自民党籍の市議のほとんどと民主 党系無所属市議を合わせて8名程度の支持を取り付ける こととなった。その構成は、一方で海老根候補が市議時 代の新会派結成時において対立した保守系無所属市議の

(7)

大半は含まれておらず、結果として星野候補へ支援する ことを許すなど、市長当選後の市議会の対応については あまり考えない面も存在した。 一方の星野候補は、海老根候補同様に市議の中でも星 野候補に友好的な保守系市議会議員の支持獲得から取り 組んでいった。海老根候補との違いは、市議の支援より も他を優先する場合も存在したことである。例としては、 先程述べた国松市議を県議選の後継指名をする過程にお いて、反発した自民党籍の市議の取り込みに興味を示さ なかったことから考えられる。それが最終的に、海老根 候補が市議取り込みを出来なかった保守系無所属議員8 名程度を中心に市議の支援を取り付けることとなった。 加えて、将来的な戦略を考える上で、藤沢市議会に存在 する連合神奈川の推薦を得た連合系市議会議員6名程度 の中で支援を模索し、個人的関係及び 2008 年5月の小 田原市長選における民社協会系の市長候補者とのバータ ー協力という理由を踏まえて、民社協会に関係する自動 車総連の支援を受けた市議会議員1名の支持を選挙戦中 盤から獲得していた。このことは、市議レベルでも海老 根候補へ協力が有力であった連合・民主党系に楔を打ち 込むことを目的とし、星野候補が超党派的な陣容を備え たかった面としても解釈できる。 以上のことから、市議の取り込みは両候補共に数の上 では互角であり、集票や選挙における動員を目的そのも のであったものの、海老根候補は市議時代のつながりを 強みとした協力関係を模索し、一方で星野候補は、将来 的な選挙戦略を意識したものであった。 各種団体の取り込み 各種団体の取り組みは、大きく分けて二つあった。そ れは、業界団体と宗教団体である。まず、業界団体に関 して星野候補は、大半の支持を選挙戦序盤には固めてい た。その理由としては、二つ考えられる。まず、星野候 補は県議時代から、自民党の支持基盤である各種業界団 体からの推薦をもらい当選することから始まり、業界団 体を選挙活動の主要な選挙基盤としていたことである。 そのことは市長選挙への出馬表明以後、各種業界団体へ 支援要請すると即座に支援を表明するなど、星野候補に 対して業界団体は、日常から好意的であった。二つ目に、 各種業界団体の組織構造から星野候補との関係が親密で あったといえる。各種業界団体は、都道府県単位を中心 に編成されており、県議であった星野候補を藤沢市にお いて各種業界団体の組織に参加している業者は、無視で きない存在であった。そのため、県議時代の星野候補を 藤沢市の各種業界団体は必要不可欠の存在と感じ、接近 および政治活動の協力をしていたのである。その関係は、 2006 年度政治資金収支報告書からも確認することが出 来るといえる。業界団体からの献金は星野候補が県議時 代終期である政治資金収支報告書において、藤沢市の保 守系政治家の中でトップクラスであった。周囲はその状 況から、各種業界団体の支持は星野候補というような固 定化された意識を持つようになるほどであった。 その状況下において、自民党の支持基盤として残され るは、宗教団体の動向であった。この部分に関しては星 野候補に向かうだけの理由もなく、海老根候補は選挙戦 序盤から個々に支援を取り付ける作業を行うなど積極的 に動いた。その結果、海老根候補はある程度の支持をこ れら団体から感触を得ていた。 この様子は、海老根候補にとって、各種団体の組織票 がすべて星野候補に流れたわけではない証明であった。 しかし市長選挙に参加するほとんどのアクターの見方 は、業界団体票を固めた星野候補が優勢な状況であると 考えていた。 個人後援会の形成と活動 市長候補にとって個人後援会は、選挙戦を行う上で重 要位置付けと考えられるものの、この市長選挙において は両候補で大きな差が生じたといわざるをえなかった。 海老根候補は、市議時代から上位当選を果たしている ものの、あまり個人後援会を形成することに興味を持た ない活動で毎回の当選を果たしていた。そのため、その 形成を市長選挙の過程において個人後援会を市全域に形 成することを当初は狙っていた。しかし、支持者の中に は表立って海老根候補を支持することを嫌う者が続出し たことで個人後援会を市全域広げることできない状況で あり、その現状は選挙戦終盤において藤沢市の各地区で の集会を意図的に行わなかったことからも明らかだっ た。海老根候補が無理をしてまで、後援会組織にこだわ らなかったことついては、自民党藤沢支部の存在も大き いものと考える。それは、個人後援会を形成しなくても、 自民党藤沢支部関係者(政治家だけではなく)がそれぞ れの有力支持者の紹介を中心とした連れまわしと呼ばれ る事前活動を展開し、結果としてドブ板選挙と呼ばれる ような方式を行うことが候補者の努力よりも容易に出来

(8)

たことがある。 一方、星野候補は、県議時代にも藤沢市の全 13 地区 に個人後援会組織を形成しており、それを選挙戦の中心 にすえ、組織を拡張することに努めた。そして更なる支 持獲得のために各種業界団体や市議などの支援および自 身および支持者の努力から個人後援会を拡張することに 成功していた。そのため、県議時代よりも支持者の連れ まわしなどの活発な運動が出来ることとなりドブ板活動 を今まで以上に行うことが出来た。 市長候補の基盤固め(両候補の選挙キャンペーンについ て) 以上のことから、市長候補2名の行動は以下のように 整理できる。海老根候補は、個人後援会の形成にあまり 力をおかず、自民党籍の地方政治家との連携を軸に街頭 演説等の空中戦と呼ばれる活動を重視することとなっ た。一方の星野候補は、個人後援会と各種団体を軸とし た組織型選挙を展開することとなった。しかし、この時 点で両方共に市長選挙の流れが一方的となるような決定 打がない状況であった。 代議士の動向 自民・民主の両方の代議士・支部長ともに市長選への かかわりを持ちたくない要素が強い状況が続いた。背景 には互いに共通する要素があったものと考えられる。そ れは第一に代議士・支部長共に候補者選定を主体的に行 えなかったことである。それは藤沢市において個人後援 会など強力な組織を代議士・支部長は形成しておらず、 加えて市長候補を意識的に擁立することに関心を示さな かった。第二に、この時期は、国政の状況において次期 衆院選が近いとあまり感じられない国政の動向であっ た。2007 年7月の参議院選の安倍内閣下においては、衆 議院の解散がすぐに行われる状況ではなく、いわゆるね じれ国会が開かれる参議院選以降の 2007 年9月までそ の状況は続いていた。第三に、両代議士の市長選挙への 関わりを動機づける環境になかったことが挙げられる。 自民党の桜井・江崎両代議士は自民系地方政治家2名の 立候補により、代議士の支持基盤である後援会の支持者 がすでに分裂していて、身動きが取れる状況ではなかっ た。そして民主党の中塚支部長は、市長選挙に独自候補 を擁立するにしてもどちらかの候補に乗るにしても、強 いインセンティブを感じられていない状況であった。 5.市長選の中盤戦(2007 年9月∼ 12 月上旬) ここでは主に三つの出来事が発生した。そこでまず、 3つの出来事とそれに伴う市長候補と代議士の行動とい う順番に説明する。 まず一つ目の出来事は、民主党の候補擁立不調である。 民主党は中塚支部長や民主党籍の地方政治家を中心に候 補者擁立に向けた動きが行われた。しかし、前の藤沢市 長の葉山峻の娘婿で民主党籍の市議擁立を最終的に模索 したものの不調に終わる結果となった28)。二つ目の出来 事は、市議補選の発生である。2007 年 11 月 28 日に共産 党市議の酒気帯運転により辞職し、市長選挙と同時に定 員1を争う市議補選を行うこととなった。市議補選の候 補者両立は、政党対決の要素が反映し、政党を軸に候補 者擁立を行うこととなった。それには、藤沢市全域選挙 のため、広範な支持を得られる候補を擁立しなければな らず、地域代表の側面を強調する普通の市議選候補では 対応できないことが挙げられる。そこでまず動いたのが、 自民党の桜井代議士である。桜井代議士は甥で秘書を務 めていた男性を擁立することとなった。それを受け民主 党も中塚支部長中心に候補者擁立作業を展開し、中塚支 部長のボランティアを務めていた男性を擁立することな り、最終的に革新系からは、社民党と協力関係にあるロ ーカルパーティーの神奈川ネットワーク運動の公認候補 を擁立し、政党を前面に出した選挙が行われることとな った。三つ目の出来事は、革新陣営の動向である。革新 陣営は社民・共産両党など葉山市政で中核を占めていた グループである。当初このグループは、民主党藤沢支部 の動向を注視し、国政野党で単独候補の擁立に期待して いた。そこで小選挙区神奈川 12 区で争う阿部知子(社 民党)や社民・共産などの関係者が民主との市長選に関 する選挙協力を求めたが 2007 年 12 月の上旬にはかなわ ず、独自候補として元市議の柳谷亮子を擁立することと なった。背景としては民主党の地方政治家の強い反発が あったといわれる。 この三つの出来事を踏まえて、選挙戦の構図は既存団 体や地方政治家の取り込みが一段落し、革新陣営の動向 により、取り込みされていない組織は、公明党29)と民 主党になった。 中でも市長候補の焦点は、民主党の支援をどのように 受けるのかという点に絞られることとなった。その背景 には、数字的裏づけも存在する。それは 2007 年参院選

(9)

の結果であった。2007 年の参院選は民主党の躍進が目 立った選挙であり、当然参議院神奈川選挙区においても その結果は顕著に現れる結果となった。表3に示すよう に 2007 年7月の参院選で民主党は二人の公認候補者で 約8万2千票(藤沢市開票区)を獲得、自民党公認候補 の一人の(約3万7千票)の倍以上を獲得する結果を出 した30) このことは市長選挙の展開に決定打を求めていた両候 補31)にとって重要な存在に映った。 市長候補の中で海老根候補にとって民主党は松沢知 事32)与党でもありかつ海老根候補を支持している県議 も存在しているため、支持を取り込める可能性があり、 中塚支部長の取り込みのため水面下でアプローチ始める こととなった。一方の星野候補にとって民主党はあまり 近い存在ではないため、直接的に民主の支持を得るので はなく動向を注視するものの、同盟系等の組合組織の地 方政治家から切り崩しを図ることや民主党所属の他の神 奈川県議会議員を動員することによって民主党との関係 をアピールすることとなった。 代議士側の状況は、この時期、決定的に変化すること となった。その要因は、国政の動向である。2007 年9 月に安倍内閣が総辞職し福田内閣が成立した中で臨時国 会が開かれていた。当然直前の参院選の結果からねじれ 国会が生じ、様々な法案の審議が滞れば、いつ衆院選が 起こってもおかしくない状況を生んでいた。その中で桜 井代議士は、海老根支持は心情的ではあるが、市議補選 の発生によって積極的に候補擁立したことにより、市長 選において海老根・星野両候補から自民党系の市議補選 候補として甥を認めてもらうために、両候補を時には同 等に扱う場面を生じさせる結果となった。一方の中塚支 部長は、地方政治家の意向から、革新主導の候補は協力 できない状況となり、市長選挙への関心は薄い状況にあ った。さらにいつ衆院選が起こってもおかしくない状況 であるため、自身の小選挙区での勝利のためにまず市議 補選の桜井代議士の関係者の出馬を受けて主体的な候補 者擁立することで、存在感をアピールすることに活路を 求めたのである。 6.市長選挙の終盤(2007 年 12 月∼ 2008 年2月) 候補者の焦点は、代議士の取り込みと自民党・民主党 の取り込み及び民主党の中塚支部長の支持を取り付ける ことに向けられた。 市長候補の行動 市長候補の2人は、小選挙区代議士の支援を取り付け る事に力を入れることとなった。背景としては、以下の 二つが考えられる。一つ目として、代議士から支持をも らうことは、代議士の所属する政党イメージをもらうこ とであり、基礎票では足りない浮動票の取り込みにつな がることで、市長選の流れを決定付けると考えたからで ある。二つ目として、市長選挙は低投票率が見込まれ、 出来るだけ基礎票を持っていると思われる代議士を味方 に付けることは重要であると考えた。この戦略を根底に 持ちながら両候補は、市長選挙終盤の選挙戦を展開する こととなった。まず海老根候補は、自民党代議士の戦略 である両候補への支援を尊重することとなった。なぜな ら、自民党藤沢支部の影響力のある桜井代議士について は、市議補選の対応等で両陣営への参加が自然と考えら れその部分を黙認しても、桜井代議士と星野候補の過去 の経緯や自民党藤沢支部の対応から心情的には支援して くれることが見込まれていたためである。そのため、民 主党の中塚支部長の支援を求めることとなった。中塚支 部長も民主党藤沢支部の地方政治家の中で海老根候補支 持者が多く含まれ、加えて民主党系の知事である松沢成 文が海老根候補支持に動いていたためや中塚支部長の有 力支持者の勧めもあり、交渉に応じることとなった。 表3 2007 年参議院選神奈川選挙区有力候補 藤沢市得票結果 有権者数 323,942 投票率 54.69 % 神奈川選挙区当選 候補者名 政党名 票 数 絶対得票率 当 牧山 弘恵 民主党 44,280 13.67 当 水戸 将史 民主党 38,184 11.79 当 小林  温 自民党 36,789 11.36 松 あきら 公明党 27,002 8.34 畑野 君江 共産党 17,011 5.25 和田  茂 社民党 8,151 2.52

(10)

市長候補と中塚支部長の交渉過程 市長候補と中塚支部長の交渉は海老根候補が行うこと からスタートした。 海老根候補と中塚支部長との交渉は、2007 年 12 月頃 から本格的に始まった。その形式は、候補者本人が前面 に出るのではなく、海老根陣営及び民主党藤沢支部の代 表者が担当するものである。海老根候補の交渉代表者は、 自民党藤沢市支部幹部役員であり、民主党藤沢支部の交 渉代表者は、民主党籍の地方政治家が中心であった。そ こでの交渉は、上記説明した中塚支部長の思惑や自民党 藤沢支部関係者への海老根候補の説得や選挙キャンペー ンを優位に進める上でも民主党の支持は必要性を感じた 海老根候補の思惑もあり、スムーズに政策協定へと進む かに思われた。しかし、年が明けた 2008 年1月上旬に 中塚支部長側から新たな条件提示があった。それは、自 民党が前面に出るのではなく、演説会などで民主党と同 等に扱ってほしいという様な内容のものであった。中塚 支部長は市議補選も抱え、出来るだけ海老根候補と桜井 代議士の関係に楔を打ち込みたかったことや次期衆院選 がいつ行われてもおかしくない状況であるため、小選挙 区での当選可能性を高めるには当然の交渉条件の設定と なった。その中塚支部長の条件に対する海老根陣営の反 応は、自民党籍の市議等を中心に、市長選挙勝利のため には容認する意見も出たものの、自民党藤沢市支部幹部 は、最終的に民主党(中塚支部長)が海老根候補の主体 になることを警戒し反発した。その意見を踏まえて、海 老根候補も全面的な民主党の支持獲得をあきらめ、交渉 決裂することとなった。 その動きに関心を持っていたのは、星野候補である。 星野候補は自民党代議士のこの選挙への戦略である両候 補への応援を尊重した。背景としては、個々であれこれ 注文をつけると他で優勢なところに影響を与えると考え たからである。そこで、民主党の動向には人一倍関心を 示し始めた。そこで星野候補は、中塚支部長と海老根候 補の交渉決裂後、積極的な取り込みへ動き出すこととな った。中塚支部長も小選挙区での勝利や市議補選のため 交渉に応じることとなった。星野候補と中塚支部長側と の交渉はスムーズに進み、海老根候補が難色を示した条 件をすべて受け入れ、2008 年1月下旬には自民党の党 籍離脱も行うこととなった。このように星野候補が中塚 支部長側の条件をあっさり取り入れた背景には理由があ った。それは、低投票率の見込まれる市長選挙において 超党派的に戦うことが基礎票以外を取り込むことが見込 まれ、合理的であり加えて自身の自民党的要素を薄める ことにつながると判断したためそのような行動をとっ た。 代議士の動向 この時期の代議士側の行動については、市長候補の動 向とも関連する部分もあるが、代議士側3名の戦略を示 すこととする。 まず自民党の桜井代議士にとって、甥が立候補した市 議補選の勝利を考えると出来るだけ中立を保つために、 両候補の集会へ挨拶に行く行動も見られた。加えて、コ スタリカ方式の解消を福田総裁以降の新執行部は望んだ 発言が目立つなどの状況下を考えると、神奈川 12 区の 自民党代議士と認められ、小選挙区での認知度を上げる ためには、自民党支持者の多く集まる集会等で挨拶する ことなど日常活動の一環として強化しなければならない 事も必要であった。さらに市長の持つ人事権などの政治 資源をもつ市長候補を応援することは、桜井本人の再選 可能性を高めるために必要であると考えたためである。 しかし、1月 21 日の星野候補決起集会には参加せず電 報紹介に留めるなどの行動は、自民党籍を持っている海 老根支持を意識的に示したように考えられる。その背景 には、星野候補との過去の経緯も影響しているようにみ られた。 自民党の江崎代議士は次期衆院選に自民党神奈川県第 12 区支部長として立候補しなければならず、加えてね じれ国会の影響で衆院選の近いこともあり、どちらかの 候補に加担するようなことで自民党藤沢支部など党内で の軋轢を出来るだけ避けるためにも、主体的関与するこ とは避け、2人の市長候補(海老根・星野)を支持し、 集会等での挨拶などの日常活動の一環として取り組む行 動を取った。 一方民主党の中塚支部長は、海老根候補と民主系の松 沢知事との関係や藤沢市選出の民主党県議および神奈川 県選出の参議院議員等はすでに海老根候補支持の体制に 組み込まれており、加えて、海老根候補の積極的な支援 要請もあって、2007 年 12 月には海老根候補支持へと動 くこととなった。しかし、海老根候補陣営関係者(主に 自民党藤沢支部役員)との交渉過程で、出来るだけ小選 挙区を争う相手である自民党および桜井・江崎代議士を 意識し、両代議士と中塚支部長本人を対等に扱ってもら

(11)

うことなどの条件を提示することとなった。一時は民主 党藤沢支部の支持を得ることに海老根候補も想定及び期 待を示したものの、海老根支持者(主に桜井代議士を支 える自民党藤沢支部役員)に反発され、2008 年1月上 旬には最終的に決裂することとなった。その動向を注視 していた星野候補から中塚支部長へ海老根候補との交渉 決裂後、支援要請があった。その時点で中塚支部長は、 自民党藤沢支部の一部である星野候補を取り込むこと を、桜井・江崎代議士へ確実に支援すると思われる星野 候補支持層に仲違いをもたらすことによって次期衆院選 における小選挙区での勝利に近づくと考え、と同時に星 野候補の市長選勝利に貢献することで、その市長の持つ 政治資源は小選挙区での当選可能性を高めることにな り、星野候補と交渉へと動くこととなった。そして星野 候補も中塚支部長の支援は重要であると考え、両者の思 惑は一致することで交渉は成立し、1月下旬には星野候 補全面支援へ動いた33) 以上のことから、代議士側は、この時点において次期 衆院選への勝利を念頭に市長選挙に介入し、かつ小選挙 区でのライバルの動向を意識しながらの構図形成に努め ていくこととなった。 この代議士と市長候補の関係は、他の部分への動向に も影響を及ぼした。具体的なものとしては、まず藤沢市 に影響力があり、相手のポイントになるアクターの市長 選挙への参加を阻止34)することに務めることであった。 特に海老根候補は、民主党藤沢支部と星野候補の連携に 危機感を覚え、星野候補の支持基盤の切り崩しに奔走す ることとなった35) 7.市長選の結果 市長選挙は、2008 年2月 10 日に告示され、両候補を 含む計5名で争うこととなった。動員力や集会回数など で星野氏が圧倒的に多い状況で展開したものの、各候補 ともに国政で活躍する政治家を巻き込んだ形で行われ た。 結果は、表4にもあるように低投票率となり海老根候 補の薄氷の勝利となった。海老根候補の勝因として、マ ニフェストを掲げ、松沢知事の推薦が奏功と新聞36) 伝えた37)

Ⅳ.結語

本稿は、衆議院の1小選挙区と市区域が限りなく接近 する「1市1選挙区」において、代議士やその背後にあ る政党がどのように動いているのかを 2008 年2月行わ れた神奈川県藤沢市の市長選挙を事例として説明してき た。今回の藤沢市長選は、政党推薦をもらった市長候補 は存在していないように見えるが、市長選の過程におい て小選挙区で争いかつ藤沢市において政党を代表する代 議士の動向が市長選候補者の選挙戦略に影響を及ぼして いると同時に、市長候補の側にも代議士や当該代議士が 所属する政党の力を必要としている実態を確認すること が出来た。 さらに、市長候補にとって代議士は、代議士の支持基 盤に加えて、代議士の所属する政党のイメージを保持し ていると考えられる。そのため市長候補は、そのイメー ジを市長選勝利のためには必要であるというインセンテ ィブを感じ、選挙戦終盤に取り込みを図った。その思考 表4 2008 年2月藤沢市長・市議補選結果 2008 年2月藤沢市長選挙 投票率 36 % 氏 名 所属政党 得票数 得票率% 当 海老根靖典 無所属 44,869 39.1 星野 剛士 無所属 42,020 36.6 柳谷 亮子 無所属 20,067 17.5 矢後清太郎 無所属 6,019 5.2 平本 茂子 無所属 1,866 1.6 有効得票数 114,841 2008 年藤沢市議会議員補欠選挙 氏 名 所属政党 得票数 得票率% 当 桜井 直人 無所属 44,762 40.2 佐藤きよたか 民主党 37,892 34.0 北野れいこ 神奈川ネット 28,823 25.9 有効得票数 111,477

(12)

には、革新自治体の後に多く見られた国政の与野党のい わゆる「相乗り」の要素ともいえる政党の枠を超えたも のを必要とすることも含まれる。このことは市長候補に とって当選可能性を高めるために当前に思考する考えで あるということを示すこととなった。一方で、代議士側 は当初、支持基盤(後援会)の動向や候補者をリクルー トすることが出来ないため、市長選挙に積極的に関わろ うとしなかった。しかし、次期衆院選の動向や市長候補 の積極的なアプローチを理由に次期衆院選の小選挙区勝 利のためにはこの市長選挙への関与の重要性を感じ、市 長選挙へ介入することで、市長候補の選挙戦略に大きな 影響を与える結果となったことがいえるだろう。このこ とは、市長候補と代議士の関係や市長候補のリクルート メントのメカニズムの一端を明らかにすることとなっ た。 本稿の事例を性急に一般化するとまでは言えないが、 近年の市区長選挙において、政党の推薦や支持を受けな い「非政党」市区長の増加という実態から地方政治にお ける政党の存在意義が問われるようになっているという 指摘が存在する(牛山 2006)が、政党推薦や支持を受 けたかどうかが新聞紙上などで明らかではない市長選挙 においても、二大政党化による小選挙区の代議士の存在 が市長選挙にある程度影響していることを示すことがで きたといえる。このことは、牛山の市区長選挙の分析の 基準である政党推薦の有無だけではなく、筆者が掲げた 市区長選挙の基準である代議士の市長候補への応援の実 態に着目した分析(鶴谷 2008)をある程度詳しい事例 分析を行うことによっても確認することができた。 一方で今回は、自民党地方政治家出身の新人候補同士 が争う市区長選挙という事例を扱ったが、市長候補の属 性やその構図(現職対新人候補など)または小選挙区を 争う両代議士の属性や接戦の度合など本稿の事例で明ら かになった小選挙区におけるライバル政治家への意識に 着目した分析をふまえることも必要であり、今後の課題 といわざるをえない。 謝辞 本稿の事例調査にあたっては、今回取り上げた藤沢市 長候補者の海老根・星野両氏をはじめおよび多くの地方 政治家・代議士及びマスコミ関係者に対するヒアリング を基に作成させていただきました。この場をお借りして 篤く御礼申し上げます。 1)市長には東京都の 23 区の特別区長も含む。以下で市長と 略す。 2)河村(2007)、堀内・名取(2007)などがそれにあたる。 3)ただ河村は、小選挙区導入によって市長選挙に何らかの変 化を指摘することもある見解を示している(河村 2007)が、 それらについては明らかにしていない。 4)2007 年時点において自民党と民主党の2つに収斂されてき たといえる。 5)現職代議士ではない支部長も存在すると考える。 6)合理的選択制度である。議員の目標には、再選、昇進、政 策の三つが考えられる。合理的選択アプローチを用いた議員 研究においては、再選目標が他の二つの目標に優先するもの とされる。当然、政治アクターである代議士や市長において も再選目標が他の目標に優先する(建林 2004)。 7)市における特別職の人事権や予算作成・執行などの権限で などを指す。 8)新選挙制度導入にともなう1市長選挙と衆院選の1小選挙 区のことである。これらの特徴については、東京市政調査会 (1996)や田村(2003)でも触れているが、市長選挙に関す る議論は見られない。 9)江崎は、2005 年衆院選後支部長にコスタリカ方式のため自 民党神奈川 12 区支部長就任し、次期衆院選に神奈川 12 区か ら出馬予定ではある。しかし、自民党藤沢市支部および保守 系地方政治家から自民党出身ではなく加えて地元出身でもな いこともあり江崎を小選挙区で争う代議士として認められて いない見方も存在した。 10)2008 年6月現在 11)朝日新聞 1994 年 11 月 20 日付朝刊 12)6 期 24 年務めた藤沢市の革新市長(革新自治体の会長も務 める)。1996 年民主党に参加し 2003 年まで比例区のみ立候補 し、民主党代議士を務める。 13)甘利明(自民党)や藤井恒久(当時は新進党)の保守系国 会議員は藤沢市以外の選挙区へ。中選挙区神奈川旧三区の有 力前職たちが他選挙区へ移ったのは、「葉山氏との競合を避 けた」からだとうわさされるほどだった。(朝日新聞 神奈川 版 1996 年 10 月 13 日付朝刊) 14)小選挙区落選後の比例代表復活には神奈川 12 区の事情の ほかに、この時期の主要政党(自民党と民主党)の選挙戦略 の違いからも説明することが出来る。 15)自民党の現職代議士がその選挙区でいる場合、コスタリカ 方式などと呼ばれる協力関係を築くといわれる。2005 年衆院 選から正式なコスタリカ方式が適用され、桜井代議士が小選 挙区で立候補し、江崎代議士は比例区単独候補となった。 2008 年6月現在次期衆院選において小選挙区神奈川 12 区の 自民党候補は江崎代議士が立候補し、桜井代議士は比例区単 独候補という形になると見られているが、党本部および自民 党神奈川県連は、コスタリカ方式を解消する予定で調整に入

(13)

ると報じられ(毎日新聞 2008 年6月 29 日付)、今後の動向が 注目される。このことも後の市長選挙の両代議士の行動に影 響することとなる部分もある。 16)自由党出身で藤沢市に地縁血縁もない落下傘候補。 17)第二次安部改造内閣以降福田内閣においても環境副大臣で もあった。 18)不出馬表明をした記者会見において山本市長は「首長の任 期としては3期目がいいと思う。」と発言。(神奈川新聞 2007 年 12 月 22 日付朝刊) 19)この時期での山本市長の立候補表明には、様々な理由がほ かにもあるといわれる。まず、立候補に意欲的だった星野剛 士県議が現職のまま市長選挙に立候補するようでは、この当 時山本市長の後継候補と目されていた海老根靖典市議の優位 にはならないためとする海老根市議擁護説や山本市長自身が 二度の市長選挙を経て市長に就任したことから市政のトップ になるまで市長候補には支持獲得のために苦労をすることが 予想され、そのための時間が必要と考えた説、そして山本市 長自身も親族や身内が政治家経験者というような境遇のため 市政運営に苦労をした経験を踏まえて、しがらみのない人物 に市長になってほしいなどさまざまな理由がある。 20)市職員(助役など)を担ぐ動きはあったが、基本的には政 治家中心の候補者の動向が焦点となった。 21)全国市議会議長会長を務めた中には、同じ神奈川県で参議 院議員になった小泉昭男(元川崎市議会議員)もいるため、 国松自身も更なるキャリアパスを望めると判断していたよう であるといわれる。 22)番場や丸山ら有力な自民党藤沢支部役員は、中選挙区時代 の甘利明(現在となりの神奈川 13 区の自民党代議士)の父 甘利正代議士の時代からの後援会員として知り合い、そこで 結束し、現在自民党藤沢市支部の有力者となった。 23)理由については3つが挙げられる。第一に山本市長の意向 である。山本市長にとって海老根は、市議から市長への転出 時の後継候補であり、親しい関係であった。第二に海老根氏 の行動である。候補者選定過程において自民党藤沢市支部の 位置付けを重視し、山本市長不出馬の観測が流れ始める 2006 年中頃からアプローチ。背景には、ライバルの自民党内の地 方政治家より自身が自民党に関する貢献がないことと自民党 藤沢市支部が、自民党の代議士や地方政治家を束ねる役割が あったからである。第3には役員の歴史的経緯:番場が県議 時代(1995 年以降)、藤沢市において自民党は2人の県議が 存在し、星野とはライバル関係にあった。 24)星野は、国政志望も存在した。 25)過去の経緯とは 2000 年の衆院選で桜井代議士が落選する と、県議2期目の星野は、2000 年8月に次期衆議院選での立 候補を表明し、支部長争いを行ったことである。自民党神奈 川県連では、2000 年8月に星野氏が立候補を表明したことを 受け、再挑戦に意欲を示していた桜井氏との間で調整作業を 開始。2000 年 10 月には、自民党藤沢、寒川両支部が役員会 で「桜井氏支持」を決定したものの、星野氏側が役員会の決 定に抗議文を出すなど反発したため、県連では「両陣営が納 得しなければ議席奪還は不可能」との考えで調整を続けてい た。 半年間にわたる調整の結果、党本部が「再挑戦の意欲を持 つ前議員を優先する」との支部長選任方針を示し、2000 年 11 月にも「桜井支部長案」を打診してきたことに加え、星野 氏が 37 歳と若く「今後も国政へのチャンスは訪れる」との 考えから、最終的に桜井氏を支部長とし、星野氏も桜井氏に 協力して同選挙区での議席奪回を目指すことで意見が一致し た。(読売新聞 神奈川版 2001 年3月 25 日付朝刊) 26)神奈川県議会議員藤沢市選挙区(定数5)において、自民 党公認候補として2人は競争相手であった。 27)国松を後継指名した背景は、表面上政治キャリアのある国 松市議という点を高く評価したものであるが、実際のところ 星野候補の弱い藤沢市南西部の辻堂地区が地盤ということで もあり、この地域は海老根候補にとっても重要な地区のひと つでもあったため、選挙戦を優位に進めたい星野候補にとっ ても後継指名したことが考えられる。 28)民主党中塚支部長が候補者擁立に関して消極的であったこ とも要因の一つである。 29)両候補とも公明党は、最後まで確実に取り込めると考えず に、絶えずアプローチを行っていた。 30)神奈川新聞 2007 年 12 月 18 日付朝刊 31)最終的には5人の候補者によって藤沢市長選挙は争われる が、有力候補はこの海老根・星野2名であるという見方は揺 るがなかったため、この二人を中心に紹介する。 32)松沢成文神奈川県知事と海老根候補は松下政経塾の先輩・ 後輩関係にあたり、近しい関係であった。 33)市議会議員補欠選挙において民主党公認候補の勝利のため にも、星野候補を支援することはメリットもある。 34)各アクターの動向については以下のとおりである。 松沢神奈川県知事:海老根支持で告示前は応援に入るが、告 示後は海老根候補に対して応援に来なかった。 山本藤沢市長:表面上は中立の行動をとらせる。一部では海 老根候補支持の行動も行っていたといわれる。 自民党県連:県議時代から貢献のある星野候補に対して概ね 支持を示した行動をとった。 民主党県連:対応するアクターによってさまざま。松沢知事 と海老根候補は星野候補への推薦が出ないように働きかけ る。 35)海老根候補は民主党及び中塚支部長の支援ももらえないた め、星野候補を推薦した利益団体の会合に支持者の縁で参加 する等、団体の個人に積極的アプローチをして切り崩した。 一方、星野候補は、海老根候補の行動に不快感を示すも、何 の対応も示さなかった。背景としては、個人後援会や業界団 体の協力においてで海老根候補に対し優勢の状況であり、加 えて独自の世論調査で海老根候補より有利だったことが大き

(14)

いといわれる。 36)海老根氏は、マニフェストに「湘南藤沢力宣言!」と銘打 ち、松下政経塾出身を前面に出す選挙戦を展開。松沢知事や 中田宏・横浜市長ら同塾出身者の支援を受け、市議を4期 16 年務めた実績を強調して無党派層にも浸透、党派を超えた支 持を集めた。星野氏は、出馬前に自民党を離党し、党派色を 薄める戦術。40 歳代の若さや県議3期の実績をアピールした が、あと一歩届かなかった。(読売新聞 神奈川版 2008 年2月 18 日付朝刊より) 37)この選挙の勝因について、新聞記事が伝えているように知 事の推薦はこの市長選挙にとって重要な事柄であるとの見方 がある。また、知事のお墨付きは市長選挙の結果に影響する との 1999 年の松山市長選挙の事例を理由とした見方もある (河村 2007)。確かに海老根候補と松沢知事、松下政経塾の先 輩後輩であり松沢知事誕生の過程で道筋をつけたのが海老根 候補本人であり(神奈川新聞報道部 2003)かつ告示前の決 起集会等へ海老根候補の応援に松沢知事は参加していたため である。しかし筆者はそのように考えられない。理由として は二つある。 1つはこの時まで、松沢神奈川県知事の推した市長候補が 神奈川県下で多く当選し、知事の影響力は大きいと見えてい た。しかし、その直後に行われた 2008 年5月の神奈川県小 田原市長選挙において、民主系県議で同盟系の労組に所属す る候補が、松沢知事の推薦・支援を海老根候補同様に得て、 前面に強調する選挙戦略を取ったものの勝利出来なかった。 もし、知事の影響力があるというのならばこのような結果は 招かない。もう1つは、選挙期間中に「松沢知事推薦」のの ぼりを作成したなどの知事との連携をアピールしたが、告示 後の選挙期間中には海老根候補のため松沢知事は応援一度も 藤沢市へ来なかった。背景には海老根候補が劣勢であるとの マスコミをはじめとした世論調査結果があり、支援について 一歩引いていたという側面があるからである。 <参考文献> 牛山久仁彦「地方選挙の概要− 2005 年版の解説−」『全国首長 名簿 2005 年版』(財)地方自治総合研究所 2006 年。 河村和徳『現代日本の地方選挙と住民意識』 慶応大学出版会 2007 年。 神奈川新聞報道部編『知事誕生 神奈川滄桑の変』神奈川新聞 社 2003 年。 建林正彦 『議員行動の政治経済学:自民党支配の制度分析』 有斐閣 2004 年。 田村秀『市長の履歴書 誰が市長に選ばれるのか』ぎょうせい 2003 年。 鶴谷将彦「小選挙区導入と地方政治 −代議士と市長の関係を 中心に−」『政策科学』15 巻2号 立命館大学大学院政策科 学研究科 2008 年。 東京市政調査会研究会『地方議員の研究 全国市・区議会議員 アンケート調査報告』(財)東京市政調査会 1996 年。 朴 熙『代議士のつくられ方−小選挙区の選挙戦略−』 文藝 春秋 2000 年。 堀内勇作・名取良太「二大政党制の実現を阻害する地方レベル の選挙」『社会科学研究』第 58 巻5・6号 東京大学社会科 学研究所 2007 年。 山田真裕「保守支配と議員間関係―町内2派対立の事例研究」 『社会科学研究』第 58 巻5・6号 東京大学社会学研究所 2007 年。

参照

関連したドキュメント

一方,前年の総選挙で大敗した民主党は,同じく 月 日に党内での候補者指

一方,前年の総選挙で大敗した民主党は,同じく 月 日に党内での候補者指

2008 年選挙における与党連合の得票率 51.4%に対して、占有率は

アジア地域の カ国・地域 (日本を除く) が,

選択基準 としての関係性 の重要性 に関 する各研 究の見解 選択基準 と しでめ関係性.... Millimanand Fugate

たかもしれない」とジョークでかわし,結果的 りこめたシーンである。 ゴアは,答えに窮する

以上のような背景の中で、本研究は計画に基づく戦

JICA (国際協力事業団) のコンクリート構造物耐久性向