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<研究論文>津島佑子試論―補完し合う想像力:異族から野蛮へ

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Academic year: 2021

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(1)研究論文. 津島佑子試論―補完し合う想像力:異族から野蛮へ1. 津島佑子試論—互補的想像力:從異族到野蠻. 国際戦略推進機構・垂水千恵. キーワード:津島佑子、台湾表象、中上健次、野蛮、異族 外国語キーワード:津島佑子、台湾書寫、中上健次、野蠻、異族. 中国語要旨 筆者將從台灣書寫的角度,比較論述中上健次、津島佑子這兩位現代日本文學的代表作家分 別對(殖民地)台灣有怎樣的想象力,以及進行了怎樣的表現。這兩位作家通過雜誌《文藝 首都》相識,直到 1992 年中上去世一直保持著友好的關係。中上于 1984 年 5 月在雜誌《群 像》上開始《異族》連載。關注《異族》中出現的台灣書寫,必須注意擁有黑痣的“高砂族” 青年 Kankan 的存在。但是 1992 年 8 月,中上留下未完的作品《異族》永眠了。津島到底有 沒有讀過《異族》現在已經無法考證,但是津島訪問台灣,并以此為舞台創作《太過野蠻的》 (2008)的動機里也多少一定有想要幫助實現未完成的“哥哥”的夢想的痕跡吧。. 1.. はじめに 津島佑子(本名:津島里子、1947~2016)が現代日本文学を代表する作家であることは. 言を待つまい。その死去の翌年、東京大学において開催された『日台作家東京会議(【臺日 文學交流會議】臺灣印象 Image of Taiwan) 』(2017 年 11 月 3,4 日)において、「津島佑 子《太過野蠻的》專題」と題する追悼パネルが開かれ、筆者も司会として参加した。当パ ネルにおける報告者の一人である吳佩珍は、発言の冒頭において、津島との出会いを以下. 1. 本稿は 2018 年 2 月 22,23 日の両日、韓国圓光大学で開催された「第 4 次東亜殖民地文 学国際会議:日本帝国與東亜文学」における報告論文に加筆訂正したものである。会議 の主催者である金在湧圓光大学教授およびコメンテーターの波田野節子新潟県立大学 名誉教授にこの場を借りて謝意を表する。.

(2) のように語った。. 最初に津島佑子さんにお会いしたのは、2005 年に日本作家キャラバンを率いて台湾を 訪問されたときです。2006 年、津島さんは一九三〇年代の台湾を舞台にした『あまりに 野蛮な』のご執筆のため、暫く台北に滞在されていました。それが機縁となって、津島 さんにお目にかかる機会が多くなりました。後にこの作品の翻訳者を担当させていただ いたことで、津島さんが台湾に抱く深い理解と愛情を覗い知り、その作品世界に一層魅 了されることとなりました。私にとって、津島さんは、活字の世界以外で初めて出会っ た、自らの人生、お考え、創作について直接語っていただけた作家でした2。. その後、呉は同報告において津島が巻末の参考文献一覧にある森丑之助『台灣蕃族圖譜』 と黄霊芝『台湾俳句歳時記』を 2006 年夏に台湾大学近辺の台湾研究専門書店「台湾的店」 で購入したことや、 『あまりに野蛮な』の存在を最初に台湾のマスメディアに紹介したのが 2009 年 10 月に台湾を訪問した大江健三郎だったことなど、貴重な証言をしている。さら に評論家勝又浩の「中上健次を継承したと同時に超越した文業」と言う津島評に言及しな がら、中上と津島の関係について以下のように語った3。. 津島佑子のよきライバルである中上健次は、 「国民国家」の「周縁」より「中心」をな がめて、その立脚点から作品を描きながら、 「国民国家」によっての「抑圧」を暴き、さ らにその「抑圧」によって排除されていく者を可視化していきます。『ナラ·レポート』 においては、津島文学の特徴である「原始母系社会」への憧憬と肯定を踏まえながら、 中上健次の持ち味を遺憾なく発揮したからこそ、「中上健次を継承したと同時に超越し た」という賞賛を受けたといえるでしょう4。. この呉発言において、筆者がすぐに想起したのは中上健次『異族』における「高砂族」 青年カンカンの描写であった。筆者は司会者であったため、会議の席上では呉の発言を受 け簡単に『異族』に言及しただけであった。が、その後改めて『異族』を読み返し、両作 品を比較検討したいという思いに駆られたのが、本稿執筆の契機である。. 2. 呉佩珍「(口頭原稿)『あまりに野蛮な』をめぐって」『日台作家東京会議(【臺日文學. 交流會議】臺灣印象 Image of Taiwan) 』2017.11.3、於東京大学。本稿での引用を許可し てくださった呉佩珍教授にこの場を借りて感謝を表する。 3. 勝又浩「書評『ナラ・レポート』津島佑子―古物語の再生. 58 巻 12 号、2004.12、pp.248-350. 4. 前掲呉佩珍「 (口頭原稿)『あまりに野蛮な』をめぐって」 17. 母子叙情の飛翔」 『文學界』.

(3) 以下、台湾表象に注目しながら、中上健次・津島佑子という現代日本文学を代表する二 人作家が、 (旧植民地)台湾に対してどのような想像力を持ち、表現したのか、と言う問題 について論じてみたい。. 2.津島佑子および中上健次について 中上及び津島の作品を比較する前に、まずは両名の作家の直接的な交友関係および台湾 との関係について簡単な整理を行っておきたい。 津島佑子は 1966 年、19 歳の時に保高徳蔵主宰の同人雑誌『文芸首都』の会員となり、 同世代の中上健次と出会う。1971 年、第一作品集『謝肉祭』を河出書房新社より刊行。 『葎 の母』 (1976)により田村俊子賞、 『草の臥所』 (1977)により泉鏡花賞、 『寵児』 (1978)に より女流文学賞を受賞するなど、順調に執筆を続ける。2005 年、 『ナラ・レポート』で芸術 選奨文部科学大臣賞を受賞、同年、8 月に台湾に三週間滞在し、さらに 10~11 月には台湾 作家との交流「日台作家キャラバン」のために台北、台東、蘭嶼島を訪れる。 雑誌『群像』2006 年 9 月号~2008 年 5 月号に台湾を題材とした長編小説「あまりに野蛮 な」を連載、2008 年には上下二冊の単行本『あまりに野蛮な』を講談社から刊行する。そ の後も『ヤマネコドーム』(2013) 、『半減期を祝って』(2016)などの作品を発表するが、 2016 年 2 月 18 日、肺がんのため死去している。 一方の中上健次(1946~1992)は県立新宮高等学校を卒業後上京し、文芸同人誌「文藝 首都」に入会。小説・詩・エッセイを次々に発表する。73 年、 『十九歳の地図』が第 69 回 芥川賞候補となる。1975 年、新宮の「路地」を舞台に独自の世界を築き上げた作品『岬』 を書き上げ、翌 1976 年 1 月、この作品で芥川賞を受賞する。ウィリアム・フォークナーに 影響を受け、紀州熊野を舞台に「紀州サーガ」とよばれる『枯木灘』 、『鳳仙花』、 『千年の 愉楽』、 『地の果て. 至上の時』などの長編作品群を発表し続けるが 1992 年 8 月 12 日、病. 気療養中の処、46 歳の若さでこの世を去る5。四方田犬彦によれば 1992 年、その病床で四 方田に対して「秋幸のその後の物語を書く構想をはっきりと語り、台湾への取材旅行を計 画している」と言ったという6。未完の連載小説『異族』(1993)が単行本として刊行され たのはその 1 年後のことである。. 5. 「中上健次資料収集室」 http://www.city.shingu.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=18848 および「BOOK 著者紹介情報」 https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E4%B8%8A-%E5%81%A5%E6%AC%A1/e/B001JON50I 2019.01.02 ダウンロードの記載を参照した。. 6. 四方田犬彦「補遺. 中上健次の生涯」 『貴種と転生・中上健次』東京:筑摩書房、2001.. pp.409—426。同書は『貴種と転生』 (東京:新潮社、1987)に増補改訂を加えた『貴種 と転生・中上健次』(東京:新潮社、1996)の文庫版である。 18.

(4) 津島は自分たちの交友について「中上健次がいた」と題する「中上健次 13 回忌. 追悼特. 別講演会」(2004)での講演において詳しく回想している7。それによると、二人は学年は 同じであるが、 『文芸首都』への入会は中上の方が 1 年早く、津島は主催者の保高徳蔵の妻 みさ子を通じて中上の存在を知る。しかし、作品やみさ子が語る人柄に興味は引かれなが らも「競争意識」があり、会って仲良くなろう」とは考えなかった。その後、合評会や勉 強会に出て中上を知るが、 「大威張りで、 一人でいろいろな人の作品をけなしまくっていた」 中上の様子を見て、「二度と行かなかった」と言う。それでも、「作家としての出発点で重 なっていた」ということで「同じ出身校の幼なじみというような、そうした特別な思いが 互いに育まれた」と津島は回想している。 さらに二人の文学的資質を語る証言として重要なのはフォークナーへの共感である。 「自分が物語をそこに作れば、その土地の地主になれる」というフォークナーの言葉に言 及しつつ、「その土地の記憶、時間というものを読み解く、掘り当てる、そのようなこと として、小説を書く、新しい神話を作り上げる」というのが自分たちの「新しい試み」で あったこと。中上は「新宮、熊野という場所、自分の生まれ育った『路地』の意味を、い わゆる私小説ではなく、もっと時空を超えたところで、文学の本質に関わるものとして考 えようとし」、「日本という国の制度、時間、あるいは日本の文化、日本語という言語、 そして日本の物語」と取り組んでいたのだ、のだと津島は述べている。が、それは取りも 直さず、津島自身の試みについて述べたものでもあったであろう。 津島はこの講演を行った 2004 年 8 月にはすでに母の出生の地である甲府を舞台とした 一代記『火の山. 山猿記』(1998)を書き上げていた。後述するが、甲府の持つ「山」の. イメージは津島文学に通奏低音のように流れるテーマであり、『あまりに野蛮な』におい ても甲府は大きな意味を持つ土地である。いわば津島にとっての甲府は中上にとっての新 宮にも匹敵する場所であろう。さらに「日本の物語」という言葉からは、講演直後の 2004 年 9 月に刊行した『ナラ・レポート』を連想させる。『ナラ・レポート』の「ナラ」とは 単なる一都市としての奈良ではない。それは多くの差別される人々を生み続けた「日本と いう国の制度、時間、あるいは日本の文化、日本語という言語、そして日本の物語」その もののであり、その破壊なのである。それは「路地」=被差別部落に育った意味を「日本 の物語」への抵抗にまで展開した中上文学への頌歌であるとも言える。 前述の呉の「『ナラ·レポート』においては、津島佑文学の特徴である「原始母系社会」 への憧憬と肯定を踏まえながら、中上健次の持ち味を遺憾なく発揮した」という発言はこ うした津島の姿勢を表したものであろう8。ただ、呉にしても、呉が引用した勝又にしても、. 7. 津島佑子「特別寄稿. 8. 呉は同様の指摘を中文版『太過野蛮的』の序文「導読. 中上健次がいた」 『すばる』 26 巻 10 号、2004.10、pp.100-113. 津島佑子文學的原生宇宙-父兄. 闕如與原始母系社會的幻想」 (pp.3-7)においても行っている。 19.

(5) 津島・中上の共通性について指摘しつつも、口頭報告・書評という媒体の性格もあって、 残念ながら具体的な中上作品の分析にまでは踏み込んでいない。そこで次章では中上健次 『異族』における台湾表象を具体的に見ていきたいと思う。. 3.中上健次『異族』における台湾表象 『異族』1984 年 5 月、「熊野集第二部」と題して雑誌『群像』での連載が開始された。 四方田犬彦は『異族』について以下のように述べている9。. その執筆の道程は難渋を極め、二度にわたる長期の中断ののち、八年後の九二年、と うとう未完にまま放棄され、完結のための若干の草案を遺して、作者の死を迎えること になったという、曰くつきの作品である。. 中上の数ある長編のなかでも最長のこの未完の大作は「叙述は単調にして平板、夥しい 数の登場人物はほとんど個性も内面的人格も与えられず、ただ将棋の駒のように空間を南 へ南へと移動するばかりで、物語はいつまで経っても深遠さに到達」しない、と批評家の 批判を浴びたと言う。この作品のことを、四方田は「はるか南洋にまで漂流してしまって 最後に難破してしまった」小舟に喩えている。 まず簡単にあらすじを紹介しておこう10。 被差別部落に生まれたタツヤは 10 代の終わりに放火強盗を行い、彷徨を続ける。やがて 空手を通して、在日韓国人二世のシム、アイヌ族のウタリと出会う。三人は胸に同様の青 痣を有することから、義兄弟の契りを結ぶ。彼らが師範を務める空手道場を庇護している のは、満州国再興を夢見る右翼老人槙野原であり、青痣は満州国の地図であると槙野原は 言う。彼らは槙野原の指示のもと、同じく青痣を持つ同士を求めて南下し続ける。私生児 の赤ん坊ビー坊、黒人との混血児マウイ、「糸満売り(=人身売買された奴隷)」の家族 に生まれた沖縄のウガジンと出会った 3 人はウガジンの案内で台湾に向かう。そこで出会 ったのは、やはり青痣を持つ「高砂族」の青年カンカンであった。同じ青痣に結ばれた七 人がさらに八人目の同志を求めてフィリピンに渡ったところで、物語は作者の死により中 断する。 すでに様々な論者が指摘しているように、青痣を持つ八人の青年の出会い、という物語. 9. 前掲四方田犬彦『貴種と転生・中上健次』。以下の引用は「第五章. 彷徨する兄弟」. pp.233—278.による。 10. 引用に当たっては『中上健次全集 12』 (東京:集英社、1996)所収の「異族」を使用し た。 20.

(6) は滝澤馬琴『南総里見八犬伝』の構造を踏襲していると言っていいだろう11。『南総里見八 犬伝』が里見家再興をめぐる八勇士の出会いと活躍の物語であるとすれば、『異族』は満 州國再興をめぐる物語なのだろうか?. しかし、未完の物語の最後で現れる八人目の青痣. の持主は青年ではなく、フィリピン人の老婆であり、登場人物の一人であるシムに「こん な青アザ、何の意味もありゃしない」「単なる色素異常だ」(p.701)と自らの存在意義を 否定させている。八人を結ぶ右翼老人槙野原を狂言回しとして用意しながら、中上自身は 槙野原の語る満州国再興の物語を些かも信じていなかったことに、『異族』が漂流し続け た原因があるようにも思うのだが、この問題は別稿に譲るとして、本稿では『異族』にお ける台湾表象だけに注目してみることにする。 台湾表象と言うならば、まず、注目すべきは青痣を持つ「高砂族」の青年カンカンの存 在であろう。カンカンは「国民党のソンです。槙野原さんの年来の友人です」(p.504)と 名乗る老人から、「シムさん、これが私の用意したもう一つの記念と感謝の贈り物です」 (p.509)とシムの手に渡され、以後、シムと行動を共にする。 「夥しい数の登場人物はほとんど個性も内面的人格も与えられず、ただ将棋の駒のよう に空間を南へ南へと移動するばかり」と評された『異族』の登場人物の中でも、もっとも 登場場面が少なく、日本語が分からない、と言う設定のため、「わたし、高砂族のカンカ ンです」という自己紹介以外は全くセリフも、また内面描写もないのがこのカンカンであ る。それはあたかも四方田に「台湾への取材旅行を計画している」と言いつつもそれが果 たせなかった中上と台湾との距離を物語るかのようである。 しかし、それでも注意深く『異族』を読み返してみるならば、台湾と取り組もうと中上 が挑戦したいくつかの痕跡を読み取ることができる。まず注目すべきは、『異族』にはカ ンカン以外にもさまざまな「台湾」人が登場している、と言う点である。カンカンを「記 念と感謝の贈り物」としてシムに会わせたのが「国民党のソン」と名乗る老人であること は前述した。が、シムはソンに会う前に、沖縄で「ミスター・ホー」という「若い男」に 会っている。「ミスター・ホー」はシムに対して以下のように述べる。. もう台湾では準備が整っています。だから私も、逮捕されたり暗殺されるの覚悟で亡 命止めてここに来ています。槙野原のお爺さんは、私たちの動きを知っています。いえ、 国民党の方も、私たちの動きを勘づいています。槙野原さんは、ミスター・キヤジンや 私らが槙野原さんの時代錯誤のたくらみを全部ひっくり返りしてしまうのを気づいて いるのです。清朝の血が四分の一入った槙野原さんは、満州国奪還、中国本土侵攻を夢. 11. 両作品の類似については前掲四方田犬彦『貴種と転生・中上健次』他、古橋信孝「『異 族』論. フジナミの市―世界に穴をあける場所」 『國文学. 号、1991.12、pp.55-60.などでも同様の指摘がある。 21. 解釈と教材の研究』36 巻 14.

(7) に見ている国民党の時代錯誤の年寄りらと親交があります。私たちはそんな事を夢みま せん。海洋の台湾人として琉球と一緒に国をつくるのです。(pp.500-501). そのミスター・ホーが「台湾・琉球連邦共和国を樹立する際の軍事面を担当する同志を 紹介したい」(p.503)として催した宴席に突然侵入したのが「ようこそ中国へ。ワタクシ は国民党のソンです」と名乗る老人なのであった。ミスター・ホーはソンを「その人、ゾ ンビ―ですよ」(p.504)と罵り、ソンはホーを「アメリカかぶれの青白い三代目」と罵る が、結局シムは老人に付いて行くことを選び、カンカンを紹介される。ソンの口を通して ホーは「大陸から渡って来た国民党の三世」(p.505)に当たると説明されている。 初出の『群像』を確認してみたところ、この箇所は 1988 年 7 月に掲載された連載第 15 回の部分である12。第 14 回が掲載されたのは 1985 年 11 月であり、ほぼ 3 年の休筆期間を 措いての連載再開であった。第 15 回の冒頭は「シムは黙ったまま明るい海を見つめた。岬 の突端の向うの海に日本と台湾の国境がある」という描写から始まる。ほぼ 3 年の休筆期 間を措いての連載再開と同時に舞台が台湾に移るのは単なる偶然であろうか。 1988 年の台湾とは 1987 年 7 月 7 日戒厳令解除の翌年に当たり、民主化・本土(=台湾) 化に拍車がかかっていた時代である。86 年にはすでに現在の蔡英文総統の所属する民進党 が結成され、89 年に合法化されている。また 88 年1月には蒋経国の死去に伴い、李登輝 が台湾出身者(本省人)初の中華民国総統となっている。 果たして、中上はこうした台湾の動きを知っていたのであろうか?. 1987 年の戒厳令解. 除のニュースが中上に台湾への関心を喚起した可能性は高い。では台湾に関する正確な情 報を持っていたかと言うと、「国民党」のソンが「ようこそ中国へ」と言ったり「シムさ んはこの中国では国賓待遇です。」(p.504)と言ったりして、「中華民国」という言い方 をしていない点から見て、やや疑問である。また、台湾独立を考えるホーについてもある 程度台湾に関する知識がある者なら「国民党の三世」ではなく、「外省人」を使うであろ う。それより何より、1988 年の台湾を描きながら、一人の本省人も登場しないのは全くも って不自然である。まるで中上の頭にある台湾には「国民党」「高砂族」しか存在しない が如くである13。さらに、『異族』は 1988 年 11 月の第 18 回まで連載された後、中断され、 完結編の連載が再開されるのは 1991 年 1 月のことである。台湾の登場はほぼ前述の第 15 回に集中しており、完結編ではカンカンも含めて台湾は一切登場しない。台湾の場面が消 えてしまったのは何故なのだろうか?中上は台湾への関心を失ってしまったのであろう 12. 「異族―連載第一五回」 『群像』43 巻 7 号、1988.7、pp.130-150.全集でいうと、pp.498518.である。. 13. 実はこの二人の前に時には「湊一」、時には「山田二郎」と名乗り、関西弁を話す「帰 化した台湾人」(p.449)が登場しているが、この男はシムの沖縄への移動を手伝うだ けで、台湾には渡らない。この男の問題はまた別稿で論じたい。 22.

(8) か? いや、そうではあるまい。実は筆者は 1990 年夏に 1 度中上に会っている。9 月から台湾 の大学で教鞭を取る予定であった筆者に対して、中上は「(台湾に)行けよ、行けよ」と 激励の言葉を送ってくれた。その段階で中上はまだ訪台したことはなかったが、その病床 において「秋幸のその後の物語を書く構想をはっきりと語り、台湾への取材旅行を計画し ている」と四方田に語ったことは前述の通りである14。確かに中上の台湾に対する関心は 継続していたはずなのである。そのことは他ならぬカンカンに関する記述からも傍証でき る。もう 1 度連載 15 回の内容に戻ってみよう。 「国民党のソン」老人はカンカンを「野生動物のように捕獲」し、「亡びた王朝の再興 を夢み、狂信し続ける老人らは、野生動物の発見を吉徴として歓喜するが、野生動物に帝 王の血の一滴も混じっているものではないのを知っているので、ただ逃げ出さないように 自由を奪ってお」(p.511)いたとされている。原住民族の青年に野生動物のイメージを重 ねている点は、後述する津島との類似性を語る上で見過ごせない点である。が、さらによ り注目すべきはカンカンが「台湾の町で暮らすならもっともふさわしいような路地の奥の ベッド一つしかないような部屋に住まわされ、監視つきのまま屋台で他の若者らが食って いるものを食い、或る時を待っている。或る時とは今だった。シムが、台湾に現われ、シ ムと共に台湾を抜け出す」(p.511)と設定されている点である。 カンカンに対して「路地」という中上文学の核心とも言えるキーワードを使って説明し ようとしたことは、取りも直さず中上が台湾をも一つの「路地」として描く意図があった ことを示しているのではないだろうか。 中上文学における「路地」とは何か、と言うことについて、他ならぬ津島佑子は以下の ように説明している。. 彼(=中上)の重要な作品はすべて、「路地」、すなわち、あるひとつの被差別部落 のみを世界の磁場の中心にすることで成り立っている。そのように自分の小説を創りあ げてやる、という彼の意志がはっきり形をとって現れはじめたのが、『枯木灘』だった。 (中略)たぶん、彼は彼自身にかかわりの深い、それだけに愛憎の思いが極端に強くあ る「路地」こそが、彼の目指している物語の磁場として存在していることを、この時点 で「発見」したのだったろう。そして、この「発見」を徹底して方法化するために、彼 の世界で語られる出来事に、社会一般に普遍化されるような要素を一切、認めるわけに はいかなくなったのだろう。出来事のひとつひとつが、登場人物のひとりひとりが、 「路. 14. 四方田犬彦「補遺. 中上健次の生涯」 『貴種と転生・中上健次』東京:筑摩書房、2001.. pp.409—426。同書は『貴種と転生』 (東京:新潮社、1987)に増補改訂を加えた『貴種 と転生・中上健次』(東京:新潮社、1996)の文庫版である。 23.

(9) 地」つまり中上健次によって強引に必然的な意味を付与され、その意味付けの内側で動 きはじめる。『枯木灘』から、中上健次は小説を書く散文家ではなくなり、壮大な英雄 叙事詩をいつまでも歌い続けようとする詩人、琵琶を鳴らして物語を語りつづける盲目 の琵琶法師に成り変わってしまったとも言える15。. この卓抜な中上論は、『異族』にもぴったり当てはまる。「登場人物はほとんど個性も 内面的人格も与えられず、ただ将棋の駒のように空間を南へ南へと移動するばかり」であ ることも「壮大な英雄叙事詩」として読めば納得が行く。しかも、注目すべきことは、そ れほど重要なキーワードである「路地」と言う表現をカンカンに対して使ったということ である。それは、台湾にも存在する「路地」を描くと同時に、カンカンをそこから脱出す るもう一人の「秋幸」(=『枯木灘』以来の主人公)としようとする意図が中上にあった からなのではないだろうか? だが、1988 年段階での台湾の情勢は刻一刻と変化していた。「国民党」「高砂族」以外 の「台湾」が形成されつつあることをさすがの中上も察し、これ以上台湾の部分を書き続 ける危険を避けるために一旦筆を措いたのではないか。しかし、その機会が訪れることは なく、1992 年 8 月 12 日、中上健次は未完の『異族』を残したまま永眠するのである。. 4.『異族』を継承するものとしての『あまりに野蛮な』 生前は「おまえはおれの妹だ、いいか、兄のようにおれはおまえを思いやっているんだ」 という中上の言葉に反発しながらも、その死後「アニ、という、彼が小説のなかで使いつ づけたなじみぶかい言葉で、彼を呼んでみてもいい」と語った津島であるが、果たして彼 女が『異族』を読んだかどうかはその記述したものからは現時点では確認できていない16。 中上を追悼したエッセイを所収した『アニの夢. 私のイノチ』には中上の様々な作品名は. 散見するが、『異族』への言及はない。しかし、津島が台湾を訪れ、そこを舞台に『あま りに野蛮な』を執筆した遠い動機に、必ずや未完に終わった「アニ」の夢が反映していた のではないか、と思えてならない。 津島自身は『あまりに野蛮な』執筆の動機として、1930 年 10 月 27 日に起こった霧社事 件への関心があったことを以下のように語っている17。 15. 津島佑子「アニ中上健次の夢」 『アニの夢. 私のイノチ』東京:小学館、2017、pp.26-. 56.。「アニ中上健次の夢」の初出は『新潮』1995 年 9 月号。『アニの夢. 私のイノチ』. の初版は 1999 年に講談社から刊行されている。 16 17. 前掲「アニ中上健次の夢」。 霧社事件とは 1930 年 10 月 27 日、台湾原住民族セデック族の 6 つの部落が、大規模な 抗日蜂起を起こし、これにより日本人 134 人が殺害されることに端を発した事件であ 24.

(10) あるうわさ話を聞き知ったとき、そう気がつかされた。国益のため、それとも私益 のため、異文化の世界を一方的に「野蛮」だとして、自分たちの文化で押さえつけよ うとする状態、それは今現在もつづいていることではなかったか、と。…野蛮なうわ さ話…ここには植民地時代に起きた、台湾の山に住む一部の原住民による蜂起「霧社 事件」で、日本人が多数殺傷されたという遠い記憶が働いている。…「植民地」とい う状態もどうやら宗主国側にとっては、性的な強迫観念と深く結びついているらしい 18. 。. もっとも、同作品は従来の「霧社もの」と違い、霧社事件そのものを描いたり、霧社事 件の真相を突き止めようとする作品ではない19。作品はミーチャ(叔母)とリーリー(姪) という二世代の登場人物をめぐる物語が、1931~35 夏と 2005 年夏の二つの時間軸に沿っ て展開する。甲州に育ったミーチャこと美世は台北高等学校でフランス語を教える小泉明 彦と文通を通じて結婚し、台北に渡る。フランス社会学を専門とする明彦にとって台北は やがて留学する予定のフランスへの通過点に過ぎない。ミーチャは長男を生んだものの、 次第に明彦との結婚生活に適応できなくなる。やがて子どもを失ったことを契機に精神が 破綻したミーチャは、マラリアに罹り 1935 年の夏に台北で客死する。その70年後の夏、 50代後半となったミーチャの姪のリーリーこと茉莉子の手元には明彦から送り返されて きたミーチャの手紙と日記が残されていた。リーリーはそれを手掛かりに台湾を旅する、 というのが『あまりに野蛮な』の大まかな構造である。 先に「『ナラ·レポート』においては、津島佑文学の特徴である「原始母系社会」への憧 憬と肯定を踏まえながら、中上健次の持ち味を遺憾なく発揮した」という呉佩珍発言を紹 介したが、その津島評は『あまりに野蛮な』にも当てはまるものである。呉はさらに以下 のように続ける。. る。この蜂起に対して日本植民地政府は軍および警察により討伐を行い、原住民族 644 人が死亡した。さらには事件の生存者を収容する「保護蕃収容所」を敵対する部落が襲 撃し、216 名が殺害されるなど、「台湾史上において、心の痛みを呼び起こす大きな悲 劇」である。呉密察「霧社事件研究の課題」 『日本台湾学会報』第 12 号、2010.5、pp.21 -27。 18. 津島佑子「 「野蛮」の意味」 『本』、2009.1,pp.7-9. 19. 「霧社事件」をテーマとした日本文学作品については河原功「日本文学に現れた霧社 蜂起事件」 『台湾新文学運動の展開―日本文学との接点』東京:研文出版、1997、pp.69105 に詳しい。また、小説に限らず全般的な戦後の関連文献については北村嘉恵「霧社 事件関連文献目録」 『教育史・比較教育論考』第 20 号、2010.6、pp.74 が参考となる。 25.

(11) 一九三〇年代の植民地台湾を舞台にした『あまりに野蛮な』は、 「国民国家」という 枠組みを破り、日本帝国時期の植民地台湾とそこに生きて抑圧を受けていた日本人共 同体の日本人女性と台湾先住民を射程に入れました。執筆される前、作家自身は、自 ら台湾に赴き、台湾の植物、昆虫、新旧地名と地理関係を詳細に調査、考証した。過 去と現在、そして現実と夢を交錯するという津島的な技法で、一九三〇年代の日本人 が、どのような意識で植民地で生きてきたかを描き、家庭、性と植民支配がいかに分 割できない、重層に絡み合う複雑な構造になっているかを現わしています。 「国家」と いう大文字の歴史からではなく、一女性の「ライフ‧ヒストリー」という視点からは、 当時の植民地の状況により肉薄するのです。 (中略)また、このような視点に据える作 品は、男性中心の「単一民族国家」の枠組みにゆさぶりを掛けただけでなく、台湾植 民地および先住民に働いた、男性原理の国家暴力が、実際に女性を抑圧する男性原理 とは、 同じような構造を持つ共犯関係を暴いてしまったと言えるでしょう。そのため、 作品のなかで、女主人公の美世は、精神状態が崩壊になりかけるたび、 「霧社事件」と いう台湾先住民による蜂起事件のリーダー、モーナ‧ルダーオの声と幻影がそれにし たがって、現れてきます20。. つまり、中上が『異族』で描こうとして未完のまま終わった台湾の「路地」に生きる者 としての原住民族21の存在を、津島は霧社事件のリーダー、モーナ‧ルダーオの声と幻影と して引継ぎ、描いた、ということであろう。1988 年の中上の挫折以降、日本における台湾 研究のレベルは著しく向上し、津島が『あまりに野蛮な』を執筆し始めた 2006 年には呉が 回想しているように直接台湾を訪れて森丑之助『台灣蕃族圖譜』等の専門書を購入するこ とも、また原住民族作家シャマンラポガンやワリスノカンと直接言葉を交わすことすら可 能だった。台湾への取材旅行を計画しつつも果たせなかった「アニ」中上の夢を、確かに 「妹」津島は実現させたのである。 その時「異族」カンカンは内なる「野蛮」として表象される。筆者はかつて別稿「1930 年代日本文学における「野蛮」への共鳴をめぐって―大鹿卓『野蛮人』 ・谷崎潤一郎『武州 公秘話』 ・山部歌津子『蕃人ライサ』を中心に―」において、日本文学における台湾原住民 族表象と「野蛮」との関係を論じたことがある22。津島もまたその系譜にあることは確かで. 20. 前掲呉佩珍「 (口頭原稿)『あまりに野蛮な』をめぐって」. 21. 引用の呉報告では「台湾先住民」と言う表現をしているが、本稿では中華民国憲法の記 載に従い「原住民族」を使用する。https://www.president.gov.tw/Page/95. 2019.01.. 02 ダウンロード 22. 垂水千恵「1930 年代日本文学における「野蛮」への共鳴をめぐって―大鹿卓『野蛮人』 ・ 谷崎潤一郎『武州公秘話』・山部歌津子『蕃人ライサ』を中心に―」池内輝雄・木村一 26.

(12) ある。ただ、津島の場合は「子どもの時から私は「おまえは野蛮だ」といわれていたんで す。…ここまで生きてきたら、もうそろそろ、胸を張って「私は野蛮です」と言い残した くなった、それがこの題名を選んだ一つとしてあるんです」23という発言が示すように、決 して「野蛮」=「原住民族」を否定的な意味で使っているのではない。台北帝国大学講師 の夫から「未開の蛮人みたい」 (上 p.162) 、 「粗野」 (上 p.220) 、 「蛮勇」 (上 p.232)と存在 を否定され、 「自分の領分を失なったミーチャは、モーナ・ルーダオに身を寄せずにいられ なかった。 」 (上 p.342)と原住民族に共鳴するヒロインを通して、 「台湾植民地および先住 民に働いた、男性原理の国家暴力が、実際に女性を抑圧する男性原理と同じような構造を 持つ共犯関係」 (呉佩珍)であることを描いたのである24。 呉による卓抜な『あまりに野蛮な』論に付け加えることは多くない。ただ、ミーチャと モーナ・ルーダオに共通するものが、抑圧された存在であることだけでなく、互いに「山」 に生きる者であることは付け加えておきたいと思う。「山育ちなので山の姿を見ると安心 できるのです」 (上 p.36)という甲州育ちのミーシャであるからこそ、山に生き、山に殉 じたモーナ・ルーダオに共感できるのではないか。 前述のように、津島は中上の回想において「自分が物語をそこに作れば、その土地の地 主になれる」というフォークナーの言葉に言及しつつ、中上は「新宮、熊野という場所、 自分の生まれ育った『路地』の意味を、いわゆる私小説ではなく、もっと時空を超えたと ころで、文学の本質に関わるものとして考えようとし」たのだ、と論じている。が、それ は取りも直さず、津島自身についても当てはまる。中上の新宮、熊野に匹敵する土地が、 津島にとっての甲州であり、『あまりに野蛮な』はミーチャの出身地である甲州の物語を 下部構造において持っているからこそ、1930 年代の台北という作者にとってはいわば「異 郷」の物語を紡ぎつつも、中上の『異族』のように漂流することのなく、安定した物語と して完成できたのである。 もっともその「安定した物語として完成できた」ことが果たしてよかったのかどうか、 それはまた別の問題である。最後にこの問題について論じて本稿のまとめとしたい。. 信他編『<外地>日本語文学への射程』東京:双文社、2014、pp.31-51. 23. 津島佑子・堀江敏幸「対談. 野蛮からはじまる」 『群像』64 巻 2 号、2009.2、pp.150-. 162. 24. 引用は津島佑子『あまりに野蛮な上』 『あまりに野蛮な下』東京:講談社、2008 に拠る。 呉佩珍には前掲「 (口頭原稿) 『あまりに野蛮な』をめぐって」のほか、 「現在における 植民地記憶の再現とその可能性―陳玉慧『海神家族』と津島佑子『あまりに野蛮な』が 描く一九三〇年代の植民地台湾」白百合大学 21 世紀ジェンダー研究会編『文学、社会、 歴史の中の女性たち〈1〉学際的視点から』東京:丸善プラネット、2012、pp.83-98. という津島論もある。 27.

(13) 5.まとめにかえて―補完し合う想像力 これまで、「アニ」中上健次の描けなかった台湾を描いた作品としての側面から『あま りに野蛮な』を見て来た。台湾表象と言う側面から見た時、もちろん『あまりに野蛮な』 に欠陥がないわけではない。例えば笹沼俊暁は『あまりに野蛮な』に「日本側の書き手が、 「台湾」を描くさいに強力に作用してしまう植民地主義の残存」を認め、「男性中心主義 的な近代国家と帝国主義の言説に対し、 女性性や前近代性、個人の物語を対置することで、 東アジアの新たな歴史の語りをつむぎだそうとする試みをおこなっている。しかし、こう した「リベラル」で「良心的」な作品でさえ、日本と台湾のあいだで構造化された植民地 主義の磁場から逃れることができなかった」と批判する25。 また大西仁は「ミーチャが確信犯的に想像した「死者」としてのモーナ・ルーダオは、 山の人々の社会的営み・あるいは霧社事件という歴史的な事件の文脈から切り離された、 一個の「野蛮」の再表象」であり、「台湾・日本それぞれのマジョリティの想像力によっ て飼い馴らされ」た「彼女の「自分勝手な」空想」に過ぎない、と批判している26。 筆者も、冒頭に紹介した『日台作家東京会議』におけるパネルにおいて、発言者の一人 である白水紀子が紹介した久田恵の「『女性小説』というものがあるとすれば、まさにこ れがそう」「この小説を理解できる男なんかいるのだろうか」という言説に対して、「女 性であるということは、植民地責任から無辜であることなのか」という問題提起を行った 27. 。それは実のところ、最初に『あまりに野蛮な』に接した時からくすぶっていた疑問であ. った。かつて津島文学を愛読した者として、また台湾文学研究に携わる者の一人として、 津島佑子という現代日本文学を代表する作家が霧社事件に喚起され、700 頁あまりの大長 編小説を書いた、ということの意義を評価しつつも、何故かこの作品には違和感があって 入り込めず、しかし、その原因が自分でもわからないまま刊行以来 10 年という時間が過ぎ た。今回ようやく言語化できつつあるその違和感とは、突き詰めれば、子供を失うという 個人的な体験は霧社事件の象徴する植民地責任と拮抗しうるのか、という疑問になる。 もちろん、津島がその個人的体験をいろいろな形で深化させ、自己の文学を追及してい ったことは間違いない。津島は中上の回想において酔った中上から「おまえ、自分の死ん. 25. 笹沼俊暁「現代日本文学の中の「台湾」-津島佑子『あまりに野蛮な』論―」 『昭和文 学研究』73 号、2016.9、pp.158-168.. 26. 大西仁「他者を飼い馴らす想像力 「賽徳克・巴萊」と『あまりに野蛮な』をめぐって」 『近代文学研究』29 号、2012.04、pp.137-140.. 27. 久田恵「書評. あまりに野蛮な. [著]津島佑子」BOOKasahi.com 掲載 2009 年 1 月 4. 日、http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071704426.html 2018 年 1 月 7 日 ダウンロード 28.

(14) だ子供を売るようなまねはやめろよ」と言われ、憤慨したことを記録している。28もう 1 点、 太宰の死についての見解をはぐらかした津島に対して中上が「おまえはなんだ、そんな大 事なことも自分で考えようとしないのか、まわりがあれこれ解釈するのに、ただ甘んじて いるのか、そんな怠惰なことがあるか」と叱責し、津島が癇癪を起したというエピソード も紹介している29。この二つの死は、 「大きすぎる痛みである謎」であり、それは「小説を 書くこと」でしか解けないものであるという自覚のもと、津島はこの二つの死を『火の山 ―山猿記』(1998)で見事に描き切った30。甲州という津島にとっての「路地」を舞台に、 兄の死、姉の死、妹の死、子供の死を描き、そして最後には妻の視点を借りつつ、太宰治 の死をも描き切った。個人的には『火の山―山猿記』こそは津島文学の集大成であると思 う。 その『火の山―山猿記』がもたらす感動に比べると、 『あまりに野蛮な』の登場人物であ るミーチャもリーリーも、過去の津島作品の登場人物のコピーのように影薄く感じられて しまう。甲州育ちのミーチャが、 「山」に生き、山に殉じた存在としてモーナ・ルーダオに 共感していく、という設定も、かつて津島自身が否定した「職業作家として、お話しをで っち上げて、おもしろい小説を書く」 「技術」に見えて来る31。津島は如何にして 1930 年代 の台北の雰囲気を構築しようとしたか、という努力について 2009 年に神奈川近代文学館 で行った講演「 『あまりに野蛮な』について」で語っており、 「技術」論としては興味深い ・. ・. ・. のだが、皮肉なことに、そうした物語作者としての手練れが違和感を生んでしまうのであ る32。 『地の果て至上の時』を書き上げてしまった中上が、 『異族』において延々と漂流し、物 語を完成させることができなかったのとは反対に、職業作家としての「技術」によって、 本来は結び付くことのない人物たちを結び付け、完成させてはいけない物語を紡いでしま った。それが津島の『あまりに野蛮な』だった33。 しかし問題は、自ら「職業作家として、お話しをでっち上げて、おもしろい小説を書く」 ・. ・. 「技術」を禁じ手としてきた聡明な津島が、何故そんな失敗を犯したのか、ということで ある。-それは「アニ」中上の残した台湾への思いを完成させてやりたかった、という「妹」. 28. 前掲「中上健次がいた」. 29. 前掲「アニ中上健次の夢」. 30. 前掲「中上健次がいた」. 31. 前掲「中上健次がいた」. 32. 津島佑子「『あまりに野蛮な』について」前野みち子・星野幸代・垂水千恵・黄英哲編 『響きあう台湾文化表象の現在. 33. 日本と台湾』名古屋:あるむ、2010、pp.3-30.. 但し、リーリーは実のところ霧社には到達していない。その破調に津島佑子の誠実さ を感じる。 29.

(15) の思い故ではないか、というのが本稿の結論である。 『異族』でほんの少し顔を出しただけで消えてしまったカンカンを、モーナ・ルーダオ として復活させてやりたかったのではないですか?. 今、ここに津島がいたら、そんなこ. とを聞いてみたい。. 参考文献 大西仁(2012). 「他者を飼い馴らす想像力. 「賽徳克・巴萊」と『あまりに野蛮な』を. めぐって」『近代文学研究』29 号、pp.137-140. 勝又浩(2004). 「書評『ナラ・レポート』津島佑子―古物語の再生. 母子叙情の飛翔」. 『文學界』58 巻 12 号、pp.248-350. 呉佩珍(2012). 「現在における植民地記憶の再現とその可能性―陳玉慧『海神家族』と 津島佑子『あまりに野蛮な』が描く一九三〇年代の植民地台湾」白百合 大学 21 世紀ジェンダー研究会編『文学、社会、歴史の中の女性たち〈1〉 学際的視点から』東京:丸善プラネット、pp.83-98.. 笹沼俊暁(2016)「現代日本文学の中の「台湾」-津島佑子『あまりに野蛮な』論―」『昭 和文学研究』73 号、pp.158-168. 津島佑子(2017)『アニの夢. 私のイノチ』東京:小学館. (2010)「 『あまりに野蛮な』について」前野みち子・星野幸代・垂水千恵・黄英 哲編『響きあう台湾文化表象の現在. 日本と台湾』名古屋:あるむ、pp.3-. 30. (2009)「野蛮」の意味」『本』2009 年 1 月号、pp.7-9 (2008)『あまりに野蛮な上』『あまりに野蛮な下』東京:講談社 津島佑子・堀江敏幸(2009) 「対談 中上健次(1996). 野蛮からはじまる」 『群像』64 巻 2 号、pp.150-162.. 『中上健次全集 12』東京:集英社. 四方田犬彦(2001)『貴種と転生・中上健次』東京:筑摩書房. 30.

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参照

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