330 化学と生物 Vol. 58, No. 6, 2020
カイコの糖鎖生物学と糖鎖工学
カイコの糖鎖構造改変と複合型糖鎖生合成酵素の解析
糖鎖付加は最も普遍的なタンパク質の翻訳後修飾であ り,一部のバクテリア,アーキア,真核生物にわたって すべてのドメインに見られる.特に真核生物においては およそ半分以上のタンパク質が糖鎖付加を受けると考え られている.真核生物の 結合型糖鎖はタンパク質の Asn-X-Ser/Thrモチーフ(Xはプロリン以外のアミノ酸 残基)のアスパラギン(Asn)残基に付加し,糖タンパ ク質の機能や安定性,品質管理,輸送などにかかわる重 要な役割を果たす.糖鎖は複数の単糖がいくつか枝分か れして連なったものであるが,その構造は生物種によっ て大きく異なる.タンパク質の組換え発現に最も広く用 いられている大腸菌は糖鎖付加機構をもたないため,糖 タンパク質の生産が苦手であり,代わりに酵母や昆虫細 胞,哺乳動物細胞が用いられる.酵母は安価で培養も容 易であるが,糖鎖構造がヒトと大きく異なるため,機能 をもったヒトの糖タンパク質を生産できない場合があ り,一方で哺乳動物細胞はコストが高いという問題があ る.昆虫細胞はその中間の性質を有しタンパク質の生産 性も高いことから,研究室レベルから産業レベルまで広 く用いられている.昆虫細胞発現系は組換えバキュロウ イルスを介した遺伝子導入法が主であり,昆虫の虫体に も適用可能である.古くから絹の生産に利用され,飼育 方法が確立されているカイコ( )でもバ キュロウイルスを利用した組換え発現系が開発されてい る(1).しかし,昆虫細胞やカイコが産生する糖タンパク 質の糖鎖はヒトなどの哺乳動物のそれと全く同じではな く,たとえば抗体医薬やエリスロポエチンなどのヒト用 バイオ医薬品の生産には向いていない.そこで,これら の生産する糖タンパク質の糖鎖構造をヒトと同様の構造 にしようとする試みがなされてきた. 結合型糖鎖の生 合成は小胞体からゴルジ体にかけて進行するが, -アセ チルグルコサミン(GlcNAc)とマンノースからなる中 間体構造(図1の赤い矢印)までは昆虫も哺乳動物も共 通している.哺乳動物では複数の糖転移酵素(図1の GnTII, GalT, SiaT)により糖鎖が伸長され,ガラク トースやシアル酸を含む複合型糖鎖を形成するのに対 し,昆虫ではGlcNAcを取り除く酵素(FDL)により, 短いパウチマンノース型糖鎖が形成される(図1).し たがって,糖転移酵素の導入あるいはFDLのノックダ ウンが基本的なアプローチであり,昆虫細胞においては 主に米国のDonald Jarvisらによって精力的に進められ てきた(2).カイコ虫体を用いた糖鎖構造改変研究は日本 国内の複数のグループが報告しており,昆虫細胞と同様 のアプローチによってヒト型糖鎖に近い構造を有するタ ンパク質の生産に成功している.筆者らのグループは, ヒトの複合型糖鎖生合成酵素である -アセチルグルコ サミン転移酵素II(GnTII)およびガラクトース転移酵 素(GalT)の遺伝子を有するカイコ核多角体ウイルス 図1■ 結合型糖鎖生合成経路の一部 ゴルジ体における糖鎖生合成経路を簡略的に 示 し た. 種 々 の 糖 質 加 水 分 解 酵 素(Golgi ManII, FDLな ど) や 糖 転 移 酵 素(GnTI, GnTII, GalT, SiaT, FucTなど)によって,糖 が付加されたり取り除かれたりして多様な糖 鎖構造を生んでいる.赤矢印で示した糖鎖が 哺乳動物と昆虫の生合成経路の分岐点である. また近年,チョウ目昆虫で検出された特徴的 な複合型糖鎖の一例を括弧内に示した.日本農芸化学会
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331 化学と生物 Vol. 58, No. 6, 2020 (BmNPV)バクミド(バキュロウイルスのゲノムDNA を改変し大腸菌で複製可能にした環状DNAベクター) をカイコ蛹に導入することにより,末端にガラクトース まで付加した糖鎖を有する糖タンパク質を生産すること に成功した(3).また,Suganumaらはバキュロウイルス 発現系を用いてGalTおよびシアル酸転移酵素(SiaT) をカイコ幼虫で発現させ,シアル酸が付加した複合型糖 鎖の生成を確認している(4).カイコはシアル酸転移酵素 の基質となるシチジン一リン酸(CMP)‒シアル酸を生 合成する経路を欠いているため,これを経口あるいは注 射によって補うというものであった.カイコではバキュ ロウイルスを利用した系だけではなく,糖転移酵素を絹 糸腺で発現するように改変したトランスジェニックカイ コも作出されている.トランスジェニックカイコの作製 はバキュロウイルスを利用した一過性発現より時間を要 するが,絹糸腺で発現させた糖タンパク質を繭から抽出 できるというメリットがある.完全にヒト型糖鎖構造を 有する糖タンパク質を生産するには課題が多いが,今後 さらに効率的に糖鎖構造を改変する研究が期待される. 一方,ヒトなどに比べてカイコの糖鎖の構造と機能に ついては,不明な部分が多い.昆虫のモデル生物である キイロショウジョウバエ( )や コクヌストモドキ( )を用いた研 究では,糖鎖生合成にかかわる酵素をノックダウンする ことによって,発生や変態に異常をきたしたり,中枢神 経系や免疫に影響したりすることが報告されているが, カイコではそのような研究例は報告されていない.ま た,カイコなどの昆虫がなぜこのような短い糖鎖を作る のか,という問いに対する答えは見つかっていない.興 味深いことにカイコのゲノムには哺乳動物の複合型糖鎖 生合成にかかわる糖転移酵素と相同性を有する遺伝子が 存 在 し て い る. 筆 者 は カ イ コ のGnTIIオ ル ソ ロ グ (BmGnTII)とGalTオルソログ(BmGalNAcT)をク ローニングし,組換え酵素を上述のバクミドを利用した カイコ発現系にて調製して性質を調べた.その結果, BmGnTIIはヒトのGnTIIと同様のGlcNAc転移活性を 示し,pH依存性やマンガンイオン(Mn2+)を要する性 質は類似していた(5).一方,BmGalNAcTはヒトGalT と同じくMn2+要求性であるが,ガラクトースよりむし ろ -アセチルガラクトサミン(GalNAc)を好むことを 明らかにした(6).ヒト由来の酵素の立体構造との比較か らBmGnTIIの基質認識にかかわるアミノ酸残基は完全 に保存されているものの,GalTのガラクトースの2-OH 基を認識するアミノ酸残基がBmGalNAcTでは保存さ れていなかった(図2).この部位(Ile298とIle310)を 異なるアミノ酸に置換した変異体のGalNAc転移活性が 低下したことから,この残基が基質特異性に重要である ことが明らかになった.これらの酵素はキイロショウ ジョウバエやほかのチョウ目昆虫でも見いだされてお り,昆虫間で広く保存されていることがわかる.さらに 興味深いことに昆虫にも複合型糖鎖と呼べるようなさま ざまな糖鎖構造が見つかっている.カイコと同じチョウ 目であるイラクサギンウワバ( )の幼虫 や培養細胞やマイマイガ( )の培養細 胞では,GlcNAcだけでなく,GalNAc,ガラクトース, グルクロン酸などで伸長された特徴的な糖鎖が検出され ている(7)(図1).カイコではそのような例は報告されて いないが,同様の糖鎖を有している可能性は十分に考え られる.しかしながら,前述の糖転移酵素とこれらの複 合型糖鎖とのかかわりについては未知である. ここまで述べてきた研究がすべてではないが,カイコ における糖鎖研究は組換え糖タンパク質の糖鎖工学の観 点から行われてきたものが多い.昆虫では前述の糖転移 酵素に加えて,活性を有するシアル酸転移酵素やCMP-シアル酸合成酵素のオルソログ遺伝子が見いだされてお 図2■BmGalNAcTと哺乳動物GalTの基質結合部位の構造 BmGalNAcTのホモロジーモデル(緑)と哺乳動物のGalTと基質 で あ るUDP-GalNAcの 複 合 体 構 造(Protein Data Bank ID, 1OQM,水色)を重ね合わせた.保存されていないアミノ酸残基 を赤枠で囲った.
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332 化学と生物 Vol. 58, No. 6, 2020 り,ヒト型糖鎖構造を生合成できるポテンシャルは秘め ているが,内在的な発現やその局在などを明らかにする ことが課題となろう.また,糖鎖構造を改変することに よるカイコ虫体や培養細胞への影響も定かではない.カ イコにおいてより効率的にヒト型糖鎖を産生するために は,さらなる基礎的な研究が求められる.その過程で昆 虫がなぜわれわれ哺乳動物と異なる糖鎖構造をもつよう になったか明らかになることが期待される.
1) S. Maeda, T. Kawai, M. Obinata, H. Fujiwara, T.
Hori-uchi, Y. Saeki, Y. Sato & M. Furusawa: , 315, 592
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Pas-chinger: , 1861, 699 (2017). (宮崎剛亜,静岡大学グリーン科学技術研究所) プロフィール 宮崎 剛亜(Takatsugu MIYAZAKI) <略 歴>2009年 東 京 農 工 大 学 農 学 部 卒 業/2013年 日 本 学 術 振 興 会 特 別 研 究 員 DC2(2014年よりPD)/2014年東京農工 大学大学院連合農学研究科博士課程修了/ 2015年農研機構食品総合研究所発酵細菌 ユニット特別研究員/2016年静岡大学グ リーン科学技術研究所グリーンケミスト リー研究部門助教,現在に至る<研究テー マと抱負>微生物や昆虫のユニークな糖質 関連酵素の探索と構造機能解析<趣味>音 楽ライブ鑑賞,実験,論文集め,猫(でも 飼っていない)<所属研究室ホームペー ジ>http://www.agr.shizuoka.ac.jp/c/bio-tech/ Copyright © 2020 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.58.330