「農民自治」思想の構想と展開 ─昭和初期の雑誌『農民自治』『農民』を中心に─
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(2) [村落社会研究 第 26 巻 , 第 2 号 , 2020] 民文学運動を背景として生まれたものであり、 「都 会」批判の契機が早い時期から打ち出されていたこ と、農本主義の「官治」に対する「自治」という思 想ではなく、アナーキズムに由来する自由連合主義 としての「自治」を意味していることを指摘する(平 島、2006、平島、2007 および平島、2008) 。大井隆 男は、竹内圀衛らの個人史と照らし合わせながら長 野県における「農民自治会」の運動についての研究 を行い、 「農民自治」に参画した人々が展開した運 動史を詳細に明らかにしている(大井、1980)(2)。 他にも、安田常雄や岩崎正弥など複数の研究者が 「農民自治」に触れている(安田、1987 および岩崎、 1997) 。 しかし、 「農民自治」をめぐる運動やそれがもた らした影響については、 「マルクス主義へのイデオ ロギー闘争に終始し、また農民文学作品としての インパクトを与えることもできなかった」 (岩崎、 1997、139 頁) 、あるいは「その曖昧さゆえの許容性 によってすら、他の諸思想を結集し得ず、むしろそ れ自身がさまざまな方向に分裂し、他の諸思想に吸 収されていったことは、この思想に内在した論理的 必然であった」 (平島、2008、10 頁) 、 「まとまった 思想的体系を有することのないまま、 『農民』とい うユートピア像を追い求め」た(蔭木、 2016、 254 頁) など、否定的な評価が下されてきたといえる。 一方で、 「農民自治」概念に込められた思想の展 開についてはさらに考究する余地があることも、同 時に指摘されてきた。例えば平島が鑓田研一や犬田 卯らの名前を列挙してそのことを述べており(平島、 2008、11 頁) 、岩崎も「農民自治」の立論を担った各論 者の個人的な思想史との関連がまだ明らかにされて いないことに触れている(岩崎、1997、153-154 頁) (3) 。また、 「農民自治」という概念を創出した下中 弥三郎や、 『農民自治』の初期に主要な論客であっ た中西伊之助らとの関係も、十分に明らかにされて 「農民自治」概念 いるとは言い難い(4)。そもそも、 を論じた各人の思想史的研究からしてまだ着手され 始めたばかりである。下中弥三郎と「農民自治会」 との関わりの背景について掘り下げた研究は松本健 一によるものがほとんど唯一のものと思われる(松 本、1978) 。鑓田研一については、関係者の回顧程 度のものしか残されておらず(山口郷土作家研究会 編、1988) 、その伝記的研究もまだなされていない。 犬田については早くから安藤義道による伝記的研究 があったが(安藤、1979) 、近年になって舩戸修一 や内藤由直の研究を通じてその著作や思想が掘り下. げられてきているところである(舩戸、2004、内藤、 2009)(5)。 そこで本論は、 「農民自治」の思想というものに ついて、この思想を展開したこれら個々人の著作と 思想についての研究の成果を踏まえた上で、 『農民 自治』 『農民』を中心に、 『農本社会』 『大地に立つ』 など関連の雑誌も含め横断的に参照しつつ(6)、各論 者の思想の連関に注目して掘り下げることで、その 構想と展開とを跡づけることを試みる。. 2. 「農民自治会」における「農民自治 概念 (1)下中弥三郎による「農民自治」の創唱 「農民」と「自治」という概念を結びつけるこ とで「農民自治」という概念が打ち出されたのは、 1925 年 12 月のことである。その創唱者は、下中弥 三郎であった。 下中は普選を、 「民衆のための政治を行ふやうな やさしげな面がまへはしてゐても、腹の底は、民衆 をまるめこまうとする一つの手段、明かに支配階級 の方式」 (下中、1925b、3頁)であると考えた。な ぜなら、貧乏で無教育な「農民」たちは「議会に出 ても役にたゝぬ」から、結果的に議員に選ばれるの は教育のある人である。しかし、 「金持ち」でなけ れば教育を受けることはできない。つまり、教育の ある金持ちという「有産階級の精神を代表するやう なもの」だけが、 「議会政治」を牛耳ることになる(同 書、6-7 頁) 。つまり、下中において普選は、知識と 資本を権力として、農民をはじめとする民衆の権利 を奪い、支配するための非民主的な制度だと捉えら れていた。このような見方の背景には、農村の貧家 に育ち、幼少の頃から陶工として働き、教員として 勤めた下中の経験があった(中島、2015、10-30 頁) 。 下中は普選に対抗するため、 「有産階級の精神を 代表」し「支配階級」のためにあるような「議会政治」 の支配から「農民」が逃れ、 「農民」自身の利益を 実現するための仕組みづくりが必要だと考えた。そ こで、米国ノースダコタの Non-Partisan League (NPL)を参照して「非政党同盟」という団体の立 (7) ち上げを画策し 、その団体によって新たな社会秩 序を実現するための綱領の案を温めていた(下中、 1925c=1974、454-462 頁および下中、1926a) 。 そのような折に、中西伊之助が、渋谷定輔から持 ちかけられた農民のための運動組織の構想を下中に 14.
(3) 「農民自治」思想の構想と展開 相談した。そこで下中は、非政党同盟のために準備 していた案をもとに、 「農民自治会」という名称を 提案し、綱領、趣意書、標語、規約の草案をした ためた(渋谷、1970、158 頁) 。これが「農民自治」 の始まりであり、その「綱領」などが下中における 「農民自治」の内容を示すと同時に、 雑誌『農民自治』 (創刊号のみ『自治農民』 )を通じて多くの論者によっ て共有される考え方となる(8)。. 竹内の主張に明らかに現れているように、 「農民」 がすべての人々の生活の素材の生産者であることを 根拠に、 「農民」を社会階級の頂点に据えるべきだ とする思想を表している。 「農民」の生活の場とし ての「農村」を、 「地主」や「都会」からの搾取か ら解放し、 「農民」自身が生活する場として再構築 することを求める。しかし、この時点ではまだ、 「農 村」がなぜ「都会」から搾取されているのか、とい う分析は進んでいない。 「政治」に対する「自治」という第二の対立項は、 このような「都会」を、 「農村」の側から乗り越え るために打ち出された論点であった。下中は「政 治」と「自治」をそれぞれ、 「政治」は「支配」と 同一のもの、 「自治」は「支配なき社会である。政 治なき社会である」と定義し(下中、1924、5頁) 、 「私有」 「国有」に対する「公有」化、 「私営」 「国 営」に対する「公営」化をめざした。下中はこれを、 20 ヶ条にわたる農民自治会「綱領」の中で具体的に 定義している。その内容は、第一に「農耕土地の自 治的社会化」として「自治体共有土地の漸増」とそ のためのいくつかの方策、第二に「生産消費の組合 的経営」として日用品の共同購買、生産用具の共同 利用、公営による金融や倉庫経営、第三に「農村文 化の自治的建設」として公営の学校や文化施設の建 設、第四に「非政党的自治制の実現」として「行政 組織の地方化」である(農民自治会創立準備委員会、 1925c) 。 「公有」 「公営」における「公」の実質的 な主体は「地方自治体」であると想定されているが (下中、1926b、12-14 頁) 、その構成員はその土地に 定住した者に限らなければいけない(下中、1927、 14-15 頁) 。この「自治体」は「完全なる産業的自治 団体」であり、 「切れば血の出る全一生活体」なの だと下中は強調する(下中、1925b、18 頁) 。つま り「公」の主体たるこの「地方自治体」は、中央政 府など外部から与えられる枠組みではなく、いまあ る土地に定住している農民たちが、自らが参与して いる「産業」と「生活」の結びつきに基づいて「全 一」的に構成するものであり、いわゆる自然村的な 「自治体」 だということがわかる。このように下中は、 一切の「政治」的支配から脱するために、農村定住 者による生産と生活の共同体を基礎とした社会を構 想し、それを 20 ヶ条の「綱領」で具体的に定義し、 「農民自治」という概念で表したのであった。. (2) 「農民自治」のもつ二つの対立項 『農民自治』同人の議論の中でこの「農民自治」 の概念を規定しているのは、 「農村」と「都会」 、 「自 治」と「政治」という二つの対立項である。 「都会」 に対する「農村」という第一の対立項は、 「農民自治」 が「農民」を対象にする理由を示している。下中は 「趣意書」の中で「都会は、農村の上まへをはねて 生きてゐる」 (農民自治会創立準備委員会、1925a) ことを訴え、中西は「農民自治主義」が支配からの 「農民自身の解放」を目標とするものであって、そ の解放は「小作人」に対する「地主」の支配からの 解放と、 「商工主義」により「資本主義社会」から 「田舎の無産階級よりもいゝ待遇」を受けている「都 会」の支配からの解放という、 「二重」の解放であ ることをいう(中西、1926、5頁) 。地主と都会か らの二重の解放という視点は、渋谷にも共有されて いる。 「農村は縦に地主と小作人の問題があり、又 横に都会と農村との問題があることに自覚せねばな らぬ」 (渋谷、1926、1-8 頁) 。団体創設の仕掛け人 だった中西は京都近くの農村の小作七分、自作三分 の農家で育ち(森山、1971、137-166 頁) 、発起人 であった渋谷も埼玉の農家の長男であった(渋谷、 1970、612-632 頁) 。渋谷にとって「農村」は、行政 的な枠組みや地主との関係で支配される場としてで はなく、自らが経験した百姓生活の場として考えら れている。そしてその過酷な農業労働から生産され たものを、何らの苦労も感じずに収奪するのが「都 (9) 会」であった 。あるいは長野の開拓農家に生まれ 育った竹内愛国は(大井、1978、65-73 頁) 、 「都会人」 を「夥しく多数なる寄食人種」であるとし、これに 対して「食ふもの、着るもの、住まふ材料の生産者」 たる「農民」は「都会に対しては地方の絶交による 置き去り、自然消滅を策する」ことで反逆するのだ と主張する(竹内、1926、26-35 頁) 。だからこそこ の運動は、 「都会文化を否定し、農村文化を高調す」 るのである(農民自治会創立準備委員会、1925b) 。 各論者に共通する「農村」対「都会」の論理は、 15.
(4) [村落社会研究 第 26 巻 , 第 2 号 , 2020] 的な観点ではない。 「都会」対「農村」も、林が室 伏高信の『文明の没落』などを挙げつつ指摘してい る通り、関東大震災以降国民に広く認知された対立 項であった (林、 1978、 35 頁) 。しかし、 「政治」 対 「自治」 が「都会」対「農村」と重ね合わされたときに生ま れた「農民自治」という概念は、国家や地方政府が 「政治」として否定されるだけでなく、 「農村の上ま へをはねて」 「生活物資」を「独占」する「寄食人種」 のいるところとして、 「都会」も全面的に否定した 上で、 「生活物資」の生産と共有という経済的観点 に立って「農村」定住者による「生活物資」の生産 と生活の共同体を構想した点にその特徴がある。こ の定義によって「農民自治」は、単に小経営的生産 様式を目指すものでも、アナーキズムの一様式でも ない、独自の革命理論として発展していく契機を孕 んでいたのであった。 雑誌『農民自治』は、このような「農民自治」の 社会像を実現するための主張や運動を展開する場と なった。このような思想の背景にあったのは、前述 の通り普選への懐疑と批判である。1928 年 1 月発 行の『農民自治』14 号は、25 年の選挙法改正後、 初めての普通選挙となった 28 年2月 20 日の投票に 向け、桑島政寿「農民自治の本質-非政党同盟」な ど「非政党同盟」への参加を呼びかける記事が並ん でいる。他にも、 「支払延期期成同盟」 (農民自治会 長野県連合農村モラトリアム期成同盟、 1927)や「全 (11) 「農民自治 農村電気消費者組合」 (竹内、1927) 、 大学」 (高橋、1928)の立ち上げなど、 「農民自治会」 綱領に即し、議会や政治家によらず自らの力で権利 を獲得するための運動が、 「農民自治」の旗印のも とでさまざまな形で提起されたのであった。. (3) 「農民自治」の基礎づけとしての 「万人労働の哲学」 下中らによるこうした「都会」否定と「政治」否 定を成立させているのは、竹内が述べたように「食 ふもの、着るもの、住まふ材料の生産」に全ての人 が携わらなければならない、という思想である(10)。 その発想の基盤は、下中の「万人労働の哲学」に見 いだすことができる。 下中は「凡そ此の世に生を享けたものは、一人の こらず生存する権利がある。才能があらうがなから うが、健康であらうがあるまいが、凡そ生を此の世 に享けた限り此の権利を有たぬものは一人もない」 と主張する。 「万人には、決して一人の生存を奪ふ 権利はない」のであり、 「他の人間が飢ゑてをる時 に他の人間が飢ゑないでをる権利はない。一切れの パンを半きれに分けてもその飢ゑを救はなくてはな らぬ」 。なぜなら、 「如何なる生活物資」も、 「人類 の長い間の努力の集積」としての「歴史的所産」で あり、かつ「如何なる人間も、平等に、その価値の 恩恵を享くべき」ところの「天然資源」 「天然の作 造」であり、つまり「社会総がゝりで出来て居る もの」であることを踏まえれば、一部の人々によ る「生活物資の独占といふことは理論上全く謂れの ないこと」だからだ。また、 「賢いから才能が優れ てをるから、身体が強くて多く働くことが出来るか ら」という理由で「生活物資」を「他のものにもま して多く独占する特権がそこから生じて来るやうに 思ふ」のは、 「人の賢愚鋭鈍はすべて他力原因」で あることを理解しない「一の迷妄」だとされる(下 中、1925a、83-87 頁) 。下中はこのように、 「生活物 資」を専有する権利は誰にもなく、能力や状態に関 わらず生存する全ての人が限りあるそれを分有する 権利があり、また万人にそれを分け合う義務がある ことを「万人労働の哲学」で主張し、その哲学を実 現する具体的な方策として「農民自治」を構想した のであった。 下中らの定義を通じて、 「農民自治」は、 「政治」 対「自治」 、 「都会」対「農村」という対立軸の先に 描かれた、 「農村」の定住者たる「農民」による生 産と生活の共同体という一つの社会像であることが 明らかになってくる。 「政治」対「自治」という対 立項自体はよく知られている通り、後藤新平が国家 行政の限界を指摘する論や(後藤、1919、52-53 頁) 、 権藤成卿の市町村制批判の中に繰り返し現れるもの であって(権藤、1920、437-442 頁) 、それほど独創. 3.鑓田研一の「無政府重農主義」運動 としての「農民自治」 (1) 「農民自治の理論」の二つの命題 下中や中西によって定義された、 「農民」を中心 とし、 「農村」を基礎とした生産と生活の共同体と いう「農民自治」の思想を『農民自治』誌上でさら に展開したのは、鑓田研一であった。 鑓田の『農民自治』における登場は、1928 年 4 月の 16 号への寄稿が最初である。5 月には研究部 を立ち上げており、この頃には「農民自治会」との 強い関わりが伺える(鑓田、1928c、19 頁) 。そこ で鑓田は、 「農民自治会」の活動が進展しているこ 16.
(5) 「農民自治」思想の構想と展開 とを背景に、 「農民自治の理論体系の確立」が「急務」 であるとした上で、 「マルクスやエンゲルスの理論」 に匹敵するものを、 「一般農民の社会的及び経済的 地位を理論化してそれを全社会理論の基礎」とした 「農民自治の理論」として立論することを主張する (鑓田、1928a、4-6 頁) 。 鑓田の「農民自治の理論」は、 「農民自治が基礎 となつた時にのみ、初めて労働者自治が可能になる」 という第一の命題と、 「凡ての自治人は、自治農民 であると同時に、自治労働者であるべきである。そ こではもはや農業生産と工業生産との原理的分業は 許されない」という第二の命題によって示されてい る(鑓田、1928b、14-16 頁) 。しかし、この二つの 命題を基礎づける理論は、 『農民自治』に掲載され た論の中に直接示されているわけではない。あるい は、下中の「万人労働の哲学」から引き出されたも のでもない。その理論はトルストイ研究の中から展 開されるものである。 山口県の農家の五男として出生した鑓田は、22 歳のときに岩国教会で H.D. ハナフォード牧師から 受洗してキリスト教の道に進む(日本キリスト教歴 史大事典編集委員会編、1988、1449 頁) 。神学校時 代に百島操の影響などからトルストイに触れ(鑓田、 1927a、2頁) 、関心を深めていった。そして、1927 年の5月に下中弥三郎の啓明会から出版された 33 頁のパンフレット『トルストイの新研究』において、 鑓田は初めてトルストイズムについて体系的に論じ る。この中で鑓田は、1880 年以降のトルストイの 思想を「全経済組織全社会組織の理論及び実際的体 系として、社会全体の改造原理であると同時に、理 想社会全体を包括する基礎的原理」とし、 それを「無 政府重農主義」と呼ぶ。 「農業労働者を社会構成の 基底とし、農業労働を全産業制度の基底として、こ れらの上に初めて工業労働者及び工業労働の存在を 導き出す」のが「重農主義」で、 「そういう重農主 義は無政府の社会、中央集権制度によらずに地方分 権制度による社会において初めて実現される」ため に、 「無政府重農主義」という呼称が適切であると 鑓田は論じる(鑓田、1927a、10-11 頁) 。 「農民自治 の理論」の基礎づけとなっているのは、鑓田のトル ストイ解釈に基づいて展開されたこの「無政府重農 主義」である。そのことを踏まえれば、先の二つの 命題の鑓田における定義をより具体的に展開するこ とができる。. (2) 「農民自治」の根拠としての、トルストイ ズムに基づく「無政府重農主義」 第一の命題、 「農民自治が基礎となつた時にのみ、 初めて労働者自治が可能になる」ということの根拠 を、鑓田はトルストイに基づき次のように論じてい る。 「現代の奴隷制度」は「政治的優越者」と「経 済的優越者」が共同して「無産階級」を「奴隷状態」 においている。ここでいう「現代の奴隷制度」とは、 「或人々が、暴力をもつて、自分の経済的需要を満 足さすために必要な労働から脱出して、其の労働を 他の人々に課すること」である。このような「奴隷 状態」が引き起こされた「根本原因」は、 「労働者 が自然との接触ある生活状態を奪はれ、自由を奪は れ、他人の意志に依つて強制的で単調な機械労働を 強ひられ、誘惑と不道徳とに充満した都会生活をし てゐると云ふ事実」にある 。そのような状態を引 き起こした「社会の根本的な害悪」は、 「民衆の大 多数が、其の生れた土地の一部分を使用すると云ふ 自然権を奪はれてゐる事実」にある。それを成立 させているのは、 「自ら耕作しない土地を所有する」 という「罪悪を支持する」ために「組織的暴力」を 持つ「国家」のような、 「政治上及び経済上に於け る中央集権制度」である。それゆえ、 「労働者を奴 隷状態から解放する唯一の方法」は、 「国家の全然 的廃止」であるという結論に至る(同書、14-18 頁) 。 非「農民」である「労働者」を含め誰もが、自らの 土地を所有し、耕作することで「奴隷状態」から解 放されるという論理はトルストイから導き出された ものであるが、下中の「万人労働の哲学」とも大き く重なり合っている。 では、 「国家」と「機械労働」から解放され「自然」 との接触を取り戻した非「農民」である「労働者」 、 「無産階級」の人々はどうなるのか。これが第二の 命題の根拠へとつながっていく。鑓田のトルストイ 解釈によれば、 「自然の中の生活、農業生活への帰 復」がそこにはある。なぜなら「農業労働は凡ての 労働の中で、人類固有な最も愉快な、最も健全な、 そして最も道徳的な労働」であり、 「さういふ風に 労働する時にのみ凡ての人は初めて一個の人間たり 得る」からである。社会は農業に基づく「小さな自 治的団体組織」の「経済的、 又道徳的な協約」によっ て構成され、そこで人々は、1 日を「筋肉の労働」 「技 巧的及び手工的活動」 「知的及び想像的活動」 「社交 的活動」という時間ごとに区切られた 4 種の労働に 携わる「自由分業制度」によって生活することが理 17.
(6) [村落社会研究 第 26 巻 , 第 2 号 , 2020] 想とされている(同書、27-33 頁) 。これが、 「農業 生産と工業生産との原理的分業は許されない」とい う第二の命題の根拠なのである。 「奴隷状態」から「無産階級」を解放するための 土地分配の論理と、誰もが「農業労働」に従事する 「自由分業制度」により、 「農民」であろうと「労働者」 など非「農民」であろうと分け隔てなく、全ての人 が平等に、かつ自由に生きることができる。これが 鑓田の「農民自治」の目指すべき像としての「無政 府重農主義」であった。そこで描かれた「農民」と「農 村」は、鑓田が幼少期に経験した貧しい農家とは対 極的な、トルストイの思想から導出した理想化され たモデルであった。. なのである」 (鑓田、1928e、9-16 頁) 。鑓田は、い かに「機械」化が進んだ「工業生産」であっても、 その起点では「有機的生産」という工業化し得ない 「農業生産」から素材を得ているという点で、 「機械 的生産」の発展にしか注目しないマルクス主義者の 理論の陥穽を指摘するのである。 鑓田の「農民自治」は、下中や中西の定義した生 産と生活の共同体という理想的社会像としての「農 民自治」が、 「農民」の解放だけでなく、 「労働者」 など非「農民」をも解放するための論理であること を、トルストイに基づく「無政府重農主義」によっ て主張した。さらに、人々が「農民自治」に向かう べき根拠を、 「万人労働の哲学」のような万人の万 人に対する義務にみるだけではなく、 「有機的生産」 としての「農業」が持つ、あらゆる生産に先行する 始原的な重要性においたのであった。. (3) 「有機的生産」としての「農業」の重要性 鑓田は以上のようなトルストイ解釈に基づいて、 誰もが「農業労働」に携わる社会を、支配や暴力の ない社会として想定する。しかし、同時代のマルク ス主義者は、工業化と都市化の進展を是とする価値 観から、農業をも工業化されるべき産業として位置 づけている。鑓田はこのような理解から、雑誌『農 民』においてはもっぱらマルクス主義批判を展開 する。 「マルクス主義における、近代社会の主体と しての無産階級は、無産階級とはいうものの、その 実は都市プロレタリアにすぎない。 〔……〕彼らは、 農村を最低部とし、都会を最頂点として、ピラミッ ド式に構造された近代社会を、そういう構成のま まで、最頂点にのみ重点を置いて批判する」 (鑓田、 1928d、6-12 頁) 。だから、農民はマルクス主義にお いては抑圧されたままである。また、 「大抵のマル クス主義者は農業も遅ればせながらだんだん資本主 義化してくると見ている」が、 「農業は有機的生産 であり、工業は機械的生産である」から「農業生産 に投ぜられる資本は、 回収が極めて緩慢」であり、 「工 業資本主義が繁栄している限り農業資本主義はあま り発達しない」 (鑓田、1927b=1929、76 頁) 。ゆえに、 都市と農村でその発展の程度が食い違い、都市労働 者と農村の農民との連帯を不可能にさせる。 むしろ鑓田にとっては、 「其の発展様相の如何に 拘らず」 、農業生産こそが「あらゆる生産の中で最 も重要」である。その理由を鑓田は次のように述べ る。 「一方に於いて、農業生産物は、あらゆる人間 に取つて、文字通り最も重要な生活必需品である。 他方に於いて、農業生産は社会の富の最も重要な創 造者であつて、これが無ければ工業生産も存在し得 ない。此の二点で、農業生産は工業生産よりも重要. 4.犬田卯による 「農民自治主義」の理論 (1) 「農民自治」に基づく運動の解体 1925 年から 1928 年の衆議院選挙まで、下中を中 心に『農民自治』上で議論されてきた「農民自治」 の思想は、非「農民」である工場労働者や都市の賃 労働者が「農民」と対立する階級と考えられている ことから、農業に従事していない人々からは「農民 自治」への賛同を得にくいという問題があった。鑓 田はトルストイの参照に基づく「無政府重農主義」 の基礎づけによって、全ての人に普遍的に当てはま る論理へと「農民自治」の思想を展開していったも のの、 そもそもこの概念は「都会」批判あるいは「商 工業」批判を原理的に内包していたために、それが 展開される空間は「農村」に限られていた。このこ とは、現実において社会運動の大きな一翼を担って いた都市の工場労働者らとの連帯に困難をきたし た。 そのことは中西の除名や渋谷の脱退など『農民』 同人間の対立をもたらし、当初「農民自治」の旗印 のもとに参集していた論者のほとんどが、1928 年 の選挙の後には別々の活動へと分かれる結果となっ た。特に渋谷は、鑓田とは対照的に、農民運動の組 織化という観点からむしろマルクス主義に傾倒して いく。そして 1930 年3月には『農民闘争』を布施 辰治らとともに創刊し、 「農民自治」とは対立する 立場をとった。 そのような状況下でも鑓田は、1929 年4月創刊 18.
(7) 「農民自治」思想の構想と展開 の第三次『農民』の編集発行者となり、 「農民自治」 運動の巻き返しを図っていた。1930 年4月に農民 (12) 、 自治叢書第1巻として『トルストイの社会思想』 (13) (第3 第3巻として『農民の経済学』 を『農民』 次)の発行所である全国農民芸術連盟から同時出版 するなど、精力的な出版活動も行なっていた(犬田・ 延島、1930) 。しかし他方で「労働者も農民を搾取 する」 (鑓田、1930a)という連載を通じて都市労働 者批判の立場をさらに明確にしたことで、印刷工出 身のアナーキスト延島英一のような運動家との対立 を引き起こした。その結果、同年 10 月の 2 巻 10 号 を最後に連盟の編集発行者の立場を犬田卯に譲り、 鑓田も『農民』から離れることになる(14)。そこで 鑓田は、一旦媒体を加藤一夫の個人雑誌『大地に立 つ』へ移し、先に刊行した『農民の経済学』の終盤 で今後の農業経営の方策として展望した「共同組合」 について、日本におけるその現状をさまざまな統計 によって解説する「共同組合の現在と将来」 (鑓田、 1930b)という連載を 1930 年7月から 1931 年1月 まで 5 回にわたり続けた。しかしこれは『大地に立 つ』の終刊(リーフレットへの移行)により途中で 打ち切られる。さらに、農民自治全国連合を結成し て『農民』 (第4次)を 1931 年 10 月に創刊し、石 川三四郎などから寄稿を得るなどして自らの「農民 自治」運動の堡塁を保とうとするが、翌 32 年 1 月 に第 2 号を出してあえなく廃刊。さらに同年、 『農 本社会』に「農業と工業の関係に就いて」 (鑓田、 1932)を書き「労農同盟の実践的展開」へと軌道修 正を図ったが賛同を得られず、 1933 年、 既存のアナー キズム、 マルクス主義をともに批判する書として『ア ナーキズム方法論』 (鑓田、1993)の出版を最後に、 農民運動から遠ざかる。結局のところ、新たな運動 理論を構築することに精力を注いでいた鑓田の活動 は文筆の域を出ることがなく、具体的な運動を形成 することはできなかったのである。. 民の自己表現としての「土の芸術」を主張してい 「土の芸術」は「何よりも先ず私達の社会生 た(16)。 活の根柢を土に」おいた、 「土の力、大地の光り、 その理想の、そしてその生活の表現」である(犬 田、1926、2-7 頁)(17)。犬田はそのような芸術が「土 に見出された生活を全社会面に押し拡げようとする 情熱」から生まれてくる「社会文芸」であり、 「土 の意識に生きよといふ吾々の全社会への呼び声であ る」とする。そして、そのような芸術を成り立たせ るためには「農民の生活」と「それと対照をなすと ころの都会の生活」を知らなくてはいけない(犬田・ 加藤、 1926、 11-13 頁) 。このように、 農村における「生 活」を問おうとする意識から、犬田の「農村と都会 の対立」という論点が生まれてくるのである。 『農民』 (第一次)創刊の 1927 年以降の論稿で、 犬田は「農村と都会の対立」の原因を「生産者と非 生産者」の「階級対立」から導く。一方の「農村」は、 「自然との絶え間ない争闘によつて吾々の物資を生 産する処の農民」 のいるところである。他方の 「都会」 は、 「農民」を「利用し搾取する処の遊民階級」の「巣 窟」であり、 「近代資本主義が生んだ組織のもつと も代表的存在」である(犬田、1928b、2-3 頁) 。 「都 会」と「農村」の対立は、 その労働に端を発する。 「都 市労働は器械的労働であり土の労働は有機的の労 働」であるが、 「器械的労働」である「都会労働」は「商 工業に──産業主義に附随する」。ここに「都市労 働と土の労働との本質的相違の問題」がある。機械 は「自然の制約を最後まで克服して行くことは遂に 出来ない」ため「農業が絶対に器械生産たることは 遂に不可能」である。それゆえ、 「製造工業が商業 に付属して都会にあるうち」は、 「有機生産」であ る「農業」は「器械生産」 「商工業」に支配され続 ける(犬田、1927、32-37 頁) 。 「都会」と「農村」の対立の解消は、 「器械労働で ある産業労働が、生産労働、有機労働である土の労 働に附随する場合──附随といふよりは、それが土 の労働の一部分となる場合──さういう新社会を基 調に置いてのみまた目標に置いてのみ可能」 (同書、 34 頁)となる、と犬田は主張する。この「新社会」 とは、 「吾々の生活に必要欠くべからざる所の物資 の原生産」としての「農生産」を「第一段」とする「土 の社会」である(犬田、1929a、122 頁) 。しかしそ れは、 「器械文明に対する反抗否定ではない」 。むし ろ犬田は「農村の電化、耕作機の使用、延いてはそ の生産物の加工、交換」といったあらゆる場面で機 械の必要が増加することを指摘し、 「器械の普遍化」. (2)犬田卯による「農民自治」の継承 しかし、1929 年末に「農民自治」の思想を受け 継ぐただ一人の論者が現れる。それは、犬田卯であ る。犬田は 1891 年生まれ、茨城県の農家の長男で、 小川芋錢の執り成しにより 1915 年に上京。1922 年 の「シャルル・ルイ・フィリップ十三周忌記念講演会」 に平林初之輔の紹介で参加したことをきっかけとし て農民文学に関する活動を広げ、1927 年の雑誌『農 民』 (第 1 次)創刊時から編集者を務めた(15)。 『農民』以前の犬田は「農民文芸」論を展開し、農 19.
(8) [村落社会研究 第 26 巻 , 第 2 号 , 2020] として「器械」や「交通路」などを「地方文化」や 「生産文化」のため、 「万人の為」になるよう作り変 えること、 「都会の地方的分散」を成し遂げること を主張する(同書、106-107 頁) 。犬田はこの時点で はまだ「農民自治」という言葉を用いていないが、 「農 村」の生産を第一として他の生産をそれより低い地 位におくという発想に基づき「農生産」という概念 を提示したことは、 下中の「生活物資」や鑓田の「農 業生産」と共通している。 犬田は小田内通敏や柳田国男の著作を挙げ、これ ら従来の「都市農村観」が「都会は消費地」で「農 村は生産地」であるというような「持ちつ持たれ つ」のものと定義していること指摘した上で、この ような定義は「だまかし」であり、 「吾々はこれを 真向うから粉砕し、第一に経済的にその利害関係を 解剖して、大衆の前にばくろしなければならない」 と宣言し、 「都会」と「農村」の関係を徹底して経 済的な側面から論じようとする(犬田、1929b、2-4 頁) 。犬田は「農村搾取一覧表」という模式図を示 し、 「大地主」による「小作料」 「借金」とその「利 子」 、 各種「金融機関」が「安い利子で貯金させ」 「馬 鹿に高い利子で農民にそれらの金を借しつける」こ と、都市インフラに多く支出され農村にはほとんど 投下されない「租税」 、半ば強制的に寄進させられ る「慈善団体への寄付」などを、 「都会」による「農 村」搾取の事例として槍玉に挙げる(犬田、1928a、 41-44 頁) 。 このような分析は、同時代の農村研究を犬田の理 路に引き入れることを可能にした。例えば寺神戸誠 一は、犬田の論を引き継いでさまざまな経済統計を 参照しつつ金融機関の貸付状況を分析し、農民の貯 金が「吾々農民に何等の関係なき方面にのみ運用さ れつゝある〔……〕或は中央財政の為に、或は不健 全極まりなき諸銀行の救済資金として吸収されつゝ ある」ことを糾弾する(寺神戸、1928) 。あるいは 小野武夫の農村研究が、 「農村の小作人と都会の労 働者が〔……〕互いに反目」 (小野、1928、246 頁) することの論拠とされる(犬田、1928c、4-6 頁) 。. く新しい主義主張」であったと犬田は語る(犬田、 1958、101 頁) 。犬田は、下中や『農民自治』同人、 鑓田の立論をある程度は参照していたと思われる が、1929 年 12 月の「農民自治主義の研究方法」に 至るまで「農民自治」という言葉は用いなかった。 この記事では「農民自治主義」が、 「無産農民階級 の独自な社会的地位、経済的地位を言ひ現はした一 個の体系的階級理論」であり、のみならず「労働者 自治主義をも合理的に包摂」し、 「一個の体系的社 会理論にまで発展」するものと定義される(犬田、 1929c、36-39 頁)(18)。 犬田が「農民自治」の議論を展開したのは、これ ら「都会」対「農村」の議論を存分に展開した上で の、1930 年から 31 年にかけてのことであった。犬 田の「農民自治」の概念は、これまでの犬田の主張 してきた「都会」に対する「農村」という枠組みに、 「政治か自治か?」 (犬田、1930a、18-21 頁)という 問いが加わることで成立する。これまで「農民自治」 の思想に取り組んできた他の論者と同様、 犬田は「都 会」と「農村」 、 「政治」と「自治」という基本的な 構造を「農民自治」という概念において引き継いで いるのである(19)。その上で犬田の「農民自治」の 特徴的な点は、 これまで下中による農民自治会の「綱 領」でのみそのあり方を方向づけられていた生産と 生活の共同体としての「農民自治」の社会像につい て、詳細なその社会設計と実現手段を包括的に論じ ているところにある。 犬田の定義する「自治社会」は「自由連合体」の 形態をとる。この「自由連合体」とは、農村を単位 とした連合により、 「世界連合」を目指すものである。 「歴史的、地理的条件によつてもつとも緊密に結び つき、相互扶助的な条件をより多くもつてゐる村な り、部落なりが、一個の自治連合体の単位となる」 。 行政区画ではなく歴史的、地理的条件の結びつき、 地域内での相互扶助を重視するこの表現から、犬田 も下中と同じく自然村的なものを「単位自治体」と して想定していることがわかる。 「それがお互ひに 平面的に一つ一つ結びついて行つて、郡連合、県連 合、国連合、世界連合(名目は別に選定されるであ らうが、とにかく今のわれわれの頭に入り易いやう に、現在の制度を利用して云へば)といふ風に次第 に大きくなる」 。各連合には「協議会」が設けられ、 そこでは「誰しも意見を提出し、討議に加はる資格」 があり、 「あらゆる人間が──男でも女でも、子供 でも老人でも──あらゆる各自の要求を提出する。 そしてそれが大多数の進歩的な要求(正義)と一致. (3) 「自治村落」の「世界連合」へ このように、犬田の論理は「都会」と「農村」の 対立を深掘りし、それを経済的側面から論じること で、下中や中西よりも具体的かつ客観的な形で、そ の対立関係を明らかにしていた。これらの議論の先 にたどり着いたのが犬田の「農民自治主義」であり、 「これから理論的に体系づけなければならない、全 20.
(9) 「農民自治」思想の構想と展開 した時、はじめて全般の服膺しなければならない責 務となる。誰もが命令するでもなければ、誰が服従 するでもない」ような「自治」の社会が実現する。 「単 位自治体」においては、土地は全て「自治体の管理 に属し」 、 鉱山や工場はそれを管理する「コンミユン」 が成立する。また、各「単位自治体」は「自給自足」 を「原則」に置きつつも、 「自然の制約」に鑑みて「豊 富に産し、あり余るものをもつて他の自治体の不足 を補ひ、全連合相通じ合つて、物資の円満な配分を 果た」す必要がある。教育、娯楽、医療などさまざ まな機関も、 「単位自治体」によって設置、運営す る(犬田、1930b、28-31 頁) 。所有や運営の主体を 自治体とするなど、下中の「綱領」とも共通する枠 組みを提示した上で、犬田はさらに、そこでの生活 や労働のあり方について議論を深めていく。 「単位自治体」は「何百人或は何千人のかの個人 によつて構成」される。当然それは、その自治体に 居住する人員を指す。 「強制的義務」 の一つもない 「自 治社会」にあっては、 「家族」の形も自由である。 「家 長」はおらず構成員は対等であり、またその結束も 個々人の自発性に任される。 「家庭の桎梏になやみ、 家族のうるさゝに嫌気がさしたならさつさとそこを 出て、 自分の好きなところへ行くことが出来る」 。 「一 種の集団生活をしようと、反対に人間嫌ひのものが 孤独の生活をしようと、それは各個人の思ふがまゝ でいい」 。また、労働は「みな農生産に従事しなけ ればならない」が、 「自治社会にあつては、皆が能 力に応じて働くのであるから、従つて田野の仕事も 非常に少い時間で済む」はずであり、 「その余りの 時間は、精神的修養、娯楽に消費することが出来る」 とされる(犬田、1930c、17-20 頁) 。これは、鑓田 のトルストイズムの中に出てきた想定と相違ない。 生産物の配分の問題は、 「私有」と「貨幣」の廃止、 および「生産消費」の「一元」化によって解決され る。 「国民全体の食料は、 決して不足してゐない」が、 「私有といふこと」が「食ふことの心配」をもたら すために、 「支配者」は「被支配者」たる「生産階級」 からより多く取り上げようとするし、 「貨幣」を獲 得しようとする。その結果、 「貨幣」は「あらゆる 産業を支配」し、 「工業」は「営利生産」のために 「無用な『店ざらしもの』 」まで生産する。そうして、 全てのものが「都会」に「流れ込み、流れ出るやう に仕組まれる」 。 「交通網」も「都会を中心に蜘蛛の 手のやうに八方に走」る。しかし、 「自治社会」に なれば、生産は「消費せんがために」 「用立てんが ために」という目的のもと、 「人類が要するだけの. ものを過不足なく生産」する「必要生産」となる。 「工 場はすべてその要する材料によつて、それの生産さ れる地方に分在」し、自治体の中で「農工一致」し て必要なものを必要なだけ生産する。その必要に足 らない分は、 「単位自治体、或は連合の一機関によ つて、次から次へと必要地方に向つて配分せられて 行く」 。交通網は放射状に「都会」を目指すのでは なく、網目状に「あらゆる自治体、連合をつらね」 るものとなる(犬田、1930d、14-17 頁) 。 以上が、犬田の描いた「農民自治」の理想社会の 具体的な計画であった。犬田はこれらの社会構想を 踏まえて、 「農民自治」の社会を次のように要約する。 「我々は第一に共同生活体としての自治村落を現在 の村乃至部落を単位として建設し、その地域的連合 の総体によつて生産消費──即ち日常生活を解決し ようとするのだ。即ち農業も工業も交通業もすべて 共働の形態をとり、それによるあらゆる人間もまた 共働同位の地位に立つ社会である」 (犬田、1932a、 20-23 頁) 。この実現については「農民自治会」の「綱 領」と同じように、 農村の中で組合や「協同耕作」 「協 同管理」を始めるなど「未来の新社会」に向けた「建 設」を着実に進めることを述べるが、犬田はそれに よる社会革命までを見通す。将来、各「単位自治体」 が「自己統制」や「連合」 「物資の流通」をある程 度まで進めた時点で、同時に「自治宣言」をするこ とで「政治」から脱却するのである(犬田、1931a、 20-23 頁) 。そして最終的には、そのような「自治村 落」の「世界連合」が目指されているのである。. (4) 「農民自治主義」の確立と終焉 犬田の「農民自治」は、下中の「万人労働の哲学」 がそれを万人の向かうべき社会として基礎づけ、鑓 田の「無政府重農主義」がそれを万人の解放への論 理としたことの上に立って、 「農民自治会」の「綱領」 に比べてその目指す社会像を精緻に描写し、かつそ れに至るまでの道程をもはっきりと示した。 「何百 人或は何千人のかの個人によつて構成」され、 「共働」 に基づく「農工合体」の「必要生産」に支えられた 「共同生活体」を、 「自治宣言」という革命の日に向 けて「建設」するという明確な展望を提示すること で、犬田の「農民自治」は、 「単なる『思想』に止 らず、一個の社会運動理論」 (犬田、1932c、38-40、 45 頁) 「 、建設第一主義」 (犬田、 1931b、 2-3 頁)の「社 会××運動形態」 (犬田、 1932e、 6-9 頁)としての「農 民自治主義」にまで到達した。犬田は、 「農民自治」 を確固たる革命理論へと発展させたのである。 21.
(10) [村落社会研究 第 26 巻 , 第 2 号 , 2020] 日本村治派同盟そして農本連盟にやや受動的なが らも参加していたこの時期の犬田には、周囲の論者 たちが掲げていた「M、A、Fイズム」 、つまりマ ルクス主義、アナーキズム、ファシズムのいずれと も異なる「農民」の主義、それに基づいた農民運動 の必要が切実に意識されていた(犬田、1958、141150 頁) 。犬田は、同時代のアナーキズムや農本思想 から「農民自治」論を区分けすることを意図し、 「空 想的・遺物的アナキズムより建設的・現実的農民自 治主義へ」 (農民作家同盟、 1932)と呼びかけたり(20)、 「殊に『農村フアシズム』の指導理論であるかの如 く見られてゐる権藤イズムに対して」 「徹底的な批 判・駁撃を加へることも、この際、非常に必要なこ とである」 (犬田、1932d、5-19 頁)と述べ、アナー 「農 キズムや農本思想を批判する(21)。ここでの犬田の 民自治主義」の特徴は、究極的には、犬田の議論が 政治ではなく経済から、 「共同生活体」の建設から 始まっているということである。それゆえ、犬田に とってその実際の運動方法は、農民が労働者と団結 してデモや争議をすることではなく、自治を掲げて 中央政府に対抗することでもなく、農工合体により 経済が地域内で完結する農村という理想像を展望す ることでもない、今あるこの農民が生きている農村 で新しい共同生活を試みる、その像を現実に即して 提示するということであった。 これは、犬田の関心が常に、ありのままの農民の 生活と農村での生産の姿の追求にあったことと無関 係ではない。それを描き、その内実を捉えることで 人を揺さぶるような、農民文学という「作品」 、ま さに「土の力、大地の光り、その理想の、そしてそ の生活の表現」としての「土の芸術」に取り組むこ とこそ、犬田が自らに課した運動の方法であった。 だからこそ犬田は、 「一まずこの辺で自治論をおき、 創作に専念するつもりだった」 (犬田、1958、155 頁)といい、 『農本社会』では創刊号から最終号まで、 長編創作「もんど・おゝとのむ」の連載を続ける。 この題はフランス語の Monde autonome を意味し、 「自治社会」的な含みを持たせたもので、トマス・ モアやウィリアム・モリスのようなユートピア物語 の提示を試みるものであったという(犬田、1932b、 58-63 頁) 。つまり犬田は、 「農民自治主義」の実現 を、 「創作」を通じて目指したのであった。しかし、 犬田が創作の舞台として発行していた第5次『農民』 は、度重なる発禁を受けたことなどから資金難に陥 り、1933 年4月の2巻3号からリーフレット形式 での発行となり、同年9月発行の2巻6号をもって. 終刊となった。犬田が打ち出した「主義」としての 「農民自治」は、その実行の場を獲得することなく、 構想のままで終わったのであった。. 5.おわりに 1925 年の「農民自治会」設立をきっかけとして 発展してきた「農民自治」の概念は、 「都会」と「政 治」に対する代案として提起された「農村」と「自治」 という原則に基づいて、複数の論者によって展開さ れてきた。それはまず、普選が「農民」など貧乏で 無教育な「民衆」を「支配階級」の都合のよいよう に「まるめこもうとする」ための制度であるという 批判から、それに対抗し得る「農民」の立場からの 政治行動、 「農民」自身による「農村」経営を可能 にする運動を目指して始まったものであった。議論 が展開されていくに従い、 「農民自治」は下中の「万 人労働の哲学」や鑓田のトルストイ解釈を基盤とし て、誰にとっても支配や暴力のない社会を展望し、 犬田によって独自の「建設第一主義」の革命理論と なった。そこに通底するのは「生活物資」 (下中) 「 、食 ふもの、 着るもの、 住まふ材料」 (竹内) 「 、生活必需品」 (鑓田) 、 「吾々の生活に必要欠くべからざる所の物 資」 (犬田)といった、人々の「生活」を支えるも のの生産を他の生産より重視し、 「万人労働」 (下中) 、 「農業労働」 (鑓田) 、 「共働」 (犬田)という、 「生活」 のための「生産」に誰もが携わるという原則であっ た。そして、その原則に基づく「農民自治」は最終 的に、 「生産」と「生活」の共同体を単位とした「自 治村落」の「世界連合」を目指す理論となったので ある。これが、本論の明らかにした「農民自治」概 念の展開であった。 このような変化を辿ってきた「農民自治」の思想 に、一貫して見いだせる特徴とはなんであろうか。 それは、この思想が「農民」自身による社会の創設 を目指した思想であったという一点であろう。それ ゆえ「農民自治」概念の規定も、特定の思想家が提 出した枠組みに依拠するのではなく、農民や農家に 生まれた人々の間で議論しながら発展するという経 路を辿った。というのも、 本論で引用した 「農民自治」 の主唱者のうち、農村の生まれでない者は一人もい ないのである。経済学や政治学の体系だった教育を 受けた者もほとんどおらず、しばしば個人の経験に 引きつけながら持論を展開する論者たちの間で、 「農 民自治」の定義は揺れ動く。それゆえに未分化で系 統立っていない思想であるように見える。しかしそ 22.
(11) 「農民自治」思想の構想と展開 のようなあり方こそ、まさに「農民」の「自治」を 目指す思想のあるべき姿であったのであり、 「農民 自治」という思想のもつ最大の特徴であったと言え るのではないだろうか。. が自然に対して働きかけて得るを原則とし」と書いてい る(大井、1980、84 頁) 。 (11) この呼びかけに基づく「佐久電気消費組合」の運動は、 「農 民自治会」の運動としては竹内が最後に取り組んだ運動 となった(大井、1978、73 頁) 。 (12) 書名は変わっているが『トルストイの新研究』の再版。 (13) 日本の農業経営の現状について、農産品の価格や流通経 路から分析した 69 頁のリーフレット。 (14) その経緯については、 「連盟報告」 『農民(第3次) 』3(2) 、 1931 年2月、6-8 頁。 『農民』復刻版の解説にもまとめら れている(高橋春雄、1990、6-8 頁) 。 (15) 幼少期からの犬田の経歴については安藤の研究(安藤、 1979、11-16 頁) 、農民文学に関しては、犬田自身の回顧 を参照(犬田、1958、12-14 頁) 。雑誌『農民』について は『復刻版 農民』全5巻、不二出版、1990 年を参照し、 第1次から5次までの分類はこれに準ずる。 (16) 犬田の「土」の思想については、安藤(1979、27-28 頁) および舩戸(2004、33-34 頁)に詳しい。 (17) ここで引用した『農民文芸十六講』は、のちに犬田執筆 の第一、二、十六講が犬田卯『農民文芸三講』全国農民 芸術連盟、1930 年に収録され、これが筑波書林・茨城図 書から 1985 年に復刻された。 (18) この記事はもともと無記名であるが、後年の犬田がこれ を「われわれは〔……〕発表することにした」と述べて いることなどから、 犬田が執筆者であると推定される(犬 田、1958、101 頁) 。また、山川時郎も同時期に、加藤一 夫の「農本社会」の提起(加藤、 1930)を受ける形で「農 民自治主義」の「研究範囲」を示し、その検討の必要を 訴えているが、これはその後「農民革命階級論」へと発 展される(山川、1930、32-34 頁) 。 (19) 住井すゑは、 犬田の 「農民自治」 は下中の 「万人労働の哲学」 がその端緒であると語っていたという(安藤、1979、40 頁) 。住井はまた、 「人間はけっきょく人間だ。みんな平 等だ。貴賤貧富の別なんてこっけいだ。 」という言葉を犬 田がいつも言っていたと書いている(犬田・住井、1957、 295 頁) 。 (20) 農民作家同盟名義で書かれているが、執筆者は犬田であ る(犬田、1958、148 頁) 。 (21) 1920 年代日本のアナーキズム思想史における犬田の位置 づけは、その概略を前に論じておいた(蔭木、2018) 。ま た、ここで犬田は「権藤イズム」を農本主義の筆頭とし て批判しているが、今日的な観点から犬田と農本主義の 関係をどう位置づけるかについてはまだ検討を要する部 分があり、今後の課題としたい。. 注 (1) 1922 年ごろまでは普選に批判的な主張も少なくなかった が、23-4 年には社会主義者の殆どが普選に肯定的な立場 を取っていた(松尾、1974=2001、237-302 頁) 。 (2) 他に、長野県について島袋(2009)岡山県について小林 (1986)が、 「農民自治会」の運動史を論じている。 (3) その余地が残されたままである原因として、そもそもこ の思想が展開された雑誌などの一次資料が散逸し、入手・ 参照の機会が非常に限られていたことがある。その意味 で、小松隆二が近著で行なった指摘は重要である(小松、 2018、327-332 頁) 。 (4) 混乱を避けるため、 本論で引用する 1926 年創刊の雑誌 『農 民自治』の他に、同名の発行物が2種あることについて 触れておきたい。一つは、1930 年内に発行された『農 民』の付録としてリーフレット形式で発行された『農民 自治』 。もう一つは農本連盟の青年部として設立された 農本青年連盟の機関誌として、1932 年2月にリーフレッ ト形式で創刊された『農民自治』である(編集兼発行者 は河野康) 。前者は『復刻版 農民』に収録されている。 後者は2月号と3月号を発行した後『緑旗』と改題し、 少なくとも1号は発行された。 (5) さらに最近、犬田卯の資料が日本近代文学館に寄贈され、 閲覧可能となったことは今後の研究の発展を促すものだ ろう。その経緯については北条(2014)および、犬田章 (2018) 。 (6) 本論で引用した雑誌・パンフレット類は、多くが入手困 難である。 『文化運動』および『大地に立つ』は古書店 から入手したもの、 『農民自治』 (創刊号のみ『自治農民』 ) は埼玉県富士見市立中央図書館に所蔵されている渋谷定 輔の蔵書を、 『農本社会』は近代日本文学館に収蔵され た犬田卯・住井すゑの旧蔵書を参照。他、稀覯資料につ いては適宜出所を示した。 (7) NPL については近年米国でも研究が進んでいる。代表的 なものとして、Lansing(2016) 。 (8) ただし、 『農民自治』誌上での思想と、各地方で運動に関 わっていた人々における思想との相違もあった。後者に ついては例えば長野県の農民自治会北信連合において中 核的な役割を果たしたひとり小山敬吾が、 「農民自治会の 思想は、トルストイの人道主義と江渡狄嶺の『土に立つ 精神』が芯となり、石川三四郎の理論によって裏づけら れた」と語っており、かなり広範に捉えられていること がわかる(大井、1980、93 頁) 。ただ今のところ、その 具体的な内容を知り得る史料はない。 『農民自治』創刊時 の下中、石川、中西の立場については拙稿(蔭木、2016) を参照されたい。 (9) このことは当時の渋谷の日記の全篇に亘って現れている (例えば、渋谷、1970、29-30 頁) 。 (10) 竹内圀衛は 1925 年 12 月に「土を慕ふものの会」を発足 させ、その「宣言」に「何人も皆各自の生活資料は各自. 参考文献 安藤義道、1979、犬田卯の思想と文学、崙書房・茨城図書 舩戸修一、2004、農民文学とその社会構想──農民文学者・ 犬田卯の農本思想──、村落社会研究、10(2): 31-42 権藤成卿、1920、皇民自治本義、富山房 後藤新平、1919、自治生活の新精神、新時代社 林宥一、1978、農民自治会論、世界政経、 (64): 31-44 平島敏幸、2006、雑誌『農民』と農民自治主義(一) 、流通經 濟大學論集、40(3): 1-12. 23.
(12) [村落社会研究 第 26 巻 , 第 2 号 , 2020] 平島敏幸、2007、雑誌『農民』と農民自治主義(二) 、流通經 濟大學論集、42(2): 1-14 平島敏幸、2008、雑誌『農民』と農民自治主義(三) 、流通經 濟大學論集、42(4): 1-11 北条常久、2014、犬田卯・住井すゑの文学資料について、日 本近代文学館、 (257): 5 池田超爾、1925、普選より新しき政治へ、稲淵堂出版部 犬田章、2018、作家夫妻犬田卯・住井すゑ文学歴正史、田沼茂編、 弘報印刷 犬田卯、1926、農民文芸の意義に就いて、農民文芸十六講、 農民文芸会編、春陽堂 犬田卯、1927、最近の問題──マルクシズムから土の文学を 導き出すことが出来るか──、農民(第1次) 、1(2): 32-37 犬田卯、1928a、農村社会問題講話(その一)農村搾取の概観、 農民(第1次) 、2(1): 41-44 犬田卯、1928b、現実に見よ!──マルクス的階級闘争の時 代は奇形的に、今や新たなるより根底的な断層的な階級 闘争の時代は来らんとす!──、農民(第1次) 、2(2): 2-3 犬田卯、1928c、変革途上の現農村──小野武夫氏の『農村機 構の分裂過程』に就て──、農民(第 2 次) 、1(2): 4-6 犬田卯、1929a、土の芸術と土の生活、農民文学社 犬田卯、1929b、農村と都市の根本的関係、農民(第 3 次) 、1 (7): 2-4 犬田卯、1929c、農民自治主義の研究方法、農民(第 3 次) 、1 (9): 36-39 犬田卯、1930a、農民自治の話(一) 、農民(第 3 次) 、2(9): 18-21 犬田卯、1930b、農民自治の話(二) 、農民(第 3 次) 、2(10) : 28-31 犬田卯、1930c、農民自治の話(三) 、農民(第3次) 、2(11) : 17-20 犬田卯、1930d、農民自治の話(四) 、農民(第3次) 、2(12) : 14-17 犬田卯、1931a、農民自治の話(五) 、農民(第 3 次) 、3(1): 20-23 犬田卯、1931b、農民自治の話(六) 、農民(第3次) 、3(2): 2-3 犬田卯(筆名:茨木隆) 、1932a、社会運動としてのマルクス 主義アナキズム及び農民自治主義、農本社会、1(1): 2023 犬田卯、1932b、もんど・おゝとのむ、農本社会、1(1): 5863 犬田卯(筆名:茨木隆) 、1932c、文芸・思想界時感 農民自 治主義への正しき理解、農本社会、1(2): 38-40,45 犬田卯、1932d、農民自治論、農民(第 5 次) 、1(8): 5-19 犬田卯、1932e、農民自治論(承前) 、農民(第 5 次) 、1(9): 6-9 犬田卯、1958、日本農民文学史、小田切秀雄編、農山漁村文 化協会 犬田卯・加藤武雄、1926、農民文芸の研究、農民文芸叢書第2編、 春陽堂 犬田卯・延島英一、1930、新刊批評、農民(第 3 次) 、2(7): 23-25. 犬田卯・住井すゑ、1957、愛といのちと、講談社 岩崎正弥、1997、農本思想の社会史──生活と国体の交錯、 京都大学出版会 蔭木達也、2016、農民自治会における「農民自治」概念の創 出──一九二〇年代日本における未分化な社会思想──、 近代日本研究、33 : 235-258 蔭木達也、2018、1920 年代日本におけるアナーキズム思想史 の再検討──クロポトキンの受容と解釈を中心として、 総合人間学研究オンラインジャーナル、 (13): 17-31 加藤一夫、1930、農本社会の建設へ、大地に立つ、2(6): 1-17 小林千枝子、1986、農民自治会の教師像および教育内容論の 研究─岡山における青年たちの学習活動と中西伊之助・ 犬田卯の文学─その3、四国女子大学紀要、6(1): 61-82 小松隆二、2018、日本労働組合論事始──忘れられた「資料」 を発掘・検証する、論創社 Lansing, M.J., 2016, Insurgent Democracy: The Nonpartisan League in North American Politics, University of Chicago Press. 松本健一、1978、下中弥三郎の思想的陥穽、世界政経、 (64): 51-64 松尾尊兊、1974=2001、大正デモクラシー、岩波書店 森山重雄、1971、中西伊之助論、人文学報、 (80): 137-166 内藤由直、2009、第五階級の文学──犬田卯の農民文学/プ ロレタリア文学論──、立命館文學、 (614): 297-311 中島岳志、2015、下中彌三郎──アジア主義から世界連邦運 動へ、平凡社 中西伊之助、1926、農民自治とは何ぞ、自治農民(農民自治) 、 (1): 5-6 日本キリスト教歴史大事典編集委員会編、1988、日本キリス ト教歴史大事典、教文館 農民自治会長野県連合農村モラトリアム期成同盟、1927、支 払延期期成同盟趣旨書、農民自治、 (11): 2-3 農民自治会創立準備委員会、1925a、農民自治会創立の趣意(草 案) 、富士見市立中央図書館所蔵 農民自治会創立準備委員会、1925b、標語、富士見市立中央図 書館所蔵 農民自治会創立準備委員会、1925c、農民自治会綱領(草案) 、 富士見市立中央図書館所蔵 農民作家同盟、1932、空想的・遺物的アナキズムより建設的・ 現実的農民自治主義へ── 「農民文学に就ての覚書」 検討、 農民(第5次) 、1(9): 1-5 大井隆男、1978、竹内愛国──思想遍歴と活動、世界政経、 (64) : 65-73 大井隆男、1980、農民自治運動史—転換期の青春群像—、銀 河書房 小野武夫、1928、農村機構の分裂過程、改造社 渋谷定輔、1926、第二期農民運動の方向、自治農民(農民自治) 、 (1): 7-8 渋谷定輔、1970、農民哀史 野の魂と行動の記録、勁草書房 島袋善弘、2009、1920-30 年代の農民組合の農村認識と運動方 針 長野県の農民組合、山梨国際研究、 (4): 1-13 下中弥三郎、1924、政治と自治──議会利用か、議会無視か ──、文化運動、 (142): 1-6 下中弥三郎、1925a=1974、万人労働の哲学、万人労働の教育、. 24.
(13) 「農民自治」思想の構想と展開. 平凡社 下中弥三郎、1925b、非政党同盟の主張および綱領、啓明パン フレット第 2 冊、啓明会 下中弥三郎、1925c=1974、非政党同盟へ──普選実施後にお ける農民の新しき結束──、万人労働の教育──下中弥. 15 冊、啓明会 鑓田研一、1927b=1929、マルクス主義に於ける農業問題の展 望と批判、無産農民の陣営より、全国農民芸術連盟 鑓田研一、1928a、農民自治の理論と実践(一) 、農民自治、 (16) : 4-6 鑓田研一、1928b、農民自治の理論と実践(二) 、農民自治、 (17) : 14-16 鑓田研一、1928c、各部の挨拶 研究部より、農民自治、 (17) : 19 鑓田研一、1928d、階級理論としての重農主義(5) 、農民(第 1 次) 、2(6): 6-12 鑓田研一、1928e、重農主義の理論と実践(1) 、農民(第2次) 、 1(1): 9-16 鑓田研一、1930a、労働者も農民を搾取する、農民(第3次) 、 2(4): 2-5,44、2(5): 28-31、2(6): 25-29、2(7): 36-40 鑓田研一、1930b、共同組合の現在と将来、大地に立つ、2(7) : 24-28、2(8): 19-23、2(9): 17-20、2(10): 40-43、3(1) : 23-27 鑓田研一、1932、農業と工業の関係に就いて、農本社会、1(4) : 16-20、1(5): 12-6 鑓田研一、1933、アナーキズム方法論、日本労働組合自由連 合協議会 山川時郎、1930、農民自治主義の理論と実践 「農本社会の建 設へ」の批評、大地に立つ、2(7): 32-34 安田常雄、1987、暮らしの社会思想─その光と影、勁草書房. 三郎教育論集──、平凡社. 下中弥三郎、1926a、来れ非政党同盟へ、富士見市立中央図書 館所蔵 下中弥三郎、1926b、土地の社会化といふこと 農民自治会綱 領解説 第一講、農民自治、 (5): 12-14 下中弥三郎、1927、他町村人の所有土地漸減 農民自治会綱 領の解説 (その二) 、農民自治、 (7): 14-15 高橋源一、1928、我等の戦線 まず農民自治大学を起す、農 民自治、 (17): 5 高橋春雄、1990、解説、農民 解説・総目次・索引、 『復刻版 農民』別冊、不二出版 竹内愛国、1926、農民自治会、解放、5(16): 解放運動団体 の現勢、26-35 竹内愛国(在京竹内生) 、1927、電気消費者組合を提唱す ま ず電燈会社をこらせ!、農民自治、 (11): 4-5 寺神戸誠一、1928、農村社会問題講話 農村無産階級と金融 問題、農民(第 1 次) 、2(2): 32-37 山口郷土作家研究会編、1988、甦る郷土の作家たち、四季出 版 鑓田研一、1927a、トルストイの新研究、啓明パンフレット第. 25.
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