Title
1970年代ドイツ政治文化における人間
Author(s)
檜山, 雅人
Citation
沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(12): 1-30
Issue Date
1995-03-01
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/5805
1970年代ドイツ政治文化における人間
檜山雅人 目次 はじめに 政治文化的観点からの1970年代の位置づけ 政治文化の変容と人間像の問題 (1)近代を抜けでようとする意識 (2)価値変動と「新しい人間」の登場 (3)期待感を爆発させる人びと (4)モデルネの救出 おわりに ●●● 勺Ⅱ0△(、〃】(叩工、〕 4. 1.はじめに 本稿の目的は、1970年代ドイツの政治文化の変容を論じる一環として、同時 代に提出されたさまざまの議論の中からこの時代特有と思われる4つの人間像 を掘りおこし検討してみることにある。政治文化の変容について語りうるため には、いずれにせよその担い手が想定されるわけで、たとえ統一的な像がきり 結べなくとも、ある程度その輪郭を明瞭にしておく必要があろう。いま「この 時代特有」の人間像といったが、より正確にいえば、かならずしもこの時代に なって初めて現れた人間像という意味ではない。むしろ過去にも登場したこと のある人間像かもしれないが、この時代に典型的に再現された人間像もふくめ て本稿では考えている。 ところで、問題となる時代的枠組みの特質については、この時代よりも50年 1沖縄大学紀要第12号(1995年) 前の1920年代の問題状況との連続性をとくに念頭におくべきだろう。それはこ ういうことである。 旧来の秩序が解体し、新しい秩序が打ちたてられるとき、制度的な基盤から 解放された個々の古い要素はいったいどこにいくのか、そして新しく姿を現わ す要素は新たな制度のもとしかるべき定位置をどのようなかたちでみいだすの か。その際、旧秩序の崩壊にともなって露出する原初的な社会の根にあたるも のはいかなる役割を果たすのか。 ̄これがドイツ1920年代論の基本的な問 題設定(')であるとすれば、ある意味でこれは戦後ドイツにもある程度あてはま る問題であろう。1920年代の問題状況は、ナチス体制の崩壊とともにきれいさ っぱり自動的に消滅したとは考えにくく、なんらかのかたちで戦後ドイツに繰 りこされ、新たな枠組みの中で応答を待ったのである(2)。たしかに1945年や 1990年はドイツ現代史の-大エポックであるかもしれないが、精神史的な面に 着目する見地からは、かならずしもそうともいえない、という見方の成立する 余地がここにある。 このような本稿の目的にてらして-つの手掛かりになるのが1967年から1968 年にかけての時期に、時代精神の一つの節目を読みとる視点だろう。三島憲一 氏はつぎのように指摘している。「1967/1968年西ドイツに学生反乱の嵐が吹 きまくった。その後『反抗運動』という名称のもとに歴史に残るものである。 『歴史に残る』と言ったのは、この時期を境に社会の雰囲気が一変し、生活ス タイルの革命が起きたからである。知的生活にも深甚な影響を及ぼした。ドイ ツで出ている戦後社会を描いた多くの書物は、ほとんど一致してこの時点にひ とつのエポックの切れ目を見ている。戦後の復古主義は完全に過去になった」 (3)、と。この見方は1970年代をとおして検証される必要がある。 三島氏のいう「学生反乱」は、運動としては1960年代末に解体したようにみ える。しかし、その激しい盛り上がりが衰退し、直接的な政治的意味あいが失 われたにしても、それを支えていたく未定型>の「新しい社会意識」までそれ と同時に消えさったわけではない。いわば結集地を失って浮遊する状態にあっ たといえよう。この社会意識が1970年代の過程において消滅することなく、社 会のさまざまな局面で「生きた力」をふるい得たことは明らかである。 2
本論文では、1970年代におけるこの新しいく浮遊する未定型の社会意識>に 着目したい。このような意識に支えられたさまざまの社会的な運動がいかなる 性格をもち、そして1970年代ドイツの政治文化にどのような影響を与えたのか を検討するにあたり、本論文では、新しい社会的な運動についてドイツで行わ れた同時代研究のいくつかを取り上げ、そこで想定される人間像を検討するこ とに課題を限定することとする。そこでまず、1970年代の政治文化的観点から の位置づけをある程度明確にしておきたい。なお、本稿でいう「ドイツ」には 「旧東ドイツ」はふくまれない。 2.政治文化的観点からの1970年代の位置づけ ここでいう1970年代とは、年表的時代区分をさすのではなく、あくまで問題 史的な区分である点に注意が必要である。時期的には、1960年代終わりの社会 民主政治の始動から1980年代初めのその衰退の時代まで、すなわちプラント首 相からシュミット首相に引き継がれた社会民主党(SPD)と自由民主党(F DP)の連立政権のほぼ13年間をいうこととする(4)。さらに、本稿の主題にて らして興味深いのは、この時期がだいたい「学生反乱」の衰退とともに始まり、 「緑の党」の台頭とともに終わっているということであろう。 この時代を区分すると、つぎの3つの段階になる。政治、経済の動向を現象 的にみるならば、1960年代終わりから1972,73年頃までの第1期を特徴づける のは、社会民主政治への期待とそれにともなう新ケインズ主義的経済政策の成 功であろう。SPDは、1966年末に誕生したキリスト教民主/社会同盟(CD U/CSU)との大連立政権を1969年に解消、FDPとの連立政権を成立させ る。その後、「経済安定および成長促進法」、協調行動、中期財政計画など新 ケインズ主義的な経済政策が実行に移されたほか、企業の共同決定、農地法、 年金増額、税制改革等の改革政治が押し進められた。こうした政策の共通目標 は、政策全体を合理的で計算可能な土台に乗せ、`情報面、組織面、財政面での 資源を最適化するという長期的で調整された政治の計画化だった。一つには、 この連邦政府による計画策定権限を正当化するため、「あえてもっと民主主義 3
ill1縄大学紀要第12トナ(1995イ|リ を」mehrDelnokIatiewagenというスローガンが盛んに使われ、参加民主主義 が唱えられるようになる(5)。 その一方、プラント首相によって有名な東方外交が展開された。この政策は、 外交上ばかりでなく、内政にもはねかえる意義をもった。つまり、国内「東西 対立」の緊張緩和、厳格な反共主義の軟化を意味していた。アデナウアー時代 にすでに、「過去の克服」という課題は、一方で道徳的問題、つまり個人の罪 への問いに還元されると同時に、一方では反共路線、ナチスであれ共産主義で あれ、脅威を与える全体主義を防ぐという路線に軌道修正されていた。そこで は理念が前面に出ているものの、思想本来の多義的なふくらみを失ったイデオ ロギーヘと硬直してしまっていたとも解釈できよう。この路線は実質上、一義 的で公式的な「過剰イデオロギーの支配」ともいえる政治であり、思想の対決 は生産性を失ったばかりか、不断に変動する状況への即応性も喪失しつつあっ たのだった。社会民主政治は、こうした「過剰イデオロギーの支配」を緩和す るとともに、結果的に政治の脱イデオロギー化を押し進め、計画的で合理的に 計算可能なものとしての政治を対置し、いわば「政治の技術化」の流れに棹さ したのだった(6)。 1970年代の第2期は、1973年の石油ショックから1976,77年までの時期であ り、社会民主政治の大前提である計画や改革への熱意が醒めてくる点に特徴が ある。時代診断で「傾向の変化」化ndenzwendeという表現が流行した(7)のがこ の頃である。社民改革政治の核心部分であった「政府・行政改革プロジェクト グループ」は、すでに各省庁の抵抗や妨害政策によって挫折していた。そうで なくとも連邦参議院の勢力図が野党優位になったことで、改革政治遂行のため のハードルが一段と高くなっていた。期待がしらけに代わり、連邦政府の政策 では、計画化への意欲が後退し、一種のプラグマティズムが登場する。プラン トの後継首相としてヘルムート・シュミットが選出されたことが、この間の時 代変化を象徴的に表現するものだった。予期せぬ経済状態の悪化がしらけムー ドに拍車をかけた。改革政策への中期的、長期的な資金調達の目安とされた高 度経済成長が幻想であることが判明し、物価上昇、失業者増加が進んだ。 1975年以降、「統治能力の欠如」DefizitderRegierungsfahigkeitという 4
言葉が流行し(8)、政治はプラグマティックな危機管理的色彩を一層帯び、政治 の技術化が一層進む。数年前までは、-部知識人の空想の産物といわれてきた 「正当性問題」Legitimitatspmblemが現実味を増してくる(9)。 一方、こうした風潮を反映して、イヴァン・イリイチ、エルンスト・シュマ ッハー、ロベルトユンクなどの著作が注目を浴びるようになる。また、とも に1975年に出版され、現役政治家が書いたエアハルト・エプラー(SPD)の 『終局か転換か」やヘルベルト・グルール(CDU)の『収奪された地球』は、 経済成長の問題やエコロジーのテーマが在来の党派を横断して浸透し始めたこ
とをしめすものである。それとともに、「イデオロギーの終焉」および社会国
家の定着を背景に、「新しい社会運動」という名称で一括されることになるさ まざまな制度外の運動が活況を呈すようになる。住民運動である「市民イニシ アチブ運動」BUIgerinitiativbewegung、エコロジー運動、婦人運動、代案運動Alte1matiVbewegung、平和運動などが大規模に展開され、若者の反抗、青年
のサブカルチャー、麻薬の使用なども広がっていく。最後に、1976,77年から1982年の政権交代までの第3期は、経済危機の膠着
化を背景として社会民主政治が方向感覚を失い、衰退していく時期にあたる。 200万人台というそれまで経験したことのない記録的な失業者を生み、「模範 国ドイツ」(H・シュミット)は、その輝きを失う。 こうした政治への嫌悪感を背景に前面に踊りでたのが、原子力利用や空港拡 張、あるいはNATOの二重決定への実力行使をともなう抗議運動であり、あるいは空き家占拠といった冒険的な試みである。一方、テロリズムと「保安国
家」(10)DerSicherheitsstaat(ヨアヒム・ヒルシュ)の対決も、相互にエス
カレーションを重ねた。市民イニシアチブ、エコロジー運動、婦人運動、サブ カルチャー的な代案運動なども、当時、戦後ドイツの政治文化を語る上で明ら かに欠かせない存在となっていたが、この時期になると模索、自己反省、試行 錯誤、対立、歩み寄りなどの段階を迎える。 この社会民主政治の幕を閉じたこの最後の時代の勝利者はつぎの二つだった。 一つはヘルムート・コールの体現する新保守主義であり、少なくとも一時的に 国民の多数に対して景気の回復と「精神的道徳的再生」を信じ込ませることに 5i1I1縄大学紀要第12号(1995年) 成功した。ここから一種のイデオロギー過多の政治がふたたび始まる。もう一 つがいわゆる「新しい社会運動」であり、緑の党というかたちをとって連邦議 会に進出することに成功する。 ここで政治文化的観点からみた1970年代の特徴をひとまず整理しておこう。 基本的前提としては「豊かな社会」が広範に定着していく状況のなかで、さら に2つの特質、すなわち①「イデオロギーの終焉」、および②「社会(福祉) 国家」の確立が進んだ。この背景のもとに、従来の伝統的な「古い政治」とは 区別されるいわゆる「新しい政治」の萌芽的形態が生まれ、それを支える「新 しい社会意識」も定着していく。この社会意識に着目した場合、このような意 識に立脚した「新しい政治」あるいは「新しい社会運動」と呼ばれるものへの 志向性が1970年代に出現したといえよう。これが1970年代ドイツの新しい政治 文化の主たる担い手になる。かれらは古い形態に対する「新しさ」について自 覚的だった。本論文の主な研究対象はここにある。 さて、このように1970年代に出現したとみなされる新しい政治文化およびそ の担い手についてのいくつかの同時代的な研究をつぎに検討するが、その前に、 議論を進めるうえでの座標軸を設定しておきたい。いままで「新しい」という 言葉を普通に使ってきたが、この用語を使う際はつねに慎重さが求められる。 つまり、どういう意味で「新しい」といえるのかが-つのポイントとなるよう に考えられるので、論者たちが「新しさ」をどう評価しているかを第1の座標 軸とする。つぎに、こうした「新しい」政治文化とその担い手について総体と して政治的に積極的な意味を認めるかどうか-たとえば民主政治の発展にと ってプラスと評価するかどうか-がポイントとなり、これを第2の座標軸と する。この2つの軸を相互に交差させると、つぎの4つの理論的な立場にわか れることが明らかになる。 A・現象として歴史的に「新しい」と判断できず、政治的にも積極的な意義 が見いだせないとする立場〔3の(1)〕 B・現象として歴史的に「新しい」と判断でき、政治的にも積極的な意義が あるとする立場〔3の(2)〕 C・現象として歴史的に「新しい」と判断できるが、政治的には積極的な意 6
義が見いだせないとする立場〔3の(3)〕 D、現象として歴史的に「新しい」と判断できないが、政治的には積極的な 意義があるとする立場〔3の(4)〕 以上の区分はむしろある意味で一種の理念型的な類型化であり、同一の論者 でも他の立場への目配り、ないしは両義的な評価が混在することは当然であろ う。以下の記述では、それぞれの立場に応じた人間像を再構成し、おのおの A、ネオロマン主義者あるいは青年保守主義者、B・脱物質主義者、C・不機 嫌な市民、D・急進民主派と概念化した。ただし、後述するように、ハーバマ スについては時系列的にブレがあり、その評価もAからDに移行したように考 えられる経緯があることを付け加えておきたい。なお、「新しい」政治文化に ついての実態記述は本稿ではあらかじめ断念されている。 3政治文化の変容と人間像の問題 (1)近代を抜けでようとする意識一くネオロマン主義者> 1960年代終わりから1970年代初め頃の政治文化の変容を「新しい現象」とし てではなく、むしろ歴史上繰り返される一種の反近代主義または政治的ロマン 主義の再現という視点からとらえる見方がある。たとえば、この時代に登場し てきた環境保護派の主張というのは、歴史的にみて、1950年代のドイツ極右派 の民族的、自然主義的な「自然」理解と類似性があるとし、1970年代の「新し
い社会的な運動」を「国民ロマン主義的ポピュリズム」Nationalmlnantischer
Populismusと再定義するp・ドュデクの立場などが典型的であろう(11)。つぎ に、かならずしも極右派との関連性を指摘するものではないが、これに近い見 方をとるバーガー/バーガー/ケルナーの議論を考察する。 バーガー/バーガー/ケルナーは、『近代的様式への不満』(1975年)(12) のなかでネオロマン主義の再現という視角を打ち出し、多少なりとも理論的な 解明を行っている。ただし、かれらが対象としているのは、あくまで1960年代 終わりから1970年代にかけて登場した対抗文化およびエコロジー的な抗議運動 7iill細大'1::紀要第12り(11)115〈「) (本稿でいう意味での1970年代の第一期)とみられ、1970年代全般にわたる政 治文化の分析ではない点に注意が必要である。 かれらによると、近代的様式を体現する指標は、①テクノロジー的生産様式、 ②官僚制的に組織された国家、③生活世界の複数化の三つである。その特徴は、 「機能的合理性」、「遂行可能性」、「成分分解性」KolmQonentionalitat(技 術的に組み立て可能な単位への現実の分解、手段と目標の分離、匿名的個人と 具体的個人への分裂)、および「複数関係性」(複雑な意味連関への柔軟な適 応の要請)の4つである。これらによって構成された生活世界は、いちじるし く文節化する(私的なものと公的なものとの二分化、体験世界や意味世界の複 数化と主体化)。 こういう構造が歴史的に形成されたことで、家族、部族、小共同体から個人 は解放される。しかし、バーガー/バーガー/ケルナーによると、この解放に は「高い代償」が必要だった。近代社会において「機能的合理性」が追求され るようになると、感情管理の徹底が要請されるので、そのぶん心理的な緊張や 欲求不満が蓄積される傾向がつよまる。「成分分解性」は、社会生活ではアノ ミーや意味喪失という脅威として作用する。一方、社会生活の官僚制化が進む と、匿名性の経験が深まり、生活世界の複数化は故郷喪失の感'情をうみだす。 「この不満に対する近代社会における『解決策』は、・・・一種の相殺メカニ ズムとして・・・私的領域を創出することだった」(13)。けれどもこの解決策 は困難に逢着する。というのも、私的領域は「下から制度化される」(A・ゲ ーレン)ので、人間の行為をがっちり確実に構造化する制度とは到底いえない からである(14)。こうして過去に後退するか、未来に前進するかはともかく 「近代を抜けでようとする衝動」工Inpulusdermtmodemisierungは強い伝染 力をもつにいたる、とバーガー/バーガー/ケルナーは説明する(15)。 脱近代というテーマはこうして、近代的様式の構造的特徴から派生する。 「学生反乱」以降、1960年代終わりから1970年代初めにかけてあらわれた青年 文化や対抗文化は、結集地を見失ったく浮遊する未定型の社会意識>に立脚し ていたとみられるが、その行場のない意識をバーガー/バーガー/ケルナーは 「近代から抜けでようとする意識dasentlIbdemisiel1endeBewuBtseinを体現 8
するもの」として分析する(16)。 かれらによると、これらの文化では、「機能的合理性」に代わって、脱個人 化の作用をもつ感情、自発性、創造性、自然的なもの、忘我的没入(ロックミ ュージックや麻薬)が強調され、合理的管理からの解放がうたわれる(17)。ま た「成分分解'性」に対して全体'性、統一‘性、透明性への`憧慢が対置され、さら に合理的な生活設計の基礎におかれる抽象的な時間に対して「いま」の直接性 が対置される、という。このような生活態度に深く結びついているのが、分別、 節制、正直、功名心、権力、富などを拒否する姿勢である(18)。そして近代的 生活様式の多様性や表面性に抗して小集団における深い社会関係の体験が、ま た技術的な「遂行可能性」に抗して受動的な没入や適応が、さらに社会制度の 官僚制的な組織化に抗して自発性をもって体験できる共同体がそれぞれ志向さ れた、とバーガー/バーガー/ケルナーは分析する。 「近代を抜けでようとする運動」の特徴をバーガー/バーガー/ケルナーは、 包括的な「反制度主義」Antiinstitutionalismusと概念化している。これは、 日常生活の役割や仮面をかなぐり捨てたオープンな集団の中で自分自身を取り もどそうとする試みであると説明されているが、バーガー/バーガー/ケルナ ーによると、それは皮肉めいた芝居である。というのも、「近代的様式を人び とが攻撃するとき、人びとの意識にはまさしくこの近代的様式が前提されてい る」(19)からであり、「制度や役割のかなたにある赤裸々の『私』という概念 は、・・・まさしく近代の中心的表象である。・・・反抗の人間学的な基本仮 定は、奥底のところでいちじるしく近代的である」(20)からである。 このようにバーガー/バーガー/ケルナーは、こうした新たな政治的ロマン 主義的な反近代主義的抵抗に認められる基本的な二律背反を指摘する。この見 方からすると、この矛盾は、その後の1970年代中期に盛んになったフェミニズ ム運動や代案運動にもみられ、さまざまな「根源神話」というかたちをとって 刻印されているということにもなろう。けれども、かれらの論調からすると、 こういう人間像は、現象としてけっして「新しい」とはいえず、また政治的に も克服されるべき対象であるというニュアンスが強いといえよう。 ところでその具体的な担い手は誰か。バーガー/バーガー/ケルナーによる
沖縄大学紀要第12号(1995年) と、「近代的様式を抜けでようとする現象は、明らかに特定の住民層に・・・ つまり大学教育を受けた地位の高い教養市民層の構成員にいちじるしく限定さ れる」(21)という。 (2)価値変動と「新しい人間」の登場一く脱物質主義者> ①価値変動と政党民主制 いわゆる「新しい社会運動」という現象を「新しい」と評価し、かつ政治的 な意義を比較的積極的に評価する立場の論者たちは、それによって引き起こさ れた政治文化の変容の原因を価値変動に関連づけようとする傾向がある。 政治学者のB・グッゲンベルガ_は、1970年代半ばのさまざまな社会運動の 興隆を意識して、エコロジー的で「人間的な」生活様式といったテーマが主題 となる新たな価値地平の形成、および新たな社会的、政治的正当化原理の生成 について言及している。グッゲンベルガ_の『政党民主制における市民イニチ アチブ』(1980年)(22)によると、産業成長のパラダイムに縛られた古い価値 志向と、エコロジー的で「人間的な」生活様式に根ざした新たな価値志向との 間で広範な住民層がわかれ、紛争要因を回路化する議会制民主主義という調停 モデルの有効性は万能のものではなくなっている。さらに、こういう状況のも とでは、議会制民主主義的支配の正当化手続きの中核である多数決原理さえ疑 わしいものとなるという。もっとも、この議論は1970年代のドイツを対象とし てなされたものであり、今日有効な議論であるかどうかは別の問題であろう。 さて、大規模な産業技術の開発によって不可逆的な手法を用いた開発(たと えば原子力技術、情報伝達手段の操作、交通計画など)が推進されるようにな ると、その是非をめぐって多数決を行ったとしても、反対派はあくまで構造的 な少数派の地位に甘んぜざるを得なくなる(23)。C・オッフェによると、「そ の結果、服従の義務を正当化する多数決という民主的な形式原理は今日、一連 の重要な政治分野で冴えないものとなった。そのため、多数決は、国家の支配 をかろうじて不完全な形で保証するものでしかなくなった」という(24)。 -10-
1970年代ドイツでは価値観の変化と構造的な代表原理の形骸化が結びつき、 それによって成長批判、産業批判的な運動が議会外的、反議会的な運動として 形成されたという事`情がグッゲンベルガ-の考察によって説明できるかもしれ ない。すなわち、1970年代には相互に異質な政治文化が対抗しあうことになり、 どちらが優位にたつかによって、①従来の産業発展のパラダイムと両立しない く新しい価値体系>が形成され、伝統的な正当化モデルを震憾させる場合と、 ②新協調主義的に組織された「成長カルテル」に政治的意思決定過程が構造的 にとりこまれ、成長批判、産業批判の運動が国家レベルの意思決定の地平に到 達することの妨げられる場合が存在するようになる。 しかも価値変動は、政治システムの実質的な選択可能性のみならず、伝統的 な政治形態をも疑わしいものとする、とM・グレーフェンの論文「政党制、価 値変動、および新たなマージナリティー」(1979年)(25)は主張している。 グレーフェンは、1970年代におけるエコロジー運動や代案運動の出現を、「代 表制の危機、つまり利害の単なる集積と充足をめざす分業的、権限委譲的な政 治行動の危機」と解釈している。<新たな価値観>の登場によって、物質的資 源の単なる権威的配分だけではもはや利害関心は充足されなくなってしまった、 というのである。 ②脱物質主義論とく新しい政治> 論者たちの共有する価値変動というテーゼについて、ここで少し立ち入って 検討しておく必要があろう。そのためには、価値変動をめぐる議論の共通の下 敷きとなり、今曰では専門用語としても定着しているかにみえるイングルハー トの脱物質主義論を避けてとおることができない。 周知のように、イングルハートは、一連の研究(26)のなかで、西側工業社会 では「静かな革命」、すなわち「物質主義的価値観」から「脱物質主義的価値 観」への根底的かつ持続的な価値変動が進行しているとのテーゼを提出してい る。その説明では、マズローの欲求段階説に関連づけながら、「物質的な供給 や安全への利害がいったん充足されると、今度は自己実現、参加、美的欲求な -11-
沖縄大学紀要第12号(1995年) どの非物質的な価値観が表舞台に現れる」というわりあい単純な仮説が議論の
出発点におかれている。西欧やアメリカでは、少青年期を中間層固有の伝統や
教育環境の中で過ごし、戦後の経済繁栄の影響を強く刻印している住民層に、
「脱物質主義的」価値観が現れているという。イングルハートの報告によると、
16歳から29歳までの年齢層を対象にした1974年の調査では、この比率は、オランダ28%、アメリカ17%、西ドイツ15%、イギリス13%、オーストリア9%と
続く一方、30歳以上の年齢層での同比率は、オランダを除いて著しく低いこと
が明らかになった。ベーカー/ヒルデブラント/ダールトンは、『変貌するドイツー政治文化
と新しい政治』(1981年)(27)のなかで独自の調査に基づき、イングルハート
のテーゼを政治的文脈に移しかえ、長期的には「古い政治」のテーマよりも「新しい政治」のテーマのほうが重要になろう、と説いた。それによると、
「古い政治」とは、「政治の伝統的な関心事、すなわち経済的安定、社会的安
寧、軍事的な安全保障ならびに公序良俗の維持」を意味する一方、「新しい政
治」は、生活の質、参加、男女の同権、個人の自己実現などの問題をテーマと
するという。また、社会構造の観点からその傾向を区別すると、「古い政治」
は、主としてブルジョワ社会の伝統的な階級、労働者、そして旧中間層によっ
て担われる一方、「新しい政治」は、より高い教養層、新中間層、そしてより
若い世代を中心に担われるとされる。ヒルデブラントとダールトンは、1970年
から1976年までの西ドイツを対象に調査を行い、全有権者のおよそ10%が「古
い政治」のテーマよりも「新しい政治」のテーマのほうを優先することを望んでいるとの結果をえた(28)。これはイングルハートの調査結果に照応する。
<脱物質主義者>の特徴は、在来型の活動(典型的には選挙活動)、非在来
型の活動(たとえば、ボイコットや空き家占拠など)のいかんを問わず社会的、
政治的参加の程度がきわめて高い点にあるとされる。こうした「非在来型の政
治行動」への意識が高いということは、政治的な参加そのものを良しとする価
値観が高い位置を占めていることの反映とみられる。そして、制度化された意
見集約の回路を通じて参加するというよりも、より直接的な政治参加を求める
意識が強い。バーンズらが1973年から1974年にかけて、5ヵ国を対象にして行
-12-った調査(29)を踏まえて、カーゼは、「行動家」Aktivistenグループをつぎの ように特徴づけている(30)。このグループは、基本的にイングルハートの「脱 物質主義者」Postnnterialistenと重なり合う。 行動家は若く、きわめて優れた教育を受けている。政治的に自分が影響力 を十分行使できると感じており、ラディカルな民主主義を奉じる点に特徴が ある。民主政治の具体的な決定手法に関しては批判的であるが、秩序原理と しての民主主義を否定するわけではない。 在来の政治を決して避けるわけではないが、否、その逆に政治に自由にか かわろうとするが、他方では、制度的に与えられた政治参加の可能性では十 分ではなく、この点で変化をもたらそうとする立場を明確に代表している。 (31) なお、イングルハートは、「物質主義的」な目標が優勢な政治にあって脱物 質主義者が少数派の立場に置かれている点に、政治的抗議に対するかれらの意 識の高さの原因を求めている(32)。 このようにみると、1970年代ドイツの政治文化変容の担い手は「脱物質主義 者」(イングルハート)あるいは「行動家」(カーゼ)という概念に形象化さ れた「新しい人間」であるように思われる。しかも、こういう人間像を抽出し た論者たちは、こういう「新しい人間」類型の政治的意味を肯定的、積極的に 評価する傾向がある点に特徴があるといえよう。さらに、<物質主義者>の支 配的な文化におけるく脱物質主義者>の増加という論点を核とするイングルハ ートの価値変動論が、都市型市民イニシアチブへの参加ばかりでなく、「緑の 党」、「ブント」、そして「代案リスト」といった新しい形態の社会運動への 潜在的支持者に関する有効な説明の枠組みになっていることもたしかである (33)。 ただし、イングルハートの研究に対しては、さまざまな批判がなされている (34)。つぎに価値変動の原因をめぐる批判と、「物質主義的/脱物質主義的」 価値志向という区分に関する批判をとりあげることにしたい。 -13-
沖縄大糊己要第12号(1995年) イングルハートは、価値変動の原因を、基本的には、人格形成途上の若い年 齢層が「裕福さ」を経験した点に求めている。この価値転換の世俗的性格たる ゆえんは、戦後の経済発展によって西側世界に高度産業社会が出現し、かつて のモノ不足の農業経済社会から根本的に区別されるところの大衆の繁栄が実現 したという点にあるとされる。社会的な価値観のモデルが1960年代終わり頃か ら変動の過程にさらされたことを説明するのに、この論拠は、_見もっともら しいが、やはり説明不足な点がぬぐえない。 戦後期には、たしかに産業的、商品的形態で生み出される豊かさが増した。 けれども、欲求充足水準の量的な高さばかりでなく、欲求充足方法の産業化や 技術化のもたらした質的側面の変化もまた、社会的生活世界や体験地平の構造 変化を引きおこしたと考えられよう。伝統的、市民的価値観や欲求の構造の変 化を十分に説明するためには、供給水準の上昇や人格形成期における物質的豊 かさの経験ばかりでなく、たとえば人間生活の自然的基盤の破壊や軍事的脅威 の増大など、経済成長がもたらした特殊な社会的経験も価値変動の原因として 想定する必要があろう(35)。 つぎに「物質主義的」価値観から「脱物質主義的」価値観への変動理論は、 マズローの心理学説(欲求階層説)に依拠しており、社会文化的概念まで物質 的欲求、非物質的欲求という二つの欲求階層に整序してしまっている。たとえ ば、内的・外的安全の確保、経済的再生産、社会的.政治的統合、社会化やア イデンティティーの形成、文化的.美的な意味解釈等は、人間生活にとってど れも等しく必要とされるにもかかわらず、結局このような二つの欲求階層のい ずれかに区分されている。現代社会では物質的価値(経済成長、業績、効率、 消費)が強く強調されるにしても、だからといって「衣食足りて礼節を知る」 というわけでもないだろう。 このような批判を念頭に置くとき、1970年代における政治文化の変容という 現象を「物質主義的一脱物質主義的」という次元の推移というものさしだけを 使って単線的に把握しようとするのは,性急だろう。J・ラシュケも指摘してい るように、「価値変動」は、イングルハートの想定よりも複雑で、問題をふく んだ出来事なのである(36)。 -14-
(3)期待感を爆発させる人びと-<不機嫌な市民> 「新しい人間」像をイングルハートとは別の角度から解釈したのがへルムー ト・クラーゲスの著作『過剰負担の国家一不機嫌な市民』(1981年)(37)で ある。1970年代ドイツにおける社会民主政治の展開により社会国家が定着して いく特殊な歴史的条件のもとで、クラーゲスにとって、その状況に見合う「新 しい人間」がたしかに登場した。けれども、その人間像は、後述するようにク ラーゲスにとって決して好ましい人間像ではない。 クラーゲスは、価値変動に関するクミーチアクの研究成果(38)を取り上げ、 それを国家に対する市民の態度に認められる変化に関連づけようとした。クラ ーゲスは、世論調査に基づき、伝統的な政治的義務といった徳目に対して政治 を「手段とみなす」態度がとって代わっている、と結論づけている。政治に対 する要求の増加という現象は経験的に確認できるとされるが、それは「成熟し た市民」の利害とは解釈できず、むしろく不機嫌な市民>Ver、dmsseneBUnger の利害、言いかえれば「御用をたまわって欲しい性急な客の利害、すなわち 『要求する権利を持つ者』の利害にほかならず、かれらは国の調達する生活財 を、非常に素朴かつ非政治的に自分たちの個人的な要求事項の一つ、処分空間 の一つとみなす傾向がある」(39)。クラーゲスは、社会国家の生みだした「新 しい」人びとの類型をあえてく不機嫌な市民>とよぶ。かれらが「不機嫌」で ある理由は、かれらのおかれた状況が「私的な快適さというカタツムリの殻に ひきこもることを容易にする一方、全面的な依存状態が増しつつある状況であ ることもわかっているので、自分の分け前を守り、もしくは折りに付け横柄に 感じられる国の役人からの侵害や負担の押しつけをはねのけるために、自分の 垣根の向こうを用心深く見張り、いつもかけずり回ることになる」(40)からで ある。 社会国家の政策によって引き起こされたこのような価値観や態度の変化につ いて、クラーゲスは、イングルハートとは逆に社会的なアノミーや不穏さの発 生する源泉を見い出す。西ドイツの場合、1969年以降に社会国家的性格が強ま ると、人びとの国家に対する「要求の力学」が作動し始め、国家の客観的な業 -15-
沖縄大学紀要第12号(1995年) 務遂行能力をこえて過剰に要求が提示されるようになる。一方、政党や団体は、 社会的に発生したこうした諸要求に有効に対応していかなければならないので、 市民の社会的要求の実現をめぐる諸勢力間の競合は先鋭化する(41)。「こうし て個人の期待感が、充足し得るものの限界を越えて見きわめがたいかたちで動 員され、さらに集団的な社会的要求に変化する。・・・期待感の爆発は、社会 国家的な民主政治の意思決定過程のいわば合法的な副産物となる」(42)。クラ ーゲスによると、西ドイツで行われてきた改革や計画政治は、生活状況をそれ なりに改善したものの、一昔前の「自制や自律」といった市民的価値は著しく 意味を喪失し、外部の機関による幸福の実現に対する期待感を増大させた。外 部の機関は、この期待に対して有効に応えるだけの力量をもたない(43)。クラ ーゲスによると、こうして生まれてくる価値観の不安定化や不満足こそ疎外 あるいはアノミーの指標にほかならない。犯罪の増加、アルコール中毒や麻 薬使用の増大、破壊行為の凶暴化、乱暴なストや兵役忌避者の増加、市民イ ニシアチブやアナーキーな自助行動の広がり、さらには「国家への不愉`快さ」 Staatsverdr1ossenheitや未来への不安一一これらの現象をクラーゲスは、ます ます強まる不安定化プロセスの兆候と見なすわけである(44)。 クラーゲスは、こういう状況を克服するため、啓蒙的で、自らの行為の帰結 についても意識的な政治を提唱している。クラーゲスは、社会心理学的にみて 根拠のあるつぎのような「事実状況」を考慮すべきである、と説く。つまり、 人間というものは、自律的に構成し制御している体験領域や生活世界のなかで 「満足感を発達させる傾向にある一方、生活チャンスを責任のない外的事情の せいにしがちである。正確にはこのようにいえるにちがいない。すなわち、人 間は生活チャンスを個人的な責任にではなく、多かれ少なかれ匿名の国家ある いは『社会』の責任に帰することもできる」(45)。だから現代人は「提供され るものの量と質にかかわりなく、それに批判的に、またいつでも不満を吐きだ せる態度で接する」(46)。したがって、クラーゲスによると、これに代わる政 治的思考の新たな方向づけの規範的準拠モデルは、「自己責任で行動し自由に 裁量することで、個人の能力を研鑓することのできる人間」という理念に集約 される(47)。この人間像は、「個人の流動性、環境順応能力、新しさへの開放 -16-
性、そして積極的な参加などに関してありとあらゆる要求をつきつける現代社 会の存立条件を乗り越え、しかも受動的な保護対象や世話の対象にならない」 能力を持つより現代的な人間像というかたちをとって構成されている(48)。 西ドイツで1969年から1972年にかけて着手された社会国家的改革プログラム は、たしかに要求力学的な効果を及ぼしたし、また改革の受益者になれなかっ た人びとの間に欲求不満や社会的反発を呼びおこしたといえよう。しかし、社 会国家的政策に期待感を爆発させ、それに満足できないく不機嫌な市民>こそ が政治文化変容の担い手であると解釈するのも一面的だろう。ともあれ、クラ ーゲスによるとく不機嫌な市民>の利害関心は、成熟した市民の利害関心では なく、むしろ社会を不安定化させる要因であり、政治的疎外あるいはアノミー の兆候でさえある。<不'愉'決な市民>という人間像は、イングルハートのく脱 物質主義者>にかならずしも重なりあうわけではないが、1970年代の「新たな 人間」像を描きだした点では共通している。イングルハートが脱物質主義的人 間を肯定的に評価するのに対して、クラーゲスにとってく不機嫌な市民>は 「自己責任で行動する人間」という規範的人間像によって乗り越えられなけれ ばならない存在である。 (4)モデルネの救出一く青年保守主義者>とく急進民主派>の間 1970年代ドイツの政治文化の変容について検討する際、ハーバマスの一連の 議論が有益な手掛かりをあたえるものであることはいうまでもない。もっとも、 その担い手と目される「新しい社会運動」に関するハーバマスの認識もしく は評価には時間的なブレがある点に注意する必要があろう。1970年代のハー パマスは、この運動に一種のうさん臭さを感じていたようであり、その評価 についてはかなり懐疑的なふしがあったように思われる。そこで描きだされ たのは、誤解をおそれずに定式化するとすればく青年保守主義者>Die Jungkonsewativenという人間像である。けれども後年、とくに大著『コミュ ニケイション的行為の理論』(1982年)公刊後、_すなわち緑の党の国会進 出と相前後して-1990年頃にいたると、よりポジティブな方向に評価が変わ 17-
沖縄大学紀要第12号(1995年) ろのである。そこで示された人間像は、ハーバマスの用語にしたがえばく急進 民主派>DieRadikaleDemklwatenということになる。この認識の変化はいっ たい何を意味するか。以上の点を念頭において話をすすめよう。 ①「生活世界の植民地化」のテーゼ ハーバマスの「動機づけの危機」論(49)は、『「現代の精神的状況」につい ての標語』(1982年)(50)の序言の中でも明確化されているように、1970年代 における政治文化の変容を説明するための分析枠組を提供するものである。す でに周知のこの理論について、ここでもう一度確認しておきたい。 ハーバマスの議論の出発点は、現代社会においては市場のシステム統合的な 機能が働かなくなることにより「階級関係の再政治化」が不可避になる点、お よび「資本主義総体の存続維持」と「正当な欲求の充足」が国家の責任範囲に なる点である。こうした条件のもと、正統性の基盤が脅かされる危険が生じる が、これを緩和するためには、「公衆の脱政治化」を推し進める以外にない。 ハーバマスによると、しかしまさしくこの前提は、後期資本主義の発展の固 有の力学により充足されにくくなる。つまり、政治的、経済的なシステムの維 持にとって不可欠な私生活主義は、体系的に掘り崩されていく。ここでの問題 点は、こういう議論の根底に置かれている進化理論による根拠づけ(5,)であろ う。この理論は、後期資本主義社会の危機の潜在的可能性を強引とも思われる ような方法でハーバマス流の世界像の構造の固有の発展論理から導きだそうと するものであり、具体的な社会的な運動を説明するには、あまりに議論の水準 が抽象的なレベルにとどまりすぎるという弱みがあったように考えられる。危 機の潜在的可能'生の経験的な証拠と推測された学生運動や生徒の反乱、公民権 運動といったものにしても、数年後にはもう退潮してしまったからである。 さてハーバマスは、進化理論の枠組みそのものは放棄せずに、『標語」およ びアドルノ賞授賞式での感謝のあいさつ(52)のなかで、この論証を修正してい る。それによると、社会の風潮が変化した1970年代終わり頃の状況のなかで、 公衆から過剰な正当化の要求が出てきたという。この要求は、「経済成長およ -18-
び公的組織の業務遂行という強制的圧力のもと、自然のままの生活形式のエコ ロジーにますます入り込み、また歴史的な生活世界のコミュニケイション的な 内部構造にますます侵入してくる社会的近代化」(53)への拒否反応であり防衛 反応である。このプロセスは結局、不’快感を刺激するか、アノミーの潜在的可 能性を増長するか、積極的な抗議(代案的なフェミニズム運動や自律獲得運動 など)を促進するか、あるいは潜在的な態度の変更(いうなれば価値変動)か をもたらすという。ハーバマスは、周知のようにこれを「生活世界の植民地 化」DieKoloniaUsierungderLebenswe1tと概念化している。ハーバマスに よると、「この視点から、人びとは、伝統が充満した生活形式のみならず、い かなる形であれ、人間の共同生活を支えるコミュニケーション的基盤が体系的 に破壊されてしまう危険を感じている」(54)。 ②<青年保守主義者>とモデルネヘの造反 ここでエコロジー運動や代案運動、およびその人間像に対するハーバマスの 解釈について示唆を得る上で、「モデルネ」についての理解をみておくことに する。 伝統的な世界像の崩壊にともない、科学、道徳、芸術がそれぞれ自律的で 「自由奔放に」発展する社会的領域として細分化されると同時に、「日常実践 の解釈学のなかで自然成長的に形成された伝統の流れが引き裂かれる」という 問題が発生する。ところで、ハーパマスの理解するところ、啓蒙期に形成され た「モデルネというプロジェクト」とは、「客観化される科学、道徳と法の普 遍主義的基礎、そして自律的な芸術を迷わずにそれぞれの固有の頑固さにおい て発展させる努力、だが同時に、そのようにして蓄積される認知的な潜在力を その秘教的な形式から解放し、実践、すなわち生活状態を理性的に形成してい くために役立てる努力」(55)を意味する。このプロジェクトの進行とともに引 き裂かれた伝統にとって代わらんとしてさまざまな試みもなされてきたが、こ とごとく挫折している。ハーバマスによると、この試みの誤りは、認知的な説 明、道徳的な期待、表現、および評価を生活世界の了解過程のなかに相互に無 -19-
沖縄大学紀要第12号(1995年) 理なく浸透させなければならず、またそれが可能であることを考慮せずに、こ の独立している科学、道徳、芸術等のいずれかの一つを生活実践に短絡しよう とするところにある(たとえば独断論、道徳的厳格主義、シュールリアリズム による芸術の止揚)。 ハーバマスは、大部分のエコロジー運動、婦人運動、代替運動を、この誤っ た短絡の試みの系列に置こうとする。「思い上がった止揚プログラムの誤り」 から学ぼうとせず、これらの運動は、モデルネおよびそのプロジェクトを投げ
捨てようとしている、というのがハーバマスの考えだったようであり、しかも
こうした集団では、理念型的にいって二つの精神的潮流が勢力を得ているとい う。 ̄つが青年保守主義の「アンチ・モダニズム」であり、もう-つが旧保守 主義の「プレ・モダニズム」である。 いささか長くなるが、1980年9月19曰付のツァイト紙に寄せられたハーバマ スの立論(56)を引用しておこう。 青年保守主義者は、美的モデルネの根本経験におもむく。かれらは、労働 や必要性の命令から解放され分散化した主体性をあらわにしようとする。そ うすることでモデルネの世界から脱却しようとする。モダニスト的態度でか れらは、和解できないはずのアンチ・モダニズムを根拠づける。これに対し て、想像力や自己経験の自発的な諸力、また遠く離れたもの、原初的なもの の情緒性のもつ自発的な諸力をかれらはよびだし、道具的理'i生をマニ教のご とく動員する。.・・・・ 旧保守主義者は、文化的モデルネにはけっして感染されることがない。か れらは実体的理性の崩壊や、科学、道徳、芸術の細分化や、さらにモデルネ の世界観およびもはや手続き的なものにすぎない合理性を遺憾の念をもって 攻撃する。そしてモデルネ以前の立場への回帰を提言する。 バーガー/バーガー/ケルナーの議論を想起すれば、1960年代終わりから 1970年代初期に登場した代案運動や対抗文化には、この二つの立場の結びつきが再確認できるかもしれない。生の哲学流の直接性イデオロギーや非合理的な
-20-神秘主義などはその最たるものともいえよう。科学、道徳、芸術の細分化に代 わる道を実践的に探ろうとする試み、すなわち「曰常のなかで、認知的・道具 的なものを道徳的/実践的なものや美的/表現的なものにふたたび触れ合わせ ようとする新たなる共生的形式」を発達させようとする試みは、ハーバマスに とって、「超現実的な現象であって、おそらく退行を示しているばかりでなく、 探索の運動にすぎず」(57)、その意味で強い留保をつけなければならないとい うことになる。 ③<急進民主派>とモデルネの擁護 ところが、1990年から1991年にかけて行われた書面でのインタビュー(58)で は、「新しい社会運動はおのずから多様化と個性化の原動力となった。民主主 義が現実的であり続けるためには、今曰かならず通らなければならない抽象化 の過程をそれは表現している」と評し、とくに緑の党については「政治的な姿 勢や政治参加の枠を拡大するとともに、非正統的であることによる柔軟性を発 揮し、公共の場における討論文化を決定的なかたちで変化させた。..、その 最大の功績は、政治を感情としてでなく、討議として行った点にある。... 『緑の党」は、たとえさまざまな欠陥を有していたとしても、解放的な力であ ったし現在もそうである」(59)とそれまでのアンビバレントな評価を_変させ ている。なぜそれほど評価が変わったかについて、ハーバマスは「周縁部分に いた左翼的ナショナリストや共産党の旧活動家が不気味であった」とし、いま では、「『緑の党』讃歌をとなえるにやぶさかではない」(60)とまで言い切っ ている。 この発言から明らかなのは、「緑の党」に流れこんだ代案運動やエコロジー 運動のく青年保守主義者>の「退行」的要素が原因でハーバマスが同党にかつ て距離をおいていたわけではないという点であろう。ハーパマスにとって、理 論的思索と政治的判断は別次元のものなのだろうか。あるいは、1970年代の 「新しい社会運動」こそ、コミュニケイション的理性の一翼を担う勢力であっ たとでもいいたいのだろうか。 -21-
iII1縄入学紀要第1?}〉(]9()5イ|リ ハーバマスのこの人間像の変更は、本当はいったい何を意味するか。その答 えはおそらく、時代的にみて異なる2つの状況に照応して2つの人間像を提出 したということであり、その意味では人間像の根本的な変更ではなく、いわば 状況の変化に照応した力点の移動であり、その間に矛盾はない、ということか もしれない。すなわち、1970年代前半のさまざまな社会的な運動が制度化を警 戒し、<未定型の社会意識>にとどまっている間は、ハーバマスからみても、 一種のうさん臭さが感じられたのだろう。そこで出された人間像がく青年保守 主義者>であり、バーガー/バーガー/ケルナーの議論にそくして概念化した くネオロマン主義者>のイメージと非常に近いといえよう。しかし、制度外に 新しい方向性を模索していた「新しい社会運動」が1970年代末以降、ふたたび 公式回路と接点をもつようになり、とくに「緑の党」において制度の論理と非 制度の論理との葛藤が内在化される局面までくると、<未定型の社会意識>は ある程度の「定型さ」をもつようになり、それがハーバマスによってく急進民 主派>ととらえられたといえよう。 4.おわりに K,ゾントハイマーは、第2次世界大戦終結までのドイツの政治文化の特徴 として、①国家主義的伝統、②非政治的伝統、③<ドイツ理想主義>の伝統、 ④紛争回避の伝統、⑤形式主義の伝統という五つの文化の型を指摘している (61)。このような政治文化的伝統は、たしかに戦後における民主的な憲法の定 着や政治教育の徹底をつうじて、完全ではないにしてもかなり払拭されたとい ってよいだろう。けれども、こうした伝統をある種の徹底性と急進性をもって ぬりかえたのは、やはり学生反乱をきっかけとして1970年代に進んだ政治意識 の変化ということができる。この点についてドイツの学者の間でも大きな認識 の違いがほとんどみられないものの、もう-歩掘り下げて、それでは具体的に なぜ、どのように政治文化が変容したのか、そこに新たな問題がないか等とい う点まで降りてくると、さまざまな考えのあることは本論文の中で多少なりと も示したとおりである。 -22-
本稿は、1970年代のドイツの政治文化を論じる前提として、同時代文献を検 討し、そこに想定された人間像を掘り起こしてみた試論である。その結果、4 つの人間類型がうかびあがったが、もちろんこれだけですべてがいい尽くされ るわけではない。また、概念構成上の問題点を指摘したものの、それらの人間 像が適切かどうかについてことさら問題にしたかったわけでもない。いずれも 複雑な現実をある角度から再構成したものであり、1970年代という時代の複数 の自己意識を示すものと解釈できよう。 そこで本稿では、論者たちがこの時代の政治文化の「新しさ」をどう評価し ているかを第1の座標軸とし、またその政治的な意味づけをどう理解している かを第2の座標軸として、おのおのの理論的立場の考察を行った。その結果、 これら論者が想定している政治文化の担い手の人間像として、A・ネオロマン 主義者あるいは青年保守主義者、B・脱物質主義者、C・不機嫌な市民、D・ 急進民主派という類型が得られた。それでは、この四種類の人間像にいかなる 相互関係があるのか、について若干コメントしておきたい。 このように人間像が分岐するのは、一つには論者たちの政治的、認識的な立 場の違いによるところが大きいものの、そればかりでなく1970年代の新しい社 会運動のもつく未定型さ>に由来する両義的な性格にも原因があるとみられる。 まず第1に、脱制度的側面と制度的側面の両義'性である。<未定型>である がゆえに消滅するか、制度化する可能性が高かったが、制度化の可能性をどう 回避するかがこれら新しい運動の課題だった。新しい運動として制度化や組織 化に警戒的であり、時期によっては「反制度主義」に留まろうとしたこともあ った。「緑の党」が1980年代に最終的に結成されたことは、この浮遊する運動 が ̄応の結集地を得たことを意味する。もっとも、「緑の党」は、政党という 制度を形成しても、制度化に批判的だったことは「グリューネン」DieGrijnen と称し、「党」とは名乗っていないことにも現れていよう。このように1970年 代をつうじて、脱制度的な志向と制度的な志向は、厳しい緊張をはらみながら も、徐々に後者に重点を移行させていったということがいえる。そして、前者 にみられた浮遊する意識を核として構成された人間像がAであり、また後者の 場合がDと位置づけられる。制度化が進むにつれ、<未定型>のAの意識は, -23-
沖縄大`学紀要第12号(1995年) へといわば脱皮していくのである。もちろんその際、Aの要素がすべて消滅し てしまったわけではないだろう。 つぎに第2の両義性は、社会国家の定着という時代背景のもつ両義性である。 政治が計画化され、民主化の要求が高まると、政治参加に対する主体的な取り 組みが活発化すると同時に、社会国家への受動的な依存、ないしは物取り主義 という傾向も強まる。前者に着目して人間像を構成したものがBといえ、また 後者の観点から社会国家における人間を概念化したものがcということになろ う。 以上のように、本稿では、1970年代にみられた人間像の形成と転換について 同時代の文献を使って論じたが、このいずれの人間像も相互に矛盾しあう類型 というよりも、1970年代ドイツの政治文化の変容についてアプローチする上で むしろ相互補完的な意味あいのあることが明らかである。 (1)蔭山宏『ワイマール文化とファシズム』(みすず書房、1986年)。序論 と「Iワイマール文化の歴史的位相」がとくに重要である。 (2)1920年代とくらべると、それと50年もへだたった1970年代は、一見して 異質の時代であるようにみえる。古い要素は部分的に消滅するか、部分的 にしかるべき定位置を見いだしていたし、また新しい要素も制度的、社会 的にある程度の定着に成功し、全体からすればはるかに安定した局面を迎 えていたからである。人びとを支える力は、「根源的に支える力」が後景 に退き、「社会的に支える力」のほうが圧倒的に優位に立ったといえよう。 そして、さまざまな自信や信頼や希望や期待がこの「社会的に支える力」 をより強固にしたかのようにみえる。このような、1970年代初めの頃の気 分についての同時代的証言に関しては次の文献を参照のこと。K・-M.Brwand, 、、BUsser,、、Rucht,Aufbmchf7ze伽eα"dereGeseZZschaft-lVeMe sozfczZeBeu)e9mlge72伽derBmzdesrepl4bZfk,Campus,1984,s、75ff. (3)三島憲一『戦後ドイツ~その知的歴史』(岩波新書、1991年)、133 -24-
頁。1968年頃にドイツの政治文化の切れ目があると主張する代表的論客 はユルゲル・ハーパマスである。「学生運動はドイツの政治文化にとっ て-つの節目となった.・・・これにまさるものは連合軍によるナチス からの解放しかない。・・・1968年は政治文化が柔軟化し、生活形式や 人間同士の関係が自由になり始めた年である。」JUrgenHabermas, Dfe〃czc肋oZe"deReDoZntfo7T,Suhrkamp,1990,S、28.ハーバマス『遅 ればせの革命」(三島、山本、木前、大貫訳、岩波書店、1992年)、129 頁(訳文一部修正)。もう一人の代表的な論客、クルト・ゾントハイマー も「学生の抵抗運動は、連邦共和国の政治意識の変革に対する開放的な契 機となった。それまで妥当してきた住民の価値的なコンセンサスを本気で 疑問に付したばかりでなく、精神的な状況に決定的な役割を果たす支配的 な社会層にも影響を及ぼした。その影響は1974年の『傾向の変化』以降も もはや決して消え去ることがなかった」と指摘している。K・Sontheimer, GrⅢ"dztjgedespoZfれsche〃SVS士emsder〃ene〃珈冗desrePⅡbZfk DeufsdzZcz7zd,Piper,1993.S・’66. (4)この時代を扱った文献は無数にある。基本的な参考書としては、KD・ Bracher,W・Jager,W・Link,RePMbZfkfmIVα"deZZ969-1974DfeA[ra Bra7zdt,DeutscheVerlag-Anstalt,1986,W・Jager,W・Link, Rep肋Zfkfmh/Cz7zdeZZ974-Z982DfeArczSchmfdt,DeutscheVerlag-Anstalt,1987,,.L・Bark,,.R・Gress,AHfstoryofDestGermα"y, 2,Democracyα〃d此sDfsco肋e肋sZ963-Z988,Basil Blackwell,1989。また、時代区分等については、K・-W、Brand,DBusser, D・Rucht,α、α0.,K.-W・Brand,NeⅢeSozfaZeBeh)e9m〃ge〃, WestdeutscherVerlag,1982,GlaeBner,Holz,Schluter(Hrsg.) DfeBu"desrepⅢbZfkmde〃s化bzfgerJczhre〃-Versnche伽er M七mg,Leske+Budrich,1984などを参照した。 (5)この間の事`情については、丸山正次「参加民主主義理論の可能性(1)(2) -F・フィルマー『民主化の戦略』をめぐって-」(慶応義塾大学 『法学研究』58巻7号、8号所収、1985年7月、8月)にくわしい。 -25-
沖縄大学紀要第12号(1995年) (6)K・-M.Brand,、、BUsser,、、Rucht,αα、0.S、77~S、79 (7)たとえばKurtSontheimer,Zeftem)e7zde?-DfeBu"desrePubrfk zu)fsche〃αZterw"CM〃er"cztfDerPoZftfk,Hamburg’1983.で総括 されている。 (8)ドイツで流行した「統治能力」論は、いうまでもなくハンチントンらの 議論を引き継いでいる。C・オッフェは、「保守的危機理論のルネサン ス」と批判、「正当化の危機」論との構造的類似性と差異について論じた。 C・Offe,Unregierbarkeit-ZurRunaissancekonservativerKrisen-theorien,in:J・Habermas(Hrsg.),Stfchu)orte21Jr“Gefs汎ge〃 SftlJcztfo〃derZeft,,,ZBd,Suhrkamp,1979. (9)たとえばドイツ政治学会の1975年度のテーマは「現代国家の正統化の諸 問題」であった。その成果が、P、GrafvKielmansegg(Hrsg.), LegitimationsproblemepolitischerSystem,PoZftfsche WerteZjahresschrfft(PVS几so〃demeft7,Westdeutscher Verlag,1976.である。 (10)JoachimHirsch,DerSfcherheftsstaat,Europaische Verlagsanstalt,1980. (11)ドュデクによると、環境保護派の主張は、一九五○年代の極右政党、ド イツ帝国党の綱領にも散見できるという。PeterDudek, NationalromantiscberPopulismusalsZivilisationskritik,in: W・Schafer(Hrsg.),lVeⅢeSo2faZeBeme9mTge〃-Ko"serDatfDer 肋fbr皿ch伽加兀temGeDa7Td?,FischerTaschenbuchVerlag, 1983. (12)Berger/Berger/Kellner,DczsU"Mza9e7T伽derModer"此df, Frankfurt/NewYork,1975. (13)α、α、0.S、160. (14)α、α、0.S、161. (15)α、α、0.s168. (16)α,α、0.s173. -26-
(17)α、α、0.S、175. (18)α、α、0.s、177. (19)α、α、0.S,185. (20)α、α、0.s183. (21)α、α、0.S、188. (22)BerndGuggenberger,Mrgerf〃肺“〃ひe〃f〃der Hzrtefe7zdemokmtfe,Kohlhammer,1980. (23)α、α、0.s、59ff. (24)ClausOffe,DieLogikdeskleinerenUbels,ⅢEZEITO9.n.1979 (25)MTh,Greven,Parteiensystem,WertwandelundneueMarginalitat・ in:J、Matthes(Hrsg.),So2faZerWcz"deZmWesteHrope, Frankfurt/NewYork,1979. (26)Ronaldlnglehart,ThesfZe肋reDoZ肋fo〃-Cha7zg伽gUaZⅢes α〃dPoZ此化aZstyZesczmo7z9Wester〃PnbZfcs,Princeton UniversityPress,1977.ロナルド・イングルハート『静かなる革命」 (三宅、金丸、富沢訳、東洋経済新報社、1978年)、RInglehart, WertwandelindenwestlichenGesellschaften-Politische Konsequenzenvonmaterialistischenundpostmaterialistischen Prioritaten、in:H・Klages,P,Kmieciak(Hrsg.),WertzJa7zdeZmzd geseZZschczftZfcherW"deZ,Campus,1984(3.Aufl.). R、Inglehart,CuZt皿reShfftf〃4.,α"cedZ"dnstrfaZSocfety, PrincetonUniversityPress,1990.ロナルド・イングルハート『カルチャ ーシフトと政治変動』(村山、富沢、武重訳、東洋経済新報社、1993年)。 (27)K、L、Baker,R、J・Dalton,K、Hildebrandt,Germa7WTrcz"sformed-PoZftfcaZCHZ伽Teα"dthelVezJPoZft化s,HarvardUniversity Press,1981.なお、S・バーガーの整理によると、一九七○年代ヨーロ ッパ全般についての「新しい政治」は、①エコロジスト、②地域的なエス ニック運動、③反核反原子力異議申し立て、④フランス社会党とフランス 民主労働同盟内の自主管理派(CFDT)、⑤フェミニスト運動、⑥新プ -27-
沖縄大学紀要第12号(1995年) ジャード派の六集団をその典型としていた。SuzanneBerger,Politics andAntipoliticsinWesternEuropeintheSeventies,in: MEMLUS,1979,P、38~P、40. (28)HildebrantundDalton,DieNeuePolitik-PolitischeWandeloder SchOnwetterpolitik?,in:wahZsozfoZogfehemte,PVS,1977, Heft2/3. (29)S、H、Barnes,MKaase,andAssociates,PoZft化aZActfo冗一Mass Pczrt化fpatfo冗伽FfDeWestewTDemocracTesjBeverlyHills, 1979. (30)MaxKaase,Legitimitatskriseinwestlichendemokratischen lndustriegesellschaften-MythosoderRealitat?in:H・Klages, P・Kmieciak(Hrsg.).,α、α、0., (31)α、α、0.,S、342. (32)RInglehart,WertwandelindenwestlichenGesellschaften,in:H Klages,PKmieciak(Hrsg.).α、α、0.,S、302. (33)周知のように選挙分析によって経験的に裏付けられる。たとえばつぎの H・D・レンシュの分析を参照のこと。H-D・Ronsch,GruneListen-VorlauferoderKatalysatoreneinerneuenProtestbewegung?in:Volker Hauff(Hrsg.),BUrger伽f加atfDe兀伽derGeseZZschaftj Villingen,1980,H、-,.ROnsch,DieWahlerbasisderGrUnen-SozialstrukturundEinstellungen,in:Metz/Walter(Hrsg.),Dfe QmcuZderWCzhL,Berlin,1980. (34)たとえばFranzLehner,Die“stilleRevolution'’一ZurTheorie undRealitatdesWertwandelsinhochindustrialisierten Gesellschaftten、in:H,K1ages,P,Kmieciak(Hrsg.).α、α、0., JoachimRaschke,PolitikundWertwandelindenwestlichen Demokratien・in:AnsPoZf秘k皿"dZe趾gesch化hte、06.09.1980. (35)JRaschke,α、α、0. (36)JRaschke,α、α、0. -28-
(37)HelmutKlages,UberZczsfeterStaat-Derdrosse"eBtjr9er'Zn de7zDfssoncm2e72derWOhZfzh肺s9eseZZschcZft,Campus,1981. (38)P、Kmieciak,IVertstrMJk伽re〃、〃dwertu)α"deZ伽der B1mdesrePmbHkDeutschm77d,GOttingen,1976. (39)HelmutKlages,α、α、0.,S、82. (40)HelmutKlages,α、α、0.,S、82. (41)HelmutKlages,α、α、0.,S,42. (42)HelmutKlages,α、α、0.,S、25. (43)HelmutK1ages,α、α、0.,S、88. (44)HelmutKlages,α、α、0.,s16.S、71. (45)HelmutKlages,α、α、0.,s.22. (46)HelmutK1ages,cz.α、0.,s60. (47)HelmutKlages,α、α、0.,s37. (48)HelmutKlages,α、α、0.,S83ff. (49)JurgenHabermas,Le9ftfmatfo〃sprobZemefmSpdtkapftarfsmns, Suhrkamp,1973.ユルゲル・ハーバマス『晩期資本主義における正統化の 諸問題』(細谷貞雄訳、岩波書店、1979年)。 (50)JDrgenHabermas(Hrsg.),Stfchh)orteznr“Gefsffge〃Sf〃αtio〃 derZeft',,2.Bd,Suhrkamp,1982. (51)JUrgenHabermas,Le9Ztimcztfo"sPTobZeme,α、α、0. (52)JijrgenHabermas,DieModerne-einunvollendetesProjekt(1980), in:J・Habermas,DfeModer"e-emn"DoZZe〃detesProjekt, Reclam,1990. (53)α、α、0.,s40. (54)JijrgenHabermas(Hrsg.),Stfchmorte.,α、α、0.,S、24. (55)JurgenHabermas,DfeMOder7Te.,α、α、0.,S、42. (56)α、α、0.,S、52. (57)JUrgenHabermas(Hrsg.),St化hmorte.,α、α、0.,S、35. (58)JurgenHabermas,Ven9cwlgemeftaZsZ1jd"1ft,Ziirich,1991.ハーバ -29- 」